大日本帝国陸軍の戦車

2016年2月22日 (月) 06:35時点における180.12.46.180 (トーク)による版 (九七式軽装甲車)
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<戦車

帝国陸軍の戦車の噂

  1. 弱い、弱すぎる。
    • が、実際の所九七式は完成した時点ではそれほど時代遅れでもなかった(イギリスやアメリカの方がよっぽど迷走していた)。
      • たとえばドイツの三号戦車、四号戦車が同時期に開発された戦車として有名だが、ともに後の改良型はともかくとして初期のA型は防御性能砲性能共に九七式と大きく差はなく同程度である。
        • 冶金とか不整地踏破性能とかスペックに現れない面で大きく劣っている。
    • ドイツの電撃戦を見て各国がショックを起し、重装甲大火力に走っていく中、日本だけが旧態依然とした戦車をつくっていた。
      • 必ずしも技術的な問題だけではない。四式が計画されたのは1937年(昭和12年)の事。だが、頭の固い参謀本部は未来の戦争が理解できず、九七式の全溶接型に過ぎない一式を選んでしまった。
        • いや、それは敵がBTとか英国製ボロ戦車とブロンズタンクしか居なかったからだろ。兵器はオーバーキルだと資源の無駄になる。ドイツ軍がシャーマンに出会った時期も考えれば米軍はスチュアートしか戦車が無い、と思っても仕方ない。
          • 対米戦のために航空機にリソースを取られたこと、ヨーロッパと違い強力な戦車となかなか遭遇しなかったこと、陸軍の主戦場の中国が重量のある戦車の運用に適さなかったこと・・・理由はいくらでもある。
            • ノモンハンの反省はどこへ行った
              • その反省の結果が九七式チハ(ノモンハンには4両のみ参加)や九七式改、一式中戦車。あくまで仮想敵はBT戦車の発展系としか考えてなかったのだ。
    • BT高速戦車の装甲に弾かれた挙句に砕け散ってしまうような砲弾を装備していた。多分、大戦末期まで・・・
      • 徹甲弾がまるであてにならない戦車で戦車戦を行う破目になった乗員は文字通り絶望したのではないだろうか。
        • M3軽戦車相手では爆発のエネルギーを利用できる榴弾の方が効果的だったとか。
          • とにかく砲弾を撃ち込んで装甲の接合面を歪ませる。歪んだ装甲の隙間に砲弾の破片が飛び込んで乗員を殺傷…何発必要だったんだろう。
    • ジャップの戦車は戦車撃破数にいれていいの?とか言われちゃう始末。 おのれアメリカ。
      • 日本よりお粗末な戦車使っている国のはどうなんだろ・・・。
      • チハと似た部類にある4号戦車が一緒に扱われたら間違いなくアメリカ人による抗議デモが起きるぞ。
    • アメリカで最もひ弱な戦車にも撃破されたらしい。というか,もう戦車じゃなくて装甲車だと思うぞ。
    • まぁ仕方なかろう。眼前に強敵のあるロシアやドイツと違って、戦車が来たと言うだけで一目散に逃げ出す中国軍相手の日本じゃ・・・、切磋琢磨して戦車の強化をしろという方が酷というもの。
      • 開戦時点限定で言えば、そこまで悪い戦車を持っていたというわけでもなかったらしい。
  2. ディーゼルエンジンを使うのはこの時代からの伝統。
    • 空冷式なのは中国大陸では冷却に適した水が手に入り辛いから。
      • 同じ理由で中華料理では油の扱い方が発達した。
        • ディーゼルを採用したのはガソリンエンジンほど燃料に神経質にならずに済む為、補給の問題を考慮した結果。
          • ガソリンは飛行機用という考えが常識だった。
      • ついでに、空冷の伝統は74式まで続いた。
    • ディーゼルではなく"ヂーゼル"と書くと戦前っぽい。
  3. エンジンの大出力化に目処が立たない為に重装甲化出来ず大口径の砲も積めず、という一面もあった。
    • それも間違い。陸軍がシリンダー形状を統一した統制型エンジンに固執したからこうなった。だから統制型の呪縛から逃れた四式は400馬力もあった。
      • ティーガーの2/3しかないじゃないか! という人間もいるが重量も2/3しかないし、ディーゼルの方が高トルクである。その上当時既に日本戦車のサスはえらい壊れにくいことで知られていた。
        • 日本独特の懸河装置は、シンプルかつ柔軟でトーションバーの次に優秀と言われることすらあるが、スプリングがむき出しで軍用車向きとは言い難い。
          • 九四式TK、九五式ハ号でその欠点が露呈したので九七式からカバー付きになった(んな事いったらドイツだってティーガーIまで剥き出しだぞ)。九八式では用途の面もあってスプリングは車内に格納した。確かに愚昧なところはたくさんあったけど何も見てないわけでもない。
          • 生産性を考慮するとドイツのトーションバーより優秀だといってもいいかもしれない。冶金技術の高さが要求される「伸び」ではなく、「圧し」に頼ったのは、珍しく日本陸軍としては賢明な判断。
  4. アメリカのM3軽戦車相手に大苦戦。M4相手になると歩兵が爆薬抱えて肉薄するとか戦車で体当たりかまして横転させるとか・・・
    • それでも37mm対戦車砲は通用したらしい。
    • 八九式(日本最古の制式戦車)に側面ボコボコに撃たれた挙句体当たりされて往生したM4は結構な数になるらしい……
    • 戦場が島なので、隠れ場所も多く1式47mm対戦車砲で側面から撃破されたシャーマンも多い。沖縄では大多数が破壊されると言う戦果を・・・
  5. もっとも、パンター並の重戦車が当時の日本にあったとしても、それを上陸させることができるほどの上陸用舟艇が無ければ本土で朽ちるだけだと思う。
  6. 歩兵が命を棄てて戦車を護っていた。

