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{{市|reg=近畿|pref=兵庫|area=阪神|ruby=にしのみやし|eng=Nishinomiya}}
==中部==
{{阪神}}
===越美線===
==テーマ別==
*越前花堂~九頭竜湖~北濃~美濃太田
*[[阪神甲子園球場]]
#名古屋から福井まで特急が走っていた。
**[[近畿の博物館・美術館#甲子園歴史館|甲子園歴史館]]
#*当初は高山線経由で設定されるも、方向転換が2回になるのでキハ85系投入と同時に太多線経由に改められた。
*[[西宮市の交通]]
#*数本は金沢まで延長運転を行っていた。
*[[西宮市の駅]]
#水害からの復旧が早まっていた。
**[[西宮北口駅]]
#長良川鉄道は生まれなかった。
**[[甲子園駅]]
#*美濃町線は段階的ではなく一度に廃線となった。
**[[夙川駅]]
#**逆に、関駅接続がはやまり、名鉄岐阜駅から田神線経由で、(ディーゼル、あるいは全線電化されて)超特急が走っていたかも知れない。
*[[関西学院大学]]
#川島令三氏が言うようにカートレインを頻繁運転していれば、東海北陸自動車道は必要なかった。
*[[偽西宮の特徴]]
#*長良川鉄道に乗ってると、ホントに車窓の邪魔です、あの高速道路。
*[[兵庫の学業#武庫川女子大学|武庫川女子大学]]
#*156号と41号が大渋滞するぞ。
*[[兵庫の城#越水城|越水城]]
#北濃はJR東海と西日本の境界駅になる。
*[[近畿の遊園地・テーマパーク#甲子園阪神パーク|甲子園阪神パーク]]
#*むしろ九頭竜湖が境界駅になりそう。(代替バスは[[JR東海バス]]の担当だったため)
*[[世界の企業#キッザニア|キッザニア]](キッザニア甲子園)
#「ひぐらしのなく頃に」に北濃駅が「興宮駅」のモデルとして登場。鬼隠し編で圭一が東京から帰ってくるシーンや、暇潰し編で赤坂が駅に降りるシーン等で登場。
#NHKで2004年に放送された「最長片道切符の旅」及び2005年に放送された「のりつくしの旅」のルート及び日程が変更されていた。


==西宮市の噂==
===神岡線===
[[ファイル:Nisinomiya-siyakusyo.jpg|240px|thumb|西宮市役所]]
{{駅名標/西日本|name=神岡|ruby=かみおか|roma=Kamioka|back=かみおかおおはし|back2=Togōchi|next=しましま|next2=Shimashima}}
#海あり山あり、高級住宅街に下町もあり、更に工業地帯もあり、えべっさんに門戸厄神とか御利益もあって、酒造や和紙や西国街道に今津燈台など歴史的な逸話にも事欠かないし、大学もいっぱいありと何でも揃う住みやすい街だけど、'''大きな繁華街がない。'''
*猪谷~神岡~島々~松本
#*最近ようやく[[西宮北口駅|西宮北口]]辺りに商業施設が集積して来た。[[野球場/旧本拠地#阪急西宮球場の噂|西宮スタジアム]]跡地には[[阪急百貨店]]やシネコンも出来るらしいので、数年後にはここが西宮の中心市街になるかも。
**[[もしあの鉄道路線が開業していたら/中部#松本電気鉄道上高地線(未成区間)|こちら]]も参照の事。
#**数年後にならないと分からない都市ですかね・・・。
#松本電鉄を国鉄が買収していた。
#*西宮スタジアム跡地に[[イズミヤ]]西宮北口店(仮称)出店決定らしい。震災で潰れたけどイズミヤ西宮復活だな。
#全通で猪谷~神岡大橋が交流電化、神岡~松本が直流電化、神岡大橋~神岡を複線化し、常磐線並みのデッドセクションを設置していた。
#*甲南大学の新キャンパスも出来るみたい。
#*全通したら、平湯駅がJR東日本とJR西日本の境界駅となっていた。
#*繁華街とは少し違うが、[[国道43号|国道43号線]]南側の臨港線沿いは一大商業施設ゾーンと化している。甲子園には「[[ららぽーと]]」、今津には「コープ」、「関西スーパー」、「[[マルナカ]]」、「マックスバリュ」などスーパーだらけ、他にも「[[上新電機|ジョーシン]]」・「[[ホームセンター#コーナン|コーナン]]」、「[[ユニクロ]]」、「[[エディオン|ミドリ電化]]」、「[[ヤマダ電機]]」などなど…これで駅近なら言うことナシ。
#優等列車運行により、高山本線富山~猪谷が交流電化された。
#*臨港線の震災後の変貌は、皮肉にも酒造設備が震災で壊滅的な被害を被ったため。大手メーカーは資金力にものを言わせて復興したが、中小メーカーは設備を復興する体力が無く、土地を貸したり手放したりするなどして商業施設に代わったものです。
#北陸新幹線富山開業後は線内各停と快速のみ運行されていた。
#*お洒落な店から庶民的な店まで買い物にも不自由しない。
#特急「あずさ」の一部が富山まで延長される。
#*神戸にも大阪にも至近で通勤通学買物にも不自由しない。
#*のちに「あずさ」から分離され「かみこうち」とでも名乗っていた。
#*有名私立校が軒を連ね教育も充実しているが公立はちょい注意必要。
#猪谷駅がJR西日本とJR東日本の境界駅になっていたら、岐阜県内にJR東日本の路線が存在したことになる。
#*待望の映画館が出来るので後はラウンドワンみたいなアミューズメントスペースが欲しいです・・・
#*猪谷駅はJR東日本・東海・西日本3社の境界駅となっていた。
#*阪急西宮ガーデンズ開業しました。1日平均7万人訪れています。
#**その場合猪谷駅はJR東日本の管轄駅となっていた可能性が高い。
#*それでも2005年には隣の[[尼崎市|尼崎]]の人口を抜いて、兵庫県第三の都市となった。
#そもそも神岡線の松本延伸計画ってあったのか?元々は松本~高山みたいだが。
#[[阪神・淡路大震災|阪神大震災]]後人口が激減したがその後回復。
#*平湯温泉までは延伸する計画があったらしいから、安房峠を越えて高山側からの路線と合流させるつもりだったんじゃなかろうか。
#*とうとう[[尼崎市|尼崎]]を抜いちゃいましたね。
#*急に増えすぎて幼稚園と小学校の受け入れが大変(>_<)
#[[神戸市]]に劣らない人口増加数。
#*マンションの建設規制がかかっている地域まで存在する程。
#**2014年度から神戸市は人口減少に転じ、[[福岡市]]に抜かれたうえ[[川崎市]]にも抜かれそう。
#*あくの強い町が多い兵庫県内で元[[東京]]都民に最も受けが良い町。変に気取った[[芦屋市|芦屋]]なんかよりもいい。[[明石市|明]][[神戸市/西区|石]]以西のがさつな感じも無いし、エリアにもよるが[[大阪]]のコテコテさも弱い。(誤って[[姫路市|姫路]]に住んで後悔している元東京都民。)
#**姫路は関東で言えば、[[小田原市|小田原]]や[[高崎市|高崎]]などと同じ。
#*人口増加率が高く尼崎市は人口が減少を続けたため近年ついに西宮市の人口が尼崎市の人口を抜いた。
#西宮に引っ越す家族が一番気にするのは小中学校の学区らしい。
#*公立高校入試が総合選抜で、住んでる地域の高校に自動で割り振られちゃいますからね。
#**公立高校入試の制度が、2009年の入試から総合選抜制度じゃなくて複数志願制度とゆうやつに変わったらしいです。
#*いやそう言うことじゃなくて、現在高層マンションが建ち並ぶ地区と同学区に○○があるために小中学校の荒れ方が激しい。○○の人は「俺達は村のもんやぞ」と言って新住民に凄みをきかす。
#実は南北に広い。
#*北部から中心部へ一直線に行こうとすると六甲山を山越えすることになる。
#*北部の塩瀬地区住民はいっそ宝塚の市域だったら、山口地区住民はいっそ神戸市北区の区域だったら便利だったのにと密かに思っている
#*親戚が住んでる山口地区は同じ西宮なのに市外局番が神戸の078である
#*その隣の生瀬・名塩地区の市外局番は宝塚と同じ0797
#**郵便番号も山口地区は神戸市扱いの651。塩瀬地区は宝塚郵便局管轄だが何故か665ではなく[[三田市]]・[[兵庫/丹波|丹波地方]]等と同じ669。
#*これは西宮市が宝塚を併合するためにまずはその周辺の町村を併合しようという策によるものだが、見事に失敗。
#**もとは塩瀬村・山口村は神戸市に編入してもらおうとしたのだが兵庫県が却下して、それを西宮が合併してしまった。
#*ここまで北部と言っているが、住宅地図では、南部(阪急以南)、北部(阪急以北)、郊外(塩瀬山口)と、まるで飛び地のように扱われている
#*南部の「西宮」と北部は実質別の町。[[神戸市/北区|神戸市北区]]か[[三田市]]に編入されたほうが自然だった。
#*そもそも西宮市内に[[中国自動車道]]が通っているという実感がない。
#**三宮で酔いつぶれタクシーに乗り「西宮北インターの近くまで」と言って寝込み「着きましたよ」と運転手に言われたが、そこは名神の西宮インターだった。
#***そのため、西宮市内には南端と北端の二箇所に物流業エリアがある。
#****前者が[[阪神高速道路/路線別#5号湾岸線|阪神高速]]の西宮浜IC周辺(名神の西宮ICにも近い)、後者は中国道の西宮北IC周辺。
#**[[涼宮ハルヒファン|涼宮ハルヒシリーズファン]]は中国自動車道のインターに降り立ち、ここが西宮か!ってなる。そのあと地図みてがっかりする。
#*西宮市北部と[[神戸市/北区|神戸市北区]]の北部を一緒にして「有馬市」にした方が自然な感じもする。
#*六甲山以南の住人は北部の住人を実は西宮市民と認めているわけでない。
#神戸と同じく山手に行くほど偉い。
#*しかし山を越えると田舎。市内でも微妙な雰囲気が生まれる。
#**こんなところも神戸市とよく似ている。
#*浜手でも、西宮七園に入る香櫨園、濱甲子園、南甲子園等は相当な規模の、それも戦前からの由緒あるお屋敷も少なくない。芦屋の浜手も同じく。
#阪急甲陽線の辺りに異常にベンツの所有率が高い地域がある。道の両脇にビッシリとベンツが路駐されてたりする。
#*あそこは外国人が多くて左側通行に慣れていないのか、対向車が来ているのに突然右折したりするから、運転には要注意。
#社会見学で酒製造の会社へ行き、お土産に宮水をもらう。が、水なので子供には価値がない。
#*名塩の和紙作りの場合も。っちゅーか、名塩が一発でPC変換されません。地名認識されていないのか…?orz
#**「西宮名塩」なら駅名なので一発変換される。
#**どちらが田舎か学生間で言い争っていた「生瀬」と「西宮名塩」だが、「西宮名塩」に快速が止まるようになり、取り残された「生瀬」は一気に田舎ランク急上昇。
#**「生瀬」という地名を説明すると、必ず「え、なまず?」と聞き返される。
#**生瀬~武田尾間の廃線を利用したハイキングが流行ったが、生瀬から入る道が閉鎖された。そのため、その地位を西宮名塩に奪われる。 生瀬マジ乙…。
#***旧国鉄廃線の閉鎖された生瀬側入り口は「名塩木之元(旧塩瀬町名塩)」、サーパスマンション以南が「生瀬」。
#”ぐすとん”と言って通じないとショックを受ける。
#*なにそれ?
#*「ぐすとん、ぱ!」の事かな?チームわけジャンケン「グッパ」の事やろ?
#*ほとんどみんなパーを出す。グーを出すと負け同然の扱い。
#市の形がラクダの頭&首っぽい。
#昔武庫川の上の方にウヰルキンソン炭酸の工場があり、炭酸泉の水でバヤリースオレンジやカクテル用の炭酸水を作っていたが、アサヒ飲料に吸収され工場も閉鎖した。
#酒の産地。
#*昔の市長はみんな酒造メーカーの家柄。
#*でも、甲陽学院作ったりとか、かなり地域に貢献しています。
#*誤解している人がいるが、西宮市内で採れる井戸水全てが酒作りに適した「宮水」ではない。国道43号線より南側の、ほんのごく一部だけでしか採れない貴重な井戸水。
#市外の人(特に神戸寄りの人)に、「尼崎とか西宮とか」のように尼崎とひとくくりされるのを極端に嫌う。特に阪急線以北民に顕著にあらわれる傾向。
#* しかし明治以前は、西宮の大部分は尼崎藩の統治下にあったという皮肉 
#「宮っ子」と自分達のことを呼ぶが近隣の人間はそんな言葉は知らない。
#*「宮っ子」という地元民のみ知っている小冊子があるからかと思われる。
#*「宮っ子ラーメン」というラーメン屋がある。
#**実はテレビでも紹介されたほどの、味を持つラーメン屋。地元では特に有名。
#**実は市外にも店舗がある。
#***今は阪急系列らしい。そのためか十三駅のホームから見える場所にも店舗がある。
#***一時期遠く離れた[[寝屋川市]]にも店舗があったことがある。
#**テレビCMは滅多にないが、ラジオのCMでは時々聞く。
#*木谷酒造(喜一)の「純米酒 宮っ子」という酒がある。
#*2018年冬放送のアニメ『ポプテピピック』の8話において毎回変わる作者の肩書きのクレジットにおいて「宮っ子」が使われ、話題になった。
#**これによって作者の大川ぶくぶ氏が西宮出身であることが明らかになったとか。
#**その『ポプテピピック』は兵庫どころか関西地方では放送されていないので西宮民はBS11での放送かネット配信によって見ていたことになる。
#神呪町という怖い地名がある。
#*神呪寺という寺があるが、この「呪」とは「まじない」や「うらない」といった意味で使われた。よって、特に怖い意味ではない。
#**神呪寺は神呪町とは全く異なる場所にある。神呪町は阪急今津線沿いの平野部だが、神呪寺は山上にある。
#*「かんのうちょう」と読む。
#市民館があるところorその周辺はB<span style="font-size:0.8em;padding:0.1em;border:thin solid rgb(0,0,0);background-color:rgb(0,0,0);color:rgb(0,0,0);"> </span>である、とまことしやかに囁かれている。
#*まことしやかも何も、同和対策特別措置法に基づいて、西宮でも同和対策事業が行われていたのは事実である。
#*公民館と市民館の違いはやはり…
#*そういえば公衆浴場の料金安かったな
#そして阪神間の街の例に漏れず「南北問題」がある。
#*ただし南北の境界が阪急神戸線なのか[[国道2号|2号線]]なのか43号線なのかは結構曖昧
#**{{国道|近畿|171|国道171号線}}沿線は確実に北
#**それじゃあ{{国道|近畿|176|国道176号線}}沿線はどうなるの?
#***イナロク沿線は宝塚or神戸市北区。
#*市民同士で初対面の人との会話には必ずと言っていいほど「どこ住んでるん?」がおきまり
#*阪急線より北に住んでいれば西宮では上流階級と認めて貰えるらしい(但し一戸建ての場合)
#**今津線より西であることも条件。
#*県立西宮北高校の直下を[[山陽新幹線|新幹線]]が通っている。
#**西宮北高校には隣接して小学校と中学校がある。どちらも所在地からとって「苦楽園~」。
#[[近畿の神社#西宮神社|西宮神社]](西宮戎、えべっさん)の十日戎における福男選びは、全国ニュースで流されるほど知名度が高くなった。関西民なら西宮といわれた場合のイメージが、甲子園でなくここの人も少なくない気が・・・[[ファイル:西宮神社のマグロ.jpg|240px|thumb|十日戎の時はマグロが奉納される]]
#案外誤解されているが、「西宮」の由来はえべっさんではなく、市内最古の神社である[[近畿の神社#廣田神社|廣田神社]]のこと。更に言えば「京(京都)の西方一帯の宮」ということで、えべっさんはかつては廣田神社の一部であった。
#*えべっさんと廣田神社は同一の神社であったのは明治時代に廣田神社が官社になるまで。
#*方角説としての西宮の名前の由来は、先進地域の津門から見て西、えびす様が上陸した鳴尾から見て西、大社のある住吉から見て西、神宮のある伊勢から見て西、そして最近京都から見て西と言い出されるようになった。
#*地名説としては、式内社の大国主西神社の西からきたという説が古くからある。(大国主西神社が西宮神社と混同していた時もある。)
#[[大阪市]]方面から移住していた人は、自分が「大阪人」と思われても反感を抱かず好意的に見ることも多いが、元から住んでいた人は「大阪との同一視」を執拗に嫌う傾向がある。
#*「大阪の甲子園…」とかいわれたら、即座に「西宮や!」と返す気質があるとか。
#*尼崎よりか芦屋よりかでの地域差もやはりあるらしい。
#**神戸市の東西程地域差が激しくはない。神戸市は東西40km(海岸沿いだと30km)、西宮市は東西8km。
#*神戸より大阪へ通う市民が圧倒的に多い、典型的な大阪のベッドタウンである。
#**そりゃ西宮だけでなく神戸もだよ。経済依存度と地域文化はまた話が違う。
#***西宮市も神戸市東部も[[大阪市]]の大半と同じ摂津国だから。昼間人口が大阪市へ流出する時点で[[東京23区]]のうち21区と同じ武蔵国域の[[川崎市]]や[[横浜市]]東部や[[さいたま市]]と同じ([[東京/葛飾区|葛飾区]]・[[東京/江戸川区|江戸川区]]は下総国)。
#*という一方で神戸ならば同一視されても大阪ほど気にはならないらしい。
#だんじり祭りが盛んに行われている。
#*南の西宮神社や今津の福應神社のみならず、越木岩神社(甲陽園・苦楽園の辺り)のような北中部の高級住宅地にある神社、それに名塩八幡神社や生瀬皇太神社といった北の端の方にある神社からも、だんじりがやってきて集まる。
#イノシシと遭遇する。
#神戸の一部だと思ってる人も多いらしい。いっぺん「神戸の西宮」でググってみ。びっくりするほど引っ掛かる。
#*500件弱で「びっくりするほど」?「大阪の西宮」は25万件もあるのに。
#*今日[[google]]検索したら、254,000:260,000となっていた。なぜに急増?
#**検索しなおすと650件あまりに変わる。なんかのエラー?
#*とりあえずググった。492万:507万だった。次はヤフった。2980万:3030万だった。
#*某サイトで「神戸・西宮ガーデンズ」と書いてあった。その時「西宮は西宮だろ!」と突っ込みたくなった。
#**さらにそのサイトでは「阪急西宮北口駅直結」のはずが「阪急西宮駅・北口直結」と書かれていた。阪急に西宮駅などなかったはず。
#女優の常盤貴子が一時住んでいたことがある。
#*石田ゆり子・ひかり姉妹も住んでいたことがある。
#**[[鳥取|隣県]]出身の石破議員も1986年衆院選以前に住んでいたことがある。
#**ただ、石田姉妹に関しては公には[[名古屋市]]生まれの東京都[[東京/世田谷区|世田谷区]]出身となっている。
#**今はかつてよく名前を間違えられていた西田ひかるが住んでいるとか。
#**石田ひかりに関しては結婚後も夫の仕事の関係で住んでいたらしい。
#なぜか市のドメインが地方公共団体ドメイン名ではない「nishi.or.jp」。普通はcity.nishinomiya.hyogo.jpとかでしょ。確実に周りから浮いている。
#海岸寄りに「マリナパーク」という埋立地があるが、名前だけを見ると元おニャン子クラブのタレントを思い出しそう。(別に関係はないが)
#*その夫は県内出身(姫路市)。
#*そこにはヨットハーバーがある。ただ、公共交通機関で行くには路線バス利用しないと不便。
#西北周辺の学習塾街は関西トップクラス。日能研・浜学園をはじめ関西の塾は集結してる。夜(九時あたり)の西北にいるのは全員消防。
#鳴尾には特筆すべきものがない。
#*女子大としては全国有数の規模を誇る武庫川女子大学があります。でも阪神の鳴尾浜球場は鳴尾駅からかなり遠い。
#*戦前は阪神競馬場・鳴尾球場(甲子園ができるまで中等野球のメッカ)・浜甲子園阪神パーク・甲子園娯楽場(中等学校サッカーとラグビーの全国大会開催地)・鳴尾ゴルフクラブがある一大観光地だった。戦争でほとんどの施設は接収され海軍鳴尾飛行場になり、激しい空襲を受けて鳴尾村は壊滅。戦後は米軍キャンプとなる。
#2012年まで毎年2月〜3月頃に、フレンテホールで「萌える音楽家たち」という若手演奏家によるコンサートを行っていた。
#*なんだか[[アニメソングファン|この人たち]]が釣れそうなタイトルだ。
#*2013年以後はタイトルが「ピアノに恋した音楽家たち」や「次代へ羽ばたく若きアーティストたち」に変わった。
#西宮維新の会は本家の大阪維新の会とは関係ない。
#*野々村氏の個人党だった。
#*大阪維新の会とは無関係だった「○○維新の会」が全国に結構あった。
#言うまでもないが、西宮市の中心は、西宮北口である。
#*西北は阪神間で尼崎に次ぐ2番手の町。次が芦屋。
#**尼崎というより[[阪神電気鉄道|阪]]尼ですね。
#*但し古くから栄えていたのは阪神側。市役所も阪神西宮駅の近くにある。
#[[東海]]人には[[一宮市]]と間違えられやすい。[[名神高速道路]]には一宮ICと西宮ICの両方があり、一宮IC~西宮IC間は[[東海道新幹線]]より早い1964年9月に開通している。
#*西宮市は大阪~神戸間のちょうど中間にあるが、一宮市も名古屋~岐阜間のほぼ中間地点という共通点もある。
#阪神間の中間点とあって[[関東]]・東海・[[九州]]etc全国各地からの転勤族に人気が高い。
#結構な数の温泉が沸く銭湯がある。


