ページ「関西テレビ放送」と「もし阪神タイガースがあの年に優勝していたら」の間の差分

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*[http://www.ktv.co.jp/ 関西テレビ放送HP]
{{Pathnav|もし日本プロ野球であの球団が優勝していたら/セ・リーグ|name=阪神タイガース}}
==関西テレビの噂==
==~1970年代==
#通称「関テレ」
===1936年===
#*もしくは「カンテ~レ」
プロ野球初年度の1936年、秋季大会では最後まで巨人と優勝を争うも、プレーオフで敗れ優勝ならず。もし優勝できていたら?
#設立時の社名は「大関西テレビ放送」だったが、語呂が悪い為現社名に変更された。
#史実の第1次巨人黄金時代は、阪神黄金時代か群雄割拠の時代となっていたかもしれない。
#ハチエモン。
#*阪神のその後の成績も史実より良く、1950年代にもリーグ優勝を達成できていた可能性もある(日本一になれたかどうかは別だが)。
#*関西TV局のシュールなギャグセンスを交えた局CMの先駆け。
#**藤村富美男を擁する初代ダイナマイト打線が現実以上に強力となっていた。
#*ゲーム化もされている。
#*巨人の黄金時代到来は早くて戦後、あるいは2リーグ分裂後かもしれなかった。
#**でも、それはなかったことにされている?
#*グッズも売られてる。オフィシャルショップどころか、大阪みやげとして。[[東急ハンズ|ハンズ]]や[[ロフト]]にもある。
#*昔は実写版もあった。ハチエモンのヌイグルミを頭に乗せたオッサンが、屋上から「おーし、東京まで電波飛ばしたれ~!」つってるのとか。
#*ノーマルのやつの正体は卵。また、動物の仲間が多い。カメレオン、ペンギン、虎、ライオン、イルカ、麒麟、ゴリラ、兎、蛙、ワニ、鯨、象、蛇、怪獣などいろいろいる。
#*もうかれこれ10年以上、関テレの屋台骨を支えている存在となっている。現在の局キャラクター時代の先駆けともいえる。
#[[大阪市/北区#天神橋筋商店街|本社周辺]]は、夜になると人通りが少なくなるが、デンジャラスなフーゾクが密集しているからである。
#*あとパチ屋。天満/扇町駅周辺は何か多い。
#「さんまのまんま」を東京では深夜に放送している事実を知らない。
#*この番組は東京のレモンスタジオで収録されている。このため、当然ゲストは深夜番組に出演しているものと思っているため、ザックバランなトークを行っている。
#*因みに関西は金曜19時から。前は火曜日だったような?
#**もはやゴールデンでやる必要性はない。何のこだわりがあるんだろう?
#***土曜の夜11時半からとかにして同時ネットにすればいいのに。
#*この番組が、最長期間放映の局歴代No.1。もちろん記録更新中。
#唯一東京のキー局とチャンネル番号が同じ(8チャンネル)なので、東京から出張に来る人は大抵この局を見ている…らしい。
#*腸捻転時代は[[朝日放送]]も一緒でした。
#**実際に見ると、かなり裏切られた気分になる。
#**地デジでは[[テレビ大阪]]も一緒なります。
#ニュース速報の音がそこはかとなく不気味。
#*↑2003年までの[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]と較べればまだマシ。
#*[[千葉のメディア#チバテレビ|千葉日報ニュース]]のOP曲に比べれば全然マシだと思う。
#*それよりも、関西テレビの緊急警報放送テストの方が怖すぎ。
#*アルジャジーラの二ユースのオープニングも不気味。
#*でも怖いテレビの音楽といったら[[朝日放送|最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学]]で使われている音楽だよな~。
#*ここの速報のメロディーには、通常バージョンと、気象警報や地震速報などのバージョンの2種類がある。
#岡安アナウンサーは童顔すぎる。三十代に見えない。
#実は[[阪急阪神東宝グループ]]。
#*パッと見、[[阪急電鉄|阪急]]との繋がりはMBSの方が強そうに見える。[[大阪市/北区#茶屋町|茶屋町]]にあるから。
#**実際、阪急電鉄はMBS(開局当初はNJB新日本放送)の設立にも深く関わっている。
#*ぶっちゃけた話、今となっては関テレは'''グループの中ではお荷物'''。
#**更に親会社の阪急電鉄とも仲が近年悪い。
#*土曜日の夕方は、[[プロ野球/旧本拠地#阪急西宮球場の噂|西宮球場]]から[[オリックス・バファローズ#ブレーブス、ブルーウェーブの噂|阪急]]の試合の中継と相場が決まっていた。
#今の社長は「エンドレスナイト」の担当プロデューサー。
#*やしきたかじんも、よく社長室に行くんだとか。
#ヅラだった事をカミングアウトした[http://www.ktv.co.jp/ktv/ann/yamamoto.html アナウンサーが居る]。
#*「禿がニュース読んで何が悪い!」といったそうな
#*個人的には、関テレを見限ってフリーに転向して欲しいのだが…。
#**ニュースも読めるし、バラエティもこなせるから、フリーになって散々の梅淳よりは使えそう。
#なぜか万博公園周辺には関西テレビに対する抗議文が書かれている。私の知る限り20年ほど前から…。
#*大阪城内にもそんな落書きがあった…『関テレは詐欺や』って。
#アニメ版「ギルガメッシュ」の制作局。原作とは異なる部分が多い。
#*他の在阪局が毎年のように自社製作アニメを作ってる中、関テレはこれが'''30年ぶり'''の自社製作アニメだったりする。
#放送会社の中では一番給料が良いという事はあまり知られていない。
#*フジテレビと違って、労働組合の力が相当強いからという噂もある。
#*だからバイト上がりでも社長になれたのか(あるある問題で辞任した社長がそうだった)。
#*関西テレビ労働組合は、民放労連に加盟。その民放労連は全労連(共産党系)にオブザーバー加盟。
#*24時間放送を行っていないのもこれが原因と言われる。
#関ジャニ∞が看板。
#*ちなみに「エイト」は関テレの8chに由来。
#**「関ジャニ∞のジャニ勉」はBSフジでも放送中。
#*当局は[[ジャニーズ事務所]]への非難は原則として禁止である。
#**しかし、ドラマスタッフは一時期ジャニーズとの関係が最悪だった。
#*逆にキャンディーズ、SPEEDを始め、現在のハロー!プロジェクトなどの女性アイドルには冷たい。
#**ネット局が増えているキー局の「アイドリング!!!日記」も未だに関テレでは放送されていない(08年11月現在)。
#*女優においても冷たいようで、戸田恵梨香の大阪批判をそのままオンエアし、関テレ批評を取り上げた。それ以来、戸田と関テレは絶縁状態になった。
#**そして、関ジャニ∞のドラマに出演して和解となった。
#*フジテレビ主催でハロプロがPRキャラクターだった、サルティンバンコやキダムの宣伝をほとんどしていなかった。
#*モー娘。元メンバーの夫である真矢を筆頭とするLUNA SEAメンバー全員にとっては関テレを敵視しているのが現状。
#アンカーのオープニングが好き。
#*アンカーでたかじんと三宅先生にモザイクをかけたことがある(橋下弁護士の懲戒請求発言で)
#*で、アンカーの司会が例のハゲ。
#**片平さんのダジャレは・・・。
#*あの格好良いOPを見てたら、昔の「ANNニュースファイナル」OPをなぜか思い出した。
#[[産経新聞]]との仲が非常に悪い。
#*そして何故か、[[朝日新聞]]のCMをよく流していた。
#**むしろ、朝日新聞とはABCよりも仲良し。
#*他局はそれなりに新聞社のCMを流しているが、この局は殆どというか、全くと言っていいくらい産経新聞のCMを流さない。
#**SANKEI EXPRESSのCMも、直ぐに放送を取りやめた。
#**[[北海道]]の[[札幌テレビ放送|STV]]と[[読売新聞|読売]]の関係もこの関係に似ている。
#*ついでもって、石原慎太郎も大嫌い。
#*更に[[自由民主党|自民党]]大嫌い、[[社会民主党|社民党]]と[[日本共産党|共産党]]好き。
#**土井たか子の引退の時に長々と特集を組んでいたことがあった。
#**報道姿勢でも、朝日系の朝日放送、毎日系の毎日放送を遙かに凌ぐ左寄りという評判も聞く。
#**実は在阪局の中で最も共産党シンパが多いとも言われている。
#***ニュースANCHORで共産党議員をコメンテーターによく使う。
#*自社制作の報道番組でも、産経新聞関係の人間は徹底的に使わない方針。
#*大阪国際女子マラソンや広告大賞も、嫌々制作協力しているようである。
#**更には、上方漫才大賞も取りやめたいらしいとか…。
#**大阪国際女子マラソン大会も、大会そのものの継続自体が怪しい。
#*「R-1ぐらんぷり」放送当日も、産経新聞は完全に無視。
#**因みに番宣広告は何故か[[毎日新聞]]で掲載されていた。
#*「あるある」事件の時、産経新聞は辛辣に関テレを罵倒した。
#*もし産経新聞が[[読売新聞]]に買収されたら、間違いなくytvに急接近するだろう。
#**↑それは'''絶対にない'''。
#***寧ろ、TBSかテレ朝に接近かと。
#****ytvに接近するのは産経の方な。言い方が悪かった。
#*実は既に、保有している産経新聞株を外部に放出したという噂もあり。
#*関テレと産経新聞の仲の悪さを象徴しているのが、「服部克久と音楽畑コンサート Massage from HYOGO」である。産経新聞後援であるにもかかわらず、関テレは全く協力せずに、MBSが協力。
#*産経より共同通信の色が濃い。
#*ある番組のエンディングクレジットではフジテレビの目玉マークが省略されることもある。
#**フジテレビの製作著作クレジットが省かれる事もある。
#*ついでに言えば阪急も産経と仲が悪い。
#**ただし阪急とは親密な関係にあるMBSと産経の関係は悪くない。
#*特に産経と関テレとの関係は、他の在阪局と新聞社との関係の中では最も最悪。
#TVニュースのテロップの品質が安っぽい印象。
#*在阪局の中では、ダントツにテロップが汚い。
#開局して以来、社史を発行したのは、1968(昭和43)年、1989(平成元)年の2度だけである。
#藤本景子アナは、変にいじられ過ぎてる気がする。
#MBSに負けず劣らず、創価学会と聖教新聞嫌い。
#*MBSと同じく創価CMを流さない他、学会信者タレントも出さないという。
#あの「あさひ美容外科」(旧称・小国クリニック)のシュールなCMがこの局で見られないのは、院長が関テレを嫌っているという説が濃厚。
#*阪急・[[阪神電気鉄道|阪神]]の車両や駅に「あさひ」の広告が一切ないのもそれが理由か?
#最近調子に乗り出してる[[讀賣テレビ放送|ytv]]をライバル視している。
#*ytvにしてみれば、いい迷惑だろうに。
#間違いなく、他の在阪準キー局から見下されている。
#*唯一のよりどころは[[テレビ大阪]]のみ。ただし、地上デジタルはぜんぶUHFなのである程度ハンデが解消されるだから、なめてかかんなよ。
#**既にもう、TVOからも見下されていると思うが…。
#***ここ最近では、時間帯によってはTVOにも負け、最下位に転落する時間帯が出てきている。
#*他の在阪準キー局(MBS,ABC,ytv)と較べて番組制作能力が恐ろしく低く、ローカル番組を作っては悉く撃沈。しまいにフジをそのままネットしろと言われてしまう体質。
#**'''ゴールデンタイム(19~21時)に制作枠を持てないのが何よりの証拠'''。
#**そのくせ、上沼、さんま、たかじんでゴールデンタイムの番組を平気で潰す。スペシャル番組をフルで見たい視聴者やフジテレビへの逆ギレ攻撃。
#***未だに「えみちゃんねる」で視聴率が取れると思い込むこと自体、視聴者をなめてんだよ!
#*NHK大阪放送局(JOBK)、更にはサンテレビからも見下されている。
#**その上KBS京都からも見下されている。
#更に、東海テレビからも見下されている。
#*テレビ西日本、テレビ静岡からも。
#*逆にカンテレを尊敬する局を探す方が難しい。
#**秋田のAKT、石川のITC、岡山のOHK、広島のTSS、高知のKSS、大分のTOSとは仲が良い。
#***仲が良い、というよりは関テレの子分的存在。
#***ITCに関しては、関西テレビよりも東海テレビとの方が関係が深い(資本の関係上)。
#***AKTは関テレ以上にMBSとの関係が深いし、TSSやKSSもフジとの関係は悪くない。OHKも昔はフジと関係が悪かったが、今ではかなり関係が改善されている。
#***結局のところ、実際に関係が深いのはTOSぐらいでは?番組制作能力のなさ、番組編成の悪さ、地元民からの嫌われ具合も共通している。'''どうりで仲が良いはずだ!'''
#***北海道のuhbとの関係も比較的良好。2007年に放送されたドラマ「牛に願いを」の製作協力をしたから。
#*両局とも、2008年で開局50周年を迎えたが、50周年記念祭りの規模の大きさは、明らかに東海テレビの方が上回っている。
#アナウンサー志望の学生からも人気がないらしい。
#*人気ないっていうより、学生の間でも評判が悪いってことね(つまり悪い意味で人気がある)。
#営業利益の落ち込みがFNS系列局の中でも飛び抜けて激しく、経営状態は火の車と言われる。
#*キッズパークを216億円で買収するという話があるが、とてもじゃないけど厳しいと思われ。
#**保有しているフジサンケイグループ関係の株を売っても足りない。
#*まさに上沼、たかじんが一番の不良債権。「さんまのまんま」ももはや'''お荷物'''とか'''目の上のこぶ'''でしかない。
#青山繁晴は唯一神らしい。
#*この人が出演している水曜日だけ、スーパーニュースANCHORの視聴率が高いらしい。
#*但し、青山本人は辞めたがっているらしい。視聴率が取れる数少ない人材のため、関テレが何とかして慰留しているとか。
#嫌われ者と言えば、「西の関テレ、東のTBS」と言われるほどである。
#*放送局の体質も、恐ろしいまでそっくり。
#*次にやしきたかじんと喧嘩別れしそうな気がする。
#*ラジオまで含めると、[[TOKYO FM|ここ]]もそう。
#*とはいえTBSもやはり関テレを嫌ってる。準キーがMBSから変わるとしてもここだけは絶対拒否の姿勢。他のキー局も同様。
#**正直言って、TBSには関テレをバカにする資格は無いと思う。
#**TBSが関テレ思いだったら、文句なしでMBSとネットチェンジできると思うんだけど…。
#**TBSが駄目だったら、テレ朝に移りたいらしい。
#***現状ではどの系列行っても煙たがられるだろう。かといって独立局としてやっていけるだけの番組制作力もない。
#地元企業がなかなかスポンサーについてくれないか、ついてもろくなところがない。
#*スポットCMはハウス食品、エバラ食品、興和、損保系、及びACが多い。
#*地元企業の関テレ嫌いは結構すさまじく、関テレだけはCMを放送させないというところも割と多い。あさひ美容外科などは典型。
#*ローカル番組の差し替えが多いのも、実はこれが原因と言われている(番組購入するお金が全然ない為)。自業自得と言われればそれまでの話であるが。
#*大阪瓦斯などの在阪有力企業からも嫌われているらしい。因みにこの局のみ、大阪瓦斯一社提供の番組がない。
#**↑よく見たら、土曜の中途半端な時間に1つあったけど、視聴率は…。orz
#近年はプロ野球中継は言っていいほど放送されない。
#*昔は力を入れており、阪急戦を中継することが多かった。
#当初はテレ朝系列になりたがっていたが、産経の社長だった前田久吉や産経と関係の深いOBCの誘いによってやむなくフジ系列となってしまったとされる。


