もしあの人が健在だったら/プロレスラー

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日本

ジャイアント馬場

  1. 全日本プロレスが分裂することはなかった。
    • プロレスリング・ノアは誕生していない。
    • 仮に分裂していたとしても、武藤に乗っ取られたり新日と手を組むことはなかった。
    • 夫婦で隠居して鶴田か三沢に円満譲渡できていた。
  2. 「生涯現役」を掲げてリングに立ち続けるが、体力の衰えに比例して出場回数は減っていた。
    • フォールのカウントがさらにゆっくりに……。
  3. それと反比例するように、タレント活動はどんどん増えていただろう。
  4. ジャイアント小馬場の芸を目の当たりにし、笑いながらも内心ムッとしているかも。
  5. IGFで「禁断の対決」が実現したかも知れない。
    • 猪木も「馬場がやるなら」と一夜限りの現役復帰。
      • 一方の馬場も「一区切りがついた」とこれを引退試合にしたかも。
  6. どのような形にしろ、BI砲の再現が見られた。
  7. ココナッツを使ったスイーツのイメージキャラクターに。
  8. 故郷の新潟で野球チームを旗揚げしていた。
  9. アサヒ飲料の缶コーヒー「WONDA(ワンダ)」のCMで、桑田佳祐と実際に共演がされていた。(現実は合成による共演。)
    • ただ現実として、馬場さんは素人にプロレス技をかけるという行為を好んでいなかったので、別のスタイルでの共演になっていたかも。
  10. ハッスルにスペシャルゲストとして参戦してたかも。
    • いや、馬場さんはああいうスタイルを認めていなかったから、ハッスルの顔ぶれが相当変わっていたか、ハッスル自体がなかったと思う。
  11. 趣味の絵画も作品数が増え、何度となく個展が開かれる。
    • 二科展にも何度か入選する。
  12. もちろん関根勤のモノマネは封印されず、さらには娘の麻里にもモノマネされている。
  13. 三菱トッポ(ekベース)のCMキャラに再びなっていた。
  14. ジャンボ鶴田の葬儀で弔辞を読んでいた。
  15. 毎年オフ恒例の「巨人阪神OB戦」にジャイアンツのピッチャーとして参加。
    • プロ野球マスターズリーグにも参戦していたかも。
  16. 映画(実写&アニメ)「進撃の巨人」の宣伝にオファーされていたかもしれない。
    • 篠原信一と巨人の親子役で「スパワールド」のCMに出演していた。
  17. 逸見・山城も健在だったら、日テレ開局60年となる2013年に『クイズ世界はshow by ショーバイ』が限定復活したかも。
  18. 大の「水戸黄門」ファンということもあり、2011年の地上波でのレギュラー放送終了を残念がっていたものの、2015年のスペシャル版の放送や、BS-TBSで2017年に放送された武田鉄矢主演の新作の放送を大いに喜んでいたことだろう。
  19. 2004年10月23日に新潟県中越地震が発生した際、被災者にエールを送っていた。(馬場さんの出身地は新潟県であるため)
  20. 上越新幹線のE1系引退時にゲストとして招かれ、燕三条駅でホームから2階席の乗客に向けて手を振った。

ジャンボ鶴田

  1. 後に三沢光晴と共にプロレスリング株式会社ノアを旗揚げし、自身はスタッフとして参加。
    • ○子を追放して全日本プロレス分裂を防いでいた。
    • 同郷のよしみで武藤敬司を歓迎した。
  2. あるいは大学教授となってレスリング部の指導に当たっていた。
    • 教え子がオリンピックに出場したときにはアニマル浜口並みにマスコミ露出が多くなっていた。
      • 「気合いだ~!」のごとく「オー!」が流行語になっていた。
  3. それでも藤波辰爾との対戦は実現しない。
    • 一騎打ちは難しいかもしれないが、2001年10月に開催された新日本の東京ドーム大会のエキシビジョンマッチでは、史実通り前年に引退したとしても、「一夜限りの復活」を果たし、藤波とタッグを組み、恩師でもあるザ・ファンクスと戦っていた。(史実における藤波のパートナーは、ボブ・バックランド。)
  4. 「鉄人」から受け継いだ技をまた誰かに継承していた。
  5. レスラーとしては引退し、菅直人の誘いで民主党から出馬していたかも。
    • 衆議院に当選した場合、同じ元レスラーで自民党所属の馳浩議員との舌戦が名物となっていた。
      • もしくは山梨県知事選に出馬していたかも。


