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==旧型客車==
==キハ01系==
#実は、系列という概念がない。
#国鉄が開発したちっちゃくてかわいいレールバス。
#正式な呼び方ではないらしい。
#*高さがキハ07の4分の3ぐらいしかなかった。
#*国鉄の現場で20系以降の客車と区別するために便宜的に呼んでいたそうだ。それが鉄道ファンにも広まった。
#アクセルペダルがついていた。
#新車の投入は優等列車が優先された。
#ワンマン運転可能だったが、組合が反対して実現できなかった。
#*普通列車には優等列車からのお下がり、もしくは60系客車。
#10系以前の客車には「急行形」「一般形」といった明確な区分がなかった。
#*普通車に至っては登場時は急行で使用され、後継車が登場すると普通列車にも使用されるようになっていた。
#*現場では「一般形」と呼ばれていたが、正式な車両区分ではなかった。
#新造時の室内灯が白熱灯か蛍光灯かで形式が変わる。
#実は、運転停車という概念がない。
#*機関車連結や交換待ちなどの間にも手動ドアを開けて乗降できた。
#**そのため単線区間の長い幹線で優等列車停車歴のない駅は少数派。
#**北陸本線田村-敦賀が交流電化された際、それまでは区間運転の気動車普通しか停車しなかった田村駅が急行列車も停車する駅になったのは、田村駅で機関車の交換を行っていたため。


===10系===
==キハ08系==
#軽量構造を始めて採用し、「軽量客車」と呼ばれた。
#気動車不足に対応するため、60系客車から改造された。
#*実際にはそれ以前の旧型客車と混用されたため、本形式も広い意味では旧型客車に入る。
#元々はキハ40・45系として登場した。
#**車体や台車こそ近代的になったが、ブレーキや連結器、暖房、電気配線などといった設備は従来のものを踏襲した。
#キクハ・キサハまでも製作されたが、使い勝手の悪さから早期に廃車となった。
#同時期に製作された末期の旧型国電の車体は10系をベースにしている。
#保存車両が存在する。
#*新性能電車の車体のベースにもなっている。
#*同じ1956年登場のキハ55系も。
#寝台車、座席車(普通車、グリーン車)、食堂車、郵便車がいた。
#*食堂車には石炭コンロを使うものと電子レンジを使うものがあった。
#*郵便車には50系もどきの車両もあった。
#北陸トンネルでの火災の原因は食堂車の石炭コンロが原因と言われていたが、実際は電気系統の火災だった。
#*そのせいで食堂車の使用は中止された。
#軽量構造ゆえに腐食が早く、早くから廃車になる車両も現れた。
#*グリーン車に至っては早い時期に形式消滅。
#**電気暖房がなかったため、早期廃車された。
#***1970年10月、大阪万博輸送を終えた12系客車や165系電車が10系の置き換えに回された。
#*そのせいで1世代前の43系が多く生き残っていた。
#*寝台車はそこそこ末期まで残っていたが、設備のしショボさは否めず…。
#**寝台車は老朽化の元凶となった下降窓を採用していたが、それでも長く使われた。
#***通路側の折りたたみ椅子がないため、寝台セット・解体時などに立っている客への配慮らしい。
#****そうする位なら上昇式にして椅子を設ければ良かった気もするが。
#*火災実験のために廃車となった車両もある。
#**[[北海道]]の方で。
#車体構造はスイス国鉄の軽量客車をモチーフとしている。なのでヨーロピアンなデザインになった。
#実はJR化後も普通車が残っていた。
#*しかも平成になった時点でも残っていた。10系グリーン車廃車から15年以上過ぎたにも関わらず。
#**JR東日本に工場入場用の控車代用として継承されたものだが、末期はほとんど使われなかった。
#実は20系以降の客車と並行して製造されている。
#*郵便車については1980年代まで製造されていた。
#**50系もどきになっていたが。なんで10系を名乗り続けたのかは[[大人の事情の法則|まあアレ]]だ(所有者が郵政省だったちうのも含め)。
#***冷房搭載が早かったのも[[大人の事情の法則|そういうこと]]だ。


===30・31系===
==キハ10系==
#日本で初めて造られた鋼体車両。
#かつて、気動車を代表する形式だった。
#KATOで初めて製品化された客車もこれ。
#中間車も存在した。
#*昔の技法を基準としている為ライト点灯化されたものはない。
#*2・3等合造車も製作されたことがある。
#*オハフ30は製品化してくれないため自己責任。
#*一般形気動車では本形式のみの存在で、使い勝手の悪さからそれ以降の形式では製作されなかった。
#**準急にも使われたことがある。
#2エンジン車も製作された。
#キハ40系が登場すると廃車が本格化した。
#*2エンジン車のキハ51だけは代替できる車両がなく、キハ58系の転用で賄われた。
#*最後まで生き残ったのはキニ55だった。


===32系===
==キハ20系==
#戦前に作られた狭小窓の客車。
[[画像:Ooito52.jpg|thumb|240px|色が変わった…]]
#初期はWルーフ、後期は丸屋根。
#かつて、日本の気動車といえばこれだった。
#*Wルーフ車は昭和30年代にオハネ17や荷物車・職用車への改造種車となって比較的早い時期に姿を消した。
#*40代以上の田舎出身者なら、通学でこの車両にお世話になった人も多いはず。
#本州以南ではのちの35形に切り替えられたが北海道では二重窓の関係か32系を延々に作り続けていた。
#JR上では1993年までにほぼすべて駆逐されたが、後継のいない2エンジン車キハ52形だけがなお現役。
#*室蘭本線のC57135の最終SL普通列車にも活躍していた。
#*JR東日本は2008年中に廃車にすると言っていたがまだ達成されていないようだ。
#*山口線もビデオでD51に引かれている映像を映し出されていた。
#**JR東日本の盛岡支社は冷房化はともかくワンマン対応化改造までやらないのがけち臭かった。
#今では動態・静態ともにスハフ32の丸屋根しか現存しない。
#*大糸線ならまだいる
#*[[東日本旅客鉄道|JR東日本]]のみ動態保存中。静態は小金井公園で貴婦人様(汽笛なし)の後。
#**大糸線のは、冷房化の他、強引にトイレの撤去までしてワンマン化改造を行った。
#*かつては福岡の貝塚公園にキューロクと共に静態保存されていたスハ32がいたが、解体されて20系に置き換えられてしまった。
#***越美北線時代からそれをやっていた。
#****大糸線のは8トラックテープの自動放送が引退時まで聞けた。
#*西日本の125号は最近全検出場した。
#*2010年、西日本の大糸線に残っていた3両が廃車されJRから形式消滅。
#**しかしその後も、西日本車を[[千葉の鉄道#いすみ鉄道|いすみ鉄道]]が引き取ったり、東日本の廃車後の留置車が整備され海外に譲渡されたり色々と目の離せない車両。
#*JR線からは淘汰されたものの、私鉄の同型車は廃車された車両もあるもののまだまだ元気に動いている。
#[[KATO]]製の模型はやたらと安いことで有名。何気に鉄コレよりも安い。
#*鉄道模型入門時には最適。
#*モーター無で税込¥892・モーター付で税込¥2992。
#*そのおかげで、構造が似ているキハ52系がなんでこんなに高いのかと思ってしまう。<!--モーター無¥2625・モーター付¥5460。-->
#**値段が安いのも道理、ライト類点灯しない。キハ52系は点灯する。
#どういうわけか後継のキハ45より後まで残っている。
#*動力近代化で大量生産されたため、キハ45系列より保守部品が入手しやすかった事情がある。
#なんで観光列車に使うんだ?(Kenji:キハ52)
#*Kenjiは[[国鉄の気動車#キハ58|元急行形]]。


===35系===
==キハ30系==
#戦前から戦後一貫で製造された大窓の客車
[[画像:久留里線キハ30.jpeg|thumb|240px|在りし日の久留里線用]]
#戦前は丸屋根、戦後はキノコ切妻。
#JR線上では絶滅危惧種になっているが、[[関東鉄道|茨城のほう]]に行けばそこそこ走っているらしい。
#*戦前型のなかにはノーシル・ノーヘッダーや張り上げ屋根の試作車も結構あった。
#*久留里線ね。千葉県。昔は相模線とか八高線とか川越線にも居た
#今でも[[静岡の鉄道#大井川鐵道|大井川鐵道]]のSLに使っている。
#**ていうか昔は新潟・関西・九州など日本全国で走っていた。
#*パレオエクスプレスでもこれの戦後型が使われていたが、12系化後は北海道に譲渡された。
#***下にあるように首都圏でちょっと使って廃車にする予定が国鉄の債務過大でズルズル使うことになり、結果全国配転させられては行く先々で顰蹙を買った。
#スハ42形もこいつの仲間。
#**この車両が真っ先に投入されたのは実は関西本線奈良以西。電化される前、湊町(現JR難波)-奈良はこの車両の独壇場だった。なかには湊町-名古屋のロングラン運用さえ存在した。
#*乗り心地向上のために台車変更され、別形式になったもの。スハ43系登場までのつなぎだった。
#***1980年代までは関西でも普通に見られた。今は電化され都市型の路線となっている[[奈良線]]や[[片町線]]でも走っていた。
#*一部は軽量化改造を受けてオハ36形になった車両もあったが、電気暖房を設置したらスハ級に戻ってしまった。
#事業用車でもないのにドアが埋められた車両が存在した。
#Wikipediaに載るのが比較的遅かった。
#*電化前の和田岬線で走ってたやつかな?
#2017年という時代にJR西日本が'''[[JR西日本の車両/形式別#35系|新造]]'''した。
#ドアが外へ出ている
#*プラグドアってやつ?
#**違う。プラグドアは普通のドアより上等だが、キハ30系のは外吊り扉と言って車体の外にドアレールを配置して戸袋を省略した形式。'''粗末'''。
#***名目上は軽量化が目的だが、実際には、当初キハ30系が導入された路線は、程なくして電化されるだろうから無駄なコストはかけないというのが本音だったらしい。
#***他には、旧型客車改造のやっつけ通勤型車両にもよく見られた。
#ステンレスの試作車があった。
#*最初は地色の銀色だったけど、保守するのがめんどくさいからと、たらこ色に塗装された。
#名前の通りの「ロングシート」が配置されている
#*車内は103系と殆ど同じだが、灰皿が付いてることと、便所がある(キハ35)ことで感じは少し違って見える。
#「久留里線」方向幕は最近つけたものらしい
#*あれステッカーじゃないのか?
#*どこへ逝くのか分からない
#KIMITSU KISARAZU SODEGAURAという文字ととタヌキと植物の絵がかかれているステッカーが塗布されている。
#[[動労千葉|アレ]]のおかげで久留里線では現役バリバリ。
#*しかし2012年12月で久留里線から運用消滅した。
#**"久留里線"からは運用消滅した。[[関東鉄道|常総線]]で20年位前の譲渡車が現役で走っていることを知る人は少ないだろう。
#**更にこんな車齢50年近くのオンボロ車を引き受けたがる[[千葉の鉄道#いすみ鉄道|私]][[岡山の交通#水島臨海鉄道|]]があったようで…。い鉄のは動態保存的に走るらしい。一方水島のは目論見が不明…。
#ローカル線に転用された後、他のキハと連結して普通列車を担当したが、この車両は人気が無くいつも空いていた。理由はただ単にロングシートだから。
#*狭くて居住性の悪いキハ10系列と編成を組んだときなどは、乗客は(悪い意味で)どちらに乗るか迷った。
#正式にはキハ30系ではなくキハ35系である。
#その昔、急行列車に連結していたらしい。今ではロングシートの急行なんてマスコミに叩かれるだろうに。
#*当時の急行は全席指定ではなかった。さすがにどーしてもやりくりがつかない時の代車としてだったが。


===43系===
==キハ31形==
[[画像:Oha47-2261-00.jpg|thumb|200px|オハ47 2261]]
#キハ54形の九州バージョン。急勾配を走るため、軽量化する必要があったので、車体が短くなった。
#戦後の急行型客車。
#くま川鉄道に譲渡された車両もあるが、一足先に廃車となった。
#*確かに急行列車に使用された実績はあるが、正式な意味での急行形ではない。なお、国鉄の現場では一般形と呼んでいたが、こちらも正式な呼び方ではない。したがって、当形式には正式な急行形でも一般形でもないため、旧客には明確な車両区分が存在しない。
#新幹線0系の廃車発生品転換クロスシートを改造したのを装備してる。
#外観は61系と似ているが窓はそれより大きい。
#北海道では45系として二重窓で製造された。
#近代化の際には蛍光灯化や青15号化された車両も出ていた。
#今では[[東日本旅客鉄道|JR東日本]]、[[静岡の鉄道#大井川鐵道|大井川鐵道]]でSL列車の客車に使われている。
#*かつては[[秩父鉄道]]のSL急行「パレオエクスプレス」にも使われていたが、12系化後にJR北海道に行った。
#**2014年度のSL減便後はその行方が分からない。
#銀河鉄道999の999号の客車もこれがモデルだ。


