ページ「都営地下鉄浅草線」と「もしプロ野球ドラフトで抽選に勝ったのがあの球団だったら」の間の差分

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都市高速1号線・路線記号A・ラインカラーは<span style="color:#ff1493">'''ピンク'''</span>
*史実で指名していない球団が指名していた場合は[[もしあのプロ野球選手があの球団にドラフト指名されていたら]]へお願いします。
*かつて、浅草線のラインカラーは都営では<span style="color:#ff8800">'''朱色'''</span>、旧営団では<span style="color:#ff00ff">'''マゼンタ'''</span>と全然違う色が使われていた。
*ドラフト以外で入団した選手は[[もしあのプロ野球選手があの球団に入団していたら]]へお願いします。
==浅草線の噂==
*史実でプロ入りしていない選手は[[もしあの選手が日本プロ野球入りしていたら]]へお願いします。
[[画像:TEA5325F01.jpg|frame|5300形電車(八広駅にて)]]
*抽選の結果、指名を拒否した選手が指名球団に素直に入団していた場合は[[もしあの選手がドラフト指名を拒否しなかったら]]へお願いします。
#5社で相互運転を行っている為、車両・行き先共にバラエティー豊かである。
==1980年代以前==
#*ゆえに、浅草線を使い慣れていない人には、目的地に行きづらい路線である。
===江夏豊(1966)===
#**京急に幅を利かせられていて、押上-西馬込の直通電車が少なく、泉岳寺-西馬込の7駅だけの往復運転が多い。利用者数を考えたらしょうがないけど。
※史実では阪神に入団
#***終点の泉岳寺で蛍光灯をほとんど消さなくなったのは嬉しいが、まれに消す。
;巨人
#***一方、京急600型の乗り入れが減ってるのは、クロスシートが京成に嫌われてるかららしい。
#1968年の奪三振がさらに増えていた。
#****そういう理由かどうかは知りませんが、少しずつロングシートへの改造やってます
#高橋一三とともに左腕の二枚看板を形成する。
#***泉岳寺は日中、京急の(A)快特の終点にもなるので、引き込み線には交互に入っては出て入っては出てと引っ切り無し。
#南海か日本ハムへトレードされた可能性もある。
#***まぁもともと泉岳寺-西馬込は西馬込の車庫に行く為に作ったようなもんだからな。
#現実と真逆に阪神の打者(特に田淵幸一あたり)との因縁の対決が話題になる。
#*昔は乗り入れ先の一つ・[[京成電鉄]]の主力車両そっくりの色使い(肌色と朱色のツートンの間に灰色のライン)だった。
#引退後にクスリに手を出さなかった可能性がある。
#*正しくは灰色ではなく、銀色の帯。ちなみにその車両は開業時に製造された5000系。引退前はクリームに赤帯だった。
#*5社で相互直通運転をしているけれど、長距離乗る客はあまりいない。
#*日本初の地下鉄・民鉄相互直通運転であり、京成電鉄を1372mmから1435mmに変えさせた。
#**日本初は[[東京メトロ日比谷線|日比谷線]]と[[東武伊勢崎線]]だったはず
#**東武のほうが数年遅い
#***浅草線⇔京成線相互乗り入れは1960年。伊勢崎線⇔日比谷線は1962年。
#*実質[[羽田空港]]〜高砂間の路線。
#**地味に西馬込方面の電車も多いよ。泉岳寺で折り返すのもあるけど。
#***最近西馬込に引っ越したんだけど、朝夕は盲腸部分のくせにすげえ混雑率。
#*京成側・京急側共に乗り入れ先も行先・種別が多種多様なため、電車を間違えたり乗り過ごしたりすると大変なことになる。
#[[成田国際空港|成田空港]]から羽田空港まで直通で行ける。
#*エアポート快特が京成線内で快速に格下げされてしまったのが腹立たしい。おかげで直通で行こうとすると京成津田沼以東は各駅停車ですぜ。スカイライナークラスの「トランジット・エクスプレス」を期待してたのにな~~。
#**スカイライナー乗り入れは、都が反対しているようですが、来年、ロマンスカーのメトロ乗り入れで再検討されるかもしれない。
#**むしろ、京急が2100系の160km/h運転対応型をつくり、着席料金だけの列車を運転したらどうだろうか。
#*スカイアクセス開業で浅草線⇔成田空港の所要時間は大幅に短縮された。
#**京急蒲田高架化完成で成田空港・羽田空港間も1時間半程度に。バスより10~20分遅い程度で運賃は千円安い。
#一方で、鉄ちゃんには興味深々な路線である。
#*都市公団が自前で営業していた頃は6社直通。
#**たまには[[芝山鉄道]]のことも(ry
#***<small>地味</small>だから…っていうか存在を知らないやつが多い。(沿線の方、ファンの方、すみません)
#*てか、羽田空港→成田空港とストレートに行く人はあまりいないと思う。
#**旅行のときに公津の杜⇒羽田空港を乗り換え無しでいきました。3駅足りない・・・。
#**成田スカイアクセス開業とアクセス特急~エアポート快特設定で前よりは増えたとは思う。
#***所要時間ではまだバスに負けるが、運賃では段違い。1000円以上違う。
#**鉄道としては色々改善したが、根本的に羽田空港に国際便が多数発着するようになったという、鉄道会社的には斜め上の事情で成田空港まで行く意味が薄れた。
#**[[ベタな海外格安ツアーの法則|格安海外ツアー]]なんかだと地方(含む関西)出発でも成田発の便になる事が多いので、そういう場合は国内線で羽田に来て、そのまま成田へ移動というパターン。
#*三浦海岸方面への釣り人も忘れてはいけない。土日の夕方、押上方面の列車に乗ろうとするとクーラーバッグを腰掛代わりにしている釣り人が沢山乗っていて驚く。
#『江戸橋』がいつのまにか『日本橋』になっていた。
#*これに倣(なら)って、三田を田町、大門を浜松町、春日を後楽園、新板橋を板橋、上野御徒町を御徒町、小川町を淡路町新御茶ノ水、岩本町を秋葉原にし、なるべく他線と連絡扱いしてほしい。
#**そうなると[[都営地下鉄三田線|三田線]]が田町線に変わることになる。
#*「大門」を「浜松町」にしないのは羽田への客をとられないようにするためらしい。
#*浜松町の都産賀から京急蒲田のPiOに移動するときに試しに使ってみたけど、浜松町口からは乗場がかなり離れているような気がする。素直にJRにすれば良かったかも。
#**何のオンリーイベント(同人誌即売会)に行ったんだ、お前は?
#*『江戸橋』なら[[津市|ここ]]にある。
#**江戸'''川'''橋なら[[東京メトロ有楽町線|ここ]]にある。
#*『江戸橋』と『日本橋』はともに[[近畿日本鉄道|近鉄]]にあったりする。ただ近鉄の駅の正式名称は『近鉄日本橋』だが。
#**大阪は「にっぽんばし」、東京は「にほんばし」。
#東京の地下鉄で唯一、ラインカラーがまったく機能していない路線。事情はわかるが、大手私鉄各社も多少は[[東京メトロ東西線|東西線]]のJRを見習って欲しい。
#*そもそも'''都営地下鉄でラインカラーが機能しているのは[[都営地下鉄新宿線|新宿線]]だけ'''。
#**東西線だって国鉄乗り入れ車は黄色の帯だった。ただ、中央緩行線に205系が入るようになり、塗装がかぶって誤乗が増えたから青にした。あくまでJR側の理由。
#***そもそも地上の鉄道でラインカラーを分けているのはJR東日本だけだし、誤乗が出た'''ぐらい'''で塗装を変更するのは充分乗客本位。
#***10-300形の登場により山手線に乗ったと勘違いした田舎者が増加
#**新宿線にも京王車がいるぞ。
#**有楽町線も機能していない。自社車両ですら副都心線カラーの茶色メイン。
#*とはいえ、ここまで車輌の意匠が色々、行き先も色々な地下鉄路線はそうそうないだろう。
#**まさに"関東の[[神戸高速鉄道]]"だわ。
#***泉岳寺は高速神戸とホームの雰囲気が似ている。
#***と言っても、神戸高速鉄道は複数社の路線をつなげるための第三種鉄道事業だし。
#**ボロボロ・ツーハンドル・抵抗制御・種別幕手動の4+4=8両とピカピカ・ワンハンドル・LCD付き・種別幕LEDの固定8両が並んでたりする。
#TrainSimulatorというPS2のゲームで運転できるらしい。
#*PSPでも運転できるようになった。
#走りながらドアが開く。こえーよ
#*スピード感があっていい。
#都営地下鉄唯一のドル箱路線
#*大江戸線もいいみたい。
#**大江戸線は建設費用償還が足を引っ張っているので、赤字。ただし、償還が済めばドル箱路線の仲間入り。
#*青島・石原都政下の交通局改革で[[都営地下鉄三田線|三田線]]・新宿線もかなり改善された。それまで(営団に比べて)「臭い汚い古い」がお約束だった都営地下鉄が東京メトロの水準に追いついたのはこの2人のおかげ。
#**最近の東京'''ダ'''メトロぶりを見ていると、都営の方が水準高いような気がする……
#*新宿線にも乗降客数・黒字額ともに負けてるよね?
#**都営一の黒字路線は浅草線でなく新宿線です。
#***公営交通の場合、赤字でなけりゃ、それで立派。たいしたもんだよ東京都交通局。
#****そりゃあ、場所が東京都心ですから……むしろ、東京みたいな民間でも十分やっていける場所で公営交通が必要なのかが疑問(奥多摩とか離島ならともかく)。
#****都民だけでなく神奈川千葉埼玉の近隣県民も使うから潜在的な利用者数も多いし、何より都心のど真ん中を通ってるんだから、逆に黒字でないとおかしいくらい。
#[[大阪]]で言うと直通運転行っている[[大阪市高速電気軌道堺筋線|堺筋線]]。
#*関西の地下鉄は、現時点で2社以上を相手に相互直通している路線は皆無(かつてはあったけど)。
#*だから四つ橋線だって(銀座線のバイパス線で建設されたものの、殆ど機能していない)
#『私鉄・JR沿線と都心とを一直線で結ぶ』という直通運転の意義が全く意味を成していない路線。よくもまぁこれだけ都心の外ればっかり走るものだわ。
#*でも利用者は多い。
#*いや、京急側から来ると、新橋・日本橋あたりでかなりの数が降りていき、浅草過ぎるともうガラガラ。
#*銀座も日本橋も浅草も、浅草線の駅のある場所は見事に町外れだよね。
#**それは東京の繁華街が西側に移動してしまったから。浅草線のルートはもともと都電の花形路線をなぞったもの。
#**あの辺は「昭和通り」の地下に沿って走っていて、もう一本内側の「中央通り」の地下を[[東京メトロ銀座線|銀座線]]が走っている。確かね。
#**だからちゃんと「'''東'''銀座」って言ってるじゃないwでも歌舞伎座へは便利。
#**銀座線のバイパスだもん。
#***バイパスではなく'''裏街道'''
#停車位置を修正するために、ドアを開け放ったまま走ったりする。閉めろよ。
#日本橋~東銀座間にデルタ線を作って東京駅(八重洲側)に乗り入れる構想がある。
#*これが実現したら行き先表示がますますややこしいことに。
#*ついに、都内新幹線駅(上野・東京・品川)から成田空港へ行くことが出来るようになる。
#**実際は八重洲では無くて丸の内の南側、丸の内大通りのJR京葉線東京駅の西側あたりに出来るらしい。
#**デルタ線どころか、泉岳寺~押上間で東京駅経由のバイパス急行線を造ろうという話まで出てきてもうた。
#**が、それとは別に成田・羽田間のリニア構想も出てきた。しかも[[新宿駅|新宿]]、[[横浜駅|横浜]]、[[さいたま市の駅/大宮・岩槻#さいたま新都心駅の噂|さいたま]]に延伸する計画もあり、もしも完成したら東京駅経由の浅草線バイパスより便利になりそう。
#**京成上野駅「……」
#**JRでは羽田空港アクセス線のりんかい線ルートと合わせ、京葉線と総武線の短絡線敷設により両空港間をショートカットする構想もある。
#大江戸線車両牽引用に電気機関車をわざわざ作った(日本で地下鉄の電気機関車は唯一)
#*勾配のきつい大江戸線をリニアモーター無しで走行できるため、実はそこそこ強力な機関車かと思われる。
#**京急新1000形(3~5次車)と同じく、シーメンスIGBTです。
#***そして全般検査のために泉岳寺から久里浜工場(京急ファインテック)まで自力走行する。京急線内を自力走行する唯一のボルスタレス台車装着車。
#*でも電気機関車では珍しいカルダン駆動を採用(電気機関車は、現在も釣りかけ駆動が主流)。
#1号線を名乗るが開業は[[東京メトロ銀座線|3号線]]や[[東京メトロ丸ノ内線|4号線]]より遅い。そして[[東京メトロ日比谷線|2号線]]とは建設を争った。
#*2号線は東京五輪に間に合ったが、1号線は五輪中に建設を中断せざる得なくなり、敗北した。
#**敗北の原因は[[都営地下鉄三田線|6号線]]。
#*そもそも3号線なんかは東京の都市整備計画上つけられた便宜上の番号で、'''番号がついた時点で開業済み'''じゃないか。
#**1~6号線は首都高同様に時計回りでナンバリングしたから。銀座線の旧東京地下鉄道区間は開業時は1号線でしたが、旧東京高速鉄道区間に合わせて3号線に編入。よって浅草線は2代目の1号線。
#東日本橋駅は[[総武本線#総武快速線の噂|総武線快速]](馬喰町駅)へ乗り換えができる。だが、他駅のように「JR」表記がなく、「総武快速線」と案内。しかも英語表記が・・・。
#*京成と京急の車両は英語表記が普通。つまり蔑称が悪魔の車両だけの問題。これは[[東京メトロ半蔵門線|半蔵門線]]の三越前にも言えるようだが…。
#吾妻橋に一番近い浅草線の駅は、本所吾妻橋ではなく、浅草。
#*銀座線の浅草駅の真上。
#京急と京成の仲が良いのは、この路線で繋がれているという理由が大きい。
#*そろそろ「京急京成ホールディングス」でも設立しようかw
#東京駅を経由していれば神路線だったのに…
#*近い将来、新東京駅が出来るので、通りますよ♪
#浅草と浅草橋はよく間違える。(by名古屋人)
#*大阪の「天満」駅と「天満橋」駅も同じぐらい紛らわしい。
#他の地下鉄路線(主にメトロ)とは接続が少ない、乗り換えには使いづらい路線
#*乗り変えられない路線は、丸ノ内線・千代田線・有楽町線・南北線・副都心線(全部東京メトロの路線)
#*泉岳寺駅を半ば強引に白金高輪駅と連絡させれば南北線と、東銀座から宝町の間に有楽町線の共用駅を作れば有楽町線とも接続できて便利になるんだが。後はどうしようもない。
#*乗換が可能な駅でも乗換自体が割と不便な駅も少なくない(蔵前、東日本橋、人形町、日本橋など)。
#**浅い階層の相対式ホームの駅が多いため、片方のホームだけ特に乗換が不便になっている、というケースもある。
#**毎日日本橋使ってるがそんなに不便とは思わない。蔵前は別として、個人的には新橋とか少し不便な気がする。理由は主に混雑と、銀座線やJRから若干遠いこと。
#駅放送では初期は、名古屋の東海道線と同じ自動放送を使っていた。
#*のちに都営標準チャイムに変わり、女性は佐久間陽子に変わった。
#2014年のダイヤ改正で、ついにエアポート快特20分毎化実現。しかも増発分は、押上線内では快速特急になるとか。
#*モノレール対策も兼ねての強化だと思われるが、いずれは成田空港まで直通してアクセス特急20分ヘッド化をやるのだろうか?
#**最も青砥発着のエアポート快特は現行でも本線経由の成田空港特急に接続するダイヤとはなっている。青砥では20分後に来るアクセス特急を待つより本線特急に乗ったほうが成田空港には4分ほど早着する。
#車両の問題かも知れないが、京急で雨が降っただけで遅延するのはどうかと思う。泉岳寺まで定刻でもそこからいきなり遅延する。あと現状のダイヤの余裕がなさすぎる。
#2019年3月8日から発車ベル(ピロピロ音)やめて、大江戸線や新宿線でホームドアが閉まる前に鳴る音と同じ曲に変わったらしい。
#乗り入れ車両も含めて、ドアガラスにQRコードを貼るようになった。
#*ホームドア開閉のための車両識別用らしい。
#三崎口~芝山千代田の直通列車があってもいいと思う。
#*都営浅草線及び日本の地下鉄路線で考えられる最長直通列車だが、臨時列車も含めて運転されたことはない。
#*三崎口~成田空港の直通列車がもっと多くあってもいいと思う。
#**成田スカイアクセス線開業直後は結構本数多かったが、夕夜間の成田スカイアクセス線が京成上野発着になったことで減少。
#**平日の成田空港発三崎口行きは消滅した(逆は数本ある)。
#***と思いきや、昼間の京成快速が成田空港まで延長された煽りで平日に復活。しかも、アクセスではなく本線経由。


