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==福岡の言葉の噂==
*史実で指名していない球団が指名していた場合は[[もしあのプロ野球選手があの球団にドラフト指名されていたら]]へお願いします。
#九州弁と言うと博多弁と思われたくない。
*ドラフト以外で入団した選手は[[もしあのプロ野球選手があの球団に入団していたら]]へお願いします。
#*福岡県内だけでも博多弁以外のまったく違うアクセントや方言を使う地域が多い。(アクセントは[[ノート:福岡の言葉|ノート]]参照)
*史実でプロ入りしていない選手は[[もしあの選手が日本プロ野球入りしていたら]]へお願いします。
#*福岡県に住んでいる人間は全員博多弁をしゃべると思われている。
*抽選の結果、指名を拒否した選手が指名球団に素直に入団していた場合は[[もしあの選手がドラフト指名を拒否しなかったら]]へお願いします。
#*地域ごとに方言は大きく異なっており、他所から来た人にも容易に判別できる。
==1980年代以前==
#**特に福岡市近辺と北九州市の東部から京築にかけての方言は別系統とされている。前者は熊本や長崎と同じ系統の「肥筑方言」、後者は大分や宮崎北部と同じ系統の「豊日方言」と呼ばれる。丁度ドイツ国内に「低地ドイツ語」と「高地ドイツ語」の2つがあるようなイメージである。
===江夏豊(1966)===
#***北九州市の東部って小倉・門司のこと?
※史実では阪神に入団
#*博多弁は福岡市とその近辺で話されている方言のこと。厳密な意味では博多区とその周辺限定。
;巨人
#*従って「福岡弁」として統一できるものは存在しない。
#1968年の奪三振がさらに増えていた。
#**福岡弁は福岡の方言を言う場合と、武士言葉の福岡弁を言う場合があるはずなんだが、どうだろう。ごく一部のお年寄りしか使えないような、ほぼ死滅している方言だとは理解しているが、最初からなかったように扱われるのはちょっと寂しい。
#高橋一三とともに左腕の二枚看板を形成する。
#疲れている時、「きつい」とか「きつかぁ〜」と言う。
#南海か日本ハムへトレードされた可能性もある。
#*方言なの?意味は通じてるんでしょ?
#現実と真逆に阪神の打者(特に田淵幸一あたり)との因縁の対決が話題になる。
#**意味が通じていないものが方言だっけ?
#引退後にクスリに手を出さなかった可能性がある。
#**意味が通じても標準語と違えば当然方言
#**逆に標準語と単語が同じでも意味が違えば方言
#**でも「きつかぁ〜」はともかく「きつい」は標準語のような…
#「いらない(不要)=よかっ!」だが、「O.K.またはGOOD=よかぁ〜」なのでまぎらわしい。
#* 別説:「よかぁ〜」に「O.K.」の意味はありません。「よかぁ〜」はGOODのほかに「いいなあ〜(うらやましい)」という意味でよく使います。「O.K.」は「よかよ」「よかよか」と言いいます。(福岡県のひと)
#**「Nein=よか」は否定しないのですか。
#***「結構です(必要ありません)」と同義の「Nein=よか」でしょう。
#***「よか」に限らない。「いい」「結構です(必要ありません)」も同様。
#*それって福岡onlyじゃないの?(by北九州)
#*「よか」なんて言わん言わん(北九州人)
#体育の授業のとき「やっ!」あるいは「やあ!」と掛け声がある。
#*地方によって異なったりそもそもなかったりする。
#*例:先生「立て!」生徒「やっ!」
#*小学校の体育で立ったり座ったりする時の掛け声は「やーっ!」例:先生「立ち上がれ!」生徒「やーっ!」
#*ああ、福岡起源だったのですか。兵庫でも言います。
#**兵庫でも言うのなら、兵庫起源でしょう。黒田は兵庫県発祥だから。
#***黒田氏の出自は岡山です。
#行進していて止まるときは「イチ、ニ!」駆け足していて止まるときは「イチ、ニ、サンシ、ゴ!」と脚の動きに合わせて掛け声をかけて止まる。
#* 例:先生「ぜんた〜い、止まれ!」生徒:「イチ、ニ!」
#「とっとーと」のみならず「とーっとーとー?」「とーっとー、とーっとー」、「きききいー?」「きききー!」なんて会話もあるが、自分たちの方言は標準語に近いとおもっている。
#*それぞれ「(席や場所を)確保してある?」「来ることができる?」という意味。
#**「きききぃー?」は「聞き(聴き)においでよ?」とも解釈出来るが、地元民はイントネーションやアクセントで完璧に使い分け可能。
#*応用編「ついにサッカーくじを当てたよ」→「とーとーとととっとーと」
#*ちなみに久留米以南は「とっとっと」「とーっとっと」と若干異なる。
#*反論:最近やっと標準語に近くなってきただけでまだまだと思う。
#今日は涼しい→今日はすーすーすーね
#*涼しいと意味ではなく、風が抜けて寒いと言ったほうが正しいのでは。
#敬語にすれば標準語だと思っているが、ほど遠い。
#小学校の職員室の前に「会議'''が'''してありますから廊下を静かに歩きましょう」などと標準語を教える先生のこんな表現がまかり通る。これはけっして標準語ではないと福岡に転勤して母はつぶやいていた。
#*正しくは「会議をしていますから廊下は静かに歩きましょう」・・・だよね?(北海道)
#*単に書いた人が間違ってるだけな気がする・・・・・・
#*いや、間違ってないぞ。福岡じゃ普通に通じるし…(福岡人)
#*北九州では普通に「会議をしていますから廊下は静かに歩きましょう」です。博多とかは「会議'''ば'''してありますから〜」じゃないの?
#*久留米だとん?ってなるぞ
#*「している」を「してある」というのはこちらでは丁寧語的用法みたいですね。「お願いします」を「お願いしときます」というのも。(久留米在住非九州人)
#友達と別れるとき「なら!」って言う。「ならね〜」とか…多分「じゃ!」とか「じゃあね〜」のつもり
#*「ほんならー」とかから語尾だけになったと思われる。
#北九州人は語尾に「チャ」を連発する。(博多人の「たい」と同意)お前はラムちゃんか!と突っ込まれる。
#*福岡は語尾が「ちぇ」あるいは「つぇ」になる。
#**「っち」にもなってるときがあります。
#**「っち」になるのは筑後・筑豊・北九州地方だけだと思う。
#***あ~っ、そげんと知らんっち言いよるやろーが!(ああ、そんなの知らないって言ってるじゃないか)
#**「つぇ」は博多方面だけ!!
#*北九州人はラムちゃんか!の突っ込みに飽き飽きしている。(北九州市在住)
#*女の子が「チャ」って言うとかわいく聞こえるらしい。
#**博多では「チャガ」という。疑問形は「チャロ?」。「・・・したっチャガ(チャロ)」。
#**でもヤンキーが言うと何か違和感を感じる・・・っていうか怖い
#***いやいや、それは愚連隊自体が嫌悪及び恐怖の対象なのであって・・・。
#**女の子は「ちゃん」になるとよりかわいい。
#**北九州では語尾に「ちゃん」は付けない。
#**ちなみに北九州は「〜したっちゃろ?」とか言わない。「〜したんやろ?」なら言うが。
#会話が聞き取れない場合に無意識に「は?」と言うが悪気は無い。
#*方言なの?
#博多弁でしゃべって、東京人に「関西の人?」と言われるとキレる。「ジェ」と発音できない。「ズェ」となる。指摘されないと気付かない。
#*少なくとも久留米は「ジェ」の発音はできる。
#ナンパをする時、第一声は「なんしよ~と~?」
#*[[テレビ西日本|TNC]][[wikipedia:ja:華丸・大吉のなんしようと?|某番組]]を思い出す。
#*北九州だと「なんしよん?」
#「とてもおいしい」とかの「とても」を「バリおいしい」のように「バリ」という。
#*「おもしろい→うける~」、「とてもおもしろい→バリうけ~」
#**「バリ」の最上級が「パキ」であったらしい。(@大濠高校)
#**昔、「世界で一番遠い島はどこ?」というクイズがあった。答えは「バリとぉ」。失礼しました。
#*ちなみに筑後では「ガバ」をつける。
#**盗賊団?
#**「ガバ」は他地域から流入、変化。久留米では「ばさらか」が歴史的に古い。
#**佐賀の言葉では?柳川・久留米にいたが、高校の時に友達(佐賀出身)と話していて意味がわからなかった。
#**佐賀弁でいうところの「がばい」。
#**久留米は「えらい」を使わないか?(例:高良大社の、えらい高っか所にあったとよ)
#*ちなみに大牟田では「ぎゃん」をつける。
#*ちなみに北九州(一部)・遠賀では「でたん」をつける。
#**「でたん」は北九州でも八幡西区しか使わん。北九州は一般的には「そーとー」「ほーと」。
#*筑豊では「でたん」の他に「ばっさ」とも言う。
#「とても」のことを「ちかっぱ」とか言う。
#*言わん(by北九州)
#*博多弁では「ちかっぱ」は「力いっぱい」の略であることを知らない福岡人は意外と多い。
#「参加させて」を「かたして~」というのは全国区で通じると思っている。
#*「掃く」を「はわく」というのも全国区で通じると思っている。
#*「かたらせて」ともいう。
#**佐賀でもいう。
#**久留米はそれだった。
#*北九州では「かってて」ともいう。最近は言わない。
#**北九州の小さい子(小学校低学年まで)は最近「かけてー」。
#*筑後は「かっちぇて」。
#*「加担させて」が語源らしい
#**恐らく違う。「かつ」が語源と考えられる。どでかい辞書で「かつ」を引くと、加える、というような意味が見つかる。「かてて加えて」の「かてて」はこの活用。
#*「語らせて」かと思ってたけど・・・
#**楽しそうに会話しているところに「俺もかたらせて」と言ったら、皆が黙った。とてつもなく嫌われていると思ったが、私にしゃべらせるために静かにしたんだと、数年後に気がついた。
#よく「よかろ~もん」という。若年層間では死語に等しい。
#*パナマウンガー!よかろーもん!! Byズレータ
#東京とか大阪とかに行った福岡人は、まちがいなく向こうの言葉にかぶれて(汚染されて)エセ東京人、エセ関西人になる。そして、地元に帰ると自慢げにその言葉で話す。
#*そして東京で「なんか方言しゃべって~」と言われてもまわりが標準語だとそれに感化され、うまくしゃべれない。
#*その通り。言語中枢の切り替えがうまくできないとそうなる。九州人の標準語はすぐ見抜けます。
#サ行の発音は、シャ・シィ・シュ・シェ・ショ。例)先生→しぇんしぇい
#*・・・にもかかわらず、年配の方はJR(ジェイアール)のことをゼイアールという。<br>私の祖母はいえたけど・・・。
#*「はしぇがわ ほうしぇー」=[[wikipedia:ja:長谷川法世|長谷川法世]]
#やかんでお湯を沸かす事を「やかんを火にかける」という
#*それを聞いた関東人は、コンロに本当に水をかけてしまうらしい
#*「やかんを火にかける」は言うこともある。さすがに水はかけない(神奈川県民より)
#*「鍋を火にかける」という言い回しはある。水はかけない(東京都民より)
#*普通にその表現使う。やっぱり水はかけない(埼玉県民より)
#*とりあえず、それは兵庫でもいう。
#*お湯が沸くことを「たぎる」と言う。これ、方言?(古典「大和物語」には記述有)
#*「やかんを火にかけたけど 紅茶のありかがわからない」と槇原敬之も唄ってます。
#車で細い道をすれ違う時、「離合する」と言うのは全国的だと思っている。
#*実際、いろんな地域の道路整備計画の公式ページに「離合」という記載がありますが、役所でしか使わないのか?
#*電車に乗ってても「当駅で、離合待ちを行います」と言う。
#よりかかることを「なんかかる」というが、これも標準語だと思っている。
#*さすがにそれはない。
#*前原方面では言う。
#*北九州も言う。
#*久留米でも言う。
#*大牟田では「ねんかかる」という。
#*福岡市民同士の雑談で言って笑われたヤツがいた。(自分も使わない東区民)
#*「なんかかる」は実は鹿児島弁かもしれない。
#カバンなどを背負うことを「からう」という。これも標準語だと思っている。
#*「からう」は九州全般で使用しているのでは?
#*生まれて33年間、標準語だと思ってた(東京生まれの嫁さんに言われるまでは)。でも、久留米のかばん屋さんで「リュックからいますか?」といわれた時はうれしかった。
#*北九州のほうは「かるう」と言う。
#片付けることを「なおす」と言う。これも標準語だと思っている上に、他県の人が聞くと標準語の「直す」と勘違いして、迷惑。例)自転車直しといて。(福岡では、しまっておいて、と言う意味。。)
#*福岡の方言というより関西以西では使うのではないか。
#**使わない(兵庫)
#**大阪の友達は使っています。小学校の教科書に大阪(西日本?)方面の言葉としてのっていた。まさに、意味の取り違えの事例として。
#**はい、神戸では使っています。「それちょっとなおしといて」→修理するのか片付けるのかは前後で判断。
#*「納す(のうす)」が語源らしい。なので、直すは誤用
#**公家言葉「納す」から来ているという説が有力。別に博多弁ではなく、博多の人も使うというだけ。その昔、公家言葉を推奨した鹿児島県などに多く残るが、本家の京都では現在はあまり使われない。
#*最近は標準語でない事を自覚する人も増えた(福岡市民)
#*久留米の年寄りは「なわす」と言う。
#**柳川弁では「なゆる」。「なわる」といえば「移動する」や「修理する」
#*「しまう」とも同義語だと思いこんでいる。
#九州以外では「おいどん」「ごわす」等、鹿児島の方言を博多弁と思っているふしがある。
#*「~たい」「ばってん」もそんなに使わない。ひろしの言葉も博多弁だと思われている。(実は、熊本弁)←実は荒尾弁≒大牟田弁
#「しろしい」という標準語に訳し難いことばがある。
#*「しろしい」は山口弁では?
#*訳して?
#*「面倒くさい、うっとうしい、やりたくない...でもそれから逃れられない」的。
#**類義語「しゃーしい、しゃーしか」には攻撃的要素を含む場合がある。
#**久留米以南では「しろしい」も「しゃーしい」もひっくるめて「せからしか」。
#**博多近辺では「うるさい」を「しぇからしか」と言うが、筑後(大牟田)では「しからしか」と言う。
#**それを聞いた熊本人は必ず鹿の真似する。熊本でも「せからしか」を使う。
#*「しるしい」と発音することもある。
#**「あ~しるしか」ちっご
#博多区内以外出身の人は「博多弁」の呼称に必ずと言っていいほど異論を唱える。
#*「北九州弁」「筑後弁」のように是非区別してもらいたい。
#**もっと言えば筑後弁でも久留米弁と大牟田弁は是非区別してもらいたい。
#***できれば柳川弁も区別してもらいたいです。
#「いっせーのーせ」を「さんのーがーはい」と言い、それが方言であると思っていない。
#*大牟田では「せーのーがーさんはいし」と、いまいちタイミングのとりづらい掛け声になる。但し、単に「さんはい」または「さんはいし」と言うこともある。
#「いぼる」の意味が分るのは福岡人くらいだろう。
#*子供の頃はよく いぼりよった けど、今はいぼるところも少なかろ~。
#*長崎人もぬかるみにはまることを「いぼる」と言う。
#「なしけん」の意味が分るのは柳川市民くらいだろうか?
#*「どうして」のこと?(大牟田市民)
#**正解。久留米では通じなかった。
#**久留米でも通じるし!!(久留米市民)
#**ちっごでも通じます。
#**「なし」とかにもなってる>なしけん
#「ねまる」はどこまで通じる?
#*腐るという意味なら鹿児島でもOK。
#「のさん」という言葉は筑後弁?
#*だと思います。「きつしてのさん」=疲れていけない
#*たぶん「納得できない」といった意味(自信なし)。「のす」という言い方はしない。
#*「のさらん」なら筑後では「もらえなかった」「損した」の意味。
#**「いっちょんのさらんやった(ぜんぜんもらえなかった)」。「のさらんやったね(残念だったね)」。
#「むぞい」「むぞがる」も筑後弁?
#*「ぐずる」ですか?「むずがる」とも言います。
#*「可愛いい」「可愛がる」のこと。「えらいむぞがらすとやん」などと使う。
#朝倉地方は、小倉と久留米を結ぶ秋月街道、福岡と日田を結ぶ朝倉街道が交差する地域にあるためか、北九州、筑豊、博多、久留米、日田の方言が混じっている。(博多弁が一番強い)
#*逆に言えば、いずれの方言を使っても通じる。
#*朝倉地方では、「だめ」なことを「ひげん(へげん)」という。
#**また、木などを「折る」ことを「おしょる」という。さらに、甘木朝倉地方では時間や日程の「都合をつける」ことを「まんぐりをつける」という。あと、針など手に「刺さる」ことを「のこる」という。
#*ちっご弁が一番強いんじゃないの?
#「横着」を勝手に「生意気」と翻訳し関東勢とモメる。
#「小うるさい」事を「しゃーしい」という。
#*「せからしい」「せからしか」ともいう。
#「頭にくる」を「はらかく」という。
#*県外人から「おなかをかくときはなんていうの?」と聞かれるとやはり「はらかく」と回答。
#何かを自慢するときに「何々したっつぇ」とよく言うが、文章にするまでそのおかしさに気づかない。
#*例「醤油ラーメン食べたっつぇ」
#「(洗濯用合成)洗剤」のことを「洗濯石鹸」という。
#*顔を洗う石鹸のことを「かおう(花王)石鹸」という。
#「嫌い」と言わず「好かん」(好かない)という。「ぎゃん好かん」は直訳すると「とっても好きじゃない」だが、意味は「大嫌い」になる。「嫌い」のニュアンスが強くなれば、「好かん」ではなく「嫌い」になる。
#小便を洩らすことを「まりかぶる」と言う。(主に朝倉)
#*筑後地区では「しかぶる」とも言う。
#*福岡でも言うけど(福岡市中央区)
#よく見たら「殴らす」が出てないな。関西弁で言う所の「度突く」にあたる。
#*例:「何ばしよっとかきさん、殴らさるーぞ!」(何さらしとんねんワレ、度突いたろか!)
#**「殴らす」とかそんな日常的に使う方言とは思えんが。
#*久留米・吉井弁で「ひだるい」「ひだるかー」は「腹が減った」の意味だと聞いた、「ひもじい」にその源を発するのか? 関西人には「日中は身体がだるい、夜中になったら元気になる」と誤解される。
#*「くらっそ」の方が全国的に有名かも…
#**「くらす」=「なぐる」、「ぶつ」。「貴様コノー、くらさるーぞ!」
#*「でやす」はマイナーかな…
#方言とは別に、福岡市方面ではオフィス用語として、「その通りです」を「です、です」と言うことがある。
#*ちなみに「そうです」は「です」となる。
#*他地域の人がこれを聞くと違和感を覚える。
#*福岡県人(というより九州人)は総じて「ですね」を多用する。例:「・・・してですね、」
#「横になる」ことを「ながくなる」「なごぉなる」という。
#博多は昔の国際都市、方言もインタナショナル。博多どんたくの「どんたく」はカステラのCMにある通りオランダ語の休日を示すドンタークが起源だそうだが、逆接の接続助詞「ばってん」も英語のbutが起源らしい(?)
#ひもを結ぶことを「きびる」と言う。
#「はわく」が方言だと微塵も思っていない。
#「少しも~、ちっとも~」のことを「いっちょん」というが、関東人にはまったく通じない。
#*「いっちょんわからん」
#「壊れる」ことを「しまえる」という。
#* 柳川弁では機能しなくなるを「ねどかる」、形が崩れることを「つっくゆる」と使い分ける。
#*無くなる、といった意味でも使っててような・・・。多分「無くなる」→「おしまい」→「しまえる」という変化。
#「おいしか」ではなく「うまか」である。(某お土産のCMへ)
#8時50分は9時「10分前」ではなく9時「前10分」。
#*ケンミンショーでは大分の方言として紹介されたが、福岡でも使う。
#福岡県民は福岡は日本三大都市に入っていると信じ込んでいる。
#*信じていません。というか、カテゴリー違いでは?
#「~ばい」も県内幅広く使われている。「~よ」という意味。
#「こちょばい」って標準語かと思ってた。
#*「そげなとこ触んしゃんな、こしょばいか」(そんなところ触らないでください、くすぐったいです)
#文節の切れ目に「クサ」をいれる。
#*「クサ」は博多・筑豊・筑後地方だけ。
#* 筑豊でも、嘉穂(筑前)は文末に「クサ」を多用するが、田川(豊前)では全く使わない。「~ちゃ」になる。
#*"く"は英語のKに近い発音。「やけんくさい」じゃなくて、「やけんっさい」(だからね)
#「大きい」「高い」「広い」等を「太い」と言う。
#*東京タワーを見上げながら「太かぁ~」
#*「ヤフードームっちゃぁ、なしこげん太かとかいな」
#久留米では「みっともない」は「げさっか~」と言う。


