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==鉄道==
==声優になっていなかったら==
#地方の赤字ローカル線が普通に運行している。
===男性声優===
#*北海道は鉄道王国に。
====蒼井翔太====
#*いや、全路線3セクで存続。
#幼い頃からしていたテニスの道に進むか、歌手として成功。
#**高金利の状態が続くので、経営安定基金の運用益による赤字補填も容易になっていた。
#カリオストロは女性声優が演じていたか。
#*本州三社はもちろん、JR九州・四国・北海道・貨物も完全民営化を達成。
#ポプテピピック最終回の顔出し出演もなく、話題が減っていた。
#**東証一部上場もとっくに達成。
#***JR北海道とJR四国の赤字はとっくに解消されていた。もちろん新幹線効果で黒字化されていただろう。
#*現実以上に車社会になって、地方の路線は壊滅していそうな気もする。
#**でもって不動産開発してなんとか生き延びている。
#*JRが存在せず、[[もし日本国有鉄道が存続していたら|J'''N'''R]]だった可能性は?
#**バブル真っ只中の1987年に国鉄民営化が行われたから無いと思う。まあ、それでもJRの状況が史実より良くなっていた事は変わらないが。
#***まあ、それでもJR東日本とJR東海の態度がもう少し優しくなっていたかもしれない。それでも女性専用車の対応はどうなっているか分からないが。
#*野上電鉄が廃止に追い込まれることもなかった。
#**新車も予定通り導入されていた。
#**写真撮影も禁止されることもなかった。
#**職員の態度が横柄になることもなかった。
#***利用客はもとより、鉄道ファンに対してももっと謙虚になっていた。
#**野上電鉄が南海貴志川線の経営を引き受けていたかも。
#*そもそも補助金交付が打ち切られることもなかった。栗原電鉄もくりはら田園鉄道に転換されることもなかった。
#*南部縦貫鉄道も廃止されることなく、新幹線連絡鉄道として存続していた。
#[[紀州鉄道|ここ]]のように、ほとんどの鉄道会社の本業が不動産業になっている。
#四国の都市化が進んだことから紀淡海峡大橋が架けられ、ここに四国新幹線と[[南海電気鉄道]]徳島線が通っている。
#[[京阪中之島線]]と[[阪神なんば線]]は20世紀中に開業、2008年現在JRと南海のなにわ筋線の建設工事が行われている。
#*中之島線は2008年現在、大阪南港を経て神戸空港まで延長され、阪神なんば線とも相互直通運転が行われている。
#全都道府県に路面電車が走っている。
#*そのために大都市ではマイカー規制を行っていた。
#*だけど路面電車の開業により、バスが廃止になっていた可能性がある。特にバスが通っている道路は…。バスよりも路面電車の方が発展していたかもしれない。
#[[北大阪急行電鉄|北大阪急行]]が[[箕面市|箕面]]どころか[[亀岡市|亀岡]]まで延伸されていた。
#*箕面有料道路も亀岡まで開通。
#*亀岡市の人口が30万人を越え、特例市となっていた。
#*北大阪ネオポリスや[[茨木市#茨木台ニュータウン|茨木台]]は巨大ニュータウンとなっていた。もちろん↑の北大阪急行により新大阪や梅田・難波まで電車1本で結ばれる。
#餘部橋梁は1990年代のうちに架け替えられていた。
#*ついでに城崎~鳥取の電化も行われていた。
#大都市圏の鉄道は複々線が当たり前となっている。
#*運休で遅れるなどはあまり無くなる事に。利用者が少なく、田舎な所は複線程度だろう。単線は余程田舎ではなければ見かけられない。
#*もちろん貨物列車の運転も史実以上になっており、貨物列車も在来線並みに新車導入していただろう。貨物列車は食べ物だけではなく、電化製品や玩具なども運ばれており、アマゾンのようなサービスが行われていたかもしれない。
#[[ICカード/交通系|交通系ICカード]]は現実よりも早いペースで普及が進み、2013年現在JR全線で利用可能となっていた。
#*無人駅の多い路線のワンマン列車は車載型ICカードリーダーで対応。
#*大阪~名古屋や東京~静岡など、各社のエリアを跨る利用も可能になっている。
#*私鉄やバスでも利用できる会社が増えていた。
#*ICカードは21世紀を待たずに実現していた。Suicaペンギンは20世紀末から登場しており、PASMOも2001年~2002頃に実現していただろう。
#*ICカードはJR各社別になることはなく、JRグループ統一のものになっていた。
#東武鬼怒川線や箱根登山鉄道小田原-箱根湯本間も20世紀のうちに複線化されていた。
#ニューシャトルは21世紀に入る前に黒字化しており、2000系の導入も1990年後半から行われている。2020系は2004年頃に導入され、現在は3000系が導入されてるだろう。
#*そして現在は内宿駅から延伸しており、鴻巣の免許センターどころか熊谷駅まで伸びている。大宮方面も伸びており、浦和方面・県庁まで延伸していただろう。
#**東北新幹線の見返りで丸山~久喜間も開業している。丸山駅が内宿駅ルートとの分岐点になり、丸山発も出来る。延伸計画ももちろん存在しており、南栗橋駅まで延伸していただろう。
#*伊奈町は合併計画よりも市制を目指しており、90年代後半に市制されていたかもしれない。
#*2020系はLED式の表示器ではなくLCDが設置されていた。しかし、駅案内のみしか無かったかもしれない。3000系にはトレインチャンネルと駅案内が両方設置されるようになった。
#*ニューシャトルのSuica対応は史実より早まり、2001年頃に実現していた。それでも「ニューシャトルSuika」は出なさそうだが。
#*ニューシャトルの発車メロディは大宮駅と鉄道博物館駅の下りホームだけではなく他の駅や鉄道博物館駅の上りホームにも導入されていたはず。鉄道博物館の上りホームは「銀河鉄道999」だが、他の駅は別の発車メロディになっていたと思う。
#*ニューシャトルは大宮駅がややパンクしているので「ニューシャトルはの路線内に落ちると感電する危険がある」ということでホームドア設置されていたかも。
#川越線は日進~川越間を複線化されていた。川越線、埼京線、りんかい線の本数も増えており、どこから運休しても直通運動は継続していただろう。ただ、川越~高麗川間は複線化する構想はあるものの、人口数の関係で出来なさそう。
#*りんかい線はJR路線として開業しており、大宮~新木場間を埼京線と呼ばれていた。なので京葉線直通もとっくに実現出来ていた。駅のアナウンサーも「りんかい線直通」…ではなく「京葉線直通…」になっていた。
#**史実のりんかい線内の運賃はそれほど高くなかった。お台場や東京ビッグサイトに行く客が史実よりも増えていただろう。
#*西大宮駅も21世紀入る前に開業しており、鉄道博物館駅もニューシャトルに影響があるだろうが関係無く2007年に開業していた。
#*南古谷~指扇駅間も新駅が開業しており、駅名は「古谷本郷」になっていた。駅舎は南古谷駅とはまったく違うが橋上駅にはなっていないかもしれない。
#*埼京線や川越線は京浜東北線みたいに5分に一本列車が走っていた。それでも山手線には敵わないし、一方の山手線は1分に一本列車が走っていたかもしれない。ラッシュ時は数秒に一本列車が走っている事に…。
#トレインチャンネルはテレビの番宣は史実よりも流れており、占い関係も出来ていたかもしれない。音も流れていたかもしれない。
#*電車内の紙広告の全廃されていた。
#**E235系の中吊り広告は継続する事は無かった。と思いきやE233系の時点で電車内の紙広告の全廃が検討していたかもしれない。
#***電車内の紙広告どころか、駅内の紙広告も一部廃止されていたかも。一部廃止ということなので地方は廃止されず継続していた。
#**JR西日本の323系東武鉄道の70000系や東京メトロの13000系も電車内の紙広告の全廃されていたかも。
#*トレインチャンネルの番宣はTOKYO MXやフジテレビBS番組だけではなく、NHKや日テレやTBSやテレ朝やテレ東もトレインチャンネル番宣していただろう。
#*トレインチャンネルに経済情報が流れており、もちろんニューヨークダウ平均株価と日経平均株価が表示されていた。
#*京阪特急のLCDにはテレビチューナーも組み込まれており、テレビ番組を放送することも可能。よってテレビカーは廃止ではなく発展解消という形となった。
#**関東の鉄道でもLCDにテレビ番組を流すように改良されていたかもしれない。これによりテレビ離れは問題にならなかった。
#*車内案内アニメーションLCDのJR東日本は冷静になる事は無く埼京線だけではなく横浜線や南武線や山手線にもあったはず。(場合によっては京葉線も)
#*終夜運転がされているため、「のりかえのお客様は、終電の時刻にご注意ください」の表示は無かった。
#*文字ニュースは今でも「日テレNEWS24」が放送されており、場合によっては「ホウドウキョク24」も放送されていただろう。
#*中央線LCDの時点で17インチ・アスペクト比16:9に拡大されていた。よってはE233系のLCDは全て17インチ・アスペクト比16:9に一致していた。
#ゆりかもめはすでに環状線運転をしていたかもしれない。勝どき駅を経由し、新橋駅を通っていたかもしれない。
#埼玉高速鉄道は浦和美園駅で一部開業する事は無く、最初から蓮田駅で全線開業していた。東川口経由ではなく当初の予定通り東浦和駅経由で開業していた可能性も否定出来ない。
#*蓮田駅どころか、羽生駅まで延長する構想が出ている。その場合は、秩父鉄道直通は行われただろうか?
#*埼玉高速鉄道は第三セクターではなく東京メトロ南北線の延伸として開業していた。もちろん蓮田行きと赤羽岩渕行きと別れていたかもしれない。
#湘南新宿ライン、上野東京ラインも21世紀入る前に開業していた。後者は路線名が史実と違っていたかもしれない。湘南上野ライン辺りが有力か?
#*上野東京ラインは常磐線も東海道線直通しており、品川駅で終点駅になる事は無かった。また、横須賀線直通も出来ていたかもしれない。大宮駅や宇都宮駅にも湘南色・スカ色E217系が見かけており、連結車両はE217系も対応している。
#*常磐新宿ラインも実現していたかも。もちろん東海道線と横須賀線直通付き。常磐新宿ラインは常磐線と常磐快速線が通っていただろう。
#長距離の私鉄列車も計画される。[[もしあの都市間を結ぶ大手私鉄があったら#東京~仙台|東武鉄道は東北地方まで結ぶ鉄道]]を計画されたり、[[もしあの鉄道会社が○○に乗り入れていたら#大宮駅|東急は埼玉方面まで延伸する計画]]されたり、[[もし西武鉄道が○○だったら#軽井沢まで開通していたら|西武鉄道は再び軽井沢方面まで延伸計画]]が出来る。秩父鉄道に至っては旧大滝村どころか、山梨県方面まで延びている。
#*東武鉄道に関しては東武東上線を群馬県方面の延伸計画が再び出来ていたかもしれない。流石に新潟までは伸ばさないと思うが。
#**また、神奈川にも東武鉄道が進出していたかもしれない。神奈川県も一部武蔵国なので。路線は東武横浜線辺りか?
#環状線も史実以上に開業しており、上記の通りのゆりかもめや地下鉄丸ノ内線や都営大江戸線辺りが実現出来ていたかもしれない。
#京浜東北線はさらに乗客数が増えて大宮方面や大船方面を延伸計画をするが、大宮方面は車庫の関係で籠原駅までの延長になって、大船方面は平塚駅か小田原駅まで延長していただろう。
#*これにより、東海道線内や高崎線内や宇都宮線内も液晶画面(TIMS)用の情報送信用の地上設備があり、近郊型もLCDが導入されていた。'''たとえ面倒でも。'''
#相模鉄道は20世紀末のうちに相模本線といずみ野線と共に平塚駅まで延伸していただろう。平塚駅は東海道線と京浜東北線と相模鉄道の駅となっており、史実以上に発展していただろう。
#*平塚市は下記の通り新幹線駅も存在しているため、湘南の中心と言えは平塚市になっていた。でも平塚市民は湘南と呼ばれるのは嫌っているため、「西湘と呼べ」と史実以上に言われていたかもしれない。
#*場合によっては東急も平塚駅まで延伸していたかもしれない。東急田園都市線の延伸線で平塚市内の新幹線駅にも出来ており、終点は平塚駅だろう。
#青梅線は当初の予定通り檜原村まで延びていただろう。奥多摩駅よりも檜原駅(仮)の方が知名度が高く奥多摩駅は史実よりやや地味な駅になっていた。檜原村は駅の開業により町制化していた。
#都営三田線も埼玉方面まで延伸しており、東武東上線と乗り入れしていただろう。延長区間は西高島平→新倉→和光市→東上線直通…でもちろん森林公園駅までの直通。ローカル区間の東上線は直通は当然あり得ない。
#西武新宿線は予定通り本川越駅から延伸していただろう
#*候補は鴻巣駅か桶川駅方面まで伸ばしていただろう。前者なら羽生駅まで延伸構想が出来るが、実現は出来ておらず、後者なら久喜駅まで延伸していたかもしれない。
#情報配信サービス「山手線トレインネット」は首都圏全線で行われていた。名前も「トレインネット」になっており、トレインチャンネル並みに発展していた。
#電車が遅れても一部複々線化や予備用線路が出来ており、遅刻してもすぐ平常運転に戻っていた。また、点検になっていても短時間で終わっていた。今では1分~3分で終わっていたかもしれない。
#史実のバブル景気期に計画していたJR・大手私鉄の終夜運転が実現していた。コスト上困難の事を考えると90年代後半か2000年代に実現していたと思われる。
#*恐らく最初は首都圏で行われ、次に関西圏にも行われ、そのうち日本全国で終夜運転が実現していた。但し、少ない人口・単線等などの田舎にある鉄道は流石に終夜運転は行われないだろう。
#*終夜特急というのも誕生していたかもしれない。JR関係や大手私鉄は絶対にやりそうな気がする。
#東武東上線のローカル区間(小川町~寄居間)は本線扱いになっていた。上記に書いてある通り寄居駅から延伸しているため。
#つくばエクスプレスは21世紀入る前に開業していた。目安としては1998年頃。当然当初の予定通りJR(常磐新線)として開業していたかもしれない。駅名も何個かまともだったはず。
#*つくば駅の先も延伸しており、茨城空港を経由し水戸駅まで延びていた。もちろん常磐線直通で後にE521系が導入されていた。
#今頃磁気の切符は廃止され、全てICカードになっていたかもしれない。ただ、地方とか田舎には磁気の切符が継続していたかもしれない。もちろんこの頃にはタッチ式のICカードも廃止され、タッチしなくても通れる改札機が実現していた。
#大間線は実現しており、第二青函トンネルも実現していただろう。ただ、大間~函館に津軽海峡大橋が出来ているため、こちらのルートは大間~井戸になっていたかもしれない。
#沖縄に鉄道が開業しており、JRの管理はJR九州で、私鉄列車は琉球鉄道とゆいレールが開業していた。那覇~名護間の路線は確実にJR九州が運営していた。ひょっとすると国頭もJR九州が運営していたかもしれない。
#*要は[[もし沖縄の鉄道復旧計画が実現していたら|こうなっ]][[勝手に鉄道建設/沖縄|ていた]]地下鉄は不発弾がある可能性があるので建設は厳しい所。
#東武野田線は大宮駅から延伸する計画していた。恐らく経由は鶴綾駅で目的は東武東上線との乗り入れを良くするために延伸していたに違い無い。
#桃花台新交通線(ピーチライナー)は廃止されなかったどころか、逆に高蔵寺駅・岩倉駅まで路線を延ばして都市近郊の交通機関として機能していた。小牧市民も名古屋への移動にはピーチライナーで岩倉駅に出るのが一般的になっていた。
#富士山登山鉄道は普通の鉄道としてとっくに開業しており、静岡側も富士山登山鉄道構想が出来ていて起点は富士駅か御殿場駅になっていた。
#津軽海峡大橋は瀬戸大橋の構造と同じように鉄道部が出来ていた。大間~第二青函トンネル~井戸の普通鉄道は津軽海峡大橋の鉄道部開業よりも早く開業しているので、津軽海峡大橋の鉄道部はモノレールか。
#埼玉県や千葉県にも市営地下鉄が出来ていた。埼玉県の方はもちろん県庁や浦和や大宮などを通っており、千葉県は幕張を中心に通っていたかも。
#羽田空港新線は新宿ルート、東京ルート、新木場ルート同時期に開業していた。また東急の羽田空港の乗り入れ(蒲蒲線)も実現している。
#*羽田空港は神奈川県からのアクセスも出来ており、神奈川県東部方面線が予定通り羽田空港まで延伸していた。
#西武安比奈線はとっくに復活しており、的場駅の延伸どころか坂戸駅か川島町方面まで延伸していた。川島町方面まで延伸していたら延伸した西武新宿線と直通していたかも。
#東京や大阪や名古屋だけではなく愛知県以外の県内にも環状線が出来ていた。神奈川県はグリーンラインどころか、ブルーラインも環状線化していた。また名古屋はJR東海も名古屋駅を中心環状線を開業していた。
#*京都には七条~東大路~北大路~西大路通に環状の地下鉄が開業し、観光の重要な足となっている。
#日暮里・舎人ライナーは六木方面や鳩ヶ谷駅まで延伸していたかもしれない。六木方面が本線として鳩ヶ谷方面は支線かもしれない。
#横浜市営地下鉄はグリーンラインやブルーラインだけではなく、レッドラインやイエローラインやピンクラインなども開業していたかもしれない。横浜市の地下鉄もかなり複雑になっていた。
#JR北海道は安全面がおそろかにならず、事故や不祥事を多発させることは無かった。場合によっては2005年以前のJR西日本もならなかったかもしれない。
#東京湾アクアラインの鉄道部の管理はJR東日本になっていた。ルートは川崎→浮島→風の塔→うみほたる→木更津金田→巖根→木更津になっていたかも。
#江差線は北海道新幹線の開通でや木古内~江差間が廃止される事は無く、江差駅から延伸しており天ノ川駅が本当に開業していたかも。
#湘南新宿ラインは開業当初から浦和駅やさいたま新都心駅が停車駅になっており、川口駅や蕨駅も湘南新宿ラインの停車駅になっていたかも。(もちろん宇都宮線と高崎線も停車している。)
#*また特別快速は恵比寿駅も停車駅になっていただろう。
#*上野東京ラインと湘南新宿ラインの誤乗は無かっただろう。
#LED表示機はフルカラー化されていた。駅内LEDも車内LEDも完全フルカラー化されていた。現在は液晶タイプになっているような気がする。
#[[もしあの駅が開業したら]]や[[もしあの鉄道路線が開業したら]]や[[もしあの鉄道路線が開業していたら]]に書かれている内容のいくつかが実現していたかもしれない。
#*駅は無茶苦茶多くなっており、スピードもそれほど出なくなっているだろう。また、史実では計画されていない駅もこちらの世界で計画されている駅も少なくない。
#山手線のラッシュ時は数秒に一本列車走っているので、ラッシュ時は秒単位も表示されていたかも。まあ、秒単位は流石に大体になりそうだが。
#西武新宿線の西武新宿駅は歌舞伎町駅に改名され、JR新宿駅(新宿東口駅?)まで延伸されていた。
#都営浅草線は予定通り蒲田駅まで延伸していた。西馬込駅で中途半端に終点駅になる事は無く西馬込駅行きも無かった。
#強風で簡単に運休になる事は無く、強風でも普通に平常運転になっている。埼京線や京葉線や武蔵野線は強風になっても遅れる事が無かっただろう。
#発車メロディーは地方の鉄道会社も導入されており、田舎駅は田舎に合った発車メロディになっていただろう。
#ラッピング鉄道は全面広告バスみたいになり、全面的にラッピングされていただろう。もちろん山手線や京浜東北線だけではなく色んな鉄道路線にラッピング鉄道が走っていただろう。
#埼京線みたいに新幹線に並行した高架化する路線が出来ていただろう。東海道新幹線の東京~新横浜~小田原辺りが実現出来そうな気がする。
#少なくとも一部の駅員の態度は悪いという事は無かったはず。あってもそれほど問題にはならなかっただろう。
#[[動労千葉]]は今より落ち着いた物になっていた。千葉支社にもちゃんと新車が導入されていたはず。ストライキは死後になっていた可能性がある。
#秩父鉄道は今でも東武東上線と直通しており、浅草~寄居~秩父~三峰口の特急が今でも運行されていた。
#仙石線は直流運転しているため、E231系かE233系が導入されていたかもしれない。E231系は総武本線ベースになり、E233系なら中央線ベースになっていたかも。'''但し液晶は付かない'''。
#副都心線と有楽町線は東武東上線が延伸しているため、森林公園駅どころか渋川駅まで直通運転していたかもしれない。
#*南北線は蓮田駅から直通運転し、久喜駅か古河駅か小山駅まで乗り入れいた。また、岩槻駅から分岐点になり東武野田線の大宮方面や春日部方面も当初の予定通り直通運転していた。
#東北地方の鉄道は交流運転がメインだったが、徐々に直流運転化されていたかもしれない。関東でも白河行きや郡山行きが見かけるようになり、始発駅黒磯行きが史実以上に増えていた。
#千葉都市モノレールは幕張にも出展。幕張メッセや幕張新都心にも駅が出来る。ビルの近くにモノレールが通る工夫もしていただろう。
#JR東日本とJR東海の関係は史実よりマシな関係になっていた。JR東海はここまで鉄オタに嫌われる事は無かったはず。
#*東武鉄道と西武鉄道や小田急とJR東日本などの関係も史実よりマシになっていた。直通運転も史実以上に行われていた。
#ピギーバック輸送が廃止されることはなかった。
#*トラックが道路上に増えることなく、交通量も幾分緩和されていた。
#JR東海の新快速はJR西日本と同様特別快速と同じ種別として運転しており、130km/h以上の最高運転速度を持っていた。JR東日本にも新快速が運転されていたかもしれない。
#*こちらの世界の新快速の最高運転速度は160km/hとして運転されていたかもしれない。もっともJR西日本の方が実現しそうなイメージがするが。
#神奈中も鉄道部門が出来ていたかもしれない。その場合、相鉄と小田急をライバル目線になっていたか。
#秩父鉄道は現在も東武鉄道とJR東日本直通運転を行っており、秩父にE231系やE233系や50000系が見かけている。
#大島や佐渡島などの島にも鉄道路線が出来ており、車両は主に古くなった車両を使用していただろう。
#女性専用車は存在しなかった。史実ほど女性優遇の世の中になっていないため。あってもそれほど揉める事は無かったかもしれない。
#JR各社は現実ほど新幹線偏重にならず、在来線にも力を入れていた。
#*新幹線と並行する在来線にも新快速みたいな高速列車が運行されていた。
#**播州赤穂~豊橋間直通の新快速も運行されている。
#*在来線特急の車内販売が廃止されることもなかった。
#北海道新幹線開通後も青函トンネル区間に18きっぷで乗る際追加料金を請求されることはなかった。


