もしあの年のプロ野球日本シリーズで○○だったら
- 年代別に分けておりますので、開催年順に記載をお願いします(複数にまたがる場合は最も古い年を参考にします。例えば1967年から1972年にまたがる場合、1967年として「1960年代」に記載してください。)。
1950年代
1950年に松竹が日本一になっていたら
松竹は1950年に初代セ・リーグ優勝チームになるも、チーム内での揉め事などによって日本シリーズで毎日に敗れましたが、もし毎日を破って日本一になれていたら?
- 主砲・小鶴誠とエース・真田重蔵の仲が険悪になることはなかった。
- 大洋との合併も回避できていた。
- この場合大洋は広島と合併していた。ただし田村駒の経営悪化による身売りは避けられなかった。
1959年より前に南海が日本一を経験していたら
南海は1959年にエース杉浦忠の4連投で2リーグ分立後初の日本一になりましたが、それ以前にもチャンスがありました。このとき日本一になっていたら?
- 1951年
- 巨人の第二期黄金時代はなかった。
- その代わり南海黄金時代が到来。西鉄黄金時代もなかった。
- 1952年
- 前年の借りを返したことで、翌1953年に日本一連覇を達成していたかも。
- 1953年
- 1954年にも優勝できていた。
- 1955年
- 御堂筋パレードが行われても、あそこまで話題になることはなかったかも。
1954年
- 西鉄が日本一になっていたら
- 2020年現在中日は現存する12球団で唯一完全制覇を経験していない。
1959年
- 巨人が日本一になっていたら
- 2018年現在ホークスは巨人に日本シリーズで勝利したことがない。
- 「他のセリーグ5球団には勝利したのに…」と言われていた。
- 日本シリーズにおけるホークスの初優勝は1964年ということになっていた。
- 1964年も日本一を逃していた場合、ホークスの初優勝はダイエー時代の1999年ということになっていた。
- その場合、ホークスは南海時代に日本一を経験できずに終わったことになっていた。
- 1964年も日本一を逃していた場合、ホークスの初優勝はダイエー時代の1999年ということになっていた。
1960年代
1961年
- 第4戦で南海・寺田陽介の落球がなかったら
巨人2勝、南海1勝で迎えた第4戦、南海1点リードの9回裏2死の場面で巨人・藤尾茂のフライを寺田陽介一塁手が落球し、その後もエラーやストライクの判定を巡る抗議などがあり、結局巨人に逆転サヨナラ負けを喫してしまいました。
同年のシリーズは最終的に巨人が4勝2敗で日本一になりましたが、もしこの落球がなく南海が逃げ切って勝利していたら。
- どちらが日本一になるにせよ第7戦までもつれた可能性が高い。
- 円城寺満球審の判定を揶揄する狂歌は生まれなかった。
- 寺田が翌年中日にトレードされることはなく、現役生活も史実より長かった。
- ケント・ハドリの南海入りがなくなる。
- 引退後は指導者として球界に残りダイエーのコーチに就任。
阪神対阪急の日本シリーズが実現していたら
実史では実現しなかった、日本シリーズでの阪神vs阪急の幻の西宮決戦。1964年・68年・69年・72年・76年に最も実現の可能性があり、共にセ・パで優勝争いを繰り拡げながら、どちらかが2位になる等して実現しませんでした(後に阪急は1977年以降さらに3回リーグ優勝するが、それ以降は阪神が優勝争いに加わるという話もなく、阪神が1985年の日本一を含め1980年代に優勝争いに加わっていた年は阪急が不調という事態となっていた)。
実史ではオリックスへの阪急ブレーブスの身売り、数年後の神戸への移転によって実現しませんでしたが、もし実現していたら
- 1964年
- おそらく阪神が実史よりも早くに日本一に輝いていたかも
- (阪急は前年最下位だったので勝ちきれなかったと思うのだが)
- 決戦日本シリーズの内容が「阪神vs南海」になっていた
- 阪神vs福岡ダイエーの時は幻の日本シリーズとして取り上げられたかも
- 南海ファンのご老人の目には緑色のユニホームに見えたかも知れない
- しかし、阪神は標準軌で南海は狭軌だから・・・
- 某川島先生は地下鉄堺筋線天下茶屋経由でのフリーゲージでの乗り入れをいまだに唱えてますが…
- 阪急黄金時代の到来が早まった。
- 1966年の西本監督信任投票はなかった。
- 1968~69年
- 「決戦・日本シリーズ」の内容が「阪神vs近鉄」になっていたのか?
- この段階で、阪神西大阪線→なんば線と近鉄難波線が開業したことになっていたかも。
- 両者拮抗した可能性が高い。
- 1972年
- 巨人のV8を阻止したということで、阪神ファンの意気込みは強くなっていた。
- 負けたとなったら大暴動が起きたであろう。
- 福本、山田、加藤、長池と阪急の戦力が整っていたので阪急が日本一になった可能性が高い。
- 1976年
- 阪急が4年連続日本一の栄光を手に入れていたかも知れない
- かんべむさしの作品はこの年刊行だから、予言本となってしまい現実以上の話題を集める。
- この年は阪急の完全優勝だったため、あっさりと阪急が日本一を決めた可能性が高い。
- その他
- 阪急が阪神を下して日本一を達成していたら、阪神ファンは巨人よりも阪急を敵視していたであろう。
- 両球団のホームタウンでは、親会社の電車も含め阪神派と阪急派の派閥争いが現実以上に激しくなる。
- そして史実通り阪急阪神ホールディングスが発足したとしたらもっと話題を呼んでいた。
巨人が日本シリーズで9連覇できなかったら
セ・リーグは9連覇しているものとする。そうでない場合はもし日本プロ野球であの球団が優勝していたら/セ・リーグで。
- 全般
- それでも4連覇以上ならシリーズ連覇の最高記録となっていた。
- パ・リーグの観客動員は元より、発言権も大きく伸びていた。
- 阪神は南海に加えて阪急にも人気を奪われていた。
- 阪急・南海の球団売却はなかったかも。場合によっては近鉄も。
- この場合ダイエーはロッテを買収し、本拠地を福岡に移転していた。
- 阪急・南海の球団売却はなかったかも。場合によっては近鉄も。
- 場合によっては、パリーグの人気も、セリーグに肉薄していたかも。
- 阪神は南海に加えて阪急にも人気を奪われていた。
- 日本シリーズで全て敗れていたら
- V9という名称が生まれなかったかも?
