ざんねんな落語家事典

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  • 五十音順で。

あか行

桂ざこば

  1. 他の落語家をライバル視することが多い。
    • 特に笑福亭鶴瓶に対しての対抗心は、ものすごいものがある。
      • ある結婚式で、鶴瓶の方が祝儀の金額が多かった事に激怒したざこばは、その場で1万円を叩きつけた事がある。
    • ライバル心から、一時期桂文珍と絶交状態になったことがある。
      • 現在はお互いに仲の悪いことをネタにするくらいまで関係は改善されている。
    • 落語家以外では、やしきたかじんとは、ABCテレビの番組で喧嘩して以来、一時期不仲となったことがある。
      • 後に、「たかじんのBar」で仲直り。以来、たかじんの番組では無くてはならないスーパーサブとして活躍。
  2. さらに、テレビ・ラジオでの暴言癖も。
    • ある年の毎日放送の選挙特番に出演した際、公明党の候補者が落選したことを受け「信心が足りん」と発言し、スタジオを凍りつかせた。
    • サイキック青年団打ち切り後、ABCラジオの番組で打ち切りの原因とされたことを匂わせる叫び声を上げ、スタジオを凍り付かせた。
  3. 朝丸と名乗っていたころの落語に、動物のいじめ方を紹介する落語があるが、当然の事ながらその演目が動物愛護団体の逆鱗に触れた事がある。

二代目桂春蝶

  1. 若い時から無類の酒好きで、健康診断でドクターストップを受けても酒を飲み続けた。
    • 51歳という早すぎる死も酒好きだったのが一因だったのかも知れない。
  2. 阪神タイガースの大ファンとしても知られているが、何故か彼が甲子園球場に応援に来ると必ず阪神が負けるというジンクスがあった。

三代目桂春蝶

  1. 自身の貧困時代をネタにして貧困自己責任論な事を話したら炎上した。
    • 関東のテレビ番組で芸能人や芸人含めて「二世落語家なんだし色々バックアップあったでしょう」と周囲から突っ込まれた。
    • 関西では普通に通じても関東ではフルボッコにされるという系統。
  2. 長年、不倫関係にあった愛人相手にDVを働いていた。

さ行

三笑亭夢之助

  1. 昭和52年に、当時20代かつ二つ目の身分ながら笑点のレギュラーに抜擢。登用直後の2年間で座布団10枚を3度達成するほどの腕前だったが……
  2. 噺家らしく練り込んだ答えを出さず、一発ギャグや毒舌で場を沸かすことを重視したため、ネタにされた側を本気で怒らせることもあった。
    • 番組中の発言で市販薬の効能を全否定するようなことを言ってしまい、当時の番組スポンサーに製薬会社がいたことで大問題になった。
    • スポンサーのクレームが原因か、「このままだと破門になる」と言い残して降板することになった。
      • なお「二つ目の身分であるうちに降板した出演者」は彼が最後。
  3. 地方公演の際、自分の近くに手話通訳がスタンバイしていたことに「気が散って噺を間違えるかもしれない」とクレームを付けた。
    • 実際に通訳が必要な障害の当事者が観客に複数名いたことや、当地では市が主催する文化イベントに手話通訳がいてほぼ当然であるほど認知されていたことから、事後に落語芸術協会へ文書で抗議が届いた。
    • 本人は文書で謝罪するも、のちに当地の市長が落語芸術協会を訪問。表向きには打ち合わせ不足による不手際を詫びるものだったが、あくまでも本人がクレームを付けた事実を「不適切発言」とする皮肉をかまされ、そのやり取りを市のホームページで公表された。
  4. 黒ひげ危機一髪ゲームの遊び方が当初のメーカー公式から離れ「人形を飛び出させたら負け」に変わってしまった原因を作った人でもある。

