「もし県庁をその県の最大都市に設置することが義務付けられたら」の版間の差分
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#なお、明治期からあった場合、函館区(現函館市、北海道)、弘前市(青森県)、赤間関市(現下関市、山口県)、松本町(現松本市、長野県)、若松町(現会津若松市、福島県)、川越町(現川越市、埼玉県)、中津町(現中津市、大分県)、都城町(現都城市、宮崎県)が県庁になることになってしまいます。 | #なお、明治期からあった場合、函館区(現函館市、北海道)、弘前市(青森県)、赤間関市(現下関市、山口県)、松本町(現松本市、長野県)、若松町(現会津若松市、福島県)、川越町(現川越市、埼玉県)、中津町(現中津市、大分県)、都城町(現都城市、宮崎県)が県庁になることになってしまいます。 | ||
#*いくらなんでも会津若松や赤間関に県庁は置きたくないでしょう。新政府の考えからして。 | #*いくらなんでも会津若松や赤間関に県庁は置きたくないでしょう。新政府の考えからして。 | ||
#**逆に政府が県庁を置きたいのは、松平一門の2万石の府内藩城下町大分に対して福沢諭吉の出身で10万石の中津。 | |||
#*県庁所在地が端にある県が史実よりも増えていた。 | #*県庁所在地が端にある県が史実よりも増えていた。 | ||
#**福島県の場合は郡山が新県庁移設のための計画都市として建設され、集団移民などが行われていたかもしれない。札幌も同様の理由で早い段階で移転させられていた。 | #**福島県の場合は郡山が新県庁移設のための計画都市として建設され、集団移民などが行われていたかもしれない。札幌も同様の理由で早い段階で移転させられていた。 | ||
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#*移転直前の東邦銀行本店福島市移転も史実どおりか。 | #*移転直前の東邦銀行本店福島市移転も史実どおりか。 | ||
#*福島大学の前身となる福島師範学校・福島青年師範学校・福島経済専門学校は福島郡山若松に分散して設置されたが大学発足当時の県庁所在地の福島市のキャンパスに統合。結局史実どおりで郡山に国立大学は来ない。 | #*福島大学の前身となる福島師範学校・福島青年師範学校・福島経済専門学校は福島郡山若松に分散して設置されたが大学発足当時の県庁所在地の福島市のキャンパスに統合。結局史実どおりで郡山に国立大学は来ない。 | ||
#最近になって郡山に県庁が移っても、移動するのは県庁だけで他主要機関は福島市のまま。 | |||
==山口県== | ==山口県== |
2021年5月24日 (月) 17:54時点における最新版
各県の県庁所在地はその県の最大都市とは限りません。もし、最大都市に県庁を置くことが義務付けられたら…
共通すること[編集 | ソースを編集]
- 合併などで人口の順位が逆転すると移転を余儀なくされる。
- そのため、県庁所在地を死守すべく合併争いが加速していた。
- なお、明治期からあった場合、函館区(現函館市、北海道)、弘前市(青森県)、赤間関市(現下関市、山口県)、松本町(現松本市、長野県)、若松町(現会津若松市、福島県)、川越町(現川越市、埼玉県)、中津町(現中津市、大分県)、都城町(現都城市、宮崎県)が県庁になることになってしまいます。
- いくらなんでも会津若松や赤間関に県庁は置きたくないでしょう。新政府の考えからして。
- 逆に政府が県庁を置きたいのは、松平一門の2万石の府内藩城下町大分に対して福沢諭吉の出身で10万石の中津。
- 県庁所在地が端にある県が史実よりも増えていた。
- 福島県の場合は郡山が新県庁移設のための計画都市として建設され、集団移民などが行われていたかもしれない。札幌も同様の理由で早い段階で移転させられていた。