===60系===
==キハ32形==
[[画像:Ohani36-11-00.jpg|frame|オハニ36 11]]
#四国に投入された。見た目は当時流行りだったレールバスそのまんま。
#木造客車を鋼製化したもの。
#「海洋堂ホビートレイン」として、新幹線0系もどきの外観になった車両もある。
#*「鋼製化」は戦前に木造客車を鋼製客車へ改造したことを差し、戦後に行われた木造客車の60系への改造は「鋼体化」と呼んで区別されている。
#*車内には0系の座席もある。
#旧型客車の定期運用として最後まで残った。
#*四国には新幹線の建設予定もないので、これで新幹線気分を味わおうということなのだろうか?
#冷房改造やリクライニングシートを装備してグリーン車に生まれ変わった車両やここからさらにお座敷車両に改造された車両も存在した。
#同世代の廃車が進んでいるなか、一両の事故廃車すら出てない。
#*気動車に改造された車両もあった。
#製造のきっかけは[[八高線]]。
#*「木造車体はなんとかしねえとやべえなあ」とは判っていたらしいがカネが出なかった。
#*なんとかする方法も新車ではなく、国鉄工場で改造。
#*当時日本を統治していたGHQが、国鉄に新車の製造許可をなかなか出さなかったので、新車を製造したくても出来なかった。
#**国鉄職員がCTSの担当者をラッシュ時の両国駅に連れていき、ボロボロになった木造客車に乗客が寿司詰め状態になっている悲惨な状況を見学させて、ようやく鋼体化改造としての製造許可を貰えた。
#まだ現役のオハニ36も60系客車のうちだが、分類上だけに近い。
#*特急かもめに使ったので客室は60系では例外のグレード。
#*登場時はオハニ63で台車も他車同様だったため、乗り心地が悪く、10系と同タイプの台車に履き替えた。
#いらなくなった木造車体は都営住宅になったらしい…。
#関西本線でもデゴイチ等に引かれて大活躍。
#グリーン車もいたが新製車はゼロ。オハ61からの改造。冷房改造した車両は重量増の為スロ62・スロフ62と別形式起こされ、電気暖房併設改造車は2000番代と新番代起こされた。
#*「〇〇(配置基地の電略)和式」といわれる81系客車もスロ62からの改造。老朽化進行と12系改造車に置き換わる形で廃車。
#最多の製造をしたのは今は亡き高砂工場…ではなく、苗穂工場。


===70系===
==キハ37形==
#戦後の車両不足に対処するため、戦災で被災した車両を復旧させた客車。
#外見はキハ40とキハ38のあいのこと言った感じ。
#*元々客車だった車両だけでなく、電車の被災車を改造したのもあった。
#量産車も登場するはずだったが、他の形式に余剰車が多く出たことにより計画はお流れに。不本意ながら国鉄の次世代気動車のコンセプト車両となった。
#客室は基本的にロングシートであった。
#車両を長く使うことに定評のあるJR西にも匙を投げられた。なんとキハ20系列より先に運用を失っていた。かわいそう。
#そのグレードの低さから本来の客車が行き届くと早いうちに荷物車に改造された。
#*長野電鉄10系電車と同様、少数派車両ゆえの宿命。
#*さらに荷物車にも後継車が登場すると救援車に転用されてしまった。
#前面のデザインがどことなく東武8000系と似ている。
#JR東日本に1両だけ引き継がれ、他の旧客とともにイベント列車で使用されたが、末期はあまり使用されなかった。
#久留里線でのJRの運用終了後、キハ38と共に[[岡山の交通#水島臨海鉄道|水島臨海鉄道]]に譲渡されるらしい。<small>JR西日本車の立場は…</small>
#*フリースペースとして使われていた。


==新系列客車==
==キハ38形==
===12系===
#キハ35形の改造名義で国鉄工場で新造された。実際、キハ35形の部品を流用している。
#電源分散方式を初めて採用した。スハフ12にディーゼル発電機搭載。
#冷房がついたので喜ばれたが、その実バス用の冷房装置を使ったため、冷却能力が不足気味だったという。
#旧客(10系まで)とも混結可能。座席車が12系、寝台車が10系の混結列車もあった。
#縦形エンジン搭載のキハ37の構造を流用しているので、腰高になっている。
#*きたぐにに至っては普通車が12系でグリーン車が旧客という、グリーン車の方が乗り心地で劣っていた。
#14系のベースになった。混結可能。
#*実際に12系と14系の混結列車が設定されたは1980年代以降からだった。
#**それ以前は14系が特急用とされていたため、寝台車には20系の改造車が使われていた。
#**九州では[[夜行列車/さ~な行#日南|12系と24系の]][[夜行列車/あ・か行#かいもん|混結列車]]があった。
#14系座席車が登場するまでは特急にも使われた。
#国鉄末期には[[ジョイフルトレイン]]や普通列車用に改造された車両も現れた。
#*中には気動車に改造された車両までもあった。
#JRになってから扱いが悪くなり、廃車になる車両も多かった。オリジナルで残る車両も残り少ない。
#*中には海外に譲渡されたものが結構いた。
#実は大阪万博が登場のきっかけだった。
#同時期に登場したキハ65系と設計上の共通点が多い。
#何気にSL列車によく使用されているような気がする。
#*車両の特徴上、使い勝手が非常に良いのでSL列車の使用客車としては一番重宝されている。
#**しかしながらも老朽化が深刻化しているので、各鉄道会社もこれに頭を抱えている状況。
#通勤車化されたものは、乗務員室の扉が設置されたり白帯が撤去されたりしていた。こちらは短命に終わった。
#各中小私鉄に譲渡されたものもあった。
#*わたらせ渓谷鐵道のトロッコ列車や秩父鉄道のSL「パレオエクスプレス」など。
#*[[鳥取の交通#若桜鉄道|若桜鉄道]]にもC12が牽引するSL列車に使う予定の客車として納車された。
#**こちらは元ムーンライト高知の客車だった。
#トイレ付近の屋根にハッチがある。これは車両製造の際、車体組み立て後に、屋根からトイレユニットを搬入するために設けられたもの。
#1969~72年に製造され、10系客車の早期廃車を促した形式。
#*いや、1978年まで増備された。最終期の車両は前面窓の幅が狭く細長いのが特徴。
#1989(平成1)年2月時点では残存率100%だった。
#オリジナルの方向幕には本州・九州の主要な駅名が一通り入っている。


===14系===
==キハ40系==
[[画像:Suhanefu14-27-00.jpg|frame|スハネフ14 27]]
[[画像:Kiha40.jpg|thumb|240px|参宮線の]]
#寝台車と座席車がいた。混結可能。
[[画像:キハ40系列6連.jpg|thumb|240px|3パターンの塗装が入り混じるカラフルな6両編成]]
#*[[夜行列車/は~わ行#はまなす|はまなす]]
#未だに北は北海道から南は鹿児島まで日本全国で見られる。
#*ふるさとライナー山陰も運転日によっては混結されていた。
#*北海道用の車両は窓が小さく、二重窓になっている。
#電源分散方式といって20系や24系みたいな電源車がいなかった。スハフ14とスハネフ14にディーゼル発電機搭載。
#**誰も触れてくれない事だけど、旧来車よりも温風暖房のキハ40の方が暖ったかくて嬉しかったけどね。
#*北陸トンネルの大参事がトラウマになって、分散発電から電源車を用いた集中電源方式にシフトしていったというのは有名な話。
#*2012年現在でも9割以上の車両が残存している。なおかつ日本全国にくまなく配置されているのは驚異的。
#*流石に「[[夜行列車/あ・か行#さくら|さくら]]」など行先が二手に分かれる列車は電源車方式には戻せず、最期まで14系が使われた。
#*JR全社で見られる唯一の形式
#*それどころか本来14系である必要ない筈の「[[夜行列車/は~わ行#北星|北星]]」「北陸」等の20系からの置き換えにも使われた。造り過ぎた?
#**ただし東海からは絶滅寸前
#デビュー順は20系→14系→24系。
#*全国各地に配備されてるだけあって、塗装のバリエーションも非常に豊富。鬼太郎列車をはじめアニメラッピングも数多く存在する。
#*その後24系25型→14系15型と回帰とまではいかないものの火災対策を強化した上で併結運用のため製造再開。
#「きらきらみちのく」「リゾートしらかみ」「みのり」「風っこ」「瀬戸内マリンビュー」「みすゞ潮騒」などジョイフルトレインに改造された車両も多い。
#ゴルゴム式に改造を受けて、ジョイフルトレインに生まれ変わった客車多数。
#*極め付けは何と言っても九州の「はやとの風」「指宿のたまて箱」である。一般型から特急型へ大幅躍進。
#*中には個室寝台車に改造され、「北斗星」などに運用されている車両もある。大出世もいいとこだ。
#とんでも無く鈍足....山陰でキハ187から乗り換えたら余りの加速の遅さに驚いた。
#**その中には座席車から個室寝台車に改造された車両もある。車体はほとんど新製した。
#*車体が重過ぎるのが原因らしい。
#一応特急型であるが、実際には夜行の急行列車などでよく運用されていた。
#**上から立派な鉄製アーチ橋が落っこちてきてもつぶれなかった。
#B寝台を2段式寝台にした14系15形も造られたが、何故か「[[夜行列車/あ・か行#あかつき|あかつき]]」にしか投入されなかった。
#***っ[[只見線|これ]]
#引退後に[[タイ]]や[[フィリピン]]に渡った車両もいる。
#*車内や外観はそのままで、エンジンのみ交換されている車両も結構ある。
#*フィリピンへ行った車両の窓には投石対策として鉄格子が装着されていた気がする。
#**それでも鈍足…。やはり原因は車体の重さか?
#座席車の車体構造は[[国鉄183系電車|183系]]を基にしている。
#***気動車の癖に電車並みの重さだからいけない。
#北海道のSLに使われている客車はこれ。
#*JR四国のは今だに導入当時のエンジンのまま。なので、めちゃめちゃ鈍足&やかましい。
#*塗装は茶色に赤帯の2代目三等車色であった。
#**[[高徳線]]の大坂峠越えでは、「グワァァァー!」という凄い音を立てるのに列車が止まりそうになる。
#過去には東でもC58に引かれていた時期もあった。
#*あんまりに荷重出力比が悪すぎて、本来後継するはずだったキハ20系の置換えに至らず。
#食堂車や2段式A寝台のように24系になったものや2段式B寝台、個室A寝台(シングルデラックス) 個室B寝台(ソロ)のように24系から編入されたものもある。
#**車両が小柄で居住性の悪かったキハ10系を淘汰したところで製造中止。
#*このほか個室B寝台、ロビーカーに改造されて転用されたものも。
#**キハ37やキハ54、さらにJR化後の新型車に突き出されてキハ20系を置き換えるも、2エンジンのキハ52形にだけはとうとう代替になりえなかった。
#*編入するに当たっては配管や配線変更必要だが、主に床下方面でのことなので外観・内装は目立った変化がない。編入改造ついでに古くなった内装板張替え程度はあったようだが、それとてさしたる改造とはいえない。
#**結局キハ20系の置き換えは急行列車の廃止で余剰となったキハ58系の転用で賄われた。キハ58系の方がキハ40系(機関換装前)よりもまだ性能が良く、冷房も付いた車両も多かった。
#15型はJR九州にもいたが86年のあかつきの減車、減便での転用だった。
#*重すぎる車重が原因かもしれないが、エンジンの出力増強が不十分なのも理由だろう。400ps以上の2軸駆動車でないと満足できる性能が発揮できないのでは?
#あかつきのシングルデラックス(オロネ14-300番台)は24系に組み込み事が出来る。
#おそらくほぼ全ての車両がワンマン運転が可能な様に改造されている。
#*14系の1系統24系の2系統といった給電方式の違いがあるがオロネ14-300には切り替えるスイッチがあり、それを使うことによって24系に組み込むことができる。
#*「導入当初はワンマン対応でなかった」という辺りが国鉄車両らしい。
#*そのためJR西日本車の日本海などに連結されいたことがある。
#*東では未だにワンマン化されていない車両の割合が多い。
#*四国にも14系が在籍するが東武鉄道に譲渡予定である。
#**新潟地区、只見線、津軽線、八戸線等。
#**東武に行ったものは3両編成になり、SL(DL)大樹として運行されている。
#***しかも新潟のは灰色Hゴム扉や黄緑色化粧板、ワンマン機器がないところなどほぼ原形の車内を保っている。
#***また、東武に行ったものの中には一度部品取り指定を食らったもの(オハ14-505)がいるが、最近復活した。
#**東海もキハ47は運転台とドアの間が広いのか全車ワンマン化改造の対象から外されていた。
#*西や九州では運転台とドアの空間の広いキハ47形でさえ思いっきりワンマン化改造をしていた。
#昔はドアの窓に網がついていた。
#*タブレットキャッチ時に窓ガラス割らないようにする為。
#仲間にはキハ47系やキハ48系などもいる。
#*つっこんで良い? ダメ?
#**'''キハ40系列'''という意味ではキハ47・48共に仲間なのでつっこみ×だが、'''キハ40限定の単形式としてならつっこんでもいいと思う'''ぞ。
#**四国と九州にキハ48がいない。廃車されたのではなく、そもそもハナからいなかった。
#***キハ48は元々寒冷地仕様。暖地にはキハ47が投入された。
#****しかしキハ47の単行仕様は何故かJR西日本がキハ41を製作するまで存在しなかった。
#*****キハ47はキハ40・48に比べ、広めな両扉をやや車体中央寄りに設置するなど、ラッシュ時の客捌きを重点においた「近郊型」に近い車体構造を持つ。単行で十分事足りる、ラッシュとは無縁な路線に、キハ47の単行仕様車を導入するつもりはなかった。
#*****JR西がキハ47をキハ41へ改造したのは、播但線を管轄する豊岡鉄道部(今の福知山電車区豊岡支所)へ転属させられるキハ40が他所にはおらず、単行仕様へ改造できそうな車両が、同地に配置されているキハ47だけだったから。
#JRの非電化ローカル線といえば、この車両が1両で走っているイメージが強い。
#*キハ47形が2両で走っているのもよく見かけるぞ。
#'''田舎の象徴!'''
#*[[東日本旅客鉄道/東北地区|東日本エリア]](特に東北)はむしろキハ110系列が田舎の象徴かも。あと[[大分]]もキハ125やキハ200・220が圧倒的。[[長崎]]は[[#キハ66・67系|似たような車両]]なら走ってるが...
#**そうかな?確かに八戸線や男鹿線という都市近郊路線もあるけど、五能線や只見線のような超ド田舎路線もあるわけで・・・。
#***宇都宮駅に入線するのを忘れてはいまいか?
#*そうかと思えば[[札沼線|札幌]]、[[九州旅客鉄道/路線別#香椎線の噂|福岡]]近郊でも走ってたりする。
#**[[西日本旅客鉄道/広島支社#芸備線の噂|広島]]も。
#**[[西日本旅客鉄道/岡山支社#津山線の噂|岡山]]も。
#実は都内でも営業運転をしていた。
#*そもそも八高線が東京都を走っていること自体知らない人も多い・・・
#*関西でも今やアーバンネットワークの一員となっている[[片町線]]や[[福知山線]]でもかつては見ることができた。
#[[九州旅客鉄道|九州南部]]ではエンジン強化型が片や普通列車、片や'''特急列車'''として走ってる。
#Nゲージ模型では…[[KATO|カトー]]が暖地型の2000番代を発売してたが、[[TOMIX|トミックス]]が2009年にHG仕様の北海道型100番代・東北等寒地型500番代・暖地型2000番代とラインナップ発売して急追。
#*KATOは最近までキハ47形がトイレなしの1000番台しかなかったのが不思議。
#東日本所属車の中にはオールロングシート車が混じっている。
#*「えちご」接続の村上~酒田や只見線で遭遇することがある。
#*東日本だけでなく、[[西日本旅客鉄道/岡山支社|西日本]]にもいるよ。
#JR西日本の車両にはリニューアルされた車両が多数。あと数十年は使うという意思表示としか思えない。
#*さらにタラコ色復刻も順次執行中。当分の間は安泰である。
#キハ20や58が消えた今、次に廃車になるのはこいつら。のろいとか旧型を置き換えたとかで嫌ってたのに、追っかけるやつが現れるんだろうなぁ。
#*103系や113系の時のことを思えば、最初に消えるのはキハ75系やキハ25系の転属入線が予想される[[東海旅客鉄道|ここ]]のキハ40系だと思われ。
#*同年代に登場した50系客車が早々淘汰された事を思えば、だいぶ長命ではある。
#**50系は短すぎるだろう。だが長生きはしている。
#***北海道では50系客車を改造したキハ141系が現役ですが・・・
#*東海は鬼籍入り目前、北海道や東日本も新型気動車の投入で潰そうとしている
#**北海道や東日本の40は当分消えないと思われ
#**「安くて手がかからない新型気動車ならまとめ買いするよ」とゆっただけで、切迫して置き換えねばならぬ理由はない。
#***が、北海道の場合は昨今の悲惨な状況で新型車の導入が間に合わず、潰すと同時に減便断行
#播但線にはキハ41がいる。2両を1両に分断した、切妻形の車両である。


