ざんねんな競走馬事典

2019年10月7日 (月) 23:40時点における>ウイングによる版 (→‎国内)
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競走馬

国内

ウインクリューガー
  1. マイル王タイキシャトルの産駒であり、産駒初の重賞馬でありGI馬でもある。人気薄ながらNHKマイルカップを勝利するも・・・。
  2. この年の秋から大スランプに陥る。中1週の連戦を行ったりダート重賞に挑むなどするも全く結果が出ず迷走状態に。
    • しまいには腸ねん転を発症して長期休養を余儀なくされる。その後は復帰し障害競走で4年ぶりの勝利を得るもその後故障を生じて引退することに。
      • 近親にディープインパクトがいる良血のためか種牡馬にはなれた。
        • なお2015年に種牡馬引退し、現在は相馬市の個人に引き取られ、野馬追に参加するために特訓を受けているとのこと。
  3. GI馬だというのにその後の負け続きから当時の2chでウインガーという愛称でネタ馬として親しまれていた。
    • JRAのNHKマイルCメモリアルレースの投票企画で95000票を集め、1位にはなれなかったもののクロフネやエルコンドルパサー以上の票数を集めたことも。
      • しかしその翌週から「同一人物からの多重投票は無効にします」という表記が追記されるなどネットからの多重投票が問題になってしまった。
オーシャンエイプス
  1. 新馬戦の勝ちっぷりで大きな話題に。一時はオーシャンエイプスの新馬戦の単勝馬券が高額でオークションに出されたほどだった
    • ・・・が、次戦のきさらぎ賞で平凡な馬だと分かり価値が暴落。入札者が出品者を脅迫して入札を削除させる事件までもが起きてしまう。
オルフェーヴル
  1. 2011年の牡馬三冠馬であり、凱旋門賞でも2年連続で2着になるなど世界でも通用した名馬。
  2. しかし完全無欠な馬ではなかった。2歳のときは牝馬に負けたり重賞で大敗するなど不安定な成績だった。
  3. またとにかく暴れっぷりも印象に残っており、新馬戦ではゴール後に鞍上の池添騎手を振り落とした、菊花賞では三冠達成のウイニングランで池添騎手を振り落とした。
    • 幸いにもレース中に騎手を振り落とすようなことはなかったが・・・。
  4. 4歳時の阪神大賞典(GII)では中団からいきなり先頭に立ち、第3コーナーでいきなり減速。観客どころかアナウンサーすら故障したと思ってしまった。その後は再び加速するも勝ち馬におよばず2着に敗れる。
    • 好き勝手走りまくった結果同馬は調教再審査を受けることに。審査はパスし天皇賞春に出走するもいつもと違いメンコを被ってたことや馬場が悪かったこともあいまって11着に大敗。
  5. それでも次の宝塚記念で巻き返し勝利。さらにフランスに渡り凱旋門賞へ挑む。
    • 本番では折り合いもつき、最後の直線で先頭に立つとそのまま後続を突き放す。悲願の凱旋門賞制覇だと思った矢先内ラチぞいに斜行しぶつかってしまいそこを追ってきた地元のソレミアに差されてしまいあとわずかというところで負けてしまった。
      • 翌年も挑むが3歳牝馬トレヴの前に敗れ2着。結局前年が一番の大チャンスだったのにそれをむざむざ逃してしまったのがざんねんであった。
  6. 引退レースの有馬記念は8馬身差の圧勝。本当に勝つときのパフォーマンスは凄かったがざんねんな負け方も多かった馬であった。
カーム