==泉岳寺~西馬込の噂==
;東映
#'''西馬込~泉岳寺間はもはや支線と化している。'''(もう、支線でもいいような気がしてくる。)
#尾崎行雄に代わる先発のエースとして定着。
#*位置付けとしては、メトロ千代田線の綾瀬-北綾瀬かんみたいな感じか。一応本線なんだけどねえ。泉岳寺から品川に向かう線は京急で、分岐している線なのに。
#日本ハムへの売却時に放出されたかも。
#**どっちかと言うと京急本線の堀ノ内-浦賀間の方が似てない?
#高橋直樹はトレードされず、引退まで日本ハムに所属していた。
#**[[東京メトロ丸ノ内線|丸ノ内線]]の方南町枝線的な感じかと
#*終点が中途半端すぎる。川崎か新横浜まで延伸していればよかったんだろうけど。
#**'''都営'''地下鉄浅草線。
#***その割に新宿線は本八幡まで延びてるんだけど。
#*川崎方面まで伸ばす計画はあったらしいけど、東急のテリトリーを犯すから西馬込までになったとか。
#**いっそ東急の日吉駅まで延伸してしまえばグリーンラインからの客も入る。
#***五反田は残して、意味なしの高輪台・戸越・中延・馬込は潰してしまおうか。
#****戸越は[[東京/品川区#戸越の噂|戸越銀座]](公式には連絡駅じゃないけど歩いて乗り換えられる)・中延は[[東急大井町線]]の同名駅との乗換駅だから潰されるのは困る…。
#****[[東急池上線]]の池上まで伸ばせばいいバイパス線なんだけどなー
#*実は、[[都営地下鉄三田線|三田線]]の計画時に、三田線を泉岳寺まで伸ばした上で浅草線の西馬込~泉岳寺間を改軌して、運行上は三田線に組み込んでしまおうという計画もあった。
#*東の[[南海高野線|汐見橋線]]といったところか。
#都営浅草線といえばいろんな私鉄が乗り入れ、いろんな車両が走る路線。しかしこの区間のその面影なし。
#*一応乗り入れる車両は押上~泉岳寺と同じ。たまに間合い運用で京急の車両も乗り入れる。
#*[[横浜市の駅/鶴見区・神奈川区#神奈川新町駅の噂|新町]]よろしく、馬込車庫の端っこで[[京急の車両/形式別#600形(3代)|600形]]や[[京急の車両/銀色電車|銀千]]が寝てる事もある。
#2002年まで京成線直通の急行が成田まで乗り入れていたが、2002年10月にその列車は羽田空港発着となり、西馬込発着の列車は日中は最長で高砂までと完全に支線状態になった。
#*しかし2010年7月のスカイアクセス開業で日中の羽田空港発着は全列車北総線・スカイアクセス直通となった。これにより日中の西馬込発着の京成線直通が復活。
#中延で浅草線と大井町線が乗り換えられることを両線の利用者ともあまり知らない。
#*両線を利用して実際に中延で乗り換えてる人じゃないと。
#*大井町線は乗り換え駅で唯一急行通過。
#京急の線路容量の関係上、京急に乗り入れられるのは1時間12本まで。そのため朝8時代は24本中12本が西馬込行き。日中は1時間3本しかない西馬込行きが2本に1本来る。
#西馬込の地上にあった車両工場に入る引込み線に地下鉄で数少ない踏切があった。工場廃止後もしばらく残存していて、線路付廃線跡が楽しめる都内では珍しいスポットであった。
#*「地下鉄の踏切」は現在も[[東京メトロ銀座線|銀座線]]の上野車両基地への入出庫線に残存している。
#*現存する西馬込工場の一部敷地に力道山の邸宅がかつてあった。
#*残念ながら、工場跡は更地化し、踏み切りは埋められた。
#[[ビックカメラ]]で年末に貰える一枚物のカレンダーには店舗のある駅表示のための路線図があり(岡山なら岡山電軌、浜松なら遠鉄など)、神奈川を除く関東地区は大まかなJR・私鉄と都営・東京メトロの路線図なのだが、五反田より先は地下鉄13路線の中で唯一省かれている。
#泉岳寺から押上寄りは駅のリニューアルが進む一方でこの区間の各駅はかなり放置状態。
#地上風景は京成車に似合わない山の手であり東急多摩川線・池上線沿線よりも東急沿線っぽい。
#この区間は東京の地下鉄の中でも比較的早い時期に開業しているにも関わらず、どの駅も比較的深い位置にホームがある。
#*高輪台は一帯が台地になっているため。
#*他の駅は電線の地中化が終わっていた[[国道1号#東京都区間|第二京浜]]の直下を通るため。地中の埋設物が多い結果トンネルが深くなった。
#**ちなみにこの第二京浜、今も電線の地中化が遅れている東京にあって、開通当初から電線の地中化を完了していた極めて珍しい道路である。


==車両の噂==
;阪急
[[画像:TEA5502F00.jpg|thumb|180px|新車]]
#2年後入団した福本と共に「W豊」と呼ばれる。
#あまりに運転系統が複雑で容量オーバーなのか、浅草線に直通する車両は最新の[[京急の車両/銀色電車|コイツ]]も京成3000形も自動放送が付いていない。。
#黄金時代がもう少し長く続いていた。
#*「この電車は急行・羽田空港行きです。地下鉄線内、泉岳寺まで各駅に停まります。泉岳寺から先は、品川・青物横丁・立会川・平和島・京急蒲田・糀谷・大鳥居・穴守稲荷・天空橋・羽田空港に停まります。泉岳寺で西馬込行きの各駅停車に乗換えられます…」とか言ってる間に次駅につくということも予想される。
#山口高志はずっと先発主体だった。
#*成田空港や羽田空港ましてや浅草も通る路線なのに、首都圏の地下鉄で唯一英語の自動放送がついていない路線
#トレードで広島か中日に移籍していたかもしれない。
#**成田スカイアクセス3050形は都営線・京急線内自動放送は作動しない。新宿線の京王車なんか自動放送は連動しないし
#**実際には浅草線内は乗り入れ可能な全編成のうち27編成のみ自動放送が可能。
#***ちなみに京急車の簡易自動放送と京成車の選択式自動放送(マナーとか終着駅とかの奴)は乗り入れ先どこでも使えるけど、都営車のそれは浅草線内でしか使えない。
#****ところが2018年になってから、引退まで遠くないはずの5300に京成京急のメニュー放送を付けてしまった。
#地下鉄なのに115キロ出す
#*京急線内でね。
#*120キロ出せる編成もあるらしいけど、今の所ダイヤの中にその運用はない。
#**5327F
#**ただ、京急名物[[京急の特異性|逝っとけダイヤ]]が発動すれば見られるかもしれない。
#***でも加速が京急車と比べ重たい感じでイマイチスピード感がない。急いでいる時京急線でこれに乗ると不安になる。
#ここ最近の休日ダイヤでは馬込シャトル以外で日中稼働しているのは青砥返しのエア快1本という人間の公務員のような待遇になっている。もっと働けよ。


===5300形===
===江川卓(1978)===
[[画像:TEA5301F00.jpg|frame|ミニスカの初期編成([[千葉の駅/船橋市・習志野市・八千代市#八千代台駅の噂|八千代台駅]]にて)]]
*[[もし江川問題が○○だったら#阪神以外が交渉権を獲得していたら]]
#5300形(主電動機出力165kWで18m級4M4T)の加速っぷりを味わうと、「ああ、[[京浜急行電鉄|京急]]に乗り入れるための電車なんだな」とよく理解できる。
===木田勇(1978)===
#*しかしそれでも京急では高速域の伸びが悪く、ブレーキが甘いのであまり好まれていない。ただしこれは5300形が悪いのではなく、京急のダイヤが要求する車両性能がきついだけ。
※史実では広島の指名を拒否→翌年日本ハムに入団
#**京急の最高速度が上がったため、それ以後乗り入れがなくなり、2006年11月3日に引退した5200形が、5300形の代行で運転したときは、速度が90km/h位しか出せないためにダイヤが乱れ大変だったとか。
;大洋
#***しかしその5200形も、登場時は東京圏の地下鉄随一の怪力電車だった。
#在京(というか地元)球団なので当然入団していた。
#****本来怪力扱いされて乗り入れ先ではパワー抑えられていることが多い地下鉄車両が、乗り入れ先で「非力すぎるわゴルァ!」って扱いを受けてしまうのは京急に乗り入れる浅草線車両と田園都市線に乗り入れる半蔵門線車両くらいなものである。
#*広島の指名を拒否したのは両親の病気が理由だったため。
#*****今は東横線に乗り入れる副都心線車両も。
#1979年の大洋は優勝できていたかもしれない。
#******成田スカイアクセスでも加速の悪さが祟って乗り入れからは除外。
#*そうなれば「江夏の21球」も存在しなかった。
#******当の京急での運用も羽田直通ばかりで、神奈川県にはほとんど入ってこない。
#*******中には羽田から神奈川の方にいってしまうことがある。
#*東銀座で[[東京メトロ日比谷線|日比谷線]]に乗り換えると(逆も可)特に実感できます。
#**東急1000系は京急1600系と同等の力があるからあまり感じられなかったりする。
#*あまりのモーター音の五月蠅さに、[[ニコニコ動画]]では某魔法少女をもじって「'''交通局の白い悪魔'''」と言われている。
#**原典は[[ガンダムファン|某リアルロボット戦争モノ]]です。魔法少女のほうはそれのオマージュ。
#***「○○局」の起源は魔王じゃないの?
#*91年から導入しているが、なぜか'''石原車'''とも呼ばれている。
#*とはいえ,よくも悪くもここまでいろいろと愛されている都営車も中々珍しい。
#**5社の中でもぶっちぎりで酷使されている、もとい働き者の車両とも・・・。
#*VVVFの音が'''かなり不気味'''
#**「にょえ〜」と表現される
#**今は無き低音のほうは近鉄のほとんどの三菱GTOと同じ音がする。
#乗るときに、こいつが来ると正直がっかりする。[[京急の車両/形式別#新1000形|歌うこいつ]]や [[北総鉄道#9100形|C-なんちゃら]]も来るかもしれないってのに!


===5500形===
===岡田彰布(1979)===
#2015年度、ついに新車投入(5編成)が決定。とは言え目新しさは期待できず、京成3000形の色違いか、京急銀1000形の色違いになると予想。
※史実では阪神に入団
#*導入計画はさらに延期されたっぽい。でも最高速度120km/hは達成してもらわないとなぁ。
#1985年に優勝できていなかった可能性が高い。
#*新型車両(5500形)の2018年春の導入開始が発表された。ついに120km/hまで出せるようになるらしい。快特やアクセス特急でも使われそうな予感。
#某CMからどんでんと言われることも、阪神の監督にもなっていない。
#**都営の新車は新宿線のE231→E233の流れを継いでか、[[JR東日本E235系電車|E235系]]ベースになった。
#新車はスカイアクセス対応ではあるが、本数が少ない現状では今のところ乗り入れは解禁されず。


==駅==
;阪急
*[[東京23区の駅/大田区#西馬込駅の噂|西馬込]] - [[東京23区の駅/大田区#馬込駅の噂|馬込]] - [[東京23区の駅/品川区・目黒区#中延駅の噂|中延]] - [[東京23区の駅/品川区・目黒区#戸越駅の噂|戸越]] - [[東京23区の駅/品川区・目黒区#五反田駅の噂|五反田]] - [[東京23区の駅/港区#高輪台駅の噂|高輪台]] - '''[[東京23区の駅/港区#泉岳寺駅の噂|泉岳寺]]'''(ここで[[京浜急行電鉄|京急]]三崎口・[[羽田空港駅|羽田空港]]・[[品川駅#京浜急行品川駅の噂|品川]]方面と合流) - '''[[東京23区の駅/港区#三田駅の噂|三田]]''' - '''[[東京23区の駅/港区#浜松町駅・大門駅の噂|大門]]''' - '''[[東京23区の駅/港区#新橋駅の噂|新橋]]''' - [[東京23区の駅/中央区#東銀座駅の噂|東銀座]] - [[東京23区の駅/中央区#宝町駅の噂|宝町]] - '''[[東京23区の駅/中央区#日本橋駅の噂|日本橋]]''' - [[東京23区の駅/中央区#人形町駅の噂|人形町]] - '''[[東京23区の駅/中央区#馬喰横山駅・東日本橋駅の噂|東日本橋]]''' - [[東京23区の駅/台東区・墨田区#浅草橋駅の噂|浅草橋]] - [[東京23区の駅/台東区・墨田区#蔵前駅の噂|蔵前]] - '''[[浅草駅|浅草]]''' - [[東京23区の駅/台東区・墨田区#本所吾妻橋駅の噂|本所吾妻橋]] - '''[[東京23区の駅/台東区・墨田区#押上駅の噂|押上]]'''(→[[京成電鉄|京成]]/[[千葉の駅/北総#成田空港駅の噂|成田空港]]・芝山鉄道線 [[芝山鉄道|芝山千代田]]・[[北総鉄道|印旛日本医大]]方面)
#当時の打線に更に磨きがかかっていた。
**'''太字'''はエアポート快特停車駅
#三塁ではなく、外野に転向していたか?
#松永の代わりに阪神へトレードされた。
#仰木監督退任後、石毛ではなく岡田がブルーウェーブの監督を務めた。
#*「29-1」が「[[33-4]]」になっていたかも。
#1985年以降も何度か優勝出来ていたかも。


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;西武
{{東京都交通局}}
#石毛の三塁転向は遅れていた。
#1985年も日本一になれた。


{{DEFAULTSORT:とえいちかてつあさくさせん}}
;南海
[[Category:東京都交通局|あさくさせん]]
#大阪出身ということで歓迎される。
[[Category:東京の鉄道]]
#王監督の後任になっていた可能性が高い。
#藤原満の引退後三塁に再転向した。
#連続Bクラスがダイエーに代わるまで続いていなかったかも。
 
;近鉄
#1980年は日本一になり前年の雪辱を果たす。
#大石より先にバファローズの監督に就任した。
 
===原辰徳(1980)===
※史実では巨人に入団
#80年代の巨人は暗黒時代になっていた可能性が高い。長嶋解任・青田問題・江川事件の暗い影を史実より長く引きずっていただろう。
#日本ハムがクジを引いていたら入団拒否→江川事件の再来となっていたかも。
#*入団したなら、2011年に菅野智之を引いても拒否されない。
#*巨人以外は全て入団拒否だったのでは…?
#**大洋は入団容認していたはず。もし大洋なら遠藤との東海大コンビで騒がれただろう。
#無論巨人の監督にも就任せず、2000年代後半以降の優勝回数が減っていた。
#入団拒否→浪人だった場合、翌年槙原寛己は巨人に指名されなかった。
 
;広島
#川口和久は他球団に指名されていた。
#*巨人だったら引退まで巨人に居れたかも?
#史実の三塁手ではなく、二塁手になっていた。
#当然あの手首負傷はない。
#2000本安打も達成していたはず。
 
;大洋
#1~4位まで全員当たりという大成功ドラフトになっていた。(2位の堀井は指導者として成功)
#FAで駒田を取りに行っていなかった。
#*屋鋪・高木豊も横浜で引退していた。
#2000年代中盤に監督就任、よって大矢明彦の再任はなかった。
#*もしくは権藤博の後任あたりで就任し森祇晶が横浜の監督になることもなかったかも。
#背番号は巨人に移籍した松原誠の後を受けて25が有力か?
#*応援歌に「エイトマン」の替え歌が使われることはなく、「ニコニコ笑顔」というフレーズが入っていた。
#80年代~90年代半ばの大洋(横浜)は優勝までとは行かなくとも史実より成績も良くAクラスに入った回数も増えていたはず。
#*史実で3位になった1983年に優勝できていたかも。その場合、翌年最下位に転落することはなかった。
#田代富雄は史実より早く一塁手にコンバートされていた。
#*近藤貞雄は山下大輔と高木豊の守備位置を入れ替えるだけでよかった。
#ロッテからレオン・リーをトレードで獲得することはなかった。
 
===石毛宏典(1980)===
※史実では西武に入団
 
;阪急
#バンプ・ウィルスの加入はなかった。
#1984年の日本シリーズでは、日本一になっていた。
#オリックスの監督就任の際に問題になることはなかった。
 
===金村義明(1981)===
※史実では近鉄に入団
 
;阪急
#地元に加えて本人も意中の球団、ということで歓迎されていたのは間違えない。
#打者転向は史実通りだが、三塁には松永浩美がいたので外野手になっていた?
 
===荒木大輔(1982)===
※史実ではヤクルトに入団
 
;巨人
#史実より引退が早くなっていた。
#巨人に斎藤雅樹が入団しないため、巨人の90年代の優勝回数が減っていた。
#王監督就任時に野手への転向を打診される。
 
=== 野口裕美(1982) ===
※史実では西武に入団
 
'''中日'''
 
# 1年後輩の山本昌さんとともに若手サウスポーコンビとして売り出されていた。
# 東京六大学の投手の先輩である星野仙一監督(明治大学出身)からは、かわいがられたかもしれない。
 
'''阪急'''
 
# 1年後輩の星野伸之さんとともに若手サウスポーコンビとして売り出されていた。
# 立教大学を一般入試で現役合格したインテリで、理論派で読書家の上田利治監督から一目おかれた。
# 仮に、野球で大成できなくても、慶應義塾大学野球部出身で当時ブレーブス広報を務めていた小川友次さんが宝塚歌劇団理事長を歴任したように、阪急阪神グループの関連企業・組織の経営に携わっていた可能性あり(史実では西武退団後、大日本スクリーン製造-いまのSCREENホールディングス-に入社し、系列企業の執行役員も務めた)。また、東京六大学の先輩の小川さんが、よき相談相手になっていたかも?
 
