もしあのJクラブの監督が○○だったら
就任しなかったら
イビチャ・オシム(千葉)
- ジェフは今ごろJ2を彷徨っていた。
- 少なくとも、2009年以前にJ2降格の憂き目に遭っていたのは間違いないだろう。
- ただ、同時のGMを務めた祖母井氏の事なのでオシム氏に匹敵する様な監督を招聘していたかも知れない。
- 日本代表の監督就任もなかった。
- 代表監督には岡ちゃんが復帰していたかも。あるいはシャムスカとか。
- フッフバルトが就任して「ギドジャパン」がという可能性もある
- ブッフバルトね。
- 契約が残っていたけどガンバの西野朗とか
- 当時フリーに近かったセレーゾが就任してたと思う
- 関塚監督をフロンターレから引き抜く…という可能性もありえたかもしれない。
- 2006年中ならまずそれはありえない。J2から昇格したばかりだった川崎に対する協会内での認知度も低かっただろうし。
- 阿部勇樹は欧州へ移籍していた。
- 或いは浦和への移籍が早まってジェフ時代の阿部はフリューゲルス時代の遠藤の様にマイナーな存在になっていた
- 巻誠一郎が代表に選ばれる事もなかった。
- SMAPの草薙がやっている「悲劇の監督オシモ」もなかった。
- 今の監督はアマルじゃなかった(2007年現在)。
- リトバルスキーはアビスパ福岡では無くジェフ千葉の監督に就任していた
ハンス・オフト(浦和)
- タイトル獲得はおろか、2度目のJ2降格を味わっていた。
- 負けが重なる度にサポーターが減っていった。
- 今もなおホームゲームは駒場。埼スタは超赤字スタジアムと化した。
- そして大宮と合併し、「さいたまレッドアルディージャ」となっていた。
- 史実通りブッフバルトが監督になっても、最高でも中位争いにとどまった(移籍組を除き、当時の主力がオフトの元で育った選手が中心だったため)。
- 一昔前のガンバや、名古屋のようなポジションに落ち着いていた。
ペリクレス・シャムスカ(大分)
- ポタフォゴの監督をもう少し長く務めていた。
- 当然「シャムスカ・マジック」もないので大分は2005年にJ2降格していた。
- 同年のJ1優勝争いにも大きく影響した。
- 浦和やガンバが大分相手に星を落とすことはなく、最終節前にセレッソが首位に立つ可能性は低かった。よって「長居の悲劇」は再発せず。
- ただ降格を機に身の丈に合った健全経営に移行→その後リーグ側から6億円もの借金をするような事態にはならなかったかも知れない。
- 西川周作は史実より早い時期に広島か浦和に移籍していた
- 同年のJ1優勝争いにも大きく影響した。
- 九州勢のタイトル獲得は未だに無い。
- 2009年の14連敗はなかった。
- もちろん2014年に磐田の監督に就任することもなかった。
- 名波浩の監督就任が早まったかもしれない(史実では2014年途中に就任。それもシャムスカの後任で)。
ミハイロ・ペトロヴィッチ(広島)
- 少なくとも、2012年の優勝はなかった。
- 当時の監督代行だった望月一頼が昇格していた。
- 実際この時点でセレーゾとハシェックに断られ、なり手がいない状況だった。
- この年はその後も残留争いを余儀なくされ、場合によってはJ2へ降格していた。
- ポポヴィッチが日本で監督になることはなかった。
- 大分はともかく、ゼルビアに関しては大きく歴史が変わっていたかもしれない。
- もしかしたら町田ゼルビアのJ2昇格はなかった可能性も。1年早くアルディレスが就任してれば分からないが…
- FC東京は大熊清がそのまま続投していた…か?
- 大分はともかく、ゼルビアに関しては大きく歴史が変わっていたかもしれない。
- 当然その後浦和の監督になることもなかった、と考えると現在(2013年)は誰がやっていることやら?
- 順当にいけばひとまず堀孝史の昇格か、または福田正博を監督に就任させたか…だと思う。
- 槙野智章・森脇良太が浦和に移籍して来ることもなかった(柏木陽介はミシャ就任前に既に移籍していたので史実通り?)
