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==独立項目==
{{区|name=伏見|reg=近畿||pref=京都|city=京都市|ruby=ふしみ|eng=Fushimi}}
*[[阪急京都線の車両]](新京阪鉄道の車両を含む)
==テーマ別==
*[[阪急7000系電車|阪急7000系]](7300系含む)
*商業施設;[[京都の商業施設#イズミヤ六地蔵店|イズミヤ六地蔵店]]・[[京都の商業施設#パセオ・ダイゴロー|パセオ・ダイゴロー]]・[[京都の商業施設#MOMOテラス|MOMOテラス]]
*[[阪急8000系電車|阪急8000系]](8300系含む)
*駅の噂;[[京都市の駅/伏見区|伏見区の駅]]
*城の噂;[[近畿の城#伏見城|伏見城]]


==現役車両==
==伏見区の噂==
===5000系===
[[ファイル:大手筋商店街.jpg|240px|thumb|大手筋商店街]]
[[画像:阪急5063.jpg|thumb|180px|これでも40年選手]]
[[ファイル:Fushimi-sakagura.jpg|240px|サムネイル|伏見といえば酒造り]]
#実は1968年登場。製造後30年以上を経た2001年からリニューアルされ新車並みになった。
#ここは京都とは別の街。かつては「伏見市」だった。
#*リニューアル後は車内LEDやパワーウインドー装備など8000系以上の内装となった。
#*だから[[京都市/山科区|山科]]同様、京都市とは言いながらも街並みが京都のイメージとは大きく異なる。
#**これは9000・9300系や7000・7300系リニューアル車の内装の基本となった。
#**伏見が京都市になったのは[[京都市/西京区|西京区]]や山科区や[[京都市/右京区#嵯峨の噂|嵯峨]]や[[京都市/南区#久世の噂|久世]]とともに昭和になってから(1931~1959年にかけて編入)。
#*リニューアル前は補助送風機として車内にローリーファンが付いていたが、リニューアル後は冷房能力が強化されたためか撤去された。
#*伏見稲荷周辺(鴨川のほとり)と伏見桃山駅周辺(宇治川のほとり)とでは、イメージがまるで違う。
#**一部編成にスイープファンがある。
#**各金融機関の「伏見」支店は、伏見稲荷の近くには無く、伏見桃山駅の近くに集中している。
#同時期登場の3300系と対照的にモータは静か。
#**そもそも伏見稲荷大社があるのは伏見区のほぼ最北端。東山三十六峰の最南端でもある。
#実は登場時は非冷房車だった。
#***伏見稲荷~伏見桃山は4km離れている。どちらも[[豊臣秀吉]]ファンの聖地であり安倍首相は何度も伏見稲荷や伏見桃山城を訪問されたが。
#*その後冷房改造・前面行先表示機取付け・リニューアル工事と3度の大改造を経験し現在の姿となった。
#****そのためか京阪伏見桃山駅には伏見稲荷大社に行く人が誤って降りないように注意書きがある。
#最高速度115km/h運転には対応していないため、昼間の特急運用には入らない。
#伏見区の人は自分たちを京都市民だと思っていない
#最近土休日ダイヤの日は車庫で寝ているらしい。
#*まあ、学マンおおいからねえ。
#最初にリニューアルされた編成(5010F)のみ前面の車両番号が貫通扉に大きく取り付けられている。
#**老人の方が多いぞ。(by老人の中に紛れ込んだ若者)
#*他の編成は車掌台側窓下に移され、数字も小さくなった。
#*旧市街みたく排他的ではないので、よそさんも住みやすいはず。
#リニューアル前は2000・2800系の中間車を組み込んでいたことがある。特に2000系の中間車を組み込んだ編成は屋上のクーラーの数が異なる(2000系:3個・5000系:4個)と異なるため違和感もあった。
#*山科市もある
#*2800系は元京都線用特急車両だったため側面の窓配置が異なっていた。しかし2800系の組み込みは短期間で消滅した。
#**違和感がないのが怖い
#*リニューアル後は5100系を改造し中間に組み込んだがこれまでとは異なり5000系に編入されている。但し元から5000系の車両と5100系の改造車では車体断面が異なっている。
#*でも、山鉾町住民の移転先は伏見区が多い。
#リニューアル前は5000系としてのT車(5550形)は1両(5563号車)しかなかった。
#*大津区と伏見市にすればいいんじゃない
#*しかもその車両は5200系に組み込まれていたこともある。
#*そのため、京都市中心部へ行くことを「京都へ行く」と言う人も多い
#初期にリニューアルされた5008Fと5010Fの運転台撤去跡は運転室と客室の仕切がそのまま残され、元運転室の部分に2人分の座席が設置されている。
#**その点は同じく単独市だった[[仙台市]][[仙台市/泉区|泉区]]に似ている。
#*そこはちょっとした個室の雰囲気が味わえる。
#***[[静岡市]][[静岡市/清水区|清水区]]もか。
#*以後のリニューアル車では運転台撤去車も完全な中間車の形態になった。
#****[[神戸市]]の[[神戸市/西区|西区]]や[[神戸市/北区|北区]]、[[浜松市]]の[[浜松市/天竜区|天竜区]]も。
#*6両化され今津北線に運用開始したが運転室の部分に2人分の座席は残されたままになっている。
#****政令指定都市以外では、那覇市首里も。
#**6両化により抜かれたT車は廃車。因みにこれは元5100系である。
#でかい花札屋がある。
#**実は1980年代にも6両で今津線を走ったことがある。西宮北口のダイヤモンドクロスが健在の頃は今津駅にも入線していた。
#*最近はゲームウオッチも売ってるらしい。
#遂に神戸本線を走る5000系も1編成のみとなった…これも時代の流れか…
#*その花札屋、南区のんやんね?
#*関係ないけど3300系の方はバリバリです。廃車になってる編成もあるが…
#**もしかすると十条・上鳥羽が南区じゃないという噂があるんやない?
#*結局最後まで本線を走っていた5000Fは3000系の最後の編成と同時に1編成まるごと廃車になってしまった…。
#*旧本社は東山区だったと思う。今の本社は南区。
#今や今北しか走っていない。
#地震の震度計が無い。
#*思えば旧1000系も5200系も末期は今北限定運用だった。
#*地震がきたとき、震度が全く解らない。
#*大半の人は、山科区の震度情報を参考にする。
#*2011年4月20日、竹田・醍醐・向島に震度計が設置された。
#伏見区単独で[[宇治市]]より人口が多い。伏見は絶対に領土を分割すべき。
#*伏見区28.3万人・宇治市19万人
#*最近は久御山や八幡・久世にも領土的野心を燃やしているらしい。
#*伏見市になられると京都市が大変困るから醍醐・小栗栖を山科に割譲して、横大路~淀を新たな区として独立させれば良い。
#*分区の話は昔から論議されている。実際、深草支所と醍醐支所は区役所として独立できるくらいのでかい建物である。(建て替え前の伏見区役所より立派だった)
#**[[神戸市/北区|神戸市北区]]みたいに1区に複数の区役所がある形にしてもいいだろう。
#区の面積が広いので結びつきの強い地域がバラバラ。東部の醍醐は山科志向だし西部の羽束師や久我は[[長岡京市|長岡京]]や[[向日市|向日]]とのつながりが強い。
#*よく考えると[[京都駅]]を挟んで長岡京・向日町駅を使う区民がいると思ったら山科駅を使う区民もいるということになる。
#*紀伊郡・宇治郡・乙訓郡・久世郡・綴喜郡の5郡に跨っているんですよね、そりゃまとまらない訳だ
#京都拘置所辺りは鴨川にぶった切られて南区にしか見えない。
#琵琶湖疎水の一本東側の道(東福寺や藤森神社の西の道、)は風情があってよいんだが、いかんせん道が細いが車もチャリも観光客も多い。京都駅からレンタサイクルで散策、も悪くないけれど、お気をつけを。
#*そんな道だが昔は何と市バスが走っていた。
#**[[京阪バスグループ|京阪バス]]も[[近鉄バス]]も[[奈良交通]]バスも90年代半ばまで走っていた。
#あまりイメージにないが実は[[大津市]]と接している。