===高野光(1983)===
※史実ではヤクルトに入団
#いずれにせよ新人開幕投手は務めていなかった。
 
;西武
#渡辺久信が入団せず、西武の優勝回数が減っていた。
#*渡辺←→高野のトレードがあったかも。
#渡辺が西武監督に就任することはなかった。
 
;大洋
#銚子利夫は他球団に指名されていた。
#*長内孝は広島で現役を全うした。
 
;阪急(オリックス)
#投手層の薄い阪急で史実より活躍していた。
#1984年の日本シリーズでは、日本一になっていたかもしれない。
#阪急電鉄の広告やCMに出演していたかも。
#引退後、オリックスでコーチを務めていていたのは史実通り。
 
===広沢克己(1984)===
※史実ではヤクルトに入団
 
;西武
#大久保・清原をドラフト指名することはなかった。
#*広沢が指名されても清原指名は史実通りだろう。当初構想にあった清原のサードコンバートが実現していた。
#巨人に移籍していなかったかもしれない。
#1989年のシーズン途中でデストラーデを獲得することはなかった。
 
;日本ハム
#大島康徳をトレードで獲得せず、大島の監督就任もなかった。
#*山本正之は「熱血ファイターズの歌」を制作しなかった(他の中日出身者が日本ハムの監督に就任していれば別の話だが)。
 
===清原和博(1985)===
*[[もし1985年プロ野球ドラフトで○○だったら]]
 
===阿波野秀幸(1986)===
※史実では近鉄に入団
#1987年パリーグ新人王は西崎幸広が獲得。
#10.19決戦と1989年の近鉄優勝はなかった。
#指名された複数球団全てで出場した唯一の選手にはならなかった。
 
;大洋
#史実通り1年目から活躍しセリーグ新人王を獲得。
#長年左のエースとして君臨し、史実通り1998年の横浜優勝にも貢献、引退まで大洋・横浜一筋で通した。
#*野村弘樹のブレイクが遅れる。
#巨人のコーチには就任しなかった。
 
;巨人
#やはり先発の一角として活躍するが、長嶋監督時に構想から外れ横浜にトレード、その後は史実通り。
#西武との日本シリーズで伊原春樹から執拗に抗議されボークを連発してしまう。
 
===立浪和義(1987)===
※史実では中日に入団
;南海
#中日入団の場合と同様1年目からレギュラーを獲得し新人王に。
#翌年ダイエーが元木大介をハズレ1位で指名→入団拒否はなかった。
#*おそらく浜名千広、もしかしたらポジション的に考えると小久保や井口も他球団へ、となっていたかも知れない。
#**史実でも浜名は中日とダイエーで競合しているが。
#ダイエーの初優勝ももう少し早まっていた?
#本人の残した数字自体は史実とあまり変わらず2000本安打と二塁打の日本記録も達成していた。
#1987年の南海のドラフトがドラフト史上最大級の大当たりと言われる。(もっとも、立浪の外れで獲得したのが吉田豊彦で、それ以降も若井基安、柳田聖人、大道典嘉、吉永幸一郎、村田勝喜とそうそうたるメンバー。)
 
;中日のその後
#種田仁はトレードに出されず中日で現役生活を全うしていた。
#小学生の時キャンプで立浪にバットを貰ってファンに→立浪に憧れてPLに進学した、というエピソードのある福留孝介は中日に入団しなかった(おそらく巨人入り?)
#*どっちにしても近鉄は蹴っていた。
#森野将彦や荒木雅博はレギュラー獲得が早まっていたかも。
 
===長嶋一茂(1987)===
※史実ではヤクルトに入団
;大洋
#史実よりは出番を与えられて活躍出来ていたかも知れない。
#外れ1位の盛田幸妃は他球団が指名していた可能性も。
#父親の巨人監督再就任とともに移籍、は史実通りか?
#背番号は当時空き番の5になっていた可能性が高そう(3番は高木豊の番号のため譲られなかっただろう)。
 
===川崎憲次郎(1988)===
※史実ではヤクルトに入団
 
;巨人
#中日に移籍することはなかった。
#*勿論川崎祭も起きてない。
#吉田修司同様巨人では振るわずダイエーにトレードされていたかも。
 
===野茂英雄(1989)===
※史実では近鉄に入団
;ロッテ
#90年代にあと3~4回ぐらいAクラスに入れたかも
#バレンタイン監督に太鼓判を押されてメジャー行きか?
#*広岡GMと揉めてメジャーへ、ってあれ?誰かと全く同じだ…
#拒否され、翌年(社会人なので)再度複数球団による競合というシナリオも。
#*小池秀郎の行き先にも影響が及ぶ場合もある。
#*その場合、プロ入りは92年のバルセロナ五輪後まで無かった。
#*12球団OKじゃなかったっけ?
 
;ダイエー
#ダイエーの旧南海時代から続くBクラス更新は無かった
#99年と98年以外は優勝は出来なくともAクラスにはなっていたかも知れない
#野茂のメジャーへの移籍が遅れていたら藤井将雄のダイエー入団は実現しなかったかも知れない
#元木大介は無事巨人入り。
#*元木の2位単独は当時の評価から考えて厳しいので抽選にはなりそう。
 
;オリックス
#オリックスブレーブス元年、上田監督に「ええで」と言われ新人王。
#次の監督土井正三に「あんな出鱈目なフォームのヤツ、使えん」と言われ実力を発揮しつつも寡黙になる。
#*その翌シーズン(1992)には史実より3年早くアメリカへ旅立ってたかもしれない。
#そして仰木監督。イチロー、パンチと一緒に「ヒデオ」と登録名変更を要望されるも拒否。しかしマジックにも乗りオリックス4連覇(94年~97年)。全盛期を迎える。
#*佐藤和弘は外れ1位なのでこのケースだと入団していない可能性がある。
#**ただ佐藤は2位でも取れそうだがら入団はあり得ないとまではいえない。
#第一次仰木政権終了の01年末に退団→渡米も全盛を過ぎマイナー契約で終了。現役を終える。
 
;日本ハム
#数年後「そのまんまハムの広告」と賞賛される。
#*江夏~矢作の後継者と呼ばれる
#いろいろな意味で○モ○デオに関係のある某投手と比較される。
#東京ドーム時代に1回は優勝出来ていた。
 
;阪神
#大阪出身なので一躍大スターに。
#中村監督に甘やかされた後、藤田監督と衝突、最終的に球団と対立し数年後メジャ…あれ?
#*でも92年は優勝できたのかも
#史実である葛西稔が他球団に指名されていた。
#*よって彼が入団1年目にバッシングの標的に遭うことはなかった、というよりそれを糧に2年目以降実績を上げること自体なかったかも・・・
#*もちろん「遠山→葛西→遠山→葛西」の投手リレーも存在しなかった。
#*彼が引退後阪神コーチとなって藤川球児をブレイクさせる下地を作ることもなく、藤川もひっそりと球界を去っていたかもしれない。
#**葛西氏が2位以下で阪神に指名されたかもしれないので、同氏については史実通りだったかも・・・。
#**ロッテが外れ1位で葛西を指名予定だったため、阪神が2位指名になることはありえなかった。
#***ロッテは外れ1位1番目で小宮山を獲ってるけど?
 
;大洋
#先発に野茂、抑えに佐々木という強力な投手陣が出来上がる。
#*野茂の外れ一位で佐々木が近鉄に。
#**それはない。佐々木は大洋以外狙ってなかったらしい。(佐々木と大学の同期、大塚(元西武)談)
#***でも、1位じゃなかったら佐々木は入団しなかったと思う。
#***日本ハムの大沢啓二(当時、常務)が大声で「佐々木で行こう」といったため、指名を繰り上げて1位で指名した。
#*斎藤隆は大洋ではなく中日に入団
#ベイスターズに改名した直後には優勝していた。
 
;ヤクルト
#ソウル五輪でバッテリーを組んだ古田との相性はバッチリ。ヤクルトは現実以上の黄金時代を築く。
#*ノーコンを意に介さないピッチングスタイルは、次第に野村監督と古田をイラつかせる要因になっていった。
#「ヤクルトみんなでノモ」のCMがヒットし、人気者に。
#女性芸能人若しくは[[フジテレビ]]の女子アナと結婚していた。
#石井一久は指名されていないかもしれない。
 
;近鉄のその後
#他のパリーグチームに入団していた場合、90年代初頭には早くもBクラス常連チームへ転落。
#人気も低下し、20世紀中に球界再編の可能性も。
 
==1990年代==
===小池秀郎(1990)===
;全般
#社会人(松下電器)時代に成績を落とさなかったので、史実より活躍できていた。
 
;近鉄
#2年連続で当たりを引き当てた仰木監督は「ゴッドハンド」と呼ばれていた。
#右の野茂、左の小池の両輪で悲願の日本一を達成した。
#とはいうものの入団しただろうか?
#*巨人・ヤクルト・西武以外は拒否の方針だったので、近鉄入りは微妙なところ。
#*ロッテじゃなければという話もあったので、ごねたけど最終的には入団になりそうな気がする。
 
;ヤクルト
#高津臣吾も史実通り入団していたら、「亜細亜大学コンビ」と呼ばれていた。
#石井一久のブレイクが遅れていた。
#史実でヤクルトの外れ1位で指名された岡林洋一は当初の予定通りロッテが指名し入団していた。
 
;西武
#工藤公康の移籍後に左腕エースとして君臨。西武の黄金時代はさらに長くなっていた。
#前年に続いて8番目にくじを引いた球団が当てたため「残り物には福がある」と言われた。
#高山郁夫(西武)⇔高木宣宏(広島)のトレードはなかった。
 
;中日
#岐阜出身なので歓迎される。
#小島弘務か矢野輝弘のいずれかが指名されない。
#高木監督時代に優勝していた。
#1997年の最下位は回避できた。
#2000年と2002年のどちらかは移籍しなかったかもしれない。
 
;広島
#大野や川口の後釜と目される。
#1996年は優勝していた。
#江藤と同時にFA移籍した可能性も。
 
===矢野輝弘(1990)===
史実では、巨人と中日の2位競合で抽選の結果、中日が交渉権を獲得。
;巨人
#村田真一と兼用で捕手を務めていた。
#*村田が年齢と共に出場機会が減った後、矢野は正捕手となる。
#阿部慎之助は巨人に逆指名で入団しなかった。
#*ファンであった阪神に逆指名で入団していたかもしれない。
 
;中日のその後
#殆ど影響無し?
#*史実で矢野が絡んだ大豊泰昭+1人⇔関川浩一・久慈照嘉のトレードの顔ぶれが変わっていた可能性がある。
#野口茂樹は1996年にノーヒットノーランを達成できたのだろうか?(史実では矢野とバッテリーを組んで達成)
 
;阪神のその後
#正捕手は山田勝彦のままだった。
#*当時の阪神は暗黒時代だったので、1998年以降の成績はもっと酷くなっていた。
#上記のように、阿部は阪神に逆指名で入団していた可能性がある。
#*その場合、当時の監督は野村克也だったので、彼に指導された分、リードは史実の巨人より少し良くなっていたかもしれない。
#*阿部が阪神に入って現実通り活躍出来ていれば、阪神も現実通りAクラスに浮上に黄金時代を築けていたかも。
#*2016年以降も阪神に在籍していれば、彼の父親の元チームメイトである掛布雅之と師弟関係になっていた。
 
;全般
#声優の水樹奈々は矢野のファンになることはなかった。
#*野球の知らない水樹奈々ファンにも矢野の名前が知れ渡ることはなかった。
#阪神にトレードされない限りあの引退試合はないと見られるので村田修一が引退試合キラーと言われることはなかった。
 
===斎藤隆(1991)===
※史実では横浜に入団
;中日
#1998年は中日が優勝していた。
#*[[もし日本プロ野球であの球団が優勝していたら/セ・リーグ#中日ドラゴンズ|1994年や1996年も巨人ではなく、中日がリーグ優勝を果たしていた]]。
#ストッパーに転向していなかったかもしれない。
#*中日は伝統的にストッパーに恵まれてるチーム(斎藤隆のプロ入り後は中山裕章→宣銅烈→ギャラード→岩瀬仁紀)だから、2000年代に入っても先発で投げ続けていただろう。
#「ササキ様に願いを」は作られなかった。
#史実で斎藤隆の外れ1位として中日から1位指名された落合英二は2位で指名されていた(他球団は落合の故障を考慮して指名を見送っていた)。
 
===松井秀喜(1992)===
※史実では巨人に入団
;阪神
#阪神暗黒時代はなかったかも。
#*松井が何人いようとどうにもならないと思えてしまうのが[[阪神タイガース/暗黒時代|阪神暗黒時代]]なのである。阪神の歴史はあんまり変わらなかったと思う。
#*ただ最下位と言う最悪の状況だけは免れる事が出来たかも知れない
#*暗黒時代でもないが優勝にも届かない微妙な状況が続いたってことか?
#*優勝は出来なくとも、少なくともAクラス入りは何度か果たしていただろう。松井の加入によりチームの雰囲気が変わり選手が勢いづくだろうから。
#**現実にはFAで入った金本や西岡がその役割を果たした。
#*普通に中村監督時代に優勝できていたかもしれない。1992年の阪神の成績からみてありえない話じゃない。
#**1993年か1994年にリーグ優勝していただろう。上手く行けば連覇とか?
#それどころか星野時代に史上初の連覇+日本一を達成していたりして。
#*というか、連覇以前に2002年のオフ後にさっさとヤンキースに移籍したと思う。
#*上のように、星野監督就任よりも以前に達成しているだろう。
#指導者に恵まれず1軍昇格がないまま退団。
#ヤンキースタジアムのスポンサー広告が'''何故か'''オレンジ色の「[[読売新聞|○○新聞]]」などではなく「[[朝日新聞]]」になっていた。
#*勢い余って一塁側には「大阪西川」、照明下には「川上塗料」、バックスクリーンには「[[三菱電機]]」。
#浜風の影響で意外とホームラン数は伸びていないと思う。東京ドームが本拠地の巨人と比べて5本ぐらい減るだろう。
#外野ではなく高校時代と同じ三塁を守っていたかも。
#*内野手のままだったら片岡が移籍しなかった。FAしたとしても別球団に行っていた。
#3番新庄・4番松井という黄金クリーンナップが実現していたかも。
#一部で阪神ファンだという話を疑問視する声があるので入団拒否して駒澤大学へ進学して4年後に逆指名で巨人入団なんて事も。
#*ドラフトでの表情を見る限り巨人ファンではなかっただろうし、事前に拒否してないのに突然入団拒否はありえないだろうと思う。
#萩原誠放出後に31をつけていたのは間違いない。
#天然芝の甲子園球場でプレーすることになったため、メジャー入りしてしばらくした後に怪我で悩まされるということはなかったかもしれない。
 
;中日
#巨人を差し置いて中日が松井在籍時に4回リーグ優勝または日本一に。
#少なくとも背番号は「55」ではなかったのは間違いない(大豊泰昭が王の年間55本塁打にあやかって着けていたので)
#*有力なのは宇野のロッテ移籍で空いた「7」あたりか?
#**王貞治を超えることを目標に「56」とか「60」とかの可能性もある。
#松井の出身地の[[石川|石川県]]での[[石川のメディア#北陸中日新聞|北陸中日新聞]]の購読者が増えていた。
#*その逆に北國新聞は活躍をほとんど報じなかった。そのため、石川県での人気は低かった。
#1996年最終戦での敬遠はなかった。
#*もし江藤智がシーズン途中で離脱せず、松井秀・山﨑・大豊との本塁打王争いに最後まで絡んでいた場合、広島バッテリーから敬遠策を仕組まれていた可能性はある?と思いきや、後ろに山﨑や大豊が控えてるならその可能性も低いだろう。
#福留孝介は入団しなかった可能性も。
#*福留は当初遊撃手。
#1994年・1996年は巨人ではなく中日が優勝していたかも知れない。
#*1998年(史実では横浜優勝)も中日が優勝していた。史実通り1999年も優勝すれば2連覇、さらに2000年も優勝できれば3連覇を達成していた。1997年もナゴヤドーム元年の最下位転落は免れていただろう(史実の松井はナゴドでも結構ホームランを打っていたので)。
#*1996年は「5番・中堅手」(史実では星稜高校の先輩である音重鎮がこの打順&ポジションだった)として、ダネル・コールズ、立浪和義、アロンゾ・パウエル、山﨑武司、大豊泰昭とともに「強竜打線」の一翼を担った。史実で本塁打王争いを繰り広げた松井秀・山﨑・大豊の567番トリオが猛威を振るい、同年の中日はヘタしたら90勝に到達できたかもしれない。
#入団時点では同姓の松井隆昌(1996年まで)・松井達徳(1997年まで)が中日に在籍していたため、表記は「松井秀」になっていた。
 
;ダイエー
#活躍した場合、いつの間にかポスティングでメジャーに行ってしまっている。
#謎の無償トレードで[[読売ジャイアンツ|ナベ○ネ部隊]]にプレゼントされる。
#王の後継者として期待される。
#*「門田2世」との呼び声も高かった。背番号も44になっていそう。
#ホークスの暗黒時代は1990年代中盤には終わっていた。
#*生卵事件もなかった。
#星稜高校の1年先輩の村松有人とともに外野手でコンビを組んでいた。
#松中信彦が逆指名して入団しなかったかも知れない。
#高校時代と同じ内野手だった場合、小久保裕紀の指名はなかったか入団してもブレイクが遅れていた。
 
;巨人のその後
#おそらく戦力の劣化はほとんどないと思われる。
#*ただチームの意気は今より下がっていたかもしれない。
#外野手補強のために稲葉や谷辺りが巨人に指名されていたかもしれない。
#長嶋監督の復帰の盛り上がりが小さくなっていたかも。
#「10.8決戦」やメークドラマも存在しないかも。
 
;全てに言えること
#長嶋茂雄との師弟関係が出来なかったので、2013年の国民栄誉賞受賞はなかった可能性が高い。
#*長嶋茂雄の国民栄誉賞受賞も死去後に?
 