- あと、西川周作・李忠成も。
- J2降格で監督解任・辞任がこれまでの規定路線だったので、2007シーズンのJ2降格決定時にミシャを解任しなかったことのJリーグへの影響は少なからずあったと思う。上の大熊もその一人だけど。
- これを考えると2011年の柏の優勝も無かった可能性がある。
- 森保一が史実より何年か早い時期に広島の監督に就任していた
- ただペトロビッチ時代のフォーメーションをある程度受け継いでチームを強化してきた事考えると史実よりリーグ制覇に苦労するかも知れない、まして史実どおり主力が浦和へ流出となったら
- 代表監督に就任することもなかった。
- 森保一の退任が史実より早まった場合、チームOBである片野坂知宏か風間八宏が監督に就任していた(時期として2016年~2018年ごろを想定)
- 片野坂知宏が広島の監督に就任していた場合、2018年のJ1リーグ戦で何とか逃げ切って優勝しこの時に広島は初タイトルを得ていた
- 史実では2018年のJ1では後半に息切れして広島は優勝を逃している
西野朗(G大阪)
- もしかしたらリーグ優勝はおろか、史実(2012年)より早くJ2降格の憂き目に遭っていたかもしれない。
- 二川孝広、橋本英郎のブレイクは勿論、大黒将志の日本代表入りは無かった。
- 遠藤保仁にも影響はあったかもしれないが…まあ、あまり大きくない気もする。
- 吉原宏太、都築龍太、新井場徹などの移籍は無かった。
- 2002年以降の浦和、鹿島の成績にも少なからず影響を与えているのは必至で、川崎か千葉が一度はリーグ優勝しているかもしれない。
片野坂知宏(大分トリニータ)
- 大分トリニータの2018年でのJ1昇格は無かった
- 最悪大分はJ2への復帰を2019年現在でも果たせず、再び財政難に陥る可能性も
- 2018年度もJ3に居た場合、前年まで清水エスパルスの監督を務めていた小林伸二がトリニータの監督に復帰しようやくJ2に復帰する形になる
就任していたら
関塚隆(札幌)
関塚隆は2004年から2008年まで川崎フロンターレの監督を務め、J1昇格、さらに首位争いに加わりACL出場にまで導きましたが、川崎だけでなくコンサドーレ札幌も監督就任オファーを出していました。もし、川崎でなく札幌の監督に就任していたら…
- 代わりに柳下正明が川崎の監督になっていたかも。
- 札幌がJ1昇格を2005年までに決め、2008年現在ではJ1中位に定着した可能性が高い。
- 低予算なので大物選手の獲得は無いが、優秀な下部組織を持つ札幌だけに若手選手の台頭は著しくなっていた。
- 一方、川崎はJ1になかなか辿り着けず、中村憲剛らは移籍していただろう。
- それよか、今現在で引退していた可能性もあっただろう(関塚監督就任後にレギュラーに定着したため)。
- 少なくともJ1に昇格できていたとしても、残留争いの常連となっていただろう。
- 札幌の鹿島色は強くなっており、現在までに一つぐらいはタイトルを獲得していたかもしれない。
- 相馬直樹も札幌に移籍して現役引退し、その後監督に就任していたかも。
長澤和明(山形)
1996年、モンテディオ山形はジュビロ磐田の初代監督でクラブをJリーグに昇格させた長澤和明(女優長澤まさみの父)に監督就任のオファーをしましたが、当時小学生だった娘・まさみが静岡を離れたくない、と拒否したため話は流れ、代わって長澤の紹介で大学時代のチームメイトだった石崎信弘が監督に就任しました。その後石崎が監督として色々なクラブを渡り歩くことになる訳ですが、もしまさみがゴネずに当初の予定通り長澤が山形の監督に就任していたら果たしてどうなっていたでしょうか?