六代目三遊亭圓生

  1. 天皇陛下の面前で落語を披露する「御前落語」までやり遂げたほどの名人だったが、同時にすさまじいまでの古典落語至上主義者だった。
  2. とにかく「古典落語こそが至高」という考えに凝り固まっており、爆笑派スターの初代林家三平や、主に新作落語を演じていた弟子の三遊亭さん生(現・川柳川柳)らに対して冷たい態度をとり続けた。
    • 戦争で負った手の負傷が故に古典落語では大成は難しい(敵機の機銃掃射で右手指を数本失ったため扇子の扱いが上手く出来なかった)として新作落語一本に絞っていた五代目春風亭柳昇に対しては表立った批判はなかったものの、柳昇が所属していた落語芸術協会を低く見ていたこともあって度々陰口を叩いていた。
      • 落語観の違いによる批判であっても内容次第では当時世間に数多くいた傷痍軍人や支援団体からの批判を招いて社会問題になる可能性があったため、事ある毎に周囲の人間が釘を刺していた。
      • 落語芸術協会に対する蔑視もまた、後述の落語三遊協会設立の際に味噌をつける結果となった。(当時の芸協会長:桂米丸は「これまでも馬鹿にされてきたが、今度は死活問題だ。成田の学生(成田空港建設反対の過激派学生)を連れてきてでも闘う」と発言している。)
  3. また「真打とは落語家にとって最後の到達点」=「一生真打になれない者がいても仕方ない」という考えを持ち、「真打はスタートライン」と考えていた当時の落語協会会長・五代目柳家小さんとも対立し、落語協会を飛び出して新団体・落語三遊協会を設立した。
    • しかし、後継派閥の領袖となった五代目圓楽でさえ「大卒で入門した弟子が30歳前後で独り立ち」するような育成計画を取ったことなどからして、圓生の真打基準は実は誰からも支持されていないに等しかったようである。
      • 当時は戦時中や終戦直後と比べて弟子の絶対数が多くなっており、圓生の基準を取っていてはそのうち一門が膨れ上がりすぎて運営に破綻を来すことが明白だった。小さんの提唱した方針は時代の流れに沿ったものとも言える。
  4. しかし、新団体は前述の圓生の性格からほぼ自らの一門(それどころか前述のさん生のように一門内でも不参加者を出した)のみで構成されることとなり、当の圓生自身が新団体設立後間もなくして逝去、新団体は弟子である五代目三遊亭圓楽が引き継ぎ、圓楽一門会として現在に至る。
    • 「古典以外は全て邪道」を前面に出し過ぎていたゆえに三平が話に乗らなかった。加えて、新団体設立構想の絵を描いた談志の地位的野心を真っ向から拒絶するような人事体制を敷いたことで談志にも離反された。
      • テレビ業界での受けが良い三平とその一門、及び独自の立場を確立していた談志の両方にそっぽを向かれたことは「寄席興行をまわすのに十分な人材が無い」という印象を与え、それが業界内からの新団体に対する支持を失う原因となった。
  5. 逝去した日が上野動物園の人気者だったジャイアントパンダ・ランラン死亡の翌日だったため、新聞に「パンダが死んだ、圓生も」と書かれる羽目になった。
  6. 八代目林家正蔵(のちの林家彦六)とはそりが合わず、六代目圓生襲名の際は「あの人に六代目が務まるわけがない」と罵倒されていた。『笑点』で林家木久扇が彦六の物真似で圓生を罵倒していたのはこの名残。
  7. 要は下の談志同様、「芸は最高、人間性は最悪」といえる人物だった。

