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==主な路線の噂==
*史実で指名していない球団が指名していた場合は[[もしあのプロ野球選手があの球団にドラフト指名されていたら]]へお願いします。
*[[東海道本線]]
*ドラフト以外で入団した選手は[[もしあのプロ野球選手があの球団に入団していたら]]へお願いします。
*[[横須賀線]]
*史実でプロ入りしていない選手は[[もしあの選手が日本プロ野球入りしていたら]]へお願いします。
*[[湘南新宿ライン]]
*抽選の結果、指名を拒否した選手が指名球団に素直に入団していた場合は[[もしあの選手がドラフト指名を拒否しなかったら]]へお願いします。
*[[京浜東北線・根岸線]]
==1980年代以前==
*[[山手線]]
===江夏豊(1966)===
*[[鶴見線]]
※史実では阪神に入団
*[[武蔵野線]]
;巨人
*[[中央本線]]
#1968年の奪三振がさらに増えていた。
*[[中央快速線]]
#高橋一三とともに左腕の二枚看板を形成する。
*[[中央・総武緩行線]]
#南海か日本ハムへトレードされた可能性もある。
*[[総武本線]]
#現実と真逆に阪神の打者(特に田淵幸一あたり)との因縁の対決が話題になる。
*[[青梅線・五日市線]]
#引退後にクスリに手を出さなかった可能性がある。
*[[南武線]]
*[[横浜線]]
*[[相模線]]
*[[東北本線]]
*[[宇都宮線]]
*[[高崎線]]
*[[埼京線]]
*[[川越線]]
*[[八高線]]
*[[常磐線]]
*[[常磐緩行線]]
*[[京葉線]]
*[[上野東京ライン]]
*[[信越本線]](高崎~横川)
*[[東日本旅客鉄道/千葉支社|千葉県内のJR線]]


==水郡線の噂==
;東映
[[画像:KihaE130-1.jpg|thumb|240px|中途半端な自然をバックに]]
#尾崎行雄に代わる先発のエースとして定着。
*[[茨城の鉄道]]も参照。
#日本ハムへの売却時に放出されたかも。
#キハE130系が投入された。
#高橋直樹はトレードされず、引退まで日本ハムに所属していた。
#*小海線のハイブリッド車両に似ているが、普通のディーゼルエンジン。
#*その置き換えでキハ110は東北のキハ52を置き換えた。
#*2ドアで何とかなるだろうと思ったら混雑が激しすぎて3ドアを入れたくなったのが原因らしい。
#常陸太田駅の向かい側には、日立電鉄の常北太田駅があったが、みんな水戸へ行くのに便利なこっちに乗っていたようだ。
#*大甕に出る人はあまりいないだろうからな…(終着駅は鮎川だし)
#乗り遅れると悲惨な目にあう
#朝の通勤時間帯と夜(6時~7時30分)位に毎日のように鉄道オタクがいる(いつも同じ人)
#発車メロディ付の駅が全47駅中2駅(水戸と郡山)しかない(そのうちの郡山駅は実際は水郡線の終点の次の駅)
#*ローカル線だからしょうがないかなぁ・・・。
#無人駅多し
#*有人駅は10駅ほどしかない
#常陸太田駅から水戸へ行くのに13時11分を見送ると次は15時12分
#*驚異的な間隔
#*まだましなほう(只見線とかさ・・・)。
#**郡山からだと臨時列車の運転なければ、9時18分の次が、13時45分…
#どうも茨城の路線としか思えない(福島にも行くが、福島のイメージなし)
#*実は全行程約140kmの半分強は福島県内を走る。ただし、管轄は浜通り同様に福島県内でも全線水戸支社。
#常磐線への乗り換えが面倒なので利用者は東京直通になればいいなと思っている
#*東京でも4両以上は水郡の民が許さない
#*急行「奥久慈」を復活したらいいのでは
#**快速の方がいいと思う。この手の路線は急行を復活させてもそんなに儲からない。
#***水戸まではスーパーひたちかフレッシュひたちに併結して、水戸からは快速か普通というのがよいかと(11両編成の8号車から11号車が水郡線に乗り入れ)。
#**学園都市線に次ぐ、電車と気動車の協調運転ですね。キハ201系余剰になりそうなので、E531と協調できるように何とか・・・
#*水戸駅の構造的に、結構難しい気が…
#**よく配線図をご覧ください。何も問題ないはずです。
#***こちらでご確認ください→[http://page.freett.com/tmnetwork/Train/Rail/JR/JOBAN/Frame2.htm?tsuchiura]
#*赤塚で2番線に入らないと難しい(上りはね)てことは水戸まで普通で水戸から快速みたいになりそう。これでいくとくっつくのはE531系か。
#常陸大子以北は2時間に1本が常識
#*1時間に1本の割合で列車がくる常陸大子以南を都会と勘違いしている福島の利用者
#**福島県の水郡線沿線の人が水戸に出てくると、水戸口の水郡線の本数の多さに驚く。(白河・郡山・福島間を走る東北本線より多いとは思わなかった…。)
#*臨時列車を除けば常陸大子発10:43~14:36の間は約4時間の間隔
#小規模な山と、小規模な河川と、小規模な平野と、小規模な集落が延々と続いてるイメージ(福島区間)。
#乗り鉄的には堪らない路線。
#*特に下小川~常陸大子の渓谷区間は、久慈川とサイドチェンジを繰り返しながら山間を抜けるという萌えスポット。膝がガクガク言った(感動して)。
#**そういう意味では[[只見線|これ]]と少し似ている気がする。
#***[[飯田線|ここ]]とも似ている。山間部を離れると田園風景なところも。
#茨城県内区間は高速バスに押され気味。常磐道からの一般道走行がとにかく長いのが救いか。
#*物理的に近い高萩・北茨城インターもあるけど阿武隈高地及び八溝山地を越える狭路山道となるからバスは無理。大子から50キロ近くも離れてるが山道ルートにはならない那珂インターが最寄り扱いになってるくらいだからね。
#「奥久慈清流ライン」という愛称が付いている。が、奥久慈の清流(=久慈川)流域の大部分を茨城県を占めており、水郡線も半数が常陸大子折り返しということもあって、福島県の方々にとっては愛称の馴染みは薄いんじゃないかと思ってる(by茨城側住民)
#水戸~常陸青柳の那賀川を渡る辺りが高架化されている。常陸青柳駅近くで地上に降りる。
#*国鉄末期だったら常陸青柳も高架駅になってそうな気がする。
#Suicaを使えるのが茨城県内ではたった5駅しかない。


;主な駅
;阪急
[[水戸駅|水戸]] - 常陸青柳 - 下菅谷 - 中菅谷 - 上菅谷(常陸太田方面→) - 瓜連 - 常陸大宮 - 山方宿 - 玉川村 - 袋田 - 常陸大子 - [[茨城の駅#下野宮駅の噂|下野宮]] - [[福島の駅#矢祭山駅の噂|矢祭山]] - [[福島の駅#東館駅の噂|東館]] - [[福島の駅#磐城塙駅の噂|磐城塙]] - [[福島の駅#磐城棚倉駅の噂|磐城棚倉]] - [[福島の駅#磐城浅川駅の噂|磐城浅川]] - [[福島の駅#磐城石川駅の噂|磐城石川]] - [[福島の駅#泉郷駅の噂|泉郷]] - [[福島の駅#川東駅の噂|川東]] - 谷田川 - [[福島の駅#安積永盛駅の噂|安積永盛]]( - [[福島の駅#郡山駅の噂|郡山]])
#2年後入団した福本と共に「W豊」と呼ばれる。
*常陸太田支線:上菅谷 - 南酒出 - 額田 - 河合 - 谷河原 - 常陸太田
#黄金時代がもう少し長く続いていた。
#山口高志はずっと先発主体だった。
#トレードで広島か中日に移籍していたかもしれない。


==水戸線の噂==
===江川卓(1978)===
[[画像:KT415-1500-K543-00.jpg|thumb|240px|[[国鉄415系電車]](羽黒駅にて)]]
*[[もし江川問題が○○だったら#阪神以外が交渉権を獲得していたら]]
#ネタがあまりない。
===木田勇(1978)===
#*「茨城で最初の鉄道」くらいしか思いつかない。
※史実では広島の指名を拒否→翌年日本ハムに入団
#2006年8月から2007年3月まで僅か7ヶ月だが新型のE531系が走る。
;大洋
#*初めは水戸線にもE531系が走る予定だったが、2006年8月から2007年3月までの期間限定となってしまった。その代わり上野口で余剰となったE501系が走るようになる。
#在京(というか地元)球団なので当然入団していた。
#**E501は駅の時刻表で「5両編成で運転」の注があるときだけ。それ以外はオールロングシートの415-1500が走る。友部駅水戸線ホームには415-100・0時代の名残、「7」(7両編成列車停止位置)が残ってる。
#*広島の指名を拒否したのは両親の病気が理由だったため。
#*415系が無くなるらしいけどE531系はくるのかしら。
#1979年の大洋は優勝できていたかもしれない。
#*その後、E531系が定期運用で入り、E501はデッドセクションでの故障が仇となり出禁になった。
#*そうなれば「江夏の21球」も存在しなかった。
#何年か前は両毛線の[[桐生市|桐生]]まで乗り入れていたが、いつの間にかなくなった。
#*いまではGW時だけ復活。それも足利フラワーパークの大藤見学者輸送目的。
#東北本線からの小山短絡線もあったが、最近廃止された。
#*線路跡はまだ残ってる。
#幹線なのに全線単線。北関東3県の連絡強化のために複線化が望まれる。
#*そこまでの需要が無いしなぁorz
#*上にもあるけど、両毛線への直通もだいぶ前に消えたし
#*というわけで、北関東道で我慢してください
#どことなく存在意義が両毛線と似ている。
#*走る電車が交直流電車か、直流電車かの差しかない以外、ほとんどかぶりまくりといって差し障り無いかも。
#**[[茨城/県西|県西部]]からやむを得ず水戸までクルマ以外で行くために使う、という客が結構多い。
#***典型的なのが運転免許関係。
#*2017年10月以降は[[栃木の駅#黒磯駅の噂|黒磯]]~[[福島の駅#新白河駅の噂|新白河]]間担当のE531系送り込みというミッションも与えられた。
#**実は常磐線の車両を郡山の工場へ送り込む役割も担っている。
#交直デッドセクションがあることを忘れないでくれ![[画像:DeadSectionMT00.jpg|thumb|160px|デッドセクション]]
#*そういや、常磐線の方は良く話題になるけど、こっち(小山~小田林)は忘れてるなぁw
#*でもE501系のドレミファインバ―た―が聞ける。
#**部品確保で東芝IGBTインバーターに取り替えられたために、ドレミファインバーターの音をここでは聞けない。
#***マジぃ~!?
#****405系だと未だに電気が消える。常磐線E531系は消えなくなったのに。
#*****415系だよ。さらに詳しく言えば外見は211系、音は113系の1500番台。
#******スマソ。凡ミス。
#*小山駅で発車待ちをしてる時に電車がウィンクする(片方のヘッドライトだけを点灯させる)のはここの関係でしょ?
#*小山駅の15番線・16番線の水戸線のホームで交直流の切替テスト(ABB)の音は停車中のホームに居ても響き渡る(9番線・10番線の宇都宮線のホームに居ても大きく良くと聞こえる)。
#*其れに関連して、上野駅の9番線・10番線はE531系に置換えられる前は15両編成でも、[http://www.youtube.com/watch?v=A9VHDO6Bk_I&feature=related この動画]と同じ音はホーム中に響き渡ってた。
#県庁所在地名があるのに県庁まで行かない列車が多いのが横浜線とかぶる。
#*[[奈良線|JR西日本奈良線]]も。しかしこちらは奈良への直通は多い。(奈良は[[関西本線]])
#[[宇都宮線]]、[[高崎線]]が上野始発の路線の名前なんだから、それに合わせて水戸線の名前は[[常磐線]]に譲ったほうが・・・。
#*となるとこの路線は「常毛線」?上毛電鉄と被るな…
#**両毛線と併せて「北関東線」でもいいかもしれない。
#***「常毛東線」「常毛西線」はどうかな。
#全駅に発車メロディーが入った。
#*結城や下館になら分かるが、朝は普通が通過するような小田林や東結城にまで入った事の意味が分からない
#**両駅も全列車が停車するようになった。かつてはダイヤの都合上朝は通過せざるをえなかったが、減便による余裕のためだとか…。
#レトロな駅舎が多い。
#*補修を何度も繰り返して大事に使ってる感がある。新しい系の駅は友部と結城と下館くらいなもんかな?
#**下館の駅舎は昭和12年築だと聞いたことがある。全体から見れば、玉戸・大和辺りは新しい方なんじゃないかな
#何故か駅のそば(実際は駅と反対側)に教会を模した結婚式場がある。
#*玉戸駅のことでしょうか?
#この路線は割とかぶりつき甲斐がある。
#*小山を出ていきなりのデッドセクション通過。風景も良くて、川を渡ったり、田園を走ったり、山間を抜けたり、線路沿いを[[ススキ]]が並走していたり。友部までジャスト1時間くらい(?)全く飽きない。
#415系の前面の幕が白紙なのは止めて欲しい。せめて「普通」とか「水戸線」とか。
#*[[常磐線]]に特別快速走り出した頃から白幕になった。
#**正確には常磐線中電が快速を名乗るようになってから。
#ひっそりと[[阪神タイガース]]と[[中日ドラゴンズ]]の選手と同名の駅がある。
#いわき発小山行きなんてのもある。いわき駅での放送「水戸線、'''栃木県の'''小山まで参ります」
#*平成26年3月のダイヤ改正で消滅
#小山駅以外は全て茨城県内の駅。
#路線の'''知名度が低い'''。JR東の[[東日本旅客鉄道#もしもし券売機kaeruくんの噂|もしもし券売機kaeruくん]]で「水戸から水戸線経由で宇都宮まで」と言って切符を買おうとしたら、なんと水郡線-安積永盛-東北線経由の切符が画面に表示されたので速攻で「水戸線経由で!」と繰り返した。
#だれか水戸駅まで入っていないことに触れてくれ。
#*運行形態的には勝田まで行ってるからおk。
#平成26年3月のダイヤ改正以降、車内検札に遭遇する確立がかなり高くなった。
#大和駅って神奈川県大和市にもあるが(小田急江ノ島線と相鉄線)
#やたらと学生が乗っているが結城、下館辺りで入れ替わったりする。


;駅
===岡田彰布(1979)===
[[小山駅|小山]] - 小田林 - 結城 - 東結城 - 川島 - 玉戸 - [[茨城の駅#下館駅の噂|下館]] - 新治 - 大和 - 岩瀬 - 羽黒 - 福原 - 稲田 - [[茨城の駅#笠間駅の噂|笠間]] - 宍戸 - [[茨城の駅#友部駅の噂|友部]] - ([[常磐線]])
※史実では阪神に入団
#1985年に優勝できていなかった可能性が高い。
#某CMからどんでんと言われることも、阪神の監督にもなっていない。


==両毛線の噂==
;阪急
[[画像:KT115-1000-T1144-00.jpg|thumb|240px|[[国鉄115系電車]](桐生駅にて)]]
#当時の打線に更に磨きがかかっていた。
#2両編成の電車がトコトコ走る。
#三塁ではなく、外野に転向していたか?
#*実際は4両編成が多い。
#松永の代わりに阪神へトレードされた。
#*3両、5両、6両もある。後高崎線直通は10両。
#仰木監督退任後、石毛ではなく岡田がブルーウェーブの監督を務めた。
#高崎~前橋間は、本数が多い。
#*「29-1」が「[[33-4]]」になっていたかも。
#*ドコが??30~60分に1本じゃないか。
#1985年以降も何度か優勝出来ていたかも。
#**前橋から先は一日2本とかですから。
#***さすがに一日2本はありえない。
#****それなんて水軒駅?(古い話になりつつあるなァ・・・)
#***いや、1時間1本くらいあるでしょ。
#*そりゃほとんど高崎線がちょこっと先まで来ただけなんじゃ。
#*だから、朝早くにしかないが前橋から小田原まで行く電車がある。
#**平塚行きじゃなかったっけ?
#***小田原から前橋に来る電車なら平日の夜にある。
#*時々、'''両毛線'''高崎行きの電車なのに、新型電車やグリーン車がくっついてる電車がくることがある。
#**それ湘南新宿ラインだよ。新型ってわけでもない。
#**回送のついでに客も乗せてるだけ。
#**別に湘南新宿ラインだけじゃなくて上野発の前橋行も同様。
#別に片方の終点が東京にあるわけじゃないのに、しっかりと「上り」と「下り」がある。ちなみに西行き(高崎方面行き)が「上り」。
#11月中旬から3月一杯までドアはボタンを押して開けなければならない。それを知らずに春先南関東からこの線に乗ると、下りるときパニクる。
#*[[相模線]]とか、[[八高線]]とかは、通年でボタン開閉だけど・・・
#*一部の車両だと'''手でガラガラと開けないと乗れない。'''
#**しかもそのドアは重い。
#どことなく存在意義が水戸線と似ている。
#*でも水戸線は主に交流電化なのに対し両毛線は直流電化。この違いが車両置き換え時の新車と中古車の差に如実に表れている。
#ラインカラーがバラバラ。小山ではピンクで表現されいるが、ほかの駅はすべて黄色。この路線には黄色い電車はなかったはずだが。
#*いっそのこと、緑にしろ。
#利用者の大半が学生。
#*高校生ってことかな。
#*足利工大の学生も。ちなみに’10年度入学生はここの沿線の工業高校の生徒を重点的に募集するらしい。
#桐生では新宿駅中央線ホームの発車メロディーが鳴る。
#*今は「八木節」。車掌によって好みが分かれるらしく、時間があっても鳴らさないこともあるらしい。
#高崎線との接続は多少考慮されているが、小山での他の線との接続が最悪。
#*小山駅は、両毛線だけ他路線から隔離されてるような構造…
#**水戸線も同じ。
#***水戸線はちゃんと並んでるじゃない。
#*そのせいかは知らないけど駅の中にあるファーストフード店(コーヒーショップ?)は盛況。
#高崎・伊勢崎・小山以外に駅ソバ屋が無い。
#*足利にも旨い駅そば屋があったが閉店した。
#*前橋… 桐生… 栃木… まあ前橋と桐生は改札外だけどさ…
#*小山も両毛線ホームにあった駅そばが閉店。ただし宇都宮線上りホームにはかろうじて駅そばは残った。
#思川鉄橋が架け替えられ、栃木が高架化され、伊勢崎が高架工事実施中。あのソバ屋が工事後も残ってくれることを祈る…。
#211系が15両でやってくる。ただし前10両は幽霊列車。
#*11号車~15号車(高崎線の増結車?)の5両編成。雑な運用は止めてよw
#本数の少なさが災いして、この路線の沿線民からは電車そのものの存在を忘れられている。なかには警報器も遮断機もない踏み切りも有り、すぐそこに電車がきているというのに、左右の確認もせずに渡ろうとし、電車とけんかする羽目になる人も多い。
#数年前のダイヤ改正迄は、小山発で前橋行の運用の列車が夜に1本のみだけ在った。
#*小山発18:23 前橋着19:59(当時のダイヤでは115系の3両または115系4両で運行)。
#戦前、駅のないところで汽車に向かって手を上げて乗せてもらった、一自治体の議員がいたらしい。
#1987年4月1日に突然10の駅が廃止になった。
#この路線は開業当初「両毛鉄道」という名の私鉄だった。
#朝の小山~栃木間は県内最大の混雑。異論は認めない。
#*足利フラワーパークがベストシーズンの間は更に一般客が増えるのでカオスになる
#本数は少ないのに利用者は規模の割に多い。
#*特に高崎~伊勢崎駅の利用が多い。
#**でも東京からの直通は無い。あれば少しは東武とも戦えただろうに。えっ上武道路?あー・・・
#*あれこれ言っても工業の面で重要な地方都市が点々と連なる区間を走ってるからな。
#*すぐ上の項目にも書かれているが、観光の足としても、重要である。ピーク時には臨時列車を出しても乗客が乗り切れないこともある。
#群馬県内は高架駅が割と進んでいる。
#*前橋駅・伊勢崎駅・桐生駅付近は立体交差化済み。栃木県内は栃木駅だけ…。
#昔、駒形と伊勢崎の間に下増田(しもますだ)駅というのがあったが現在は跡形もなく田んぼと化している。
#*大胡街道第2踏切付近。まあ誰も行かねえか。
#小山駅付近以外は高崎支社管轄。そのためか、栃木駅にまで駅名標に「ぐんまちゃん」が描かれている。
#もしこの路線に駅ナンバリングが導入されたらJR○○になるんだろうか。
#一部区間は複線化されているが肝心な区間が複線化されていない。
#*肝心な区間とは新前橋駅〜前橋駅間と前橋大島駅〜伊勢崎駅間の事。特に新前橋駅〜前橋駅は高崎線方面の列車も来るので単線なのは拙いのでは。