===20系===
==キハ45系==
[[ファイル:ブルートレイン食堂車.jpg|thumb|240px|交通科学博物館に保存されている食堂車]]
#キハ20系とキハ30系の間に相当する車種がなかったため、製作された。
#列車ホテル。
#*キハ20系の欠点にキハ30系の利点を取り入れた。
#軽量化が図られている割には、どっしりした印象がある。
#キハ20系は片開きドアであり、ラッシュ時に不向きという欠点から2扉ながら両扉で幅のあるドアにした。
#*パンタグラフが付いている異質な感じのする電源車があったけれど、重すぎで早々にパンタの撤去と中身の改造を受けるハメになってしまった。最終的には24系に組み込まれた。
#*このスタイルは後に登場する2ドア近郊形に影響を与えた。
#**その重さ何と64t。中型機関車並み。
#**気動車では初めてであるが、実は小田急が準特急用電車であった2320形がこのスタイルを先取りしている。
#***カニ22のこと。パンタ撤去等の改造受けてカニ25になった。
#キハ20・30系より経年が若かったものの使い勝手が悪く(特に片運転台のキハ45)、JRになってから廃車が進んだ。
#寝台急行銀河で使われていた。当時の寝台急行としては破格の設備だった。
#*皮肉なことに1世代前のキハ20・30系が未だに生き残っている。
#末期には12系客車(12系のシステムに合わせ20系を改造)と連結して急行・だいせんになった。
#先代のキハ20・30系と次のキハ40系に挟まれて地味な車両。
#*急行に転用後は「銀河」を除きヘッドマークに愛称が表示されず、単に「急行」と表示されていた。それが何か哀れだった。
#*製造数も保存数も少ない。
#**転用の際、側面上部にあったクリーム帯が消された(他の2本の帯も白くなる)ので、ドラえもんの頭みたいな印象になった。
#**というか保存車の情報を調べてもなかなか出てこない。北海道にキハ24が1両だけあるようだ。
#スタイルそのものは14系や24系と比較してもスマートだと思う。
#*Wikipediaにも情報が他と比べて少ない。元々書けることが少ないだけかもしれんが。
#実は手動ドア
#殆ど他の気動車と併結したり単行でローカル線を走ったりしていたので、近郊型としての役目を正しく果たせたかは疑問。
#*急行転用の際に、併結相手の12系と一括操作できる自動ドアに改造される。
#形式番号はキハ40番代だが登場時期の関係でキハ40系列には含まれない。
#*ただし自動施錠はできた。
#国鉄時代、急行列車に使われた事がある。
#[[夜行列車/は~わ行#みずほ|みずほ]]」(当時は東京~熊本・大分)の20系化の際、付属の大分編成が単独運行する区間(門司~大分)用の電源車が必要になり、急遽専用の電源車が用意された(マヤ20)。のちに「さくら」「あかつき」等にも使用。
#この車両も都内での運用があった。
#*何と32系客車からの改造。写真で見る限り外観は旧客当時の姿のまま。
#[[大阪]]府(といっても[[枚方市]]だが)でも運用されていたが平成最初のダイヤ改正(89.3)で[[片町線]]電化に伴い消滅。
#ナハネフ22とナハフ20の後尾は右半分を車掌室として使い、左半分が展望室として開放された。
#1988年に来日したオリエント急行の連結器変換アダプターとして、清算事業団で眠っていたナハネフ23 8が引っ張り出された。
#*これが北海道で営業した唯一の例。
#*こいつのプルマンカラーはなかなか似合っていた。


===24系===
==キハ54形==
[[画像:KT24-25-Hokutosei00.jpg|frame|[[浦和駅]]を通過する『北斗星』(24系25形)]]
#JRに引き継ぐにあたって、北海道と四国の状況があんまりにひどいということで新製された。
#ブルートレイン。
#*北海道仕様は転換クロス。一方、四国仕様は文字通りのロングシート。
#*現在残っている、カシオペアを除くブルートレインの客車は全て24系。
#**1両だけ789系と同じ座席を使用した車両が走っている。
#グリーントレイン。
#***その一両はルパンラッピングになっているらしい。
#*トワイライト用の24系は(青森までの)相方である[[国鉄の電気機関車#EF81形|EF81]]もろとも深緑のオリジナル塗装に塗り替えられた。
#*四国はバスドアで安っぽく見えるが、北海道はちゃんとした引き戸なのでそれなりに見える。
#よく見ると1両背の低い車両がある。
#コスト削減のため、変速機や台車は旧型車のものを流用している。
#*東海道線や横須賀線が[[国鉄113系電車|113系]]だった頃のグリーン車に似た様なのがいたなぁ。
#*ドアエンジンなどはバス用を流用
#*[[北斗星]]とトワイライトの真ん中あたりに連結されている食堂車がそれ。元は481系などの特急用電車からの転用。
#*但し、北海道用はほぼ新品
#**たまには「なは」のレガートシート車(種車はサロ481)のことを思い出してあげてください。
#形式は同じだが、今は亡き急行「礼文」用に急行形仕様で落成した車両がある。
#**当時は他の列車にオシ24が使用されていたので、仕方がなくサシ481形&サシ489形を改造した経緯がある。
#形式号54はキハ53形の次ということで順番につけられたものだが、'''国鉄「54」の呪い'''を回避する為別番号に振ることが'''真剣に検討された'''らしい。
#**トワイライト用の食堂車(ダイナープレヤデス)は元々日本海に連結する予定で改造されたものだった。なので最初は青地に銀帯の姿で登場している。
#*初のペイント車両が踏切事故で廃車となったがそれは「54」の呪いか?
#金帯・銀帯・白帯。
#**製造時期と車体の寿命を考えるとそうかも…………(
#*どういうアレがあるのかは知らないけど、銀帯は早々に消滅。現存する北斗星とトワイライトは金帯で統一、[[夜行列車/あ・か行#あけぼの|あけぼの]]と[[夜行列車/は~わ行#日本海|日本海]]は金と白の混編成。
#***製造開始年が、ED54=1926、DD54=1966、キハ54=1986年ェ
#**金帯=24系25形グレードアップ改造車。銀帯=24系25形(2段式寝台車で帯材はステンレス)。白帯=24系(3段式寝台車でオリジナル車だが2段式寝台に改造済み・帯は塗装)。もちろん混結可能。
#***ステンレス車体だし、JR北海道のものは台車載せ変えているからむしろ長く使いそう。
#切妻の緩急車はなんとなく見栄えが悪い。特急型なのに切妻というのが何だかしっくり来ない。
#****JR北海道では新型気動車の導入計画があるが、今のところ、置き換え候補にはなっていない模様。
#*切妻緩急車(オハネフ25-100)同士をつなぐと分割時に連結間隔が狭過ぎるのと方向限定せずにつなげられる車両が欲しいという理由で折妻の緩急車・オハネフ25-200も登場した。が、角度は申し訳程度。
#*クモハ54は長寿の部類でしたが、何か?
#12系や14系とは混結できないが、九州では12系から電源をもらう形で混結列車が存在した。
#**54機関車の呪いと言った方が正しいのかも。
#*はまなすも14系と24系が混結しているが、こちらは24系に14系との混結改造を施している。ただし24系については14系に編入されていない。
#国鉄~JRの垂れ流し式トイレを持つ車両としては、最後の新造車両。
#おでこに前照灯をつけると[[阪急電鉄|阪急電車]]の顔になりそう。
#[[夜行列車]]に使われたことがある。
#個室寝台車はさまざまな種類があり雑多。
#*特に北斗星用の車両は、JR東・北双方とも色々いててよくわからない。
#JR北海道のオハネフ25の中には、はまなす用のスハネフ14が不足したため、電源装置を取り付けて14系に編入した車両がある。
#元あけぼの用は小阪レールパークに保存中。
#*ハイケンスのセレナーデが聞けるどころか宿泊も可能。
#*子供の頃にブルトレに乗りたかったが、大人になる前に廃止になってショックを受けたならそこへ泊まりに行くことを推奨する。