===関テレvsフジ===
===1968年===
#[[フジテレビ]]製作のドラマより関テレ製作のドラマの方が面白い。
1968年シーズン、阪神は江夏豊投手の獅子奮迅の大活躍などで巨人を猛烈に追い上げるも、9月18日の巨人戦(甲子園)でバッキー投手が乱闘に巻き込まれて負傷、9月28日と29日の対巨人後楽園3連戦(29日はダブルヘッダー)で頼みの江夏が打たれ、結果的にそれが祟って優勝を逃してしまいました。もしこのシーズンで阪神が優勝していたら?
#*↑それはアンタの主観やろ。
<!--#**↑主観でええんや(このサイトは)。-->
#*関テレ製作と言いつつ、撮影は全て東京で敢行。そして見てるほうも関テレ製作であることを知らない。
#一時期、何故か華麗なる一族([[TBS]]系)のネタをやたらと出していた。理由はやっぱりその裏番組がアレだったからか…?(たぶん後述4の理由)
#「笑っていいとも!」の視聴率がFNSの中でも極めて悪い。
#*他の系列局では、番組前半に地域毎のローカルスポンサーが付いている事が多いが、この局に限っては、放送開始して以来唯の'''一度もローカルスポンサーが付いたことがない'''。
#**サンテレビやKBS京都にも余裕で負けるらしい。
#***サンテレビの「時代劇アワー」ですら、日本直販とはいえ、スポンサーが付いているというのに。
#****初期の「必殺シリーズ」をサンテレビで放送した結果、関テレに視聴率で圧勝してしまったとか。
#*振り向けばテレビ大阪…。
#*本音では「京都!ちゃちゃちゃっ」に差し替えをしたいはず。
#実は[[TBS]]系列に移りたいらしい。
#*もしくは[[テレビ朝日]]系列。
#**というより、フジテレビ系列と絶縁したい。
#***特定の新聞色を払拭する意味合いでは、JNNへのネットチェンジは打って付けなのだが。
#****因みに、大株主の[[文化放送]]を通して、テレ朝とも僅かながら関係がある。
#*そしてフジは毎日放送と手を組みたいらしい。丁度いいというかなんというか。
#*てなわけで、[[もし毎日放送がFNS系列、関西テレビがJNN系列なら|こんなページ]]作ってみました。
#*元々は、TBS系志向は、MBSやABCよりも強かったとされる。社史でも、既にABCがKRT=TBSと組んでいたために組めなかったという記述も観られる。
#**MBSの場合は、毎日新聞資本で「繋がればいいなぁ」という程度の認識だった。
#フジテレビの番宣が、系列外の[[毎日放送]]よりもかなり少ない(一応のライバル局なのに…)。
#飛び乗りが目立ち、基本的にはローカルセールス枠はキー局番組の同時ネットを拒否。
#*1週間のゴールデンタイムに2時間ローカル番組(月7と金7を合わせて)を放送するのは日本ではここだけ(独立UHFを除く)。
#*春や秋、年末年始の改変期に月や金に特番が組まれた時は、必ず飛び乗りや短縮をすることがある。
#**特に「HEY」のスペシャルの飛び乗りの時は、上沼氏の番組が槍玉に挙げられる。
#***ダウンタウンと関テレの不仲説もあり。
#****実は、'''ダウンタウンは関テレの番組には絶対に出演しない'''方針を固めているから。
#****関テレだけダウンタウンの番組が思いつかない。他局は少なくともひとつは出るのに。
#*****「HEY!HEY!HEY!」以前から不仲は囁かれていたが、原因ははっきりしていない。ダウンタウンとしては'''「HEY!HEY!HEY!」を関テレにはネットしたくないらしい'''。
#*****ただ、大塚愛と(大阪に住む)その家族にこの編成を非難されたのは事実。
#***しかし、さんまやたかじんの番組はさほど叩かれない。
#****キー局の金7は死に枠だからな。
#***上沼及び関テレは名探偵コナンを徹底的に嫌う。
#****コナンも上沼も「子供に見せたくない」もの。上沼はゲストやスタッフに対して相当傲慢らしい(目を合わせても挨拶をしない、とか)。
#***でも最近は視聴率が良くないらしい。主婦の上沼離れが進行中。
#****テレビ大阪にも負けているらしい。
#***上沼の夫は関テレ社員(今もか?)
#****関テレの関連会社に無事に天下りました。
#*「めざましどようび」も7時からの飛び乗り(大半は6時からなのに)。
#**土曜6時は某東海ローカルの番組を入れてまで「めざまし」を潰す。呆れてものが言えない。
#**明らかに視聴者にケンカを売っている。
#関テレを「関西のフジテレビ」と形容する人はかなり少ない。
#*むしろ最近では、ABCに代わって「関西のTBS」と形容されることも。
#CXが関西での番組収録を行う際も、関テレは全くと言っていいほど協力しない。
#実のところ、関テレの高視聴率番組の殆どはCX制作であり、ローカル編成ではABCやMBSの後塵を拝し続けている。
#*土曜朝のワイドショー枠は悲惨。
#関西広域4局のうち、全国ネット枠が圧倒的に少なく、関西テレビ制作枠までフジテレビアナウンサーが出てくるので、例の不祥事が出るまで関テレ制作と認識されなかった。
#なんとなく、[[秋田のメディア#秋田放送編|ここ]]と[[日本テレビ|ここ]]との関係とかぶる。[[TBS|この系列]]に移りたがっている所なんかが…。
#*[[愛媛のメディア#南海放送|ここ]]も忘れないで…。
#若年性視聴者を嫌っており、批判的な意見を無視する。
#*この辺りも、TBSと雰囲気がかぶってしまう。
#CXのみならず、他のFNS系列局とも仲がよろしくない。
#*系列局へのローカルセールス番組の販売実績もあまりよろしくない。
#**系列外への番組販売はもっと悲惨である。
#***民放連からの除名処分を受けたとき、「関テレの再生を系列局を上げて支援すべき」とCXの社長が言っていたが、実際に同調する声は少なかった様である。
#****最近でも、関テレのローカルセールス番組をネットする計画があったが、悉くFNS系列局から蹴られる結果に。
#*****比較的仲良しと見られていた、[[愛媛のメディア#テレビ愛媛|ここ]]からも蹴られた。
#*****反フジで一致しているせいか、[[大分のメディア#テレビ大分|テレビ大分]]とは今でも仲がいい。あの事件以降も、[[大分のメディア#テレビ大分|TOS]]は「えみちゃんねる」「はらぺこ亭」を不定期ながらも放送している。
#*FNS系列局と仲が良いのは[[毎日放送]]。なんだかんだ言ってMBSは人気者。
#**殆どが当時のNET、現在のテレビ朝日系列とのクロスネットとして開局しており、またその当時NET系の準キー局であったMBSの番組を多くネット受けしていた実績もあるため、番組ソフトの面でかなり助かった様である。
#***現在の[[テレビ東京]]とかぶる面がある。
#****関テレよりも、MBSの番組の放送率が遙かに高かったFNS局もあったとか。
#*****[[テレビ静岡]]や[[福井のメディア#福井テレビの噂|福井テレビ]]等は、'''関テレの番組を平気でMBSの番組に差し替え'''を行っていたほど。
#******'''だって関テレの番組よりも数字取れるんですから。'''
#**元クロスネットの場合、[[朝日放送]]や[[讀賣テレビ放送]]とも割りと親密だったりする。
#**[[長野のメディア#長野放送|長野放送]]は一貫してクロスでないものの、関テレよりABCの番組の方多かった。
#*代表格と言えるのは[[沖縄のメディア#沖縄テレビ放送|沖縄テレビ]]。関テレ連ドラ枠を日テレの連ドラに差し替えて放送したほど。
#[[テレビ静岡]]でさえも、関テレを敵視している。
#*この局も、腸捻転時代はMBSの番組を多く放送していた局であった。
#岡山放送とCXとの関係を悪化させた黒幕との見方が強い。
#「視聴者の見たい番組」は一切放送しない。
#CXと違い、アニメに対して非常に冷淡である。
#フジテレビ及び産経新聞と言うより日枝が嫌いと言う説が根強い。
#どう考えてもTBSの方がマシ。まだ番組制作能力があるから。関テレは上沼に怯える傀儡組織でしかない。
#*いや、TBSは何度も不祥事を起こしているのに民放連を除名されないのとは反面、関テレは1度の不祥事で民放連を除名されているのだから、むしろ関テレの方がマシだと思う。
#*なら制作力も無い上、不祥事イメージがこびりついてるテレ朝こそ存在価値なしだな。
#フジに勝っているとしたら、[[競馬ファン]]の評価。
#*杉本清、馬場鉄志両氏の他にも、実況技術の高いアナが多いので安心して見てられる。
#*フジの競馬中継が騒々しくなってからは特に…。
#*ディープインパクトの三冠がかかった菊花賞を合同中継したことがあるけど、どことなく気まずい空気が流れていた記憶がある。
#近畿広域局である関西テレビ放送の視聴者は「ネプリーグ」を木曜19時(現・「日本人テスト」枠)に移行してほしいみたい。
#*ネプリーグ 当時水曜全国ネット23時(30分放映)→現在月曜ローカルネット19時(「快傑えみちゃんねる」枠・54分放映)→木曜全国ネット19時(理想・57分放映)。
#*理由は再度全国ネット枠昇格(現在はローカルネット枠降格だがゴールデン)でクロスネット局(テレビ大分やテレビ宮崎など)以外同時ネットであるから。
#ちなみにフジとネット締結に至ったきっかけは阪急東宝グループでも産経でもなく共同通信。
#*そのためMBSは共同通信と犬猿。
#*むしろ昔産経の社長だった前田久吉や産経と関係の深いOBCが関テレを産経の関連会社にしてしまったためフジとネット系列に至ったとされる。


==「あるある2」番組捏造問題==
#巨人のV9はV3になっていた。
#「あるある大事典2」で捏造発覚。健康番組なだけに、他局のやらせよりも数段たちが悪い。
#阪神と阪急の日本シリーズがついに実現。
#*造りすぎた納豆、'''お前ら全部食え!'''(業者的叫び)
#*バッキーがいなくても村山と江夏の両輪、そしてカークランドの大活躍で阪急を寄せ付けず、初の日本一になっていた可能性大。
#**結構売れてるけどねぇ。(小売店的独り言)
#**しかし、阪急に米田・梶本の左右両エース、野球博士スペンサーがいるため、そう簡単に阪神は勝てない。
#*見てなかったので、興味なかったけど、他局([[テレビ朝日]])の小宮さんのニュースで発覚前、「納豆が食べれない」って取り上げられてたよ。所詮は情報操作。詳しくはマスコミのページに書いてあるよ。
#*どちらが日本一になっても関西特に兵庫県内での盛り上がりは尋常ではなかった。
#*番組制作を孫受けに任せっぱなしにしてるからこんなことになるんだよ。
#この時優勝していたら、1973年の悲劇はなかった。
#*とりあえず[[茨城|ここ]][[福島|ここ]]の人たちにもちゃんと謝っておきなさい!!
#*どうかな?2008年の事例もあるだけに…
#とうとう打ち切り決定。
#現実以上に巨人への一極集中は進まなかった。
#*この一件で警察による強制捜査にまで及ぶだろうか?
#後に史実通りこの68年生まれの阪神の選手が多くなると「優勝ベビー世代」と呼ばれていた。そして「優勝ベビーが優勝請負人」と言われたかも。
#**[http://opendoors.asahi.com/syukan/index.shtml 「週刊朝日」]の質問状に答えるた為に発覚したらしい。それを嬉しがる、'''<font color="#ff0000">テレビ朝日</font>'''
 
#***と思いきや、今度は[[朝日新聞]][[読売新聞|他所の新聞]]の写真・記事を盗用していた事がバレ'''<font color="#ff0000">火達磨</font>'''。
===1969年===
#****まるで[[民主党]]の自爆を見てるようだった。
1969年のシーズンは前年と同じく首位巨人に6.5ゲーム差の2位に終わりましたが、もしこの年阪神が優勝していたら…。
#今回の捏造。「全国ネットの制作番組が少ない関テレにとって、大きな痛手」になるそうだ。
#巨人のV9はV4になっていた。
#*そもそも大阪のマスコミのくせに、全国ネットなどと生意気に大きく見せようとするから痛い目にあっただけ。
#この年の日本シリーズは阪神対阪急の関西ダービーになっていた。
#**そんな大層な器じゃないんだよ!ここは。
#翌年に大阪万博の開催が控えていたので、それと合わせて大阪の町は大盛り上がりに。
#***今の言葉に異議あり!大阪だって作る権利はある。むしろこの責任を関西テレビに丸投げした関東の会社が悪い。
#後藤次男はもう少し長く監督をしていただろう。
#**まるで[[鹿児島|どこぞ]]の商売人みたいだねw
 
#*このまま民放連脱退なんてことはないよなぁ・・・・
===1970年===
#**ついに除名されてしまったorz
1970年のシーズンは首位巨人に僅か2ゲーム差の2位に終わりました。もしこの年阪神が優勝していたら…。
#*でも実際に製作したのは東京の製作会社。だからといって番組丸投げ制作の責任が逃れられるわけでもないけど。
#巨人のV9はV5になっていた。
#**制作会社は業界団体から事実上追放らしい。しかしトカゲの{{あきまへん}}切りとの誹りは・・・・
#この年は大阪万博が開催されたこともあり、それと合わせて大阪の町は大きく盛り上がっていた。
#**製作ディレクターに至っては札付きの前歴のある、素行も悪い人物だったとか。
#*1964年の東京五輪の年も阪神が優勝していたことから、高度成長期における日本の2大イベントがあった年はともに阪神が優勝していたことになる。
#*ついに日曜21時台枠をフジに返上することが決定。また一つ、カンテレ製作の全国ネットが一つなくなってしまった。
#阪神vsロッテの日本シリーズが現実よりも35年早く実現していた(現実には2005年に実現)。
#**十月からの火曜22時台のドラマもフジに返上orz。
#*2005年の日本シリーズの時には、マスコミが1970年のシリーズを振り返るような報道をしていた。
#***裸の大将もフジ制作に。
#*2005年といえば[[愛知万博]]が開催されたこともあり、何かと1970年と比較されていた。
#***違いますよ。
#**加えて阪神がリーグ優勝・日本一になった1985年にはつくば科学万博が開催されたので、「日本で万博が開催された年には阪神が優勝する確率が高くなる」みたいなことを言う人も出ていた。
#しかし、食品業界などとは異なり、どんなにひどい不祥事を連発しても関テレが潰れるという事はありえない。マスコミがぬるま湯といわれるのはこの辺が原因だろう。
#***日本では過去に5回(1970・1975・1985・1990・2005年)万博(特別博を含む)を開催しているが、そのうち3回の年に阪神が優勝しているため。
#この番組、言っちゃ悪いけどタイトル(「あるある」という言葉を使った)時点で捏造だったらしい。(なぜなら、今回の件が他の企画でも行われていたから。)
#*小山正明は日本シリーズで古巣と対戦。
#予想通りというかなんというか、神奈川県警の不祥事並みに次々とわんさか発覚してきている。
#1973年も優勝できていた?
#*納豆の回だけでなく過去にあったレタス特集にも捏造があったことが発覚。そのうち芋づる式に数々の捏造が明らかになるのでは。
#巨人とロッテは日本シリーズ未対戦のまま。
#新番組「捏造!あるある大事典」
#翌年ももう少しまともな成績を残せていた。
#お笑いコンビの「レギュラー」が困りそう。決まり文句の「あるある探検隊」を別のセリフに変えるのか?
 