  1. マイネルで有名な岡田総帥が3億2000万円と言う高額(サンデーサイレンス産駒中3番目の高額)で落札。やはりデビュー前は絶賛されたが中央未勝利に終わった。
  2. 一応種牡馬にはなれており、産駒が中央で勝てなかった父の無念を晴らしている。
カイソウ
  1. 1944年の日本ダービーの勝ち馬。
    • しかし太平洋戦争の戦況の悪化に伴い、1944年は競馬の開催が中止されて「能力検定競走」として東京と京都で行われた。
      • 東京競馬場のスタンドには観客は一切おらず、軍人や馬主など関係者200人余りが見守るなかで行われた日本ダービーだった。
    • 鞍上の橋本輝雄は当時を振り返り「スタンドは無人同然で、いかにも寂しかった」と後に語っている。
      • 残念ながらレース映像は残っていない。
  2. その後半年ほど休養し、1レース挟んで菊花賞(長距離特殊競走)に出走。
    • この競走で1位に入線、一旦は結果が確定されたが、年が明けた翌1945年になって競走不成立の裁定が下された。
      • 理由は、これまで菊花賞は外周り2周で行われていたのに対し、この年から外回り2周→内回り2周に変更されていた。
        • しかし、この変更が騎手に伝えられておらず、全頭が前年と同じく外回り2周をしてしまった。
  3. その後2レース走るも6着→12着に終わり、更に母方の血統が嫌われ種牡馬入りも出来ず。
  4. 陸軍の名古屋師団が落札し乗馬となったが、1945年5月14日の名古屋大空襲に巻き込まれ、その後行方不明に…。
コンゴウダイオー
  1. 2歳のときですでに500キロを超える馬格を持ち調教のタイムも優秀だった。
    • が、それで調子に乗ってしまったのか、調教師は「同じ重量で走らせるのは他の馬がかわいそう」「このまま函館スプリントSに出しても勝てる」「日本どころか世界のGIでも勝てる」と吹きまくった。
      • 結果、新馬戦は単勝1.1倍に支持されたが3着に敗退。3戦目でどうにか勝ち上がれたがその後は1勝しかあげられず、当然国内のGIにすら出ることもできず2008年レース中に故障を生じて予後不良に。
  2. 今では調教師が吹きまくった語録だけが語り継がれている。
サンエイサンキュー
  1. 重賞3勝、GIでも2回2着に入っており、十分賞金を稼いだはずだが…
  2. 当初から過酷なローテーションで、案の定疲労の蓄積で予後不良級の故障を発症した後も繁殖牝馬として金にしたいと言うオーナーによって無理矢理生かされ続けた挙句死亡。競馬史上最も胸糞悪い事件として悪名高い。
ステイゴールド
  1. 数多くのGIで好走、引退レースで最初で最後のGI制覇を成し、種牡馬としてもオルフェーヴルをはじめとした名馬を続々輩出した。
  2. しかしデビュー前からとにかく気性が激しく調教中にも立ち上がったり他の馬を威嚇するなど問題児だった。
    • 「肉を与えたら喰うんじゃないか」と同馬の調教師だった池江泰寿氏は語っている。
  3. デビューしてからもカーブを曲がらずに逸走し騎手を振り落とすなどやっぱり問題児だった。
  4. 京都大賞典(GII)に出走した際は思いっきり斜行してしまいナリタトップロードを妨害し騎手が落馬。1着でゴールをしたものの失格になってしまった。
  5. 産駒にもその激しい気性はしっかり遺伝している。オルフェーヴルがあんな気性なのはだいたいこの馬の血統のせい。
スシトレイン
  1. デビュー1戦目、2戦目はいずれも圧勝。エルコンドルパサーの再来と持ち上げられ海外遠征の話まで上がる。
  2. しかし、その後は惨敗続き。結局3勝目はおろか掲示板にすら入れないまま引退した。