形式別の噂

ハ号戦車

  1. 実はチハより貧弱。でもイタリアのCV35よりは(以下略
    • まあ、軽戦車だし
  2. 小銃にも撃ち抜かれるのでバルジ型装甲を追加してお茶を濁した。
    • M3軽戦車にはその主砲ではなく車載重機にボコボコにされたという。
  3. チハたんだけでなく、ハゴたんの知名度も上げてやってください。
  4. 敗戦後、インドシナに戻ってきたフランス軍は日本軍が遺棄したハ号を、増加装甲を溶接して再利用した。
  5. いわゆる九五式軽戦車
  6. 旧陸軍機甲部隊のホントの主力はチハではなく(1944年までは)コイツとテケ車だった。
    • こいつは独軍で言うとⅣ号戦車(ワークホース)に相当し世界的にはこちらの方がメジャー。日本軍戦車=ハ号

九七式中戦車チハ

  1. そのあまりの弱さからコアな軍オタの間ではチハたんの愛称で大人気。
    • これを主力戦車にするしかなかった当時の日本軍を考えると涙が止まらない。
      • 登場した時期だけで見れば性能、思想ともに優秀な戦車だったが・・・
    • ヤスリで削れたり小銃を至近距離から撃っても壊れてたりしたくらいもろかった。
      • ヤスリで削れたのは三式中戦車の砲塔。諸説あるが物資統制でほとんどタダの鉄だったのは事実らしい。
      • よく勘違いしている奴が多いが、至近距離かつ最も薄い装甲部分であっても当時の小銃弾の威力では貫通される確率は極めて低いということが米軍の調査から分かっている。
    • 正にハリボテ戦車
  2. プラモ化されてたりして、当時の日本軍戦車の中じゃ一番知名度が高い。
  3. 三浦半島の砂浜に埋まってるのが最近になって発掘された
  4. アメリカ製M3軽戦車の正面装甲(25ミリ)を貫通できない主砲を装備していた。
    • だからⅢ号やⅣ号が相手だった北アフリカ戦線とかでは“ブロンズタンク(骨董品のような使えない戦車)”と言われていたのに太平洋戦争ではチハを打ち抜けるので使える軽戦車という扱いだった。
  5. だが、ポーランドの豆戦車やイタリアのCV35には普通に勝てるかもしれない。
  6. 初期型は57mm砲を装備していたがM3にまるで歯が立たないために(57mm砲よりは)高初速の47mmに変更した。なのにM3の正面装甲を貫通することは出来なかったらしい…
    • 高初速と言っても野砲…37mm対戦車砲を積めば多少は有利に戦えただろうに…
      • ん?一式47㎜砲は九四式37㎜砲より強力だが?
        • ラ式37mm(ドイツラインメタル社製)の事を言ってるんだと思われ。でも、一式47mmに往生させられたM4も結構いる。沖縄戦だけで100両以上壊した。
    • 47mm砲で貫通できなかったのは嘘。むしろ犠牲が大きくなる前にM4中戦車を投入した様子。M3リーやスチュアートはがんがん撃ちぬけたらしい。
  7. そうこうしているうちに米軍はM4を本格的に投入してしまった。合掌…
  8. ジープから.50口径の徹甲弾で弾幕を張られるともう涙目。
    • 50ヤード(45m程度)では、側面装甲を命中弾の35%が貫通していたとの記録あり
      • その前に57mm砲で吹っ飛ばされる。
      • 厳密には車体側面下部の懸架装置裏のもっとも薄い部分である…。なお正面装甲は約32mの近距離かつ車体機関銃ボールマウント部でなければ貫通は不可能である。当然そんな近距離だと気付かれればチハの車載機銃や榴弾の餌食になる確率の方が高い。
  9. 砲塔についているのは手すりじゃありません
    • 無線アンテナです
  10. 一番活躍したのは戦後。日本軍が置き去りにしたチハに乗った国民党の兵士が共産党の兵士を狩りまくったそうな。米戦車が強すぎたのか中国人が弱すぎたのか・・・。
  11. こいつの車体に無理矢理短12cm砲や12cm高角砲を載せた自走砲がある。後者は通称「キングチーハー」。
  12. RUSEの日本軍DLCで使用可能になったが2台でシャーマンを圧倒出来たりスチュアートやリーを軽々と破壊できたり史実以上の強化っぷり。
  13. 米の鹵獲兵器試験において米軍の37mm対戦車砲(AP弾使用時)では320m地点では最厚部を正撃を除いて貫通できなかったとされている。
  14. 居住性皆無だって? クーラーを装備した特別仕様車があるよ。
    • 首相兼陸軍大臣・東条英機のお声がかりで、ビルマ駐留の戦車連隊の連隊長車と中隊長車につけてやったんだそうで。
  15. 実は競争試作、「性能のために軽量化を少しあきらめる」案と、「軽量化のために速度・装甲を少しあきらめる」案があった。チハは前者
    • 結果、上層部はコストも安い後者を支持し、運用側は性能・設計の余裕・二人乗り砲塔のある前者を支持。日中戦争で予算が増えたこともあり、こうしてチハが誕生した
  16. 新砲塔は200mで約70㎜の均質圧延装甲板を撃角0度で貫通できた。
    • M2重機関銃に対する耐久性に関しては脆弱部には一応効果がある程度でありあっさり沈むほど弱くはない。
    • チハの防御力の悪評はハ号のモノである場合が多かったりする。

