ページ「もし日本プロ野球であの球団が優勝していたら/パ・リーグ」と「もしプロ野球ドラフトで抽選に勝ったのがあの球団だったら」の間の差分

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*史実で指名していない球団が指名していた場合は[[もしあのプロ野球選手があの球団にドラフト指名されていたら]]へお願いします。
*新規追加は球団別かつ年代順にお願いします。
*ドラフト以外で入団した選手は[[もしあのプロ野球選手があの球団に入団していたら]]へお願いします。
==北海道日本ハムファイターズ==
*史実でプロ入りしていない選手は[[もしあの選手が日本プロ野球入りしていたら]]へお願いします。
===1965年に優勝していたら===
*抽選の結果、指名を拒否した選手が指名球団に素直に入団していた場合は[[もしあの選手がドラフト指名を拒否しなかったら]]へお願いします。
#巨人との後楽園シリーズが16年早く実現していた。
==1980年代以前==
#*いずれにせよ、1965年の巨人日本一は変わらなかっただろう。
===江夏豊(1966)===
※史実では阪神に入団
;巨人
#1968年の奪三振がさらに増えていた。
#高橋一三とともに左腕の二枚看板を形成する。
#南海か日本ハムへトレードされた可能性もある。
#現実と真逆に阪神の打者(特に田淵幸一あたり)との因縁の対決が話題になる。
#引退後にクスリに手を出さなかった可能性がある。


===1973年に優勝していたら===
;東映
#日拓ホームは球団を持ち続け、知名度は向上した。
#尾崎行雄に代わる先発のエースとして定着。
#身売りはなかったか遅れていた。
#日本ハムへの売却時に放出されたかも。
#巨人との後楽園シリーズが8年早く実現していた。
#高橋直樹はトレードされず、引退まで日本ハムに所属していた。


===1980年に後期優勝していたら===
;阪急
1980年のパの後期リーグは日本ハムが優勝まであと1勝と迫っていましたが、近鉄のまさかの猛追で後期優勝を逃す形となりましたが、もし後期優勝できていたら?
#2年後入団した福本と共に「W豊」と呼ばれる。
#黄金時代がもう少し長く続いていた。
#山口高志はずっと先発主体だった。
#トレードで広島か中日に移籍していたかもしれない。


#プレーオフは最終戦までもつれていたかも。
===江川卓(1978)===
#近鉄の西本監督(当時)はこの年限りで引退?
*[[もし江川問題が○○だったら#阪神以外が交渉権を獲得していたら]]
#いずれにせよ、1980年の広島日本一は変わらなかったと思う。
===木田勇(1978)===
#*広島VS日本ハムが36年早く実現していた。
※史実では広島の指名を拒否→翌年日本ハムに入団
#**2016年の日本シリーズの結果が史実通りならば、「36年前のリベンジを果たした」と言われていた。
;大洋
#在京(というか地元)球団なので当然入団していた。
#*広島の指名を拒否したのは両親の病気が理由だったため。
#1979年の大洋は優勝できていたかもしれない。
#*そうなれば「江夏の21球」も存在しなかった。


===1993年に優勝していたら===
===岡田彰布(1979)===
優勝した西武に1ゲームとわずかの差でリーグ優勝を逃した日本ハム。もし、日本ハムと西武の立場が逆だったら?
※史実では阪神に入団
#1985年に優勝できていなかった可能性が高い。
#某CMからどんでんと言われることも、阪神の監督にもなっていない。


#西武・森監督はこの年限りで辞任していた。
;阪急
#*現実より1年早く辞めることになる。
#当時の打線に更に磨きがかかっていた。
#*東尾修の監督就任が1年早まっていたかも。
#三塁ではなく、外野に転向していたか?
#日本シリーズは野村監督率いるヤクルトとの対戦となっていた。
#松永の代わりに阪神へトレードされた。
#パリーグMVPは、前年のスランプから復活を遂げた西崎に輝いた。
#仰木監督退任後、石毛ではなく岡田がブルーウェーブの監督を務めた。
#*この年に西崎の次女・莉麻が生まれたのでおめでた続きとなっていた。
#*「29-1」が「[[33-4]]」になっていたかも。
#1985年以降も何度か優勝出来ていたかも。


===1996年に優勝していたら===
;西武
1996年の日本ハムはオリックスと熾烈な優勝争いを繰り広げました。ところが上田利治監督の「家庭の事情」により休養となった頃を境に成績は急降下、最終的にはオリックスに優勝をかっさらわれるという結果になりました。もしそういう間の悪いトラブルもなくリーグ優勝していたら…
#石毛の三塁転向は遅れていた。
#1985年も日本一になれた。


#1981年以来となる「後楽園シリーズ」が話題となっていた。
;南海
#*この年の日本シリーズは「東京ドームシリーズ」と呼ばれていたか?
#大阪出身ということで歓迎される。
#日本一は当時、「メークドラマ」で勢いのあった巨人にかっさらわれたかもしれない。
#王監督の後任になっていた可能性が高い。
#*その場合、翌年の巨人は史実よりも成績が良かったかもしれない。
#藤原満の引退後三塁に再転向した。
#上田監督の「家庭の事情による休養」をネタにされることは無かった。
#連続Bクラスがダイエーに代わるまで続いていなかったかも。
#日本ハムは1998年以外にもAクラスへ入っていたシーズンもあり、上田監督は史実以上に日本ハムの監督を続けていた。
#オリックスは前年のリーグ優勝で燃え尽きて優勝できなかった、と見なされていた。
#西崎幸広は日本ハム時代に優勝を経験していた。
#この年にウルトラマンネオスがTVシリーズ化されるかつ2006年も史実通りファイターズ優勝とウルトラマンメビウスが放映されてたら日ハムファンからは「10年前の再現」だと言われていた。(実はウルトラマンネオスのTVシリーズ化の際80後のその後の時代を描こうという案もあったらしい…)
#*さらにこの年のセ・リーグ優勝チームが巨人ではなく中日(史実では2位)だったら尚更。
#「平成以降、西暦の下1桁が6の年は日本ハムが優勝する」というジンクスが生まれていた。
#その場合、オリックスは現存するパ・リーグ6球団で唯一、平成時代に日本一を経験できずに終わっていた。


===1998年に優勝していたら===
;近鉄
1998年の[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハム]]は開幕から独走し、一時は2位に10ゲーム差をつけていましたが、オールスター以降は失速し、西武に優勝をさらわれてしまいました。
#1980年は日本一になり前年の雪辱を果たす。
#大石より先にバファローズの監督に就任した。


もし、前半戦の勢いが持続し日本ハムがリーグ優勝していたらどうなっていただろうか?
===原辰徳(1980)===
※史実では巨人に入団
#80年代の巨人は暗黒時代になっていた可能性が高い。長嶋解任・青田問題・江川事件の暗い影を史実より長く引きずっていただろう。
#日本ハムがクジを引いていたら入団拒否→江川事件の再来となっていたかも。
#*入団したなら、2011年に菅野智之を引いても拒否されない。
#*巨人以外は全て入団拒否だったのでは…?
#**大洋は入団容認していたはず。もし大洋なら遠藤との東海大コンビで騒がれただろう。
#無論巨人の監督にも就任せず、2000年代後半以降の優勝回数が減っていた。
#入団拒否→浪人だった場合、翌年槙原寛己は巨人に指名されなかった。


#とはいうものの、この年の日本シリーズはあの[[横浜DeNAベイスターズ|横浜]]が相手だったから、ビッグバン打線もマシンガン打線には勝てずじまいになっていたと思う。
;広島
#*東京ドームは真っ青になっていた。
#川口和久は他球団に指名されていた。
#*横浜は38年ぶり、日本ハムは36年ぶりなので、いずれにしても日本シリーズ終了後の盛り上がりは大きかった。
#*巨人だったら引退まで巨人に居れたかも?
#*大魔神が出てくるまで打ちまくらなければならなかったので、日本一は難しかった。
#史実の三塁手ではなく、二塁手になっていた。
#1999年の失速はなかった。
#当然あの手首負傷はない。
#*ダイエー初優勝を目前で許す可能性はあったかも。
#2000本安打も達成していたはず。
#*オリックスの連続Aクラスは1年早く途絶えていたかも。
#2006年の優勝も、現実より冷めた感じになっていた可能性は否めない。
#*北海道はともかく、東京のファンは。
#*2006年は北海道に本拠地を置く球団としては史上初の優勝であるのに変わりはないので北海道での熱はそこまで変わらなかったはず。
#テレビ東京の日本シリーズ中継が5年早く実現していた。
#*その場合、テレビ東京系のない地区では録画放送となっていただろう。
#片岡篤史、下柳剛、中村豊は日本ハム時代にリーグ優勝を経験していた。


===2000年に優勝していたら===
;大洋
チーム打率・本塁打数・得点数・盗塁数が全てリーグ1位という破壊力抜群の打線で優勝争いに加わるも、エース岩本の不調等が響き3位に終わる。
#1~4位まで全員当たりという大成功ドラフトになっていた。(2位の堀井は指導者として成功)
#FAで駒田を取りに行っていなかった。
#*屋鋪・高木豊も横浜で引退していた。
#2000年代中盤に監督就任、よって大矢明彦の再任はなかった。
#*もしくは権藤博の後任あたりで就任し森祇晶が横浜の監督になることもなかったかも。
#背番号は巨人に移籍した松原誠の後を受けて25が有力か?
#*応援歌に「エイトマン」の替え歌が使われることはなく、「ニコニコ笑顔」というフレーズが入っていた。
#80年代~90年代半ばの大洋(横浜)は優勝までとは行かなくとも史実より成績も良くAクラスに入った回数も増えていたはず。
#*史実で3位になった1983年に優勝できていたかも。その場合、翌年最下位に転落することはなかった。
#田代富雄は史実より早く一塁手にコンバートされていた。
#*近藤貞雄は山下大輔と高木豊の守備位置を入れ替えるだけでよかった。
#ロッテからレオン・リーをトレードで獲得することはなかった。


#1996年に優勝していた場合と同様に、1981年以来となる「後楽園シリーズ」が話題となっていた。
===石毛宏典(1980)===
#2001年以降の成績ももう少しマシなものになっており、最下位ではなかったかも。
※史実では西武に入団
#いずれにせよ、日本一は史実通り巨人のものになっていただろう。
#この年の日本シリーズが変則的な日程になる事はなかった。


===2003年に優勝していたら===
;阪急
#東京時代ラストイヤーに有終の美を飾ることができた。
#バンプ・ウィルスの加入はなかった。
#この年の日本シリーズは、1962年以来となる阪神VS日本ハムになっていた。
#1984年の日本シリーズでは、日本一になっていた。
#*坪井智哉は日本シリーズで古巣と対戦。
#オリックスの監督就任の際に問題になることはなかった。
#**その際阪神側からも「坪井」コールが起こる。
#**片岡篤史、野口寿浩も古巣日本ハムとの対戦に。
#***日本ハム側からも「片岡」「野口」コールで応援されていた。


===2004年に優勝していたら===
===金村義明(1981)===
#北海道移転初年度での優勝と言うことで、北海道は大きく盛り上がっていた。
※史実では近鉄に入団
#在札の民放各局は、こぞって巨人戦中継の差し替えに着手していた。
#*ちょうどここらへんで、巨人人気の陰りも見え始めていたため。
#今まで巨人ファンだった道民も、手のひらを返すようにファイターズファンに寝返った。
#MVPはムードメーカーだったSHINJOあたりが有り得た。
#中日VS日本ハムが史実より2年早く実現していた。


===2013年に優勝していたら===
;阪急
#オフのトレードは成功だったとも。
#地元に加えて本人も意中の球団、ということで歓迎されていたのは間違えない。
#2連覇で盛り上がりを見せた。
#打者転向は史実通りだが、三塁には松永浩美がいたので外野手になっていた?


==東北楽天ゴールデンイーグルス==
===荒木大輔(1982)===
===2005年に優勝していたら===
※史実ではヤクルトに入団
#参入初年で初優勝と言う前代未聞の記録を成し遂げていた。
#*日本一になろうものなら、全国的に話題になっていた。
#*1950年の毎日オリオンズというケースがありますが…。
#*大阪近鉄バファローズファンだった人、オリックス・ブルーウェーブファンだった人からも評判が上がっていた。
#序盤の成績が史実通りなら、他の5球団は笑い者にされていた。
#*特に0対26で楽天に勝ったロッテが嘲笑の的にされていた。
#田尾監督は解任されずにもう数シーズン続投していた。
#*もちろん野村氏とブラウン氏と星野氏の監督就任はなかったか遅れていた。
#**ブラウンが楽天の監督になることはなかったかもしれない。星野とデーブはおそらく史実通り。
#「ソフトバンクがレギュラーシーズン1位となるが、プレーオフで楽天に敗退」という形での楽天優勝だったら、プレーオフでNPB参入1年目のチームに敗退したことになりホークスの悲劇性はさらに高まる。
#*当時はファーストステージ勝利チームがファイナルステージも勝利した場合、リーグ優勝はファーストステージ勝利チームに与えられることになっていたため尚更。
#**韓国では1988年に三星ライオンズが当時KBO参入3年目のビングレ(現ハンファ)・イーグルスに敗れたことで時の監督を更迭した経緯もあるだけに、王監督は2005年限りでホークス監督を解任された可能性もある。
#日本シリーズのセリーグ側の相手と試合結果が現実と同じだったら・・・。
#*本当に33-4だったら黒歴史どころか公式から記録が抹消されていた。
#MVPは選手会長の礒部かエースの岩隈あたりが有り得る。
#一場靖弘が新人王を獲得したかも。
#代わりにオリックスバファローズが最下位だったかもしれない。


===2009年に優勝していたら===
;巨人
*史実ではこの年に初のAクラス入り(2位)を成し遂げている。
#史実より引退が早くなっていた。
#交流戦とその先で一時期低迷していなければあり得た。
#巨人に斎藤雅樹が入団しないため、巨人の90年代の優勝回数が減っていた。
#レギュラーシーズン終了後に解任を通告されたことを考えると、どのみち野村監督は勇退していた。
#王監督就任時に野手への転向を打診される。
#*日本シリーズまで勝ち上がれていれば、楽天と巨人の両軍による二度目の勇退の胴上げが行われていた。
#**日本シリーズ進出だけでなく巨人との対決も4年早まった。
#岩隈と田中は日本シリーズでそれぞれ2戦は投げていた。
#*岩隈久志にとって自身2度目で2球団目の日本シリーズ出場を果たしていた。


=== 2011年に優勝していたら ===
=== 野口裕美(1982) ===
史実ではBクラスで5位だった。
※史実では西武に入団
#東日本大震災が発生した年だったこともあり、東北は幸せなムードに満ちていた。
#*阪神大震災が発生し「がんばろうKOBE」を合言葉に優勝した1995年のオリックス・ブルーウェーブと現実以上に比較されていた。
#嶋基宏選手会長の 「見せましょう、日本の底力を」 が2011年の新語・流行語大賞で年間大賞を受賞していた。
#セリーグが史実通りなら、日本シリーズは対中日なので星野監督にとっての古巣との対決で盛り上がった。
#*まして当時の中日の監督が、星野さんの中日監督時代の教え子だった落合さんなので師弟対決として尚更盛り上がった。
#もし岩隈が史実通りこの年オフにメジャー挑戦していたら、のちの田中将大と同様にチームの優勝を置き土産に渡米することになっていた。


===2013年に優勝を逃していたら===
'''中日'''
#田中将大のメジャー移籍はなかった。
#*連勝記録が話題になることもなかった。
#**連勝記録が13年シーズン中に途絶えていたら可能性があった。
#***黒星の数次第では1位と僅差の2位or3位だったか下手すればAクラス入りしたか微妙なところかも。
#楽天は未だに弱小球団というレッテルを貼られたままだっただろう。
#日本シリーズは巨人VSロッテになっていた。


===2014年に優勝していたら===
# 1年後輩の山本昌さんとともに若手サウスポーコンビとして売り出されていた。
#リーグ2連覇で盛り上がりを見せた。
# 東京六大学の投手の先輩である星野仙一監督(明治大学出身)からは、かわいがられたかもしれない。
#*前年に初のリーグ優勝を達成したチームがこの年もリーグ優勝という珍事は(運営会社譲渡のものを除くと)1980年の近鉄以来となる。
#星野監督の辞任はなかったか、史実よりも遅れていた。


===2017年に優勝していたら===
'''阪急'''
#後半戦での失速がなければ可能性があった。
#梨田監督にとって3球団目の優勝で、3回とも就任2年目に優勝出来ていた。
#*2018年シーズン途中に辞任することもない。


===2019年に優勝していたら===
# 1年後輩の星野伸之さんとともに若手サウスポーコンビとして売り出されていた。
#交流戦終盤からの失速がなければ可能性があった。
# 立教大学を一般入試で現役合格したインテリで、理論派で読書家の上田利治監督から一目おかれた。
#セリーグが史実通りなら、日本シリーズは6年前と同じく対巨人になっていた。
# 仮に、野球で大成できなくても、慶應義塾大学野球部出身で当時ブレーブス広報を務めていた小川友次さんが宝塚歌劇団理事長を歴任したように、阪急阪神グループの関連企業・組織の経営に携わっていた可能性あり(史実では西武退団後、大日本スクリーン製造-いまのSCREENホールディングス-に入社し、系列企業の執行役員も務めた)。また、東京六大学の先輩の小川さんが、よき相談相手になっていたかも?


==埼玉西武ライオンズ==
===高野光(1983)===
===1966年に優勝していたら===
※史実ではヤクルトに入団
#黒い霧事件はなかったかもしれない。
#いずれにせよ新人開幕投手は務めていなかった。
#*場合によって、球団の身売りはなかったかもしれない。
#日本シリーズでは、巨人に敗れていた。


===1975年に優勝していたら===
;西武
西鉄撤退後初のAクラスとなった。
#渡辺久信が入団せず、西武の優勝回数が減っていた。
#福岡野球の体制がネーミングライツに近かったためそれがこの時点で普及した。
#*渡辺←→高野のトレードがあったかも。
#地方のお荷物球団として語られる事はなかった。
#渡辺が西武監督に就任することはなかった。
#西武への身売りと埼玉への移転が多かれ少なかれ遅れていた。


===1989年に優勝していたら===
;大洋
1989年のパリーグは、近鉄・オリックス・西武による史上まれに見る争いとなり、最終結果も優勝した近鉄と3位の西武との差がわずか0.5ゲーム差という壮絶なものでした。もし西武が優勝できていたら?
#銚子利夫は他球団に指名されていた。
#巨人を上回るV10となっていた。
#*長内孝は広島で現役を全うした。
#*全盛期の野球チームの代名詞は「V9の巨人」ではなく「V10の西武」になる。
#**チームが綺麗にセ・パでバラけているから「セのV9、パのV10」としてどっちも称えられていたと思う。特に西武は全部日本一になっている訳ではないし。
#「西暦が9で終わる年には優勝できない」のジンクスを打破できていた。
#地上波での中継本数が増えてたかも。
#「球界の盟主」とは巨人より西武になっていたかも。
#*特に2003年以降、巨人の凋落は史実以上となっていた。
#**第二次原監督時代に史実通りV3を達成しているなら史実並みでしょ。
#*どう頑張ってもコクドが証券取引法違反をやらかすのは避けられないだろうから、一時的に盟主になっても結局ソフトバンク辺りに抜かれてしまうのがオチなんじゃないだろうか。
#日本シリーズでは、ペナントの勢いそのままに、ジャイアンツを圧倒していた。
#*近鉄のように逆転で日本一を逃すようなことはなかっただろう。
#*当然ながら「巨人はロッテより弱い」は存在しなかった。
#そもそも清原がジャンピングニー事件の処分で欠場しなければ優勝できていた。
#2019年の成績が史実通りならば、「ミラクル元年だけあって元年に強い」と言われていた。


===1994年に優勝を逃していたら===
;阪急(オリックス)
#この年の西武ライオンズの監督は辞任していた。(実史における2008年の阪神タイガース岡田監督みたいに…。)
#投手層の薄い阪急で史実より活躍していた。
#*史実でも、森監督辞めていたんですがね・・・。
#1984年の日本シリーズでは、日本一になっていたかもしれない。
#**森監督がこの年限りで西武の監督を退いたのどの結末でも変わらん、って事ですな。
#阪急電鉄の広告やCMに出演していたかも。
#**辞任発表によるモチベーション低下がない為日本シリーズはもっと接戦になっていた。
#引退後、オリックスでコーチを務めていていたのは史実通り。
#2002年の日本シリーズでは史実以上に「巨人が1990年のリベンジを果たした」と言われた。


===1999年に優勝していたら===
===広沢克己(1984)===
黄金ルーキー・松坂大輔の獅子奮迅の活躍も空しく、「白にゃんこ打線」とまで揶揄されるほどの貧打っぷりから3連覇を逃した1999年。もし優勝していたら?
※史実ではヤクルトに入団
#「日本シリーズで勝つために(セ・リーグホームゲームでの守備に不安のあった)マルティネスを解雇した結果、肝心の日本シリーズの出場自体を逃す」という笑えないオチはなかった。
#1989年の場合と同様、「西暦が9で終わる年には優勝できない」のジンクスを打破できていた。
#MVPはもちろん松坂が受賞。
#優勝を逃したダイエー・王監督はこの年限りで辞任か。その場合、ダイエーの黄金時代もなかったかも。
#日本シリーズでは中日と対決したが、さすがに打線の差がここで出て敗れる…?