===5100系===
===伏見・桃山===
[[ファイル:Hankyu5100.jpg|200px|thumb|宝塚線の5100系]]
[[伏見・桃山]]へ。
[[ファイル:Noseden5137.jpg|200px|thumb|能勢電鉄のオールド・ルーキー]]
===淀===
#1971年7月登場。
[[ファイル:京都競馬場.jpg|240px|thumb|淀駅ホームから見た京都競馬場]]
#当初は6000系として計画されていたが、大阪市営地下鉄60系との番号の重複を避けるため5000番台の空き番である5100系に変更された。
#京都の果ての伏見の更の果てにあるのが、淀の競馬場。
#*製造当初は京都線にも投入されていた。
#*正式名称は京都競馬場。
#5000系のリニューアルに伴い、一部車両が5000系に編入された。
#*最寄り駅は[[京阪本線|京阪]]淀駅。
#現在は宝塚線及び今津線で運用されているが、伊丹線・箕面線に入ることもある。
#**京都市内&[[大阪市]]内双方から終電が比較的遅くまで走っている事は余り知られていない。淀車庫さまさまであろう。
#*両線で運用されている3000・3100系が検査に入るときなど。
#*3角~4角にかけて下り坂になっており、多くの馬が淀のターフに散っていった。
#*箕面線は2016年から本運用になった。
#*→[[競馬場/中央競馬#京都競馬場|京都競馬場]]
#パンタグラフは原則として梅田寄り先頭車に1個付いているが、5132F・5136F・5146Fは2個付いている。
#京都市内というより[[八幡市]]のような感じがする。
#登場時は0番台→4両、20番台→3両、40番台→2両編成に割り当てられていたため、必ずしも製造順に付番されていない。
#*こんな場所だがしっかり京都市バスが乗り入れている。
#*6000・7000系にも同様のことがいえる。
#ここにあった淀城におわしたのでお市の方の娘は淀君と呼ばれるようになった。豊臣秀吉の側室、秀頼の母。
#2014年7月、5136Fが[[阪神本線]]を尼崎駅まで自力回送された。
#かつての朱雀大路だった千本通りの最南端はここ。
#*阪急車両が阪神の線路を走るのはかつて今津駅で阪急車両が阪神線に暴走進入して以来。高性能車の時代になってからは初。
#*とはいえ、朱雀大路がここまであったわけではないが。
#**登場時は前述のように京都線を走り(堺筋線には入線してないが)、神戸高速、山陽と走り、阪神をも走行、能勢電でも運行と、何気に阪急では運用区間がもっとも広い車両となった。
#*淀駅近くの納所交差点には「千本通り」の標識が見られる。
#***阪神線は回送扱いだから運用と言えるのだろうか?
#駅近くを流れている桂川を渡ると阪急やJR京都線の走ってるエリアまで意外に近い。
#5700番台のT車はMc車(5100形)からの改造車。
#*阪急西山天王山駅が開業してから両駅を結ぶバスも京阪バスと阪急バス共同で運行されるようになった。所要10~15分くらい。
#*全部で4両あるが、うち2両は元運転台のスペースが残るのに対し残りの2両は完全な中間車形態に改造されている。
#[[大阪]]府とは隣接しないが、[[枚方市]](特に[[くずは]])は意外と近い。
#能勢電鉄に5136Fが持っていかれ、既存車両を置き換える模様である。
#買い物となれば、イオンモール久御山orくずはモールへ。だが、西側住民はイオンモール桂川orイオンモール高槻or高槻西武へ。
#*片方は非表示幕の原型顔をもっていたのが、成形されてしまった。
#伏見方面へ京阪本線と並走するr124は秀吉道。
#**3月中旬に営業開始。
#京阪の車庫がある。
#***自動放送の中の人が加藤純子さんに、関西標準の「プー♪」チャイムも阪急8000系以降と同じチャイムに。
#*当初計画ではメインの寝屋川車両基地を上回る規模の車庫にする予定で土地も広めに取得したが、輸送需要の伸び悩みでそこまで必要なくなったため、土地の一部を物流施設に転用した。
#*移籍にあたり前照灯・行先表示器がLED化され、前面にはイノシシ対策とかでスカートが取り付けられた。
#*車庫の敷地は全て京都市内に立地する。従って大阪方面から来た場合宇治川の鉄橋を渡るとすぐ京都市に入る。
#**LED前照灯のメーカー・形状や行先表示器のLEDのフォントは阪急とは異なる。
#地上駅だった頃駅と競馬場の間にラーメン店の第一旭があったが、高架工事で立ち退きになり閉店した。
#9000系のような顔に整形された車両が存在したことがある。
#最南端は[[国道1号]]の木津川大橋のすぐ近くにある。もちろん京都市全体の最南端でもある。
#*7000・7300系リニューアルの検討のために試験的に改造したもの。前面の車番も「7320」になっていた。
#*この顔で実際に営業運転に入ったことはなく、試験終了後に廃車された。
#5300系と異なり、電磁直通ブレーキを採用した。電気指令ブレーキは、神宝線では6000系(厳密には2200系)から採用した。


===6000系===
===醍醐===
[[ファイル:阪急6002.jpg|240px|thumb|宝塚線の主力車両]]
[[ファイル:Paseo-daigoro.jpg|240px|サムネイル|地下鉄醍醐駅の真上にある[[京都の商業施設#パセオ・ダイゴロー|パセオ・ダイゴロー]]]]
[[ファイル:Noseden6002.jpg|240px|thumb|能勢電鉄に移籍した6002F]]
#醍醐はそのうち伏見を裏切って山科につきそうな気配だ。
#宝塚線の主力。
#*っていうか、醍醐なら地下鉄東西線で山科へ出たほうが早いよね。
#神戸線系統の支線を中心に運行される6020Fはアニメ[[涼宮ハルヒファン|涼宮ハルヒの憂鬱]]に出演を果たした。2009年放送の第20話において細かく描かれていた。
#*醍醐は京都編入前、山科と同じ郡(旧宇治郡)だった。伏見区域は殆ど旧紀伊郡(一部だけ旧久世郡や旧綴喜郡も含まれるが)。
#両端の先頭車両のみ6000系、その他の車両は7000系という編成が存在する。
#**久我と羽束師は旧乙訓郡。
#*神戸線の6050Fがそう。因みに両先頭車(6050・6150)は2200系の改造車。
#*どう考えたって、醍醐は伏見区という感じはしない。
#**宝塚線の6750形も2200系の改造車。特に6015Fに組み込まれている6762は阪急初のVVVF車である2720号車の改造。
#**「'''山科'''自動車教習所」があるくらいだし。
#*逆に7000系編成の中間付随車だけ6000系という編成も存在する。
#***山科どころか、ほとんど宇治市との境界近くにある。
#**7021Fの6671・6681号車がそれ。6000系とはいえ7000系登場後に製造されたため車内は7000系後期車両と同じ。ただし車体は鋼製。
#*もしかしたら[[宇治市#六地蔵|六地蔵]]辺りにつくかも。
#***6012Fの6670・6680ともども神戸線の10連運転に備えて昭和60(1985)年に製造された。
#*電話の市内局番も伏見区の他地域が6で始まるのに対しこのエリアは山科区と同じく5で始まる。
#神戸線所属車両は大半が支線運用。本線にでるのは増結用の6016×2両のみ。
#*警察も伏見ではなく山科の管轄。
#*6016Fは2016年以降は平日朝10両の特急、通勤特急のみで使用されている。
#**他の伏見区民からは滋賀県扱いされやすい。
#*6016Fによる特急運用は2022年現在平日朝の上り10連3回のみ。それ以外の特急は時速115キロでの運転なので115キロ非対応の6000系は入ることが出来ない。上記の3回なら不定期でどれかに入るので特急として見ることが出来る。
#醍醐地区はなぜか郵便番号の上3ケタが旧北桑田郡と同じだ。
#制御装置は6000系が抵抗制御、7000・7300系は界磁チョッパ制御だが、外からは車体番号以外見分けがつきにくい。
#*〒601-13XX。
#*抵抗制御のせいだか、モーター音が3300系並みにうるさい。
#大阪に行くには六地蔵から京阪ではなく山科からJR[[新快速 (JR西日本)|新快速]]
#6005F・6006Fは前面の方向幕が大型のものに改造されているが、他の編成には及んでいない。
#豊臣秀吉はここで花見をしていて病に倒れた。
#基本性能はブレーキが電気指令式であることを除けば5100系と同一。
#北川景子の夫とは別に関係ない。
#90年代後半になってから6300系等と同様、屋根付近にアイボリーを塗装するようになった。
#意外にも京都市の最東端は左京区の北部や山科区ではなく、このエリアにある。
#*この塗装は7000系にも施された。
#*その場所は[[大津市#石山の噂|大津市の石山]]なんかにも意外と近かったりもする。
#**6001Fはそれに先立って、前面と妻面を除いて屋根付近にアイボリー塗装された。
#**その場所は市外局番も大津077かつ小中学生も大津市へ通学。
#ドアチャイムの設置されている車両が存在する。
#醍醐寺の横を通る府道782号は悲惨。
#6000Fは阪急初のアルミ車。
#*鋼製車と同様塗装されているのでわかりにくいが、外板が鋼製車よりも厚みがあるため、側扉が少し奥まった所にあるのでここで区別が付く。7300系も同様。
#*6600はアルミ車で車体更新を施工しようとしたら車体の状態が悪く6600は休車。遂に2011年廃車となった。6000系で廃車となったのはこの事例が初。
#*近鉄でいう[[近鉄8000系電車|8069F]]
#**但し向こうと異なり外観は角張っておらず他車と大差ない。
#**早々と廃車された近鉄8069Fと異なり、こちらは先の6600号車を除き2022年現在も現役。但しアルミ試作車のためかリニューアルは行われておらず今後も予断を許さない。
#実は6000Fより6001Fの方が登場が早かった。
#*今は6000Fに組み込まれている6560・6570号車は当初この編成に組み込まれていた。この2両が阪急初のアルミカー。6001Fが登場した1年後に6000Fの残り6両が製造され編成替えされた。
#2014年8月、6002Fが能勢電鉄に移籍した。
#*とはいっても側面の阪急マークが能勢電鉄のマークに変わった程度。運用も阪急時代と変わらず、自社線には日生エクスプレス運用時しか帰らない。
#**車内広告も阪急仕様。
#*[[京成の車両/形式別#3600形|芝山鉄道3600形]]を思い出した。
#**あと[[東武6050系電車|野岩・会津鉄道6050系]]も。
#*そのうち、普通のワンマン車もこれになりそう。
#*さり気なくこの項目のサムネ画像が、同一編成の移籍前と移籍後になるという偶然。
#*運用は阪急の車両と共通運用だが、10両編成の特急日生エクスプレス、通勤急行では使用されない。阪急と能勢電の車両が連結すると車両使用料の分割が複雑になるためである。しかし、2015年3月のダイヤ改正で特急日生エクスプレスは利用客が減っていたので10両編成を廃止。
#*2015年3月のダイヤ改正以降は通勤特急(10両編成)を除く種別で使用されている。10両編成の場合、増結車に阪急の車両を連結することになり、車両使用料の分割が複雑になるため。
#6007Fの6610・6510は本来M車だが暫定T車として運用されている。
#*しかも15年以上前からこの状態。その間にリニューアルまで行われている。
#*床下機器は撤去されているが、屋根上のパンタ台が残っているのが特徴。
#**似たような奴が同じ車両で伊丹線にいたが…
#*他に6024Fの宝塚方先頭車の6114も暫定Tc車である。
#**最近編成短縮の上伊丹線に転用された6004・6008・6012Fの伊丹方2両もT-Tc化されたが、こちらは正式にT及びTc化され車番も6690・6150番台に変更された。
#***その編成は補助電源の関係かT化された6690番台の車両にはパンタグラフが1個だけ残されている。
#**6024Fは4両×2本に分割の上正式に箕面線所属になったらしい。
#*その6610・6510は2017年、ついに完全にT車化。6550形に編入となり、6690・6590号車にそれぞれ改番されました。
#減速時のモータ音が「欽ちゃんの仮装大賞」で不合格時に鳴る音と似ている。
#*同じ機種のモーターを使っている5100系も同様。
#6012F、6013F、6025Fは運転席の小窓が設置されてない。
#*7000系にもあったが、リニューアルで設置された。
#気がついたら一部編成の前面にフックが設置され、神戸線の7000系のにように10連固定落ちした編成も登場。
#*2015年に宝塚線の6005F、6006F、6007F、6011F、6012F、6013F、6015Fが大阪梅田側に、2016年に神戸線の6016Fが神戸三宮側に転落防止幌が設置できるように改造された。
#*2021年現在は6012Fは4両編成に短縮され伊丹線で使用されている。
#宝塚線所属車両は日生エクスプレス運用で能勢電に乗り入れられる編成があるが、その中にはかつて神戸線所属だったものもあり、山陽須磨浦公園と能勢電の双方に乗り入れた経験のある車両も存在する。
#*それも1000系の増備で減りつつあり、余った車両は伊丹線に転属した。3000系引退後は伊丹線の主力車両。
#阪急電車で唯一、近鉄電車と共演する車両。
#大してリニューアルを受けないまま、リニューアルは7000系へ移行。
#今津北線で、7000系が来た!と思ったらこいつが来てがっかりする。