==単語集==
;東映
*「すーすーすう」=「スースーする」
#尾崎行雄に代わる先発のエースとして定着。
*「とととっとーと?」=「TOTOとってるの?」
#日本ハムへの売却時に放出されたかも。
*「これ、とっとーと?」=「これ、とってあるの?いるの?」
#高橋直樹はトレードされず、引退まで日本ハムに所属していた。
*「とっとーと」=「いるんだから、捨てないで」
**上記4つは九州全域な気がします(鹿児島県民)
***同感です(元佐賀県民)
***福岡でも、一部地域は使いません(福岡県民)
***九州全域では有りません絶対に(福岡県民)
***鹿児島じゃあ1番上以外は使わないよ(元鹿児島県民)
*「いぼる」=「ぬかるんだ場所にはまる」
**例)バリいぼり:重度のはまり
*「すいとぉ」=「好き」(一度で良いから、彼女から言われてみたい博多弁No.1)
**「あたい(私)あんたのことすいとる(惚れている)とよ!」・・・幸せな言葉だ(出身者♂)
**「すいとぉ」は若い子は言わない。
***↑ホントに?小生が若い頃は使っていたが。いま40代。
**柳川弁では「しーとっ」
*「ばってん」=「しかし・だが・でも」
**青森県の津軽弁では逆接の意味で「ばって」が使われるが、ここが由来だろうか・・・?
**若い世代はほとんど使わない。
*「よか」=「良い・結構です」
*「たい」=「だ・なのだ」(断定の助動詞)
*「ばい」=「だ・なのだ」(断定の助動詞、「たい」よりも弱い)
*「~ちゃろ?」=「~でしょう?」”ちゃろ”の前に小さい”つ”が入ることが多いです
*「やけん」=「だから」接続詞 前に文が来る場合は「ちゃけん」にもなります
*「あんぽんたん」
**「しんめりがん」「まんちん」


[[Category:福岡|ことは]]
;阪急
[[Category:方言|ふくおか]]
#2年後入団した福本と共に「W豊」と呼ばれる。
[[Category:九州弁|ふくおか]]
#黄金時代がもう少し長く続いていた。
#山口高志はずっと先発主体だった。
#トレードで広島か中日に移籍していたかもしれない。
 
===江川卓(1978)===
*[[もし江川問題が○○だったら#阪神以外が交渉権を獲得していたら]]
===木田勇(1978)===
※史実では広島の指名を拒否→翌年日本ハムに入団
;大洋
#在京(というか地元)球団なので当然入団していた。
#*広島の指名を拒否したのは両親の病気が理由だったため。
#1979年の大洋は優勝できていたかもしれない。
#*そうなれば「江夏の21球」も存在しなかった。
 
===岡田彰布(1979)===
※史実では阪神に入団
#1985年に優勝できていなかった可能性が高い。
#某CMからどんでんと言われることも、阪神の監督にもなっていない。
 
;阪急
#当時の打線に更に磨きがかかっていた。
#三塁ではなく、外野に転向していたか?
#松永の代わりに阪神へトレードされた。
#仰木監督退任後、石毛ではなく岡田がブルーウェーブの監督を務めた。
#*「29-1」が「[[33-4]]」になっていたかも。
#1985年以降も何度か優勝出来ていたかも。
 
;西武
#石毛の三塁転向は遅れていた。
#1985年も日本一になれた。
 
;南海
#大阪出身ということで歓迎される。
#王監督の後任になっていた可能性が高い。
#藤原満の引退後三塁に再転向した。
#連続Bクラスがダイエーに代わるまで続いていなかったかも。
 
;近鉄
#1980年は日本一になり前年の雪辱を果たす。
#大石より先にバファローズの監督に就任した。
 
===原辰徳(1980)===
※史実では巨人に入団
#80年代の巨人は暗黒時代になっていた可能性が高い。長嶋解任・青田問題・江川事件の暗い影を史実より長く引きずっていただろう。
#日本ハムがクジを引いていたら入団拒否→江川事件の再来となっていたかも。
#*入団したなら、2011年に菅野智之を引いても拒否されない。
#*巨人以外は全て入団拒否だったのでは…?
#**大洋は入団容認していたはず。もし大洋なら遠藤との東海大コンビで騒がれただろう。
#無論巨人の監督にも就任せず、2000年代後半以降の優勝回数が減っていた。
#入団拒否→浪人だった場合、翌年槙原寛己は巨人に指名されなかった。
 
;広島
#川口和久は他球団に指名されていた。
#*巨人だったら引退まで巨人に居れたかも?
#史実の三塁手ではなく、二塁手になっていた。
#当然あの手首負傷はない。
#2000本安打も達成していたはず。
 
;大洋
#1~4位まで全員当たりという大成功ドラフトになっていた。(2位の堀井は指導者として成功)
#FAで駒田を取りに行っていなかった。
#*屋鋪・高木豊も横浜で引退していた。
#2000年代中盤に監督就任、よって大矢明彦の再任はなかった。
#*もしくは権藤博の後任あたりで就任し森祇晶が横浜の監督になることもなかったかも。
#背番号は巨人に移籍した松原誠の後を受けて25が有力か?
#80年代~90年代半ばの大洋(横浜)は優勝までとは行かなくとも史実より成績も良くAクラスに入った回数も増えていたはず。
#*史実で3位になった1983年に優勝できていたかも。その場合、翌年最下位に転落することはなかった。
#田代富雄は史実より早く一塁手にコンバートされていた。
#*近藤貞雄は山下大輔と高木豊の守備位置を入れ替えるだけでよかった。
#ロッテからレオン・リーをトレードで獲得することはなかった。
 
===石毛宏典(1980)===
※史実では西武に入団
 
;阪急
#バンプ・ウィルスの加入はなかった。
#1984年の日本シリーズでは、日本一になっていた。
#オリックスの監督就任の際に問題になることはなかった。
 
===金村義明(1981)===
※史実では近鉄に入団
 
;阪急
#地元に加えて本人も意中の球団、ということで歓迎されていたのは間違えない。
#打者転向は史実通りだが、三塁には松永浩美がいたので外野手になっていた?
 