#*そういえば,「レギュラー」あまり見ない気もするが・・・・・・。
===1973年===
#ついに民放連除名決定。静岡第一テレビの例から言っても北京オリンピック直前まで再入会はないものと思われる。
1973年シーズン終盤、阪神は巨人と優勝争いをしM1まで行きましたが、残り2試合(中日戦・巨人戦)に連敗して優勝を逃してしまいました。もしこのシーズンで阪神が優勝していたら?
#*↑何せ大手局の除名は前例がないからね。下手すりゃこのまま復帰'''できない'''かも?[[阪急阪神ホールディングス|ここ]]の株も下がるだろうな……。
#巨人のV9はV8になっていた。
#**多分それはない。静岡第一テレビの時と同じように、ほとぼりが冷めた頃に気がつかないうちに復帰していたとかいうオチかと。
#もちろん、阪神が日本一になっていた可能性もあり。
#* 来年がオリンピックでよかったね>シーチャカ以下役員の皆様
#*阪神の日本一は1973年と1985年の2回になっていた。
#*ついに'''条件付再入会決定'''。北京オリンピック放送のための処置であって完全復帰では無いが。
#**その場合、1985年の日本一は12年ぶりということになり、現実より大騒ぎにならなかった。
#総務大臣には停波処分まで示唆されてしまった。[[NHK]]のことといい人事といい、介入好きの[http://www.sugayoshihide.gr.jp/ 菅ちゃん]だから。
#*ちなみにこの年日本シリーズに登場した南海は当時のシリーズチーム通算の最低打率(.185)を記録している。おそらく、江夏・上田二朗・古沢憲司の投手陣ならこうなっていた可能性大。
#*でもそのくらいちらつかせないと、テレビ局は痛くも痒くもないから。営業的には。
#当時の監督の「猿でもタバコ吸うんか」という暴言はなかった。
#*これで停波示唆なら、[[TBS]]のあの事件は停波執行だろう。
#*故に権藤正利投手も翌74年、22年目のシーズンを迎えていた。
#*[[テレビ朝日|テレ朝]]も何度救われたことか。
#*「猿でもタバコ吸うんか」の暴言は5月のものなので、優勝すれば権藤正利投手はさして同情されず、一方的に袋だたきになった可能性があった。
#だが、番組自体は外注で'''実質関テレが、というよりフジテレビの下請けが製作しているようなもの'''だという事実は伏せられている。
#長嶋茂雄はこの年に引退した。
#*伏せられてないじゃん。番組丸投げが原因だって言われてるんだから。テレワークがフジの系列だっていうのも散々テレビで既出だし。
#*川上哲治の監督勇退も1年早まったかも。
#*しかしながらフジの番組で取り上げられた時は明らかに人ごとって感じがした。
 
#あるある2打ち切りで、レギュラー出演者の志村けん及び前身の「あるある」に出ていたヒロミは関テレの番組には一切出ない方針を固めた。
;阪神が129試合目で(中日に勝利して)優勝を決めていたら
#*志村はともかく、ヒロミがテレビ局を敵に回すようなことしちゃマズイよ。
#星野が「この白星は今までで一番嬉しくない白星だ。」と発言することは無かった。
#*ただし堺正章はドラマで主演した。
#*史実以上に星野は巨人ファンから目の敵にされていた。
#番組終了後、リベンジのつもりなのか懲りないのかわからんが、関西ローカルで健康番組を不定期で放送しているが、案の定問題も発生した。
#**未だに「あの試合は八百長だった」と主張する輩がいる。
#*実はFNS系列局への販売予定があったが、悉く系列局から突っぱねられた。
#マリナーズ・イチロー選手の誕生日新聞は野球がでかく載らない。
#**フジテレビと仲が悪い[[大分のメディア#テレビ大分|テレビ大分]]は除く。平日午前のローカル枠は、ほどんどが関テレ制作番組。
 
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===1974年===
{{FNS}}
#「巨人のV10を阻止したのが阪神である。」と阪神ファンは誇りに思うようになる。
{{DEFAULTSORT:かんさいてれひ}}
#*それでも、金田正泰氏の評価は低かった。よって、後任の吉田義男氏の就任は史実通り。
[[Category:大阪の企業]]
#南海とのトレードで、江夏豊氏らが移籍することはなかったかもしれない。
[[Category:フジテレビ]]
#*その場合南海→広島の移籍もなく、「江夏の21球」も存在しなかった。よって1979年は近鉄が日本一になれていたかも。
[[Category:阪急阪神ホールディングス]]
#*江本孟紀の「ベンチがアホやから」発言もなかった。
[[Category:影のある企業]]
#**その後政治家になることはなかったかもしれない。
#2005年の日本シリーズは31年ぶりの組み合わせとして、注目されていた。
#*2005年の日本シリーズの時には、マスコミが1974年のシリーズを振り返るような報道をしていた。
#昨年(1973年)には惜しくも優勝を逃しているので、そのリベンジを果たす形になっていた。
#翌年以降ももう少しまともな成績を残せていた。
 
===1976年===
1976年のシーズンは巨人と熾烈な首位争いを演じましたが、首位巨人に僅か2ゲーム差の2位に終わりました。もしこの年阪神が優勝していたら…。
#辻佳紀ヘッドコーチの退任はなかったかもしれない。
#この年の日本シリーズは阪神対阪急の関西ダービーになっていた。
#翌年以降ももう少しまともな成績を残せていた。
 
==1980年代==
===1986年===
前年21年ぶりのリーグ優勝及び日本一になった阪神ですが、翌1986年は3位に終わりました。この年に優勝していたら?
#球団史上初のセ・リーグ連覇ということで、ファンは前年の余韻に引きずられて大盛り上がりだった。
#*加えて同年の干支が寅年ということで、その意味でも盛り上がっていた。
#*「二日酔い集団」と揶揄されることもなかった。
#日本シリーズでは西武に前年の借りを返していただろう。
#*前年に阪神が日本一になったので返り討ちを果たしていた。
#*仮にパリーグの優勝チームが近鉄だった場合(史実では2位)、阪神VS近鉄の関西ダービーが実現していた。
#吉田義男はもう少し長く監督をしていただろう。
#*村山実の監督復帰もなかったか遅れていた。
#翌1987年も最下位ではなかった。
#*暗黒時代突入も遅れていたかも。
#同年に掛布雅之が怪我で離脱しなければ可能性があった。
#*現役引退も史実より遅かっただろう。
#この年からの新ストライクゾーンに適応出来ていれば可能性があった。
 
==1990年代==
===1992年===
1992年、阪神は久々といっていいほどの快進撃を見せました。結局終盤で力尽きヤクルトに優勝をさらわれましたが、もしこの年に優勝していたら?
 
#ヤクルトの1993年の日本一はなかったかも。
#*1995年・1997年・2001年も日本一になれなかったかも。
#*ヤクルトは90年代もそれ以前と同様弱かった。
#**この時期のヤクルトは池山、広沢、古田が全盛期を迎え戦力が充実していたからそれはないだろう。
#日本シリーズで西武を下そうものなら、シンデレラストーリーとして後世まで残っていた。
#1993年以降も現実よりはまともな成績を残せていた…かもしれない。
#*一旦Bクラスに沈んでも、直ぐにAクラスに上がれたかも。
#*[[阪神タイガース/暗黒時代|現実]]みたいに弱くならなかった。
#(若手時代の)新庄剛志や亀山努の活躍が(実際以上に)阪神の歴史で目立つ。
#*上記の亀新コンビ以外にも、久慈や桧山や葛西など活躍した若手が多いので、「若虎の優勝!」などと、言われていたかも。
#**新庄は現実以上で阪神在籍期間が長かった。
#***この場合赤星のブレイクが遅れた可能性も。
#***新庄は大リーグに移籍しなかった。
#****2003年のリーグ優勝に貢献した可能性がある。
#*****それでもいつか登録名を「SHINJO」に変えていた。
#***新庄は現実より長く現役を続けていたかもしれない。
#*亀山も在籍期間が長かった。
#**亀山が1992年だけの一発屋扱いされることもなかった。
#**史実通りのちに怪我しても復活後もう少し長く現役を続けられていた。
#*久慈は中日に移籍することなくずっと阪神に在籍していた。
#*亀山か新庄がMVPに選ばれたかも。
#*「亀新フィーバー」が現実以上のものとなっていた。
#*うまくいけば亀山あるいは新庄が2010年代に入って監督に就任していたかも。
#山田勝彦・仲田浩司・関川浩一なども現実より長く阪神に在籍した。
#*この場合矢野輝弘が中日から移籍しなかったので、注目されることなく消えていたかも。
#*山田勝彦が長らく正捕手を務めていた。
#*結果的にほぼ「野田の丸損」に終わった松永とのトレードもなく、その後の阪神の成績も史実より向上していただろう。
#**FA移籍第1号は松永ではなかった可能性も。
#**阪神ファンから「[[大阪市/福島区#野田|野田阪神]]」と呼ばれて親しまれていた。
#*仲田はこの年の沢村賞に選ばれていた。
#「『八木の幻のサヨナラ弾』もなんのその」とか「ラッキーゾーン撤去もなんのその」とか言われたかもしれない。
#*その前に、あの試合での八木の打球は入っていたかも。
#**仮に史実通りに打球が入らなかったとしても、少しはまともな勝ち方をしていた。
#**逆にあの時八木の打球が入っていたら阪神は優勝できていた可能性が高い。
#カーネル・サンダースの呪いなんて実際より話が大きくならない。
#*日本一になれなければ、2009年3月に像が発見されるまで史実どおり。
#*史実ではこの年、道頓堀店に新たなカーネル・サンダース人形が設置されているので、「新たな人形が設置されたことで呪いが解けた」と言われていた。
#野村監督はもう少し早くヤクルトの監督を辞任していた。
#*そして、野村監督が阪神の監督になることは無かった。
#**さらに言えば、楽天の監督になることも無かった。
#***サッチーがテレビに出まくることもなく、「ミッチー・サッチー騒動」もなかった。
#**星野仙一氏が阪神の監督になることもなかった。
#***この場合2003年の優勝はなかった可能性もある。
#[[阪神なんば線]]の計画が史実より早く再浮上したかもしれない。
#*早ければ20世紀中に実現していた。
#実際に食い倒れ人形が投げ込まれていた。
#*「わて、泳げまへんねん」が関西で流行語になった。
#*そして2009年にカーネル・サンダース人形とともに道頓堀川の底から発見されていた。
#*翌年以降史実通りBクラスに逆戻りしていたら、史実の「カーネルの呪い」のように「くいだおれ太郎の呪い」に取って代わっていた。
#中村勝広は、阪神ファンから「名監督」と崇められていた。
#*この92年以降も中村監督時代に優勝していたかも。
#*よっぽど低迷しない限り「負広」呼ばわりされなかったかも。
#*彼の訃報の時には現実以上に阪神ファンが悲しんでいた。
#**あるいは2015年に亡くなることはなかったかも?
#セ・リーグで久しぶりの前年最下位からの優勝だった。
#*1975~76年の巨人以来16年ぶりだった。
#90年代のセ・リーグは現実以上に大混戦になっていた。
#*セ・リーグでも1991〜1999年に「10年以内に同一リーグのすべての球団がリーグ優勝」が実現した。
#**なお「10年以内にセ・リーグのすべての球団が日本シリーズ出場」は2008〜2017年に達成している(08年巨人、10年中日、14年阪神、15年ヤクルト、16年広島、17年DeNA)。
#CD『'92阪神タイガース選手別応援歌ヒッティング・マーチ集』や河内家菊水丸の『タイガースV音頭』が史実以上に大ヒットしていた。
#『アサヒグラフ』1992年10月30日増大号は普通に優勝記念号として出版されていた。
#*『Vやねん!タイガース』の影が若干薄くなっていただろう。
#セーラームーンが史実通り2003年に実写、2014年にcrystal版が製作された場合月野うさぎは阪神ファンに女神様扱いされた
#*奇しくも両年共史実では阪神が日本シリーズに出場した
#1995年にオマリーがヤクルトに移籍することはなかったかもしれない。
#*その場合、小林-オマリーの14球はなかった。
#仮にパリーグの優勝チームが西武ではなく近鉄だった場合(史実では2位)、阪神VS近鉄の関西ダービーが実現していた。
 
===1993年===
#日本シリーズで西武と対戦し、西武に勝利していたら「森西武の日本シリーズでの連勝を阻止したのは阪神である。」と阪神ファンは誇りに思うようになる。
#昨年(1992年)には惜しくも優勝を逃しているので、そのリベンジを果たす形になっていた。
#翌年以降も少しはまともな成績を残していた。
#野村克也のヤクルト監督辞任が早まっていたかも。
#松永浩美が開幕直後に怪我をしなければ可能性があったかもしれない。
#*「子供の砂場」発言やFA移籍もなかった。
#同年はJリーグ開幕やドーハの悲劇などもあってスポーツ界では忘れられない年になっていた。
 
===1994年===
#同年は[[関西国際空港]]の開港もあったので、関西は大盛り上がりしていた。
#「10.8決戦」は阪神×巨人だったかも。
#ディアーは大活躍していた。
 
===1995年===
#日本シリーズでは、オリックスと対戦し、関西ダービーとして注目された。
#*岡田彰布は日本シリーズで古巣との対決となった。
#**阪神側からも「岡田」コールで応援されていた。
#**野田浩司も古巣阪神ファンから応援されていた。
#**石嶺和彦も、オリックス側からも応援されていた。
#中村勝広監督は続投していた。
#*藤田平の昇格も遅れていた。
#この年は阪神大震災があったので、被災地に大きな希望を与えるニュースとして注目されていた。
#*日本シリーズの対戦相手がオリックスということもあり、後々まで語り継がれていた。
#*オリックス共々被災した地元を元気づけることが出来ていたと話題になる。
#阪神はこの時点で暗黒時代を脱出していた。
#*ヤクルトの黄金時代は現実よりも早く終わっていた。
#*1999年も優勝できていたかも。
#球団創設60周年のメモリアルイヤーを飾れたとして盛り上がった。
 