===新幹線===
====佐藤拓也====
#日本全土に新幹線を敷設(当然北海道新幹線なんかも全線開通)。
佐藤拓也は俳優志望でしたが身長が低過ぎる事を理由に断念しました。ではもし仮に彼の身長が高く俳優デビューしていたら?
#*新幹線は2000年には[[盛岡駅|盛岡]]~[[札幌駅|札幌]]・[[博多駅|博多]]~[[鹿児島中央駅|鹿児島]]・[[高崎駅|高崎]]~[[金沢駅|金沢]]~[[新大阪駅|大阪]]・[[浜松市|浜松]]~[[四国]]内~東九州周り鹿児島が全通している。
#俳優として特撮番組に出演していた。
#*バブルが崩壊しようとも、鹿児島までは開通。
#*恐らくスーパー戦隊シリーズに出演していた。
#**東海道新幹線は東京~新大阪の全線が複々線となり、新大阪駅の容量不足から大阪駅乗り入れが実現する。
#松坂桃李や千葉雄大の仕事を奪っていた。
#***これは中央新幹線になってそうな気がする。
#***東北新幹線の東京~くりこま高原間も複々線していただろう。多分新宿ルートと分けていただろうが。くりこま高原~東京間で運休になっていても片方は一応運転していただろう。
#**[[那覇市|那覇]]まで延長されてたかもしれない。
#***[[韓国]]へも。
#****さらに、中華人民共和国・モンゴル・ロシアの沿海地方のウラジオストク・ハバロフスク・モンゴルを超えてイルクーツク・そしてロシアの各主要都市を通じてモスクワまで延長される。
#*****例えば、非常に住宅地地価が安く、建物価格も安いロシアで巨大な庭付きの邸宅に住んで、地価が高騰している日本の大都市(平日は、日本の大都市でカプセルホテルに泊まる・休日はロシアに住む)に通勤する者も登場!!!
#*計画のみに終わった「個室ひかり」「スーパーひかり」などが実現している。
#*阪急・近鉄といった私鉄も東京~大阪間に新幹線を建設している。
#*並行在来線問題は浮上せず、そのままJRが経営している。
#**碓氷峠を挟む信越本線の横川~軽井沢間は廃止されず、軽井沢への観光鉄道として新幹線開業前より盛況を見せている。
#***しかも、日本で唯一の客車普通列車となっている。
#****リニアモーター駆動となっている。
#***この1駅区間だけでも金を払う価値があると思っている人は多いだろうから、分社化して極端に値上げしても許される…はず。
#*長野新幹線以後に開通した新幹線についても最高速度300km/h以上で走行できる設計となっていた。
#**東京~新青森間では最速列車で3時間を切っていた。
#**現在は騒音対策で新幹線を少し小型し、最高速度400km/h以上で走行できるようになっていたかもしれない。東海道新幹線はカーブ問題があり、実現は難しいがそれでも最高速度は史実より早くなっていただろう。
#世界で初めてリニアモーターカーを実用化。リニア新幹線の工事も着々と進んでいる。
#*現実に東京五輪が開催される2020年には東京~大阪間が開業し、さらに博多までの延伸が計画される。
#**東京-名古屋間は2003年10月に先行開業していた。名阪間は京都と奈良で駅誘致をめぐる対立もあって着工が遅れ、結局2020年3月の開業となる。
#**もしかすると東北地方までの延伸も計画され、リニアは博多から新青森まで結ばれていたかもしれない。これにより東北地方も経済的に良くなり仙台は福岡のような大都市になり、青森はベイエリアとして大発展していたかもしれない。
#**リニアは最高速度は800km/hになっており、東京~大阪間が一時間切るようになる。もちろんこの速度だとのぞみタイプになりそうだが。
#*リニア開通でのぞみが廃止される事はまずあり得ない。リニアは通勤向けの新幹線で、新幹線ののぞみはゆったり乗る方で観光に行くタイプになっていたかもしれない。
#今でも新幹線は2階建てで、食堂車や個室グリーン車がある。
#*食堂車に大手ファーストフードが出店している。
#**食堂車はレストラン並みに大発展していたかもしれない。グランクラス向けに高級料理も出来ていたかもしれない。
#*東海道新幹線でもグランクラスが導入されていた。
#**むしろグリーン個室が東北・東海道共に存続した。もちろん北陸新幹線にも。
#*在来線も含め車内販売が衰退することはなかった。
#**特急列車のほとんどに車内販売があり、車内限定グッズなども盛んに販売されている。
#*東海道・山陽ブルートレインの食堂車も廃止されることなく存続し、列車の廃止・減便も行われなかった。さらに東京-博多間の「あさかぜ1・4号」にはA寝台5両やラウンジカーを連結したオール個室寝台の豪華寝台列車が新製で投入され、列車名も「ななつ星」と改称されていた。
#**東京-下関間の「あさかぜ」や関西-九州のブルートレインは電車化・全個室化されて存続していた。
#*JR東海は新幹線至上主義に走ることはなく、新幹線車両はある程度統一されたものになることもなかった。
#**在来線のイベント列車ですら一般車両を使うこともなく、質素なものになることもなかった。
#*あまりも新幹線の利用者が増えてしまい、三階建ての新幹線が構想されていたかもしれない。ただ、トンネル問題があり実現するかは微妙な所だが…。
#[[九州新幹線]]鹿児島ルートは2004年に全線開通し、2011年には長崎ルートも開通していた。[[東北新幹線]]も2002年に新青森まで伸び、2010年には[[北海道新幹線]]新青森-新函館も開通していた。北陸新幹線も2000年代半ばには金沢まで開通していた。
#*2015年3月には金沢-敦賀が、2016年3月には新函館北斗-札幌が開業していた。
#**2020年頃には敦賀~新大阪が開業していたかもしれない。もちろん東京オリンピックに間に合っていたかもしれない。
#現在は常磐新幹線や紀伊新幹線や房総新幹線も計画しており、全都道府県に新幹線が通っている事になる。場合によっては成田新幹線も計画復活していたかもしれない。成田新幹線は房総新幹線と一緒になるような気がする。
#*上記の成田新幹線に加えて羽田新幹線や関空新幹線(仮)も開業していただろう。関空新幹線は紀伊新幹線の支線になる。
#人口が増えていく中、新幹線の新駅もどんどん開業している。東北新幹線なら久喜駅と古河市内の新駅で、上越新幹線は新鴻巣駅で、東海道新幹線は相模新駅(新平塚駅?)とみなみびわ湖駅が開業している。
#北海道新幹線は旭川駅どころか稚内駅まで計画している。その先はサハリンまで延伸する構想が存在しており、国際新幹線が実現していただろう。日本の国際新幹線は距離的に考えて博多~釜山間と稚内~ユジノサハリンスク間だろう。
#大宮駅通過新幹線は無く、上野駅全停車新幹線が実現していたかもしれない。もちろん東海道新幹線みたいに列車増発の目的として大宮発、上野発が出来ていた。
#*赤羽駅に新幹線駅設置を求める人が出てくるが、駅が近いという事で実現は出来ないかもしれない。列車増発としてなら出来そうだが…。
#**秋葉原駅も同様。駅が近いという事で新駅設置は見送りになる。新幹線ではなく上野東京ラインなら実現出来そうだが…。
#場合によっては東海道新幹線直通が実現していたかもしれない。多分短期で廃止されそうだか…。
#上越新幹線新宿ルートが実現していたか?開業時期を考えると東北新幹線新宿ルートも出来ていたかもしれない。新幹線は新宿駅と東京駅で別れていた。
#*大宮以南の110km/h制限も200km/hに緩和されていた。
#**埼京線の行き先がハッキリと見える事は無かったはず。そのうちに250km/hまで引き上げていたかもしれない。流石にやまびこは上野~東京間になるとスピードは制限されていただろうか。
#新幹線にも液晶ディスプレイが実現出来ていた。史実のE4系の時点ではE231系山手線のように珍しかったが、史実のE5系からは当たり前になっていたかもしれない。
#大手私鉄にも新幹線が出来ていたかもしれない。一番やりそうなのは東武鉄道辺りか。そうなるとスペーシアはやや地味な鉄道になっていたかもしれない。
#現在なお、ふるさとチャイムが使われていたかもしれない。くりこま高原駅にもふるさとチャイムが使われていた。また東海道新幹線や山陽新幹線にもふるさとチャイムが導入されていただろう。
#*もしくは新幹線ホームにも在来線の発車メロディが使われていただろう。もちろん全新幹線駅に対応していただろう。ただ、一部のみベルのままの新幹線駅もあるかもしれない。
#リニアは第二東海道新幹線がやっていたかもしれない。中央新幹線はもちろん普通の新幹線として開業してる。
#新幹線が沢山開業しているため、東京駅と上野駅はパンクしていたかもしれない。最悪大宮駅もパンクしていた可能性がある。これを気に新幹線ホームにもホームドアが導入していた。
#*東海道新幹線は全駅ホームドア設置されていただろう。これによりドクターイエローを撮る人にとっては不便になっていたかも。
#*むしろ上越新幹線は新宿発着となり、ここに東海道新幹線も乗り入れていただろう。
#史実よりも海外も新幹線やリニアが開業していた。もちろん日本製の新幹線でJR東日本、JR東海、JR西日本が中心に海外用の新幹線が導入されていただろう。アメリカはもちろんの事、中国やイギリスにも導入されていた。
#上記の第二青函トンネルを経由する新幹線も実現していた。これで函館駅にも新幹線駅が出来ていた。ルートと停車駅は八戸~大間~井戸~函館~新函館北斗になっていただろう。
#貨物新幹線は2000年代に実現していただろう。全ての新幹線には複々線化されており、それほど新幹線に影響が出なかったであろう。
#*一部の新幹線は複々線化されており、新幹線の運行にそれほど影響はなかっただろう。
#のぞみは新横浜駅停車は2000年代前半から全停車しており、新幹線品川駅も21世紀を待たずに1998年頃に開業していただろう。
#ひょっとすると新幹線にも環状線が出来ていたかもしれない。山手新幹線で停車駅は上野→東京→品川→渋谷→新宿→池袋→上野になっていた。但し、環状線としての運転はあまり無く直通の運転として活躍していただろう。
#*[[OTAKU|こいつら]]が「山手新幹線に秋葉原駅停車を実現しよう」と新駅設置運動が行われている。当然「近すぎるからいらない」などと簡単には設置出来ない。
#地下新幹線というジャンルが出来ていた。地下鉄新幹線は用地が無いなか地下で通る新幹線として活躍している。
#*実現出来そうなのは成田新幹線と関空新幹線かもしれない。前者に関してはルートも大幅に違っており、東京駅の京葉線ホームの近くに成田新幹線ホームが出来ていたかもしれない。
#JR東海の東海道新幹線のCMシリーズ「クリスマス・エクスプレス」は1992年以降も継続していた。そのためJR東海のサウンドロゴは東海ローカル以外でも今も流れていただろう。
#*「そうだ、京都、行こう。」「今、ふたたびの奈良へ」「Tokyo Bookmark」の他にも神奈川や大阪や静岡や岐阜なども観光CMが出来ていたはず。
#**前者と中者は関西でも放送され、後者は関東でも流れていた可能性がある。
#のぞみは静岡県が冷静される事は無く静岡駅がのぞみ停車駅になっていたかもしれない。これより新横浜~名古屋間のノンストップは無くなる事になるが、全停車駅にはならないと思うが。
#北海道新幹線の新函館駅はもう少し函館市に近い所に建設されていた。それでも場所は史実通り北斗市だけど。
#岐阜県内の新幹線は岐阜羽島駅だけではなく北陸中京新幹線開業の伴い大垣市内にも設置されていた。もちろん東海道新幹線と北陸中京新幹線停車である。
#新幹線の空港アクセス駅はとっくに実現しており、東海道新幹線に富士山静岡空港駅や山陽新幹線に広島空港が出来ていた。
#*関空国際空港や中部国際空港や茨城空港にも新幹線駅が出来ていた。関空国際空港は関空リニアと紀伊新幹線(関空新幹線)で中部国際空港は東海道新幹線の支線で茨城空港は常磐新幹線辺りか。
#在来線の終夜運転は当たり前になり、終夜新幹線運転も実現していたかもしれない。と思ったら騒音問題があるため、スピード制限が行われていたかもしれない。
#小田原駅は観光客増加のため、のぞみも停車していたかもしれない。小田原駅発が実現し、東海道新幹線本数はさらに増発していた。京都駅とライバル扱いされていたが京都の圧勝に終わる。
#北海道新幹線は稚内、釧路(根室)、網走とルートが分類し、延びていただろう。もちろん全て東京発が存在している。
#*現在は室蘭ルート、オホーツク海ルートも構想されている。北海道は新幹線だらけになっており、日本で一番多い新幹線駅になっていたに違いない。
#現在は新幹線の最高速度を500km/h以上まで走行する構想が出ている。一方のリニアはもちろん1000km/hまで走行する構想が出ていた。(こちらの世界の最高速度は新幹線は400km/hでリニアは800km/hである。)
#東海道新幹線の発車ベルも発車メロディ化されていた。JR東日本タイプとは違い新幹線に合った美しいメロディになっていたかもしれない。
#新幹線の中でインターネット端末や無線が出来ていたかもしれない。景色を見ながら動画を見る人がいたり、新幹線を調べる鉄道ファンがいたりする。
#新幹線の車内LEDは2段式表示になっていた。上が「次は○○」で、下はニュースや運行情報や「ただいま○○を通過しました」などが表示されていた。あるいは車内LEDではなくE993系みたいに表示機が液晶化されていたかもしれない。
#東海道新幹線にも東北新幹線みたいに連結新幹線が実現していたかもしれない。恐らく東海道新幹線と北陸中京新幹線が連結していたかもしれない。
#もしかするとのぞみより早い新幹線が実現していたかもしれない。こちらの停車駅は東京~名古屋~新大阪~広島~博多~鹿児島中央になっていた。
#*東海道新幹線は九州新幹線直通も行われていた。こだまは流石になさそうだが、ひかりやのぞみには九州新幹線直通があったはず…。
#新幹線にもグリーン車自由席が出来ていた。指定席と一緒にあり、区別していたかもしれない。まあ、どちらかというとグリーン車指定席の方が豪華かもしれないが。
#前橋新幹線はミニ新幹線としてではなく、両毛新幹線として開業していただろう。ただ、小山駅と宇都宮駅どっちが停車するか揉めていたかもしれない。でも、やはり県庁中心に停車するようにと思われるので宇都宮駅停車の方が実現的だろう。
#*北陸新幹線と直通運転し、北関東と南関東のバックアップが実現出来ていただろう。
#*'''というか、ミニ新幹線自体存在しない'''。当然秋田新幹線や山形新幹線は開業しておらず、代わりに東北縦断新幹線が開業していた。三重新幹線も構想されなかった。こちらは…中央新幹線として開業しているか。
#ドクターイエローも最新車両が導入され、N700系ベースの新幹線も出来ていただろう。ドクターイエローは東北新幹線方面にも通っていたかもしれない。
#*というか、こちらの世界だとそこらじゅうに新幹線が出来ているからドクターイエローも1車両じゃ物足りないから、2、3車両開発されていたかもしれない。
#北陸新幹線の支線として大宮~川越~秩父~佐久平の路線も構想されていた。支線とはいっても、熊谷方面よりもこちらの方が時間短縮しそうな気がするが。
#*川越市は「小江戸に通ったら雰囲気が崩れる」と反対運動が行われ、新幹線川越駅は地下駅として開通していたかもしれない。秩父市も「秩父の自然に新幹線が通ったら風景が崩れる」と言われてしまう。北陸新幹線の秩父支線はかなり苦戦や苦労が強いられていたかもしれない。
#中四国横断新幹線は松江~岡山~高松~高知だけではなく、松江~広島~松山~高知も開業していた。もちろん広島~松山間には新瀬戸大橋が出来ている。
#東海道新幹線に支線が出来ており、横須賀方面と中部国際空港を結んだ支線が出来ていたかもしれない。どっちみちミニ新幹線として開業しなさそう。
#*横須賀方面は後に東京湾口道路に新幹線を通らせて房総新幹線と繋がっていただろう。現在は支線から独立し、本線として活躍している。路線名は東京湾口新幹線か。
#北陸新幹線の停車駅問題は起こっておらず、かがやきは高崎駅も停車し、はくたかは熊谷駅も停車していたと思う。本庄早稲田駅は駅が近すぎるし、微妙な所だが…。あってもはくたか程度か。
#東北横断新幹線は秋田~盛岡と仙台~山形~鶴岡と仙台~秋田だけではなく、山形~盛岡や秋田~八戸なども構想しており、東北地方の経済や発展や人口も急速に増えていた。
#古い新幹線(0系や100系や300系)に関しては海外に移動して第二の人生を送っていただろう。