===荒木大輔(1982)===
※史実ではヤクルトに入団
 
;巨人
#史実より引退が早くなっていた。
#巨人に斎藤雅樹が入団しないため、巨人の90年代の優勝回数が減っていた。
#王監督就任時に野手への転向を打診される。
 
===高野光(1983)===
※史実ではヤクルトに入団
#いずれにせよ新人開幕投手は務めていなかった。
 
;西武
#渡辺久信が入団せず、西武の優勝回数が減っていた。
#*渡辺←→高野のトレードがあったかも。
#渡辺が西武監督に就任することはなかった。
 
;大洋
#銚子利夫は他球団に指名されていた。
#*長内孝は広島で現役を全うした。
 
;阪急(オリックス)
#投手層の薄い阪急で史実より活躍していた。
#1984年の日本シリーズでは、日本一になっていたかもしれない。
#阪急電鉄の広告やCMに出演していたかも。
#引退後、オリックスでコーチを務めていていたのは史実通り。
 
===広沢克己(1984)===
※史実ではヤクルトに入団
 
;西武
#大久保・清原をドラフト指名することはなかった。
#*広沢が指名されても清原指名は史実通りだろう。当初構想にあった清原のサードコンバートが実現していた。
#巨人に移籍していなかったかもしれない。
 
;日本ハム
#大島康徳をトレードで獲得せず、大島の監督就任もなかった。
#*山本正之は「熱血ファイターズの歌」を制作しなかった(他の中日出身者が日本ハムの監督に就任していれば別の話だが)。
 
===清原和博(1985)===
*[[もし1985年プロ野球ドラフトで○○だったら]]
 
===阿波野秀幸(1986)===
※史実では近鉄に入団
#1987年パリーグ新人王は西崎幸広が獲得。
#10.19決戦と1989年の近鉄優勝はなかった。
#指名された複数球団全てで出場した唯一の選手にはならなかった。
 
;大洋
#史実通り1年目から活躍しセリーグ新人王を獲得。
#長年左のエースとして君臨し、史実通り1998年の横浜優勝にも貢献、引退まで大洋・横浜一筋で通した。
#*野村弘樹のブレイクが遅れる。
#巨人のコーチには就任しなかった。
 
;巨人
#やはり先発の一角として活躍するが、長嶋監督時に構想から外れ横浜にトレード、その後は史実通り。
#西武との日本シリーズで伊原春樹から執拗に抗議されボークを連発してしまう。
 
===立浪和義(1987)===
※史実では中日に入団
;南海
#中日入団の場合と同様1年目からレギュラーを獲得し新人王に。
#翌年ダイエーが元木大介をハズレ1位で指名→入団拒否はなかった。
#*おそらく浜名千広、もしかしたらポジション的に考えると小久保や井口も他球団へ、となっていたかも知れない。
#**史実でも浜名は中日とダイエーで競合しているが。
#ダイエーの初優勝ももう少し早まっていた?
#本人の残した数字自体は史実とあまり変わらず2000本安打と二塁打の日本記録も達成していた。
#1987年の南海のドラフトがドラフト史上最大級の大当たりと言われる。(もっとも、立浪の外れで獲得したのが吉田豊彦で、それ以降も若井基安、柳田聖人、大道典嘉、吉永幸一郎、村田勝喜とそうそうたるメンバー。)
 
;中日のその後
#種田仁はトレードに出されず中日で現役生活を全うしていた。
#小学生の時キャンプで立浪にバットを貰ってファンに→立浪に憧れてPLに進学した、というエピソードのある福留孝介は中日に入団しなかった(おそらく巨人入り?)
#*どっちにしても近鉄は蹴っていた。
#森野将彦や荒木雅博はレギュラー獲得が早まっていたかも。
 
===長嶋一茂(1987)===
※史実ではヤクルトに入団
;大洋
#史実よりは出番を与えられて活躍出来ていたかも知れない。
#外れ1位の盛田幸妃は他球団が指名していた可能性も。
#父親の巨人監督再就任とともに移籍、は史実通りか?
#背番号は当時空き番の5になっていた可能性が高そう(3番は高木豊の番号のため譲られなかっただろう)。
 
===川崎憲次郎(1988)===
※史実ではヤクルトに入団
 
;巨人
#中日に移籍することはなかった。
#*勿論川崎祭も起きてない。
#吉田修司同様巨人では振るわずダイエーにトレードされていたかも。
 
===野茂英雄(1989)===
※史実では近鉄に入団
;ロッテ
#90年代にあと3~4回ぐらいAクラスに入れたかも
#バレンタイン監督に太鼓判を押されてメジャー行きか?
#*広岡GMと揉めてメジャーへ、ってあれ?誰かと全く同じだ…
#拒否され、翌年(社会人なので)再度複数球団による競合というシナリオも。
#*小池秀郎の行き先にも影響が及ぶ場合もある。
#*その場合、プロ入りは92年のバルセロナ五輪後まで無かった。
#*12球団OKじゃなかったっけ?
 
;ダイエー
#ダイエーの旧南海時代から続くBクラス更新は無かった
#99年と98年以外は優勝は出来なくともAクラスにはなっていたかも知れない
#野茂のメジャーへの移籍が遅れていたら藤井将雄のダイエー入団は実現しなかったかも知れない
#元木大介は無事巨人入り。
#*元木の2位単独は当時の評価から考えて厳しいので抽選にはなりそう。
 
;オリックス
#オリックスブレーブス元年、上田監督に「ええで」と言われ新人王。
#次の監督土井正三に「あんな出鱈目なフォームのヤツ、使えん」と言われ実力を発揮しつつも寡黙になる。
#*その翌シーズン(1992)には史実より3年早くアメリカへ旅立ってたかもしれない。
#そして仰木監督。イチロー、パンチと一緒に「ヒデオ」と登録名変更を要望されるも拒否。しかしマジックにも乗りオリックス4連覇(94年~97年)。全盛期を迎える。
#*佐藤和弘は外れ1位なのでこのケースだと入団していない可能性がある。
#**ただ佐藤は2位でも取れそうだがら入団はあり得ないとまではいえない。
#第一次仰木政権終了の01年末に退団→渡米も全盛を過ぎマイナー契約で終了。現役を終える。
 
;日本ハム
#数年後「そのまんまハムの広告」と賞賛される。
#*江夏~矢作の後継者と呼ばれる
#いろいろな意味で○モ○デオに関係のある某投手と比較される。
#東京ドーム時代に1回は優勝出来ていた。
 
;阪神
#大阪出身なので一躍大スターに。
#中村監督に甘やかされた後、藤田監督と衝突、最終的に球団と対立し数年後メジャ…あれ?
#*でも92年は優勝できたのかも
#史実である葛西稔が他球団に指名されていた。
#*よって彼が入団1年目にバッシングの標的に遭うことはなかった、というよりそれを糧に2年目以降実績を上げること自体なかったかも・・・
#*もちろん「遠山→葛西→遠山→葛西」の投手リレーも存在しなかった。
#*彼が引退後阪神コーチとなって藤川球児をブレイクさせる下地を作ることもなく、藤川もひっそりと球界を去っていたかもしれない。
#**葛西氏が2位以下で阪神に指名されたかもしれないので、同氏については史実通りだったかも・・・。
#**ロッテが外れ1位で葛西を指名予定だったため、阪神が2位指名になることはありえなかった。
#***ロッテは外れ1位1番目で小宮山を獲ってるけど?
 
;大洋
#先発に野茂、抑えに佐々木という強力な投手陣が出来上がる。
#*野茂の外れ一位で佐々木が近鉄に。
#**それはない。佐々木は大洋以外狙ってなかったらしい。(佐々木と大学の同期、大塚(元西武)談)
#***でも、1位じゃなかったら佐々木は入団しなかったと思う。
#***日本ハムの大沢啓二(当時、常務)が大声で「佐々木で行こう」といったため、指名を繰り上げて1位で指名した。
#*斎藤隆は大洋ではなく中日に入団
#ベイスターズに改名した直後には優勝していた。
 
;ヤクルト
#ソウル五輪でバッテリーを組んだ古田との相性はバッチリ。ヤクルトは現実以上の黄金時代を築く。
#*ノーコンを意に介さないピッチングスタイルは、次第に野村監督と古田をイラつかせる要因になっていった。
#「ヤクルトみんなでノモ」のCMがヒットし、人気者に。
#女性芸能人若しくは[[フジテレビ]]の女子アナと結婚していた。
#石井一久は指名されていないかもしれない。
 
;近鉄のその後
#他のパリーグチームに入団していた場合、90年代初頭には早くもBクラス常連チームへ転落。
#人気も低下し、20世紀中に球界再編の可能性も。
 
==1990年代==
===小池秀郎(1990)===
;全般
#社会人(松下電器)時代に成績を落とさなかったので、史実より活躍できていた。
 
;近鉄
#2年連続で当たりを引き当てた仰木監督は「ゴッドハンド」と呼ばれていた。
#右の野茂、左の小池の両輪で悲願の日本一を達成した。
#とはいうものの入団しただろうか?
#*巨人・ヤクルト・西武以外は拒否の方針だったので、近鉄入りは微妙なところ。
#*ロッテじゃなければという話もあったので、ごねたけど最終的には入団になりそうな気がする。
 
;ヤクルト
#高津臣吾も史実通り入団していたら、「亜細亜大学コンビ」と呼ばれていた。
#石井一久のブレイクが遅れていた。
#史実でヤクルトの外れ1位で指名された岡林洋一は当初の予定通りロッテが指名し入団していた。
 
;西武
#工藤公康の移籍後に左腕エースとして君臨。西武の黄金時代はさらに長くなっていた。
#前年に続いて8番目にくじを引いた球団が当てたため「残り物には福がある」と言われた。
#高山郁夫(西武)⇔高木宣宏(広島)のトレードはなかった。
 
;中日
#岐阜出身なので歓迎される。
#小島弘務か矢野輝弘のいずれかが指名されない。
#高木監督時代に優勝していた。
#1997年の最下位は回避できた。
#2000年と2002年のどちらかは移籍しなかったかもしれない。
 
;広島
#大野や川口の後釜と目される。
#1996年は優勝していた。
#江藤と同時にFA移籍した可能性も。
 
===矢野輝弘(1990)===
史実では、巨人と中日の2位競合で抽選の結果、中日が交渉権を獲得。
;巨人
#村田真一と兼用で捕手を務めていた。
#*村田が年齢と共に出場機会が減った後、矢野は正捕手となる。
#阿部慎之助は巨人に逆指名で入団しなかった。
#*ファンであった阪神に逆指名で入団していたかもしれない。
 
;中日のその後
#殆ど影響無し?
 
;阪神のその後
#正捕手は山田勝彦のままだった。
#*当時の阪神は暗黒時代だったので、1998年以降の成績はもっと酷くなっていた。
#上記のように、阿部は阪神に逆指名で入団していた可能性がある。
#*その場合、当時の監督は野村克也だったので、彼に指導された分、リードは史実の巨人より少し良くなっていたかもしれない。
#*阿部が阪神に入って現実通り活躍出来ていれば、阪神も現実通りAクラスに浮上に黄金時代を築けていたかも。
#*2016年以降も阪神に在籍していれば、彼の父親の元チームメイトである掛布雅之と師弟関係になっていた。
 
;全般
#声優の水樹奈々は矢野のファンになることはなかった。
#*野球の知らない水樹奈々ファンにも矢野の名前が知れ渡ることはなかった。
#阪神にトレードされない限りあの引退試合はないと見られるので村田修一が引退試合キラーと言われることはなかった。
 
===斎藤隆(1991)===
※史実では横浜に入団
;中日
#1998年は中日が優勝していた。
#*[[もし日本プロ野球であの球団が優勝していたら/セ・リーグ#中日ドラゴンズ|1994年や1996年も巨人ではなく、中日がリーグ優勝を果たしていた]]。
#ストッパーに転向していなかったかもしれない。
#「ササキ様に願いを」は作られなかった。
#史実で斎藤隆の外れ1位として中日から1位指名された落合英二は2位で指名されていた(他球団は落合の故障を考慮して指名を見送っていた)。
 
===松井秀喜(1992)===
※史実では巨人に入団
;阪神
#阪神暗黒時代はなかったかも。
#*松井が何人いようとどうにもならないと思えてしまうのが[[阪神タイガース/暗黒時代|阪神暗黒時代]]なのである。阪神の歴史はあんまり変わらなかったと思う。
#*ただ最下位と言う最悪の状況だけは免れる事が出来たかも知れない
#*暗黒時代でもないが優勝にも届かない微妙な状況が続いたってことか?
#*優勝は出来なくとも、少なくともAクラス入りは何度か果たしていただろう。松井の加入によりチームの雰囲気が変わり選手が勢いづくだろうから。
#**現実にはFAで入った金本や西岡がその役割を果たした。
#*普通に中村監督時代に優勝できていたかもしれない。1992年の阪神の成績からみてありえない話じゃない。
#**1993年か1994年にリーグ優勝していただろう。上手く行けば連覇とか?
#それどころか星野時代に史上初の連覇+日本一を達成していたりして。
#*というか、連覇以前に2002年のオフ後にさっさとヤンキースに移籍したと思う。
#*上のように、星野監督就任よりも以前に達成しているだろう。
#指導者に恵まれず1軍昇格がないまま退団。
#ヤンキースタジアムのスポンサー広告が'''何故か'''オレンジ色の「[[読売新聞|○○新聞]]」などではなく「[[朝日新聞]]」になっていた。
#*勢い余って一塁側には「大阪西川」、照明下には「川上塗料」、バックスクリーンには「[[三菱電機]]」。
#浜風の影響で意外とホームラン数は伸びていないと思う。東京ドームが本拠地の巨人と比べて5本ぐらい減るだろう。
#外野ではなく高校時代と同じ三塁を守っていたかも。
#*内野手のままだったら片岡が移籍しなかった。FAしたとしても別球団に行っていた。
#3番新庄・4番松井という黄金クリーンナップが実現していたかも。
#一部で阪神ファンだという話を疑問視する声があるので入団拒否して駒澤大学へ進学して4年後に逆指名で巨人入団なんて事も。
#*ドラフトでの表情を見る限り巨人ファンではなかっただろうし、事前に拒否してないのに突然入団拒否はありえないだろうと思う。
#萩原誠放出後に31をつけていたのは間違いない。
#天然芝の甲子園球場でプレーすることになったため、メジャー入りしてしばらくした後に怪我で悩まされるということはなかったかもしれない。
 
;中日
#巨人を差し置いて中日が松井在籍時に4回リーグ優勝または日本一に。
#少なくとも背番号は「55」ではなかったのは間違いない(大豊泰昭が王の年間55本塁打にあやかって着けていたので)
#*有力なのは宇野のロッテ移籍で空いた「7」あたりか?
#松井の出身地の[[石川|石川県]]での[[石川のメディア#北陸中日新聞|北陸中日新聞]]の購読者が増えていた。
#*その逆に北國新聞は活躍をほとんど報じなかった。そのため、石川県での人気は低かった。
#1996年最終戦での敬遠はなかった。
#福留孝介は入団しなかった可能性も。
#*福留は当初遊撃手。
#1994年・1996年は巨人ではなく中日が優勝していたかも知れない。
 
;ダイエー
#活躍した場合、いつの間にかポスティングでメジャーに行ってしまっている。
#謎の無償トレードで[[読売ジャイアンツ|ナベ○ネ部隊]]にプレゼントされる。
#王の後継者として期待される。
#*「門田2世」との呼び声も高かった。背番号も44になっていそう。
#ホークスの暗黒時代は1990年代中盤には終わっていた。
#*生卵事件もなかった。
#星稜高校の1年先輩の村松有人とともに外野手でコンビを組んでいた。
#松中信彦が逆指名して入団しなかったかも知れない。
#高校時代と同じ内野手だった場合、小久保裕紀の指名はなかったか入団してもブレイクが遅れていた。
 
;巨人のその後
#おそらく戦力の劣化はほとんどないと思われる。
#*ただチームの意気は今より下がっていたかもしれない。
#外野手補強のために稲葉や谷辺りが巨人に指名されていたかもしれない。
#長嶋監督の復帰の盛り上がりが小さくなっていたかも。
#「10.8決戦」やメークドラマも存在しないかも。
 
;全てに言えること
#長嶋茂雄との師弟関係が出来なかったので、2013年の国民栄誉賞受賞はなかった可能性が高い。
#*長嶋茂雄の国民栄誉賞受賞も死去後に?
 