===1999年===
*この年は野村監督効果で6月に6年ぶりに首位に立ちましたが、後半戦の失速で結局前年と2年連続最下位でした。もしこの年に首位で終わっていたら?
#新庄剛志の敬遠球打ちサヨナラ打が現実以上に伝説として語り継がれていた。
#*彼のメジャー移籍もなさそう。
#*上手くいけば2003年以降も阪神に在籍し、同年及び2005年のリーグ優勝にも貢献していた。
#もちろん野村監督も夫人の事件がない限り続投していた。
#*星野さんの就任がなかった。
#**その場合金本は阪神に来なかったかも。
#*野村フィーバーが現実以上のものとなっていた。
#福原忍が新人王を獲得していた。
#*坪井智哉かも。
#**坪井は現実以上に活躍し、2002年に日本ハムにトレードされることもなかった。うまく行けばこちらも2003・2005年のリーグ優勝に貢献していたかも。
#日本シリーズで史実より4年早くダイエーホークスと対戦していた。
#ダレルメイが野村監督と対立せず巨人へ行くこともなかった。
#野村監督は楽天でも優勝出来ていただろう。
#1999年の「今年の漢字」には現実よりも4年早く「虎」が選ばれていた。
#前年最下位からの優勝としても話題となった。
#*1900年代最後の年に阪神が優勝したという点でも語り継がれていた。
#「明日も勝つ!」が負けフラグの意味で用いられることもなかった。
#前半戦の快進撃が現実以上なので、オールスターゲームに阪神の選手がもう少し多く選出された。(史実では藪恵壹・矢野輝弘・和田豊・新庄剛志の4人だけだった)
#*甲子園球場開催の第2戦が現実以上に盛り上がった。
#当然野村監督は就任1年目で優勝できていた。
#*1985年の吉田監督以来の快挙で、それと比較されていた。
 
==2000年代==
===2000年===
*この年は4月に9連勝して首位に立ちましたが、この年も月を重ねるごとに大敗の試合が増え球団初の3年連続の最下位に終わりました。もしこの年に勢いが続き優勝していたら?
#阪神は20世紀最後の年に優勝したことになり、ファンにとってはそれが自慢になっていた。
#*2年連続最下位からの優勝としても話題となった。
#日本シリーズでは史実より3年早くダイエーホークスと対戦していた。
#新庄剛志が史実通りオフにメジャー移籍していたら「優勝を置土産に旅立った」と話題になっていた。
 
===2002年===
*この年は開幕7連勝を記録するなどスタートダッシュに成功しましたが、6月のサッカーW杯の影響の変則日程から失速してしまいました。もしこの年に勢いが続き優勝していたら?
#星野監督招聘への疑問はこの時点で穏やかになっていた。
#片岡篤史が救世主とたたえられた。
#4年連続最下位からのシンデレラストーリーと評された。
#*一方で最下位脱出出来なかった野村元監督が史実以上に叩かれていた。
#塩谷の疫病神伝説が史実以上に際立った。
#同年オフの「血の入れ替え」は無かったかもしれない。
#*金本知憲が阪神に来たのか怪しい。
 
===2004年===
*前年(2003年)と翌年(2005年)にはリーグ優勝しましたが、間の2004年は4位に終わりました。もしこの年も優勝していたら?
#史実通り2003・2005年に優勝していた場合、阪神は2003~2005年にリーグ3連覇という偉業を成し遂げていた。
#*現実以上に阪神の黄金時代と言われるようになっていた。
#*この場合初のリーグ連覇とともに翌年には初の3連覇まで達成していた。
#岡田監督就任1年目での優勝となっていた。
#*星野前監督との比較で伸び悩むこともなかったか。
#鳥谷敬が新人王を獲得していたかも。
#パ・リーグが史実通りだった場合、日本シリーズは1985年以来の阪神×西武となっていた。
#*日本一は1985年のリベンジを許していたかも。
#*もし阪神が日本一になっていた場合、「日本シリーズでは阪神はなぜか西武に強い」というジンクスが生まれていた。
#*西武の平尾博嗣は日本シリーズで古巣と対戦。
#**その際阪神側からも「平尾」コールが起こる。
#翌年の日本シリーズでの「[[33-4]]」はなかった。
#*こちらも阪神が日本一になっていた可能性がある。
#同年は[[大阪近鉄バファローズ]]のオリックスへの球団合併を表明したこともあり、セパの在阪球団が明暗を分ける年となっていた。
#*ストライキや球界再編問題と言い、現実以上にプロ野球史に残る1年となっていた。
 
===2006年===
#史実通り2005年に優勝していた場合、阪神はリーグ連覇を成し遂げていた。
#パ・リーグが史実通りだった場合、日本シリーズは1962年以来となる阪神対日本ハムになっていた。
#*新庄剛志(SHINJO)、坪井智哉は日本シリーズで古巣と対戦。
#**その際阪神側からも「新庄」「坪井」コールが起こる。
#**片岡篤史も古巣日本ハムとの対戦となる。
#***日本ハム側からも「片岡」コールが起こる。
#**もし阪神が日本一になっていれば、日本一決定の試合後に片岡が両チームナインから胴上げされていた。
#***史実でこの年限りで引退した片岡は「日本一」という最高の舞台で有終の美を飾っていた(現実には日本ハム時代も含め日本一を経験していない)
#井川慶が史実通りオフにメジャー移籍していたら「優勝を置土産に旅立った」と話題になっていた。
#久保田智之が右手の骨折で離脱しなければ可能性があった。
#ナゴヤドームでの中日戦にもう少し勝てていた。(史実では9月のナゴヤドームでの対阪神最終戦での1勝のみだった。)
#*少なくとも山本昌にノーヒットノーラン達成されなければ最後の逆転も含めて可能性があった。
 
===2007年===
2007年のセ・リーグは最後のほうまで巨人・中日・阪神の3球団による団子レースが繰り広げられたシーズンとなりました。ペナントは最終的に巨人が制しますが、ではもしここで中日か阪神が優勝していたら?
#一時ゲーム差が結構あった所から10連勝で1位に浮上したため、大阪の街の興奮はただならない。
#1996年の巨人の「メークドラマ」みたくなる。
#でもやっぱりCSであっさり敗退。
#*もしそうなったら阪神ファンの怒りは止まらなくなっていた。そのためCSの廃止か見直しが検討されるようになる。
#**巨人が勝った場合はなおさら。
#この年1軍定着した狩野恵輔や桜井広大や林威助は現実より長くレギュラー定着していたかも。
#*上園啓史も2年目以降も安定していた。
#*前半戦で投げていた小嶋達也も後半戦~翌年以降も安定していた。
#**チームの柱となる投手に成長していた場合、[[AKB48]]の小嶋陽菜の「こじはる」に因んで「こじたつ」という愛称が付いていたかも。
#24年ぶりにユニフォームに黄色のラインが入った年なので、ゲンのいいユニフォームとしてファンから人気があったし「ユニフォームに黄色が入った時期は優勝できない」というジンクスを破っていた。
#優勝のきっかけが10連勝なので、10連投した藤川球児がMVPに選ばれた。
#*あるいは90試合登板の久保田智之かも。
 
===2008年===
7月には13ゲーム離されていた1位の[[阪神タイガース]]を、驚異的な伸びで10月8日の直接対決にて追い抜き、同月10日にセリーグ優勝を決めた2008年の[[読売ジャイアンツ]]
 
「メーク・レジェンド」という言葉でこの年の巨人は語られることになりましたが、ではこの年、そのまま阪神が優勝していたら?
 
#もちろん、岡田の辞任話は噂すらなかった。
#*ただし本人自体、そろそろ辞めたいといっていた節もあるようなので、あと数年もせずに別監督に代わっていた可能性は高いと思う。
#*真弓明信の監督就任は無かった。
#*和田豊の監督就任も勿論遅れていた。
#*岡田が阪神の監督の歴代最長になっていたかも。
#**現に2009年で6年目に突入するので、早大〜阪神の先輩中村勝広に並び追い越していた。
#世界的不況の中、関西だけ俄か景気で沸いていた。
#*全国展開する[[阪急百貨店]]はかなりの売り上げを上げていた。
#WBC監督では当然、岡田が筆頭候補になっていた。
#横浜の三浦大輔はFAで阪神入りしていた。
#翌年3月に開業した[[阪神なんば線]]の開業初年度の利用客が史実より多くなっていた。
#*阪神なんば線のポスターに岡田監督が載っていた。
#翌年もAクラス入りしていたかも。
#「Vやねん」がV逸フラグの意味で用いられることもない。
#*『Vやねん!タイガース』は優勝前祝い本として普通に売れていた。「あれで優勝を逃したらどうすんねん」と笑って済ますことができていた。
#2010年も優勝できていたかも。
#夏の甲子園で大阪桐蔭が優勝していたので2008年は「大阪イヤー」になっていた。
#*パ・リーグもオリックスが優勝して、[[もし2008年のオリンピック開催地が北京でなく大阪だったら]]尚更盛り上がっていた。
#**この場合2008年における「今年の漢字」は「阪」になっていたかも(史実では「変」)。
#岩田稔が新人王に選ばれた。
#藤川球児が入団発表で目標として発言した「10年間のうちに3回は優勝しその1回は胴上げ投手になりたい」が実現したかも。
#この年の紅白歌合戦では、中村美律子の「河内おとこ節」の応援ゲストとして阪神の選手が出演していた可能性がある。
#そもそもオリンピックの代表に行った藤川・矢野・新井の代役が安定していれば優勝が有り得た。
#史実通り2018年に広島が優勝していた場合、セ・リーグの6球団はすべて西暦が8で終わる年にリーグ優勝を経験した事になっていた。
 
====CSで勝利した場合====
#もちろん、日本シリーズで勝利しようが敗北しようがセールは行われる。
#岡田の「ここ一番で弱い」という悪評は無くなっている。
#2005年の再来となった場合、関西では日本シリーズという言葉が[[禁句]]になる。
#日本シリーズの始球式は打席に岡田を置いて、ナベQが投げる。
#*キャッチャーとして伊東勤前監督にゲスト出演してもらうのも有り。
#*試合前のセレモニーやテレビ中継で85年の映像が流れる。
#**テレビ中継(特に関西)で「85年の再現なるか!?」と言われる。
#西武の平尾博嗣は日本シリーズで古巣と対戦。
#*その際阪神側からも「平尾」コールが起こる。
#甲子園球場はリニューアル中なのでCSと同様、京セラドーム大阪が甲子園の代わりになる。
#日本シリーズが対オリックスの場合関西ダービーなので、尚更盛り上がった。
#*第1戦から第7戦まで全て京セラドーム開催だったかも。
#**あるいは、第1、2、6、7戦は京セラドーム、第3~5戦はスカイマークスタジアムでの開催。
#**↑逆ですよ、保護地域権の関係上、第1、2、6、7戦はスカイマーク、第3~5戦は京セラドームでの開催。
#当時、西武にいたブラゼルは2009年開幕当初から阪神にいたかも。
#*つまり、日本シリーズ終了後、阪神が現実より早くブラゼルを獲得しようとした可能性あり。
#シーズンを2位や3位で終えてCSで優勝した場合、「Vやねん」というのは「逆転フラグ」を指す言葉になっていた。
#西武と日本シリーズで対戦が実現していた場合、西武に23年前のリベンジを許しただろう。
#*もし阪神が日本一になっていた場合、「阪神は日本シリーズではなぜか西武には強い」と言われるようになっていた。
#史実通り2018年に広島が日本シリーズに出場していた場合、セ・リーグの6球団はすべて西暦が8で終わる年に日本シリーズ出場を経験した事になっていた。
 
====CSで敗北した場合====
#中日がCS制覇した場合、CSに対する制度改革を求める声が強まった。
#*場合によってはCS自体が廃止されていた可能性もある。
#巨人がCS制覇した場合、2007年の時と同じく優勝の歓喜が消えた。
#*これで日本一となった場合、この時「レジェンド」という表現が使われたかも。
#*阪神ファンのアンチ巨人率がさらに上昇した。
 
====10月8日に敗北するも巨人連敗と阪神連勝で再逆転した場合====
#巨人ではなく阪神が「奇跡の逆転勝利」として称えられている。
#1994年の巨人の“再現”となる。
#神戸でのホーム最終戦で胴上げしていたかもしれない。
 
====阪神と巨人の立場が逆だったら====
#阪神が巨人とのゲーム差13をひっくり返しての逆転優勝だったため、阪神に対して「奇跡の逆転優勝」という言葉が使われるようになる。
#*「虎のメークドラマ」とか「浪速のメークレジェンド」などと呼ばれていた。
#**「メークレジェンド」は阪神のものになっていたかも。
#阪神優勝当日の大阪を中心とした街の盛り上がりは想像をはるかに超えるものとなっていた。
#*1985年や2003年と同じ位かそれ以上かも。
#*道頓堀は大変なことに…
#清武は「ハラをキる!」。
#*そして翌年から、また巨人の迷走時代が……
#*それよか、原監督はこの時点で潔く辞任していたかもしれない。
#*この年以降の巨人の優勝回数は少なくなっていたかもしれない。
#2009年の成績も現実よりも良く、CS出場を果たしていた。
#*もし日本一になっていた場合、「カーネルサンダースの奇跡」と呼ばれていた。
#**この年は長年の悲願だった[[阪神なんば線]]が開通したこともあり、[[阪神電気鉄道|親会社]]にとっては2重の喜びだった。
#杉内、村田、片岡の巨人入りはなかった。
#*むしろこのうちの1人が阪神に入団していた可能性もある。
#*その場合、彼らの選手生命は現実よりも長かった可能性が高い。阪神入りしていたかどうかは別としても。
 
==2010年代==
===2010年===
この年のセ・リーグは8月まで[[阪神タイガース]]と[[読売ジャイアンツ]]と[[中日ドラゴンズ]]が日替わりで首位がかわる大混戦。結局優勝したのは中日ドラゴンズだった。
 
阪神は首位・中日から1ゲーム差の2位に終わったが、もし優勝していたら…
 
#星野仙一と岡田彰布に続き、真弓明信監督も初年度4位から優勝した。
#実際に「21世紀のダイナマイト打線」はホームランを200本以上打っていた。
#*8月12日の城島・桜井・狩野の3連発や8月25日の「22対8」が現実以上に印象に残る。
#**桜井は現実よりも長く阪神に在籍していた。
#**城島も現実より長く現役を続けた。
#**狩野はレギュラーに定着していた。
#*実際にブラゼルはホームランを50本以上打っていた。
#**もちろんホームラン王と打点王に選ばれた。
#**現実以上にバースと比較されていた。
#***打線そのものも現実以上に1985年と比較されていた。
#****もしかすると、この年の阪神のホームランの数は1985年の球団記録はもちろん、日本記録である2004年の巨人をも抜いていた。
#そもそも矢野の引退試合で勝っていた。
#*あの試合で矢野の出番があった。
#*あるいは矢野は引退をせず、2011年も現役を続けていた可能性もある。
#**その場合藤井をFAで獲得しなかった可能性がある。
#**矢野の引退のきっかけである右肘痛も早く回復していて現実以上に活躍していた。
#***城島とW正捕手になっていた。
#****狩野は野手に転向していた。
#球団創立75周年を飾っていた。
#*干支が寅年だったので尚更。
#翌2011年もマシな成績を残していたかも。
#*真弓明信ももう少し長く監督を続けていた。
#**和田豊の監督就任は遅れていた。
#*Aクラス入りは果たしていた。
#現実で1位・中日と1勝違いだったので、阪神の選手やファンが1勝の重みを感じることはなかった。
#投手陣も現実以上に活躍していて、ロッテ・小林宏を獲得しなかった。
#*久保康友は最多勝と最優秀防御率を獲得していた。
#**久保はFAで横浜DeNAに移籍せず、2014年シーズンも阪神に在籍。
#***その場合DeNAの鶴岡は阪神に来なかった。
#*能見篤史と岩田稔の離脱がなければ間違いなく優勝できた。
#*現実ほど打高投低になっていなかったかも。
#平野恵一かマートンが首位打者を獲得していた。
#*平野は2012年オフにオリックスに移籍(復帰)せず、翌年も阪神でプレーしていた。
#ますだおかだ増田の作詞作曲でニコ☆モコがリリースした「大仏タイガース2010」がヒットしていたかも。
#連続フルイニング出場を止めた金本知憲の代役のレフトが安定していた。
#*金本の棘部断絶がなかったとしたら、フルイニング出場を続け優勝に貢献した。
#優勝決定翌日の日刊スポーツ1面の見出しが『'''阪神 2年越しの“Vやねん!”'''』になっていた。
#奇しくもブルートレインの牽引機の新旧交代もあり1985年を連想させると鉄道ファンと阪神ファンとの談義が盛り上がった。
#同年における「今年の漢字」は2003年以来2度目の「虎」になっていたかもしれない。
 
