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{{Pathnav|日本国有鉄道|国鉄の車両|name=客車}}
==有料道路==
==旧型客車==
===北海道===
#実は、系列という概念がない。
====内浦湾口道路====
#正式な呼び方ではないらしい。
*渡島半島の鹿部町から室蘭市を結ぶ。
#*国鉄の現場で20系以降の客車と区別するために便宜的に呼んでいたそうだ。それが鉄道ファンにも広まった。
**海底トンネルとする。
#新車の投入は優等列車が優先された。
***白鳥大橋から伸ばすとか。
#*普通列車には優等列車からのお下がり、もしくは60系客車。
*通行料金は車種を問わず基本一律1万円。
#10系以前の客車には「急行形」「一般形」といった明確な区分がなかった。
**但しETC搭載車は半額。(5000円)
#*普通車に至っては登場時は急行で使用され、後継車が登場すると普通列車にも使用されるようになっていた。
***緑・黒ナンバーならさらに半額。(2500円)
#*現場では「一般形」と呼ばれていたが、正式な車両区分ではなかった。
***ETC搭載車が0時~9時、17時~20時にETCゲートを通過すると割引された額をさらに半額。(白・黄ナンバー2500円、緑・黒ナンバー1250円)
#新造時の室内灯が白熱灯か蛍光灯かで形式が変わる。
#実は、運転停車という概念がない。
#*機関車連結や交換待ちなどの間にも手動ドアを開けて乗降できた。
#**そのため単線区間の長い幹線で優等列車停車歴のない駅は少数派。
#**北陸本線田村-敦賀が交流電化された際、それまでは区間運転の気動車普通しか停車しなかった田村駅が急行列車も停車する駅になったのは、田村駅で機関車の交換を行っていたため。


====石狩宗谷根室連絡道路====
===10系===
略称:石宗根道路
#軽量構造を始めて採用し、「軽量客車」と呼ばれた。
;ルート
#*実際にはそれ以前の旧型客車と混用されたため、本形式も広い意味では旧型客車に入る。
{{高速道路2|name1=幌延|roma1=Horonobe|name2=サロベツ原野|roma2=Sarobetsu-genya|num=18}}
#**車体や台車こそ近代的になったが、ブレーキや連結器、暖房、電気配線などといった設備は従来のものを踏襲した。
{{高速道路2|name1=網走|roma1=Abashiri|name2=大空|roma2=Ozora|num=38}}
#同時期に製作された末期の旧型国電の車体は10系をベースにしている。
銭函JCT(札樽道)-小樽北-石狩南-石狩厚田-石狩浜益-石狩雄冬岬(留萌方面への出入口のみ)-増毛南(小樽方面への出入口のみ)-増毛北-留萌JCT/IC(深川留萌道)-小平南-小平JCT([[勝手に道路建設/東日本高速道路#北海道中央自動車道|北海道中央道]])-小平北-苫前-羽幌-羽幌北(留萌方面への出入口のみ)-初山別-初山別北(稚内方面への出入口のみ)-遠別南-遠別北-天塩-幌延サロベツ-豊富南(稚内方面への出入口のみ)-稚内抜海(留萌方面への出入口のみ)-稚内西-稚内JCT([[#日露友好道路|日露友好道路]])-稚内空港-宗谷岬-稚内南-猿払-猿払南-浜頓別-中頓別-道北枝幸-道北枝幸南-雄武-興部-紋別(佐呂間方面への出入口のみ)-紋別JCT(旭川紋別道)-オホーツク紋別空港(宗谷岬方面への出入口のみ)-湧別-佐呂間-北見常呂-網走大空-小清水-清里-斜里南-標津北-中標津-別海-根室南-浜中-厚岸-釧路昆布森-釧路別保JCT/IC(釧路外環状道路/[[#釧路襟裳日高自動車道|釧襟日道]])
#*新性能電車の車体のベースにもなっている。
;SA・PA
#*同じ1956年登場のキハ55系も。
石狩SA-雄冬岬PA-留萌北PA-初山別PA-幌延サロベツPA-稚内SA-宗谷岬PA-浜頓別南PA-紋別SA-サロマ湖PA-野付SA-霧多布湿原PA-昆布森PA
#寝台車、座席車(普通車、グリーン車)、食堂車、郵便車がいた。
;トンネル
#*食堂車には石炭コンロを使うものと電子レンジを使うものがあった。
厚田-浜益-柏木-床丹-千代志別-雄冬岬-日方岬-阿分礼受-留萌第一-留萌第二-豊平-臼谷-望洋台-抜海-宗谷-知来別第一-知来別第二-芦野-浜猿払-仁達内-頓別-ポロヌプリ山-徳志別第一-徳志別第二-豊野-住吉豊丘-紋別山-上湧別-芭露第一-芭露第二-上芭露-西芭露-東芭露-計露岳-佐呂間山-常呂福山-常呂山-根北峠-サンヌシ-片無去-イワナノ沢-尾幌-仙鳳趾村-昆布森付第一-昆布森付第二
#*郵便車には50系もどきの車両もあった。
#北陸トンネルでの火災の原因は食堂車の石炭コンロが原因と言われていたが、実際は電気系統の火災だった。
#*そのせいで食堂車の使用は中止された。
#軽量構造ゆえに腐食が早く、早くから廃車になる車両も現れた。
#*グリーン車に至っては早い時期に形式消滅。
#**電気暖房がなかったため、早期廃車された。
#***1970年10月、大阪万博輸送を終えた12系客車や165系電車が10系の置き換えに回された。
#*そのせいで1世代前の43系が多く生き残っていた。
#*寝台車はそこそこ末期まで残っていたが、設備のしショボさは否めず…。
#**寝台車は老朽化の元凶となった下降窓を採用していたが、それでも長く使われた。
#***通路側の折りたたみ椅子がないため、寝台セット・解体時などに立っている客への配慮らしい。
#****そうする位なら上昇式にして椅子を設ければ良かった気もするが。
#*火災実験のために廃車となった車両もある。
#**[[北海道]]の方で。
#車体構造はスイス国鉄の軽量客車をモチーフとしている。なのでヨーロピアンなデザインになった。
#実はJR化後も普通車が残っていた。
#*しかも平成になった時点でも残っていた。10系グリーン車廃車から15年以上過ぎたにも関わらず。
#**JR東日本に工場入場用の控車代用として継承されたものだが、末期はほとんど使われなかった。
#実は20系以降の客車と並行して製造されている。
#*郵便車については1980年代まで製造されていた。
#**50系もどきになっていたが。なんで10系を名乗り続けたのかは[[大人の事情の法則|まあアレ]]だ(所有者が郵政省だったちうのも含め)。
#***冷房搭載が早かったのも[[大人の事情の法則|そういうこと]]だ。


====亀田半島道路====
===30・31系===
;ルート
#日本で初めて造られた鋼体車両。
道南森町JCT(道央道)-道南森町-森砂原-鹿部中央-鹿部南-尾札部北-南茅部川汲-亀田木直-亀田椴法華-亀田恵山-恵山道南金剛-函館戸井-函館汐首岬-函館空港東-函館空港IC/JCT([[勝手に道路建設/東日本高速道路#大函自動車道|大函道]]/函館新外環状道路)
#KATOで初めて製品化された客車もこれ。
;SA・PA
#*昔の技法を基準としている為ライト点灯化されたものはない。
砂崎道南駒ヶ岳PA-南茅部臼尻PA-恵山SA-汐首岬PA
#*オハフ30は製品化してくれないため自己責任。
;トンネル
道南森町南-鹿部-臼尻第一-臼尻第二-尾札部第一-尾札部第二-椴法華-恵山第一-恵山第二-道南金剛-戸井第一-戸井第二-戸井第三-戸井第四


====釧路襟裳日高自動車道====
===32系===
{{高速道路2|name1=大楽毛|roma1=Otanosike|name2=釧路空港|roma2=Kushiro-airport|num=5}}
#戦前に作られた狭小窓の客車。
略称:釧襟日道
#初期はWルーフ、後期は丸屋根。
;ルート
#*Wルーフ車は昭和30年代にオハネ17や荷物車・職用車への改造種車となって比較的早い時期に姿を消した。
釧路別保JCT/IC(釧路外環状道路/[[#石狩宗谷根室連絡道路|石宗根道路]])-釧路南-釧路北-釧路大楽毛-釧路大楽毛西(釧路新道)-白糠庶路-白糠中央-音別北(釧路方面への出入口のみ)-音別南(えりも方面への出入口のみ)-浦幌厚内-浦幌中央-豊頃-大樹北-大樹南-広尾豊似-広尾JCT/IC(帯広広尾道)-広尾南-えりも北-えりも庶野-襟裳岬-えりも-様似幌満-様似冬島(日高方面への出入口のみ)-様似中央-様似鵜苫(えりも方面への出入口のみ)-浦河幌別-浦河中央(日高道)
#本州以南ではのちの35形に切り替えられたが北海道では二重窓の関係か32系を延々に作り続けていた。
;SA・PA
#*室蘭本線のC57135の最終SL普通列車にも活躍していた。
大楽毛PA-音別PA-浦幌SA-広尾大樹PA-襟裳岬SA-様似PA-浦河PA
#*山口線もビデオでD51に引かれている映像を映し出されていた。
;トンネル
#今では動態・静態ともにスハフ32の丸屋根しか現存しない。
釧路-庶路-尺別-直別-厚内第一-厚内第二-厚内第三-長節湖-湧洞沼-生花苗沼-広尾北-広尾南-ヲシラベツ-新榊-新目黒-庶野-襟裳岬-歌別-笛舞-ニカンベツ-新幌満-新山中-冬島-アポイ山麓-平宇-親子岩-鵜苫-白泉-月寒うしお-浦河
#*[[東日本旅客鉄道|JR東日本]]のみ動態保存中。静態は小金井公園で貴婦人様(汽笛なし)の後。
#*かつては福岡の貝塚公園にキューロクと共に静態保存されていたスハ32がいたが、解体されて20系に置き換えられてしまった。