===8200系===
===小栗栖===
#8200系が2両だけ作られた。収容式座席、3色LED式行き先表示、松下製S-VHSビデオデッキ搭載だった。
[[ファイル:道路から見た明智藪.jpeg|250px|サムネイル|新小栗栖街道からも、藪のようなものが見えるがこれが明智藪である]]
#*阪急で3色LEDを行先表示に採用したのは後にも先にもこの車両だけ。理由は側窓の大きさの関係で通常の方向幕が設置できなかったから。
#この辺にある竹藪(たけやぶ)は、(本能寺の変の)「'''明智光秀の終焉の地'''」と伝えられているらしい…。
#*窓配置も8200系だけの特殊配置。通常より30cm幅広いワイドドアを採用しているから。それゆえ乗務員室後ろの窓は2800系以来の戸袋窓。
#*[[大津市#坂本の噂|坂本]]に逃げる途中で…。
#*実は阪急で最初に車内の液晶表示を採用した。
#*いや、実際にそうなんじゃ…。
#**恐らく関西では初採用と思われる。それも東武20050系・9050系に次ぐ早さ。
#*L字型の道路故スピードを落とさないといけなく、そこで落ち武者狩りに遭ったのだとか。
#**阪急で液晶が本格採用されるのはこの11年後に登場した9000系から。
#*新小栗栖街道からもよく見える。
#混雑が以前よりも緩和された為、結局収納式座席は普通の座席に改造されてしまった。
#なんかグロ画像サイトみたいな名前だ。
#*スタンションポールも撤去されてしまい、他の車両と同じ様なごく普通の車内になってしまった。
#団地が多い。
#*この車両がデビューする直前に阪神淡路大震災が起きて先に復旧したJRに人が流れてしまっため。
#小栗栖・石田も市内局番は5から始まるうえ、郵便番号も601-13XX。
#*少子化や首都圏一極集中で沿線人口が減少したのも影響している。
#*警察も山科。
#朝のラッシュ時にしか走らない非常にレアな車両。
#石田は石田三成に由来。石田三成はここではなく[[彦根市|彦根]]出身。
#*現在では上り特急の神戸三宮から梅田までしか働かないニートレインである。
#石田のさらに東に日野薬師があるが、[[滋賀/湖東#日野町の噂|滋賀]]と間違えられられやすい。
#*2016年のダイヤ改正では利用客が減少したため10両編成の通勤急行が廃止となり、8200系を含む増結車は通勤急行の増結運用が無くなった。このダイヤ改正以降は他の増結車と共通運用となった。ただし他の増結車は日中8両編成の間合い運用に入るのもあるが8200系は神戸三宮〜大阪梅田で10両編成の特急、通勤特急の増結運用(大阪梅田ゆき12運用、神戸三宮ゆき5運用)のみでしか使用されない。
#かつて関西ローカルCMで有名だった醍醐スケートは小栗栖と思われがちだが実は桃山。最寄り駅は六地蔵だが、醍醐スケートは2003年に潰れた。
#**今後神戸線10連運用が減少していくと、8200を2本連結した4連で伊丹線に投入されるか?あるいは阪急のご多分に漏れず異端児故に廃車?
#**神戸線の10両編成はほぼ間違いなく廃止になるだろう。利用客が年々減少しており、混雑も緩和されているため。
#当初は2編成以上作る予定だった
#*が、計画が震災の影響でそれ以上作る必要が無くなり、発注したものの余ってしまった各部品は8000系の後期車体と組み合わせた8000系8040形になったそうな
#*8200系は試作車なので宝塚線に配属したほうが成績が出て増備されたと思うのに。
#**本系列が神戸線に配置されたのは最混雑区間が西宮北口以東と比較的短いためらしい。西宮北口で今津線、塚口で伊丹線からの流入があるため。それに対し宝塚線は神戸線よりも線形が悪く距離の割に乗車時間が長いということもあるらしい。
#***最初期は西宮北口で通勤急行に増結して運転していたのもそのためかと。
#実は化粧板の色調は他の8000系列のような濃い木目ではなく7000系以前と同じ淡いもの。


===9000系===
===羽束師===
[[画像:阪急9000系9101.jpg|thumb|200px|次世代の主力]]
#運転免許試験場があるのは実はここ。[[向日市|向日町]]にあると勘違いする人もいるのだが…
#神戸線・宝塚線の次世代を担う車両。
#むしろ、[[長岡京市]]か[[向日市]]のように思えてしまうのだが…第一、[[淀川#桂川の噂|桂川]]にぶった切られているし。
#*…のはずなのだが、なかなか増備が進まない。
#市外局番は京都075とはいえ向日市から電話線を引いているから市内局番は9から始まる。
#*9300系の増備が一段落した2010年度から急速に増備が進み。最終的には11編成88両が揃った。
#乙訓郡だった。
#*登場後数年間は神戸線・宝塚線に1編成ずつしか配備されていなかった。
#*そのためか警察も向日町管轄(久我も)。
#**とはいえ遠くからでもすぐ識別できるため目立っていた。屋根のクリーム色の部分が妙に大きかったり(なんとなく雪が積もっているようにも見える)、フルカラーLEDの方向幕だったり。
#最寄り駅はJR長岡京駅。
#これでも「A-train」。
#*安っぽさのかけらも感じさせない内装は、さすが阪急といったところである。
#外観は9300系と殆ど同じだが、車内は全然違う。
#*神宝の奴は側面の窓枠の幅が狭い。
#特急用の兄貴分:9300系とは対照的に、こちらは普通運用が多い(特に神戸線所属車両)。
#*8200系と連結したら行先表示にバグが生じるので、8200系と連結する可能性のある特急運用には外される傾向にあった。最近は特急運用も増えてきたような気がする。
#**最近は普通運用のほうがレアだ。兄貴9300と似てきているな。
#9000・9300系は車端部と乗務員室背後以外窓が開かないが、わずかな開く窓がちゃんとパワーウィンドーになっているのは阪急クオリティか。
#方向幕(幕ではないが)が切り替わると、車内液晶テレビの左側が阪急マークになる。回送の場合は、両方阪急マークになる。終点駅手前のどこで切り替えたか、車内から分かる。
#2012年現在偶数編成は神戸線に、奇数編成は宝塚線に投入されているが、今後は置き換え対象の3000系が宝塚線に集中しているので9000系も宝塚線ばかりに投入されるのであろうか?
#*但し最終編成の9010Fは偶数編成だが例外的に宝塚線所属。
#新1000系としてモデルチェンジ車が投入される為、この系列は打ち止め決定。
#日生エクスプレスの運用につくのはいつなのかが分からない。
#*日生エクスプレスの運用は1000系に先を越されてしまった。
#最近は神戸・宝塚両線間の車両数調整に使われることが多い。
#*行き先表示がLEDなので設定を変更するだけで対応できるため。
#2016年以降は神戸線の全種別(10両編成の特急、通勤特急を含む)、宝塚線の特急日生エクスプレス以外の全種別で使用されている。
#車内灯は9000・9001Fが蛍光灯で9002F以降はLEDに変更された。
#*カバーが付いているためわかりにくいが後者の方が少し暗いような感じもする。