;
;西武
小山 - 思川 - [[栃木の駅#栃木駅の噂|栃木]] - [[栃木の駅#大平下駅の噂|大平下]] - [[栃木の駅#岩舟駅の噂|岩舟]] - [[栃木の駅#佐野駅の噂|佐野]] - 富田 - [[栃木の駅#あしかがフラワーパーク駅の噂|あしかがフラワーパーク]] - [[栃木の駅#足利駅の噂|足利]] - 山前 - 小俣 - [[群馬の駅#桐生駅の噂|桐生]] - 岩宿 - 国定 - [[群馬の駅#伊勢崎駅の噂|伊勢崎]] - [[群馬の駅#駒形駅の噂|駒形]] - [[群馬の駅#前橋大島駅の噂|前橋大島]] -[[群馬の駅#前橋駅の噂|前橋]] - [[群馬の駅#新前橋駅の噂|新前橋]](→[[高崎駅|高崎]])
#石毛の三塁転向は遅れていた。
#1985年も日本一になれた。


==上越線の噂==
;南海
[[画像:115 new color.JPG|thumb|240px|新・新潟色の115系(越後湯沢駅にて)]]
#大阪出身ということで歓迎される。
#水上を境に本数が違う。特に水上以北にいく場合、乗り遅れると途方にくれるハメになる。
#王監督の後任になっていた可能性が高い。
#*温泉でひとっ風呂浴びても時間が余りそう。
#藤原満の引退後三塁に再転向した。
#**水上の長岡方面接続は時間も短めだし、跨線橋渡ることが多いから注意しよう。定期列車は一日5本だし。
#連続Bクラスがダイエーに代わるまで続いていなかったかも。
#*本数が少ない割には、4ドアの通勤電車([[総合車両製作所#新津事業所(旧・新津車両製作所)の噂|新津車両製作所]]謹製)が走り抜けていくからいたたまれない。
#**どうせなら[[東京駅|東京]]まで乗せてほしい。
#***車内が汚されるので無理(by[[東日本旅客鉄道|JR東日本]])
#**新品の[[JR東日本E233系電車|E233系]]とかが湯檜曽のループ線を抜けていく姿を一度見てみたい。
#***高崎の233系置き換えが終わるまでは、月に1~2回くらい走ってる。しかも日中時間帯なので見易い。
#***E233ではなく[[JR東日本の車両/形式別#E129系|E129]]が新津から遠征してきました。
#****やっぱり土合の地下ホームに新車は似合わない気がする。
#*越後湯沢あたりも境になっている。
#[[群馬の駅#水上駅の噂|水上]]~越後中里間は本数がものすごく少ない。
#*[[上越新幹線]]がJR化後に開業していたらこの区間は間違いなく廃止になっていたであろう。
#**貨物の需要があるので当分は安泰。
#***それだったら、[[東北本線]]も経営分離免れても良かったのだけど…。
#****東北本線は、旅客営業が見込めるから第三セクター化できた。でも上越線の水上-越後中里間は旅客営業が見込めないため、第三セクター化は困難。でも貨物輸送的には重要な路線なので、仕方なくJRが保有したままになっている、ってんでどうだ。
#*****単に国鉄時代の開業かJR化後の開業かってだけだろ。
#******結果として太平洋側と日本海側を自社線のみで結ぶ狭軌電化路線はここだけになったため、車両の転属等業務上残さざるを得ない路線となった。
#*せめて1時間半に一本はほしい。18きっぷシーズンは混雑確実。
#**さらに基本2両編成くらいなので大変。普段はそれでも過剰なくらいだが。
#***加えてこの列車は少なくとも長岡までは通しで運転するため、地域内利用客も加わって新潟県内ではカオスな混雑になることもしばしば。
#**中里発着の電車をを水上まで走らせれば毎時1時間ぐらいにはなるのに。
#**18きっぷシーズンは多少増発されたはず。それでも1日1往復増える程度だけど。
#**'''便利で快適な[[上越新幹線]]をご利用ください'''(by[[東日本旅客鉄道|JR東日本]])
#*それでもスキーシーズンには増発される。しかし、スキーを抱えて乗る人は余りいないけど(みんな新幹線使うから)。
#**18切符期間はそうでもない。18切符で交通費節約を図っていると思われる。
#*ウォームアップを始めた越後中里駅の旧型客車だが、なかなか声が掛からないまま朽ち果てている。
#*この区間はICカードが使えない。なので必ず検札が来て現金清算させられる。ちょっと焦る。
#*山登り区間。ここで上り線は計2回転する。
#関西の匂いが感じられる区間がある。
#*多分六日町~越後湯沢
#**なんで?
#***多分[[西日本旅客鉄道|JR西日本]]の車両が[[北越急行|ほくほく線]]経由で来るから。
#****北陸新幹線開業で来なくなってしまった。同時に越後湯沢の長いホームが無駄になった。
#SL(D51が多い)や珍しいEL(EF55など)が走る日がある。
#*看板とかポスターでも大々的にアピールしている。
#*2011年からC61(20号機)が加わった。
#冬にはくたかが長岡に強制送還される原因の9割を作っている路線。
#*なので北陸人には恨まれている。
#関越道沿線のスキー場へのアクセスも担っているが、実用性があるのは上越国際スキー場前と越後中里のみ(ガーラは別)。
#*この2駅以外は越後湯沢からシャトルバスを使うのが吉。
#*岩原スキー場前駅は誇大広告もいいところ。スキー場が全然駅前ではない。
#*どっちかっていうと越後中里の方が近い。
#高崎支社と新潟支社の境界は県境のアヤで土合~土樽間。運用的に水上が境界だと勘違いしやすいが(昔はそうだった)。
#*東北本線の大宮支社と仙台支社も境界が県境で同じ感じ。こっちも黒磯で分かれていると思いがちだが。
#**東北本線の方は、黒磯から3駅先の豊原~白坂が県境。もっとも黒磯から先は交流電化のため、仙台支社に任せた方がいいような気もするが・・・
#昔は大幹線だった名残かやたらに追い越し可能駅が多いが、今ではほとんど無用の長物…
#*最近は追い越し線はがしてある駅も。(越後堀之内・小千谷・越後滝谷とか)
#(上り)土樽~土合間はトンネルの中なのに何故か鉄橋を渡ってる様な音がする。ついでにガタガタ揺れる。正直恐かった。
#*音は、茂倉信号場前後がコンクリ道床の短枕木形状軌道なため。振動は、軌道の敷設精度か保線状況がよくないせいかも。
#*ちなみに茂倉信号場の待避線への分岐は廃止されていて、本線はスルー構造になっている。待避線そのものはまだ残っていて、土合方にある横取り装置で出入りする。
#北堀之内~越後川口にあるトンネルの入り口脇に、旧線跡と思われる廃トンネルが見られる。
#*旧和南津トンネル。単線時代の遺構。
#実は新潟県上越市はおろか、上越地方すら通っていない。これは'''上州'''と'''越後'''から取ったものであるためで、誤解を招いている。
#Wikipediaの使用車両の項目にE4とE2がある
#*ガーラ湯沢への支線が在来線扱いだから。
#水上以南の空気っぷりが・・・
#天気が悪いと、主にトンネル内と地上の温度差で外側から窓が曇る。拭いても拭いても何も見えない。ループも見えない・・・
#なんとあの悪名高い'''拠点P'''を一部の駅に導入するようだ…
#*しかも[[西日本旅客鉄道|本家]]と違って'''自動切り替え方式'''。余計に面倒くさそう。
#**そもそも本家の事故は拠点P導入前の話なので筋違い、走行中の自動切り替えなら他の鉄道会社でもあるし(京成とか)。
#利用が少ないのか、最近高崎まで乗り入れず新前橋で門前払いを喰らう列車ができたようだ。
#*反対側の両毛線に乗り換えてほしいらしい。
#*面倒以外の何物でもない。
#利用者と車両の新しさが水上を境として正反対。
#*水上以南の方が人は多いが、車両は古い。水上以北は人は少ない(18きっぷシーズン除く)が、車両は新しい。


;
;近鉄
*([[高崎線]]) - [[高崎駅|高崎]] - [[群馬の駅#高崎問屋町駅の噂|高崎問屋町]] - 井野 - [[群馬の駅#新前橋駅の噂|新前橋]](→両毛線) - 群馬総社 - 八木原 - [[群馬の駅#渋川駅の噂|渋川]](→吾妻線) - 敷島 - 津久田 - 岩本 - [[群馬の駅#沼田駅の噂|沼田]] - 後閑 - 上牧 - [[群馬の駅#水上駅の噂|水上]] - 湯檜曽 - [[群馬の駅#土合駅の噂|土合]] - 土樽 - 越後中里 - 岩原スキー場前 - [[越後湯沢駅|越後湯沢]] - 石打 - 大沢 - 上越国際スキー場前 - 塩沢 - 六日町(→[[北越急行]]) - 五日町 - [[新潟の駅#浦佐駅の噂|浦佐]] - 八色 - [[新潟の駅#小出駅の噂|小出]](→只見線) - 越後堀之内 - 北堀之内 - (飯山線←)[[新潟の駅#越後川口駅の噂|越後川口]] - 小千谷 - 越後滝谷 - ([[信越本線]]←)[[新潟の駅#宮内駅の噂|宮内]] - [[長岡駅|長岡]] - (信越本線)
#1980年は日本一になり前年の雪辱を果たす。
**宮内~長岡は信越本線。
#大石より先にバファローズの監督に就任した。


==吾妻線の噂==
===原辰徳(1980)===
[[画像:KT185-200-OM03-Kusatsu00.jpg|thumb|240px|かつての185系「草津」]]
※史実では巨人に入団
#温泉客御用達
#80年代の巨人は暗黒時代になっていた可能性が高い。長嶋解任・青田問題・江川事件の暗い影を史実より長く引きずっていただろう。
#*の座は既に高速バス(上州ゆめぐり号)に取って代わられようとしている。
#日本ハムがクジを引いていたら入団拒否→江川事件の再来となっていたかも。
#日本一短い鉄道トンネルがある。
#*入団したなら、2011年に菅野智之を引いても拒否されない。
#*全長約7m。いずれダム工事の影響で見れなくなる。
#*巨人以外は全て入団拒否だったのでは…?
#**なくなりました。
#**大洋は入団容認していたはず。もし大洋なら遠藤との東海大コンビで騒がれただろう。
#時刻表を見ると、大前駅が不憫だ。でも行ってみるとあの本数に納得出来るかも。
#無論巨人の監督にも就任せず、2000年代後半以降の優勝回数が減っていた。
#*嬬恋村役場最寄駅。駅前に嬬恋温泉旅館がある。民家も点在しているがこの駅だけ只見線や岩泉線並みに使えない本数だ…(by乗り潰しに行った者)
#入団拒否→浪人だった場合、翌年槙原寛己は巨人に指名されなかった。
#*大半の列車は一つ前の万座・鹿沢口止まり、特急は大前には来ない。
#**小湊鉄道の上総中野と扱いが同じ。
#**ある意味廃止前の[[南海電気鉄道|南海]]和歌山港線の水軒駅とも似ている。あちらも特急は手前の和歌山港駅までだったし。
#***その水軒駅とは偶然にも開業日が1日違いだったりもする(大前駅が1971年3月7日、水軒駅が1971年3月6日)。
#**そんな特急草津もついに長野原草津口駅どまりに…
#2009年3月14日、烏山線や久留里線にSuicaは導入されなかったが、東京近郊区間には追加された。吾妻線は東京近郊区間にすら追加されなかった。
#*2014年10月1日より東京近郊区間に追加され、中之条駅、長野原草津口駅、万座・鹿沢口駅がSuica一部対応駅になることになった。
#**線路付け替えやっていたから今まで近郊区間にしていなかったのかな。
#*しかし、終点である大前駅はSuica無し。近郊区間には追加されたが。
#駅の手前に'''停車?'''という看板が立てられてる場所が有る。
#*快速などの速達列車がある路線では案外珍しくない。
#作る作らないで話題の八ッ場ダムの予定地を通っている路線。
#*結局造ることになった八ッ場ダムの水底に沈む区間があるため、上記の日本一短い鉄道トンネル含め岩島~長野原草津口が付け替えになり、川原湯温泉駅は移転した。
#**付け替えられた部分の大部分はトンネルだが、橋梁部分は単線のローカル線には不釣り合いに立派すぎるコンクリ橋。ダムマネーすげーわ。
#**付け替えで廃線になった部分は付け替え後1ヶ月の時点で、妻渓谷の紅葉を見に来た観光客が駅跡や土手の上や橋梁部まで勝手に立ち入ってた。信越線横軽間は遊歩道になってたりするけど、ここは違うぞ?虎ロープ張ってるのに…
#**そんなわけで川原湯温泉駅は一日の乗客数平均27人とJR東日本管内でワースト15位(2016年度)の駅なのにやたらと駅舎が新しい
#大前駅はひょっとして「関東で一番西にある」かつ「関東で一番標高が高い(ケーブルカーやロープウェイ除く)」かつ「関東で一番平日の列車本数が少ない」駅なのではないだろうか。
#JRの線名を50音順に並べるとこれが一番最初になる。
#いまでこそ温泉観光がメインの鉄道路線であるが、もともとは太子にある群馬鉄山で採掘された鉄鉱石の輸送のための路線として終戦直前の1945年に長野原草津口まで開業した。群馬鉄山のある太子までは、日本鋼管の専用線が敷設され、開業直後から川崎の製鉄所まで貨物列車が運行されていた。
#*日本鋼管の専用線は戦後国鉄に移管され、1971年に廃止された。
#*長野原草津口から信越本線豊野まで目指して1971年に大前駅まで開業したが、火山帯にぶつかったためそこで力尽きた。
#*1933年まで現在の東京電力が経営していた路面電車が中之条まで走っていた。「みなかみ紀行」にもこの電車に乗車する描写がある。
#金島~祖母島間で上越新幹線と交差する
#祖母島駅は一面に田んぼが広がっており、とくに秋は稲穂が美しく絵になる


;
;広島
(上越線) - 渋川 - [[群馬の駅#金島駅の噂|金島]] - 祖母島 - 小野上 - 小野上温泉 - 市城 - [[群馬の駅#中之条駅の噂|中之条]] - 群馬原町 - 郷原 - 矢倉 - 岩島 - [[群馬の駅#川原湯温泉駅の噂|川原湯温泉]] - [[群馬の駅#長野原草津口駅の噂|長野原草津口]] - 群馬大津 - 羽根尾 - 袋倉 - [[群馬の駅#万座・鹿沢口駅の噂|万座・鹿沢口]] - [[群馬の駅#大前駅の噂|大前]]
#川口和久は他球団に指名されていた。
#*巨人だったら引退まで巨人に居れたかも?
#史実の三塁手ではなく、二塁手になっていた。
#当然あの手首負傷はない。
#2000本安打も達成していたはず。


==烏山線の噂==
;大洋
[[画像:Kiha401003-01.jpg|frame|[[国鉄の気動車#キハ40系|キハ40系気動車]](宇都宮駅にて)]]
#1~4位まで全員当たりという大成功ドラフトになっていた。(2位の堀井は指導者として成功)
#烏山線は未だにロングシート化してトイレも撤去したキハ40。キハ110が入るのはいつの日か…。
#FAで駒田を取りに行っていなかった。
#*烏山線にはハイブリッド気動車の量産車が入るらしい。
#*屋鋪・高木豊も横浜で引退していた。
#**「ハイブリット気動車、からすやま」になるのか?
#2000年代中盤に監督就任、よって大矢明彦の再任はなかった。
#***蓄電池で走行するので、一応「電車」。
#*もしくは権藤博の後任あたりで就任し森祇晶が横浜の監督になることもなかったかも。
#***列車番号は「~M」、形式はEV-E301系(電車ゆえ奇数)。エンジンがないと電車になる模様。
#背番号は巨人に移籍した松原誠の後を受けて25が有力か?
#烏山線はJR東日本の中でも一、二を争うぐらい存在感の薄い路線。ライバルは久留里線か。
#*応援歌に「エイトマン」の替え歌が使われることはなく、「ニコニコ笑顔」というフレーズが入っていた。
#*久留里線の方はストライキでよく止まるから、全国的には知られてる…。
#80年代~90年代半ばの大洋(横浜)は優勝までとは行かなくとも史実より成績も良くAクラスに入った回数も増えていたはず。
#*鹿島線、東金線、左沢線、男鹿線とか、ライヴァルいっぱいいそうだが。
#*史実で3位になった1983年に優勝できていたかも。その場合、翌年最下位に転落することはなかった。
#*ここと久留里線は東京近郊区間でありながら[[Suica]]が使えない。
#田代富雄は史実より早く一塁手にコンバートされていた。
#真岡線(現、真岡鉄道)と直結していれば・・・。
#*近藤貞雄は山下大輔と高木豊の守備位置を入れ替えるだけでよかった。
#*実際に計画はあったらしいがお流れに。
#ロッテからレオン・リーをトレードで獲得することはなかった。
#大金駅とか宝積寺駅の切符が縁起物として人気がある。
#*全線で「七福神」もやってるし。
#宇都宮駅まで乗り入れるのは一日五本。
#*電車化されて増加。
#**充電目的かな。
#*その分宇都宮線宇都宮~黒磯間運転の電車が減少。結果宇都宮~宝積寺間はさほど変わっていない。
#「発車メロディー」ならぬ「発車予告メロディー」がある(烏山駅)
#*しかもメロディーも実際使われている機器自体も防災無線にありがちな物。
#東京メトロの車両(東西線の05系など)に搭載されてる[http://www.youtube.com/watch?v=2voGdI-Tkuw これ]と同じベースのドアの開閉スピーカーと声が備えられてる。
#非電化路線だが列車番号が○○Mという電車の走行路線となった。
#*上に書いたEV-E301系の影響。列車番号で利用車両(当該車両かキハ40系か)が判別できる。
#2017年3月のダイヤ改正で気動車がすべて蓄電池電車に置き換わった。
#*全線非電化にもかかわらずオール電化達成。これをもって大宮支社管内の全ての営業用列車が電車になった。
#国鉄時代には赤字83線にも選定されていた。宝積寺駅の配線が宇都宮までの直通に適した構造だったのが幸いしたのか現在も存続。
#*蓄電池電車の実用試験路線として路線への投資がなされたこともありしばらくは安泰か。


;駅
===石毛宏典(1980)===
([[宇都宮線]]) - [[栃木の駅#宝積寺駅の噂|宝積寺]] - 高根沢町 - 下野花岡 - [[栃木の駅#仁井田駅の噂|仁井田]] - 鴻野山 - [[栃木の駅#大金駅の噂|大金]] - 小塙 - [[栃木の駅#滝駅の噂|滝]] - [[栃木の駅#烏山駅の噂|烏山]]
※史実では西武に入団