一式中戦車チヘ

  1. 九七式中戦車の火力、装甲強化板。エンジンを170hpから240hp、車体は溶接接合、装甲は前面50mm、長砲身47mm砲搭載となり、寸法も九七式より若干長くなっている。
  2. コイツの砲塔を乗っけたチハが1944年の頃から出回っていた。
    • で、新砲塔チハや↑の車両も一式中戦車呼ばわりされた事もあるらしく、「一式中戦車」は実戦参加したのか否かが結構議論になる
      • どうも「実戦参加はしていないか、してもごく数両」というのが正解に近いようだ。

一式砲戦車ホニ

  1. 当初は自走砲だったが、突撃砲のような運用法をされた。
  2. 鹵獲して研究した米兵いわく「あらゆる連合軍戦車を撃破できる車両」。フィリピンでは相応の戦果をあげている。
    • けど4号戦車程度の主砲対策が出来ない米軍は何なんだろう。
  3. どこの国でも事情は同じだが、砲兵科と戦車科が取り合っていた。
    • ジャクソンとか突撃砲とか。
      • ん?突撃砲のような運用法をされたことなんて一度もないんだが・・・。
        • そういう科での扱いだけなら駆逐戦車に近い。
  4. 実際には戦車部隊に配備されたことはほとんどなかった。
    • 大半は戦車師団と呼ばれる、戦車科を主役にした多数の兵科から構成される連合部隊の砲兵科に配備された。
      • 実戦に参加した車両はほぼ砲兵科所属である。
    • この車両は前にしか装甲板がないため、主力戦車に混じって行動する砲戦車に向いていない。
      • それ以前に、対戦車砲及び戦車砲になくてはならない直接照準器を装備していない。
        • つまり対戦車火力の優れた砲を搭載していながら、対戦車戦闘に向いていない奇妙な構造になっているのである。

三式中戦車チヌ

  1. こいつさえいればM4と互角だった、ともっぱら評判の戦車。
    • ただしスペックデータは4号戦車G型と同じ。
    • 重量増加により機動性に難があった一式中戦車の車体に75mm砲を載せた為、機動性は最悪だった。さらにM4と正面から撃ち合うには砲威力も装甲厚も不足していた。よって本土決戦では待ち伏せによる近距離攻撃を行う予定だった。
      • 運用感覚的にはアメリカのM10駆逐戦車のような「回転砲塔付き駆逐戦車」
        • カタログスペックに表れない部分で急いで作ったせいで作りというか設計が雑という点がある。
  2. 主砲は九〇式野砲の改造型。
    • 元はフランス製。シャーマンにも載せられた。
  3. ヤスリで砲塔が削れたなんてことは気にしてはいけない。
  4. 本土決戦に温存され、実戦参加の機会無し。
  5. 実はここまで車体はチハベース。競争試作のさい発展性に優れたチハを選択したのは間違ってなかったといえるだろう。
  6. 車体はチハベースだと勘違いされがちだがチハの発展型のチヘがベースである。
    • 主砲である九〇式野砲は正対している場合のみでなおかつ幸運ならば約500mで初期型~前期型車体のM4を正面から打ち抜けた(撃破できた)。
    • 後期型車体のM4の場合は防盾部の垂直部分に正撃であれば100m以内で貫通可能。それ以外は銃眼や側面後面を除き不可
    • 要はM4戦車を正面から撃破出来る可能性は絶望的ということである。
    • それってつまりチハベースなんじゃね?
    • その理屈で行くとチトもチハベースになっちゃう。あれ、武装強化のためにチハ改を溶接、大型化しただけだし。
      • でもチヌがチハベースって話は結構聞くけどチトはチハベースって話は聞かない。チハの車体に装甲を追加したチヘはチハベースといえてもチハの車体を大型化したチトはチハベースとはいいにくい、見たいな基準でもあるのだろうか。
      • そもそもチハとチヘには直接的なつながりがない。
        • チヌはチハベースとするのは、足周りが同じというだけでチリはチハベースであるというのと同じくらい暴論。