===1000系・1300系===
===久我===
[[ファイル:阪急1101.jpg|240px|thumb|宝塚線の1000系]]
#読み方は「くが」ではなく「こが」。とても読めない・・・
[[ファイル:阪急1400.jpg|240px|thumb|1300系は堺筋線にも乗り入れる]]
#*村上源氏嫡流の貴族、久我家はここが由来。同じく「こが」と読むので歴史好きなら読めるかも。道元の父とも言われる源通親(久我通親・土御門通親)、幕末の議奏であった久我建通が有名か。
[[ファイル:IKEDA.png|300px|thumb|独特な大型LCD]]
#近くに「久世」もあるが、ともに市バスの行き先であるのでつい混同してしまう。
#阪急初の大型袖仕切り・スタンションポール搭載車。
#*ちなみに久世は[[京都市/南区|南区]]にある。
#先頭車が付随車となった。
#ここも久世も市内局番は9から始まる。
#車両間の貫通扉は自動ドアでなくなった。
#*元乙訓郡だったから。
#停止直前に「プー」という音を出す。
#最寄り駅はJR向日町駅。
#*これは1000系のみ。1300系は出さない。
#*最近プログラムが更新された為、出さなくなった。
#照明のLEDはメーカー標準品。
#*今まで阪急は照明カバーをつけていたが、1000系ではLEDを採用したため、カバーが省略された。
#**カバーのように見えるのはあくまでもLEDユニットのカバー。同じユニットを採用した東武は、今まではカバーをつけていなかったことからも、LEDのカバーが今までのカバーに相当するものではないことがわかる。
#***でも見た感じ従来の蛍光灯カバーと比べても違和感なくお上品にまとまっているので良かったりする。<!--むき出しのN海とは違うんだよね格が。-->
#1000系のモーターは東芝製PMSMだが、1300系のそれは東洋電機製の密閉式誘導電動機。加減速時に発する音もかなり異なる。
#*1000系は低い音だが1300系はかなり甲高い。
#**そのせいかは定かではないが、1300系の方は登場当初しょっちゅう故障しまくっていた。
#***1301Fはデビュー初日に故障。
#阪急のこれまでの車両とは番号の付け方が大きく変わった。
#*9000系増備末期辺りで、適当に付番すると詰むと分かったから。この車両みたいに大量生産前提の車両なら尚更。
#**実際昔のままの付け方だと、今頃神宝線で詰んでただろうからこれで正解。
#*多分、大昔に法則を考えていた時に、8両で中間運転台なし、M車は全て中間車な構成が登場するとは思ってもいなかったらしい。6300系のような少数精鋭の形式なら問題ないんだけど。
#側面の窓は9000系とは異なり3連窓となった。そのためか側面のデザインはどことなく[[名鉄の車両/形式別#3500系(2代)・3700系(3代)・3100系|名鉄3100・3700系]]に似ている。
#LCDが他の事業者では見かけたことのない独特の形。
#*この案内表示、Windowsで動いているらしい。そこまでして差別化したいのか阪急。
#**最近施工された7000・7300系更新車にもこのLCDが装備されている。
#***阪神のシルバージェットカーにも同じようなLCDが装備された。
#****"ジェットシルバー"ね。
#***7000系更新車はすべて9000系タイプLCDだったような…
#****2014年更新(7000系は2016年から)車から上記の通りになっております。
#***1000系のLCDは、PMSMと一緒に東芝のCM(関西篇)に登場した。→[http://www.ad-toshiba.jp/ad/media/90 CM]
#****LCDの方は全国に…
#**走行中のニュースのフォントがメイリオなので、やっぱりWindowsで動いていると思われる。ちなみに駅名表示はたぶんイワタUDゴシックにFrutiger。デザインに凝ってるね。
#*後に東洋電機の汎用製品になる。
#6000~9000・9300系と異なり増結仕様ではないため、平日ダイヤにおいては神戸線の特急運用に入らない。
#*阪急は今後平日朝の10両編成を廃止にしていく方針であるため初めから増結機能を搭載していない。
#*前面の貫通路に銀色の幌枠がないのもそのため。
#*前面に転落防止幌掛けの長めのフックが2つ設置されているが、10両の運用に入らないほか他形式との連結は非常時のみなので前面に転落防止幌を設置することは基本的にない。
#*2016年3月19日のダイヤ改正から10両編成が運用の最後で西宮車庫に入るようになった&夕ラッシュは梅田につくたびに種別が変わるようになったために平日でも特急運用に入るようになりました。
#*今後は1000系みたいな増結非対応車両が増えていくことだろう。
#*増結仕様でないため登場当初は平日朝の特急や通勤急行の運用には入らず、通勤特急に入るのは稀だった。この頃は平日朝の特急と通勤急行は全運用が、通勤特急は大半が10両編成による運用だった。2016年3月のダイヤ改正以降は通勤急行の10両が廃止、特急、通勤特急の10両が大幅減便をしたため23年ぶりに平日朝に8両の特急が登場、8両の通勤特急も増加した。これによって1000系が平日朝の特急、通勤特急の運用が増加した。
#1000Fは営業運転開始後1ヶ月ほどの間だけ「三宮」の行先表示が見られた。
#「1111F」が存在する。これは、11月11日11:11に[[梅田駅|阪急梅田]]を発車する普通神戸三宮行き運用に充てられる。
#先代に金かけすぎたというのと、大量生産を前提としたためか、阪急にしてはケチくさい車両となった。
#*座席の質が下がった、連結部の貫通扉が手動に戻った、先頭付随車になった、など。
#**座席モケットに関しては阪急伝統のゴールデンオリーブが引き継がれている。
#*袖仕切りがありふれた板状のものになったことも。貫通引き戸に関しては系列の北大阪急行9000形や神戸電鉄6000・6500系では引き続き自動ドアが採用されている。
#*[[東武50000系電車|東武50000系]]の阪急ver
#気がつけば阪急では最大世帯を誇るようになった。
#*その割にバリエーションが少なく単調な感じがする。
#**短期間で大量生産したからバリエーションが少なかったんかもね


==過去の車両==
===向島===
===1形===
#「むこうじま」ではなく「むかいじま」と読む。
#箕面有馬電気軌道開業当時の車両。
#[[東京/墨田区#向島地区|東京都墨田区の向島]]が有名過ぎて京都以外の関西人でもついつい「むこうじま」と読みがちだ。
#阪神や京阪開業当初の車両とは異なり3扉車だった。
#*地理的に近い[[枚方市]]や[[奈良/北和・西和|奈良県北部]]の人は「むかいじま」と読める。
#当初は木造だったが、後に鋼体化され角張った外観になった。
#**[[三重/伊賀|三重県伊賀]]の人も読める。伊賀上野の向島も「むかいじま」。
#戦後間もない頃に現在の京阪京津線の四宮車庫が火災に遭い、焼失した車両の補充として当時同じ会社だった大津線に移籍した車両がある。
#[[宇治市]]だと思われている。
#現在は正雀車庫に1両が保存されている。
#*伏見区の中心部とは宇治川でぶった切られてるからなあ。
#**しかし、京都市編入(1931)以前から、桃山とかとは紀伊郡仲間だった。
#向島駅の周辺は団地ばかり。
#*伏見城からの夜景でも、団地という建物独特の灯りの形がとても目立つ。
#やーさんのドンパチがあったりてるくはのる事件があったり放火があったり……。
#昔は本当に島だった。
#*ここに限らず、この近くには「槙島」「中書島」など「島」のつく地名が散見される。昔は巨椋池があったから。
#京都市内なのに[[奈良交通]]の路線バスがある。
#*しかし運転本数は月1回の免許維持路線…。
#*意外だが奈良交通の京都営業所はここから近い宇治市の槇島にある。
#*かつては京都~奈良を直通する路線があり、[[京都駅|京都駅前]]まで乗り入れていた。
#種智院大学がある。
#*近鉄向島駅の西側、田んぼの真ん中にぽつんとある。ニュータウンなどの住宅地とは反対側。
#*かつては東寺の近くにあったが、移転してきた。
#*隣に府立京都すばる高校がある。


===90形===
===深草===
#昇圧で不要になった鉄道省の電車を[[東急電鉄|目黒蒲田電鉄]]がもらったものの、いっぱいありすぎて一部を阪急がもらった。
[[深草]]
#「阪急のつばめ号」と言われた。


===96形===
===六地蔵===
#戦時下で通勤者が増加した阪急が、加越鉄道で気動車に置き換えられて留置されていた客車に目を付けた。
→[[六地蔵]]
#末期は伊丹線で使われていた。


===320系===
== 伏見区の交通 ==
#神戸線の900系を小型化した宝塚線用車両。
#末期は能勢電鉄で運用されていた。


===380系===
# 京都高速を鋭意建設中。
#320系の増備車両。
#*「[[阪神高速道路/路線別#8号京都線|阪神高速8号京都線]]」になってしまった。でも最初に出来るのは山科方面らしい。
#戦後間もない頃は進駐軍専用車両になっていたことがある。
#*2008年1月19日、上鳥羽~巨椋池間が開通。しかし車は殆ど走っていない。
#こちらも能勢電鉄に譲渡されたが、1両だけだった。
#*2008年1月26日夜、開通以来初めて、全区間が雪の影響で通行止めになる。
#第二京阪は3車線あるが、大阪と繋がってないのでガラッガラ。但し、通行料は高い(確か500円)。
#*オービスがなくカーブがあっても緩いので、自家用車の限界に挑む事も可能…らしい。
#*大阪側は、阪神高速守口線の終点([[庭窪・大日#大日|大日]])の少し南と接続するらしい。何と、中途半端な。
#**でも全線開通したら無茶苦茶混みそうだ。
#**[[大阪市高速電気軌道長堀鶴見緑地線|地下鉄長堀鶴見緑地線]]門真南駅のすぐ近くです。
#***2010年3月20日に全通してから交通量が急増。
#*少なくとも大阪南部から京都への利便性は上がった。難波OCAT・布施・八尾からの高速バスもできたし。
#交通量の割に道路があまり整備されておらず、区内各所で年中渋滞が起こっている。
#*伏見区の渋滞名所
#**奈良町交差点付近
#***正確には宇治市にあり、伏見区と宇治市の境目付近にある。パチンコ店、ショッピング施設が密集し、右折左折が耐えない。渋滞情報も"奈良町交差点を先頭に"が頻繁に出る。
#**横大路交差点付近
#***[[国道1号]]と、外環状線が交わる、主要幹線道路同士の交差点。
#**観月橋北詰交差点付近
#***京阪電車観月橋駅前の[[国道24号]]と外環状線が交わる交差点。駅前ターミナルがなく、でも駅前のために人も多く、踏切があり、左折も右折も難しい。事故も非常に多く、おそらく京都最悪最大の魔の交差点。西側から進入する外環状線の道路上にあるおびただしい数のブレーキ跡は、恐怖すら感じる。
#****もちろん観月ありさとは関係ない。
#運転免許試験場がある。
#*バスやタクシー等でしか行けない為、免許の取得や更新に行く者から非難囂々。
#**大抵の人間は「向日町」と呼んでる気が。最寄はJR長岡京or阪急長岡天神。竹田駅からもバスが出てるけど、狭いトコがあるからか小型のバスが来る。
#*バイク免許の講習がむちゃくちゃ安く受けれる伏見デルタってのもある。ほんとに安い。
#リニア京都乗り入れが無理っぽい感じなので、伏見に新幹線の新駅を作ろう。
#*リニアは京都市はおろか京都府には1ミリたりともかすらない([[奈良の駅#平城山駅の噂|ここ]]に駅ができる予定)。
#実は全国有数の鉄道密集地帯。京阪2路線・近鉄1路線・JR1路線・京都市営地下鉄2路線の計6路線が区内を通っている。
#実は区の西端を[[東海道新幹線]]が掠めている。
#*将来は[[北陸新幹線]]が区を縦断する予定。
#*[[京滋バイパス|国道478号京滋バイパス]]も伏見区を通る。


===500系===
==伏見区の見所==
#320系の片運転台バージョンで、いわば920系の宝塚線版。
*伏見桃山城
#小型車ではあったが広幅貫通路があった。
**キャッスルランドは閉園しました
#阪急引退後は能勢電鉄の他[[広島電鉄]]に譲渡された車両もあった。
***改装されて大阪城になってしまった。
#610系を作る際木造車と台車やモーターを振り替えた。
**耐震性の問題で城内には入れない。
 