===2000年に優勝していたら===
;西武
8月30日の時点で2位に3.5ゲーム差をつけるも、翌日からの8連敗が響き2位に終わる。
#大久保・清原をドラフト指名することはなかった。
#西武日本一の場合、東尾修が翌年、西武の監督を辞任することは無かったかもしれない。
#*広沢が指名されても清原指名は史実通りだろう。当初構想にあった清原のサードコンバートが実現していた。
#福岡ドームの使用権問題がなかったので、ダイエーの身売りが遅れていた可能性もある。
#巨人に移籍していなかったかもしれない。
#*この年の日本シリーズが変則的な日程になる事はなかった。
#1989年のシーズン途中でデストラーデを獲得することはなかった。
#松坂大輔の道路交通法違反の報道は日本シリーズ後に先送りされていただろう。


===2001年に優勝していたら===
;日本ハム
2001年、終盤まで近鉄とダイエーと優勝争いするも、最後は力尽きて3位に終わり、3年ぶりの優勝を逃した西武。もし、3年ぶりの優勝を達成していたら?
#大島康徳をトレードで獲得せず、大島の監督就任もなかった。
#近鉄はこの年優勝できなかったため、1989年以来日本シリーズに出場することなく球団は消滅した。
#*山本正之は「熱血ファイターズの歌」を制作しなかった(他の中日出身者が日本ハムの監督に就任していれば別の話だが)。
#第1戦の先発はもちろん松坂。
#*第5戦あたりに2度目の先発を任された。
#同じカードだった1992年・1993年同様、第7戦までもつれていたと思われる。
#*少なくとも、やはり同じカードだった1997年のような展開(ヤクルト4勝1敗)にはならなかった。
#東尾修の監督退任が遅れていた。
#*後任も伊原春樹ではなく伊東勤かもしれない。


===2002年に優勝を逃していたら===
===清原和博(1985)===
#優勝は近鉄かダイエーのものとなっていた。
*[[もし1985年プロ野球ドラフトで○○だったら]]
#序盤から首位を独走していたのに終盤に首位を逆転されるという展開だったら、伊原監督はこの年限りで辞任していたかも。
#*その場合、伊東監督の就任が1年前倒しになっていた可能性も。


===2003年に優勝していたら===
===阿波野秀幸(1986)===
#2003年の日本シリーズは1985年以来の顔合わせとなっていた。
※史実では近鉄に入団
#*仮に阪神を下し日本一になった場合、「18年前のリベンジを果たした」と言われていた。
#1987年パリーグ新人王は西崎幸広が獲得。
#史実通り2004年も優勝していた場合、4度目の3連覇(1度目は西鉄時代の1956~1958年、2度目は1985~1987年、3度目は1990~1992年)を達成していた。
#10.19決戦と1989年の近鉄優勝はなかった。
#史実通り王シュレット事件が起きたとしても、2003年の日本シリーズの中継に影響が出る事はなかった。
#指名された複数球団全てで出場した唯一の選手にはならなかった。


===2006年に優勝していたら===
;大洋
#ワールドカップ開催年優勝のジンクスを守った。
#史実通り1年目から活躍しセリーグ新人王を獲得。
#翌年のBクラスはなかったか。
#長年左のエースとして君臨し、史実通り1998年の横浜優勝にも貢献、引退まで大洋・横浜一筋で通した。
#*野村弘樹のブレイクが遅れる。
#巨人のコーチには就任しなかった。


===2010年に優勝していたら===
;巨人
一時はマジック4としながら終盤で大失速した西武。もし優勝できていたら?
#やはり先発の一角として活躍するが、長嶋監督時に構想から外れ横浜にトレード、その後は史実通り。
#少なくとも、CSでロッテにストレート負けを喫することはなかった。
#西武との日本シリーズで伊原春樹から執拗に抗議されボークを連発してしまう。
#*もっとも、2年ぶりの日本シリーズに進めたかどうかは別問題。それでもロッテがシリーズに進んでいたら…(以下略)
#*ロッテは多分相手がソフトバンク、日本ハムいずれの場合も第二ステージに進んでいた。
#渡辺監督続投はもっと早くに決まっていた。
#ユニフォームカラーをライオンズブルーの水色から黒に変えて2年目の優勝なので、のちに失速しても「ライオンズブルーに戻せ」という声が現実ほど大きくならなかった。


===2015年に優勝していたら===
===立浪和義(1987)===
#開幕大型連勝は吉兆のイメージが強かった。
※史実では中日に入団
#アイマスの疫病神伝説が減っていた。
;南海
#セ・リーグが史実通りなら日本シリーズは18年ぶりにヤクルト対西武となっていた。
#中日入団の場合と同様1年目からレギュラーを獲得し新人王に。
#翌年ダイエーが元木大介をハズレ1位で指名→入団拒否はなかった。
#*おそらく浜名千広、もしかしたらポジション的に考えると小久保や井口も他球団へ、となっていたかも知れない。
#**史実でも浜名は中日とダイエーで競合しているが。
#ダイエーの初優勝ももう少し早まっていた?
#本人の残した数字自体は史実とあまり変わらず2000本安打と二塁打の日本記録も達成していた。
#1987年の南海のドラフトがドラフト史上最大級の大当たりと言われる。(もっとも、立浪の外れで獲得したのが吉田豊彦で、それ以降も若井基安、柳田聖人、大道典嘉、吉永幸一郎、村田勝喜とそうそうたるメンバー。)


===2017年に優勝していたら===
;中日のその後
炎獅子ユニフォームの着用や球団タイの13連勝を記録するなどの快進撃があったものの2位に終わる。
#種田仁はトレードに出されず中日で現役生活を全うしていた。
#この年からファンになった佳村はるかは史実以上に勝利の女神扱いされていた。
#小学生の時キャンプで立浪にバットを貰ってファンに→立浪に憧れてPLに進学した、というエピソードのある福留孝介は中日に入団しなかった(おそらく巨人入り?)
#日本シリーズの対戦相手が広島なら、1991年と同じ対戦カードであると同時に、都道府県の組み合わせがその年の夏の高校野球決勝と同じということになっていた。
#*どっちにしても近鉄は蹴っていた。
#*日本シリーズの対戦相手が史実通りDeNAなら、1998年と同じ対戦カードになっていた。
#森野将彦や荒木雅博はレギュラー獲得が早まっていたかも。
#辻監督の就任1年目の優勝としても盛り上がった。


==千葉ロッテマリーンズ==
===長嶋一茂(1987)===
===1977年に優勝していたら===
※史実ではヤクルトに入団
1977年、後期優勝のロッテはプレーオフで前期優勝の阪急と対戦。最終戦までもつれ込んだが3勝2敗で敗退。もし、阪急を下して優勝していたら?
;大洋
#日本シリーズは、長嶋監督率いるジャイアンツとの対決となっていた。
#史実よりは出番を与えられて活躍出来ていたかも知れない。
#*カネやん率いるロッテオリオンズVS長嶋ジャイアンツの顔合わせとあって、現実よりも盛り上がっていた。
#外れ1位の盛田幸妃は他球団が指名していた可能性も。
#*後のダイエー対巨人の「ON対決」並みに話題となり、「ガムはロッテ、野球は巨人」のキャッチフレーズのCMも現実以上に有名になっていた。
#父親の巨人監督再就任とともに移籍、は史実通りか?
#もし日本一になっていたら、当時の本拠地・仙台でも優勝パレードを行っていた。
#背番号は当時空き番の5になっていた可能性が高そう(3番は高木豊の番号のため譲られなかっただろう)。
#*ちなみに、1974年に中日を倒して日本一になったとき、パレードは東京・銀座から新宿にかけて行われたのみで、仙台では行われず、大ひんしゅくを買ったことがある。


===1980年に優勝していたら===
===川崎憲次郎(1988)===
#日本シリーズは、広島東洋カープとの対決となっていた。
※史実ではヤクルトに入団
#「昭和時代、西暦の下1桁が0の年はロッテが優勝する」というジンクスが生まれていた。


===1984年に優勝していたら===
;巨人
1984年のロッテは後半戦に追い上げを見せるも首位阪急を最後まで捲る事は出来ず2位に終わりましたが、もしこの年にロッテが優勝できていたら?
#中日に移籍することはなかった。
#日本シリーズは、広島東洋カープとの対決となっていた。
#*勿論川崎祭も起きてない。
#*仮にセリーグの優勝チームが中日ドラゴンズだった場合(史実では2位)、10年前(1974年)と同じカードになっていた。
#吉田修司同様巨人では振るわずダイエーにトレードされていたかも。
#**その場合、後の落合博満の中日移籍がもっと話題を呼んでいた。


===1985年に優勝していたら===
===野茂英雄(1989)===
#日本シリーズは、阪神タイガースとの対決となっていた。
※史実では近鉄に入団
#*2005年の日本シリーズは20年ぶりの組み合わせとして、注目されていた。
;ロッテ
#落合博満とランディー・バースの三冠王対決が注目されていた。
#90年代にあと3~4回ぐらいAクラスに入れたかも
#バレンタイン監督に太鼓判を押されてメジャー行きか?
#*広岡GMと揉めてメジャーへ、ってあれ?誰かと全く同じだ…
#拒否され、翌年(社会人なので)再度複数球団による競合というシナリオも。
#*小池秀郎の行き先にも影響が及ぶ場合もある。
#*その場合、プロ入りは92年のバルセロナ五輪後まで無かった。
#*12球団OKじゃなかったっけ?


===1995年に優勝していたら===
;ダイエー
1995年のロッテは、10年近くの間4位にすら上がれなかったのが嘘のように活躍し、オリックスとは大差がつきながらも2位を確保しましたが、もしこの年にロッテが優勝できていたら?
#ダイエーの旧南海時代から続くBクラス更新は無かった
#これで実史通りバレンタイン監督が解任されようものなら、球団やGMは現実以上に叩かれまくっていた。
#99年と98年以外は優勝は出来なくともAクラスにはなっていたかも知れない
#*フリオ・フランコも尚更後味悪く退団することになったかも。
#野茂のメジャーへの移籍が遅れていたら藤井将雄のダイエー入団は実現しなかったかも知れない
#**あるいはもう少し長く在籍し、史実通りマット・フランコが入団して混同するファンが尚更多かったかも。
#元木大介は無事巨人入り。
#**フリオはボビーが監督務めている間はロッテに在籍していただろう。
#*元木の2位単独は当時の評価から考えて厳しいので抽選にはなりそう。
#1996年のオリックスは日本一になれなかったかも?
#ユニフォームをピンクから縦縞に変えた1年目なので現実以上にゲンのいいユニフォームになる。


===2000年に優勝していたら===
;オリックス
#巨人の石井浩放出が悔やまれていた。
#オリックスブレーブス元年、上田監督に「ええで」と言われ新人王。
#次の監督土井正三に「あんな出鱈目なフォームのヤツ、使えん」と言われ実力を発揮しつつも寡黙になる。
#*その翌シーズン(1992)には史実より3年早くアメリカへ旅立ってたかもしれない。
#そして仰木監督。イチロー、パンチと一緒に「ヒデオ」と登録名変更を要望されるも拒否。しかしマジックにも乗りオリックス4連覇(94年~97年)。全盛期を迎える。
#*佐藤和弘は外れ1位なのでこのケースだと入団していない可能性がある。
#**ただ佐藤は2位でも取れそうだがら入団はあり得ないとまではいえない。
#第一次仰木政権終了の01年末に退団→渡米も全盛を過ぎマイナー契約で終了。現役を終える。


===2010年に優勝していたら===
;日本ハム
3位とはいえ首位とのゲーム差が2.5と、リーグ優勝も不可能とは言えない状況でしたが、優勝できていたら?
#数年後「そのまんまハムの広告」と賞賛される。
#ロッテにとっては、36年ぶりのレギュラーシーズン1位となっていた。
#*江夏~矢作の後継者と呼ばれる
#*もちろんロッテが日本シリーズ進出の場合、「下剋上」は話題にならなかった。
#いろいろな意味で○モ○デオに関係のある某投手と比較される。
#第2ステージがロッテVSソフトバンクの場合、ファイナルステージは千葉マリンスタジアムで行われるため、ロッテの一方的な展開となっていたかもしれない。
#東京ドーム時代に1回は優勝出来ていた。


===2021年に優勝していたら===
;阪神
*史実ではオリックスと2.5ゲーム差ついての2位でした。
#大阪出身なので一躍大スターに。
#ロッテにとっては47年ぶりのレギュラーシーズン1位になっていた。
#中村監督に甘やかされた後、藤田監督と衝突、最終的に球団と対立し数年後メジャ…あれ?
#井口監督が名将としてロッテファンから崇められていた。
#*でも92年は優勝できたのかも
#パ・リーグMVPが益田になって、サファテ以来のクローザーからの選出になっていた可能性も・・・
#史実である葛西稔が他球団に指名されていた。
#*ただ山本由伸も投手5冠の成績だろうから、MVPの投票はかなり荒れていた可能性も・・・
#*よって彼が入団1年目にバッシングの標的に遭うことはなかった、というよりそれを糧に2年目以降実績を上げること自体なかったかも・・・
#日本シリーズの相手がヤクルトだった場合、監督同士がメジャー経験者という史上初の日本シリーズになっていた
#*もちろん「遠山→葛西→遠山→葛西」の投手リレーも存在しなかった。
#パ・リーグで優勝から最も遠ざかっているチームがオリックスのままだった。(史実ではロッテ)
#*彼が引退後阪神コーチとなって藤川球児をブレイクさせる下地を作ることもなく、藤川もひっそりと球界を去っていたかもしれない。
#**葛西氏が2位以下で阪神に指名されたかもしれないので、同氏については史実通りだったかも・・・。
#**ロッテが外れ1位で葛西を指名予定だったため、阪神が2位指名になることはありえなかった。
#***ロッテは外れ1位1番目で小宮山を獲ってるけど?


;大洋
#先発に野茂、抑えに佐々木という強力な投手陣が出来上がる。
#*野茂の外れ一位で佐々木が近鉄に。
#**それはない。佐々木は大洋以外狙ってなかったらしい。(佐々木と大学の同期、大塚(元西武)談)
#***でも、1位じゃなかったら佐々木は入団しなかったと思う。
#***日本ハムの大沢啓二(当時、常務)が大声で「佐々木で行こう」といったため、指名を繰り上げて1位で指名した。
#*斎藤隆は大洋ではなく中日に入団
#ベイスターズに改名した直後には優勝していた。


==オリックス・バファローズ==
;ヤクルト
===大阪近鉄バファローズ===
#ソウル五輪でバッテリーを組んだ古田との相性はバッチリ。ヤクルトは現実以上の黄金時代を築く。
====1969年に優勝していたら====
#*ノーコンを意に介さないピッチングスタイルは、次第に野村監督と古田をイラつかせる要因になっていった。
この年の近鉄は初めての首位争いを阪急と繰り広げましたが、10月の直接対決で3連敗して2位に終わりました。もしここで優勝していたら?
#「ヤクルトみんなでノモ」のCMがヒットし、人気者に。
#女性芸能人若しくは[[フジテレビ]]の女子アナと結婚していた。
#石井一久は指名されていないかもしれない。


#近鉄でも「三原マジック」が起こる。
;近鉄のその後
#*三原脩が史実より長く監督を務めた。
#他のパリーグチームに入団していた場合、90年代初頭には早くもBクラス常連チームへ転落。
#土井正博が日本シリーズで見られた。
#人気も低下し、20世紀中に球界再編の可能性も。
#*佐々木宏一郎も。
#MVPは鈴木啓示だったかも。
#巨人VS近鉄が史実より20年早く実現していた。


====1975年に優勝していたら====
==1990年代==
#日本シリーズは藤井寺球場で開催されていたが、デーゲームで行われた。
===小池秀郎(1990)===
#広島が日本一を決めた場合、1979年は、1975年のリベンジとして、注目された。
;全般
#社会人(松下電器)時代に成績を落とさなかったので、史実より活躍できていた。


====1978年に優勝していたら====
;近鉄
#日本シリーズは広岡監督の率いるヤクルトとの対戦になっていた。
#2年連続で当たりを引き当てた仰木監督は「ゴッドハンド」と呼ばれていた。
#*史実通りヤクルトが日本一を決めた場合、2001年は23年前のリベンジとして注目された。
#右の野茂、左の小池の両輪で悲願の日本一を達成した。
#阪急の上田利治氏は責任を取って、辞任していた。
#とはいうものの入団しただろうか?
#近鉄は大阪球場を借りて、行われていた可能性が高い。
#*巨人・ヤクルト・西武以外は拒否の方針だったので、近鉄入りは微妙なところ。
#*藤井寺球場で実施される確率は低い。
#*ロッテじゃなければという話もあったので、ごねたけど最終的には入団になりそうな気がする。


====1985年に優勝していたら====
;ヤクルト
#日本シリーズは阪神との関西対決で盛り上がっていた。
#高津臣吾も史実通り入団していたら、「亜細亜大学コンビ」と呼ばれていた。
#*強力打線(阪神:真弓・バース・掛布・岡田、近鉄:デービス・栗橋・羽田)とリリーフ投手(阪神:中西、近鉄:石本)で優勝したチームという共通点でも比較されていた。
#石井一久のブレイクが遅れていた。
#西武・広岡監督がこの年限りで辞任するのは史実通り。
#史実でヤクルトの外れ1位で指名された岡林洋一は当初の予定通りロッテが指名し入団していた。
#この年で引退した鈴木啓示は有終の美を飾れていた。


====1986年に優勝していたら====
;西武
1986年の近鉄は西武と終盤まで優勝を争ったものの2.5ゲーム差の2位に終わりました。もし優勝していたら?
#工藤公康の移籍後に左腕エースとして君臨。西武の黄金時代はさらに長くなっていた。
#岡本伊佐美はもう少し長く監督を務めていた。
#前年に続いて8番目にくじを引いた球団が当てたため「残り物には福がある」と言われた。
#*仰木彬の昇格が遅れる。
#高山郁夫(西武)⇔高木宣宏(広島)のトレードはなかった。
#石本貴昭への注目度が史実以上に上がった。
#*MVPに選ばれた可能性もある。
#*その分酷使の影響で翌年以降の成績がさらに下降していた。
#日本シリーズは広島と6年ぶり3度目の対戦になった。


====1988年に10・19決戦に勝利して優勝していたら====
;中日
1988年の近鉄はロッテのとダブルヘッダーに連勝すれば優勝というところまで行きましたが(10・19決戦)、第2戦に引き分けで優勝を逃しました。もし優勝できていたら?
#岐阜出身なので歓迎される。
#小島弘務か矢野輝弘のいずれかが指名されない。
#高木監督時代に優勝していた。
#1997年の最下位は回避できた。
#2000年と2002年のどちらかは移籍しなかったかもしれない。


#日本シリーズはおそらく最終戦までもつれていた。
;広島
#森監督(当時)はこの年限りで辞任?
#大野や川口の後釜と目される。
#日本シリーズは名阪対決で名古屋地区は盛り上がる。
#1996年は優勝していた。
#*[[大阪/河内|河内]]も盛り上がる。そして近鉄名古屋~橿原神宮前+橿原神宮前接続~藤井寺・大阪阿部野橋~藤井寺の直通特急か急行走って観客輸送に当たる。
#江藤と同時にFA移籍した可能性も。
#**近鉄沿線同士なので、もしかすると鉄道ファン(特に関西人と東海人)も注目していたかも。
#***この大阪と名古屋の日本シリーズのおかげで近鉄電車の名阪特急が現実以上に有名になる。
#****この日本シリーズがその近鉄特急にちなんで「アーバンライナーシリーズ」と呼ばれる。
#*****藤井寺へは大和八木→橿原神宮前乗り換えが推奨されていた。
#******アーバンライナーが大和八木駅に臨時停車していたかも。
#***名鉄と近鉄双方が乗り入れる名古屋駅はドえりゃ~事に…?
#***どちらが日本一になっても名古屋駅周辺でファンがどんちゃん騒ぎ!
#*東海地区の近鉄と中日の掛け持ちファンがどっちを応援するか迷う。
#*[[もし1988年のオリンピック開催地がソウルでなく名古屋だったら]]、尚更盛り上がっていた。
#近鉄にしてみればある程度勝手知ったるナゴヤ球場、中日は藤井寺球場に苦しめられ、日本一は近鉄に…、
#*と思いきや、名古屋から比較的近い藤井寺に多数のドラファンが押し寄せ、近鉄が苦戦、中日が日本一の座に輝く。
#*いずれにせよ、中日か近鉄のいずれかの球団の日本一回数が1つ増え、他球団ファンから馬鹿にされることがなくなっていた。
#*近鉄が日本一になった場合、中日・星野監督とフロントはブライアントを近鉄に放出した件でファンから大バッシングを受けていた。
#高沢秀昭ではなく松永浩美が首位打者になったかも。
#現実と同様この日に阪急が球団譲渡を発表していたら、皮肉にも関西の鉄道球団で明暗を分けてしまっていた。
#梨田昌孝の引退が1,2年遅れたかも。
#この年の近鉄グループは[[アーバンライナー]]のデビューや近鉄百貨店阿倍野店の増床と合わせて後々まで語り継がれていた。
#2004年の日本シリーズ「中日VS西武」は1982年以来22年ぶりという事になっていた。