    • だが、2戦目と3戦目は同条件で殆ど変わらないタイムである。つまり、今まではレベルが低すぎただけであった。
ダイタクヘリオス
  1. 1991、92年のマイルチャンピオンシップを連覇した名マイラーだが、この馬が出走するレースは1番人気がことごとく負けるというジンクスがあった。自らも例外ではなく、1番人気で勝利したのは一度だけ。
  2. おまけに走るときには口をだらしなく開けたままだったので「笑いながら走る馬」と渾名されることになった。
ダイワメジャー
  1. 2004年の皐月賞馬。しかし、その後は不調だった時期がありダメジャーと言う不名誉なあだ名をつけられる羽目に。
  2. 最終的にはG1を4勝し、種牡馬入り後も多くの産駒が活躍している。
ダンツフレーム
  1. クラシックでは全て入着。その後も重賞やG1を賑わせ続け、グランプリホースにもなった。
  2. しかし引退後は種牡馬入りできず、屈腱炎にも関わらず地方で再び走らされ散々戦績に傷がついた挙句、肺炎で急死。あんまりな末路である。
    • 元々血統が悪くサンデー産駒全盛期の時代に需要が無かったこと、勝った宝塚記念もジャングルポケットやマンハッタンカフェ・ナリタトップロードと言った有力馬のいないレースであり低レベルだった事情もある。
ディープインパクト(2006年の凱旋門賞)
  1. 日本の悲願だった凱旋門制覇だ!とばかりに意気揚々とフランスに遠征。テレビで特番が組まれたりツアー旅行が組まれるなど盛り上がった。
    • だが結果は3着に完敗。さらに餌に禁止薬物が入ってたことが判明し失格になるという散々なことになってしまった。
      • 観光客のマナーの悪さも問題になった。
  2. 本馬に関しては、種牡馬としても大成功の部類ではあるが、未だにこれと言った後継種牡馬が出ていないとされるまま死亡してしまったのも残念かもしれない。
ナリタブライアン
  1. クラシック三冠を果たしたが古馬以降怪我に泣かされるなどでG1を勝てなかった。
  2. ともかく調教師へのバッシングがすごかった。
  3. 1996年の阪神大賞典は名勝負と呼び声もあったが土曜開催だったことへの批判や名勝負を否定する声もあった。
  4. その年の天皇賞春に敗れた後出走した1,200mの高松宮杯はファンファーレも残念だったとされる。
  5. 引退後種牡馬入りするも翌年に死亡し一頭も後継種牡馬を残すことができなかった。
    • 生産し種牡馬として繁養していた牧場が倒産する一因になった。
ハードバージ
  1. 1977年の皐月賞馬。引退後は種牡馬となるが、成績が芳しくなかったため使役馬に転用。重い馬車の牽引や甲冑を来た役者を乗せるなどの重労働が続いた挙句、日射病で死んでしまった。
    • ハードバージの辿った末路は今まで人々の関心が薄かった名馬の余生を考えるきっかけとなり、功労馬繋養展示事業の実施にも繋がった。
ハシルショウグン
  1. 南関競馬で活躍。だが芝G1ではいずれもドベでアルクショウグンと揶揄される。
  2. 最後も旧表記9歳で凡走が続いていたにも関わらず障害を走らされ・・・
ハマノパレード
  1. グランプリホースとなったが、高松宮杯競走中止後はそのまま屠畜場行きに。後にこの事実が新聞で取り上げられ批判が殺到。これを切欠に予後不良と診断された競走馬の屠殺は行われなくなった。
  2. なお、ハマノパレード事件以前は取り沙汰されていなかっただけで、予後不良となった馬を馬肉に転用することはしばしばあったとか。
ハルウララ
  1. 連戦連敗続きにより一躍大スターとなったが、引退後の扱いは・・・