***周辺だけ散策可能。
===550系===
**かつては[[近畿日本鉄道|近鉄]]が保有していた。現在は京都市に譲渡されている。
[[ファイル:hankyu550.jpg|130px|サムネイル|大阪に里帰りした550号車]]
**塀に狭間(矢や鉄砲を撃つための穴)があるんだが、○・□・◇の形。普通は正方形、長方形、三角、丸なんだが、菱形って?
#戦後復興期に作られた規格形電車。
**この名称は歴史的に見ると誤り。そもそも「伏見城」で廃城になった跡地に桃の木を植えたのが「桃山」の地名の由来だから。
#*そのため他の阪急車両と異なり側窓は2段式が採用されている。
*伏見稲荷神社[[画像:Fushimiinari.JPG|thumb|完全制覇するなら「山登り」のつもりで。]]
#**京都線の700系や京阪1300系(登場時はまだ京阪神急行電鉄の一員だった)も同様。
**あまりにも有名な「千本鳥居」
#**但しラストナンバーの565号車のみ1段窓で500系と同じ外観だった。
**実際には千本以上ある。
#320系や500系と異なり、能勢電へ譲渡されず昇圧時に全車廃車。
**京都だけでなく関西一円の初詣の総本山。
#トップナンバーの550号車はアルナ工機で保存された。
***参拝客数「日本」5位。近畿ではトップ。
#*同社の尼崎市からの撤退に伴い沿線から遠く離れた岐阜県養老町の同社工場に運転台部分が保管されていたが、2021年に[[豊能町]]にある[[大阪の神社#吉川八幡神社|吉川八幡神社]]に移設された。
*宝塔寺
 
**実は源氏物語に出てくる。大きい寺なのにマイナー。重文もある。
===610系===
*藤森神社
#木造車の更新名義で登場した小型車両。
**競馬ファンの隠れた聖地の一つ。
#車体は810系を15m級に短縮した感じで車体幅は他の小型車よりも広かった。
**あじさいの名所としても有名。
#トップナンバー(610・660)のみ前面非貫通だった。
*御香宮神社
#*その他の車両は810系と同じ顔だったが、前面窓がHゴムになった車両もあった。
**名水「御香水」が沸く。安産の神様。
#*800系と異なり中央の窓の高さは左右のそれと同じだった。
***涸れた(復活せず)伏見住民
#小型車だったためか、比較的早くに阪急から引退、1970~80年代に能勢電鉄に移籍した。
***復活した、ただし時間限定
#*能勢電鉄には勾配区間があったため、阪急時代にT車化された車両もM車に戻された。
*醍醐寺
#*能勢電鉄に移籍したことが幸いして710系や810系が1980年代のうちに全廃されたのに対しこちらは1990年代初頭まで活躍できた。
**毎月29日には「醍醐市」というフリーマーケットがあり参道に漬物や野菜などの露店が立ち並ぶ。
#1000系登場前にカルダン駆動の試験車にされたことがある。
**醍醐駅から行く場合はルート選択を間違うとかなり急な坂に遭遇してしまうので要注意。
 
***醍醐駅降りてすぐ北の道は坂がきついです。
===800系===
****「醍醐寺」というより「三宝院」の方が通りがいいかも。(最寄りバス停の名称)
#920系の増備車。
*****バス停も「醍醐寺」に改称されました。
#*同系との混結も見られた。
**桜の名所として有名。
#一部の車両は前面非貫通型だった。
**力自慢を競う「五大力」もよく知られている。
#*その車両は中央部の窓がやや高く、現在の[[和歌山電鐵]]2270系に似たようなスタイルだった。
*寺田屋[[ファイル:寺田屋.jpg|240px|thumb|寺田屋]]
#一時期アメリカ博をPRするためにマルーン以外に塗装されていたことがある。
**坂本龍馬が襲撃された時の刀傷痕が残っているが、現在の建物は明治38年に建てられている。
#登場時は700系を名乗っていたが、京都線の700系との重複を避けるため800系に改番された。
*伏見港
 
*酒蔵めぐり
===810系===
**月桂冠の大倉記念館に行くと、オリジナルのワンカップ酒がお土産でついてくる。
#神宝京3線共通の車体寸法を採用した初めての車両。
*十石船
#*神宝線では初の19m車だった。
*R24
#阪急の吊り掛け駆動の車両としては最後まで残った。
**途中で訳が分からなくなる
#一部は複電圧車として登場し、京都~神戸間の直通特急や京都~宝塚の歌劇特急に運用されたことがある。
*名水(伏水・御香水・伏見サティの前にあるライオンの口から出る水etc…)詳しくは[[京阪電気鉄道]]伏見桃山駅出口に書いてあるちずみろ
 
**ポリタンク持って大量に汲みにくる者が多く、汲む順番や量で争いが絶えない(特に御香宮と鳥せいの横)
===900系===
**神様が嘆くぞ!逆にサティの前は苔むして汚く見えるのでイマイチ人気がない。水源同じなのに。。。
#快速阪急の名を轟かせた名車両。
***そういえばSATYの前の流水口、最近水でてないけどどうしたの??
#現在は正雀工場にトップナンバーの900号車が保存されている。
****撤去されました。
#運転室の寸法は920系と比べて狭かったらしい。
*桃山御陵(明治天皇陵)
#*そのため末期には中間車化されていた。
**真っ正面(南側)から行くと結構な階段を登ることになる。標高差30mとかあるからなぁ。
 
*戊辰戦争の砲弾の跡
===920系===
*伏見工業高校
[[ファイル:Hankyu-kyuen.jpg|150px|サムネイル|今は救援車として余生を送る]]
**TBSのドラマ「スクールウォーズ」のモデルとなった高校
#900系の片運転台版で、Mc-Tcの2両ユニットを採用した。
**ラグビーの強豪でもある。現在は近隣の学校と統合され「京都工学院高校」になった。
#*連結面には広幅貫通路が採用された。
*丹波橋駅付近([[鉄道ファン]]限定)
#900系と異なり車内はロングシートだった。
**跡地は自転車置き場
#製造初年は昭和9年だが、戦後の昭和23年まで製造された。
*淀の三川合流
#昭和初期製造にも関わらず、1980年代まで活躍していた。
**木津川・宇治川・桂川の三川が合流。この地の名を取って[[淀川]]となる。
#*営業車としては1982年に引退したが、その後4両が救援車に改造され、4050形となった。
**しかし三川とも粘って(?)、実際には[[大山崎町|大山崎]][[八幡市|八幡]]のあたりで合流している。
 
*京都深草バス停(深草BS)
===1010系・1100系===
**京都の隠れた入口。東方から来る大阪発着のバスの乗客が世話になるのでは?と思える[[名神高速道路]]のバス停。
#阪急初のカルダン駆動電車。
*城南宮
#*1953年(昭和28年)登場。
**名神高速道路京都南インターのすぐ近くにあるが、鉄道アクセスはちょっと不便。
#*これは正確には1000系だが、試作的な存在だったため早期にT車化された。
**庭園は「曲水の宴」で有名。平安貴族の装束をして水の流れのある庭園などで、流れてくる盃が自分の前を通り過ぎるまでに詩歌を読み、盃の酒を飲んで次へ流す…という行事らしい。
#**1010・1100系との違いはファンデリアがなかったことで、屋根部が異なっていた。
*京都聖母女学院
#**最後まで冷房改造は行われなかった。
**本館は、旧陸軍第十六師団司令部庁舎として使われていた。
#**計画段階では窓まわりが白く塗られ、前面非貫通という案もあったらしい。塗装に関しては後に能勢電で実現した。
***近くには現在でも「師団街道」「第一軍道」という通り名が残っている。
#神宝線の片開き扉を持つ最終形式でもあった。
****京阪藤森駅の旧駅名も「師団前」駅だった。
#*外観は昭和30年代前半の製造にしては古めかしく、810系の流れを汲むデザインだった。側窓の周りが1段膨らんでいたのが特徴だった。
*****最近は[[京都アニメーション|この作品]]のせいで聖地の一つとなっている。
#廃車になった車両のうち2本は[[能勢電鉄|のせでん]]に譲渡され、1000系と名乗った。
*京都市青少年科学センター
#*2001年に3100系(鉄仮面)に代替される形で廃車・解体となってしまった。
[[category:旧市|ふしみ]]
#*老朽化と構造上ワンマン運転関連の機器を搭載することができなかったため使い勝手が悪かったそう。
#*移籍と同時に一部先頭車の中間車化改造が行われたが、元からの中間車と見まごう外観だった。
#1970年代に冷房改造が行われたが、全車両には及ばなかった。
#*冷房改造された車両は阪急としては珍しく車内の蛍光灯のカバーがなかった。
#1010系が神戸線、1100系が宝塚線用だったが、末期は混用されていた。
#実は最終製造は2000系登場後の1961年だった。
#*増結用Tc車の1190形がそれ。
#後期製造の車両は前面窓と連結面の窓のHゴムがなかった。
#8000系登場と引き換えに1989年に阪急から引退した。
#*製造から30年ちょっとで引退したが、今から考えると短命だったと思う。今の阪急は基本的に50年前後車両を使うので。
#**同時期に登場した[[京阪の車両/形式別#1900系|京阪1810系]]が1900系に改造されて21世紀まで生き延びたのとは対照的。
#*2000系以降の車両と比べて車体内外が古臭く見劣りがしたためだったらしい。
#1100系には初代1111号車が存在していた。
#*冷房改造されなかったためか、早期に廃車された。
 
===1200系===
#車体は1010・1100系と同一だが、走行機器は旧型車両のものを流用した釣り掛け車。
#*そのためか、冷房改造はされず810系よりも早く廃車された。
#*正直、釣り掛けでも違和感ない外観。むしろこの見た目のカルダン駆動がいたことの方が驚き。
#京都線1300系の編成替えにより余剰となった付随車を組み込んでいたことがある。
 