===特急===
====中井和哉====
#JR特急の私鉄乗入れが衰退することはなかった。
前職は公務員です。ではもし声優にならず現在も公務員のままだったら?
#*「サンダーバード」は北陸新幹線の開通まで富山地鉄直通が存在し、「あさぎり」は運転区間が新宿~静岡に延長されている。2010年前後にはJR371系、小田急20000形の後継車両も登場していた。
#今頃(2014年時点)は課長あたりになっていた。
#**富山地鉄がJR乗り入れ用の独自の特急車両を保有したかも。
#*公務員批判の煽りを受けてクビになっていたかもしれない。
#**「サンダーバード」だけでなく「北アルプス」の富山地鉄乗り入れも復活。名鉄キハ8500系が立山まで乗り入れていた。
#遅咲きでアニメで活躍している声優といえば若本規夫か金田朋子。
#京阪や阪急京都線の特急は今も京阪間ノンストップを維持。
#今でも関西に住んでいた。(国家公務員でなければの話だが。)
#*いずれは指定席車も連結されていた。
#*[[もしあの鉄道車両が実用化されていたら/私鉄#9300系2扉車|阪急9300系は2扉車となり]]、1990年代のうちに登場していた。
#東京メトロ千代田線だけではなく他にも地下鉄路線に特急や急行が乗り入れていたかもしれない。ほぼ直通運転になりそうだけど。
#*東京メトロや都営地下鉄も特急列車が開発されていた。基本的には地下鉄内しか走らないが乗客数増加のより地上でも走れるようになっていたかもしれない。
#特急でもトレインチャンネルのような液晶ディスプレイが出来ていた。但し、在来線と大幅に違い、乗客サービスとして開発されていたかもしれない。
#スペーシアは日光線系統だけではなく、伊勢崎線系統や東上線系統にも走っていただろう。野田線内も特急列車が走っており、大宮~春日部~北千住~浅草と大宮~春日部~東武動物公園~東武日光と走っていただろう。


===貨物===
====中田譲治====
#武蔵野南線はすでに旅客化されており、南船橋~武蔵小杉(新川崎?)までが武蔵野線になっていた。この場合横浜や大船まで直通運転していそうな気がするが。
#脇役俳優として遠藤憲一や松重豊の仕事を奪っていた。
#*もしかすると塩浜~府中本町~南浦和~西船橋~塩浜の大環状運転が実現していたかもしれない。混雑率も半端ではなかった。
#『ロードス島戦記』のカシューは別のデザインになっていた。
#JR貨物が黒字になった頃に貨物列車も一般乗客が乗れる構想出てくるが、一般じゃ流石に難しく問題が出ていたかもしれない。イベントなら実現出来そうだが。
#声優紅白は実現しなかった。
#JR貨物の営業線区は史実以上に増えており、川越線に再び貨物列車が通るようになったり相模線や八高線にも貨物列車が通っていた。
#TYPE-MOON作品への出演、『空の境界』を読破することはなかった。
#東海道貨物線は大江戸線の工事で休止する事は無く、現在も東海道貨物線は活用されている。また、現在は旅客化されており羽田新線や東海道線羽沢支線が通っている。
#E233系をベースとした貨物列車が導入されていたかもしれない。まあ、先頭部だけだろうが。
#古くなった車両を貨物列車として再利用していた可能性もある。改造されてイメージと違う車両になっていたかもしれないが。
#上記にも書いてあるが、貨物列車は食べ物だけではなく、電化製品や玩具なども運ばれており、アマゾンのようなサービスが行われていた。JR貨物は宅急便トレインとして活躍していたかもしれない。
#JR貨物が上場していた場合、間違っても車両の新製・廃車・転配などの動向を公表しないなんていう事態は発生しないだろう。
#*というか、鉄道マスコミに対して閉鎖的になることはなかった。よって鉄道マスコミとの関係悪化もなかった。
#現実以上にトラック運転手の不足が深刻化するのでカートレインとピギーバック輸送を足して二で割ったような形態の輸送が考案されていた。
#*敷地内を自動で電気駆動で運転する鉄道貨車に適したサイズの大きさのトラックが考案されているかもしれない。
#東海道本線名古屋口の本数がひっ迫して貨物専用の線路が敷設されていた。
#*場合によっては東海交通事業城北線と愛知環状鉄道線が貨物の迂回ルートになっていた。
#EF200形電気機関車が本来の性能を発揮していた。