==地域毎の噂==
===氷見新線===
*[[仁川 (兵庫)|仁川]]
*氷見~羽咋
===甲子園口の噂===
#電化されて、北陸新幹線の開業までに、特急「はくたか」が当路線経由で和倉温泉までに運行されていた。
#1丁目から6丁目まであり、面積はかなり広い。
#氷羽線のことかね。氷見市熊無地区は多少過疎化のペースが緩んでいた。この地区からの高校の進学先も広がっていた。
#*2丁目にはJR甲子園口から国道二号線につながる長い商店街があり、毎年7月末には商店街全般の店の定員たちが店を出し大規模な歩行者天国というお祭りを行なう。
#**この狭い商店街を[[阪神バス]]が強引に抜けていく。
#**2013年12月8日に[[関西ローカルTV番組ファン#大阪ほんわかテレビ|テレビ番組]]の企画で「JR甲子園口ほんわか商店街」と改名した。
#公園がたくさんあり、なかなか大きい公園も多い(例 御世開公園 弁天公園 甲子園口6丁目北公園 SL公園)。
#*SL公園は壁などにやたらと落書きが多く、民衆はかなり困っている。
#**SL公園といっても機関車は無く、給水塔が一個あるだけ。貨物線の名残らしい。
#*御世開公園では毎年お祭りが行なわれるが、出店の数は7、8店ぐらいで、歩行者天国よりはかなり劣る。その代わり暗くなるといい雰囲気になって、異常に盛り上がる。そこが楽しい。
#*弁天公園は別名「三角公園」と呼ばれ、きれいな三角形の形をしている。
#甲子園口の中には小学校が一つだけあり、なぜか名称が「上甲子園小学校」になっている。理由は不明。
#*毎年100人ほどの1年生が入学し、平均的な全学年の合計人数は550人程度。1学年の組みの数は普通は3組程度。この小学校内には本格的な日本庭園があり、人工的な滝まである。
#*作家「岡田淳」さんがこの学校の出身であり、この学校を舞台とした作品が多々ある。
#西宮市全般でも言えることだが、ラーメン屋が多い。
#*おいしい店が多く、「にしのみやらーめん」はかなり評判であり、甲子園口の名物ともいえるかもしれない。「にしのみやらーめん」は芦屋にもあり、なかなか評判である。