====CSで勝利した場合====
#日本シリーズが現実と同じ対ロッテの場合、2005年のリベンジを果たすチャンスだった。
#*テレビ中継で「5年前のリベンジなるか!?」と言われていた。
#**もし日本一になっていた場合、5年前の雪辱を果たしたとして選手もファンも大感動していた。
#***史実でこの年限りで引退した矢野は「日本一」という最高の舞台で有終の美を飾っていた。(現実には中日時代も含め日本一を経験していない)
#***球団としても25年ぶりの日本一となる。
#***もし日本一になれなかった場合、現実の2005年と同様に阪神ファンの間では日本シリーズはなかったことにされる。
#*今岡誠は日本シリーズで古巣と対戦。
#**その際阪神側からも「今岡」コールが起こる。
#*必要以上に5年前の「[[33-4]]」が流れていたのはいうまでもない。
#**ただし2ちゃんねるに「なんでや!阪神関係ないやろ!」の書き込みがされることもない。
#甲子園の地の利を生かせていた。
#日本シリーズの相手がソフトバンクの場合、2003年のリベンジを果たすチャンスだった。
#*テレビ中継で「7年前のリベンジなるか!?」と言われていた。
 
===2011年===
#昨年(2010年)には惜しくも優勝を逃しているので、そのリベンジを果たす形になっていた。
#仮に中日ではなく阪神がヤクルトとのゲーム差10をひっくり返しての逆転優勝を果たしていた場合、阪神に対して「奇跡の逆転優勝」という言葉が使われるようになっていた。
#真弓明信はもう少し長く監督をしており、和田豊の監督就任もなかったか遅れていた。
#翌年も少しまともな成績を残せていた。
 
====CSで勝利した場合====
#日本シリーズの相手が現実と同じソフトバンクの場合、2003年のリベンジを果たすチャンスだった。
#*テレビ中継で「8年前のリベンジなるか!?」と言われていた。
#**もし日本一になっていた場合、8年前の雪辱を果たしたとして選手もファンも大感動していた。
#***ホークスとは1964年(当時は南海)、2003年(当時はダイエー)と2連続で敗退したため、3度目の正直と言われていた。
 
===2013年===
この年の[[阪神タイガース]]は前年の5位から大きく巻き返し、1位の[[読売巨人軍]]を追いかける2位で一時期首位に立つなど優勝争いを繰り広げました。しかし8月終わりと9月始めの直接対決で負け越して失速し最終的に12.5ゲーム差をつけられてしまいました。もし首位に再浮上し優勝していたら・・・
 
#和田豊は星野仙一、岡田彰布と同様に監督2年目に優勝を果たした。
#*先述のように2010年も優勝していたら真弓明信も含めて4人連続となっていた。
#「ウル虎の夏」期間中も勝率が良く、ゲンのいいユニフォームになっていた。
#西岡剛や福留孝介はもう少し本領発揮していた。
#*現実以上に「グラティ」で盛り上がれた。
#**廃止にすることもなかった。
#**楽天の「バーン」や西武の「ウィンウィン」と良い意味で比較されていた。
#藤浪晋太郎が新人王を獲得していた。
#桧山進次郎は有終の美を飾って引退していた。
#*あるいはもう少し現役を続けたかも。
#久保康友とスタンリッジはそれぞれDeNA、ソフトバンクに移籍しなかった。
#*オスンファンは来日しなかった。
 
====CSで勝利した場合====
#日本シリーズが現実と同じ楽天の場合、元阪神の星野監督との“師弟対決”で盛り上がった。
#*しかし不敗神話を築いていたマー君に勝てず日本一を逃がしてしまうかも。
#**日本一にならなくても現実の巨人と同様、日本シリーズで不敗神話を崩していた。
#日本一になればなったで関西の盛り上がりは尋常ではないし、史実でこの年限りで引退した桧山は「日本一」という最高の舞台で有終の美を飾っていた。
#日本シリーズが対ロッテの場合、2005年のリベンジを果たすチャンスだった。
#*テレビ中継で「8年前のリベンジなるか!?」と言われていた。
 
===2014年===
2014年の阪神は7月に7連勝するなどして一時は首位巨人に肉薄しましたが、結局は終盤の失速で最終的には巨人と7ゲーム差の2位に終わりました。もし終盤の失速がなく首位に浮上しリーグ優勝していたら…。
#和田監督としては就任3年目で初めてリーグ優勝を達成していた。
#CSに関しては現実よりもリーグ戦終了から間があいていたなどで、史実のように阪神が巨人に4タテ、ということはなかっただろう。
#*もしCSで史実と逆に阪神が負けていたら優勝の盛り上がりが一気に消えていた。阪神ファンを中心にCSの見直し云々を言うファンも出るかも。
#史実通り阪神が日本シリーズに出場していた場合、日本一になれていたかどうかはわからないがソフトバンクにボロ負け、ということはなかったかも。
#*上のようにCSで体力を使い果たした、ということがなかっただろうから。
#*もし日本シリーズの成績が史実通りだったら2005年と同様同年の日本シリーズはなかったことにされていた。
#*日本一になれていなくとも大阪の[[御堂筋]]や神戸市内で優勝パレードを行っていた。
#*もしパ・リーグでオリックスが優勝していたら関西ダービーの日本シリーズが実現していた。
#**この6年前にお互い2位だったので「6年越しに実現した」と言われたし、どちらが日本一になっても関西は大盛り上がり。
#新井貴浩は広島に里帰りせず阪神に残留していた。
#*2014年オフの補強も全敗、ということはなく少なくとも1人は選手を獲得できていた。
#**大引か中島のどちらかが阪神に来ていた。
#*それは厳しいんじゃないかなぁ。「新井さんがリーグ優勝の原動力となった」というパターンなら残っていただろうけど。
#**もし補強が上手くいっていたとしたら、尚更出ていく可能性のほうが高いはず。
#梅野隆太郎か岩崎優が新人王に輝いたかも。
#*カープに大瀬良大地がいたため厳しかったかもしれないが、史実同様メッセンジャーが最多勝と最多奪三振、オスンファンが最多セーブ、福原忍が最優秀中継ぎ、マートンが首位打者、ゴメスが打点王をそれぞれ獲得していたらより一層チームの優勝を飾れていた。
#*梅野は正捕手に定着していた可能性もある。
#優勝セールは阪神百貨店のほか、H2Oリテイリング入りした[[イズミヤ]]でも行われていた。
 
===2015年===
2015年の阪神はシーズン当初は不振だったが交流戦で勝ち越し、一時は首位に立ちましたが終盤に失速し最終的には3位に終わりました。もし終盤の失速がなく優勝していたら…。
#和田監督は2016年以降も続投していた。
#*金本知憲の監督就任どころか現場復帰自体遅れていた。
#**コーチ陣の総入れ替えもなかったし、金本とチームメイトだったOBの復帰も遅れる。
#***平野恵一は阪神ではなくオリックスでコーチに就任した。
#**藤川球児は阪神に戻らなかった。
#*あるいは前年のCS優勝からの日シリでのストレート負けの落胆があるために、日本一にならない限り和田豊の退任はあり得たかも。後任も金本じゃなかっただろう。
#マートンが昨年並み、あるいはそれ以上に活躍していた可能性が高く、今シーズン限りでの退団はなかった。
#*一方で関本の引退は現実通りだろう。
#球団創設80周年のメモリアルイヤーを飾る優勝となっていた。
#*これを記念して[[阪神電気鉄道|親会社]]に走ったタイガースラッピング車は運行期間が延長されていたかも。
#**上で書いたようにマートンが残留していた公算が高いため。
#*ファン感謝デーでの現役・OBの競演も含め80周年記念のイベントで現実以上に盛り上がれた。
#この年の阪神は極端な貧打状態だったので、CSではトリプルスリーの山田などを擁するヤクルトに負けていた公算が大。
#*同じように貧打だった巨人には勝っていた可能性があるが。
#*CSに勝って日本シリーズに出ていた場合も、昨年と同じくソフトバンクに日本一を許していただろう。
#藤浪晋太郎が投手タイトルを総なめにしMVPに選ばれたかも。
#*その場合その後の制球難もなく安定し、名実とも阪神のエースに君臨していた。
#*その実力が同世代でもある大谷翔平と並び称されたかも。
#ホームランラジオにおける松嵜麗と渡部優衣の立場が入れ替わっていた。
#同年9月には中村勝広前監督が亡くなっているので、彼に捧げる優勝となっていた。
 
===2017年===
#CS1回戦の雨中の試合の伝説はなかった。
#金本監督は称えられるようになっていた。
#2018年の成績も現実よりも良く、最下位ではなかった。
#*場合によってはAクラス入りを果たしていた。
#*同年に金本監督が辞任することはなかった。
#金本知憲は星野仙一、岡田彰布と同様に監督2年目に優勝を果たした。
 
===2018年===
#この年は6月の大阪北部地震・7月の西日本豪雨・9月の台風21号災害と関西に災害が相次いだ年だったので、これらの被災地に希望を与える優勝となっていた。
#*それらをばねにしたと評された。
#翌年5月に平成→令和の改元を控えていたので、平成最後に阪神はセ・リーグ優勝できた、と言われていた。
#金本監督はもちろん翌年も続投。
#*矢野燿大の一軍監督昇格が遅れていた。
#高校野球も大阪桐蔭が春夏連覇したので、この年の野球はまさに大阪・関西の年だった。
#*大阪桐蔭からこの年のドラフトで阪神入りする選手もいたかも。
#2025年大阪万博誘致成功と合わせて語り継がれていた。
#*この年の「今年の漢字」は「虎」あるいは大阪の「大」になっていたかもしれない。
#同年1月には星野仙一元監督が亡くなっているので、彼に捧げる優勝となっていた。
#優勝決定翌日の日刊スポーツ1面の見出しが『'''阪神 10年越しの“Vやねん!”'''』になっていた。
#翌年のシーズン途中にソラーテを獲得することもなかった。
#高校野球の大阪桐蔭春夏連覇・6月の大阪北部地震・9月の台風21号災害・11月の2025年大阪万博開催決定などもあり、大阪・関西にとっては忘れられない年になっていた。
 
====CSで勝利した場合====
#日本シリーズの対戦相手が史実通りソフトバンクだった場合、2014年のリベンジを果たすチャンスだった。
#*テレビ中継で「4年前のリベンジなるか!?」と言われていた。
#33年ぶりの日本一になっていた場合、関西の盛り上がりは半端ではなかった。
#*そうなっていた場合、平成最後に阪神は日本一を決める事ができた、と言われていた。
#*相手が史実通りソフトバンクだった場合、2003年(当時はダイエー)、2014年と2連続で敗退しているので、平成に入って3度目の正直と言われていた。
#*平成のうちに日本一になれなかったのは現存する球団では広島だけとなっていた。
#ただし、日本シリーズの対戦相手がこの年リーグ優勝した西武だった場合、日本シリーズは1985年以来の阪神×西武となっていた。
#*が、西武に33年前のリベンジを許しただろう。
#*もし阪神が日本一になっていた場合、「日本シリーズでは阪神はなぜか西武に強い」というジンクスが生まれていた。
 
===2019年===
#矢野監督は就任1年目で優勝できていた。
#*1985年の吉田監督以来の快挙で、それと比較されていた。
#阪神は新元号令和最初の年に優勝したことになり、ファンにとってはそれが自慢になっていた。
#近本は新人王を獲得していた。
#CS出場チームが史実通りDeNA・巨人・阪神だった場合、ファイナルステージ進出チームがDeNAだった場合は阪神が日本シリーズ出場を決めていたが、巨人だった場合はCS敗退していた公算が高い。
#*ただ阪神がシリーズ出場を果たしていた場合も、ソフトバンクに日本一を許していただろう。史実の巨人のように4連敗はなかったかもしれないが。
#**もし日本一になっていた場合、1964・2003・2014年と3回連続でホークスに敗退していたことから4度目の正直と言われていた。
 
==2020年代==
===2020年===
#矢野輝弘は星野仙一、岡田彰布と同様に監督2年目に優勝を果たした。
#*新型コロナウイルスで社会が沈む中、関西はにわかに盛り上がり、希望の光になっていた。
#この年は新型コロナウイルスの影響でセ・リーグのCSが中止になったこともあり、阪神は優勝と同時と日本シリーズ出場を決めていた。
#*史実通りソフトバンクが4勝0敗であっさりと日本一になっていた場合、阪神ファンの間では2005年と同様に同年の日本シリーズはなかったことにされていた。
#[[もしCOVID-19が○○だったら#存在しなかったら|新型コロナウイルス感染症が存在せず]]、東京五輪も無事開催されていたら、「東京で五輪が開催されたら阪神が優勝する」というジンクスが生まれていた。
#*何かと1964年と比較されていた。
#同年の「今年の漢字」は「虎」も上位に食い込んでいた。
#同年2月に野村克也氏が亡くなっているので、彼に捧げる優勝となっていた。
#*彼が監督をしていたシーズンはずっと最下位だったが、彼が育てた選手が2003・2005年の優勝で花開いたため。
 
====CSで勝利した場合====
#[[もしCOVID-19が○○だったら#存在しなかったら|新型コロナウイルス感染症がなかったら]]セ・リーグのCSも中止にならなかったので、阪神のCS優勝もあり得た。
#2014年と同じく2位からの日本シリーズ出場で、相手も同じソフトバンクだった。
 
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2021年6月14日 (月) 20:18時点における版

~1970年代

1936年

プロ野球初年度の1936年、秋季大会では最後まで巨人と優勝を争うも、プレーオフで敗れ優勝ならず。もし優勝できていたら?