===東北===
===35系===
====下北半島環状道路====
#戦前から戦後一貫で製造された大窓の客車
=====ルート=====
#戦前は丸屋根、戦後はキノコ切妻。
{{高速道路2|name1=むつ|roma1=Mutsu|name2=大湊基地|roma2=Ominato-kiti|num=4}}
#*戦前型のなかにはノーシル・ノーヘッダーや張り上げ屋根の試作車も結構あった。
{{高速道路2|name1=風間浦|roma1=Kazamaura|name2=下風呂温泉|roma2=Simofuro-onsen|num=20}}
#今でも[[静岡の鉄道#大井川鐵道|大井川鐵道]]のSLに使っている。
;本線
#*パレオエクスプレスでもこれの戦後型が使われていたが、12系化後は北海道に譲渡された。
むつ南JCT/IC(下北半島縦貫道路《むつ南BP》/下北半島環状道路大畑支線)-むつ-むつ大湊北-むつ大湊-むつ大湊南(脇野沢方面への出入口のみ)-むつ川内-むつ蠣崎(むつ方面への出入口のみ)-むつ脇野沢-むつ脇野沢北-佐井仏ヶ浦牛滝-佐井仏ヶ浦福浦-佐井長後-佐井磯谷-佐井中央-佐井北-大間奥戸-大間JCT/IC([[勝手に道路建設/東日本高速道路#大函自動車道|大函道)-風間浦蛇浦-風間浦易国間-風間浦下風呂-むつ大畑JCT/IC(下北半島環状道路大畑支線)-むつ大畑南-東通野牛浜-東通猿ヶ森砂丘-東通白糠-東通白糠南-六ヶ所北(三沢方面への出入口のみ)-六ヶ所中央-三沢小川原湖-三沢空港JCT/IC(下北半島環状道路六戸支線)-おいらせ-八戸東-八戸-八戸JCT(八戸道)
#スハ42形もこいつの仲間。
#*乗り心地向上のために台車変更され、別形式になったもの。スハ43系登場までのつなぎだった。
#*一部は軽量化改造を受けてオハ36形になった車両もあったが、電気暖房を設置したらスハ級に戻ってしまった。
#Wikipediaに載るのが比較的遅かった。
#2017年という時代にJR西日本が'''[[JR西日本の車両/形式別#35系|新造]]'''した。


※これにより八戸道本線 八戸IC~八戸JCT 間を下北半島環状道路本線へ編入し、青森(百石道路)方面 八戸JCT-八戸北IC 間を本線とする。八戸JCTはフルJCT化。
===43系===
;大畑支線
[[画像:Oha47-2261-00.jpg|thumb|200px|オハ47 2261]]
むつ南JCT/IC(下北半島縦貫道路《むつ南BP》/下北半島環状道路)-むつ大畑南-むつ大畑JCT/IC(下北半島環状道路)
#戦後の急行型客車。
;六戸支線
#*確かに急行列車に使用された実績はあるが、正式な意味での急行形ではない。なお、国鉄の現場では一般形と呼んでいたが、こちらも正式な呼び方ではない。したがって、当形式には正式な急行形でも一般形でもないため、旧客には明確な車両区分が存在しない。
三沢空港JCT/IC(下北半島環状道路)-三沢中央-六戸IC-六戸JCT(上北道/第二みちのく有料道路)
#外観は61系と似ているが窓はそれより大きい。
#北海道では45系として二重窓で製造された。
#近代化の際には蛍光灯化や青15号化された車両も出ていた。
#今では[[東日本旅客鉄道|JR東日本]]、[[静岡の鉄道#大井川鐵道|大井川鐵道]]でSL列車の客車に使われている。
#*かつては[[秩父鉄道]]のSL急行「パレオエクスプレス」にも使われていたが、12系化後にJR北海道に行った。
#**2014年度のSL減便後はその行方が分からない。
#銀河鉄道999の999号の客車もこれがモデルだ。


※これにより第二みちのく有料道路 六戸JCT~六戸出入口 間を下北半島環状道路六戸支線へ編入。六戸JCTをフルJCT化。
===60系===
*国道338号の急勾配区間の解消の目的もある。
[[画像:Ohani36-11-00.jpg|frame|オハニ36 11]]
=====SA・PA=====
#木造客車を鋼製化したもの。
;本線
#*「鋼製化」は戦前に木造客車を鋼製客車へ改造したことを差し、戦後に行われた木造客車の60系への改造は「鋼体化」と呼んで区別されている。
陸奥大湊SA-蠣崎PA-仏ヶ浦PA-大間PA-下風呂温泉PA-猿ヶ森砂丘SA-物見崎PA-尾鮫鷹保PA(下り線のみ)-市柳田面木PA(上り線のみ)-おいらせSA-八戸西PA
#旧型客車の定期運用として最後まで残った。
;大湊支線
#冷房改造やリクライニングシートを装備してグリーン車に生まれ変わった車両やここからさらにお座敷車両に改造された車両も存在した。
むつ北PA
#*気動車に改造された車両もあった。
;六戸支線
#製造のきっかけは[[八高線]]。
なし
#*「木造車体はなんとかしねえとやべえなあ」とは判っていたらしいがカネが出なかった。
=====トンネル=====
#*なんとかする方法も新車ではなく、国鉄工場で改造。
;本線
#*当時日本を統治していたGHQが、国鉄に新車の製造許可をなかなか出さなかったので、新車を製造したくても出来なかった。
藤本寺-むつ大湊-大湊川守-大湊桜木-大湊基地第一-大湊基地第二-大湊基地第三-戸沢-むつ川内-宿野部第一-宿野部第二-むつ蠣崎-脇野沢第一-脇野沢第二-ガンケ山-縫道石-牛滝-仏ヶ浦-福浦-横山-長後-穴澗山-磯谷-大開山-佐井-八森-奥戸-易国間-三基山-下風呂-猿ヶ森砂丘-ヒバの埋没林-白糠-泊-六ヶ所第一-六ヶ所第二-三沢基地-八戸航空基地
#**国鉄職員がCTSの担当者をラッシュ時の両国駅に連れていき、ボロボロになった木造客車に乗客が寿司詰め状態になっている悲惨な状況を見学させて、ようやく鋼体化改造としての製造許可を貰えた。
;大畑支線
#まだ現役のオハニ36も60系客車のうちだが、分類上だけに近い。
なし
#*特急かもめに使ったので客室は60系では例外のグレード。
;六戸支線
#*登場時はオハニ63で台車も他車同様だったため、乗り心地が悪く、10系と同タイプの台車に履き替えた。
なし
#いらなくなった木造車体は都営住宅になったらしい…。
#関西本線でもデゴイチ等に引かれて大活躍。
#グリーン車もいたが新製車はゼロ。オハ61からの改造。冷房改造した車両は重量増の為スロ62・スロフ62と別形式起こされ、電気暖房併設改造車は2000番代と新番代起こされた。
#*「〇〇(配置基地の電略)和式」といわれる81系客車もスロ62からの改造。老朽化進行と12系改造車に置き換わる形で廃車。
#最多の製造をしたのは今は亡き高砂工場…ではなく、苗穂工場。


===関東===
===70系===
====奥秩父檜原道路====
#戦後の車両不足に対処するため、戦災で被災した車両を復旧させた客車。
;ルート
#*元々客車だった車両だけでなく、電車の被災車を改造したのもあった。
*富岡南IC - 神流IC(神流町役場前) - 小鹿野北IC(国道299号) - 小鹿野南IC(都道279号) - 中津渓谷IC - 奥秩父IC - 奥多摩湖IC/JCT - 談合坂IC(談合坂SAと直結)
#客室は基本的にロングシートであった。
*あきる野支線:奥多摩湖IC/JCT - 武蔵五日市駅IC - あきる野北JCT(圏央道あきる野IC~日の出IC間に建設)
#そのグレードの低さから本来の客車が行き届くと早いうちに荷物車に改造された。
**全線トンネルのため危険物搭載車通行禁止
#*さらに荷物車にも後継車が登場すると救援車に転用されてしまった。
**奥多摩湖IC/JCTは談合坂←→あきる野北方向およびIC使用車のみ信号なし、それ以外はトンネル内のため建設費をケチるため信号機制御(美女木JCT方式)
#JR東日本に1両だけ引き継がれ、他の旧客とともにイベント列車で使用されたが、末期はあまり使用されなかった。
**上記のJCT部分(50km/h制限)を70km/h以上で通過した者は高速料(通過料とは別)を上乗せ。
#*フリースペースとして使われていた。
**徴収方法は、オービスみたいにナンバーを撮影(ただしフラッシュは黄色)し、降りるICで該当ナンバーの車であった場合高速料を上乗せした通行料金を表示。なお、中の人への暴行防止のため(本音:人件費をケチるため)、料金所は無人である
**もちろんこの高速料は奥秩父檜原道路運営者が約款で定めているため、支払っても警察の反則金or罰金or免停or免取に影響を及ぼさない(無関係である)。


====湘南三浦道路====
==新系列客車==
{{高速道路2|name1=逗子中央|roma1=Zushi-chuo|name2=金沢|roma2=Kanazawa|num=9}}
===12系===
*渋滞激しい国道134号の渋滞緩和と三浦半島相模湾側の活性化に向けて建設。
#電源分散方式を初めて採用した。スハフ12にディーゼル発電機搭載。
;ルート
#旧客(10系まで)とも混結可能。座席車が12系、寝台車が10系の混結列車もあった。
*三浦城ヶ島IC - (城ヶ島大橋) - 三崎IC(県道215号) - 油壺IC(県道216号) - 三崎口IC(国道134号) - 林IC(国道134号・三浦縦貫道路) - 佐島IC(県道213号) - 国際村IC(県道217号) - 葉山IC(国道134号・町役場付近) - 逗子中央IC(県道24号) - 小坪IC(市道) - 鎌倉IC(県道21号) - 片瀬江ノ島IC(国道467号) - 辻堂IC(県道30号) - 茅ヶ崎海岸IC(新湘南バイパス・県道134号・県道46号) - 平塚中央IC(県道61号) - 大磯東IC(西湘バイパス)
#*きたぐにに至っては普通車が12系でグリーン車が旧客という、グリーン車の方が乗り心地で劣っていた。
*[http://chizuz.com/map/map137421.html 地図]
#14系のベースになった。混結可能。
#*実際に12系と14系の混結列車が設定されたは1980年代以降からだった。
#**それ以前は14系が特急用とされていたため、寝台車には20系の改造車が使われていた。
#**九州では[[夜行列車/さ~な行#日南|12系と24系の]][[夜行列車/あ・か行#かいもん|混結列車]]があった。
#14系座席車が登場するまでは特急にも使われた。
#国鉄末期には[[ジョイフルトレイン]]や普通列車用に改造された車両も現れた。
#*中には気動車に改造された車両までもあった。
#JRになってから扱いが悪くなり、廃車になる車両も多かった。オリジナルで残る車両も残り少ない。
#*中には海外に譲渡されたものが結構いた。
#実は大阪万博が登場のきっかけだった。
#同時期に登場したキハ65系と設計上の共通点が多い。
#何気にSL列車によく使用されているような気がする。
#*車両の特徴上、使い勝手が非常に良いのでSL列車の使用客車としては一番重宝されている。
#**しかしながらも老朽化が深刻化しているので、各鉄道会社もこれに頭を抱えている状況。
#通勤車化されたものは、乗務員室の扉が設置されたり白帯が撤去されたりしていた。こちらは短命に終わった。
#各中小私鉄に譲渡されたものもあった。
#*わたらせ渓谷鐵道のトロッコ列車や秩父鉄道のSL「パレオエクスプレス」など。
#*[[鳥取の交通#若桜鉄道|若桜鉄道]]にもC12が牽引するSL列車に使う予定の客車として納車された。
#**こちらは元ムーンライト高知の客車だった。
#トイレ付近の屋根にハッチがある。これは車両製造の際、車体組み立て後に、屋根からトイレユニットを搬入するために設けられたもの。
#1969~72年に製造され、10系客車の早期廃車を促した形式。
#*いや、1978年まで増備された。最終期の車両は前面窓の幅が狭く細長いのが特徴。
#1989(平成1)年2月時点では残存率100%だった。
#オリジナルの方向幕には本州・九州の主要な駅名が一通り入っている。