四式中戦車チト

  1. M4シャーマンやT-34とまともに戦えたかも知れない戦車。軍オタにはこっちが好きな人間も。
    • 米軍自身、四式が前線に現れていたら「太平洋戦争の趨勢は違っていたかもしれない」という評も。
      • 頑張って作っても太平洋の島々に運ぶ前に輸送船が撃沈されるから大した数は投入できないと思われる。よって趨勢は変わらない。
    • 物資不足でニッケル等をケチッてるので……。
      • スペック上はほぼ互角だが、終戦期における材質の劣化や、M4ほど装甲が傾斜してないことから防御面では不利だと思われる。
        • 四式の前面で傾斜していないのは砲塔と操縦席部分の立ち上がりだけなんだが。ここを76mm砲でピンポイントで狙うって相当難しいぞ? それこそ90式ならともかく。
          • だからM4と比較してって言ってるでしょう。四式も装甲は傾斜しているけどM4のほうが前提的に傾斜が激しいだろうと。
  2. 4両のみの試作で終わったという説と、量産ラインに乗り12両造ったところで終戦との説あり。
  3. 浜名湖に沈んでいるらしい
    • 漁協の反対で引き揚げ不能。
    • 戦国自衛隊のあのシーンのモトネタとも言われているらしい。
  4. 主砲貫通力は資料が公開してないため不明ヒントとしては
    • ヒント1 数値(見かけ厚)上は1000mでM4の前面装甲を打ち抜けるが実際は難しいよ。
    • ヒント2 日本軍が想定していたM4の前面装甲は砲塔で約85㎜車体では65~51㎜で、それぞれ45度傾斜しているよ。
    • ヒント3 砲完成時の昭和19年には1000mで100㎜貫通することを目標にしていた。
  5. 一般的な貫通力として言われてる1000m/75㎜の元ネタについて
    • 開発中は1000mで75㎜を貫通することが目標とされていた。
      • 昭和20年度に行われていた性能試験の結果は良好だった。
        • でも、具体的な貫通値が記載された資料が見つからない。
          • なら、性能試験では良好としてたんだから多分貫通力は目標の1000mで75㎜貫通でいいんじゃねと。

五式中戦車チリ

  1. こいつはT-34以上と言っても過言でもない戦車。下手すればパンターでも撃破できる。
    • 主砲は7.5cm砲だが8.8cm砲の搭載も可能。
      • ハチハチを載せる計画もあったと言われているが、実は予定はなかったらしい。
        • 開発チーム内で「ここをこうすれば88つめるんじゃね?」的な会話はあったらしいが、正式な設計図などは見つかっていないため、公式には否定。何でも戦後こいつを見た米軍士官が「この砲塔なら88をつめるかもしれない」といったのが一人歩きしたんだとか・・・
      • 自動装填装置を搭載するために砲塔を大きくしてたら90mm砲くらいは積めそうなくらいに巨大化してた。
  2. ただし37mm砲を搭載している。B1bisのように榴弾と徹甲弾を使い分ける様子。
    • 当時の日本人の体格では、長砲身75mm砲弾の装填作業は大変だったらしい。五式には装填を軽減する半自動装填装置を搭載する予定だったが、それでも次発までに不安があり、37mm砲はそれを補う目的もあった。(ドイツ軍のマウスも同様の理由で75mm副砲を装備している)
  3. 実は主砲・装甲厚ともにチトと同じ(主砲はチリの方が半自動装填装置を持っていたが)そして車体前面に37mm砲を装備しているため、防御面ではチト以下だったかもしれない。
  4. 過大評価されているが実際の実力は、M4シャーマン(初期型)どころか四号戦車(後期型)にも及ばない。チトも同様である。
    • なお主砲である五式戦車砲の正確な貫通限界は不明である。
      • チトの砲は1000mで75mmという数字が残っている。少なくともチリの砲がこれ以下ということはない。スターリン重戦車ならともかく、シャーマンやT-34、KV-1相手なら充分な数字。
        • チトもチリも主砲は同じ五式戦車砲ですが何か?ちっとはその知識があってるかどうか確認したらどうだ?
          • 五式戦車砲の貫通力は一般的には1000m/75㎜と言われているがこの数値は開発前後の最低目標であり射撃試験でも貫通したのでとりあえず1000m/75㎜説で通ってるだけ。
    • 参考までに五式戦車砲と口径が同じで初速が一番近い八八式野戦高射砲は一式徹甲弾使用時で約914mの距離で80㎜の装甲板を貫通している。両砲の砲口初速は五式は821m/s、八八式は690m/sでいずれも一式徹甲弾使用時の数値である。
    • なので1000m/75mmという可能性は低い。なお開発後の計画値として1000m/100mm貫通を目標としていた様である。
  5. しかし、仮に計画値通り(100mm/1000m貫通)の性能が出せたとしても500m~600mの距離でT-34/85やM4(後期型)の前面装甲を抜くのは困難であると思われる。
    • 両者の前面装甲は曲面や縦に傾斜を描いているがこうすることで弾道上の厚みを増したり、弾を逸らしやすくしたりできる。
    • さらに実戦では横にも傾斜していることが多いのでさらに弾道上の厚みは増え弾も滑りやすくなってしまい貫通が難しくなる。滑りにくくなる徹甲弾もあるが旧陸軍にはそんなもんはない。
      • 貫通力について勘違いしてる人がいるかもしれないので一応書くと、貫通力というのはあくまでも50%の確率で貫通できる限界の数値であり確実に貫通できる数値ではないので要注意。
  6. 昭和18年の段階では次期主力戦車の地位にあったが、チトの75mm砲採用と戦況悪化により量産の可能性すら潰えた悲しい戦車。
  7. ペーパープランのチリII型ではディーゼルエンジンが搭載予定だった。
  8. 新技術・新機軸をふんだんに使った五式中戦車、既存の技術を中心に堅実に仕上げた四式中戦車、両者が間に合わなかったときの保険としてせめて火力だけでもと作った三式中戦車。君なら誰に投票する!?
    • ぼくは、三式中戦車ちゃん!