===50系===
==キハ55系==
[[画像:JNR50.jpg|thumb|240px|ローカル線のヌシ(当初予定)]]
#準急用気動車として初めて製作された。
#旧国鉄の客車の常識を打ち破る赤系統の塗色。レッドトレイン。
#*元々は日光用として製作されたが、日光線が電化すると157系に置き換えられてしまった。
#*旧型客車を置き換える目的で製造されたので、客が一目で新車だと判る色、汚れが目立ちにくい色、国鉄標準色にある色、と言う理由で赤2号になった。
#キロハはなぜか便所が運転室側にあった。
#**実は車体色にはもうひとつ候補の色があり、上のお偉いさんが赤色をボツにした場合は、緑色になる予定だった。
#*優等客室からエンジンを遠ざけるのに機器配置をキハ26と逆にしたから。
#○ットン便所だった。
#国鉄から準急がなくなると次第に普通列車に転用された。
#*九州では末期はトイレの全面タンク式化で12系が併結されていた。
#最後まで生き残ったのはキニ56だった。
#*「海峡」用はさすがにタンク式に改造された。
#*常磐線の荷物列車でキニ55・58と共に使われた。
#*一応、タンク式への準備工事はされていた。
#**電化区間でありながらキニが使われたのは交直両用の荷物電車の製作が難しかったため。
#北海道用は51系。1-10番車は小型窓。車軸発電機がベルト駆動からギア駆動になった。
#**それと、隅田川駅のホームが非電化だったから。
#*3ドアになったのがいた。
#[[南海電気鉄道|南海電鉄]][[南海特急の車両#キハ5501形|同型車両]]を保有していたことがある。
#[[北海道旅客鉄道|こ]][[西日本旅客鉄道|の]][[四国旅客鉄道|3社]]ではディーゼルカーに改造されたり、[[ジョイフルトレイン/あ~さ行#アイランドエクスプレス四国|ジョイフルトレイン]]に改造されたり。[[東日本旅客鉄道|ここ]]では建築限界測定車になったり波乱万丈。
#*事故車が関東鉄道に譲渡され、史上初の4ダァ気動車となった。
#*九州の車両は冷房改造された。冷房機は[[JR九州の車両#783系|ここ]]からの流用。1000番台に改番。
#*同形車は島原鉄道にも存在した。
#*[[北海道旅客鉄道|ここ]]でも冷房改造されて、快速「海峡」に充当された。
#北海道ではキハ55とほぼ同等の車内設備を持つキハ22が準急にも幅広く使用されたため、キハ55系の北海道バージョンは製造されなかった。但し暫定的に夏季のみ北海道で使用されたことはある。
#JRになってから扱いが悪くなった。そのせいで早くから廃車になった。
#1956年11月改正で10系客車とともに登場。しかし、こちらはキハ81形登場後の1961年春まで製造されていた。
#*全て平成まで残ったが、初めて廃車が出たのは平成最初の年だった。その次の巳年(21世紀最初の年)に九州から撤退、その翌年に海峡線を最後に定期運用が全滅。
#**思えば登場した1977年も巳年だ。
#*JR化後に保線コスト削減や機回しによる停車時間をなくしたいことからSL専用編成を除き寿命より早く引退させてしまった。
#**日本では山々が多いため元々客車が似合わない国と指定されているらしい。
#*というか短編成・高頻度ダイヤを打ち出した国鉄末期の時点で客車列車はお荷物扱いされていたような…。
#1980年代前半までは[[福知山線]]でも運用されていたため、[[大阪市]]内でもその姿を見ることができた。
#*平成になっても東海道線で定期客車列車で走ってた(草津線乗り入れ運用の草津-京都)。
#原型車は荷物車・郵便車が残っている。用途は控車と救援車だけどね…。
#*真岡鉄道の車両は?塗装変わってるけど・・・
#通勤用の客車であるが、なぜか「一般形」に区分された。
#*国鉄では通勤形はロングシートと規定していたため。その一方で室内はセミクロスシートであるが、'''通勤形でも近郊形でもない'''車両であるため、一般形になった。
#**そのため、日本の客車には通勤形や近郊形がないとか。
#*正式な意味で一般形に区分される客車は50系が唯一の存在。
#**旧客のことを「一般形」と呼ばれることもあるが、こちらは明確な区分がなかったため、正式なものではなかった。
#自動ドアという点を除けば、旧型客車に近い。
#同時期に登場したキハ40系気動車との共通点が多い。
#実は当時の貨物列車削減によって、宙ぶらりんになった機関車(とその運転士)に仕事を与えるために造られた。
#*交流電化線区には417系を入れたかったが、交直流電車が高額すぎてやむなく50系を製造したのはそのため。
#*当時は労働組合が強かったので仕方ない。
#JR九州で現在活躍している[[ジョイフルトレイン/あ~さ行#SL人吉|SL]]の客車も実はこれの改造。九州唯一の本系列。
#*登場時はSLばんえつ物語のデビュー時と同じく茶色とクリームのツートンカラーで金色の装飾がされていた。
#**車内チャイムもハイケンスのセレナーデの転用はなくオリジナル曲。
#***今はもうすっかり真っ黒に塗り替えられた。
#仲間になるマニ50は真っ青(紺色に近い青)だった。一部は側面に「救援車」表記された。


==その他==
==キハ58系==
===マニ30===
[[画像:DC58.jpg|thumb|250px|東北地域本社色のキハ58系]]
#マニ30など、存在しない…。
#全国津々浦々で見かけることが出来た。
#*一両だけとは言え、保存車両は存在していますが。
#*今や東北・四国・九州に数えるぐらいしか走っていない。
#近づくと、職質される事が多かったらしい。
#**まて!山陽は?山陽がないぞ!あと新潟も(新潟と四国は撤退が決定しました。東北は撤退済み)
#*ある雑誌に自作鉄道模型を掲載したところ、読者の1人でもある日銀関係者から聴取されたこともある。
#***純粋なキハ58形は九州で撤退済
#用途の関係上か、寝台や厨房と言った数日間の軟禁状態に耐えられそうな設備が備わっていた。
#「電車でGO!」でプレイできる。
#初代と2代目があった。
#*この場合は「気動車でGO!」かもしれない。
#*初代は35系ベース、2代目は50系ベース。
#末期の生産車はパノラミックウィンドウが奢られていた。
#荷物列車廃止後も現金輸送は継続されていたため、JR貨物に引き継がれた。
#*冷房準備車として登場しながら、冷房を搭載しなかった車両もある。
#四国にはキユ25という郵便車もあった。
#*キロ28・キロ58の一部は荷物車や郵便・荷物合造車に改造された。
#*しかも車体更新した上に数年後には郵便・荷物輸送で廃車に。
#**正しくは郵便・荷物輸送廃止による。前面はキハ40系と共通。
#***色もオレンジ一色の首都圏色だったような…
#*これのNゲージの完成品は[[TOMIX]]の旧製品(絶版)くらいしかない。
#**しかし2010年頃のリニューアルに併せてキユ25が再びラインナップされた。
#[[ジョイフルトレイン]]になった車両もある
#*485系に連結(けん引)できるよう改造されたものもある。
#九州でTORO-Qを国鉄急行色に塗り替えたリバイバル急行を絶賛運行中。但し2010年8月まで。
#キハ65は実質同系列の扱いになっている。
#*鉄道雑誌では100%、キハ58・65系として扱われる。
#キハ56はキハ80の代走として特急「北斗」になったことがあるらしい。
#2011年に高山線を最後として定期運用終了。一つの時代が終わった。
#いすみ鉄道でイベント用としてではあるが元高山本線用のキハ28が復活。
#*キハ52と併結して運転らしい。
#旧国鉄以外では[[富士急行]]が保有していたことがある。
#*自社は電化されていたが、当時気動車で運転されていた国鉄の急行に併結するためにわざわざ気動車を作った。
#*オリジナルのキハ58にはなかった両運転台車も存在した。
#**但しオリジナルのキハ58も国鉄民営化前後に両運転台に改造された車両がある。
#***この車両はキハ53を名乗っていたもののオリジナルのキハ53(キハ45系の両運転台2エンジンタイプ)とは全く異なっていた。
#*国鉄急行の電車化で不要になった後は有田鉄道に引き取られたが、そこでも国鉄線への直通を行なっていた。
#**有田鉄道の廃止後も現地で1両が保存されている。
#修学旅行用仕様の車両も存在していた。
#*800番台。外部塗装も155系電車などと同じく黄色と赤のツートンカラーだった。
 
==キハ65形==
#キハ58系の冷房化に際して1エンジン車に冷房用電源を取り付けたが、勾配線区では1エンジン車では非力なので冷房用電源付きの2エンジン車相当の高出力車が必要となり、製作された。
#*そのためか、キハ58系と同系列の扱いをされることが多い。
#側面はよく見れば12系客車と何となく似ている。
#*Nゲージで製品化されるまではキハ58の前面、12系の車体、キハ181の床下を組み合わせて改造したものが定番だった。
#ジョイフルトレインに改造された車両の中には485系電車と併結できるようにした車両がある。
#急行形だが、JR化後に足回りはそのままで定期特急「エーデル鳥取」「エーデル北近畿」に使用された車両もある。
#*最高速度95km/hなので詐欺っぽいが、「北近畿」も100km/h以上出せる区間は限られていたので、結果城崎までは「北近畿」と大して変わらない所要時間で走っていた。
#*七尾線が非電化だった頃は「[[wikipedia:ja:ゆぅトピア和倉|ゆぅトピア和倉]]」として特急「雷鳥」に併結されていた。キハ65は設計上は最高95km/hなのに最高120km/hで走っていた。但し自力走行ではなく無動力で電車に牽引されていた。
#どういう訳かトイレがなかった。
#*↑のエーデルへの改造時にはトイレの設置も同時に行われた。
#*キハ58との併結が前提だったから
#空気バネ台車を使っているにも関わらず、乗り心地はコイルバネ台車のキハ58系と比べて悪かったらしい。
#高出力な割りにひ弱な駆動系を使っていたようで、特に逆転器が逝くことが多かったらしい。肥薩線などスイッチバックがある路線での運用はヒヤヒヤものだったようだ。
 
==キハ66・67系==
[[画像:JRQ kiha66-67.JPG|thumb|普通ワンマン竹松行き]]
#いわゆる「シーサイドランナー」
#*「シーサイドライナー」な。
#かなり馬力があるらしい
#*馬力はキハ65搭載のエンジンと同レベルらしい。
#*最近エンジンを交換した。
#**その絡みで(?)屋根上からラジエターやら冷却水強制循環ポンプ等とそれらにかかわる配管が消えた。屋根上スッキリしたのはいいが、往時を知るファンからは「何か物足りない」という声があるとか…。
#車内で会話ができないらしい
#電車のクーラーを採用したとか
#[[JR九州の車両#キハ200系|キハ200系]]と比較して「ハズレのほう」。
#*ただキハ66・67にはトイレ付いているしな……
#*でも1975年の登場時を考えるとかなりレベルの高い車両では。
#元々筑豊地区の輸送改善に快速用として1975年に投入された。キハ200の快速<赤い快速>新設後は普通列車に転用。篠栗線・筑豊線電化で直方気動車区から長崎車両センター(新設)へ移籍。国鉄時代生まれの一般型ディーゼルカーとして初めて側面に行先幕設置。
#*[[山陽新幹線|新幹線]]博多開業に備え、筑豊地区輸送改善のために製造。
#この車両を基にして117系電車が生まれた。よく見ると側面の窓配置が似ている。
#*キハ40系列の基にもなった。よく見たら前面の形状が同じ。
#国鉄時代には有料の急行にも使用されていた。
#*登場当時のカラーリングも一般型のそれではなく急行型のそれだった。
#キハ66とキハ67の2両一組。
#転換クロスシート、冷房付きなど当時の国鉄一般形としては超の付くデラックス仕様。
#*空気バネ台車も。
#*高い製造コストと、過大な自重のせいで他のローカル線への導入ができなかったため、30両で製造打ち切り。
#在来車と同じジャンパ連結器を2基装備したので異形式連結ができる。国鉄時代はキハ58系を併結して急行運用に就いてた。
 