==日光線の噂==
;阪急
[[画像:107-0-N7-01.jpg|frame|[[JR東日本の車両/形式別#107系|107系電車]](宇都宮駅にて)]]
#バンプ・ウィルスの加入はなかった。
#日光線のほとんどの普通列車は107系というリサイクル電車。
#1984年の日本シリーズでは、日本一になっていた。
#*完全手動ドアをここで初めて見た。
#オリックスの監督就任の際に問題になることはなかった。
#*同型の車両は高崎地区でも走っている。ただしカラーが違う。日光線のは公募したとか。
#**その高崎地区の車両もたまに走る。
#朝、一本だけ宇都宮線小金井始発がある。宇都宮線走るんだからE231系or211系にすればいいのにって思う。
#*それは車庫がある小金井から107系を日光線に送り込む運用。
#日光線は外国人の利用者が結構多い。
#*路線案内図は日本語の他に英語、簡体中国語、繁体中国語、ハングルで書かれてた。
#**でも放送は車掌の日本語だけ。
#***日英中韓の4ヶ国語の自動放送を付ければ良いのに。
#****日英だけあればいい。現に自動放送が必要なほど中国人も韓国人も乗っていない。
#****英語放送だけは205系転入後に流れるようになった。
#*Japan Rail Passのお陰だろうか。コレって日光/きぬがわは当然ダメでしょ?
#**JR東が発売するJR East Rail Passは日光/きぬがわもできる。全国版のJRPで日光にいくのはもったいないし…
#完全に東武に負けてしまった。
#*むしろ東武と組んで新宿発東武日光行きの特急を運行。
#*要するに'''JR自ら見捨てた路線'''。
#*東武も浅草駅を自ら捨てたということか。
#**そりゃ、ターミナルとしての利便性は新宿>>(越えられない壁)>>浅草ですからね。
#***浅草が繁華街じゃなけりゃ[[南海電気鉄道|南海]]汐見橋みたいになってたハズ。
#*でもSuicaは2008.3.15より使えるようになるよ。
#**日立~高萩と共に使用できるようになりました。
#*もはや宇都宮高校の学生の通勤列車と言っても過言ではない。
#*沿線に著名な観光地があることといい競合私鉄に負けていることといい{{JR路線|東海|路線別|参宮|参宮線}}とかぶる。
#*そもそも東京からだと宇都宮で方向転換が必要になるという欠点がある。鹿沼を経由するためか…。
#一時期、日光駅の発車メロディに「パラダイス銀河」(1988年当時、流行った曲)が使われていたことがある。
#*今は単なるベル。むしろ東武日光駅の発メロが名曲だ。
#鶴田~鹿沼間9.5km、鹿沼~文挟間8.1km、今市~日光間6.6kmと関東にしては駅間距離がやたら長い。
#平成25年3月16日のダイヤ改正で107系から[[国鉄205系電車#0番台(量産車)|京葉線のお古205系]]に変更されました。
#*そのメルヘン205系が'''呪われてるかのごとく故障しまくっていたりする'''
#*日光線用は予備車が無いため、何かあったら湘南色が即代走。極稀に原型顔もやって来る。
#最近(2年ほど前から)快速「GOGO日光」という、[[国鉄185系電車|185系]]4両編成、全車自由席で'''宇都宮→日光ノンストップ'''のトンデモ列車が登場。5月の最初の連休に運転されていてそこそこ需要はある。ただし宇都宮→日光の片道のみの運行で、日光→宇都宮は回送(旅客扱い無し)列車である。
#205系改造車いろはが最近走っている。時刻表に乗っていたりしているが、普通の車両と共通運用である。


;駅
===金村義明(1981)===
*[[宇都宮駅|宇都宮]] - 鶴田 - [[栃木の駅#鹿沼駅の噂|鹿沼]] - 文挟 - 下野大沢 - [[栃木の駅#今市駅の噂|今市]] - [[栃木の駅#日光駅の噂|日光]]
※史実では近鉄に入団


==伊東線の噂==
;阪急
[[画像:251-RE-??-01.jpg|thumb|240px|[[JR東日本の車両/形式別#251系|251系]]『スーパービュー踊り子』]]
#地元に加えて本人も意中の球団、ということで歓迎されていたのは間違えない。
#全線静岡県なのに「JR東海」ではなく「JR東日本」になった。
#打者転向は史実通りだが、三塁には松永浩美がいたので外野手になっていた?
#*東京から直通来てるんだから。
#*半分くらい神奈川県に跨っている御殿場線(東海)沿線住民から恨まれている。
#*分けている基準は県ではなく旧国鉄の鉄道管理局界なので別に異常なことではない。
#ほとんどの便が[[伊豆急行|伊豆急]]の車両。
#*かつてはJR東海の車両が多かったらしい。
#普通のグリーン車もある。
#*これも東京からの電車。伊豆急の車両は付いていない(昔はあったらしい)
#*E231系導入でグリーン車がスイカ対応になった。
#路線図見ると沼津方面が支線扱い。
#*両数だけ見ると、そんな感じだ。本数はサスガに沼津方面の方が多いけど。
#東急の車両がJRの線路を走るという不思議な風景が見られる。
#*JRでは一切採用されていない独特なチョッパの音がJR線内でも聞けるのである。
#リゾート21と東日本の新型のギャップがありすぎ・・・
#*JRの車両と元東急のボロい車両のギャップも・・・
#**元東急車は東横線を走っていた時は運用は違うがここのJRの車両(E231)とライバルだった。
#**元東急の車両はいいほうだぞ?元JRの時代と比べればのはなしだが
#***元115系800番台も味があってよかった。白に青、白に赤、そしてトランバガテル。と
#伊豆多賀駅の春は桜が素晴らしい。
#東海道線から来る電車で、新橋や横浜を出た後車掌が主要駅の案内をするが「網代」とか「宇佐美」とか言われても、みんなどこかわからないことだろう。
#*網代は関東の天気予報でも地名が出るのである程度は分かってそう。
#*「小網代?(神奈川県三浦市の地名)」「ガソリンスタンド?」
#間違っても、[[東海道本線/JR東日本区間|東海道線]]じゃない。
#*[[伊豆急行|伊豆急]]でもない。
#**来宮から熱海は一応東海道線だぞ。
#***0キロポストは来宮駅にあるが、書類的にも正式な伊東線の起点は熱海駅。来宮ー熱海間は、東海道線との重複区間。


;駅
===荒木大輔(1982)===
([[東海道本線/JR東日本区間|東海道線]])- [[熱海駅|熱海]] - [[静岡の駅/東部・伊豆#来宮駅の噂|来宮]] - 伊豆多賀 - 網代 - [[静岡の駅/東部・伊豆#宇佐美駅の噂|宇佐美]] - [[静岡の駅/東部・伊豆#伊東駅の噂|伊東]] -([[伊豆急行|伊豆急行線]])
※史実ではヤクルトに入団


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;巨人
{{東日本旅客鉄道}}
#史実より引退が早くなっていた。
#巨人に斎藤雅樹が入団しないため、巨人の90年代の優勝回数が減っていた。
#王監督就任時に野手への転向を打診される。


[[Category:東日本旅客鉄道|かんとうちく]]
=== 野口裕美(1982) ===
[[Category:東日本旅客鉄道の鉄道路線|*かんとう]]
※史実では西武に入団
[[Category:関東地方|ひかしにほんりよかくてつとう]]
 
'''中日'''
 
# 1年後輩の山本昌さんとともに若手サウスポーコンビとして売り出されていた。
# 東京六大学の投手の先輩である星野仙一監督(明治大学出身)からは、かわいがられたかもしれない。
 
'''阪急'''
 
# 1年後輩の星野伸之さんとともに若手サウスポーコンビとして売り出されていた。
# 立教大学を一般入試で現役合格したインテリで、理論派で読書家の上田利治監督から一目おかれた。
# 仮に、野球で大成できなくても、慶應義塾大学野球部出身で当時ブレーブス広報を務めていた小川友次さんが宝塚歌劇団理事長を歴任したように、阪急阪神グループの関連企業・組織の経営に携わっていた可能性あり(史実では西武退団後、大日本スクリーン製造-いまのSCREENホールディングス-に入社し、系列企業の執行役員も務めた)。また、東京六大学の先輩の小川さんが、よき相談相手になっていたかも?
 
===高野光(1983)===
※史実ではヤクルトに入団
#いずれにせよ新人開幕投手は務めていなかった。
 
;西武
#渡辺久信が入団せず、西武の優勝回数が減っていた。
#*渡辺←→高野のトレードがあったかも。
#渡辺が西武監督に就任することはなかった。
 
;大洋
#銚子利夫は他球団に指名されていた。
#*長内孝は広島で現役を全うした。
 
;阪急(オリックス)
#投手層の薄い阪急で史実より活躍していた。
#1984年の日本シリーズでは、日本一になっていたかもしれない。
#阪急電鉄の広告やCMに出演していたかも。
#引退後、オリックスでコーチを務めていていたのは史実通り。
 
===広沢克己(1984)===
※史実ではヤクルトに入団
 
;西武
#大久保・清原をドラフト指名することはなかった。
#*広沢が指名されても清原指名は史実通りだろう。当初構想にあった清原のサードコンバートが実現していた。
#巨人に移籍していなかったかもしれない。
#1989年のシーズン途中でデストラーデを獲得することはなかった。
 
;日本ハム
#大島康徳をトレードで獲得せず、大島の監督就任もなかった。
#*山本正之は「熱血ファイターズの歌」を制作しなかった(他の中日出身者が日本ハムの監督に就任していれば別の話だが)。
 
===清原和博(1985)===
*[[もし1985年プロ野球ドラフトで○○だったら]]
 
===阿波野秀幸(1986)===
※史実では近鉄に入団
#1987年パリーグ新人王は西崎幸広が獲得。
#10.19決戦と1989年の近鉄優勝はなかった。
#指名された複数球団全てで出場した唯一の選手にはならなかった。
 
;大洋
#史実通り1年目から活躍しセリーグ新人王を獲得。
#長年左のエースとして君臨し、史実通り1998年の横浜優勝にも貢献、引退まで大洋・横浜一筋で通した。
#*野村弘樹のブレイクが遅れる。
#巨人のコーチには就任しなかった。
 
;巨人
#やはり先発の一角として活躍するが、長嶋監督時に構想から外れ横浜にトレード、その後は史実通り。
#西武との日本シリーズで伊原春樹から執拗に抗議されボークを連発してしまう。
 
===立浪和義(1987)===
※史実では中日に入団
;南海
#中日入団の場合と同様1年目からレギュラーを獲得し新人王に。
#翌年ダイエーが元木大介をハズレ1位で指名→入団拒否はなかった。
#*おそらく浜名千広、もしかしたらポジション的に考えると小久保や井口も他球団へ、となっていたかも知れない。
#**史実でも浜名は中日とダイエーで競合しているが。
#ダイエーの初優勝ももう少し早まっていた?
#本人の残した数字自体は史実とあまり変わらず2000本安打と二塁打の日本記録も達成していた。
#1987年の南海のドラフトがドラフト史上最大級の大当たりと言われる。(もっとも、立浪の外れで獲得したのが吉田豊彦で、それ以降も若井基安、柳田聖人、大道典嘉、吉永幸一郎、村田勝喜とそうそうたるメンバー。)
 
;中日のその後
#種田仁はトレードに出されず中日で現役生活を全うしていた。
#小学生の時キャンプで立浪にバットを貰ってファンに→立浪に憧れてPLに進学した、というエピソードのある福留孝介は中日に入団しなかった(おそらく巨人入り?)
#*どっちにしても近鉄は蹴っていた。
#森野将彦や荒木雅博はレギュラー獲得が早まっていたかも。
 
===長嶋一茂(1987)===
※史実ではヤクルトに入団
;大洋
#史実よりは出番を与えられて活躍出来ていたかも知れない。
#外れ1位の盛田幸妃は他球団が指名していた可能性も。
#父親の巨人監督再就任とともに移籍、は史実通りか?
#背番号は当時空き番の5になっていた可能性が高そう(3番は高木豊の番号のため譲られなかっただろう)。
 
===川崎憲次郎(1988)===
※史実ではヤクルトに入団
 
;巨人
#中日に移籍することはなかった。
#*勿論川崎祭も起きてない。
#吉田修司同様巨人では振るわずダイエーにトレードされていたかも。
 
===野茂英雄(1989)===
※史実では近鉄に入団
;ロッテ
#90年代にあと3~4回ぐらいAクラスに入れたかも
#バレンタイン監督に太鼓判を押されてメジャー行きか?
#*広岡GMと揉めてメジャーへ、ってあれ?誰かと全く同じだ…
#拒否され、翌年(社会人なので)再度複数球団による競合というシナリオも。
#*小池秀郎の行き先にも影響が及ぶ場合もある。
#*その場合、プロ入りは92年のバルセロナ五輪後まで無かった。
#*12球団OKじゃなかったっけ?
 
;ダイエー
#ダイエーの旧南海時代から続くBクラス更新は無かった
#99年と98年以外は優勝は出来なくともAクラスにはなっていたかも知れない
#野茂のメジャーへの移籍が遅れていたら藤井将雄のダイエー入団は実現しなかったかも知れない
#元木大介は無事巨人入り。
#*元木の2位単独は当時の評価から考えて厳しいので抽選にはなりそう。
 
;オリックス
#オリックスブレーブス元年、上田監督に「ええで」と言われ新人王。
#次の監督土井正三に「あんな出鱈目なフォームのヤツ、使えん」と言われ実力を発揮しつつも寡黙になる。
#*その翌シーズン(1992)には史実より3年早くアメリカへ旅立ってたかもしれない。
#そして仰木監督。イチロー、パンチと一緒に「ヒデオ」と登録名変更を要望されるも拒否。しかしマジックにも乗りオリックス4連覇(94年~97年)。全盛期を迎える。
#*佐藤和弘は外れ1位なのでこのケースだと入団していない可能性がある。
#**ただ佐藤は2位でも取れそうだがら入団はあり得ないとまではいえない。
#第一次仰木政権終了の01年末に退団→渡米も全盛を過ぎマイナー契約で終了。現役を終える。
 
;日本ハム
#数年後「そのまんまハムの広告」と賞賛される。
#*江夏~矢作の後継者と呼ばれる
#いろいろな意味で○モ○デオに関係のある某投手と比較される。
#東京ドーム時代に1回は優勝出来ていた。
 
;阪神
#大阪出身なので一躍大スターに。
#中村監督に甘やかされた後、藤田監督と衝突、最終的に球団と対立し数年後メジャ…あれ?
#*でも92年は優勝できたのかも
#史実である葛西稔が他球団に指名されていた。
#*よって彼が入団1年目にバッシングの標的に遭うことはなかった、というよりそれを糧に2年目以降実績を上げること自体なかったかも・・・
#*もちろん「遠山→葛西→遠山→葛西」の投手リレーも存在しなかった。
#*彼が引退後阪神コーチとなって藤川球児をブレイクさせる下地を作ることもなく、藤川もひっそりと球界を去っていたかもしれない。
#**葛西氏が2位以下で阪神に指名されたかもしれないので、同氏については史実通りだったかも・・・。
#**ロッテが外れ1位で葛西を指名予定だったため、阪神が2位指名になることはありえなかった。
#***ロッテは外れ1位1番目で小宮山を獲ってるけど?
 
;大洋
#先発に野茂、抑えに佐々木という強力な投手陣が出来上がる。
#*野茂の外れ一位で佐々木が近鉄に。
#**それはない。佐々木は大洋以外狙ってなかったらしい。(佐々木と大学の同期、大塚(元西武)談)
#***でも、1位じゃなかったら佐々木は入団しなかったと思う。
#***日本ハムの大沢啓二(当時、常務)が大声で「佐々木で行こう」といったため、指名を繰り上げて1位で指名した。
#*斎藤隆は大洋ではなく中日に入団
#ベイスターズに改名した直後には優勝していた。
 
;ヤクルト
#ソウル五輪でバッテリーを組んだ古田との相性はバッチリ。ヤクルトは現実以上の黄金時代を築く。
#*ノーコンを意に介さないピッチングスタイルは、次第に野村監督と古田をイラつかせる要因になっていった。
#「ヤクルトみんなでノモ」のCMがヒットし、人気者に。
#女性芸能人若しくは[[フジテレビ]]の女子アナと結婚していた。
#石井一久は指名されていないかもしれない。
 
;近鉄のその後
#他のパリーグチームに入団していた場合、90年代初頭には早くもBクラス常連チームへ転落。
#人気も低下し、20世紀中に球界再編の可能性も。
 
==1990年代==
===小池秀郎(1990)===
;全般
#社会人(松下電器)時代に成績を落とさなかったので、史実より活躍できていた。
 
;近鉄
#2年連続で当たりを引き当てた仰木監督は「ゴッドハンド」と呼ばれていた。
#右の野茂、左の小池の両輪で悲願の日本一を達成した。
#とはいうものの入団しただろうか?
#*巨人・ヤクルト・西武以外は拒否の方針だったので、近鉄入りは微妙なところ。
#*ロッテじゃなければという話もあったので、ごねたけど最終的には入団になりそうな気がする。
 
;ヤクルト
#高津臣吾も史実通り入団していたら、「亜細亜大学コンビ」と呼ばれていた。
#石井一久のブレイクが遅れていた。
#史実でヤクルトの外れ1位で指名された岡林洋一は当初の予定通りロッテが指名し入団していた。
 
;西武
#工藤公康の移籍後に左腕エースとして君臨。西武の黄金時代はさらに長くなっていた。
#前年に続いて8番目にくじを引いた球団が当てたため「残り物には福がある」と言われた。
#高山郁夫(西武)⇔高木宣宏(広島)のトレードはなかった。
 
;中日
#岐阜出身なので歓迎される。
#小島弘務か矢野輝弘のいずれかが指名されない。
#高木監督時代に優勝していた。
#1997年の最下位は回避できた。
#2000年と2002年のどちらかは移籍しなかったかもしれない。
 
;広島
#大野や川口の後釜と目される。
#1996年は優勝していた。
#江藤と同時にFA移籍した可能性も。
 
===矢野輝弘(1990)===
史実では、巨人と中日の2位競合で抽選の結果、中日が交渉権を獲得。
;巨人
#村田真一と兼用で捕手を務めていた。
#*村田が年齢と共に出場機会が減った後、矢野は正捕手となる。
#阿部慎之助は巨人に逆指名で入団しなかった。
#*ファンであった阪神に逆指名で入団していたかもしれない。
 
;中日のその後
#殆ど影響無し?
#*史実で矢野が絡んだ大豊泰昭+1人⇔関川浩一・久慈照嘉のトレードの顔ぶれが変わっていた可能性がある。
#野口茂樹は1996年にノーヒットノーランを達成できたのだろうか?(史実では矢野とバッテリーを組んで達成)
 
;阪神のその後
#正捕手は山田勝彦のままだった。
#*当時の阪神は暗黒時代だったので、1998年以降の成績はもっと酷くなっていた。
#上記のように、阿部は阪神に逆指名で入団していた可能性がある。
#*その場合、当時の監督は野村克也だったので、彼に指導された分、リードは史実の巨人より少し良くなっていたかもしれない。
#*阿部が阪神に入って現実通り活躍出来ていれば、阪神も現実通りAクラスに浮上に黄金時代を築けていたかも。
#*2016年以降も阪神に在籍していれば、彼の父親の元チームメイトである掛布雅之と師弟関係になっていた。
 
;全般
#声優の水樹奈々は矢野のファンになることはなかった。
#*野球の知らない水樹奈々ファンにも矢野の名前が知れ渡ることはなかった。
#阪神にトレードされない限りあの引退試合はないと見られるので村田修一が引退試合キラーと言われることはなかった。
 