  1. 史実の第1次巨人黄金時代は、阪神黄金時代か群雄割拠の時代となっていたかもしれない。
    • 阪神のその後の成績も史実より良く、1950年代にもリーグ優勝を達成できていた可能性もある(日本一になれたかどうかは別だが)。
      • 藤村富美男を擁する初代ダイナマイト打線が現実以上に強力となっていた。
    • 巨人の黄金時代到来は早くて戦後、あるいは2リーグ分裂後かもしれなかった。

1968年

1968年シーズン、阪神は江夏豊投手の獅子奮迅の大活躍などで巨人を猛烈に追い上げるも、9月18日の巨人戦(甲子園)でバッキー投手が乱闘に巻き込まれて負傷、9月28日と29日の対巨人後楽園3連戦(29日はダブルヘッダー)で頼みの江夏が打たれ、結果的にそれが祟って優勝を逃してしまいました。もしこのシーズンで阪神が優勝していたら?

  1. 巨人のV9はV3になっていた。
  2. 阪神と阪急の日本シリーズがついに実現。
    • バッキーがいなくても村山と江夏の両輪、そしてカークランドの大活躍で阪急を寄せ付けず、初の日本一になっていた可能性大。
      • しかし、阪急に米田・梶本の左右両エース、野球博士スペンサーがいるため、そう簡単に阪神は勝てない。
    • どちらが日本一になっても関西特に兵庫県内での盛り上がりは尋常ではなかった。
  3. この時優勝していたら、1973年の悲劇はなかった。
    • どうかな?2008年の事例もあるだけに…
  4. 現実以上に巨人への一極集中は進まなかった。
  5. 後に史実通りこの68年生まれの阪神の選手が多くなると「優勝ベビー世代」と呼ばれていた。そして「優勝ベビーが優勝請負人」と言われたかも。

1969年

1969年のシーズンは前年と同じく首位巨人に6.5ゲーム差の2位に終わりましたが、もしこの年阪神が優勝していたら…。

  1. 巨人のV9はV4になっていた。
  2. この年の日本シリーズは阪神対阪急の関西ダービーになっていた。
  3. 翌年に大阪万博の開催が控えていたので、それと合わせて大阪の町は大盛り上がりに。
  4. 後藤次男はもう少し長く監督をしていただろう。

1970年

1970年のシーズンは首位巨人に僅か2ゲーム差の2位に終わりました。もしこの年阪神が優勝していたら…。

  1. 巨人のV9はV5になっていた。
  2. この年は大阪万博が開催されたこともあり、それと合わせて大阪の町は大きく盛り上がっていた。
    • 1964年の東京五輪の年も阪神が優勝していたことから、高度成長期における日本の2大イベントがあった年はともに阪神が優勝していたことになる。
  3. 阪神vsロッテの日本シリーズが現実よりも35年早く実現していた(現実には2005年に実現)。
    • 2005年の日本シリーズの時には、マスコミが1970年のシリーズを振り返るような報道をしていた。
    • 2005年といえば愛知万博が開催されたこともあり、何かと1970年と比較されていた。
      • 加えて阪神がリーグ優勝・日本一になった1985年にはつくば科学万博が開催されたので、「日本で万博が開催された年には阪神が優勝する確率が高くなる」みたいなことを言う人も出ていた。
        • 日本では過去に5回(1970・1975・1985・1990・2005年)万博(特別博を含む)を開催しているが、そのうち3回の年に阪神が優勝しているため。
    • 小山正明は日本シリーズで古巣と対戦。
  4. 1973年も優勝できていた?
  5. 巨人とロッテは日本シリーズ未対戦のまま。
  6. 翌年ももう少しまともな成績を残せていた。

1973年

1973年シーズン終盤、阪神は巨人と優勝争いをしM1まで行きましたが、残り2試合(中日戦・巨人戦)に連敗して優勝を逃してしまいました。もしこのシーズンで阪神が優勝していたら?

  1. 巨人のV9はV8になっていた。
  2. もちろん、阪神が日本一になっていた可能性もあり。
    • 阪神の日本一は1973年と1985年の2回になっていた。
      • その場合、1985年の日本一は12年ぶりということになり、現実より大騒ぎにならなかった。
    • ちなみにこの年日本シリーズに登場した南海は当時のシリーズチーム通算の最低打率(.185)を記録している。おそらく、江夏・上田二朗・古沢憲司の投手陣ならこうなっていた可能性大。
  3. 当時の監督の「猿でもタバコ吸うんか」という暴言はなかった。
    • 故に権藤正利投手も翌74年、22年目のシーズンを迎えていた。
    • 「猿でもタバコ吸うんか」の暴言は5月のものなので、優勝すれば権藤正利投手はさして同情されず、一方的に袋だたきになった可能性があった。
  4. 長嶋茂雄はこの年に引退した。
    • 川上哲治の監督勇退も1年早まったかも。
阪神が129試合目で(中日に勝利して)優勝を決めていたら
  1. 星野が「この白星は今までで一番嬉しくない白星だ。」と発言することは無かった。
    • 史実以上に星野は巨人ファンから目の敵にされていた。
      • 未だに「あの試合は八百長だった」と主張する輩がいる。
  2. マリナーズ・イチロー選手の誕生日新聞は野球がでかく載らない。

1974年

  1. 「巨人のV10を阻止したのが阪神である。」と阪神ファンは誇りに思うようになる。
    • それでも、金田正泰氏の評価は低かった。よって、後任の吉田義男氏の就任は史実通り。
  2. 南海とのトレードで、江夏豊氏らが移籍することはなかったかもしれない。
    • その場合南海→広島の移籍もなく、「江夏の21球」も存在しなかった。よって1979年は近鉄が日本一になれていたかも。
    • 江本孟紀の「ベンチがアホやから」発言もなかった。
      • その後政治家になることはなかったかもしれない。
  3. 2005年の日本シリーズは31年ぶりの組み合わせとして、注目されていた。
    • 2005年の日本シリーズの時には、マスコミが1974年のシリーズを振り返るような報道をしていた。
  4. 昨年(1973年)には惜しくも優勝を逃しているので、そのリベンジを果たす形になっていた。
  5. 翌年以降ももう少しまともな成績を残せていた。

1976年

1976年のシーズンは巨人と熾烈な首位争いを演じましたが、首位巨人に僅か2ゲーム差の2位に終わりました。もしこの年阪神が優勝していたら…。

  1. 辻佳紀ヘッドコーチの退任はなかったかもしれない。
  2. この年の日本シリーズは阪神対阪急の関西ダービーになっていた。
  3. 翌年以降ももう少しまともな成績を残せていた。

1980年代

1986年

前年21年ぶりのリーグ優勝及び日本一になった阪神ですが、翌1986年は3位に終わりました。この年に優勝していたら?

  1. 球団史上初のセ・リーグ連覇ということで、ファンは前年の余韻に引きずられて大盛り上がりだった。
    • 加えて同年の干支が寅年ということで、その意味でも盛り上がっていた。
    • 「二日酔い集団」と揶揄されることもなかった。
  2. 日本シリーズでは西武に前年の借りを返していただろう。
    • 前年に阪神が日本一になったので返り討ちを果たしていた。
    • 仮にパリーグの優勝チームが近鉄だった場合(史実では2位)、阪神VS近鉄の関西ダービーが実現していた。
  3. 吉田義男はもう少し長く監督をしていただろう。
    • 村山実の監督復帰もなかったか遅れていた。
  4. 翌1987年も最下位ではなかった。
    • 暗黒時代突入も遅れていたかも。
  5. 同年に掛布雅之が怪我で離脱しなければ可能性があった。
    • 現役引退も史実より遅かっただろう。
  6. この年からの新ストライクゾーンに適応出来ていれば可能性があった。

1990年代

1992年

1992年、阪神は久々といっていいほどの快進撃を見せました。結局終盤で力尽きヤクルトに優勝をさらわれましたが、もしこの年に優勝していたら?

  1. ヤクルトの1993年の日本一はなかったかも。
    • 1995年・1997年・2001年も日本一になれなかったかも。
    • ヤクルトは90年代もそれ以前と同様弱かった。
      • この時期のヤクルトは池山、広沢、古田が全盛期を迎え戦力が充実していたからそれはないだろう。
  2. 日本シリーズで西武を下そうものなら、シンデレラストーリーとして後世まで残っていた。
  3. 1993年以降も現実よりはまともな成績を残せていた…かもしれない。
    • 一旦Bクラスに沈んでも、直ぐにAクラスに上がれたかも。
    • 現実みたいに弱くならなかった。
  4. (若手時代の)新庄剛志や亀山努の活躍が(実際以上に)阪神の歴史で目立つ。
    • 上記の亀新コンビ以外にも、久慈や桧山や葛西など活躍した若手が多いので、「若虎の優勝!」などと、言われていたかも。
      • 新庄は現実以上で阪神在籍期間が長かった。
        • この場合赤星のブレイクが遅れた可能性も。
        • 新庄は大リーグに移籍しなかった。
          • 2003年のリーグ優勝に貢献した可能性がある。
            • それでもいつか登録名を「SHINJO」に変えていた。
        • 新庄は現実より長く現役を続けていたかもしれない。
    • 亀山も在籍期間が長かった。
      • 亀山が1992年だけの一発屋扱いされることもなかった。
      • 史実通りのちに怪我しても復活後もう少し長く現役を続けられていた。
    • 久慈は中日に移籍することなくずっと阪神に在籍していた。
    • 亀山か新庄がMVPに選ばれたかも。
    • 「亀新フィーバー」が現実以上のものとなっていた。
    • うまくいけば亀山あるいは新庄が2010年代に入って監督に就任していたかも。
  5. 山田勝彦・仲田浩司・関川浩一なども現実より長く阪神に在籍した。
    • この場合矢野輝弘が中日から移籍しなかったので、注目されることなく消えていたかも。
    • 山田勝彦が長らく正捕手を務めていた。
    • 結果的にほぼ「野田の丸損」に終わった松永とのトレードもなく、その後の阪神の成績も史実より向上していただろう。
      • FA移籍第1号は松永ではなかった可能性も。
      • 阪神ファンから「野田阪神」と呼ばれて親しまれていた。
    • 仲田はこの年の沢村賞に選ばれていた。
  6. 「『八木の幻のサヨナラ弾』もなんのその」とか「ラッキーゾーン撤去もなんのその」とか言われたかもしれない。
    • その前に、あの試合での八木の打球は入っていたかも。
      • 仮に史実通りに打球が入らなかったとしても、少しはまともな勝ち方をしていた。
      • 逆にあの時八木の打球が入っていたら阪神は優勝できていた可能性が高い。
  7. カーネル・サンダースの呪いなんて実際より話が大きくならない。
    • 日本一になれなければ、2009年3月に像が発見されるまで史実どおり。
    • 史実ではこの年、道頓堀店に新たなカーネル・サンダース人形が設置されているので、「新たな人形が設置されたことで呪いが解けた」と言われていた。
  8. 野村監督はもう少し早くヤクルトの監督を辞任していた。
    • そして、野村監督が阪神の監督になることは無かった。
      • さらに言えば、楽天の監督になることも無かった。
        • サッチーがテレビに出まくることもなく、「ミッチー・サッチー騒動」もなかった。
      • 星野仙一氏が阪神の監督になることもなかった。
        • この場合2003年の優勝はなかった可能性もある。
  9. 阪神なんば線の計画が史実より早く再浮上したかもしれない。
    • 早ければ20世紀中に実現していた。
  10. 実際に食い倒れ人形が投げ込まれていた。
    • 「わて、泳げまへんねん」が関西で流行語になった。
    • そして2009年にカーネル・サンダース人形とともに道頓堀川の底から発見されていた。
    • 翌年以降史実通りBクラスに逆戻りしていたら、史実の「カーネルの呪い」のように「くいだおれ太郎の呪い」に取って代わっていた。
  11. 中村勝広は、阪神ファンから「名監督」と崇められていた。
    • この92年以降も中村監督時代に優勝していたかも。
    • よっぽど低迷しない限り「負広」呼ばわりされなかったかも。
    • 彼の訃報の時には現実以上に阪神ファンが悲しんでいた。
      • あるいは2015年に亡くなることはなかったかも?
  12. セ・リーグで久しぶりの前年最下位からの優勝だった。
    • 1975~76年の巨人以来16年ぶりだった。
  13. 90年代のセ・リーグは現実以上に大混戦になっていた。
    • セ・リーグでも1991〜1999年に「10年以内に同一リーグのすべての球団がリーグ優勝」が実現した。
      • なお「10年以内にセ・リーグのすべての球団が日本シリーズ出場」は2008〜2017年に達成している(08年巨人、10年中日、14年阪神、15年ヤクルト、16年広島、17年DeNA)。
  14. CD『'92阪神タイガース選手別応援歌ヒッティング・マーチ集』や河内家菊水丸の『タイガースV音頭』が史実以上に大ヒットしていた。
  15. 『アサヒグラフ』1992年10月30日増大号は普通に優勝記念号として出版されていた。
    • 『Vやねん!タイガース』の影が若干薄くなっていただろう。
  16. セーラームーンが史実通り2003年に実写、2014年にcrystal版が製作された場合月野うさぎは阪神ファンに女神様扱いされた
    • 奇しくも両年共史実では阪神が日本シリーズに出場した
  17. 1995年にオマリーがヤクルトに移籍することはなかったかもしれない。
    • その場合、小林-オマリーの14球はなかった。
  18. 仮にパリーグの優勝チームが西武ではなく近鉄だった場合(史実では2位)、阪神VS近鉄の関西ダービーが実現していた。

1993年

  1. 日本シリーズで西武と対戦し、西武に勝利していたら「森西武の日本シリーズでの連勝を阻止したのは阪神である。」と阪神ファンは誇りに思うようになる。
  2. 昨年(1992年)には惜しくも優勝を逃しているので、そのリベンジを果たす形になっていた。
  3. 翌年以降も少しはまともな成績を残していた。
  4. 野村克也のヤクルト監督辞任が早まっていたかも。
  5. 松永浩美が開幕直後に怪我をしなければ可能性があったかもしれない。
    • 「子供の砂場」発言やFA移籍もなかった。
  6. 同年はJリーグ開幕やドーハの悲劇などもあってスポーツ界では忘れられない年になっていた。

1994年

  1. 同年は関西国際空港の開港もあったので、関西は大盛り上がりしていた。
  2. 「10.8決戦」は阪神×巨人だったかも。
  3. ディアーは大活躍していた。

1995年

  1. 日本シリーズでは、オリックスと対戦し、関西ダービーとして注目された。
    • 岡田彰布は日本シリーズで古巣との対決となった。
      • 阪神側からも「岡田」コールで応援されていた。
      • 野田浩司も古巣阪神ファンから応援されていた。
      • 石嶺和彦も、オリックス側からも応援されていた。
  2. 中村勝広監督は続投していた。
    • 藤田平の昇格も遅れていた。
  3. この年は阪神大震災があったので、被災地に大きな希望を与えるニュースとして注目されていた。
    • 日本シリーズの対戦相手がオリックスということもあり、後々まで語り継がれていた。
    • オリックス共々被災した地元を元気づけることが出来ていたと話題になる。
  4. 阪神はこの時点で暗黒時代を脱出していた。
    • ヤクルトの黄金時代は現実よりも早く終わっていた。
    • 1999年も優勝できていたかも。
  5. 球団創設60周年のメモリアルイヤーを飾れたとして盛り上がった。