====1989年に優勝を逃していたら====
===矢野輝弘(1990)===
1989年のパリーグは、近鉄・オリックス・西武によるパリーグ史上まれに見る争いとなり、最終結果も優勝した近鉄と3位の西武とがわずか0.5ゲーム差という壮絶なものでした。もし、近鉄が優勝を逃していたら?
史実では、巨人と中日の2位競合で抽選の結果、中日が交渉権を獲得。
;巨人
#村田真一と兼用で捕手を務めていた。
#*村田が年齢と共に出場機会が減った後、矢野は正捕手となる。
#阿部慎之助は巨人に逆指名で入団しなかった。
#*ファンであった阪神に逆指名で入団していたかもしれない。


#この年の日本シリーズに出られないので、優勝は2001年まで持ち越しとなっていた。
;中日のその後
#*「巨人はロッテより弱い」が問題視されることもなかった
#殆ど影響無し?
#この年の優勝は、西武かオリックスのものとなっていた。
#*史実で矢野が絡んだ大豊泰昭+1人⇔関川浩一・久慈照嘉のトレードの顔ぶれが変わっていた可能性がある。
#*上記のように西武のV10か下記のようにオリックスの身売り1年目の優勝となった。
#野口茂樹は1996年にノーヒットノーランを達成できたのだろうか?(史実では矢野とバッテリーを組んで達成)
#場合によっては、仰木監督の責任問題にも発展していた…かも。


====1991年に優勝していたら====
;阪神のその後
#1991年の日本シリーズは1980年以来の顔合わせとなっていた。
#正捕手は山田勝彦のままだった。
#第1戦の先発は野茂英雄氏に抜擢されていた。
#*当時の阪神は暗黒時代だったので、1998年以降の成績はもっと酷くなっていた。
#1979年・80年のリベンジを期待されていた。
#上記のように、阿部は阪神に逆指名で入団していた可能性がある。
#野茂英雄が日本シリーズで見られた。
#*その場合、当時の監督は野村克也だったので、彼に指導された分、リードは史実の巨人より少し良くなっていたかもしれない。
#*阿部が阪神に入って現実通り活躍出来ていれば、阪神も現実通りAクラスに浮上に黄金時代を築けていたかも。
#*2016年以降も阪神に在籍していれば、彼の父親の元チームメイトである掛布雅之と師弟関係になっていた。


====1992年に優勝していたら====
;全般
#仰木彬氏が監督として、引退することはなかった。
#声優の水樹奈々は矢野のファンになることはなかった。
#*鈴木啓示氏の監督就任はなかったか、史実よりも遅れて就任していた。
#*野球の知らない水樹奈々ファンにも矢野の名前が知れ渡ることはなかった。
#**野茂英雄の渡米も遅れていた。
#阪神にトレードされない限りあの引退試合はないと見られるので村田修一が引退試合キラーと言われることはなかった。
#*オリックスブルーウェーブの監督就任もなかったか遅れていた。
#2001年の日本シリーズでは、12年ぶりの顔合わせとして、注目された。
#*↑9年ぶりでは?
#第3戦の放送は朝日放送に、第4線の放送は毎日放送に、第5戦の放送は読売テレビ放送にそれぞれ割り当てられていた。
#仮に日本シリーズの対戦相手がヤクルトではなく阪神だった場合、関西ダービーとして注目された。


====1994年に優勝していたら====
===斎藤隆(1991)===
この年の近鉄バファローズは、6月下旬から8月上旬にかけて30勝6敗(勝率8割3分3厘)と驚異的な勢いを見せ、シーズン序盤の低迷(一時首位と16ゲーム差を付けられる)から追い上げるも、終盤失速して優勝を逃しました。もし、この勢いが持続し近鉄がリーグ優勝していたらどうなっていただろうか?
※史実では横浜に入団
#1996年の巨人「メークドラマ」や2008年「メークレジェンド」報道の際には、必ずこの年の近鉄が引き合いに出された。
;中日
#*ま、巨人がやったから大騒ぎされるんであって、っつー話ですよ。
#1998年は中日が優勝していた。
#*後に「藤井寺の奇跡」と呼ばれるようになる。
#*[[もし日本プロ野球であの球団が優勝していたら/セ・リーグ#中日ドラゴンズ|1994年や1996年も巨人ではなく、中日がリーグ優勝を果たしていた]]。
#さらに勢いが持てば日本一になり、日本一を一度も経験していない球団のレッテルを貼られることは無かった。
#ストッパーに転向していなかったかもしれない。
#*「もし1979年の日本シリーズで江夏が腹痛を起こし急遽休場していたら」「もし1989年の日本シリーズ第3戦後に加藤をお立ち台にださず、ブライアントをお立ち台に出したら」シリーズもできそうだな。
#*中日は伝統的にストッパーに恵まれてるチーム(斎藤隆のプロ入り後は中山裕章→宣銅烈→ギャラード→岩瀬仁紀)だから、2000年代に入っても先発で投げ続けていただろう。
#**「もし1989年の日本シリーズ第3戦後に加藤をお立ち台にださず、ブライアントをお立ち台に出したら」は、それでも変わらなかったかも。アレはお立ち台ではなく記者団とのインタビューから生まれたものだから。
#「ササキ様に願いを」は作られなかった。
#*同時に5年前のリベンジを果たした事になっていた。
#史実で斎藤隆の外れ1位として中日から1位指名された落合英二は2位で指名されていた(他球団は落合の故障を考慮して指名を見送っていた)。
#西武の黄金時代は早く終焉していた。
#この年の流行語大賞に当時監督だった鈴木啓二の「投げたらアカン」が候補に挙がったりして。
#鈴木監督は長期政権となり、佐々木恭介と梨田昌孝の監督就任は無かった。
#*そうなったら野茂はどうなる・・・。
#**野茂は渡米しなかったかも。
#***もししようとしても、フロントや首脳陣が止めた。
#***あるいはどっちみち見限って渡米したかも。
#***首脳陣との確執うんぬんが1番の理由だが、優勝した年のオフなので純粋に優勝を置き土産に旅立ったという認識されるかもしれない。


====2001年に優勝を逃していたら====
===松井秀喜(1992)===
#優勝は西武かダイエーのものとなっていた。
※史実では巨人に入団
#もちろん、あの「'''代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームラン'''」なんてなかった。
;阪神
#*「代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームラン」を放った北川選手は、地味なまま引退していたかも。
#阪神暗黒時代はなかったかも。
#**仮にレギュラー定着していても現実ほどの知名度はなかったかもしれないし、応援歌に「奇跡を呼び込む男」という歌詞はない。
#*松井が何人いようとどうにもならないと思えてしまうのが[[阪神タイガース/暗黒時代|阪神暗黒時代]]なのである。阪神の歴史はあんまり変わらなかったと思う。
#当時の主力選手は、この年のオフあたりにバファローズを離れていた。
#*ただ最下位と言う最悪の状況だけは免れる事が出来たかも知れない
#*中村紀洋は、この年のオフにポスティングで大リーグに移籍していた。
#*暗黒時代でもないが優勝にも届かない微妙な状況が続いたってことか?
#*タフィ・ローズも他球団に放出されていた?
#*優勝は出来なくとも、少なくともAクラス入りは何度か果たしていただろう。松井の加入によりチームの雰囲気が変わり選手が勢いづくだろうから。
#近鉄は史実より早く球団を手放したかも。
#**現実にはFAで入った金本や西岡がその役割を果たした。
#*その場合、史実のようにオリックスに吸収合併という形を取らず他社に売却、ということになっていたかも。
#*普通に中村監督時代に優勝できていたかもしれない。1992年の阪神の成績からみてありえない話じゃない。
#**その場合球界の再編やセ・パ交流戦の実施は行われなかった。
#**1993年か1994年にリーグ優勝していただろう。上手く行けば連覇とか?
#*オリックスとの合併が史実よりも早く行われた場合、ストライキ→球界再編と言った動きも数年早く行われていた。
#それどころか星野時代に史上初の連覇+日本一を達成していたりして。
#*もし近鉄が2003年に球団を手放していた場合、阪神が18年ぶりのリーグ優勝を果たしていただけに、皮肉にも在阪の私鉄系球団が明暗を分ける形になっていた。
#*というか、連覇以前に2002年のオフ後にさっさとヤンキースに移籍したと思う。
#*上のように、星野監督就任よりも以前に達成しているだろう。
#指導者に恵まれず1軍昇格がないまま退団。
#ヤンキースタジアムのスポンサー広告が'''何故か'''オレンジ色の「[[読売新聞|○○新聞]]」などではなく「[[朝日新聞]]」になっていた。
#*勢い余って一塁側には「大阪西川」、照明下には「川上塗料」、バックスクリーンには「[[三菱電機]]」。
#浜風の影響で意外とホームラン数は伸びていないと思う。東京ドームが本拠地の巨人と比べて5本ぐらい減るだろう。
#外野ではなく高校時代と同じ三塁を守っていたかも。
#*内野手のままだったら片岡が移籍しなかった。FAしたとしても別球団に行っていた。
#3番新庄・4番松井という黄金クリーンナップが実現していたかも。
#一部で阪神ファンだという話を疑問視する声があるので入団拒否して駒澤大学へ進学して4年後に逆指名で巨人入団なんて事も。
#*ドラフトでの表情を見る限り巨人ファンではなかっただろうし、事前に拒否してないのに突然入団拒否はありえないだろうと思う。
#萩原誠放出後に31をつけていたのは間違いない。
#天然芝の甲子園球場でプレーすることになったため、メジャー入りしてしばらくした後に怪我で悩まされるということはなかったかもしれない。


====2003年に優勝していたら====
;中日
#オリックスと合併することはなかった。
#巨人を差し置いて中日が松井在籍時に4回リーグ優勝または日本一に。
#*むしろ、オリックスが楽天に身売りしていた。
#少なくとも背番号は「55」ではなかったのは間違いない(大豊泰昭が王の年間55本塁打にあやかって着けていたので)
#対戦相手が阪神タイガースなので、関西ダービーとして、注目された。
#*有力なのは宇野のロッテ移籍で空いた「7」あたりか?
#王ウォシュレット事件と2003年の日本シリーズとの関係はなかった。
#**王貞治を超えることを目標に「56」とか「60」とかの可能性もある。
#*第1戦と第2戦の放送は、朝日放送に、第6戦の放送は、関西テレビに、第7戦の放送は毎日放送にそれぞれ割り当てられていた。
#松井の出身地の[[石川|石川県]]での[[石川のメディア#北陸中日新聞|北陸中日新聞]]の購読者が増えていた。
#**関西テレビでの放送が実現したので、近鉄繋がりで西本幸雄元監督が解説を務めていたかも。
#*その逆に北國新聞は活躍をほとんど報じなかった。そのため、石川県での人気は低かった。
#1996年最終戦での敬遠はなかった。
#*もし江藤智がシーズン途中で離脱せず、松井秀・山﨑・大豊との本塁打王争いに最後まで絡んでいた場合、広島バッテリーから敬遠策を仕組まれていた可能性はある?と思いきや、後ろに山﨑や大豊が控えてるならその可能性も低いだろう。
#福留孝介は入団しなかった可能性も。
#*福留は当初遊撃手。
#1994年・1996年は巨人ではなく中日が優勝していたかも知れない。
#*1998年(史実では横浜優勝)も中日が優勝していた。史実通り1999年も優勝すれば2連覇、さらに2000年も優勝できれば3連覇を達成していた。1997年もナゴヤドーム元年の最下位転落は免れていただろう(史実の松井はナゴドでも結構ホームランを打っていたので)。
#*1996年は「5番・中堅手」(史実では星稜高校の先輩である音重鎮がこの打順&ポジションだった)として、ダネル・コールズ、立浪和義、アロンゾ・パウエル、山﨑武司、大豊泰昭とともに「強竜打線」の一翼を担った。史実で本塁打王争いを繰り広げた松井秀・山﨑・大豊の567番トリオが猛威を振るい、同年の中日はヘタしたら90勝に到達できたかもしれない。
#入団時点では同姓の松井隆昌(1996年まで)・松井達徳(1997年まで)が中日に在籍していたため、表記は「松井秀」になっていた。


====2004年に優勝していたら====
;ダイエー
#近鉄ラストイヤーに有終の美を飾ることができた。
#活躍した場合、いつの間にかポスティングでメジャーに行ってしまっている。
#*もしかしたら、この優勝がきっかけで合併が撤回されていたかも?
#謎の無償トレードで[[読売ジャイアンツ|ナベ○ネ部隊]]にプレゼントされる。
#**親会社の経営難が相変わらず続いているので身売りで済ませられていた。
#王の後継者として期待される。
#この年の日本シリーズは、中日VS近鉄になっていた。
#*「門田2世」との呼び声も高かった。背番号も44になっていそう。
#*日本シリーズで中日を下し日本一も達成した場合、球団として最初で最後の日本一となっていた。
#ホークスの暗黒時代は1990年代中盤には終わっていた。
#ダリル・スペンサー氏とジーン・バッキー氏との投打における外国人選手対決が注目された。
#*生卵事件もなかった。
#星稜高校の1年先輩の村松有人とともに外野手でコンビを組んでいた。
#松中信彦が逆指名して入団しなかったかも知れない。
#高校時代と同じ内野手だった場合、小久保裕紀の指名はなかったか入団してもブレイクが遅れていた。


===阪急ブレーブス→オリックス・ブルーウェーブ===
;巨人のその後
====1964年に優勝していたら====
#おそらく戦力の劣化はほとんどないと思われる。
この年の阪急ブレーブスは前半戦を首位で終えましたが、8月から2位位に転落し、9月に0.5ゲーム差まで詰め寄りましたが、2位で終えました。もしリーグ優勝を果たしていたら…
#*ただチームの意気は今より下がっていたかもしれない。
#対戦相手が阪神タイガースなので、西宮シリーズとして、注目された。
#外野手補強のために稲葉や谷辺りが巨人に指名されていたかもしれない。
#*梅田近辺と甲子園球場近辺と西宮球場近辺では、ヤジ合戦が繰り広げられていた。
#長嶋監督の復帰の盛り上がりが小さくなっていたかも。
#*史実よりも観客動員数が多くなっていた。(史実では、観客動員数は歴代最少)
#「10.8決戦」やメークドラマも存在しないかも。
#ダリル・スペンサー氏とジーン・バッキー氏との投打における外国人選手対決が注目された。
#阪急ブレーブスは球団創設以来、初めてのリーグ優勝を史実よりも早く果たしていることになっていた。
#梶本隆夫氏は2桁勝利を挙げていた。
#*この年の日本シリーズ第1戦の先発は、梶本隆夫氏か米田哲也氏が抜擢されていた。
#1967年以降の阪急ブレーブスの観客動員数は史実よりも多くなっていたかもしれない。
#*観客動員数100万人突破は史実よりも早く実現していたかもしれない。(史実では、1986年に実現)


====1973年に優勝していたら====
;全てに言えること
#南海の野村克也選手兼任監督の解任が史実より早まっていたかもしれない。
#長嶋茂雄との師弟関係が出来なかったので、2013年の国民栄誉賞受賞はなかった可能性が高い。
#南海ホークスは1966年以降身売りまでリーグ優勝を果たすことはなかったことになっていた。
#*長嶋茂雄の国民栄誉賞受賞も死去後に?
#*場合によって、南海の身売りが早まっていたかもしれない。
#それでも、阪急は日本シリーズで巨人に敗れていたので、西本幸雄監督が辞任していたのは史実通り。


====1974年に優勝していたら====
===伊藤智仁(1992)===
#阪急ブレーブスはパ・リーグ5連覇を達成していた。
;広島
#この年の日本シリーズは、巨人のV10を阻止した中日との対戦になっていた。
#ヤクルトよりも選手生命が短くなってた可能性が高くなる。
#*このシリーズは後に「ドラクエ決戦」と呼ばれるようになった。
#投手コーチになり黒田・マエケンに高速スライダーを伝授していただろう。
#上田監督の就任1年目の優勝としても盛り上がった。
#ロッテの2005年の日本シリーズ出場は35年ぶり、日本一に至っては55年ぶりということになっていた。
#*ロッテは2020年現在に至るまで、50年間レギュラーシーズン1位でリーグ優勝を果たしていない。


====1979年に優勝していたら====
;オリックス
5連覇がかかっていた阪急、しかしこの年の前期は近鉄とは1ゲーム差の2位。後期は優勝も、近鉄とのプレーオフに3連敗で敗退。もし5連覇を達成していたら?
#小林宏は入団しなかった。
#この年の日本シリーズは、広島VS阪急の顔合わせとなっていた。
#*小林-オマリーの14球もなかった。
#もしかしたら「江夏の21球」は存在しなかったかもしれない。
#スローカーブの星野伸之と好対照をなしていた。
#*または「江夏の21球」は、阪急を相手にしたものとなっていた。
#広島の場合同様に選手生命は短くなっていた可能性が高くなる。
#5連覇は、パリーグ新となり歴史に名を残していた。
#当時なかなか優勝出来なかった阪神が阪急にファンを奪われていた可能性がある。


====1981年に優勝していたら====
===福留孝介(1995)===
#前期優勝を果たしていた可能性がある。
;全般
#上田利治氏が監督に復帰して、初めての優勝となった。
#中日・巨人以外に指名され拒否していた場合、福留個人については史実通り。


====1986年or1987年に優勝していたら====
;中日
#阪急電鉄は球団を身売りすることはなかったか史実より遅れていた。
#原俊介はすんなり巨人が獲得。
#1975年~1977年までのV3の再来と言われていた。
#荒木雅博の指名はなかった。
#*1998年ドラフトで井端弘和を指名していなかったかもしれない。
#**こちらは福留が史実通り外野に転向していれば可能性はあったかも。
#*いずれにせよ荒木・井端の名二遊間は誕生しなかった。
#*1999年ドラフトで中日は誰を1位指名していただろう?岩瀬は逆指名で2位だろうし・・・。
#**おそらく松坂大輔を指名していたはず。
#種田仁は中日で現役を全うしていた。
#*「タネダンス」をしていたのは中日の応援団だった。
#1996年と1998年に優勝していた。


====1989年に優勝していたら====
;巨人
1989年のパリーグは、近鉄・オリックス・西武による史上まれに見る争いとなり、最終結果も優勝した近鉄と3位の西武との差がわずか0.5ゲーム差という壮絶なものでした。オリックスは、優勝した近鉄にゲーム差なし、勝率1厘差で惜しくも2位に終わりました。<br>
#原俊介はすんなり中日が獲得。
ここで、近鉄ではなくオリックスが優勝していたら?
#*その代わり荒木雅博を2位指名か?
#1984年以来5年ぶりの優勝となっていた。
#*この年の中日2位は逆指名の門倉健なので、荒木を取るなら3位以下になる。
#門田が日本シリーズで見られた。
#2007年CSでの巨人惨敗もなかった。
#*ブーマーも日本シリーズを2度経験できていた。
#メジャー挑戦をもっと早くに表明していた可能性も?
#**ブーマーが門田とハイタッチしなかったか、しても脱臼してなければ十分優勝は可能だった。
#二岡が入団することはなく、山本モナは芸能活動を続行していた。
#阪急から身売りされた1年目に優勝となった。
#*史実通り外野手転向なら、高橋由伸の獲得に動かなかった可能性も{{極小|裏事情にもよるが}}。
#*現実でも、身売りされた1年目にリーグ優勝は珍しい方だ。
#*高橋由伸よりも清水が指名されていない。
#**身売りに限らず、チーム名を改名した1年目の優勝そのものは珍しい。
#佐々木恭介と出会わなかったので史実ほどの成績は残せない。
#サンテレビボックス席でのオリックス戦の中継本数が増えていた。
#*タイガース戦と五分五分になってたかも。
#宮内も「脱阪急」を無理に進めることはなかった。
#*もしかすると、「オリックス・ブレーブス」の名前も現実より長続きしていたかも。
#*ブルーウェーブへの改名はなかったし、マスコットのブレービーも引退しなかったかも。
#**もちろん当時の球団歌「問題ないね。」ももう少し長く使われていた。
#***しかし史実通り翌年に円広志が「青い稲妻」を製作していたらそちらの方が球団歌として定着していた可能性が高い。史実では球団名変更でわずか1年でお蔵入りになってしまった曲だが、それにはもったいないほどの隠れた名曲であるうえに、「問題ないね。」は子どもをターゲットにしていることと歌詞が二宮清純に批判されてたこともありそちらの方が妥当だろう。
#ただし日本シリーズでは、ペナントレースの燃え尽き症候群から、ジャイアンツに惨敗していただろう。
#*もちろん、近鉄のように3勝して王手をかけることもないかもしれない。
#**言うまでもないが「巨人はロッテより弱い」は存在しなかった。