===斎藤隆(1991)===
※史実では横浜に入団
;中日
#1998年は中日が優勝していた。
#*[[もし日本プロ野球であの球団が優勝していたら/セ・リーグ#中日ドラゴンズ|1994年や1996年も巨人ではなく、中日がリーグ優勝を果たしていた]]。
#ストッパーに転向していなかったかもしれない。
#*中日は伝統的にストッパーに恵まれてるチーム(斎藤隆のプロ入り後は中山裕章→宣銅烈→ギャラード→岩瀬仁紀)だから、2000年代に入っても先発で投げ続けていただろう。
#「ササキ様に願いを」は作られなかった。
#史実で斎藤隆の外れ1位として中日から1位指名された落合英二は2位で指名されていた(他球団は落合の故障を考慮して指名を見送っていた)。
 
===松井秀喜(1992)===
※史実では巨人に入団
;阪神
#阪神暗黒時代はなかったかも。
#*松井が何人いようとどうにもならないと思えてしまうのが[[阪神タイガース/暗黒時代|阪神暗黒時代]]なのである。阪神の歴史はあんまり変わらなかったと思う。
#*ただ最下位と言う最悪の状況だけは免れる事が出来たかも知れない
#*暗黒時代でもないが優勝にも届かない微妙な状況が続いたってことか?
#*優勝は出来なくとも、少なくともAクラス入りは何度か果たしていただろう。松井の加入によりチームの雰囲気が変わり選手が勢いづくだろうから。
#**現実にはFAで入った金本や西岡がその役割を果たした。
#*普通に中村監督時代に優勝できていたかもしれない。1992年の阪神の成績からみてありえない話じゃない。
#**1993年か1994年にリーグ優勝していただろう。上手く行けば連覇とか?
#それどころか星野時代に史上初の連覇+日本一を達成していたりして。
#*というか、連覇以前に2002年のオフ後にさっさとヤンキースに移籍したと思う。
#*上のように、星野監督就任よりも以前に達成しているだろう。
#指導者に恵まれず1軍昇格がないまま退団。
#ヤンキースタジアムのスポンサー広告が'''何故か'''オレンジ色の「[[読売新聞|○○新聞]]」などではなく「[[朝日新聞]]」になっていた。
#*勢い余って一塁側には「大阪西川」、照明下には「川上塗料」、バックスクリーンには「[[三菱電機]]」。
#浜風の影響で意外とホームラン数は伸びていないと思う。東京ドームが本拠地の巨人と比べて5本ぐらい減るだろう。
#外野ではなく高校時代と同じ三塁を守っていたかも。
#*内野手のままだったら片岡が移籍しなかった。FAしたとしても別球団に行っていた。
#3番新庄・4番松井という黄金クリーンナップが実現していたかも。
#一部で阪神ファンだという話を疑問視する声があるので入団拒否して駒澤大学へ進学して4年後に逆指名で巨人入団なんて事も。
#*ドラフトでの表情を見る限り巨人ファンではなかっただろうし、事前に拒否してないのに突然入団拒否はありえないだろうと思う。
#萩原誠放出後に31をつけていたのは間違いない。
#天然芝の甲子園球場でプレーすることになったため、メジャー入りしてしばらくした後に怪我で悩まされるということはなかったかもしれない。
 
;中日
#巨人を差し置いて中日が松井在籍時に4回リーグ優勝または日本一に。
#少なくとも背番号は「55」ではなかったのは間違いない(大豊泰昭が王の年間55本塁打にあやかって着けていたので)
#*有力なのは宇野のロッテ移籍で空いた「7」あたりか?
#**王貞治を超えることを目標に「56」とか「60」とかの可能性もある。
#松井の出身地の[[石川|石川県]]での[[石川のメディア#北陸中日新聞|北陸中日新聞]]の購読者が増えていた。
#*その逆に北國新聞は活躍をほとんど報じなかった。そのため、石川県での人気は低かった。
#1996年最終戦での敬遠はなかった。
#*もし江藤智がシーズン途中で離脱せず、松井秀・山﨑・大豊との本塁打王争いに最後まで絡んでいた場合、広島バッテリーから敬遠策を仕組まれていた可能性はある?と思いきや、後ろに山﨑や大豊が控えてるならその可能性も低いだろう。
#福留孝介は入団しなかった可能性も。
#*福留は当初遊撃手。
#1994年・1996年は巨人ではなく中日が優勝していたかも知れない。
#*1998年(史実では横浜優勝)も中日が優勝していた。史実通り1999年も優勝すれば2連覇、さらに2000年も優勝できれば3連覇を達成していた。1997年もナゴヤドーム元年の最下位転落は免れていただろう(史実の松井はナゴドでも結構ホームランを打っていたので)。
#*1996年は「5番・中堅手」(史実では星稜高校の先輩である音重鎮がこの打順&ポジションだった)として、ダネル・コールズ、立浪和義、アロンゾ・パウエル、山﨑武司、大豊泰昭とともに「強竜打線」の一翼を担った。史実で本塁打王争いを繰り広げた松井秀・山﨑・大豊の567番トリオが猛威を振るい、同年の中日はヘタしたら90勝に到達できたかもしれない。
#入団時点では同姓の松井隆昌(1996年まで)・松井達徳(1997年まで)が中日に在籍していたため、表記は「松井秀」になっていた。
 
;ダイエー
#活躍した場合、いつの間にかポスティングでメジャーに行ってしまっている。
#謎の無償トレードで[[読売ジャイアンツ|ナベ○ネ部隊]]にプレゼントされる。
#王の後継者として期待される。
#*「門田2世」との呼び声も高かった。背番号も44になっていそう。
#ホークスの暗黒時代は1990年代中盤には終わっていた。
#*生卵事件もなかった。
#星稜高校の1年先輩の村松有人とともに外野手でコンビを組んでいた。
#松中信彦が逆指名して入団しなかったかも知れない。
#高校時代と同じ内野手だった場合、小久保裕紀の指名はなかったか入団してもブレイクが遅れていた。
 
;巨人のその後
#おそらく戦力の劣化はほとんどないと思われる。
#*ただチームの意気は今より下がっていたかもしれない。
#外野手補強のために稲葉や谷辺りが巨人に指名されていたかもしれない。
#長嶋監督の復帰の盛り上がりが小さくなっていたかも。
#「10.8決戦」やメークドラマも存在しないかも。
 
;全てに言えること
#長嶋茂雄との師弟関係が出来なかったので、2013年の国民栄誉賞受賞はなかった可能性が高い。
#*長嶋茂雄の国民栄誉賞受賞も死去後に?
 
===伊藤智仁(1992)===
;広島
#ヤクルトよりも選手生命が短くなってた可能性が高くなる。
#投手コーチになり黒田・マエケンに高速スライダーを伝授していただろう。
 
;オリックス
#小林宏は入団しなかった。
#*小林-オマリーの14球もなかった。
#スローカーブの星野伸之と好対照をなしていた。
#広島の場合同様に選手生命は短くなっていた可能性が高くなる。
 
===福留孝介(1995)===
;全般
#中日・巨人以外に指名され拒否していた場合、福留個人については史実通り。
 
;中日
#原俊介はすんなり巨人が獲得。
#荒木雅博の指名はなかった。
#*1998年ドラフトで井端弘和を指名していなかったかもしれない。
#**こちらは福留が史実通り外野に転向していれば可能性はあったかも。
#*いずれにせよ荒木・井端の名二遊間は誕生しなかった。
#*1999年ドラフトで中日は誰を1位指名していただろう?岩瀬は逆指名で2位だろうし・・・。
#**おそらく松坂大輔を指名していたはず。
#種田仁は中日で現役を全うしていた。
#*「タネダンス」をしていたのは中日の応援団だった。
#1996年と1998年に優勝していた。
 
;巨人
#原俊介はすんなり中日が獲得。
#*その代わり荒木雅博を2位指名か?
#*この年の中日2位は逆指名の門倉健なので、荒木を取るなら3位以下になる。
#2007年CSでの巨人惨敗もなかった。
#メジャー挑戦をもっと早くに表明していた可能性も?
#二岡が入団することはなく、山本モナは芸能活動を続行していた。
#*史実通り外野手転向なら、高橋由伸の獲得に動かなかった可能性も{{極小|裏事情にもよるが}}。
#*高橋由伸よりも清水が指名されていない。
#佐々木恭介と出会わなかったので史実ほどの成績は残せない。
 
;オリックス
#1年目に育成成功していたら谷は他球団に指名されていた。
#2学年上の福留宏紀と区別するためスコアボードでは「福留孝」と表記される。
#2000年代前半にメジャー移籍したか、山崎武司とトレードされていた。
 
;ヤクルト
#岩村明憲は指名されていない。
#池山隆寛の引退が早まっていた。
#外野に転向した場合、真中満はレギュラーを獲れずじまいだった。
 
;近鉄は
#外れ1位で澤井良輔を再競合していたか?
#当然「ヨッシャー」も話題にならず。
#まあ、どっちにしてもチームの状況はあんまり変わらなかったということで…。
 
===原俊介(1995)===
この年、[[中日ドラゴンズ|中日]]は1位で福留孝介を指名して外し、外れ1位で原俊介を指名して外し、外れの外れ1位で荒木雅博を獲得した。原と荒木のその後の活躍の差は周知の通り。
 
#でも荒木は3位ぐらいで獲ってた。
#*ちなみに2位は逆指名入団の門倉健。
#どっちにしろ中村武志が健在だったので出番は無かった。
#小田幸平が中日に移籍しなかった。
#*落合監督は小田を高く評価していたので、いずれにせよ野口の人的補償でなくとも、原とトレードしてでも獲得していたと思う。
 
===松坂大輔(1998)===
※史実では西武に入団
;横浜
#少なくとも2002年~2004年・2006年の最下位はなかったかも。
#*その他の年はともかく、'''2003~2004年'''はどんなに好投しても味方の貧打と中継ぎの乱調に足を引っ張られ、勝ち星がなかなか付かずに[[横浜DeNAベイスターズ|横浜]]の順位は変わらなかったと思う。
#**04年の場合打線だけ見れば優勝してもおかしく無いレベル
#*マルハがTBSへ株式を売却するところまでは現実通りあったとしても、DeNAへの身売りはなかったかもしれない。
#*その分阪神が現実よりも苦戦したかも。2003年と2005年のどちらかはリーグ優勝できなかったかもしれない。
#背番号は1998年当時空き番だった17(過去に斉藤明夫らが使用)か27(平松政次らが使用)だった。
#横浜高校から横浜ベイスターズに入団したことから「ミスター横浜」という異名がつけられる。
#古木克明は(第一志望の)ダイエーに入団していた。
#*古木が小学校の卒業文集に「絶対に行きたくない球団は大洋」と書いていたことが話題にされることもなかった。
#**逆に「行きたい球団はダイエー」と書いていたと話題にされていた。
#史実通りの時期にポスティングでメジャー入り。
#99~01年の間に横浜がもう一度優勝できていた可能性もある。ただしいずれポスティングでメジャー移籍した後は史実通りの暗黒時代へ。
#*優勝できていた場合、[[もしあのプロ野球球団の監督が○○だったら#権藤博(横浜)|権藤監督は辞任せずに済んだかもしれない。]]
#99年には「新人にして開幕投手」の大偉業を達成し、この年まで在籍していた大魔神と組んで連覇を達成。ただし以後孤軍奮闘の末メジャーに移籍することになる。
#三浦と共に先発の柱で「W大輔」と間違いなく呼ばれていた。
#セリーグでは打席に立つため攻撃面でも大きく貢献した。
 
;日本ハム
#北海道移転前に1回くらい優勝していた。
#06年奇跡の日本一を手土産にメジャーへ…
#背番号は広瀬哲朗が引退して空き番になっていた1(史実では同年ドラフト5位の阿久根鋼吉が着ける)だった。
#入団拒否→社会人入り、の可能性も…
#父の出身地である[[稚内市]]で主催試合が行われた。
 
===新垣渚(1998)===
※史実ではオリックスの指名を拒否
;ダイエー
#無論オリックスの三輪田スカウトは自殺していない。
#暴投記録更新は史実通りかも。
#*2011年頃にはトレードされていたか、戦力外になっていた可能性もある。
#2002年のドラフト会議で、多田野数人氏を指名していた可能性が高い。
#1999年に新人王を巡って、西武の松坂大輔氏と争っていた。
 
===田中賢介(1999)===
;中日
#荒木か井端のどちらかが完全に外野に転向することになっていた。
 
==2000年代==
===寺原隼人(2002)===
※史実ではダイエーに入団。
;共通する事
#ダイエー以外はセ球団(中日・巨人・横浜)からの指名だったため公式戦で近鉄と対戦する事が無く、何らかの形でソフトバンクに移籍したとしても13球団勝利は達成できていない。
 
;巨人
#2003年の巨人投手陣の成績が少しだけまともになっていたかもしれない。
#ソフトバンクへのトレードもなかったかもしれない。
#*寧ろ、小久保裕紀と交換で移籍していた。
 
;横浜
#2016年現在、横浜生え抜き投手として活躍していた。
#FAでソフトバンク行きか、多村仁志の復帰時にトレードで交換要員になっていた可能性も。
#*そもそも多村仁はトレード放出されなかった。或いは、ソフトバンク以外の球団に放出されたかも。
 
===辻内崇伸(2005)===
* 関連項目:[[もしプロ野球であの事件が起きなかったら#2005年高校生ドラフトでの交渉権間違いがなかったら|2005年高校生ドラフトでの交渉権間違いがなかったら]]
;オリックス
#史実より長く活躍できており、肩の治療も行えていたかもしれない。
#女子プロ野球の指導者になっていたかは不明
#T-岡田は巨人が外れ1位で指名していた。
#*「T-岡田」は史実のオリックスで岡田監督就任等の経緯もあったので本名の「岡田貴弘」のまま。
#母校の大阪桐蔭と巨人の関係が悪化することもなかったかもしれない
 
===陽仲壽(陽岱鋼)(2005)===
*関連項目:[[もしプロ野球であの事件が起きなかったら#2005年高校生ドラフトでの交渉権間違いがなかったら|2005年高校生ドラフトでの交渉権間違いがなかったら]]
;ソフトバンク
#史実通り外野手に転向して活躍していたら、長谷川勇也・柳田悠岐・中村晃のいずれかはブレイクしていなかった。
#*柳田は地元の広島に指名されていたかも。
#ショートのままだった場合、川崎宗則の渡米まで活躍できなかった。
#*今宮健太を獲得していなかったかも。
#史実通り同じ年に実の兄の耀勲も入団していたら、同一球団所属の兄弟選手として現実以上に話題となっていた。
#*この場合、名前の読みは兄と揃えて「ヤン・チョンソ」としていた。
 
===田中将大(2006)===
※史実では楽天に入団
;全部に共通すること
#1年目から活躍し、新人王を取る可能性はまず無かった。
#2009年も楽天はBクラスだった。
#*2013年もリーグ優勝はおろか、Aクラスに入れたかどうかも微妙。
#2013年に24連勝無敗の偉業を達成することはなかった。
 
;日本ハム
#投手陣が充実していたため1年目から先発は無かった。
#斎藤佑樹は指名しなかった。
#吉川光夫は(大嶺祐太が史実通りなら)地元ソフトバンクの外れ1位として指名されていた。
 
;オリックス
#一応、出身地なので大いに歓迎された。
#もしかしたら2008年はリーグ優勝、2011年もクライマックスシリーズ進出を果たしていた。
#里田まいとは結婚していなかったかも知れない(日ハムは彼女の出身地、横浜も在京球団ということで出会いの接点はありそうだがここの場合は…)
#*その代わりに他の女性芸能人、もしくは在阪局の女子アナあたりが結婚相手だったかも?
 
;横浜
#1年目から先発で投げれていたが楽天と違ってチーム状態がアレなのでそんなに勝ち星は挙げられなかった。
#広島の前田健太とは同学年なので非常に強力なライバル関係になっていた。
#*同郷の巨人・坂本勇人の対決も注目されていた。
#2013年以降もDeNAに残留していた場合、2017年以降は番長から背番号「18」を引き継いだ。
 
===堂上直倫(2006)===
※史実では中日に入団
;巨人
#相思相愛だった中日ファンから「立派に育ってFAで中日に来い!」とエールを受ける。仮にそれが実現していれば巨人にとって駒田以来2人目の生え抜き選手FA他球団流出となった。
#坂本勇人は外れ1位で中日が獲得していた?
#*その場合、史実ほど活躍できていたかは微妙。
#*2020年時点で2000本安打に到達できていなかったかもしれない
 
;阪神
#野原将志を獲得することはなかった。
#甲子園で活躍したヒーローだが思うような実績を残せない…?
#*小林宏之をFAで獲得の際の人的保障でロッテへ、となっていたかも(史実では高濱卓也)
 
===中田翔(2007)===
※史実では日本ハムに入団
;全部に共通すること
#1軍に入れてた?
#*他の3球団はレギュラーが固定されていて、割り込むのが困難だっただろう。結局日本ハムが一番マシだったということになる。
#野手ではなく投手として指名されていたら?
 