===伊藤智仁(1992)===
;広島
#ヤクルトよりも選手生命が短くなってた可能性が高くなる。
#投手コーチになり黒田・マエケンに高速スライダーを伝授していただろう。
 
;オリックス
#小林宏は入団しなかった。
#*小林-オマリーの14球もなかった。
#スローカーブの星野伸之と好対照をなしていた。
#広島の場合同様に選手生命は短くなっていた可能性が高くなる。
 
===福留孝介(1995)===
;全般
#中日・巨人以外に指名され拒否していた場合、福留個人については史実通り。
 
;中日
#原俊介はすんなり巨人が獲得。
#荒木雅博の指名はなかった。
#*1998年ドラフトで井端弘和を指名していなかったかもしれない。
#**こちらは福留が史実通り外野に転向していれば可能性はあったかも。
#*いずれにせよ荒木・井端の名二遊間は誕生しなかった。
#*1999年ドラフトで中日は誰を1位指名していただろう?岩瀬は逆指名で2位だろうし・・・。
#**おそらく松坂大輔を指名していたはず。
#種田仁は中日で現役を全うしていた。
#*「タネダンス」をしていたのは中日の応援団だった。
#1996年と1998年に優勝していた。
 
;巨人
#原俊介はすんなり中日が獲得。
#*その代わり荒木雅博を2位指名か?
#*この年の中日2位は逆指名の門倉健なので、荒木を取るなら3位以下になる。
#2007年CSでの巨人惨敗もなかった。
#メジャー挑戦をもっと早くに表明していた可能性も?
#二岡が入団することはなく、山本モナは芸能活動を続行していた。
#*史実通り外野手転向なら、高橋由伸の獲得に動かなかった可能性も{{極小|裏事情にもよるが}}。
#*高橋由伸よりも清水が指名されていない。
#佐々木恭介と出会わなかったので史実ほどの成績は残せない。
 
;オリックス
#1年目に育成成功していたら谷は他球団に指名されていた。
#2学年上の福留宏紀と区別するためスコアボードでは「福留孝」と表記される。
#2000年代前半にメジャー移籍したか、山崎武司とトレードされていた。
 
;ヤクルト
#岩村明憲は指名されていない。
#池山隆寛の引退が早まっていた。
#外野に転向した場合、真中満はレギュラーを獲れずじまいだった。
 
;近鉄は
#外れ1位で澤井良輔を再競合していたか?
#当然「ヨッシャー」も話題にならず。
#まあ、どっちにしてもチームの状況はあんまり変わらなかったということで…。
 
===原俊介(1995)===
この年、[[中日ドラゴンズ|中日]]は1位で福留孝介を指名して外し、外れ1位で原俊介を指名して外し、外れの外れ1位で荒木雅博を獲得した。原と荒木のその後の活躍の差は周知の通り。
 
#でも荒木は3位ぐらいで獲ってた。
#*ちなみに2位は逆指名入団の門倉健。
#どっちにしろ中村武志が健在だったので出番は無かった。
#小田幸平が中日に移籍しなかった。
#*落合監督は小田を高く評価していたので、いずれにせよ野口の人的補償でなくとも、原とトレードしてでも獲得していたと思う。
 
===松坂大輔(1998)===
※史実では西武に入団
;横浜
#少なくとも2002年~2004年・2006年の最下位はなかったかも。
#*その他の年はともかく、'''2003~2004年'''はどんなに好投しても味方の貧打と中継ぎの乱調に足を引っ張られ、勝ち星がなかなか付かずに[[横浜DeNAベイスターズ|横浜]]の順位は変わらなかったと思う。
#**04年の場合打線だけ見れば優勝してもおかしく無いレベル
#*マルハがTBSへ株式を売却するところまでは現実通りあったとしても、DeNAへの身売りはなかったかもしれない。
#*その分阪神が現実よりも苦戦したかも。2003年と2005年のどちらかはリーグ優勝できなかったかもしれない。
#背番号は1998年当時空き番だった17(過去に斉藤明夫らが使用)か27(平松政次らが使用)だった。
#横浜高校から横浜ベイスターズに入団したことから「ミスター横浜」という異名がつけられる。
#古木克明は(第一志望の)ダイエーに入団していた。
#*古木が小学校の卒業文集に「絶対に行きたくない球団は大洋」と書いていたことが話題にされることもなかった。
#**逆に「行きたい球団はダイエー」と書いていたと話題にされていた。
#史実通りの時期にポスティングでメジャー入り。
#99~01年の間に横浜がもう一度優勝できていた可能性もある。ただしいずれポスティングでメジャー移籍した後は史実通りの暗黒時代へ。
#*優勝できていた場合、[[もしあのプロ野球球団の監督が○○だったら#権藤博(横浜)|権藤監督は辞任せずに済んだかもしれない。]]
#99年には「新人にして開幕投手」の大偉業を達成し、この年まで在籍していた大魔神と組んで連覇を達成。ただし以後孤軍奮闘の末メジャーに移籍することになる。
#三浦と共に先発の柱で「W大輔」と間違いなく呼ばれていた。
#セリーグでは打席に立つため攻撃面でも大きく貢献した。
 
;日本ハム
#北海道移転前に1回くらい優勝していた。
#06年奇跡の日本一を手土産にメジャーへ…
#背番号は広瀬哲朗が引退して空き番になっていた1(史実では同年ドラフト5位の阿久根鋼吉が着ける)だった。
#入団拒否→社会人入り、の可能性も…
#父の出身地である[[稚内市]]で主催試合が行われた。
 
===新垣渚(1998)===
※史実ではオリックスの指名を拒否
;ダイエー
#無論オリックスの三輪田スカウトは自殺していない。
#暴投記録更新は史実通りかも。
#*2011年頃にはトレードされていたか、戦力外になっていた可能性もある。
#2002年のドラフト会議で、多田野数人氏を指名していた可能性が高い。
#1999年に新人王を巡って、西武の松坂大輔氏と争っていた。
 
===田中賢介(1999)===
;中日
#荒木か井端のどちらかが完全に外野に転向することになっていた。
 
==2000年代==
===寺原隼人(2002)===
※史実ではダイエーに入団。
;共通する事
#ダイエー以外はセ球団(中日・巨人・横浜)からの指名だったため公式戦で近鉄と対戦する事が無く、何らかの形でソフトバンクに移籍したとしても13球団勝利は達成できていない。
 
;巨人
#2003年の巨人投手陣の成績が少しだけまともになっていたかもしれない。
#ソフトバンクへのトレードもなかったかもしれない。
#*寧ろ、小久保裕紀と交換で移籍していた。
 
;横浜
#2016年現在、横浜生え抜き投手として活躍していた。
#FAでソフトバンク行きか、多村仁志の復帰時にトレードで交換要員になっていた可能性も。
#*そもそも多村仁はトレード放出されなかった。或いは、ソフトバンク以外の球団に放出されたかも。
 
===陽仲壽(陽岱鋼)(2005)===
*関連項目:[[もしプロ野球であの事件が起きなかったら#2005年高校生ドラフトでの交渉権間違いがなかったら|2005年高校生ドラフトでの交渉権間違いがなかったら]]
;ソフトバンク
#史実通り外野手に転向して活躍していたら、長谷川勇也・柳田悠岐・中村晃のいずれかはブレイクしていなかった。
#*柳田は地元の広島に指名されていたかも。
#ショートのままだった場合、川崎宗則の渡米まで活躍できなかった。
#*今宮健太を獲得していなかったかも。
#史実通り同じ年に実の兄の耀勲も入団していたら、同一球団所属の兄弟選手として現実以上に話題となっていた。
#*この場合、名前の読みは兄と揃えて「ヤン・チョンソ」としていた。
 
===田中将大(2006)===
※史実では楽天に入団
;全部に共通すること
#1年目から活躍し、新人王を取る可能性はまず無かった。
#2009年も楽天はBクラスだった。
#*2013年もリーグ優勝はおろか、Aクラスに入れたかどうかも微妙。
#2013年に24連勝無敗の偉業を達成することはなかった。
 
;日本ハム
#投手陣が充実していたため1年目から先発は無かった。
#斎藤佑樹は指名しなかった。
#吉川光夫は(大嶺祐太が史実通りなら)地元ソフトバンクの外れ1位として指名されていた。
 
;オリックス
#一応、出身地なので大いに歓迎された。
#もしかしたら2008年はリーグ優勝、2011年もクライマックスシリーズ進出を果たしていた。
#里田まいとは結婚していなかったかも知れない(日ハムは彼女の出身地、横浜も在京球団ということで出会いの接点はありそうだがここの場合は…)
#*その代わりに他の女性芸能人、もしくは在阪局の女子アナあたりが結婚相手だったかも?
 
;横浜
#1年目から先発で投げれていたが楽天と違ってチーム状態がアレなのでそんなに勝ち星は挙げられなかった。
#広島の前田健太とは同学年なので非常に強力なライバル関係になっていた。
#*同郷の巨人・坂本勇人の対決も注目されていた。
#2013年以降もDeNAに残留していた場合、2017年以降は番長から背番号「18」を引き継いだ。
 
===堂上直倫(2006)===
;巨人
#相思相愛だった中日ファンから「立派に育ってFAで中日に来い!」とエールを受ける。仮にそれが実現していれば巨人にとって駒田以来2人目の生え抜き選手FA他球団流出となった。
#坂本勇人は外れ1位で中日が獲得していた?
#*その場合、史実ほど活躍できていたかは微妙。
#*2020年時点で2000本安打に到達できていなかったかもしれない
 
;阪神
#野原将志を獲得することはなかった。
#甲子園で活躍したヒーローだが思うような実績を残せない…?
#*小林宏之をFAで獲得の際の人的保障でロッテへ、となっていたかも(史実では高濱卓也)
 
===中田翔(2007)===
※史実では日本ハムに入団
;全部に共通すること
#1軍に入れてた?
#*他の3球団はレギュラーが固定されていて、割り込むのが困難だっただろう。結局日本ハムが一番マシだったということになる。
#野手ではなく投手として指名されていたら?
 
;阪神
#福留は阪神に入団していなかっただろう。
#*福留は鹿児島出身なので、地元九州のソフトバンクに入団。
#*古巣中日への復帰もあった。
#本拠地が天然芝の球場になるので膝を痛める事は無く今でもレフトを守っていたかも。
#2020年に岡本和真と並ぶ本塁打王(を含む)と打点王による二冠王になっていた。
 
;ソフトバンク
#ドラフトでの柳田悠岐の指名と長谷川勇也、中村晃のブレイクはなかった可能性も。
 
===大田泰示(2008)===
※史実では巨人に入団。後に日本ハムへトレード。
;ソフトバンク
#巨人の外れ1位はもちろん長野久義。
#大田は指名を拒否して[[東海大学]]に進学していたかも。
#*その場合、巨人が2011年に菅野智之を外していたら更に悩ましいことに。
#結局は史実とあまり変わらず、か?
#*史実より一軍出場は多かったと思う。
#巨人の背番号55は空き番号のまま。
#*間違いなく松井の国民栄誉賞受賞を持って永久欠番になっていた。
 
==2010年代==
===斎藤佑樹(2010)===
※史実では日本ハムに入団
;東京ヤクルト
#神宮のヒーローが帰ってくると大盛り上がり!
#神宮での初登板は、大フィーバーとなっていた。
#かつての荒木大輔の「大ちゃんフィーバー」を超える「佑ちゃんフィーバー」が起こっていた。
#史実で外れ1位で入団した山田哲人はクジの競合相手だったオリックスへ。
#*その結果、2014年のオリックスはリーグ優勝を達成し、2015年のヤクルトはリーグ優勝を逃していた。
#*高校時代と同様、先輩にちなんで「T-山田」と呼ばれていた。
#*オリックスは、翌年山田とポジションの被る安達了一を指名しなかった。
#**西野真弘の指名もなかった。
#*オリックス入団の場合でも史実のようにトリプルスリーを達成するような選手にまでなれていたかどうか?という部分はあるが、少なくともレギュラークラスで活躍していたのは間違いないだろう。
#*それでも史実の1位指名だった駿太は他球団が指名しなければ2位以下で獲っていたはず。
#斎藤は群馬県出身なので、ヤクルトの主催試合が前橋(敷島球場)で行われていた。
#1年目から活躍できていれば、2011年にヤクルトが優勝出来ていた。
 
;ソフトバンク
#大先輩の王会長のもと、英才教育が施される。
#ただ、活躍できなかった場合はとことん出番がなかったと思われる。
#*最悪の場合育成契約になっていた可能性も。
 
===山田哲人(2010)===
;オリックス
#オリックスは2011年はクライマックスシリーズ進出を、2014年には18年ぶりの優勝を果たしていた。
#一方、ヤクルトの2015年は良くてAクラスになっていた、
#*日本シリーズに進出できても、ソフトバンクに4連敗していたと思われる。
#尽く高卒野手が育たないオリックスなので、史実通り育っていない可能性も多分にある。
#駿太は他球団か2位以下でオリックスに入団していただろう。
#*他球団の場合は登録名を「駿太」にせず、本名フルネームの「後藤駿太」だった。
#*他球団の場合は、背番号繋がりでローズと関連付けられることもなかった。
 
