「もしあの日本の政党が○○だったら」の版間の差分
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*再合流という形ですが便宜上こちらで。 | |||
#あと5年持っていれば、新自由クラブは新進党に合流したかもしれない。 | |||
#*というか、新進党の母体になっていた可能性も。 | |||
#河野洋平が新自由クラブのままのため、河野談話は存在せず。 | |||
#*あるいは河野が総理になっていたらやっていたかも。 | |||
#結局グダグダになって「心中クラブ」となるのは変わらなかったかもしれない。 | |||
===日本新党と新党さきがけ=== | ===日本新党と新党さきがけ=== | ||
#結局のところ、新進党結党に参加する者とそうでないもので分裂。 | #結局のところ、新進党結党に参加する者とそうでないもので分裂。 | ||
#*事実上新進党に引き抜かれる形になる。残留したグループは自民党・社会党と連立政権を樹立。 | #*事実上新進党に引き抜かれる形になる。残留したグループは自民党・社会党と連立政権を樹立。 | ||
===自由党と民主党=== | |||
#自由党と民主党と自由民主党でややこしいという事態が続いていた。 | |||
#=消費税の福祉目的税化が行われていた。 | |||
#小沢一郎は保守派のままだった。 | |||
===たちあがれ日本と国民新党=== | ===たちあがれ日本と国民新党=== |
2018年12月12日 (水) 13:29時点における版
あの政党が合併していたら
自由民主党と新自由クラブ
- 再合流という形ですが便宜上こちらで。
- あと5年持っていれば、新自由クラブは新進党に合流したかもしれない。
- というか、新進党の母体になっていた可能性も。
- 河野洋平が新自由クラブのままのため、河野談話は存在せず。
- あるいは河野が総理になっていたらやっていたかも。
- 結局グダグダになって「心中クラブ」となるのは変わらなかったかもしれない。
日本新党と新党さきがけ
- 結局のところ、新進党結党に参加する者とそうでないもので分裂。
- 事実上新進党に引き抜かれる形になる。残留したグループは自民党・社会党と連立政権を樹立。
自由党と民主党
- 自由党と民主党と自由民主党でややこしいという事態が続いていた。
- =消費税の福祉目的税化が行われていた。
- 小沢一郎は保守派のままだった。
たちあがれ日本と国民新党
- 亀井静香が、いつの間にか未来の党にいるなんてことはなかった。
- 小規模とはいえ、保守側の共産党的存在で何とか生き残っていたかもしれない。
- 自民よりさらに強硬かつ、それでいて大きな政府志向になっっていた。
- シルバー新党なんて揶揄されていたことは確実。
- 川内康範作の国民新党の歌がそのまま引き継がれたかは不明。
- 新党名は「たちあがれ国民」とか?
- 「日本国民党」なんてのもいいかもしれない。
- あるいはここで「太陽の党」を使ったかもしれない。
太陽の党と減税日本
- 河村たかし的にはわりと違和感がないだろうが、国会議員の中には労組系議員など、なぜこの人がこんな右寄りのところにという違和感のあるメンツも居ることになっただろう。
- 史実通りにその後維新と太陽が合併した場合、もしかすると維新は大阪ではなく名古屋でもプレゼンスを持っていたかもしれない。
- 東名阪3都市のキャラが濃い首長が揃い踏みする政党ということで地方分権改革を前面に押し出したタカ派政党になっていた。
みんなの党と日本維新の会
- 当然のことながら結いの党はできてない。
- 同様に石原氏が次世代の党を分党することもなかった。
- 熊手問題でみんなの党が空中分解する異常事態も起きてなかった。
- とはいえこの問題がでた段階で、汚職とか不正に厳しいイメージで売ってる橋下系が渡辺系と揉めて、党内がきなくさいことになってたことは間違いない。
- 当然のことながら2012年衆院選では民主党を抜いて野党第一党になっていた。
- 野党内でのプレゼンスの関係もあり、民主党がその後さらに議席を減らしたことは間違いない。
- ただこの二党(みんなと維新)が分裂を繰り返しているのを見ると遅かれ早かれ空中分解していただろうと思われる。
- 中田宏と江田憲司のあたりから亀裂が深まってさらに上記の熊手問題で決定的になっていただろうと思われる。
- 中田と江田よりは渡辺(みんなの党渡辺系)とそれ以外という構図になりそうな気がする。それで離党騒ぎになっても野党第一党の座は変わらなかったと思われ。
- 「分裂」ではなく「誰かの離党」で済んでいた。
- 中田と江田よりは渡辺(みんなの党渡辺系)とそれ以外という構図になりそうな気がする。それで離党騒ぎになっても野党第一党の座は変わらなかったと思われ。
- 中田宏と江田憲司のあたりから亀裂が深まってさらに上記の熊手問題で決定的になっていただろうと思われる。
- 民主党、生活の党はこの時点で解党していた。
- 大半の議員がこの党に入っていた。
- 一部というのはあるだろうが、大半というのはありえないと思う。労組・公務員アレルギーの維新と労組依存の民主では根本的に一緒にやることは不可能だろう。生活からも未来の党の結党理由が維新への失望だというのを考えるとまずなさそう。
- ところでこの時点っていつの時点?
- とりあえず2013年参院選後あたり。
- 大半の議員がこの党に入っていた。
- 結局民主党や生活の党も巻き込む形で複雑に分裂・合併を繰り返した。現在どうなっているか想像もつかない。
- 史実通り「自民一強」の状況になった。
みんなの党と民主党
- みんなの党が崩壊する直前にあったとされる構想だが、結局熊手の人は5人集まるかは別にして分党していたに違いない。
- 浅尾慶一郎氏は古巣に戻った事になるが、論功行賞で政調会長の役職くらいはもらえていたかもしれない。
民主党と国民新党
- あまり変わっていなかった?
- 鹿児島3区の無所属の議員は民主党から出馬していた。
- ただ後に離党して無所属となった可能性も否定できない。
自民党と国民新党
- それでも国民新党系の議員は大半が引退に追い込まれていただろう。
- 自民党議員から批判が出ていた。
- 特に郵政民営化を強く推進した議員たちから。
- 鹿児島3区の無所属の議員は自民党から出馬していた。
日本未来の党とみどりの風
- それでも選挙結果は変わらず。
- 未来の党の分裂は無かった...かもしれない。
あの政党が分裂していなかったら
憲政党
- つまり共和演説事件がなかったらである。
- 憲政の常道は無かった。結党から大政翼賛会発足までこの党が与党。
- 自民党と憲政党が比較されていた。
- 鉄道の改軌論争が早期に終結した。
- 路線の建設がもっと進んでいた。
日本維新の会
- 次世代の党は結成されず、参加して落選した議員が残っていたかもしれない。
- 次世代の党で惜敗率が高くて落選した議員が初当選していた。
- 結いの党は合流しなかった。
- この時点で民主党との合併を模索していたか。
- その結果、史実より早く「民進党」となった。
- この時点で民主党との合併を模索していたか。
日本社会党
- 社会民主連合(社民連)・民主社会党(民社党)は、存在しなかった。
- 現在でも「日本社会党」を名乗っており、社会民主党への改名もなかったかも。
- 社会党が政権を取ることが一回ぐらいあったかもしれない?
- 但し、冷戦期には圧力が大きくて難しかったかも。ありえるなら90年代以降。