;阪神
#福留は阪神に入団していなかっただろう。
#*福留は鹿児島出身なので、地元九州のソフトバンクに入団。
#*古巣中日への復帰もあった。
#本拠地が天然芝の球場になるので膝を痛める事は無く今でもレフトを守っていたかも。
#2020年に岡本和真と並ぶ本塁打王(を含む)と打点王による二冠王になっていた。
#翌年(2021年)での同僚選手に対する暴行事件で、埼玉西武へ無償トレードにした。
 
;ソフトバンク
#ドラフトでの柳田悠岐の指名と長谷川勇也、中村晃のブレイクはなかった可能性も。
 
===髙濱卓也(2007)===
※史実では阪神に入団
;横浜
#外れとは言え地元高校からの1位指名に大フィーバー。
#DeNA買収直後の時点で石川雄洋と二遊間を組み、倉本寿彦が入団するより数年早く『横高出身二遊間コンビ』が実現していた。
#田中健二朗は地元球団である中日が外れ外れ1位で指名か。
#2014年のドラフトで弟の祐仁もDeNAに指名されたかも。
 
===大田泰示(2008)===
※史実では巨人に入団。後に日本ハム、横浜DeNA。
;ソフトバンク
#巨人の外れ1位はもちろん長野久義。
#大田は指名を拒否して[[東海大学]]に進学していたかも。
#*その場合、巨人が2011年に菅野智之を外していたら更に悩ましいことに。
#結局は史実とあまり変わらず、か?
#*史実より一軍出場は多かったと思う。
#巨人の背番号55は空き番号のまま。
#*間違いなく松井の国民栄誉賞受賞を持って永久欠番になっていた。
#2022年から北海道日本ハムへ移籍した。
 
===松本啓二朗(2008)===
※史実では横浜に入団
;阪神
#赤星憲広の電撃引退後に中堅のレギュラーに抜擢される。
#*藤川俊介のブレークは多分無かった。
#*マット・マートンが阪神で中堅手を守る事は無かった。
#*2011年のドラフトで伊藤隼太が1位指名される事は無かったかも。
#横浜の1位指名は誰になっていただろうか。
#*松本以外の指名結果が史実通りだった場合藤江均(史実2位)か細山田武史(史実3位)が繰り上がっていた。
 
===菊池雄星(2009)===
※史実では西武に入団
;共通する事
#球団によっては2021年開幕時点で残留している。
#*或いは、史実より早く米球界に挑戦している。
#2018年の西武優勝は無かった。
#ソフトバンクを苦手とするのは多分史実通り。
#大久保博元の西武コーチ時代二度目の暴力問題は史実程騒がれない。
 
;楽天
#地元では大フィーバー。
#プロ入り後カモとしていた球団だっただけに史実程勝利数は伸びていない。
#*それでも2013年の日本一には貢献していた。
#史実通り大久保博元が首脳陣に入閣していた場合三度目の暴力問題が起きていたかも。
#*この場合監督には就任出来ていない。
 
;日本ハム
#大谷翔平が史実通りに入団した場合、『花巻東コンビ』で売り出していた。
#*菊池が抑えて大谷が打ってのWお立ち台もしばしば見られた。
#2016年の日本一に貢献していた。
#場合によっては史実より早く米球界に挑戦していた。
;中日
#翌年以降のドラフトが史実通りなら大野雄大と左腕二枚看板で売り出していた。
 
==2010年代==
===斎藤佑樹(2010)===
※史実では日本ハムに入団
;東京ヤクルト
#神宮のヒーローが帰ってくると大盛り上がり!
#神宮での初登板は、大フィーバーとなっていた。
#かつての荒木大輔の「大ちゃんフィーバー」を超える「佑ちゃんフィーバー」が起こっていた。
#史実で外れ1位で入団した山田哲人はクジの競合相手だったオリックスへ。
#*その結果、2014年のオリックスはリーグ優勝を達成し、2015年のヤクルトはリーグ優勝を逃していた。
#*高校時代と同様、先輩にちなんで「T-山田」と呼ばれていた。
#*オリックスは、翌年山田とポジションの被る安達了一を指名しなかった。
#**西野真弘の指名もなかった。
#*オリックス入団の場合でも史実のようにトリプルスリーを達成するような選手にまでなれていたかどうか?という部分はあるが、少なくともレギュラークラスで活躍していたのは間違いないだろう。
#*それでも史実の1位指名だった駿太は他球団が指名しなければ2位以下で獲っていたはず。
#斎藤は群馬県出身なので、ヤクルトの主催試合が前橋(敷島球場)で行われていた。
#1年目から活躍できていれば、2011年にヤクルトが優勝出来ていた。
 
;ソフトバンク
#大先輩の王会長のもと、英才教育が施される。
#ただ、活躍できなかった場合はとことん出番がなかったと思われる。
#*最悪の場合育成契約になっていた可能性も。
 
===山田哲人(2010)===
※史実ではヤクルトに入団
;オリックス
#オリックスは2011年はクライマックスシリーズ進出を、2014年には18年ぶりの優勝を果たしていた。
#*2014年のセ・リーグのCS優勝が史実通り阪神で、こちらもCS優勝していたら同年の日本シリーズは阪神×オリックスの関西ダービーになっていた。
#一方、ヤクルトの2015年は良くてAクラスになっていた、
#*日本シリーズに進出できても、ソフトバンクに4連敗していたと思われる。
#尽く高卒野手が育たないオリックスなので、史実通り育っていない可能性も多分にある。
#*もし史実通りトリプルスリーとか達成していた場合、何かとイチローと比較されていた。
#駿太は他球団か2位以下でオリックスに入団していただろう。
#*他球団の場合は登録名を「駿太」にせず、本名フルネームの「後藤駿太」だった。
#*他球団の場合は、背番号繋がりでローズと関連付けられることもなかった。
#兵庫県出身なので、ファンから「地元の星」として愛されていた。
#2021年の日本シリーズは史実とは逆にオリックスが日本一になっていた。
 
===菅野智之(2011)===
※史実では日本ハムの指名を拒否
;巨人
#それでもアンチ巨人からのバッシングは必至だが、史実よりはマシになっていた。
#当然ながら浪人した時以上に実戦勘は研ぎ澄まされてはいるだろうから、新人王を取っていた2013年(13勝6敗)よりもさらにえげつない成績を残したかも。
#*巨人は史実以上に大差をつけてセ・リーグを制覇していた。
#**CSにおける初戦からの3連敗もなかった。
#*となれば、2012年の新人王は野村祐輔ではなく菅野だった。
#日ハムの外れ1位はいったい誰になっていただろうか…。
#*松本剛を1位指名し、その他選手も史実通り順位を繰り上げる形で指名していた。
#この年の巨人の外れ1位松本竜也はどうなっていたか。
#*巨人と競合した横浜に入団していた?<!--その場合2015年の野球賭博には関与しなかったのでは?-->
#**DeNAだった場合、2014年オフに自由契約になっていた可能性もある。
#**笠原将生や福田聡志らともかかわることもないため少なくとも野球賭博に手を出すことはなかったかも?
#2012年に大累進を指名することも無く、日本ハムへ入団したと思われる(史実でもトレードで日本ハムへ移籍)。
#翌年、巨人の1位指名は誰になっていただろう?
#*東浜巨か藤浪晋太郎を指名していたか、或いは指名拒否覚悟で大谷翔平かもしれない。
#*2位で獲得候補だった鈴木誠也かも。
#背番号は最初から「18」を付けていた。
#*杉内俊哉は「21」あたりか。
 
===藤岡貴裕(2011)===
※史実ではロッテに入団。後に日本ハム→巨人へトレード。
;横浜
#高城俊人・白崎浩之と共にオリックスへ移籍していた。
#*少なくてもトレードでたらい回しにされる事は無かったのか?
#プロ入り後の活躍度合いは微妙だが、少なくともこの年の横浜のドラフトが『嫌がらせドラフト』と呼ばれる事は無かった。
#横浜の2位以下の指名結果が史実通りだった場合、松本竜也は巨人、北方悠誠はソフトバンクがそれぞれ2位で指名したか。
 
===藤浪晋太郎(2012)===
※史実では阪神に入団
;ヤクルト
#ライアン小川を抑えて新人王を獲得出来たかも。
#石山は指名されなかった。
#*その場合、2018年のヤクルトは交流戦優勝を逃しシーズンもAクラスに入れたかどうか微妙な所。
#2013年のヤクルトは最下位を免れていた。
#*2015年も日本一になれていた。
 
;ロッテ
#2013年に楽天を抑えてリーグ優勝あるいはCS優勝・日本シリーズ出場を果たしていたかも。
#*もちろん田中マー君の連勝を止めていた。
 
;オリックス
#史実の阪神と同様、地元の星として歓迎され注目される。
#2014年にリーグ優勝出来ていて、15年以降もまともな成績を残している。
#*2021年に日本一になれていた。
#2016年のドラフトで史実通り澤田圭佑が指名されていた場合、大阪桐蔭同級生コンビで売り出していた。
 
;阪神のその後
#2013年以降も低迷を続けていて、14年のCS優勝もなかった。
#*西岡や福留も移籍してこなかった場合尚更。
#*和田豊の監督退任が早まっただろう。
#和田豊が当たりくじを引けなかった分手のひら返しもないので、2012年のチームの不振を引きずるファンが現実より多かった。
#西岡との大阪桐蔭OBコンビもなかった。
#金本監督による「161球事件」は起こらず、母校である大阪桐蔭と阪神の関係が悪化することはなかった。
 
===石川歩(2013)===
※史実ではロッテに入団
;巨人
#ロッテは小林誠司(史実の巨人1位)を指名か。
#*そうなった場合、某所で「肘」と呼ばれることはなかったかも。
#巨人ではヒゲは禁止なのでイメージがガラリと変わっていた。
#「セ・リーグには行きたくなかった」と入団後のインタビューで語っているので入団拒否した可能性も(本人は子供の頃から大の中日ファン)。
#*その場合、翌年のドラフトで中日が単独1位指名。
#*そうなった場合、この年に巨人から支配下指名された選手は2021年3月の田口麗斗トレード移籍を以て全滅していた。
 
===大瀬良大地(2013)===
※史実では広島東洋に入団
;東京ヤクルト
#入団4年目の2017年をもって戦力外通告を受け、退団を余儀なくされていた。
#史実通りの活躍だったら2018年のヤクルトは優勝していた。
#被本塁打が相当なものになっていたかも。
#広島は2016年~2018年の3連覇を達成出来なかったかも。
 
;阪神
#岩貞祐太は日本ハムに入団していた。
#背番号は史実で岩貞が付けていた「17」だった。
#ドラフト同期の梅野隆太郎と同じ生年月日であることが話題を呼んだ。
#2014、15年の阪神は優勝出来ていた。
 
===松井裕樹(2013)===
※史実では楽天に入団
;DeNA
#地元出身選手の指名で大フィーバー。
#当時は金城龍彦が所属していた為、入団当初の背番号は「1」ではない。
#*史実通りに金城が退団した場合、活躍次第で与えられたかも。
#史実通り抑えとして定着した場合、山﨑康晃は新人王を獲れなかったかも。
#石橋杏奈との交際→結婚は史実通り?
#史実の外れ1位だった柿田裕太は阪神か日ハムへ。
#楽天の外れ1位指名で岩貞祐太を指名した可能性も。
#2017年のドラフト会議の指名結果が史実通りだった場合、楠本泰史(小中学校の同級生でベイスターズジュニアとシニアで共にプレー)とプロでもチームメイトに。
#*同じくチームメイトだった甲斐綾乃が球団職員になった際3人の対談動画が球団公式youtubeチャンネルに投稿されていた。
 
===有原航平(2014)===
※史実では日本ハムに入団。
;DeNA
#山﨑康晃は阪神に入団した。
#*翌年以降抑えの固定に苦しみ2010年代後半のチーム成績は史実の様な好成績にならなかった可能性も。
#**三嶋一輝の抑え起用が史実より早く見られたかも。
#史実通り1年目から活躍した場合2015年のリーグ優勝は微妙なまでもAクラスは有り得た。
#*この為、中畑政権は史実より1~2年長かったかも。
#2019年はDeNAがリーグ優勝し、それを置き土産に史実より1年早くメジャーに挑戦していた。
 
===山﨑康晃(2014)===
※史実ではDeNAに入団
;阪神
#呉昇桓が中継ぎになっていた。
#「小さな大魔神」と呼ばれることはなかった。
#横浜DeNAの抑えは三上朋也のままだった。
#ヤスアキジャンプをやることはなかった。
#そもそも最初からリリーバー起用を行っていたか疑問。
#*「先発ローテの一角を任される康晃」も多分にあったかもしれない。
 
===高山俊(2015)===
※史実では阪神に入団
;ヤクルト
#オリックスから坂口智隆を獲得することはなかった。
#河載勲は契約されていなかった。
#*背番号は「00」を背負っていた。
#**山田哲人の後を受けて「23」かも。
#***大成していた場合、青木復帰はなかった。
#真中監督の「幻のガッツポーズ」がネタにされることもなかった。
#阪神は外れ1位で誰を指名していたのやら?
#*同じ外野手のオコエ瑠偉を指名し楽天と競合していた可能性も?
#**そちらも外していた場合、坂本誠志郎が1位指名されて以下の選手の順位が繰り上がったか重信慎之介(史実の巨人2位)辺りを指名してお茶を濁していた。
#*逆に原樹理(史実のヤクルト外れ1位)を指名していたかもしれない。
#*競合回避或いは外れ1位候補といわれていた上原健太かも。
#2016年シーズンの阪神は現実以上の苦戦を強いられていた。
#*「超変革」の目玉選手が1人減っていた。
#*阪神とヤクルトの順位が逆になった可能性がある。
#阪神の現状を見ていると意外と史実よりも活躍したかも。
#*2021年のリーグ優勝→日本一にも貢献していた可能性もある。
 
===柳裕也(2016)===
※史実では中日に入団
;DeNA
#DeNAが2017年のポストシーズンで史実通りの善戦が出来たかは微妙。
#*但し、2位以下でも濱口遥大の指名に成功していたら別。
#球団通算4000勝になった際の勝利投手になっていた。
#入団3年目の2019年に最優秀防御率を獲得した。
#中日は次の指名でやはり他球団と同じく佐々木千隼だっただろうか。
#*そちらも外した場合、京田陽太が1位指名されて以下の順位が繰り上がっていたか吉川尚輝(史実の巨人1位)を指名して競合していた?
#2位以降のドラフトが史実通りであれば佐野恵太との同級生コンビ、或いは後年入団した伊勢大夢、入江大生と共に「明大カルテット」で売り出していた。
#2021年度オールスターゲーム出場できないどころか、森下暢仁(広島東洋)との明大リレーすらなかった。
#史実通りの成績を残せた場合2021年はAクラスこそ厳しいものの最下位は無かったかも。
 
===清宮幸太郎(2017)===
※史実では日本ハムに入団
;ヤクルト
#王柏融(北海道日本ハム)が球団通算8000本塁打になっていた。
#史実の外れ1位だった村上宗隆はクジの競合相手だった巨人か楽天へ。
#*清宮を外した日ハムが村上を指名→クジを引き当て史実とは所属球団が逆になっていた可能性も。
#高校時代より通い慣れた神宮球場でホームランを量産していただろう。
#村上に代わって史実より多少は活躍出来ていたかもしれない。
 
;巨人
#背番号は「55」を背負っていた。
#岡本和真のブレイクが遅れていた可能性がある。
#*岡本は三塁かレフトを守っていた。
#オリックスから中島宏之を獲得することはなかった。
#阿部慎之助は400本塁打を打てずに引退していた。
 
;阪神
#甲子園のヒーローが帰ってくると大盛り上がり!
#*甲子園での初出場は、大フィーバーとなっていた。
#2018年の阪神は最下位を免れていた。
#背番号は「31」を背負っていた。
#*著書でこれを提唱していた遠藤章造が喜ぶ。
 
;ソフトバンク
#大先輩の王会長のもと、英才教育が施される。
#背番号は「3」を背負っていた。
#*松田宣浩は史実より1年早く背番号を「5」に戻していた。
#2018年のレギュラーシーズンはリーグ優勝できていた。
#*このチームの育成方針を考えると、1年目から一軍出場できなかった可能性も高いので結局同じかも。
 
===村上宗隆(2017)===
※史実ではヤクルトに入団
;楽天
#球団初の開幕6連勝で波に乗り、令和になって初のパ・リーグ優勝した後、その年の日本シリーズで4タテ(史実ではソフトバンク)による日本一になった。
#*35本塁打で、令和になって初のパ・リーグMVPを獲得した(入団2年目によるMVPは、稲尾和久投手(57年 元西鉄)・杉浦忠投手(59年 元南海)で、打者は史上初)。
#千葉ロッテから鈴木大地をFA獲得する事は無かったかも。
#2019年のセの新人王は近本光司が受賞した。
#楽天の主砲となり、現在に至る。
 
;巨人
#捕手として育てていたので、数年は二軍暮らしだった。
#*2019年のセの新人王は近本光司が受賞した。
#*日本代表に選ばれるのは早くて2020年代中旬以降。
#岸田、大城のうち、どっちかは指名しなかった。
#*巨人は、二位で亜細亜大学の高橋(史実の阪神二位)を指名していた。
#史実通り活躍していた場合、2021年は巨人がリーグ優勝していた。
#*優勝していなくてもシーズン勝ち越しで終えていた。
 
===馬場皐輔(2017)===
※史実では阪神に入団
;ソフトバンク
#飯田優也(ソフトバンク)・松田遼馬(阪神)によるトレードは破談していた。
 
===根尾昂(2018)===
※史実では中日に入団
;日本ハム
#「大谷2号」として、注目されていた。
#先輩の中田翔氏から可愛がられていた。
#*2021年に同僚選手に対する暴行事件を起こして巨人へトレードされることもなかったかもしれない。
#吉田輝星氏は指名されることはなかったかもしれない。
 
;巨人
#「守備で内野には使えない」と判断され、一年目から外野にコンバートされた。
#高橋優貴が獲得出来なかったため、2021年は苦戦していたかも。
#*高橋は根尾を外した中日が指名していた。
#**その場合、スコアボードなどの表記では「高橋優」になっていた。
 
;ヤクルト
#史実より早い段階から一軍でも遊撃での出場機会が得られた。
#上茶谷大河は小園海斗を外したDeNAが一本釣りか。
#2位以降でも清水昇を指名出来なかった場合2021年に日本一どころかリーグ優勝すら達成できていたか危うい。
#翌年のドラフトで長岡秀樹か武岡龍世のどちらかはヤクルトに指名されなかったかも。
 
;中日のその後
#外れ1位は甲斐野央(ソフトバンクの外れ外れ1位)か2位の梅津晃大が繰り上がっていた。
#ドラフト戦略が見直され翌年以降立て続けに地元出身高卒選手(2019年石川昂弥、2020年高橋宏斗)を1位指名しなかった可能性も。
 
===藤原恭大(2018)===
※史実ではロッテに入団
;楽天
#浅村栄斗氏が移籍することはなかったかもしれない。
 
;阪神
#地元のスター選手として注目されていた。
#史実の1位指名入団である近本は他球団が指名していた。
#*2019年の阪神はAクラスになれなかった可能性が大。
#**もしロッテが近本を取り史実レベルに活躍した場合、ロッテがAクラスになっていたかも。
 
===小園海斗(2018)===
※史実では広島に入団
;DeNA
#遊撃は大和がレギュラーだったため1年目から史実通りに試合に出られたかは微妙だが……。
#*仮に史実通りに試合に出ていた場合、倉本寿彦、石川雄洋、中井大介の出場機会は史実より少なくなり、柴田竜拓のブレークもやや遅れた。
#*1年目から遊撃以外の守備位置での出場機会があったかも。
#宮崎敏郎が所属していたため、背番号は「51」では無い。
#*多分、白崎浩之のトレード移籍で空き番号となっていた「6」を付けていた。
#翌年のドラフトで森敬斗がDeNAに1位指名されることは無かったかも。
#*森下暢仁を指名して2年連続で広島と競合していたか、逆に広島が森を単独指名した。
#上茶谷大河は根尾昂を外したヤクルトが一本釣りか。
#2021年のドラフト指名結果が史実通りだった場合1位指名の小園健太とユニフォームの背ネームがややこしい事に(どちらも「K.KOZONO」なので)。
 
;オリックス
#史実通り試合に出ていた場合安達了一は史実より早く二塁にコンバートされていた。
#2021年のリーグ優勝には間違いなく貢献していた。
#太田椋(史実1位)か紅林弘太郎(2019年2位)のどちらかはオリックスに指名されなかった。
 
===佐々木朗希(2019)===
※史実ではロッテに入団
;楽天
#千葉ロッテから涌井秀章氏が金銭トレードで獲得することはなかった。
#背番号は「18」を背負っていた。
 
;日本ハム
#背番号は「11」を背負っていた。
#同じ岩手県の高校から日本ハムに入団したこともあって、名実共に「大谷2世」として、大注目されていた。
#監督の栗山英樹氏から可愛がられていた。
#*「朗希」と下の名前で呼ばれるのは確実だろうな。
 
==2020年代==
===佐藤輝明(2020)===
※史実では阪神に入団
;共通
#2021年の阪神はBクラスに低迷していた。
#*代わりに広島がCS出場を果たしていた。
#*巨人には15年連続の負け越しとなっていた。
 
;ソフトバンク
#2021年4月9日対東北楽天戦=楽天生命パーク宮城で場外ホームランを放った。
#ソフトバンクは2021年のCS出場を果たせていた。
#ルーキーながらベストナインに選出した。
#同じくモノノフである石川柊太と意気投合していた。
 
;巨人
#坂本勇人、岡本和真、丸佳浩、梶谷隆幸、ゼラス・ウィーラーらと超重量打線が誕生していた。
#*巨人の打撃成績はさらにえげつないものになっていた
#*2021年のセ・リーグは巨人がぶっちぎり優勝していた。もちろん終盤の10連敗もない。
#*特に阪神ファンから目の敵にされていた。
#*恐らく2021年の新人王を獲得していた。
#田口麗斗と廣岡大志のトレードは行われてなかった可能性が高い
#助っ人外国人も取ってなかったか、スモークとテームズのどちらか一人のみになってた可能性もある
#平内龍太は阪神が外れ1位で一本釣りか
#背番号は恐らく、自身が抜く前に関西学生野球リーグ通算本塁打記録を保持していた二岡智宏にちなんだ「7」。
#*近畿大学の先輩でもあるから、本人の励みになったこと請け合い。
 