===甲子園の噂===
==近畿==
[[ファイル:野球塔.jpg|240px|thumb|阪神甲子園球場のすぐ横にある]]
===五新線===
[[ファイル:Tigers lawson.jpg|240px|thumb|ローソンまでタイガース仕様]]
{{駅名標/西日本|name=阪本|ruby=さかもと|roma=Sakamoto|back=たちかわわたし|back2=Tachikawa-Watashi|next=|next2=}}
#ららぽーとが出来たおかげであの辺の道が渋滞して困る。
*五条~新宮
#*東鶴とユニクロの前も渋滞して困る。
#和歌山県東南部へはこれがメインルートとなり京都・新大阪~王寺~五条~新宮~紀伊勝浦間に特急が運転される。
#*競馬開催の時にうっかり[[競馬場/中央競馬#阪神競馬場|阪神競馬場]]辺りに行くと渋滞に巻き込まれて帰れなくなる。
#*大阪から新宮へのアクセスが大幅に改善される。
#*甲子園で試合がある日に、「ららぽーと」に車を短時間でも止めると、ビックリする様な駐車料金を請求される事になる。
#**新宮市は史実より発展し、文字通り南紀の中心都市として人口は10万人近くになっていた。
#**甲子園球場から半径約1㎞にあるコインパーキングは試合のある日は最大料金の設定が大体なくなり、時間分の料金を取られる。
#*2010年までキハ181系が使用され、その後はキハ189系に置き換えられた。
#*ららぽーとへ車で行く時はちゃんと甲子園の試合日程を確認してから行きましょう。
#**五新線経由の新大阪・天王寺~新宮間の特急は「とつかわ」という名称になっていた。
#*山手幹線は思ったほど渋滞がひどくならないね。
#***[[大阪の鉄道#なにわ筋線(仮)|なにわ筋線]]開業後は、同線経由でJR難波・梅田方面にも直通する。
#*試合が始まる前に出庫すれば通常の駐車料金。試合終了(ららぽーと営業時間外)まで駐車すると6000円です。
#***急行時代ならともかく、特急はもう少し小洒落た名前になっていると思う。
#*近所の土地所有者が空き地で野球開催日に臨時の駐車場を営んでいる。
#*最近になって、特急停車駅に限ってICOCAが導入された。
#甲子園浜沿岸の住民は、夏になると眠れない。
#特急「くろしお」は串本止まりになっていた。
#*熱帯夜だけでなく、浜にいるバカどもがうるさい花火を打ち上げるため。マンションに向かって攻撃することも。
#*JRの特急「くろしお」は、紀伊田辺までで、紀伊田辺から新宮は第三セクター転換じゃないのかなぁ。
#[[兵庫の学業#甲子園大学|甲子園大学]]はここにはない。([[宝塚市]]にある)
#**紀伊田辺ではなく白浜だろ。
#*これと引き換えに西宮市内には「大手前大学」という名前的に大阪っぽい名前の大学がある。
#*紀勢本線(きのくに線)の電化も白浜までで、白浜-新宮は非電化のまま。
#球場と駅の間にある[[ダイエー]]は全国有数の売上を誇る旗艦店舗らしい。
#*地元がよほど名乗り出ない限りは、チャンスがない気がする(赤字83線時代ならともかく)。
#*言うまでもなく球場で野球がある時に弁当などを買っていくため。
#JR和歌山線は王寺~五条間が複線化されていた。
#**普段は人が少ないがそのおかげで売上は高い。
#*あるいは[[南海電気鉄道|南海電鉄]]が河内長野~五条間に新線を建設し、難波~新宮間に直通特急を運行していた。
#**甲子園地区には↑のららぽーともあるが、立地条件ではダイエーの方が上。
#*あるいは[[近畿日本鉄道|近鉄]]が、[[近鉄南大阪線#御所線の噂|御所線]]を新宮まで延伸していた。
#*地下には今や関西唯一となった[[ベスト電器]]がある。
#*それはありえへん。前者は金剛峠越えの勾配のきつさ知ってたら、後者は、奈良交通の新宮特急に乗ってはる人の数考えたら誰だって分かる。
#**今は[[ヤマダ電機]]に変わりました。
#**ちなみに史実の路盤完成区間(五条~阪本)では近鉄が電車で、南海が気動車で乗り入れる構想があったはず。
#*オープン当初はプランタンという名称だった。
#*河内長野~五条間の新線が建設されなかった場合、橋本経由で五新線に直通していた。
#*かつては出入口が回転ドアになっていたが、[[六本木ヒルズ]]で起こった事故を受けて撤去された。
#**[[南海高野線|高野線]]の橋本までの複線化・線形改良は史実よりも早く行われていた。
#*地下のレストラン街には場所柄か川藤幸三氏がプロデュースするラーメン店がテナントとして入っている。
#*南海が五新線に乗り入れていた場合、南海の観光名所案内に十津川温泉が入っていた。
#*元は甲陽学院の高等部があった場所。試合がある日はうるさい等の問題があり、甲陽園の山の上に移転。
#奈良県十津川村は温泉を中心とする一大観光地になっていた。
#**甲子園に出場する高校は試合前に隣接する甲陽学園グラウンドでの練習があった。
#*東の草津温泉、西の十津川温泉と言われていた。
#**甲陽学園が山の上に移転するに当たり、高野連は用地を買収し「練習場+宿泊施設」を建設しようとするが、各県代表の高校生が定宿にしていた周辺の民宿などから激しい反発もあり頓挫。
#*十津川村の過疎化は現実よりも進まず、むしろ人口が増えて十津川'''町'''となっていたかも。
#***今では民宿に泊まる代表校はごく少数に。多くは大阪のホテルに宿泊。
#*場合によっては平成合併で市制施行もありえた。
#*ついにダイエーはイオンになりました。
#*[[新十津川町]]と区別するため、「東十津川」「大和十津川」、あるい「元十津川」という名前になっていたかも知れない。
#*ここのダイエー→イオンは売り場構成の関係上客は上の階よりも地下に流れやすい。最大のドル箱である食料品売場は地下2階にあるが総合スーパーで地下2階まである店舗は珍しい。
#**訂正:「東十津川」ではなく、「西十津川」。
#*そんなイオン甲子園店だが2017年5月いっぱいで閉店が決定…。ららぽーとができてから売り上げが落ちたらしい。
#**十津川町になっても新十津川町のほうも快くOKしてくれるはず。
#**閉店後リニューアルし、2018年になって「[[近畿の商業施設#コロワ甲子園|コロワ甲子園]]」としてオープン。食品売り場にイオンが残った。
#[[奈良交通]]の日本一長い路線バスは廃止。
#常盤貴子の出身地だったりする。
#*しかしローカル路線は五新線の各駅を中心に再編されて、コミュニティバス移管や減便廃止のスピードは緩やかになり、全体で見れば現実のような南和地域の公共交通網壊滅は避けられてた。
#*公式プロフィールでは神奈川県出身となっているが、事実生まれは横浜で、後に甲子園に引っ越してきたらしい。
#廃線マニアではなく鉄ちゃんがやって来るようになっていた。
#*そのためか常盤自身も[[阪神タイガースファン|阪神ファン]]である。
#西村京太郎が十津川駅を舞台にした作品を書いていた。
#**結婚後関東から西宮に移住し、西宮観光大使になったのに[[巨人ファン]]を貫く西田ひかるとは対照的(奇しくも常盤と同級生)。
#*無論「最後の作品」として。
#*堤真一も。因みに常盤貴子とは高校の先輩後輩。
#*最後の作品は、[[札沼線]]をも舞台にした、奈良-北海道を結ぶ壮大なものになったかも。
#たけし軍団の某メンバーはこの地名を変なことに使っている。
#熊野本宮大社や湯の峰・川湯両温泉への観光客が増加していた。
#大力食堂のカツ丼は量が半端ないらしい。
#*特急「南紀」の一部が熊野本宮発着となっていた。
#甲子園球場から海側に少し歩いた所にタイガース仕様の[[ローソン]]ができた。
#和歌山県[[田辺市#本宮の噂|本宮町]]は新宮市とのアクセスがよくなることから田辺市ではなく新宮市と合併していた。
#*あと、球場近くの[[吉野家]]も同様。
#しかし2011年の台風災害があまりに甚大で復旧が困難なことから廃線の危機に直面する。
#この地域は武庫川の支流に挟まれた三角州で、球場出来る前は地盤が弱いとされていた。
#*いや、紀勢本線が被災した場合の代替ルートとして早期復旧する。
#*ところが、球場1塁側辺りに「素盞嗚(すさのお)神社」を建立した事で無事を保っている。
#*復旧は行われるが、高山本線(2004年被災・2007年完全復旧)のように3年くらいかかることになる。
#**当時の阪神監督、星野仙一氏やどんでんこと岡田彰布氏の「夢」や「野球塚」と言う文字が彫刻されたモニュメントが境内にある。
#城戸までは電化されて大阪の通勤圏に入っていた。JR難波-城戸間を直通する区間快速も設定されていた。
#**無論、参拝者は阪神関係者以外に高校球児も多い。
#恐らく[[東海旅客鉄道/路線別#飯田線|飯田線]]も真っ青の秘境駅の宝庫となっていた。
#**そのためか阪神大震災で損傷はしたものの、致命的な被害は免れた。球場周辺には倒壊家屋なども結構あったが。
#五新線の路線記号は「W」になっており、きのくに線は「X」になっていた。
#*あるいは和歌山線王寺~五条間と五新線が「T」(上記のように関西線直通列車が運行されていると思われる為)、和歌山線五条~和歌山間が「W」に(きのくに線は阪和線と同じ「R」に)。


===西宮七園の噂===
===若江線===
#苦楽園もかなりの高級住宅街なのだが、すぐ近所に日本有数の超高級住宅街「[[芦屋市#高級住宅地・芦屋|六麓荘]]」がある為、いまいち目立たない。
*近江今津~上中
#*もともとは温泉街だった。水害で壊滅した。
#直流電化されて京阪神~若狭地区の短絡路線となっていた。
#**苦楽園のバス停の近くの池は、温泉旅館の庭園の一部だった。
#大阪~小浜間に特急「わかさ」が設定される。
#**苦楽園と甲陽園は西宮の住宅地の中でも別格の扱いを受けている(夙川ブランド)。
#*[[新快速 (JR西日本)|新快速]]も小浜まで乗り入れる。
#***有名となった[[#西宮市を舞台とする作品|西宮北高]]の所在地は苦楽園なのにね…知名度が低い。
#「まいづる」が割を食って減便されていた。
#***苦楽園の小学校には「湯川秀樹」の記念碑もあるとか。苦楽園に在住した経歴を持つ。
#敦賀駅の改修工事が先送りになってた。
#***「夙川」も入れてあげて下さい。
#北陸新幹線が全通した際には路線の殆どが並行在来線として経営分離される。
#****夙川は実は「香櫨園」と一体。「夙川香櫨園住宅地」って名で開発されたこともある(詳しくは後述)。
#***甲陽園目神山町は自然豊かで素敵な環境。石井修さんの家がよく似合う。
#***七園には入らないけど剣谷とかもいい雰囲気。
#***一般的に苦楽園というと阪急苦楽園口駅あたりを示す場合が多いが、駅周辺は苦楽園とまったく無関係。苦楽園はかなり離れた山奥。
#****上にも上げた通り、甲陽園駅が(一応)「最寄り駅」である西宮北高校のある辺りが真の苦楽園である。その証拠に、北高校には隣接して「苦楽園小学校」と「苦楽園中学校」が建っている。
#*苦楽園というと駅の辺は洋菓子激戦区として一部では知られている。旨い店が多い。
#**R(イニシャル)のシュークリームはちょっとむっさ旨いし値段も105円と納得の味。
#**他にもケーキ屋ですがA(これもイニシャル)の焼菓子とか、P(またまたイニシャル)のファーブルトン(フランスの焼菓子)などなど旨い店が多い。
#**これら全て、ケーキ屋ですのでもちろんケーキも旨いですがね……
#**それからパンの激戦区としても知られとうよ。あえて、紹介はせんけどね。
#*苦楽園にはプロ野球で[[大阪近鉄バファローズ|近鉄]]などで活躍や在籍した[[プロ野球選手ファン#中村紀洋ファン|中村ノリ]]さんの野球教室がある。
#西宮七園と言って、甲子園、昭和園、甲風園、甲東園、甲陽園、苦楽園、香櫨園は戦前から高級住宅街として開発されました。今でもここらの雰囲気は高級住宅街らしい落ち着きがあります。
#*香櫨園は阪神香櫨園駅近くではなく、本来は阪急夙川駅近くの住宅地。元は遊園地であった。大神中央土地は「夙川香櫨園住宅地」として開発している。
#**遊園地として存続したのはほんの一時期。平成バブル期に建てられてすぐ潰れた遊園地の名がそのまま残っていることにさえ違和感を感じるのに、潰れてから100年もそのまま名が残ってるのはすごい事である。
#*主に夜間、阪神香櫨園駅前~R2にかけての公園に近隣の高校に通う生徒たちが部活帰りにたむろっている。(当事者より)
#*西宮北口駅付近の住宅地は昭和園と甲風園。しかし前者は今は案内に使っていない。
#**昭和園を名乗った不動産広告は結構見かけるが。
#*「甲」は甲子園を除いて甲山に由来。甲子園も球場ではなく、リゾート・住宅地が本来の姿なんだが。
#甲陽園は甲陽線開業より開発が早い。甲陽線自体、もともとそれへのアクセスを元に敷設したもの。
#*甲陽園にはかつて、「東亜キネマ」という映画の撮影所があった。初作品は「愛の秘密」(1924年)だそうで。
#*甲陽園駅前にある洋菓子屋の「ツマガリ」は、全国的に有名らしい。通販もしている。
#**このへんは洋菓子激戦区にして何処も旨いので、有名かどうかやなくて自分の舌に合うかどうかで判断するのが地元民の嗜みだったりします。
#球場ばかり有名だが、「甲子園」は西宮七園の一角であり、阪神沿線に開発された高級住宅地でもある。「甲子園口」の駅名とかはここに由来する。
#*球場ばかり有名になった弊害で、甲子園球場へ行くのに甲子園口駅で間違って降りる乗客がいる。
#*阪神甲子園の北側の甲子園一番町~五番町・若草町・花園町・学文殿町のエリアが人気の住宅街です。有名企業や大学のお偉いさんが住んでいる。
#**それは間違い。実際、駅の北は庶民的で柄が悪く、やはり市北部の夙川と比べれば質においてかなり差がある。
#***夙川エリアより質が落ちるとは言っても、日本の平均的住宅地より高級感がある事に間違いはない。所得水準の高いエリアにしか出店しない方針のベーカリーレストラン神戸屋が存在する事からもみてとれる。 
#**六番町のことも忘れてあげないでください。
#西宮七園で高級住宅街は苦楽園&甲陽園、商業地は甲子園、それ以外は準高級住宅街と現在は微妙に棲み分けが出来ていてこれが現状だったりする。
#*甲風園の一部は第一種低層住居専用地域で市内では1,2を争う土地の値段が高いエリア。下手すれば中途半端な苦楽園や甲陽園よりも高級住宅街になる。
#*確かに甲風園は土地の値段の高い所もあるが、家の大きさが苦楽園や甲陽園に及ばないから、実質はやはり苦楽園や甲陽園といった夙川エリアの方が良い。
#阪神香櫨園駅の北側には「松下町」がある。でも[[パナソニック]]はない。