1999年

  • この年は野村監督効果で6月に6年ぶりに首位に立ちましたが、後半戦の失速で結局前年と2年連続最下位でした。もしこの年に首位で終わっていたら?
  1. 新庄剛志の敬遠球打ちサヨナラ打が現実以上に伝説として語り継がれていた。
    • 彼のメジャー移籍もなさそう。
    • 上手くいけば2003年以降も阪神に在籍し、同年及び2005年のリーグ優勝にも貢献していた。
  2. もちろん野村監督も夫人の事件がない限り続投していた。
    • 星野さんの就任がなかった。
      • その場合金本は阪神に来なかったかも。
    • 野村フィーバーが現実以上のものとなっていた。
  3. 福原忍が新人王を獲得していた。
    • 坪井智哉かも。
      • 坪井は現実以上に活躍し、2002年に日本ハムにトレードされることもなかった。うまく行けばこちらも2003・2005年のリーグ優勝に貢献していたかも。
  4. 日本シリーズで史実より4年早くダイエーホークスと対戦していた。
  5. ダレルメイが野村監督と対立せず巨人へ行くこともなかった。
  6. 野村監督は楽天でも優勝出来ていただろう。
  7. 1999年の「今年の漢字」には現実よりも4年早く「虎」が選ばれていた。
  8. 前年最下位からの優勝としても話題となった。
    • 1900年代最後の年に阪神が優勝したという点でも語り継がれていた。
  9. 「明日も勝つ!」が負けフラグの意味で用いられることもなかった。
  10. 前半戦の快進撃が現実以上なので、オールスターゲームに阪神の選手がもう少し多く選出された。(史実では藪恵壹・矢野輝弘・和田豊・新庄剛志の4人だけだった)
    • 甲子園球場開催の第2戦が現実以上に盛り上がった。
  11. 当然野村監督は就任1年目で優勝できていた。
    • 1985年の吉田監督以来の快挙で、それと比較されていた。

2000年代

2000年

  • この年は4月に9連勝して首位に立ちましたが、この年も月を重ねるごとに大敗の試合が増え球団初の3年連続の最下位に終わりました。もしこの年に勢いが続き優勝していたら?
  1. 阪神は20世紀最後の年に優勝したことになり、ファンにとってはそれが自慢になっていた。
    • 2年連続最下位からの優勝としても話題となった。
  2. 日本シリーズでは史実より3年早くダイエーホークスと対戦していた。
  3. 新庄剛志が史実通りオフにメジャー移籍していたら「優勝を置土産に旅立った」と話題になっていた。

2002年

  • この年は開幕7連勝を記録するなどスタートダッシュに成功しましたが、6月のサッカーW杯の影響の変則日程から失速してしまいました。もしこの年に勢いが続き優勝していたら?
  1. 星野監督招聘への疑問はこの時点で穏やかになっていた。
  2. 片岡篤史が救世主とたたえられた。
  3. 4年連続最下位からのシンデレラストーリーと評された。
    • 一方で最下位脱出出来なかった野村元監督が史実以上に叩かれていた。
  4. 塩谷の疫病神伝説が史実以上に際立った。
  5. 同年オフの「血の入れ替え」は無かったかもしれない。
    • 金本知憲が阪神に来たのか怪しい。

2004年

  • 前年(2003年)と翌年(2005年)にはリーグ優勝しましたが、間の2004年は4位に終わりました。もしこの年も優勝していたら?
  1. 史実通り2003・2005年に優勝していた場合、阪神は2003~2005年にリーグ3連覇という偉業を成し遂げていた。
    • 現実以上に阪神の黄金時代と言われるようになっていた。
    • この場合初のリーグ連覇とともに翌年には初の3連覇まで達成していた。
  2. 岡田監督就任1年目での優勝となっていた。
    • 星野前監督との比較で伸び悩むこともなかったか。
  3. 鳥谷敬が新人王を獲得していたかも。
  4. パ・リーグが史実通りだった場合、日本シリーズは1985年以来の阪神×西武となっていた。
    • 日本一は1985年のリベンジを許していたかも。
    • もし阪神が日本一になっていた場合、「日本シリーズでは阪神はなぜか西武に強い」というジンクスが生まれていた。
    • 西武の平尾博嗣は日本シリーズで古巣と対戦。
      • その際阪神側からも「平尾」コールが起こる。
  5. 翌年の日本シリーズでの「33-4」はなかった。
    • こちらも阪神が日本一になっていた可能性がある。
  6. 同年は大阪近鉄バファローズのオリックスへの球団合併を表明したこともあり、セパの在阪球団が明暗を分ける年となっていた。
    • ストライキや球界再編問題と言い、現実以上にプロ野球史に残る1年となっていた。

2006年

  1. 史実通り2005年に優勝していた場合、阪神はリーグ連覇を成し遂げていた。
  2. パ・リーグが史実通りだった場合、日本シリーズは1962年以来となる阪神対日本ハムになっていた。
    • 新庄剛志(SHINJO)、坪井智哉は日本シリーズで古巣と対戦。
      • その際阪神側からも「新庄」「坪井」コールが起こる。
      • 片岡篤史も古巣日本ハムとの対戦となる。
        • 日本ハム側からも「片岡」コールが起こる。
      • もし阪神が日本一になっていれば、日本一決定の試合後に片岡が両チームナインから胴上げされていた。
        • 史実でこの年限りで引退した片岡は「日本一」という最高の舞台で有終の美を飾っていた(現実には日本ハム時代も含め日本一を経験していない)。
  3. 井川慶が史実通りオフにメジャー移籍していたら「優勝を置土産に旅立った」と話題になっていた。
  4. 久保田智之が右手の骨折で離脱しなければ可能性があった。
  5. ナゴヤドームでの中日戦にもう少し勝てていた。(史実では9月のナゴヤドームでの対阪神最終戦での1勝のみだった。)
    • 少なくとも山本昌にノーヒットノーラン達成されなければ最後の逆転も含めて可能性があった。

2007年

2007年のセ・リーグは最後のほうまで巨人・中日・阪神の3球団による団子レースが繰り広げられたシーズンとなりました。ペナントは最終的に巨人が制しますが、ではもしここで中日か阪神が優勝していたら?

  1. 一時ゲーム差が結構あった所から10連勝で1位に浮上したため、大阪の街の興奮はただならない。
  2. 1996年の巨人の「メークドラマ」みたくなる。
  3. でもやっぱりCSであっさり敗退。
    • もしそうなったら阪神ファンの怒りは止まらなくなっていた。そのためCSの廃止か見直しが検討されるようになる。
      • 巨人が勝った場合はなおさら。
  4. この年1軍定着した狩野恵輔や桜井広大や林威助は現実より長くレギュラー定着していたかも。
    • 上園啓史も2年目以降も安定していた。
    • 前半戦で投げていた小嶋達也も後半戦~翌年以降も安定していた。
      • チームの柱となる投手に成長していた場合、AKB48の小嶋陽菜の「こじはる」に因んで「こじたつ」という愛称が付いていたかも。
  5. 24年ぶりにユニフォームに黄色のラインが入った年なので、ゲンのいいユニフォームとしてファンから人気があったし「ユニフォームに黄色が入った時期は優勝できない」というジンクスを破っていた。
  6. 優勝のきっかけが10連勝なので、10連投した藤川球児がMVPに選ばれた。
    • あるいは90試合登板の久保田智之かも。

2008年

7月には13ゲーム離されていた1位の阪神タイガースを、驚異的な伸びで10月8日の直接対決にて追い抜き、同月10日にセリーグ優勝を決めた2008年の読売ジャイアンツ

「メーク・レジェンド」という言葉でこの年の巨人は語られることになりましたが、ではこの年、そのまま阪神が優勝していたら?

  1. もちろん、岡田の辞任話は噂すらなかった。
    • ただし本人自体、そろそろ辞めたいといっていた節もあるようなので、あと数年もせずに別監督に代わっていた可能性は高いと思う。
    • 真弓明信の監督就任は無かった。
    • 和田豊の監督就任も勿論遅れていた。
    • 岡田が阪神の監督の歴代最長になっていたかも。
      • 現に2009年で6年目に突入するので、早大〜阪神の先輩中村勝広に並び追い越していた。
  2. 世界的不況の中、関西だけ俄か景気で沸いていた。
    • 全国展開する阪急百貨店はかなりの売り上げを上げていた。
  3. WBC監督では当然、岡田が筆頭候補になっていた。
  4. 横浜の三浦大輔はFAで阪神入りしていた。
  5. 翌年3月に開業した阪神なんば線の開業初年度の利用客が史実より多くなっていた。
    • 阪神なんば線のポスターに岡田監督が載っていた。
  6. 翌年もAクラス入りしていたかも。
  7. 「Vやねん」がV逸フラグの意味で用いられることもない。
    • 『Vやねん!タイガース』は優勝前祝い本として普通に売れていた。「あれで優勝を逃したらどうすんねん」と笑って済ますことができていた。
  8. 2010年も優勝できていたかも。
  9. 夏の甲子園で大阪桐蔭が優勝していたので2008年は「大阪イヤー」になっていた。
  10. 岩田稔が新人王に選ばれた。
  11. 藤川球児が入団発表で目標として発言した「10年間のうちに3回は優勝しその1回は胴上げ投手になりたい」が実現したかも。
  12. この年の紅白歌合戦では、中村美律子の「河内おとこ節」の応援ゲストとして阪神の選手が出演していた可能性がある。
  13. そもそもオリンピックの代表に行った藤川・矢野・新井の代役が安定していれば優勝が有り得た。
  14. 史実通り2018年に広島が優勝していた場合、セ・リーグの6球団はすべて西暦が8で終わる年にリーグ優勝を経験した事になっていた。

CSで勝利した場合

  1. もちろん、日本シリーズで勝利しようが敗北しようがセールは行われる。
  2. 岡田の「ここ一番で弱い」という悪評は無くなっている。
  3. 2005年の再来となった場合、関西では日本シリーズという言葉が禁句になる。
  4. 日本シリーズの始球式は打席に岡田を置いて、ナベQが投げる。
    • キャッチャーとして伊東勤前監督にゲスト出演してもらうのも有り。
    • 試合前のセレモニーやテレビ中継で85年の映像が流れる。
      • テレビ中継(特に関西)で「85年の再現なるか!?」と言われる。
  5. 西武の平尾博嗣は日本シリーズで古巣と対戦。
    • その際阪神側からも「平尾」コールが起こる。
  6. 甲子園球場はリニューアル中なのでCSと同様、京セラドーム大阪が甲子園の代わりになる。
  7. 日本シリーズが対オリックスの場合関西ダービーなので、尚更盛り上がった。
    • 第1戦から第7戦まで全て京セラドーム開催だったかも。
      • あるいは、第1、2、6、7戦は京セラドーム、第3~5戦はスカイマークスタジアムでの開催。
      • ↑逆ですよ、保護地域権の関係上、第1、2、6、7戦はスカイマーク、第3~5戦は京セラドームでの開催。
  8. 当時、西武にいたブラゼルは2009年開幕当初から阪神にいたかも。
    • つまり、日本シリーズ終了後、阪神が現実より早くブラゼルを獲得しようとした可能性あり。
  9. シーズンを2位や3位で終えてCSで優勝した場合、「Vやねん」というのは「逆転フラグ」を指す言葉になっていた。
  10. 西武と日本シリーズで対戦が実現していた場合、西武に23年前のリベンジを許しただろう。
    • もし阪神が日本一になっていた場合、「阪神は日本シリーズではなぜか西武には強い」と言われるようになっていた。
  11. 史実通り2018年に広島が日本シリーズに出場していた場合、セ・リーグの6球団はすべて西暦が8で終わる年に日本シリーズ出場を経験した事になっていた。

CSで敗北した場合

  1. 中日がCS制覇した場合、CSに対する制度改革を求める声が強まった。
    • 場合によってはCS自体が廃止されていた可能性もある。
  2. 巨人がCS制覇した場合、2007年の時と同じく優勝の歓喜が消えた。
    • これで日本一となった場合、この時「レジェンド」という表現が使われたかも。
    • 阪神ファンのアンチ巨人率がさらに上昇した。

10月8日に敗北するも巨人連敗と阪神連勝で再逆転した場合

  1. 巨人ではなく阪神が「奇跡の逆転勝利」として称えられている。
  2. 1994年の巨人の“再現”となる。
  3. 神戸でのホーム最終戦で胴上げしていたかもしれない。

阪神と巨人の立場が逆だったら

  1. 阪神が巨人とのゲーム差13をひっくり返しての逆転優勝だったため、阪神に対して「奇跡の逆転優勝」という言葉が使われるようになる。
    • 「虎のメークドラマ」とか「浪速のメークレジェンド」などと呼ばれていた。
      • 「メークレジェンド」は阪神のものになっていたかも。
  2. 阪神優勝当日の大阪を中心とした街の盛り上がりは想像をはるかに超えるものとなっていた。
    • 1985年や2003年と同じ位かそれ以上かも。
    • 道頓堀は大変なことに…
  3. 清武は「ハラをキる!」。
    • そして翌年から、また巨人の迷走時代が……
    • それよか、原監督はこの時点で潔く辞任していたかもしれない。
    • この年以降の巨人の優勝回数は少なくなっていたかもしれない。
  4. 2009年の成績も現実よりも良く、CS出場を果たしていた。
    • もし日本一になっていた場合、「カーネルサンダースの奇跡」と呼ばれていた。
      • この年は長年の悲願だった阪神なんば線が開通したこともあり、親会社にとっては2重の喜びだった。
  5. 杉内、村田、片岡の巨人入りはなかった。
    • むしろこのうちの1人が阪神に入団していた可能性もある。
    • その場合、彼らの選手生命は現実よりも長かった可能性が高い。阪神入りしていたかどうかは別としても。