 
;オリックス
#2021年の日本シリーズはオリックスが日本一になっていた。
#関西球団なので、「地元の星だ」と喜ばれていた。
#杉本裕太郎が遅咲きでブレイクしなかったかも。
#背番号は近畿大学の先輩でもある糸井嘉男から「7」を受け継いでいる。
#新人王をチームメイトの宮城大弥と争っていた。
 
===早川隆久(2020)===
※史実では楽天に入団
;ロッテ
 
# 同郷・球団の先輩で、かつ早稲田大学での恩師でもある小宮山悟監督から、喜んで送り出された。
 
===小園健太(2021)===
※史実では横浜DeNAに入団
;阪神
#森木大智が高校生ドラフトで2位に指名していた。
 
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2022年4月10日 (日) 15:29時点における版

1980年代以前

江夏豊(1966)

※史実では阪神に入団

巨人
  1. 1968年の奪三振がさらに増えていた。
  2. 高橋一三とともに左腕の二枚看板を形成する。
  3. 南海か日本ハムへトレードされた可能性もある。
  4. 現実と真逆に阪神の打者(特に田淵幸一あたり)との因縁の対決が話題になる。
  5. 引退後にクスリに手を出さなかった可能性がある。
東映
  1. 尾崎行雄に代わる先発のエースとして定着。
  2. 日本ハムへの売却時に放出されたかも。
  3. 高橋直樹はトレードされず、引退まで日本ハムに所属していた。
阪急
  1. 2年後入団した福本と共に「W豊」と呼ばれる。
  2. 黄金時代がもう少し長く続いていた。
  3. 山口高志はずっと先発主体だった。
  4. トレードで広島か中日に移籍していたかもしれない。

江川卓(1978)

木田勇(1978)

※史実では広島の指名を拒否→翌年日本ハムに入団

大洋
  1. 在京(というか地元)球団なので当然入団していた。
    • 広島の指名を拒否したのは両親の病気が理由だったため。
  2. 1979年の大洋は優勝できていたかもしれない。
    • そうなれば「江夏の21球」も存在しなかった。

岡田彰布(1979)

※史実では阪神に入団

  1. 1985年に優勝できていなかった可能性が高い。
  2. 某CMからどんでんと言われることも、阪神の監督にもなっていない。
阪急
  1. 当時の打線に更に磨きがかかっていた。
  2. 三塁ではなく、外野に転向していたか?
  3. 松永の代わりに阪神へトレードされた。
  4. 仰木監督退任後、石毛ではなく岡田がブルーウェーブの監督を務めた。
    • 「29-1」が「33-4」になっていたかも。
  5. 1985年以降も何度か優勝出来ていたかも。
西武
  1. 石毛の三塁転向は遅れていた。
  2. 1985年も日本一になれた。
南海
  1. 大阪出身ということで歓迎される。
  2. 王監督の後任になっていた可能性が高い。
  3. 藤原満の引退後三塁に再転向した。
  4. 連続Bクラスがダイエーに代わるまで続いていなかったかも。
近鉄
  1. 1980年は日本一になり前年の雪辱を果たす。
  2. 大石より先にバファローズの監督に就任した。

原辰徳(1980)

※史実では巨人に入団

  1. 80年代の巨人は暗黒時代になっていた可能性が高い。長嶋解任・青田問題・江川事件の暗い影を史実より長く引きずっていただろう。
  2. 日本ハムがクジを引いていたら入団拒否→江川事件の再来となっていたかも。
    • 入団したなら、2011年に菅野智之を引いても拒否されない。
    • 巨人以外は全て入団拒否だったのでは…?
      • 大洋は入団容認していたはず。もし大洋なら遠藤との東海大コンビで騒がれただろう。
  3. 無論巨人の監督にも就任せず、2000年代後半以降の優勝回数が減っていた。
  4. 入団拒否→浪人だった場合、翌年槙原寛己は巨人に指名されなかった。
広島
  1. 川口和久は他球団に指名されていた。
    • 巨人だったら引退まで巨人に居れたかも?
  2. 史実の三塁手ではなく、二塁手になっていた。
  3. 当然あの手首負傷はない。
  4. 2000本安打も達成していたはず。
大洋
  1. 1~4位まで全員当たりという大成功ドラフトになっていた。(2位の堀井は指導者として成功)
  2. FAで駒田を取りに行っていなかった。
    • 屋鋪・高木豊も横浜で引退していた。
  3. 2000年代中盤に監督就任、よって大矢明彦の再任はなかった。
    • もしくは権藤博の後任あたりで就任し森祇晶が横浜の監督になることもなかったかも。
  4. 背番号は巨人に移籍した松原誠の後を受けて25が有力か?
    • 応援歌に「エイトマン」の替え歌が使われることはなく、「ニコニコ笑顔」というフレーズが入っていた。
  5. 80年代~90年代半ばの大洋(横浜)は優勝までとは行かなくとも史実より成績も良くAクラスに入った回数も増えていたはず。
    • 史実で3位になった1983年に優勝できていたかも。その場合、翌年最下位に転落することはなかった。
  6. 田代富雄は史実より早く一塁手にコンバートされていた。
    • 近藤貞雄は山下大輔と高木豊の守備位置を入れ替えるだけでよかった。
  7. ロッテからレオン・リーをトレードで獲得することはなかった。

石毛宏典(1980)

※史実では西武に入団

阪急
  1. バンプ・ウィルスの加入はなかった。
  2. 1984年の日本シリーズでは、日本一になっていた。
  3. オリックスの監督就任の際に問題になることはなかった。

金村義明(1981)

※史実では近鉄に入団

阪急
  1. 地元に加えて本人も意中の球団、ということで歓迎されていたのは間違えない。
  2. 打者転向は史実通りだが、三塁には松永浩美がいたので外野手になっていた?

荒木大輔(1982)

※史実ではヤクルトに入団

巨人
  1. 史実より引退が早くなっていた。
  2. 巨人に斎藤雅樹が入団しないため、巨人の90年代の優勝回数が減っていた。
  3. 王監督就任時に野手への転向を打診される。

野口裕美(1982)

※史実では西武に入団

中日

  1. 1年後輩の山本昌さんとともに若手サウスポーコンビとして売り出されていた。
  2. 東京六大学の投手の先輩である星野仙一監督(明治大学出身)からは、かわいがられたかもしれない。

阪急

  1. 1年後輩の星野伸之さんとともに若手サウスポーコンビとして売り出されていた。
  2. 立教大学を一般入試で現役合格したインテリで、理論派で読書家の上田利治監督から一目おかれた。
  3. 仮に、野球で大成できなくても、慶應義塾大学野球部出身で当時ブレーブス広報を務めていた小川友次さんが宝塚歌劇団理事長を歴任したように、阪急阪神グループの関連企業・組織の経営に携わっていた可能性あり(史実では西武退団後、大日本スクリーン製造-いまのSCREENホールディングス-に入社し、系列企業の執行役員も務めた)。また、東京六大学の先輩の小川さんが、よき相談相手になっていたかも?

高野光(1983)

※史実ではヤクルトに入団

  1. いずれにせよ新人開幕投手は務めていなかった。
西武
  1. 渡辺久信が入団せず、西武の優勝回数が減っていた。
    • 渡辺←→高野のトレードがあったかも。
  2. 渡辺が西武監督に就任することはなかった。
大洋
  1. 銚子利夫は他球団に指名されていた。
    • 長内孝は広島で現役を全うした。
阪急(オリックス)
  1. 投手層の薄い阪急で史実より活躍していた。
  2. 1984年の日本シリーズでは、日本一になっていたかもしれない。
  3. 阪急電鉄の広告やCMに出演していたかも。
  4. 引退後、オリックスでコーチを務めていていたのは史実通り。

広沢克己(1984)

※史実ではヤクルトに入団

西武
  1. 大久保・清原をドラフト指名することはなかった。
    • 広沢が指名されても清原指名は史実通りだろう。当初構想にあった清原のサードコンバートが実現していた。
  2. 巨人に移籍していなかったかもしれない。
  3. 1989年のシーズン途中でデストラーデを獲得することはなかった。
日本ハム
  1. 大島康徳をトレードで獲得せず、大島の監督就任もなかった。
    • 山本正之は「熱血ファイターズの歌」を制作しなかった(他の中日出身者が日本ハムの監督に就任していれば別の話だが)。

清原和博(1985)

阿波野秀幸(1986)

※史実では近鉄に入団

  1. 1987年パリーグ新人王は西崎幸広が獲得。
  2. 10.19決戦と1989年の近鉄優勝はなかった。
  3. 指名された複数球団全てで出場した唯一の選手にはならなかった。
大洋
  1. 史実通り1年目から活躍しセリーグ新人王を獲得。
  2. 長年左のエースとして君臨し、史実通り1998年の横浜優勝にも貢献、引退まで大洋・横浜一筋で通した。
    • 野村弘樹のブレイクが遅れる。
  3. 巨人のコーチには就任しなかった。
巨人
  1. やはり先発の一角として活躍するが、長嶋監督時に構想から外れ横浜にトレード、その後は史実通り。
  2. 西武との日本シリーズで伊原春樹から執拗に抗議されボークを連発してしまう。

立浪和義(1987)

※史実では中日に入団

南海
  1. 中日入団の場合と同様1年目からレギュラーを獲得し新人王に。
  2. 翌年ダイエーが元木大介をハズレ1位で指名→入団拒否はなかった。
    • おそらく浜名千広、もしかしたらポジション的に考えると小久保や井口も他球団へ、となっていたかも知れない。
      • 史実でも浜名は中日とダイエーで競合しているが。
  3. ダイエーの初優勝ももう少し早まっていた?
  4. 本人の残した数字自体は史実とあまり変わらず2000本安打と二塁打の日本記録も達成していた。
  5. 1987年の南海のドラフトがドラフト史上最大級の大当たりと言われる。(もっとも、立浪の外れで獲得したのが吉田豊彦で、それ以降も若井基安、柳田聖人、大道典嘉、吉永幸一郎、村田勝喜とそうそうたるメンバー。)
中日のその後
  1. 種田仁はトレードに出されず中日で現役生活を全うしていた。
  2. 小学生の時キャンプで立浪にバットを貰ってファンに→立浪に憧れてPLに進学した、というエピソードのある福留孝介は中日に入団しなかった(おそらく巨人入り?)
    • どっちにしても近鉄は蹴っていた。
  3. 森野将彦や荒木雅博はレギュラー獲得が早まっていたかも。

長嶋一茂(1987)

※史実ではヤクルトに入団

大洋
  1. 史実よりは出番を与えられて活躍出来ていたかも知れない。
  2. 外れ1位の盛田幸妃は他球団が指名していた可能性も。
  3. 父親の巨人監督再就任とともに移籍、は史実通りか?
  4. 背番号は当時空き番の5になっていた可能性が高そう(3番は高木豊の番号のため譲られなかっただろう)。

川崎憲次郎(1988)

※史実ではヤクルトに入団

巨人
  1. 中日に移籍することはなかった。
    • 勿論川崎祭も起きてない。
  2. 吉田修司同様巨人では振るわずダイエーにトレードされていたかも。

野茂英雄(1989)

※史実では近鉄に入団

ロッテ
  1. 90年代にあと3~4回ぐらいAクラスに入れたかも
  2. バレンタイン監督に太鼓判を押されてメジャー行きか?
    • 広岡GMと揉めてメジャーへ、ってあれ?誰かと全く同じだ…
  3. 拒否され、翌年(社会人なので)再度複数球団による競合というシナリオも。
    • 小池秀郎の行き先にも影響が及ぶ場合もある。
    • その場合、プロ入りは92年のバルセロナ五輪後まで無かった。
    • 12球団OKじゃなかったっけ?
ダイエー
  1. ダイエーの旧南海時代から続くBクラス更新は無かった
  2. 99年と98年以外は優勝は出来なくともAクラスにはなっていたかも知れない
  3. 野茂のメジャーへの移籍が遅れていたら藤井将雄のダイエー入団は実現しなかったかも知れない
  4. 元木大介は無事巨人入り。
    • 元木の2位単独は当時の評価から考えて厳しいので抽選にはなりそう。
オリックス
  1. オリックスブレーブス元年、上田監督に「ええで」と言われ新人王。
  2. 次の監督土井正三に「あんな出鱈目なフォームのヤツ、使えん」と言われ実力を発揮しつつも寡黙になる。
    • その翌シーズン(1992)には史実より3年早くアメリカへ旅立ってたかもしれない。
  3. そして仰木監督。イチロー、パンチと一緒に「ヒデオ」と登録名変更を要望されるも拒否。しかしマジックにも乗りオリックス4連覇(94年~97年)。全盛期を迎える。
    • 佐藤和弘は外れ1位なのでこのケースだと入団していない可能性がある。
      • ただ佐藤は2位でも取れそうだがら入団はあり得ないとまではいえない。
  4. 第一次仰木政権終了の01年末に退団→渡米も全盛を過ぎマイナー契約で終了。現役を終える。
日本ハム
  1. 数年後「そのまんまハムの広告」と賞賛される。
    • 江夏~矢作の後継者と呼ばれる
  2. いろいろな意味で○モ○デオに関係のある某投手と比較される。
  3. 東京ドーム時代に1回は優勝出来ていた。
阪神
  1. 大阪出身なので一躍大スターに。
  2. 中村監督に甘やかされた後、藤田監督と衝突、最終的に球団と対立し数年後メジャ…あれ?
    • でも92年は優勝できたのかも
  3. 史実である葛西稔が他球団に指名されていた。
    • よって彼が入団1年目にバッシングの標的に遭うことはなかった、というよりそれを糧に2年目以降実績を上げること自体なかったかも・・・
    • もちろん「遠山→葛西→遠山→葛西」の投手リレーも存在しなかった。
    • 彼が引退後阪神コーチとなって藤川球児をブレイクさせる下地を作ることもなく、藤川もひっそりと球界を去っていたかもしれない。
      • 葛西氏が2位以下で阪神に指名されたかもしれないので、同氏については史実通りだったかも・・・。
      • ロッテが外れ1位で葛西を指名予定だったため、阪神が2位指名になることはありえなかった。
        • ロッテは外れ1位1番目で小宮山を獲ってるけど?
大洋
  1. 先発に野茂、抑えに佐々木という強力な投手陣が出来上がる。
    • 野茂の外れ一位で佐々木が近鉄に。
      • それはない。佐々木は大洋以外狙ってなかったらしい。(佐々木と大学の同期、大塚(元西武)談)
        • でも、1位じゃなかったら佐々木は入団しなかったと思う。
        • 日本ハムの大沢啓二(当時、常務)が大声で「佐々木で行こう」といったため、指名を繰り上げて1位で指名した。
    • 斎藤隆は大洋ではなく中日に入団
  2. ベイスターズに改名した直後には優勝していた。
ヤクルト
  1. ソウル五輪でバッテリーを組んだ古田との相性はバッチリ。ヤクルトは現実以上の黄金時代を築く。
    • ノーコンを意に介さないピッチングスタイルは、次第に野村監督と古田をイラつかせる要因になっていった。
  2. 「ヤクルトみんなでノモ」のCMがヒットし、人気者に。
  3. 女性芸能人若しくはフジテレビの女子アナと結婚していた。
  4. 石井一久は指名されていないかもしれない。
近鉄のその後
  1. 他のパリーグチームに入団していた場合、90年代初頭には早くもBクラス常連チームへ転落。
  2. 人気も低下し、20世紀中に球界再編の可能性も。

1990年代

小池秀郎(1990)

全般
  1. 社会人(松下電器)時代に成績を落とさなかったので、史実より活躍できていた。
近鉄
  1. 2年連続で当たりを引き当てた仰木監督は「ゴッドハンド」と呼ばれていた。
  2. 右の野茂、左の小池の両輪で悲願の日本一を達成した。
  3. とはいうものの入団しただろうか?
    • 巨人・ヤクルト・西武以外は拒否の方針だったので、近鉄入りは微妙なところ。
    • ロッテじゃなければという話もあったので、ごねたけど最終的には入団になりそうな気がする。
ヤクルト
  1. 高津臣吾も史実通り入団していたら、「亜細亜大学コンビ」と呼ばれていた。
  2. 石井一久のブレイクが遅れていた。
  3. 史実でヤクルトの外れ1位で指名された岡林洋一は当初の予定通りロッテが指名し入団していた。
西武
  1. 工藤公康の移籍後に左腕エースとして君臨。西武の黄金時代はさらに長くなっていた。
  2. 前年に続いて8番目にくじを引いた球団が当てたため「残り物には福がある」と言われた。
  3. 高山郁夫(西武)⇔高木宣宏(広島)のトレードはなかった。
中日
  1. 岐阜出身なので歓迎される。
  2. 小島弘務か矢野輝弘のいずれかが指名されない。
  3. 高木監督時代に優勝していた。
  4. 1997年の最下位は回避できた。
  5. 2000年と2002年のどちらかは移籍しなかったかもしれない。
広島
  1. 大野や川口の後釜と目される。
  2. 1996年は優勝していた。
  3. 江藤と同時にFA移籍した可能性も。

矢野輝弘(1990)

史実では、巨人と中日の2位競合で抽選の結果、中日が交渉権を獲得。

巨人
  1. 村田真一と兼用で捕手を務めていた。
    • 村田が年齢と共に出場機会が減った後、矢野は正捕手となる。
  2. 阿部慎之助は巨人に逆指名で入団しなかった。
    • ファンであった阪神に逆指名で入団していたかもしれない。
中日のその後
  1. 殆ど影響無し?
    • 史実で矢野が絡んだ大豊泰昭+1人⇔関川浩一・久慈照嘉のトレードの顔ぶれが変わっていた可能性がある。
  2. 野口茂樹は1996年にノーヒットノーランを達成できたのだろうか?(史実では矢野とバッテリーを組んで達成)
阪神のその後
  1. 正捕手は山田勝彦のままだった。
    • 当時の阪神は暗黒時代だったので、1998年以降の成績はもっと酷くなっていた。
  2. 上記のように、阿部は阪神に逆指名で入団していた可能性がある。
    • その場合、当時の監督は野村克也だったので、彼に指導された分、リードは史実の巨人より少し良くなっていたかもしれない。
    • 阿部が阪神に入って現実通り活躍出来ていれば、阪神も現実通りAクラスに浮上に黄金時代を築けていたかも。
    • 2016年以降も阪神に在籍していれば、彼の父親の元チームメイトである掛布雅之と師弟関係になっていた。
全般
  1. 声優の水樹奈々は矢野のファンになることはなかった。
    • 野球の知らない水樹奈々ファンにも矢野の名前が知れ渡ることはなかった。
  2. 阪神にトレードされない限りあの引退試合はないと見られるので村田修一が引退試合キラーと言われることはなかった。

斎藤隆(1991)

※史実では横浜に入団

中日
  1. 1998年は中日が優勝していた。
  2. ストッパーに転向していなかったかもしれない。
    • 中日は伝統的にストッパーに恵まれてるチーム(斎藤隆のプロ入り後は中山裕章→宣銅烈→ギャラード→岩瀬仁紀)だから、2000年代に入っても先発で投げ続けていただろう。
  3. 「ササキ様に願いを」は作られなかった。
  4. 史実で斎藤隆の外れ1位として中日から1位指名された落合英二は2位で指名されていた(他球団は落合の故障を考慮して指名を見送っていた)。

松井秀喜(1992)