====1994年に優勝していたら====
;オリックス
1994年のオリックスは「イチロー旋風」で一時は首位に立つも、最終結果は優勝した西武と7.5ゲーム差の2位(近鉄と同率)。もし、オリックスが優勝していたら?
#1年目に育成成功していたら谷は他球団に指名されていた。
#イチローは現実以上に大ブレイク。
#2学年上の福留宏紀と区別するためスコアボードでは「福留孝」と表記される。
#*仰木監督の注目度も現実以上。
#2000年代前半にメジャー移籍したか、山崎武司とトレードされていた。
#翌95年・96年も優勝できていただろうか・・・!?
#日本シリーズは、メークドラマの長嶋ジャイアンツVS仰木マジックのブルーウエーブの対戦で盛り上がっていた。
#*メークドラマは同じ長嶋ジャイアンツでも96年。この年は国民的行事こと10.8決戦を制した年。
#日本シリーズでもパンチ佐藤が見れた。


====1997年に優勝していたら====
;ヤクルト
1997年、西武の前に2位に終わりリーグ3連覇を逃したオリックス。もし、3連覇を達成していたら?
#岩村明憲は指名されていない。
#「仰木マジック」は現実よりも有名な言葉となっていた。
#池山隆寛の引退が早まっていた。
#神戸の街の盛り上がりは異常なものとなっていた。
#外野に転向した場合、真中満はレギュラーを獲れずじまいだった。
#この年は前年までの2連覇を支えたベテランがほとんどいなくなっていたが、若手中心のチームが活躍して、一定の評価を得ていた。
#*世代交代が進みのちの低迷もなさそう。
#仰木監督退任後の成績も、史実よりはマシだったかもしれない。
#*そもそも後の暗黒時代到来が遅れて、仰木さんの退任も数年遅れたかも。
#谷佳知はオリックス時代に優勝を経験できていた。
#暗黒時代真っ只中の阪神とは人気が完全に逆転した。


===合併後===
;近鉄は
====2005年に優勝していたら====
#外れ1位で澤井良輔を再競合していたか?
*史実ではプレーオフ進出を争って4位に終わった。
#当然「ヨッシャー」も話題にならず。
#球団合併した1年目の優勝として大盛り上がりだった。
#まあ、どっちにしてもチームの状況はあんまり変わらなかったということで…。
#*同年の球団創設1年目の楽天が優勝した場合と同様、旧大阪近鉄バファローズファンや旧オリックス・ブルーウェーブファンからの評価が上がっていた。
#**史実では不評だった、旧ブルーウェーブ風デザインの神戸用のホームユニフォームがもう少し使われていたかも。
#仰木さんは体力が続くまで監督を続けていたかも。
#*中村氏や大石氏の就任が遅れていた。
#*コリンズ氏が来日することもなかった。
#06年以降ももう少しまともな成績を残せたかも。
#プレーオフで勝ち進められていたら、日本シリーズは阪神との関西ダービーになった。
#*阪急ブレーブス時代に「西宮シリーズ」を、大阪近鉄バファローズ時代に「大阪決戦」をそれぞれ実現を期待されていたので往年からのファンの注目が大きかった。


====2008年に優勝していたら====
===原俊介(1995)===
#09年以降ももう少しまともな成績を残せたかも。
この年、[[中日ドラゴンズ|中日]]は1位で福留孝介を指名して外し、外れ1位で原俊介を指名して外し、外れの外れ1位で荒木雅博を獲得した。原と荒木のその後の活躍の差は周知の通り。
#*大石氏がもう少し監督を続けられていて、岡田氏と森脇氏の就任が遅れていた。
#史実でこの年に引退した清原和博は有終の美を飾れていた。
#*あるいはあと1、2年現役を続けていたかも。
#ビッグボーイズ打線と10勝カルテットがオリックスバファローズの象徴となっていた。
#*ローズかカブレラがMVPに輝いた。
#*小松が史実通り新人王に輝き、その後も現実以上に活躍している。
#*山本省吾も引退するまでオリックスで投げ続けていた。
#*近藤一樹も安定し続け、育成登録にならなかった。
#*金子千尋の最多勝獲得が1年早まったかも。
#合併後初の優勝になるので1年目に指揮を執った仰木元監督の遺影を掲げて胴上げしたかも。
#セ・リーグが史実通りなら日本シリーズは12年ぶりのオリックス対巨人となっていた。


====2014年に優勝していたら====
#でも荒木は3位ぐらいで獲ってた。
#ホークスが詰まっている間に勝ちを重ねていたか、最後のホークス戦で勝っていれば間違いなく優勝していただろう。
#*ちなみに2位は逆指名入団の門倉健。
#球界再編問題から10年後の優勝という事で、昨シーズンの楽天の日本一達成共々球界の歴史のターニングポイントとなっていたかもしれない。
#どっちにしろ中村武志が健在だったので出番は無かった。
#*報道でもバファローズ・ブルーウェーブの合併を思い重ねるような特集が組まれていただろう。
#小田幸平が中日に移籍しなかった。
#*前年の楽天と同様、04年の球界再編問題~05年の新球団1年目を懐かしむファンが現実以上に多かった。
#*落合監督は小田を高く評価していたので、いずれにせよ野口の人的補償でなくとも、原とトレードしてでも獲得していたと思う。
#優勝決定が2014年9月15日の場合、『「9月15日月曜日」に「18年ぶりの優勝」』ということで2003年の阪神優勝が引き合いに出されていた。
#仮に日本一になっていたら「10年以内に同一リーグのすべての球団が日本一」という日本プロ野球史上初の快挙が達成され、「まさにパ・リーグの時代だ」と称える評論家やスポーツライターが多数現れていた。
#*なお「10年以内に同一リーグのすべての球団がリーグ優勝」は1973~82年のパ・リーグが達成している(73年南海、74年ロッテ、75年阪急、79年近鉄、81年日本ハム、82年西武)。
#実際の通り、阪神が勝ちあがったら「関西ダービー」での日本シリーズが実現!
#この年にスタジアムDJ、アシスタントMCにそれぞれ就任した平野智一と竹村美緒が現実以上に勝利の女神扱いされる。
#*ダンス&ボーカルユニット「BsGirls」のブレイクも現実以上のものだった。
#ウィリー・モー・ペーニャは移籍せずに残留した。
#谷佳知と平野恵一の引退も1、2年遅れたかも。
#「オリ姫」ブームも現実以上のものとなった。
#*史実の翌15年に開催された「Bsオリ姫デー」も現実以上に盛り上がれた。
#この年にオリックス応援企画を放送した「ごぶごぶ」(毎日放送)で優勝記念特集が組まれた。
#現実のように阪神が終盤に失速していた場合、「人気実力共に阪神を上回った」「関西スポーツの代表はもはやオリックス」などという評価を得ていた。
#吉田一将か東明大貴が新人王に選ばれ、この年のパ・リーグのタイトルホルダーは現実以上にオリックスで占めていた。
#仮に翌年、史実通り低迷したとしても森脇監督がシーズン途中で監督を辞任するなんてこともなかった。
#*少なくとも森脇から切り出した場合、「優勝監督をこんな形で辞めさせるわけにはいかない」とフロントは必死に慰留していただろう。
#*福良淳一の昇格が遅れていた。
#あべのハルカス開業、春・夏両方の高校野球で関西勢(龍谷大平安・大阪桐蔭)が優勝、Jリーグもガンバ大阪が優勝するなど、この年はまさに大阪・関西の年だったと言われていた(阪神も史実通り日本シリーズに出場していたら尚更)。
#糸井は和製ベーブ・ルースの呼び声も高かった。


====2016年に優勝していたら====
===松坂大輔(1998)===
*史実ではオープン戦・パリーグ・交流戦・ウエスタンリーグ全て最下位に終わっていた。
※史実では西武に入団
#バファローズポンタが流行語大賞を受賞した可能性が…
;横浜
#*バファローズポンタの人気が現実以上だった。
#少なくとも2002年~2004年・2006年の最下位はなかったかも。
#前身である阪急からの球団創設80周年を飾れていた。
#*その他の年はともかく、'''2003~2004年'''はどんなに好投しても味方の貧打と中継ぎの乱調に足を引っ張られ、勝ち星がなかなか付かずに[[横浜DeNAベイスターズ|横浜]]の順位は変わらなかったと思う。
#この年の新人吉田正尚が現実以上に活躍できていたら可能性があったかも。
#**04年の場合打線だけ見れば優勝してもおかしく無いレベル
#*新人王に選ばれていたかも。
#*マルハがTBSへ株式を売却するところまでは現実通りあったとしても、DeNAへの身売りはなかったかもしれない。
#*「≒もし吉田正尚が腰痛で離脱せず新人王を争っていたら」とも言える。
#*その分阪神が現実よりも苦戦したかも。2003年と2005年のどちらかはリーグ優勝できなかったかもしれない。
#糸井嘉男が残留してた可能性もある
#背番号は1998年当時空き番だった17(過去に斉藤明夫らが使用)か27(平松政次らが使用)だった。
#横浜高校から横浜ベイスターズに入団したことから「ミスター横浜」という異名がつけられる。
#古木克明は(第一志望の)ダイエーに入団していた。
#*古木が小学校の卒業文集に「絶対に行きたくない球団は大洋」と書いていたことが話題にされることもなかった。
#**逆に「行きたい球団はダイエー」と書いていたと話題にされていた。
#史実通りの時期にポスティングでメジャー入り。
#99~01年の間に横浜がもう一度優勝できていた可能性もある。ただしいずれポスティングでメジャー移籍した後は史実通りの暗黒時代へ。
#*優勝できていた場合、[[もしあのプロ野球球団の監督が○○だったら#権藤博(横浜)|権藤監督は辞任せずに済んだかもしれない。]]
#99年には「新人にして開幕投手」の大偉業を達成し、この年まで在籍していた大魔神と組んで連覇を達成。ただし以後孤軍奮闘の末メジャーに移籍することになる。
#三浦と共に先発の柱で「W大輔」と間違いなく呼ばれていた。
#セリーグでは打席に立つため攻撃面でも大きく貢献した。


====2021年に優勝を逃していたら====
;日本ハム
#2014年の再来としてオリックスファンをもう一回落胆させていただろう。
#北海道移転前に1回くらい優勝していた。
#*若いチームだから来年以降頑張ろうとなっている可能性もあったかもしれない。
#06年奇跡の日本一を手土産にメジャーへ…
#*しかも前年最下位から2位だから、中嶋監督の評価はやはり高かったと思う。
#背番号は広瀬哲朗が引退して空き番になっていた1(史実では同年ドラフト5位の阿久根鋼吉が着ける)だった。
#山本由伸がMVPじゃなかったか、もしくは金子以来の2位チームからのMVPだったかもしれない。
#入団拒否→社会人入り、の可能性も…
#最後のロッテとの3連戦で2敗したことか七夕の楽天戦の逆転負けがものすごく悔やまれてそう。
#父の出身地である[[稚内市]]で主催試合が行われた。
#最終盤に吉田正尚をケガさせた大関に対するヘイトが今よりも大きくなっていたかも
#*同様に紅林を何試合か欠場させた千賀に対するヘイトも・・・
#杉本がリアル野球盤に呼ばれることはなく、ラオウポーズもさほど話題にならなかった


==福岡ソフトバンクホークス==
===新垣渚(1998)===
===1954年に優勝していたら===
※史実ではオリックスの指名を拒否
#1958年までに日本一になれていた。
;ダイエー
#*西鉄黄金時代の代わりに、南海黄金時代ができていた。
#無論オリックスの三輪田スカウトは自殺していない。
#*その場合、西鉄は優勝を果たせないまま移転していた可能性も。
#暴投記録更新は史実通りかも。
#南海・ダイエー・ソフトバンク全てと日本シリーズで対戦した最初のセリーグチームは中日になっていた。
#*2011年頃にはトレードされていたか、戦力外になっていた可能性もある。
#*この年中日対南海になっていた場合、中日は1954年南海、1999年ダイエー、2011年ソフトバンクと3世代のホークスと対戦したことになる。
#2002年のドラフト会議で、多田野数人氏を指名していた可能性が高い。
#1999年に新人王を巡って、西武の松坂大輔氏と争っていた。


===1963年に優勝していたら===
===田中賢介(1999)===
#「史上最大のV逸劇」は言うまでもなく2008年の阪神だった。
;中日
#*無論、西鉄ライオンズの優勝回数が1回減っていた。
#荒木か井端のどちらかが完全に外野に転向することになっていた。
#野村克也の年間本塁打記録更新に花を添えることができた。


===1968年に優勝していたら===
==2000年代==
#鶴岡監督のラストイヤーを飾れていた。
===寺原隼人(2002)===
#リーグMVPに「最後の30勝投手」皆川が選ばれる。
※史実ではダイエーに入団。
#矢野清の知名度は史実より低かった。
;共通する事
#ダイエー以外はセ球団(中日・巨人・横浜)からの指名だったため公式戦で近鉄と対戦する事が無く、何らかの形でソフトバンクに移籍したとしても13球団勝利は達成できていない。


===1994年に優勝していたら===
;巨人
#パリーグ初の「前年最下位からの優勝」は2001年の近鉄より前に実現していた。
#2003年の巨人投手陣の成績が少しだけまともになっていたかもしれない。
#福岡ドームの開場から2年目での優勝となっていた。
#ソフトバンクへのトレードもなかったかもしれない。
#*初めて全試合ドーム球場で開催した日本シリーズはこの年だった。
#*寧ろ、小久保裕紀と交換で移籍していた。
#**ただし屋根を開けたかもしれない。
#*前年オフの3:3トレードが奏功しての優勝と言われた。
#1996年の生卵事件はなかった。
#根本陸夫は監督としても高い評価を受けていた。
#*もちろん王貞治の監督就任はなかったかも。
#**元々根本本人は王貞治を監督にさせようと動いていたので、監督就任は史実通りだろう。
#現実より早く黄金時代に入っていた。
#*王貞治が監督に就任しなかったら黄金時代はなかったのでは。


===2001年に優勝していたら===
;横浜
2001年、終盤まで近鉄と西武と優勝争いするも、最後は近鉄に破れて2位に終わり、3連覇を逃したダイエー。もし、3連覇を達成していたら?
#2016年現在、横浜生え抜き投手として活躍していた。
#近鉄はこの年優勝できなかったため、1989年以来日本シリーズに出場することなく球団は消滅した。
#FAでソフトバンク行きか、多村仁志の復帰時にトレードで交換要員になっていた可能性も。
#小久保・松中・城島・井口と言ったメンバー擁する「ダイハード打線」は、もっと注目を集めていた。
#*そもそも多村仁はトレード放出されなかった。或いは、ソフトバンク以外の球団に放出されたかも。
#この年の日本シリーズは、ヤクルトVSダイエーになっていた。
#*日本シリーズでは、「ダイハード打線」が大爆発し、日本一はヤクルトではなくダイエーのものとなっていた。
#*鳥類同士の日本シリーズが14年早く実現した。


===2012年に優勝していたら===
===辻内崇伸(2005)===
#ペニーはこの場合、優勝に貢献できていたか。
* 関連項目:[[もしプロ野球であの事件が起きなかったら#2005年高校生ドラフトでの交渉権間違いがなかったら|2005年高校生ドラフトでの交渉権間違いがなかったら]]
#小久保引退試合が史実通りノーノーなら史実以上に水を差したとされたか。
;オリックス
#史実より長く活躍できており、肩の治療も行えていたかもしれない。
#女子プロ野球の指導者になっていたかは不明
#T-岡田は巨人が外れ1位で指名していた。
#*「T-岡田」は史実のオリックスで岡田監督就任等の経緯もあったので本名の「岡田貴弘」のまま。
#母校の大阪桐蔭と巨人の関係が悪化することもなかったかもしれない


===2016年に優勝していたら===
===陽仲壽(陽岱鋼)(2005)===
2016年、一時は2位日本ハムに11.5ゲーム差を付けるなど首位独走状態だったが、シーズン終盤の失速や日本ハムの追い上げなどで優勝を逃してしまったソフトバンク。もしこの年優勝していたら?
*関連項目:[[もしプロ野球であの事件が起きなかったら#2005年高校生ドラフトでの交渉権間違いがなかったら|2005年高校生ドラフトでの交渉権間違いがなかったら]]
#殆どのプロ野球ファンは「やっぱりな…」という反応だった。
;ソフトバンク
#*史実通りドラフトで田中正義を獲っていたら、2017年シーズンが始まる前から諦めムード状態に…。
#史実通り外野手に転向して活躍していたら、長谷川勇也・柳田悠岐・中村晃のいずれかはブレイクしていなかった。
#交流戦期間中のマジック点灯も実現していた。
#*柳田は地元の広島に指名されていたかも。
#*もしかしたら、1990年の巨人のリーグ優勝(9月8日)より早く、リーグ優勝を決めた可能性も…。
#ショートのままだった場合、川崎宗則の渡米まで活躍できなかった。
#果たして日本ハムはこの時14連勝できたんだろうか…
#*今宮健太を獲得していなかったかも。
#工藤監督の評価は前年のまま。
#史実通り同じ年に実の兄の耀勲も入団していたら、同一球団所属の兄弟選手として現実以上に話題となっていた。
#柳田悠岐がこの年の更改で減俸されることもなかった。
#*この場合、名前の読みは兄と揃えて「ヤン・チョンソ」としていた。
#栗山監督はこの年限りで解任ないしは辞任していたかもしれない。
#*大谷がメジャーに行くまでは契約という既定路線がある感じだからひとまず様子見なのではなかろうか。
#この年に開場したタマホームスタジアムの立地が問題視されることもなかった。
#翌シーズンも験を担いでスローガンは「熱男 2017」になっていた。
#これで史実通り日本ハムが日本一になれば、ファンや関係者の虚脱感は史実以上だった。
#*「史上最大の下克上」があちこちでいわれていた。
#熊本地震の被害を受けた九州を元気付ける優勝と語り継がれていた。
#史実通り博多駅前で陥没事故が起こったとしたら、優勝パレードのルートに影響していたためルートを決める議論が必要だったし、最悪中止になっていた。
#*そもそも熊本地震が発生した時点で自粛させられてそう。
#**いや、逆に熊本市とかから「被災者を元気づけてほしい」とパレード実施要請があって福岡だけじゃなく熊本でもパレード実施する可能性もあるのでは?
#史実通り2017年も優勝した場合、11球団ファンの落胆は相当なモノだった。
#*もうしそうだったら3連覇になるわけで…
#ロッテからアルフレド・デスパイネを獲得することもなかった。


===2018年に優勝していたら===
===田中将大(2006)===
#史実通り西武がCSファイナルで敗退しても、辻監督の号泣は無かったかもしれない。
※史実では楽天に入団
#「商魂こめて」みたいな感じで「いざゆけ老鷹軍団」という歌ができていた。
;全部に共通すること
#1年目から活躍し、新人王を取る可能性はまず無かった。
#2009年も楽天はBクラスだった。
#*2013年もリーグ優勝はおろか、Aクラスに入れたかどうかも微妙。
#2013年に24連勝無敗の偉業を達成することはなかった。


==関連項目==
;日本ハム
*[[もし日本プロ野球であの球団が優勝していたら/セ・リーグ]]
#投手陣が充実していたため1年目から先発は無かった。
*[[もしあの年のプロ野球プレーオフ・クライマックスシリーズで○○だったら/パ・リーグ]]
#斎藤佑樹は指名しなかった。
#吉川光夫は(大嶺祐太が史実通りなら)地元ソフトバンクの外れ1位として指名されていた。


[[カテゴリ:歴史のif検討委員会 日本プロ野球史|ふろやきゆうゆうしようは]]
;オリックス
#一応、出身地なので大いに歓迎された。
#もしかしたら2008年はリーグ優勝、2011年もクライマックスシリーズ進出を果たしていた。
#里田まいとは結婚していなかったかも知れない(日ハムは彼女の出身地、横浜も在京球団ということで出会いの接点はありそうだがここの場合は…)
#*その代わりに他の女性芸能人、もしくは在阪局の女子アナあたりが結婚相手だったかも?
 