===菅野智之(2011)===
;巨人
#それでもアンチ巨人からのバッシングは必至だが、史実よりはマシになっていた。
#当然ながら浪人した時以上に実戦勘は研ぎ澄まされてはいるだろうから、新人王を取っていた2013年(13勝6敗)よりもさらにえげつない成績を残したかも。
#*巨人は史実以上に大差をつけてセ・リーグを制覇していた。
#**CSにおける初戦からの3連敗もなかった。
#*となれば、2012年の新人王は野村祐輔ではなく菅野だった。
#日ハムの外れ1位はいったい誰になっていただろうか…。
#*松本剛を1位指名し、その他選手も史実通り順位を繰り上げる形で指名していた。
#この年の巨人の外れ1位松本竜也はどうなっていたか。
#*巨人と競合した横浜に入団していた?<!--その場合2015年の野球賭博には関与しなかったのでは?-->
#**DeNAだった場合、2014年オフに自由契約になっていた可能性もある。
#**笠原将生や福田聡志らともかかわることもないため少なくとも野球賭博に手を出すことはなかったかも?
#2012年に大累進を指名することも無く、日本ハムへ入団したと思われる(史実でもトレードで日本ハムへ移籍)。
#翌年、巨人の1位指名は誰になっていただろう?
#*東浜巨か藤浪晋太郎を指名していたか、或いは指名拒否覚悟で大谷翔平かもしれない。
#*2位で獲得候補だった鈴木誠也かも。
#背番号は最初から「18」を付けていた。
#*杉内俊哉は「21」あたりか。
 
===藤岡貴裕(2011)===
※史実ではロッテに入団。後に日本ハム→巨人へトレード。
;横浜
#高城俊人・白崎浩之と共にオリックスへ移籍していた。
#*少なくてもトレードでたらい回しにされる事は無かったのか?
#プロ入り後の活躍度合いは微妙だが、少なくともこの年の横浜のドラフトが『嫌がらせドラフト』と呼ばれる事は無かった。
 
===藤浪晋太郎(2012)===
※史実では阪神に入団
 
====== 全部に共通すること ======
 
# 金本監督による「161球事件」起こらず、母校である大阪桐蔭と阪神の関係が悪化することはなかった。
;ヤクルト
#ライアン小川を抑えて新人王を獲得出来たかも。
#石山は指名されなかった。
#*その場合、2018年のヤクルトは交流戦優勝を逃しシーズンもAクラスに入れたかどうか微妙な所。
#2013年のヤクルトは最下位を免れていた。
#*2015年も日本一になれていた。
 
;ロッテ
#2013年に楽天を抑えてリーグ優勝あるいはCS優勝・日本シリーズ出場を果たしていたかも。
#*もちろん田中マー君の連勝を止めていた。
 
;オリックス
#史実の阪神と同様、地元の星として歓迎され注目される。
#2014年にリーグ優勝出来ていて、15年以降もまともな成績を残している。
 
;阪神のその後
#2013年以降も低迷を続けていて、14年のCS優勝もなかった。
#*西岡や福留も移籍してこなかった場合尚更。
#*和田豊の監督退任が早まっただろう。
#和田豊が当たりくじを引けなかった分手のひら返しもないので、2012年のチームの不振を引きずるファンが現実より多かった。
#西岡との大阪桐蔭OBコンビもなかった。
 
===石川歩(2013)===
※史実ではロッテに入団
;巨人
#ロッテは小林誠司(史実の巨人1位)を指名か。
#*そうなった場合、某所で「肘」と呼ばれることはなかったかも。
#巨人ではヒゲは禁止なのでイメージがガラリと変わっていた。
#「セ・リーグには行きたくなかった」と入団後のインタビューで語っているので入団拒否した可能性も(本人は子供の頃から大の中日ファン)。
#*その場合、翌年のドラフトで中日が単独1位指名。
#*そうなった場合、この年に巨人から支配下指名された選手は2021年3月の田口麗斗トレード移籍を以て全滅していた。
 
===大瀬良大地(2013)===
※史実では広島東洋に入団
;東京ヤクルト
#入団4年目の2017年をもって戦力外通告を受け、退団を余儀なくされていた。
 
===松井裕樹(2013)===
※史実では楽天に入団
;DeNA
#地元出身選手の指名で大フィーバー。
#当時は金城龍彦が所属していた為、入団当初の背番号は「1」ではない。
#*史実通りに金城が退団した場合、活躍次第で与えられたかも。
#史実通り抑えとして定着した場合、山﨑康晃は新人王を獲れなかったかも。
#石橋杏奈との交際→結婚は史実通り?
#史実の外れ1位だった柿田裕太は阪神か日ハムへ。
#楽天の外れ1位指名で岩貞祐太を指名した可能性も。
 
===山﨑康晃(2014)===
※史実ではDeNAに入団
;阪神
#呉昇桓が中継ぎになっていた。
#「小さな大魔神」と呼ばれることはなかった。
#横浜DeNAの抑えは三上朋也のままだった。
#ヤスアキジャンプをやることはなかった。
#そもそも最初からリリーバー起用を行っていたか疑問。
#*「先発ローテの一角を任される康晃」も多分にあったかもしれない。
 
===高山俊(2015)===
※史実では阪神に入団
;ヤクルト
#オリックスから坂口智隆を獲得することはなかった。
#河載勲は契約されていなかった。
#*背番号は「00」を背負っていた。
#**山田哲人の後を受けて「23」かも。
#***大成していた場合、青木復帰はなかった。
#真中監督の「幻のガッツポーズ」がネタにされることもなかった。
#阪神は外れ1位で誰を指名していたのやら?
#*同じ外野手のオコエ瑠偉を指名し楽天と競合していた可能性も?
#**そちらも外していた場合、坂本誠志郎が1位指名されて以下の選手の順位が繰り上がったか重信慎之介(史実の巨人2位)辺りを指名してお茶を濁していた。
#*逆に原樹理(史実のヤクルト外れ1位)を指名していたかもしれない。
#*競合回避或いは外れ1位候補といわれていた上原健太かも。
#2016年シーズンの阪神は現実以上の苦戦を強いられていた。
#*「超変革」の目玉選手が1人減っていた。
#*阪神とヤクルトの順位が逆になった可能性がある。
 
===柳裕也(2016)===
※史実では中日に入団
;DeNA
#DeNAが2017年のポストシーズンで史実通りの善戦が出来たかは微妙。
#*但し、2位以下でも濱口遥大の指名に成功していたら別。
#球団通算4000勝になった際の勝利投手になっていた。
#今永昇太、濱口遥大、大貫晋一、石田健大、平良拳太郎による令和ベイスターズ投手王国を築いていた。
#入団3年目の2019年に最優秀防御率を獲得した。
#中日は次の指名でやはり他球団と同じく佐々木千隼だっただろうか。
#*そちらも外した場合、京田陽太が1位指名されて以下の順位が繰り上がっていたか吉川尚輝(史実の巨人1位)を指名して競合していた?
#2位以降のドラフトが史実通りであれば佐野恵太との同級生コンビ、或いは後年入団した伊勢大夢、入江大生と共に「明大カルテット」で売り出していた。
 
===清宮幸太郎(2017)===
※史実では日本ハムに入団
;ヤクルト
#王柏融(北海道日本ハム)が球団通算8000本塁打になっていた。
#史実の外れ1位だった村上宗隆はクジの競合相手だった巨人か楽天へ。
#*清宮を外した日ハムが村上を指名→クジを引き当て史実とは所属球団が逆になっていた可能性も。
#高校時代より通い慣れた神宮球場でホームランを量産していただろう。
#村上に代わって史実より多少は活躍出来ていたかもしれない。
 
;巨人
#背番号は「55」を背負っていた。
#岡本和真のブレイクが遅れていた可能性がある。
#*岡本は三塁かレフトを守っていた。
#オリックスから中島宏之を獲得することはなかった。
#阿部慎之助は400本塁打を打てずに引退していた。
 
;阪神
#甲子園のヒーローが帰ってくると大盛り上がり!
#*甲子園での初出場は、大フィーバーとなっていた。
#2018年の阪神は最下位を免れていた。
#背番号は「31」を背負っていた。
#*著書でこれを提唱していた遠藤章造が喜ぶ。
 
;ソフトバンク
#大先輩の王会長のもと、英才教育が施される。
#背番号は「3」を背負っていた。
#*松田宣浩は史実より1年早く背番号を「5」に戻していた。
#2018年のレギュラーシーズンはリーグ優勝できていた。
#*このチームの育成方針を考えると、1年目から一軍出場できなかった可能性も高いので結局同じかも。
 
===村上宗隆(2017)===
※史実ではヤクルトに入団
;楽天
#球団初の開幕6連勝で波に乗り、令和になって初のパ・リーグ優勝した後、その年の日本シリーズで4タテ(史実ではソフトバンク)による日本一になった。
#*35本塁打で、令和になって初のパ・リーグMVPを獲得した(入団2年目によるMVPは、稲尾和久投手(57年 元西鉄)・杉浦忠投手(59年 元南海)で、打者は史上初)。
#千葉ロッテから鈴木大地をFA獲得する事は無かったかも。
#2019年のセの新人王は近本光司が受賞した。
 
===馬場皐輔(2017)===
※史実では阪神に入団
;ソフトバンク
#飯田優也(ソフトバンク)・松田遼馬(阪神)によるトレードは破談していた。
 
===根尾昂(2018)===
※史実では中日に入団
;日本ハム
#「大谷2号」として、注目されていた。
#先輩の中田翔氏から可愛がられていた。
#吉田輝星氏は指名されることはなかったかもしれない。
 
===藤原恭大(2018)===
※史実ではロッテに入団
;楽天
#浅村栄斗氏が移籍することはなかったかもしれない。
 
;阪神
#地元のスター選手として注目されていた。
#史実の1位指名入団である近本は他球団が指名していた。
#*2019年の阪神はAクラスになれなかった可能性が大。
#**もしロッテが近本を取り史実レベルに活躍した場合、ロッテがAクラスになっていたかも。
 
===小園海斗(2018)===
※史実では広島に入団
;DeNA
#遊撃は大和がレギュラーだったため1年目から史実通りに試合に出られたかは微妙だが……。
#*仮に史実通りに試合に出ていた場合、倉本寿彦、石川雄洋、中井大介の出場機会は史実より少なくなり、柴田竜拓のブレークもやや遅れた。
#*1年目から遊撃以外の守備位置での出場機会があったかも。
#宮崎敏郎が所属していたため、背番号は「51」では無い。
#*多分、白崎浩之のトレード移籍で空き番号となっていた「6」を付けていた。
#翌年のドラフトで森敬斗がDeNAに1位指名されることは無かったかも。
#上茶谷大河は根尾昂を外したヤクルトが一本釣りか。
 
===佐々木朗希(2019)===
※史実ではロッテに入団
;楽天
#千葉ロッテから涌井秀章氏が金銭トレードで獲得することはなかった。
#背番号は「18」を背負っていた。
 
;日本ハム
#背番号は「11」を背負っていた。
#同じ岩手県の高校から日本ハムに入団したこともあって、名実共に「大谷2世」として、大注目されていた。
#監督の栗山英樹氏から可愛がられていた。
#*「朗希」と下の名前で呼ばれるのは確実だろうな。
 
==2020年代==
===佐藤輝明(2020)===
※史実では阪神に入団
;ソフトバンク
#2021年4月9日対東北楽天戦=楽天生命パーク宮城で場外ホームランを放った。
 
===早川隆久(2020)===
※史実では楽天に入団
;ロッテ
 
[[category:歴史のif検討委員会 日本プロ野球史|とらふとちゆうせん]]

2021年5月8日 (土) 16:27時点における版

1980年代以前

江夏豊(1966)

※史実では阪神に入団

巨人
  1. 1968年の奪三振がさらに増えていた。
  2. 高橋一三とともに左腕の二枚看板を形成する。
  3. 南海か日本ハムへトレードされた可能性もある。
  4. 現実と真逆に阪神の打者(特に田淵幸一あたり)との因縁の対決が話題になる。
  5. 引退後にクスリに手を出さなかった可能性がある。
東映
  1. 尾崎行雄に代わる先発のエースとして定着。
  2. 日本ハムへの売却時に放出されたかも。
  3. 高橋直樹はトレードされず、引退まで日本ハムに所属していた。
阪急
  1. 2年後入団した福本と共に「W豊」と呼ばれる。
  2. 黄金時代がもう少し長く続いていた。
  3. 山口高志はずっと先発主体だった。
  4. トレードで広島か中日に移籍していたかもしれない。

江川卓(1978)

木田勇(1978)

※史実では広島の指名を拒否→翌年日本ハムに入団

大洋
  1. 在京(というか地元)球団なので当然入団していた。
    • 広島の指名を拒否したのは両親の病気が理由だったため。
  2. 1979年の大洋は優勝できていたかもしれない。
    • そうなれば「江夏の21球」も存在しなかった。

岡田彰布(1979)

※史実では阪神に入団

  1. 1985年に優勝できていなかった可能性が高い。
  2. 某CMからどんでんと言われることも、阪神の監督にもなっていない。
阪急
  1. 当時の打線に更に磨きがかかっていた。
  2. 三塁ではなく、外野に転向していたか?
  3. 松永の代わりに阪神へトレードされた。
  4. 仰木監督退任後、石毛ではなく岡田がブルーウェーブの監督を務めた。
    • 「29-1」が「33-4」になっていたかも。
  5. 1985年以降も何度か優勝出来ていたかも。
西武
  1. 石毛の三塁転向は遅れていた。
  2. 1985年も日本一になれた。
南海
  1. 大阪出身ということで歓迎される。
  2. 王監督の後任になっていた可能性が高い。
  3. 藤原満の引退後三塁に再転向した。
  4. 連続Bクラスがダイエーに代わるまで続いていなかったかも。
近鉄
  1. 1980年は日本一になり前年の雪辱を果たす。
  2. 大石より先にバファローズの監督に就任した。

原辰徳(1980)

※史実では巨人に入団

  1. 80年代の巨人は暗黒時代になっていた可能性が高い。長嶋解任・青田問題・江川事件の暗い影を史実より長く引きずっていただろう。
  2. 日本ハムがクジを引いていたら入団拒否→江川事件の再来となっていたかも。
    • 入団したなら、2011年に菅野智之を引いても拒否されない。
    • 巨人以外は全て入団拒否だったのでは…?
      • 大洋は入団容認していたはず。もし大洋なら遠藤との東海大コンビで騒がれただろう。
  3. 無論巨人の監督にも就任せず、2000年代後半以降の優勝回数が減っていた。
  4. 入団拒否→浪人だった場合、翌年槙原寛己は巨人に指名されなかった。
広島
  1. 川口和久は他球団に指名されていた。
    • 巨人だったら引退まで巨人に居れたかも?
  2. 史実の三塁手ではなく、二塁手になっていた。
  3. 当然あの手首負傷はない。
  4. 2000本安打も達成していたはず。
大洋
  1. 1~4位まで全員当たりという大成功ドラフトになっていた。(2位の堀井は指導者として成功)
  2. FAで駒田を取りに行っていなかった。
    • 屋鋪・高木豊も横浜で引退していた。
  3. 2000年代中盤に監督就任、よって大矢明彦の再任はなかった。
    • もしくは権藤博の後任あたりで就任し森祇晶が横浜の監督になることもなかったかも。
  4. 背番号は巨人に移籍した松原誠の後を受けて25が有力か?
  5. 80年代~90年代半ばの大洋(横浜)は優勝までとは行かなくとも史実より成績も良くAクラスに入った回数も増えていたはず。
    • 史実で3位になった1983年に優勝できていたかも。その場合、翌年最下位に転落することはなかった。
  6. 田代富雄は史実より早く一塁手にコンバートされていた。
    • 近藤貞雄は山下大輔と高木豊の守備位置を入れ替えるだけでよかった。
  7. ロッテからレオン・リーをトレードで獲得することはなかった。

石毛宏典(1980)

※史実では西武に入団

阪急
  1. バンプ・ウィルスの加入はなかった。
  2. 1984年の日本シリーズでは、日本一になっていた。
  3. オリックスの監督就任の際に問題になることはなかった。

金村義明(1981)

※史実では近鉄に入団

阪急
  1. 地元に加えて本人も意中の球団、ということで歓迎されていたのは間違えない。
  2. 打者転向は史実通りだが、三塁には松永浩美がいたので外野手になっていた?