===伊藤智仁(1992)===
;広島
#ヤクルトよりも選手生命が短くなってた可能性が高くなる。
#投手コーチになり黒田・マエケンに高速スライダーを伝授していただろう。
 
;オリックス
#小林宏は入団しなかった。
#*小林-オマリーの14球もなかった。
#スローカーブの星野伸之と好対照をなしていた。
#広島の場合同様に選手生命は短くなっていた可能性が高くなる。
 
===福留孝介(1995)===
;全般
#中日・巨人以外に指名され拒否していた場合、福留個人については史実通り。
 
;中日
#原俊介はすんなり巨人が獲得。
#荒木雅博の指名はなかった。
#*1998年ドラフトで井端弘和を指名していなかったかもしれない。
#**こちらは福留が史実通り外野に転向していれば可能性はあったかも。
#*いずれにせよ荒木・井端の名二遊間は誕生しなかった。
#*1999年ドラフトで中日は誰を1位指名していただろう?岩瀬は逆指名で2位だろうし・・・。
#**おそらく松坂大輔を指名していたはず。
#種田仁は中日で現役を全うしていた。
#*「タネダンス」をしていたのは中日の応援団だった。
#1996年と1998年に優勝していた。
 
;巨人
#原俊介はすんなり中日が獲得。
#*その代わり荒木雅博を2位指名か?
#*この年の中日2位は逆指名の門倉健なので、荒木を取るなら3位以下になる。
#2007年CSでの巨人惨敗もなかった。
#メジャー挑戦をもっと早くに表明していた可能性も?
#二岡が入団することはなく、山本モナは芸能活動を続行していた。
#*史実通り外野手転向なら、高橋由伸の獲得に動かなかった可能性も{{極小|裏事情にもよるが}}
#*高橋由伸よりも清水が指名されていない。
#佐々木恭介と出会わなかったので史実ほどの成績は残せない。
 
;オリックス
#1年目に育成成功していたら谷は他球団に指名されていた。
#2学年上の福留宏紀と区別するためスコアボードでは「福留孝」と表記される。
#2000年代前半にメジャー移籍したか、山崎武司とトレードされていた。
 
;ヤクルト
#岩村明憲は指名されていない。
#池山隆寛の引退が早まっていた。
#外野に転向した場合、真中満はレギュラーを獲れずじまいだった。
 
;近鉄は
#外れ1位で澤井良輔を再競合していたか?
#当然「ヨッシャー」も話題にならず。
#まあ、どっちにしてもチームの状況はあんまり変わらなかったということで…。
 
===原俊介(1995)===
この年、[[中日ドラゴンズ|中日]]は1位で福留孝介を指名して外し、外れ1位で原俊介を指名して外し、外れの外れ1位で荒木雅博を獲得した。原と荒木のその後の活躍の差は周知の通り。
 
#でも荒木は3位ぐらいで獲ってた。
#*ちなみに2位は逆指名入団の門倉健。
#どっちにしろ中村武志が健在だったので出番は無かった。
#小田幸平が中日に移籍しなかった。
#*落合監督は小田を高く評価していたので、いずれにせよ野口の人的補償でなくとも、原とトレードしてでも獲得していたと思う。
 
===松坂大輔(1998)===
※史実では西武に入団
;横浜
#少なくとも2002年~2004年・2006年の最下位はなかったかも。
#*その他の年はともかく、'''2003~2004年'''はどんなに好投しても味方の貧打と中継ぎの乱調に足を引っ張られ、勝ち星がなかなか付かずに[[横浜DeNAベイスターズ|横浜]]の順位は変わらなかったと思う。
#**04年の場合打線だけ見れば優勝してもおかしく無いレベル
#*マルハがTBSへ株式を売却するところまでは現実通りあったとしても、DeNAへの身売りはなかったかもしれない。
#*その分阪神が現実よりも苦戦したかも。2003年と2005年のどちらかはリーグ優勝できなかったかもしれない。
#背番号は1998年当時空き番だった17(過去に斉藤明夫らが使用)か27(平松政次らが使用)だった。
#横浜高校から横浜ベイスターズに入団したことから「ミスター横浜」という異名がつけられる。
#古木克明は(第一志望の)ダイエーに入団していた。
#*古木が小学校の卒業文集に「絶対に行きたくない球団は大洋」と書いていたことが話題にされることもなかった。
#**逆に「行きたい球団はダイエー」と書いていたと話題にされていた。
#史実通りの時期にポスティングでメジャー入り。
#99~01年の間に横浜がもう一度優勝できていた可能性もある。ただしいずれポスティングでメジャー移籍した後は史実通りの暗黒時代へ。
#*優勝できていた場合、[[もしあのプロ野球球団の監督が○○だったら#権藤博(横浜)|権藤監督は辞任せずに済んだかもしれない。]]
#99年には「新人にして開幕投手」の大偉業を達成し、この年まで在籍していた大魔神と組んで連覇を達成。ただし以後孤軍奮闘の末メジャーに移籍することになる。
#三浦と共に先発の柱で「W大輔」と間違いなく呼ばれていた。
#セリーグでは打席に立つため攻撃面でも大きく貢献した。
 
;日本ハム
#北海道移転前に1回くらい優勝していた。
#06年奇跡の日本一を手土産にメジャーへ…
#背番号は広瀬哲朗が引退して空き番になっていた1(史実では同年ドラフト5位の阿久根鋼吉が着ける)だった。
#入団拒否→社会人入り、の可能性も…
#父の出身地である[[稚内市]]で主催試合が行われた。
 
===新垣渚(1998)===
※史実ではオリックスの指名を拒否
;ダイエー
#無論オリックスの三輪田スカウトは自殺していない。
#暴投記録更新は史実通りかも。
#*2011年頃にはトレードされていたか、戦力外になっていた可能性もある。
#2002年のドラフト会議で、多田野数人氏を指名していた可能性が高い。
#1999年に新人王を巡って、西武の松坂大輔氏と争っていた。
 
===田中賢介(1999)===
;中日
#荒木か井端のどちらかが完全に外野に転向することになっていた。
 
==2000年代==
===寺原隼人(2002)===
※史実ではダイエーに入団。
;共通する事
#ダイエー以外はセ球団(中日・巨人・横浜)からの指名だったため公式戦で近鉄と対戦する事が無く、何らかの形でソフトバンクに移籍したとしても13球団勝利は達成できていない。
 
;巨人
#2003年の巨人投手陣の成績が少しだけまともになっていたかもしれない。
#ソフトバンクへのトレードもなかったかもしれない。
#*寧ろ、小久保裕紀と交換で移籍していた。
 
;横浜
#2016年現在、横浜生え抜き投手として活躍していた。
#FAでソフトバンク行きか、多村仁志の復帰時にトレードで交換要員になっていた可能性も。
#*そもそも多村仁はトレード放出されなかった。或いは、ソフトバンク以外の球団に放出されたかも。
 
===辻内崇伸(2005)===
* 関連項目:[[もしプロ野球であの事件が起きなかったら#2005年高校生ドラフトでの交渉権間違いがなかったら|2005年高校生ドラフトでの交渉権間違いがなかったら]]
;オリックス
#史実より長く活躍できており、肩の治療も行えていたかもしれない。
#女子プロ野球の指導者になっていたかは不明
#T-岡田は巨人が外れ1位で指名していた。
#*「T-岡田」は史実のオリックスで岡田監督就任等の経緯もあったので本名の「岡田貴弘」のまま。
#母校の大阪桐蔭と巨人の関係が悪化することもなかったかもしれない
 
===陽仲壽(陽岱鋼)(2005)===
*関連項目:[[もしプロ野球であの事件が起きなかったら#2005年高校生ドラフトでの交渉権間違いがなかったら|2005年高校生ドラフトでの交渉権間違いがなかったら]]
;ソフトバンク
#史実通り外野手に転向して活躍していたら、長谷川勇也・柳田悠岐・中村晃のいずれかはブレイクしていなかった。
#*柳田は地元の広島に指名されていたかも。
#ショートのままだった場合、川崎宗則の渡米まで活躍できなかった。
#*今宮健太を獲得していなかったかも。
#史実通り同じ年に実の兄の耀勲も入団していたら、同一球団所属の兄弟選手として現実以上に話題となっていた。
#*この場合、名前の読みは兄と揃えて「ヤン・チョンソ」としていた。
 
===田中将大(2006)===
※史実では楽天に入団
;全部に共通すること
#1年目から活躍し、新人王を取る可能性はまず無かった。
#2009年も楽天はBクラスだった。
#*2013年もリーグ優勝はおろか、Aクラスに入れたかどうかも微妙。
#2013年に24連勝無敗の偉業を達成することはなかった。
 
;日本ハム
#投手陣が充実していたため1年目から先発は無かった。
#斎藤佑樹は指名しなかった。
#吉川光夫は(大嶺祐太が史実通りなら)地元ソフトバンクの外れ1位として指名されていた。
 
;オリックス
#一応、出身地なので大いに歓迎された。
#もしかしたら2008年はリーグ優勝、2011年もクライマックスシリーズ進出を果たしていた。
#里田まいとは結婚していなかったかも知れない(日ハムは彼女の出身地、横浜も在京球団ということで出会いの接点はありそうだがここの場合は…)
#*その代わりに他の女性芸能人、もしくは在阪局の女子アナあたりが結婚相手だったかも?
 
;横浜
#1年目から先発で投げれていたが楽天と違ってチーム状態がアレなのでそんなに勝ち星は挙げられなかった。
#広島の前田健太とは同学年なので非常に強力なライバル関係になっていた。
#*同郷の巨人・坂本勇人の対決も注目されていた。
#2013年以降もDeNAに残留していた場合、2017年以降は番長から背番号「18」を引き継いだ。
 
===堂上直倫(2006)===
※史実では中日に入団
;巨人
#相思相愛だった中日ファンから「立派に育ってFAで中日に来い!」とエールを受ける。仮にそれが実現していれば巨人にとって駒田以来2人目の生え抜き選手FA他球団流出となった。
#坂本勇人は外れ1位で中日が獲得していた?
#*その場合、史実ほど活躍できていたかは微妙。
#*2020年時点で2000本安打に到達できていなかったかもしれない
 
;阪神
#野原将志を獲得することはなかった。
#甲子園で活躍したヒーローだが思うような実績を残せない…?
#*小林宏之をFAで獲得の際の人的保障でロッテへ、となっていたかも(史実では高濱卓也)
 
===中田翔(2007)===
※史実では日本ハムに入団
;全部に共通すること
#1軍に入れてた?
#*他の3球団はレギュラーが固定されていて、割り込むのが困難だっただろう。結局日本ハムが一番マシだったということになる。
#野手ではなく投手として指名されていたら?
 
;阪神
#福留は阪神に入団していなかっただろう。
#*福留は鹿児島出身なので、地元九州のソフトバンクに入団。
#*古巣中日への復帰もあった。
#本拠地が天然芝の球場になるので膝を痛める事は無く今でもレフトを守っていたかも。
#2020年に岡本和真と並ぶ本塁打王(を含む)と打点王による二冠王になっていた。
#翌年(2021年)での同僚選手に対する暴行事件で、埼玉西武へ無償トレードにした。
 
;ソフトバンク
#ドラフトでの柳田悠岐の指名と長谷川勇也、中村晃のブレイクはなかった可能性も。
 
===髙濱卓也(2007)===
※史実では阪神に入団
;横浜
#外れとは言え地元高校からの1位指名に大フィーバー。
#DeNA買収直後の時点で石川雄洋と二遊間を組み、倉本寿彦が入団するより数年早く『横高出身二遊間コンビ』が実現していた。
#田中健二朗は地元球団である中日が外れ外れ1位で指名か。
#2014年のドラフトで弟の祐仁もDeNAに指名されたかも。
 
===大田泰示(2008)===
※史実では巨人に入団。後に日本ハム、横浜DeNA。
;ソフトバンク
#巨人の外れ1位はもちろん長野久義。
#大田は指名を拒否して[[東海大学]]に進学していたかも。
#*その場合、巨人が2011年に菅野智之を外していたら更に悩ましいことに。
#結局は史実とあまり変わらず、か?
#*史実より一軍出場は多かったと思う。
#巨人の背番号55は空き番号のまま。
#*間違いなく松井の国民栄誉賞受賞を持って永久欠番になっていた。
#2022年から北海道日本ハムへ移籍した。
 
===松本啓二朗(2008)===
※史実では横浜に入団
;阪神
#赤星憲広の電撃引退後に中堅のレギュラーに抜擢される。
#*藤川俊介のブレークは多分無かった。
#*マット・マートンが阪神で中堅手を守る事は無かった。
#*2011年のドラフトで伊藤隼太が1位指名される事は無かったかも。
#横浜の1位指名は誰になっていただろうか。
#*松本以外の指名結果が史実通りだった場合藤江均(史実2位)か細山田武史(史実3位)が繰り上がっていた。
 
===菊池雄星(2009)===
※史実では西武に入団
;共通する事
#球団によっては2021年開幕時点で残留している。
#*或いは、史実より早く米球界に挑戦している。
#2018年の西武優勝は無かった。
#ソフトバンクを苦手とするのは多分史実通り。
#大久保博元の西武コーチ時代二度目の暴力問題は史実程騒がれない。
 
;楽天
#地元では大フィーバー。
#プロ入り後カモとしていた球団だっただけに史実程勝利数は伸びていない。
#*それでも2013年の日本一には貢献していた。
#史実通り大久保博元が首脳陣に入閣していた場合三度目の暴力問題が起きていたかも。
#*この場合監督には就任出来ていない。
 
;日本ハム
#大谷翔平が史実通りに入団した場合、『花巻東コンビ』で売り出していた。
#*菊池が抑えて大谷が打ってのWお立ち台もしばしば見られた。
#2016年の日本一に貢献していた。
#場合によっては史実より早く米球界に挑戦していた。
;中日
#翌年以降のドラフトが史実通りなら大野雄大と左腕二枚看板で売り出していた。
 
==2010年代==
===斎藤佑樹(2010)===
※史実では日本ハムに入団
;東京ヤクルト
#神宮のヒーローが帰ってくると大盛り上がり!
#神宮での初登板は、大フィーバーとなっていた。
#かつての荒木大輔の「大ちゃんフィーバー」を超える「佑ちゃんフィーバー」が起こっていた。
#史実で外れ1位で入団した山田哲人はクジの競合相手だったオリックスへ。
#*その結果、2014年のオリックスはリーグ優勝を達成し、2015年のヤクルトはリーグ優勝を逃していた。
#*高校時代と同様、先輩にちなんで「T-山田」と呼ばれていた。
#*オリックスは、翌年山田とポジションの被る安達了一を指名しなかった。
#**西野真弘の指名もなかった。
#*オリックス入団の場合でも史実のようにトリプルスリーを達成するような選手にまでなれていたかどうか?という部分はあるが、少なくともレギュラークラスで活躍していたのは間違いないだろう。
#*それでも史実の1位指名だった駿太は他球団が指名しなければ2位以下で獲っていたはず。
#斎藤は群馬県出身なので、ヤクルトの主催試合が前橋(敷島球場)で行われていた。
#1年目から活躍できていれば、2011年にヤクルトが優勝出来ていた。
 
;ソフトバンク
#大先輩の王会長のもと、英才教育が施される。
#ただ、活躍できなかった場合はとことん出番がなかったと思われる。
#*最悪の場合育成契約になっていた可能性も。
 
===山田哲人(2010)===
※史実ではヤクルトに入団
;オリックス
#オリックスは2011年はクライマックスシリーズ進出を、2014年には18年ぶりの優勝を果たしていた。
#*2014年のセ・リーグのCS優勝が史実通り阪神で、こちらもCS優勝していたら同年の日本シリーズは阪神×オリックスの関西ダービーになっていた。
#一方、ヤクルトの2015年は良くてAクラスになっていた、
#*日本シリーズに進出できても、ソフトバンクに4連敗していたと思われる。
#尽く高卒野手が育たないオリックスなので、史実通り育っていない可能性も多分にある。
#*もし史実通りトリプルスリーとか達成していた場合、何かとイチローと比較されていた。
#駿太は他球団か2位以下でオリックスに入団していただろう。
#*他球団の場合は登録名を「駿太」にせず、本名フルネームの「後藤駿太」だった。
#*他球団の場合は、背番号繋がりでローズと関連付けられることもなかった。
#兵庫県出身なので、ファンから「地元の星」として愛されていた。
#2021年の日本シリーズは史実とは逆にオリックスが日本一になっていた。
 
===菅野智之(2011)===
※史実では日本ハムの指名を拒否
;巨人
#それでもアンチ巨人からのバッシングは必至だが、史実よりはマシになっていた。
#当然ながら浪人した時以上に実戦勘は研ぎ澄まされてはいるだろうから、新人王を取っていた2013年(13勝6敗)よりもさらにえげつない成績を残したかも。
#*巨人は史実以上に大差をつけてセ・リーグを制覇していた。
#**CSにおける初戦からの3連敗もなかった。
#*となれば、2012年の新人王は野村祐輔ではなく菅野だった。
#日ハムの外れ1位はいったい誰になっていただろうか…。
#*松本剛を1位指名し、その他選手も史実通り順位を繰り上げる形で指名していた。
#この年の巨人の外れ1位松本竜也はどうなっていたか。
#*巨人と競合した横浜に入団していた?<!--その場合2015年の野球賭博には関与しなかったのでは?-->
#**DeNAだった場合、2014年オフに自由契約になっていた可能性もある。
#**笠原将生や福田聡志らともかかわることもないため少なくとも野球賭博に手を出すことはなかったかも?
#2012年に大累進を指名することも無く、日本ハムへ入団したと思われる(史実でもトレードで日本ハムへ移籍)。
#翌年、巨人の1位指名は誰になっていただろう?
#*東浜巨か藤浪晋太郎を指名していたか、或いは指名拒否覚悟で大谷翔平かもしれない。
#*2位で獲得候補だった鈴木誠也かも。
#背番号は最初から「18」を付けていた。
#*杉内俊哉は「21」あたりか。
 
===藤岡貴裕(2011)===
※史実ではロッテに入団。後に日本ハム→巨人へトレード。
;横浜
#高城俊人・白崎浩之と共にオリックスへ移籍していた。
#*少なくてもトレードでたらい回しにされる事は無かったのか?
#プロ入り後の活躍度合いは微妙だが、少なくともこの年の横浜のドラフトが『嫌がらせドラフト』と呼ばれる事は無かった。
#横浜の2位以下の指名結果が史実通りだった場合、松本竜也は巨人、北方悠誠はソフトバンクがそれぞれ2位で指名したか。
 
===藤浪晋太郎(2012)===
※史実では阪神に入団
;ヤクルト
#ライアン小川を抑えて新人王を獲得出来たかも。
#石山は指名されなかった。
#*その場合、2018年のヤクルトは交流戦優勝を逃しシーズンもAクラスに入れたかどうか微妙な所。
#2013年のヤクルトは最下位を免れていた。
#*2015年も日本一になれていた。
 
;ロッテ
#2013年に楽天を抑えてリーグ優勝あるいはCS優勝・日本シリーズ出場を果たしていたかも。
#*もちろん田中マー君の連勝を止めていた。
 
;オリックス
#史実の阪神と同様、地元の星として歓迎され注目される。
#2014年にリーグ優勝出来ていて、15年以降もまともな成績を残している。
#*2021年に日本一になれていた。
#2016年のドラフトで史実通り澤田圭佑が指名されていた場合、大阪桐蔭同級生コンビで売り出していた。
 
;阪神のその後
#2013年以降も低迷を続けていて、14年のCS優勝もなかった。
#*西岡や福留も移籍してこなかった場合尚更。
#*和田豊の監督退任が早まっただろう。
#和田豊が当たりくじを引けなかった分手のひら返しもないので、2012年のチームの不振を引きずるファンが現実より多かった。
#西岡との大阪桐蔭OBコンビもなかった。
#金本監督による「161球事件」は起こらず、母校である大阪桐蔭と阪神の関係が悪化することはなかった。
 