===2000系===
[[ファイル:能勢電鉄1706.jpg|240px|thumb|現在は能勢電鉄1700系となっている]]
[[ファイル:能勢電1704.jpg|240px|サムネイル|ついに還暦を迎えた]]
#現在の阪急スタイルを確立した車両。
#編成としては1992年に阪急から姿を消したが、中間車の一部が3000系などに組み込まれて現存する。
#*阪急から引退した車両は[[能勢電鉄]]に譲渡され、同社の1700系となっている。
#**その1700系が随時、5100系に置き換えられる模様となっている。
#**阪急時代2100系に組み込まれていた車両については同系とともに1500系として一足早く能勢電鉄に移籍した。その際阪急に残った2100系の中間車を2000系の空き番号に改番している。
#2021・2100系という派生系列がある。
#*2021系は比較的早くに全車両T車化され、3000系や5000系に組み込まれていった。
#*3000系の3066Fに組み込まれている2093号車は阪急としては最後の旧2100系の生き残り。
#トップナンバー(2050号)は六甲駅の事故で廃車になってしまった。
#*2代目2050は2100系の2154を改造したもの。この車両は今でも能勢電鉄で現役。
#当初は回生ブレーキ・定速制御を有し「オートカー」の愛称があったが、昇圧時に撤去され空気ブレーキのみとなった。
#*そのためか、神戸線の高速走行に支障を来たし比較的早く阪急から撤退した。
#*2021系は昇圧後も回生ブレーキと定速制御があったが、その分制御装置が複雑だったため、上記の如く早くに全車両T化された。
#**そのため2000系とは連結できなかったらしい。
#**空気バネ台車の車両もあったがこれは同じく空気バネ台車を使っている5000系に組み込まれた。同時に冷房改造も行われたが後に1010系などからの廃車発生品である金属バネ台車に交換されてしまった。
#***5000系に組み込まれた車両は一部に2000系最大の特徴である広幅貫通路が残っていた。但し21世紀のリニューアルではさすがに対象にならず5100系のT車に差し替えられ廃車された。
#**震災復旧絡みでT化された後再びM化され3000系に編入された車両もある。
#***2021→2171→3022(2代目)がそれ。今津北線で運用されていた。
#****T車化後の車番は元の車番+150。但し2180のみ欠番だったが、これは2030号車が六甲事故に関連して2154が阪急に残留した身代わりで能勢電に移籍したため。
#*2100系も同様。
#*昇圧改造の際モーターを複巻から直巻に改造している。
#実は短期間だが京都線を走っていたことがある。
#実は初期車と後期車ではドアが異なっていた。
#*初期車はドアの合わせ目の銀色の縦帯がなく、窓枠が太かった。
#**本系列で最後まで阪急に残っていた2093号車は廃車までこのドアを使っていた。
#*能勢電へ譲渡された車両はそれと同時にノーマルなものに交換されている。
#2020年、能勢電に譲渡された車両の一部がついに製造後60年を迎えた。
 
===2100系===
[[ファイル:Noseden1501.jpg|240px|サムネイル|1700系よりも先に引退]]
#2000系の宝塚線バージョン。
#1980年代に入るとスピードアップなどで宝塚線でも性能的に不十分となったため、冷房改造されずに廃車されて[[能勢電鉄]]に譲渡された。
#*現在の能勢電鉄1500系。
#**1700系との外観上の識別点は屋根上のクーラーが中央に寄っている点。1700系とは異なりスイープファンが付いているため。
#*一部の車両は阪急に残って2000系に編入され、2013年現在2093号車(旧2163)が現存。
#**2013年に廃車されました。
#*それ以外にも昇圧時にモーターを2000系と同じものに交換し、2000系相当の性能になった車両もあった。これらは後に2000系に編入され、能勢電鉄へは他の2100系よりも後に1700系として移籍した。
#*能勢電鉄で廃車された後、何と広島県[[三原市]]に行った車両がいる。そこでは[[国鉄205系電車|205系6扉車]]と連結して何らかの試験が行われているらしい。
#**阪急と広島と言えばかつて210系や500系が[[広島電鉄]]に譲渡されたことがあった。
#**他にも1552号車の先頭部が[[豊能町]]の吉川八幡神社に譲渡されたが、外板はFRPに変わっている。
#*1700系と比べてモーター出力が小さかったためか、2016年6月に1700系より先に全車両引退。
#側扉は全車両2000系初期車両と同じタイプを使っていた。
#*能勢電移籍と前後して標準タイプに交換された。
 
===2200系===
[[ファイル:阪急6150.jpg|240px|thumb|6150号車(元2251号車)]]
#阪急における電機子チョッパ制御の試作車で、1編成しか存在しなかった。
#この車両から車体がモデルチェンジされ、6000・7000系にスタイルが引き継がれた。
#*運転室の寸法が拡大されたことから運転室直後の側窓が廃止され、そこに阪急の頭文字である「H」をモチーフにしたシンボルマークが付けられた。このシンボルマークは現在のCIが制定された1992年に廃止され、現在ではその場所にCIのマークが貼られている。
#**6000系や7000系では「H」マーク撤去後に細長い小窓を設置した車両が多い。
#後に阪急初のVVVF車(2720・2721号車)が追加された。
#1990年代に電機子チョッパ制御車は電装解除されて6000系の編成に編入、VVVF車も[[阪神・淡路大震災]]で被災して2721は廃車、2720は電装解除された。その時点で2200系は消滅し6000系に編入されている。
#*電機子チョッパ制御車が電装解除されてから阪神・淡路大震災で被災するまでの間、2200系は2250-2720-2721-2251の4両を組み、さらに6000系2両を連結して6両編成で運用された。この編成で山陽電鉄線にも入線したことがある。
#**8000系8020Fとともに何気に山陽電鉄の線路を走った初のVVVF車である。
#*震災がなくても、9000系あたりに置き換えられて早期淘汰されていたかも。
#登場時は側窓の一斉自動開閉機能が搭載されていた。
#*但し乗客が窓を自動開閉することはできなかった。因みに乗客が窓をボタン1つで開閉する機能は8000・8300系で実現している。
#2751号車はアルナ工機が阪急に納入した1000両目の車両だったため、車内の銘板に「阪急納入 1000両」の金文字が入っている。
#*6000系に編入されて6751に改番された現在も残っている。
#この車両の登場時既に5000代まで車両番号が達していたにも関わらず2000代の車両番号を採用したのは1編成だけの試作車ということもあるが回生ブレーキを使っているということで2000・2300系などに合わせて2000代の空き番に組み込んだためらしい。
#*但し2000系はこの車両が登場する以前に回生ブレーキは廃止されていた。
#2015年現在元2200系は先頭車は神戸線所属だが中間車は全車宝塚線所属。
#*6000系に組み込まれ能勢電鉄にも乗り入れている車両もある。
#*先頭車(6050・6150)は7000系編成の先頭車として運用されている。
#**そのためか2019年になって7090・7190に2度目の改番が行われた。つまり2200→6000→7000系と2回も形式が変更されたというわけ。同時に6連化され今津北線に転用された。
#この形式から運転台にワンハンドルマスコンが採用された。運転室が拡大されたのもそれと関連している。
#*採用にあたっては先にこれを採用していた東急を視察したらしい。
#ワンハンドルマスコン40周年を記念してHマークが復活した。
 
===3000系===
[[ファイル:Hankyu3081.jpg|200px|thumb|阪急最後の方向板使用車両]]
#神宝線系の車両では最古参。
#モータは高速運転のため170kw×4台/1両と大出力。
#冷房改造の時期によってスイープファンのある車両とない車両があり、屋上の冷房装置の配置が異なる。
#*スイープファン付きの方が中央に寄って配置されている。
#*冷房改造は1975~84年の長期に渡り行われた。数が多い上に2000系など他形式の改造もあったため。
#今津線最後の標識板取付車(3058×6連)は映画「阪急電車」の撮影に使われた。
#*映画撮影のために廃車が延期されたらしい。何という心遣い。
#**他に3011号車が標識板付きで登場するが、実際の3011号車は方向幕装備…。実際には存在しない3544号車が登場するなどあの映画は鉄道マニアが見ると突っ込みどころ満載。
#もうすぐ神戸線からは撤退するらしい。
#*2012年度に神戸本線から撤退。宝塚本線には1~2本残っていたはずだが、新1000系が宝塚本線に入ったらすぐ撤退するだろう。
#*2018年には今津北線からも撤退し、最後は伊丹線になった。
#**2020年に完全引退したが、弟分の3100系と違いヘッドマークの取り付けなどさよならイベントは実施されなかった。阪急の一時期を象徴する車両なのに。
#***[[もしCOVID-19が存在しなかったら|コロナ禍さえなかったら]]何らかのイベントは行われていただろう。
#全盛期には全て8連だったが、3000系だけで組成された編成は1本もなく、必ず1~2両は2000系の中間車が入っていた。
#方向幕装備車両は側面の方向幕の位置が車両によって異なる。
#*スイープファン装備車両は中央扉の左側、非装備車両は中央扉の右側にあり、方向幕の幅も後者の方が狭い。
#**前者は冷房改造と同時に方向幕を取り付けたのに対し、後者は冷房改造後に後付けした点が異なる。3100系も同様。
#宝塚線で運用される車両には前面にスカートが取り付けられていた。
#伊丹・箕面線運用車両は前照灯がLED化されている。
#*このため両線の3000系はもう少しは安泰、と思ったが2016年に入って箕面線からは撤退…。
#2000系や3100系とは異なり、能勢電に移籍した車両は存在しない。
#*そのため能勢電に移籍した車両を含めると2000系の方が長く生き残る結果に。
 
===3100系===
[[ファイル:阪急3154.jpg|240px|thumb|今津北線の3100系]]
[[ファイル:Noseden3170.jpg|240px|サムネイル|銀仮面]]
#3000系の宝塚線バージョンで、モータ出力が120kw×4台/1両に小さくなった。
#宝塚線用として設計されたが、宝塚線のスピードアップによりパワー不足になり現在では伊丹線・今津(北)線といった神戸線の支線で運用されている。
#*製造当初は神戸線の普通運用も考えていたらしい。
#1編成が能勢電鉄に譲渡されたが、前面のデザインが変更された。
#*銀仮面。車内のデザインまで変わった。
#**木目化粧板とオリーブ色座席から白色化粧板とネイビーブルー座席に交換された。
#**とにかく能勢電鉄の車両では異彩を放っている。
#***それ故に人気者だったらしい。
#*貴重な片開き扉を持っていた1000系を廃車に追いやった張本人
#*2021年4月に引退。まさか1700系(旧阪急2000系)より先に廃車になるとは…。
#**これにより広義の3000系は全廃となる。
#*このデザインは5000系や7000・7300系のリニューアル車に影響を与えたと言える。
#T車1両(3651)は3000系に組み込まれている。
#*この編成で神戸線の定期運用に入っていたこともある。
#3000系と異なり、編成中間に入る車両の運転台を撤去した車両は存在しない。
#パンタグラフの下には冷房改造前のファンデリアのカバーが残っている。
#*3000系の多くは撤去されたが、これは山陽姫路までの乗り入れ構想があり、山陽電鉄線内のの狭小トンネルに対応させるためだとか。
#編成としては2016年、3150Fを最後に全て引退してしまった。
#*2017年現在阪急に残るのは3000系に組み込まれた3651号車のみ。
#**ついに廃車となりました…代わりに6004Fが編入。
 