直井敏光

  1. NOWはもう少し持ちこたえていた。
    • 大日本プロレス旗揚げもない、もしくは遅れていた。

橋本真也

  1. 今なお「ハッスル」を主戦場としていた。
    • 2007年よりIGFに移す。
  2. 新日か全日のどっちかで「闘魂三銃士興行」が実現していた。
  3. 小池栄子と坂田亘の婚約発表を見て「俺がくっつけたんだぜ!」と自慢しまくっている。
  4. 今度こそ適切な場面で「時は来たー、それだけだ。」と言えた。
    • それでも蝶野は笑ってしまう。
  5. 冬木弘道の未亡人と再婚していた。
  6. 息子である橋本大地のデビューに何らかの形で関わっていた。
    • 逆にプロレスラーを目指さなかったかも。
  7. サントリーの缶チューハイのCMで石原さとみと共演していた。

ハル薗田

  1. 馬場亡き後の全日を引き継いだだろう。
  2. 姪に当たる石倉由加利はレスラーにならなかったかもしれない。

福田雅一

  1. 長州力の現役復帰はなかったかもしれない。
  2. 柴田勝頼も新日を退団しなかった。

冬木弘道

  1. 予定通り橋本真也と電流爆破マッチを決行。
    • 橋本の訃報を誰よりも悲しんでいた。
  2. 第一線から退くものの、WEWは引き続き存続し、プロデューサーとして活躍。
  3. 金村キンタローが事件を起こすこともなかっただろう。
  4. 相変わらずの理不尽ぶりを発揮して、高山やみのるのような存在感のある外敵役であちこちに出向いていた。
  5. ノアマット初の本格ヒール軍団を率いていた。
    • 邪道と外道も新日本ではなくノア中心になっていた。

三沢光晴

  1. 予定通り2009年をもって現役を引退していた。
    • 「エロ社長」の封印を解放してメディアに進出し、ノアのアピールにいそしむ。
  2. 潮崎のシングル戴冠も無かった。
  3. 杉浦とマシンの抗争やノアマシン軍団の結成も無かった。
  4. 小橋建太の結婚発表が早まっていた。
    • 結婚式で仲人を務めていた可能性も。
  5. 小橋の引退試合で四天王が勢揃いしていた。
  6. 秋山は全日に復帰しなかった。