===石川歩(2013)===
※史実ではロッテに入団
;巨人
#ロッテは小林誠司(史実の巨人1位)を指名か。
#*そうなった場合、某所で「肘」と呼ばれることはなかったかも。
#巨人ではヒゲは禁止なのでイメージがガラリと変わっていた。
#「セ・リーグには行きたくなかった」と入団後のインタビューで語っているので入団拒否した可能性も(本人は子供の頃から大の中日ファン)。
#*その場合、翌年のドラフトで中日が単独1位指名。
#*そうなった場合、この年に巨人から支配下指名された選手は2021年3月の田口麗斗トレード移籍を以て全滅していた。
 
===大瀬良大地(2013)===
※史実では広島東洋に入団
;東京ヤクルト
#入団4年目の2017年をもって戦力外通告を受け、退団を余儀なくされていた。
#史実通りの活躍だったら2018年のヤクルトは優勝していた。
#被本塁打が相当なものになっていたかも。
#広島は2016年~2018年の3連覇を達成出来なかったかも。
 
;阪神
#岩貞祐太は日本ハムに入団していた。
#背番号は史実で岩貞が付けていた「17」だった。
#ドラフト同期の梅野隆太郎と同じ生年月日であることが話題を呼んだ。
#2014、15年の阪神は優勝出来ていた。
 
===松井裕樹(2013)===
※史実では楽天に入団
;DeNA
#地元出身選手の指名で大フィーバー。
#当時は金城龍彦が所属していた為、入団当初の背番号は「1」ではない。
#*史実通りに金城が退団した場合、活躍次第で与えられたかも。
#史実通り抑えとして定着した場合、山﨑康晃は新人王を獲れなかったかも。
#石橋杏奈との交際→結婚は史実通り?
#史実の外れ1位だった柿田裕太は阪神か日ハムへ。
#楽天の外れ1位指名で岩貞祐太を指名した可能性も。
#2017年のドラフト会議の指名結果が史実通りだった場合、楠本泰史(小中学校の同級生でベイスターズジュニアとシニアで共にプレー)とプロでもチームメイトに。
#*同じくチームメイトだった甲斐綾乃が球団職員になった際3人の対談動画が球団公式youtubeチャンネルに投稿されていた。
 
===有原航平(2014)===
※史実では日本ハムに入団。
;DeNA
#山﨑康晃は阪神に入団した。
#*翌年以降抑えの固定に苦しみ2010年代後半のチーム成績は史実の様な好成績にならなかった可能性も。
#**三嶋一輝の抑え起用が史実より早く見られたかも。
#史実通り1年目から活躍した場合2015年のリーグ優勝は微妙なまでもAクラスは有り得た。
#*この為、中畑政権は史実より1~2年長かったかも。
#2019年はDeNAがリーグ優勝し、それを置き土産に史実より1年早くメジャーに挑戦していた。
 
===山﨑康晃(2014)===
※史実ではDeNAに入団
;阪神
#呉昇桓が中継ぎになっていた。
#「小さな大魔神」と呼ばれることはなかった。
#横浜DeNAの抑えは三上朋也のままだった。
#ヤスアキジャンプをやることはなかった。
#そもそも最初からリリーバー起用を行っていたか疑問。
#*「先発ローテの一角を任される康晃」も多分にあったかもしれない。
 
===高山俊(2015)===
※史実では阪神に入団
;ヤクルト
#オリックスから坂口智隆を獲得することはなかった。
#河載勲は契約されていなかった。
#*背番号は「00」を背負っていた。
#**山田哲人の後を受けて「23」かも。
#***大成していた場合、青木復帰はなかった。
#真中監督の「幻のガッツポーズ」がネタにされることもなかった。
#阪神は外れ1位で誰を指名していたのやら?
#*同じ外野手のオコエ瑠偉を指名し楽天と競合していた可能性も?
#**そちらも外していた場合、坂本誠志郎が1位指名されて以下の選手の順位が繰り上がったか重信慎之介(史実の巨人2位)辺りを指名してお茶を濁していた。
#*逆に原樹理(史実のヤクルト外れ1位)を指名していたかもしれない。
#*競合回避或いは外れ1位候補といわれていた上原健太かも。
#2016年シーズンの阪神は現実以上の苦戦を強いられていた。
#*「超変革」の目玉選手が1人減っていた。
#*阪神とヤクルトの順位が逆になった可能性がある。
#阪神の現状を見ていると意外と史実よりも活躍したかも。
#*2021年のリーグ優勝→日本一にも貢献していた可能性もある。
 
===柳裕也(2016)===
※史実では中日に入団
;DeNA
#DeNAが2017年のポストシーズンで史実通りの善戦が出来たかは微妙。
#*但し、2位以下でも濱口遥大の指名に成功していたら別。
#球団通算4000勝になった際の勝利投手になっていた。
#入団3年目の2019年に最優秀防御率を獲得した。
#中日は次の指名でやはり他球団と同じく佐々木千隼だっただろうか。
#*そちらも外した場合、京田陽太が1位指名されて以下の順位が繰り上がっていたか吉川尚輝(史実の巨人1位)を指名して競合していた?
#2位以降のドラフトが史実通りであれば佐野恵太との同級生コンビ、或いは後年入団した伊勢大夢、入江大生と共に「明大カルテット」で売り出していた。
#2021年度オールスターゲーム出場できないどころか、森下暢仁(広島東洋)との明大リレーすらなかった。
#史実通りの成績を残せた場合2021年はAクラスこそ厳しいものの最下位は無かったかも。
 
===清宮幸太郎(2017)===
※史実では日本ハムに入団
;ヤクルト
#王柏融(北海道日本ハム)が球団通算8000本塁打になっていた。
#史実の外れ1位だった村上宗隆はクジの競合相手だった巨人か楽天へ。
#*清宮を外した日ハムが村上を指名→クジを引き当て史実とは所属球団が逆になっていた可能性も。
#高校時代より通い慣れた神宮球場でホームランを量産していただろう。
#村上に代わって史実より多少は活躍出来ていたかもしれない。
 
;巨人
#背番号は「55」を背負っていた。
#岡本和真のブレイクが遅れていた可能性がある。
#*岡本は三塁かレフトを守っていた。
#オリックスから中島宏之を獲得することはなかった。
#阿部慎之助は400本塁打を打てずに引退していた。
 
;阪神
#甲子園のヒーローが帰ってくると大盛り上がり!
#*甲子園での初出場は、大フィーバーとなっていた。
#2018年の阪神は最下位を免れていた。
#背番号は「31」を背負っていた。
#*著書でこれを提唱していた遠藤章造が喜ぶ。
 
;ソフトバンク
#大先輩の王会長のもと、英才教育が施される。
#背番号は「3」を背負っていた。
#*松田宣浩は史実より1年早く背番号を「5」に戻していた。
#2018年のレギュラーシーズンはリーグ優勝できていた。
#*このチームの育成方針を考えると、1年目から一軍出場できなかった可能性も高いので結局同じかも。
 
===村上宗隆(2017)===
※史実ではヤクルトに入団
;楽天
#球団初の開幕6連勝で波に乗り、令和になって初のパ・リーグ優勝した後、その年の日本シリーズで4タテ(史実ではソフトバンク)による日本一になった。
#*35本塁打で、令和になって初のパ・リーグMVPを獲得した(入団2年目によるMVPは、稲尾和久投手(57年 元西鉄)・杉浦忠投手(59年 元南海)で、打者は史上初)。
#千葉ロッテから鈴木大地をFA獲得する事は無かったかも。
#2019年のセの新人王は近本光司が受賞した。
#楽天の主砲となり、現在に至る。
 
;巨人
#捕手として育てていたので、数年は二軍暮らしだった。
#*2019年のセの新人王は近本光司が受賞した。
#*日本代表に選ばれるのは早くて2020年代中旬以降。
#岸田、大城のうち、どっちかは指名しなかった。
#*巨人は、二位で亜細亜大学の高橋(史実の阪神二位)を指名していた。
#史実通り活躍していた場合、2021年は巨人がリーグ優勝していた。
#*優勝していなくてもシーズン勝ち越しで終えていた。
 
===馬場皐輔(2017)===
※史実では阪神に入団
;ソフトバンク
#飯田優也(ソフトバンク)・松田遼馬(阪神)によるトレードは破談していた。
 
===根尾昂(2018)===
※史実では中日に入団
;日本ハム
#「大谷2号」として、注目されていた。
#先輩の中田翔氏から可愛がられていた。
#*2021年に同僚選手に対する暴行事件を起こして巨人へトレードされることもなかったかもしれない。
#吉田輝星氏は指名されることはなかったかもしれない。
 
;巨人
#「守備で内野には使えない」と判断され、一年目から外野にコンバートされた。
#高橋優貴が獲得出来なかったため、2021年は苦戦していたかも。
#*高橋は根尾を外した中日が指名していた。
#**その場合、スコアボードなどの表記では「高橋優」になっていた。
 
;ヤクルト
#史実より早い段階から一軍でも遊撃での出場機会が得られた。
#上茶谷大河は小園海斗を外したDeNAが一本釣りか。
#2位以降でも清水昇を指名出来なかった場合2021年に日本一どころかリーグ優勝すら達成できていたか危うい。
#翌年のドラフトで長岡秀樹か武岡龍世のどちらかはヤクルトに指名されなかったかも。
 
;中日のその後
#外れ1位は甲斐野央(ソフトバンクの外れ外れ1位)か2位の梅津晃大が繰り上がっていた。
#ドラフト戦略が見直され翌年以降立て続けに地元出身高卒選手(2019年石川昂弥、2020年高橋宏斗)を1位指名しなかった可能性も。
 
===藤原恭大(2018)===
※史実ではロッテに入団
;楽天
#浅村栄斗氏が移籍することはなかったかもしれない。
 
;阪神
#地元のスター選手として注目されていた。
#史実の1位指名入団である近本は他球団が指名していた。
#*2019年の阪神はAクラスになれなかった可能性が大。
#**もしロッテが近本を取り史実レベルに活躍した場合、ロッテがAクラスになっていたかも。
 
===小園海斗(2018)===
※史実では広島に入団
;DeNA
#遊撃は大和がレギュラーだったため1年目から史実通りに試合に出られたかは微妙だが……。
#*仮に史実通りに試合に出ていた場合、倉本寿彦、石川雄洋、中井大介の出場機会は史実より少なくなり、柴田竜拓のブレークもやや遅れた。
#*1年目から遊撃以外の守備位置での出場機会があったかも。
#宮崎敏郎が所属していたため、背番号は「51」では無い。
#*多分、白崎浩之のトレード移籍で空き番号となっていた「6」を付けていた。
#翌年のドラフトで森敬斗がDeNAに1位指名されることは無かったかも。
#*森下暢仁を指名して2年連続で広島と競合していたか、逆に広島が森を単独指名した。
#上茶谷大河は根尾昂を外したヤクルトが一本釣りか。
#2021年のドラフト指名結果が史実通りだった場合1位指名の小園健太とユニフォームの背ネームがややこしい事に(どちらも「K.KOZONO」なので)。
 
;オリックス
#史実通り試合に出ていた場合安達了一は史実より早く二塁にコンバートされていた。
#2021年のリーグ優勝には間違いなく貢献していた。
#太田椋(史実1位)か紅林弘太郎(2019年2位)のどちらかはオリックスに指名されなかった。
 
===佐々木朗希(2019)===
※史実ではロッテに入団
;楽天
#千葉ロッテから涌井秀章氏が金銭トレードで獲得することはなかった。
#背番号は「18」を背負っていた。
 
;日本ハム
#背番号は「11」を背負っていた。
#同じ岩手県の高校から日本ハムに入団したこともあって、名実共に「大谷2世」として、大注目されていた。
#監督の栗山英樹氏から可愛がられていた。
#*「朗希」と下の名前で呼ばれるのは確実だろうな。
 
==2020年代==
===佐藤輝明(2020)===
※史実では阪神に入団
;共通
#2021年の阪神はBクラスに低迷していた。
#*代わりに広島がCS出場を果たしていた。
#*巨人には15年連続の負け越しとなっていた。
 
;ソフトバンク
#2021年4月9日対東北楽天戦=楽天生命パーク宮城で場外ホームランを放った。
#ソフトバンクは2021年のCS出場を果たせていた。
#ルーキーながらベストナインに選出した。
#同じくモノノフである石川柊太と意気投合していた。
 
;巨人
#坂本勇人、岡本和真、丸佳浩、梶谷隆幸、ゼラス・ウィーラーらと超重量打線が誕生していた。
#*巨人の打撃成績はさらにえげつないものになっていた
#*2021年のセ・リーグは巨人がぶっちぎり優勝していた。もちろん終盤の10連敗もない。
#*特に阪神ファンから目の敵にされていた。
#*恐らく2021年の新人王を獲得していた。
#田口麗斗と廣岡大志のトレードは行われてなかった可能性が高い
#助っ人外国人も取ってなかったか、スモークとテームズのどちらか一人のみになってた可能性もある
#平内龍太は阪神が外れ1位で一本釣りか
#背番号は恐らく、自身が抜く前に関西学生野球リーグ通算本塁打記録を保持していた二岡智宏にちなんだ「7」。
#*近畿大学の先輩でもあるから、本人の励みになったこと請け合い。
 
 
;オリックス
#2021年の日本シリーズはオリックスが日本一になっていた。
#関西球団なので、「地元の星だ」と喜ばれていた。
#杉本裕太郎が遅咲きでブレイクしなかったかも。
#背番号は近畿大学の先輩でもある糸井嘉男から「7」を受け継いでいる。
#新人王をチームメイトの宮城大弥と争っていた。
 
===早川隆久(2020)===
※史実では楽天に入団
;ロッテ
 
# 同郷・球団の先輩で、かつ早稲田大学での恩師でもある小宮山悟監督から、喜んで送り出された。
 
===小園健太(2021)===
※史実では横浜DeNAに入団
;阪神
#森木大智が高校生ドラフトで2位に指名していた。
 
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2022年4月10日 (日) 15:29時点における版

1980年代以前

江夏豊(1966)

※史実では阪神に入団

巨人
  1. 1968年の奪三振がさらに増えていた。
  2. 高橋一三とともに左腕の二枚看板を形成する。
  3. 南海か日本ハムへトレードされた可能性もある。
  4. 現実と真逆に阪神の打者(特に田淵幸一あたり)との因縁の対決が話題になる。
  5. 引退後にクスリに手を出さなかった可能性がある。
東映
  1. 尾崎行雄に代わる先発のエースとして定着。
  2. 日本ハムへの売却時に放出されたかも。
  3. 高橋直樹はトレードされず、引退まで日本ハムに所属していた。
阪急
  1. 2年後入団した福本と共に「W豊」と呼ばれる。
  2. 黄金時代がもう少し長く続いていた。
  3. 山口高志はずっと先発主体だった。
  4. トレードで広島か中日に移籍していたかもしれない。

江川卓(1978)

木田勇(1978)

※史実では広島の指名を拒否→翌年日本ハムに入団

大洋
  1. 在京(というか地元)球団なので当然入団していた。
    • 広島の指名を拒否したのは両親の病気が理由だったため。
  2. 1979年の大洋は優勝できていたかもしれない。
    • そうなれば「江夏の21球」も存在しなかった。

岡田彰布(1979)

※史実では阪神に入団

  1. 1985年に優勝できていなかった可能性が高い。
  2. 某CMからどんでんと言われることも、阪神の監督にもなっていない。
阪急
  1. 当時の打線に更に磨きがかかっていた。
  2. 三塁ではなく、外野に転向していたか?
  3. 松永の代わりに阪神へトレードされた。
  4. 仰木監督退任後、石毛ではなく岡田がブルーウェーブの監督を務めた。
    • 「29-1」が「33-4」になっていたかも。
  5. 1985年以降も何度か優勝出来ていたかも。
西武
  1. 石毛の三塁転向は遅れていた。
  2. 1985年も日本一になれた。
南海
  1. 大阪出身ということで歓迎される。
  2. 王監督の後任になっていた可能性が高い。
  3. 藤原満の引退後三塁に再転向した。
  4. 連続Bクラスがダイエーに代わるまで続いていなかったかも。
近鉄
  1. 1980年は日本一になり前年の雪辱を果たす。
  2. 大石より先にバファローズの監督に就任した。

原辰徳(1980)

※史実では巨人に入団

  1. 80年代の巨人は暗黒時代になっていた可能性が高い。長嶋解任・青田問題・江川事件の暗い影を史実より長く引きずっていただろう。
  2. 日本ハムがクジを引いていたら入団拒否→江川事件の再来となっていたかも。
    • 入団したなら、2011年に菅野智之を引いても拒否されない。
    • 巨人以外は全て入団拒否だったのでは…?
      • 大洋は入団容認していたはず。もし大洋なら遠藤との東海大コンビで騒がれただろう。
  3. 無論巨人の監督にも就任せず、2000年代後半以降の優勝回数が減っていた。
  4. 入団拒否→浪人だった場合、翌年槙原寛己は巨人に指名されなかった。
広島
  1. 川口和久は他球団に指名されていた。
    • 巨人だったら引退まで巨人に居れたかも?
  2. 史実の三塁手ではなく、二塁手になっていた。
  3. 当然あの手首負傷はない。
  4. 2000本安打も達成していたはず。
大洋
  1. 1~4位まで全員当たりという大成功ドラフトになっていた。(2位の堀井は指導者として成功)
  2. FAで駒田を取りに行っていなかった。
    • 屋鋪・高木豊も横浜で引退していた。
  3. 2000年代中盤に監督就任、よって大矢明彦の再任はなかった。
    • もしくは権藤博の後任あたりで就任し森祇晶が横浜の監督になることもなかったかも。
  4. 背番号は巨人に移籍した松原誠の後を受けて25が有力か?
    • 応援歌に「エイトマン」の替え歌が使われることはなく、「ニコニコ笑顔」というフレーズが入っていた。
  5. 80年代~90年代半ばの大洋(横浜)は優勝までとは行かなくとも史実より成績も良くAクラスに入った回数も増えていたはず。
    • 史実で3位になった1983年に優勝できていたかも。その場合、翌年最下位に転落することはなかった。
  6. 田代富雄は史実より早く一塁手にコンバートされていた。
    • 近藤貞雄は山下大輔と高木豊の守備位置を入れ替えるだけでよかった。
  7. ロッテからレオン・リーをトレードで獲得することはなかった。

石毛宏典(1980)

※史実では西武に入団

阪急
  1. バンプ・ウィルスの加入はなかった。
  2. 1984年の日本シリーズでは、日本一になっていた。
  3. オリックスの監督就任の際に問題になることはなかった。

金村義明(1981)

※史実では近鉄に入団

阪急
  1. 地元に加えて本人も意中の球団、ということで歓迎されていたのは間違えない。
  2. 打者転向は史実通りだが、三塁には松永浩美がいたので外野手になっていた?