====東金九十九里有料道路 東金延伸====
===14系===
;ルート
[[画像:Suhanefu14-27-00.jpg|frame|スハネフ14 27]]
台方-東金東(東金方面への出入口のみ)-東金
#寝台車と座席車がいた。混結可能。
;SA・PA
#*[[夜行列車/は~わ行#はまなす|はまなす]]
東金東PA
#*ふるさとライナー山陰も運転日によっては混結されていた。
;トンネル
#電源分散方式といって20系や24系みたいな電源車がいなかった。スハフ14とスハネフ14にディーゼル発電機搭載。
なし
#*北陸トンネルの大参事がトラウマになって、分散発電から電源車を用いた集中電源方式にシフトしていったというのは有名な話。
#*流石に「[[夜行列車/あ・か行#さくら|さくら]]」など行先が二手に分かれる列車は電源車方式には戻せず、最期まで14系が使われた。
#*それどころか本来14系である必要ない筈の「[[夜行列車/は~わ行#北星|北星]]」「北陸」等の20系からの置き換えにも使われた。造り過ぎた?
#デビュー順は20系→14系→24系。
#*その後24系25型→14系15型と回帰とまではいかないものの火災対策を強化した上で併結運用のため製造再開。
#ゴルゴム式に改造を受けて、ジョイフルトレインに生まれ変わった客車多数。
#*中には個室寝台車に改造され、「北斗星」などに運用されている車両もある。大出世もいいとこだ。
#**その中には座席車から個室寝台車に改造された車両もある。車体はほとんど新製した。
#一応特急型であるが、実際には夜行の急行列車などでよく運用されていた。
#B寝台を2段式寝台にした14系15形も造られたが、何故か「[[夜行列車/あ・か行#あかつき|あかつき]]」にしか投入されなかった。
#引退後に[[タイ]]や[[フィリピン]]に渡った車両もいる。
#*フィリピンへ行った車両の窓には投石対策として鉄格子が装着されていた気がする。
#座席車の車体構造は[[国鉄183系電車|183系]]を基にしている。
#北海道のSLに使われている客車はこれ。
#*塗装は茶色に赤帯の2代目三等車色であった。
#過去には東でもC58に引かれていた時期もあった。
#食堂車や2段式A寝台のように24系になったものや2段式B寝台、個室A寝台(シングルデラックス) 個室B寝台(ソロ)のように24系から編入されたものもある。
#*このほか個室B寝台、ロビーカーに改造されて転用されたものも。
#*編入するに当たっては配管や配線変更必要だが、主に床下方面でのことなので外観・内装は目立った変化がない。編入改造ついでに古くなった内装板張替え程度はあったようだが、それとてさしたる改造とはいえない。
#15型はJR九州にもいたが86年のあかつきの減車、減便での転用だった。
#あかつきのシングルデラックス(オロネ14-300番台)は24系に組み込み事が出来る。
#*14系の1系統24系の2系統といった給電方式の違いがあるがオロネ14-300には切り替えるスイッチがあり、それを使うことによって24系に組み込むことができる。
#*そのためJR西日本車の日本海などに連結されいたことがある。
#*四国にも14系が在籍するが東武鉄道に譲渡予定である。
#**東武に行ったものは3両編成になり、SL(DL)大樹として運行されている。
#***また、東武に行ったものの中には一度部品取り指定を食らったもの(オハ14-505)がいるが、最近復活した。


====九十九里鹿島灘沿岸道路====
===20系===
=====ルート=====
[[ファイル:ブルートレイン食堂車.jpg|thumb|240px|交通科学博物館に保存されている食堂車]]
{{高速道路2|name1=カシマサッカー<br/>スタジアム|roma1=Kasima-soccer-stadium<br><small>マッチデーのみ利用可能</small>|name2=|roma2=|num=15-1}}
#列車ホテル。
{{高速道路2|name1=旭|roma1=Asahi|name2=|roma2=|num=Y-3}}
#軽量化が図られている割には、どっしりした印象がある。
{{高速道路2|name1=鉾田中央|roma1=Hokota-chuo|name2=鉾田<small>市街</small>|roma2=Hokota-central|num=H-2}}
#*パンタグラフが付いている異質な感じのする電源車があったけれど、重すぎで早々にパンタの撤去と中身の改造を受けるハメになってしまった。最終的には24系に組み込まれた。
;本線
#**その重さ何と64t。中型機関車並み。
真亀IC([[勝手に道路建設/東日本高速道路#南房総自動車道|南房総道]]/東金九十九里有料道路)-不動堂-片貝(ここまで九十九里有料道路真亀IC以北を転用)-本須賀-山武蓮沼--木戸浜-中谷里-旭飯岡-銚子屏風ヶ浦-銚子犬吠埼-銚子中央JCT/IC(九十九里鹿島灘沿岸道路 八日市場支線)-神栖南-神栖北-鹿島神宮-カシマサッカースタジアム(カシマサッカースタジアムでのマッチデーのみ利用可能)-鹿嶋大野-鉾田大洋-鉾田東JCT/IC(九十九里鹿島灘沿岸道路 鉾田支線)-鉾田旭-大洗南(那珂方面への出入口のみ)-大洗北(鉾田方面への出入口のみ)-水戸東-那珂湊-常陸那珂港(常陸那珂有料道路)-常陸那珂港北-東海阿漕ヶ浦-東海中央-東海南JCT(常磐道)
#***カニ22のこと。パンタ撤去等の改造受けてカニ25になった。
;八日市場支線
#寝台急行銀河で使われていた。当時の寝台急行としては破格の設備だった。
銚子中央JCT/IC(九十九里鹿島灘沿岸道路 本線)-銚子西-旭-匝瑳(八日市場方面への出入口のみ)-八日市場(銚子連絡道路)
#末期には12系客車(12系のシステムに合わせ20系を改造)と連結して急行・だいせんになった。
;鉾田支線
#*急行に転用後は「銀河」を除きヘッドマークに愛称が表示されず、単に「急行」と表示されていた。それが何か哀れだった。
鉾田東JCT/IC(九十九里鹿島灘沿岸道路 本線)-鉾田中央(鉾田市街方面への出入口のみ)-鉾田IC/JCT(東関東道)
#**転用の際、側面上部にあったクリーム帯が消された(他の2本の帯も白くなる)ので、ドラえもんの頭みたいな印象になった。
#スタイルそのものは14系や24系と比較してもスマートだと思う。
#実は手動ドア
#*急行転用の際に、併結相手の12系と一括操作できる自動ドアに改造される。
#*ただし自動施錠はできた。
#「[[夜行列車/は~わ行#みずほ|みずほ]]」(当時は東京~熊本・大分)の20系化の際、付属の大分編成が単独運行する区間(門司~大分)用の電源車が必要になり、急遽専用の電源車が用意された(マヤ20)。のちに「さくら」「あかつき」等にも使用。
#*何と32系客車からの改造。写真で見る限り外観は旧客当時の姿のまま。
#ナハネフ22とナハフ20の後尾は右半分を車掌室として使い、左半分が展望室として開放された。
#1988年に来日したオリエント急行の連結器変換アダプターとして、清算事業団で眠っていたナハネフ23 8が引っ張り出された。
#*これが北海道で営業した唯一の例。
#*こいつのプルマンカラーはなかなか似合っていた。


=====SA・PA=====
===24系===
;本線
[[画像:KT24-25-Hokutosei00.jpg|frame|[[浦和駅]]を通過する『北斗星』(24系25形)]]
片貝PA-さんむ南PA-中谷里PA-屏風ヶ浦SA-犬吠埼PA-神栖PA-鹿嶋北PA-涸沼旭PA-大洗SA-常陸那珂港PA-東海南PA
#ブルートレイン。
;八日市場支線
#*現在残っている、カシオペアを除くブルートレインの客車は全て24系。
匝瑳東PA
#グリーントレイン。
;鉾田支線
#*トワイライト用の24系は(青森までの)相方である[[国鉄の電気機関車#EF81形|EF81]]もろとも深緑のオリジナル塗装に塗り替えられた。
鉾田PA(鉾田東JCT/IC方面のみ設置)
#よく見ると1両背の低い車両がある。
#*東海道線や横須賀線が[[国鉄113系電車|113系]]だった頃のグリーン車に似た様なのがいたなぁ。
#*[[北斗星]]とトワイライトの真ん中あたりに連結されている食堂車がそれ。元は481系などの特急用電車からの転用。
#**たまには「なは」のレガートシート車(種車はサロ481)のことを思い出してあげてください。
#**当時は他の列車にオシ24が使用されていたので、仕方がなくサシ481形&サシ489形を改造した経緯がある。
#**トワイライト用の食堂車(ダイナープレヤデス)は元々日本海に連結する予定で改造されたものだった。なので最初は青地に銀帯の姿で登場している。
#金帯・銀帯・白帯。
#*どういうアレがあるのかは知らないけど、銀帯は早々に消滅。現存する北斗星とトワイライトは金帯で統一、[[夜行列車/あ・か行#あけぼの|あけぼの]]と[[夜行列車/は~わ行#日本海|日本海]]は金と白の混編成。
#**金帯=24系25形グレードアップ改造車。銀帯=24系25形(2段式寝台車で帯材はステンレス)。白帯=24系(3段式寝台車でオリジナル車だが2段式寝台に改造済み・帯は塗装)。もちろん混結可能。
#切妻の緩急車はなんとなく見栄えが悪い。特急型なのに切妻というのが何だかしっくり来ない。
#*切妻緩急車(オハネフ25-100)同士をつなぐと分割時に連結間隔が狭過ぎるのと方向限定せずにつなげられる車両が欲しいという理由で折妻の緩急車・オハネフ25-200も登場した。が、角度は申し訳程度。
#12系や14系とは混結できないが、九州では12系から電源をもらう形で混結列車が存在した。
#*はまなすも14系と24系が混結しているが、こちらは24系に14系との混結改造を施している。ただし24系については14系に編入されていない。
#おでこに前照灯をつけると[[阪急電鉄|阪急電車]]の顔になりそう。
#個室寝台車はさまざまな種類があり雑多。
#*特に北斗星用の車両は、JR東・北双方とも色々いててよくわからない。
#JR北海道のオハネフ25の中には、はまなす用のスハネフ14が不足したため、電源装置を取り付けて14系に編入した車両がある。
#元あけぼの用は小阪レールパークに保存中。
#*ハイケンスのセレナーデが聞けるどころか宿泊も可能。
#*子供の頃にブルトレに乗りたかったが、大人になる前に廃止になってショックを受けたならそこへ泊まりに行くことを推奨する。