- 9年連続V逸として巨人ファンにとっては屈辱となっていた。
- 巨人の星や侍ジャイアンツの内容が変わっていた。
- 西本幸雄が悲劇の名将と呼ばれる事はなかっただろう。
- 悲劇の名将は、川上哲治になっていた。
- (パリーグの順位が史実通りなら)南海、阪急、ロッテの日本一回数が増えていた。
- 巨人人気の凋落が昭和のうちに起こっていた。
- 平成になってFA・逆指名制度が導入されても有力選手が巨人に集中することはなかった。
1970年代
1975年
第4戦で広島がサヨナラ勝ちしていたら
広島の初出場となった1975年の日本シリーズ。結果は阪急相手に0勝4敗2分の完敗でしたが、第4戦で広島は3-4から山口高志を攻めて二死満塁のチャンスをつかみ、代打・佐野嘉幸のセンター前ヒットで3塁ランナーは生還するも2塁ランナーはタッチアウト。そのまま時間切れ引き分けに終わってしまいました。もし、2塁ランナーも生還し広島がサヨナラ勝ちしていたら?
- ここまで2敗1分と追い詰められていただけに、広島ファンは大いに盛り上がっていた。
- 阪急・上田監督にとっては第5戦以降で山口を出しづらい状況になったため、投手陣のやりくりに苦労することになった。
読売ジャイアンツが第1次長嶋政権下で日本一になっていたら
巨人は、長嶋茂雄監督の第1次政権(1975~1980)時代、日本シリーズでは1976年・1977年と2年連続で阪急と対戦するも2年連続敗退。もし、阪急を倒して日本一になっていたら?
- 日本一になっていたら、長嶋批判はあまり起きることはなかった。
- 優勝回数も、もう1回くらい増えていたかも。
- その場合、ヤクルトの初優勝は少し遅れていただろう。
- 長嶋監督は、もう少し監督を務めていた。
- 1980年の解任劇も起きることはなかった。
- 少しはスッキリした退任の仕方だっただろう。もしかすると第2次と同様勇退していたかも。
- 彼の就任以降着用していた、サンフランシスコジャイアンツ風のユニフォームももう少し長く着用されていた。
- のちの第2次政権が早まったかもしれない。
- もしかしたら巨人以外でも監督に就任していたかも?
- 1980年の解任劇も起きることはなかった。
1978年
第7戦で…
1978年の日本シリーズ・ヤクルトVS阪急、3勝3敗で迎えた第7戦の6回裏、ヤクルトの大杉勝男の打ったホームランを巡って阪急の上田監督が執拗な抗議を行い、1時間19分という長い中断時間となってしまいました。結局この中断をものともせず、大杉選手は8回に2打席連続のホームランを打ち、ヤクルトが球団初の日本一に輝きましたが、もしあの時・・・。
- 判定がファウルだったら
- 結果的にヤクルトが勝ったとしてもその後の展開ががらりと変わっていた。
- 線審が交代していたら
上田監督が試合再開の条件として「レフトの富澤宏哉線審の交代」を要求。実際には(突発的な事態を除いて認められていない)試合中の審判交代ですが、もし審判団が要求を受け入れ、線審交代のうえ、試合を再開していたら・・・
- 現在において審判の権威はかなり落ちていた。
- 上田監督が退場処分になっていたら
- 阪急ナインがこの結果に奮起して逆転勝ちし、4年連続日本一になっていた…か?
- 没収試合となっていたら
- おそらく上田監督はこの試合を最後に監督としての人生を終えていたかもしれない。
- 阪急が逆転で日本一を決めていたら
- 上田監督は辞任せず、1979年も優勝していた。
- 抗議がなかったら
- この年の日本シリーズの注目ポイントが1つ減っていた。
- ヤクルトがそのまま日本一を決めても上田監督は辞任しなかったかも?
- 松本正志は一度もシリーズ登坂がないまま現役を終えた。
近鉄バファローズが79年と80年の日本シリーズを制覇していたら
- 江夏の21球は無かった
- 雑誌「NUMBER」は売れなかった。
- 山際淳司はスポーツジャーナリズムに特化せず、幅広いジャンルの人物を扱うルポライターのままだった。
- 少しくらいは人気が出て合併は無かった・・・かな
- 日本一の回数により、今は阪神が最低ランクにされていた。
- 1984年の日本シリーズに負けていた場合、広島が最低ランクにされていた。(勝っていても阪神と同格だが)
- ご褒美として藤井寺球場に照明設備がつけられた(実際は1984年から)。
- 近所の住民の反対があったので難しいかも。実際1984年までずれ込んだのは反対運動の影響もある。
- あるいは東大阪市の花園に新球場が建設され、そこが新本拠地になっていた。
- カープの初日本一は1984年まで待たなければいけなかった。
- あるいはカープは未だに日本一になれないままでいたかも。
- 日本一を経験することになるので、西本幸雄氏が「悲運の名将」と呼ばれることはなかった。
1980年代
1980年
- 近鉄が日本一になっていたら
先に3勝2敗で王手を賭けたものの、またしても広島に逆転されて日本一を逃してしまった近鉄。もし近鉄がこのまま日本一になっていたら?
- 「前年のリベンジ」と騒がれた。
- 初の日本一とあって、大阪の街の盛り上がりは半端ではなかった。
- 当然ながら西本幸雄氏が「悲運の名将」と呼ばれることはなかった。
1982年
- 中日ドラゴンズが制覇していたら
西武に2連敗した後の2連勝で流れをつかみかけながら、「ヒット性の打球が審判に当たる」アクシデントで流れが逆転し、日本一を逃したこの年のドラゴンズ。もし日本シリーズ制覇に成功していたら?
- ここで勝っていれば日本シリーズはこの時点で2勝1敗。「日本シリーズに弱い中日」という呪縛はそもそも生まれず、その後の日本シリーズで何度かは勝っていた可能性も高い。
- 西武の黄金時代の到来も若干遅れたか。
1983年
- 巨人が日本一になっていたら
1983年の巨人は第6戦で優勝目前としながら逆転を許し、第7戦も敗れて日本一を逃しましたが、もしこの年日本一になっていたら?
- 藤田監督勇退・王監督就任は遅れていた。
- 西武は再び暗黒時代へ転落した可能性も?
- 実際1984年は3位へ後退しましたから…
- むしろ秋山や工藤といった若手への世代交代が加速した。
1985年
- 西武が日本一になっていたら
- 2017年現在阪神は12球団で唯一日本一を経験していない。
- 球団消滅まで1度も日本一を経験しなかった近鉄共々、日本一を経験していない球団2つがともに関西にあることが関西の野球ファンにとっては屈辱になっていた。
- あるいは2003年にダイエーを下し日本一になっていた。
- 広岡監督の退任も遅れていたか?