==キハ80系==
[[画像:JNR_Kiha82.jpg|thumb|200px|「ひだ」]]
[[ファイル:Kiha81.jpg|200px|サムネイル|ブルドッグ]]
#実は最後まで保有していたのはJR東海。
#*さよなら運転も行った。
#*最後の営業運転はJR北海道のトマムサホロエクスプレスである。
#耐寒性能はそれほど高いわけではなく、北海道での運用はとても寒かったらしい。
#*とはいえ、北海道の過酷な環境では速度が出せずキハ80の低性能はあまり問題にならなかったとか。
#**ガセ。「北斗」などなんと表定速度91km/h(最高速は100km/h)でぶっ飛ばしているのだ。
#*他系列では北海道用とそれ以外では形式が分かれていたが、本系列は同じだった。
#キハ181系と見分けるのは難しい。
#*前照灯と尾灯のケースが丸みを帯びているのと、側扉が引き戸式になっているのがポイント。
#*ほかにも、キハ181系は中間車の屋根上の両側面に黒くて大きな放熱器をズラリと担いでいるし、エアコンもキノコ型ではない。また、国鉄塗装同士なら先頭車の側面帯の運転台側の塗り分けの形状も違う。ぶっちゃけ、見分けはむしろ簡単な部類ではないかと…。
#屋根の色が黒い車両と白い車両がいる。
#「はつかり、がっかり、事故ばっかり」
#*そういえば、後継のE751系も故障が多いとよく聞く。
#あまり、触れられていないが、この形式の最後の運転は北海道である。
#貫通式のキハ82が民営化後まで残ったのに対し、ボンネット型のキハ81は早くも1978年に紀勢本線の「くろしお」で引退した。
#*キハ81の愛称は「ブルドッグ」。
#*キハ81は試作要素が強いからしょうがない。
#なんだかんだ言って、現在の特急列車網(新幹線含む)の礎を築きあげた車両。
 
==キハ91系==
#1967年に初の高出力気動車としてデビューした急行形。500psエンジンを搭載し電車特急並みに走れた。
#キハ65・66・67系、キハ181・183系はこの形式の技術を踏襲。
#中央西線や高山本線を走っていた。
#3枚折戸が特徴だった。
#早くも1976年9月にさよなら運転が行われ、翌年に廃車解体された。
 
==キハ181系==
[[ファイル:キハ181系.jpg|240px|thumb|「はまかぜ」で最後の活躍をしていた]]
[[画像:JNR_Kiha181.jpg|thumb|240px|国鉄色の「しなの」]]
#とにかく大馬力。そして大爆音。
#*とある動画ではF1のターボ音そのものの音を立てて通過するシーンが見られる。
#**エンジンの騒音度はスーパーはくとの方がその倍に物凄い。
#今は「はまかぜ」で最後の活躍をしている。
#*山陽本線区間では最高120km/h、平均115km/h位で爆走する。そのせいか、播但線の線形があまり悪くないせいか、福知山線経由の「北近畿」と所要時間があまり変わらない。福知山線の線形が悪すぎるのが最大の原因?
#*そろそろ車歴40年?洗面台とかトイレに昭和を感じる....
#**最後の砦・はまかぜにも、平成23年春に新型車両導入でついに引退?
#*キハ189系の導入により、ついに引退。2012年までに全車廃車されてしまった。・・・今までありがとう。
#Wikipediaにはアンチが多い。
#*「はまかぜ」はしょっちゅう遅れて新快速の邪魔、とか。「北近畿」だって結構遅れちゃ207系の妨害してるし、さらに新しい「フレッシュひたち」が遅れて中電の妨害してる[[東日本旅客鉄道|東日本人貨物鉄道]]とかどうなんだよ、と
#*はまかぜのダイヤは、餘部鉄橋付近で遅延が発生する事を想定したダイヤで、あまり無理せずに回復運転が出来るようになっている。
#**そもそも「はまかぜ」の速度種別は新快速より上位だから、電化区間内ではまず邪魔にならない。
#*他にも構造の欠陥についてやたらネチっこく批判しているがそれはまた別のお話。
#嘗て「しなの」や「つばさ」、「やくも」にも食堂車付きで投入されたが、その食堂車が編成中唯一の付随車だった。
#*運用初期は山岳区間でオーバーヒートして大変だったらしいが、付随車の負荷も原因の一部だったようだ。
#**「つばさ」なんかは板谷峠での補機連結解消を目的にこの車両に置き換えられたにもかかわらず、結局エンジントラブルの多発で再度補機を連結するというハメになってしまったからな。
#***誤解の無いよう言っておくが、板谷峠に関して言えばキハ181系が非力だったのではない。電車の483系・485系も当時の東北特急標準の6M5Tや、キハ181系と同程度の性能になる6M4Tでは巻線過熱で運転できず、専用の6M3Tが指定された(MT54搭載車としては異例の高M比)。
#****因みに1982年の東北新幹線開業時の改正で上野直通のつばさが残った時、サシ481が外されたのもMT比2:1(6M3T)を確保するのが理由だったといわれている。
#***重量級の583系の入線は断念されている。
#***「つばさ」への投入は板谷峠補機解消と同時に東北本線内で電車特急との完全並行ダイヤ化の目的もあった(キハ80系の性能では無理だった)。これを果たした部分ではキハ181系に功はあったと言える。
#****上り列車で板谷峠でエンジンカットが発生しても、1両ぐらいなら上野までにだいぶ回復運転ができたと言われている。
#****これだけの高速性能がなければいかにJR西と言えど221系・223系の走る中での併用は無理だった。
#****回復運転の際には、スピードメーターが振り切っている程の高速走行をしていた事もザラだった。
#四国にいた車両の中には先頭車化改造されたり、半室グリーン車化改造を受けた車両もあった。
#*キハ181-100・キロハ180のこと。
#最後まで残っているのは、はまかぜ専用の車両。時々修学旅行の小学生を乗せる事もある。
#「おき」など特急運用の間合いで普通列車に使用されたことがある。
#*18きっぷ利用者にしてみればラッキー。
#*米子以東の普通列車が米子より「おき5号」に変わるケースがあったが、車内清掃のため一旦乗客は降ろされるため、続けて米子以西に向かう人には「?」だった。
#屋根を見ずに前面だけでキハ82とキハ181を見分けられたら、鉄でもおっさん(またはおばさん)認定。
#*上部ヘッドライトケースが四角ならキハ181・四角くなかったらキハ82。
#上記のエンジントラブルが原因で、山陰特急に転用される際にエンジン出力を落とされたり、食堂車を外された。
#*因みに国鉄時代の山陰や四国では、あえてキハ80系の性能に合わせてダイヤを設定し、余裕を持たせていた。はまかぜの山陽区間でも国鉄時代は80系時代と同じ最高100km/hだった。
#*かわいそうなのはその食堂車、キサシ180。車齢が若く、伯備線電化に伴う[[国鉄の電車#381系|電車化]]によって「やくも」撤退後は廃車されて形式消滅。サシ481・489みたいに民間へ売られてどこかで再用されるなんてことがない。
#煙の量が凄い。あまりの凄さに「やばい煙」と思い込む奴まで出てきた。
#京都口を逐われ、車両として晩年にさしかかった感のあった96.3改正で新設された鳥取~米子「いなば」が表定80km/h台を叩き出し、改めて、やればできる子であることを証明した。
#キハ183系で味をしめたのか、またもやミャンマーが一編成お買い上げ。こんなじゃじゃ馬どうする気だろう。
#*一編成どころでなくまとめ買いされて'''ミャンマーの看板特急'''に。<small>ラッピング広告されてたりするが</small>
#はまかぜ編成ではドアブザーが設置された。
#*小田急バスや西東京バスなどでお馴染みだった森尾低音ブザーに近い音がしていた。
#*国鉄特急車にドアブザーは違和感あった。ドアブザーと言われるとワンマンカーのイメージが強かった。
 
==キハ183系==
[[画像:Toyotomikiha183.jpg|thumb|240px|おかえりサロベツ]]
#新製当時、特急型気動車ではキハ81形以来の高運転台車。
#北海道専用…のはずが1本だけ道外にいる。
#*人間の名前を付けられたり、赤く塗られたり、黄色くされたりと、なかなか波瀾万丈の車両である。
#**九州にいるキハ183-1000ですな。
#***オランダ村→ゆふいんの森II世→シーボルト→ゆふDX→あそぼーい!(23年春運行開始)
#***[[国鉄485系電車]]と協調運転する能力を封じられた時間の方が既に長い。
#*北海道のは黄色くされたのではなく、黄ばんでいる。
#民営化後に製造された車両も存在する。
#国鉄が導入計画を立てたとき、国会で槍玉に挙げられた。
#*そのとき「北海道に専用の特急車両を作っても、乗客はクマしかいないんじゃないか?」という指摘に国鉄側は「'''運賃さえ払ってくれればクマでも乗せる'''」と答えた。って交通とクマって定番だな北海道。
#**ちなみにこれには元ネタがある。
#ミャンマーが中間車だけ買っていった。何に使う気だ?
#客車としてミャンマーで第二の人生を送っている
#キハ183-902は、解体される前にスーパー白鳥の試験塗装で黄緑になった。
#貫通型先頭車は、かぶりつきというほどでもないがカムイ事故以降も定期列車で前面後方展望ができる。
#*指定席を取る場合、進行方向右の座席を指定する事。運転室の後ろは窓の無い壁だ。
#キサロハ182のはまなす転用計画はいつの間にか立ち消え。
#*魔改造された785系とあまり製造時期が変わらないのでまだまだ使える。振り子式でないのが痛い。
#*ニートレイン化から十数年、車内の劣化が激しく使えたものではないという噂も・・・
#*結局これといった転用もなく、2014年秋に解体となった。
#国鉄形気動車としては、130km/hを営業運転している唯一の形式。
#国鉄形の特急型気動車では、色々な意味で完成度が高い。
#*0番台を最初見た時電車だと思った・・・。
#北海道にいる車両は現在運転を休止している。
#*該当車両はエンジンを取り替えて運用復帰した模様。
#*念のため言っておくと、全てではない。
#国鉄最末期に登場した500番台は0番台と同一形式とは思えない出来。
#*民営化直前だったため、側面のJNRマークはおろか、前面の特急マークの飾りすら付けない開き直りっぷり。
#サロベツ用の指定席車は全席コンセント付きという大サービスっぷり。
#キハ183系の話で、リゾート車両が出てこない事が多い気がする。
#*そもそもJRになってから製造されたキハ183系というものが忘れられがちである。
 
==キハ185系==
#もともとは四国用の車両だが、一部車両は九州を走っている。
#*JR四国で余剰となった車両を「あそ」などに使用するためJR九州が購入した。現在は「九州横断特急」や「くまがわ」で活躍中。
#*経営が苦しくなるであろう民営化後の四国の会社の事を考えて、国鉄が製造した車両だったのだが…。
#**四国の主要列車で活躍したのはほんの数年足らず。気がついたら2000系・8000系に全て置き換えられていた。
#**今や特急としては、数本の「うずしお」と、牟岐線・徳島線のローカル特急で運用されるのみである。
#***徳島県民にとっては一番馴染みのある特急車両。
#登場当初は深緑色の帯だったが、瀬戸大橋開通後水色の帯に変わった。
#*JR九州が購入した車両は赤系の塗色に変わっている。
#*その後、再び深緑帯に戻された車両もいる。
#**しかし国鉄時代とは微妙に配色が異なっている為、地元のファンの間では「偽国鉄色」等とも言われている。
#半室グリーン車の普通車側のシートに新幹線の使い回し品を使っていた。
#*普通車側は転換クロスだったのだが、JR九州が購入した車両はその区画もリクライニングシートに交換された。
#**「185系」つながり?
#普通列車用に改造された車両もある。
#*背もたれは倒せない様に改造されているはずなのだが、何故か倒す事が可能な座席もあるらしい。
#**多分改造工事がチャチだったので、止め具が壊れているのではないかと…。
#**キハ185-3000のこと。
#ジョイフルトレインに改造された車両もある。
#*といっても外観はそのまま。カラーリングが変わっただけである。
#半室グリーン車は使い道が無くなったので、一部は'''アンパンマンルーム'''に改造された。
#*「ゆうゆうアンパンマンカー」と名付け、徳島周辺の特急に連結させて走らせている。
#*当時の国鉄関係者が聞いたら、腰を抜かしそう。
#九州に行った仲間は別の形で改造された。
#[[JR列車/か行#九州横断特急|謎の]][[JR列車/か行#くまがわ|ワンマン]][[ジョイフルトレイン#はやとの風|特急]]に使われている。
#*違う。[[ジョイフルトレイン#はやとの風|特急のところ]]は[[国鉄の気動車#キハ40系|もっとひどい奴]]だった。[[九州旅客鉄道/路線別#指宿枕崎線の噂|謎の玉手箱特急]]も一緒。
#四国に行った仲間のうち、「[[四国旅客鉄道/路線別#特急「剣山」の噂|あい]]」(タヌキ)と、「[[四国旅客鉄道/路線別#予土線の噂|I LOVE しまんと]]」(カワウソ)の塗装が酷似している。
#何気に国鉄で、ステンレス車体を持つ特急車両と言うのは、この形式が初めてである。
#キハ85系と同世代の編成が存在する。


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{{日本国有鉄道}}
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[[Category:日本国有鉄道の車両|きやくしや]]
 