===塩瀬・山口の噂===
===小鶴線===
#山口町には阪神流通センターがあるが、その名前がそのまま住所名になっている。しかも、ご丁寧に「○丁目」までついている。
*殿田(日吉)~小浜
#*「西宮市山口町阪神流通センター○丁目」
#国鉄時代は急行「丹波」と併結する急行が運転されていた。
#生瀬は藤原紀香の故郷である。
#*京都から小鶴線経由の北陸行き急行も設定されていた。
#*そのうち、宝塚に持っていかれたりして…。
#*急行「大社」の名古屋編成がこちら経由だったかも?
#*俳優の生瀬勝久とは関係あるのだろうか?
#山陰線改良・電化時に併せて電化される。
#**生瀬勝久は塩瀬町出身。
#*普通列車は勿論125系。
#**生瀬の辺りに生瀬さんは生瀬勝久の一家だけだが、生瀬家は外から移住してきた人々のうちの一つであり元々生瀬に住んでたわけではない。生瀬勝久は甲子園の春風小学校出身という事実。
#若江線未開通ならこちらに特急「わかさ」が運転される。
#***そもそも生瀬という苗字自体珍しい(全国で50軒くらいしかない)。
#*運転区間は京都~小浜・東舞鶴。
#*しかし、ご両親は[[和歌山]]出身のようで紀香と言う名前も「紀」の川の「香」りと言うのが由来らしい。
#*代わりに特急「まいづる」が設定されず西舞鶴~東舞鶴が特急空白区間に。
#[[阪急バス]]が無いと陸の孤島になる住民が多い。
#*いや、特急「わかさ」の運転区間は、京都~小浜・敦賀間となり、特急「まいづる」の登場は、史実通りかと。
#*その阪急バスの山口営業所が流通センター内にある。
#舞鶴線が電化されない可能性が出て来る。
#山口町と市南部を結ぶバスができた。塩瀬町民はちょっと悲しい。
#[[南丹市]]の旧美山町が「かやぶきの里」として多くの観光客で賑わうようになっていた。
#宝塚駅から西へ行くと1km足らずでここに入る。何故宝塚市ではなく西宮市なのかが不思議。
#*南丹市に合併されたことを誰も不思議に思わない。
#*宝塚の市街地が終わらないうちに西宮市域に入る。もはや宝塚の一部。
#山陰本線京都口の複線化は日吉まで行われていた。
#*もともと、このへんは[[神戸市/北区|道場や八多]]とともに神戸市への編入を期待していたらしいが兵庫県が圧力をかけて止めたらしい。
#北陸新幹線も京都駅を通るルートで決まっていた。小浜は新幹線のルートから外れていた可能性も。
#**一方、宝塚の辺の武庫川西岸(南口や逆瀬川の辺)の地区は川向うの小浜と一緒になるか、西宮に入るかで割れている頃で、西宮としては両側から挟む意味で、塩瀬と山口としては西岸の西宮編入を期待して、見切り発車的に先行合併したのが始まりという話を聞いたことがある。
#ここの住人は西宮市街のことを「ハマ」と呼ぶ。しかし西宮市街の住民は「ヤマ」とは言わない。ってか市内と認識していない。山口は三田か北区、塩瀬は宝塚だと思っている。
#*生瀬は本当に宝塚っぽい。
#車持ちの山口町民の必須アイテムといえば、西宮北道路の回数券。
#「宝生ヶ丘」は宝塚市ではなく西宮市にある。
#*とはいえ明らかに宝塚を意識した地名。
#「塩瀬」よりも「名塩」「生瀬」の方がずっと馴染み深い。
#*「塩瀬」自体「名塩」と「生瀬」の合成地名。
#西宮南部の住人は北部の住人を西宮市民とは認めていない。
#*ただ、市役所としては固定資産税や流通センターの事業税のため、見捨てるには惜しい地域らしい。
#あの号泣県議のお陰で有名になった。「我が県のみならずぅぅぅ~ウ~ヒャッハー」w
#*あの県議、「塩瀬・山口」関係?
#**確か武庫川。ちなみに出身は大阪。
#生瀬は有馬街道の宿場町、名塩は紙漉きの町として栄えたが、名塩ニュータウンは活気がなく閑散としている。
#*街作りがバブル期と重なり、不動産を高値づかみしてローン返済に苦しむ人が多かった。
#*176号の渋滞が酷いため長年”陸の孤島”で、広い地域なのに車が有効に使えず、福知山線しか脱出する方法がなかった。頼みの福知山線も事故を起して塩瀬の人が沢山亡くなり、新規流入者は減少し、宝塚止まりが増え、閉塞感が漂う。
#*バブルの名残の斜行エレベーター
#実は有馬温泉のすぐ近くまでこのエリアは広がっている。
#*だってここも元有馬郡だもん。
#*その有馬温泉と生瀬(~宝塚)を短絡する県道51号線(通称:有馬街道・湯山街道)は強烈な峠道である。
#**この道を阪急バスが大型バスで峠攻めをしていく様子は圧巻。
#***道中の蓬莱峡の景色も圧巻。自然が造り出した鋭く白い岩山が連なる荒々しい風景は日本でも極めて珍しい。
#****この岩山は非常に脆い花崗岩でできているため(手で触ると簡単に表面が崩れるらしい)、樹木はおろか草すら生えない地肌が露出した山になっている。
#*****この風景があまりに浮世離れしているためか、時折ドラマや映画の撮影に使われる。


==西宮市を舞台とする作品==
===信楽線===
#「[[涼宮ハルヒファン|涼宮ハルヒ]]」シリーズの舞台。
*信楽~加茂
#*作者が西宮出身で[[関西学院大学|関西学院大]]卒。
#信楽高原鐵道は誕生しなかった。
#*「北高」=「県立西宮北高校」
#*当然のことながら信楽高原鐵道列車衝突事故は起きない。
#**ハルヒ対立候補は佐々木。詳しくは単行本「涼宮ハルヒの分裂」を読めば分かる。
#国鉄時代には天王寺~貴生川を結ぶ急行「しがらき」が運転されていた。
#***涼宮ハルヒ氏が首相に就任。その為、日本国民SOS団化。
#*国鉄のことだから「志摩」「平安」のどれかと併結させて京都まで行ってそう。
#**メジャーリーガー、田口壮、作家の谷川流の出身校w。
#*天王寺側では「かすが」との併結で湊町発となっていた。
#**そして、「涼宮ハルヒの憂鬱」の舞台の高校。
#**そうなると分割・併合のため加茂に唯一停まる急行となっていた。
#***ついでに[[長島☆自演乙☆雄一郎ファン|この人]]も西宮北高出身でハルヒファン。
#*1973年10月の関西線電化時に廃止され、奈良-貴生川の直通普通列車に再編された(但し車両はキハ35系)。
#****自演乙は報徳出身。夙川アトムもそう。
#JR化後全線電化され、大和路快速が貴生川まで直通する。
#*最初の池=新池
#*信楽は[[奈良]]方面との結びつきも強くなっていた。
#*聖地巡礼と称して西宮観光が流行ったりもした。
#片奈連絡線の役割を果たしているため、片奈連絡線の構想はなかった。
#*んじゃなんでキョンとその妹はずっと標準語なんだろ。
#市町村合併で信楽町が甲賀市に編入されることはなかった。
#**原作では特に舞台設定はなかったらしいからな。
#*現在も信楽町として残っている。
#***地元民が原作読めば文章でここがどこって頭の中で風景描くことできるよ。
#*あるいは[[大津市]]に編入されていた。
#***「光陽園」(こうようえん)なんて駅が出てくる時点で、「特に舞台設定はなかった」などという事は出来ない。
#びわこ京阪奈線は早く実現していた。
#**このサイトの[[神戸市|神戸]]の欄では、特に山手の住民はあまり関西弁を使わないというようなことが書かれていた。
#***そこまで細かなところまで設定されているとは思えない。
#**それって「[[らき☆すたファン|らき☆すた]]」は[[埼玉]]なのになんで関東弁喋ってないの?と聞くのと同じ。
#***あれは標準語ではなく関東弁。
#*鶴屋さんや、阪中といったお嬢様が出てくる。
#**なお、阪中が犬の散歩に使う道を推測すると、阪急芦屋川周辺の住宅街から夙川までとなり、あまりにも遠すぎる。
#**同じく、キョンがみくるの正体を知ったエピソードでの、北口から夙川までも遠い。
#***このことから、本当に歩いて聖地巡りをしようということは止した方がいい。最低でも自転車、もしくはバスを使うことが必須。
#****坂が多いので自転車は止めておいたほうが良い。
#*****北高生の間では登校・下校が登山・下山と言われるくらいキツイ
#***名目は「架空」とのことなので、実際の地理的に間違った所は数多い。芦屋川なんて苦楽園から直行した方が早いように思えるのだが。
#*北口駅付近は本物そっくり。
#**最近、駅前の公園が無くなった。
#*西宮北高の所在地は苦楽園で、実際の高校には隣接して苦楽園小学校と中学校があるんだが、なぜかその名前は甲陽園(光陽園)や夙川(祝川)と違って、捩ったものさえ作中に出てこない。
#**同じく近隣に位置し、関西屈指の進学校である甲陽学院高等学校も登場せず。一方で、山麓にある夙川学院中学校・高等学校は「光陽園学院」として登場。
#***恐らく谷川先生はその二つの高校をごっちゃしたのだと思われる。
#*この作品の影響で、西宮北口駅の通称を「北口駅」だと覚えてしまった人も少なくない。現実には上にもある通り「西北(の駅)」と呼ぶことが(若者中心に)多い。
#**昔から住んでいる地元民は西宮北口駅を「北口」と呼んでいる。「西北」と呼ぶのはよそ者か若者。
#実は「[[ジブリファン|火垂るの墓]]」の舞台でもあるが、影が薄れつつある(?)。
#*ニテコ池ですね。
#**他にも浜辺とか、夙川公園の南側。ハルヒの興隆前はこれ関係で訪れる人も目立っていた。まあ[[神戸市|神戸]]と折衷だが。
#*西宮市が舞台の火垂るの墓の60年後の現地は萌え要素が強い涼宮ハルヒの舞台。
#**夙川公園なんぞ、それ以外にも数多くの作品舞台になっている。たまたまこの2作品が目立っただけ。阪神間モダニズムの象徴だし。
#*夙川の川縁にそれ関係の石碑があった覚えがある。
#「白い巨塔」の財前の妻は夙川出身。原作では標準語混じりの中途半端な関西弁を使うから好かん、と父親(財前の舅)がこぼしている。
#[[高校野球ファン|高校野球]]を題材とした作品では当然西宮市はメインの扱いである(たとえば「大甲子園」は8割以上が西宮市が舞台になっている)。
#*しかし作者が無知だと、悪意がなくても甲子園球場が兵庫県西宮市にあることを忘れ、まるで大阪府大阪市にあるような描写をしてしまうこともある。無論、大阪市民の心の拠り所であることは事実なんだろうが…
#*高校野球が題材でも、地方予選突破がストーリーの中心ならばそうはならないけどね(2010年ヒットの『もしドラ』とかもそれ)。
#*というか、「高校野球の漫画」と聞いて多くの人が思い浮かべるであろう『タッチ』にも甲子園はほとんど登場しない。
#何故谷崎潤一郎の名作中の名作「細雪」が出て来ない?(お隣[[芦屋市]]が主な舞台だが、香櫨園とかも出ている。)
#*「芦屋の作品」というイメージが強過ぎるからではないかと…確かJR芦屋駅のスタンプの図面に採用されていた覚えが。
#阪急今津線を舞台とした作品も目立っているように思える。
#*後述するかんべむさし氏の「決戦・日本シリーズ」の他、有川浩氏の「阪急電車」も。
#**因みに「阪急電車」は阪急と関学が積極的に推しているため、平成の阪急文化を象徴する作品ともなりそうな気がする。
#***映画見たけど酷い作品だな。。脚本・構成・演出が素人レベル。昔の阪急ドラマみたい。