五代目三遊亭圓楽

  1. 『笑点』で見せる「星の王子様」と呼ばれた柔和なイメージとは真逆で、あの「トンガリ」と渾名された林家彦六から「お前は短気だから気をつけなさい」と忠告されるほど気が短かった。
    • あるとき弟子の好楽を厳しく叱り、それがために好楽は『笑点』降板を決意するまでに至った。結局桂歌丸の取りなしで事はおさまったが。
    • 歌丸からは一度「爆発物」とさえ呼ばれた。五代目圓楽の付き人だった六代目円楽も「俺は大変だった」と同調していた。
  2. 説教も長く、師弟大喜利では弟子の洋楽に対し本番中にもかかわらず説教を始め、司会をしていた春風亭昇太をあわてさせた。六代目円楽曰く、「普段弟子を集めてやる小言と変わりない」。
  3. また甘党の大食いであり、「楽屋に届いた籠一杯のミカンを手が真っ黄色になるほど食べ続けた」(歌丸)、「イチゴの脇に置いてあった練乳を一缶飲み干し、おかわりを頼んだ」(林家木久扇)、「弟子に説教をしながら羊羹を一竿平らげ、さらに説教を続けながらもう一竿に手を出した」(六代目円楽)などといったエピソードもある。
  4. 私財をなげうって寄席「若竹」を建設するも、たった4年で潰れてしまった。おかげで『笑点』では「俺はただ若竹の借金を取りに来ただけなんだ」、「若竹と聞くと涙ぐんできて」などと(主に歌丸や楽太郎時代の六代目円楽から)ネタにされることになった。
    • 六代目円楽が襲名披露の口上の時に兄弟子・鳳楽から「六代目円楽となったからにはもう一度若竹をこしらえて」とネタにされたほどである。

四代目三遊亭小圓遊

  1. 桂歌丸にとっては、罵倒合戦ネタの初代相方。番組でのキャラクターに反し、実は正統派の古典を得意にしていた。
  2. しかし、上記のような抗争劇を演じることや気障野郎なキャラクター設定と本来の自分との乖離にうまく折り合いを付けられなくなり、一人で悩んだ末に酒に逃避してしまったことがざんねん、と言うより極めて遺憾である。
    • 酒に溺れた結果、アラサーの時点で糖尿にかかり、のちには番組収録中でさえ酒くさいことも度々になった。
  3. 周囲の懸命なサポートも奏功せず、わずか43歳で死亡。これにより、小圓遊を名乗った4名のうち3名が五十路に達せず巡業先で亡くなったことになり、非常に縁起が悪いとして以後は事実上誰も名乗れない名跡になってしまった。
    • 師匠である四代目圓遊にとってもショックがかなり強かったようで、以後は高座になかなか出なくなり、およそ3年半のちに後を追ってしまった。

笑福亭鶴光

  1. 「オールナイトニッポン」などで知られるラジオの帝王。
  2. 名曲「うぐいすだにミュージックホール」の大ヒットでも有名。
    • しかし、これが原因で師匠に破門されそうになったことがある。
  3. 「オールナイトニッポン」と「オールナイトフジ」のドッキング放送で片岡鶴太郎と一緒に松本明子に向かって「四文字言うてみぃ」とそそのかし、それに従った松本はテレビカメラに向かって「×××××!!」と絶叫、自らのアイドル生命に終止符を打つ羽目に。
    • 本人はラジオでの人気が絶大だったこともあり干されることは無かったが「松本明子を地獄に追いやった上方落語家」として関東のテレビ局やアイドルが所属する芸能事務所から警戒され、仕事量の割にはテレビの生放送や女性アイドルとの共演が少なくなるという事態が続いた。

笑福亭鶴瓶

  1. 東京12チャンネル(現・テレビ東京)の社長のペットだった錦鯉を殺害して、12チャンネルから出入り禁止を食らったのは、もはや伝説。
    • それどころか、露出したことも。
  2. 読売テレビの「PAPEPO」の生放送で、放送禁止用語を絶叫したことがある。
    • ただ、これは、相方の上岡龍太郎のムチャぶりによって発言したものである。
  3. フジテレビ「27時間テレビ夢列島」での下半身露出事件も有名。
  4. ラジオ番組では放送禁止用語を発したり、本番中に大をしたこともあった。

