東北大学
2009年4月15日 (水) 21:23時点における>ボーンによる版
- ノーベル賞受賞の田中耕一さんの母校。
- 田中さんっぽい風貌の学生がトンペーにはいっぱいいる。イカトンの星。
- 坂が多いので工学部とかは大変。
- そのため原付はほぼ必須。
- バブル期までは駐車場にバーが無かったので、学生も自由に車通学が出来た。しかし、1993年頃に駐車場にバーが設置され、カードを発行してもらえないと駐車できなくなった。
- 2015年に地下鉄東西線が開業すると、全てのキャンパスが地下鉄で結ばれる。それまでのガマンだ。
- 医学部は街中にある。
- 医学部前には仙台市営バスの車庫があり、市内各地からのバス系統が集まる一大ターミナルとなっている。
- 車庫じゃなくて、交通局本庁(=本社)です。基本的にほぼ全ての地域(北仙台経由を除く)から大学病院へはバスで行けます。
- 西公園通りを挟んで交通局本庁の向かい側に市バスの木町通駐車場(旧・仙台市電北二番丁車庫)がある。この車庫のおかげでバスが待機することが出来、ターミナル化が実現した。
- 車庫じゃなくて、交通局本庁(=本社)です。基本的にほぼ全ての地域(北仙台経由を除く)から大学病院へはバスで行けます。
- 大学病院の周辺には、各科ごとに民間のアウトソーシング病院が多数あり、大学病院と連携して機能している。また、東北地方を中心に日本全国に系列病院を持っている。
- 医学部前には仙台市営バスの車庫があり、市内各地からのバス系統が集まる一大ターミナルとなっている。
- 歯学部はその北隣にある。
- 農学部が何故か都会の高級住宅地の中にある。医学部からの距離500m。
- その証拠地図
- 農学部は、旧制二高の跡地を利用したもの。旧制二高が来るまでは、北六番丁に四ツ谷用水の本流が流れ、その北側の現農学部用地は農地だった。すなわち、大正時代までそこは仙台の郊外。因みに、1920年代(大正末期から昭和初期)に、旧制二高の北方に仙台軌道と国鉄の北仙台駅ができ、昭和10年代に北四番丁を北端としていた勾当台通りを北に延長して仙台市電北仙台線が開通した。テンプレート:Long article L
- そしてこの3学部は北六番丁という道路で繋がるという奇妙な共通点を持つ。
- 星陵町では医学部と歯学部を分けるだけの狭い道なのに、農学部周辺になったら急に4車線道路の大通りになる。
- 青葉神社通りの東側は、西側より一段低い広瀬川の河岸段丘になっている。この一段低い東側の北六番丁には四ツ谷用水の本流が流れていたので、それを暗渠にしただけで現在の4車線道路の大通りになった。
- だが、医学部・農学部間の連絡交通機関は平日4往復の市営バス「広瀬通一番町←→東仙台営業所」線のみである。
- 星陵町では医学部と歯学部を分けるだけの狭い道なのに、農学部周辺になったら急に4車線道路の大通りになる。
- これらの事実に文系学部生は衝撃を受ける。
- その証拠地図
- 魯迅の出身校のため中国人に知られている。でも中国で同じ名前の大学があるから勘違いすることが多い。
- 江沢民国家主席が正式訪問した。
- ロシアのナンバー3の実力者セルゲイ・ミロノフ上院議長も正式訪問。
- アインシュタインも訪問。後に「やがてわれわれの大学と競争関係に入る大学は東北大学だ」と語った。
- 工学部は毎年何処か工事中。設備が半端ではない。
- 正直、「トウホクダイ」より「トンペイ」のほうが言いやすいし、かわいいと思っている。
- 「ウホダイ」ではないのか?
- ただでさえ、山奥の不便な場所で仕方ないのに、ゴルフ場を潰してまで移転する必要があるのかと学内の人間ですら思っている。
- 青葉山新キャンパスは「東北大学の研究能力の拡充」や「耐震建築への移転」などを謳っているが、「宮城県の県有地をタダ同然で使用しているゴルフ場を立ち退かせる」という県の戦後処理案件、「新設する仙台市地下鉄東西線の利用者の囲い込み」という仙台市の目論見、「左翼学生のアジトを撤去する」という一連の大学の思想弾圧などが底流にある計画。テンプレート:Long article L
- 農学部跡地の今後が不透明。
- 公園か(片平見たく)大学がいい!!
- 住宅地なんて絶対イヤ!!