荒木大輔(1982)

※史実ではヤクルトに入団

巨人
  1. 史実より引退が早くなっていた。
  2. 巨人に斎藤雅樹が入団しないため、巨人の90年代の優勝回数が減っていた。
  3. 王監督就任時に野手への転向を打診される。

高野光(1983)

※史実ではヤクルトに入団

  1. いずれにせよ新人開幕投手は務めていなかった。
西武
  1. 渡辺久信が入団せず、西武の優勝回数が減っていた。
    • 渡辺←→高野のトレードがあったかも。
  2. 渡辺が西武監督に就任することはなかった。
大洋
  1. 銚子利夫は他球団に指名されていた。
    • 長内孝は広島で現役を全うした。
阪急(オリックス)
  1. 投手層の薄い阪急で史実より活躍していた。
  2. 1984年の日本シリーズでは、日本一になっていたかもしれない。
  3. 阪急電鉄の広告やCMに出演していたかも。
  4. 引退後、オリックスでコーチを務めていていたのは史実通り。

広沢克己(1984)

※史実ではヤクルトに入団

西武
  1. 大久保・清原をドラフト指名することはなかった。
    • 広沢が指名されても清原指名は史実通りだろう。当初構想にあった清原のサードコンバートが実現していた。
  2. 巨人に移籍していなかったかもしれない。
日本ハム
  1. 大島康徳をトレードで獲得せず、大島の監督就任もなかった。
    • 山本正之は「熱血ファイターズの歌」を制作しなかった(他の中日出身者が日本ハムの監督に就任していれば別の話だが)。

清原和博(1985)

阿波野秀幸(1986)

※史実では近鉄に入団

  1. 1987年パリーグ新人王は西崎幸広が獲得。
  2. 10.19決戦と1989年の近鉄優勝はなかった。
  3. 指名された複数球団全てで出場した唯一の選手にはならなかった。
大洋
  1. 史実通り1年目から活躍しセリーグ新人王を獲得。
  2. 長年左のエースとして君臨し、史実通り1998年の横浜優勝にも貢献、引退まで大洋・横浜一筋で通した。
    • 野村弘樹のブレイクが遅れる。
  3. 巨人のコーチには就任しなかった。
巨人
  1. やはり先発の一角として活躍するが、長嶋監督時に構想から外れ横浜にトレード、その後は史実通り。
  2. 西武との日本シリーズで伊原春樹から執拗に抗議されボークを連発してしまう。

立浪和義(1987)

※史実では中日に入団

南海
  1. 中日入団の場合と同様1年目からレギュラーを獲得し新人王に。
  2. 翌年ダイエーが元木大介をハズレ1位で指名→入団拒否はなかった。
    • おそらく浜名千広、もしかしたらポジション的に考えると小久保や井口も他球団へ、となっていたかも知れない。
      • 史実でも浜名は中日とダイエーで競合しているが。
  3. ダイエーの初優勝ももう少し早まっていた?
  4. 本人の残した数字自体は史実とあまり変わらず2000本安打と二塁打の日本記録も達成していた。
  5. 1987年の南海のドラフトがドラフト史上最大級の大当たりと言われる。(もっとも、立浪の外れで獲得したのが吉田豊彦で、それ以降も若井基安、柳田聖人、大道典嘉、吉永幸一郎、村田勝喜とそうそうたるメンバー。)
中日のその後
  1. 種田仁はトレードに出されず中日で現役生活を全うしていた。
  2. 小学生の時キャンプで立浪にバットを貰ってファンに→立浪に憧れてPLに進学した、というエピソードのある福留孝介は中日に入団しなかった(おそらく巨人入り?)
    • どっちにしても近鉄は蹴っていた。
  3. 森野将彦や荒木雅博はレギュラー獲得が早まっていたかも。

長嶋一茂(1987)

※史実ではヤクルトに入団

大洋
  1. 史実よりは出番を与えられて活躍出来ていたかも知れない。
  2. 外れ1位の盛田幸妃は他球団が指名していた可能性も。
  3. 父親の巨人監督再就任とともに移籍、は史実通りか?
  4. 背番号は当時空き番の5になっていた可能性が高そう(3番は高木豊の番号のため譲られなかっただろう)。

川崎憲次郎(1988)

※史実ではヤクルトに入団

巨人
  1. 中日に移籍することはなかった。
    • 勿論川崎祭も起きてない。
  2. 吉田修司同様巨人では振るわずダイエーにトレードされていたかも。

野茂英雄(1989)

※史実では近鉄に入団

ロッテ
  1. 90年代にあと3~4回ぐらいAクラスに入れたかも
  2. バレンタイン監督に太鼓判を押されてメジャー行きか?
    • 広岡GMと揉めてメジャーへ、ってあれ?誰かと全く同じだ…
  3. 拒否され、翌年(社会人なので)再度複数球団による競合というシナリオも。
    • 小池秀郎の行き先にも影響が及ぶ場合もある。
    • その場合、プロ入りは92年のバルセロナ五輪後まで無かった。
    • 12球団OKじゃなかったっけ?
ダイエー
  1. ダイエーの旧南海時代から続くBクラス更新は無かった
  2. 99年と98年以外は優勝は出来なくともAクラスにはなっていたかも知れない
  3. 野茂のメジャーへの移籍が遅れていたら藤井将雄のダイエー入団は実現しなかったかも知れない
  4. 元木大介は無事巨人入り。
    • 元木の2位単独は当時の評価から考えて厳しいので抽選にはなりそう。
オリックス
  1. オリックスブレーブス元年、上田監督に「ええで」と言われ新人王。
  2. 次の監督土井正三に「あんな出鱈目なフォームのヤツ、使えん」と言われ実力を発揮しつつも寡黙になる。
    • その翌シーズン(1992)には史実より3年早くアメリカへ旅立ってたかもしれない。
  3. そして仰木監督。イチロー、パンチと一緒に「ヒデオ」と登録名変更を要望されるも拒否。しかしマジックにも乗りオリックス4連覇(94年~97年)。全盛期を迎える。
    • 佐藤和弘は外れ1位なのでこのケースだと入団していない可能性がある。
      • ただ佐藤は2位でも取れそうだがら入団はあり得ないとまではいえない。
  4. 第一次仰木政権終了の01年末に退団→渡米も全盛を過ぎマイナー契約で終了。現役を終える。
日本ハム
  1. 数年後「そのまんまハムの広告」と賞賛される。
    • 江夏~矢作の後継者と呼ばれる
  2. いろいろな意味で○モ○デオに関係のある某投手と比較される。
  3. 東京ドーム時代に1回は優勝出来ていた。
阪神
  1. 大阪出身なので一躍大スターに。
  2. 中村監督に甘やかされた後、藤田監督と衝突、最終的に球団と対立し数年後メジャ…あれ?
    • でも92年は優勝できたのかも
  3. 史実である葛西稔が他球団に指名されていた。
    • よって彼が入団1年目にバッシングの標的に遭うことはなかった、というよりそれを糧に2年目以降実績を上げること自体なかったかも・・・
    • もちろん「遠山→葛西→遠山→葛西」の投手リレーも存在しなかった。
    • 彼が引退後阪神コーチとなって藤川球児をブレイクさせる下地を作ることもなく、藤川もひっそりと球界を去っていたかもしれない。
      • 葛西氏が2位以下で阪神に指名されたかもしれないので、同氏については史実通りだったかも・・・。
      • ロッテが外れ1位で葛西を指名予定だったため、阪神が2位指名になることはありえなかった。
        • ロッテは外れ1位1番目で小宮山を獲ってるけど?
大洋
  1. 先発に野茂、抑えに佐々木という強力な投手陣が出来上がる。
    • 野茂の外れ一位で佐々木が近鉄に。
      • それはない。佐々木は大洋以外狙ってなかったらしい。(佐々木と大学の同期、大塚(元西武)談)
        • でも、1位じゃなかったら佐々木は入団しなかったと思う。
        • 日本ハムの大沢啓二(当時、常務)が大声で「佐々木で行こう」といったため、指名を繰り上げて1位で指名した。
    • 斎藤隆は大洋ではなく中日に入団
  2. ベイスターズに改名した直後には優勝していた。
ヤクルト
  1. ソウル五輪でバッテリーを組んだ古田との相性はバッチリ。ヤクルトは現実以上の黄金時代を築く。
    • ノーコンを意に介さないピッチングスタイルは、次第に野村監督と古田をイラつかせる要因になっていった。
  2. 「ヤクルトみんなでノモ」のCMがヒットし、人気者に。
  3. 女性芸能人若しくはフジテレビの女子アナと結婚していた。
  4. 石井一久は指名されていないかもしれない。
近鉄のその後
  1. 他のパリーグチームに入団していた場合、90年代初頭には早くもBクラス常連チームへ転落。
  2. 人気も低下し、20世紀中に球界再編の可能性も。

1990年代

小池秀郎(1990)

全般
  1. 社会人(松下電器)時代に成績を落とさなかったので、史実より活躍できていた。
近鉄
  1. 2年連続で当たりを引き当てた仰木監督は「ゴッドハンド」と呼ばれていた。
  2. 右の野茂、左の小池の両輪で悲願の日本一を達成した。
  3. とはいうものの入団しただろうか?
    • 巨人・ヤクルト・西武以外は拒否の方針だったので、近鉄入りは微妙なところ。
    • ロッテじゃなければという話もあったので、ごねたけど最終的には入団になりそうな気がする。
ヤクルト
  1. 高津臣吾も史実通り入団していたら、「亜細亜大学コンビ」と呼ばれていた。
  2. 石井一久のブレイクが遅れていた。
  3. 史実でヤクルトの外れ1位で指名された岡林洋一は当初の予定通りロッテが指名し入団していた。
西武
  1. 工藤公康の移籍後に左腕エースとして君臨。西武の黄金時代はさらに長くなっていた。
  2. 前年に続いて8番目にくじを引いた球団が当てたため「残り物には福がある」と言われた。
  3. 高山郁夫(西武)⇔高木宣宏(広島)のトレードはなかった。
中日
  1. 岐阜出身なので歓迎される。
  2. 小島弘務か矢野輝弘のいずれかが指名されない。
  3. 高木監督時代に優勝していた。
  4. 1997年の最下位は回避できた。
  5. 2000年と2002年のどちらかは移籍しなかったかもしれない。
広島
  1. 大野や川口の後釜と目される。
  2. 1996年は優勝していた。
  3. 江藤と同時にFA移籍した可能性も。

矢野輝弘(1990)

史実では、巨人と中日の2位競合で抽選の結果、中日が交渉権を獲得。

巨人
  1. 村田真一と兼用で捕手を務めていた。
    • 村田が年齢と共に出場機会が減った後、矢野は正捕手となる。
  2. 阿部慎之助は巨人に逆指名で入団しなかった。
    • ファンであった阪神に逆指名で入団していたかもしれない。
中日のその後
  1. 殆ど影響無し?
阪神のその後
  1. 正捕手は山田勝彦のままだった。
    • 当時の阪神は暗黒時代だったので、1998年以降の成績はもっと酷くなっていた。
  2. 上記のように、阿部は阪神に逆指名で入団していた可能性がある。
    • その場合、当時の監督は野村克也だったので、彼に指導された分、リードは史実の巨人より少し良くなっていたかもしれない。
    • 阿部が阪神に入って現実通り活躍出来ていれば、阪神も現実通りAクラスに浮上に黄金時代を築けていたかも。
    • 2016年以降も阪神に在籍していれば、彼の父親の元チームメイトである掛布雅之と師弟関係になっていた。
全般
  1. 声優の水樹奈々は矢野のファンになることはなかった。
    • 野球の知らない水樹奈々ファンにも矢野の名前が知れ渡ることはなかった。
  2. 阪神にトレードされない限りあの引退試合はないと見られるので村田修一が引退試合キラーと言われることはなかった。

斎藤隆(1991)

※史実では横浜に入団

中日
  1. 1998年は中日が優勝していた。
  2. ストッパーに転向していなかったかもしれない。
  3. 「ササキ様に願いを」は作られなかった。
  4. 史実で斎藤隆の外れ1位として中日から1位指名された落合英二は2位で指名されていた(他球団は落合の故障を考慮して指名を見送っていた)。

松井秀喜(1992)