==西宮市と野球==
===智頭線===
[[関西の野球事情]]も参照のこと。
*上郡〜智頭
#[[阪神甲子園球場|甲子園球場]]が有る所ということが意外に認知されていない。
#特急は今ほど増発されていない。
#*大阪ではなく西宮市にあることをアピールするため、高校野球の際に「ようこそ西宮へ」という人文字をやっているが、いまいち目だっていない
#*「はくと」の車両は2010年までキハ181系が使用され、その後はキハ189系に置き換えられた。「いなば」はほぼ史実と同じ。
#*甲子園球場の所在地は、やはり[[大阪市]][[神戸市]]と勘違いする人が多い。
#特急料金は割高
#**西宮出身と紹介した人に、「甲子園球場がある西宮ですか?」って聞いたら、「そう!よく知ってるね。『西宮に甲子園がある』って言ってくれた人は君が初めてだよ!!」って言われた(2009年2月時点で20歳の人)。やはり大阪にあると勘違いされるようだ。
#普通列車は全て相生まで乗り入れ。鳥取乗り入れとあいまって「はくと」の混雑緩和に貢献する。
#**大阪出身の人ですら、「西宮で野球を見る?[[野球場/旧本拠地#阪急西宮球場の噂|西宮球場]]に行くんですか?」と言う人も・・・(2009年元日の話)。もっと認知されるべき。
#朝・夜間に「サンライズ」接続の姫路〜鳥取間の快速が運行される。
#***いや、というか、普通に甲子園行くんやったら「甲子園で野球観る」って言うやろ。西宮って知っててもそう言うシチュエーションってない気がする。by元西宮市民(今は大阪市民やけど)
#もちろん、[[鳥取の駅#恋山形駅の噂|恋山形駅]]も「因幡山形」というなんの変哲もない駅名になっていた。
#**神戸には[[神戸総合運動公園野球場|コレ]]があって[[オリックス・バファローズ|阪急の後継球団]]本拠地としてまだ知られていたため、大阪のほうが多そう。それだけ[[大阪ドーム]]の印象が薄いということでもあるが。
#*ピンク一色にするという発想もなかった。
#*「大阪タイガース」から「[[阪神タイガース]]」に改称した際、特に喜んだのは神戸とここだと思う。「阪神間」という地域独自性が認められたようなものだし。
#はくとが姫路~佐用まで姫新線経由になる。
#*[[阪神高速道路]][[名神高速道路]]における西宮市の案内標識を甲子園球場にしてアピールに必死ではあるが。
 
#**[[中国自動車道]]にもある。しかも甲子園から10キロ以上離れた[[三田市]]や名塩に。
===三木線===
#*[[高校野球ファン|高校野球]]の場合、[[朝日放送]]などで「地元大阪の…」と報道されることが多い。
*厄神~三木~明石
#*最近は高校野球の開会・閉会の挨拶で「協力していただいた地元西宮の皆様」と言ってくれるのでちょっとうれしい。
#三木線は国鉄としても盲腸線にならなかったので史実ほどひどい赤字にならなかった。
#鳴尾というと西宮市民以外は阪神鳴尾浜球場を想像するが、阪神鳴尾駅周辺はごく普通の住宅街。
#*ただ厄神~三木間は廃止されていた。
#*ちなみに鳴尾浜球場は海の方にあるので、鳴尾駅からは相当離れている。
#明石近辺の利用者のおかげでJRにとどまることができた。
#*武庫女も忘れずに。
#JR化後は神戸電鉄粟生線との競争でてこ入れを図っていた。
#*戦前は阪神競馬場の前身である鳴尾競馬場があった。
#*木津~長尾の電化と同時期に電化される。
#**その鳴尾競馬場は昔、鳴尾球場という野球場でもあった。それを移転させたのが甲子園球場。鳴尾の時代から中等学校野球の舞台になっていた。
#**電化と同時にJR京都・神戸線との直通運転が実施される。東西線開通後は三木-京田辺間に直通電車も運行されていた。そのため、三木市からは神戸だけでなく大阪に通勤する者も史実以上に多かった。
#*鳴尾浜に行くときは甲子園からバスで行くか武庫川団地前から歩いていった方がいい。
#*神戸電鉄粟生線は史実以上の赤字となっている。
#**現在の鳴尾浜球場と、甲子園の前身である鳴尾球場はまったくの別物なんだが、混同されることがたまにある。
#*むしろ神戸電鉄は計画通りに鈴蘭台~押部台間を複線化させて、特急も運行されていた。
#プロ野球の球団が2つあった。オープン戦では両球団が対戦したことがあったが、日本シリーズで対戦したことは一度もなし。
#*播但線が電化された1998年か加古川線が電化された2004年に実施されていたかそれまでに実施されていた。
#*阪神タイガースと[[阪急ブレーブス]](現オリックスバファローズ)ですね。
#神戸市営地下鉄西神・山手線は三木線と接続できる位置まで延伸されていた。
#*ハヤカワ文庫 かんべむさし「決戦!日本シリーズ」ってのがあっただけど。通称「今津線シリーズ」。
#この線が途中[[神戸市/西区|神戸市西区内]]を通るため、朝霧・明石両駅は神戸市内駅という扱いになっていた。
#*未だに西宮球場と阪急ブレーブスがあれば、上記の「涼宮ハルヒ」シリーズに何らかの形で出てきただろうに・・・。もったいない。
#*それと同時に神戸市の全ての区にJRの駅があるということにもなっていた。
#*西宮球場とブレーブスは、それぞれ甲子園球場とタイガースに対抗するため造ったとか。いずれも後者に及ぶことは出来なかったが。
#125系電車か103系3500番台が投入されていた。
#*スタジアム跡地に完成した阪急西宮ガーデンズの5階に、[[難波]][[野球場/旧本拠地#大阪スタヂアムの噂|大阪球場]]跡地に出来た商業施設(なんばパークス)を真似てか、鉄道兼球団の資料館が出来た。
 
#**同じくホームベース跡もタイルで再現。
===片奈連絡線===
#*阪急球団があった頃、何回かこの「西宮ダービー」実現のチャンスが有ったはず。
*新田~長尾
#**今でもやってほしかったと思う人は多いはず。
#京都~長尾~京橋~尼崎間を走る直通列車が運行されていた。
#[[読売ジャイアンツ]]のオフィシャルスポンサーである[[兵庫の食品会社#伊藤ハム|伊藤ハム]]は、この市に本社、[[神戸市]]に本店がある。
#宇治市や城陽市などの京都府南部地域の人口が史実より増えていた。
#市内の公立小学校の連合体育大会の会場が甲子園球場なので、誰でも一度は甲子園のグランドに立ったことがある。
#*京都線まわりの新快速は、もう少し短かったかもしれない。
#*そして密かに砂を持ち帰るヤツがいるので、わざわざ”砂を持ち帰らないで”という内容のアナウンスが流れる。
#奈良線の電化と複線化が史実よりも早まっていた。
#*芝生を引きちぎってもって帰るヤツもおった。
#*線形の悪いJR藤森-六地蔵は、腹付けではなく、桃山に容赦なく穴を開けて線形改良もされる。
#*で、ポケットに土を入れたあげく、ポケットの中が泥まみれになる、と言うオチがある。
#*北宇治駅などの名称で、京阪宇治駅にJRホームが設置されるかもしれない。
#**整列時の立ち位置によりますよね。私は幸運にも砂の部分でした。
#近鉄京都線は、特急が豪華戦略となり、8両化や澱川橋梁付近の曲線改良が本気で取り沙汰される。
#*持って帰ったのが先生にバレると、その砂を持って謝りに行く。
#*快速急行が残っている。
#*中学でも連合体育大会がありました。他校が自分の学校名を人文字でやってくれると嬉しかった。
#*地下鉄烏丸線も8両化準備工事が進んでいる。
#*小学校6年生の小連体、中学校3年間の中連体と4回チャンスがある。
#'''[[日本刀|かたな]]'''連絡線。
#**来年から3年間小、中連体なくなりますby,中1
#*そのため、女性向けソシャゲ(ブラウザゲーム)の刀剣乱舞とコラボを開始してしまう。
#甲子園球場という器があるせいか(昔は西宮球場も有った)、市民グランドは芝生も生えておらず、かなりしょぼい。
#'''へんな'''連絡線と呼ばれてしまう。
[[Category:中核市]]
#*愛称がちゃんと命名されていてもお構いなしである。
[[Category:方角地名]]
 
[[Category:●宮]]
===第2東海道貨物線===
*山科~桃山~新田~吹田操車場
#長尾駅付近に大規模な貨物駅ができていた。
#*それに関連して、[[第二京阪道路]]も現実よりも早く開通していた。
#吹田貨物ターミナル駅の開業が史実より早まっていた。
#前述のことにより、梅田貨物駅は史実より早く閉鎖され、再開発事業も史実より早く実施されていた。
#≒[[もしあの鉄道路線が○○だったら/JR西日本#大阪直通ルートが片町線経由だったら]]である。
#いずれは旅客化が検討されるようになっていた。
#*京都市営地下鉄東西線は山科以南が着工されない。
#**山科以西は狭軌で開業しJR車の207系が乗り入れてくる可能性がある。
#**京津線が全廃、または浜大津まで狭軌の完全新線になっていたかもしれない。
 
===南港貨物線===
*杉本町~北島~大阪南港
#阪和貨物線共々旅客化されていた。
#*関東の鉄道ファンから「西の京葉線・りんかい線」と呼ばれていたかもしれない。
#*北梅田駅の建設計画と同時に、桜島線と接続させて環状運転を行う構想が出ていたかもしれない。
#貨物線として開業する予定だったので、コンテナ埠頭の辺りまで線路が延びていた。
#確実にニュートラムの計画に影響が出ていた。
#*開業していたとしても国鉄南港駅を経由するルートになっていたかもしれない。但し旅客化されなければ史実通り。
#*旅客化されていた場合はニュートラムは開業せず、むしろ地下鉄中央線がポートタウン東駅(国鉄南港駅と接続)まで乗り入れていた。
#ニュートラム開業時はまだ五分五分だろうが、OTS線開業後は大阪市内~南港間の移動では国鉄→JRよりも地下鉄の方が間違いなく有利になっていた。
#終点の位置や配線構造が中途半端なので、旅客化されたとしても(史実の)おおさか東線以外との直通列車が設定されたかどうか怪しい。
#[[大阪市/此花区#夢洲の噂|夢洲]]への万博やIR誘致が具体化すると南港から夢洲・舞洲を経て桜島まで延伸しておおさか東線・梅田貨物線・桜島線と合わせて第二の環状線とする計画に発展していた。
 
===泉北線===
阪和線の上野芝から泉北ニュータウンへの支線計画。詳しくは[http://namihyanote.hatenadiary.jp/entry/2013/12/22/225118 こちら]を参照。
#複々線区間も同時に出来ていたため阪和線のダイヤの乱れが史実よりましになっていた。
#*岸和田まで複々線区間を延ばす計画があがるも中々進まない。
#泉北高速鉄道は存在しなかった。
#*大阪府都市開発はトラックターミナル専業のままでローンスターに売却されていた。
#*史実の泉北高速鉄道線に近いルートで阪和貨物線との連絡線を建設することが構想されるも、諸般の事情で実現せずに終わる。
#*南海は泉北ニュータウンに直通しなかったため、林間田園都市の開発は史実より早かった。林間田園都市駅は1971年に開業し、林間田園都市までの複線化・大型車乗り入れは1973年の昇圧時に、橋本までの複線化・大型車乗り入れも1985年までには完了していた。
#*大阪市営地下鉄御堂筋線は堺市内に乗り入れず、現在も我孫子が終点のまま。
#地図を見た限り分岐は上野芝ではなく百舌鳥で行うのが自然な気がする。
#*とはいえ古墳群があるのでルート選定にはものすごく慎重にならざるを得なかった。
#光明池・和泉中央まで延伸されたのち、岸和田市の山直中町・天神山のふもとから貝塚市の水間の北を通って、熊取の南部から北進し熊取駅に合流。
#*この結果、岸和田市山手、貝塚市山手、熊取南部に巨大住宅群が誕生。
#*泉州で阪和環状線ループ鉄道になる。
#*水間寺が世界遺産に登録された。正月のもちまきを年6回実施することになった。
#*岸和田市の人口が50万人になり政令指定都市運動がおこる。
#**岸和田市と貝塚市が合併し人口80万になりついに政令指定都市になった。
#***その年は記念でだんじり祭が4月6月8月9月10月の年5回になった。試験引きと併せて年10回に。だんじりファン熱狂。
 
