もしあの人が健在だったら/海外ミュージシャン

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エディット・ピアフ

  1. シャンソン界の大御所としてさらに活動し続けた。
  2. フレンチポップスが流行るのが史実より遅れた。
    • 結果、フランス・ギャルやシルヴィ・バルタンなどは知名度が史実より低くなった。
  3. 2007年時点でも生きていたら「エディット・ピアフ~愛の賛歌」は作られなかった。
    • そのため史実で主演を務めたマリオン・コティヤールはブレイクが遅れていた。
    • 美輪明宏も彼女の生涯を舞台化しなかっただろう。

エルヴィス・プレスリー

  1. 生存説が出ることはなかった。
  2. エルヴィスが起案した空手の映画は完成されていた。
    • もしかしたらそれ以降も映画に出演していたかも。
  3. マイケル・ジャクソンがプロデュースした"We are the world"のメンバーの1人になっていたかも。
  4. 日本に来日することが実現していた。
    • 生年月日が同じな小泉純一郎と対談していた。
  5. 黒人差別は史実より早く改善が進んでいたかもしれない。
  6. ジョン・レノンも生きていたら、ジョンとの仲は改善されていたかも。

カート・コバーン

  1. ニルヴァーナは今も活動を続けていた。
    • もしくはソロデビューしてシンガーソングライターになっていただろう。
      • その場合、楽器はアコースティックギターになっていた。
  2. マスメディアに反発してテレビなどには出演しなかった。
  3. あと5年生きていたら日本の某自称バンドマン語録に「カート・コバーンの生まれ変わり」が加わらなかったか。

カレン・カーペンター

  1. カーペンターズは現在まで活動を続けていただろう。
  2. トム・バリスとは正式に離婚できていた。

クリフ・バートン

  1. 6枚目、7枚目あたりでメンバーと仲違いになり脱退。
  2. 3枚目(Master Of Puppets:邦題メタルマスター)を越すアルバムがリリースされグラミー賞総なめ。
  3. アルバムに一曲はインストが入る。
  4. ロバート・トゥルージロは引き続きオジーのバンドメンバーだった。
  5. 4th以降のベースの音量が既存のものより少し大きくなっている。

クロード・フランソワ

  1. シャンソン界の大御所としてさらに活動し続けた。
  2. フレンチポップスの流行が史実より早まった。
  3. フランク・シナトラ死去の際に追悼の声を残していた。
  4. 来日の際に布施明との共演を果たしていた。
  5. 2014年時点でも生きていたら「最後のマイ・ウェイ」は作られなかった。

コージー・パウエル

  1. やはりそのままレーサーになってまった。
  2. 若い子が「ランディ・カスティロ」と混同してしまう事はなかった。
  3. リッチー・ブラックモア、ロニー・ディオと共にレインボー「1回限りの再結成」ツアーで世界2周ぐらいする。
  4. EL&P(エマーソン・レイク・アンド・パーマー)のオリジナルメンバーであるカール・パーマーとドラム勝負をしていた。
  5. ベドラムを再結成するが、アルバム1枚とミニ・ツアーで気が済んで再び解散する。

シド・ヴィシャス

  1. メタボの薬中オヤジになっててかつてのファンをガッカリさせてたに違いない。
  2. 「パンクの象徴」とは呼ばれなかった。
  3. 他の理由で結局帰らぬ人になっていたか、服役中
  4. グレン・マトロックが居ないとバンドが立ち行かず、やっぱり解散していた。
  5. もしかしたベースがちゃんと(そこそこ)弾けるようになって、(技術云々ではなく)良いプレーヤーになっていたかも。

ジミ・ヘンドリックス

  1. ギタリストだけでなく歌手としても有名になっていた。
    • 史実では最高20位だったシングルチャートでも上位になっていたかもしれない。
  2. マイルス・デイヴィスの葬儀に出席していた。
  3. 来日公演も実現していた。
    • 70年代中盤あたりに武道館公演の音源がリリースされていたかも。
    • ニューアルバム発売時に日本向けとして「地味変」というボーナストラックつけたかも。
  4. ポール・マッカートニーとの競演が実現していたかも?同じサウスポーとして。

ジョージ・ハリスン

  1. アルバム『Brainwashed』は自らの手で完成させていた。
  2. 「最も長い間ヒットを飛ばし続けた男」のギネス記録を更新し続けていた。
  3. 2012年のロンドンオリンピックの開会式でポール・マッカートニーと共に「ヘイ・ジュード」披露した。
  4. 単独の来日公演が実現していた。
  5. もうビートルズ再結成については執拗に反対しなかったかも。
    • 「今すぐとは言わないけど、そのうちあるだろう」「あとは他の三人、ジョンとポール次第」と発言していたか。