;横浜
#1年目から先発で投げれていたが楽天と違ってチーム状態がアレなのでそんなに勝ち星は挙げられなかった。
#広島の前田健太とは同学年なので非常に強力なライバル関係になっていた。
#*同郷の巨人・坂本勇人の対決も注目されていた。
#2013年以降もDeNAに残留していた場合、2017年以降は番長から背番号「18」を引き継いだ。
 
===堂上直倫(2006)===
※史実では中日に入団
;巨人
#相思相愛だった中日ファンから「立派に育ってFAで中日に来い!」とエールを受ける。仮にそれが実現していれば巨人にとって駒田以来2人目の生え抜き選手FA他球団流出となった。
#坂本勇人は外れ1位で中日が獲得していた?
#*その場合、史実ほど活躍できていたかは微妙。
#*2020年時点で2000本安打に到達できていなかったかもしれない
 
;阪神
#野原将志を獲得することはなかった。
#甲子園で活躍したヒーローだが思うような実績を残せない…?
#*小林宏之をFAで獲得の際の人的保障でロッテへ、となっていたかも(史実では高濱卓也)
 
===中田翔(2007)===
※史実では日本ハムに入団
;全部に共通すること
#1軍に入れてた?
#*他の3球団はレギュラーが固定されていて、割り込むのが困難だっただろう。結局日本ハムが一番マシだったということになる。
#野手ではなく投手として指名されていたら?
 
;阪神
#福留は阪神に入団していなかっただろう。
#*福留は鹿児島出身なので、地元九州のソフトバンクに入団。
#*古巣中日への復帰もあった。
#本拠地が天然芝の球場になるので膝を痛める事は無く今でもレフトを守っていたかも。
#2020年に岡本和真と並ぶ本塁打王(を含む)と打点王による二冠王になっていた。
#翌年(2021年)での同僚選手に対する暴行事件で、埼玉西武へ無償トレードにした。
 
;ソフトバンク
#ドラフトでの柳田悠岐の指名と長谷川勇也、中村晃のブレイクはなかった可能性も。
 
===髙濱卓也(2007)===
※史実では阪神に入団
;横浜
#外れとは言え地元高校からの1位指名に大フィーバー。
#DeNA買収直後の時点で石川雄洋と二遊間を組み、倉本寿彦が入団するより数年早く『横高出身二遊間コンビ』が実現していた。
#田中健二朗は地元球団である中日が外れ外れ1位で指名か。
#2014年のドラフトで弟の祐仁もDeNAに指名されたかも。
 
===大田泰示(2008)===
※史実では巨人に入団。後に日本ハム、横浜DeNA。
;ソフトバンク
#巨人の外れ1位はもちろん長野久義。
#大田は指名を拒否して[[東海大学]]に進学していたかも。
#*その場合、巨人が2011年に菅野智之を外していたら更に悩ましいことに。
#結局は史実とあまり変わらず、か?
#*史実より一軍出場は多かったと思う。
#巨人の背番号55は空き番号のまま。
#*間違いなく松井の国民栄誉賞受賞を持って永久欠番になっていた。
#2022年から北海道日本ハムへ移籍した。
 
===松本啓二朗(2008)===
※史実では横浜に入団
;阪神
#赤星憲広の電撃引退後に中堅のレギュラーに抜擢される。
#*藤川俊介のブレークは多分無かった。
#*マット・マートンが阪神で中堅手を守る事は無かった。
#*2011年のドラフトで伊藤隼太が1位指名される事は無かったかも。
#横浜の1位指名は誰になっていただろうか。
#*松本以外の指名結果が史実通りだった場合藤江均(史実2位)か細山田武史(史実3位)が繰り上がっていた。
 
===菊池雄星(2009)===
※史実では西武に入団
;共通する事
#球団によっては2021年開幕時点で残留している。
#*或いは、史実より早く米球界に挑戦している。
#2018年の西武優勝は無かった。
#ソフトバンクを苦手とするのは多分史実通り。
#大久保博元の西武コーチ時代二度目の暴力問題は史実程騒がれない。
 
;楽天
#地元では大フィーバー。
#プロ入り後カモとしていた球団だっただけに史実程勝利数は伸びていない。
#*それでも2013年の日本一には貢献していた。
#史実通り大久保博元が首脳陣に入閣していた場合三度目の暴力問題が起きていたかも。
#*この場合監督には就任出来ていない。
 
;日本ハム
#大谷翔平が史実通りに入団した場合、『花巻東コンビ』で売り出していた。
#*菊池が抑えて大谷が打ってのWお立ち台もしばしば見られた。
#2016年の日本一に貢献していた。
#場合によっては史実より早く米球界に挑戦していた。
;中日
#翌年以降のドラフトが史実通りなら大野雄大と左腕二枚看板で売り出していた。
 
==2010年代==
===斎藤佑樹(2010)===
※史実では日本ハムに入団
;東京ヤクルト
#神宮のヒーローが帰ってくると大盛り上がり!
#神宮での初登板は、大フィーバーとなっていた。
#かつての荒木大輔の「大ちゃんフィーバー」を超える「佑ちゃんフィーバー」が起こっていた。
#史実で外れ1位で入団した山田哲人はクジの競合相手だったオリックスへ。
#*その結果、2014年のオリックスはリーグ優勝を達成し、2015年のヤクルトはリーグ優勝を逃していた。
#*高校時代と同様、先輩にちなんで「T-山田」と呼ばれていた。
#*オリックスは、翌年山田とポジションの被る安達了一を指名しなかった。
#**西野真弘の指名もなかった。
#*オリックス入団の場合でも史実のようにトリプルスリーを達成するような選手にまでなれていたかどうか?という部分はあるが、少なくともレギュラークラスで活躍していたのは間違いないだろう。
#*それでも史実の1位指名だった駿太は他球団が指名しなければ2位以下で獲っていたはず。
#斎藤は群馬県出身なので、ヤクルトの主催試合が前橋(敷島球場)で行われていた。
#1年目から活躍できていれば、2011年にヤクルトが優勝出来ていた。
 
;ソフトバンク
#大先輩の王会長のもと、英才教育が施される。
#ただ、活躍できなかった場合はとことん出番がなかったと思われる。
#*最悪の場合育成契約になっていた可能性も。
 
===山田哲人(2010)===
※史実ではヤクルトに入団
;オリックス
#オリックスは2011年はクライマックスシリーズ進出を、2014年には18年ぶりの優勝を果たしていた。
#*2014年のセ・リーグのCS優勝が史実通り阪神で、こちらもCS優勝していたら同年の日本シリーズは阪神×オリックスの関西ダービーになっていた。
#一方、ヤクルトの2015年は良くてAクラスになっていた、
#*日本シリーズに進出できても、ソフトバンクに4連敗していたと思われる。
#尽く高卒野手が育たないオリックスなので、史実通り育っていない可能性も多分にある。
#*もし史実通りトリプルスリーとか達成していた場合、何かとイチローと比較されていた。
#駿太は他球団か2位以下でオリックスに入団していただろう。
#*他球団の場合は登録名を「駿太」にせず、本名フルネームの「後藤駿太」だった。
#*他球団の場合は、背番号繋がりでローズと関連付けられることもなかった。
#兵庫県出身なので、ファンから「地元の星」として愛されていた。
#2021年の日本シリーズは史実とは逆にオリックスが日本一になっていた。
 
===菅野智之(2011)===
※史実では日本ハムの指名を拒否
;巨人
#それでもアンチ巨人からのバッシングは必至だが、史実よりはマシになっていた。
#当然ながら浪人した時以上に実戦勘は研ぎ澄まされてはいるだろうから、新人王を取っていた2013年(13勝6敗)よりもさらにえげつない成績を残したかも。
#*巨人は史実以上に大差をつけてセ・リーグを制覇していた。
#**CSにおける初戦からの3連敗もなかった。
#*となれば、2012年の新人王は野村祐輔ではなく菅野だった。
#日ハムの外れ1位はいったい誰になっていただろうか…。
#*松本剛を1位指名し、その他選手も史実通り順位を繰り上げる形で指名していた。
#この年の巨人の外れ1位松本竜也はどうなっていたか。
#*巨人と競合した横浜に入団していた?<!--その場合2015年の野球賭博には関与しなかったのでは?-->
#**DeNAだった場合、2014年オフに自由契約になっていた可能性もある。
#**笠原将生や福田聡志らともかかわることもないため少なくとも野球賭博に手を出すことはなかったかも?
#2012年に大累進を指名することも無く、日本ハムへ入団したと思われる(史実でもトレードで日本ハムへ移籍)。
#翌年、巨人の1位指名は誰になっていただろう?
#*東浜巨か藤浪晋太郎を指名していたか、或いは指名拒否覚悟で大谷翔平かもしれない。
#*2位で獲得候補だった鈴木誠也かも。
#背番号は最初から「18」を付けていた。
#*杉内俊哉は「21」あたりか。
 
===藤岡貴裕(2011)===
※史実ではロッテに入団。後に日本ハム→巨人へトレード。
;横浜
#高城俊人・白崎浩之と共にオリックスへ移籍していた。
#*少なくてもトレードでたらい回しにされる事は無かったのか?
#プロ入り後の活躍度合いは微妙だが、少なくともこの年の横浜のドラフトが『嫌がらせドラフト』と呼ばれる事は無かった。
#横浜の2位以下の指名結果が史実通りだった場合、松本竜也は巨人、北方悠誠はソフトバンクがそれぞれ2位で指名したか。
 
===藤浪晋太郎(2012)===
※史実では阪神に入団
;ヤクルト
#ライアン小川を抑えて新人王を獲得出来たかも。
#石山は指名されなかった。
#*その場合、2018年のヤクルトは交流戦優勝を逃しシーズンもAクラスに入れたかどうか微妙な所。
#2013年のヤクルトは最下位を免れていた。
#*2015年も日本一になれていた。
 
;ロッテ
#2013年に楽天を抑えてリーグ優勝あるいはCS優勝・日本シリーズ出場を果たしていたかも。
#*もちろん田中マー君の連勝を止めていた。
 
;オリックス
#史実の阪神と同様、地元の星として歓迎され注目される。
#2014年にリーグ優勝出来ていて、15年以降もまともな成績を残している。
#*2021年に日本一になれていた。
#2016年のドラフトで史実通り澤田圭佑が指名されていた場合、大阪桐蔭同級生コンビで売り出していた。
 
;阪神のその後
#2013年以降も低迷を続けていて、14年のCS優勝もなかった。
#*西岡や福留も移籍してこなかった場合尚更。
#*和田豊の監督退任が早まっただろう。
#和田豊が当たりくじを引けなかった分手のひら返しもないので、2012年のチームの不振を引きずるファンが現実より多かった。
#西岡との大阪桐蔭OBコンビもなかった。
#金本監督による「161球事件」は起こらず、母校である大阪桐蔭と阪神の関係が悪化することはなかった。
 
===石川歩(2013)===
※史実ではロッテに入団
;巨人
#ロッテは小林誠司(史実の巨人1位)を指名か。
#*そうなった場合、某所で「肘」と呼ばれることはなかったかも。
#巨人ではヒゲは禁止なのでイメージがガラリと変わっていた。
#「セ・リーグには行きたくなかった」と入団後のインタビューで語っているので入団拒否した可能性も(本人は子供の頃から大の中日ファン)。
#*その場合、翌年のドラフトで中日が単独1位指名。
#*そうなった場合、この年に巨人から支配下指名された選手は2021年3月の田口麗斗トレード移籍を以て全滅していた。
 
===大瀬良大地(2013)===
※史実では広島東洋に入団
;東京ヤクルト
#入団4年目の2017年をもって戦力外通告を受け、退団を余儀なくされていた。
#史実通りの活躍だったら2018年のヤクルトは優勝していた。
#被本塁打が相当なものになっていたかも。
#広島は2016年~2018年の3連覇を達成出来なかったかも。
 
;阪神
#岩貞祐太は日本ハムに入団していた。
#背番号は史実で岩貞が付けていた「17」だった。
#ドラフト同期の梅野隆太郎と同じ生年月日であることが話題を呼んだ。
#2014、15年の阪神は優勝出来ていた。
 
===松井裕樹(2013)===
※史実では楽天に入団
;DeNA
#地元出身選手の指名で大フィーバー。
#当時は金城龍彦が所属していた為、入団当初の背番号は「1」ではない。
#*史実通りに金城が退団した場合、活躍次第で与えられたかも。
#史実通り抑えとして定着した場合、山﨑康晃は新人王を獲れなかったかも。
#石橋杏奈との交際→結婚は史実通り?
#史実の外れ1位だった柿田裕太は阪神か日ハムへ。
#楽天の外れ1位指名で岩貞祐太を指名した可能性も。
#2017年のドラフト会議の指名結果が史実通りだった場合、楠本泰史(小中学校の同級生でベイスターズジュニアとシニアで共にプレー)とプロでもチームメイトに。
#*同じくチームメイトだった甲斐綾乃が球団職員になった際3人の対談動画が球団公式youtubeチャンネルに投稿されていた。
 
===有原航平(2014)===
※史実では日本ハムに入団。
;DeNA
#山﨑康晃は阪神に入団した。
#*翌年以降抑えの固定に苦しみ2010年代後半のチーム成績は史実の様な好成績にならなかった可能性も。
#**三嶋一輝の抑え起用が史実より早く見られたかも。
#史実通り1年目から活躍した場合2015年のリーグ優勝は微妙なまでもAクラスは有り得た。
#*この為、中畑政権は史実より1~2年長かったかも。
#2019年はDeNAがリーグ優勝し、それを置き土産に史実より1年早くメジャーに挑戦していた。
 
===山﨑康晃(2014)===
※史実ではDeNAに入団
;阪神
#呉昇桓が中継ぎになっていた。
#「小さな大魔神」と呼ばれることはなかった。
#横浜DeNAの抑えは三上朋也のままだった。
#ヤスアキジャンプをやることはなかった。
#そもそも最初からリリーバー起用を行っていたか疑問。
#*「先発ローテの一角を任される康晃」も多分にあったかもしれない。
 
===高山俊(2015)===
※史実では阪神に入団
;ヤクルト
#オリックスから坂口智隆を獲得することはなかった。
#河載勲は契約されていなかった。
#*背番号は「00」を背負っていた。
#**山田哲人の後を受けて「23」かも。
#***大成していた場合、青木復帰はなかった。
#真中監督の「幻のガッツポーズ」がネタにされることもなかった。
#阪神は外れ1位で誰を指名していたのやら?
#*同じ外野手のオコエ瑠偉を指名し楽天と競合していた可能性も?
#**そちらも外していた場合、坂本誠志郎が1位指名されて以下の選手の順位が繰り上がったか重信慎之介(史実の巨人2位)辺りを指名してお茶を濁していた。
#*逆に原樹理(史実のヤクルト外れ1位)を指名していたかもしれない。
#*競合回避或いは外れ1位候補といわれていた上原健太かも。
#2016年シーズンの阪神は現実以上の苦戦を強いられていた。
#*「超変革」の目玉選手が1人減っていた。
#*阪神とヤクルトの順位が逆になった可能性がある。
#阪神の現状を見ていると意外と史実よりも活躍したかも。
#*2021年のリーグ優勝→日本一にも貢献していた可能性もある。
 
===柳裕也(2016)===
※史実では中日に入団
;DeNA
#DeNAが2017年のポストシーズンで史実通りの善戦が出来たかは微妙。
#*但し、2位以下でも濱口遥大の指名に成功していたら別。
#球団通算4000勝になった際の勝利投手になっていた。
#入団3年目の2019年に最優秀防御率を獲得した。
#中日は次の指名でやはり他球団と同じく佐々木千隼だっただろうか。
#*そちらも外した場合、京田陽太が1位指名されて以下の順位が繰り上がっていたか吉川尚輝(史実の巨人1位)を指名して競合していた?
#2位以降のドラフトが史実通りであれば佐野恵太との同級生コンビ、或いは後年入団した伊勢大夢、入江大生と共に「明大カルテット」で売り出していた。
#2021年度オールスターゲーム出場できないどころか、森下暢仁(広島東洋)との明大リレーすらなかった。
#史実通りの成績を残せた場合2021年はAクラスこそ厳しいものの最下位は無かったかも。
 
===清宮幸太郎(2017)===
※史実では日本ハムに入団
;ヤクルト
#王柏融(北海道日本ハム)が球団通算8000本塁打になっていた。
#史実の外れ1位だった村上宗隆はクジの競合相手だった巨人か楽天へ。
#*清宮を外した日ハムが村上を指名→クジを引き当て史実とは所属球団が逆になっていた可能性も。
#高校時代より通い慣れた神宮球場でホームランを量産していただろう。
#村上に代わって史実より多少は活躍出来ていたかもしれない。
 
;巨人
#背番号は「55」を背負っていた。
#岡本和真のブレイクが遅れていた可能性がある。
#*岡本は三塁かレフトを守っていた。
#オリックスから中島宏之を獲得することはなかった。
#阿部慎之助は400本塁打を打てずに引退していた。
 
;阪神
#甲子園のヒーローが帰ってくると大盛り上がり!
#*甲子園での初出場は、大フィーバーとなっていた。
#2018年の阪神は最下位を免れていた。
#背番号は「31」を背負っていた。
#*著書でこれを提唱していた遠藤章造が喜ぶ。
 
;ソフトバンク
#大先輩の王会長のもと、英才教育が施される。
#背番号は「3」を背負っていた。
#*松田宣浩は史実より1年早く背番号を「5」に戻していた。
#2018年のレギュラーシーズンはリーグ優勝できていた。
#*このチームの育成方針を考えると、1年目から一軍出場できなかった可能性も高いので結局同じかも。
 
===村上宗隆(2017)===
※史実ではヤクルトに入団
;楽天
#球団初の開幕6連勝で波に乗り、令和になって初のパ・リーグ優勝した後、その年の日本シリーズで4タテ(史実ではソフトバンク)による日本一になった。
#*35本塁打で、令和になって初のパ・リーグMVPを獲得した(入団2年目によるMVPは、稲尾和久投手(57年 元西鉄)・杉浦忠投手(59年 元南海)で、打者は史上初)。
#千葉ロッテから鈴木大地をFA獲得する事は無かったかも。
#2019年のセの新人王は近本光司が受賞した。
#楽天の主砲となり、現在に至る。
 
;巨人
#捕手として育てていたので、数年は二軍暮らしだった。
#*2019年のセの新人王は近本光司が受賞した。
#*日本代表に選ばれるのは早くて2020年代中旬以降。
#岸田、大城のうち、どっちかは指名しなかった。
#*巨人は、二位で亜細亜大学の高橋(史実の阪神二位)を指名していた。
#史実通り活躍していた場合、2021年は巨人がリーグ優勝していた。
#*優勝していなくてもシーズン勝ち越しで終えていた。
 
===馬場皐輔(2017)===
※史実では阪神に入団
;ソフトバンク
#飯田優也(ソフトバンク)・松田遼馬(阪神)によるトレードは破談していた。
 
===根尾昂(2018)===
※史実では中日に入団
;日本ハム
#「大谷2号」として、注目されていた。
#先輩の中田翔氏から可愛がられていた。
#*2021年に同僚選手に対する暴行事件を起こして巨人へトレードされることもなかったかもしれない。
#吉田輝星氏は指名されることはなかったかもしれない。
 
;巨人
#「守備で内野には使えない」と判断され、一年目から外野にコンバートされた。
#高橋優貴が獲得出来なかったため、2021年は苦戦していたかも。
#*高橋は根尾を外した中日が指名していた。
#**その場合、スコアボードなどの表記では「高橋優」になっていた。
 
;ヤクルト
#史実より早い段階から一軍でも遊撃での出場機会が得られた。
#上茶谷大河は小園海斗を外したDeNAが一本釣りか。
#2位以降でも清水昇を指名出来なかった場合2021年に日本一どころかリーグ優勝すら達成できていたか危うい。
#翌年のドラフトで長岡秀樹か武岡龍世のどちらかはヤクルトに指名されなかったかも。
 
;中日のその後
#外れ1位は甲斐野央(ソフトバンクの外れ外れ1位)か2位の梅津晃大が繰り上がっていた。
#ドラフト戦略が見直され翌年以降立て続けに地元出身高卒選手(2019年石川昂弥、2020年高橋宏斗)を1位指名しなかった可能性も。
 
===藤原恭大(2018)===
※史実ではロッテに入団
;楽天
#浅村栄斗氏が移籍することはなかったかもしれない。
 
;阪神
#地元のスター選手として注目されていた。
#史実の1位指名入団である近本は他球団が指名していた。
#*2019年の阪神はAクラスになれなかった可能性が大。
#**もしロッテが近本を取り史実レベルに活躍した場合、ロッテがAクラスになっていたかも。
 