プレクラスニー
  1. 1991年の天皇賞(秋)馬。
    • しかし1着入線ではなく1着のメジロマックイーンに6馬身差をつけられての2着で、メジロマックイーンの降着による繰り上がりでの勝ち馬だった。
      • プレクラスニーの生産者の嶋田克昭は後に雑誌で「正直言って表彰台に立っているのが辛かった」と語っている。
  2. 打倒メジロマックイーンを誓って挑んだ暮れの有馬記念では4着(マックイーンは2着)。
  3. 引退後種牡馬入りするもほとんど種付けが無く、中央での産駒の総勝ち数は3勝だけ。
    • 後継どころか繁殖牝馬すら残せずに1998年に種牡馬を引退、その年の内に事故で安楽死となってしまった。
マイネルエクソン
  1. キーンランドのセリで55万ドルで競り落とされ、総帥が「朝日杯を楽勝したら欧州へ」「国内で稼げれば良いと考えるなら出資を見送るように」などと吹きまくったが、デビュー後は中央未勝利のまま地方へ・・・
ミスターシービー
  1. 母親は本馬以外子供を生むことが出来なかった。
  2. 翌年の三冠馬であるシンボリルドルフに歯が立たなかった。
  3. 種牡馬としてもクラシックを期待された大器を出したが重賞勝利直後予後不良級の骨折をしてしまい復帰できたもののG1勝利はならなかった。
    • 一方のシンボリルドルフはトウカイテイオーを出した。奇しくもトウカイテイオーが勝った皐月賞の2着馬は本馬の産駒だった。
メジロパーマー
  1. 1992年宝塚記念、有馬記念の双方を制したグランプリホースだが、同年の天皇賞秋においてダイタクヘリオスとハイペースで逃げた結果、ブービーの17着と惨敗した。
    • おかげで「宝塚記念の勝利はフロック」と言われ、春のグランプリを制しながら有馬記念では16頭立ての15番人気だった。
  2. ただしメジロ牧場における1987年生まれの同期(メジロマックイーン、メジロライアン)が果たせなかった有馬記念制覇を成し遂げている。
メジロマックイーン
  1. 天皇賞春を連覇するなど堂々の名馬だが、1991年の天皇賞秋で斜行してしまい、1着でゴールしたものの最下位に降着させられた。
    • 降着制度はこの年から始まったため、G1、しかも1番人気馬の降着は当時論議の的となった。
メジロライアン
  1. メジロ牧場の期待を背負っていたが、なかなか勝ちきれないレースが続き、G1勝利数では同期であるマックイーンどころかパーマーより少ない(マックイーン4勝、パーマー2勝、ライアン1勝)
    • 本馬に勝たせたいとメジロマックイーンを回避させた1990年の有馬記念はオグリキャップに敗れた。
  2. ただし種牡馬としてはメジロドーベルやメジロブライトを輩出するなど成功した。
ライスシャワー
  1. 菊花賞・天皇賞春2勝のGI3勝。そのうち菊花賞とその翌年の天皇賞春では当時のレースレコードを更新する生粋の長距離馬であり京都競馬場の馬場を得意とする馬だった。
  2. しかし菊花賞ではクラシック三冠の掛かったミホノブルボンを降し、翌年の天皇賞春では天皇賞春3連覇の掛かったメジロマックイーンを降したことでファンからは「偉業を台無しにするヒール」「淀の刺客」と呼ばれるようになってしまう。
  3. その後2年間成績は低迷するものの1995年の天皇賞春で復活を果たす。しかし種牡馬としての箔をつけるために宝塚記念(当時は京都での開催)に出走する。
    • しかし宝塚記念のレース途中に故障を発し転倒。予後不良と診断されてしまった。得意の京都競馬場が最期の地になる結果になったのであった。