- あの土地に日本大学あたりが進出してくれないだろうか。「楽都仙台」とか「劇都仙台」とか言ってる仙台市が、自前で音楽・美術・演劇系の芸術大学を設置するとか。
- 柴田町にある仙台大学を誘致して、後ろ指さされなくするのも手だ。
- カレー専門の学食がある。どの食堂が改築しようともずっと残り、多数の男子学生の腹を満たし続けている。
- 300円足らずで1Mcal取れるある意味ハイスペックなカレーが自慢。味は……
- そのコストパフォーマンスからこの食堂は「貧民食堂」略して「貧食」と呼ばれている。
- 「貧食」はsolo eater(独りぼっちで食事をする者)の比率が高い。
- 「お一人様ブーム」を先取り。
- 「貧食」はsolo eater(独りぼっちで食事をする者)の比率が高い。
- この学食へ通じるテニスコート脇の小道は「貧民街道」と呼ばれている。
- 辛さが最高の「怒髪天カレー」は罰ゲーム以外では誰も食べない。
- 地下鉄工事の影響で取り壊されることに…
- 学生運動の残り香がまだ残っていて、某政治団体が地道に運動を続けているが一般の学生は完全に無視。ただしアジビラはネタとしては楽しめる。
- 京大や法政と同系列の一派。
- 「バリスト」があると試験が中止になってレポート提出に変更になることがあり、学生に感謝される。
- 青葉山・川内キャンパスと星陵キャンパスと雨宮キャンパスと片平キャンパス相互間の移動は非常に不便。
- 仙台市の市営バス・宮城交通バスが仙台駅方面に一極集中した(しかもバス乗継割引なし!!)路線体系のため
- 星陵→川内・青葉山、星陵~雨宮はある。ただし1日数本。
- バス系統の多さの割に東北大学を経由する系統は少ないため、オープンキャンパス等で迷子になる高校生多数。
- 青葉山は本数が少ない。
- 医学部は非常に本数が多いが、バス停から少し遠い。(大学病院前のため)
- 歯学部は実は少ない。
- 片平は微妙。
- 雨宮はそれなりの本数だがわかりにくい。
- 仙台駅からは曲がりが少ないので歩いていってもそんなに苦はなかった。
- 青葉山以外は歩きましょう。
- 日本のハイデルベルク大学を自認。
- 北海道大学を「分校」呼ばわりして見下すが、実は、東北大学の前身は札幌農学校で、東北帝国大学が開学した当時は、仙台には本部しかなかった。この論争が始まると、「卵が先か鶏が先か」理論に陥る。
- 東京・京都・東北・九州までは、複数の独立した分科大学を各帝大が統率した。東北帝大では当初から理・農・医の各分科大学が設置予定であり、札幌農学校を昇格させた農が単に先に設置されただけで、東北大の前身ではない。
- 文科省の略称だと東北大が「北大」で北海道大が「海大」となっている。
- 知名度、人気、実力で北大の格下になっているので、かなり悔しい思いをしている。
- 知名度と人気は知らないが、偏差値と実力では東北大のほうが格上。
- ただしキャンパスの綺麗さでは…
- 北海道では、東北大>>北大です。(道南)
- ただしキャンパスの綺麗さでは…
- 知名度と人気は知らないが、偏差値と実力では東北大のほうが格上。
- 河合塾と駿台の充実度は札幌よりはるかに上。
- まあ、仙台の人間は大学進学率3割だし・・・。
- 太白区ナンバーの原付はほぼ八木山住民のものだと思う。
- 仙台の人間は、東北大生よりも二高生を神扱いする。
- 東北大に入れる仙台人はあまりいないためである。
- 学力調査、東北六県で最下位ですから。
- その仙台二高は川内キャンパスのすぐ近くにある。地理的にも東北大に一番近い。
- なぜか、京大落ちが異様に多い。
- AB日程時代には、実力的に東大・京大という組み合わせが難しかった関西人が東北大・京大との組み合わせで受験し、京大に落ちて大量に東北大に入学した。そのため、東北大の公用語が一時期関西弁になった。
- 青葉山は事実上原付通学が強制されるため、市内は原付が異様に多い。
- 一方通行も、昔は「原付・自転車を除く」と書かれていた。
- B談(B棟談話室)のソファーで寝てる者が多い。
- 岩手や福島からは東北新幹線で、山形からは高速バスで通学を試みる者がいるが、入学後1年以内にほぼ挫折して仙台に移り住む。
- ここで一番大学らしいキャンパスは学部生はほぼ用のない片平だと思う。
- 麻雀のローカル役『東北大学』(役満)がある。『南北戦争』(役満)の「南南南北北北18611865」にならって、数字は年号ごとに同じ色で統一し、「東東東北北北17361907」。1736年は前身の養賢堂の創立年、1907年は東北帝国大学の創立年。門前役。
- 『東北新幹線』(役満)という役もある。聴牌形は「東東北北123456789」で、東と北のシャンポン待ち。一気通貫の部分は新幹線の車体の緑色に因んで索子。門前役。
- 『東北自動車道』(役満)という役もある。聴牌形は「東東北北222444666」で、東と北のシャンポン待ち。その他の刻子は、二輪車に因んで二筒、普通車に因んで四筒、大型車に因んで六筒。門前役。
- 卒業生に東京大学総長がいる。前・台湾大学総長はトンペーの外科に留学してた。
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