力道山

  1. 全日本プロレスは誕生しなかったかも知れない・・・
    • 仮に馬場が力道山の考えを無視して全日本を結成したら馬場と生涯対立していただろう
    • 国際プロレスも多分ない。
  2. 引退試合の時に全盛期のジャイアント馬場と夢の対決が実現する
  3. 引退後は現役時代より引き続いて実業家として活躍する傍ら、トレーナーとしても活躍。
    • レジャー産業の経営者として日本でも有数の存在になっている。
    • 起業した会社のどれかが東証一部に上場していた。
    • リキ・マンションが全国各地に建設されている。
  4. 格闘技界のご意見番となり、『関口宏のサンデーモーニング』にレギュラー出演し、「格闘技界の長嶋茂雄」的な存在になっていた。
    • 張さんとの親交を考慮すればおかしくないが日本テレビとの関係もあるため実現したかどうかは微妙。
  5. 三木道三とのコラボが実現。
  6. 引退後も度々トラブルを起こしていた。
  7. パンシロンのCMに生身の体で出演していた。
    • 中継のスポンサーだった三菱電機のCMにも長きにわたり出演していた。
  8. 日本に帰化し、政界に進出したかもしれない。
    • 朝鮮半島との関係改善に尽力している。
    • 力道山の後ろ盾だった大野伴睦の後継者として中選挙区時代の岐阜1区より自民党公認で総選挙に出馬し政界入りする。
      • 伴睦はデストロイヤー対力道山戦でリング上で挨拶したことがある。
      • 帰化する時期は史実で伴睦が亡くなった1964年。なお史実の伴睦の後継者は伴睦の四男・大野明。
    • 史実でも大相撲引退時に帰化していたはず。
  9. 史実では力道死去のためご破算になったアントニオ猪木の角界入りも実現したかもしれない。
    • 猪木氏の角界入りが実現した場合、史実で後年彼によるクーデターや、それによる「日プロ永久追放」もなかったので、新日本プロレスも誕生していなかっただろう。
  10. 実際には亡くなって約10か月後に開業した東海道新幹線の車内で、何らかのトラブルを起こしていた。当然グリーン車を利用。
    • 実際には亡くなって約10か月後に開幕した東京オリンピックにもゲストに呼ばれていた。
    • 普通にいい席の入場券を買って一観客として撮影しながら見ているほうがそれらしい。
  11. 夢枕獏の小説『仰天・平成元年の空手チョップ』は執筆されなかった。
  12. 大の巨人ファンということもあり、同じ「在日コリアン」という事で親交の深かった金田正一氏や張本勲氏の巨人入りを大いに歓迎していた。特に金田氏の通算400勝と4490奪三振は、巨人在籍時に達成された記録なので、心から彼の偉業を祝福していただろう。
  13. サザンオールスターズが1993年11月にリリースした「クリスマス・ラブ(涙のあとには白い雪が降る)」のカップリング曲である「ゆけ!力道山」は発表・収録されなかったか、仮に収録されたとしても詞の内容が変わっていた。
  14. 北朝鮮出身ということがタブー扱いされ続けるかどうかで運命が変わっていた。
    • タブーのままなら現在でも一般的には大村出身とされていた。
      • 大村市の名誉市民になっていた可能性大。
    • タブーでなくなっていたら堂々と日韓・日朝交流関連に関われていた。
      • 猪木より先に訪朝していた。
      • 韓国のプロレスが力道山の支援のおかげでもっと盛んになっていた。
  15. 国民栄誉賞を受賞していても不思議ではない。
  16. 日本における女子プロレスの地位がさらに低くなっていた。
    • 力道山は生前女子プロレスを基本的にプロレスの埒外に置いていた。
  17. ファミコンあたりで本人監修のゲームソフトが発売されていた。
  18. 『タイガーマスク』にも重要な人物として登場している。
    • ひょっとするとアニメ版では本人が声を当てていたかもしれない。
  19. 長谷川町子が昭和38年の時点で『サザエさん』の連載を終了していた可能性あり。
    • 史実では家出先で「力道山死去」の新聞記事を見て人生のはかなさを感じ家に戻り漫画連載も無事続けられることになった。

海外

アンドレ・ザ・ジャイアント

  1. 医師から注意を受けても、やっぱり大量の飲酒は欠かさなかった。
  2. プロレスラーとしての人気に陰りが出始めた頃から、日本ではバラエティ番組への出演が多くなっていた。
    • 「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」にキラーカンとともに出演。
    • 何かの車のCMで元宝塚の女優たちと共演し、『ベルサイユのばら』のパロディでアンドレを演じていた。
  3. 引退後も日本でジャン・アレジ並みのネームバリューは保っていた。
    • でもフランス人だと言う事はあまり認識されなかった。
      • 1998年の「日本におけるフランス年」で、アレジと共にPR活動を行っていた。
  4. 魔界倶楽部やラブマシンズに参加していた。
  5. ビッグ・ショーの親父(キャラ)でWWEで暴れていた。
  6. また古舘に様々なバリエーションの「一人~」と呼ばれてしまった。
  7. 『ハッスル』に登場して和泉元爾と対決。