- 1998年に横浜を下し日本一になっていた場合、西武はホークスよりも先にセリーグ6球団全てに日本シリーズで勝利したことになっていた。
- 史実で第1戦で西武を完封した際に「西武はヤクルトより弱い」と発言した池田親興が(後の加藤哲郎のように)戦犯として吊るし上げられていた。
1988年
- 中日VS近鉄になっていたら
- 要するにこういうこと。
1989年
第4戦で…
- 近鉄の先発が阿波野秀幸だったら
「巨人はロッテより弱い」なる迷言も飛び出した(実際は発言していない)1989年の日本シリーズですが、第4戦では当時の仰木彬監督は阿波野で一気に決めようとしていました。結局コーチ陣が疲れなどを考え第5戦に温存しましたが、もし第4戦で阿波野が登板していたら…
- 打線が封じられたので、阿波野が登板しても巨人が勝利していた可能性も十分ある。
- 第7戦で登板したとしても、巨人打線が復旧していそうで、結局実史と変わらなかったかも。
- 巨人の先発が史実どおり香田だった場合は、第4戦自体の展開はともかく、シリーズは確実に巨人のターン入りだっただろう。
- 第7戦で駒田がホームランを打った時の「バーカ」発言は無くとも試合展開に影響はなかった。
- 実際、「バーカ」発言は加藤に向けられたというよりも「勝ったぞコノヤロー」的ニュアンスのものだったそうだし。
- 第7戦で登板したとしても、巨人打線が復旧していそうで、結局実史と変わらなかったかも。
- 仰木氏の近鉄監督の勇退もなかったかも。→もし仰木彬が近鉄バファローズの監督を勇退しなかったら
- 巨人の先発が香田勲男ではなかったら
3連敗で後のない巨人・藤田元司監督は「近鉄打線は縦の変化に弱い」という情報を得て、第4戦の先発に時速90キロ前後の縦に落ちるカーブを武器とする香田を投入。香田は見事に完封勝利を収め、大逆転優勝へのきっかけを作りましたが、巨人フロントの一部には香田登板に反対の声もあったと言われています。もし第4戦で香田が登板していなかったら…
- 小野の調子も良くなかったので両軍大乱打戦の末辛うじて近鉄が打ち勝ち日本一。
- そうなれば吉井は当然クローザーを務めてたろうから、後の仰木監督との確執は多少遅れていた。
- 原と藤田監督は大惨敗のA級戦犯として大バッシングを受けていた。
- 第2次長嶋政権の発足が実史よりも繰り上がり、その後任選考は難航する。
- 前年の「10.19」とこの年の上位いじめとの合わせ技で、ロッテの胴上げクラッシャー伝説は、2ちゃんねる誕生よりも遥か前にプロ野球ファンの間で認知されていた。
- 史実通り巨人勝利なら、第5戦で登板→大逆転優勝、つまり現実と同じ結果になっていたであろう。
- 近鉄が勝利していたら
- 特に4連勝で制覇した場合、「巨人はロッテより弱い」は暴言でなく名言としてアンチ巨人ファンの間で語り継がれる。
- 近鉄が2004年にオリックスへ球団合併されることはなかったかも。
- あるいはやや遅れて楽天に球団売却という形をとっていた。
- 1979年・1980年と日本一を逃しているので、三度目の正直と言われていた。
1990年代
1991年
- 広島東洋カープが日本一になったら
1991年はカープが先に3勝2敗で王手を賭けたものの、西武ライオンズに逆転で敗れてしまいました。もしカープがそのまま4勝していたら?
- 「1986年のリベンジ」と騒がれた。
- 久しぶりの日本一に広島は大騒ぎ。
- 常勝・西武を倒しての日本一ともなればなおさら。
- 2007年に中日が日本一になって以降は阪神がセ・リーグでは最も日本一から遠ざかっているチームということになっていた。
- 阪神ファンにとってはこれが屈辱となっていた。
- それとともに、阪神はセ・リーグで唯一平成時代に1度も日本一を経験しなかったことになっていた。
- ライオンズは唯一セ・リーグ全球団に日本シリーズで敗北したチームになっていた。(中日は西鉄時代の1954年に勝利している)
1993年
- 西武が日本一になっていたら
これまで日本シリーズでは無敵といわれていた森西武でしたが、1993年は野村ヤクルトに敗退し日本一を逃し、西武自身もそれ以降2004年まで日本一から遠ざかってしまいました。もしシリーズ第7戦で西武がヤクルトに勝利してシリーズ4連覇を達成していたら・・・。
- 西武の黄金時代はさらに続き、森氏もさらに長く監督を続けていた。
- 一方のヤクルトは、野村監督の責任問題に発展。現実通り、翌94年に優勝できなかったら、野村氏はヤクルトの監督を辞任していたかも。
- サッチーももう少し丸くなっていた。
- 日本シリーズで西武に勝ち越している球団は阪神(1985年)、横浜(1998年)だけになっていた。(いずれも1勝0敗)
西武ライオンズが東尾修監督時代(1995年~2001年)に制覇していたら
- 少なくとも、1999年から2001年までの3年間で1回はリーグ優勝できていた。
- いずれかで松坂大輔がMVPを獲得していた。
- 西武球団からのメジャー流出が増えた可能性も。
- 少なくともプロバスケのGMにはなっていない。
- 1998年の日本シリーズを制していた場合、セリーグ6球団全てに日本シリーズで勝利したことになっていた。
- 西武はいまだ阪神に勝利していませんが…
- 横浜ベイスターズは横浜大洋ホエールズと同じく日本一になれないまま消滅したことになっていた。(ただし横浜大洋はリーグ優勝の経験も無し)
1999年
- 中日ドラゴンズが日本一になっていたら
1999年の日本シリーズは中日vsダイエー(現ソフトバンク)の対決でしたが、第5戦で結局ダイエーが日本一になりました。もしこの時中日が日本一になっていたら・・・
- 星野仙一が2001年に辞める可能性はいくらかは低くなっていた。
- その後はこうなる。
- 11年ぶりのリーグ優勝に加え45年ぶりの日本一とあって、名古屋の街の盛り上がりは半端ではなかった。
- もしかしたら54年の日本一のときを超えていた。
- その場合2007年の日本一は8年ぶりとなり、名古屋の街の盛り上がり度合いは史実より低かった。
- 落合監督は山井を代えていなかったかもしれない。
- ホークスの2003年の日本一は39年ぶりということになっていた。
- 2003年も日本一を逃した場合、2011年の日本一は47年ぶりということになっていた。
- 2011年も日本一を(以下略)