===東海===
===50系===
====渥美半島道路====
[[画像:JNR50.jpg|thumb|240px|ローカル線のヌシ(当初予定)]]
[[自動車専用道路#知多半島道路|知多半島道路]][[自動車専用道路#南知多道路|南知多道路]]に対抗して渥美半島道路を作ろう。
#旧国鉄の客車の常識を打ち破る赤系統の塗色。レッドトレイン。
{{高速道路2|name1=豊橋|roma1=Toyohashi|name2=小坂井|roma2=Kosakai|num=2}}
#*旧型客車を置き換える目的で製造されたので、客が一目で新車だと判る色、汚れが目立ちにくい色、国鉄標準色にある色、と言う理由で赤2号になった。
{{高速道路2|name1=田原|roma1=Tahara|name2=赤羽根|roma2=Akabane|num=3}}
#**実は車体色にはもうひとつ候補の色があり、上のお偉いさんが赤色をボツにした場合は、緑色になる予定だった。
{{高速道路|name=渥美|roma=Atumi|num=4}}
#○ットン便所だった。
#*九州では末期はトイレの全面タンク式化で12系が併結されていた。
#*「海峡」用はさすがにタンク式に改造された。
#*一応、タンク式への準備工事はされていた。
#北海道用は51系。1-10番車は小型窓。車軸発電機がベルト駆動からギア駆動になった。
#*3ドアになったのがいた。
#[[北海道旅客鉄道|]][[西日本旅客鉄道|]][[四国旅客鉄道|3社]]ではディーゼルカーに改造されたり、[[ジョイフルトレイン/あ~さ行#アイランドエクスプレス四国|ジョイフルトレイン]]に改造されたり。[[東日本旅客鉄道|ここ]]では建築限界測定車になったり波乱万丈。
#*九州の車両は冷房改造された。冷房機は[[JR九州の車両#783系|ここ]]からの流用。1000番台に改番。
#*[[北海道旅客鉄道|ここ]]でも冷房改造されて、快速「海峡」に充当された。
#JRになってから扱いが悪くなった。そのせいで早くから廃車になった。
#*全て平成まで残ったが、初めて廃車が出たのは平成最初の年だった。その次の巳年(21世紀最初の年)に九州から撤退、その翌年に海峡線を最後に定期運用が全滅。
#**思えば登場した1977年も巳年だ。
#*JR化後に保線コスト削減や機回しによる停車時間をなくしたいことからSL専用編成を除き寿命より早く引退させてしまった。
#**日本では山々が多いため元々客車が似合わない国と指定されているらしい。
#*というか短編成・高頻度ダイヤを打ち出した国鉄末期の時点で客車列車はお荷物扱いされていたような…。
#1980年代前半までは[[福知山線]]でも運用されていたため、[[大阪市]]内でもその姿を見ることができた。
#*平成になっても東海道線で定期客車列車で走ってた(草津線乗り入れ運用の草津-京都)。
#原型車は荷物車・郵便車が残っている。用途は控車と救援車だけどね…。
#*真岡鉄道の車両は?塗装変わってるけど・・・
#通勤用の客車であるが、なぜか「一般形」に区分された。
#*国鉄では通勤形はロングシートと規定していたため。その一方で室内はセミクロスシートであるが、'''通勤形でも近郊形でもない'''車両であるため、一般形になった。
#**そのため、日本の客車には通勤形や近郊形がないとか。
#*正式な意味で一般形に区分される客車は50系が唯一の存在。
#**旧客のことを「一般形」と呼ばれることもあるが、こちらは明確な区分がなかったため、正式なものではなかった。
#自動ドアという点を除けば、旧型客車に近い。
#同時期に登場したキハ40系気動車との共通点が多い。
#実は当時の貨物列車削減によって、宙ぶらりんになった機関車(とその運転士)に仕事を与えるために造られた。
#*交流電化線区には417系を入れたかったが、交直流電車が高額すぎてやむなく50系を製造したのはそのため。
#*当時は労働組合が強かったので仕方ない。
#JR九州で現在活躍している[[ジョイフルトレイン/あ~さ行#SL人吉|SL]]の客車も実はこれの改造。九州唯一の本系列。
#*登場時はSLばんえつ物語のデビュー時と同じく茶色とクリームのツートンカラーで金色の装飾がされていた。
#**車内チャイムもハイケンスのセレナーデの転用はなくオリジナル曲。
#***今はもうすっかり真っ黒に塗り替えられた。
#仲間になるマニ50は真っ青(紺色に近い青)だった。一部は側面に「救援車」表記された。


;概要
==その他==
;第ゼロ区間
===マニ30===
[[新東名高速道路]]豊川市千両町から[[東名高速道路]]豊川市南千両町まで:豊川連絡路
#マニ30など、存在しない…。
;第一区間
#*一両だけとは言え、保存車両は存在していますが。
[[東名高速道路]]豊川インターから伊良湖岬まで(42号線バイパス)。
#近づくと、職質される事が多かったらしい。
;第二区間
#*ある雑誌に自作鉄道模型を掲載したところ、読者の1人でもある日銀関係者から聴取されたこともある。
伊良湖岬から[[中日本高速道路#伊勢自動車道]]伊勢インターまで。
#用途の関係上か、寝台や厨房と言った数日間の軟禁状態に耐えられそうな設備が備わっていた。
;第三区間
#初代と2代目があった。
伊良湖岬から南知多道路豊丘インターまで。
#*初代は35系ベース、2代目は50系ベース。
#荷物列車廃止後も現金輸送は継続されていたため、JR貨物に引き継がれた。


;インターチェンジなど
----
;第ゼロ区間
{{日本国有鉄道}}
#千両JCT
[[Category:日本国有鉄道の車両|きやくしや]]
#南千両JCT
#赤塚スマートインター(東名自動車道)
;第一区間
#豊川インター(東名自動車道)
#豊橋インター
#田原インター({{国道|東海|259}})
#渥美インター
#渥美PA
#伊良湖JCT
;第二区間
#伊勢インター(伊勢自動車道)
#鳥羽インター([[国道42号]])
#伊良湖SA(道の駅)
#伊良湖JCT
;第三区間
#豊丘インター(南知多道路)
#師崎インター([[国道247号]])
#伊良湖JCT
 
====駿河湾口道路====
*御前崎と石廊崎を結ぶ海底道路。
*採算性については疑問。
*2000m以上潜んなきゃならんが、技術的にいけるのか?
 
====浜名湖横断連絡道====
「浜名湖横断道路」を思いついたのだが、第三東名と現東名の連絡道路を兼ねると丁度いいのでこちらへ。<!--橋がメインなので、ルートで突っ込まないようにww-->
#ルート
#*「第三東名 湖西古見JCT」−「鷲津IC」−「村櫛IC」−「舘山寺IC」−「東名高速 浜松呉松JCT」
#**「第三東名 湖西古見JCT」は豊橋ICと湖西新居ICの中間。
#**「浜松呉松JCT」は東名高速 浜名湖SAと浜松西ICの中間、フラワーパークの北方。
#**「村櫛IC」−「浜松呉松JCT」間は、高規格一般道でもいいかも。(区間の大部分に良い道があるので、改良だけでいけそう)
 
====新弥富・名古屋港大橋====
*ルート:弥富JCT(伊勢湾岸自動車道接続)-(新弥富大橋)-ポートアイランド-(名古屋港大橋)-太田川
*#[[wikipedia:ja:名古屋三河道路|これ]]の一部じゃね?
 
====伊勢湾アクアライン====
{{高速道路|name=伊勢若松|roma=Ise-Wakamatsu<br><br>危険物積載車は<br>ここで出よ|num=10}}
*新名神高速道路が亀山JCTで唐突に途切れてる感があるので、東に伸ばしてみました。
;ルート
*額田JCT/IC(新東名高速道路) - 本宿JCT(東名高速道路) - 幸田IC - 西尾IC - 碧南PA/IC -(新衣浦トンネル) - 半田東IC - 半田中央JCT/IC(知多半島道路)- (セントレアライン) - セントレア東IC - (伊勢湾アクアトンネル) - 伊勢若松IC - 石薬師PA - 加佐登IC - 亀山JCT(新名神高速道路・東名阪自動車道)
**三重県並びに愛知県三河地方と中部国際空港のアクセス改善。関東-関西間の最短ルートでもある。
**新衣浦トンネルと伊勢湾アクアトンネルは水底トンネルのため危険物積載車輛は通行禁止。
*新名神は亀山西JCT(仮)から四日市JCTで伊勢湾岸道に接続(直結)するそうです。
 
====馬瀬トンネル有料道路====
*東海北陸道と国道41号を短絡する道路ってもうちょっとあっていいと思うので建設。
*国道472号の郡上市明宝郵便局附近をスタートとし、そこから東に向かってほぼまっすぐトンネルを掘り進み、下呂市馬瀬振興事務所附近で国道257号に接続する長大トンネル。高い確率で危険物積載車両は通行できなくなるのが難点か。
*これにより、郡上八幡ICが下呂市萩原町の最寄ICとなり、同ICの出口標識の表記も「郡上八幡 下呂 萩原」みたいな感じに変更される。
 