[[Category:日本国有鉄道の車両|きとうしや]]

2017年7月4日 (火) 17:22時点における版

キハ01系

  1. 国鉄が開発したちっちゃくてかわいいレールバス。
    • 高さがキハ07の4分の3ぐらいしかなかった。
  2. アクセルペダルがついていた。
  3. ワンマン運転可能だったが、組合が反対して実現できなかった。

キハ08系

  1. 気動車不足に対応するため、60系客車から改造された。
  2. 元々はキハ40・45系として登場した。
  3. キクハ・キサハまでも製作されたが、使い勝手の悪さから早期に廃車となった。
  4. 保存車両が存在する。

キハ10系

  1. かつて、気動車を代表する形式だった。
  2. 中間車も存在した。
    • 2・3等合造車も製作されたことがある。
    • 一般形気動車では本形式のみの存在で、使い勝手の悪さからそれ以降の形式では製作されなかった。
      • 準急にも使われたことがある。
  3. 2エンジン車も製作された。
  4. キハ40系が登場すると廃車が本格化した。
    • 2エンジン車のキハ51だけは代替できる車両がなく、キハ58系の転用で賄われた。
    • 最後まで生き残ったのはキニ55だった。

キハ20系

色が変わった…
  1. かつて、日本の気動車といえばこれだった。
    • 40代以上の田舎出身者なら、通学でこの車両にお世話になった人も多いはず。
  2. JR上では1993年までにほぼすべて駆逐されたが、後継のいない2エンジン車キハ52形だけがなお現役。
    • JR東日本は2008年中に廃車にすると言っていたがまだ達成されていないようだ。
      • JR東日本の盛岡支社は冷房化はともかくワンマン対応化改造までやらないのがけち臭かった。
    • 大糸線ならまだいる
      • 大糸線のは、冷房化の他、強引にトイレの撤去までしてワンマン化改造を行った。
        • 越美北線時代からそれをやっていた。
          • 大糸線のは8トラックテープの自動放送が引退時まで聞けた。
    • 西日本の125号は最近全検出場した。
    • 2010年、西日本の大糸線に残っていた3両が廃車されJRから形式消滅。
      • しかしその後も、西日本車をいすみ鉄道が引き取ったり、東日本の廃車後の留置車が整備され海外に譲渡されたり色々と目の離せない車両。
    • JR線からは淘汰されたものの、私鉄の同型車は廃車された車両もあるもののまだまだ元気に動いている。
  3. KATO製の模型はやたらと安いことで有名。何気に鉄コレよりも安い。
    • 鉄道模型入門時には最適。
    • モーター無で税込¥892・モーター付で税込¥2992。
    • そのおかげで、構造が似ているキハ52系がなんでこんなに高いのかと思ってしまう。
      • 値段が安いのも道理、ライト類点灯しない。キハ52系は点灯する。
  4. どういうわけか後継のキハ45より後まで残っている。
    • 動力近代化で大量生産されたため、キハ45系列より保守部品が入手しやすかった事情がある。
  5. なんで観光列車に使うんだ?(Kenji:キハ52)

キハ30系

在りし日の久留里線用
  1. JR線上では絶滅危惧種になっているが、茨城のほうに行けばそこそこ走っているらしい。
    • 久留里線ね。千葉県。昔は相模線とか八高線とか川越線にも居た
      • ていうか昔は新潟・関西・九州など日本全国で走っていた。
        • 下にあるように首都圏でちょっと使って廃車にする予定が国鉄の債務過大でズルズル使うことになり、結果全国配転させられては行く先々で顰蹙を買った。
      • この車両が真っ先に投入されたのは実は関西本線奈良以西。電化される前、湊町(現JR難波)-奈良はこの車両の独壇場だった。なかには湊町-名古屋のロングラン運用さえ存在した。
        • 1980年代までは関西でも普通に見られた。今は電化され都市型の路線となっている奈良線片町線でも走っていた。
  2. 事業用車でもないのにドアが埋められた車両が存在した。
    • 電化前の和田岬線で走ってたやつかな?
  3. ドアが外へ出ている
    • プラグドアってやつ?
      • 違う。プラグドアは普通のドアより上等だが、キハ30系のは外吊り扉と言って車体の外にドアレールを配置して戸袋を省略した形式。粗末
        • 名目上は軽量化が目的だが、実際には、当初キハ30系が導入された路線は、程なくして電化されるだろうから無駄なコストはかけないというのが本音だったらしい。
        • 他には、旧型客車改造のやっつけ通勤型車両にもよく見られた。
  4. ステンレスの試作車があった。
    • 最初は地色の銀色だったけど、保守するのがめんどくさいからと、たらこ色に塗装された。
  5. 名前の通りの「ロングシート」が配置されている
    • 車内は103系と殆ど同じだが、灰皿が付いてることと、便所がある(キハ35)ことで感じは少し違って見える。
  6. 「久留里線」方向幕は最近つけたものらしい
    • あれステッカーじゃないのか?
    • どこへ逝くのか分からない
  7. KIMITSU KISARAZU SODEGAURAという文字ととタヌキと植物の絵がかかれているステッカーが塗布されている。
  8. アレのおかげで久留里線では現役バリバリ。
    • しかし2012年12月で久留里線から運用消滅した。
      • "久留里線"からは運用消滅した。常総線で20年位前の譲渡車が現役で走っていることを知る人は少ないだろう。
      • 更にこんな車齢50年近くのオンボロ車を引き受けたがるがあったようで…。い鉄のは動態保存的に走るらしい。一方水島のは目論見が不明…。
  9. ローカル線に転用された後、他のキハと連結して普通列車を担当したが、この車両は人気が無くいつも空いていた。理由はただ単にロングシートだから。
    • 狭くて居住性の悪いキハ10系列と編成を組んだときなどは、乗客は(悪い意味で)どちらに乗るか迷った。
  10. 正式にはキハ30系ではなくキハ35系である。
  11. その昔、急行列車に連結していたらしい。今ではロングシートの急行なんてマスコミに叩かれるだろうに。
    • 当時の急行は全席指定ではなかった。さすがにどーしてもやりくりがつかない時の代車としてだったが。

キハ31形

  1. キハ54形の九州バージョン。急勾配を走るため、軽量化する必要があったので、車体が短くなった。
  2. くま川鉄道に譲渡された車両もあるが、一足先に廃車となった。
  3. 新幹線0系の廃車発生品転換クロスシートを改造したのを装備してる。

キハ32形

  1. 四国に投入された。見た目は当時流行りだったレールバスそのまんま。
  2. 「海洋堂ホビートレイン」として、新幹線0系もどきの外観になった車両もある。
    • 車内には0系の座席もある。
    • 四国には新幹線の建設予定もないので、これで新幹線気分を味わおうということなのだろうか?
  3. 同世代の廃車が進んでいるなか、一両の事故廃車すら出てない。

キハ37形

  1. 外見はキハ40とキハ38のあいのこと言った感じ。
  2. 量産車も登場するはずだったが、他の形式に余剰車が多く出たことにより計画はお流れに。不本意ながら国鉄の次世代気動車のコンセプト車両となった。
  3. 車両を長く使うことに定評のあるJR西にも匙を投げられた。なんとキハ20系列より先に運用を失っていた。かわいそう。
    • 長野電鉄10系電車と同様、少数派車両ゆえの宿命。
  4. 前面のデザインがどことなく東武8000系と似ている。
  5. 久留里線でのJRの運用終了後、キハ38と共に水島臨海鉄道に譲渡されるらしい。JR西日本車の立場は…

キハ38形

  1. キハ35形の改造名義で国鉄工場で新造された。実際、キハ35形の部品を流用している。
  2. 冷房がついたので喜ばれたが、その実バス用の冷房装置を使ったため、冷却能力が不足気味だったという。
  3. 縦形エンジン搭載のキハ37の構造を流用しているので、腰高になっている。

キハ40系

参宮線の
3パターンの塗装が入り混じるカラフルな6両編成
  1. 未だに北は北海道から南は鹿児島まで日本全国で見られる。
    • 北海道用の車両は窓が小さく、二重窓になっている。
      • 誰も触れてくれない事だけど、旧来車よりも温風暖房のキハ40の方が暖ったかくて嬉しかったけどね。
    • 2012年現在でも9割以上の車両が残存している。なおかつ日本全国にくまなく配置されているのは驚異的。
    • JR全社で見られる唯一の形式
      • ただし東海からは絶滅寸前
    • 全国各地に配備されてるだけあって、塗装のバリエーションも非常に豊富。鬼太郎列車をはじめアニメラッピングも数多く存在する。
  2. 「きらきらみちのく」「リゾートしらかみ」「みのり」「風っこ」「瀬戸内マリンビュー」「みすゞ潮騒」などジョイフルトレインに改造された車両も多い。
    • 極め付けは何と言っても九州の「はやとの風」「指宿のたまて箱」である。一般型から特急型へ大幅躍進。
  3. とんでも無く鈍足....山陰でキハ187から乗り換えたら余りの加速の遅さに驚いた。
    • 車体が重過ぎるのが原因らしい。
      • 上から立派な鉄製アーチ橋が落っこちてきてもつぶれなかった。
    • 車内や外観はそのままで、エンジンのみ交換されている車両も結構ある。
      • それでも鈍足…。やはり原因は車体の重さか?
        • 気動車の癖に電車並みの重さだからいけない。
    • JR四国のは今だに導入当時のエンジンのまま。なので、めちゃめちゃ鈍足&やかましい。
      • 高徳線の大坂峠越えでは、「グワァァァー!」という凄い音を立てるのに列車が止まりそうになる。
    • あんまりに荷重出力比が悪すぎて、本来後継するはずだったキハ20系の置換えに至らず。
      • 車両が小柄で居住性の悪かったキハ10系を淘汰したところで製造中止。
      • キハ37やキハ54、さらにJR化後の新型車に突き出されてキハ20系を置き換えるも、2エンジンのキハ52形にだけはとうとう代替になりえなかった。
      • 結局キハ20系の置き換えは急行列車の廃止で余剰となったキハ58系の転用で賄われた。キハ58系の方がキハ40系(機関換装前)よりもまだ性能が良く、冷房も付いた車両も多かった。
    • 重すぎる車重が原因かもしれないが、エンジンの出力増強が不十分なのも理由だろう。400ps以上の2軸駆動車でないと満足できる性能が発揮できないのでは?
  4. おそらくほぼ全ての車両がワンマン運転が可能な様に改造されている。
    • 「導入当初はワンマン対応でなかった」という辺りが国鉄車両らしい。
    • 東では未だにワンマン化されていない車両の割合が多い。
      • 新潟地区、只見線、津軽線、八戸線等。
        • しかも新潟のは灰色Hゴム扉や黄緑色化粧板、ワンマン機器がないところなどほぼ原形の車内を保っている。
      • 東海もキハ47は運転台とドアの間が広いのか全車ワンマン化改造の対象から外されていた。
    • 西や九州では運転台とドアの空間の広いキハ47形でさえ思いっきりワンマン化改造をしていた。
  5. 昔はドアの窓に網がついていた。
    • タブレットキャッチ時に窓ガラス割らないようにする為。
  6. 仲間にはキハ47系やキハ48系などもいる。
    • つっこんで良い? ダメ?
      • キハ40系列という意味ではキハ47・48共に仲間なのでつっこみ×だが、キハ40限定の単形式としてならつっこんでもいいと思うぞ。
      • 四国と九州にキハ48がいない。廃車されたのではなく、そもそもハナからいなかった。
        • キハ48は元々寒冷地仕様。暖地にはキハ47が投入された。
          • しかしキハ47の単行仕様は何故かJR西日本がキハ41を製作するまで存在しなかった。
            • キハ47はキハ40・48に比べ、広めな両扉をやや車体中央寄りに設置するなど、ラッシュ時の客捌きを重点においた「近郊型」に近い車体構造を持つ。単行で十分事足りる、ラッシュとは無縁な路線に、キハ47の単行仕様車を導入するつもりはなかった。
            • JR西がキハ47をキハ41へ改造したのは、播但線を管轄する豊岡鉄道部(今の福知山電車区豊岡支所)へ転属させられるキハ40が他所にはおらず、単行仕様へ改造できそうな車両が、同地に配置されているキハ47だけだったから。
  7. JRの非電化ローカル線といえば、この車両が1両で走っているイメージが強い。
    • キハ47形が2両で走っているのもよく見かけるぞ。
  8. 田舎の象徴!
    • 東日本エリア(特に東北)はむしろキハ110系列が田舎の象徴かも。あと大分もキハ125やキハ200・220が圧倒的。長崎似たような車両なら走ってるが...
      • そうかな?確かに八戸線や男鹿線という都市近郊路線もあるけど、五能線や只見線のような超ド田舎路線もあるわけで・・・。
        • 宇都宮駅に入線するのを忘れてはいまいか?
    • そうかと思えば札幌福岡近郊でも走ってたりする。
  9. 実は都内でも営業運転をしていた。
    • そもそも八高線が東京都を走っていること自体知らない人も多い・・・
    • 関西でも今やアーバンネットワークの一員となっている片町線福知山線でもかつては見ることができた。
  10. 九州南部ではエンジン強化型が片や普通列車、片や特急列車として走ってる。
  11. Nゲージ模型では…カトーが暖地型の2000番代を発売してたが、トミックスが2009年にHG仕様の北海道型100番代・東北等寒地型500番代・暖地型2000番代とラインナップ発売して急追。
    • KATOは最近までキハ47形がトイレなしの1000番台しかなかったのが不思議。
  12. 東日本所属車の中にはオールロングシート車が混じっている。
    • 「えちご」接続の村上~酒田や只見線で遭遇することがある。
    • 東日本だけでなく、西日本にもいるよ。
  13. JR西日本の車両にはリニューアルされた車両が多数。あと数十年は使うという意思表示としか思えない。
    • さらにタラコ色復刻も順次執行中。当分の間は安泰である。
  14. キハ20や58が消えた今、次に廃車になるのはこいつら。のろいとか旧型を置き換えたとかで嫌ってたのに、追っかけるやつが現れるんだろうなぁ。
    • 103系や113系の時のことを思えば、最初に消えるのはキハ75系やキハ25系の転属入線が予想されるここのキハ40系だと思われ。
    • 同年代に登場した50系客車が早々淘汰された事を思えば、だいぶ長命ではある。
      • 50系は短すぎるだろう。だが長生きはしている。
        • 北海道では50系客車を改造したキハ141系が現役ですが・・・
    • 東海は鬼籍入り目前、北海道や東日本も新型気動車の投入で潰そうとしている
      • 北海道や東日本の40は当分消えないと思われ
      • 「安くて手がかからない新型気動車ならまとめ買いするよ」とゆっただけで、切迫して置き換えねばならぬ理由はない。
        • が、北海道の場合は昨今の悲惨な状況で新型車の導入が間に合わず、潰すと同時に減便断行
  15. 播但線にはキハ41がいる。2両を1両に分断した、切妻形の車両である。