- その場合、ホークスはダイエー時代には1度も日本一を経験しなかったことになっていた。
- 2003年も日本一を逃した場合、2011年の日本一は47年ぶりということになっていた。
2000年代
2000年
- ON対決ではなかったら
- 巨人VS西武だった。
- 東尾修が翌年、西武の監督を辞任することも無かったかもしれない。
- 少なくとも仮にこの年西武が日本一だったら、フロントは慰留していただろう。
- 『ドカベン プロ野球編』ではオープン戦に登板したジャイアント兵働が再登場していた。
- 東尾修が翌年、西武の監督を辞任することも無かったかもしれない。
- 福岡ドームの使用権問題はなかった。
- 巨人以外とダイエーの対戦ならやっぱり使用権問題は残った。
- (ダイエーが優勝できなかった場合)過密日程もなかった。
- 沖縄では1試合多く見られた。
- 宮古島・八重山でも1試合(TBS中継)ぐらいは見られた。
- ダイエーが日本一になっていたら
- ホークスはこの時点で連続日本一を経験したことになっていた。
- それとともに南海・ダイエー・ソフトバンクと3代の親会社全てで1回は日本シリーズで巨人を下したことになっていた。
2001年
- 近鉄が日本一になっていたら
2004年にオリックスに吸収されたため、近鉄にとっては最後となった日本シリーズ。結局1勝4敗でヤクルトに敗れ、近鉄は日本一を経験できませんでした。もしこの時近鉄が日本一になっていたら…
- いてまえ打線で優勝してきた近鉄だったため、打高投低の日本シリーズだったと言われる。
- 同じ打高投低で日本一になった1985年の阪神を思い出した関西人が少なからずいただろう。特に両球団の掛け持ちファン。
- オリックスとの合併は最低でも少し遅れただろう。
- 中村紀洋が近鉄時代に日本シリーズMVPを獲得していたかも。
- 外野手出身監督の日本一は2010年の西村監督まで待たないといけなかった。
- レギュラーシーズン1位を加えると2011年の秋山監督になる。
2003年
- もし王シュレット事件がなかったら
この事件により、テレビ西日本は、同年の日本シリーズの中継の放送権を獲得することができなかったという。もしこの事件がなかったら…
- テレビ西日本が同年の日本シリーズの中継の放映権を獲得していた。
- ゲスト解説者として、西本幸雄氏が招かれていた。
- 阪神が日本一になっていたら
2003年の日本シリーズは阪神vsダイエー(現ソフトバンク)の対決でしたが、第7戦までもつれこんだ挙句、結局ダイエーが日本一になりました。もしこの時阪神が日本一になっていたら・・・
- 18年ぶりのリーグ優勝に加え日本一とあって、大阪の街の盛り上がりは半端ではなかった。
- 場合によっては1985年以上になっていたと思われる。
- 「39年前のリベンジを果たした」とも言われていた。
- 星野仙一氏は2004年以降も阪神監督を続投していた。
- シリーズ前に勇退を決めていたからそれはない。
- 2005年の日本シリーズはもっとまともな戦いをしていた。
- 少なくともロッテと互角に戦えていた。
- 33-4はなかった。
- さらに2008年もリーグ優勝できていた可能性がある。
- 2011年のホークス日本一は12年ぶりということになっていた。
- ABC・KBCの鷹虎対決の罰ゲームで、KBCスタッフが阪神の法被を着て、「六甲おろし」を合唱していた。
- 2014年の日本シリーズの結果が史実通りだった場合、「11年前のリベンジを果たした」と言われていた。
- 広島は現存する12球団で唯一、平成時代に日本一を経験できずに終わっていた。
- 近鉄VS阪神だったら
- 大阪および関西一円大盛り上がり。
- 近鉄の合併or身売りも遅れていた。
- 阪神なんば線開通時には、現実以上にこのバファローズ×タイガースが引き合いに出された。
- 近鉄主催ゲームは大阪ドームで開催されていたので、「阪神なんば線がもっと早く開業できていたら…」と言う人もいただろう。
2004年
- 中日が日本一になっていたら
- 50年ぶりに中日が日本一になったので、名古屋の街の盛り上がりは半端ではなかった。
- 西武の2008年の日本一は16年ぶりということになっていた。
2005年
阪神が一勝でもしていたら
- なんJ民や阪神ファンが334と言う数字に反応する事はなかった。
- 日本シリーズの総得失点差記録は未だに29-9である。
- 福井県が日本シリーズ中継無しになることは無かった。
阪神とロッテの得点が逆だったら
- 阪神が日本一になった場合
- この場合も33-4はそれほど浸透しなかった。
- 2010年の日本シリーズではこの時の映像が史実の阪神同様何度も流されるだろうが、史実の2009年の阪神と異なりここで日本一になる為。
- 「5年前の大量失点の屈辱をバネにして下剋上を成し遂げた」と言われ、これ以降はほとんど使われなくなった可能性大。
- 33-4ではなく、4-33として浸透していた。
- 勝利チームの得点数からコールするから「33-4」では。もちろん史実とは正反対の意味だが。
- 2010年の日本シリーズではこの時の映像が史実の阪神同様何度も流されるだろうが、史実の2009年の阪神と異なりここで日本一になる為。
- 逆に阪神にとっては最も誇るべき日本一になっていた。
- 上記の通り33-4がネット上に浸透しなかったとしても、阪神ファンだけは何かしらの標語として史実とは180度異なる意味で浸透していた。
- もちろん阪神ファンの誇りである。
- 上記の通り33-4がネット上に浸透しなかったとしても、阪神ファンだけは何かしらの標語として史実とは180度異なる意味で浸透していた。
- ロッテが日本一になった場合
- 第1戦は33-0で阪神大勝利。しかし翌日から4戦連続0-1で負け続け、終わってみれば1勝4敗。
- 第1戦だけではなくても、3試合合計33-0、残りの4試合で0-1のパターンもあり。
- 第1戦は33-0で阪神大勝利。しかし翌日から4戦連続0-1で負け続け、終わってみれば1勝4敗。
- 別の意味で33-4が浸透していた。
- 「ぬか喜び」「1戦目で大量得点は死亡フラグ」と言った意味に落ち着いていた?
- 間違いなく阪神ファンの怒りと絶望は史実以上になっていただろう。
- 日本シリーズの総得失点差記録は、29-9=+20 と 4-33=-29 の2つが併記される。
スコアがそのままで阪神が日本一になっていたら?