====三遠伊勢連絡道路====
{{高速道路|name=鳥羽|roma=Toba|num=44}}
[[画像:伊良湖岬SA.png|200px|right|thumb|伊良湖岬SA]]
{{高速道路2|name1=豊橋南|roma1=Toyohashi-minami|name2=新居|roma2=Arai|num=48}}
#伊勢ICから志摩半島、伊勢湾口、渥美半島、豊橋、三ケ日、東名に抜ける道路。
#起点を伊勢道伊勢ICとして、終点を東名・引佐連絡路三ヶ日JCTとする。
#規格は第1種第3級で、制限速度は60km/h。
#鳥羽から菅島を大橋で結び、菅島から伊良湖岬までは海底トンネルを通す。
;ルート
*42 - 伊勢(伊勢道)
*43 - 楠部(伊勢二川鳥羽ライン)
*44 - 鳥羽(国道42号)
*(大橋)
*PA - 菅島
*(海中トンネル)
*SA - 伊良湖岬
*45 - 渥美(国道42号)
*46 - 赤羽根(国道42号)
*47 - 田原(国道42号)
*48 - 豊橋南(国道23号)
*SA - 二川
*49 - 豊橋(国道1号)
*50 - 湖西(国道301号)
*51 - 三ケ日南(国道362号)
*17-1 三ヶ日(東名・引佐連絡路)
 
====奥三河自動車道====
<!--[[ファイル:豊田猿投.png|200px|thumb|lait|豊田猿投JCT]]
[[ファイル:香嵐渓.png|170px|thumb|lait|香嵐渓PA]]
[[ファイル:茶臼山高原.png|170px|thumb|lait|茶臼山高原SA]]-->
#東海環状道から、豊田山間部、根羽、豊根、水窪を経て三遠南信道へ至る道路。
#起点を東海環状道豊田勘八IC、豊田藤岡IC間に設置する'''豊田猿投JCT'''を起点とする。
#終点は三遠南信道水窪IC北に設置する水窪JCTを終点とする。
#規格は第1種第3級。制限速度は60km/h。
#この路線は複数のトンネルが必要になるが本項では省略する。
;ルート
*2-1- 豊田猿投(東海環状道)
* 2 - 枝下(猿投グリーンロード)
* 3 - 豊田藤岡東(国道153号)
* 4 - 豊田足助西(国道153号)
* 5 - 豊田足助(国道420号)
*PA - 香嵐渓
* 6 - 豊田足助東(愛知県道33号)
* 7 - 豊田稲武(国道257号)
* 8 - 根羽(愛知・長野県道10号)
*SA - 茶臼山高原
* 9 - 豊根(愛知・長野県道74号)
*10 - 豊根富山(愛知・静岡・長野県道1号)
*未定- 水窪(三遠南信道)
 
====西富士道路 川成延伸====
;ルート
伝法-富士駅北口(富士南JCT/IC方面への出入口のみ)-富士駅南口(新富士IC方面への出入口のみ)-新富士駅北口(富士南JCT/IC方面への出入口のみ)-新富士駅南口(新富士IC方面への出入口のみ)-富士南JCT/IC([[勝手に道路建設/中日本高速道路#伊豆環状自動車道|伊豆環状道]])
;SA・PA
なし
;トンネル
富士第一-富士第二
 
===知多渥美連絡道路===
#知多半島と渥美半島を連絡する地域高規格道路。
#*略称はなく、通称『三河湾道路(みかわわんどうろ)』で呼称される。
#道路規格は1種3級。全線4車線(片側2車線)整備で制限速度は80km/h。
#知多半島道路大高ICからインター番号を振る。
#インター名を改称するインターがある。
#日間賀島PA、篠島PAにはスマートインターを設置し、アクセス向上を図る。
#*どちらか一つはスマートインターだけになるかも。
;ルート
1大高IC - 2大府西IC - 3大府TB - 4大府PA - 5東海IC - 6東浦IC - 7阿久比IC - 阿久比PA - 8半田北IC/JCT(セントレアライン) - 9半田南IC - 10武豊IC/PA - 美浜PA - 11美浜北IC - 12美浜IC - 13古布IC - 14豊丘IC - 15南知多IC - 16師崎IC - 16-1日間賀島PA/SIC - 16-2篠島PA/SIC - 17渥美北IC - 18渥美JCT([[勝手に道路建設/中日本高速道路#東海外環自動車道|東海外環]])
 
===南アルプス縦貫自動車道===
{{高速道路|name=伊那高遠|roma=Ina-takato|num=7}}
国道152号の不通区間・カーブ連続区間の解消が目的。
;ルート
程野JCT/IC(三遠南信道 小川路峠道路)-程野北(辰野方面への出入口のみ)-大鹿南(程野方面への出入口のみ)-大鹿-大鹿北(辰野方面への出入口のみ)-伊那市野瀬(程野方面への出入口のみ)-伊那長谷(辰野方面への出入口のみ)-伊那高遠(程野方面への出入口のみ)-南箕輪-箕輪-遠州辰野JCT(中央道)
;SA・PA
大鹿PA-長谷南PA-高遠SA-箕輪PA
;トンネル
程野-大島河原-蛇洞-安康の露頭-深ヶ沢第一-深ヶ沢第二-勘馬沢-大沢-松下家-下青木-大鹿鹿塩-大鹿北-高森山-戸倉山-市野瀬-長谷-高遠城址-真福寺
 
※程野JCT/IC~伊那市野瀬は無料区間となる。
 
===北陸===
====新法恩寺山道路====
#ルート:福井県勝山市スキージャム入口(起点)-スキージャム勝山-(法恩寺山トンネル{距離約9km})-(美濃トンネル{距離約8km})-岐阜県白川村(終点)
#料金:全車両1000円
 
===近畿===
====新名神・京滋バイパス連絡道路====
大津JCTから笠取JCT(笠取ICと併設)まで結ぶ連絡道路。
*新名神の本線扱いってことでおk?
;ルート
*大津JCT-(新免トンネル)-大石PA-(南郷トンネル)-南郷-(新内畑トンネル)-(新二尾トンネル)-笠取JCT
**京滋バイパスで一番渋滞する宇治トンネルを回避できないから、結局新名神本線が必要になる。
 
====大阪湾アクアライン====
{{高速道路|name=関西空港|roma=Kansai-Airport|num=4}}
#関西空港IC・JCT-(海底トンネル)-PA(地上・前後2キロほど海上)-(海底トンネル)-神戸空港-(地上へ)-ポ-トアイランド-小野浜(ハーバーハイウェイ)-生田川JCT
#料金
#*普通車 3000円
#**貧乏人はおとなしく、阪高使えということですね。わかります。
 
====新びわ湖大橋====
#ルート:高島市安曇川~虎姫町
#*ルートは彦根~高島の方がいいんじゃ…。人口多いし。
#料金:全車両450円
#速度に関しては80km規制。
 
====琵琶湖大橋+湖西道路接続====
*湖西道路真野インター付近まで琵琶湖大橋を持ってくる。[[画像:ManoJCT.png|thumb|真野JCT]]
これにより湖西民は湖東に行きやすくなる(かも)
 
====加古川バイパス南北延伸====
*加古川バイパスと山陽道を連絡し、構想の出ている播磨臨海地域道路との連絡も図る。
*ルート:尾上JCT(播磨臨海道と接続) - 野口 - 加古川中央JCT(東播磨南北道路と接続) - 神野西 - 平荘湖 - 志方細工所 - 加古川北ICに接続
 
====明石海峡トンネル====
*明石海峡大橋のバックアップ路線用として新たに建設。
*明石港~松帆の浦 直線距離で約4km。
*通常時は歩行者・自転車・原付・125cc以下の二輪車専用道だが、非常時には大型トラックも走れるようにしておく。
*車道2車線で、トンネル両端に歩行者レーンと自転車レーンを設置。
*通行料 歩行者→無料 自転車→300円 原付→500円 125cc以下二輪車→600円
 
====琵琶湖東縦貫道路====
{{高速道路2|name1=彦根南|roma1=Hikone-Minami|name2=豊郷|roma2=Toyosato|num=2}}
*名神高速道路が近江盆地東縁の山沿いを東に膨らんで走っているので、彦根と栗東を琵琶湖岸の街を経由して直線的に結ぶ道路として整備する。
;ルート
*彦根JCT/IC - 彦根南IC - 安土西の湖SA/IC - 近江八幡IC - 野洲守山IC - 栗東JCT/IC
**名神の彦根IC-栗東IC間45kmに対し、総延長は約38㎞になる。
**名神の米原JCT - 彦根IC間も6車線化。彦根トンネルは現行の4車線分を上りのトンネルとし、新たに下り用の3車線のトンネルを掘る(東名の日本坂トンネルのような形)
**名神と違い平野部を走るため、多少は雪の影響も少なくなるかも?
**安土西の湖SAは上下集約型でハイウェイオアシスを併設。安土城をモチーフにして上下線の駐車場の境界に石垣を組んでその上に和風建築の休憩施設を設ける。休憩施設と駐車場はペデストリアンデッキで結び(高架駅前のバスターミナルのイメージ・デッキと駐車場の間は階段並びにエレベータで結ぶ)、SA内の歩車分離を徹底するとともに和風の雰囲気、フードコート・レストランのメニューにミニサイズを設定する、オストメイト対応トイレの充実など、「お年寄りに優しいSA」をアピールし、外出が億劫になっていたお年寄りを呼び込むとともに名神のSA・PAから客を奪い取る。
 
====大阪三重道路====
<!--{{高速道路2|name1=生駒北|roma1=Ikoma-Kita|name2=交野|roma2=Katano|num=12}}-->
*大阪市から三重県亀山市以南に向かう場合、自動車専用道路を通るとどうしても遠回りになるので作ってみました。
;ルート
*久居東IC - 久居JCT/IC(伊勢自動車道) - 雲出川PA - 大三IC - (青山トンネル) - 青山SA/IC - 名張IC - 五月橋JCT(名阪国道) - 月ヶ瀬PA/IC - 柳生IC - 笠置PA - 山城加茂IC - 木津東IC - 山田川JCT(京奈道路) - 精華西IC - 生駒SA - 生駒北IC - 四条畷IC - 門真東JCT(第二京阪道路)
 
