「もしあの力士が大成しなかったら」の版間の差分
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2021年3月1日 (月) 12:17時点における版
- 戦前の沖ツ海福雄や昭和末期の南海龍太郎は、生きていれば、あるいは道を外さなければ「将来の横綱」だったと言われています。
- ここでは、現実には力士生命を全うした人がなんらかのアクシデント(若くして死亡、トラブルに巻き込まれ廃業等)で入幕後1年程度で土俵を去っていたら、「どんな風に言われていたか?」を考えます。
項目の追加は五十音順でお願いします。
北の富士勝昭
- 自費養成力士制度の存在はほとんど知られていなかった。
- 陸奥嵐が新入幕の場所で大鵬との優勝決定戦に出場した。
- 玉の海の死から琴櫻の昇進まで横綱が空位になった。
- 把瑠都の十両全勝優勝が史実以上に騒がれていた。
- その代わり「北の富士」は存在しない。
- 「北の富士ビル」なる建物は地上になく「ネオン無情」なる歌もなかった。
小錦八十吉(六代目)
- 外国人横綱第1号になっていた、と言われる。
- 双羽黒、北勝海、大乃国のうち最低1人は大関止まりだったと言われる。
- 千代の富士時代はもっと早く終わっていた、と語られる。
- 従って53連勝も?
- 曙や武蔵丸の相撲界への入門はなかっただろう。
- 南海龍も入門しなかったか、していても関取昇進前に廃業した。
- 力士の体重が重量化することはなかった。
玉乃海太三郎
- 十両昇進前、銃殺や戦死の危機を経験した。
- 大関昇進は確実だった、と言われる。
- 「横綱になって玉錦を襲名」説も出る。
千代の富士貢
- 恐らく大して惜しまれない。
- 若い頃はそれほど有望視されていなかったから。
- プロレスラーになっていたかもしれない(横綱になる前の怪我で休場が目立った時期にそういう話があったとか)。
- 千代大海は九重部屋に入門しなかった。
- 娘の秋元梢は芸能界入りしていない。
- 史実通り芸能界入りしても、結婚相手は松田翔太ではなかった。
白鵬翔
- 入門時の予想通り、平幕止まりの普通の力士になっていた。そのため、白鵬の四股名を襲名することはなく、別の四股名となっていた。
- 日馬富士は朝青龍が引退すると同時に横綱となり、稀勢の里や琴奨菊や鶴竜は2012年ごろに横綱になっていた。
長谷川勝敏
部屋のフグ中毒事件や搭乗予定の全日空機墜落など生命の危機に何度も瀕しました。
- 「琴錦」の四股名を継いでいた、と言われる。
- 1972年春場所は魁傑が優勝者になっていた(魁傑の優勝回数も3回になっていた)。
北天佑勝彦
- 千代の富士時代はなかった、と言われる。
- 沖ツ海が「双葉山時代はなかった」と言われるのと同じ。
- 北の湖と「同部屋横綱」になったと言われる。