====
====森田成一====
#[[東京駅]]の赤レンガ駅舎は解体され高層ビルに建て替えられていたかも。
#未だにモーションアクターをやっている。
#*赤レンガ駅舎の外壁だけが高層ビルに張り付く形で保存されている。
#**そして、赤レンガ駅舎の一部は鉄道博物館に保存されていただろう。反対運動で建て替え中止ならなければの話だが。
#*それでも、「赤レンガを解体するとはどういう事だ」と大規模な反対運動が行われ、何らか影響が出来ていたかもしれない。
#*上野駅の駅舎も高層ビルに建て替えられていた。
#**動物園をモチーフとしたビルになっていただろう。もちろん上野動物園のパンダもコラボしていただろう。
#*東京駅は新宿駅や池袋駅や渋谷駅のような大都市駅になっていただろう。なのでビックカメラかヨドバシカメラが出来ていただろう。
#*大宮駅の駅舎も高層ビルに建て替えられていた。西口は新幹線開業に建て替えられているので東口のみ高層ビルになっていたかもしれない。大宮駅東口も史実の西口並みに発展していたかも。
#*鉄道博物館駅はニューシャトルとJR線乗り換え駅になっているため、駅構内は巨大化していたかもしれない。JR線入口も出来ていた。
#山手線・京浜東北線の品川~田町の新駅は2000年代に出来ていた。駅名は「高輪」で、車両センターも21世紀入る前に廃止されていた。場合によっては泉岳寺駅とのアクセス地下道が出来ていたかもしれない。
#*現在は品川駅~大崎駅間の新駅が出来ていただろう。品川駅~大崎駅間は2キロあるため。恐らく2010年代か2020年の東京オリンピックに出来ていただろうが?
#2008年以降に橋上駅化が行われた駅は2000年頃~に橋上駅化が行われていた。
#*川越線の日進駅は2004年頃に橋上化され、ロータリーも史実より広くなっており、バスも市のコミュニティバスだけではなく東武バスも通っていた。
#横須賀線は大井町~武蔵小杉間の駅の間が広すぎるという事で大田区にも駅が出来ていたかもしれない。場所は上池上辺りで駅名は「池上」になっていた。バス停の上池上は「池上駅北口」に改名されていた。
#少なくとも[[もし東京駅に在京大手私鉄のターミナル駅があったら|東京駅に在京大手私鉄のターミナル駅があった。]]乗り入れしたのは東武鉄道、西武鉄道、東急、小田急・京急・京王辺りかもしれない。
#*東武鉄道は東武東上線が乗り入れ、西武鉄道は西武池袋線・新宿線、東急は東急東横線か東急田園都市線か?在京大手私鉄のターミナル駅で東京駅は渋谷駅並みに発展していただろう。
#*赤羽駅、新橋駅にも在京大手私鉄のターミナル駅が出来ていた。赤羽駅は東武鉄道で、新橋駅は京急辺りか?
#横浜駅はとっくに全ての工場が終わっているため「日本のサクラダファミリア」と言われる事は無かっただろう。新横浜駅篠原口も南口としてリニューアルし、田舎の新幹線駅と呼ばれ扱いされる事は無かった。
#京浜東北線は新駅がどんどん開業していた。特に品川~横浜間辺りが新駅ラッシュになると思われる。大田区にJR駅が何個かあったはず。
#*武蔵野線も八王子~西船橋間全線新駅ラッシュになっていた。越谷レイクタウン駅や吉川美南駅も2000年代前半から開業していた。
#高崎線の新駅みなみ北本駅は実現していたが、駅名はみなみ北本駅ではなかった可能性が高い。恐らく新北本駅か二ツ谷駅か?
#原宿駅の近くにある宮延ホームは2001年以降も使われており、現在は老朽化で宮延ホームを建て替えていたかもしれない。運行の影響などは無くなると思われる。
#ホームドアは21世紀を待たずに実現しており、しかも山手線のホームドアはわずか半年で全駅に導入されていた。現在はホームドアにも液晶ディスプレイが付いている。山手線だけではなく京浜東北線、埼京線、中央線などにもホームドアが導入されていた。
#*駅ホームでの全身事故は史実より少なくなっていた。ただ、踏切での全身事故は相変わらず変わってなく多い。これを解決するために踏切にも何か工夫していたかもしれない。
#北大宮駅には史実では宇都宮線は通過になっているが、東武野田線との乗り換えを良くするために宇都宮線にもホームが設置されていたかもしれない。もちろん快速は通過となる。
#渋谷駅の埼京線ホームは渋谷の再開発が1990年代後半から行われていたとしたら、2000年代に山手線ホームの隣に移転していた。
#新幹線開通で廃止された宇都宮線と高崎線停車駅の日暮里駅は2000年頃に再び停車するようになっていただろう。そのため、常磐線と乗り換えしやすくなっていた。
#北与野駅はさいたま新都心駅の裏なので利用者もそれなりに多くなっていた。埼京線の中で利用客数がワースト1から脱出していた。
#*北与野駅は快速が停車するようになっていたはず。
#江差線の天の川駅は停車駅に生まれ変わっていたかもしれない。利用者はやはり少ないが、現在は観光開発により利用者はそれなりに増えていたかも。


==車両==
====若本規夫====
#古い車両及び旧型の車両の廃車が現実より進んでいた。
前職は警察官です。ではもし声優にならず現在も警察官のままだったら?
#*JRや大手私鉄の車両は全て平成生まれに置き換わっている。
#機動隊員としてあさま山荘事件などの赤軍関連の人たちを取り締まっていた。
#*鉄道会社や自治体、マニアに経済的な余裕があるので、廃車の保存は史実以上に積極的に行われている。
#警察官を定年退職した後は隠居生活を送っていた。
#**鉄道会社はもちろんのこと、個人経営の「鉄道博物館」なるものができていた。
#刑事ドラマの監修に協力していた。
#*地方中小私鉄でも自社発注車両が幅を利かせている。
#**いくつかの中小私鉄で設計がある程度共通化されている。
#*すでに鉄道博物館には201系や205系や209系も展示されていた。あるいは地方や第二セクターや海外に移動して第二の人生を送っていたかも。(201系と205系は海外に移動しているのは史実通りだが。)
#*もしかすると古い車両を改良と改造し、LED表示機やLCDや自動放送が付き地方に移動していた可能性もある。特に205系や209系はかなりあり得そうだが。
#アルナ工機はアルナ車両にならず、武庫川車両工業は解散しなかった。
#*阪急や阪神が積極的に新車を投入するため。
#*東急車輛製造も[[総合車両製作所]]にならなかった。
#[[もしあの鉄道車両が実用化されていたら/JR#285系交直流版|285系交直流版]]が実現していた。
#*寝台列車は衰退せず、2000年代中盤には「[[トワイライトエクスプレス]]」に新型の客車が投入されていた。
#**長距離寝台列車が開業しており、札幌~鹿児島中央まで一本で行く寝台列車が出来ていたかもしれない。もちろん東海道本線・山陽本線方面。
#**夢空間も専用編成として作られていて、「カシオペア」「TRAIN SUITE 四季島」も10年早く登場していた。
#近鉄「しまかぜ」も現実より早く登場していた。
#*現実の伊勢志摩ライナーがしまかぜになっている。
#*小田急50000形VSEは1996年に登場していた。また、同時期に登場した30000形は史実とは異なって50000形をボギー車にしたような車両となり、愛称もMSEと名乗っていた。
#[[もしあの鉄道車両が実用化されていたら/JR]]に書かれている内容のいくつかが実現していた。
#*E331系は京葉線、武蔵野線が導入されており東京メガループ内で新型車両が導入されていない路線が'''武蔵野線のみ'''になる事は無かった。現在は次世代のE333系を計画しており、2020年東京オリンピック向けて導入されていたかもしれない。
#*E653系は「フレッシュひたち」に留まらず、「はくたか」「北越」にも導入されていた。「いなほ」にも新車として導入されていた。
#*E751系は「白鳥」にも導入されている。
#*E351系は「あずさ」に留まらず、「かいじ」にも導入され、255系も房総特急全列車に導入されていた。
#**183系は今頃、全廃されていた。
#*E257系は「踊り子」に導入され、185系を全廃に追い込んでいた。
#*209系0番台南武線は205系を全て置き換えされており、205系は房総半島に移動していただろう。
#「走るんです」は登場せず、JR東日本や関東私鉄は205系・211系準拠の車両を製造しつづけていた。
#*むしろ、209系以降は国鉄車両みたいに長い寿命を持つ車両を製造していた。E233系の誕生は非常に遅れていた。
#**201系、205系、209系も中小私鉄に鉄道車両の購入や譲渡されており、現在も秩父鉄道に元国鉄車が走っていた。
#*首都圏を中心とする車両設計の標準化は行われず、現在でも鉄道会社各社が特色のある車両を導入している。
#*[[南海の車両/形式別#8000系(2代)|南海8000系]]は現実とは異なり、1000系をベースとした塗装車体になっていた。
#*通勤車両でも一部にクロスシートを設置するケースが増えていた。
#JRを中心とした特急形車両は前面展望可能な車両が主流となっていた。特にグリーン車。
#*JR西日本の283系は史実よりも多く投入され、「オーシャンアロー」のみならず北近畿方面や「やくも」にも運用されるようになっていた。その結果287系は登場しなかった。
#液晶ディスプレイは21世紀が入る前に実現していた。209系から本格的に導入され、209系京浜東北線で試験テストを行っていた。後にE231系の導入は史実通りで、近郊型もLCDが導入されていただろう。
#東武鉄道の影響ディスプレイ進出は50000系の時点で本格的に導入されていた。トレインチャンネルような物も当然ある。
#*流石にこの頃になると、9050系の液晶タイプではなく山手線の液晶になっていただろう。まあ、不具合は無さそうだけど、イタズラはされていた可能性がある。
#209系の時点で自動放送装置が採用されていたかもしれない。声は史実通り三浦七緒子とクリステル・チアリ。
#普通列車のグリーン車導入は90年代後半から導入されていた。史実の東海道線、高崎線、宇都宮線、常磐線、横須賀線・総武快速線湘南新宿ラインに加えて当初から中央線にも導入されていた。
#*現在は埼京線、武蔵野線、京葉線、京浜東北線、常磐快速線、横浜線、南武線辺りもグリーン車が導入されていた。
#大阪環状線の新車導入は2000年代前半に行われていた。車両は223系か。103系と201系はこの時点で別の所に移動していただろう。
#*むしろ4扉の207系あるいはその改良型が投入されてそう。
#少なくとも日本製の鉄道が海外の鉄道に導入される事が多くなっていた。中国製の鉄道導入などは当然あり得ない。
#ひょっとすると[[もし鉄道の列車全てにトイレの設置が義務付けられたら|鉄道にトイレの設置]]が義務付けられていたかもしれない。しかし色々問題があり、短期で廃止されていた可能性がある。
#半自動ドアの鉄道は完全廃止になっていた。何処の場所に行っても自動ドアばかりになっていただろう。
#E993系の「ACトレイン」は今でも運転されており、現在も次世代旅客サービスを開発されていただろう。E233系やE235系にも史実には無い機能を持っていたかもしれない。
#*天井に情報表示装置が組み込まれていた。恐らくE233系かE235系辺りに実現していた。もちろんこの実現で中吊り広告は廃止されている。
#**それ以前に209系のWVTIの液晶ディスプレイが実現しているため、天井にはWVTI(トレインチャンネル?)と情報表示装置が組み込まれていた。
#*収納座席も実現しており、ラッシュ時の立客を防いでいただろう。また収納座席は史実では2席しか無かったが、実現時には4席出来ていただろう。
#*グリーン車にインターネット端末が実現されていた。もちろんLAN無線なのでニンテンドーWi-Fiも出来ているはず。
#**「JRでDS」というコンテンツが出来ていたかもしれない。JR東日本は任天堂の公式スポンサーなので。
#*E235系は車内の端にも液晶ディスプレイが組み込まれていた。E235系は液晶だらけになっており大規模デジタルサイネージ化されていたかもしれない。
#**車内の端の液晶はタッチパネル式にする構想も出てくるが、色々問題があり構想のまま消えていたかもしれない。
#E233系2000番台のLCDは一つしか設置される事は無く、当初からトレインチャンネルも導入し、最初から2画面になっていた。
#[[もしあのJR路線が電化されていたら|一部のJR鉄道が電化されていた]]。本数もやや多くなっており、直通運転も存在していた。
#*八高線は209系と205系が八王子~高崎を走っており、八王子発高崎行きが復旧し高崎線のバイパスになっていた。
#*烏山線は宇都宮線直通であり、E231系とE233系と211系が運転されていた。EV-E301系「ACCUM」は無かったか、別の路線で運転されていた。
#JR西日本広島支社はとっくに新車だらけになっていた。国鉄車だらけになる事は無かっただろう。
#車内の防犯カメラは埼京線だけではなく、山手線や京浜東北線や武蔵野線などにも導入されていた。埼京線のマナーは史実よりも良くなっており、LCD破壊事件も無かったかもしれない。
#徳島県が47都道府県で唯一鉄道が無いと言われる事は無かっただろう。気動車は見かけづらくなり、高徳線辺りが電化していた。
#長野地区や新潟地区でもE231系とE233系が見かけていたかもしれない。前者なら上野発軽井沢行きが出来そうな気がする。
#*静岡地区もE233系やE231系が見かけている。沼津行きどころか静岡行きまで出来ていたかもしれない。もっともJR東日本とJR東海の仲良くなっていたらの話だが。
#オリエント急行の来日運転が毎年行われていた。
#JR東日本はバブル崩壊後資金不足になる事はなく、製作費用を安くしようとする事は無く、209系以降も柔らかい座席で窓ガラスにカーテンが付いていただろう。
#*209系の誕生する際、説明文に「寿命半分」と書く事は無かっただろう。当然「走ルンです」や国鉄厨も存在しなかったはず。国鉄厨はあっても史実ほど居なかったと思う。
#JR西日本もJR東日本並みに古い車両を置き換えられ、場合によってはJR西日本も車両形式名の頭にWが付いていたかもしれない。
#車内の防犯強化や生活が現実よりも豊かになっているので、新車が破壊される事は無かったはず。LCD破壊、ステッカー切り裂きも当然無い。


[[Category:歴史のif検討委員会 鉄道史|はふるかほうかいしていなかつたら]]
===女性声優===
[[Category:もしバブルが崩壊していなかったら|てつとう]]
====大西亜玖璃====
#オスカーに残留して女優になっていた。
#PrimaPortaはなかったが最初からいない形で結成。
 
====金田朋子====
前職は会社員です。ではもし声優にならず現在も会社員のままだったら?
#彼女が「魔女たちの22時」や「アウト×デラックス」で取り上げられることはなかっただろう。
#もしかすると仕事をあきらめて専業主婦になっていたかもしれない。
#ロリ声声優といえばかないみかまたはこおろぎさとみ。
#もしかしたら通りすがりにインタビュー受けた際に、余りにも奇特な声質!と言う事で声優のオファーが来た可能性も無きにしもあらず。
 
====佐倉綾音====
当初は劇団東俳に所属していたが、当時のボイストレーニングの講師から声優を勧められ、声優を志した。もし、勧められず、女優としてデビューしていたら。
#平成生まれで東俳出身の声優といえば小倉唯一択だった。
#同年代の有村架純、能年玲奈(現・のん)あたりの仕事を奪っていた。
#同年代の新川優愛と共にT-PROJECT(東俳の系列)に所属できていた。
#『リネージュ2レボリューション』のCMにもちろん顔出しで主演しており、FUJIWARA藤本敏史とともに「レボリューション!」をやっていたかも。
 