===中国・四国===
====本四連絡橋新ルート====
[[瀬戸内海架橋計画]]参照。
 
====松江隠岐道路====
*松江市と隠岐の島町を結ぶ。
*ルート:美保関 - (日本海海底トンネル) - 知夫 - (知夫大橋) - 西ノ島PA - 浦郷 - 宇賀別府 - (西ノ島大橋) - 海士 - (中ノ島大橋) - (島後大橋) - 都万JCT - 都万 - 西郷 - 大久PA - 布施 - 中村(スマートIC) - 五箇 - 都万JCT
**都万JCT~都万JCTは環状線。
**竹島も結んじゃえ~ぃ。韓国と合戦だ!。
***竹島を結ぶんなら、堂々と「日本領竹島」ICと名付けよう。出来れば「日本竹島」SAもお願い。
*料金:距離制(浦郷~宇賀別府と都万JCT以降は無料)
*採算は完全無視。もし開通したら、おそらく日本一無駄な有料道路になるかも。
**一部の愛国者のおかげで成り立つかもしれないよ。
*美保関ICより前を(川津 - 本庄 - 美保関)として松江第五大橋と接続するというのもあり。
*休憩施設の設備
**西ノ島PA 給油施設(もちろん時間制限あり)、軽食施設、トイレ、自販機
**大久PA トイレと自販機のみ
*高速道路ではなく、R485のバイパスという位置づけ。
*最高速度は、美保関~都万JCTは100km/h。都万JCT以降は80km/h(トンネルやカーブが多いから)。
===九州===
====早崎瀬戸道路====
*天草市と南島原市を結ぶ
**PAの設置は困難そうだが・・・
====天草長島道路====
*戸島を経由する。
**PAも戸島に設置
***灯台ぐらいしかない無人島が一躍名所に
====名護湾アクアライン====
*沖縄県北部の本部半島への移動を効率化する。許田ICから本部町までを連絡
*自動車で沖縄県に来る人は那覇までの移動が楽になる。
 
==友好道路==
===日韓友好道路===
#そんなもの入らない。船で充分でしょ。
#ほしい。松江市~隠岐~竹島~ソウル(松江市民の単なる要望)
#*やはり、下関若しくは博多~対馬~釜山がよさげである。その道路においては、日本語と朝鮮語と英語が用いられ、たまに中国語やロシア語も用いられる。
#日本と韓国との間にあるものは憎悪だけだ国交などはいらない
#*台湾への日台友好道路の方がマシだ
#*個人的な偏見や憎悪を押し付けるのはご遠慮ください。
#**あなたはそれを韓国人に対しても面と向かっていえる?韓国人の方が日本に対する憎悪はきついよ。
#**「韓国人」を全て反日過激派と思い込んで一括りにし対立を強調…そんなことは虚しいことだと思いませんか?<!--こんな争いと同じくらい-->
#不法移民による治安悪化も怖いけど、なにより反日活動家がたくさんやってくるのが怖い。
#*そうだなあ。
#**デモとかおきたりしないかな。
#北朝鮮を通れるようになれば便利だけど・・・。今の状態じゃ韓国にはいけても中国に出られないからなあ。
#*だったら、黄海を突っ切って青島あたりまでなら大丈夫かも知れない。
 
===日露友好道路===
#通行料=1500円(日本からサハリンへ)1000ルーブル(サハリンから日本へ)
#ルート
#*上記の稚内北ジャンクション、コルサコフインター、ホムルスクインター、ユジノサハリンスクインター、敷香インター
#*ルート1:稚内北IC~大泊IC~豊原IC~敷香IC~間宮口JCT~間宮IC(ここまで日本領)~ラザレフ
#**[[#ベーリング海峡友好道路|ベーリング海峡友好道路ラザレフ線]]に接続。
#*ルート2:白糠JCT~標津IC~泊西IC~紗那IC~占守IC(ここまで日本領)~南カムチャッカ
#**南カムチャツカ以北は[[カムチャツカ]]半島を北上し、カメンスコエで[[#ベーリング海峡友好道路|ベーリング海峡友好道路]]に接続。
#当然、パスポートが必要。
#間宮IC・占守ICの出国方面で検問
#*ロシアは建設中に限って、日本領とさせるだろう。
 
===ベーリング海峡友好道路===
#[[もしベーリング海峡ダムが建設されたら‎|ベーリング海峡ダム]]の上を通る道路を含む、新大陸と旧大陸を結ぶ友好道路。
#*[[勝手に鉄道建設/日本国外・国際線#ベーリング鉄道‎|ベーリング鉄道]]と並行して走る幹線道路でもある。
#ルート
#*フェアバンクス~ノーム~ウェールズ~ウェレン~プロビデニヤ~アナドィリ~カメンスコエ~[[極東連邦管区#マガダン|マガダン]]~[[ハバロフスク#オホーツク|オホーツク]]~チュミカン~ニコラエフスクナアムーレ(本線)
#**フェアバンクスでは同市を基点とする南北アメリカ大陸の国々を結ぶ史実の幹線道路網・パンアメリカンハイウェイに接続。また[[アラスカ#アンカレッジ|アンカレッジ]]方面やバロー方面に向かう道路も分岐(どちらとも実在する道路だが、バロー方面は史実ではプルドーベイ止まり)。
#**ウェールズ~ウェレン間はベーリング海峡ダムの上を通る。
#**カメンスコエから[[極東連邦管区#カムチャツカ|カムチャツカ半島]]方面に向かう道路を分岐し、[[#日露友好道路|日露友好道路ルート2]]に接続。
#**マガダンからヤクーツク方面に向かう史実のコリマ国道を分岐。
#**ニコラエフスクナアムーレから2つの道路に分岐する。
#***ニコラエフスクナアムーレ~コムソモリスクナアムーレ~[[ハバロフスク]](ハバロフスク線)
#***ニコラエフスクナアムーレ~ラザレフ(ラザレフ線)
#***ハバロフスク線は史実の幹線道路網・アジアハイウェイ30号線に接続、ラザレフ線は[[#日露友好道路|日露友好道路ルート1]]に接続。
#パンアメリカンハイウェイやアジアハイウェイ、日露友好道路との接続の関係から本線・ハバロフスク線・ラザレフ線のいずれも高速道路となる。
#*但しルート付近にある都市・町村・集落の住民の生活にも使用するため、並行して歩行者や軽車両も通れる生活道路を建設する。
#日本はロシアを通じてアメリカやカナダとも陸続きになる。
 
==一般道==
===関東===
====環状八号線東進====
;ルート
*新荒川大橋 - (国道122号線共用) - 志茂4丁目 - (荒川に架橋) - 川口市領家5丁目(レンゴー東京工場付近) - 首都高川口線下層部 - 舎人公園 - 竹ノ塚駅北方 - 六ツ木 - 八潮市古新田 - (架橋) - 水元5丁目 - (都道307号線拡幅) - 金町駅付近 - 新柴又駅 - JR小岩駅東方 - 小岩消防署 - 鎌田小学校 - (旧江戸川に架橋) -  行徳駅 - 市川市千鳥町
*葛飾区・江戸川区部分代替案:金町6丁目 - (都道451号線拡幅) - 金町浄水場裏 - 京成江戸川駅付近 - 篠崎公園 - ポニーランド - (都道450号線拡幅) - 王子板紙 - 東篠崎町2丁目
**環七と国道298号線/東京外環道の間を埋める基幹道路として整備。
**環七との距離が近接するため一部埼玉県と千葉県を経由。
**金町浄水場~柴又帝釈天周辺の拡幅と京成金町線の処理が課題。
*第3案:赤羽岩淵駅-(国道122号線・岩槻街道)-川口元郷駅-南平公民館前交差点-(埼玉県道・東京都道104号川口草加線)-見沼大親水公園駅-谷塚駅-吉町五丁目交差点-(埼玉県道54号松戸草加線)-八潮駅-戸ヶ崎交差点-(埼玉県道67号葛飾吉川松伏線)-水元五丁目交差路-(東京都道307号王子金町江戸川線)-金町駅-(柴又街道)-南篠崎二丁目-(江戸川架橋)-行徳駅-塩浜三丁目・市川塩浜駅
*第4案:赤羽岩淵駅-(国道122号線・岩槻街道)-川口元郷駅-南平公民館前交差点-(埼玉県道・東京都道104号川口草加線)-舎人駅-竹ノ塚駅-水元-水元そよかぜ園前交差点-(東京都道307号王子金町江戸川線)-金町駅-(柴又街道)-南篠崎二丁目-(江戸川架橋)-行徳駅-塩浜三丁目・市川塩浜駅
 
===近畿===
====南港通延伸====
*現行の都市計画では南港通は平野区平野東付近から北にカーブして加美駅方面に向かう計画。
*これをまっすぐ東に伸ばし、加美福井戸交差点で中央環状線と接続。
*加美福井戸交差点では久宝寺駅前の再開発地区のメイン道路とも接続できる。
 
====松虫通延伸====
*松虫通を東端となっている平野警察署西交差点をオーバークロスして東に延伸する。
*JR大和路線もオーバークロスし、平野駅付近から西久宝寺交差点を経由して久宝寺中学校東交差点に至る道路に接続する。
*近畿道八尾ICから大阪市南部地域へのメインルートと位置付け、平野警察署西-西久宝寺間は片側2車線に拡幅する。
 
==関連項目==
*[[勝手に道路建設/高速道路]]
**[[勝手に道路建設/都市高速道路]]
*[[勝手に道路建設/一般道]]
*[[勝手に道路建設/標識一覧]]
*[[もし勝手に交通整備のあの計画が実現するとしたら#勝手に道路建設|もし勝手に道路建設の道路が本当に開通したら]]
 
[[Category:勝手に道路整備|けんせつ]]
[[Category:勝手に道路建設|*]]

2019年5月2日 (木) 11:53時点における版

旧型客車

  1. 実は、系列という概念がない。
  2. 正式な呼び方ではないらしい。
    • 国鉄の現場で20系以降の客車と区別するために便宜的に呼んでいたそうだ。それが鉄道ファンにも広まった。
  3. 新車の投入は優等列車が優先された。
    • 普通列車には優等列車からのお下がり、もしくは60系客車。
  4. 10系以前の客車には「急行形」「一般形」といった明確な区分がなかった。
    • 普通車に至っては登場時は急行で使用され、後継車が登場すると普通列車にも使用されるようになっていた。
    • 現場では「一般形」と呼ばれていたが、正式な車両区分ではなかった。
  5. 新造時の室内灯が白熱灯か蛍光灯かで形式が変わる。
  6. 実は、運転停車という概念がない。
    • 機関車連結や交換待ちなどの間にも手動ドアを開けて乗降できた。
      • そのため単線区間の長い幹線で優等列車停車歴のない駅は少数派。
      • 北陸本線田村-敦賀が交流電化された際、それまでは区間運転の気動車普通しか停車しなかった田村駅が急行列車も停車する駅になったのは、田村駅で機関車の交換を行っていたため。