===小園海斗(2018)===
※史実では広島に入団
;DeNA
#遊撃は大和がレギュラーだったため1年目から史実通りに試合に出られたかは微妙だが……。
#*仮に史実通りに試合に出ていた場合、倉本寿彦、石川雄洋、中井大介の出場機会は史実より少なくなり、柴田竜拓のブレークもやや遅れた。
#*1年目から遊撃以外の守備位置での出場機会があったかも。
#宮崎敏郎が所属していたため、背番号は「51」では無い。
#*多分、白崎浩之のトレード移籍で空き番号となっていた「6」を付けていた。
#翌年のドラフトで森敬斗がDeNAに1位指名されることは無かったかも。
#*森下暢仁を指名して2年連続で広島と競合していたか、逆に広島が森を単独指名した。
#上茶谷大河は根尾昂を外したヤクルトが一本釣りか。
#2021年のドラフト指名結果が史実通りだった場合1位指名の小園健太とユニフォームの背ネームがややこしい事に(どちらも「K.KOZONO」なので)。
 
;オリックス
#史実通り試合に出ていた場合安達了一は史実より早く二塁にコンバートされていた。
#2021年のリーグ優勝には間違いなく貢献していた。
#太田椋(史実1位)か紅林弘太郎(2019年2位)のどちらかはオリックスに指名されなかった。
 
===佐々木朗希(2019)===
※史実ではロッテに入団
;楽天
#千葉ロッテから涌井秀章氏が金銭トレードで獲得することはなかった。
#背番号は「18」を背負っていた。
 
;日本ハム
#背番号は「11」を背負っていた。
#同じ岩手県の高校から日本ハムに入団したこともあって、名実共に「大谷2世」として、大注目されていた。
#監督の栗山英樹氏から可愛がられていた。
#*「朗希」と下の名前で呼ばれるのは確実だろうな。
 
==2020年代==
===佐藤輝明(2020)===
※史実では阪神に入団
;共通
#2021年の阪神はBクラスに低迷していた。
#*代わりに広島がCS出場を果たしていた。
#*巨人には15年連続の負け越しとなっていた。
 
;ソフトバンク
#2021年4月9日対東北楽天戦=楽天生命パーク宮城で場外ホームランを放った。
#ソフトバンクは2021年のCS出場を果たせていた。
#ルーキーながらベストナインに選出した。
#同じくモノノフである石川柊太と意気投合していた。
 
;巨人
#坂本勇人、岡本和真、丸佳浩、梶谷隆幸、ゼラス・ウィーラーらと超重量打線が誕生していた。
#*巨人の打撃成績はさらにえげつないものになっていた
#*2021年のセ・リーグは巨人がぶっちぎり優勝していた。もちろん終盤の10連敗もない。
#*特に阪神ファンから目の敵にされていた。
#*恐らく2021年の新人王を獲得していた。
#田口麗斗と廣岡大志のトレードは行われてなかった可能性が高い
#助っ人外国人も取ってなかったか、スモークとテームズのどちらか一人のみになってた可能性もある
#平内龍太は阪神が外れ1位で一本釣りか
#背番号は恐らく、自身が抜く前に関西学生野球リーグ通算本塁打記録を保持していた二岡智宏にちなんだ「7」。
#*近畿大学の先輩でもあるから、本人の励みになったこと請け合い。
 
 
;オリックス
#2021年の日本シリーズはオリックスが日本一になっていた。
#関西球団なので、「地元の星だ」と喜ばれていた。
#杉本裕太郎が遅咲きでブレイクしなかったかも。
#背番号は近畿大学の先輩でもある糸井嘉男から「7」を受け継いでいる。
#新人王をチームメイトの宮城大弥と争っていた。
 
===早川隆久(2020)===
※史実では楽天に入団
;ロッテ
 
# 同郷・球団の先輩で、かつ早稲田大学での恩師でもある小宮山悟監督から、喜んで送り出された。
 
===小園健太(2021)===
※史実では横浜DeNAに入団
;阪神
#森木大智が高校生ドラフトで2位に指名していた。
 
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2022年4月10日 (日) 15:29時点における版

1980年代以前

江夏豊(1966)

※史実では阪神に入団

巨人
  1. 1968年の奪三振がさらに増えていた。
  2. 高橋一三とともに左腕の二枚看板を形成する。
  3. 南海か日本ハムへトレードされた可能性もある。
  4. 現実と真逆に阪神の打者(特に田淵幸一あたり)との因縁の対決が話題になる。
  5. 引退後にクスリに手を出さなかった可能性がある。
東映
  1. 尾崎行雄に代わる先発のエースとして定着。
  2. 日本ハムへの売却時に放出されたかも。
  3. 高橋直樹はトレードされず、引退まで日本ハムに所属していた。
阪急
  1. 2年後入団した福本と共に「W豊」と呼ばれる。
  2. 黄金時代がもう少し長く続いていた。
  3. 山口高志はずっと先発主体だった。
  4. トレードで広島か中日に移籍していたかもしれない。

江川卓(1978)

木田勇(1978)

※史実では広島の指名を拒否→翌年日本ハムに入団

大洋
  1. 在京(というか地元)球団なので当然入団していた。
    • 広島の指名を拒否したのは両親の病気が理由だったため。
  2. 1979年の大洋は優勝できていたかもしれない。
    • そうなれば「江夏の21球」も存在しなかった。

岡田彰布(1979)

※史実では阪神に入団

  1. 1985年に優勝できていなかった可能性が高い。
  2. 某CMからどんでんと言われることも、阪神の監督にもなっていない。
阪急
  1. 当時の打線に更に磨きがかかっていた。
  2. 三塁ではなく、外野に転向していたか?
  3. 松永の代わりに阪神へトレードされた。
  4. 仰木監督退任後、石毛ではなく岡田がブルーウェーブの監督を務めた。
    • 「29-1」が「33-4」になっていたかも。
  5. 1985年以降も何度か優勝出来ていたかも。
西武
  1. 石毛の三塁転向は遅れていた。
  2. 1985年も日本一になれた。
南海
  1. 大阪出身ということで歓迎される。
  2. 王監督の後任になっていた可能性が高い。
  3. 藤原満の引退後三塁に再転向した。
  4. 連続Bクラスがダイエーに代わるまで続いていなかったかも。
近鉄
  1. 1980年は日本一になり前年の雪辱を果たす。
  2. 大石より先にバファローズの監督に就任した。

原辰徳(1980)

※史実では巨人に入団

  1. 80年代の巨人は暗黒時代になっていた可能性が高い。長嶋解任・青田問題・江川事件の暗い影を史実より長く引きずっていただろう。
  2. 日本ハムがクジを引いていたら入団拒否→江川事件の再来となっていたかも。
    • 入団したなら、2011年に菅野智之を引いても拒否されない。
    • 巨人以外は全て入団拒否だったのでは…?
      • 大洋は入団容認していたはず。もし大洋なら遠藤との東海大コンビで騒がれただろう。
  3. 無論巨人の監督にも就任せず、2000年代後半以降の優勝回数が減っていた。
  4. 入団拒否→浪人だった場合、翌年槙原寛己は巨人に指名されなかった。
広島
  1. 川口和久は他球団に指名されていた。
    • 巨人だったら引退まで巨人に居れたかも?
  2. 史実の三塁手ではなく、二塁手になっていた。
  3. 当然あの手首負傷はない。
  4. 2000本安打も達成していたはず。
大洋
  1. 1~4位まで全員当たりという大成功ドラフトになっていた。(2位の堀井は指導者として成功)
  2. FAで駒田を取りに行っていなかった。
    • 屋鋪・高木豊も横浜で引退していた。
  3. 2000年代中盤に監督就任、よって大矢明彦の再任はなかった。
    • もしくは権藤博の後任あたりで就任し森祇晶が横浜の監督になることもなかったかも。
  4. 背番号は巨人に移籍した松原誠の後を受けて25が有力か?
    • 応援歌に「エイトマン」の替え歌が使われることはなく、「ニコニコ笑顔」というフレーズが入っていた。
  5. 80年代~90年代半ばの大洋(横浜)は優勝までとは行かなくとも史実より成績も良くAクラスに入った回数も増えていたはず。
    • 史実で3位になった1983年に優勝できていたかも。その場合、翌年最下位に転落することはなかった。
  6. 田代富雄は史実より早く一塁手にコンバートされていた。
    • 近藤貞雄は山下大輔と高木豊の守備位置を入れ替えるだけでよかった。
  7. ロッテからレオン・リーをトレードで獲得することはなかった。

石毛宏典(1980)

※史実では西武に入団

阪急
  1. バンプ・ウィルスの加入はなかった。
  2. 1984年の日本シリーズでは、日本一になっていた。
  3. オリックスの監督就任の際に問題になることはなかった。

金村義明(1981)

※史実では近鉄に入団

阪急
  1. 地元に加えて本人も意中の球団、ということで歓迎されていたのは間違えない。
  2. 打者転向は史実通りだが、三塁には松永浩美がいたので外野手になっていた?

荒木大輔(1982)

※史実ではヤクルトに入団

巨人
  1. 史実より引退が早くなっていた。
  2. 巨人に斎藤雅樹が入団しないため、巨人の90年代の優勝回数が減っていた。
  3. 王監督就任時に野手への転向を打診される。

野口裕美(1982)

※史実では西武に入団

中日

  1. 1年後輩の山本昌さんとともに若手サウスポーコンビとして売り出されていた。
  2. 東京六大学の投手の先輩である星野仙一監督(明治大学出身)からは、かわいがられたかもしれない。

阪急

  1. 1年後輩の星野伸之さんとともに若手サウスポーコンビとして売り出されていた。
  2. 立教大学を一般入試で現役合格したインテリで、理論派で読書家の上田利治監督から一目おかれた。
  3. 仮に、野球で大成できなくても、慶應義塾大学野球部出身で当時ブレーブス広報を務めていた小川友次さんが宝塚歌劇団理事長を歴任したように、阪急阪神グループの関連企業・組織の経営に携わっていた可能性あり(史実では西武退団後、大日本スクリーン製造-いまのSCREENホールディングス-に入社し、系列企業の執行役員も務めた)。また、東京六大学の先輩の小川さんが、よき相談相手になっていたかも?

高野光(1983)

※史実ではヤクルトに入団

  1. いずれにせよ新人開幕投手は務めていなかった。
西武
  1. 渡辺久信が入団せず、西武の優勝回数が減っていた。
    • 渡辺←→高野のトレードがあったかも。
  2. 渡辺が西武監督に就任することはなかった。
大洋
  1. 銚子利夫は他球団に指名されていた。
    • 長内孝は広島で現役を全うした。
阪急(オリックス)
  1. 投手層の薄い阪急で史実より活躍していた。
  2. 1984年の日本シリーズでは、日本一になっていたかもしれない。
  3. 阪急電鉄の広告やCMに出演していたかも。
  4. 引退後、オリックスでコーチを務めていていたのは史実通り。

広沢克己(1984)

※史実ではヤクルトに入団

西武
  1. 大久保・清原をドラフト指名することはなかった。
    • 広沢が指名されても清原指名は史実通りだろう。当初構想にあった清原のサードコンバートが実現していた。
  2. 巨人に移籍していなかったかもしれない。
  3. 1989年のシーズン途中でデストラーデを獲得することはなかった。
日本ハム
  1. 大島康徳をトレードで獲得せず、大島の監督就任もなかった。
    • 山本正之は「熱血ファイターズの歌」を制作しなかった(他の中日出身者が日本ハムの監督に就任していれば別の話だが)。

清原和博(1985)

阿波野秀幸(1986)

※史実では近鉄に入団

  1. 1987年パリーグ新人王は西崎幸広が獲得。
  2. 10.19決戦と1989年の近鉄優勝はなかった。
  3. 指名された複数球団全てで出場した唯一の選手にはならなかった。
大洋
  1. 史実通り1年目から活躍しセリーグ新人王を獲得。
  2. 長年左のエースとして君臨し、史実通り1998年の横浜優勝にも貢献、引退まで大洋・横浜一筋で通した。
    • 野村弘樹のブレイクが遅れる。
  3. 巨人のコーチには就任しなかった。
巨人
  1. やはり先発の一角として活躍するが、長嶋監督時に構想から外れ横浜にトレード、その後は史実通り。
  2. 西武との日本シリーズで伊原春樹から執拗に抗議されボークを連発してしまう。

立浪和義(1987)

※史実では中日に入団

南海
  1. 中日入団の場合と同様1年目からレギュラーを獲得し新人王に。
  2. 翌年ダイエーが元木大介をハズレ1位で指名→入団拒否はなかった。
    • おそらく浜名千広、もしかしたらポジション的に考えると小久保や井口も他球団へ、となっていたかも知れない。
      • 史実でも浜名は中日とダイエーで競合しているが。
  3. ダイエーの初優勝ももう少し早まっていた?
  4. 本人の残した数字自体は史実とあまり変わらず2000本安打と二塁打の日本記録も達成していた。
  5. 1987年の南海のドラフトがドラフト史上最大級の大当たりと言われる。(もっとも、立浪の外れで獲得したのが吉田豊彦で、それ以降も若井基安、柳田聖人、大道典嘉、吉永幸一郎、村田勝喜とそうそうたるメンバー。)
中日のその後
  1. 種田仁はトレードに出されず中日で現役生活を全うしていた。
  2. 小学生の時キャンプで立浪にバットを貰ってファンに→立浪に憧れてPLに進学した、というエピソードのある福留孝介は中日に入団しなかった(おそらく巨人入り?)
    • どっちにしても近鉄は蹴っていた。
  3. 森野将彦や荒木雅博はレギュラー獲得が早まっていたかも。

長嶋一茂(1987)

※史実ではヤクルトに入団

大洋
  1. 史実よりは出番を与えられて活躍出来ていたかも知れない。
  2. 外れ1位の盛田幸妃は他球団が指名していた可能性も。
  3. 父親の巨人監督再就任とともに移籍、は史実通りか?
  4. 背番号は当時空き番の5になっていた可能性が高そう(3番は高木豊の番号のため譲られなかっただろう)。

川崎憲次郎(1988)

※史実ではヤクルトに入団

巨人
  1. 中日に移籍することはなかった。
    • 勿論川崎祭も起きてない。
  2. 吉田修司同様巨人では振るわずダイエーにトレードされていたかも。

野茂英雄(1989)

※史実では近鉄に入団

ロッテ
  1. 90年代にあと3~4回ぐらいAクラスに入れたかも
  2. バレンタイン監督に太鼓判を押されてメジャー行きか?
    • 広岡GMと揉めてメジャーへ、ってあれ?誰かと全く同じだ…
  3. 拒否され、翌年(社会人なので)再度複数球団による競合というシナリオも。
    • 小池秀郎の行き先にも影響が及ぶ場合もある。
    • その場合、プロ入りは92年のバルセロナ五輪後まで無かった。
    • 12球団OKじゃなかったっけ?
ダイエー
  1. ダイエーの旧南海時代から続くBクラス更新は無かった
  2. 99年と98年以外は優勝は出来なくともAクラスにはなっていたかも知れない
  3. 野茂のメジャーへの移籍が遅れていたら藤井将雄のダイエー入団は実現しなかったかも知れない
  4. 元木大介は無事巨人入り。
    • 元木の2位単独は当時の評価から考えて厳しいので抽選にはなりそう。
オリックス
  1. オリックスブレーブス元年、上田監督に「ええで」と言われ新人王。
  2. 次の監督土井正三に「あんな出鱈目なフォームのヤツ、使えん」と言われ実力を発揮しつつも寡黙になる。
    • その翌シーズン(1992)には史実より3年早くアメリカへ旅立ってたかもしれない。
  3. そして仰木監督。イチロー、パンチと一緒に「ヒデオ」と登録名変更を要望されるも拒否。しかしマジックにも乗りオリックス4連覇(94年~97年)。全盛期を迎える。
    • 佐藤和弘は外れ1位なのでこのケースだと入団していない可能性がある。
      • ただ佐藤は2位でも取れそうだがら入団はあり得ないとまではいえない。
  4. 第一次仰木政権終了の01年末に退団→渡米も全盛を過ぎマイナー契約で終了。現役を終える。
日本ハム
  1. 数年後「そのまんまハムの広告」と賞賛される。
    • 江夏~矢作の後継者と呼ばれる
  2. いろいろな意味で○モ○デオに関係のある某投手と比較される。
  3. 東京ドーム時代に1回は優勝出来ていた。
阪神
  1. 大阪出身なので一躍大スターに。
  2. 中村監督に甘やかされた後、藤田監督と衝突、最終的に球団と対立し数年後メジャ…あれ?
    • でも92年は優勝できたのかも
  3. 史実である葛西稔が他球団に指名されていた。
    • よって彼が入団1年目にバッシングの標的に遭うことはなかった、というよりそれを糧に2年目以降実績を上げること自体なかったかも・・・
    • もちろん「遠山→葛西→遠山→葛西」の投手リレーも存在しなかった。
    • 彼が引退後阪神コーチとなって藤川球児をブレイクさせる下地を作ることもなく、藤川もひっそりと球界を去っていたかもしれない。
      • 葛西氏が2位以下で阪神に指名されたかもしれないので、同氏については史実通りだったかも・・・。
      • ロッテが外れ1位で葛西を指名予定だったため、阪神が2位指名になることはありえなかった。
        • ロッテは外れ1位1番目で小宮山を獲ってるけど?
大洋
  1. 先発に野茂、抑えに佐々木という強力な投手陣が出来上がる。
    • 野茂の外れ一位で佐々木が近鉄に。
      • それはない。佐々木は大洋以外狙ってなかったらしい。(佐々木と大学の同期、大塚(元西武)談)
        • でも、1位じゃなかったら佐々木は入団しなかったと思う。
        • 日本ハムの大沢啓二(当時、常務)が大声で「佐々木で行こう」といったため、指名を繰り上げて1位で指名した。
    • 斎藤隆は大洋ではなく中日に入団
  2. ベイスターズに改名した直後には優勝していた。
ヤクルト
  1. ソウル五輪でバッテリーを組んだ古田との相性はバッチリ。ヤクルトは現実以上の黄金時代を築く。
    • ノーコンを意に介さないピッチングスタイルは、次第に野村監督と古田をイラつかせる要因になっていった。
  2. 「ヤクルトみんなでノモ」のCMがヒットし、人気者に。
  3. 女性芸能人若しくはフジテレビの女子アナと結婚していた。
  4. 石井一久は指名されていないかもしれない。
近鉄のその後
  1. 他のパリーグチームに入団していた場合、90年代初頭には早くもBクラス常連チームへ転落。
  2. 人気も低下し、20世紀中に球界再編の可能性も。

1990年代

小池秀郎(1990)

全般
  1. 社会人(松下電器)時代に成績を落とさなかったので、史実より活躍できていた。
近鉄
  1. 2年連続で当たりを引き当てた仰木監督は「ゴッドハンド」と呼ばれていた。
  2. 右の野茂、左の小池の両輪で悲願の日本一を達成した。
  3. とはいうものの入団しただろうか?
    • 巨人・ヤクルト・西武以外は拒否の方針だったので、近鉄入りは微妙なところ。
    • ロッテじゃなければという話もあったので、ごねたけど最終的には入団になりそうな気がする。
ヤクルト
  1. 高津臣吾も史実通り入団していたら、「亜細亜大学コンビ」と呼ばれていた。
  2. 石井一久のブレイクが遅れていた。
  3. 史実でヤクルトの外れ1位で指名された岡林洋一は当初の予定通りロッテが指名し入団していた。
西武
  1. 工藤公康の移籍後に左腕エースとして君臨。西武の黄金時代はさらに長くなっていた。
  2. 前年に続いて8番目にくじを引いた球団が当てたため「残り物には福がある」と言われた。
  3. 高山郁夫(西武)⇔高木宣宏(広島)のトレードはなかった。
中日
  1. 岐阜出身なので歓迎される。
  2. 小島弘務か矢野輝弘のいずれかが指名されない。
  3. 高木監督時代に優勝していた。
  4. 1997年の最下位は回避できた。
  5. 2000年と2002年のどちらかは移籍しなかったかもしれない。
広島
  1. 大野や川口の後釜と目される。
  2. 1996年は優勝していた。
  3. 江藤と同時にFA移籍した可能性も。

矢野輝弘(1990)