五式重砲戦車ホリ

  1. 10.5cm砲を搭載した重駆逐戦車。ヤクトティーガーと同等。
    • 正面装甲も分厚く、パーシングでも吹き飛ばせる。
  2. 砲塔、砲身は完成し車体を待つところで終戦。
  3. RUSEでこいつが出てきた時の絶望感は半端無い。
  4. 正面装甲は被弾傾始無しの125mmだがこの時点(大戦末期)ではパーシングで1000mの距離でも貫通してしまうのは秘密。
    • 更にパーシングの曲面や傾斜がきいた前面装甲は148㎜~178㎜程度の垂直装甲板に匹敵するため200m以内に引き寄せても貫通は厳しかったりする。
    • 弾種によってはM4(76㎜砲搭載)にさえ1000mの距離からでもスパスパ貫通されるという悲劇。
    • コイツの主砲の貫通力は1000mで150㎜であると一般的には言われているが厳密には目標値であるため実際に貫通出来たかどうかは不明。
      • 兵器行政本部によれば、砲口初速850m/sの105mm徹甲弾は1000mで150mm貫通できる見込みだった。
    • 別の資料には1000m/175㎜という数値が残っている
      • ・・・が何を基準にしたものか明確な記述がないので、あくまで貫通力を探るヒントの内の一つとして考えるべし。
  5. 設計案ではヤクトティーガーもどきとエレファントもどきがある。

五式砲戦車ホル

  1. 4.7cm砲を搭載した駆逐戦車。
    • ハゴからの改良型。
  2. 側面からの待ち伏せが得意技。
  3. 日本人からは和製ヘッツァーと呼ばれるがヘッツァーに失礼。比べるべきはイタリアのセモヴェンテ da 47/32。
    • セモヴェンテ da 47/32は1941年開発。1945年にこの程度の物を作っている日本は遅すぎる。一式戦車砲と同時にホルも戦力化すべきだった。重量わずか8.5tのホルは輸送に便利で攻撃力もチハ改やチヘと同等で背も低いので隠蔽しやすく、太平洋の島嶼防衛戦において大活躍したであろう。
      • そもそも、ドイツのI号10.5cm自走歩兵砲やII号10.5cm自走榴弾砲ヴェスペを見る限り、九〇式野砲程度にチハ車の車台なんて贅沢すぎた。75mm野砲程度の運用なら九五式ハ号や九八式ケニ車でも充分果たせたはずである(実際、ハ号にチハ車の砲塔乗っけた四式ケヌとか五式ケホとかあったんだからな)。
    • 贅沢も糞も、それができなかったからこそチハ車体なんじゃないの?
      • ヴェスぺを作った当時ドイツは切迫した状況だったが同時期の日本はそうでもなかったというのもある。