10系

  1. 軽量構造を始めて採用し、「軽量客車」と呼ばれた。
    • 実際にはそれ以前の旧型客車と混用されたため、本形式も広い意味では旧型客車に入る。
      • 車体や台車こそ近代的になったが、ブレーキや連結器、暖房、電気配線などといった設備は従来のものを踏襲した。
  2. 同時期に製作された末期の旧型国電の車体は10系をベースにしている。
    • 新性能電車の車体のベースにもなっている。
    • 同じ1956年登場のキハ55系も。
  3. 寝台車、座席車(普通車、グリーン車)、食堂車、郵便車がいた。
    • 食堂車には石炭コンロを使うものと電子レンジを使うものがあった。
    • 郵便車には50系もどきの車両もあった。
  4. 北陸トンネルでの火災の原因は食堂車の石炭コンロが原因と言われていたが、実際は電気系統の火災だった。
    • そのせいで食堂車の使用は中止された。
  5. 軽量構造ゆえに腐食が早く、早くから廃車になる車両も現れた。
    • グリーン車に至っては早い時期に形式消滅。
      • 電気暖房がなかったため、早期廃車された。
        • 1970年10月、大阪万博輸送を終えた12系客車や165系電車が10系の置き換えに回された。
    • そのせいで1世代前の43系が多く生き残っていた。
    • 寝台車はそこそこ末期まで残っていたが、設備のしショボさは否めず…。
      • 寝台車は老朽化の元凶となった下降窓を採用していたが、それでも長く使われた。
        • 通路側の折りたたみ椅子がないため、寝台セット・解体時などに立っている客への配慮らしい。
          • そうする位なら上昇式にして椅子を設ければ良かった気もするが。
    • 火災実験のために廃車となった車両もある。
  6. 車体構造はスイス国鉄の軽量客車をモチーフとしている。なのでヨーロピアンなデザインになった。
  7. 実はJR化後も普通車が残っていた。
    • しかも平成になった時点でも残っていた。10系グリーン車廃車から15年以上過ぎたにも関わらず。
      • JR東日本に工場入場用の控車代用として継承されたものだが、末期はほとんど使われなかった。
  8. 実は20系以降の客車と並行して製造されている。
    • 郵便車については1980年代まで製造されていた。
      • 50系もどきになっていたが。なんで10系を名乗り続けたのかはまあアレだ(所有者が郵政省だったちうのも含め)。

30・31系

  1. 日本で初めて造られた鋼体車両。
  2. KATOで初めて製品化された客車もこれ。
    • 昔の技法を基準としている為ライト点灯化されたものはない。
    • オハフ30は製品化してくれないため自己責任。

32系

  1. 戦前に作られた狭小窓の客車。
  2. 初期はWルーフ、後期は丸屋根。
    • Wルーフ車は昭和30年代にオハネ17や荷物車・職用車への改造種車となって比較的早い時期に姿を消した。
  3. 本州以南ではのちの35形に切り替えられたが北海道では二重窓の関係か32系を延々に作り続けていた。
    • 室蘭本線のC57135の最終SL普通列車にも活躍していた。
    • 山口線もビデオでD51に引かれている映像を映し出されていた。
  4. 今では動態・静態ともにスハフ32の丸屋根しか現存しない。
    • JR東日本のみ動態保存中。静態は小金井公園で貴婦人様(汽笛なし)の後。
    • かつては福岡の貝塚公園にキューロクと共に静態保存されていたスハ32がいたが、解体されて20系に置き換えられてしまった。

35系

  1. 戦前から戦後一貫で製造された大窓の客車
  2. 戦前は丸屋根、戦後はキノコ切妻。
    • 戦前型のなかにはノーシル・ノーヘッダーや張り上げ屋根の試作車も結構あった。
  3. 今でも大井川鐵道のSLに使っている。
    • パレオエクスプレスでもこれの戦後型が使われていたが、12系化後は北海道に譲渡された。
  4. スハ42形もこいつの仲間。
    • 乗り心地向上のために台車変更され、別形式になったもの。スハ43系登場までのつなぎだった。
    • 一部は軽量化改造を受けてオハ36形になった車両もあったが、電気暖房を設置したらスハ級に戻ってしまった。
  5. Wikipediaに載るのが比較的遅かった。
  6. 2017年という時代にJR西日本が新造した。

43系

オハ47 2261
  1. 戦後の急行型客車。
    • 確かに急行列車に使用された実績はあるが、正式な意味での急行形ではない。なお、国鉄の現場では一般形と呼んでいたが、こちらも正式な呼び方ではない。したがって、当形式には正式な急行形でも一般形でもないため、旧客には明確な車両区分が存在しない。
  2. 外観は61系と似ているが窓はそれより大きい。
  3. 北海道では45系として二重窓で製造された。
  4. 近代化の際には蛍光灯化や青15号化された車両も出ていた。
  5. 今ではJR東日本大井川鐵道でSL列車の客車に使われている。
    • かつては秩父鉄道のSL急行「パレオエクスプレス」にも使われていたが、12系化後にJR北海道に行った。
      • 2014年度のSL減便後はその行方が分からない。
  6. 銀河鉄道999の999号の客車もこれがモデルだ。

60系

オハニ36 11
  1. 木造客車を鋼製化したもの。
    • 「鋼製化」は戦前に木造客車を鋼製客車へ改造したことを差し、戦後に行われた木造客車の60系への改造は「鋼体化」と呼んで区別されている。
  2. 旧型客車の定期運用として最後まで残った。
  3. 冷房改造やリクライニングシートを装備してグリーン車に生まれ変わった車両やここからさらにお座敷車両に改造された車両も存在した。
    • 気動車に改造された車両もあった。
  4. 製造のきっかけは八高線
    • 「木造車体はなんとかしねえとやべえなあ」とは判っていたらしいがカネが出なかった。
    • なんとかする方法も新車ではなく、国鉄工場で改造。
    • 当時日本を統治していたGHQが、国鉄に新車の製造許可をなかなか出さなかったので、新車を製造したくても出来なかった。
      • 国鉄職員がCTSの担当者をラッシュ時の両国駅に連れていき、ボロボロになった木造客車に乗客が寿司詰め状態になっている悲惨な状況を見学させて、ようやく鋼体化改造としての製造許可を貰えた。
  5. まだ現役のオハニ36も60系客車のうちだが、分類上だけに近い。
    • 特急かもめに使ったので客室は60系では例外のグレード。
    • 登場時はオハニ63で台車も他車同様だったため、乗り心地が悪く、10系と同タイプの台車に履き替えた。
  6. いらなくなった木造車体は都営住宅になったらしい…。
  7. 関西本線でもデゴイチ等に引かれて大活躍。
  8. グリーン車もいたが新製車はゼロ。オハ61からの改造。冷房改造した車両は重量増の為スロ62・スロフ62と別形式起こされ、電気暖房併設改造車は2000番代と新番代起こされた。
    • 「〇〇(配置基地の電略)和式」といわれる81系客車もスロ62からの改造。老朽化進行と12系改造車に置き換わる形で廃車。
  9. 最多の製造をしたのは今は亡き高砂工場…ではなく、苗穂工場。

70系

  1. 戦後の車両不足に対処するため、戦災で被災した車両を復旧させた客車。
    • 元々客車だった車両だけでなく、電車の被災車を改造したのもあった。
  2. 客室は基本的にロングシートであった。
  3. そのグレードの低さから本来の客車が行き届くと早いうちに荷物車に改造された。
    • さらに荷物車にも後継車が登場すると救援車に転用されてしまった。
  4. JR東日本に1両だけ引き継がれ、他の旧客とともにイベント列車で使用されたが、末期はあまり使用されなかった。
    • フリースペースとして使われていた。

新系列客車

12系

  1. 電源分散方式を初めて採用した。スハフ12にディーゼル発電機搭載。
  2. 旧客(10系まで)とも混結可能。座席車が12系、寝台車が10系の混結列車もあった。
    • きたぐにに至っては普通車が12系でグリーン車が旧客という、グリーン車の方が乗り心地で劣っていた。
  3. 14系のベースになった。混結可能。
    • 実際に12系と14系の混結列車が設定されたは1980年代以降からだった。
      • それ以前は14系が特急用とされていたため、寝台車には20系の改造車が使われていた。
      • 九州では12系と24系の混結列車があった。
  4. 14系座席車が登場するまでは特急にも使われた。
  5. 国鉄末期にはジョイフルトレインや普通列車用に改造された車両も現れた。
    • 中には気動車に改造された車両までもあった。
  6. JRになってから扱いが悪くなり、廃車になる車両も多かった。オリジナルで残る車両も残り少ない。
    • 中には海外に譲渡されたものが結構いた。
  7. 実は大阪万博が登場のきっかけだった。
  8. 同時期に登場したキハ65系と設計上の共通点が多い。
  9. 何気にSL列車によく使用されているような気がする。
    • 車両の特徴上、使い勝手が非常に良いのでSL列車の使用客車としては一番重宝されている。
      • しかしながらも老朽化が深刻化しているので、各鉄道会社もこれに頭を抱えている状況。
  10. 通勤車化されたものは、乗務員室の扉が設置されたり白帯が撤去されたりしていた。こちらは短命に終わった。
  11. 各中小私鉄に譲渡されたものもあった。
    • わたらせ渓谷鐵道のトロッコ列車や秩父鉄道のSL「パレオエクスプレス」など。
    • 若桜鉄道にもC12が牽引するSL列車に使う予定の客車として納車された。
      • こちらは元ムーンライト高知の客車だった。
  12. トイレ付近の屋根にハッチがある。これは車両製造の際、車体組み立て後に、屋根からトイレユニットを搬入するために設けられたもの。
  13. 1969~72年に製造され、10系客車の早期廃車を促した形式。
    • いや、1978年まで増備された。最終期の車両は前面窓の幅が狭く細長いのが特徴。
  14. 1989(平成1)年2月時点では残存率100%だった。
  15. オリジナルの方向幕には本州・九州の主要な駅名が一通り入っている。