荒木大輔(1982)

※史実ではヤクルトに入団

巨人
  1. 史実より引退が早くなっていた。
  2. 巨人に斎藤雅樹が入団しないため、巨人の90年代の優勝回数が減っていた。
  3. 王監督就任時に野手への転向を打診される。

野口裕美(1982)

※史実では西武に入団

中日

  1. 1年後輩の山本昌さんとともに若手サウスポーコンビとして売り出されていた。
  2. 東京六大学の投手の先輩である星野仙一監督(明治大学出身)からは、かわいがられたかもしれない。

阪急

  1. 1年後輩の星野伸之さんとともに若手サウスポーコンビとして売り出されていた。
  2. 立教大学を一般入試で現役合格したインテリで、理論派で読書家の上田利治監督から一目おかれた。
  3. 仮に、野球で大成できなくても、慶應義塾大学野球部出身で当時ブレーブス広報を務めていた小川友次さんが宝塚歌劇団理事長を歴任したように、阪急阪神グループの関連企業・組織の経営に携わっていた可能性あり(史実では西武退団後、大日本スクリーン製造-いまのSCREENホールディングス-に入社し、系列企業の執行役員も務めた)。また、東京六大学の先輩の小川さんが、よき相談相手になっていたかも?

高野光(1983)

※史実ではヤクルトに入団

  1. いずれにせよ新人開幕投手は務めていなかった。
西武
  1. 渡辺久信が入団せず、西武の優勝回数が減っていた。
    • 渡辺←→高野のトレードがあったかも。
  2. 渡辺が西武監督に就任することはなかった。
大洋
  1. 銚子利夫は他球団に指名されていた。
    • 長内孝は広島で現役を全うした。
阪急(オリックス)
  1. 投手層の薄い阪急で史実より活躍していた。
  2. 1984年の日本シリーズでは、日本一になっていたかもしれない。
  3. 阪急電鉄の広告やCMに出演していたかも。
  4. 引退後、オリックスでコーチを務めていていたのは史実通り。

広沢克己(1984)

※史実ではヤクルトに入団

西武
  1. 大久保・清原をドラフト指名することはなかった。
    • 広沢が指名されても清原指名は史実通りだろう。当初構想にあった清原のサードコンバートが実現していた。
  2. 巨人に移籍していなかったかもしれない。
  3. 1989年のシーズン途中でデストラーデを獲得することはなかった。
日本ハム
  1. 大島康徳をトレードで獲得せず、大島の監督就任もなかった。
    • 山本正之は「熱血ファイターズの歌」を制作しなかった(他の中日出身者が日本ハムの監督に就任していれば別の話だが)。

清原和博(1985)

阿波野秀幸(1986)

※史実では近鉄に入団

  1. 1987年パリーグ新人王は西崎幸広が獲得。
  2. 10.19決戦と1989年の近鉄優勝はなかった。
  3. 指名された複数球団全てで出場した唯一の選手にはならなかった。
大洋
  1. 史実通り1年目から活躍しセリーグ新人王を獲得。
  2. 長年左のエースとして君臨し、史実通り1998年の横浜優勝にも貢献、引退まで大洋・横浜一筋で通した。
    • 野村弘樹のブレイクが遅れる。
  3. 巨人のコーチには就任しなかった。
巨人
  1. やはり先発の一角として活躍するが、長嶋監督時に構想から外れ横浜にトレード、その後は史実通り。
  2. 西武との日本シリーズで伊原春樹から執拗に抗議されボークを連発してしまう。

立浪和義(1987)

※史実では中日に入団

南海
  1. 中日入団の場合と同様1年目からレギュラーを獲得し新人王に。
  2. 翌年ダイエーが元木大介をハズレ1位で指名→入団拒否はなかった。
    • おそらく浜名千広、もしかしたらポジション的に考えると小久保や井口も他球団へ、となっていたかも知れない。
      • 史実でも浜名は中日とダイエーで競合しているが。
  3. ダイエーの初優勝ももう少し早まっていた?
  4. 本人の残した数字自体は史実とあまり変わらず2000本安打と二塁打の日本記録も達成していた。
  5. 1987年の南海のドラフトがドラフト史上最大級の大当たりと言われる。(もっとも、立浪の外れで獲得したのが吉田豊彦で、それ以降も若井基安、柳田聖人、大道典嘉、吉永幸一郎、村田勝喜とそうそうたるメンバー。)
中日のその後
  1. 種田仁はトレードに出されず中日で現役生活を全うしていた。
  2. 小学生の時キャンプで立浪にバットを貰ってファンに→立浪に憧れてPLに進学した、というエピソードのある福留孝介は中日に入団しなかった(おそらく巨人入り?)
    • どっちにしても近鉄は蹴っていた。
  3. 森野将彦や荒木雅博はレギュラー獲得が早まっていたかも。

長嶋一茂(1987)

※史実ではヤクルトに入団

大洋
  1. 史実よりは出番を与えられて活躍出来ていたかも知れない。
  2. 外れ1位の盛田幸妃は他球団が指名していた可能性も。
  3. 父親の巨人監督再就任とともに移籍、は史実通りか?
  4. 背番号は当時空き番の5になっていた可能性が高そう(3番は高木豊の番号のため譲られなかっただろう)。

川崎憲次郎(1988)

※史実ではヤクルトに入団

巨人
  1. 中日に移籍することはなかった。
    • 勿論川崎祭も起きてない。
  2. 吉田修司同様巨人では振るわずダイエーにトレードされていたかも。

野茂英雄(1989)

※史実では近鉄に入団

ロッテ
  1. 90年代にあと3~4回ぐらいAクラスに入れたかも
  2. バレンタイン監督に太鼓判を押されてメジャー行きか?
    • 広岡GMと揉めてメジャーへ、ってあれ?誰かと全く同じだ…
  3. 拒否され、翌年(社会人なので)再度複数球団による競合というシナリオも。
    • 小池秀郎の行き先にも影響が及ぶ場合もある。
    • その場合、プロ入りは92年のバルセロナ五輪後まで無かった。
    • 12球団OKじゃなかったっけ?
ダイエー
  1. ダイエーの旧南海時代から続くBクラス更新は無かった
  2. 99年と98年以外は優勝は出来なくともAクラスにはなっていたかも知れない
  3. 野茂のメジャーへの移籍が遅れていたら藤井将雄のダイエー入団は実現しなかったかも知れない
  4. 元木大介は無事巨人入り。
    • 元木の2位単独は当時の評価から考えて厳しいので抽選にはなりそう。
オリックス
  1. オリックスブレーブス元年、上田監督に「ええで」と言われ新人王。
  2. 次の監督土井正三に「あんな出鱈目なフォームのヤツ、使えん」と言われ実力を発揮しつつも寡黙になる。
    • その翌シーズン(1992)には史実より3年早くアメリカへ旅立ってたかもしれない。
  3. そして仰木監督。イチロー、パンチと一緒に「ヒデオ」と登録名変更を要望されるも拒否。しかしマジックにも乗りオリックス4連覇(94年~97年)。全盛期を迎える。
    • 佐藤和弘は外れ1位なのでこのケースだと入団していない可能性がある。
      • ただ佐藤は2位でも取れそうだがら入団はあり得ないとまではいえない。
  4. 第一次仰木政権終了の01年末に退団→渡米も全盛を過ぎマイナー契約で終了。現役を終える。
日本ハム
  1. 数年後「そのまんまハムの広告」と賞賛される。
    • 江夏~矢作の後継者と呼ばれる
  2. いろいろな意味で○モ○デオに関係のある某投手と比較される。
  3. 東京ドーム時代に1回は優勝出来ていた。
阪神
  1. 大阪出身なので一躍大スターに。
  2. 中村監督に甘やかされた後、藤田監督と衝突、最終的に球団と対立し数年後メジャ…あれ?
    • でも92年は優勝できたのかも
  3. 史実である葛西稔が他球団に指名されていた。
    • よって彼が入団1年目にバッシングの標的に遭うことはなかった、というよりそれを糧に2年目以降実績を上げること自体なかったかも・・・
    • もちろん「遠山→葛西→遠山→葛西」の投手リレーも存在しなかった。
    • 彼が引退後阪神コーチとなって藤川球児をブレイクさせる下地を作ることもなく、藤川もひっそりと球界を去っていたかもしれない。
      • 葛西氏が2位以下で阪神に指名されたかもしれないので、同氏については史実通りだったかも・・・。
      • ロッテが外れ1位で葛西を指名予定だったため、阪神が2位指名になることはありえなかった。
        • ロッテは外れ1位1番目で小宮山を獲ってるけど?
大洋
  1. 先発に野茂、抑えに佐々木という強力な投手陣が出来上がる。
    • 野茂の外れ一位で佐々木が近鉄に。
      • それはない。佐々木は大洋以外狙ってなかったらしい。(佐々木と大学の同期、大塚(元西武)談)
        • でも、1位じゃなかったら佐々木は入団しなかったと思う。
        • 日本ハムの大沢啓二(当時、常務)が大声で「佐々木で行こう」といったため、指名を繰り上げて1位で指名した。
    • 斎藤隆は大洋ではなく中日に入団
  2. ベイスターズに改名した直後には優勝していた。
ヤクルト
  1. ソウル五輪でバッテリーを組んだ古田との相性はバッチリ。ヤクルトは現実以上の黄金時代を築く。
    • ノーコンを意に介さないピッチングスタイルは、次第に野村監督と古田をイラつかせる要因になっていった。
  2. 「ヤクルトみんなでノモ」のCMがヒットし、人気者に。
  3. 女性芸能人若しくはフジテレビの女子アナと結婚していた。
  4. 石井一久は指名されていないかもしれない。
近鉄のその後
  1. 他のパリーグチームに入団していた場合、90年代初頭には早くもBクラス常連チームへ転落。
  2. 人気も低下し、20世紀中に球界再編の可能性も。

1990年代

小池秀郎(1990)

全般
  1. 社会人(松下電器)時代に成績を落とさなかったので、史実より活躍できていた。
近鉄
  1. 2年連続で当たりを引き当てた仰木監督は「ゴッドハンド」と呼ばれていた。
  2. 右の野茂、左の小池の両輪で悲願の日本一を達成した。
  3. とはいうものの入団しただろうか?
    • 巨人・ヤクルト・西武以外は拒否の方針だったので、近鉄入りは微妙なところ。
    • ロッテじゃなければという話もあったので、ごねたけど最終的には入団になりそうな気がする。
ヤクルト
  1. 高津臣吾も史実通り入団していたら、「亜細亜大学コンビ」と呼ばれていた。
  2. 石井一久のブレイクが遅れていた。
  3. 史実でヤクルトの外れ1位で指名された岡林洋一は当初の予定通りロッテが指名し入団していた。
西武
  1. 工藤公康の移籍後に左腕エースとして君臨。西武の黄金時代はさらに長くなっていた。
  2. 前年に続いて8番目にくじを引いた球団が当てたため「残り物には福がある」と言われた。
  3. 高山郁夫(西武)⇔高木宣宏(広島)のトレードはなかった。
中日
  1. 岐阜出身なので歓迎される。
  2. 小島弘務か矢野輝弘のいずれかが指名されない。
  3. 高木監督時代に優勝していた。
  4. 1997年の最下位は回避できた。
  5. 2000年と2002年のどちらかは移籍しなかったかもしれない。
広島
  1. 大野や川口の後釜と目される。
  2. 1996年は優勝していた。
  3. 江藤と同時にFA移籍した可能性も。

矢野輝弘(1990)

史実では、巨人と中日の2位競合で抽選の結果、中日が交渉権を獲得。

巨人
  1. 村田真一と兼用で捕手を務めていた。
    • 村田が年齢と共に出場機会が減った後、矢野は正捕手となる。
  2. 阿部慎之助は巨人に逆指名で入団しなかった。
    • ファンであった阪神に逆指名で入団していたかもしれない。
中日のその後
  1. 殆ど影響無し?
    • 史実で矢野が絡んだ大豊泰昭+1人⇔関川浩一・久慈照嘉のトレードの顔ぶれが変わっていた可能性がある。
  2. 野口茂樹は1996年にノーヒットノーランを達成できたのだろうか?(史実では矢野とバッテリーを組んで達成)
阪神のその後
  1. 正捕手は山田勝彦のままだった。
    • 当時の阪神は暗黒時代だったので、1998年以降の成績はもっと酷くなっていた。
  2. 上記のように、阿部は阪神に逆指名で入団していた可能性がある。
    • その場合、当時の監督は野村克也だったので、彼に指導された分、リードは史実の巨人より少し良くなっていたかもしれない。
    • 阿部が阪神に入って現実通り活躍出来ていれば、阪神も現実通りAクラスに浮上に黄金時代を築けていたかも。
    • 2016年以降も阪神に在籍していれば、彼の父親の元チームメイトである掛布雅之と師弟関係になっていた。
全般
  1. 声優の水樹奈々は矢野のファンになることはなかった。
    • 野球の知らない水樹奈々ファンにも矢野の名前が知れ渡ることはなかった。
  2. 阪神にトレードされない限りあの引退試合はないと見られるので村田修一が引退試合キラーと言われることはなかった。

斎藤隆(1991)

※史実では横浜に入団

中日
  1. 1998年は中日が優勝していた。
  2. ストッパーに転向していなかったかもしれない。
    • 中日は伝統的にストッパーに恵まれてるチーム(斎藤隆のプロ入り後は中山裕章→宣銅烈→ギャラード→岩瀬仁紀)だから、2000年代に入っても先発で投げ続けていただろう。
  3. 「ササキ様に願いを」は作られなかった。
  4. 史実で斎藤隆の外れ1位として中日から1位指名された落合英二は2位で指名されていた(他球団は落合の故障を考慮して指名を見送っていた)。

松井秀喜(1992)

※史実では巨人に入団

阪神
  1. 阪神暗黒時代はなかったかも。
    • 松井が何人いようとどうにもならないと思えてしまうのが阪神暗黒時代なのである。阪神の歴史はあんまり変わらなかったと思う。
    • ただ最下位と言う最悪の状況だけは免れる事が出来たかも知れない
    • 暗黒時代でもないが優勝にも届かない微妙な状況が続いたってことか?
    • 優勝は出来なくとも、少なくともAクラス入りは何度か果たしていただろう。松井の加入によりチームの雰囲気が変わり選手が勢いづくだろうから。
      • 現実にはFAで入った金本や西岡がその役割を果たした。
    • 普通に中村監督時代に優勝できていたかもしれない。1992年の阪神の成績からみてありえない話じゃない。
      • 1993年か1994年にリーグ優勝していただろう。上手く行けば連覇とか?
  2. それどころか星野時代に史上初の連覇+日本一を達成していたりして。
    • というか、連覇以前に2002年のオフ後にさっさとヤンキースに移籍したと思う。
    • 上のように、星野監督就任よりも以前に達成しているだろう。
  3. 指導者に恵まれず1軍昇格がないまま退団。
  4. ヤンキースタジアムのスポンサー広告が何故かオレンジ色の「○○新聞」などではなく「朝日新聞」になっていた。
    • 勢い余って一塁側には「大阪西川」、照明下には「川上塗料」、バックスクリーンには「三菱電機」。
  5. 浜風の影響で意外とホームラン数は伸びていないと思う。東京ドームが本拠地の巨人と比べて5本ぐらい減るだろう。
  6. 外野ではなく高校時代と同じ三塁を守っていたかも。
    • 内野手のままだったら片岡が移籍しなかった。FAしたとしても別球団に行っていた。
  7. 3番新庄・4番松井という黄金クリーンナップが実現していたかも。
  8. 一部で阪神ファンだという話を疑問視する声があるので入団拒否して駒澤大学へ進学して4年後に逆指名で巨人入団なんて事も。
    • ドラフトでの表情を見る限り巨人ファンではなかっただろうし、事前に拒否してないのに突然入団拒否はありえないだろうと思う。
  9. 萩原誠放出後に31をつけていたのは間違いない。
  10. 天然芝の甲子園球場でプレーすることになったため、メジャー入りしてしばらくした後に怪我で悩まされるということはなかったかもしれない。
中日
  1. 巨人を差し置いて中日が松井在籍時に4回リーグ優勝または日本一に。
  2. 少なくとも背番号は「55」ではなかったのは間違いない(大豊泰昭が王の年間55本塁打にあやかって着けていたので)
    • 有力なのは宇野のロッテ移籍で空いた「7」あたりか?
      • 王貞治を超えることを目標に「56」とか「60」とかの可能性もある。
  3. 松井の出身地の石川県での北陸中日新聞の購読者が増えていた。
    • その逆に北國新聞は活躍をほとんど報じなかった。そのため、石川県での人気は低かった。
  4. 1996年最終戦での敬遠はなかった。
    • もし江藤智がシーズン途中で離脱せず、松井秀・山﨑・大豊との本塁打王争いに最後まで絡んでいた場合、広島バッテリーから敬遠策を仕組まれていた可能性はある?と思いきや、後ろに山﨑や大豊が控えてるならその可能性も低いだろう。
  5. 福留孝介は入団しなかった可能性も。
    • 福留は当初遊撃手。
  6. 1994年・1996年は巨人ではなく中日が優勝していたかも知れない。
    • 1998年(史実では横浜優勝)も中日が優勝していた。史実通り1999年も優勝すれば2連覇、さらに2000年も優勝できれば3連覇を達成していた。1997年もナゴヤドーム元年の最下位転落は免れていただろう(史実の松井はナゴドでも結構ホームランを打っていたので)。
    • 1996年は「5番・中堅手」(史実では星稜高校の先輩である音重鎮がこの打順&ポジションだった)として、ダネル・コールズ、立浪和義、アロンゾ・パウエル、山﨑武司、大豊泰昭とともに「強竜打線」の一翼を担った。史実で本塁打王争いを繰り広げた松井秀・山﨑・大豊の567番トリオが猛威を振るい、同年の中日はヘタしたら90勝に到達できたかもしれない。
  7. 入団時点では同姓の松井隆昌(1996年まで)・松井達徳(1997年まで)が中日に在籍していたため、表記は「松井秀」になっていた。
ダイエー
  1. 活躍した場合、いつの間にかポスティングでメジャーに行ってしまっている。
  2. 謎の無償トレードでナベ○ネ部隊にプレゼントされる。
  3. 王の後継者として期待される。
    • 「門田2世」との呼び声も高かった。背番号も44になっていそう。
  4. ホークスの暗黒時代は1990年代中盤には終わっていた。
    • 生卵事件もなかった。
  5. 星稜高校の1年先輩の村松有人とともに外野手でコンビを組んでいた。
  6. 松中信彦が逆指名して入団しなかったかも知れない。
  7. 高校時代と同じ内野手だった場合、小久保裕紀の指名はなかったか入団してもブレイクが遅れていた。
巨人のその後
  1. おそらく戦力の劣化はほとんどないと思われる。
    • ただチームの意気は今より下がっていたかもしれない。
  2. 外野手補強のために稲葉や谷辺りが巨人に指名されていたかもしれない。
  3. 長嶋監督の復帰の盛り上がりが小さくなっていたかも。
  4. 「10.8決戦」やメークドラマも存在しないかも。
全てに言えること
  1. 長嶋茂雄との師弟関係が出来なかったので、2013年の国民栄誉賞受賞はなかった可能性が高い。
    • 長嶋茂雄の国民栄誉賞受賞も死去後に?