- 上記のパターンのように初戦でロッテが33点取って阪神を圧勝するも、残り4試合で0-1で阪神が4連勝していたことになる。
- ロッテファンにとってはあまりにも残酷すぎる日本シリーズとなっていた。
- 阪神ファンにとっては素直に喜べない状況になっていた。
- 33-4は史実よりはネタにされていなかった。
別の合計スコアだったら
- 33-3
- 33-4が33-3になる以外は史実とほとんど同じになるが、いろんな場面で目にする機会が33-4より遥かに増える。
- 東京タワーも「な阪関」の対象に。
- 東京タワーが阪神ファンにとってのトラウマになる。
- chakuwikiの東京タワーの項目の内容も増える。
- 2012年に東京スカイツリーが開業すると「33-3」とともに「63-4」が使われるようになる。
- なんJの日は4月2日になる。
- 一方で合計スコア33-3で負けるという可能性はないため、上記の「阪神とロッテの得点が逆だったら→阪神が日本一になった場合」と「スコアがそのままで阪神が日本一になっていたら?」がなかった。
- 33-1
- 阪神が1試合だけ1-0で勝利し、残り4試合は大量失点完封負けというパターンがありうる。
- 唯一の勝利をもたらした阪神の勝利投手が称えられる。
- 33-0
- 日本シリーズ史上初の4試合連続完封負けで史実以上に阪神の黒歴史になっていた。
- 史実以上にネタにされる。
- なんJの日は3月30日になる。
- 26-0
- 日本シリーズ史上初の4試合連続無得点で4タテは上記と同じ。
- しかし楽天の開幕2戦目と同じになるためそれほどネタにされなかった。
2007年
第5戦で…
2007年日本シリーズ中日VS日本ハムの第5戦(中日の3勝1敗)、8回でパーフェクトだった山井大介を中日落合監督は岩瀬仁紀に代え、結局1-0で中日が勝って日本一を決め、また継投による完全試合を達成しましたが、さまざまな意見がメディア・インターネットで飛び交いました。もしあのとき・・・。
- 山井を続投させていたら
- そのまま3人で終えていれば
- メディアから賞賛の嵐だった。少なくとももっと盛り上がっていた。
- 和製ドン・ラーセンと呼ばれていた。
- メディアから賞賛の嵐だった。少なくとももっと盛り上がっていた。
- ノーヒットノーランだったら
- 賞賛こそすれ、批判の声はない。
- エラーの場合は批判がエラーした選手に集中する。
- それが森野だったら前年9月16日の二の舞と言われる。
- ヒットでランナーを出してしまったものの完封したら
- 「あんな重圧があったのに、どうして岩瀬に替えて完全継投にしなかったのか」という声が出ていたかもしれない。
- またランナーが出た場面で岩瀬がすぐさま登場していた可能性が。
- 53年ぶり日本一の喜びにかき消され、「あー残念だったね」で済んでいた。中日ファン以外の記憶からはいずれ消える。
- 「あんな重圧があったのに、どうして岩瀬に替えて完全継投にしなかったのか」という声が出ていたかもしれない。
- 打ち込まれ同点、あるいは逆転されていたら
- 落合は今よりさらに叩かれた。
- 流れが変わり、中日が日本一を逃してた可能性も。
- この場合「どうしてあそこで岩瀬に替えなかったんだ」という意見が続出。
- 落合は今よりさらに叩かれた。
- 岩瀬が登板し打ち込まれていたなら
- 当然、落合はめちゃくちゃ叩かれていた。
- これが尾を引き日本ハムが二年連続の日本一に輝いていた。
- 地上波ではテレ東オンリーだったので、第6戦以降も続いていたら地上波でテレ東の映らない地方でも胴上げが見られた。
- ただし第6・7戦はいずれもテレ朝だったので、BS持っててもリアルタイムで胴上げを見られない地域が出ていた。
- そのショックから2007年シーズンオフに引退を表明?
- メジャーに挑戦。
- ランナーを許しながら抑えきって中日が勝っていた場合でも、落合への批判は史実よりいくらか大きかっただろう。
2008年
- 中日VS日本ハムになっていたら
- 史上初の3位同士の日本シリーズとなっていた。
- いずれにせよ中日が出てきたら「巨人と阪神の優勝争いは何だったんだ」という意見が各地で出ていたであろう。
- 中日は今よりも「KY球団」と言われた
- クライマックスシリーズ自体が廃止されていた可能性もある。
- 関東人にも関西人にも相手にされない。史上最低の視聴率も更新。
2010年代
2010年
- 巨人VSロッテになっていたら
- 史上初の3位同士の日本シリーズとなっていた。
- 「下剋上シリーズ」として注目を集める。
- 全試合全国中継されていた。
- ちなみにこの年は、1・2戦が名古屋ローカルのみの中継だった。
- クライマックスシリーズ自体の廃止が検討される。
- 勝率による出場制限かアドバンテージの強化は最低でもやったかもしれない。
- 巨人が日本一になった場合尚更。
- アンチ巨人から「CSなんてインチキだ」「そこまでして日本シリーズ出たいのか、巨人」などという声が絶えなかった。
- ロッテ日本一の場合、「巨人はロッテより弱い」があちこちで話題になる。
- 特に2ちゃんねるとか。
- マスコミは加藤にコメントを求めに行ったかもしれない。
- 加藤氏本人もあの発言をネタにしているので笑って見ていたかも。
- 2010年以前も含め交流戦でロッテが巨人に勝ち越す年があり、事実となっているので尚更ネタにされる。
- 北海道日本ハムファイターズが出場していたら
- 実史のマリーンズと同じ展開を歩んでいたら、やっぱり「下剋上」として注目を集める。
2011年
- 中日が日本一になっていたら
- 「落合中日 有終の美」といった具合にファンやマスコミは盛り上がっていた。
- 酒井球団社長は史実以上にバッシングを受けていた。
- 落合さんは2012年に阪神かDeNAか日本ハムの監督に就任していたかもしれない。
- 日本ハムはシリーズ前に栗山監督就任が決まっていたのでありえないはず。
- 史実通り第7戦までもつれていたら、最も貧打だった日本一の球団と呼ばれた。