14系

スハネフ14 27
  1. 寝台車と座席車がいた。混結可能。
    • はまなす
    • ふるさとライナー山陰も運転日によっては混結されていた。
  2. 電源分散方式といって20系や24系みたいな電源車がいなかった。スハフ14とスハネフ14にディーゼル発電機搭載。
    • 北陸トンネルの大参事がトラウマになって、分散発電から電源車を用いた集中電源方式にシフトしていったというのは有名な話。
    • 流石に「さくら」など行先が二手に分かれる列車は電源車方式には戻せず、最期まで14系が使われた。
    • それどころか本来14系である必要ない筈の「北星」「北陸」等の20系からの置き換えにも使われた。造り過ぎた?
  3. デビュー順は20系→14系→24系。
    • その後24系25型→14系15型と回帰とまではいかないものの火災対策を強化した上で併結運用のため製造再開。
  4. ゴルゴム式に改造を受けて、ジョイフルトレインに生まれ変わった客車多数。
    • 中には個室寝台車に改造され、「北斗星」などに運用されている車両もある。大出世もいいとこだ。
      • その中には座席車から個室寝台車に改造された車両もある。車体はほとんど新製した。
  5. 一応特急型であるが、実際には夜行の急行列車などでよく運用されていた。
  6. B寝台を2段式寝台にした14系15形も造られたが、何故か「あかつき」にしか投入されなかった。
  7. 引退後にタイフィリピンに渡った車両もいる。
    • フィリピンへ行った車両の窓には投石対策として鉄格子が装着されていた気がする。
  8. 座席車の車体構造は183系を基にしている。
  9. 北海道のSLに使われている客車はこれ。
    • 塗装は茶色に赤帯の2代目三等車色であった。
  10. 過去には東でもC58に引かれていた時期もあった。
  11. 食堂車や2段式A寝台のように24系になったものや2段式B寝台、個室A寝台(シングルデラックス) 個室B寝台(ソロ)のように24系から編入されたものもある。
    • このほか個室B寝台、ロビーカーに改造されて転用されたものも。
    • 編入するに当たっては配管や配線変更必要だが、主に床下方面でのことなので外観・内装は目立った変化がない。編入改造ついでに古くなった内装板張替え程度はあったようだが、それとてさしたる改造とはいえない。
  12. 15型はJR九州にもいたが86年のあかつきの減車、減便での転用だった。
  13. あかつきのシングルデラックス(オロネ14-300番台)は24系に組み込み事が出来る。
    • 14系の1系統24系の2系統といった給電方式の違いがあるがオロネ14-300には切り替えるスイッチがあり、それを使うことによって24系に組み込むことができる。
    • そのためJR西日本車の日本海などに連結されいたことがある。
    • 四国にも14系が在籍するが東武鉄道に譲渡予定である。
      • 東武に行ったものは3両編成になり、SL(DL)大樹として運行されている。
        • また、東武に行ったものの中には一度部品取り指定を食らったもの(オハ14-505)がいるが、最近復活した。

20系

交通科学博物館に保存されている食堂車
  1. 列車ホテル。
  2. 軽量化が図られている割には、どっしりした印象がある。
    • パンタグラフが付いている異質な感じのする電源車があったけれど、重すぎで早々にパンタの撤去と中身の改造を受けるハメになってしまった。最終的には24系に組み込まれた。
      • その重さ何と64t。中型機関車並み。
        • カニ22のこと。パンタ撤去等の改造受けてカニ25になった。
  3. 寝台急行銀河で使われていた。当時の寝台急行としては破格の設備だった。
  4. 末期には12系客車(12系のシステムに合わせ20系を改造)と連結して急行・だいせんになった。
    • 急行に転用後は「銀河」を除きヘッドマークに愛称が表示されず、単に「急行」と表示されていた。それが何か哀れだった。
      • 転用の際、側面上部にあったクリーム帯が消された(他の2本の帯も白くなる)ので、ドラえもんの頭みたいな印象になった。
  5. スタイルそのものは14系や24系と比較してもスマートだと思う。
  6. 実は手動ドア
    • 急行転用の際に、併結相手の12系と一括操作できる自動ドアに改造される。
    • ただし自動施錠はできた。
  7. みずほ」(当時は東京~熊本・大分)の20系化の際、付属の大分編成が単独運行する区間(門司~大分)用の電源車が必要になり、急遽専用の電源車が用意された(マヤ20)。のちに「さくら」「あかつき」等にも使用。
    • 何と32系客車からの改造。写真で見る限り外観は旧客当時の姿のまま。
  8. ナハネフ22とナハフ20の後尾は右半分を車掌室として使い、左半分が展望室として開放された。
  9. 1988年に来日したオリエント急行の連結器変換アダプターとして、清算事業団で眠っていたナハネフ23 8が引っ張り出された。
    • これが北海道で営業した唯一の例。
    • こいつのプルマンカラーはなかなか似合っていた。

24系

浦和駅を通過する『北斗星』(24系25形)
  1. ブルートレイン。
    • 現在残っている、カシオペアを除くブルートレインの客車は全て24系。
  2. グリーントレイン。
    • トワイライト用の24系は(青森までの)相方であるEF81もろとも深緑のオリジナル塗装に塗り替えられた。
  3. よく見ると1両背の低い車両がある。
    • 東海道線や横須賀線が113系だった頃のグリーン車に似た様なのがいたなぁ。
    • 北斗星とトワイライトの真ん中あたりに連結されている食堂車がそれ。元は481系などの特急用電車からの転用。
      • たまには「なは」のレガートシート車(種車はサロ481)のことを思い出してあげてください。
      • 当時は他の列車にオシ24が使用されていたので、仕方がなくサシ481形&サシ489形を改造した経緯がある。
      • トワイライト用の食堂車(ダイナープレヤデス)は元々日本海に連結する予定で改造されたものだった。なので最初は青地に銀帯の姿で登場している。
  4. 金帯・銀帯・白帯。
    • どういうアレがあるのかは知らないけど、銀帯は早々に消滅。現存する北斗星とトワイライトは金帯で統一、あけぼの日本海は金と白の混編成。
      • 金帯=24系25形グレードアップ改造車。銀帯=24系25形(2段式寝台車で帯材はステンレス)。白帯=24系(3段式寝台車でオリジナル車だが2段式寝台に改造済み・帯は塗装)。もちろん混結可能。
  5. 切妻の緩急車はなんとなく見栄えが悪い。特急型なのに切妻というのが何だかしっくり来ない。
    • 切妻緩急車(オハネフ25-100)同士をつなぐと分割時に連結間隔が狭過ぎるのと方向限定せずにつなげられる車両が欲しいという理由で折妻の緩急車・オハネフ25-200も登場した。が、角度は申し訳程度。
  6. 12系や14系とは混結できないが、九州では12系から電源をもらう形で混結列車が存在した。
    • はまなすも14系と24系が混結しているが、こちらは24系に14系との混結改造を施している。ただし24系については14系に編入されていない。
  7. おでこに前照灯をつけると阪急電車の顔になりそう。
  8. 個室寝台車はさまざまな種類があり雑多。
    • 特に北斗星用の車両は、JR東・北双方とも色々いててよくわからない。
  9. JR北海道のオハネフ25の中には、はまなす用のスハネフ14が不足したため、電源装置を取り付けて14系に編入した車両がある。
  10. 元あけぼの用は小阪レールパークに保存中。
    • ハイケンスのセレナーデが聞けるどころか宿泊も可能。
    • 子供の頃にブルトレに乗りたかったが、大人になる前に廃止になってショックを受けたならそこへ泊まりに行くことを推奨する。

50系

ローカル線のヌシ(当初予定)
  1. 旧国鉄の客車の常識を打ち破る赤系統の塗色。レッドトレイン。
    • 旧型客車を置き換える目的で製造されたので、客が一目で新車だと判る色、汚れが目立ちにくい色、国鉄標準色にある色、と言う理由で赤2号になった。
      • 実は車体色にはもうひとつ候補の色があり、上のお偉いさんが赤色をボツにした場合は、緑色になる予定だった。
  2. ○ットン便所だった。
    • 九州では末期はトイレの全面タンク式化で12系が併結されていた。
    • 「海峡」用はさすがにタンク式に改造された。
    • 一応、タンク式への準備工事はされていた。
  3. 北海道用は51系。1-10番車は小型窓。車軸発電機がベルト駆動からギア駆動になった。
    • 3ドアになったのがいた。
  4. 3社ではディーゼルカーに改造されたり、ジョイフルトレインに改造されたり。ここでは建築限界測定車になったり波乱万丈。
    • 九州の車両は冷房改造された。冷房機はここからの流用。1000番台に改番。
    • ここでも冷房改造されて、快速「海峡」に充当された。
  5. JRになってから扱いが悪くなった。そのせいで早くから廃車になった。
    • 全て平成まで残ったが、初めて廃車が出たのは平成最初の年だった。その次の巳年(21世紀最初の年)に九州から撤退、その翌年に海峡線を最後に定期運用が全滅。
      • 思えば登場した1977年も巳年だ。
    • JR化後に保線コスト削減や機回しによる停車時間をなくしたいことからSL専用編成を除き寿命より早く引退させてしまった。
      • 日本では山々が多いため元々客車が似合わない国と指定されているらしい。
    • というか短編成・高頻度ダイヤを打ち出した国鉄末期の時点で客車列車はお荷物扱いされていたような…。
  6. 1980年代前半までは福知山線でも運用されていたため、大阪市内でもその姿を見ることができた。
    • 平成になっても東海道線で定期客車列車で走ってた(草津線乗り入れ運用の草津-京都)。
  7. 原型車は荷物車・郵便車が残っている。用途は控車と救援車だけどね…。
    • 真岡鉄道の車両は?塗装変わってるけど・・・
  8. 通勤用の客車であるが、なぜか「一般形」に区分された。
    • 国鉄では通勤形はロングシートと規定していたため。その一方で室内はセミクロスシートであるが、通勤形でも近郊形でもない車両であるため、一般形になった。
      • そのため、日本の客車には通勤形や近郊形がないとか。
    • 正式な意味で一般形に区分される客車は50系が唯一の存在。
      • 旧客のことを「一般形」と呼ばれることもあるが、こちらは明確な区分がなかったため、正式なものではなかった。
  9. 自動ドアという点を除けば、旧型客車に近い。
  10. 同時期に登場したキハ40系気動車との共通点が多い。
  11. 実は当時の貨物列車削減によって、宙ぶらりんになった機関車(とその運転士)に仕事を与えるために造られた。
    • 交流電化線区には417系を入れたかったが、交直流電車が高額すぎてやむなく50系を製造したのはそのため。
    • 当時は労働組合が強かったので仕方ない。
  12. JR九州で現在活躍しているSLの客車も実はこれの改造。九州唯一の本系列。
    • 登場時はSLばんえつ物語のデビュー時と同じく茶色とクリームのツートンカラーで金色の装飾がされていた。
      • 車内チャイムもハイケンスのセレナーデの転用はなくオリジナル曲。
        • 今はもうすっかり真っ黒に塗り替えられた。
  13. 仲間になるマニ50は真っ青(紺色に近い青)だった。一部は側面に「救援車」表記された。

その他

マニ30

  1. マニ30など、存在しない…。
    • 一両だけとは言え、保存車両は存在していますが。
  2. 近づくと、職質される事が多かったらしい。
    • ある雑誌に自作鉄道模型を掲載したところ、読者の1人でもある日銀関係者から聴取されたこともある。
  3. 用途の関係上か、寝台や厨房と言った数日間の軟禁状態に耐えられそうな設備が備わっていた。
  4. 初代と2代目があった。
    • 初代は35系ベース、2代目は50系ベース。
  5. 荷物列車廃止後も現金輸送は継続されていたため、JR貨物に引き継がれた。

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