==中国==
===岩日線===
{{駅名標/西日本|name=新岩国|ruby=しんいわくに|roma=Shin-Iwakuni|back=かわにし|back2=Kawanishi|next=しゅうちかさがみ|next2=Shuuchi-Kasagami}}
*川西~錦川~日原
#開業後は陰陽連絡の主要ルートとして位置づけらた。
#*優等列車も設定。
#*特急「おき」は広島発着になる。よって山口線日原以南はローカル線転落。
#*山口県の県庁所在地である山口市と観光地として有名な津和野を抱えた路線なのでそこまで状況が悪化することはなさそう。
#*「おき」は存置で別系統の優等列車(岩国発で御庄=新岩国で新幹線に接続)が仕立てられ、キハ187登場後は日原で「おき」と併結運転する特急に。
#*列車名は国鉄急行なら「錦川」、JR特急なら開いて「にしきがわ」。線内停車駅は新岩国、錦町、六日市、日原。
#*一時期は広島~米子(岩日線経由)や広島~下関(岩日線経由)という急行も設定される。前者はやがて廃止されるが後者は東萩までに短縮された後に特急格上げされて現在も存続。
#**愛称は「はぎ」か?
#**萩連絡だとこちらに一日の長があるので防長線バスが今ほど発展していない。
#新幹線との連絡を改善するため、御庄駅を移転、新岩国に改称。
#*新岩国には「ひかり」・「さくら」の約半数が停車し、「のぞみ」も1日1往復程度は停車していた。
#*岩徳線西岩国駅も錦帯橋から近い駅ということをアピールするため、JR化後に駅名が「錦帯橋」に変更されていた。
#C57-1の動態保存はこの路線で実施。
#*錦町以北は長大トンネルも多いしどうかなぁ・・・
#しかし、乗車密度の低さから伊勢線や中村線などと同様に第三セクター化は免れなかった。
#*その際、この第三セクターに、[[wikipedia:ja:森英恵|ファッションブランド「ハナエモリ」]]が大量に出資する。
#**↑のブランドの創業者がこの沿線の[[島根/石見#吉賀町の噂|吉賀町六日町]]出身である([[島根/石見#津和野町の噂|日原]]の手前)。
#**沿線人口の割に「ファッショナブルな」ラッピング列車が登場して、女性観光客の間で噂になる。
#**[[もしあの番組が大コケしていたら/日本テレビ系#ぐるぐるナインティナイン|「ゴチになります」]]の収録が発生する程度のホテルができて、観光路線として人気が出ていた。
 
===今福線===
{{駅名標/西日本|name=三段峡|ruby=さんだんきょう|roma=Sandankyō|back=とごうち|back2=Togōchi|next=はしやま|next2=Hashiyama}}
*広島~可部~三段峡~浜田
#木次線・三江線と大して変わらぬたたずまいだっただろう。
#*こっちが全通していた場合、少なくとも三江線は早期に廃止されていた。
#**三江線浜原-口羽間は建設工事中止に追い込まれていた。下手すれば着工すらされなかったかもしれない。
#***赤字83線の時点で廃止された可能性が高い。運よく「沿線道路の未整備」で延期されたとしても、2006年の集中豪雨を受けて復旧されずこの時点で廃止された。
#***もしくは、第三セクター鉄道として開業していた可能性もあった。
#[[西日本高速道路#浜田自動車道|浜田自動車道]]のライバルになっていたかも。
#*あるいは浜田道自体存在しなかった。
#[[広島市|広島]][[浜田市|浜田]]間の高速バスに影響を与えていたし、現実と違って競合状態になっている。
#この今福線は単線非電化のうえ、あちこちでルートが遠回りをしているので広島~浜田間のバスの競合相手にはならないと思われる。ただ、開通していればバスの方が廃止になっていたかもしれない。
#*公団の構想が実現していれば広島と浜田が1時間もかからず結ばれていたので、いさりび号は設定されなかった可能性がある。スイッチバックして松江方面にも行ける。(松江まで最速2時間半)
#*新ルートのほうで開業していればあるいは・・・
#*ちなみに公団の構想では三段峡以南も高規格新線になっていた
#**鉄建公団構想では広島(横川)~戸河内・三段峡間は西風新都経由でほぼ一直線の新線を敷く計画だった。なので旧・可部線(可部~加計~戸河内間)は遅かれ早かれ廃線になっていた。
#***横川から分岐してからは現在の[[広島高速道路#4号 広島西風新都線|広島高速4号線(広島西風新都線)]]に並行する形で建設され、[[広島高速交通|アストラムライン]]との交点上(大塚駅付近)に乗換駅が設置されていた。もしかしたらこの駅が一部特急停車駅、および複線・単線区間の境界になっていたかも。
#もしかしたら智頭急行や北越急行のような3セク路線になっていたかもしれない。
#*路線の特性(山間部を直線的に通すため高架橋・トンネルを多用する)からして、山間部に[[日本の廃駅#宇都井駅の噂|宇都井駅(三江線)]]のような構造の途中駅ができていたかもしれない。本家との違いは'''特急が猛スピードで通過する'''ことだが、美佐島駅([[北越急行]])のような安全対策を取るのだろうか?
#キハ187系を使った特急が運転されていた。
#*「国鉄広島」色が薄まっていた。
#*列車名は「おおたがわ」か?
#**新型車両導入後、陰陽連絡特急は「スーパーおおたがわ」という名称(広島~浜田・益田)になっていたかな。
#**いや、広島~浜田・益田間を結ぶ「いわみ」が運行されていた。広島~浜田~東萩間の場合、「はぎ」になっていた。
#**特急のダイヤは広島駅で山陽新幹線みずほ・のぞみへの接続を考慮して設定され、東京・名古屋・大阪⇔島根県石見地方へのメインルートになっていた。萩・石見空港が廃港になっていたかもしれない。
#*普通用の車両はキハ120。
#**必殺徐行区間が多いローカル線でお馴染みのキハ120がフルスピードでかっ飛ばす希少な路線になっていた。
#*水曜どうでしょうの「サイコロ4」の初手が、今福線特急での広島行きとなっていた。
#可部線も新線切替・高架化の上電化され、加計駅あたりまでベッドタウンになっていた。
#*陰陽連絡特急もあるので可部あるいは河戸以南は高架化と共に複線化される。
#全線開業時に「広浜線」と改められ、可部線の名は横川~可部の非公式愛称として残る。
#*ちなみに「今福線」という路線名は、経由予定地の石見今福駅(旧線・新線ともに経由する予定だった)からとられた路線名である。
#*広島(安芸)と浜田(石見)を結ぶ路線なので「芸石線」もありかもしれない。
#梨田昌孝氏(終点予定地の生まれ→現実は[[大阪近鉄バファローズ|近鉄]]に入団)が[[広島東洋カープ|広島カープ]]に入団していた
#*元広島カープ・佐々岡真司投手(終点予定地にある浜田商高卒)は、自分のいるチームの本拠地から、自分の母校に「鉄道1本で」凱旋できていた。
#*それだけで、梨田昌孝氏が広島に入団することになるのは難しいのではないか。
#広島県を通る在来線特急が2018年現在も存在していた。
#終点・浜田駅は山陰本線益田方面に向かって合流するような線形だったため、特急は益田方面に直通運転していた。松江方面へはスイッチバックが必要になりそう。
#*それはともかく広島・浜田間が大幅に高速化されるので、浜田市に隣接する江津市は「東京からもっとも公共交通機関で所要時間のかかる都市の1つ」ではなくなっていた。
#広島~浜田~米子・鳥取間を結ぶ特急「ちどり」が運行されていた可能性がある。
#*その場合、木次線経由の急行「ちどり」は「しらぎり」か「ひば」に改称されていた。
#*特急「ちどり」はキハ181系気動車で運用されて、キハ187系気動車に置き換えられていた。
#*特急「まつかぜ」の本数は史実よりも少なくなっていたかもしれない。
#路線記号とラインカラーは史実の可部線と同じ。ただし今福線全線に適用されている。
 
===南勝線===
*中国勝山~倉吉
#因美線経由の倉吉行き急行が国鉄末期までこちらを経由していた。
#*実際の大阪発臨時急行「ひるぜん」も倉吉(上井)まで乗り入れていた。
#*「カレチ」にあったような臨時急行乗り入れ誘致エピソードは存在しなかったかも?
#*JR化後は観光シーズン限定ながらキハ187使用の臨時特急が岡山~津山~中国勝山~倉吉に運転される。
#新見からも臨時列車が乗り入れる。
#打吹が本倉吉、関金が関金温泉に改名される。
#関金以南の定期列車は実際の山守行きと同じ本数。
#JR西日本が蒜山高原スイーツを売り出して一儲け。
#北越急行の成功で、スーパー狭軌線として、中国勝山〜備中高梁間も着工され、倉吉〜倉敷〜岡山間の所要時間が短縮され、急曲線の多い伯備線に代わる陰陽連絡幹線になる。
#*倉吉と岡山に無視できないほどの需要があれば別だが、智頭急行があれば事足りてる現状じゃ難しい。
#「岡山の県北」ということでネットのホモガキのオモチャになってしまう。
#[[もしあの高速道路が建設されていなかったら#中国自動車道|もし中国道がなかったら・・・]]
 
===小郡線===
*小郡(新山口)~大田~萩
*鉄道敷設法別表第99号。
#開業後は「秋吉線」に改称。
#*いや、「小萩線」になっていた。
#秋吉台・秋芳洞への観光路線として根付いていた。
#*国鉄時代は小郡~萩~下関(~九州方面)という急行列車も運転されていた。
#**現実の泣き別れ急行「あきよし」は片方がこちら経由になっていた。
#*秋吉台・秋芳洞のみならず萩へのアクセスも向上していた。
#**現実以上に萩へ鉄道で訪れる人が増えていた。
#**2015年にはNHK大河ドラマ「花燃ゆ」にちなんだラッピング車も運行されていた。
#防長連絡も担っていた。
#*この区間の現実の主力であるJRバスは設定されなかったか別ルートになっていた。
#*防府~新山口~東萩間に優等列車が設定されていた。
#**JR化後もキハ187が登場するまでは國鐵廣島の骨董キハ28・58を使った急行として運転される。
#***山口線の普通列車と共通運用し、本来の用途なのに遜色急行扱いされて大顰蹙を買う。
#***引退時に大きなお友達が殺到して最後まで大顰蹙を買う。
#**特急化後は「おき」「スーパーまつかぜ」との分割・併合で米子~東萩~防府の運転とする。
#C57-1の保存運転線区として検討される。
#*こちらは大観光地の秋吉台を擁することもあり最初は現実通り山口線に譲る。
#*その後、秋吉台の振興も兼ねて新山口~大田間に「SLあきよし」として運転される。
#**萩も秋吉台・津和野と並ぶ観光地なので東萩まで運行されるかもしれない。
#位置的に近い美祢線が貨物廃止後存続の危機に直面する。
#*小郡線が萩ルートの場合は全線、大田から於福ルートを取っていた場合は厚狭~於福間が廃止される。
 
===大田線===
*粕淵~大田市
*鉄道敷設法別表第95号。
#三江線の一部になっていた。
#三江北線がこのルートだった場合、江津~粕淵間は開業しなかった。
#*全通後に開業していた場合、民営化後に廃止されていた。
#*戦前に開通していた場合、石見銀山の貨物輸送で賑わう。
#*この場合江津起点ではなくなるので「石備線」とかになっていた。
#石見銀山の世界遺産登録後、観光列車、SLを土・休日中心に運行する。
#山陰本線の大田市~益田間が陰陽連絡の空白地帯になるため、上記の今福線が全通していたかもしれない。
 
===若桜線===
*郡家~若桜~八鹿
*改正鉄道敷設法別表第88号
#おそらく[[日本の高原#鉢伏高原|ハチ高原]]の近くに駅ができていたのでスキー列車も設定されていた。
 
{{JR会社別|もしあの国鉄路線が全通していたら}}
[[カテゴリ:もしあの鉄道路線が開業していたら|こくてつにしにほん]]
[[カテゴリ:歴史のif検討委員会 国鉄・JR史|あのろせんかせんつうひかしにほん]]

2021年7月6日 (火) 14:11時点における版

中部

越美線

  • 越前花堂~九頭竜湖~北濃~美濃太田
  1. 名古屋から福井まで特急が走っていた。
    • 当初は高山線経由で設定されるも、方向転換が2回になるのでキハ85系投入と同時に太多線経由に改められた。
    • 数本は金沢まで延長運転を行っていた。
  2. 水害からの復旧が早まっていた。
  3. 長良川鉄道は生まれなかった。
    • 美濃町線は段階的ではなく一度に廃線となった。
      • 逆に、関駅接続がはやまり、名鉄岐阜駅から田神線経由で、(ディーゼル、あるいは全線電化されて)超特急が走っていたかも知れない。
  4. 川島令三氏が言うようにカートレインを頻繁運転していれば、東海北陸自動車道は必要なかった。
    • 長良川鉄道に乗ってると、ホントに車窓の邪魔です、あの高速道路。
    • 156号と41号が大渋滞するぞ。
  5. 北濃はJR東海と西日本の境界駅になる。
    • むしろ九頭竜湖が境界駅になりそう。(代替バスはJR東海バスの担当だったため)
  6. 「ひぐらしのなく頃に」に北濃駅が「興宮駅」のモデルとして登場。鬼隠し編で圭一が東京から帰ってくるシーンや、暇潰し編で赤坂が駅に降りるシーン等で登場。
  7. NHKで2004年に放送された「最長片道切符の旅」及び2005年に放送された「のりつくしの旅」のルート及び日程が変更されていた。