キハ45系

  1. キハ20系とキハ30系の間に相当する車種がなかったため、製作された。
    • キハ20系の欠点にキハ30系の利点を取り入れた。
  2. キハ20系は片開きドアであり、ラッシュ時に不向きという欠点から2扉ながら両扉で幅のあるドアにした。
    • このスタイルは後に登場する2ドア近郊形に影響を与えた。
      • 気動車では初めてであるが、実は小田急が準特急用電車であった2320形がこのスタイルを先取りしている。
  3. キハ20・30系より経年が若かったものの使い勝手が悪く(特に片運転台のキハ45)、JRになってから廃車が進んだ。
    • 皮肉なことに1世代前のキハ20・30系が未だに生き残っている。
  4. 先代のキハ20・30系と次のキハ40系に挟まれて地味な車両。
    • 製造数も保存数も少ない。
      • というか保存車の情報を調べてもなかなか出てこない。北海道にキハ24が1両だけあるようだ。
    • Wikipediaにも情報が他と比べて少ない。元々書けることが少ないだけかもしれんが。
  5. 殆ど他の気動車と併結したり単行でローカル線を走ったりしていたので、近郊型としての役目を正しく果たせたかは疑問。
  6. 形式番号はキハ40番代だが登場時期の関係でキハ40系列には含まれない。
  7. 国鉄時代、急行列車に使われた事がある。
  8. この車両も都内での運用があった。
  9. 大阪府(といっても枚方市だが)でも運用されていたが平成最初のダイヤ改正(89.3)で片町線電化に伴い消滅。

キハ54形

  1. JRに引き継ぐにあたって、北海道と四国の状況があんまりにひどいということで新製された。
    • 北海道仕様は転換クロス。一方、四国仕様は文字通りのロングシート。
      • 1両だけ789系と同じ座席を使用した車両が走っている。
        • その一両はルパンラッピングになっているらしい。
    • 四国はバスドアで安っぽく見えるが、北海道はちゃんとした引き戸なのでそれなりに見える。
  2. コスト削減のため、変速機や台車は旧型車のものを流用している。
    • ドアエンジンなどはバス用を流用
    • 但し、北海道用はほぼ新品
  3. 形式は同じだが、今は亡き急行「礼文」用に急行形仕様で落成した車両がある。
  4. 形式号54はキハ53形の次ということで順番につけられたものだが、国鉄「54」の呪いを回避する為別番号に振ることが真剣に検討されたらしい。
    • 初のペイント車両が踏切事故で廃車となったがそれは「54」の呪いか?
      • 製造時期と車体の寿命を考えるとそうかも…………(汗
        • 製造開始年が、ED54=1926、DD54=1966、キハ54=1986年ェ
        • ステンレス車体だし、JR北海道のものは台車載せ変えているからむしろ長く使いそう。
          • JR北海道では新型気動車の導入計画があるが、今のところ、置き換え候補にはなっていない模様。
    • クモハ54は長寿の部類でしたが、何か?
      • 54機関車の呪いと言った方が正しいのかも。
  5. 国鉄~JRの垂れ流し式トイレを持つ車両としては、最後の新造車両。
  6. 夜行列車に使われたことがある。

キハ55系

  1. 準急用気動車として初めて製作された。
    • 元々は日光用として製作されたが、日光線が電化すると157系に置き換えられてしまった。
  2. キロハはなぜか便所が運転室側にあった。
    • 優等客室からエンジンを遠ざけるのに機器配置をキハ26と逆にしたから。
  3. 国鉄から準急がなくなると次第に普通列車に転用された。
  4. 最後まで生き残ったのはキニ56だった。
    • 常磐線の荷物列車でキニ55・58と共に使われた。
      • 電化区間でありながらキニが使われたのは交直両用の荷物電車の製作が難しかったため。
      • それと、隅田川駅のホームが非電化だったから。
  5. 南海電鉄同型車両を保有していたことがある。
    • 事故車が関東鉄道に譲渡され、史上初の4ダァ気動車となった。
    • 同形車は島原鉄道にも存在した。
  6. 北海道ではキハ55とほぼ同等の車内設備を持つキハ22が準急にも幅広く使用されたため、キハ55系の北海道バージョンは製造されなかった。但し暫定的に夏季のみ北海道で使用されたことはある。
  7. 1956年11月改正で10系客車とともに登場。しかし、こちらはキハ81形登場後の1961年春まで製造されていた。

キハ58系

東北地域本社色のキハ58系
  1. 全国津々浦々で見かけることが出来た。
    • 今や東北・四国・九州に数えるぐらいしか走っていない。
      • まて!山陽は?山陽がないぞ!あと新潟も(新潟と四国は撤退が決定しました。東北は撤退済み)
        • 純粋なキハ58形は九州で撤退済
  2. 「電車でGO!」でプレイできる。
    • この場合は「気動車でGO!」かもしれない。
  3. 末期の生産車はパノラミックウィンドウが奢られていた。
    • 冷房準備車として登場しながら、冷房を搭載しなかった車両もある。
  4. 四国にはキユ25という郵便車もあった。
    • キロ28・キロ58の一部は荷物車や郵便・荷物合造車に改造された。
    • しかも車体更新した上に数年後には郵便・荷物輸送で廃車に。
      • 正しくは郵便・荷物輸送廃止による。前面はキハ40系と共通。
        • 色もオレンジ一色の首都圏色だったような…
    • これのNゲージの完成品はTOMIXの旧製品(絶版)くらいしかない。
      • しかし2010年頃のリニューアルに併せてキユ25が再びラインナップされた。
  5. ジョイフルトレインになった車両もある
    • 485系に連結(けん引)できるよう改造されたものもある。
  6. 九州でTORO-Qを国鉄急行色に塗り替えたリバイバル急行を絶賛運行中。但し2010年8月まで。
  7. キハ65は実質同系列の扱いになっている。
    • 鉄道雑誌では100%、キハ58・65系として扱われる。
  8. キハ56はキハ80の代走として特急「北斗」になったことがあるらしい。
  9. 2011年に高山線を最後として定期運用終了。一つの時代が終わった。
  10. いすみ鉄道でイベント用としてではあるが元高山本線用のキハ28が復活。
    • キハ52と併結して運転らしい。
  11. 旧国鉄以外では富士急行が保有していたことがある。
    • 自社は電化されていたが、当時気動車で運転されていた国鉄の急行に併結するためにわざわざ気動車を作った。
    • オリジナルのキハ58にはなかった両運転台車も存在した。
      • 但しオリジナルのキハ58も国鉄民営化前後に両運転台に改造された車両がある。
        • この車両はキハ53を名乗っていたもののオリジナルのキハ53(キハ45系の両運転台2エンジンタイプ)とは全く異なっていた。
    • 国鉄急行の電車化で不要になった後は有田鉄道に引き取られたが、そこでも国鉄線への直通を行なっていた。
      • 有田鉄道の廃止後も現地で1両が保存されている。
  12. 修学旅行用仕様の車両も存在していた。
    • 800番台。外部塗装も155系電車などと同じく黄色と赤のツートンカラーだった。

キハ65形

  1. キハ58系の冷房化に際して1エンジン車に冷房用電源を取り付けたが、勾配線区では1エンジン車では非力なので冷房用電源付きの2エンジン車相当の高出力車が必要となり、製作された。
    • そのためか、キハ58系と同系列の扱いをされることが多い。
  2. 側面はよく見れば12系客車と何となく似ている。
    • Nゲージで製品化されるまではキハ58の前面、12系の車体、キハ181の床下を組み合わせて改造したものが定番だった。
  3. ジョイフルトレインに改造された車両の中には485系電車と併結できるようにした車両がある。
  4. 急行形だが、JR化後に足回りはそのままで定期特急「エーデル鳥取」「エーデル北近畿」に使用された車両もある。
    • 最高速度95km/hなので詐欺っぽいが、「北近畿」も100km/h以上出せる区間は限られていたので、結果城崎までは「北近畿」と大して変わらない所要時間で走っていた。
    • 七尾線が非電化だった頃は「ゆぅトピア和倉」として特急「雷鳥」に併結されていた。キハ65は設計上は最高95km/hなのに最高120km/hで走っていた。但し自力走行ではなく無動力で電車に牽引されていた。
  5. どういう訳かトイレがなかった。
    • ↑のエーデルへの改造時にはトイレの設置も同時に行われた。
    • キハ58との併結が前提だったから
  6. 空気バネ台車を使っているにも関わらず、乗り心地はコイルバネ台車のキハ58系と比べて悪かったらしい。
  7. 高出力な割りにひ弱な駆動系を使っていたようで、特に逆転器が逝くことが多かったらしい。肥薩線などスイッチバックがある路線での運用はヒヤヒヤものだったようだ。

キハ66・67系

普通ワンマン竹松行き
  1. いわゆる「シーサイドランナー」
    • 「シーサイドライナー」な。
  2. かなり馬力があるらしい
    • 馬力はキハ65搭載のエンジンと同レベルらしい。
    • 最近エンジンを交換した。
      • その絡みで(?)屋根上からラジエターやら冷却水強制循環ポンプ等とそれらにかかわる配管が消えた。屋根上スッキリしたのはいいが、往時を知るファンからは「何か物足りない」という声があるとか…。
  3. 車内で会話ができないらしい
  4. 電車のクーラーを採用したとか
  5. キハ200系と比較して「ハズレのほう」。
    • ただキハ66・67にはトイレ付いているしな……
    • でも1975年の登場時を考えるとかなりレベルの高い車両では。
  6. 元々筑豊地区の輸送改善に快速用として1975年に投入された。キハ200の快速<赤い快速>新設後は普通列車に転用。篠栗線・筑豊線電化で直方気動車区から長崎車両センター(新設)へ移籍。国鉄時代生まれの一般型ディーゼルカーとして初めて側面に行先幕設置。
    • 新幹線博多開業に備え、筑豊地区輸送改善のために製造。
  7. この車両を基にして117系電車が生まれた。よく見ると側面の窓配置が似ている。
    • キハ40系列の基にもなった。よく見たら前面の形状が同じ。
  8. 国鉄時代には有料の急行にも使用されていた。
    • 登場当時のカラーリングも一般型のそれではなく急行型のそれだった。
  9. キハ66とキハ67の2両一組。
  10. 転換クロスシート、冷房付きなど当時の国鉄一般形としては超の付くデラックス仕様。
    • 空気バネ台車も。
    • 高い製造コストと、過大な自重のせいで他のローカル線への導入ができなかったため、30両で製造打ち切り。
  11. 在来車と同じジャンパ連結器を2基装備したので異形式連結ができる。国鉄時代はキハ58系を併結して急行運用に就いてた。