海外

  • 日本に輸入されて種牡馬となった馬も含みます。
ウォーエンブレム
  1. アメリカで二冠を達成。引退後は日本で種牡馬となる。
  2. しかし、小柄な栗毛の牝馬(つまり人間で言う金髪幼女)でしか反応しないと言う性癖によりほとんど産駒を残せなかった。
  3. 数少ない産駒から重賞馬やG1馬を多数排出しており、産駒の質だけなら優秀な種牡馬であった。ロリコンでさえなければ・・・
セントクレスピン
  1. アイルランドの凱旋門賞馬。種牡馬としても愛、日でGI馬を複数排出し大成功するが、種牡馬引退後は屠殺されてしまう。
    • 1981年では功労馬繋養展示事業はなく、動物愛護意識も薄かったと言う時代背景も大きいかもしれない。
ラムタラ
  1. 欧州で活躍した競走馬。引退後は種牡馬として英で1年供用された後、3000万ドルで日本に導入されるが結果は大失敗。再輸出の価格は購買時の100分の1以下であった。

競馬関係者(馬主・調教師など)

サラブレットクラブ・ラフィアン所有の競走馬(冠名にマイネル・マイネと付いている馬。)
  1. 2歳戦やローカル重賞では活躍馬をそこそこ出しているがGIやクラシックでは好走まではするが勝てない。
  2. マイネル軍団の総帥こと岡田繁幸氏の目標は東京優駿(日本ダービー)制覇と言われているが果たしてその夢はかなうのか・・・。
    • ただ、上記にもあるように彼の馬選は良いとは言えない。
メジロ牧場
  1. メジロマックイーンやメジロライアン・メジロラモーヌ・メジロドーベルなど数多くの名馬を生み出したオーナーブリーダー。
  2. 取ったGIの数は多かったものの、日本ダービーだけは勝利することはできなかった。また、年度代表馬に所有馬が選ばれたこともなかった。
  3. 内国産種牡馬や自家産種牡馬を使った配合に拘っており、社台系の輸入種牡馬を使うケースはまれだった。結果的に2000年代以降の長距離軽視、スピード重視の流れには乗れなかった。
  4. さらに有珠山が近くにあるためにたびたび噴火の被害を受けていた。
  5. 2011年4月、成績不振によりメジロ牧場の解散と競馬界からの撤退を発表。一つの時代の終わりとなった。

騎手

クリストフ・ルメール
  1. 現在はJRA所属だが短期免許で来日していた時から数多くのGIを制したフランス人ジョッキー。
  2. しかし2015年にJRA所属になり3月にデビューするはずだったのだが調整ルームに携帯電話を持ち込むという禁止事項を犯してしまい1か月デビューが送れてしまった。
  3. 優秀なジョッキーゆえに数多くの有力馬の主戦になった結果、ルメールが乗れないとわかるとレース回避する有力馬が続出することに・・・。
    • 例えばアーモンドアイとレイデオロ(両方ともルメールが主戦を務める)は2019年9月の時点で一度も同じレースで走ったことはない。ルメールあり気の使い分けには苦言を呈する人も少なくはない。
後藤浩輝
  1. 若手時代に暴行事件を起こし「木刀」というあだ名が定着した。
  2. 逆に調教師に殴られたりする事件が複数起こった。
  3. 中央G1は複数回勝っているもののその時のG1馬は以降未勝利などこれ以上の結果が出ず牡馬のほとんどは種牡馬入りできなかった。
  4. 2012年、2014年と落馬事故で頚椎骨折を繰り返したが奇しくも同じ騎手の斜行による落馬だった。
    • そして2015年…。
田原成貴
  1. トウカイテイオー、マックスビューティ、マヤノトップガンで知られ、リーディングジョッキーにもなったことのある名手。
  2. 騎手時代からマスコミと対立することが多かったが特に調教師に合格した時に起こした事件では他の調教師からも激しく非難された。
  3. 調教師になっても得意先の馬主を怒らせ所有馬を引き上げられてしまう。
    • その後馬の耳に発信機を付け過怠金処分を受ける。
  4. 2001年に空港に刃物を持ち込もうとして逮捕、さらに覚醒剤所持でも逮捕され調教師免許剥奪の上15年間の競馬関与禁止処分を受ける。
    • そして2009年に再び薬物で捕まり競馬関与禁止が無期限へと延長。翌年も薬物で逮捕された。
三浦皇成
  1. デビュー当年から好成績を上げ、わずか5か月で重賞制覇するなど当時は武豊の再来と言われていた。
  2. しかし2010年に9頭が絡む落馬事故では自身が騎乗していた馬が斜行したことが事故の原因となり騎乗停止。これにより評価が一変してしまった。
  3. 2016年には落馬で1年の長期休養を余儀なくされてしまう。
  4. 地方交流のGI(JpnI)は制しているが、中央のGI競走は今現在未勝利である。