笑福亭松之助

  1. お笑い怪獣・明石家さんまを輩出したことで有名。
    • しかし、それ以降テレビ出演の際には「さんまさんの師匠」という枕言葉が付くようになる。
      • 『笑点』の東西大喜利では「ジャンケンでさんまに負けて弟子になった」「今年もさんまからお年玉をもらおう」などと回答していた。
  2. ただし当のさんま自身は松之助のことを尊敬しており、逆に松之助もさんまに対して好意的である。

笑福亭松葉(七代目笑福亭松鶴)

  1. 六代目笑福亭松鶴の弟子のひとりで、六代目の死後に紆余曲折を経て、七代目の襲名が決まっていた。
  2. しかし、襲名を間近に控えた頃に癌に侵され、六代目の死から10年経った1996年9月に44歳で他界。翌年、七代目を追贈された。
  3. 以降、松鶴の名跡は少なくとも六代目の直弟子がひとりでも健在である限り襲名されない止め名となっている。

た~わ行

7代目橘家圓蔵

  1. 職を転々とした後8代目桂文楽に弟子入りした。
    • しかし、破門と復帰を繰り返した。
    • 一時期7代目林家正蔵の門下にいたこともあるが、破門。
      • 7代目正蔵の死後、「弟子だったから」という理由で海老名家から当時二つ目だった初代三平を託されたが、かつて冷遇された恨みもあって前座扱いで入門させた。
        • 三平が人気者になると手のひらを返し、真打昇進時に自らの名跡「月の家圓鏡」の襲名をはたらきかけるが拒否。
  2. 落語協会分裂騒動では古今亭志ん朝一門と共に一門で落語三遊協会へ参加。
    • しかし、6代目三遊亭圓生の覚えが良くない三平一門は最初から参加する気はなかった。
    • 圓生死後に落語協会へ復帰したが、ほどなくして死去。
  3. 橘家圓蔵の名跡は死後2年という短期間で弟子の5代目月の家圓鏡が襲名。

立川志らく

  1. 師匠である談志の名前を持ち出して威圧する振る舞いが多い。
  2. コメンテーターとしては兎も角ワイドショーの司会に関してはあまり優秀といえない。
  3. 自身の周囲での異性関連でグダグダである。
  4. 東の志らく、西の春蝶である。何がとは言わない。
  5. 「自分が主宰する劇団の練習に来ない」という理由で、二つ目の弟子を前座に降格させたことがある。
    • なお、弟子が出演するわけではない。
      • 要は「自分の関与するイベントに弟子が顔を出してこない」という人望の無さがバレてしまう事態を前にして、「来なかったヤツは勉強する気が無い」と話をすり替えてしまった。まさに物は言いようである。

立川談志

  1. 1970年代に自民党の国会議員を務めていたことがあり、1975年12月には三木内閣の沖縄開発政務次官に就任するが…。
    • 就任時の会見で議員の選挙資金について「子供の面倒を親分が見るのは当然」と発言。
      • 政務次官としての初仕事である沖縄海洋博の視察では二日酔いのまま記者会見に臨み、地元メディアの記者から「公務と酒とどちらが大切なんだ」と質問され、これに対して「酒に決まってんだろ」と返した。
        • 更に詰問をしようと記者に対し退席を命じ、会見を打ち切ろうとしたため批判を浴びた。
      • 弁明を行う筈の参議院の決算委員会を寄席を理由に欠席すると自民党の内部からも反発が起こり、僅か36日で政務次官を辞任。
  2. 「客は『噺』ではなく、『談志』を聴きにくる」と言われたほどの独自の落語を持ち、ファンも多かったがアンチも多かった。
    • 山藤章二曰く「落語の伝統の部分だけで生きていれば、間違いなく平成の名人として落語史に名を連ねただろう」。
  3. 2002年のM-1グランプリで審査員として出演。テツandトモに対し「お前らはここに出てくる奴じゃないよ。もういいよ。俺褒めてんだぜ。分かってるよな?」と生放送で評した。
    • 一見すると否定してるとしか思えない口調であったため、司会がフォローする一幕があった。なお、彼自身テツandトモの芸を褒めており、結成10周年のイベントでは「なんでだろう」をノリノリで踊っていた。