キハ80系

「ひだ」
ブルドッグ
  1. 実は最後まで保有していたのはJR東海。
    • さよなら運転も行った。
    • 最後の営業運転はJR北海道のトマムサホロエクスプレスである。
  2. 耐寒性能はそれほど高いわけではなく、北海道での運用はとても寒かったらしい。
    • とはいえ、北海道の過酷な環境では速度が出せずキハ80の低性能はあまり問題にならなかったとか。
      • ガセ。「北斗」などなんと表定速度91km/h(最高速は100km/h)でぶっ飛ばしているのだ。
    • 他系列では北海道用とそれ以外では形式が分かれていたが、本系列は同じだった。
  3. キハ181系と見分けるのは難しい。
    • 前照灯と尾灯のケースが丸みを帯びているのと、側扉が引き戸式になっているのがポイント。
    • ほかにも、キハ181系は中間車の屋根上の両側面に黒くて大きな放熱器をズラリと担いでいるし、エアコンもキノコ型ではない。また、国鉄塗装同士なら先頭車の側面帯の運転台側の塗り分けの形状も違う。ぶっちゃけ、見分けはむしろ簡単な部類ではないかと…。
  4. 屋根の色が黒い車両と白い車両がいる。
  5. 「はつかり、がっかり、事故ばっかり」
    • そういえば、後継のE751系も故障が多いとよく聞く。
  6. あまり、触れられていないが、この形式の最後の運転は北海道である。
  7. 貫通式のキハ82が民営化後まで残ったのに対し、ボンネット型のキハ81は早くも1978年に紀勢本線の「くろしお」で引退した。
    • キハ81の愛称は「ブルドッグ」。
    • キハ81は試作要素が強いからしょうがない。
  8. なんだかんだ言って、現在の特急列車網(新幹線含む)の礎を築きあげた車両。

キハ91系

  1. 1967年に初の高出力気動車としてデビューした急行形。500psエンジンを搭載し電車特急並みに走れた。
  2. キハ65・66・67系、キハ181・183系はこの形式の技術を踏襲。
  3. 中央西線や高山本線を走っていた。
  4. 3枚折戸が特徴だった。
  5. 早くも1976年9月にさよなら運転が行われ、翌年に廃車解体された。

キハ181系

「はまかぜ」で最後の活躍をしていた
国鉄色の「しなの」
  1. とにかく大馬力。そして大爆音。
    • とある動画ではF1のターボ音そのものの音を立てて通過するシーンが見られる。
      • エンジンの騒音度はスーパーはくとの方がその倍に物凄い。
  2. 今は「はまかぜ」で最後の活躍をしている。
    • 山陽本線区間では最高120km/h、平均115km/h位で爆走する。そのせいか、播但線の線形があまり悪くないせいか、福知山線経由の「北近畿」と所要時間があまり変わらない。福知山線の線形が悪すぎるのが最大の原因?
    • そろそろ車歴40年?洗面台とかトイレに昭和を感じる....
      • 最後の砦・はまかぜにも、平成23年春に新型車両導入でついに引退?
    • キハ189系の導入により、ついに引退。2012年までに全車廃車されてしまった。・・・今までありがとう。
  3. Wikipediaにはアンチが多い。
    • 「はまかぜ」はしょっちゅう遅れて新快速の邪魔、とか。「北近畿」だって結構遅れちゃ207系の妨害してるし、さらに新しい「フレッシュひたち」が遅れて中電の妨害してる東日本人貨物鉄道とかどうなんだよ、と
    • はまかぜのダイヤは、餘部鉄橋付近で遅延が発生する事を想定したダイヤで、あまり無理せずに回復運転が出来るようになっている。
      • そもそも「はまかぜ」の速度種別は新快速より上位だから、電化区間内ではまず邪魔にならない。
    • 他にも構造の欠陥についてやたらネチっこく批判しているがそれはまた別のお話。
  4. 嘗て「しなの」や「つばさ」、「やくも」にも食堂車付きで投入されたが、その食堂車が編成中唯一の付随車だった。
    • 運用初期は山岳区間でオーバーヒートして大変だったらしいが、付随車の負荷も原因の一部だったようだ。
      • 「つばさ」なんかは板谷峠での補機連結解消を目的にこの車両に置き換えられたにもかかわらず、結局エンジントラブルの多発で再度補機を連結するというハメになってしまったからな。
        • 誤解の無いよう言っておくが、板谷峠に関して言えばキハ181系が非力だったのではない。電車の483系・485系も当時の東北特急標準の6M5Tや、キハ181系と同程度の性能になる6M4Tでは巻線過熱で運転できず、専用の6M3Tが指定された(MT54搭載車としては異例の高M比)。
          • 因みに1982年の東北新幹線開業時の改正で上野直通のつばさが残った時、サシ481が外されたのもMT比2:1(6M3T)を確保するのが理由だったといわれている。
        • 重量級の583系の入線は断念されている。
        • 「つばさ」への投入は板谷峠補機解消と同時に東北本線内で電車特急との完全並行ダイヤ化の目的もあった(キハ80系の性能では無理だった)。これを果たした部分ではキハ181系に功はあったと言える。
          • 上り列車で板谷峠でエンジンカットが発生しても、1両ぐらいなら上野までにだいぶ回復運転ができたと言われている。
          • これだけの高速性能がなければいかにJR西と言えど221系・223系の走る中での併用は無理だった。
          • 回復運転の際には、スピードメーターが振り切っている程の高速走行をしていた事もザラだった。
  5. 四国にいた車両の中には先頭車化改造されたり、半室グリーン車化改造を受けた車両もあった。
    • キハ181-100・キロハ180のこと。
  6. 最後まで残っているのは、はまかぜ専用の車両。時々修学旅行の小学生を乗せる事もある。
  7. 「おき」など特急運用の間合いで普通列車に使用されたことがある。
    • 18きっぷ利用者にしてみればラッキー。
    • 米子以東の普通列車が米子より「おき5号」に変わるケースがあったが、車内清掃のため一旦乗客は降ろされるため、続けて米子以西に向かう人には「?」だった。
  8. 屋根を見ずに前面だけでキハ82とキハ181を見分けられたら、鉄でもおっさん(またはおばさん)認定。
    • 上部ヘッドライトケースが四角ならキハ181・四角くなかったらキハ82。
  9. 上記のエンジントラブルが原因で、山陰特急に転用される際にエンジン出力を落とされたり、食堂車を外された。
    • 因みに国鉄時代の山陰や四国では、あえてキハ80系の性能に合わせてダイヤを設定し、余裕を持たせていた。はまかぜの山陽区間でも国鉄時代は80系時代と同じ最高100km/hだった。
    • かわいそうなのはその食堂車、キサシ180。車齢が若く、伯備線電化に伴う電車化によって「やくも」撤退後は廃車されて形式消滅。サシ481・489みたいに民間へ売られてどこかで再用されるなんてことがない。
  10. 煙の量が凄い。あまりの凄さに「やばい煙」と思い込む奴まで出てきた。
  11. 京都口を逐われ、車両として晩年にさしかかった感のあった96.3改正で新設された鳥取~米子「いなば」が表定80km/h台を叩き出し、改めて、やればできる子であることを証明した。
  12. キハ183系で味をしめたのか、またもやミャンマーが一編成お買い上げ。こんなじゃじゃ馬どうする気だろう。
    • 一編成どころでなくまとめ買いされてミャンマーの看板特急に。ラッピング広告されてたりするが
  13. はまかぜ編成ではドアブザーが設置された。
    • 小田急バスや西東京バスなどでお馴染みだった森尾低音ブザーに近い音がしていた。
    • 国鉄特急車にドアブザーは違和感あった。ドアブザーと言われるとワンマンカーのイメージが強かった。

キハ183系

おかえりサロベツ
  1. 新製当時、特急型気動車ではキハ81形以来の高運転台車。
  2. 北海道専用…のはずが1本だけ道外にいる。
    • 人間の名前を付けられたり、赤く塗られたり、黄色くされたりと、なかなか波瀾万丈の車両である。
      • 九州にいるキハ183-1000ですな。
        • オランダ村→ゆふいんの森II世→シーボルト→ゆふDX→あそぼーい!(23年春運行開始)
        • 国鉄485系電車と協調運転する能力を封じられた時間の方が既に長い。
    • 北海道のは黄色くされたのではなく、黄ばんでいる。
  3. 民営化後に製造された車両も存在する。
  4. 国鉄が導入計画を立てたとき、国会で槍玉に挙げられた。
    • そのとき「北海道に専用の特急車両を作っても、乗客はクマしかいないんじゃないか?」という指摘に国鉄側は「運賃さえ払ってくれればクマでも乗せる」と答えた。って交通とクマって定番だな北海道。
      • ちなみにこれには元ネタがある。
  5. ミャンマーが中間車だけ買っていった。何に使う気だ?
  6. 客車としてミャンマーで第二の人生を送っている
  7. キハ183-902は、解体される前にスーパー白鳥の試験塗装で黄緑になった。
  8. 貫通型先頭車は、かぶりつきというほどでもないがカムイ事故以降も定期列車で前面後方展望ができる。
    • 指定席を取る場合、進行方向右の座席を指定する事。運転室の後ろは窓の無い壁だ。
  9. キサロハ182のはまなす転用計画はいつの間にか立ち消え。
    • 魔改造された785系とあまり製造時期が変わらないのでまだまだ使える。振り子式でないのが痛い。
    • ニートレイン化から十数年、車内の劣化が激しく使えたものではないという噂も・・・
    • 結局これといった転用もなく、2014年秋に解体となった。
  10. 国鉄形気動車としては、130km/hを営業運転している唯一の形式。
  11. 国鉄形の特急型気動車では、色々な意味で完成度が高い。
    • 0番台を最初見た時電車だと思った・・・。
  12. 北海道にいる車両は現在運転を休止している。
    • 該当車両はエンジンを取り替えて運用復帰した模様。
    • 念のため言っておくと、全てではない。
  13. 国鉄最末期に登場した500番台は0番台と同一形式とは思えない出来。
    • 民営化直前だったため、側面のJNRマークはおろか、前面の特急マークの飾りすら付けない開き直りっぷり。
  14. サロベツ用の指定席車は全席コンセント付きという大サービスっぷり。
  15. キハ183系の話で、リゾート車両が出てこない事が多い気がする。
    • そもそもJRになってから製造されたキハ183系というものが忘れられがちである。

キハ185系

  1. もともとは四国用の車両だが、一部車両は九州を走っている。
    • JR四国で余剰となった車両を「あそ」などに使用するためJR九州が購入した。現在は「九州横断特急」や「くまがわ」で活躍中。
    • 経営が苦しくなるであろう民営化後の四国の会社の事を考えて、国鉄が製造した車両だったのだが…。
      • 四国の主要列車で活躍したのはほんの数年足らず。気がついたら2000系・8000系に全て置き換えられていた。
      • 今や特急としては、数本の「うずしお」と、牟岐線・徳島線のローカル特急で運用されるのみである。
        • 徳島県民にとっては一番馴染みのある特急車両。
  2. 登場当初は深緑色の帯だったが、瀬戸大橋開通後水色の帯に変わった。
    • JR九州が購入した車両は赤系の塗色に変わっている。
    • その後、再び深緑帯に戻された車両もいる。
      • しかし国鉄時代とは微妙に配色が異なっている為、地元のファンの間では「偽国鉄色」等とも言われている。
  3. 半室グリーン車の普通車側のシートに新幹線の使い回し品を使っていた。
    • 普通車側は転換クロスだったのだが、JR九州が購入した車両はその区画もリクライニングシートに交換された。
      • 「185系」つながり?
  4. 普通列車用に改造された車両もある。
    • 背もたれは倒せない様に改造されているはずなのだが、何故か倒す事が可能な座席もあるらしい。
      • 多分改造工事がチャチだったので、止め具が壊れているのではないかと…。
      • キハ185-3000のこと。
  5. ジョイフルトレインに改造された車両もある。
    • といっても外観はそのまま。カラーリングが変わっただけである。
  6. 半室グリーン車は使い道が無くなったので、一部はアンパンマンルームに改造された。
    • 「ゆうゆうアンパンマンカー」と名付け、徳島周辺の特急に連結させて走らせている。
    • 当時の国鉄関係者が聞いたら、腰を抜かしそう。
  7. 九州に行った仲間は別の形で改造された。
  8. 謎のワンマン特急に使われている。
  9. 四国に行った仲間のうち、「あい」(タヌキ)と、「I LOVE しまんと」(カワウソ)の塗装が酷似している。
  10. 何気に国鉄で、ステンレス車体を持つ特急車両と言うのは、この形式が初めてである。
  11. キハ85系と同世代の編成が存在する。

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