レース

菊花賞
  1. 牡馬クラシック三冠の最終戦だが、世界的には2000m以上のレースは価値が薄いのもあり、近年は菊花賞をパスして天皇賞秋や凱旋門賞に向かう三歳馬もしばしば。
  2. 勝ち馬の中には歴代の三冠馬やゴールドシップ・キタサンブラックなどその後数多くGIを制する馬もいればこのレース以降GIどころか重賞すら取れなかった馬もいる。一時は後者の率が多かった。
欧州クラシック三冠
  1. 長距離レースの価値が低く二冠を達成してもセントレジャー等には向かわず、そもそも二冠さえ狙わない馬が殆どで、日本やアメリカと異なりほぼ形骸化している。
  2. 英ダービー、KGVI&QES、凱旋門賞が実質的な三冠とされることもある。
    • またダービー後は路線をマイル~中距離に定め、インターナショナルS(イギリス)やアイリッシュチャンピオンS(アイルランド)へ向かうことも多い。
宝塚記念
  1. 上半期を締め括るドリームレースなのだが、出走馬のレベルがそれほど高くなかった年が幾つかある。
    • そもそも開催時期が梅雨シーズンであることが多く降雨で馬場が悪化することが多いため消耗を嫌った有力馬が回避することが多い。
    • また、春シーズンをドバイや香港などの海外遠征に費やし、秋まで休養する有力馬も多い。
  2. このレースが唯一のGI制覇となった馬も多い。
    • その後の人生(馬生)が幸せではなかった馬も多い(ハマノパレード・オサイチジョージ・サイレンススズカ・ダンツフレームなど…)。
  3. ここ最近は1番人気が大敗するケースが多い。
天皇賞(春)
  1. 春シーズンを代表する伝統的な長距離レース。90年代までは有力馬が多く集い、春の頂点を決めるレースとして盛り上がっていた。
  2. しかし近年の中距離重視の風潮とドバイや香港などの海外GIの充実から、回避する有力馬が多い。
ジャパンカップ
  1. 国際GIとして外国馬を招いて行われる秋シーズンの目玉ともいえる大レース。
  2. しかし最近は有力な欧州の馬は殆どがブリーダーズカップや香港のGIへ遠征してしまい外国馬がショボくなりがち。
  3. この時期の東京コースはタイムが出やすい高速馬場であり、パワーが要求される欧州の馬場とは真逆の適正が必要になってしまうのが原因。
    • 実際凱旋門賞を制したモンジューやデインドリームがジャパンカップでは敗退している。
    • 日本馬が凱旋門賞で苦戦するように、欧州馬はジャパンカップで苦戦するのである。

競馬場

浦和競馬場
  1. 南関東の地方競馬場のなかで一番狭い。大井が16頭、船橋・川崎が14頭に対し浦和は最大12頭のみ。
  2. 住宅地のど真ん中にある関係上これ以上の拡幅は不可能。さらにナイター開催も南関東では唯一行われていない。
  3. 他3場と違い交流重賞はJpnIIまでしか行われていない。今年度はJBCが開催されるが常設のJpnIはない。
  4. コースも直線が短くカーブも急であり、特に第3コーナーは今までに2名の騎手が落馬が元で命を落としている。
    • それゆえ浦和コースを知り尽くした地方騎手の乗る地方馬が交流重賞で中央の強豪馬に勝利するケースは多い。

関連項目