特三号戦車

  1. 研究されていた空挺戦車
  2. 他国の空挺戦車というと戦車をパラシュートで落とすか、胴体着陸した大型機の中から戦車が出てくるというのが多かったのに対し、こいつはなんと戦車に羽根をつけて飛行機で引っ張ろうというトンでも仕様。
    • ちなみに誰でも似たようなことは思いつくものでソ連でもやっていた。がソ連にしろ日本にしろキャタピラの走行抵抗が大きくギアをニュートラルにしてもとても離陸速度を稼げなかった。とのことなんだが、使い捨てドリー(台車)を履かせればよかったんでないのか?というツッコミはしてはいけないのだろーか。
  3. 実用化できれば侵攻作戦などで活躍しただろうが、いかんせん空挺作戦など出来るような状況じゃなくなっていた。

四式十五糎自走砲ホロ

  1. 某わっちとは関係ない。
    • これでも対戦車戦闘を主眼とした対戦車自走砲。

二式砲戦車ホイ

  1. 主力戦車たるハ号やチハの火力を補うために作られた火力支援車両。
    • 前身にチハ車の方を短砲身75㎜戦車砲に換装した試製一式砲戦車が存在した。
      • この試製一式砲戦車は、車体強度の不足などの問題採用されなかった。
    • そこで砲戦車専用の車体を新規開発に開発されることになった。
      • まず、強度確保のため鋲接主体から溶接主体に改め、戦闘室の容積を増やすため車体を延長。
        • そして発動機をチハ車のエンジンより高性能な統制エンジンに換装して足回り以外の部品を新規の物に変更した。
  2. …ってかチヘと同じなんやな。
    • というのも一般に知られるチヘは初期案に対する妥協案であり別の車両になるはずだったんやな。
      • 走行機構の開発に躓いて開発が長引き戦況も切迫したのでとりあえず原案は諦めなくてはならなくなった。
        • そこで、妥協案として一足先に完成していたホイの砲塔を新砲塔チハの砲塔(増厚型)に乾燥して無理やり形だけでも完成させた。
          • これが、一般的に知られるチヘの正体だったんやな。
  3. 更にいうとチヘとチハには直接的なつながりはなく別系統の車両でありチヘはチハベースというのは間違いだし。

試製一号戦車

  1. 日本初の純国産戦車。

八九式軽戦車 イ号

  1. 日本初の量産された国産戦車。
    • 改良による重量増や九五式軽戦車採用により中戦車に変更された。
  2. 元々日本陸軍戦車には重戦車と軽戦車しかなかった。
    • 多数の軽戦車とそれを補助するごく少数の重戦車での二本立てで行く予定だった。
      • Tkやロ号の活躍を機に高速で数が揃えやすい軽・中戦車の二本立てに変わった。
  3. 主砲は歩兵支援用で対戦車戦闘を考慮していなかったが同世代の軽戦車には通用した。
    • 主砲はのちに砲塔旋回用ハンドルを回さなくともある程度ならば上下左右に肩で動かすことができるようになった。
      • この機構は九七式中戦車に搭載された一式四十七mm戦車砲Ⅰ型まで受け継がれることになる。
  4. この機構は一人で弾を込め、狙いをつけて発射する(薬莢は自動排莢)というサイクルを素早く行うことができた。
    • これにより弾を込める装填手を省略することができ、その分砲塔を小さくでき戦車の軽量化に繋がった。
  5. 装甲は硬さで弾をはじくものではなくどちらかと言えば厚みや柔軟性で受け止めるタイプの装甲鋼板を用いていた。
    • そのため被弾するとたちまち穴だらけに…。
    • だが、中国国民党軍が使う8㎜小銃弾が貫通し被害を及ぼすことは皆無だったので安心してほしい。
  6. その他の敵弾は13㎜機関砲弾の場合、距離200mにおいては垂直に近い状態で被弾した場合は9発中1発が貫通し、垂直に対し30°傾けた場合は8発中すべて貫通しなかったといわれている。
    • 中国国民党軍が使用した37㎜対戦車砲に対しては、300m以内であらゆる角度・部位問わずスパスパ打ち抜けた。

九一式重戦車

  1. 試製一号戦車の発展形。
    • 黎明期に試作した失敗作。
  2. 試製一号戦車と同じく多砲塔戦車である。
    • 当時、英仏を中心に二つ以上の砲塔を持つ多砲塔戦車が幅を利かせていた。
    • この戦車は、歩兵や砲兵などの他兵科の協力をうけず、戦車単独での運用をするための戦車であり、隙をなくすために二つ以上の砲塔を備えていた。
  3. しかしこの試みは失敗し、複数の砲塔を備えているがゆえに重量がかさみ、機動性等との兼ね合いで紙装甲にせざるを得ず、また複雑で高価なだけであり、1939年辺りには姿を消していく。
  4. このような問題だらけの多砲塔戦車形式を採用したのは、当時の日本には戦車の実戦運用の経験がなく他国の流行を参考にせざるを得なかったからである。