月亭可朝

  1. 大の博打好きで有名。
    • あの立川談志をして「あいつの人生そのものが博奕だ」と評価させるほど。
  2. 1971年開催の第9回参院選に立候補。そのとき、可朝が掲げたマニフェストが・・・。
    • 「日本における一夫多妻制の確立と風呂屋の男湯と女湯の仕切を外すこと」。勿論、当選する訳がない。
  3. おそらく「日本で一番警察のお世話になった咄家」と思われる。

林家木久扇

  1. 『笑点』での与太郎キャラとは真逆で、「ライバルは先月の売り上げ」と語るほど金銭に細かく、本業の落語以外にも多数の商売に手を出していたのだが…。
  2. 「象を輸入しようとしたがワシントン条約に引っかかり断念」「怪しげな儲け話を持ち込むため楽屋では誰からも話しかけられない」「結婚式の司会をギャラありで引き受けたが、自分の結婚式とブッキングし、自分の結婚式にもかかわらず中途で抜け出し司会に出向いた」などのざんねんエピソードを持つ。
    • 極めつけが「木久蔵ラーメン」で、笑点メンバーや司会者から「不味い」、「畑の肥やしにもならない(枯れる)」、「豚の餌くらいにはなる」などと罵倒され、自分でも「保健所が立ち入り検査に来た」「ありえない 木久蔵ラーメン ミッシュラン」などとネタにする始末である。
      • フォローしておくと本当に不味いわけではない。上記の罵倒もあくまでネタの範囲である。立川談志も木久扇に対し「落語は下手だがラーメンは旨い」と発言している。
  3. 若手時代、師匠の彦六を殺しかけたことがある。
    • 怪談を得意とする彦六の高座の演出に、人魂を模した「焼酎火」を出す際に手元が狂って、火が彦六の頭部を直撃。頭部のポマードに引火してしまった。

4代目林家小染

  1. 3代目林家染丸に弟子入りしたが、わずか4年で師匠が死去。
    • 一般的には他の師匠につくことになるが、それを拒否。一門を背負う形となった。
  2. しかし、大酒のみで酒癖も悪かった。
    • 楽屋で休んでいる人生幸朗を「オッサン、何で寝てるんや!」足蹴にし、周りを凍り付かせたこともあった。
    • 最期も酔った勢いで「トラックと相撲とってやる!」と道路に飛び出し、あっけなく敗れたものだった。
      • 「若くして本格的な噺家」といわれ、林家染丸襲名も噂された中での早世だった。

林家彦六

  1. 「トンガリ」と呼ばれるくらいせっかちかつ短気な性格。
    • 弟子に対し気に障ることがあるたびに破門を言い渡すが、すぐに忘れてしまう。
      • 弟子の木久扇と好楽がよくネタにしているが、他の弟子も似たり寄ったりだったらしい。
    • 独演会等で電車に乗る際には1時間前に駅に到着。
    • 新幹線に乗り、「次は東京です」のアナウンスを聞いた途端、それが名古屋出発直後のアナウンスでも周りに降りる準備を急がせる。
  2. 日本共産党の熱烈な支持者だったが、理由が「判官びいきだから」
  3. 独演会や余興などの仕事のギャラはもらった半額をその場で主催者に返還。
    • 自分の分だけならともかく、一緒に来た共演者や弟子たちの分も一括返還する始末。
  4. 高座を映像化した際に、「演じた時にギャラもらってるから」と放映料の受け取りを拒否。
  5. 寄席通いのために定期券を持っていたが、私用では全く使用しなかった。
  6. 数々のざんねんエピソードを弟子の木久扇がネタにしたため、高座に出た途端に笑いが起こるようになった。

関連項目