- 第6戦までの結果が史実通りだったら、それこそ本物の「外弁慶シリーズ」になっていた。
- 「12年前のリベンジを果たした」とも言われていた。
- ペナントレースで大逆転優勝した球団は日本シリーズで優勝できないジンクスはこの時点で崩れていた。
2012年
- 第5戦で多田野が危険球退場になっていなかったら
- 試合展開が史実よりも日本ハム優位に動いていた。
- 結果的に巨人が勝利しても、2-10なんていう大差にはならなかった。
- シリーズも第7戦までもつれていたかもしれない。
- 場合によっては2003年以来9年ぶり2回目となる、完全内弁慶シリーズになっていた可能性がある。
2013年
- 最終戦の最終回に登板した田中将大が打たれて楽天が敗れていたら
- 前日160球完投した田中を連投させた星野采配に批判が集中していたことは間違いない。
- 田中投手はメジャーに行かず、2014年も楽天に在籍していたかもしれない。
- 後に大谷翔平が日本シリーズで負けても、「無敵の田中も日本シリーズでは打たれたしな」程度の話で終わっていた。
- 森、杉永両審判が判定を取らなかったら
- 巨人が2戦目にマーを打って日本一になっていた可能性が・・・微レ存
- 巨人が日本一になっていたら
- 楽天の本拠地東北地方も含め、現実ほどの盛り上がりはなかった。
- 「また巨人が優勝したか・・・」で終わっていた。
- 翌日の新聞朝刊の1面トップで大々的に取り上げられることもなかった。
- アンチ巨人が三日三晩ツイッターで騒いでいた。
- 読売新聞以外は「楽天の新たな戦いがここからはじまる」などと、いつか楽天が日本一になる事を願うような文書を添えていたかもしれない。
- 原監督が川上元監督について言及していた。
- 巨人にとっては川上氏に捧げる日本一ということで盛り上がっていた。
- どっちみち楽天は翌シーズン失速し、星野監督も辞任したかも。
- 途中までの展開が史実通りか否かで新聞の見出しが大幅に変わる。
- 大量リードで楽天を引き離していた場合はそもそも田中の出る幕が無かった。
- 星野監督は現役選手時代も含め、一度も日本一を経験できずに生涯を終えていた。
- 巨人は唯一日本シリーズで球団消滅した近鉄も含めたパリーグ7球団全てに勝利したことになっていた。
- 一方で楽天は現存するパ・リーグ6球団で唯一、平成時代に1度も日本一を経験しなかったことになっていた。
2014年
- 阪神が日本一になっていたら
- 29年ぶりに阪神が日本一になったので、大阪の町の盛り上がりは半端ではなかった。
- 同時に2003年の雪辱を11年ぶりに果たしたことにもなっていた。
- 対ホークスでいえば「三度目の正直」となっていた。
- 史実通りオリックスがCS敗退した場合、オリックスファンは納得いかない。
- 在阪マスコミからはソフトバンクとの優勝争いはなかった扱いにされていた。
- 同時に2003年の雪辱を11年ぶりに果たしたことにもなっていた。
- 阪神にとっては球団史上初めて「リーグ優勝せずに日本一になった」ことになっていた。
- その分リーグ優勝もした時と比べると喜びは少なくなり、ファンも複雑な気分になったかも。
- 次の目標は「リーグ優勝→日本一」という完全日本一になっていただろう。
- 同様の実績の中日は馬鹿にされていない。
- その分リーグ優勝もした時と比べると喜びは少なくなり、ファンも複雑な気分になったかも。
- 親会社の阪神電鉄は日本一を記念したらくやんカードを発売したり、車両にヘッドマークをつけたりしていた。
- CSファイナルステージで巨人を4タテした上での日本一だったので、「一体何が起こったんだ?」「史上最大級の下剋上」と言われていたかも。
- レギュラーシーズン後半の阪神は勢いが今ひとつだったので。
- 1位巨人とのゲーム差も7ゲームあったため。
- 逆にリーグ優勝した巨人の落胆ぶりは半端ではなかっただろう。
- CSの見直しなども検討されるようになるかも。
- 西岡の守備妨害はなく、後々ネタにされることはなかった。
- それでも今成はファン感謝祭で西岡のモノマネをした。もちろん他のネタで。
- 西岡は翌2015年も現実より活躍できたかも。
- もちろん和田監督ももう少し長く監督を続けられていた。
- 2018年まで和田監督が続投し、且つ同年の成績が史実通りのリーグ最下位だったら2019年の阪神監督が金本だったかもしれない。
- 同年の「今年の漢字」は2003年以来2度目の「虎」になっていたかもしれない。
- 平成の間に限れば、「クライマックスシリーズ開始後、FIFAワールドカップの年の日本一は下剋上チーム」ということになっていた。
- また、広島は現存する12球団で唯一、平成時代に日本一を経験できずに終わっていた。
- あべのハルカス開業、春・夏両方の高校野球で関西勢(龍谷大平安・大阪桐蔭)が優勝、Jリーグもガンバ大阪が優勝と、この年はまさに大阪・関西の年だったと言われていた。
- カーネルサンダースが発掘されて以来初のシリーズだったため、「呪いが解けた」と話題になった。
- 阪神VSオリックスになっていたら
- 史上初の優勝球団のいない日本シリーズになっていたが、日ハムと違ってオリックスがレギュラーシーズンで最後まで優勝争いをしていたことを考えるとそこまで疑問視される事は無さそう。
- MLBも双方がワイルドカードから勝ち抜いた上でのワールドシリーズだったので、日米ともに優勝球団の立場が無い状態になっていた。
- ただ、オリックスが日本一になっていた場合は「最後のソフトバンク戦で勝っていれば…」と言う声もファンから上がっていたかもしれない。
- オリックスがリーグ優勝した上で出場していた場合は史実と変わらない。
- 「幻の阪神VS阪急が遂に実現した」と言われる。
- マスコミは盛んに「関西ダービー」という言葉を使っていた。
- 元近鉄のバファローズファンからは「幻の「阪神VS近鉄」の“大阪決戦”が実現した」と言われる。
- 阪神があそこまで叩きのめされることは無かっただろうが、それでも日本一になれるかは分からない。強いて言えば五分五分?