九二式重装甲車 ロ号

  1. 日本で最初に溶接主体で組み立てた装甲戦闘車両。
    • 溶接技術が未熟だったので接合部がよく割れた。
    • 最大装甲6㎜しかなく小銃弾が全く防げなかった。
  2. 騎兵科のモノだったので薄い装甲にもかかわらず重装甲車の名が付けられた。
    • 問題だらけだが髙い機動力のため八九式軽戦車より活躍。

九四式軽装甲車 TK

  1. 火砲などを牽引する装甲車両。
    • 九二式の失敗から信頼性の低い溶接からリベット止めに戻した。
      • 装甲も二倍の12㎜になり小銃弾防御が向上。
        • …が依然として8㎜級の小銃・機関銃徹甲弾に対しては不安が残っていた。
        • 日本陸軍の装甲戦闘車両共通の足回りであるシーソー式懸架装置はこの車両から。
  2. 牽引車だが、大陸での追撃・機動戦において八九式軽戦車より大活躍。
    • その活躍により初期の日本戦車部隊を支えた。

九五式重戦車

  1. 日本で最初で最後の制式化された重戦車。
    • 日本陸軍が戦車開発の黎明期に試作した失敗作その2
    • 八九式軽戦車とセットで運用するために開発された。
      • しかし先述のTKやロ号の活躍によって重い・高い(数が揃えられない)・遅い本車の採用は見送られた。
  2. 実はその後も研究は続けられ満州に送られるなどしたが日中戦争が始まるころには立ち消えた。

試製中戦車 チニ

  1. チハの競争相手
    • 八九式軽戦車と比べ車高が低くなり機動性と防御力が多少上がった。
    • 火砲はそのまま

試製九八式中戦車 チホ

  1. 一式中戦車の前に存在したチハたんの後継車両。
    • チハ車が量産開始した昭和13年に開発がスタート。
  2. 日本陸軍の中戦車としては初めて対戦車戦闘をまともに考慮した戦車。
    • これはノモンハン事件の三か月前には将来、戦車同士の戦闘が多くなっていくであろうと予想していたためである。
  3. ただしこの時点ではチハ車やイ号と同じ主砲を搭載する予定であったらしい。
    • のちにノモンハン事件等のソ連との国境紛争やドイツの電撃戦という形で予想は的中する。
  4. これにより、搭載砲は47㎜に決定されるが、同時にチホ車開発は翌年にはほぼ打ち切られ、チへ車の開発へ移行する。
    • 打ち切られた理由として、まずチホは総合的に見れば、チハに毛が生えた程度の性能しかない。
      • そもそも設計思想がチハを簡略化させて生産性を向上させようとしたもので悪く言えば劣化版であり発展性に欠ける。
        • さらに実際に遭遇し鹵獲したソ連戦車の性能がかなり高くそれまでの量重視から質重視に転換したためである
  5. なお搭載砲が47㎜砲になった理由は、日中戦争勃発直後から37㎜速射砲(対戦車砲)の後継として47㎜砲の開発が始まりノモンハン事件辺りに完成していたため手っ取り早い戦力化が可能だったからである。多分。
    • ただしこの47㎜砲は当時のソ連戦車の搭載砲より威力が低く、そのまま対戦車砲として量産されたり戦車砲化されたりせず昭和15年の初め辺りまで改良されていくことになる。
  6. ちなみに、この時点でソ連は37~50mm級対戦車砲を無力化するほどの防御性と対戦車戦闘を考慮しながらもより歩兵支援を重視した75㎜級火砲を備えた、T-34の開発を進めていたりする。
    • アメリカも同様でドイツ軍に対抗するためM4の開発を進めながらもつなぎであるM3中戦車を試作し量産段階まで進めている。
      • ぶっちゃけこの時点で既に世界の趨勢に取り残されつつあり、一式中戦車ことチヘが41年(昭和16年)に完成していたとしても時代遅れなのだ。
  7. チホがチニのような、性能より生産性重視になった理由としては、機甲軍設立時にソ連軍の脅威が高く見積もられており、ソ連軍に少しでも対抗できるようにより多くの戦車を欲していたためであり無根拠に量重視に走ったわけではない。