神岡線

神岡
かみおか Kamioka
かみおかおおはし
Togōchi
しましま
Shimashima
  • 猪谷~神岡~島々~松本
  1. 松本電鉄を国鉄が買収していた。
  2. 全通で猪谷~神岡大橋が交流電化、神岡~松本が直流電化、神岡大橋~神岡を複線化し、常磐線並みのデッドセクションを設置していた。
    • 全通したら、平湯駅がJR東日本とJR西日本の境界駅となっていた。
  3. 優等列車運行により、高山本線富山~猪谷が交流電化された。
  4. 北陸新幹線富山開業後は線内各停と快速のみ運行されていた。
  5. 特急「あずさ」の一部が富山まで延長される。
    • のちに「あずさ」から分離され「かみこうち」とでも名乗っていた。
  6. 猪谷駅がJR西日本とJR東日本の境界駅になっていたら、岐阜県内にJR東日本の路線が存在したことになる。
    • 猪谷駅はJR東日本・東海・西日本3社の境界駅となっていた。
      • その場合猪谷駅はJR東日本の管轄駅となっていた可能性が高い。
  7. そもそも神岡線の松本延伸計画ってあったのか?元々は松本~高山みたいだが。
    • 平湯温泉までは延伸する計画があったらしいから、安房峠を越えて高山側からの路線と合流させるつもりだったんじゃなかろうか。

氷見新線

  • 氷見~羽咋
  1. 電化されて、北陸新幹線の開業までに、特急「はくたか」が当路線経由で和倉温泉までに運行されていた。
  2. 氷羽線のことかね。氷見市熊無地区は多少過疎化のペースが緩んでいた。この地区からの高校の進学先も広がっていた。

近畿

五新線

阪本
さかもと Sakamoto
たちかわわたし
Tachikawa-Watashi

  • 五条~新宮
  1. 和歌山県東南部へはこれがメインルートとなり京都・新大阪~王寺~五条~新宮~紀伊勝浦間に特急が運転される。
    • 大阪から新宮へのアクセスが大幅に改善される。
      • 新宮市は史実より発展し、文字通り南紀の中心都市として人口は10万人近くになっていた。
    • 2010年までキハ181系が使用され、その後はキハ189系に置き換えられた。
      • 五新線経由の新大阪・天王寺~新宮間の特急は「とつかわ」という名称になっていた。
        • なにわ筋線開業後は、同線経由でJR難波・梅田方面にも直通する。
        • 急行時代ならともかく、特急はもう少し小洒落た名前になっていると思う。
    • 最近になって、特急停車駅に限ってICOCAが導入された。
  2. 特急「くろしお」は串本止まりになっていた。
    • JRの特急「くろしお」は、紀伊田辺までで、紀伊田辺から新宮は第三セクター転換じゃないのかなぁ。
      • 紀伊田辺ではなく白浜だろ。
    • 紀勢本線(きのくに線)の電化も白浜までで、白浜-新宮は非電化のまま。
    • 地元がよほど名乗り出ない限りは、チャンスがない気がする(赤字83線時代ならともかく)。
  3. JR和歌山線は王寺~五条間が複線化されていた。
    • あるいは南海電鉄が河内長野~五条間に新線を建設し、難波~新宮間に直通特急を運行していた。
    • あるいは近鉄が、御所線を新宮まで延伸していた。
    • それはありえへん。前者は金剛峠越えの勾配のきつさ知ってたら、後者は、奈良交通の新宮特急に乗ってはる人の数考えたら誰だって分かる。
      • ちなみに史実の路盤完成区間(五条~阪本)では近鉄が電車で、南海が気動車で乗り入れる構想があったはず。
    • 河内長野~五条間の新線が建設されなかった場合、橋本経由で五新線に直通していた。
      • 高野線の橋本までの複線化・線形改良は史実よりも早く行われていた。
    • 南海が五新線に乗り入れていた場合、南海の観光名所案内に十津川温泉が入っていた。
  4. 奈良県十津川村は温泉を中心とする一大観光地になっていた。
    • 東の草津温泉、西の十津川温泉と言われていた。
    • 十津川村の過疎化は現実よりも進まず、むしろ人口が増えて十津川となっていたかも。
    • 場合によっては平成合併で市制施行もありえた。
    • 新十津川町と区別するため、「東十津川」「大和十津川」、あるい「元十津川」という名前になっていたかも知れない。
      • 訂正:「東十津川」ではなく、「西十津川」。
      • 十津川町になっても新十津川町のほうも快くOKしてくれるはず。
  5. 奈良交通の日本一長い路線バスは廃止。
    • しかしローカル路線は五新線の各駅を中心に再編されて、コミュニティバス移管や減便廃止のスピードは緩やかになり、全体で見れば現実のような南和地域の公共交通網壊滅は避けられてた。
  6. 廃線マニアではなく鉄ちゃんがやって来るようになっていた。
  7. 西村京太郎が十津川駅を舞台にした作品を書いていた。
    • 無論「最後の作品」として。
    • 最後の作品は、札沼線をも舞台にした、奈良-北海道を結ぶ壮大なものになったかも。
  8. 熊野本宮大社や湯の峰・川湯両温泉への観光客が増加していた。
    • 特急「南紀」の一部が熊野本宮発着となっていた。
  9. 和歌山県本宮町は新宮市とのアクセスがよくなることから田辺市ではなく新宮市と合併していた。
  10. しかし2011年の台風災害があまりに甚大で復旧が困難なことから廃線の危機に直面する。
    • いや、紀勢本線が被災した場合の代替ルートとして早期復旧する。
    • 復旧は行われるが、高山本線(2004年被災・2007年完全復旧)のように3年くらいかかることになる。
  11. 城戸までは電化されて大阪の通勤圏に入っていた。JR難波-城戸間を直通する区間快速も設定されていた。
  12. 恐らく飯田線も真っ青の秘境駅の宝庫となっていた。
  13. 五新線の路線記号は「W」になっており、きのくに線は「X」になっていた。
    • あるいは和歌山線王寺~五条間と五新線が「T」(上記のように関西線直通列車が運行されていると思われる為)、和歌山線五条~和歌山間が「W」に(きのくに線は阪和線と同じ「R」に)。

若江線

  • 近江今津~上中
  1. 直流電化されて京阪神~若狭地区の短絡路線となっていた。
  2. 大阪~小浜間に特急「わかさ」が設定される。
  3. 「まいづる」が割を食って減便されていた。
  4. 敦賀駅の改修工事が先送りになってた。
  5. 北陸新幹線が全通した際には路線の殆どが並行在来線として経営分離される。

小鶴線

  • 殿田(日吉)~小浜
  1. 国鉄時代は急行「丹波」と併結する急行が運転されていた。
    • 京都から小鶴線経由の北陸行き急行も設定されていた。
    • 急行「大社」の名古屋編成がこちら経由だったかも?
  2. 山陰線改良・電化時に併せて電化される。
    • 普通列車は勿論125系。
  3. 若江線未開通ならこちらに特急「わかさ」が運転される。
    • 運転区間は京都~小浜・東舞鶴。
    • 代わりに特急「まいづる」が設定されず西舞鶴~東舞鶴が特急空白区間に。
    • いや、特急「わかさ」の運転区間は、京都~小浜・敦賀間となり、特急「まいづる」の登場は、史実通りかと。
  4. 舞鶴線が電化されない可能性が出て来る。
  5. 南丹市の旧美山町が「かやぶきの里」として多くの観光客で賑わうようになっていた。
    • 南丹市に合併されたことを誰も不思議に思わない。
  6. 山陰本線京都口の複線化は日吉まで行われていた。
  7. 北陸新幹線も京都駅を通るルートで決まっていた。小浜は新幹線のルートから外れていた可能性も。

信楽線

  • 信楽~加茂
  1. 信楽高原鐵道は誕生しなかった。
    • 当然のことながら信楽高原鐵道列車衝突事故は起きない。
  2. 国鉄時代には天王寺~貴生川を結ぶ急行「しがらき」が運転されていた。
    • 国鉄のことだから「志摩」「平安」のどれかと併結させて京都まで行ってそう。
    • 天王寺側では「かすが」との併結で湊町発となっていた。
      • そうなると分割・併合のため加茂に唯一停まる急行となっていた。
    • 1973年10月の関西線電化時に廃止され、奈良-貴生川の直通普通列車に再編された(但し車両はキハ35系)。
  3. JR化後全線電化され、大和路快速が貴生川まで直通する。
    • 信楽は奈良方面との結びつきも強くなっていた。
  4. 片奈連絡線の役割を果たしているため、片奈連絡線の構想はなかった。
  5. 市町村合併で信楽町が甲賀市に編入されることはなかった。
    • 現在も信楽町として残っている。
    • あるいは大津市に編入されていた。
  6. びわこ京阪奈線は早く実現していた。

智頭線

  • 上郡〜智頭
  1. 特急は今ほど増発されていない。
    • 「はくと」の車両は2010年までキハ181系が使用され、その後はキハ189系に置き換えられた。「いなば」はほぼ史実と同じ。
  2. 特急料金は割高
  3. 普通列車は全て相生まで乗り入れ。鳥取乗り入れとあいまって「はくと」の混雑緩和に貢献する。
  4. 朝・夜間に「サンライズ」接続の姫路〜鳥取間の快速が運行される。
  5. もちろん、恋山形駅も「因幡山形」というなんの変哲もない駅名になっていた。
    • ピンク一色にするという発想もなかった。
  6. はくとが姫路~佐用まで姫新線経由になる。

三木線

  • 厄神~三木~明石
  1. 三木線は国鉄としても盲腸線にならなかったので史実ほどひどい赤字にならなかった。
    • ただ厄神~三木間は廃止されていた。
  2. 明石近辺の利用者のおかげでJRにとどまることができた。
  3. JR化後は神戸電鉄粟生線との競争でてこ入れを図っていた。
    • 木津~長尾の電化と同時期に電化される。
      • 電化と同時にJR京都・神戸線との直通運転が実施される。東西線開通後は三木-京田辺間に直通電車も運行されていた。そのため、三木市からは神戸だけでなく大阪に通勤する者も史実以上に多かった。
    • 神戸電鉄粟生線は史実以上の赤字となっている。
    • むしろ神戸電鉄は計画通りに鈴蘭台~押部台間を複線化させて、特急も運行されていた。
    • 播但線が電化された1998年か加古川線が電化された2004年に実施されていたかそれまでに実施されていた。
  4. 神戸市営地下鉄西神・山手線は三木線と接続できる位置まで延伸されていた。
  5. この線が途中神戸市西区内を通るため、朝霧・明石両駅は神戸市内駅という扱いになっていた。
    • それと同時に神戸市の全ての区にJRの駅があるということにもなっていた。
  6. 125系電車か103系3500番台が投入されていた。

片奈連絡線

  • 新田~長尾
  1. 京都~長尾~京橋~尼崎間を走る直通列車が運行されていた。
  2. 宇治市や城陽市などの京都府南部地域の人口が史実より増えていた。
    • 京都線まわりの新快速は、もう少し短かったかもしれない。
  3. 奈良線の電化と複線化が史実よりも早まっていた。
    • 線形の悪いJR藤森-六地蔵は、腹付けではなく、桃山に容赦なく穴を開けて線形改良もされる。
    • 北宇治駅などの名称で、京阪宇治駅にJRホームが設置されるかもしれない。
  4. 近鉄京都線は、特急が豪華戦略となり、8両化や澱川橋梁付近の曲線改良が本気で取り沙汰される。
    • 快速急行が残っている。
    • 地下鉄烏丸線も8両化準備工事が進んでいる。
  5. かたな連絡線。
    • そのため、女性向けソシャゲ(ブラウザゲーム)の刀剣乱舞とコラボを開始してしまう。
  6. へんな連絡線と呼ばれてしまう。
    • 愛称がちゃんと命名されていてもお構いなしである。

第2東海道貨物線

  • 山科~桃山~新田~吹田操車場
  1. 長尾駅付近に大規模な貨物駅ができていた。
  2. 吹田貨物ターミナル駅の開業が史実より早まっていた。
  3. 前述のことにより、梅田貨物駅は史実より早く閉鎖され、再開発事業も史実より早く実施されていた。
  4. もしあの鉄道路線が○○だったら/JR西日本#大阪直通ルートが片町線経由だったらである。
  5. いずれは旅客化が検討されるようになっていた。
    • 京都市営地下鉄東西線は山科以南が着工されない。
      • 山科以西は狭軌で開業しJR車の207系が乗り入れてくる可能性がある。
      • 京津線が全廃、または浜大津まで狭軌の完全新線になっていたかもしれない。

南港貨物線

  • 杉本町~北島~大阪南港
  1. 阪和貨物線共々旅客化されていた。
    • 関東の鉄道ファンから「西の京葉線・りんかい線」と呼ばれていたかもしれない。
    • 北梅田駅の建設計画と同時に、桜島線と接続させて環状運転を行う構想が出ていたかもしれない。
  2. 貨物線として開業する予定だったので、コンテナ埠頭の辺りまで線路が延びていた。
  3. 確実にニュートラムの計画に影響が出ていた。
    • 開業していたとしても国鉄南港駅を経由するルートになっていたかもしれない。但し旅客化されなければ史実通り。
    • 旅客化されていた場合はニュートラムは開業せず、むしろ地下鉄中央線がポートタウン東駅(国鉄南港駅と接続)まで乗り入れていた。
  4. ニュートラム開業時はまだ五分五分だろうが、OTS線開業後は大阪市内~南港間の移動では国鉄→JRよりも地下鉄の方が間違いなく有利になっていた。
  5. 終点の位置や配線構造が中途半端なので、旅客化されたとしても(史実の)おおさか東線以外との直通列車が設定されたかどうか怪しい。
  6. 夢洲への万博やIR誘致が具体化すると南港から夢洲・舞洲を経て桜島まで延伸しておおさか東線・梅田貨物線・桜島線と合わせて第二の環状線とする計画に発展していた。