- 仮にオリックスが日本一になったとしても同じ関西なので阪神ファンもそれほど落胆しなかったかも。
- 金子千尋がメジャー行きを明言していたかもしれない。
- 金子がこのシーズンオフにFA宣言することはなかった。
- 日本シリーズが開催される球場がどちらも阪神沿線にあったことから、シリーズ観戦客の輸送で阪神電鉄は大いに儲けていた。
- お互いの本拠地が近く「日本のサブウェイシリーズ」であることを交流戦以上に話題になる。
- 1964年以来50年ぶりの関西球団同士の日本シリーズになっていた。
- 交流戦同様、京セラドームに阪神ファンが大量に押しかけ全試合阪神のホームのような雰囲気になる。
- それでも2014シーズンの人気上昇を後押しに、オリックスファンもある程度を占めている……はず。
- 判官贔屓でオリックス側についてくれる他球団ファンもいたことだろう。
- それでも2014シーズンの人気上昇を後押しに、オリックスファンもある程度を占めている……はず。
- お互いこの6年前に僅差で優勝を逃しCSのファーストステージで敗退していたので、「6年越しの関西決戦が実現した」と喜ぶ声が多かっただろう。
- 史実で甲子園の4試合は在阪4局が1試合ずつ分けて地上波放映権を獲得したが、京セラドームの3試合はカンテレ(阪急時代からのつながり)、MBS(合併前の旧オリックス時代からのつながり)、ABC(合併前の近鉄時代からのつながり)が放映権を獲得していただろうから、1試合のみのytvも含め4局があらゆる大阪発の生ワイド番組において中立応援でシリーズを盛り上げていたかも。
- どこが優勝しようが、平成の間に限れば、「クライマックスシリーズ開始後、FIFAワールドカップの年の日本一は下剋上チーム」ということになっていた。
- 「西岡の守備妨害でソフトバンク日本一」が甲子園で起きていたら
- 甲子園球場はえげつないことになっていた。
- 虎党の割合が高い分、ヤフオクドームをはるかに上回る量のゴミやメガホンが投げ入れられた。
- 1973年の最終戦以上に球場は大荒れして、秋山監督の胴上げは中止になっていた可能性もある。
- 下手すれば日本シリーズ優勝時のビールかけも中止になっていたかもしれない。
- 特にこれが3勝3敗の第7戦で起きていたら、現地観戦していない虎党も怒りと落胆ぶりは半端ではなかっただろう。
- その日の一晩中、Twitterで阪神ファンがボヤき続けたに違いない。
2015年
- ヤクルトVSソフトバンクではなかったら
- 「トリプルスリー」が流行語大賞に選ばれることはなかった。
- 両リーグからの達成は珍事なので結局なっていた。
- シーズンの状況から見るに、ヤクルトだけが出場を逃していた可能性が高い。
- 一方でソフトバンクが出場を逃していた場合は「いつもの秋の風物詩か」と笑われていた。
- 李大浩がメジャー挑戦を宣言したかどうか怪しい。
2016年
- 広島が日本一になっていたら
- ≒5戦目と6戦目に満塁HRを打たれていなかったらである。
- 西川のグラスラを防いでいたら、そのまま勢いに乗って6戦目で優勝していたかもしれない。
- 黒田の胴上げが成される一方で、武田勝の胴上げは行われなかった。
- テレビ新広島が再び黒田引退記念特番を放送していたかもしれない。
- 流行語大賞に「神ってる」が選ばれても特に文句は上がらなかったはず。
- その一方で「今年の漢字」に「鯉」や「赤」が選ばれていたかも。
- 「赤」に関してはカープ以外にも真田丸などもあった。
- 選ばれなくても上位に食い込んでいた可能性もある。
- その一方で「今年の漢字」に「鯉」や「赤」が選ばれていたかも。
- その場合、阪神は現存する12球団で唯一、平成時代に日本一を経験できずに終わっていた。
- ペナントレースで大逆転優勝した球団は日本シリーズで優勝できないジンクスは今でも続いていた(この年の日本ハムは首位ソフトバンクとの最大ゲーム差11.5をひっくり返してリーグ優勝したため)。
- 7戦目までもつれていたら
- 日ハム選手陣が「6戦目を落としていたら勢いに呑まれていた」とスポーツ雑誌に書いていたので、おそらく広島に分がある。
- 2003年以来の完璧な内弁慶シリーズになっていた。
- 仮に6戦目の先発に大谷を出していたら…。
- 恐らく第6戦の後に「第7戦で翔平と黒田の対戦が見られるのは嬉しい」とコメントするであろう栗山への「お前が大谷VS黒田見たさに第6戦勝てた結果がこれだよ」とバッシングが凄まじいものになっていた。
- 訂正します。「お前が大谷VS黒田見たさに第6戦勝てたのに捨てた結果がこれだよ」との、です
- 今村とジャクソンが7戦目も連投していたに違いないが、6戦目の時点で相当疲労が溜まっていたので広島が勝つにしても相当な僅差になっていたかもしれない。
- 西川のサヨナラ満塁HRで日本一が決まっていたら
- 必然的に広島球場で1勝する必要があるので、大谷か増井が白星を挙げているのが前提条件になる。
- 前者なら「やっぱり大谷は凄い」、後者なら「大谷がいなくても日ハムは強い」の一辺倒だっただろう。
- MVPはレアードではなく西川になっていたが、史実通りバースを推す意見もファンの中からは少なからず出ていた。
- スポーツ雑誌で北川博敏と西川の対談が組まれていたかもしれない。
- 大谷VS黒田が実現していたら
- 上にある通り、7戦目までもつれ込んでいたらこうなっていた可能性があると言われています。
- 広島・日ハムファン以外も注目の名カードとして語り継がれる事になった。
- 両選手の継投パターンを考えると、黒田の方が先に降板していたと思われる。
- 大谷が最後の投手戦相手となる一方で、最後の打者は異なっていただろう。
- 翌日のスポーツ新聞は大見開きを使ってこれを取り上げていた。
- 日本一になった方が1面、負けた方が最終面になるが、いずれにせよ大谷と黒田の投球写真が対峙する構成になっていたのは間違いない。
- 第6戦で実現していた場合、史実通りの結果なら今村とジャクソンを6連投させたことが史実以上に疑問視されていた。
- 日本ハムがレギュラーシーズン2位以下からの出場で日本一になっていたら
- 2010年以来6年ぶりの下克上日本一となっていた。
- 特にソフトバンクが2位と10ゲーム差以上離したまま楽々リーグV3を決めたうえで日本ハムが日本一だったら、ソフトバンクファン&広島ファンの嘆きは史実以上だった。
- その場合、「史上最大の下克上」は2016年の日本ハムになっていた(特にレギュラーシーズン3位だった場合)。
- 特にソフトバンクが2位と10ゲーム差以上離したまま楽々リーグV3を決めたうえで日本ハムが日本一だったら、ソフトバンクファン&広島ファンの嘆きは史実以上だった。
- 日本ハム日本一決定翌日のスポーツ新聞は『「神ってる」は日本ハムのためにあった言葉』という見出しが出た可能性もある。
- 1試合でもテレビ東京系列で中継が行われていたら
- 広島では在広4局のうちいずれかが広島ローカルで放送していた。
- ソフトバンクvs広島になっていたら
- 2018年のカードが2年早く実現していた。
- ソフトバンクが日本一になっていた場合、2年早く2位からの下克上を達成した事になる。
- 第6戦でバースのタイムリーヒットの時にもう一人生還していたら
- 直後のレアードの満塁弾は良くて3ランとなり、もしかしたらバースがMVPであったかも知れない。
2017年
- DeNAVS楽天になっていたら
- 史上初の3位同士の日本シリーズとなっていた。
- 「下剋上シリーズ」として注目を集める。
- 広島・ソフトバンクとも独走でリーグ優勝したため、史実以上にCSの在り方が問われていた。
- 史上初の「ITシリーズ」となるので話題になった。
- DeNAが日本一になっていたら
- セ初、両リーグで見てもロッテ以来の3位からの下剋上、数年前に最下位常連だったチームの日本シリーズ制覇、と話題は尽きなかった。
- 「史上最大の下克上」か、枕詞を上級のもの(「奇跡の下克上」とか)に変えた物がこのシリーズの別名として呼ばれていた。
- この年のFOR REALは2012年からの総集編となっていたかもしれない。
- サブタイトルも「暗黒から日本一にのし上がるまで」みたいな感じになっていた。
- 最後の打者が内川だった場合「見返してやった」「ラスボス攻略」と揶揄されていただろう。
- 完全内弁慶シリーズになっていたら
史実では第3戦を除きホームチームが全て勝ちましたが、もし全試合ホームチームが勝利していたら?