====田中真弓====
田中真弓はフジテレビのアナウンサー(正確には契約リポーター)の試験で最後の5人にまで残っていました。
#当時のフジテレビは男尊女卑的な傾向があったので、数年程度で退職に追い込まれていただろう。
#*仮に1981年の女性レポーターの正社員化の時まで残れていた場合は、「なるほど!ザ・ワールド」のリポーターになっていたかもしれない。
#**場合によっては史実の益田由美の代わりに女子アナブームの火付け役になっていた。
#<!--史実で彼女が受けた年に合格した-->酒井ゆきえの代わりに「ママとあそぼう!!ピンポンパン」のお姉さんになっていた。
#ナレーターの仕事は報道系の番組が中心になっていた。
 
====戸松遥====
2006年の東宝シンデレラの最終選考まで残っていた。
#沢口靖子や長澤まさみと共演していた。
# 池澤あやかと同様『ピチレモン』のモデルになっていた。
#当然ながらスフィアのメンバーとして活動することは無く、顔ぶれは今と変わっていた。
#*もしかしたら、阿澄佳奈がミューレに移籍してスフィアのメンバーになっていたかもしれない(史実では81プロデュースへ移籍)。
#**アスミスが前事務所の倒産のあおりで移籍したのは2008年で、スフィアの結成は2009年。可能性としては無きにしも非ず?
#戸田恵梨香、北乃きい、北川景子の仕事をいくつか奪っていたかも。
#*史実では北乃きいが関根麻里の後任として「ZIP!」のMCになったが、そうなっていたら戸松がなっていたかも。
#東宝のカレンダーの常連になっていた。
#史実で彼女が担当した役は声質が似ている能登麻美子や早見沙織が起用されていた。
#バラドル紛いの言動は・・・、多分そのまま。
 
====生天目仁美====
#東京乾電池からワハハ本舗に移籍し、久本雅美や柴田理恵といっしょにバラエティに出演している
#*芸名は「なばためひとみ」になっている可能性大。
#*ワハハ銭湯句に出演していた場合エア本関連素材としてニコニコでネタになっていた。
#当然野望神社での伊藤静との夫婦コンビもなし。
 
====野中藍====
野中藍は宝塚歌劇団に男役として入りたかったのですが、身長が低いことや声が高いことを理由に断念しました。ではもし仮に彼女の身長が宝塚に入れるほど高く<!--ちなみに宝塚の募集要項では、望ましい身長が最低157㎝、彼女は156㎝でぎりぎり足りません。-->、宝塚に合格していたら?
#史実通りに高校を卒業した場合は、桜乃彩音や紅ゆずるの同期になっていた。
#声の高さが原因でおそらく娘役に回されていただろう。
#*それか仮に男役ができるぐらいの身長であれば一旦男役として入団して、その後に娘役に転向していた。
#どちらかというと売りはダンスとかになるのか?
#もしかすると、どこかで宝塚を辞めて結局声優に転向していた可能性もある。
#*その場合は太田淑子や葛城七穂のように「宝塚出身」ということで注目されていた。
#*ただしその場合は史実ほどアニメに出ることはなかった。
 
====朴ロ美====
朴は当時付き合っていた男性に振り回され、舞台俳優の道へ進んだのだが、仮に当時付き合っていた男性に振り回されず舞台俳優を目指さなかったら
#当然声優としてブレンパワードでデビューしていない
#ハガレンのエドも∀のロランも朴が演じていない
#*BLEACHの日番谷やMAJORの大河も...。
#**この場合、誰が演じていたのだろうか・・。
#***斎賀みつきか皆川純子あたりがやっていたはず。
#腐女子トークも無かった
#森田成一と出会う事も無かった。
#アニオタ、声優オタの世界でも、史実より嫌韓が多かった。
#演劇集団円(まどか)は、オタの間では依然「西田健、三谷昇、津村鷹志が属していた(いる)劇団」という認識だった。 
 
====日髙のり子====
*もし声優への転身を決意しなかったら
#売れないアイドルのまま芸能界を引退し、今ではひっそりと暮らしていた。
#史実で持ち役となっていたキャラは、もちろん別の声優が演じていた。
*もしバラドルへ転身していたら
#もしかしたら猪突猛進型キャラが受けて売れっ子になっていた。
#タイアップだか何かの一環で声優にもチャレンジしていた。
#*となると[[#あの人が声優として成功していたら|この節]]に「日髙のり子」と書き込まれていた。
 
====広橋涼====
*大学卒業後、声優ではなく教員だった場合。
#国語担当の先生である。
#*教育実習では道徳だった。
 
====水樹奈々====
*演歌歌手として成功していたら
#紅白の常連になっていた。
#*史実よりも早く知名度が上がっていた。
#*眞鍋かをりと顔が似ていることも早くから知られていた。
#[[田村ゆかりファン|この人]]の相方は未だに[[堀江由衣ファン|この人]]である。
#その可憐なルックスから「エンドル」([[演歌歌手|演歌]]を歌う[[アイドル]])とみなされた。
#*「氷川きよし以来の衝撃」と言われていたかもしれない。
#*とはいえ演歌以外の曲も歌ってそうな気がする。
#**島津亜矢のようにカバー曲のアルバムやコンサートをやったかもしれない。
#少なくともオタク人気はなかった。
#*「実はアニメゲーム好き」なるエピソードが出てからオタク層からの支持を多少得ていた。
#*日中帯のアニメでOP/EDを担当していたかもしれない。
#**氷川きよしのように日中アニメの曲でAnimelo Summer Live参戦を果たしたかも。
#藤野浩一氏とはオーケストラライブではなく、NHK歌謡チャリティーコンサートで関わる程度となっていた。
#*史実でも2014年秋開催で初出演したが、演歌路線の場合は史実よりも早い時期に初出演を果たしていた。
 
====三森すずこ====
宝塚音楽学校に受験し最終選考まで残っていましたが、不合格となりました。もし合格していたら…
#宝塚歌劇団では娘役を演じていた。
#宝塚歌劇団の退団後は、ドラマや映画・舞台に出ていた他、テレビのバラエティ番組にも出ていた。
#その後のブシロードの歴史が史実と大きく変わっていた。
#*「探偵オペラミルキィホームズ」はあったかどうか怪しい。
#*「ラブライブ!」の園田海未は誰がやっていたのだろうか。
#*当然ブシロード絡みでオカダ・カズチカと出会うこともなく、結婚することはなかった。
 
==ブレイクしていなかったら==
===井上喜久子===
#もちろん「17歳」教は存在せず、実の娘も声優業界入りしなかった。
 
===たかはし智秋===
#声優においてそこまで体型が重視されることはない。
#言うまでもなく声優活動を中止しグラビアアイドルに専念している。
#SNKヒロインズの女体化テリーは別の女性声優が担当した可能性も。
 
===林原めぐみ===
#少なくとも今のアイドル声優界は無かった。
#新谷良子も業界入りしてなかった。
#メグミ・レイナードも存在しなかった。
#*当時は[[メイド]]は今ほどメジャーではなかったし、元[[スチュワーデス]]だとハルカさんとキャラがかぶりそうなので、代わりに登場していたクルーは[[巫女]]経験者と想像。
 
===堀江由衣===
#林原めぐみ同様に(以下同文)。
#小松未可子や竹達彩奈、AKBメンバーなどの憧れの存在にはならなかった。
#「17歳教」の「幹部」の顔ぶれが変わっていた。
#*声優界の「汚部屋」の代表格が変わっていた。
 
===山寺宏一===
#国民的声優になっていなかった。
#おはスタは放送されなかったかもしれない。
#*放送されたとしてもMCは違う人になっていた。
#ものまねタレントしての活動もほとんどなかったか。
 
==あの人が声優として成功していたら==
声優業以外で有名になった人物が、声優として有名になっていたら、あるいは声優業をメインに活動していたら?
*乱立防止の為、記載は実際に声優活動の経験がある人物に限ります。
===新垣結衣===
『デジモンセイバーズ』でのレギュラー出演や『超劇場版ケロロ軍曹』のゲスト出演で声優を行っていた。
#同年代の花澤香菜の強力なライバルになっていた。
 
===桜塚やっくん(斎藤恭央)===
#お笑い芸人の仕事は続けるが、「斎藤恭央」名義での活動が中心となる。
#*杉田智和や鈴村健一、一条和矢あたりの仕事をいくつか奪っている。
#*ゲーム版からの流れで、テレビアニメ版の『NANA』に藤枝直樹役で出演。
#*『名探偵コナン』にも複数回ゲストキャラとして出演している。
#**しかし「桜塚やっくん」として映画紹介特番には出演。これは史実通り。
#**逆に日本テレビ『エンタの神様』に「スケバン恐子」として出る事が無かったか…。
#**2007年10月22日放送のスペシャルで実際にゲスト出演。久しぶりに声優・斎藤恭央を見た(名義は「桜塚やっくん」のままだったけど)。
#*その他、[[腐女子]]向け作品で主要な役を占めるようになる。
#*俳優活動を行う際も「植田浩望」名義は使わず本名のまま。
#「桜塚やっくん」と「斎藤恭央」の関係が、「レイザーラモンHG」と「住谷正樹」の関係に例えられていた。
#2009年10月に起きた「T.M.Revolution」・西川貴教への詐欺事件で、犯人の名前(の読み)が同じだった事から、所属事務所へ問い合わせが殺到した。
#2013年10月に交通事故で亡くなった時に声優仲間が結構追悼してくれていた。
#*それ以前にあの事故自体が起こらず、現在も健在だった可能性の方が高いのでは?声優と芸人の活動と平行して美女♂men Zの活動をしていたとは考えにくいし。
 
===仲間由紀恵===
#大河ドラマの主役や紅白歌合戦の司会なんてまずありえない。
#*むしろ伊東美咲あたりが史実の仲間の地位にいた。
#*仲間自身は声優として紅白出演を果たしていたかも。(2009年の水樹奈々のように)
#水樹奈々、田村ゆかりあたりの仕事をいくらか奪ってる。
#アニソンのみだが歌手活動も継続し、そこそこ売れる。
#何らかの形でアニゴジに出演していた場合ゴジラとガメラ両方に出演した珍しい役者になっていた。
#尾木プロは声優にも力を入れるようになっていた。
 
===千秋===
#ポケットビスケッツは結成していなかった。
#金田朋子のライバルになっていたかも?
 
===荻野目洋子===
#鶴ひろみの妹分として売り出しがかかり、多数共演を果たす。
#*当然ドラゴンボールシリーズにも・・・。
#バブリーダンスで再ブレークすることはなかった。
#可能性として高いのは「アイドル歌手としてデビューしたものの、その後失速→声優業をメインに移行」というパターンか(日高のり子や佐久間レイらと似たパターン)。
 
==改名しなかったら==
===佐々木望(現:ささきのぞみ)===
#異音同字の男性声優「佐々木望」(のぞむ)と激しく混同され、「[[前田愛ファン|前田愛]]」以上のややこしさだったに違いない。
#*「えっ、『浦飯幽助』と『パトリシア・マーティン』が同一人物?」とか言われている。
#*[[ウィキペディア|Wikipedia]]で、ログインしたばっかりのユーザーによって「佐々木望_(男)」、「佐々木望_(女)」とか、無茶苦茶な記事名の移動が行われている。
#**もちろん、後に移動依頼を経てそれぞれ「佐々木望_(男性声優)」、「佐々木望_(女性声優)」と移動し直され、場合によっては'''お家芸'''の'''移動保護'''もかけられていることでしょう。
#*共演したら台本とか大変だな。呼ぶぶんには問題ないけど…
#**それよりもエンディングテロップのほうがエライことに…
#*林原めぐみのラジオ番組に佐々木望(のぞむ)と間違って呼ばれる。
#逆にモデルの'''佐々木希'''と混同されることはなかったはず。
 
===原田佳奈(現:阿澄佳奈)===
#当然、就活女優「ハラカナ」との混同は避けられない。
#*[[福岡|両者の地元]]ではさらに混乱。
#現在の愛称である「あすみん」や「Yes, アスミス」は誕生していない。
#間違いなく'''植'''田佳奈と混同するだろう。
#某アニメで「ほっぺた真っ赤のロリっ娘」が先にデビューしてしまい、就活女優のほうが改名を余儀なくされていた可能性も。
#*ブレイクの時期を考えると、それは有り得ない感じがするが…。
#*「へえ、あんたも原田佳奈っていうんだ?」
 
===野上ゆかな(現:ゆかな)===
#間違いなく野川さくらと混同するかも。
#西武ライオンズの野上亮磨と血縁関係があるのでは、とネタにされる。
 
==ブレイクしていたら==
===個人===
====会一太郎====
#Twitterでの呟きが趣味のゲーム関連ばかりになる事は無かった。
#*ファンタシースターオンライン2関連で物議を醸す事も無かった。
#落合福嗣の役を幾つか奪っている。
 
====小尾元政====
#主演作である『女神候補生』のドラマCD版は福山潤にならなかった。
#ガンダムシリーズのいずれかの作品で主演していた。
 
====白石稔====
#[[らき☆すたファン|らき☆すた]]に登場することはなかった。
#*あるいはこなたの恋人役とかで出演していた。
#**こなたではなくあやのだと思うメインキャラに恋人がいないのはコンプレックスの一つとして散々いじくってたから
#「らっきー☆ちゃんねる」では逆に小神あきらをアシスタントに従えている。
#*そうすると、白石みのるが「小神あきら」という名前になっていて<!--「あきら」という名前は男性名っぽいため-->、代わりに史実の小神あきらが「'''今野ひろみ'''」名義だった。
#[[涼宮ハルヒファン|涼宮ハルヒの憂鬱]]にてキョン役を演じている。
#高木渉・うえだゆうじ・松本保典・等の役をいくつか奪っている。
#声優アワードでいくらか賞を取っている。
#[[四国中央市]]の誇りである。
#スネ夫の声やってそうだ。
#ローカル局の旅番組に出演してたりして。
#声質が似ている田中一成が演じていた役の代役や後任を担当していたかも知れない。
 
====鶏内一也====
#少なくとも余りの出演作の少なさをネタにされる事は無かった
#スパロボ専用声優と呼ばれる事も無かった
#学園ものとかにもチョイ役で出演していたりして
 
===ユニット===
====AGC38====
参照:[[wikipedia:ja:AGC38]]。あくまでもキャラクターメディアミックス企画で声優ユニットはその一環ですが。
#ラムズは倒産しなかった。
#旭硝子とコラボしていた。
#横河武蔵野FCはJリーグ昇格せずとももっとメジャーになっていた。
#漫画も小説も紙媒体で掲載されていた。
#「およげ!たいやきくん」がリバイバルヒットしていた。
#声優ユニットでもアルファベット3文字に末尾が8の2桁番号を付けたグループ名が流行っていた。
#あいまいみーまいんも大ブレイクしていて活動期間も史実より長かった。
 