伊藤智仁(1992)

広島
  1. ヤクルトよりも選手生命が短くなってた可能性が高くなる。
  2. 投手コーチになり黒田・マエケンに高速スライダーを伝授していただろう。
オリックス
  1. 小林宏は入団しなかった。
    • 小林-オマリーの14球もなかった。
  2. スローカーブの星野伸之と好対照をなしていた。
  3. 広島の場合同様に選手生命は短くなっていた可能性が高くなる。

福留孝介(1995)

全般
  1. 中日・巨人以外に指名され拒否していた場合、福留個人については史実通り。
中日
  1. 原俊介はすんなり巨人が獲得。
  2. 荒木雅博の指名はなかった。
    • 1998年ドラフトで井端弘和を指名していなかったかもしれない。
      • こちらは福留が史実通り外野に転向していれば可能性はあったかも。
    • いずれにせよ荒木・井端の名二遊間は誕生しなかった。
    • 1999年ドラフトで中日は誰を1位指名していただろう?岩瀬は逆指名で2位だろうし・・・。
      • おそらく松坂大輔を指名していたはず。
  3. 種田仁は中日で現役を全うしていた。
    • 「タネダンス」をしていたのは中日の応援団だった。
  4. 1996年と1998年に優勝していた。
巨人
  1. 原俊介はすんなり中日が獲得。
    • その代わり荒木雅博を2位指名か?
    • この年の中日2位は逆指名の門倉健なので、荒木を取るなら3位以下になる。
  2. 2007年CSでの巨人惨敗もなかった。
  3. メジャー挑戦をもっと早くに表明していた可能性も?
  4. 二岡が入団することはなく、山本モナは芸能活動を続行していた。
    • 史実通り外野手転向なら、高橋由伸の獲得に動かなかった可能性も裏事情にもよるが
    • 高橋由伸よりも清水が指名されていない。
  5. 佐々木恭介と出会わなかったので史実ほどの成績は残せない。
オリックス
  1. 1年目に育成成功していたら谷は他球団に指名されていた。
  2. 2学年上の福留宏紀と区別するためスコアボードでは「福留孝」と表記される。
  3. 2000年代前半にメジャー移籍したか、山崎武司とトレードされていた。
ヤクルト
  1. 岩村明憲は指名されていない。
  2. 池山隆寛の引退が早まっていた。
  3. 外野に転向した場合、真中満はレギュラーを獲れずじまいだった。
近鉄は
  1. 外れ1位で澤井良輔を再競合していたか?
  2. 当然「ヨッシャー」も話題にならず。
  3. まあ、どっちにしてもチームの状況はあんまり変わらなかったということで…。

原俊介(1995)

この年、中日は1位で福留孝介を指名して外し、外れ1位で原俊介を指名して外し、外れの外れ1位で荒木雅博を獲得した。原と荒木のその後の活躍の差は周知の通り。

  1. でも荒木は3位ぐらいで獲ってた。
    • ちなみに2位は逆指名入団の門倉健。
  2. どっちにしろ中村武志が健在だったので出番は無かった。
  3. 小田幸平が中日に移籍しなかった。
    • 落合監督は小田を高く評価していたので、いずれにせよ野口の人的補償でなくとも、原とトレードしてでも獲得していたと思う。

松坂大輔(1998)

※史実では西武に入団

横浜
  1. 少なくとも2002年~2004年・2006年の最下位はなかったかも。
    • その他の年はともかく、2003~2004年はどんなに好投しても味方の貧打と中継ぎの乱調に足を引っ張られ、勝ち星がなかなか付かずに横浜の順位は変わらなかったと思う。
      • 04年の場合打線だけ見れば優勝してもおかしく無いレベル
    • マルハがTBSへ株式を売却するところまでは現実通りあったとしても、DeNAへの身売りはなかったかもしれない。
    • その分阪神が現実よりも苦戦したかも。2003年と2005年のどちらかはリーグ優勝できなかったかもしれない。
  2. 背番号は1998年当時空き番だった17(過去に斉藤明夫らが使用)か27(平松政次らが使用)だった。
  3. 横浜高校から横浜ベイスターズに入団したことから「ミスター横浜」という異名がつけられる。
  4. 古木克明は(第一志望の)ダイエーに入団していた。
    • 古木が小学校の卒業文集に「絶対に行きたくない球団は大洋」と書いていたことが話題にされることもなかった。
      • 逆に「行きたい球団はダイエー」と書いていたと話題にされていた。
  5. 史実通りの時期にポスティングでメジャー入り。
  6. 99~01年の間に横浜がもう一度優勝できていた可能性もある。ただしいずれポスティングでメジャー移籍した後は史実通りの暗黒時代へ。
  7. 99年には「新人にして開幕投手」の大偉業を達成し、この年まで在籍していた大魔神と組んで連覇を達成。ただし以後孤軍奮闘の末メジャーに移籍することになる。
  8. 三浦と共に先発の柱で「W大輔」と間違いなく呼ばれていた。
  9. セリーグでは打席に立つため攻撃面でも大きく貢献した。
日本ハム
  1. 北海道移転前に1回くらい優勝していた。
  2. 06年奇跡の日本一を手土産にメジャーへ…
  3. 背番号は広瀬哲朗が引退して空き番になっていた1(史実では同年ドラフト5位の阿久根鋼吉が着ける)だった。
  4. 入団拒否→社会人入り、の可能性も…
  5. 父の出身地である稚内市で主催試合が行われた。

新垣渚(1998)

※史実ではオリックスの指名を拒否

ダイエー
  1. 無論オリックスの三輪田スカウトは自殺していない。
  2. 暴投記録更新は史実通りかも。
    • 2011年頃にはトレードされていたか、戦力外になっていた可能性もある。
  3. 2002年のドラフト会議で、多田野数人氏を指名していた可能性が高い。
  4. 1999年に新人王を巡って、西武の松坂大輔氏と争っていた。

田中賢介(1999)

中日
  1. 荒木か井端のどちらかが完全に外野に転向することになっていた。

2000年代

寺原隼人(2002)

※史実ではダイエーに入団。

共通する事
  1. ダイエー以外はセ球団(中日・巨人・横浜)からの指名だったため公式戦で近鉄と対戦する事が無く、何らかの形でソフトバンクに移籍したとしても13球団勝利は達成できていない。
巨人
  1. 2003年の巨人投手陣の成績が少しだけまともになっていたかもしれない。
  2. ソフトバンクへのトレードもなかったかもしれない。
    • 寧ろ、小久保裕紀と交換で移籍していた。
横浜
  1. 2016年現在、横浜生え抜き投手として活躍していた。
  2. FAでソフトバンク行きか、多村仁志の復帰時にトレードで交換要員になっていた可能性も。
    • そもそも多村仁はトレード放出されなかった。或いは、ソフトバンク以外の球団に放出されたかも。

辻内崇伸(2005)

オリックス
  1. 史実より長く活躍できており、肩の治療も行えていたかもしれない。
  2. 女子プロ野球の指導者になっていたかは不明
  3. T-岡田は巨人が外れ1位で指名していた。
    • 「T-岡田」は史実のオリックスで岡田監督就任等の経緯もあったので本名の「岡田貴弘」のまま。
  4. 母校の大阪桐蔭と巨人の関係が悪化することもなかったかもしれない

陽仲壽(陽岱鋼)(2005)

ソフトバンク
  1. 史実通り外野手に転向して活躍していたら、長谷川勇也・柳田悠岐・中村晃のいずれかはブレイクしていなかった。
    • 柳田は地元の広島に指名されていたかも。
  2. ショートのままだった場合、川崎宗則の渡米まで活躍できなかった。
    • 今宮健太を獲得していなかったかも。
  3. 史実通り同じ年に実の兄の耀勲も入団していたら、同一球団所属の兄弟選手として現実以上に話題となっていた。
    • この場合、名前の読みは兄と揃えて「ヤン・チョンソ」としていた。

田中将大(2006)

※史実では楽天に入団

全部に共通すること
  1. 1年目から活躍し、新人王を取る可能性はまず無かった。
  2. 2009年も楽天はBクラスだった。
    • 2013年もリーグ優勝はおろか、Aクラスに入れたかどうかも微妙。
  3. 2013年に24連勝無敗の偉業を達成することはなかった。
日本ハム
  1. 投手陣が充実していたため1年目から先発は無かった。
  2. 斎藤佑樹は指名しなかった。
  3. 吉川光夫は(大嶺祐太が史実通りなら)地元ソフトバンクの外れ1位として指名されていた。
オリックス
  1. 一応、出身地なので大いに歓迎された。
  2. もしかしたら2008年はリーグ優勝、2011年もクライマックスシリーズ進出を果たしていた。
  3. 里田まいとは結婚していなかったかも知れない(日ハムは彼女の出身地、横浜も在京球団ということで出会いの接点はありそうだがここの場合は…)
    • その代わりに他の女性芸能人、もしくは在阪局の女子アナあたりが結婚相手だったかも?
横浜
  1. 1年目から先発で投げれていたが楽天と違ってチーム状態がアレなのでそんなに勝ち星は挙げられなかった。
  2. 広島の前田健太とは同学年なので非常に強力なライバル関係になっていた。
    • 同郷の巨人・坂本勇人の対決も注目されていた。
  3. 2013年以降もDeNAに残留していた場合、2017年以降は番長から背番号「18」を引き継いだ。

堂上直倫(2006)

※史実では中日に入団

巨人
  1. 相思相愛だった中日ファンから「立派に育ってFAで中日に来い!」とエールを受ける。仮にそれが実現していれば巨人にとって駒田以来2人目の生え抜き選手FA他球団流出となった。
  2. 坂本勇人は外れ1位で中日が獲得していた?
    • その場合、史実ほど活躍できていたかは微妙。
    • 2020年時点で2000本安打に到達できていなかったかもしれない
阪神
  1. 野原将志を獲得することはなかった。
  2. 甲子園で活躍したヒーローだが思うような実績を残せない…?
    • 小林宏之をFAで獲得の際の人的保障でロッテへ、となっていたかも(史実では高濱卓也)

中田翔(2007)

※史実では日本ハムに入団

全部に共通すること
  1. 1軍に入れてた?
    • 他の3球団はレギュラーが固定されていて、割り込むのが困難だっただろう。結局日本ハムが一番マシだったということになる。
  2. 野手ではなく投手として指名されていたら?
阪神
  1. 福留は阪神に入団していなかっただろう。
    • 福留は鹿児島出身なので、地元九州のソフトバンクに入団。
    • 古巣中日への復帰もあった。
  2. 本拠地が天然芝の球場になるので膝を痛める事は無く今でもレフトを守っていたかも。
  3. 2020年に岡本和真と並ぶ本塁打王(を含む)と打点王による二冠王になっていた。
  4. 翌年(2021年)での同僚選手に対する暴行事件で、埼玉西武へ無償トレードにした。
ソフトバンク
  1. ドラフトでの柳田悠岐の指名と長谷川勇也、中村晃のブレイクはなかった可能性も。

髙濱卓也(2007)

※史実では阪神に入団

横浜
  1. 外れとは言え地元高校からの1位指名に大フィーバー。
  2. DeNA買収直後の時点で石川雄洋と二遊間を組み、倉本寿彦が入団するより数年早く『横高出身二遊間コンビ』が実現していた。
  3. 田中健二朗は地元球団である中日が外れ外れ1位で指名か。
  4. 2014年のドラフトで弟の祐仁もDeNAに指名されたかも。

大田泰示(2008)

※史実では巨人に入団。後に日本ハム、横浜DeNA。

ソフトバンク
  1. 巨人の外れ1位はもちろん長野久義。
  2. 大田は指名を拒否して東海大学に進学していたかも。
    • その場合、巨人が2011年に菅野智之を外していたら更に悩ましいことに。
  3. 結局は史実とあまり変わらず、か?
    • 史実より一軍出場は多かったと思う。
  4. 巨人の背番号55は空き番号のまま。
    • 間違いなく松井の国民栄誉賞受賞を持って永久欠番になっていた。
  5. 2022年から北海道日本ハムへ移籍した。

松本啓二朗(2008)

※史実では横浜に入団

阪神
  1. 赤星憲広の電撃引退後に中堅のレギュラーに抜擢される。
    • 藤川俊介のブレークは多分無かった。
    • マット・マートンが阪神で中堅手を守る事は無かった。
    • 2011年のドラフトで伊藤隼太が1位指名される事は無かったかも。
  2. 横浜の1位指名は誰になっていただろうか。
    • 松本以外の指名結果が史実通りだった場合藤江均(史実2位)か細山田武史(史実3位)が繰り上がっていた。

菊池雄星(2009)

※史実では西武に入団

共通する事
  1. 球団によっては2021年開幕時点で残留している。
    • 或いは、史実より早く米球界に挑戦している。
  2. 2018年の西武優勝は無かった。
  3. ソフトバンクを苦手とするのは多分史実通り。
  4. 大久保博元の西武コーチ時代二度目の暴力問題は史実程騒がれない。
楽天
  1. 地元では大フィーバー。
  2. プロ入り後カモとしていた球団だっただけに史実程勝利数は伸びていない。
    • それでも2013年の日本一には貢献していた。
  3. 史実通り大久保博元が首脳陣に入閣していた場合三度目の暴力問題が起きていたかも。
    • この場合監督には就任出来ていない。
日本ハム
  1. 大谷翔平が史実通りに入団した場合、『花巻東コンビ』で売り出していた。
    • 菊池が抑えて大谷が打ってのWお立ち台もしばしば見られた。
  2. 2016年の日本一に貢献していた。
  3. 場合によっては史実より早く米球界に挑戦していた。
中日
  1. 翌年以降のドラフトが史実通りなら大野雄大と左腕二枚看板で売り出していた。

2010年代

斎藤佑樹(2010)

※史実では日本ハムに入団

東京ヤクルト
  1. 神宮のヒーローが帰ってくると大盛り上がり!
  2. 神宮での初登板は、大フィーバーとなっていた。
  3. かつての荒木大輔の「大ちゃんフィーバー」を超える「佑ちゃんフィーバー」が起こっていた。
  4. 史実で外れ1位で入団した山田哲人はクジの競合相手だったオリックスへ。
    • その結果、2014年のオリックスはリーグ優勝を達成し、2015年のヤクルトはリーグ優勝を逃していた。
    • 高校時代と同様、先輩にちなんで「T-山田」と呼ばれていた。
    • オリックスは、翌年山田とポジションの被る安達了一を指名しなかった。
      • 西野真弘の指名もなかった。
    • オリックス入団の場合でも史実のようにトリプルスリーを達成するような選手にまでなれていたかどうか?という部分はあるが、少なくともレギュラークラスで活躍していたのは間違いないだろう。
    • それでも史実の1位指名だった駿太は他球団が指名しなければ2位以下で獲っていたはず。
  5. 斎藤は群馬県出身なので、ヤクルトの主催試合が前橋(敷島球場)で行われていた。
  6. 1年目から活躍できていれば、2011年にヤクルトが優勝出来ていた。
ソフトバンク
  1. 大先輩の王会長のもと、英才教育が施される。
  2. ただ、活躍できなかった場合はとことん出番がなかったと思われる。
    • 最悪の場合育成契約になっていた可能性も。

山田哲人(2010)

※史実ではヤクルトに入団

オリックス
  1. オリックスは2011年はクライマックスシリーズ進出を、2014年には18年ぶりの優勝を果たしていた。
    • 2014年のセ・リーグのCS優勝が史実通り阪神で、こちらもCS優勝していたら同年の日本シリーズは阪神×オリックスの関西ダービーになっていた。
  2. 一方、ヤクルトの2015年は良くてAクラスになっていた、
    • 日本シリーズに進出できても、ソフトバンクに4連敗していたと思われる。
  3. 尽く高卒野手が育たないオリックスなので、史実通り育っていない可能性も多分にある。
    • もし史実通りトリプルスリーとか達成していた場合、何かとイチローと比較されていた。
  4. 駿太は他球団か2位以下でオリックスに入団していただろう。
    • 他球団の場合は登録名を「駿太」にせず、本名フルネームの「後藤駿太」だった。
    • 他球団の場合は、背番号繋がりでローズと関連付けられることもなかった。
  5. 兵庫県出身なので、ファンから「地元の星」として愛されていた。
  6. 2021年の日本シリーズは史実とは逆にオリックスが日本一になっていた。