史実では、巨人と中日の2位競合で抽選の結果、中日が交渉権を獲得。

巨人
  1. 村田真一と兼用で捕手を務めていた。
    • 村田が年齢と共に出場機会が減った後、矢野は正捕手となる。
  2. 阿部慎之助は巨人に逆指名で入団しなかった。
    • ファンであった阪神に逆指名で入団していたかもしれない。
中日のその後
  1. 殆ど影響無し?
    • 史実で矢野が絡んだ大豊泰昭+1人⇔関川浩一・久慈照嘉のトレードの顔ぶれが変わっていた可能性がある。
  2. 野口茂樹は1996年にノーヒットノーランを達成できたのだろうか?(史実では矢野とバッテリーを組んで達成)
阪神のその後
  1. 正捕手は山田勝彦のままだった。
    • 当時の阪神は暗黒時代だったので、1998年以降の成績はもっと酷くなっていた。
  2. 上記のように、阿部は阪神に逆指名で入団していた可能性がある。
    • その場合、当時の監督は野村克也だったので、彼に指導された分、リードは史実の巨人より少し良くなっていたかもしれない。
    • 阿部が阪神に入って現実通り活躍出来ていれば、阪神も現実通りAクラスに浮上に黄金時代を築けていたかも。
    • 2016年以降も阪神に在籍していれば、彼の父親の元チームメイトである掛布雅之と師弟関係になっていた。
全般
  1. 声優の水樹奈々は矢野のファンになることはなかった。
    • 野球の知らない水樹奈々ファンにも矢野の名前が知れ渡ることはなかった。
  2. 阪神にトレードされない限りあの引退試合はないと見られるので村田修一が引退試合キラーと言われることはなかった。

斎藤隆(1991)

※史実では横浜に入団

中日
  1. 1998年は中日が優勝していた。
  2. ストッパーに転向していなかったかもしれない。
    • 中日は伝統的にストッパーに恵まれてるチーム(斎藤隆のプロ入り後は中山裕章→宣銅烈→ギャラード→岩瀬仁紀)だから、2000年代に入っても先発で投げ続けていただろう。
  3. 「ササキ様に願いを」は作られなかった。
  4. 史実で斎藤隆の外れ1位として中日から1位指名された落合英二は2位で指名されていた(他球団は落合の故障を考慮して指名を見送っていた)。

松井秀喜(1992)

※史実では巨人に入団

阪神
  1. 阪神暗黒時代はなかったかも。
    • 松井が何人いようとどうにもならないと思えてしまうのが阪神暗黒時代なのである。阪神の歴史はあんまり変わらなかったと思う。
    • ただ最下位と言う最悪の状況だけは免れる事が出来たかも知れない
    • 暗黒時代でもないが優勝にも届かない微妙な状況が続いたってことか?
    • 優勝は出来なくとも、少なくともAクラス入りは何度か果たしていただろう。松井の加入によりチームの雰囲気が変わり選手が勢いづくだろうから。
      • 現実にはFAで入った金本や西岡がその役割を果たした。
    • 普通に中村監督時代に優勝できていたかもしれない。1992年の阪神の成績からみてありえない話じゃない。
      • 1993年か1994年にリーグ優勝していただろう。上手く行けば連覇とか?
  2. それどころか星野時代に史上初の連覇+日本一を達成していたりして。
    • というか、連覇以前に2002年のオフ後にさっさとヤンキースに移籍したと思う。
    • 上のように、星野監督就任よりも以前に達成しているだろう。
  3. 指導者に恵まれず1軍昇格がないまま退団。
  4. ヤンキースタジアムのスポンサー広告が何故かオレンジ色の「○○新聞」などではなく「朝日新聞」になっていた。
    • 勢い余って一塁側には「大阪西川」、照明下には「川上塗料」、バックスクリーンには「三菱電機」。
  5. 浜風の影響で意外とホームラン数は伸びていないと思う。東京ドームが本拠地の巨人と比べて5本ぐらい減るだろう。
  6. 外野ではなく高校時代と同じ三塁を守っていたかも。
    • 内野手のままだったら片岡が移籍しなかった。FAしたとしても別球団に行っていた。
  7. 3番新庄・4番松井という黄金クリーンナップが実現していたかも。
  8. 一部で阪神ファンだという話を疑問視する声があるので入団拒否して駒澤大学へ進学して4年後に逆指名で巨人入団なんて事も。
    • ドラフトでの表情を見る限り巨人ファンではなかっただろうし、事前に拒否してないのに突然入団拒否はありえないだろうと思う。
  9. 萩原誠放出後に31をつけていたのは間違いない。
  10. 天然芝の甲子園球場でプレーすることになったため、メジャー入りしてしばらくした後に怪我で悩まされるということはなかったかもしれない。
中日
  1. 巨人を差し置いて中日が松井在籍時に4回リーグ優勝または日本一に。
  2. 少なくとも背番号は「55」ではなかったのは間違いない(大豊泰昭が王の年間55本塁打にあやかって着けていたので)
    • 有力なのは宇野のロッテ移籍で空いた「7」あたりか?
      • 王貞治を超えることを目標に「56」とか「60」とかの可能性もある。
  3. 松井の出身地の石川県での北陸中日新聞の購読者が増えていた。
    • その逆に北國新聞は活躍をほとんど報じなかった。そのため、石川県での人気は低かった。
  4. 1996年最終戦での敬遠はなかった。
    • もし江藤智がシーズン途中で離脱せず、松井秀・山﨑・大豊との本塁打王争いに最後まで絡んでいた場合、広島バッテリーから敬遠策を仕組まれていた可能性はある?と思いきや、後ろに山﨑や大豊が控えてるならその可能性も低いだろう。
  5. 福留孝介は入団しなかった可能性も。
    • 福留は当初遊撃手。
  6. 1994年・1996年は巨人ではなく中日が優勝していたかも知れない。
    • 1998年(史実では横浜優勝)も中日が優勝していた。史実通り1999年も優勝すれば2連覇、さらに2000年も優勝できれば3連覇を達成していた。1997年もナゴヤドーム元年の最下位転落は免れていただろう(史実の松井はナゴドでも結構ホームランを打っていたので)。
    • 1996年は「5番・中堅手」(史実では星稜高校の先輩である音重鎮がこの打順&ポジションだった)として、ダネル・コールズ、立浪和義、アロンゾ・パウエル、山﨑武司、大豊泰昭とともに「強竜打線」の一翼を担った。史実で本塁打王争いを繰り広げた松井秀・山﨑・大豊の567番トリオが猛威を振るい、同年の中日はヘタしたら90勝に到達できたかもしれない。
  7. 入団時点では同姓の松井隆昌(1996年まで)・松井達徳(1997年まで)が中日に在籍していたため、表記は「松井秀」になっていた。
ダイエー
  1. 活躍した場合、いつの間にかポスティングでメジャーに行ってしまっている。
  2. 謎の無償トレードでナベ○ネ部隊にプレゼントされる。
  3. 王の後継者として期待される。
    • 「門田2世」との呼び声も高かった。背番号も44になっていそう。
  4. ホークスの暗黒時代は1990年代中盤には終わっていた。
    • 生卵事件もなかった。
  5. 星稜高校の1年先輩の村松有人とともに外野手でコンビを組んでいた。
  6. 松中信彦が逆指名して入団しなかったかも知れない。
  7. 高校時代と同じ内野手だった場合、小久保裕紀の指名はなかったか入団してもブレイクが遅れていた。
巨人のその後
  1. おそらく戦力の劣化はほとんどないと思われる。
    • ただチームの意気は今より下がっていたかもしれない。
  2. 外野手補強のために稲葉や谷辺りが巨人に指名されていたかもしれない。
  3. 長嶋監督の復帰の盛り上がりが小さくなっていたかも。
  4. 「10.8決戦」やメークドラマも存在しないかも。
全てに言えること
  1. 長嶋茂雄との師弟関係が出来なかったので、2013年の国民栄誉賞受賞はなかった可能性が高い。
    • 長嶋茂雄の国民栄誉賞受賞も死去後に?

伊藤智仁(1992)

広島
  1. ヤクルトよりも選手生命が短くなってた可能性が高くなる。
  2. 投手コーチになり黒田・マエケンに高速スライダーを伝授していただろう。
オリックス
  1. 小林宏は入団しなかった。
    • 小林-オマリーの14球もなかった。
  2. スローカーブの星野伸之と好対照をなしていた。
  3. 広島の場合同様に選手生命は短くなっていた可能性が高くなる。

福留孝介(1995)

全般
  1. 中日・巨人以外に指名され拒否していた場合、福留個人については史実通り。
中日
  1. 原俊介はすんなり巨人が獲得。
  2. 荒木雅博の指名はなかった。
    • 1998年ドラフトで井端弘和を指名していなかったかもしれない。
      • こちらは福留が史実通り外野に転向していれば可能性はあったかも。
    • いずれにせよ荒木・井端の名二遊間は誕生しなかった。
    • 1999年ドラフトで中日は誰を1位指名していただろう?岩瀬は逆指名で2位だろうし・・・。
      • おそらく松坂大輔を指名していたはず。
  3. 種田仁は中日で現役を全うしていた。
    • 「タネダンス」をしていたのは中日の応援団だった。
  4. 1996年と1998年に優勝していた。
巨人
  1. 原俊介はすんなり中日が獲得。
    • その代わり荒木雅博を2位指名か?
    • この年の中日2位は逆指名の門倉健なので、荒木を取るなら3位以下になる。
  2. 2007年CSでの巨人惨敗もなかった。
  3. メジャー挑戦をもっと早くに表明していた可能性も?
  4. 二岡が入団することはなく、山本モナは芸能活動を続行していた。
    • 史実通り外野手転向なら、高橋由伸の獲得に動かなかった可能性も裏事情にもよるが
    • 高橋由伸よりも清水が指名されていない。
  5. 佐々木恭介と出会わなかったので史実ほどの成績は残せない。
オリックス
  1. 1年目に育成成功していたら谷は他球団に指名されていた。
  2. 2学年上の福留宏紀と区別するためスコアボードでは「福留孝」と表記される。
  3. 2000年代前半にメジャー移籍したか、山崎武司とトレードされていた。
ヤクルト
  1. 岩村明憲は指名されていない。
  2. 池山隆寛の引退が早まっていた。
  3. 外野に転向した場合、真中満はレギュラーを獲れずじまいだった。
近鉄は
  1. 外れ1位で澤井良輔を再競合していたか?
  2. 当然「ヨッシャー」も話題にならず。
  3. まあ、どっちにしてもチームの状況はあんまり変わらなかったということで…。

原俊介(1995)

この年、中日は1位で福留孝介を指名して外し、外れ1位で原俊介を指名して外し、外れの外れ1位で荒木雅博を獲得した。原と荒木のその後の活躍の差は周知の通り。

  1. でも荒木は3位ぐらいで獲ってた。
    • ちなみに2位は逆指名入団の門倉健。
  2. どっちにしろ中村武志が健在だったので出番は無かった。
  3. 小田幸平が中日に移籍しなかった。
    • 落合監督は小田を高く評価していたので、いずれにせよ野口の人的補償でなくとも、原とトレードしてでも獲得していたと思う。

松坂大輔(1998)

※史実では西武に入団

横浜
  1. 少なくとも2002年~2004年・2006年の最下位はなかったかも。
    • その他の年はともかく、2003~2004年はどんなに好投しても味方の貧打と中継ぎの乱調に足を引っ張られ、勝ち星がなかなか付かずに横浜の順位は変わらなかったと思う。
      • 04年の場合打線だけ見れば優勝してもおかしく無いレベル
    • マルハがTBSへ株式を売却するところまでは現実通りあったとしても、DeNAへの身売りはなかったかもしれない。
    • その分阪神が現実よりも苦戦したかも。2003年と2005年のどちらかはリーグ優勝できなかったかもしれない。
  2. 背番号は1998年当時空き番だった17(過去に斉藤明夫らが使用)か27(平松政次らが使用)だった。
  3. 横浜高校から横浜ベイスターズに入団したことから「ミスター横浜」という異名がつけられる。
  4. 古木克明は(第一志望の)ダイエーに入団していた。
    • 古木が小学校の卒業文集に「絶対に行きたくない球団は大洋」と書いていたことが話題にされることもなかった。
      • 逆に「行きたい球団はダイエー」と書いていたと話題にされていた。
  5. 史実通りの時期にポスティングでメジャー入り。
  6. 99~01年の間に横浜がもう一度優勝できていた可能性もある。ただしいずれポスティングでメジャー移籍した後は史実通りの暗黒時代へ。
  7. 99年には「新人にして開幕投手」の大偉業を達成し、この年まで在籍していた大魔神と組んで連覇を達成。ただし以後孤軍奮闘の末メジャーに移籍することになる。
  8. 三浦と共に先発の柱で「W大輔」と間違いなく呼ばれていた。
  9. セリーグでは打席に立つため攻撃面でも大きく貢献した。
日本ハム
  1. 北海道移転前に1回くらい優勝していた。
  2. 06年奇跡の日本一を手土産にメジャーへ…
  3. 背番号は広瀬哲朗が引退して空き番になっていた1(史実では同年ドラフト5位の阿久根鋼吉が着ける)だった。
  4. 入団拒否→社会人入り、の可能性も…
  5. 父の出身地である稚内市で主催試合が行われた。

新垣渚(1998)

※史実ではオリックスの指名を拒否

ダイエー
  1. 無論オリックスの三輪田スカウトは自殺していない。
  2. 暴投記録更新は史実通りかも。
    • 2011年頃にはトレードされていたか、戦力外になっていた可能性もある。
  3. 2002年のドラフト会議で、多田野数人氏を指名していた可能性が高い。
  4. 1999年に新人王を巡って、西武の松坂大輔氏と争っていた。

田中賢介(1999)

中日
  1. 荒木か井端のどちらかが完全に外野に転向することになっていた。

2000年代

寺原隼人(2002)

※史実ではダイエーに入団。

共通する事
  1. ダイエー以外はセ球団(中日・巨人・横浜)からの指名だったため公式戦で近鉄と対戦する事が無く、何らかの形でソフトバンクに移籍したとしても13球団勝利は達成できていない。
巨人
  1. 2003年の巨人投手陣の成績が少しだけまともになっていたかもしれない。
  2. ソフトバンクへのトレードもなかったかもしれない。
    • 寧ろ、小久保裕紀と交換で移籍していた。
横浜
  1. 2016年現在、横浜生え抜き投手として活躍していた。
  2. FAでソフトバンク行きか、多村仁志の復帰時にトレードで交換要員になっていた可能性も。
    • そもそも多村仁はトレード放出されなかった。或いは、ソフトバンク以外の球団に放出されたかも。

辻内崇伸(2005)

オリックス
  1. 史実より長く活躍できており、肩の治療も行えていたかもしれない。
  2. 女子プロ野球の指導者になっていたかは不明
  3. T-岡田は巨人が外れ1位で指名していた。
    • 「T-岡田」は史実のオリックスで岡田監督就任等の経緯もあったので本名の「岡田貴弘」のまま。
  4. 母校の大阪桐蔭と巨人の関係が悪化することもなかったかもしれない

陽仲壽(陽岱鋼)(2005)

ソフトバンク
  1. 史実通り外野手に転向して活躍していたら、長谷川勇也・柳田悠岐・中村晃のいずれかはブレイクしていなかった。
    • 柳田は地元の広島に指名されていたかも。
  2. ショートのままだった場合、川崎宗則の渡米まで活躍できなかった。
    • 今宮健太を獲得していなかったかも。
  3. 史実通り同じ年に実の兄の耀勲も入団していたら、同一球団所属の兄弟選手として現実以上に話題となっていた。
    • この場合、名前の読みは兄と揃えて「ヤン・チョンソ」としていた。

田中将大(2006)

※史実では楽天に入団

全部に共通すること
  1. 1年目から活躍し、新人王を取る可能性はまず無かった。
  2. 2009年も楽天はBクラスだった。
    • 2013年もリーグ優勝はおろか、Aクラスに入れたかどうかも微妙。
  3. 2013年に24連勝無敗の偉業を達成することはなかった。
日本ハム
  1. 投手陣が充実していたため1年目から先発は無かった。
  2. 斎藤佑樹は指名しなかった。
  3. 吉川光夫は(大嶺祐太が史実通りなら)地元ソフトバンクの外れ1位として指名されていた。
オリックス
  1. 一応、出身地なので大いに歓迎された。
  2. もしかしたら2008年はリーグ優勝、2011年もクライマックスシリーズ進出を果たしていた。
  3. 里田まいとは結婚していなかったかも知れない(日ハムは彼女の出身地、横浜も在京球団ということで出会いの接点はありそうだがここの場合は…)
    • その代わりに他の女性芸能人、もしくは在阪局の女子アナあたりが結婚相手だったかも?
横浜
  1. 1年目から先発で投げれていたが楽天と違ってチーム状態がアレなのでそんなに勝ち星は挙げられなかった。
  2. 広島の前田健太とは同学年なので非常に強力なライバル関係になっていた。
    • 同郷の巨人・坂本勇人の対決も注目されていた。
  3. 2013年以降もDeNAに残留していた場合、2017年以降は番長から背番号「18」を引き継いだ。

堂上直倫(2006)

※史実では中日に入団

巨人
  1. 相思相愛だった中日ファンから「立派に育ってFAで中日に来い!」とエールを受ける。仮にそれが実現していれば巨人にとって駒田以来2人目の生え抜き選手FA他球団流出となった。
  2. 坂本勇人は外れ1位で中日が獲得していた?
    • その場合、史実ほど活躍できていたかは微妙。
    • 2020年時点で2000本安打に到達できていなかったかもしれない
阪神
  1. 野原将志を獲得することはなかった。
  2. 甲子園で活躍したヒーローだが思うような実績を残せない…?
    • 小林宏之をFAで獲得の際の人的保障でロッテへ、となっていたかも(史実では高濱卓也)

中田翔(2007)

※史実では日本ハムに入団

全部に共通すること
  1. 1軍に入れてた?
    • 他の3球団はレギュラーが固定されていて、割り込むのが困難だっただろう。結局日本ハムが一番マシだったということになる。
  2. 野手ではなく投手として指名されていたら?
阪神
  1. 福留は阪神に入団していなかっただろう。
    • 福留は鹿児島出身なので、地元九州のソフトバンクに入団。
    • 古巣中日への復帰もあった。
  2. 本拠地が天然芝の球場になるので膝を痛める事は無く今でもレフトを守っていたかも。
  3. 2020年に岡本和真と並ぶ本塁打王(を含む)と打点王による二冠王になっていた。
  4. 翌年(2021年)での同僚選手に対する暴行事件で、埼玉西武へ無償トレードにした。
ソフトバンク
  1. ドラフトでの柳田悠岐の指名と長谷川勇也、中村晃のブレイクはなかった可能性も。

髙濱卓也(2007)

※史実では阪神に入団

横浜
  1. 外れとは言え地元高校からの1位指名に大フィーバー。
  2. DeNA買収直後の時点で石川雄洋と二遊間を組み、倉本寿彦が入団するより数年早く『横高出身二遊間コンビ』が実現していた。
  3. 田中健二朗は地元球団である中日が外れ外れ1位で指名か。
  4. 2014年のドラフトで弟の祐仁もDeNAに指名されたかも。

大田泰示(2008)

※史実では巨人に入団。後に日本ハム、横浜DeNA。

ソフトバンク
  1. 巨人の外れ1位はもちろん長野久義。
  2. 大田は指名を拒否して東海大学に進学していたかも。
    • その場合、巨人が2011年に菅野智之を外していたら更に悩ましいことに。
  3. 結局は史実とあまり変わらず、か?
    • 史実より一軍出場は多かったと思う。
  4. 巨人の背番号55は空き番号のまま。
    • 間違いなく松井の国民栄誉賞受賞を持って永久欠番になっていた。
  5. 2022年から北海道日本ハムへ移籍した。

松本啓二朗(2008)

※史実では横浜に入団

阪神
  1. 赤星憲広の電撃引退後に中堅のレギュラーに抜擢される。
    • 藤川俊介のブレークは多分無かった。
    • マット・マートンが阪神で中堅手を守る事は無かった。
    • 2011年のドラフトで伊藤隼太が1位指名される事は無かったかも。
  2. 横浜の1位指名は誰になっていただろうか。
    • 松本以外の指名結果が史実通りだった場合藤江均(史実2位)か細山田武史(史実3位)が繰り上がっていた。

菊池雄星(2009)

※史実では西武に入団

共通する事
  1. 球団によっては2021年開幕時点で残留している。
    • 或いは、史実より早く米球界に挑戦している。
  2. 2018年の西武優勝は無かった。
  3. ソフトバンクを苦手とするのは多分史実通り。
  4. 大久保博元の西武コーチ時代二度目の暴力問題は史実程騒がれない。
楽天
  1. 地元では大フィーバー。
  2. プロ入り後カモとしていた球団だっただけに史実程勝利数は伸びていない。
    • それでも2013年の日本一には貢献していた。
  3. 史実通り大久保博元が首脳陣に入閣していた場合三度目の暴力問題が起きていたかも。
    • この場合監督には就任出来ていない。
日本ハム
  1. 大谷翔平が史実通りに入団した場合、『花巻東コンビ』で売り出していた。
    • 菊池が抑えて大谷が打ってのWお立ち台もしばしば見られた。
  2. 2016年の日本一に貢献していた。
  3. 場合によっては史実より早く米球界に挑戦していた。
中日
  1. 翌年以降のドラフトが史実通りなら大野雄大と左腕二枚看板で売り出していた。