===5200系===
[[ファイル:Hankyu5251.jpg|120px|thumb|正雀工場に保存されている5251号車の先頭部分]]
#阪急初の試作冷房車。
#試作的要素が多かったせいか、バブル経済期にあっさり全車廃車されてしまった。
#*実際は1999年まで走っていて、末期は今北の顔でした。これより新しい[[阪急京都線の車両#2800系|2800系]]最終編成の2倍近くは生きていた。
#*異端児を嫌う阪急の社風が故。
#*そのためか方向幕の取り付けなどの改造は行われず、早々と今津線や伊丹線といった支線に転用された。
#神戸線運用の末期には2000系や2800系、5100系の中間車を組み込んだ編成も存在していた。
#冷房ダクトの分屋根が高いのが特徴だった。5100系以降の車両はダクトの形状などを工夫し他の車両と同等の高さになった。
#*パンタグラフのない車両のクーラーキセは5個あったが、そのうち1つはダミーだった。
#*正面から見ると5000系と比べて屋根が尖った感じに見えるのが特徴だった。
#主に神戸線で活躍していたが、登場時には冷房車のデモンストレーションのため宝塚線を走ったことがある。
#*引退直前に箕面線に入線したこともある。
#現在は正雀工場内に5251号車の運転台部分がカットボディとして保存されている。
 
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{{阪急電鉄}}
 
[[カテゴリ:阪急電鉄の車両|けいしきへつ]]

2022年5月17日 (火) 12:57時点における版

テーマ別

伏見区の噂

大手筋商店街
伏見といえば酒造り
  1. ここは京都とは別の街。かつては「伏見市」だった。
    • だから山科同様、京都市とは言いながらも街並みが京都のイメージとは大きく異なる。
      • 伏見が京都市になったのは西京区や山科区や嵯峨久世とともに昭和になってから(1931~1959年にかけて編入)。
    • 伏見稲荷周辺(鴨川のほとり)と伏見桃山駅周辺(宇治川のほとり)とでは、イメージがまるで違う。
      • 各金融機関の「伏見」支店は、伏見稲荷の近くには無く、伏見桃山駅の近くに集中している。
      • そもそも伏見稲荷大社があるのは伏見区のほぼ最北端。東山三十六峰の最南端でもある。
        • 伏見稲荷~伏見桃山は4km離れている。どちらも豊臣秀吉ファンの聖地であり安倍首相は何度も伏見稲荷や伏見桃山城を訪問されたが。
          • そのためか京阪伏見桃山駅には伏見稲荷大社に行く人が誤って降りないように注意書きがある。
  2. 伏見区の人は自分たちを京都市民だと思っていない
    • まあ、学マンおおいからねえ。
      • 老人の方が多いぞ。(by老人の中に紛れ込んだ若者)
    • 旧市街みたく排他的ではないので、よそさんも住みやすいはず。
    • 山科市もある
      • 違和感がないのが怖い
    • でも、山鉾町住民の移転先は伏見区が多い。
    • 大津区と伏見市にすればいいんじゃない
    • そのため、京都市中心部へ行くことを「京都へ行く」と言う人も多い
  3. でかい花札屋がある。
    • 最近はゲームウオッチも売ってるらしい。
    • その花札屋、南区のんやんね?
      • もしかすると十条・上鳥羽が南区じゃないという噂があるんやない?
    • 旧本社は東山区だったと思う。今の本社は南区。
  4. 地震の震度計が無い。
    • 地震がきたとき、震度が全く解らない。
    • 大半の人は、山科区の震度情報を参考にする。
    • 2011年4月20日、竹田・醍醐・向島に震度計が設置された。
  5. 伏見区単独で宇治市より人口が多い。伏見は絶対に領土を分割すべき。
    • 伏見区28.3万人・宇治市19万人
    • 最近は久御山や八幡・久世にも領土的野心を燃やしているらしい。
    • 伏見市になられると京都市が大変困るから醍醐・小栗栖を山科に割譲して、横大路~淀を新たな区として独立させれば良い。
    • 分区の話は昔から論議されている。実際、深草支所と醍醐支所は区役所として独立できるくらいのでかい建物である。(建て替え前の伏見区役所より立派だった)
      • 神戸市北区みたいに1区に複数の区役所がある形にしてもいいだろう。
  6. 区の面積が広いので結びつきの強い地域がバラバラ。東部の醍醐は山科志向だし西部の羽束師や久我は長岡京向日とのつながりが強い。
    • よく考えると京都駅を挟んで長岡京・向日町駅を使う区民がいると思ったら山科駅を使う区民もいるということになる。
    • 紀伊郡・宇治郡・乙訓郡・久世郡・綴喜郡の5郡に跨っているんですよね、そりゃまとまらない訳だ
  7. 京都拘置所辺りは鴨川にぶった切られて南区にしか見えない。
  8. 琵琶湖疎水の一本東側の道(東福寺や藤森神社の西の道、)は風情があってよいんだが、いかんせん道が細いが車もチャリも観光客も多い。京都駅からレンタサイクルで散策、も悪くないけれど、お気をつけを。
  9. あまりイメージにないが実は大津市と接している。

伏見・桃山

伏見・桃山へ。

淀駅ホームから見た京都競馬場
  1. 京都の果ての伏見の更の果てにあるのが、淀の競馬場。
    • 正式名称は京都競馬場。
    • 最寄り駅は京阪淀駅。
      • 京都市内&大阪市内双方から終電が比較的遅くまで走っている事は余り知られていない。淀車庫さまさまであろう。
    • 3角~4角にかけて下り坂になっており、多くの馬が淀のターフに散っていった。
    • 京都競馬場
  2. 京都市内というより八幡市のような感じがする。
    • こんな場所だがしっかり京都市バスが乗り入れている。
  3. ここにあった淀城におわしたのでお市の方の娘は淀君と呼ばれるようになった。豊臣秀吉の側室、秀頼の母。
  4. かつての朱雀大路だった千本通りの最南端はここ。
    • とはいえ、朱雀大路がここまであったわけではないが。
    • 淀駅近くの納所交差点には「千本通り」の標識が見られる。
  5. 駅近くを流れている桂川を渡ると阪急やJR京都線の走ってるエリアまで意外に近い。
    • 阪急西山天王山駅が開業してから両駅を結ぶバスも京阪バスと阪急バス共同で運行されるようになった。所要10~15分くらい。
  6. 大阪府とは隣接しないが、枚方市(特にくずは)は意外と近い。
  7. 買い物となれば、イオンモール久御山orくずはモールへ。だが、西側住民はイオンモール桂川orイオンモール高槻or高槻西武へ。
  8. 伏見方面へ京阪本線と並走するr124は秀吉道。
  9. 京阪の車庫がある。
    • 当初計画ではメインの寝屋川車両基地を上回る規模の車庫にする予定で土地も広めに取得したが、輸送需要の伸び悩みでそこまで必要なくなったため、土地の一部を物流施設に転用した。
    • 車庫の敷地は全て京都市内に立地する。従って大阪方面から来た場合宇治川の鉄橋を渡るとすぐ京都市に入る。
  10. 地上駅だった頃駅と競馬場の間にラーメン店の第一旭があったが、高架工事で立ち退きになり閉店した。
  11. 最南端は国道1号の木津川大橋のすぐ近くにある。もちろん京都市全体の最南端でもある。

醍醐

地下鉄醍醐駅の真上にあるパセオ・ダイゴロー
  1. 醍醐はそのうち伏見を裏切って山科につきそうな気配だ。
    • っていうか、醍醐なら地下鉄東西線で山科へ出たほうが早いよね。
    • 醍醐は京都編入前、山科と同じ郡(旧宇治郡)だった。伏見区域は殆ど旧紀伊郡(一部だけ旧久世郡や旧綴喜郡も含まれるが)。
      • 久我と羽束師は旧乙訓郡。
    • どう考えたって、醍醐は伏見区という感じはしない。
      • 山科自動車教習所」があるくらいだし。
        • 山科どころか、ほとんど宇治市との境界近くにある。
    • もしかしたら六地蔵辺りにつくかも。
    • 電話の市内局番も伏見区の他地域が6で始まるのに対しこのエリアは山科区と同じく5で始まる。
    • 警察も伏見ではなく山科の管轄。
      • 他の伏見区民からは滋賀県扱いされやすい。
  2. 醍醐地区はなぜか郵便番号の上3ケタが旧北桑田郡と同じだ。
    • 〒601-13XX。
  3. 大阪に行くには六地蔵から京阪ではなく山科からJR新快速
  4. 豊臣秀吉はここで花見をしていて病に倒れた。
  5. 北川景子の夫とは別に関係ない。
  6. 意外にも京都市の最東端は左京区の北部や山科区ではなく、このエリアにある。
    • その場所は大津市の石山なんかにも意外と近かったりもする。
      • その場所は市外局番も大津077かつ小中学生も大津市へ通学。
  7. 醍醐寺の横を通る府道782号は悲惨。