====Kirakira☆メロディ学園====
#グッドスマイルカンパニーは設立されなかった。
#雛野真代が雛野まよを経て榊原ゆいに改名することはなかった。
#*エロゲー声優として活躍しなかったかも。
#OVAは予定通り発売されていた。
#ニッポン放送は文化放送並にアニラジを基幹事業としていた。
#*ライブドアによる買収騒動の時アニメファンによる堀江貴文へのバッシングが起きていた。
#斎藤滋はフリーランスにならずミューラスでプロデューサーへ成りあがっていたかもしれない。
 
====DABA====
小野大輔率いる同い年(全員1978年生まれ)の自主活動声優7人組
#カバーアルバムを年に一回はリリースしていた。
#同い年の声優による自主活動ユニットも増えていた。
 
==あのユニットが解散しなかったら==
===みっくすJUICE===
メンバー:植田佳奈、斎藤千和、中原麻衣、森永理科
#2007年に結成5周年コンサートが行われていた。
#*そして釘宮理恵、高橋美佳子、田村ゆかり、早見沙織のいずれか1人が加わりメンバーは5人に・・・
#*5年後の2012年には結成10周年コンサートが行われていた。
#**日本武道館公演も実現させている。
#うたばんやHEY!HEY!HEYに出演していたかも。
#*ミュージックステーションやMUSIC FAIRも忘れるな。
#ケロロ軍曹(斎藤が[[wikipedia:ja:日向夏美|日向夏美]]役で出演)の主題歌を歌ってたかも。
#森永がアイムエンタープライズを退社することはなかったかも。
#*史実通り退社していた場合、森永のポジションになりそうな女性声優が1人加わっていたかも。
#もし『ワンダバスタイル』がこのユニットとともに人気が続いていたとしたら、『ムスメット』は無かったかも。
#*ワンダーファームは萌え系の市場から撤退しなかったか、してももう少し遅かったかも。
#サンガリアとコラボしていた。
 
==一時休業していなかったら==
ここでは現在も声優として活躍しているものの、休業期間があった人がもし休業していなかったらどうなっていたかについて扱うこととする。<!--ここでは休業期間が1年以上あり、かつ既に声優業に復帰している人に限るものとする。また、丹下桜さんについては「もしあの声優が現在も活動を継続していたら」に記述があるのでそちらへどうぞ。-->
 
===天野由梨===
2000年から2003年まで一時引退していました。
#新興宗教の噂がでてくることはなかった。
#今でも「アンパンマン」のあかちゃんまんや、「名探偵コナン」の沖野ヨーコの役をやっていた。
 
===井上瑤===
1984年2月末から1985年5月上旬まで、1年3か月に渡って海外旅行をしておりました。特にインドには6か月半滞在しており、この旅行のためにしばらく声優業を休業しておりました。
#「うる星やつら」のラン役を最終回までやっていた。
#「機動戦士Ζガンダム」にセイラが台詞付きで登場していた。
#史実よりはもう少し長生きしていた・・かな?<!--史実では2003年に逝去-->
 
===小山茉美===
#杉山佳寿子の代表作といえばいまだに「アルプスの少女ハイジ」のハイジか「うる星やつら」のテンのままだった。
#*「キテレツ大百科」のみよちゃんやブタゴリラの声優変更もなかったかもしれない。
#休業前の声質のままだったら、と考えると、現在のような外画やナレーションでの活躍はむしろなかったかも。
 
===櫻井智===
#堀江由衣や田村ゆかりの台頭が遅れていた。
#*彼女たちの役をいくつか奪っていた。
#17歳教にも喜んで加入し、教祖様とのコラボも多数やっていた。
 
===荘真由美===
#本多知恵子の役をいくつか奪っていた。
#『ドラゴンボールZ』のチチ役、『キテレツ大百科』の野々花みよ子役を最後まで担当していた。
===種田梨沙===
#≒持病を発症しなかったら、である。
#ミリオン4th以降のライブの演出も史実とは大幅に違っていた。
#史実ほど神格化されることもなかった。
===古谷徹===
*「巨人の星」の放送終了後、しばらく学業を優先して休業状態だったことがあります。
#おそらく明治学院大学への進学はなかった。
#「ガッチャマン」や「マジンガーZ」あたりにもレギュラーで出演していた。
#「巨人の星」の2期製作が早まっていたかもしれない。
#*その場合は史実より彼の代表作が「巨人の星」一辺倒になっていた可能性もある。
 
==現在でも活動を継続していたら==
===伊武雅刀===
<!--現在も俳優として第一線で活躍中なので「もしあの人が声優だったら」とどっちにすべきか迷ったけど、一般に名を知られたきっかけは声優としてということもあり、こちらにしました-->
#当然現在もデスラー総統の声を演じている。
#*「2199」にも何らかの形で出演していた。
#「キング・オブ・ラスボス声優」と呼ばれている。
#*銀河万丈、小杉十郎太の仕事を奪っていた。
#井上瑤(現在の芸名の名付け親)が亡くなる前に、どこかで共演が実現していたかも。
#吹き替えでも大活躍。
#*宮部昭夫の没後、スティーヴ・マックイーンの吹き替えを引き継いでいた。
#こち亀の大原部長も演じていた。
#*史実通り実写版にも同じ役で出演となれば、両津役は香取慎吾にはならずラサール石井のままだったかも。
#スネークマンショーでの活躍は一種の黒歴史に。
#*でもそのギャップにファンは喜ぶ。でも女性ファンは引くだろうなぁ…
#**スネークマンショーの知名度も少しは上がったし、運が良ければ再結成もあった。
#**「ジャンキー大山」「畠山桃内」とかでネタ台詞も出るかもしれないが、放送コード的にも微妙。
#でもやっぱり最近は[[空から日本を見てみようファン|くもじい]]のイメージが強くなってる。
#もしかしたら青二プロダクションに移籍していたかも。
 
===今井由香===
#年齢とともに母親役や年配の女性役が多くなっていた。
#近年ではむしろ広汎性発達障害関連の講演に招かれることが多くなっていたかもしれない。
 
===遠藤ゆりか===
#当然中島由貴とばっちりを喰らうこともない。
#明坂聡美の降板も無かったかもしれない。
 
===小西寛子===
#その後も大地丙太郎監督のアニメの常連になっていた。
#<!--史実でおじゃる丸の後任だった-->西村ちなみの知名度は史実より低くなっていた。
#=おじゃる丸の音源無断流用を糾弾しなかったら、なのでおじゃる丸のスタッフを告発しようがなかったと思われる。
#思想が右寄りになることも無かった…かもしれない。
 
===志村由美===
#相変わらず声優界の中では最も小柄なのをネタにされていた。
#苗字つながりで志村けんと何かしらの縁があった……はず。
 
===白石文子===
#山口由里子、勝生真沙子、林原めぐみ、能登麻美子の役をいくつか奪っていた。
#*そして能登は豊崎愛生の仕事をいくつか奪うことに。
#*ひょっとしたら、山口さんの産休中にニコ・ロビンを代役してたかも。
#ジーンダイバー、アリス探偵局、アリスSOSの続編が放送される。
#40歳をすぎたこともあり、おばさん役が中心となっていた。
#DPまで『ポケットモンスター』でジョーイさんを演じていた。
#わさび版ドラえもんで玉子(のび太のママ)をやってたかも。
 
===吉川由弥===
#折笠富美子がアトミックモンキー(吉川の声優引退時の所属事務所)に移籍することはなかった。
#*仮に折笠が史実通り移籍したとしても、別の事務所を選んでいたかも。
#**場合によってはアイムエンタープライズに移籍していた可能性もあった。
 
==その他==
声優が絡んだ事件は[[もしアニメ・特撮であの事件がなかったら]]へ。
 
===神谷浩史がバイク事故で奇跡的に助からなかったら===
#復帰後に演じたキャラ達は入院時の代役を務めていた声優達が演じていた。
#中村光は未だに独身のままだったかも知れない。
#男性声優の勢力図が史実と大きく異なっていた。
#*声優アワード最多得票賞は受賞者が毎年異なっていた。
#**あるいは小野大輔が最多得票賞を毎年受賞していた。
 
===林原めぐみが今以上にインターネットに理解を示していたら===
#「林原めぐみのHeartful Station」「林原めぐみのTokyo Boogie Night」はすべてのコーナーでメール投稿が可能になっている。
#公式ブログを開設。アクセス、コメント数ともに業界No.1になっているだろう。
#*実際に開設はしたが、史実(2015年)よりも早くオープンしたかもしれない。
#**Twitterアカウントももちろん開設。日髙のり子や山口勝平辺りとじゃれ合っていた。
#自分の出演しないアニメのサイトにもアクセスし、ヲタク業界にも詳しくなっているかもしれない。
 
===ルパン三世の声優が山田康雄で無く広川太一郎になっていたら===
ルパン三世で当初ルパンの声優はパイロットフィルム版の広川太一郎になる予定だったがスケジュールの都合で出演できず、急遽、山田康雄がルパンを演じる事となった。
 
仮にルパンの声優が広川太一郎になってた場合どうなっていただろうか!?
#栗田貫一のモノマネのレパートリーが一つ減っていた
#山田康雄と言えばクリント・イーストウッド
#*あるいは「お笑いスター誕生」
#*晩年は史実よりも多くのアニメに出演していた。
#ルパンを演じたおかげで広川太一郎は大出世
#広川が演じた場合、ルパン三世は現実同様、ロングランしていただろうか・・。
#*映画「風魔一族の陰謀」以降TVシリーズでも古川登志夫がルパン役をずっと演じている可能性もあり。
#「霧のエリューシヴ」が遺作になった。
#『名探偵ホームズ』(正式タイトル失念:アニメ版)のシャーロックホームズ役の声優が、別の人の変わってかも…。
#後期のルパンはオヤジギャグばっかりしゃべっていた。
#亡くなった後はだれになっていただろう・・・
#*山寺宏一、山崎たくみ、子安武人の内だれかだったと思う(富山敬も存命なら候補になっていたかも)
#**仮に子安武人が後継声優になっていた場合はGREEN vs REDでヤスオを演じていたのは杉田智一だった
#***実際たまに声質が似ているって言われるし
#**そもそも「ヤスオ」じゃなくて「タイチ」って名前になっている
#*ウクレレえいじ(広川のモノマネをする芸人)って線も。
#*堀内賢雄あたりもありそう。
#ルパンのネタ台詞として「ちょんちょん!」が有名になり、モンティパイソンがもっと名の知れた存在になっていたかも。
#初代ナレーターを務めた「大阪ほんわかTV」のナレーションの口調にも少なからず影響を与えていた。
 
===声優アワードが1960年代から行われていたら===
06年末から始まった声優アワードですが、仮に大きく時代を遡って60年代から始まっていたのなら
#第1回の最優秀部門に輝いていた声優は池田秀一
#*それだと第1回は少なくとも1970年代後半以降に行われたことになるからあり得ない。
#*ここは鉄腕アトム役の清水マリでは?
#パーソナリティー賞は「パックインミュージック」放送開始年の1967年度から新設される。
#*その初代受賞者は「パックインミュージック」の木曜深夜(通称「金パ」)のパーソナリティーに就任した白石冬美。
#**でも当時はアニラジなるジャンルが確立されていないだけに、彼女は軽~く10冠くらいは楽に達成していたであろう。
#***「[[ラジオ番組ファン#JET STREAMファン|JET STREAM]]」の城達也を忘れてはいけません。故に最初の10年間のパーソナリティ賞は白石4冠、城3冠、野沢那智(「パック…」での白石の相方)3冠くらいになるのでは?
#上手くいけば塩沢兼人が10冠を達成していたか・・・それとも
#大山のぶ代もなんかの賞を受賞していたのでは?
#*少なくとも2005年度の特別功労賞は間違いない。
#1978年度の主演男優・女優賞は森山周一郎と田島令子。
#第1回の受賞者発表及び授賞式は国産テレビアニメ「鉄腕アトム」開始の翌年である1964年3月上旬に実施。
#歌唱賞は1966年度から新設。初代受賞者は『オバQ音頭』の曽我町子。<!--以下、1990年までの受賞者は以下のとおり。
#*1967年 - 関敬六、石川進、愛川欽也(「スーパースリー」)
#**または、朝井ゆかり、野沢雅子、加藤みどり、千々松幸子、平井道子(「いたずらのうた」)
#*1968年 - 大平透(「グズラ音頭」)
#**または、熊倉一雄(「ゲゲゲの鬼太郎」)
#*1969年 - 加藤みどり(「モーレツ音頭(ア太郎音頭)」)
#*1970年 - 大塚周夫(「スカイキッドブラック魔王」)
#*1971年 - 堀絢子(「オバケのQ太郎」)
#*1972年 - 広川太一郎(「スノーク家のしつけ」)
#**または、富田耕生(「ドンちゃんのうた」)
#*1973年 - 該当者なし
#*1974年 - 栗葉子(「ビッケは小さなバイキング」)
#*1975年 - 藤田淑子(「ははうえさま」)
#*1976年 - なべおさみ(「長靴をはいた猫」)
#*1977年 - 小原乃梨子、八奈見乗児、たてかべ和也(「天才ドロンボー」)
#*1978年 - 小原乃梨子、八奈見乗児、たてかべ和也(「ドロンボーのシラーケッ」)
#*1979年 - 大山のぶ代(「ドラえもん音頭」)
#*1980年 - 戸田恵子(「コスモスに君と」)
#*1981年 - 小山茉美(「アラレちゃん音頭」)
#*1982年 - 三ッ矢雄二(「17才の伝説」)
#*1983年 - 太田貴子(「デリケートに好きして」)
#*1984年 - 飯島真理(「愛・おぼえていますか」)
#*1985年 - 小幡洋子(「不思議色ハピネス」)
#*1986年 - 志賀真理子(「フリージアの少年」)
#*1987年 - 潘恵子、佐久間レイ、荘真由美、山田栄子(「いつかきっと」)
#*1988年 - 堀江美都子(「ひみつのアッコちゃん」)
#*1989年 - N.G.FIVE
#*1990年 - 乱馬的歌劇団御一行様
#**または、TARAKO(「オレタルるーと」)-->
#1967年度のキッズファミリー賞は新井勢津朗(ケロヨンの声)。
#古谷徹は1968、1986、1987年に主演で受賞
#神谷明は1975、1983、1984、1988年(もしかすると1985年も)に主演で受賞。
#林原めぐみは1988年に助演(or新人)で受賞、1989、1995、1998年に主演で受賞。
#緒方恵美は1994年に助演(or新人)受賞、1996年か1997年に主演で受賞。
 
{{DEFAULTSORT:あのせいゆうか}}
[[Category:歴史のif検討委員会 芸能史]]
[[Category:もしも借箱/声優]]

2021年2月11日 (木) 21:12時点における版

声優になっていなかったら

男性声優

蒼井翔太

  1. 幼い頃からしていたテニスの道に進むか、歌手として成功。
  2. カリオストロは女性声優が演じていたか。
  3. ポプテピピック最終回の顔出し出演もなく、話題が減っていた。

佐藤拓也

佐藤拓也は俳優志望でしたが身長が低過ぎる事を理由に断念しました。ではもし仮に彼の身長が高く俳優デビューしていたら?