泉北線

阪和線の上野芝から泉北ニュータウンへの支線計画。詳しくはこちらを参照。

  1. 複々線区間も同時に出来ていたため阪和線のダイヤの乱れが史実よりましになっていた。
    • 岸和田まで複々線区間を延ばす計画があがるも中々進まない。
  2. 泉北高速鉄道は存在しなかった。
    • 大阪府都市開発はトラックターミナル専業のままでローンスターに売却されていた。
    • 史実の泉北高速鉄道線に近いルートで阪和貨物線との連絡線を建設することが構想されるも、諸般の事情で実現せずに終わる。
    • 南海は泉北ニュータウンに直通しなかったため、林間田園都市の開発は史実より早かった。林間田園都市駅は1971年に開業し、林間田園都市までの複線化・大型車乗り入れは1973年の昇圧時に、橋本までの複線化・大型車乗り入れも1985年までには完了していた。
    • 大阪市営地下鉄御堂筋線は堺市内に乗り入れず、現在も我孫子が終点のまま。
  3. 地図を見た限り分岐は上野芝ではなく百舌鳥で行うのが自然な気がする。
    • とはいえ古墳群があるのでルート選定にはものすごく慎重にならざるを得なかった。
  4. 光明池・和泉中央まで延伸されたのち、岸和田市の山直中町・天神山のふもとから貝塚市の水間の北を通って、熊取の南部から北進し熊取駅に合流。
    • この結果、岸和田市山手、貝塚市山手、熊取南部に巨大住宅群が誕生。
    • 泉州で阪和環状線ループ鉄道になる。
    • 水間寺が世界遺産に登録された。正月のもちまきを年6回実施することになった。
    • 岸和田市の人口が50万人になり政令指定都市運動がおこる。
      • 岸和田市と貝塚市が合併し人口80万になりついに政令指定都市になった。
        • その年は記念でだんじり祭が4月6月8月9月10月の年5回になった。試験引きと併せて年10回に。だんじりファン熱狂。

中国

岩日線

新岩国
しんいわくに Shin-Iwakuni
かわにし
Kawanishi
しゅうちかさがみ
Shuuchi-Kasagami
  • 川西~錦川~日原
  1. 開業後は陰陽連絡の主要ルートとして位置づけらた。
    • 優等列車も設定。
    • 特急「おき」は広島発着になる。よって山口線日原以南はローカル線転落。
    • 山口県の県庁所在地である山口市と観光地として有名な津和野を抱えた路線なのでそこまで状況が悪化することはなさそう。
    • 「おき」は存置で別系統の優等列車(岩国発で御庄=新岩国で新幹線に接続)が仕立てられ、キハ187登場後は日原で「おき」と併結運転する特急に。
    • 列車名は国鉄急行なら「錦川」、JR特急なら開いて「にしきがわ」。線内停車駅は新岩国、錦町、六日市、日原。
    • 一時期は広島~米子(岩日線経由)や広島~下関(岩日線経由)という急行も設定される。前者はやがて廃止されるが後者は東萩までに短縮された後に特急格上げされて現在も存続。
      • 愛称は「はぎ」か?
      • 萩連絡だとこちらに一日の長があるので防長線バスが今ほど発展していない。
  2. 新幹線との連絡を改善するため、御庄駅を移転、新岩国に改称。
    • 新岩国には「ひかり」・「さくら」の約半数が停車し、「のぞみ」も1日1往復程度は停車していた。
    • 岩徳線西岩国駅も錦帯橋から近い駅ということをアピールするため、JR化後に駅名が「錦帯橋」に変更されていた。
  3. C57-1の動態保存はこの路線で実施。
    • 錦町以北は長大トンネルも多いしどうかなぁ・・・
  4. しかし、乗車密度の低さから伊勢線や中村線などと同様に第三セクター化は免れなかった。

今福線

三段峡
さんだんきょう Sandankyō
とごうち
Togōchi
はしやま
Hashiyama
  • 広島~可部~三段峡~浜田
  1. 木次線・三江線と大して変わらぬたたずまいだっただろう。
    • こっちが全通していた場合、少なくとも三江線は早期に廃止されていた。
      • 三江線浜原-口羽間は建設工事中止に追い込まれていた。下手すれば着工すらされなかったかもしれない。
        • 赤字83線の時点で廃止された可能性が高い。運よく「沿線道路の未整備」で延期されたとしても、2006年の集中豪雨を受けて復旧されずこの時点で廃止された。
        • もしくは、第三セクター鉄道として開業していた可能性もあった。
  2. 浜田自動車道のライバルになっていたかも。
    • あるいは浜田道自体存在しなかった。
  3. 広島浜田間の高速バスに影響を与えていたし、現実と違って競合状態になっている。
  4. この今福線は単線非電化のうえ、あちこちでルートが遠回りをしているので広島~浜田間のバスの競合相手にはならないと思われる。ただ、開通していればバスの方が廃止になっていたかもしれない。
    • 公団の構想が実現していれば広島と浜田が1時間もかからず結ばれていたので、いさりび号は設定されなかった可能性がある。スイッチバックして松江方面にも行ける。(松江まで最速2時間半)
    • 新ルートのほうで開業していればあるいは・・・
    • ちなみに公団の構想では三段峡以南も高規格新線になっていた
      • 鉄建公団構想では広島(横川)~戸河内・三段峡間は西風新都経由でほぼ一直線の新線を敷く計画だった。なので旧・可部線(可部~加計~戸河内間)は遅かれ早かれ廃線になっていた。
  5. もしかしたら智頭急行や北越急行のような3セク路線になっていたかもしれない。
    • 路線の特性(山間部を直線的に通すため高架橋・トンネルを多用する)からして、山間部に宇都井駅(三江線)のような構造の途中駅ができていたかもしれない。本家との違いは特急が猛スピードで通過することだが、美佐島駅(北越急行)のような安全対策を取るのだろうか?
  6. キハ187系を使った特急が運転されていた。
    • 「国鉄広島」色が薄まっていた。
    • 列車名は「おおたがわ」か?
      • 新型車両導入後、陰陽連絡特急は「スーパーおおたがわ」という名称(広島~浜田・益田)になっていたかな。
      • いや、広島~浜田・益田間を結ぶ「いわみ」が運行されていた。広島~浜田~東萩間の場合、「はぎ」になっていた。
      • 特急のダイヤは広島駅で山陽新幹線みずほ・のぞみへの接続を考慮して設定され、東京・名古屋・大阪⇔島根県石見地方へのメインルートになっていた。萩・石見空港が廃港になっていたかもしれない。
    • 普通用の車両はキハ120。
      • 必殺徐行区間が多いローカル線でお馴染みのキハ120がフルスピードでかっ飛ばす希少な路線になっていた。
    • 水曜どうでしょうの「サイコロ4」の初手が、今福線特急での広島行きとなっていた。
  7. 可部線も新線切替・高架化の上電化され、加計駅あたりまでベッドタウンになっていた。
    • 陰陽連絡特急もあるので可部あるいは河戸以南は高架化と共に複線化される。
  8. 全線開業時に「広浜線」と改められ、可部線の名は横川~可部の非公式愛称として残る。
    • ちなみに「今福線」という路線名は、経由予定地の石見今福駅(旧線・新線ともに経由する予定だった)からとられた路線名である。
    • 広島(安芸)と浜田(石見)を結ぶ路線なので「芸石線」もありかもしれない。
  9. 梨田昌孝氏(終点予定地の生まれ→現実は近鉄に入団)が広島カープに入団していた
    • 元広島カープ・佐々岡真司投手(終点予定地にある浜田商高卒)は、自分のいるチームの本拠地から、自分の母校に「鉄道1本で」凱旋できていた。
    • それだけで、梨田昌孝氏が広島に入団することになるのは難しいのではないか。
  10. 広島県を通る在来線特急が2018年現在も存在していた。
  11. 終点・浜田駅は山陰本線益田方面に向かって合流するような線形だったため、特急は益田方面に直通運転していた。松江方面へはスイッチバックが必要になりそう。
    • それはともかく広島・浜田間が大幅に高速化されるので、浜田市に隣接する江津市は「東京からもっとも公共交通機関で所要時間のかかる都市の1つ」ではなくなっていた。
  12. 広島~浜田~米子・鳥取間を結ぶ特急「ちどり」が運行されていた可能性がある。
    • その場合、木次線経由の急行「ちどり」は「しらぎり」か「ひば」に改称されていた。
    • 特急「ちどり」はキハ181系気動車で運用されて、キハ187系気動車に置き換えられていた。
    • 特急「まつかぜ」の本数は史実よりも少なくなっていたかもしれない。
  13. 路線記号とラインカラーは史実の可部線と同じ。ただし今福線全線に適用されている。

南勝線

  • 中国勝山~倉吉
  1. 因美線経由の倉吉行き急行が国鉄末期までこちらを経由していた。
    • 実際の大阪発臨時急行「ひるぜん」も倉吉(上井)まで乗り入れていた。
    • 「カレチ」にあったような臨時急行乗り入れ誘致エピソードは存在しなかったかも?
    • JR化後は観光シーズン限定ながらキハ187使用の臨時特急が岡山~津山~中国勝山~倉吉に運転される。
  2. 新見からも臨時列車が乗り入れる。
  3. 打吹が本倉吉、関金が関金温泉に改名される。
  4. 関金以南の定期列車は実際の山守行きと同じ本数。
  5. JR西日本が蒜山高原スイーツを売り出して一儲け。
  6. 北越急行の成功で、スーパー狭軌線として、中国勝山〜備中高梁間も着工され、倉吉〜倉敷〜岡山間の所要時間が短縮され、急曲線の多い伯備線に代わる陰陽連絡幹線になる。
    • 倉吉と岡山に無視できないほどの需要があれば別だが、智頭急行があれば事足りてる現状じゃ難しい。
  7. 「岡山の県北」ということでネットのホモガキのオモチャになってしまう。
  8. もし中国道がなかったら・・・

小郡線

  • 小郡(新山口)~大田~萩
  • 鉄道敷設法別表第99号。
  1. 開業後は「秋吉線」に改称。
    • いや、「小萩線」になっていた。
  2. 秋吉台・秋芳洞への観光路線として根付いていた。
    • 国鉄時代は小郡~萩~下関(~九州方面)という急行列車も運転されていた。
      • 現実の泣き別れ急行「あきよし」は片方がこちら経由になっていた。
    • 秋吉台・秋芳洞のみならず萩へのアクセスも向上していた。
      • 現実以上に萩へ鉄道で訪れる人が増えていた。
      • 2015年にはNHK大河ドラマ「花燃ゆ」にちなんだラッピング車も運行されていた。
  3. 防長連絡も担っていた。
    • この区間の現実の主力であるJRバスは設定されなかったか別ルートになっていた。
    • 防府~新山口~東萩間に優等列車が設定されていた。
      • JR化後もキハ187が登場するまでは國鐵廣島の骨董キハ28・58を使った急行として運転される。
        • 山口線の普通列車と共通運用し、本来の用途なのに遜色急行扱いされて大顰蹙を買う。
        • 引退時に大きなお友達が殺到して最後まで大顰蹙を買う。
      • 特急化後は「おき」「スーパーまつかぜ」との分割・併合で米子~東萩~防府の運転とする。
  4. C57-1の保存運転線区として検討される。
    • こちらは大観光地の秋吉台を擁することもあり最初は現実通り山口線に譲る。
    • その後、秋吉台の振興も兼ねて新山口~大田間に「SLあきよし」として運転される。
      • 萩も秋吉台・津和野と並ぶ観光地なので東萩まで運行されるかもしれない。
  5. 位置的に近い美祢線が貨物廃止後存続の危機に直面する。
    • 小郡線が萩ルートの場合は全線、大田から於福ルートを取っていた場合は厚狭~於福間が廃止される。

大田線

  • 粕淵~大田市
  • 鉄道敷設法別表第95号。
  1. 三江線の一部になっていた。
  2. 三江北線がこのルートだった場合、江津~粕淵間は開業しなかった。
    • 全通後に開業していた場合、民営化後に廃止されていた。
    • 戦前に開通していた場合、石見銀山の貨物輸送で賑わう。
    • この場合江津起点ではなくなるので「石備線」とかになっていた。
  3. 石見銀山の世界遺産登録後、観光列車、SLを土・休日中心に運行する。
  4. 山陰本線の大田市~益田間が陰陽連絡の空白地帯になるため、上記の今福線が全通していたかもしれない。

若桜線

  • 郡家~若桜~八鹿
  • 改正鉄道敷設法別表第88号
  1. おそらくハチ高原の近くに駅ができていたのでスキー列車も設定されていた。
もしあの国鉄路線が全通していたら
北海道/東日本/東海/西日本/四国/九州