- いくらなんでも会津若松や赤間関に県庁は置きたくないでしょう。新政府の考えからして。
- 埼玉県などのように、大都市に隣接している県は大都市のベットタウンに偏りがちなので、「県庁=ベットタウン」という場所が出来る(例・川口市)。
- そんなことはさいたま市、大津市などのように現実にもある。どちらも一定の都市圏を形成してるけど。
- 国勢調査で最大都市が変わったら県庁の移転を余儀なくされる。
福島県[編集 | ソースを編集]
- 人口ではいわき市だけど、人口密度で郡山市の方がふさわしいか。
- 川俣と旧伊達、桑折あたり吸収すれば何も変わらず済みそう。
- 先日(2014年頃)、無事郡山に移転した模様。ただし福島市は(ry
- なおたった2年で再びいわき市が県庁所在地に。今度は合併ではなく実力で郡山から県庁を奪った。
- 41年のいわき市への大合併は県庁目当てだと思われていた。
- 特に前年に福島市から県庁が移転したばかりだった郡山市民は福島市の陰謀だと喚いた。
- 福島市に県庁が来たのは戦後。若松市(当時)から移転してきて20年近くは福島市に県庁があった計算になる。
- その間の福島大学発足やラジオ福島・福島テレビ開局、福島民友復刊は史実どおり福島市で。
- 福島放送はいわき市にできた。
- 福島市に上記2局、郡山市に福島中央テレビがあって県庁所在地いわき市には本社を置く放送局がないため。
- 民放テレビ4局目のテレビユー福島は福島郡山いわきにあるならと会津が誘致するor株主の福島民報の意向で福島市にできるか、どっちにしろ郡山にテレビ2局はできない。
- 移転直前の東邦銀行本店福島市移転も史実どおりか。
- 福島大学の前身となる福島師範学校・福島青年師範学校・福島経済専門学校は福島郡山若松に分散して設置されたが大学発足当時の県庁所在地の福島市のキャンパスに統合。結局史実どおりで郡山に国立大学は来ない。
- 福島放送はいわき市にできた。
- 最近になって郡山に県庁が移っても、移動するのは県庁だけで他主要機関は福島市のまま。
山口県[編集 | ソースを編集]
静岡県[編集 | ソースを編集]
三重県[編集 | ソースを編集]
- 四日市に移転。
- そして三重県は近畿を離脱し中部地方に。
- そして旧紀伊国を和歌山県に割譲。
群馬県[編集 | ソースを編集]
- 高崎に移転。反発するのは一部の前橋市民ぐらいだろうか。
- 県庁が戻って来たと高崎は大喜びでしょうね(元々の県庁所在地は高崎)
埼玉県[編集 | ソースを編集]
- 現在は無論さいたま市であるが、1995年までは川口市に置かなければならなかった。旧大宮ではないところにかなり違和感がある。
- 川口市が東京の隣にあるため、高崎線沿線の住民が何か川口に置かれた埼玉県庁に用事がある際には、熊谷~鴻巣~上尾~大宮~赤羽~(乗り換え)~川口と行かなければならず、一瞬東京に出てしまう。
- 故に、1995年までに湘南新宿ラインというものが出来ていたら、湘南新宿ラインの川口駅停車運動は成功していた可能性がある。
- もしかしたら赤羽に停車せず川口に停車していた…埼京線はどうなるんだ。
- また、埼玉県庁が川口にあれば現実以上に「埼玉都民」などというステレオタイプが強化されてしまい、県民意識を高める上では問題があると思う。
- しかし、1995年に川口は旧浦和に人口で負けるため、埼玉県庁の川口から旧浦和への移転を経て現実と同様になる。
- 旧大宮は新幹線駅がある埼玉最大の経済都市であるのに人口では川口や旧浦和に負け続けていたため、高崎のように県庁をゲットすることができなかった。
- 昭和前半までは川越にあった(と考えられる)ため、無論浦和市はただの埼玉県の一都市であり、史実どおり大宮ルートで東北本線が開業していたら大宮に逆転(もしくは川越が死守)していた可能性が高いであろう。