※史実では巨人に入団

阪神
  1. 阪神暗黒時代はなかったかも。
    • 松井が何人いようとどうにもならないと思えてしまうのが阪神暗黒時代なのである。阪神の歴史はあんまり変わらなかったと思う。
    • ただ最下位と言う最悪の状況だけは免れる事が出来たかも知れない
    • 暗黒時代でもないが優勝にも届かない微妙な状況が続いたってことか?
    • 優勝は出来なくとも、少なくともAクラス入りは何度か果たしていただろう。松井の加入によりチームの雰囲気が変わり選手が勢いづくだろうから。
      • 現実にはFAで入った金本や西岡がその役割を果たした。
    • 普通に中村監督時代に優勝できていたかもしれない。1992年の阪神の成績からみてありえない話じゃない。
      • 1993年か1994年にリーグ優勝していただろう。上手く行けば連覇とか?
  2. それどころか星野時代に史上初の連覇+日本一を達成していたりして。
    • というか、連覇以前に2002年のオフ後にさっさとヤンキースに移籍したと思う。
    • 上のように、星野監督就任よりも以前に達成しているだろう。
  3. 指導者に恵まれず1軍昇格がないまま退団。
  4. ヤンキースタジアムのスポンサー広告が何故かオレンジ色の「○○新聞」などではなく「朝日新聞」になっていた。
    • 勢い余って一塁側には「大阪西川」、照明下には「川上塗料」、バックスクリーンには「三菱電機」。
  5. 浜風の影響で意外とホームラン数は伸びていないと思う。東京ドームが本拠地の巨人と比べて5本ぐらい減るだろう。
  6. 外野ではなく高校時代と同じ三塁を守っていたかも。
    • 内野手のままだったら片岡が移籍しなかった。FAしたとしても別球団に行っていた。
  7. 3番新庄・4番松井という黄金クリーンナップが実現していたかも。
  8. 一部で阪神ファンだという話を疑問視する声があるので入団拒否して駒澤大学へ進学して4年後に逆指名で巨人入団なんて事も。
    • ドラフトでの表情を見る限り巨人ファンではなかっただろうし、事前に拒否してないのに突然入団拒否はありえないだろうと思う。
  9. 萩原誠放出後に31をつけていたのは間違いない。
  10. 天然芝の甲子園球場でプレーすることになったため、メジャー入りしてしばらくした後に怪我で悩まされるということはなかったかもしれない。
中日
  1. 巨人を差し置いて中日が松井在籍時に4回リーグ優勝または日本一に。
  2. 少なくとも背番号は「55」ではなかったのは間違いない(大豊泰昭が王の年間55本塁打にあやかって着けていたので)
    • 有力なのは宇野のロッテ移籍で空いた「7」あたりか?
      • 王貞治を超えることを目標に「56」とか「60」とかの可能性もある。
  3. 松井の出身地の石川県での北陸中日新聞の購読者が増えていた。
    • その逆に北國新聞は活躍をほとんど報じなかった。そのため、石川県での人気は低かった。
  4. 1996年最終戦での敬遠はなかった。
    • もし江藤智がシーズン途中で離脱せず、松井秀・山﨑・大豊との本塁打王争いに最後まで絡んでいた場合、広島バッテリーから敬遠策を仕組まれていた可能性はある?と思いきや、後ろに山﨑や大豊が控えてるならその可能性も低いだろう。
  5. 福留孝介は入団しなかった可能性も。
    • 福留は当初遊撃手。
  6. 1994年・1996年は巨人ではなく中日が優勝していたかも知れない。
    • 1998年(史実では横浜優勝)も中日が優勝していた。史実通り1999年も優勝すれば2連覇、さらに2000年も優勝できれば3連覇を達成していた。1997年もナゴヤドーム元年の最下位転落は免れていただろう(史実の松井はナゴドでも結構ホームランを打っていたので)。
    • 1996年は「5番・中堅手」(史実では星稜高校の先輩である音重鎮がこの打順&ポジションだった)として、ダネル・コールズ、立浪和義、アロンゾ・パウエル、山﨑武司、大豊泰昭とともに「強竜打線」の一翼を担った。史実で本塁打王争いを繰り広げた松井秀・山﨑・大豊の567番トリオが猛威を振るい、同年の中日はヘタしたら90勝に到達できたかもしれない。
  7. 入団時点では同姓の松井隆昌(1996年まで)・松井達徳(1997年まで)が中日に在籍していたため、表記は「松井秀」になっていた。
ダイエー
  1. 活躍した場合、いつの間にかポスティングでメジャーに行ってしまっている。
  2. 謎の無償トレードでナベ○ネ部隊にプレゼントされる。
  3. 王の後継者として期待される。
    • 「門田2世」との呼び声も高かった。背番号も44になっていそう。
  4. ホークスの暗黒時代は1990年代中盤には終わっていた。
    • 生卵事件もなかった。
  5. 星稜高校の1年先輩の村松有人とともに外野手でコンビを組んでいた。
  6. 松中信彦が逆指名して入団しなかったかも知れない。
  7. 高校時代と同じ内野手だった場合、小久保裕紀の指名はなかったか入団してもブレイクが遅れていた。
巨人のその後
  1. おそらく戦力の劣化はほとんどないと思われる。
    • ただチームの意気は今より下がっていたかもしれない。
  2. 外野手補強のために稲葉や谷辺りが巨人に指名されていたかもしれない。
  3. 長嶋監督の復帰の盛り上がりが小さくなっていたかも。
  4. 「10.8決戦」やメークドラマも存在しないかも。
全てに言えること
  1. 長嶋茂雄との師弟関係が出来なかったので、2013年の国民栄誉賞受賞はなかった可能性が高い。
    • 長嶋茂雄の国民栄誉賞受賞も死去後に?

伊藤智仁(1992)

広島
  1. ヤクルトよりも選手生命が短くなってた可能性が高くなる。
  2. 投手コーチになり黒田・マエケンに高速スライダーを伝授していただろう。
オリックス
  1. 小林宏は入団しなかった。
    • 小林-オマリーの14球もなかった。
  2. スローカーブの星野伸之と好対照をなしていた。
  3. 広島の場合同様に選手生命は短くなっていた可能性が高くなる。

福留孝介(1995)

全般
  1. 中日・巨人以外に指名され拒否していた場合、福留個人については史実通り。
中日
  1. 原俊介はすんなり巨人が獲得。
  2. 荒木雅博の指名はなかった。
    • 1998年ドラフトで井端弘和を指名していなかったかもしれない。
      • こちらは福留が史実通り外野に転向していれば可能性はあったかも。
    • いずれにせよ荒木・井端の名二遊間は誕生しなかった。
    • 1999年ドラフトで中日は誰を1位指名していただろう?岩瀬は逆指名で2位だろうし・・・。
      • おそらく松坂大輔を指名していたはず。
  3. 種田仁は中日で現役を全うしていた。
    • 「タネダンス」をしていたのは中日の応援団だった。
  4. 1996年と1998年に優勝していた。
巨人
  1. 原俊介はすんなり中日が獲得。
    • その代わり荒木雅博を2位指名か?
    • この年の中日2位は逆指名の門倉健なので、荒木を取るなら3位以下になる。
  2. 2007年CSでの巨人惨敗もなかった。
  3. メジャー挑戦をもっと早くに表明していた可能性も?
  4. 二岡が入団することはなく、山本モナは芸能活動を続行していた。
    • 史実通り外野手転向なら、高橋由伸の獲得に動かなかった可能性も裏事情にもよるが
    • 高橋由伸よりも清水が指名されていない。
  5. 佐々木恭介と出会わなかったので史実ほどの成績は残せない。
オリックス
  1. 1年目に育成成功していたら谷は他球団に指名されていた。
  2. 2学年上の福留宏紀と区別するためスコアボードでは「福留孝」と表記される。
  3. 2000年代前半にメジャー移籍したか、山崎武司とトレードされていた。
ヤクルト
  1. 岩村明憲は指名されていない。
  2. 池山隆寛の引退が早まっていた。
  3. 外野に転向した場合、真中満はレギュラーを獲れずじまいだった。
近鉄は
  1. 外れ1位で澤井良輔を再競合していたか?
  2. 当然「ヨッシャー」も話題にならず。
  3. まあ、どっちにしてもチームの状況はあんまり変わらなかったということで…。

原俊介(1995)

この年、中日は1位で福留孝介を指名して外し、外れ1位で原俊介を指名して外し、外れの外れ1位で荒木雅博を獲得した。原と荒木のその後の活躍の差は周知の通り。

  1. でも荒木は3位ぐらいで獲ってた。
    • ちなみに2位は逆指名入団の門倉健。
  2. どっちにしろ中村武志が健在だったので出番は無かった。
  3. 小田幸平が中日に移籍しなかった。
    • 落合監督は小田を高く評価していたので、いずれにせよ野口の人的補償でなくとも、原とトレードしてでも獲得していたと思う。

松坂大輔(1998)

※史実では西武に入団

横浜
  1. 少なくとも2002年~2004年・2006年の最下位はなかったかも。
    • その他の年はともかく、2003~2004年はどんなに好投しても味方の貧打と中継ぎの乱調に足を引っ張られ、勝ち星がなかなか付かずに横浜の順位は変わらなかったと思う。
      • 04年の場合打線だけ見れば優勝してもおかしく無いレベル
    • マルハがTBSへ株式を売却するところまでは現実通りあったとしても、DeNAへの身売りはなかったかもしれない。
    • その分阪神が現実よりも苦戦したかも。2003年と2005年のどちらかはリーグ優勝できなかったかもしれない。
  2. 背番号は1998年当時空き番だった17(過去に斉藤明夫らが使用)か27(平松政次らが使用)だった。
  3. 横浜高校から横浜ベイスターズに入団したことから「ミスター横浜」という異名がつけられる。
  4. 古木克明は(第一志望の)ダイエーに入団していた。
    • 古木が小学校の卒業文集に「絶対に行きたくない球団は大洋」と書いていたことが話題にされることもなかった。
      • 逆に「行きたい球団はダイエー」と書いていたと話題にされていた。
  5. 史実通りの時期にポスティングでメジャー入り。
  6. 99~01年の間に横浜がもう一度優勝できていた可能性もある。ただしいずれポスティングでメジャー移籍した後は史実通りの暗黒時代へ。
  7. 99年には「新人にして開幕投手」の大偉業を達成し、この年まで在籍していた大魔神と組んで連覇を達成。ただし以後孤軍奮闘の末メジャーに移籍することになる。
  8. 三浦と共に先発の柱で「W大輔」と間違いなく呼ばれていた。
  9. セリーグでは打席に立つため攻撃面でも大きく貢献した。
日本ハム
  1. 北海道移転前に1回くらい優勝していた。
  2. 06年奇跡の日本一を手土産にメジャーへ…
  3. 背番号は広瀬哲朗が引退して空き番になっていた1(史実では同年ドラフト5位の阿久根鋼吉が着ける)だった。
  4. 入団拒否→社会人入り、の可能性も…
  5. 父の出身地である稚内市で主催試合が行われた。

新垣渚(1998)

※史実ではオリックスの指名を拒否

ダイエー
  1. 無論オリックスの三輪田スカウトは自殺していない。
  2. 暴投記録更新は史実通りかも。
    • 2011年頃にはトレードされていたか、戦力外になっていた可能性もある。
  3. 2002年のドラフト会議で、多田野数人氏を指名していた可能性が高い。
  4. 1999年に新人王を巡って、西武の松坂大輔氏と争っていた。

田中賢介(1999)

中日
  1. 荒木か井端のどちらかが完全に外野に転向することになっていた。

2000年代

寺原隼人(2002)

※史実ではダイエーに入団。

共通する事
  1. ダイエー以外はセ球団(中日・巨人・横浜)からの指名だったため公式戦で近鉄と対戦する事が無く、何らかの形でソフトバンクに移籍したとしても13球団勝利は達成できていない。
巨人
  1. 2003年の巨人投手陣の成績が少しだけまともになっていたかもしれない。
  2. ソフトバンクへのトレードもなかったかもしれない。
    • 寧ろ、小久保裕紀と交換で移籍していた。
横浜
  1. 2016年現在、横浜生え抜き投手として活躍していた。
  2. FAでソフトバンク行きか、多村仁志の復帰時にトレードで交換要員になっていた可能性も。
    • そもそも多村仁はトレード放出されなかった。或いは、ソフトバンク以外の球団に放出されたかも。

辻内崇伸(2005)

オリックス
  1. 史実より長く活躍できており、肩の治療も行えていたかもしれない。
  2. 女子プロ野球の指導者になっていたかは不明
  3. T-岡田は巨人が外れ1位で指名していた。
    • 「T-岡田」は史実のオリックスで岡田監督就任等の経緯もあったので本名の「岡田貴弘」のまま。
  4. 母校の大阪桐蔭と巨人の関係が悪化することもなかったかもしれない

陽仲壽(陽岱鋼)(2005)

ソフトバンク
  1. 史実通り外野手に転向して活躍していたら、長谷川勇也・柳田悠岐・中村晃のいずれかはブレイクしていなかった。
    • 柳田は地元の広島に指名されていたかも。
  2. ショートのままだった場合、川崎宗則の渡米まで活躍できなかった。
    • 今宮健太を獲得していなかったかも。
  3. 史実通り同じ年に実の兄の耀勲も入団していたら、同一球団所属の兄弟選手として現実以上に話題となっていた。
    • この場合、名前の読みは兄と揃えて「ヤン・チョンソ」としていた。

田中将大(2006)

※史実では楽天に入団

全部に共通すること
  1. 1年目から活躍し、新人王を取る可能性はまず無かった。
  2. 2009年も楽天はBクラスだった。
    • 2013年もリーグ優勝はおろか、Aクラスに入れたかどうかも微妙。
  3. 2013年に24連勝無敗の偉業を達成することはなかった。
日本ハム
  1. 投手陣が充実していたため1年目から先発は無かった。
  2. 斎藤佑樹は指名しなかった。
  3. 吉川光夫は(大嶺祐太が史実通りなら)地元ソフトバンクの外れ1位として指名されていた。
オリックス
  1. 一応、出身地なので大いに歓迎された。
  2. もしかしたら2008年はリーグ優勝、2011年もクライマックスシリーズ進出を果たしていた。
  3. 里田まいとは結婚していなかったかも知れない(日ハムは彼女の出身地、横浜も在京球団ということで出会いの接点はありそうだがここの場合は…)
    • その代わりに他の女性芸能人、もしくは在阪局の女子アナあたりが結婚相手だったかも?
横浜
  1. 1年目から先発で投げれていたが楽天と違ってチーム状態がアレなのでそんなに勝ち星は挙げられなかった。
  2. 広島の前田健太とは同学年なので非常に強力なライバル関係になっていた。
    • 同郷の巨人・坂本勇人の対決も注目されていた。
  3. 2013年以降もDeNAに残留していた場合、2017年以降は番長から背番号「18」を引き継いだ。

堂上直倫(2006)

※史実では中日に入団

巨人
  1. 相思相愛だった中日ファンから「立派に育ってFAで中日に来い!」とエールを受ける。仮にそれが実現していれば巨人にとって駒田以来2人目の生え抜き選手FA他球団流出となった。
  2. 坂本勇人は外れ1位で中日が獲得していた?
    • その場合、史実ほど活躍できていたかは微妙。
    • 2020年時点で2000本安打に到達できていなかったかもしれない
阪神
  1. 野原将志を獲得することはなかった。
  2. 甲子園で活躍したヒーローだが思うような実績を残せない…?
    • 小林宏之をFAで獲得の際の人的保障でロッテへ、となっていたかも(史実では高濱卓也)

中田翔(2007)

※史実では日本ハムに入団

全部に共通すること
  1. 1軍に入れてた?
    • 他の3球団はレギュラーが固定されていて、割り込むのが困難だっただろう。結局日本ハムが一番マシだったということになる。
  2. 野手ではなく投手として指名されていたら?
阪神
  1. 福留は阪神に入団していなかっただろう。
    • 福留は鹿児島出身なので、地元九州のソフトバンクに入団。
    • 古巣中日への復帰もあった。
  2. 本拠地が天然芝の球場になるので膝を痛める事は無く今でもレフトを守っていたかも。
  3. 2020年に岡本和真と並ぶ本塁打王(を含む)と打点王による二冠王になっていた。
  4. 翌年(2021年)での同僚選手に対する暴行事件で、埼玉西武へ無償トレードにした。
ソフトバンク
  1. ドラフトでの柳田悠岐の指名と長谷川勇也、中村晃のブレイクはなかった可能性も。

髙濱卓也(2007)

※史実では阪神に入団

横浜
  1. 外れとは言え地元高校からの1位指名に大フィーバー。
  2. DeNA買収直後の時点で石川雄洋と二遊間を組み、倉本寿彦が入団するより数年早く『横高出身二遊間コンビ』が実現していた。
  3. 田中健二朗は地元球団である中日が外れ外れ1位で指名か。
  4. 2014年のドラフトで弟の祐仁もDeNAに指名されたかも。

大田泰示(2008)

※史実では巨人に入団。後に日本ハム、横浜DeNA。

ソフトバンク
  1. 巨人の外れ1位はもちろん長野久義。
  2. 大田は指名を拒否して東海大学に進学していたかも。
    • その場合、巨人が2011年に菅野智之を外していたら更に悩ましいことに。
  3. 結局は史実とあまり変わらず、か?
    • 史実より一軍出場は多かったと思う。
  4. 巨人の背番号55は空き番号のまま。
    • 間違いなく松井の国民栄誉賞受賞を持って永久欠番になっていた。
  5. 2022年から北海道日本ハムへ移籍した。

松本啓二朗(2008)

※史実では横浜に入団

阪神
  1. 赤星憲広の電撃引退後に中堅のレギュラーに抜擢される。
    • 藤川俊介のブレークは多分無かった。
    • マット・マートンが阪神で中堅手を守る事は無かった。
    • 2011年のドラフトで伊藤隼太が1位指名される事は無かったかも。
  2. 横浜の1位指名は誰になっていただろうか。
    • 松本以外の指名結果が史実通りだった場合藤江均(史実2位)か細山田武史(史実3位)が繰り上がっていた。

菊池雄星(2009)

※史実では西武に入団

共通する事
  1. 球団によっては2021年開幕時点で残留している。
    • 或いは、史実より早く米球界に挑戦している。
  2. 2018年の西武優勝は無かった。
  3. ソフトバンクを苦手とするのは多分史実通り。
  4. 大久保博元の西武コーチ時代二度目の暴力問題は史実程騒がれない。
楽天
  1. 地元では大フィーバー。
  2. プロ入り後カモとしていた球団だっただけに史実程勝利数は伸びていない。
    • それでも2013年の日本一には貢献していた。
  3. 史実通り大久保博元が首脳陣に入閣していた場合三度目の暴力問題が起きていたかも。
    • この場合監督には就任出来ていない。
日本ハム
  1. 大谷翔平が史実通りに入団した場合、『花巻東コンビ』で売り出していた。
    • 菊池が抑えて大谷が打ってのWお立ち台もしばしば見られた。
  2. 2016年の日本一に貢献していた。
  3. 場合によっては史実より早く米球界に挑戦していた。
中日
  1. 翌年以降のドラフトが史実通りなら大野雄大と左腕二枚看板で売り出していた。

2010年代

斎藤佑樹(2010)

※史実では日本ハムに入団

東京ヤクルト
  1. 神宮のヒーローが帰ってくると大盛り上がり!
  2. 神宮での初登板は、大フィーバーとなっていた。
  3. かつての荒木大輔の「大ちゃんフィーバー」を超える「佑ちゃんフィーバー」が起こっていた。
  4. 史実で外れ1位で入団した山田哲人はクジの競合相手だったオリックスへ。
    • その結果、2014年のオリックスはリーグ優勝を達成し、2015年のヤクルトはリーグ優勝を逃していた。
    • 高校時代と同様、先輩にちなんで「T-山田」と呼ばれていた。
    • オリックスは、翌年山田とポジションの被る安達了一を指名しなかった。
      • 西野真弘の指名もなかった。
    • オリックス入団の場合でも史実のようにトリプルスリーを達成するような選手にまでなれていたかどうか?という部分はあるが、少なくともレギュラークラスで活躍していたのは間違いないだろう。
    • それでも史実の1位指名だった駿太は他球団が指名しなければ2位以下で獲っていたはず。
  5. 斎藤は群馬県出身なので、ヤクルトの主催試合が前橋(敷島球場)で行われていた。
  6. 1年目から活躍できていれば、2011年にヤクルトが優勝出来ていた。
ソフトバンク
  1. 大先輩の王会長のもと、英才教育が施される。
  2. ただ、活躍できなかった場合はとことん出番がなかったと思われる。
    • 最悪の場合育成契約になっていた可能性も。