ジョン・ボーナム

  1. 1981年以降もレッド・ツェッペリンは活動中。
    • しかしペイジのネタ切れを理由に90年代後半あたりで解散したかもしれない。
      • ソロやセッションワークを経て2000年代に再結成か。
    • レッド・ツェッペリンは今程伝説化されていないかもしれない。
    • メンバー等のドラッグ依存によりバンドの暗黒時代を迎えるも、その後華々しく復活。
    • 「Coda」の収録曲はLIVEで演奏されている。
  2. もちろん1995年のロックの殿堂の授賞式は全員参加している。
  3. 相変わらずホテルを破壊しまくって新たな伝説を作っている。
    • 悪ふざけが過ぎてピーター・グラントの雷が落ちるのは一連の流れ。
  4. ジェイソン・ボーナムとの親子競演(ドラムバトル)も実現していた。

ジョン・レノン

  1. 引き続きソロ活動に勤しみ、ヒットを続けていた。
  2. ビートルズ復活もありえた。
  3. オノ・ヨーコやショーンとともに何度も来日する。
    • ひょっとしたら日本に新居を構え、活動拠点を日本に移していたかもしれない。
      • 『ザ・ベストテン』『夜のヒットスタジオ』『ミュージック・ステーション』などにもたまに出演し、1度くらいは紅白にも出ていたかも。
        • 『ミュージックフェア』も。
      • 奥尻島地震の際の泉谷しげるの行動に共感して、一緒にゲリラライブをやっていたかも。
  4. 皮肉にも大きなテロや戦争の後に名曲を残した。
  5. 真心ブラザーズの「拝啓、ジョン・レノン」は存在しない。
  6. 大英帝国勲章をもらっていた。
  7. 2009年1月10日の日本テレビ系「世界一受けたい授業」に「オノ ヨーコ」が出演しなかったか…。
  8. 2012年のロンドンオリンピックの開会式でポール・マッカトニーと一緒に「ヘイ・ジュード」披露した。
    • それよりも閉会式の方でスクリーンではなく生身の姿で登場し、「イマジン」を披露していただろう。
  9. ジョージ・ハリスンの葬儀に出席していた。
  10. 「スターティング・オーヴァー」はおそらくBillboard Hot 100や全英シングルチャートで1位にならなかった。
    • 「スターティング・オーヴァー」の好チャートアクションは追悼需要がもたらしたもの。健在ならそこまでのヒットにはならなかった。
  11. クイーンの「ライフ・イズ・リアル (レノンに捧ぐ)」は存在しない。

スキャットマン・ジョン

  1. 21世紀になっても、数年間はグリコ「プッチンプリン」のCMに出演し続けていた。
  2. 大ヒット曲『スキャットマン』のリミックス盤が数バージョン製作されていた。
    • 別アーティストによるカバー盤も何曲か発売されていた。
  3. 60歳を過ぎた頃から、音楽活動よりも吃音患者の救済がメインとなっていた。
  4. 2010年発表のMiChiのシングル『All about the Girls〜いいじゃんか Party People〜』に、本人が直接参加という形でコラボレーションが実現。

ブライアン・ジョーンズ

  1. 今でもローリングストーンズに所属し、ミック・ジャガーとともにローリングストーンズをリードし続けた。
  2. キース・リチャーズが史実より知名度が低かった。
  3. ロン・ウッドやミック・テイラーはローリングストーンズには入らなかった。
  4. 史実通りにローリングストーンズをやめていた場合、ソロのギタリストになっていた。
  5. 「ブライアン・ジョーンズ ストーンズから消えた男」は作られなかった。
  6. C.W.ニコルの影響で環境活動に携わっていた。
  7. そもそも「27クラブ」もなかった可能性はある。