ジョン・テンタ

  1. 2010年現在は天龍プロジェクトあたりに参戦していた。

スティーブ・ウィリアムス

  1. IWAジャパンでの引退祈念試合は2009年10月に予定通り行われていた。
  2. 引退後はがん闘病経験を本として出版していたかも。
  3. 小橋建太の結婚式に祝電を送っていた。

ディック・マードック

  1. 2001年(満55歳)頃まで現役を続けていた。
    • やっぱり場外乱闘からリングインする際の「半ケツ」はお約束。
  2. その後は好敵手でもあり友好関係にあったアントニオ猪木のイベントなどにも度々登場。
    • 一緒に「1, 2, 3, ダァーッ!!」をやっていた。

ブルーザー・ブロディ

  1. 新日とは和解できないままだが、武藤移籍で全日に再び参戦。

ホーク・ウォリアー

  1. 2007年現在もアニマルとのタッグチーム「ロード・ウォリアーズ」は健在。
    • ジョン・ハイデンライクは1人で活動していた。
    • 2011年、2人とも健在なままWWE殿堂入りを果たしていた。
    • アニマルの著書『ロード・ウォリアーズ 破滅と絶頂』の内容も変わっていたに違いない。
      • って言うか共著している。
  2. 佐々木健介とのタッグ「ヘル・レイザース」も継続。
    • ひょっとしたら「ヘル・ウォリアーズ」(アニマルとのコンビ)はなかったかも。
      • いや、3人でチームということも。
  3. 日本で健介ファミリーの一員として活動していた。
    • 今日の全日ヘビーがさらに盛り上がっていた。
  4. または史実の死因となった心臓発作から生還していた場合、体調を考慮して潔く現役を引退していた。
    • この場合、先に引退していたジョン・ラリナイダス(ジョニー・エース、アニマルの弟)とともにWWEの運営側に入り活躍。
    • 本名の「マイク・ヘグストランド」名義でWWEのエグゼクティブプロデューサーとしてスーツ姿でリングに上がっていたかもしれない。

モンスター・リッパー

  1. 希望通り日本で引退試合をしていた。
  2. 全女の崩壊を誰よりも悲しんでいたと思う。
  3. さすがに結婚はしていただろう。
  4. ブル中野引退興行に来場していたか、さもなくばビデオメッセージを送っただろう。

日本・女子

門恵美子

  1. アジャ・コングらとともにOZアカデミーに参加していただろう。
  2. 吉田万里子の「息吹」旗揚げはなかったかもしれない。
  3. アルシオンももう少し長く持てていた。

ジャッキー佐藤

  1. 窮地に陥った全女の姿を見兼ねて、何らかの形で救いの手を差し伸べていただろう。
  2. 一夜限りのビューティ・ペア復活もありえた。
    • 史実どおり全女解散に至った場合、最終興行で復活した可能性が高い。
  3. 後進の指導にも力を注いでいた。
    • 教え子たちを従えて新団体の旗揚げもしていたかもしれない。

プラム麻里子

  1. キューティー鈴木や尾崎魔弓の影が薄くなっていた。
    • 尾崎は2011年現在もJWP在籍か既に引退しており、OZアカデミーの団体化もなかった。
    • キューティーの引退も早まっていた(史実では事故がきっかけで引退を先延ばしにしていたため)。
  2. やはり怪我に泣かされ続け、活躍の機会が少なかった可能性も。
  3. 30代中頃に結婚、現役引退。
    • そして、女優に転向。
  4. JWPとLLPWは史実より長く絶縁していた。
    • おそらく全女崩壊を機に和解。
  5. バックボーンであるサンボの技術を活かし、2000年代に総合格闘技に進出していた。

未来

  1. おそらくアイスリボンに参戦していただろう。
  2. レボルシオン・アマンドラはなかった。
  3. 栗原あゆみの成長も遅れていた。最悪の場合、芽が出る前に引退した可能性も。