2010年代

斎藤佑樹(2010)

※史実では日本ハムに入団

東京ヤクルト
  1. 神宮のヒーローが帰ってくると大盛り上がり!
  2. 神宮での初登板は、大フィーバーとなっていた。
  3. かつての荒木大輔の「大ちゃんフィーバー」を超える「佑ちゃんフィーバー」が起こっていた。
  4. 史実で外れ1位で入団した山田哲人はクジの競合相手だったオリックスへ。
    • その結果、2014年のオリックスはリーグ優勝を達成し、2015年のヤクルトはリーグ優勝を逃していた。
    • 高校時代と同様、先輩にちなんで「T-山田」と呼ばれていた。
    • オリックスは、翌年山田とポジションの被る安達了一を指名しなかった。
      • 西野真弘の指名もなかった。
    • オリックス入団の場合でも史実のようにトリプルスリーを達成するような選手にまでなれていたかどうか?という部分はあるが、少なくともレギュラークラスで活躍していたのは間違いないだろう。
    • それでも史実の1位指名だった駿太は他球団が指名しなければ2位以下で獲っていたはず。
  5. 斎藤は群馬県出身なので、ヤクルトの主催試合が前橋(敷島球場)で行われていた。
  6. 1年目から活躍できていれば、2011年にヤクルトが優勝出来ていた。
ソフトバンク
  1. 大先輩の王会長のもと、英才教育が施される。
  2. ただ、活躍できなかった場合はとことん出番がなかったと思われる。
    • 最悪の場合育成契約になっていた可能性も。

山田哲人(2010)

※史実ではヤクルトに入団

オリックス
  1. オリックスは2011年はクライマックスシリーズ進出を、2014年には18年ぶりの優勝を果たしていた。
    • 2014年のセ・リーグのCS優勝が史実通り阪神で、こちらもCS優勝していたら同年の日本シリーズは阪神×オリックスの関西ダービーになっていた。
  2. 一方、ヤクルトの2015年は良くてAクラスになっていた、
    • 日本シリーズに進出できても、ソフトバンクに4連敗していたと思われる。
  3. 尽く高卒野手が育たないオリックスなので、史実通り育っていない可能性も多分にある。
    • もし史実通りトリプルスリーとか達成していた場合、何かとイチローと比較されていた。
  4. 駿太は他球団か2位以下でオリックスに入団していただろう。
    • 他球団の場合は登録名を「駿太」にせず、本名フルネームの「後藤駿太」だった。
    • 他球団の場合は、背番号繋がりでローズと関連付けられることもなかった。
  5. 兵庫県出身なので、ファンから「地元の星」として愛されていた。
  6. 2021年の日本シリーズは史実とは逆にオリックスが日本一になっていた。

菅野智之(2011)

※史実では日本ハムの指名を拒否

巨人
  1. それでもアンチ巨人からのバッシングは必至だが、史実よりはマシになっていた。
  2. 当然ながら浪人した時以上に実戦勘は研ぎ澄まされてはいるだろうから、新人王を取っていた2013年(13勝6敗)よりもさらにえげつない成績を残したかも。
    • 巨人は史実以上に大差をつけてセ・リーグを制覇していた。
      • CSにおける初戦からの3連敗もなかった。
    • となれば、2012年の新人王は野村祐輔ではなく菅野だった。
  3. 日ハムの外れ1位はいったい誰になっていただろうか…。
    • 松本剛を1位指名し、その他選手も史実通り順位を繰り上げる形で指名していた。
  4. この年の巨人の外れ1位松本竜也はどうなっていたか。
    • 巨人と競合した横浜に入団していた?
      • DeNAだった場合、2014年オフに自由契約になっていた可能性もある。
      • 笠原将生や福田聡志らともかかわることもないため少なくとも野球賭博に手を出すことはなかったかも?
  5. 2012年に大累進を指名することも無く、日本ハムへ入団したと思われる(史実でもトレードで日本ハムへ移籍)。
  6. 翌年、巨人の1位指名は誰になっていただろう?
    • 東浜巨か藤浪晋太郎を指名していたか、或いは指名拒否覚悟で大谷翔平かもしれない。
    • 2位で獲得候補だった鈴木誠也かも。
  7. 背番号は最初から「18」を付けていた。
    • 杉内俊哉は「21」あたりか。

藤岡貴裕(2011)

※史実ではロッテに入団。後に日本ハム→巨人へトレード。

横浜
  1. 高城俊人・白崎浩之と共にオリックスへ移籍していた。
    • 少なくてもトレードでたらい回しにされる事は無かったのか?
  2. プロ入り後の活躍度合いは微妙だが、少なくともこの年の横浜のドラフトが『嫌がらせドラフト』と呼ばれる事は無かった。
  3. 横浜の2位以下の指名結果が史実通りだった場合、松本竜也は巨人、北方悠誠はソフトバンクがそれぞれ2位で指名したか。

藤浪晋太郎(2012)

※史実では阪神に入団

ヤクルト
  1. ライアン小川を抑えて新人王を獲得出来たかも。
  2. 石山は指名されなかった。
    • その場合、2018年のヤクルトは交流戦優勝を逃しシーズンもAクラスに入れたかどうか微妙な所。
  3. 2013年のヤクルトは最下位を免れていた。
    • 2015年も日本一になれていた。
ロッテ
  1. 2013年に楽天を抑えてリーグ優勝あるいはCS優勝・日本シリーズ出場を果たしていたかも。
    • もちろん田中マー君の連勝を止めていた。
オリックス
  1. 史実の阪神と同様、地元の星として歓迎され注目される。
  2. 2014年にリーグ優勝出来ていて、15年以降もまともな成績を残している。
    • 2021年に日本一になれていた。
  3. 2016年のドラフトで史実通り澤田圭佑が指名されていた場合、大阪桐蔭同級生コンビで売り出していた。
阪神のその後
  1. 2013年以降も低迷を続けていて、14年のCS優勝もなかった。
    • 西岡や福留も移籍してこなかった場合尚更。
    • 和田豊の監督退任が早まっただろう。
  2. 和田豊が当たりくじを引けなかった分手のひら返しもないので、2012年のチームの不振を引きずるファンが現実より多かった。
  3. 西岡との大阪桐蔭OBコンビもなかった。
  4. 金本監督による「161球事件」は起こらず、母校である大阪桐蔭と阪神の関係が悪化することはなかった。

石川歩(2013)

※史実ではロッテに入団

巨人
  1. ロッテは小林誠司(史実の巨人1位)を指名か。
    • そうなった場合、某所で「肘」と呼ばれることはなかったかも。
  2. 巨人ではヒゲは禁止なのでイメージがガラリと変わっていた。
  3. 「セ・リーグには行きたくなかった」と入団後のインタビューで語っているので入団拒否した可能性も(本人は子供の頃から大の中日ファン)。
    • その場合、翌年のドラフトで中日が単独1位指名。
    • そうなった場合、この年に巨人から支配下指名された選手は2021年3月の田口麗斗トレード移籍を以て全滅していた。

大瀬良大地(2013)

※史実では広島東洋に入団

東京ヤクルト
  1. 入団4年目の2017年をもって戦力外通告を受け、退団を余儀なくされていた。
  2. 史実通りの活躍だったら2018年のヤクルトは優勝していた。
  3. 被本塁打が相当なものになっていたかも。
  4. 広島は2016年~2018年の3連覇を達成出来なかったかも。
阪神
  1. 岩貞祐太は日本ハムに入団していた。
  2. 背番号は史実で岩貞が付けていた「17」だった。
  3. ドラフト同期の梅野隆太郎と同じ生年月日であることが話題を呼んだ。
  4. 2014、15年の阪神は優勝出来ていた。

松井裕樹(2013)

※史実では楽天に入団

DeNA
  1. 地元出身選手の指名で大フィーバー。
  2. 当時は金城龍彦が所属していた為、入団当初の背番号は「1」ではない。
    • 史実通りに金城が退団した場合、活躍次第で与えられたかも。
  3. 史実通り抑えとして定着した場合、山﨑康晃は新人王を獲れなかったかも。
  4. 石橋杏奈との交際→結婚は史実通り?
  5. 史実の外れ1位だった柿田裕太は阪神か日ハムへ。
  6. 楽天の外れ1位指名で岩貞祐太を指名した可能性も。
  7. 2017年のドラフト会議の指名結果が史実通りだった場合、楠本泰史(小中学校の同級生でベイスターズジュニアとシニアで共にプレー)とプロでもチームメイトに。
    • 同じくチームメイトだった甲斐綾乃が球団職員になった際3人の対談動画が球団公式youtubeチャンネルに投稿されていた。

有原航平(2014)

※史実では日本ハムに入団。

DeNA
  1. 山﨑康晃は阪神に入団した。
    • 翌年以降抑えの固定に苦しみ2010年代後半のチーム成績は史実の様な好成績にならなかった可能性も。
      • 三嶋一輝の抑え起用が史実より早く見られたかも。
  2. 史実通り1年目から活躍した場合2015年のリーグ優勝は微妙なまでもAクラスは有り得た。
    • この為、中畑政権は史実より1~2年長かったかも。
  3. 2019年はDeNAがリーグ優勝し、それを置き土産に史実より1年早くメジャーに挑戦していた。

山﨑康晃(2014)

※史実ではDeNAに入団

阪神
  1. 呉昇桓が中継ぎになっていた。
  2. 「小さな大魔神」と呼ばれることはなかった。
  3. 横浜DeNAの抑えは三上朋也のままだった。
  4. ヤスアキジャンプをやることはなかった。
  5. そもそも最初からリリーバー起用を行っていたか疑問。
    • 「先発ローテの一角を任される康晃」も多分にあったかもしれない。

高山俊(2015)

※史実では阪神に入団

ヤクルト
  1. オリックスから坂口智隆を獲得することはなかった。
  2. 河載勲は契約されていなかった。
    • 背番号は「00」を背負っていた。
      • 山田哲人の後を受けて「23」かも。
        • 大成していた場合、青木復帰はなかった。
  3. 真中監督の「幻のガッツポーズ」がネタにされることもなかった。
  4. 阪神は外れ1位で誰を指名していたのやら?
    • 同じ外野手のオコエ瑠偉を指名し楽天と競合していた可能性も?
      • そちらも外していた場合、坂本誠志郎が1位指名されて以下の選手の順位が繰り上がったか重信慎之介(史実の巨人2位)辺りを指名してお茶を濁していた。
    • 逆に原樹理(史実のヤクルト外れ1位)を指名していたかもしれない。
    • 競合回避或いは外れ1位候補といわれていた上原健太かも。
  5. 2016年シーズンの阪神は現実以上の苦戦を強いられていた。
    • 「超変革」の目玉選手が1人減っていた。
    • 阪神とヤクルトの順位が逆になった可能性がある。
  6. 阪神の現状を見ていると意外と史実よりも活躍したかも。
    • 2021年のリーグ優勝→日本一にも貢献していた可能性もある。

柳裕也(2016)

※史実では中日に入団

DeNA
  1. DeNAが2017年のポストシーズンで史実通りの善戦が出来たかは微妙。
    • 但し、2位以下でも濱口遥大の指名に成功していたら別。
  2. 球団通算4000勝になった際の勝利投手になっていた。
  3. 入団3年目の2019年に最優秀防御率を獲得した。
  4. 中日は次の指名でやはり他球団と同じく佐々木千隼だっただろうか。
    • そちらも外した場合、京田陽太が1位指名されて以下の順位が繰り上がっていたか吉川尚輝(史実の巨人1位)を指名して競合していた?
  5. 2位以降のドラフトが史実通りであれば佐野恵太との同級生コンビ、或いは後年入団した伊勢大夢、入江大生と共に「明大カルテット」で売り出していた。
  6. 2021年度オールスターゲーム出場できないどころか、森下暢仁(広島東洋)との明大リレーすらなかった。
  7. 史実通りの成績を残せた場合2021年はAクラスこそ厳しいものの最下位は無かったかも。

清宮幸太郎(2017)

※史実では日本ハムに入団

ヤクルト
  1. 王柏融(北海道日本ハム)が球団通算8000本塁打になっていた。
  2. 史実の外れ1位だった村上宗隆はクジの競合相手だった巨人か楽天へ。
    • 清宮を外した日ハムが村上を指名→クジを引き当て史実とは所属球団が逆になっていた可能性も。
  3. 高校時代より通い慣れた神宮球場でホームランを量産していただろう。
  4. 村上に代わって史実より多少は活躍出来ていたかもしれない。
巨人
  1. 背番号は「55」を背負っていた。
  2. 岡本和真のブレイクが遅れていた可能性がある。
    • 岡本は三塁かレフトを守っていた。
  3. オリックスから中島宏之を獲得することはなかった。
  4. 阿部慎之助は400本塁打を打てずに引退していた。
阪神
  1. 甲子園のヒーローが帰ってくると大盛り上がり!
    • 甲子園での初出場は、大フィーバーとなっていた。
  2. 2018年の阪神は最下位を免れていた。
  3. 背番号は「31」を背負っていた。
    • 著書でこれを提唱していた遠藤章造が喜ぶ。
ソフトバンク
  1. 大先輩の王会長のもと、英才教育が施される。
  2. 背番号は「3」を背負っていた。
    • 松田宣浩は史実より1年早く背番号を「5」に戻していた。
  3. 2018年のレギュラーシーズンはリーグ優勝できていた。
    • このチームの育成方針を考えると、1年目から一軍出場できなかった可能性も高いので結局同じかも。

村上宗隆(2017)

※史実ではヤクルトに入団

楽天
  1. 球団初の開幕6連勝で波に乗り、令和になって初のパ・リーグ優勝した後、その年の日本シリーズで4タテ(史実ではソフトバンク)による日本一になった。
    • 35本塁打で、令和になって初のパ・リーグMVPを獲得した(入団2年目によるMVPは、稲尾和久投手(57年 元西鉄)・杉浦忠投手(59年 元南海)で、打者は史上初)。
  2. 千葉ロッテから鈴木大地をFA獲得する事は無かったかも。
  3. 2019年のセの新人王は近本光司が受賞した。
  4. 楽天の主砲となり、現在に至る。
巨人
  1. 捕手として育てていたので、数年は二軍暮らしだった。
    • 2019年のセの新人王は近本光司が受賞した。
    • 日本代表に選ばれるのは早くて2020年代中旬以降。
  2. 岸田、大城のうち、どっちかは指名しなかった。
    • 巨人は、二位で亜細亜大学の高橋(史実の阪神二位)を指名していた。
  3. 史実通り活躍していた場合、2021年は巨人がリーグ優勝していた。
    • 優勝していなくてもシーズン勝ち越しで終えていた。

馬場皐輔(2017)

※史実では阪神に入団

ソフトバンク
  1. 飯田優也(ソフトバンク)・松田遼馬(阪神)によるトレードは破談していた。

根尾昂(2018)

※史実では中日に入団

日本ハム
  1. 「大谷2号」として、注目されていた。
  2. 先輩の中田翔氏から可愛がられていた。
    • 2021年に同僚選手に対する暴行事件を起こして巨人へトレードされることもなかったかもしれない。
  3. 吉田輝星氏は指名されることはなかったかもしれない。
巨人
  1. 「守備で内野には使えない」と判断され、一年目から外野にコンバートされた。
  2. 高橋優貴が獲得出来なかったため、2021年は苦戦していたかも。
    • 高橋は根尾を外した中日が指名していた。
      • その場合、スコアボードなどの表記では「高橋優」になっていた。
ヤクルト
  1. 史実より早い段階から一軍でも遊撃での出場機会が得られた。
  2. 上茶谷大河は小園海斗を外したDeNAが一本釣りか。
  3. 2位以降でも清水昇を指名出来なかった場合2021年に日本一どころかリーグ優勝すら達成できていたか危うい。
  4. 翌年のドラフトで長岡秀樹か武岡龍世のどちらかはヤクルトに指名されなかったかも。
中日のその後
  1. 外れ1位は甲斐野央(ソフトバンクの外れ外れ1位)か2位の梅津晃大が繰り上がっていた。
  2. ドラフト戦略が見直され翌年以降立て続けに地元出身高卒選手(2019年石川昂弥、2020年高橋宏斗)を1位指名しなかった可能性も。

藤原恭大(2018)

※史実ではロッテに入団

楽天
  1. 浅村栄斗氏が移籍することはなかったかもしれない。
阪神
  1. 地元のスター選手として注目されていた。
  2. 史実の1位指名入団である近本は他球団が指名していた。
    • 2019年の阪神はAクラスになれなかった可能性が大。
      • もしロッテが近本を取り史実レベルに活躍した場合、ロッテがAクラスになっていたかも。

小園海斗(2018)

※史実では広島に入団

DeNA
  1. 遊撃は大和がレギュラーだったため1年目から史実通りに試合に出られたかは微妙だが……。
    • 仮に史実通りに試合に出ていた場合、倉本寿彦、石川雄洋、中井大介の出場機会は史実より少なくなり、柴田竜拓のブレークもやや遅れた。
    • 1年目から遊撃以外の守備位置での出場機会があったかも。
  2. 宮崎敏郎が所属していたため、背番号は「51」では無い。
    • 多分、白崎浩之のトレード移籍で空き番号となっていた「6」を付けていた。
  3. 翌年のドラフトで森敬斗がDeNAに1位指名されることは無かったかも。
    • 森下暢仁を指名して2年連続で広島と競合していたか、逆に広島が森を単独指名した。
  4. 上茶谷大河は根尾昂を外したヤクルトが一本釣りか。
  5. 2021年のドラフト指名結果が史実通りだった場合1位指名の小園健太とユニフォームの背ネームがややこしい事に(どちらも「K.KOZONO」なので)。
オリックス
  1. 史実通り試合に出ていた場合安達了一は史実より早く二塁にコンバートされていた。
  2. 2021年のリーグ優勝には間違いなく貢献していた。
  3. 太田椋(史実1位)か紅林弘太郎(2019年2位)のどちらかはオリックスに指名されなかった。

佐々木朗希(2019)

※史実ではロッテに入団

楽天
  1. 千葉ロッテから涌井秀章氏が金銭トレードで獲得することはなかった。
  2. 背番号は「18」を背負っていた。
日本ハム
  1. 背番号は「11」を背負っていた。
  2. 同じ岩手県の高校から日本ハムに入団したこともあって、名実共に「大谷2世」として、大注目されていた。
  3. 監督の栗山英樹氏から可愛がられていた。
    • 「朗希」と下の名前で呼ばれるのは確実だろうな。

2020年代

佐藤輝明(2020)

※史実では阪神に入団

共通
  1. 2021年の阪神はBクラスに低迷していた。
    • 代わりに広島がCS出場を果たしていた。
    • 巨人には15年連続の負け越しとなっていた。
ソフトバンク
  1. 2021年4月9日対東北楽天戦=楽天生命パーク宮城で場外ホームランを放った。
  2. ソフトバンクは2021年のCS出場を果たせていた。
  3. ルーキーながらベストナインに選出した。
  4. 同じくモノノフである石川柊太と意気投合していた。
巨人
  1. 坂本勇人、岡本和真、丸佳浩、梶谷隆幸、ゼラス・ウィーラーらと超重量打線が誕生していた。
    • 巨人の打撃成績はさらにえげつないものになっていた
    • 2021年のセ・リーグは巨人がぶっちぎり優勝していた。もちろん終盤の10連敗もない。
    • 特に阪神ファンから目の敵にされていた。
    • 恐らく2021年の新人王を獲得していた。
  2. 田口麗斗と廣岡大志のトレードは行われてなかった可能性が高い
  3. 助っ人外国人も取ってなかったか、スモークとテームズのどちらか一人のみになってた可能性もある
  4. 平内龍太は阪神が外れ1位で一本釣りか
  5. 背番号は恐らく、自身が抜く前に関西学生野球リーグ通算本塁打記録を保持していた二岡智宏にちなんだ「7」。
    • 近畿大学の先輩でもあるから、本人の励みになったこと請け合い。


オリックス
  1. 2021年の日本シリーズはオリックスが日本一になっていた。
  2. 関西球団なので、「地元の星だ」と喜ばれていた。
  3. 杉本裕太郎が遅咲きでブレイクしなかったかも。
  4. 背番号は近畿大学の先輩でもある糸井嘉男から「7」を受け継いでいる。
  5. 新人王をチームメイトの宮城大弥と争っていた。

早川隆久(2020)

※史実では楽天に入団

ロッテ
  1. 同郷・球団の先輩で、かつ早稲田大学での恩師でもある小宮山悟監督から、喜んで送り出された。

小園健太(2021)

※史実では横浜DeNAに入団

阪神
  1. 森木大智が高校生ドラフトで2位に指名していた。