山田哲人(2010)

※史実ではヤクルトに入団

オリックス
  1. オリックスは2011年はクライマックスシリーズ進出を、2014年には18年ぶりの優勝を果たしていた。
    • 2014年のセ・リーグのCS優勝が史実通り阪神で、こちらもCS優勝していたら同年の日本シリーズは阪神×オリックスの関西ダービーになっていた。
  2. 一方、ヤクルトの2015年は良くてAクラスになっていた、
    • 日本シリーズに進出できても、ソフトバンクに4連敗していたと思われる。
  3. 尽く高卒野手が育たないオリックスなので、史実通り育っていない可能性も多分にある。
    • もし史実通りトリプルスリーとか達成していた場合、何かとイチローと比較されていた。
  4. 駿太は他球団か2位以下でオリックスに入団していただろう。
    • 他球団の場合は登録名を「駿太」にせず、本名フルネームの「後藤駿太」だった。
    • 他球団の場合は、背番号繋がりでローズと関連付けられることもなかった。
  5. 兵庫県出身なので、ファンから「地元の星」として愛されていた。
  6. 2021年の日本シリーズは史実とは逆にオリックスが日本一になっていた。

菅野智之(2011)

※史実では日本ハムの指名を拒否

巨人
  1. それでもアンチ巨人からのバッシングは必至だが、史実よりはマシになっていた。
  2. 当然ながら浪人した時以上に実戦勘は研ぎ澄まされてはいるだろうから、新人王を取っていた2013年(13勝6敗)よりもさらにえげつない成績を残したかも。
    • 巨人は史実以上に大差をつけてセ・リーグを制覇していた。
      • CSにおける初戦からの3連敗もなかった。
    • となれば、2012年の新人王は野村祐輔ではなく菅野だった。
  3. 日ハムの外れ1位はいったい誰になっていただろうか…。
    • 松本剛を1位指名し、その他選手も史実通り順位を繰り上げる形で指名していた。
  4. この年の巨人の外れ1位松本竜也はどうなっていたか。
    • 巨人と競合した横浜に入団していた?
      • DeNAだった場合、2014年オフに自由契約になっていた可能性もある。
      • 笠原将生や福田聡志らともかかわることもないため少なくとも野球賭博に手を出すことはなかったかも?
  5. 2012年に大累進を指名することも無く、日本ハムへ入団したと思われる(史実でもトレードで日本ハムへ移籍)。
  6. 翌年、巨人の1位指名は誰になっていただろう?
    • 東浜巨か藤浪晋太郎を指名していたか、或いは指名拒否覚悟で大谷翔平かもしれない。
    • 2位で獲得候補だった鈴木誠也かも。
  7. 背番号は最初から「18」を付けていた。
    • 杉内俊哉は「21」あたりか。

藤岡貴裕(2011)

※史実ではロッテに入団。後に日本ハム→巨人へトレード。

横浜
  1. 高城俊人・白崎浩之と共にオリックスへ移籍していた。
    • 少なくてもトレードでたらい回しにされる事は無かったのか?
  2. プロ入り後の活躍度合いは微妙だが、少なくともこの年の横浜のドラフトが『嫌がらせドラフト』と呼ばれる事は無かった。
  3. 横浜の2位以下の指名結果が史実通りだった場合、松本竜也は巨人、北方悠誠はソフトバンクがそれぞれ2位で指名したか。

藤浪晋太郎(2012)

※史実では阪神に入団

ヤクルト
  1. ライアン小川を抑えて新人王を獲得出来たかも。
  2. 石山は指名されなかった。
    • その場合、2018年のヤクルトは交流戦優勝を逃しシーズンもAクラスに入れたかどうか微妙な所。
  3. 2013年のヤクルトは最下位を免れていた。
    • 2015年も日本一になれていた。
ロッテ
  1. 2013年に楽天を抑えてリーグ優勝あるいはCS優勝・日本シリーズ出場を果たしていたかも。
    • もちろん田中マー君の連勝を止めていた。
オリックス
  1. 史実の阪神と同様、地元の星として歓迎され注目される。
  2. 2014年にリーグ優勝出来ていて、15年以降もまともな成績を残している。
    • 2021年に日本一になれていた。
  3. 2016年のドラフトで史実通り澤田圭佑が指名されていた場合、大阪桐蔭同級生コンビで売り出していた。
阪神のその後
  1. 2013年以降も低迷を続けていて、14年のCS優勝もなかった。
    • 西岡や福留も移籍してこなかった場合尚更。
    • 和田豊の監督退任が早まっただろう。
  2. 和田豊が当たりくじを引けなかった分手のひら返しもないので、2012年のチームの不振を引きずるファンが現実より多かった。
  3. 西岡との大阪桐蔭OBコンビもなかった。
  4. 金本監督による「161球事件」は起こらず、母校である大阪桐蔭と阪神の関係が悪化することはなかった。

石川歩(2013)

※史実ではロッテに入団

巨人
  1. ロッテは小林誠司(史実の巨人1位)を指名か。
    • そうなった場合、某所で「肘」と呼ばれることはなかったかも。
  2. 巨人ではヒゲは禁止なのでイメージがガラリと変わっていた。
  3. 「セ・リーグには行きたくなかった」と入団後のインタビューで語っているので入団拒否した可能性も(本人は子供の頃から大の中日ファン)。
    • その場合、翌年のドラフトで中日が単独1位指名。
    • そうなった場合、この年に巨人から支配下指名された選手は2021年3月の田口麗斗トレード移籍を以て全滅していた。

大瀬良大地(2013)

※史実では広島東洋に入団

東京ヤクルト
  1. 入団4年目の2017年をもって戦力外通告を受け、退団を余儀なくされていた。
  2. 史実通りの活躍だったら2018年のヤクルトは優勝していた。
  3. 被本塁打が相当なものになっていたかも。
  4. 広島は2016年~2018年の3連覇を達成出来なかったかも。
阪神
  1. 岩貞祐太は日本ハムに入団していた。
  2. 背番号は史実で岩貞が付けていた「17」だった。
  3. ドラフト同期の梅野隆太郎と同じ生年月日であることが話題を呼んだ。
  4. 2014、15年の阪神は優勝出来ていた。

松井裕樹(2013)

※史実では楽天に入団

DeNA
  1. 地元出身選手の指名で大フィーバー。
  2. 当時は金城龍彦が所属していた為、入団当初の背番号は「1」ではない。
    • 史実通りに金城が退団した場合、活躍次第で与えられたかも。
  3. 史実通り抑えとして定着した場合、山﨑康晃は新人王を獲れなかったかも。
  4. 石橋杏奈との交際→結婚は史実通り?
  5. 史実の外れ1位だった柿田裕太は阪神か日ハムへ。
  6. 楽天の外れ1位指名で岩貞祐太を指名した可能性も。
  7. 2017年のドラフト会議の指名結果が史実通りだった場合、楠本泰史(小中学校の同級生でベイスターズジュニアとシニアで共にプレー)とプロでもチームメイトに。
    • 同じくチームメイトだった甲斐綾乃が球団職員になった際3人の対談動画が球団公式youtubeチャンネルに投稿されていた。

有原航平(2014)

※史実では日本ハムに入団。

DeNA
  1. 山﨑康晃は阪神に入団した。
    • 翌年以降抑えの固定に苦しみ2010年代後半のチーム成績は史実の様な好成績にならなかった可能性も。
      • 三嶋一輝の抑え起用が史実より早く見られたかも。
  2. 史実通り1年目から活躍した場合2015年のリーグ優勝は微妙なまでもAクラスは有り得た。
    • この為、中畑政権は史実より1~2年長かったかも。
  3. 2019年はDeNAがリーグ優勝し、それを置き土産に史実より1年早くメジャーに挑戦していた。

山﨑康晃(2014)

※史実ではDeNAに入団

阪神
  1. 呉昇桓が中継ぎになっていた。
  2. 「小さな大魔神」と呼ばれることはなかった。
  3. 横浜DeNAの抑えは三上朋也のままだった。
  4. ヤスアキジャンプをやることはなかった。
  5. そもそも最初からリリーバー起用を行っていたか疑問。
    • 「先発ローテの一角を任される康晃」も多分にあったかもしれない。

高山俊(2015)

※史実では阪神に入団

ヤクルト
  1. オリックスから坂口智隆を獲得することはなかった。
  2. 河載勲は契約されていなかった。
    • 背番号は「00」を背負っていた。
      • 山田哲人の後を受けて「23」かも。
        • 大成していた場合、青木復帰はなかった。
  3. 真中監督の「幻のガッツポーズ」がネタにされることもなかった。
  4. 阪神は外れ1位で誰を指名していたのやら?
    • 同じ外野手のオコエ瑠偉を指名し楽天と競合していた可能性も?
      • そちらも外していた場合、坂本誠志郎が1位指名されて以下の選手の順位が繰り上がったか重信慎之介(史実の巨人2位)辺りを指名してお茶を濁していた。
    • 逆に原樹理(史実のヤクルト外れ1位)を指名していたかもしれない。
    • 競合回避或いは外れ1位候補といわれていた上原健太かも。
  5. 2016年シーズンの阪神は現実以上の苦戦を強いられていた。
    • 「超変革」の目玉選手が1人減っていた。
    • 阪神とヤクルトの順位が逆になった可能性がある。
  6. 阪神の現状を見ていると意外と史実よりも活躍したかも。
    • 2021年のリーグ優勝→日本一にも貢献していた可能性もある。

柳裕也(2016)

※史実では中日に入団

DeNA
  1. DeNAが2017年のポストシーズンで史実通りの善戦が出来たかは微妙。
    • 但し、2位以下でも濱口遥大の指名に成功していたら別。
  2. 球団通算4000勝になった際の勝利投手になっていた。
  3. 入団3年目の2019年に最優秀防御率を獲得した。
  4. 中日は次の指名でやはり他球団と同じく佐々木千隼だっただろうか。
    • そちらも外した場合、京田陽太が1位指名されて以下の順位が繰り上がっていたか吉川尚輝(史実の巨人1位)を指名して競合していた?
  5. 2位以降のドラフトが史実通りであれば佐野恵太との同級生コンビ、或いは後年入団した伊勢大夢、入江大生と共に「明大カルテット」で売り出していた。
  6. 2021年度オールスターゲーム出場できないどころか、森下暢仁(広島東洋)との明大リレーすらなかった。
  7. 史実通りの成績を残せた場合2021年はAクラスこそ厳しいものの最下位は無かったかも。

清宮幸太郎(2017)

※史実では日本ハムに入団

ヤクルト
  1. 王柏融(北海道日本ハム)が球団通算8000本塁打になっていた。
  2. 史実の外れ1位だった村上宗隆はクジの競合相手だった巨人か楽天へ。
    • 清宮を外した日ハムが村上を指名→クジを引き当て史実とは所属球団が逆になっていた可能性も。
  3. 高校時代より通い慣れた神宮球場でホームランを量産していただろう。
  4. 村上に代わって史実より多少は活躍出来ていたかもしれない。
巨人
  1. 背番号は「55」を背負っていた。
  2. 岡本和真のブレイクが遅れていた可能性がある。
    • 岡本は三塁かレフトを守っていた。
  3. オリックスから中島宏之を獲得することはなかった。
  4. 阿部慎之助は400本塁打を打てずに引退していた。
阪神
  1. 甲子園のヒーローが帰ってくると大盛り上がり!
    • 甲子園での初出場は、大フィーバーとなっていた。
  2. 2018年の阪神は最下位を免れていた。
  3. 背番号は「31」を背負っていた。
    • 著書でこれを提唱していた遠藤章造が喜ぶ。
ソフトバンク
  1. 大先輩の王会長のもと、英才教育が施される。
  2. 背番号は「3」を背負っていた。
    • 松田宣浩は史実より1年早く背番号を「5」に戻していた。
  3. 2018年のレギュラーシーズンはリーグ優勝できていた。
    • このチームの育成方針を考えると、1年目から一軍出場できなかった可能性も高いので結局同じかも。

村上宗隆(2017)

※史実ではヤクルトに入団

楽天
  1. 球団初の開幕6連勝で波に乗り、令和になって初のパ・リーグ優勝した後、その年の日本シリーズで4タテ(史実ではソフトバンク)による日本一になった。
    • 35本塁打で、令和になって初のパ・リーグMVPを獲得した(入団2年目によるMVPは、稲尾和久投手(57年 元西鉄)・杉浦忠投手(59年 元南海)で、打者は史上初)。
  2. 千葉ロッテから鈴木大地をFA獲得する事は無かったかも。
  3. 2019年のセの新人王は近本光司が受賞した。
  4. 楽天の主砲となり、現在に至る。
巨人
  1. 捕手として育てていたので、数年は二軍暮らしだった。
    • 2019年のセの新人王は近本光司が受賞した。
    • 日本代表に選ばれるのは早くて2020年代中旬以降。
  2. 岸田、大城のうち、どっちかは指名しなかった。
    • 巨人は、二位で亜細亜大学の高橋(史実の阪神二位)を指名していた。
  3. 史実通り活躍していた場合、2021年は巨人がリーグ優勝していた。
    • 優勝していなくてもシーズン勝ち越しで終えていた。

馬場皐輔(2017)

※史実では阪神に入団

ソフトバンク
  1. 飯田優也(ソフトバンク)・松田遼馬(阪神)によるトレードは破談していた。

根尾昂(2018)

※史実では中日に入団

日本ハム
  1. 「大谷2号」として、注目されていた。
  2. 先輩の中田翔氏から可愛がられていた。
    • 2021年に同僚選手に対する暴行事件を起こして巨人へトレードされることもなかったかもしれない。
  3. 吉田輝星氏は指名されることはなかったかもしれない。
巨人
  1. 「守備で内野には使えない」と判断され、一年目から外野にコンバートされた。
  2. 高橋優貴が獲得出来なかったため、2021年は苦戦していたかも。
    • 高橋は根尾を外した中日が指名していた。
      • その場合、スコアボードなどの表記では「高橋優」になっていた。
ヤクルト
  1. 史実より早い段階から一軍でも遊撃での出場機会が得られた。
  2. 上茶谷大河は小園海斗を外したDeNAが一本釣りか。
  3. 2位以降でも清水昇を指名出来なかった場合2021年に日本一どころかリーグ優勝すら達成できていたか危うい。
  4. 翌年のドラフトで長岡秀樹か武岡龍世のどちらかはヤクルトに指名されなかったかも。
中日のその後
  1. 外れ1位は甲斐野央(ソフトバンクの外れ外れ1位)か2位の梅津晃大が繰り上がっていた。
  2. ドラフト戦略が見直され翌年以降立て続けに地元出身高卒選手(2019年石川昂弥、2020年高橋宏斗)を1位指名しなかった可能性も。

藤原恭大(2018)

※史実ではロッテに入団

楽天
  1. 浅村栄斗氏が移籍することはなかったかもしれない。
阪神
  1. 地元のスター選手として注目されていた。
  2. 史実の1位指名入団である近本は他球団が指名していた。
    • 2019年の阪神はAクラスになれなかった可能性が大。
      • もしロッテが近本を取り史実レベルに活躍した場合、ロッテがAクラスになっていたかも。

小園海斗(2018)

※史実では広島に入団

DeNA
  1. 遊撃は大和がレギュラーだったため1年目から史実通りに試合に出られたかは微妙だが……。
    • 仮に史実通りに試合に出ていた場合、倉本寿彦、石川雄洋、中井大介の出場機会は史実より少なくなり、柴田竜拓のブレークもやや遅れた。
    • 1年目から遊撃以外の守備位置での出場機会があったかも。
  2. 宮崎敏郎が所属していたため、背番号は「51」では無い。
    • 多分、白崎浩之のトレード移籍で空き番号となっていた「6」を付けていた。
  3. 翌年のドラフトで森敬斗がDeNAに1位指名されることは無かったかも。
    • 森下暢仁を指名して2年連続で広島と競合していたか、逆に広島が森を単独指名した。
  4. 上茶谷大河は根尾昂を外したヤクルトが一本釣りか。
  5. 2021年のドラフト指名結果が史実通りだった場合1位指名の小園健太とユニフォームの背ネームがややこしい事に(どちらも「K.KOZONO」なので)。
オリックス
  1. 史実通り試合に出ていた場合安達了一は史実より早く二塁にコンバートされていた。
  2. 2021年のリーグ優勝には間違いなく貢献していた。
  3. 太田椋(史実1位)か紅林弘太郎(2019年2位)のどちらかはオリックスに指名されなかった。

佐々木朗希(2019)

※史実ではロッテに入団

楽天
  1. 千葉ロッテから涌井秀章氏が金銭トレードで獲得することはなかった。
  2. 背番号は「18」を背負っていた。
日本ハム
  1. 背番号は「11」を背負っていた。
  2. 同じ岩手県の高校から日本ハムに入団したこともあって、名実共に「大谷2世」として、大注目されていた。
  3. 監督の栗山英樹氏から可愛がられていた。
    • 「朗希」と下の名前で呼ばれるのは確実だろうな。

2020年代

佐藤輝明(2020)

※史実では阪神に入団

共通
  1. 2021年の阪神はBクラスに低迷していた。
    • 代わりに広島がCS出場を果たしていた。
    • 巨人には15年連続の負け越しとなっていた。
ソフトバンク
  1. 2021年4月9日対東北楽天戦=楽天生命パーク宮城で場外ホームランを放った。
  2. ソフトバンクは2021年のCS出場を果たせていた。
  3. ルーキーながらベストナインに選出した。
  4. 同じくモノノフである石川柊太と意気投合していた。
巨人
  1. 坂本勇人、岡本和真、丸佳浩、梶谷隆幸、ゼラス・ウィーラーらと超重量打線が誕生していた。
    • 巨人の打撃成績はさらにえげつないものになっていた
    • 2021年のセ・リーグは巨人がぶっちぎり優勝していた。もちろん終盤の10連敗もない。
    • 特に阪神ファンから目の敵にされていた。
    • 恐らく2021年の新人王を獲得していた。
  2. 田口麗斗と廣岡大志のトレードは行われてなかった可能性が高い
  3. 助っ人外国人も取ってなかったか、スモークとテームズのどちらか一人のみになってた可能性もある
  4. 平内龍太は阪神が外れ1位で一本釣りか
  5. 背番号は恐らく、自身が抜く前に関西学生野球リーグ通算本塁打記録を保持していた二岡智宏にちなんだ「7」。
    • 近畿大学の先輩でもあるから、本人の励みになったこと請け合い。


オリックス
  1. 2021年の日本シリーズはオリックスが日本一になっていた。
  2. 関西球団なので、「地元の星だ」と喜ばれていた。
  3. 杉本裕太郎が遅咲きでブレイクしなかったかも。
  4. 背番号は近畿大学の先輩でもある糸井嘉男から「7」を受け継いでいる。
  5. 新人王をチームメイトの宮城大弥と争っていた。

早川隆久(2020)

※史実では楽天に入団

ロッテ
  1. 同郷・球団の先輩で、かつ早稲田大学での恩師でもある小宮山悟監督から、喜んで送り出された。

小園健太(2021)

※史実では横浜DeNAに入団

阪神
  1. 森木大智が高校生ドラフトで2位に指名していた。