※史実では巨人に入団

阪神
  1. 阪神暗黒時代はなかったかも。
    • 松井が何人いようとどうにもならないと思えてしまうのが阪神暗黒時代なのである。阪神の歴史はあんまり変わらなかったと思う。
    • ただ最下位と言う最悪の状況だけは免れる事が出来たかも知れない
    • 暗黒時代でもないが優勝にも届かない微妙な状況が続いたってことか?
    • 優勝は出来なくとも、少なくともAクラス入りは何度か果たしていただろう。松井の加入によりチームの雰囲気が変わり選手が勢いづくだろうから。
      • 現実にはFAで入った金本や西岡がその役割を果たした。
    • 普通に中村監督時代に優勝できていたかもしれない。1992年の阪神の成績からみてありえない話じゃない。
      • 1993年か1994年にリーグ優勝していただろう。上手く行けば連覇とか?
  2. それどころか星野時代に史上初の連覇+日本一を達成していたりして。
    • というか、連覇以前に2002年のオフ後にさっさとヤンキースに移籍したと思う。
    • 上のように、星野監督就任よりも以前に達成しているだろう。
  3. 指導者に恵まれず1軍昇格がないまま退団。
  4. ヤンキースタジアムのスポンサー広告が何故かオレンジ色の「○○新聞」などではなく「朝日新聞」になっていた。
    • 勢い余って一塁側には「大阪西川」、照明下には「川上塗料」、バックスクリーンには「三菱電機」。
  5. 浜風の影響で意外とホームラン数は伸びていないと思う。東京ドームが本拠地の巨人と比べて5本ぐらい減るだろう。
  6. 外野ではなく高校時代と同じ三塁を守っていたかも。
    • 内野手のままだったら片岡が移籍しなかった。FAしたとしても別球団に行っていた。
  7. 3番新庄・4番松井という黄金クリーンナップが実現していたかも。
  8. 一部で阪神ファンだという話を疑問視する声があるので入団拒否して駒澤大学へ進学して4年後に逆指名で巨人入団なんて事も。
    • ドラフトでの表情を見る限り巨人ファンではなかっただろうし、事前に拒否してないのに突然入団拒否はありえないだろうと思う。
  9. 萩原誠放出後に31をつけていたのは間違いない。
  10. 天然芝の甲子園球場でプレーすることになったため、メジャー入りしてしばらくした後に怪我で悩まされるということはなかったかもしれない。
中日
  1. 巨人を差し置いて中日が松井在籍時に4回リーグ優勝または日本一に。
  2. 少なくとも背番号は「55」ではなかったのは間違いない(大豊泰昭が王の年間55本塁打にあやかって着けていたので)
    • 有力なのは宇野のロッテ移籍で空いた「7」あたりか?
  3. 松井の出身地の石川県での北陸中日新聞の購読者が増えていた。
    • その逆に北國新聞は活躍をほとんど報じなかった。そのため、石川県での人気は低かった。
  4. 1996年最終戦での敬遠はなかった。
  5. 福留孝介は入団しなかった可能性も。
    • 福留は当初遊撃手。
  6. 1994年・1996年は巨人ではなく中日が優勝していたかも知れない。
ダイエー
  1. 活躍した場合、いつの間にかポスティングでメジャーに行ってしまっている。
  2. 謎の無償トレードでナベ○ネ部隊にプレゼントされる。
  3. 王の後継者として期待される。
    • 「門田2世」との呼び声も高かった。背番号も44になっていそう。
  4. ホークスの暗黒時代は1990年代中盤には終わっていた。
    • 生卵事件もなかった。
  5. 星稜高校の1年先輩の村松有人とともに外野手でコンビを組んでいた。
  6. 松中信彦が逆指名して入団しなかったかも知れない。
  7. 高校時代と同じ内野手だった場合、小久保裕紀の指名はなかったか入団してもブレイクが遅れていた。
巨人のその後
  1. おそらく戦力の劣化はほとんどないと思われる。
    • ただチームの意気は今より下がっていたかもしれない。
  2. 外野手補強のために稲葉や谷辺りが巨人に指名されていたかもしれない。
  3. 長嶋監督の復帰の盛り上がりが小さくなっていたかも。
  4. 「10.8決戦」やメークドラマも存在しないかも。
全てに言えること
  1. 長嶋茂雄との師弟関係が出来なかったので、2013年の国民栄誉賞受賞はなかった可能性が高い。
    • 長嶋茂雄の国民栄誉賞受賞も死去後に?

伊藤智仁(1992)

広島
  1. ヤクルトよりも選手生命が短くなってた可能性が高くなる。
  2. 投手コーチになり黒田・マエケンに高速スライダーを伝授していただろう。
オリックス
  1. 小林宏は入団しなかった。
    • 小林-オマリーの14球もなかった。
  2. スローカーブの星野伸之と好対照をなしていた。
  3. 広島の場合同様に選手生命は短くなっていた可能性が高くなる。

福留孝介(1995)

全般
  1. 中日・巨人以外に指名され拒否していた場合、福留個人については史実通り。
中日
  1. 原俊介はすんなり巨人が獲得。
  2. 荒木雅博の指名はなかった。
    • 1998年ドラフトで井端弘和を指名していなかったかもしれない。
      • こちらは福留が史実通り外野に転向していれば可能性はあったかも。
    • いずれにせよ荒木・井端の名二遊間は誕生しなかった。
    • 1999年ドラフトで中日は誰を1位指名していただろう?岩瀬は逆指名で2位だろうし・・・。
      • おそらく松坂大輔を指名していたはず。
  3. 種田仁は中日で現役を全うしていた。
    • 「タネダンス」をしていたのは中日の応援団だった。
  4. 1996年と1998年に優勝していた。
巨人
  1. 原俊介はすんなり中日が獲得。
    • その代わり荒木雅博を2位指名か?
    • この年の中日2位は逆指名の門倉健なので、荒木を取るなら3位以下になる。
  2. 2007年CSでの巨人惨敗もなかった。
  3. メジャー挑戦をもっと早くに表明していた可能性も?
  4. 二岡が入団することはなく、山本モナは芸能活動を続行していた。
    • 史実通り外野手転向なら、高橋由伸の獲得に動かなかった可能性も裏事情にもよるが
    • 高橋由伸よりも清水が指名されていない。
  5. 佐々木恭介と出会わなかったので史実ほどの成績は残せない。
オリックス
  1. 1年目に育成成功していたら谷は他球団に指名されていた。
  2. 2学年上の福留宏紀と区別するためスコアボードでは「福留孝」と表記される。
  3. 2000年代前半にメジャー移籍したか、山崎武司とトレードされていた。
ヤクルト
  1. 岩村明憲は指名されていない。
  2. 池山隆寛の引退が早まっていた。
  3. 外野に転向した場合、真中満はレギュラーを獲れずじまいだった。
近鉄は
  1. 外れ1位で澤井良輔を再競合していたか?
  2. 当然「ヨッシャー」も話題にならず。
  3. まあ、どっちにしてもチームの状況はあんまり変わらなかったということで…。

原俊介(1995)

この年、中日は1位で福留孝介を指名して外し、外れ1位で原俊介を指名して外し、外れの外れ1位で荒木雅博を獲得した。原と荒木のその後の活躍の差は周知の通り。

  1. でも荒木は3位ぐらいで獲ってた。
    • ちなみに2位は逆指名入団の門倉健。
  2. どっちにしろ中村武志が健在だったので出番は無かった。
  3. 小田幸平が中日に移籍しなかった。
    • 落合監督は小田を高く評価していたので、いずれにせよ野口の人的補償でなくとも、原とトレードしてでも獲得していたと思う。

松坂大輔(1998)

※史実では西武に入団

横浜
  1. 少なくとも2002年~2004年・2006年の最下位はなかったかも。
    • その他の年はともかく、2003~2004年はどんなに好投しても味方の貧打と中継ぎの乱調に足を引っ張られ、勝ち星がなかなか付かずに横浜の順位は変わらなかったと思う。
      • 04年の場合打線だけ見れば優勝してもおかしく無いレベル
    • マルハがTBSへ株式を売却するところまでは現実通りあったとしても、DeNAへの身売りはなかったかもしれない。
    • その分阪神が現実よりも苦戦したかも。2003年と2005年のどちらかはリーグ優勝できなかったかもしれない。
  2. 背番号は1998年当時空き番だった17(過去に斉藤明夫らが使用)か27(平松政次らが使用)だった。
  3. 横浜高校から横浜ベイスターズに入団したことから「ミスター横浜」という異名がつけられる。
  4. 古木克明は(第一志望の)ダイエーに入団していた。
    • 古木が小学校の卒業文集に「絶対に行きたくない球団は大洋」と書いていたことが話題にされることもなかった。
      • 逆に「行きたい球団はダイエー」と書いていたと話題にされていた。
  5. 史実通りの時期にポスティングでメジャー入り。
  6. 99~01年の間に横浜がもう一度優勝できていた可能性もある。ただしいずれポスティングでメジャー移籍した後は史実通りの暗黒時代へ。
  7. 99年には「新人にして開幕投手」の大偉業を達成し、この年まで在籍していた大魔神と組んで連覇を達成。ただし以後孤軍奮闘の末メジャーに移籍することになる。
  8. 三浦と共に先発の柱で「W大輔」と間違いなく呼ばれていた。
  9. セリーグでは打席に立つため攻撃面でも大きく貢献した。
日本ハム
  1. 北海道移転前に1回くらい優勝していた。
  2. 06年奇跡の日本一を手土産にメジャーへ…
  3. 背番号は広瀬哲朗が引退して空き番になっていた1(史実では同年ドラフト5位の阿久根鋼吉が着ける)だった。
  4. 入団拒否→社会人入り、の可能性も…
  5. 父の出身地である稚内市で主催試合が行われた。

新垣渚(1998)

※史実ではオリックスの指名を拒否

ダイエー
  1. 無論オリックスの三輪田スカウトは自殺していない。
  2. 暴投記録更新は史実通りかも。
    • 2011年頃にはトレードされていたか、戦力外になっていた可能性もある。
  3. 2002年のドラフト会議で、多田野数人氏を指名していた可能性が高い。
  4. 1999年に新人王を巡って、西武の松坂大輔氏と争っていた。

田中賢介(1999)

中日
  1. 荒木か井端のどちらかが完全に外野に転向することになっていた。

2000年代

寺原隼人(2002)

※史実ではダイエーに入団。

共通する事
  1. ダイエー以外はセ球団(中日・巨人・横浜)からの指名だったため公式戦で近鉄と対戦する事が無く、何らかの形でソフトバンクに移籍したとしても13球団勝利は達成できていない。
巨人
  1. 2003年の巨人投手陣の成績が少しだけまともになっていたかもしれない。
  2. ソフトバンクへのトレードもなかったかもしれない。
    • 寧ろ、小久保裕紀と交換で移籍していた。
横浜
  1. 2016年現在、横浜生え抜き投手として活躍していた。
  2. FAでソフトバンク行きか、多村仁志の復帰時にトレードで交換要員になっていた可能性も。
    • そもそも多村仁はトレード放出されなかった。或いは、ソフトバンク以外の球団に放出されたかも。

陽仲壽(陽岱鋼)(2005)

ソフトバンク
  1. 史実通り外野手に転向して活躍していたら、長谷川勇也・柳田悠岐・中村晃のいずれかはブレイクしていなかった。
    • 柳田は地元の広島に指名されていたかも。
  2. ショートのままだった場合、川崎宗則の渡米まで活躍できなかった。
    • 今宮健太を獲得していなかったかも。
  3. 史実通り同じ年に実の兄の耀勲も入団していたら、同一球団所属の兄弟選手として現実以上に話題となっていた。
    • この場合、名前の読みは兄と揃えて「ヤン・チョンソ」としていた。

田中将大(2006)

※史実では楽天に入団

全部に共通すること
  1. 1年目から活躍し、新人王を取る可能性はまず無かった。
  2. 2009年も楽天はBクラスだった。
    • 2013年もリーグ優勝はおろか、Aクラスに入れたかどうかも微妙。
  3. 2013年に24連勝無敗の偉業を達成することはなかった。
日本ハム
  1. 投手陣が充実していたため1年目から先発は無かった。
  2. 斎藤佑樹は指名しなかった。
  3. 吉川光夫は(大嶺祐太が史実通りなら)地元ソフトバンクの外れ1位として指名されていた。
オリックス
  1. 一応、出身地なので大いに歓迎された。
  2. もしかしたら2008年はリーグ優勝、2011年もクライマックスシリーズ進出を果たしていた。
  3. 里田まいとは結婚していなかったかも知れない(日ハムは彼女の出身地、横浜も在京球団ということで出会いの接点はありそうだがここの場合は…)
    • その代わりに他の女性芸能人、もしくは在阪局の女子アナあたりが結婚相手だったかも?
横浜
  1. 1年目から先発で投げれていたが楽天と違ってチーム状態がアレなのでそんなに勝ち星は挙げられなかった。
  2. 広島の前田健太とは同学年なので非常に強力なライバル関係になっていた。
    • 同郷の巨人・坂本勇人の対決も注目されていた。
  3. 2013年以降もDeNAに残留していた場合、2017年以降は番長から背番号「18」を引き継いだ。

堂上直倫(2006)

巨人
  1. 相思相愛だった中日ファンから「立派に育ってFAで中日に来い!」とエールを受ける。仮にそれが実現していれば巨人にとって駒田以来2人目の生え抜き選手FA他球団流出となった。
  2. 坂本勇人は外れ1位で中日が獲得していた?
    • その場合、史実ほど活躍できていたかは微妙。
    • 2020年時点で2000本安打に到達できていなかったかもしれない
阪神
  1. 野原将志を獲得することはなかった。
  2. 甲子園で活躍したヒーローだが思うような実績を残せない…?
    • 小林宏之をFAで獲得の際の人的保障でロッテへ、となっていたかも(史実では高濱卓也)

中田翔(2007)

※史実では日本ハムに入団

全部に共通すること
  1. 1軍に入れてた?
    • 他の3球団はレギュラーが固定されていて、割り込むのが困難だっただろう。結局日本ハムが一番マシだったということになる。
  2. 野手ではなく投手として指名されていたら?
阪神
  1. 福留は阪神に入団していなかっただろう。
    • 福留は鹿児島出身なので、地元九州のソフトバンクに入団。
    • 古巣中日への復帰もあった。
  2. 本拠地が天然芝の球場になるので膝を痛める事は無く今でもレフトを守っていたかも。
  3. 2020年に岡本和真と並ぶ本塁打王(を含む)と打点王による二冠王になっていた。
ソフトバンク
  1. ドラフトでの柳田悠岐の指名と長谷川勇也、中村晃のブレイクはなかった可能性も。

大田泰示(2008)