小栗栖

新小栗栖街道からも、藪のようなものが見えるがこれが明智藪である
  1. この辺にある竹藪(たけやぶ)は、(本能寺の変の)「明智光秀の終焉の地」と伝えられているらしい…。
    • 坂本に逃げる途中で…。
    • いや、実際にそうなんじゃ…。
    • L字型の道路故スピードを落とさないといけなく、そこで落ち武者狩りに遭ったのだとか。
    • 新小栗栖街道からもよく見える。
  2. なんかグロ画像サイトみたいな名前だ。
  3. 団地が多い。
  4. 小栗栖・石田も市内局番は5から始まるうえ、郵便番号も601-13XX。
    • 警察も山科。
  5. 石田は石田三成に由来。石田三成はここではなく彦根出身。
  6. 石田のさらに東に日野薬師があるが、滋賀と間違えられられやすい。
  7. かつて関西ローカルCMで有名だった醍醐スケートは小栗栖と思われがちだが実は桃山。最寄り駅は六地蔵だが、醍醐スケートは2003年に潰れた。

羽束師

  1. 運転免許試験場があるのは実はここ。向日町にあると勘違いする人もいるのだが…
  2. むしろ、長岡京市向日市のように思えてしまうのだが…第一、桂川にぶった切られているし。
  3. 市外局番は京都075とはいえ向日市から電話線を引いているから市内局番は9から始まる。
  4. 乙訓郡だった。
    • そのためか警察も向日町管轄(久我も)。
  5. 最寄り駅はJR長岡京駅。

久我

  1. 読み方は「くが」ではなく「こが」。とても読めない・・・
    • 村上源氏嫡流の貴族、久我家はここが由来。同じく「こが」と読むので歴史好きなら読めるかも。道元の父とも言われる源通親(久我通親・土御門通親)、幕末の議奏であった久我建通が有名か。
  2. 近くに「久世」もあるが、ともに市バスの行き先であるのでつい混同してしまう。
    • ちなみに久世は南区にある。
  3. ここも久世も市内局番は9から始まる。
    • 元乙訓郡だったから。
  4. 最寄り駅はJR向日町駅。

向島

  1. 「むこうじま」ではなく「むかいじま」と読む。
  2. 東京都墨田区の向島が有名過ぎて京都以外の関西人でもついつい「むこうじま」と読みがちだ。
  3. 宇治市だと思われている。
    • 伏見区の中心部とは宇治川でぶった切られてるからなあ。
      • しかし、京都市編入(1931)以前から、桃山とかとは紀伊郡仲間だった。
  4. 向島駅の周辺は団地ばかり。
    • 伏見城からの夜景でも、団地という建物独特の灯りの形がとても目立つ。
  5. やーさんのドンパチがあったりてるくはのる事件があったり放火があったり……。
  6. 昔は本当に島だった。
    • ここに限らず、この近くには「槙島」「中書島」など「島」のつく地名が散見される。昔は巨椋池があったから。
  7. 京都市内なのに奈良交通の路線バスがある。
    • しかし運転本数は月1回の免許維持路線…。
    • 意外だが奈良交通の京都営業所はここから近い宇治市の槇島にある。
    • かつては京都~奈良を直通する路線があり、京都駅前まで乗り入れていた。
  8. 種智院大学がある。
    • 近鉄向島駅の西側、田んぼの真ん中にぽつんとある。ニュータウンなどの住宅地とは反対側。
    • かつては東寺の近くにあったが、移転してきた。
    • 隣に府立京都すばる高校がある。

深草

深草

六地蔵

六地蔵

伏見区の交通

  1. 京都高速を鋭意建設中。
    • 阪神高速8号京都線」になってしまった。でも最初に出来るのは山科方面らしい。
    • 2008年1月19日、上鳥羽~巨椋池間が開通。しかし車は殆ど走っていない。
    • 2008年1月26日夜、開通以来初めて、全区間が雪の影響で通行止めになる。
  2. 第二京阪は3車線あるが、大阪と繋がってないのでガラッガラ。但し、通行料は高い(確か500円)。
    • オービスがなくカーブがあっても緩いので、自家用車の限界に挑む事も可能…らしい。
    • 大阪側は、阪神高速守口線の終点(大日)の少し南と接続するらしい。何と、中途半端な。
      • でも全線開通したら無茶苦茶混みそうだ。
      • 地下鉄長堀鶴見緑地線門真南駅のすぐ近くです。
        • 2010年3月20日に全通してから交通量が急増。
    • 少なくとも大阪南部から京都への利便性は上がった。難波OCAT・布施・八尾からの高速バスもできたし。
  3. 交通量の割に道路があまり整備されておらず、区内各所で年中渋滞が起こっている。
    • 伏見区の渋滞名所
      • 奈良町交差点付近
        • 正確には宇治市にあり、伏見区と宇治市の境目付近にある。パチンコ店、ショッピング施設が密集し、右折左折が耐えない。渋滞情報も"奈良町交差点を先頭に"が頻繁に出る。
      • 横大路交差点付近
        • 国道1号と、外環状線が交わる、主要幹線道路同士の交差点。
      • 観月橋北詰交差点付近
        • 京阪電車観月橋駅前の国道24号と外環状線が交わる交差点。駅前ターミナルがなく、でも駅前のために人も多く、踏切があり、左折も右折も難しい。事故も非常に多く、おそらく京都最悪最大の魔の交差点。西側から進入する外環状線の道路上にあるおびただしい数のブレーキ跡は、恐怖すら感じる。
          • もちろん観月ありさとは関係ない。
  4. 運転免許試験場がある。
    • バスやタクシー等でしか行けない為、免許の取得や更新に行く者から非難囂々。
      • 大抵の人間は「向日町」と呼んでる気が。最寄はJR長岡京or阪急長岡天神。竹田駅からもバスが出てるけど、狭いトコがあるからか小型のバスが来る。
    • バイク免許の講習がむちゃくちゃ安く受けれる伏見デルタってのもある。ほんとに安い。
  5. リニア京都乗り入れが無理っぽい感じなので、伏見に新幹線の新駅を作ろう。
    • リニアは京都市はおろか京都府には1ミリたりともかすらない(ここに駅ができる予定)。
  6. 実は全国有数の鉄道密集地帯。京阪2路線・近鉄1路線・JR1路線・京都市営地下鉄2路線の計6路線が区内を通っている。
  7. 実は区の西端を東海道新幹線が掠めている。

伏見区の見所

  • 伏見桃山城
    • キャッスルランドは閉園しました
      • 改装されて大阪城になってしまった。
    • 耐震性の問題で城内には入れない。
      • 周辺だけ散策可能。
    • かつては近鉄が保有していた。現在は京都市に譲渡されている。
    • 塀に狭間(矢や鉄砲を撃つための穴)があるんだが、○・□・◇の形。普通は正方形、長方形、三角、丸なんだが、菱形って?
    • この名称は歴史的に見ると誤り。そもそも「伏見城」で廃城になった跡地に桃の木を植えたのが「桃山」の地名の由来だから。
  • 伏見稲荷神社
    完全制覇するなら「山登り」のつもりで。
    • あまりにも有名な「千本鳥居」
    • 実際には千本以上ある。
    • 京都だけでなく関西一円の初詣の総本山。
      • 参拝客数「日本」5位。近畿ではトップ。
  • 宝塔寺
    • 実は源氏物語に出てくる。大きい寺なのにマイナー。重文もある。
  • 藤森神社
    • 競馬ファンの隠れた聖地の一つ。
    • あじさいの名所としても有名。
  • 御香宮神社
    • 名水「御香水」が沸く。安産の神様。
      • 涸れた(復活せず)伏見住民
      • 復活した、ただし時間限定
  • 醍醐寺
    • 毎月29日には「醍醐市」というフリーマーケットがあり参道に漬物や野菜などの露店が立ち並ぶ。
    • 醍醐駅から行く場合はルート選択を間違うとかなり急な坂に遭遇してしまうので要注意。
      • 醍醐駅降りてすぐ北の道は坂がきついです。
        • 「醍醐寺」というより「三宝院」の方が通りがいいかも。(最寄りバス停の名称)
          • バス停も「醍醐寺」に改称されました。
    • 桜の名所として有名。
    • 力自慢を競う「五大力」もよく知られている。
  • 寺田屋
    寺田屋
    • 坂本龍馬が襲撃された時の刀傷痕が残っているが、現在の建物は明治38年に建てられている。
  • 伏見港
  • 酒蔵めぐり
    • 月桂冠の大倉記念館に行くと、オリジナルのワンカップ酒がお土産でついてくる。
  • 十石船
  • R24
    • 途中で訳が分からなくなる
  • 名水(伏水・御香水・伏見サティの前にあるライオンの口から出る水etc…)詳しくは京阪電気鉄道伏見桃山駅出口に書いてあるちずみろ
    • ポリタンク持って大量に汲みにくる者が多く、汲む順番や量で争いが絶えない(特に御香宮と鳥せいの横)
    • 神様が嘆くぞ!逆にサティの前は苔むして汚く見えるのでイマイチ人気がない。水源同じなのに。。。
      • そういえばSATYの前の流水口、最近水でてないけどどうしたの??
        • 撤去されました。
  • 桃山御陵(明治天皇陵)
    • 真っ正面(南側)から行くと結構な階段を登ることになる。標高差30mとかあるからなぁ。
  • 戊辰戦争の砲弾の跡
  • 伏見工業高校
    • TBSのドラマ「スクールウォーズ」のモデルとなった高校
    • ラグビーの強豪でもある。現在は近隣の学校と統合され「京都工学院高校」になった。
  • 丹波橋駅付近(鉄道ファン限定)
    • 跡地は自転車置き場
  • 淀の三川合流
    • 木津川・宇治川・桂川の三川が合流。この地の名を取って淀川となる。
    • しかし三川とも粘って(?)、実際には大山崎八幡のあたりで合流している。
  • 京都深草バス停(深草BS)
    • 京都の隠れた入口。東方から来る大阪発着のバスの乗客が世話になるのでは?と思える名神高速道路のバス停。
  • 城南宮
    • 名神高速道路京都南インターのすぐ近くにあるが、鉄道アクセスはちょっと不便。
    • 庭園は「曲水の宴」で有名。平安貴族の装束をして水の流れのある庭園などで、流れてくる盃が自分の前を通り過ぎるまでに詩歌を読み、盃の酒を飲んで次へ流す…という行事らしい。
  • 京都聖母女学院
    • 本館は、旧陸軍第十六師団司令部庁舎として使われていた。
      • 近くには現在でも「師団街道」「第一軍道」という通り名が残っている。
        • 京阪藤森駅の旧駅名も「師団前」駅だった。
          • 最近はこの作品のせいで聖地の一つとなっている。
  • 京都市青少年科学センター