菅野智之(2011)

※史実では日本ハムの指名を拒否

巨人
  1. それでもアンチ巨人からのバッシングは必至だが、史実よりはマシになっていた。
  2. 当然ながら浪人した時以上に実戦勘は研ぎ澄まされてはいるだろうから、新人王を取っていた2013年(13勝6敗)よりもさらにえげつない成績を残したかも。
    • 巨人は史実以上に大差をつけてセ・リーグを制覇していた。
      • CSにおける初戦からの3連敗もなかった。
    • となれば、2012年の新人王は野村祐輔ではなく菅野だった。
  3. 日ハムの外れ1位はいったい誰になっていただろうか…。
    • 松本剛を1位指名し、その他選手も史実通り順位を繰り上げる形で指名していた。
  4. この年の巨人の外れ1位松本竜也はどうなっていたか。
    • 巨人と競合した横浜に入団していた?
      • DeNAだった場合、2014年オフに自由契約になっていた可能性もある。
      • 笠原将生や福田聡志らともかかわることもないため少なくとも野球賭博に手を出すことはなかったかも?
  5. 2012年に大累進を指名することも無く、日本ハムへ入団したと思われる(史実でもトレードで日本ハムへ移籍)。
  6. 翌年、巨人の1位指名は誰になっていただろう?
    • 東浜巨か藤浪晋太郎を指名していたか、或いは指名拒否覚悟で大谷翔平かもしれない。
    • 2位で獲得候補だった鈴木誠也かも。
  7. 背番号は最初から「18」を付けていた。
    • 杉内俊哉は「21」あたりか。

藤岡貴裕(2011)

※史実ではロッテに入団。後に日本ハム→巨人へトレード。

横浜
  1. 高城俊人・白崎浩之と共にオリックスへ移籍していた。
    • 少なくてもトレードでたらい回しにされる事は無かったのか?
  2. プロ入り後の活躍度合いは微妙だが、少なくともこの年の横浜のドラフトが『嫌がらせドラフト』と呼ばれる事は無かった。
  3. 横浜の2位以下の指名結果が史実通りだった場合、松本竜也は巨人、北方悠誠はソフトバンクがそれぞれ2位で指名したか。

藤浪晋太郎(2012)

※史実では阪神に入団

ヤクルト
  1. ライアン小川を抑えて新人王を獲得出来たかも。
  2. 石山は指名されなかった。
    • その場合、2018年のヤクルトは交流戦優勝を逃しシーズンもAクラスに入れたかどうか微妙な所。
  3. 2013年のヤクルトは最下位を免れていた。
    • 2015年も日本一になれていた。
ロッテ
  1. 2013年に楽天を抑えてリーグ優勝あるいはCS優勝・日本シリーズ出場を果たしていたかも。
    • もちろん田中マー君の連勝を止めていた。
オリックス
  1. 史実の阪神と同様、地元の星として歓迎され注目される。
  2. 2014年にリーグ優勝出来ていて、15年以降もまともな成績を残している。
    • 2021年に日本一になれていた。
  3. 2016年のドラフトで史実通り澤田圭佑が指名されていた場合、大阪桐蔭同級生コンビで売り出していた。
阪神のその後
  1. 2013年以降も低迷を続けていて、14年のCS優勝もなかった。
    • 西岡や福留も移籍してこなかった場合尚更。
    • 和田豊の監督退任が早まっただろう。
  2. 和田豊が当たりくじを引けなかった分手のひら返しもないので、2012年のチームの不振を引きずるファンが現実より多かった。
  3. 西岡との大阪桐蔭OBコンビもなかった。
  4. 金本監督による「161球事件」は起こらず、母校である大阪桐蔭と阪神の関係が悪化することはなかった。

石川歩(2013)

※史実ではロッテに入団

巨人
  1. ロッテは小林誠司(史実の巨人1位)を指名か。
    • そうなった場合、某所で「肘」と呼ばれることはなかったかも。
  2. 巨人ではヒゲは禁止なのでイメージがガラリと変わっていた。
  3. 「セ・リーグには行きたくなかった」と入団後のインタビューで語っているので入団拒否した可能性も(本人は子供の頃から大の中日ファン)。
    • その場合、翌年のドラフトで中日が単独1位指名。
    • そうなった場合、この年に巨人から支配下指名された選手は2021年3月の田口麗斗トレード移籍を以て全滅していた。

大瀬良大地(2013)

※史実では広島東洋に入団

東京ヤクルト
  1. 入団4年目の2017年をもって戦力外通告を受け、退団を余儀なくされていた。
  2. 史実通りの活躍だったら2018年のヤクルトは優勝していた。
  3. 被本塁打が相当なものになっていたかも。
  4. 広島は2016年~2018年の3連覇を達成出来なかったかも。
阪神
  1. 岩貞祐太は日本ハムに入団していた。
  2. 背番号は史実で岩貞が付けていた「17」だった。
  3. ドラフト同期の梅野隆太郎と同じ生年月日であることが話題を呼んだ。
  4. 2014、15年の阪神は優勝出来ていた。

松井裕樹(2013)

※史実では楽天に入団

DeNA
  1. 地元出身選手の指名で大フィーバー。
  2. 当時は金城龍彦が所属していた為、入団当初の背番号は「1」ではない。
    • 史実通りに金城が退団した場合、活躍次第で与えられたかも。
  3. 史実通り抑えとして定着した場合、山﨑康晃は新人王を獲れなかったかも。
  4. 石橋杏奈との交際→結婚は史実通り?
  5. 史実の外れ1位だった柿田裕太は阪神か日ハムへ。
  6. 楽天の外れ1位指名で岩貞祐太を指名した可能性も。
  7. 2017年のドラフト会議の指名結果が史実通りだった場合、楠本泰史(小中学校の同級生でベイスターズジュニアとシニアで共にプレー)とプロでもチームメイトに。
    • 同じくチームメイトだった甲斐綾乃が球団職員になった際3人の対談動画が球団公式youtubeチャンネルに投稿されていた。

有原航平(2014)

※史実では日本ハムに入団。

DeNA
  1. 山﨑康晃は阪神に入団した。
    • 翌年以降抑えの固定に苦しみ2010年代後半のチーム成績は史実の様な好成績にならなかった可能性も。
      • 三嶋一輝の抑え起用が史実より早く見られたかも。
  2. 史実通り1年目から活躍した場合2015年のリーグ優勝は微妙なまでもAクラスは有り得た。
    • この為、中畑政権は史実より1~2年長かったかも。
  3. 2019年はDeNAがリーグ優勝し、それを置き土産に史実より1年早くメジャーに挑戦していた。

山﨑康晃(2014)

※史実ではDeNAに入団

阪神
  1. 呉昇桓が中継ぎになっていた。
  2. 「小さな大魔神」と呼ばれることはなかった。
  3. 横浜DeNAの抑えは三上朋也のままだった。
  4. ヤスアキジャンプをやることはなかった。
  5. そもそも最初からリリーバー起用を行っていたか疑問。
    • 「先発ローテの一角を任される康晃」も多分にあったかもしれない。

高山俊(2015)

※史実では阪神に入団

ヤクルト
  1. オリックスから坂口智隆を獲得することはなかった。
  2. 河載勲は契約されていなかった。
    • 背番号は「00」を背負っていた。
      • 山田哲人の後を受けて「23」かも。
        • 大成していた場合、青木復帰はなかった。
  3. 真中監督の「幻のガッツポーズ」がネタにされることもなかった。
  4. 阪神は外れ1位で誰を指名していたのやら?
    • 同じ外野手のオコエ瑠偉を指名し楽天と競合していた可能性も?
      • そちらも外していた場合、坂本誠志郎が1位指名されて以下の選手の順位が繰り上がったか重信慎之介(史実の巨人2位)辺りを指名してお茶を濁していた。
    • 逆に原樹理(史実のヤクルト外れ1位)を指名していたかもしれない。
    • 競合回避或いは外れ1位候補といわれていた上原健太かも。
  5. 2016年シーズンの阪神は現実以上の苦戦を強いられていた。
    • 「超変革」の目玉選手が1人減っていた。
    • 阪神とヤクルトの順位が逆になった可能性がある。
  6. 阪神の現状を見ていると意外と史実よりも活躍したかも。
    • 2021年のリーグ優勝→日本一にも貢献していた可能性もある。

柳裕也(2016)

※史実では中日に入団

DeNA
  1. DeNAが2017年のポストシーズンで史実通りの善戦が出来たかは微妙。
    • 但し、2位以下でも濱口遥大の指名に成功していたら別。
  2. 球団通算4000勝になった際の勝利投手になっていた。
  3. 入団3年目の2019年に最優秀防御率を獲得した。
  4. 中日は次の指名でやはり他球団と同じく佐々木千隼だっただろうか。
    • そちらも外した場合、京田陽太が1位指名されて以下の順位が繰り上がっていたか吉川尚輝(史実の巨人1位)を指名して競合していた?
  5. 2位以降のドラフトが史実通りであれば佐野恵太との同級生コンビ、或いは後年入団した伊勢大夢、入江大生と共に「明大カルテット」で売り出していた。
  6. 2021年度オールスターゲーム出場できないどころか、森下暢仁(広島東洋)との明大リレーすらなかった。
  7. 史実通りの成績を残せた場合2021年はAクラスこそ厳しいものの最下位は無かったかも。

清宮幸太郎(2017)

※史実では日本ハムに入団

ヤクルト
  1. 王柏融(北海道日本ハム)が球団通算8000本塁打になっていた。
  2. 史実の外れ1位だった村上宗隆はクジの競合相手だった巨人か楽天へ。
    • 清宮を外した日ハムが村上を指名→クジを引き当て史実とは所属球団が逆になっていた可能性も。
  3. 高校時代より通い慣れた神宮球場でホームランを量産していただろう。
  4. 村上に代わって史実より多少は活躍出来ていたかもしれない。
巨人
  1. 背番号は「55」を背負っていた。
  2. 岡本和真のブレイクが遅れていた可能性がある。
    • 岡本は三塁かレフトを守っていた。
  3. オリックスから中島宏之を獲得することはなかった。
  4. 阿部慎之助は400本塁打を打てずに引退していた。
阪神
  1. 甲子園のヒーローが帰ってくると大盛り上がり!
    • 甲子園での初出場は、大フィーバーとなっていた。
  2. 2018年の阪神は最下位を免れていた。
  3. 背番号は「31」を背負っていた。
    • 著書でこれを提唱していた遠藤章造が喜ぶ。
ソフトバンク
  1. 大先輩の王会長のもと、英才教育が施される。
  2. 背番号は「3」を背負っていた。
    • 松田宣浩は史実より1年早く背番号を「5」に戻していた。
  3. 2018年のレギュラーシーズンはリーグ優勝できていた。
    • このチームの育成方針を考えると、1年目から一軍出場できなかった可能性も高いので結局同じかも。

村上宗隆(2017)

※史実ではヤクルトに入団

楽天
  1. 球団初の開幕6連勝で波に乗り、令和になって初のパ・リーグ優勝した後、その年の日本シリーズで4タテ(史実ではソフトバンク)による日本一になった。
    • 35本塁打で、令和になって初のパ・リーグMVPを獲得した(入団2年目によるMVPは、稲尾和久投手(57年 元西鉄)・杉浦忠投手(59年 元南海)で、打者は史上初)。
  2. 千葉ロッテから鈴木大地をFA獲得する事は無かったかも。
  3. 2019年のセの新人王は近本光司が受賞した。
  4. 楽天の主砲となり、現在に至る。
巨人
  1. 捕手として育てていたので、数年は二軍暮らしだった。
    • 2019年のセの新人王は近本光司が受賞した。
    • 日本代表に選ばれるのは早くて2020年代中旬以降。
  2. 岸田、大城のうち、どっちかは指名しなかった。
    • 巨人は、二位で亜細亜大学の高橋(史実の阪神二位)を指名していた。
  3. 史実通り活躍していた場合、2021年は巨人がリーグ優勝していた。
    • 優勝していなくてもシーズン勝ち越しで終えていた。

馬場皐輔(2017)

※史実では阪神に入団

ソフトバンク
  1. 飯田優也(ソフトバンク)・松田遼馬(阪神)によるトレードは破談していた。

根尾昂(2018)

※史実では中日に入団

日本ハム
  1. 「大谷2号」として、注目されていた。
  2. 先輩の中田翔氏から可愛がられていた。
    • 2021年に同僚選手に対する暴行事件を起こして巨人へトレードされることもなかったかもしれない。
  3. 吉田輝星氏は指名されることはなかったかもしれない。
巨人
  1. 「守備で内野には使えない」と判断され、一年目から外野にコンバートされた。
  2. 高橋優貴が獲得出来なかったため、2021年は苦戦していたかも。
    • 高橋は根尾を外した中日が指名していた。
      • その場合、スコアボードなどの表記では「高橋優」になっていた。
ヤクルト
  1. 史実より早い段階から一軍でも遊撃での出場機会が得られた。
  2. 上茶谷大河は小園海斗を外したDeNAが一本釣りか。
  3. 2位以降でも清水昇を指名出来なかった場合2021年に日本一どころかリーグ優勝すら達成できていたか危うい。
  4. 翌年のドラフトで長岡秀樹か武岡龍世のどちらかはヤクルトに指名されなかったかも。
中日のその後
  1. 外れ1位は甲斐野央(ソフトバンクの外れ外れ1位)か2位の梅津晃大が繰り上がっていた。
  2. ドラフト戦略が見直され翌年以降立て続けに地元出身高卒選手(2019年石川昂弥、2020年高橋宏斗)を1位指名しなかった可能性も。

藤原恭大(2018)

※史実ではロッテに入団

楽天
  1. 浅村栄斗氏が移籍することはなかったかもしれない。
阪神
  1. 地元のスター選手として注目されていた。
  2. 史実の1位指名入団である近本は他球団が指名していた。
    • 2019年の阪神はAクラスになれなかった可能性が大。
      • もしロッテが近本を取り史実レベルに活躍した場合、ロッテがAクラスになっていたかも。

小園海斗(2018)

※史実では広島に入団

DeNA
  1. 遊撃は大和がレギュラーだったため1年目から史実通りに試合に出られたかは微妙だが……。
    • 仮に史実通りに試合に出ていた場合、倉本寿彦、石川雄洋、中井大介の出場機会は史実より少なくなり、柴田竜拓のブレークもやや遅れた。
    • 1年目から遊撃以外の守備位置での出場機会があったかも。
  2. 宮崎敏郎が所属していたため、背番号は「51」では無い。
    • 多分、白崎浩之のトレード移籍で空き番号となっていた「6」を付けていた。
  3. 翌年のドラフトで森敬斗がDeNAに1位指名されることは無かったかも。
    • 森下暢仁を指名して2年連続で広島と競合していたか、逆に広島が森を単独指名した。
  4. 上茶谷大河は根尾昂を外したヤクルトが一本釣りか。
  5. 2021年のドラフト指名結果が史実通りだった場合1位指名の小園健太とユニフォームの背ネームがややこしい事に(どちらも「K.KOZONO」なので)。
オリックス
  1. 史実通り試合に出ていた場合安達了一は史実より早く二塁にコンバートされていた。
  2. 2021年のリーグ優勝には間違いなく貢献していた。
  3. 太田椋(史実1位)か紅林弘太郎(2019年2位)のどちらかはオリックスに指名されなかった。

佐々木朗希(2019)

※史実ではロッテに入団

楽天
  1. 千葉ロッテから涌井秀章氏が金銭トレードで獲得することはなかった。
  2. 背番号は「18」を背負っていた。
日本ハム
  1. 背番号は「11」を背負っていた。
  2. 同じ岩手県の高校から日本ハムに入団したこともあって、名実共に「大谷2世」として、大注目されていた。
  3. 監督の栗山英樹氏から可愛がられていた。
    • 「朗希」と下の名前で呼ばれるのは確実だろうな。

2020年代

佐藤輝明(2020)

※史実では阪神に入団

共通
  1. 2021年の阪神はBクラスに低迷していた。
    • 代わりに広島がCS出場を果たしていた。
    • 巨人には15年連続の負け越しとなっていた。
ソフトバンク
  1. 2021年4月9日対東北楽天戦=楽天生命パーク宮城で場外ホームランを放った。
  2. ソフトバンクは2021年のCS出場を果たせていた。
  3. ルーキーながらベストナインに選出した。
  4. 同じくモノノフである石川柊太と意気投合していた。
巨人
  1. 坂本勇人、岡本和真、丸佳浩、梶谷隆幸、ゼラス・ウィーラーらと超重量打線が誕生していた。
    • 巨人の打撃成績はさらにえげつないものになっていた
    • 2021年のセ・リーグは巨人がぶっちぎり優勝していた。もちろん終盤の10連敗もない。
    • 特に阪神ファンから目の敵にされていた。
    • 恐らく2021年の新人王を獲得していた。
  2. 田口麗斗と廣岡大志のトレードは行われてなかった可能性が高い
  3. 助っ人外国人も取ってなかったか、スモークとテームズのどちらか一人のみになってた可能性もある
  4. 平内龍太は阪神が外れ1位で一本釣りか
  5. 背番号は恐らく、自身が抜く前に関西学生野球リーグ通算本塁打記録を保持していた二岡智宏にちなんだ「7」。
    • 近畿大学の先輩でもあるから、本人の励みになったこと請け合い。


オリックス
  1. 2021年の日本シリーズはオリックスが日本一になっていた。
  2. 関西球団なので、「地元の星だ」と喜ばれていた。
  3. 杉本裕太郎が遅咲きでブレイクしなかったかも。
  4. 背番号は近畿大学の先輩でもある糸井嘉男から「7」を受け継いでいる。
  5. 新人王をチームメイトの宮城大弥と争っていた。

早川隆久(2020)

※史実では楽天に入団

ロッテ
  1. 同郷・球団の先輩で、かつ早稲田大学での恩師でもある小宮山悟監督から、喜んで送り出された。

小園健太(2021)

※史実では横浜DeNAに入団

阪神
  1. 森木大智が高校生ドラフトで2位に指名していた。