※史実では巨人に入団。後に日本ハムへトレード。

ソフトバンク
  1. 巨人の外れ1位はもちろん長野久義。
  2. 大田は指名を拒否して東海大学に進学していたかも。
    • その場合、巨人が2011年に菅野智之を外していたら更に悩ましいことに。
  3. 結局は史実とあまり変わらず、か?
    • 史実より一軍出場は多かったと思う。
  4. 巨人の背番号55は空き番号のまま。
    • 間違いなく松井の国民栄誉賞受賞を持って永久欠番になっていた。

2010年代

斎藤佑樹(2010)

※史実では日本ハムに入団

東京ヤクルト
  1. 神宮のヒーローが帰ってくると大盛り上がり!
  2. 神宮での初登板は、大フィーバーとなっていた。
  3. かつての荒木大輔の「大ちゃんフィーバー」を超える「佑ちゃんフィーバー」が起こっていた。
  4. 史実で外れ1位で入団した山田哲人はクジの競合相手だったオリックスへ。
    • その結果、2014年のオリックスはリーグ優勝を達成し、2015年のヤクルトはリーグ優勝を逃していた。
    • 高校時代と同様、先輩にちなんで「T-山田」と呼ばれていた。
    • オリックスは、翌年山田とポジションの被る安達了一を指名しなかった。
      • 西野真弘の指名もなかった。
    • オリックス入団の場合でも史実のようにトリプルスリーを達成するような選手にまでなれていたかどうか?という部分はあるが、少なくともレギュラークラスで活躍していたのは間違いないだろう。
    • それでも史実の1位指名だった駿太は他球団が指名しなければ2位以下で獲っていたはず。
  5. 斎藤は群馬県出身なので、ヤクルトの主催試合が前橋(敷島球場)で行われていた。
  6. 1年目から活躍できていれば、2011年にヤクルトが優勝出来ていた。
ソフトバンク
  1. 大先輩の王会長のもと、英才教育が施される。
  2. ただ、活躍できなかった場合はとことん出番がなかったと思われる。
    • 最悪の場合育成契約になっていた可能性も。

山田哲人(2010)

オリックス
  1. オリックスは2011年はクライマックスシリーズ進出を、2014年には18年ぶりの優勝を果たしていた。
  2. 一方、ヤクルトの2015年は良くてAクラスになっていた、
    • 日本シリーズに進出できても、ソフトバンクに4連敗していたと思われる。
  3. 尽く高卒野手が育たないオリックスなので、史実通り育っていない可能性も多分にある。
  4. 駿太は他球団か2位以下でオリックスに入団していただろう。
    • 他球団の場合は登録名を「駿太」にせず、本名フルネームの「後藤駿太」だった。
    • 他球団の場合は、背番号繋がりでローズと関連付けられることもなかった。

菅野智之(2011)

巨人
  1. それでもアンチ巨人からのバッシングは必至だが、史実よりはマシになっていた。
  2. 当然ながら浪人した時以上に実戦勘は研ぎ澄まされてはいるだろうから、新人王を取っていた2013年(13勝6敗)よりもさらにえげつない成績を残したかも。
    • 巨人は史実以上に大差をつけてセ・リーグを制覇していた。
      • CSにおける初戦からの3連敗もなかった。
    • となれば、2012年の新人王は野村祐輔ではなく菅野だった。
  3. 日ハムの外れ1位はいったい誰になっていただろうか…。
    • 松本剛を1位指名し、その他選手も史実通り順位を繰り上げる形で指名していた。
  4. この年の巨人の外れ1位松本竜也はどうなっていたか。
    • 巨人と競合した横浜に入団していた?
      • DeNAだった場合、2014年オフに自由契約になっていた可能性もある。
      • 笠原将生や福田聡志らともかかわることもないため少なくとも野球賭博に手を出すことはなかったかも?
  5. 2012年に大累進を指名することも無く、日本ハムへ入団したと思われる(史実でもトレードで日本ハムへ移籍)。
  6. 翌年、巨人の1位指名は誰になっていただろう?
    • 東浜巨か藤浪晋太郎を指名していたか、或いは指名拒否覚悟で大谷翔平かもしれない。
    • 2位で獲得候補だった鈴木誠也かも。
  7. 背番号は最初から「18」を付けていた。
    • 杉内俊哉は「21」あたりか。

藤岡貴裕(2011)

※史実ではロッテに入団。後に日本ハム→巨人へトレード。

横浜
  1. 高城俊人・白崎浩之と共にオリックスへ移籍していた。
    • 少なくてもトレードでたらい回しにされる事は無かったのか?
  2. プロ入り後の活躍度合いは微妙だが、少なくともこの年の横浜のドラフトが『嫌がらせドラフト』と呼ばれる事は無かった。

藤浪晋太郎(2012)

※史実では阪神に入団

全部に共通すること
  1. 金本監督による「161球事件」起こらず、母校である大阪桐蔭と阪神の関係が悪化することはなかった。
ヤクルト
  1. ライアン小川を抑えて新人王を獲得出来たかも。
  2. 石山は指名されなかった。
    • その場合、2018年のヤクルトは交流戦優勝を逃しシーズンもAクラスに入れたかどうか微妙な所。
  3. 2013年のヤクルトは最下位を免れていた。
    • 2015年も日本一になれていた。
ロッテ
  1. 2013年に楽天を抑えてリーグ優勝あるいはCS優勝・日本シリーズ出場を果たしていたかも。
    • もちろん田中マー君の連勝を止めていた。
オリックス
  1. 史実の阪神と同様、地元の星として歓迎され注目される。
  2. 2014年にリーグ優勝出来ていて、15年以降もまともな成績を残している。
阪神のその後
  1. 2013年以降も低迷を続けていて、14年のCS優勝もなかった。
    • 西岡や福留も移籍してこなかった場合尚更。
    • 和田豊の監督退任が早まっただろう。
  2. 和田豊が当たりくじを引けなかった分手のひら返しもないので、2012年のチームの不振を引きずるファンが現実より多かった。
  3. 西岡との大阪桐蔭OBコンビもなかった。

石川歩(2013)

※史実ではロッテに入団

巨人
  1. ロッテは小林誠司(史実の巨人1位)を指名か。
    • そうなった場合、某所で「肘」と呼ばれることはなかったかも。
  2. 巨人ではヒゲは禁止なのでイメージがガラリと変わっていた。
  3. 「セ・リーグには行きたくなかった」と入団後のインタビューで語っているので入団拒否した可能性も(本人は子供の頃から大の中日ファン)。
    • その場合、翌年のドラフトで中日が単独1位指名。
    • そうなった場合、この年に巨人から支配下指名された選手は2021年3月の田口麗斗トレード移籍を以て全滅していた。

大瀬良大地(2013)

※史実では広島東洋に入団

東京ヤクルト
  1. 入団4年目の2017年をもって戦力外通告を受け、退団を余儀なくされていた。

松井裕樹(2013)

※史実では楽天に入団

DeNA
  1. 地元出身選手の指名で大フィーバー。
  2. 当時は金城龍彦が所属していた為、入団当初の背番号は「1」ではない。
    • 史実通りに金城が退団した場合、活躍次第で与えられたかも。
  3. 史実通り抑えとして定着した場合、山﨑康晃は新人王を獲れなかったかも。
  4. 石橋杏奈との交際→結婚は史実通り?
  5. 史実の外れ1位だった柿田裕太は阪神か日ハムへ。
  6. 楽天の外れ1位指名で岩貞祐太を指名した可能性も。

山﨑康晃(2014)

※史実ではDeNAに入団

阪神
  1. 呉昇桓が中継ぎになっていた。
  2. 「小さな大魔神」と呼ばれることはなかった。
  3. 横浜DeNAの抑えは三上朋也のままだった。
  4. ヤスアキジャンプをやることはなかった。
  5. そもそも最初からリリーバー起用を行っていたか疑問。
    • 「先発ローテの一角を任される康晃」も多分にあったかもしれない。

高山俊(2015)

※史実では阪神に入団

ヤクルト
  1. オリックスから坂口智隆を獲得することはなかった。
  2. 河載勲は契約されていなかった。
    • 背番号は「00」を背負っていた。
      • 山田哲人の後を受けて「23」かも。
        • 大成していた場合、青木復帰はなかった。
  3. 真中監督の「幻のガッツポーズ」がネタにされることもなかった。
  4. 阪神は外れ1位で誰を指名していたのやら?
    • 同じ外野手のオコエ瑠偉を指名し楽天と競合していた可能性も?
      • そちらも外していた場合、坂本誠志郎が1位指名されて以下の選手の順位が繰り上がったか重信慎之介(史実の巨人2位)辺りを指名してお茶を濁していた。
    • 逆に原樹理(史実のヤクルト外れ1位)を指名していたかもしれない。
    • 競合回避或いは外れ1位候補といわれていた上原健太かも。
  5. 2016年シーズンの阪神は現実以上の苦戦を強いられていた。
    • 「超変革」の目玉選手が1人減っていた。
    • 阪神とヤクルトの順位が逆になった可能性がある。

柳裕也(2016)

※史実では中日に入団

DeNA
  1. DeNAが2017年のポストシーズンで史実通りの善戦が出来たかは微妙。
    • 但し、2位以下でも濱口遥大の指名に成功していたら別。
  2. 球団通算4000勝になった際の勝利投手になっていた。
  3. 今永昇太、濱口遥大、大貫晋一、石田健大、平良拳太郎による令和ベイスターズ投手王国を築いていた。
  4. 入団3年目の2019年に最優秀防御率を獲得した。
  5. 中日は次の指名でやはり他球団と同じく佐々木千隼だっただろうか。
    • そちらも外した場合、京田陽太が1位指名されて以下の順位が繰り上がっていたか吉川尚輝(史実の巨人1位)を指名して競合していた?
  6. 2位以降のドラフトが史実通りであれば佐野恵太との同級生コンビ、或いは後年入団した伊勢大夢、入江大生と共に「明大カルテット」で売り出していた。

清宮幸太郎(2017)

※史実では日本ハムに入団

ヤクルト
  1. 王柏融(北海道日本ハム)が球団通算8000本塁打になっていた。
  2. 史実の外れ1位だった村上宗隆はクジの競合相手だった巨人か楽天へ。
    • 清宮を外した日ハムが村上を指名→クジを引き当て史実とは所属球団が逆になっていた可能性も。
  3. 高校時代より通い慣れた神宮球場でホームランを量産していただろう。
  4. 村上に代わって史実より多少は活躍出来ていたかもしれない。
巨人
  1. 背番号は「55」を背負っていた。
  2. 岡本和真のブレイクが遅れていた可能性がある。
    • 岡本は三塁かレフトを守っていた。
  3. オリックスから中島宏之を獲得することはなかった。
  4. 阿部慎之助は400本塁打を打てずに引退していた。
阪神
  1. 甲子園のヒーローが帰ってくると大盛り上がり!
    • 甲子園での初出場は、大フィーバーとなっていた。
  2. 2018年の阪神は最下位を免れていた。
  3. 背番号は「31」を背負っていた。
    • 著書でこれを提唱していた遠藤章造が喜ぶ。
ソフトバンク
  1. 大先輩の王会長のもと、英才教育が施される。
  2. 背番号は「3」を背負っていた。
    • 松田宣浩は史実より1年早く背番号を「5」に戻していた。
  3. 2018年のレギュラーシーズンはリーグ優勝できていた。
    • このチームの育成方針を考えると、1年目から一軍出場できなかった可能性も高いので結局同じかも。

村上宗隆(2017)

※史実ではヤクルトに入団

楽天
  1. 球団初の開幕6連勝で波に乗り、令和になって初のパ・リーグ優勝した後、その年の日本シリーズで4タテ(史実ではソフトバンク)による日本一になった。
    • 35本塁打で、令和になって初のパ・リーグMVPを獲得した(入団2年目によるMVPは、稲尾和久投手(57年 元西鉄)・杉浦忠投手(59年 元南海)で、打者は史上初)。
  2. 千葉ロッテから鈴木大地をFA獲得する事は無かったかも。
  3. 2019年のセの新人王は近本光司が受賞した。

馬場皐輔(2017)

※史実では阪神に入団

ソフトバンク
  1. 飯田優也(ソフトバンク)・松田遼馬(阪神)によるトレードは破談していた。

根尾昂(2018)

※史実では中日に入団

日本ハム
  1. 「大谷2号」として、注目されていた。
  2. 先輩の中田翔氏から可愛がられていた。
  3. 吉田輝星氏は指名されることはなかったかもしれない。

藤原恭大(2018)

※史実ではロッテに入団

楽天
  1. 浅村栄斗氏が移籍することはなかったかもしれない。
阪神
  1. 地元のスター選手として注目されていた。
  2. 史実の1位指名入団である近本は他球団が指名していた。
    • 2019年の阪神はAクラスになれなかった可能性が大。
      • もしロッテが近本を取り史実レベルに活躍した場合、ロッテがAクラスになっていたかも。

小園海斗(2018)

※史実では広島に入団

DeNA
  1. 遊撃は大和がレギュラーだったため1年目から史実通りに試合に出られたかは微妙だが……。
    • 仮に史実通りに試合に出ていた場合、倉本寿彦、石川雄洋、中井大介の出場機会は史実より少なくなり、柴田竜拓のブレークもやや遅れた。
    • 1年目から遊撃以外の守備位置での出場機会があったかも。
  2. 宮崎敏郎が所属していたため、背番号は「51」では無い。
    • 多分、白崎浩之のトレード移籍で空き番号となっていた「6」を付けていた。
  3. 翌年のドラフトで森敬斗がDeNAに1位指名されることは無かったかも。
  4. 上茶谷大河は根尾昂を外したヤクルトが一本釣りか。

佐々木朗希(2019)

※史実ではロッテに入団

楽天
  1. 千葉ロッテから涌井秀章氏が金銭トレードで獲得することはなかった。
  2. 背番号は「18」を背負っていた。
日本ハム
  1. 背番号は「11」を背負っていた。
  2. 同じ岩手県の高校から日本ハムに入団したこともあって、名実共に「大谷2世」として、大注目されていた。
  3. 監督の栗山英樹氏から可愛がられていた。
    • 「朗希」と下の名前で呼ばれるのは確実だろうな。

2020年代

佐藤輝明(2020)

※史実では阪神に入団

ソフトバンク
  1. 2021年4月9日対東北楽天戦=楽天生命パーク宮城で場外ホームランを放った。

早川隆久(2020)

※史実では楽天に入団

ロッテ