フレディ・マーキュリー

  1. 遅かれ早かれ、事実をカミングアウトしていた。
    • エイズから生還を果たしていた場合、エイズ撲滅キャンペーン運動の先頭に立っている。
      • フレディはそんなことをするような人ではないとフレディの元恋人のメアリー・オースティン(間違えてたらゴメン)が言っていたような。いないような。
        • 仮にそうだったとしても、”エイズで生死の淵をさまよい、生還を果たした”という事実が彼の人生観を変えていた可能性は否定できない。
    • エイズ感染自体なかったかもしれない。
    • 一応、死の前日にしてたんですけど...
  2. 2007年現在もクイーンは健在。
    • 一回ぐらいはNHK紅白歌合戦出場がありえたかも。多分海外中継になっただろうけど。
  3. としあきどもから「ヤマジュン」扱いされることもなかっただろう。
    • こちらからも「アッー!」扱いされなかったかもしれない。
  4. 魁!!クロマティ高校はこっちから訴えられることに。
    • 意外と黙認するかも。クイーンにとって日本は飛躍へのきっかけとなった国だし、その国のコミックのネタになるのも有名税だと考えていたりして。
      • ついでにこの人も諭しているとか?
      • 映画でフレディ役を演じた渡辺裕之との2ショットも実現していたとか?
  5. 『イニュエンドゥ』に収録されている輝ける日々のようなサウンドはなかった。
    • まず『イニュエンドウ』自体の作風が歌詞を中心に大きく変わっていたかもしれない。
  6. 1992年、バルセロナオリンピックの開会式or閉会式で「バルセロナ」を披露していたに違いない。
    • あと2年、最悪あと1年でもいいから生き長らえていてくれたら…。
      • 2012年も健在ならば、ロンドンオリンピック閉会式にはビジョン越しではなく、生身の姿でブライアン・メイ、ロジャー・テイラーと共演していた。
        • いや、もしフレディが一緒なら、ジョン・ディーコンも一緒にいたかもしれない。彼はフレディが亡くなってから、音楽活動に意欲をなくしたらしいから。
        • UEFAチャンピオンズリーグ1998-99決勝がバルセロナのカンプ・ノウで行われた時にもビジョン越しではなく生身の姿でモンセラート・カバリエと共演し、歌声披露していた。
  7. カップヌードルのCMには渋々ながら了承していた。
    • そもそも「I Was Born to Love You」のクイーンヴァージョンが存在していたかも怪しい。
  8. 2011年3月11日の震災後に来日し、「手を取り合って(Let's cling together)」を熱唱していた。
  9. ものまねのレパートリーにしている神奈月とも顔合わせしていた。
  10. 『メイド・イン・ヘヴン』の内容も全く異なっていた(そもそも題名が違う可能性もある)。
  11. 熱狂的なクイーンファンであるレディ・ガガとのデュエット曲を発表していた。
  12. クイーン+ポール・ロジャースが結成されないので、『ザ・コスモス・ロックス』は勿論発表されない。
  13. ジョン・ディーコンが脱退することも無かった
関連ページ

ポール・モーリア

  1. 今でも音楽活動を続けていた。
    • 勿論毎年日本でコンサートも開いていた。
  2. 史実では来生たかおとコラボレーションしたことがあるが、第2弾としてT-SQUAREと、第3弾として水樹奈々とのコラボが行われた。
    • T-SQUAREとのコラボは「イージーリスニングフュージョンとの融合」として話題を呼んだ。
    • 水樹奈々とのコラボも「イージーリスニングとアニメソング・声優ソングとの融合」として話題を呼んだ。

マーヴィン・ゲイ

  1. R&Bの重鎮として現在も活動している。
  2. 1980年代後半に二度目の来日公演を行い、完成間もない東京ドームでライブをしていた。
    • 史実では1979年に来日公演を行い、日本武道館と大阪・万博ホールでライブをしている。

マイケル・ジャクソン

  1. 2009年7月からの予定だったロンドンでのコンサート公演「THIS IS IT」は無事に開催され、一応の成功を収めていた。
    • それでも相変わらずメディアからは冷たい目でしか見て貰えない。
      • 相変わらず彼のスキャンダルばかりがクローズアップされ、「キング・オブ・ポップ」だなんて間違っても言われない。
    • 勿論、同名のドキュメンタリー映画は存在しなかった。
      • 彼の未発表曲を集めたアルバム「MICHAEL」も世に出なかった。
    • ディズニーランドで「キャプテンEO」がリバイバル上映される事もなかった。
      • そのため、「ミクロアドベンチャー!」のクローズ日が史実よりも遅れていた。
    • 東日本大震災の応援ソングとして「ウィ・アー・ザ・ワールド」の第2弾を作っていた。
  2. おそらく一回は紅白歌合戦に出場を果たしていた。
  3. 新しいムーンウォークを提案していたであろう。
    • これによって中居くんが涙することもなくなった。

ミニー・リパートン

  1. 80年代以降もR&Bの頂点に君臨していた。
  2. スティーヴィー・ワンダーと結婚したかもしれない。

ランディ・ローズ

  1. Whitesnakeに参加するも一枚アルバム出して脱退。
  2. ウリ・ジョン・ロートのようにご隠居生活
  3. クラッシックギターを中心に活動し始めるもやはりロックに復帰。
  4. 「ジェイク・E・リー」や「ザック・ワイルド」の発掘が少し遅れていた・・・かも。