  1. 俳優として特撮番組に出演していた。
    • 恐らくスーパー戦隊シリーズに出演していた。
  2. 松坂桃李や千葉雄大の仕事を奪っていた。

中井和哉

前職は公務員です。ではもし声優にならず現在も公務員のままだったら?

  1. 今頃(2014年時点)は課長あたりになっていた。
    • 公務員批判の煽りを受けてクビになっていたかもしれない。
  2. 遅咲きでアニメで活躍している声優といえば若本規夫か金田朋子。
  3. 今でも関西に住んでいた。(国家公務員でなければの話だが。)

中田譲治

  1. 脇役俳優として遠藤憲一や松重豊の仕事を奪っていた。
  2. 『ロードス島戦記』のカシューは別のデザインになっていた。
  3. 声優紅白は実現しなかった。
  4. TYPE-MOON作品への出演、『空の境界』を読破することはなかった。

森田成一

  1. 未だにモーションアクターをやっている。

若本規夫

前職は警察官です。ではもし声優にならず現在も警察官のままだったら?

  1. 機動隊員としてあさま山荘事件などの赤軍関連の人たちを取り締まっていた。
  2. 警察官を定年退職した後は隠居生活を送っていた。
  3. 刑事ドラマの監修に協力していた。

女性声優

大西亜玖璃

  1. オスカーに残留して女優になっていた。
  2. PrimaPortaはなかったが最初からいない形で結成。

金田朋子

前職は会社員です。ではもし声優にならず現在も会社員のままだったら?

  1. 彼女が「魔女たちの22時」や「アウト×デラックス」で取り上げられることはなかっただろう。
  2. もしかすると仕事をあきらめて専業主婦になっていたかもしれない。
  3. ロリ声声優といえばかないみかまたはこおろぎさとみ。
  4. もしかしたら通りすがりにインタビュー受けた際に、余りにも奇特な声質!と言う事で声優のオファーが来た可能性も無きにしもあらず。

佐倉綾音

当初は劇団東俳に所属していたが、当時のボイストレーニングの講師から声優を勧められ、声優を志した。もし、勧められず、女優としてデビューしていたら。

  1. 平成生まれで東俳出身の声優といえば小倉唯一択だった。
  2. 同年代の有村架純、能年玲奈(現・のん)あたりの仕事を奪っていた。
  3. 同年代の新川優愛と共にT-PROJECT(東俳の系列)に所属できていた。
  4. 『リネージュ2レボリューション』のCMにもちろん顔出しで主演しており、FUJIWARA藤本敏史とともに「レボリューション!」をやっていたかも。

田中真弓

田中真弓はフジテレビのアナウンサー(正確には契約リポーター)の試験で最後の5人にまで残っていました。

  1. 当時のフジテレビは男尊女卑的な傾向があったので、数年程度で退職に追い込まれていただろう。
    • 仮に1981年の女性レポーターの正社員化の時まで残れていた場合は、「なるほど!ザ・ワールド」のリポーターになっていたかもしれない。
      • 場合によっては史実の益田由美の代わりに女子アナブームの火付け役になっていた。
  2. 酒井ゆきえの代わりに「ママとあそぼう!!ピンポンパン」のお姉さんになっていた。
  3. ナレーターの仕事は報道系の番組が中心になっていた。

戸松遥

2006年の東宝シンデレラの最終選考まで残っていた。

  1. 沢口靖子や長澤まさみと共演していた。
  2. 池澤あやかと同様『ピチレモン』のモデルになっていた。
  3. 当然ながらスフィアのメンバーとして活動することは無く、顔ぶれは今と変わっていた。
    • もしかしたら、阿澄佳奈がミューレに移籍してスフィアのメンバーになっていたかもしれない(史実では81プロデュースへ移籍)。
      • アスミスが前事務所の倒産のあおりで移籍したのは2008年で、スフィアの結成は2009年。可能性としては無きにしも非ず?
  4. 戸田恵梨香、北乃きい、北川景子の仕事をいくつか奪っていたかも。
    • 史実では北乃きいが関根麻里の後任として「ZIP!」のMCになったが、そうなっていたら戸松がなっていたかも。
  5. 東宝のカレンダーの常連になっていた。
  6. 史実で彼女が担当した役は声質が似ている能登麻美子や早見沙織が起用されていた。
  7. バラドル紛いの言動は・・・、多分そのまま。

生天目仁美

  1. 東京乾電池からワハハ本舗に移籍し、久本雅美や柴田理恵といっしょにバラエティに出演している
    • 芸名は「なばためひとみ」になっている可能性大。
    • ワハハ銭湯句に出演していた場合エア本関連素材としてニコニコでネタになっていた。
  2. 当然野望神社での伊藤静との夫婦コンビもなし。

野中藍

野中藍は宝塚歌劇団に男役として入りたかったのですが、身長が低いことや声が高いことを理由に断念しました。ではもし仮に彼女の身長が宝塚に入れるほど高く、宝塚に合格していたら?

  1. 史実通りに高校を卒業した場合は、桜乃彩音や紅ゆずるの同期になっていた。
  2. 声の高さが原因でおそらく娘役に回されていただろう。
    • それか仮に男役ができるぐらいの身長であれば一旦男役として入団して、その後に娘役に転向していた。
  3. どちらかというと売りはダンスとかになるのか?
  4. もしかすると、どこかで宝塚を辞めて結局声優に転向していた可能性もある。
    • その場合は太田淑子や葛城七穂のように「宝塚出身」ということで注目されていた。
    • ただしその場合は史実ほどアニメに出ることはなかった。

朴ロ美

朴は当時付き合っていた男性に振り回され、舞台俳優の道へ進んだのだが、仮に当時付き合っていた男性に振り回されず舞台俳優を目指さなかったら

  1. 当然声優としてブレンパワードでデビューしていない
  2. ハガレンのエドも∀のロランも朴が演じていない
    • BLEACHの日番谷やMAJORの大河も...。
      • この場合、誰が演じていたのだろうか・・。
        • 斎賀みつきか皆川純子あたりがやっていたはず。
  3. 腐女子トークも無かった
  4. 森田成一と出会う事も無かった。
  5. アニオタ、声優オタの世界でも、史実より嫌韓が多かった。
  6. 演劇集団円(まどか)は、オタの間では依然「西田健、三谷昇、津村鷹志が属していた(いる)劇団」という認識だった。 

日髙のり子

  • もし声優への転身を決意しなかったら
  1. 売れないアイドルのまま芸能界を引退し、今ではひっそりと暮らしていた。
  2. 史実で持ち役となっていたキャラは、もちろん別の声優が演じていた。
  • もしバラドルへ転身していたら
  1. もしかしたら猪突猛進型キャラが受けて売れっ子になっていた。
  2. タイアップだか何かの一環で声優にもチャレンジしていた。
    • となるとこの節に「日髙のり子」と書き込まれていた。

広橋涼

  • 大学卒業後、声優ではなく教員だった場合。
  1. 国語担当の先生である。
    • 教育実習では道徳だった。

水樹奈々

  • 演歌歌手として成功していたら
  1. 紅白の常連になっていた。
    • 史実よりも早く知名度が上がっていた。
    • 眞鍋かをりと顔が似ていることも早くから知られていた。
  2. この人の相方は未だにこの人である。
  3. その可憐なルックスから「エンドル」(演歌を歌うアイドル)とみなされた。
    • 「氷川きよし以来の衝撃」と言われていたかもしれない。
    • とはいえ演歌以外の曲も歌ってそうな気がする。
      • 島津亜矢のようにカバー曲のアルバムやコンサートをやったかもしれない。
  4. 少なくともオタク人気はなかった。
    • 「実はアニメゲーム好き」なるエピソードが出てからオタク層からの支持を多少得ていた。
    • 日中帯のアニメでOP/EDを担当していたかもしれない。
      • 氷川きよしのように日中アニメの曲でAnimelo Summer Live参戦を果たしたかも。
  5. 藤野浩一氏とはオーケストラライブではなく、NHK歌謡チャリティーコンサートで関わる程度となっていた。
    • 史実でも2014年秋開催で初出演したが、演歌路線の場合は史実よりも早い時期に初出演を果たしていた。

三森すずこ

宝塚音楽学校に受験し最終選考まで残っていましたが、不合格となりました。もし合格していたら…

  1. 宝塚歌劇団では娘役を演じていた。
  2. 宝塚歌劇団の退団後は、ドラマや映画・舞台に出ていた他、テレビのバラエティ番組にも出ていた。
  3. その後のブシロードの歴史が史実と大きく変わっていた。
    • 「探偵オペラミルキィホームズ」はあったかどうか怪しい。
    • 「ラブライブ!」の園田海未は誰がやっていたのだろうか。
    • 当然ブシロード絡みでオカダ・カズチカと出会うこともなく、結婚することはなかった。

ブレイクしていなかったら

井上喜久子

  1. もちろん「17歳」教は存在せず、実の娘も声優業界入りしなかった。

たかはし智秋

  1. 声優においてそこまで体型が重視されることはない。
  2. 言うまでもなく声優活動を中止しグラビアアイドルに専念している。
  3. SNKヒロインズの女体化テリーは別の女性声優が担当した可能性も。

林原めぐみ

  1. 少なくとも今のアイドル声優界は無かった。
  2. 新谷良子も業界入りしてなかった。
  3. メグミ・レイナードも存在しなかった。
    • 当時はメイドは今ほどメジャーではなかったし、元スチュワーデスだとハルカさんとキャラがかぶりそうなので、代わりに登場していたクルーは巫女経験者と想像。

堀江由衣

  1. 林原めぐみ同様に(以下同文)。
  2. 小松未可子や竹達彩奈、AKBメンバーなどの憧れの存在にはならなかった。
  3. 「17歳教」の「幹部」の顔ぶれが変わっていた。
    • 声優界の「汚部屋」の代表格が変わっていた。

山寺宏一

  1. 国民的声優になっていなかった。
  2. おはスタは放送されなかったかもしれない。
    • 放送されたとしてもMCは違う人になっていた。
  3. ものまねタレントしての活動もほとんどなかったか。

あの人が声優として成功していたら

声優業以外で有名になった人物が、声優として有名になっていたら、あるいは声優業をメインに活動していたら?

  • 乱立防止の為、記載は実際に声優活動の経験がある人物に限ります。

新垣結衣

『デジモンセイバーズ』でのレギュラー出演や『超劇場版ケロロ軍曹』のゲスト出演で声優を行っていた。

  1. 同年代の花澤香菜の強力なライバルになっていた。

桜塚やっくん(斎藤恭央)

  1. お笑い芸人の仕事は続けるが、「斎藤恭央」名義での活動が中心となる。
    • 杉田智和や鈴村健一、一条和矢あたりの仕事をいくつか奪っている。
    • ゲーム版からの流れで、テレビアニメ版の『NANA』に藤枝直樹役で出演。
    • 『名探偵コナン』にも複数回ゲストキャラとして出演している。
      • しかし「桜塚やっくん」として映画紹介特番には出演。これは史実通り。
      • 逆に日本テレビ『エンタの神様』に「スケバン恐子」として出る事が無かったか…。
      • 2007年10月22日放送のスペシャルで実際にゲスト出演。久しぶりに声優・斎藤恭央を見た(名義は「桜塚やっくん」のままだったけど)。
    • その他、腐女子向け作品で主要な役を占めるようになる。
    • 俳優活動を行う際も「植田浩望」名義は使わず本名のまま。
  2. 「桜塚やっくん」と「斎藤恭央」の関係が、「レイザーラモンHG」と「住谷正樹」の関係に例えられていた。
  3. 2009年10月に起きた「T.M.Revolution」・西川貴教への詐欺事件で、犯人の名前(の読み)が同じだった事から、所属事務所へ問い合わせが殺到した。
  4. 2013年10月に交通事故で亡くなった時に声優仲間が結構追悼してくれていた。
    • それ以前にあの事故自体が起こらず、現在も健在だった可能性の方が高いのでは?声優と芸人の活動と平行して美女♂men Zの活動をしていたとは考えにくいし。

仲間由紀恵

  1. 大河ドラマの主役や紅白歌合戦の司会なんてまずありえない。
    • むしろ伊東美咲あたりが史実の仲間の地位にいた。
    • 仲間自身は声優として紅白出演を果たしていたかも。(2009年の水樹奈々のように)
  2. 水樹奈々、田村ゆかりあたりの仕事をいくらか奪ってる。
  3. アニソンのみだが歌手活動も継続し、そこそこ売れる。
  4. 何らかの形でアニゴジに出演していた場合ゴジラとガメラ両方に出演した珍しい役者になっていた。
  5. 尾木プロは声優にも力を入れるようになっていた。

千秋

  1. ポケットビスケッツは結成していなかった。
  2. 金田朋子のライバルになっていたかも?