2010年代

2010年

この年のセ・リーグは8月まで阪神タイガース読売ジャイアンツ中日ドラゴンズが日替わりで首位がかわる大混戦。結局優勝したのは中日ドラゴンズだった。

阪神は首位・中日から1ゲーム差の2位に終わったが、もし優勝していたら…

  1. 星野仙一と岡田彰布に続き、真弓明信監督も初年度4位から優勝した。
  2. 実際に「21世紀のダイナマイト打線」はホームランを200本以上打っていた。
    • 8月12日の城島・桜井・狩野の3連発や8月25日の「22対8」が現実以上に印象に残る。
      • 桜井は現実よりも長く阪神に在籍していた。
      • 城島も現実より長く現役を続けた。
      • 狩野はレギュラーに定着していた。
    • 実際にブラゼルはホームランを50本以上打っていた。
      • もちろんホームラン王と打点王に選ばれた。
      • 現実以上にバースと比較されていた。
        • 打線そのものも現実以上に1985年と比較されていた。
          • もしかすると、この年の阪神のホームランの数は1985年の球団記録はもちろん、日本記録である2004年の巨人をも抜いていた。
  3. そもそも矢野の引退試合で勝っていた。
    • あの試合で矢野の出番があった。
    • あるいは矢野は引退をせず、2011年も現役を続けていた可能性もある。
      • その場合藤井をFAで獲得しなかった可能性がある。
      • 矢野の引退のきっかけである右肘痛も早く回復していて現実以上に活躍していた。
        • 城島とW正捕手になっていた。
          • 狩野は野手に転向していた。
  4. 球団創立75周年を飾っていた。
    • 干支が寅年だったので尚更。
  5. 翌2011年もマシな成績を残していたかも。
    • 真弓明信ももう少し長く監督を続けていた。
      • 和田豊の監督就任は遅れていた。
    • Aクラス入りは果たしていた。
  6. 現実で1位・中日と1勝違いだったので、阪神の選手やファンが1勝の重みを感じることはなかった。
  7. 投手陣も現実以上に活躍していて、ロッテ・小林宏を獲得しなかった。
    • 久保康友は最多勝と最優秀防御率を獲得していた。
      • 久保はFAで横浜DeNAに移籍せず、2014年シーズンも阪神に在籍。
        • その場合DeNAの鶴岡は阪神に来なかった。
    • 能見篤史と岩田稔の離脱がなければ間違いなく優勝できた。
    • 現実ほど打高投低になっていなかったかも。
  8. 平野恵一かマートンが首位打者を獲得していた。
    • 平野は2012年オフにオリックスに移籍(復帰)せず、翌年も阪神でプレーしていた。
  9. ますだおかだ増田の作詞作曲でニコ☆モコがリリースした「大仏タイガース2010」がヒットしていたかも。
  10. 連続フルイニング出場を止めた金本知憲の代役のレフトが安定していた。
    • 金本の棘部断絶がなかったとしたら、フルイニング出場を続け優勝に貢献した。
  11. 優勝決定翌日の日刊スポーツ1面の見出しが『阪神 2年越しの“Vやねん!”』になっていた。
  12. 奇しくもブルートレインの牽引機の新旧交代もあり1985年を連想させると鉄道ファンと阪神ファンとの談義が盛り上がった。
  13. 同年における「今年の漢字」は2003年以来2度目の「虎」になっていたかもしれない。

CSで勝利した場合

  1. 日本シリーズが現実と同じ対ロッテの場合、2005年のリベンジを果たすチャンスだった。
    • テレビ中継で「5年前のリベンジなるか!?」と言われていた。
      • もし日本一になっていた場合、5年前の雪辱を果たしたとして選手もファンも大感動していた。
        • 史実でこの年限りで引退した矢野は「日本一」という最高の舞台で有終の美を飾っていた。(現実には中日時代も含め日本一を経験していない)
        • 球団としても25年ぶりの日本一となる。
        • もし日本一になれなかった場合、現実の2005年と同様に阪神ファンの間では日本シリーズはなかったことにされる。
    • 今岡誠は日本シリーズで古巣と対戦。
      • その際阪神側からも「今岡」コールが起こる。
    • 必要以上に5年前の「33-4」が流れていたのはいうまでもない。
      • ただし2ちゃんねるに「なんでや!阪神関係ないやろ!」の書き込みがされることもない。
  2. 甲子園の地の利を生かせていた。
  3. 日本シリーズの相手がソフトバンクの場合、2003年のリベンジを果たすチャンスだった。
    • テレビ中継で「7年前のリベンジなるか!?」と言われていた。

2011年

  1. 昨年(2010年)には惜しくも優勝を逃しているので、そのリベンジを果たす形になっていた。
  2. 仮に中日ではなく阪神がヤクルトとのゲーム差10をひっくり返しての逆転優勝を果たしていた場合、阪神に対して「奇跡の逆転優勝」という言葉が使われるようになっていた。
  3. 真弓明信はもう少し長く監督をしており、和田豊の監督就任もなかったか遅れていた。
  4. 翌年も少しまともな成績を残せていた。

CSで勝利した場合

  1. 日本シリーズの相手が現実と同じソフトバンクの場合、2003年のリベンジを果たすチャンスだった。
    • テレビ中継で「8年前のリベンジなるか!?」と言われていた。
      • もし日本一になっていた場合、8年前の雪辱を果たしたとして選手もファンも大感動していた。
        • ホークスとは1964年(当時は南海)、2003年(当時はダイエー)と2連続で敗退したため、3度目の正直と言われていた。

2013年

この年の阪神タイガースは前年の5位から大きく巻き返し、1位の読売巨人軍を追いかける2位で一時期首位に立つなど優勝争いを繰り広げました。しかし8月終わりと9月始めの直接対決で負け越して失速し最終的に12.5ゲーム差をつけられてしまいました。もし首位に再浮上し優勝していたら・・・

  1. 和田豊は星野仙一、岡田彰布と同様に監督2年目に優勝を果たした。
    • 先述のように2010年も優勝していたら真弓明信も含めて4人連続となっていた。
  2. 「ウル虎の夏」期間中も勝率が良く、ゲンのいいユニフォームになっていた。
  3. 西岡剛や福留孝介はもう少し本領発揮していた。
    • 現実以上に「グラティ」で盛り上がれた。
      • 廃止にすることもなかった。
      • 楽天の「バーン」や西武の「ウィンウィン」と良い意味で比較されていた。
  4. 藤浪晋太郎が新人王を獲得していた。
  5. 桧山進次郎は有終の美を飾って引退していた。
    • あるいはもう少し現役を続けたかも。
  6. 久保康友とスタンリッジはそれぞれDeNA、ソフトバンクに移籍しなかった。
    • オスンファンは来日しなかった。

CSで勝利した場合

  1. 日本シリーズが現実と同じ楽天の場合、元阪神の星野監督との“師弟対決”で盛り上がった。
    • しかし不敗神話を築いていたマー君に勝てず日本一を逃がしてしまうかも。
      • 日本一にならなくても現実の巨人と同様、日本シリーズで不敗神話を崩していた。
  2. 日本一になればなったで関西の盛り上がりは尋常ではないし、史実でこの年限りで引退した桧山は「日本一」という最高の舞台で有終の美を飾っていた。
  3. 日本シリーズが対ロッテの場合、2005年のリベンジを果たすチャンスだった。
    • テレビ中継で「8年前のリベンジなるか!?」と言われていた。

2014年

2014年の阪神は7月に7連勝するなどして一時は首位巨人に肉薄しましたが、結局は終盤の失速で最終的には巨人と7ゲーム差の2位に終わりました。もし終盤の失速がなく首位に浮上しリーグ優勝していたら…。

  1. 和田監督としては就任3年目で初めてリーグ優勝を達成していた。
  2. CSに関しては現実よりもリーグ戦終了から間があいていたなどで、史実のように阪神が巨人に4タテ、ということはなかっただろう。
    • もしCSで史実と逆に阪神が負けていたら優勝の盛り上がりが一気に消えていた。阪神ファンを中心にCSの見直し云々を言うファンも出るかも。
  3. 史実通り阪神が日本シリーズに出場していた場合、日本一になれていたかどうかはわからないがソフトバンクにボロ負け、ということはなかったかも。
    • 上のようにCSで体力を使い果たした、ということがなかっただろうから。
    • もし日本シリーズの成績が史実通りだったら2005年と同様同年の日本シリーズはなかったことにされていた。
    • 日本一になれていなくとも大阪の御堂筋や神戸市内で優勝パレードを行っていた。
    • もしパ・リーグでオリックスが優勝していたら関西ダービーの日本シリーズが実現していた。
      • この6年前にお互い2位だったので「6年越しに実現した」と言われたし、どちらが日本一になっても関西は大盛り上がり。
  4. 新井貴浩は広島に里帰りせず阪神に残留していた。
    • 2014年オフの補強も全敗、ということはなく少なくとも1人は選手を獲得できていた。
      • 大引か中島のどちらかが阪神に来ていた。
    • それは厳しいんじゃないかなぁ。「新井さんがリーグ優勝の原動力となった」というパターンなら残っていただろうけど。
      • もし補強が上手くいっていたとしたら、尚更出ていく可能性のほうが高いはず。
  5. 梅野隆太郎か岩崎優が新人王に輝いたかも。
    • カープに大瀬良大地がいたため厳しかったかもしれないが、史実同様メッセンジャーが最多勝と最多奪三振、オスンファンが最多セーブ、福原忍が最優秀中継ぎ、マートンが首位打者、ゴメスが打点王をそれぞれ獲得していたらより一層チームの優勝を飾れていた。
    • 梅野は正捕手に定着していた可能性もある。
  6. 優勝セールは阪神百貨店のほか、H2Oリテイリング入りしたイズミヤでも行われていた。

2015年

2015年の阪神はシーズン当初は不振だったが交流戦で勝ち越し、一時は首位に立ちましたが終盤に失速し最終的には3位に終わりました。もし終盤の失速がなく優勝していたら…。

  1. 和田監督は2016年以降も続投していた。
    • 金本知憲の監督就任どころか現場復帰自体遅れていた。
      • コーチ陣の総入れ替えもなかったし、金本とチームメイトだったOBの復帰も遅れる。
        • 平野恵一は阪神ではなくオリックスでコーチに就任した。
      • 藤川球児は阪神に戻らなかった。
    • あるいは前年のCS優勝からの日シリでのストレート負けの落胆があるために、日本一にならない限り和田豊の退任はあり得たかも。後任も金本じゃなかっただろう。
  2. マートンが昨年並み、あるいはそれ以上に活躍していた可能性が高く、今シーズン限りでの退団はなかった。
    • 一方で関本の引退は現実通りだろう。
  3. 球団創設80周年のメモリアルイヤーを飾る優勝となっていた。
    • これを記念して親会社に走ったタイガースラッピング車は運行期間が延長されていたかも。
      • 上で書いたようにマートンが残留していた公算が高いため。
    • ファン感謝デーでの現役・OBの競演も含め80周年記念のイベントで現実以上に盛り上がれた。
  4. この年の阪神は極端な貧打状態だったので、CSではトリプルスリーの山田などを擁するヤクルトに負けていた公算が大。
    • 同じように貧打だった巨人には勝っていた可能性があるが。
    • CSに勝って日本シリーズに出ていた場合も、昨年と同じくソフトバンクに日本一を許していただろう。
  5. 藤浪晋太郎が投手タイトルを総なめにしMVPに選ばれたかも。
    • その場合その後の制球難もなく安定し、名実とも阪神のエースに君臨していた。
    • その実力が同世代でもある大谷翔平と並び称されたかも。
  6. ホームランラジオにおける松嵜麗と渡部優衣の立場が入れ替わっていた。
  7. 同年9月には中村勝広前監督が亡くなっているので、彼に捧げる優勝となっていた。

2017年

  1. CS1回戦の雨中の試合の伝説はなかった。
  2. 金本監督は称えられるようになっていた。
  3. 2018年の成績も現実よりも良く、最下位ではなかった。
    • 場合によってはAクラス入りを果たしていた。
    • 同年に金本監督が辞任することはなかった。
  4. 金本知憲は星野仙一、岡田彰布と同様に監督2年目に優勝を果たした。

2018年

  1. この年は6月の大阪北部地震・7月の西日本豪雨・9月の台風21号災害と関西に災害が相次いだ年だったので、これらの被災地に希望を与える優勝となっていた。
    • それらをばねにしたと評された。
  2. 翌年5月に平成→令和の改元を控えていたので、平成最後に阪神はセ・リーグ優勝できた、と言われていた。
  3. 金本監督はもちろん翌年も続投。
    • 矢野燿大の一軍監督昇格が遅れていた。
  4. 高校野球も大阪桐蔭が春夏連覇したので、この年の野球はまさに大阪・関西の年だった。
    • 大阪桐蔭からこの年のドラフトで阪神入りする選手もいたかも。
  5. 2025年大阪万博誘致成功と合わせて語り継がれていた。
    • この年の「今年の漢字」は「虎」あるいは大阪の「大」になっていたかもしれない。
  6. 同年1月には星野仙一元監督が亡くなっているので、彼に捧げる優勝となっていた。
  7. 優勝決定翌日の日刊スポーツ1面の見出しが『阪神 10年越しの“Vやねん!”』になっていた。
  8. 翌年のシーズン途中にソラーテを獲得することもなかった。
  9. 高校野球の大阪桐蔭春夏連覇・6月の大阪北部地震・9月の台風21号災害・11月の2025年大阪万博開催決定などもあり、大阪・関西にとっては忘れられない年になっていた。

CSで勝利した場合

  1. 日本シリーズの対戦相手が史実通りソフトバンクだった場合、2014年のリベンジを果たすチャンスだった。
    • テレビ中継で「4年前のリベンジなるか!?」と言われていた。
  2. 33年ぶりの日本一になっていた場合、関西の盛り上がりは半端ではなかった。
    • そうなっていた場合、平成最後に阪神は日本一を決める事ができた、と言われていた。
    • 相手が史実通りソフトバンクだった場合、2003年(当時はダイエー)、2014年と2連続で敗退しているので、平成に入って3度目の正直と言われていた。
    • 平成のうちに日本一になれなかったのは現存する球団では広島だけとなっていた。
  3. ただし、日本シリーズの対戦相手がこの年リーグ優勝した西武だった場合、日本シリーズは1985年以来の阪神×西武となっていた。
    • が、西武に33年前のリベンジを許しただろう。
    • もし阪神が日本一になっていた場合、「日本シリーズでは阪神はなぜか西武に強い」というジンクスが生まれていた。

2019年

  1. 矢野監督は就任1年目で優勝できていた。
    • 1985年の吉田監督以来の快挙で、それと比較されていた。
  2. 阪神は新元号令和最初の年に優勝したことになり、ファンにとってはそれが自慢になっていた。
  3. 近本は新人王を獲得していた。
  4. CS出場チームが史実通りDeNA・巨人・阪神だった場合、ファイナルステージ進出チームがDeNAだった場合は阪神が日本シリーズ出場を決めていたが、巨人だった場合はCS敗退していた公算が高い。
    • ただ阪神がシリーズ出場を果たしていた場合も、ソフトバンクに日本一を許していただろう。史実の巨人のように4連敗はなかったかもしれないが。
      • もし日本一になっていた場合、1964・2003・2014年と3回連続でホークスに敗退していたことから4度目の正直と言われていた。

2020年代

2020年

  1. 矢野輝弘は星野仙一、岡田彰布と同様に監督2年目に優勝を果たした。
    • 新型コロナウイルスで社会が沈む中、関西はにわかに盛り上がり、希望の光になっていた。
  2. この年は新型コロナウイルスの影響でセ・リーグのCSが中止になったこともあり、阪神は優勝と同時と日本シリーズ出場を決めていた。
    • 史実通りソフトバンクが4勝0敗であっさりと日本一になっていた場合、阪神ファンの間では2005年と同様に同年の日本シリーズはなかったことにされていた。
  3. 新型コロナウイルス感染症が存在せず、東京五輪も無事開催されていたら、「東京で五輪が開催されたら阪神が優勝する」というジンクスが生まれていた。
    • 何かと1964年と比較されていた。
  4. 同年の「今年の漢字」は「虎」も上位に食い込んでいた。
  5. 同年2月に野村克也氏が亡くなっているので、彼に捧げる優勝となっていた。
    • 彼が監督をしていたシーズンはずっと最下位だったが、彼が育てた選手が2003・2005年の優勝で花開いたため。

CSで勝利した場合

  1. 新型コロナウイルス感染症がなかったらセ・リーグのCSも中止にならなかったので、阪神のCS優勝もあり得た。
  2. 2014年と同じく2位からの日本シリーズ出場で、相手も同じソフトバンクだった。
阪神タイガース
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本拠地:甲子園球場/大阪ドーム/甲子園駅
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