九八式軽戦車 ケニ

  1. 量産された国産戦車としては最初に実用レベルの溶接主体で開発・製造された戦車。
    • また国産戦車として初めて主砲と双連式(または同軸式)に機関銃を搭載した。
  2. 砲塔が狭かったので砲塔を広くし主砲を新型の37㎜砲に換装した二式軽戦車ケトがある。
    • ぶっちゃけ、砲塔を挿げ替えただけです。
  3. ケニ/ケトは、エンジンの配置を見直したため、ハ号と比べ全高が50㎝近く低くなり、五式自走砲 ホルとほぼ同じ全高になった。
    • 車体形状も洗練されチハやハ号と比べ量産向きに。
      • 溶接主体になったことで軽量化されたにもかかわらず、防御力が向上。(砲塔部と車体正面だけなら八九式軽戦車とほぼ同じ
        • 速度は地味に旧陸軍が開発した装軌式車両最速のなかでは最速の50㎞/h。
  4. しかし、当時の陸軍は、ハ号のすでに量産が勢いづいていており現場での信頼性の高さも十分だとしていたため、ケニ/ケトの量産は大分後の対米戦の半ばぐらいまでに遅れる。
    • 量産の先送りの他の理由としては、量産ラインを切り替えるだけの国力がなかったこと、防御面は向上したが37㎜対戦車砲による遠距離からの射撃が防げないのはハ号と同じであったことが挙げられる。
      • また、本車の高機動性も対米戦の舞台である島嶼での戦いにおいては生かしづらいとされたためハ号と比べ少数生産にとどめられ本土決戦に向けて温存された。
  5. どうでもいいが、早期から次期軽戦車の主砲にはぜひ、高初速47mm砲にしてほしいとの意見が多数あったので、ケニの車体にチハやチヘの砲塔を載せる武装強化案があった。
    • これが幻の試製五式軽戦車 ケホの正体だとするウワサがある。

試製一式砲戦車 ホイ

  1. 二式砲戦車の前身。開発者側や上層部からは一〇〇式砲戦車または一式砲戦車と呼ばれていた。

一式十糎自走砲 ホニⅡ

  1. 一式砲戦車こと一式七糎半自走砲とほぼ並行に開発されていた自走式火砲。
    • 本命はこっちだったので一式七糎半自走砲より多く作られたゾ。

超重戦車 オイ

  1. ある一人の男の誇大妄想を具現化したもの。完成車両は無し。
    • 日本陸軍機甲科が考えていた本来の運用方針や意向をガン無視したそびえ立つクソ。
  2. 機甲科が考えていた本来の方針をまとめると
    • まず、大陸での運用を経験する前は主力の軽戦車と補助役で極少数のの重戦車の二本立てで行く方針だった。いずれも鈍足である。
      • しかし、大陸での運用経験から比較的高速で数の揃えやすい、主力の軽戦車とその補助をする中戦車の二本立てで開発運用していく方向に転換。
    • その後、チホ車開発前後から主力戦車に軽戦車を据えることに不安と感じたかどうかは知らないが主力戦車を中戦車に変更、その補助に重装甲大火力の砲戦車を充てることになり、終戦までこの方針で行くことになる。
  3. ちなみに発案者の名は岩畔豪雄、当時の階級は大佐。軍事予算をある程度自由に使える軍事課長を務めていた。
    • 彼は兵器行政の改革を行い多数の開発機関を設立したらしい。
  4. 話を元に戻すと、岩畔氏がオイを発案するきっかけとなったのはソ連の多砲塔戦車T-35の情報である。
    • 情報を手に入れた岩畔は、1939年ノモンハン事件の直後に軍事車両開発を司る第四研究所に現れ、予算を横領しオイ開発を指示する。
      • 設計は岩畔が深くかかわり、車体構造や装甲、火砲などの設計はほとんど彼のごり押しっぽい。
    • 開発は厳重な情報隠ぺいの中で行われ41年に相模造兵廠に発注、42~43年頃に試験用車体が完成し走行試験が行われたが、結果は悲惨なものだった。
      • 車体は放置され44年頃に解体された。
  5. 徹底した極秘体制の中で行われたが、わずかに漏れ出した情報により分解して満州に運ばれただの本土決戦で移動トーチカとして使用するつもりだっただのと様々な憶測や噂が誕生し現代に語り継がれることになる。
  6. 120t型と100t型の二種類ある。
    • しかし、実際に計画されていたのは全備重量150t重戦車のみであり、120t型も100t型もうわさが伝わるうちに誕生した存在しない車両である。
    • 主砲は、従来説では105㎜加農砲の改造型とされていたが実際には150㎜榴弾砲であり副武装に機関銃と47mm砲を副砲塔に搭載した多砲塔戦車である。
      • 主要装甲は多砲塔戦車としては破格の150mm。速度は30㎞/hを目標に足回りも専用の物が使われ、外地に運べるよう分解・組み立て式になっていた。
  7. もちろんこんなものが走れるわけもなく足回りはぶっ壊れ開発は放棄された。

九七式軽装甲車 テケ

  1. 九四式軽装甲車の後継車両。ディーゼルエンジンを搭載し車体が大型化した。
    • 九四式と比較して内部が広がり、特に操縦席はエンジンルームと内壁で完全に隔離され操作性が上がった。
      • 燃えにくいディーゼルエンジンを採用したことにより自然発火事故のリスクが下がった。
        • ディーゼルエンジンは、重量がかさみやすいという欠点があるが、テケの場合はトルクが高いため全体的な出力は上昇した。

三式砲戦車 ホニⅢ

    • 一式七糎半自走砲 ホニⅠを砲戦車化した車両。



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