- DeNAはあと一歩で日本一まで迫る事になったため大盛り上がりだっただろう。
- 14年前とまったく同じケースなので阪神ファンは複雑な気持ちになったかもしれない。
- 「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで」で浜田雅功または松本人志が罰ゲームでウラジオストクまで行かされていたかもしれない。
2018年
- 西武VS広島になっていたら
- 1991年以来の顔合わせとなっていた。
- 1位同士の日本シリーズとなっていた。
- 西武ドームでの試合の放映権は、テレビ朝日、TBSテレビが獲得していた。また、それと並行して、テレビ埼玉が独自に第3戦から第5戦までを放映していた。
- 「リーガルV」の放送中止やフィギュアGPシリーズの長時間延期は史実通りだっただろう。
- 広島の34年ぶりの日本一を決めることができたかも。
- そうなっていた場合、同時に1991年の雪辱を27年ぶりに果たしたことにもなっていた。
- 対西武でいえば「三度目の正直」となっていた。
- 一方で阪神は現存する12球団で唯一、平成時代に日本一を経験できずに終わっていた。
- ライオンズは唯一セリーグ6球団全てに日本シリーズで敗北したチームになっていた(中日は西鉄時代の1954年に勝利している)。
- そうなっていた場合、同時に1991年の雪辱を27年ぶりに果たしたことにもなっていた。
- 「山賊打線」が現実以上に話題になっていた。
- 佐賀県出身の監督同士の争いになっていた。
- 西武日本一の場合、昭和・平成2元号続けて当該元号最後の日本一は西武ということになっていた。
- またその場合、「菊池、2009年選抜のリベンジ果たす」という見出しが新聞に載っていたかもしれない。
- 巨人vsソフトバンクになっていたら
- セ・リーグ3位とパ・リーグ2位チームの対決となり、両リーグとも1位が出ない日本シリーズとなっていた。
- 特に巨人は史上初めてシーズン負け越しから日本シリーズ出場になっていた。
- 高橋監督は成績不振での辞任が決定していたが、今更撤回というわけにはいかなかっただろう。下手したら上層部の責任問題にも発展していた。
- そのため、CSの在り方が問われるようになっていた。
- 特に巨人は史上初めてシーズン負け越しから日本シリーズ出場になっていた。
- 現実の巨人の戦力を見ていたら、ソフトバンクの4勝0敗であっさりと日本一になっていただろう。
- そうなっていた場合、日本シリーズでホークスが巨人に勝利したのは1959年以来59年ぶりという事になっていた。
- 同時に2000年の雪辱を18年ぶりに果たしたことにもなっていた。
- 翌年の結果も同じだった場合、史実以上にネット上で巨人が叩かれていた。
- ドラフトの完全ウェーバー化や現役ドラフトの導入が真剣に考えられていた。
- そうなっていた場合、日本シリーズでホークスが巨人に勝利したのは1959年以来59年ぶりという事になっていた。
- テレビの放映権は東京ドームでの巨人主催試合に関しては日テレが獲得していただろう。
- 逆に福岡ドームでのソフトバンク主催試合に関しては日テレ以外となっていた。
- そのため、水曜22時台のドラマ「獣になれない私たち」第4話の放送時間繰り下げはなく、視聴率も現実より高かっただろう。
- 一方で木曜21時台にテレビ朝日系で放送されている「リーガルV」第4話に関してはシリーズ第5戦以降の試合がありなおかつ同日の中継局が現実通りだった場合史実通りだろう。
- そのため、水曜22時台のドラマ「獣になれない私たち」第4話の放送時間繰り下げはなく、視聴率も現実より高かっただろう。
- 逆に福岡ドームでのソフトバンク主催試合に関しては日テレ以外となっていた。
- 「ON対決」以来18年ぶりの組み合わせとなっていたこともあり、王会長と長嶋終身名誉監督が応援に駆けつけたかもしれない。
- 巨人日本一の場合、平成の日本シリーズは巨人日本一で始まって巨人日本一で終わったことになっていた。
- 西武対巨人になっていたら
- 10年ぶりの対決となっていた。
- 巨人と西武という日本シリーズ出場回数上位同士の対決ということで盛り上がっていた。
- 巨人主催試合は日本テレビ、西武主催試合はテレ朝が放映権を得ていた。
- 広島が日本一になっていたら
- 34年ぶりの日本一とあって、広島の街の盛り上がりは半端ではなかった。
- 2013年の楽天のように「西日本豪雨の被災地に日本一を届けた」と絶賛されていた。
- 実際にそうなっていた場合、阪神は現存する12球団で唯一、平成時代に日本一を経験できずに終わっていた。
- 丸が巨人へFA移籍することはなく、2019年も広島でプレーしていた可能性もある。
- いや、日本一達成したらそれこそ広島でやり残したことはなくなるだろうからいずれ巨人かロッテに移籍していただろう。
- 新井貴浩は日本一という最高の形で有終の美を飾っていた。
- さらに、新井にとっては阪神時代を含め三度目の正直となった。
2019年
- 巨人vs西武になっていたら
- 2008年以来11年ぶりの顔合わせとなっていた。
- 巨人と西武という日本シリーズ出場回数上位同士の対決ということで盛り上がっていた。
- 阪神vsソフトバンクになっていたら
- セ・リーグ3位とパ・リーグ2位チームの対決となり、両リーグとも1位チームが出場していない初の日本シリーズとなっていた。
- 史実通りソフトバンクが4勝0敗であっさりと日本一になっていた場合、阪神ファンの間では2005年と同様に同年の日本シリーズはなかったことにされていた。
関連項目
- もし日本プロ野球であの球団が優勝していたら/セ・リーグ
- もし日本プロ野球であの球団が優勝していたら/パ・リーグ
- もしあの年のプロ野球プレーオフ・クライマックスシリーズで○○だったら/セ・リーグ
- もしあの年のプロ野球プレーオフ・クライマックスシリーズで○○だったら/パ・リーグ
- 日本シリーズに出場する球団が異なっていた場合はこれらのページも参照。