荻野目洋子

  1. 鶴ひろみの妹分として売り出しがかかり、多数共演を果たす。
    • 当然ドラゴンボールシリーズにも・・・。
  2. バブリーダンスで再ブレークすることはなかった。
  3. 可能性として高いのは「アイドル歌手としてデビューしたものの、その後失速→声優業をメインに移行」というパターンか(日高のり子や佐久間レイらと似たパターン)。

改名しなかったら

佐々木望(現:ささきのぞみ)

  1. 異音同字の男性声優「佐々木望」(のぞむ)と激しく混同され、「前田愛」以上のややこしさだったに違いない。
    • 「えっ、『浦飯幽助』と『パトリシア・マーティン』が同一人物?」とか言われている。
    • Wikipediaで、ログインしたばっかりのユーザーによって「佐々木望_(男)」、「佐々木望_(女)」とか、無茶苦茶な記事名の移動が行われている。
      • もちろん、後に移動依頼を経てそれぞれ「佐々木望_(男性声優)」、「佐々木望_(女性声優)」と移動し直され、場合によってはお家芸移動保護もかけられていることでしょう。
    • 共演したら台本とか大変だな。呼ぶぶんには問題ないけど…
      • それよりもエンディングテロップのほうがエライことに…
    • 林原めぐみのラジオ番組に佐々木望(のぞむ)と間違って呼ばれる。
  2. 逆にモデルの佐々木希と混同されることはなかったはず。

原田佳奈(現:阿澄佳奈)

  1. 当然、就活女優「ハラカナ」との混同は避けられない。
  2. 現在の愛称である「あすみん」や「Yes, アスミス」は誕生していない。
  3. 間違いなく田佳奈と混同するだろう。
  4. 某アニメで「ほっぺた真っ赤のロリっ娘」が先にデビューしてしまい、就活女優のほうが改名を余儀なくされていた可能性も。
    • ブレイクの時期を考えると、それは有り得ない感じがするが…。
    • 「へえ、あんたも原田佳奈っていうんだ?」

野上ゆかな(現:ゆかな)

  1. 間違いなく野川さくらと混同するかも。
  2. 西武ライオンズの野上亮磨と血縁関係があるのでは、とネタにされる。

ブレイクしていたら

個人

会一太郎

  1. Twitterでの呟きが趣味のゲーム関連ばかりになる事は無かった。
    • ファンタシースターオンライン2関連で物議を醸す事も無かった。
  2. 落合福嗣の役を幾つか奪っている。

小尾元政

  1. 主演作である『女神候補生』のドラマCD版は福山潤にならなかった。
  2. ガンダムシリーズのいずれかの作品で主演していた。

白石稔

  1. らき☆すたに登場することはなかった。
    • あるいはこなたの恋人役とかで出演していた。
      • こなたではなくあやのだと思うメインキャラに恋人がいないのはコンプレックスの一つとして散々いじくってたから
  2. 「らっきー☆ちゃんねる」では逆に小神あきらをアシスタントに従えている。
    • そうすると、白石みのるが「小神あきら」という名前になっていて、代わりに史実の小神あきらが「今野ひろみ」名義だった。
  3. 涼宮ハルヒの憂鬱にてキョン役を演じている。
  4. 高木渉・うえだゆうじ・松本保典・等の役をいくつか奪っている。
  5. 声優アワードでいくらか賞を取っている。
  6. 四国中央市の誇りである。
  7. スネ夫の声やってそうだ。
  8. ローカル局の旅番組に出演してたりして。
  9. 声質が似ている田中一成が演じていた役の代役や後任を担当していたかも知れない。

鶏内一也

  1. 少なくとも余りの出演作の少なさをネタにされる事は無かった
  2. スパロボ専用声優と呼ばれる事も無かった
  3. 学園ものとかにもチョイ役で出演していたりして

ユニット

AGC38

参照:wikipedia:ja:AGC38。あくまでもキャラクターメディアミックス企画で声優ユニットはその一環ですが。

  1. ラムズは倒産しなかった。
  2. 旭硝子とコラボしていた。
  3. 横河武蔵野FCはJリーグ昇格せずとももっとメジャーになっていた。
  4. 漫画も小説も紙媒体で掲載されていた。
  5. 「およげ!たいやきくん」がリバイバルヒットしていた。
  6. 声優ユニットでもアルファベット3文字に末尾が8の2桁番号を付けたグループ名が流行っていた。
  7. あいまいみーまいんも大ブレイクしていて活動期間も史実より長かった。

Kirakira☆メロディ学園

  1. グッドスマイルカンパニーは設立されなかった。
  2. 雛野真代が雛野まよを経て榊原ゆいに改名することはなかった。
    • エロゲー声優として活躍しなかったかも。
  3. OVAは予定通り発売されていた。
  4. ニッポン放送は文化放送並にアニラジを基幹事業としていた。
    • ライブドアによる買収騒動の時アニメファンによる堀江貴文へのバッシングが起きていた。
  5. 斎藤滋はフリーランスにならずミューラスでプロデューサーへ成りあがっていたかもしれない。

DABA

小野大輔率いる同い年(全員1978年生まれ)の自主活動声優7人組

  1. カバーアルバムを年に一回はリリースしていた。
  2. 同い年の声優による自主活動ユニットも増えていた。

あのユニットが解散しなかったら

みっくすJUICE

メンバー:植田佳奈、斎藤千和、中原麻衣、森永理科

  1. 2007年に結成5周年コンサートが行われていた。
    • そして釘宮理恵、高橋美佳子、田村ゆかり、早見沙織のいずれか1人が加わりメンバーは5人に・・・
    • 5年後の2012年には結成10周年コンサートが行われていた。
      • 日本武道館公演も実現させている。
  2. うたばんやHEY!HEY!HEYに出演していたかも。
    • ミュージックステーションやMUSIC FAIRも忘れるな。
  3. ケロロ軍曹(斎藤が日向夏美役で出演)の主題歌を歌ってたかも。
  4. 森永がアイムエンタープライズを退社することはなかったかも。
    • 史実通り退社していた場合、森永のポジションになりそうな女性声優が1人加わっていたかも。
  5. もし『ワンダバスタイル』がこのユニットとともに人気が続いていたとしたら、『ムスメット』は無かったかも。
    • ワンダーファームは萌え系の市場から撤退しなかったか、してももう少し遅かったかも。
  6. サンガリアとコラボしていた。

一時休業していなかったら

ここでは現在も声優として活躍しているものの、休業期間があった人がもし休業していなかったらどうなっていたかについて扱うこととする。

天野由梨

2000年から2003年まで一時引退していました。

  1. 新興宗教の噂がでてくることはなかった。
  2. 今でも「アンパンマン」のあかちゃんまんや、「名探偵コナン」の沖野ヨーコの役をやっていた。

井上瑤

1984年2月末から1985年5月上旬まで、1年3か月に渡って海外旅行をしておりました。特にインドには6か月半滞在しており、この旅行のためにしばらく声優業を休業しておりました。

  1. 「うる星やつら」のラン役を最終回までやっていた。
  2. 「機動戦士Ζガンダム」にセイラが台詞付きで登場していた。
  3. 史実よりはもう少し長生きしていた・・かな?

小山茉美

  1. 杉山佳寿子の代表作といえばいまだに「アルプスの少女ハイジ」のハイジか「うる星やつら」のテンのままだった。
    • 「キテレツ大百科」のみよちゃんやブタゴリラの声優変更もなかったかもしれない。
  2. 休業前の声質のままだったら、と考えると、現在のような外画やナレーションでの活躍はむしろなかったかも。

櫻井智

  1. 堀江由衣や田村ゆかりの台頭が遅れていた。
    • 彼女たちの役をいくつか奪っていた。
  2. 17歳教にも喜んで加入し、教祖様とのコラボも多数やっていた。

荘真由美

  1. 本多知恵子の役をいくつか奪っていた。
  2. 『ドラゴンボールZ』のチチ役、『キテレツ大百科』の野々花みよ子役を最後まで担当していた。

種田梨沙

  1. ≒持病を発症しなかったら、である。
  2. ミリオン4th以降のライブの演出も史実とは大幅に違っていた。
  3. 史実ほど神格化されることもなかった。

古谷徹

  • 「巨人の星」の放送終了後、しばらく学業を優先して休業状態だったことがあります。
  1. おそらく明治学院大学への進学はなかった。
  2. 「ガッチャマン」や「マジンガーZ」あたりにもレギュラーで出演していた。
  3. 「巨人の星」の2期製作が早まっていたかもしれない。
    • その場合は史実より彼の代表作が「巨人の星」一辺倒になっていた可能性もある。

現在でも活動を継続していたら

伊武雅刀

  1. 当然現在もデスラー総統の声を演じている。
    • 「2199」にも何らかの形で出演していた。
  2. 「キング・オブ・ラスボス声優」と呼ばれている。
    • 銀河万丈、小杉十郎太の仕事を奪っていた。
  3. 井上瑤(現在の芸名の名付け親)が亡くなる前に、どこかで共演が実現していたかも。
  4. 吹き替えでも大活躍。
    • 宮部昭夫の没後、スティーヴ・マックイーンの吹き替えを引き継いでいた。
  5. こち亀の大原部長も演じていた。
    • 史実通り実写版にも同じ役で出演となれば、両津役は香取慎吾にはならずラサール石井のままだったかも。
  6. スネークマンショーでの活躍は一種の黒歴史に。
    • でもそのギャップにファンは喜ぶ。でも女性ファンは引くだろうなぁ…
      • スネークマンショーの知名度も少しは上がったし、運が良ければ再結成もあった。
      • 「ジャンキー大山」「畠山桃内」とかでネタ台詞も出るかもしれないが、放送コード的にも微妙。
  7. でもやっぱり最近はくもじいのイメージが強くなってる。
  8. もしかしたら青二プロダクションに移籍していたかも。

今井由香

  1. 年齢とともに母親役や年配の女性役が多くなっていた。
  2. 近年ではむしろ広汎性発達障害関連の講演に招かれることが多くなっていたかもしれない。

遠藤ゆりか

  1. 当然中島由貴とばっちりを喰らうこともない。
  2. 明坂聡美の降板も無かったかもしれない。

小西寛子

  1. その後も大地丙太郎監督のアニメの常連になっていた。
  2. 西村ちなみの知名度は史実より低くなっていた。
  3. =おじゃる丸の音源無断流用を糾弾しなかったら、なのでおじゃる丸のスタッフを告発しようがなかったと思われる。
  4. 思想が右寄りになることも無かった…かもしれない。

志村由美

  1. 相変わらず声優界の中では最も小柄なのをネタにされていた。
  2. 苗字つながりで志村けんと何かしらの縁があった……はず。

白石文子

  1. 山口由里子、勝生真沙子、林原めぐみ、能登麻美子の役をいくつか奪っていた。
    • そして能登は豊崎愛生の仕事をいくつか奪うことに。
    • ひょっとしたら、山口さんの産休中にニコ・ロビンを代役してたかも。
  2. ジーンダイバー、アリス探偵局、アリスSOSの続編が放送される。
  3. 40歳をすぎたこともあり、おばさん役が中心となっていた。
  4. DPまで『ポケットモンスター』でジョーイさんを演じていた。
  5. わさび版ドラえもんで玉子(のび太のママ)をやってたかも。

吉川由弥

  1. 折笠富美子がアトミックモンキー(吉川の声優引退時の所属事務所)に移籍することはなかった。
    • 仮に折笠が史実通り移籍したとしても、別の事務所を選んでいたかも。
      • 場合によってはアイムエンタープライズに移籍していた可能性もあった。

その他

声優が絡んだ事件はもしアニメ・特撮であの事件がなかったらへ。

神谷浩史がバイク事故で奇跡的に助からなかったら

  1. 復帰後に演じたキャラ達は入院時の代役を務めていた声優達が演じていた。
  2. 中村光は未だに独身のままだったかも知れない。
  3. 男性声優の勢力図が史実と大きく異なっていた。
    • 声優アワード最多得票賞は受賞者が毎年異なっていた。
      • あるいは小野大輔が最多得票賞を毎年受賞していた。

林原めぐみが今以上にインターネットに理解を示していたら

  1. 「林原めぐみのHeartful Station」「林原めぐみのTokyo Boogie Night」はすべてのコーナーでメール投稿が可能になっている。
  2. 公式ブログを開設。アクセス、コメント数ともに業界No.1になっているだろう。
    • 実際に開設はしたが、史実(2015年)よりも早くオープンしたかもしれない。
      • Twitterアカウントももちろん開設。日髙のり子や山口勝平辺りとじゃれ合っていた。
  3. 自分の出演しないアニメのサイトにもアクセスし、ヲタク業界にも詳しくなっているかもしれない。

ルパン三世の声優が山田康雄で無く広川太一郎になっていたら

ルパン三世で当初ルパンの声優はパイロットフィルム版の広川太一郎になる予定だったがスケジュールの都合で出演できず、急遽、山田康雄がルパンを演じる事となった。

仮にルパンの声優が広川太一郎になってた場合どうなっていただろうか!?

  1. 栗田貫一のモノマネのレパートリーが一つ減っていた
  2. 山田康雄と言えばクリント・イーストウッド
    • あるいは「お笑いスター誕生」
    • 晩年は史実よりも多くのアニメに出演していた。
  3. ルパンを演じたおかげで広川太一郎は大出世
  4. 広川が演じた場合、ルパン三世は現実同様、ロングランしていただろうか・・。
    • 映画「風魔一族の陰謀」以降TVシリーズでも古川登志夫がルパン役をずっと演じている可能性もあり。
  5. 「霧のエリューシヴ」が遺作になった。
  6. 『名探偵ホームズ』(正式タイトル失念:アニメ版)のシャーロックホームズ役の声優が、別の人の変わってかも…。
  7. 後期のルパンはオヤジギャグばっかりしゃべっていた。
  8. 亡くなった後はだれになっていただろう・・・
    • 山寺宏一、山崎たくみ、子安武人の内だれかだったと思う(富山敬も存命なら候補になっていたかも)
      • 仮に子安武人が後継声優になっていた場合はGREEN vs REDでヤスオを演じていたのは杉田智一だった
        • 実際たまに声質が似ているって言われるし
      • そもそも「ヤスオ」じゃなくて「タイチ」って名前になっている
    • ウクレレえいじ(広川のモノマネをする芸人)って線も。
    • 堀内賢雄あたりもありそう。
  9. ルパンのネタ台詞として「ちょんちょん!」が有名になり、モンティパイソンがもっと名の知れた存在になっていたかも。
  10. 初代ナレーターを務めた「大阪ほんわかTV」のナレーションの口調にも少なからず影響を与えていた。

声優アワードが1960年代から行われていたら

06年末から始まった声優アワードですが、仮に大きく時代を遡って60年代から始まっていたのなら

  1. 第1回の最優秀部門に輝いていた声優は池田秀一
    • それだと第1回は少なくとも1970年代後半以降に行われたことになるからあり得ない。
    • ここは鉄腕アトム役の清水マリでは?
  2. パーソナリティー賞は「パックインミュージック」放送開始年の1967年度から新設される。
    • その初代受賞者は「パックインミュージック」の木曜深夜(通称「金パ」)のパーソナリティーに就任した白石冬美。
      • でも当時はアニラジなるジャンルが確立されていないだけに、彼女は軽~く10冠くらいは楽に達成していたであろう。
        • JET STREAM」の城達也を忘れてはいけません。故に最初の10年間のパーソナリティ賞は白石4冠、城3冠、野沢那智(「パック…」での白石の相方)3冠くらいになるのでは?
  3. 上手くいけば塩沢兼人が10冠を達成していたか・・・それとも
  4. 大山のぶ代もなんかの賞を受賞していたのでは?
    • 少なくとも2005年度の特別功労賞は間違いない。
  5. 1978年度の主演男優・女優賞は森山周一郎と田島令子。
  6. 第1回の受賞者発表及び授賞式は国産テレビアニメ「鉄腕アトム」開始の翌年である1964年3月上旬に実施。
  7. 歌唱賞は1966年度から新設。初代受賞者は『オバQ音頭』の曽我町子。
  8. 1967年度のキッズファミリー賞は新井勢津朗(ケロヨンの声)。
  9. 古谷徹は1968、1986、1987年に主演で受賞
  10. 神谷明は1975、1983、1984、1988年(もしかすると1985年も)に主演で受賞。
  11. 林原めぐみは1988年に助演(or新人)で受賞、1989、1995、1998年に主演で受賞。
  12. 緒方恵美は1994年に助演(or新人)受賞、1996年か1997年に主演で受賞。