もし日立製作所が日立市に拠点を作らなかったら

2021年5月10日 (月) 20:24時点におけるりんご3号 (トーク | 投稿記録)による版
ナビゲーションに移動 検索に移動
  1. 日立市は、平成の大合併で今の大きさになった。人口は6万人ほど。
    • 産業は銅山止まり。
    • 市名は「日立市」に変更されず、「助川市」のままだった。
      • 大合併で郡名由来の「多賀市」になっていた。
        • 滋賀県にありそうな名前だな。
    • 史実のように日立鉱山の名が知られていなかったとしても戦前からある水戸黄門ブームの流れにのって光圀公にゆかりのある日立を市名にしていた。
  2. 常磐線の水戸以北は普通列車が1時間に1本。
    • 2010年のダイヤ改正で上野発いわき行きはおろか高萩行きも廃止され、都内発はすべて勝田(以南)行きになっていた。
      • 水戸以北は719・701・E721系が主力だろう。そうなればワンマン運転を実施。
  3. 勝田・日立通過のスーパーひたちが大量にあった。
    • 勝田は車両センターがあるから止まるだろ。
    • スーパーひたちをスーパー常陸と書き違える人たちがいた。
      • 国鉄時代から勝田・日立に止まる優等列車は少なかった。
  4. そもそも社名は日立製作所じゃなかった。
    • 柏レイソルのホームスタジアムが「日立台」の通称で呼ばれることもなかった。
    • 「久原電機」もしくは「久原製作所」だったかもしれない。
      • レイソルの本拠地はそれでも変わらないか。
        • 水戸ホーリーホック・鹿島アントラーズの茨城県内での人気はもう少し高い。
  5. 茨城県の最大都市は水戸。周りの市町村は何がなんでも水戸に服従のポーズ。
    • 筑波学園都市ができたり、鹿島に工業地帯ができたりすれば結局は中心がバラバラになる。むしろ日立が存在しないせいで県北の力が低下し、土浦など県南への県庁移転が叫ばれていたかもしれない。
  6. 日立電鉄の大甕以北は建設されなかった。
    • 社名自体が常北電気鉄道のままだった。
      • 戦時合併で茨城交通に吸収合併され茨城交通常北線となったが、1970年代に廃止されていた。
  7. 戦前に官立多賀工専は設置されず、代わりに福島県に官立平工専が設置され、学制改革で福島大工学部になった。
  8. そもそも日製は日立鉱山の修理工場から始まるだけで、日製がなくても日産財閥系があるから今より栄えたかもしれない。
  9. 茨城県の企業に「常陸」「ヒタチ」を冠する名前の企業が多くなっていた。また東京周辺でも「常陸屋」「ひたちや」を名乗る屋号の商店は史実よりも多かった。
  10. 日本鉱業日立硬式野球部が史実より多く都市対抗野球本戦に出場できていた。
  11. 日立製作所硬式野球部は小平市の代表。
  12. ひたちなか市の拠点が実際より大きかった。
    • ひたちなか市が日立市になっていた。
  13. 日立工場は最初から三菱パワーの工場だった。