- 名監督・石崎の誕生はなかった。
- 代わりに長澤が石崎が監督を務めたクラブ(モンテディオ山形→大分トリニータ→川崎フロンターレ→清水エスパルス→柏レイソル→コンサドーレ札幌)で指揮を執っていた。
- (家族で山形に引越していた場合)長澤まさみの芸能界入りもなかった可能性大。
- 芸能界入りは生田智子(ゴン中山夫人)の薦めだったので。
- 常葉学園サッカー部の監督として高校選手権に出場することもなかったかも。
フース・ヒディンク(名古屋)
1994年、名古屋グランパスエイトの監督候補となったヒディンクですが、同時期にオランダ代表の監督就任のオファーが来た為、立ち消えとなりました。もし、オランダ代表でなくグランパスの監督に就任していたら…。
- ストイコビッチがグランパスで活躍できていたかは微妙なところ。
- グランパスの監督にベンゲルが就任しないので、フランスの後の岡田の後任は誰になっていたか…。
辞任していなかったら
- 年は辞任した年を書いて下さい。
レネ・デザイェレ(C大阪・1999年)
1999年、セレッソ大阪の監督に就任したレネ・デザイェレ。シーズンの成績は19勝11敗の6位と好成績を残しましたが、クラブとの方針の違いにより天皇杯を目前にした12月に辞任しました。
もし、2000年以降もレネが監督を続けていたら…?
- 2000年の1stステージで優勝していた。
- Jリーグにおける関西勢の初タイトルになっていた。
- 2001年のセレッソのJ2降格は無かった。
- この場合降格したのはアビスパとF・マリノスorヴェルディ。
岡田武史(札幌・2001年)
- 少なくとも2003年はJ1。
- 横浜F・マリノス監督就任もなかっただろう。
- 柱谷哲二が「凍傷」と呼ばれることもなかった。
- 山瀬功治はマリノスに移籍しなかった。
- ハーフナー・マイクも札幌ユースからトップに昇格していた。
ヴァレリー・ニポムニシ(広島・2001年)
2001年、サンフレッチェの監督に就任したヴァレリー・ニポムニシ。1stステージは13位と低迷するも、2ndステージは3位と良い成績を残しました。しかし、この年の11月に夫人の病気を理由としてあっさり辞任してしまいます。
もし、2002年以降もヴァレリーが監督を続けていたら…?
- 少なくとも、翌年のJ2降格は無かった(この場合降格したのはコンサドーレとヴィッセルorレイソルか?)
- 久保竜彦は日本代表に選ばれているだろう。
- マリノスへの移籍も無かった。
関塚隆(川崎・2008年)
2009年シーズンに復帰した関塚隆監督ですが、その前年はJ1優勝を含むタイトル奪取を期待されながらも、フッキの移籍騒動による心労や自らの健康問題を理由にシーズン途中の辞任を余儀なくされました。
もし、2008年シーズンに何事も起きずに辞任せずにフルシーズンで監督を務めていたら…。
- それでもフッキの退団騒動は回避できなかった。
- 優勝争いに加われたかどうかは微妙なところ。
- 史実では高畠勉監督(現・ヘッドコーチ)の就任後に成績を上げた感がするので。
- 我那覇の出番はもう少し増え、戦力外通告で川崎を去ることもなかった。
- ドーピング騒動がひと段落ついたところで代表に返り咲いていた。
- レナチーニョの加入は無く、ジュニーニョ・鄭大世・我那覇の3トップになっていた。
- 確実に2009年あたりで一つぐらいはタイトルを獲得しており、ガンバ時代の西野監督並みの長期政権になっていた。
- U-22の監督にはおそらく城福浩が就任していた(当然、史実通り2010年に東京の監督を退任していたら)。
- そのあとの低迷期は無く、2010年以降の川崎の成績は史実よりも良くなっていた。
内田一夫(甲府・2010年)
2010年シーズン、甲府をJ1へ導きながらも指導経験の乏しさを疑問視したクラブの判断で、1年限りで退任となった内田監督。もし、翌年も内田監督が指揮を執ったら…
- 少なくとも翌年、甲府が1年でJ2へ降格することは無かった。
- となれば、ハーフナー・マイクは残留していたはず。
- 城福浩は相馬直樹の解任と共に、川崎の監督に就任していた。
- 逆に浦和がJ2へ降格し、冬の時代が到来していた可能性が。
尹晶煥(鳥栖・2014年)
2014年シーズン、サガン鳥栖から「今後のチーム作りのビジョンや考え方がクラブと合わない」という謎の理由で解任された尹晶煥監督。もし監督を続けていたら…。
- その年のサガンの最終成績は5位だったので、もしかしたら優勝していたかも…。
- その後のセレッソの監督就任も、無かったか遅れていた。