もしあの火山が○○だったら
2014年4月6日 (日) 03:28時点における>白熊による版 (リンク含む)
桜島は1914年の噴火で大隅半島と陸続きになりましたが、もし別の形になっていたら?
薩摩半島と陸続きになっていたら
- 桜島の鹿児島市への編入が早まった。
- なぜかそれでも東から編入する。
- 桜島の噴火が僅かに大きくなっていた。
- 平成大合併時に鹿児島は西桜島を編入し政令市に移行できた。
- そんなに人口あったっけ。
- 鹿児島市の海沿いの地域は、相当の被害を受けていた。
- 現在の鹿児島港区や与次郎は自然と陸地になったので、埋め立てる必要はなくなっていた。
- 鹿児島市まで溶岩が到達したという事実は再び被害を受ける可能性を暗示するもので、その後の市の発展を鈍らせるものになっただろう。
- 桜島と大隅半島間の距離が400mほどだったため、いずれ海峡に橋が架けられ、鹿児島市~大隅間を道路での往来ができるようになる。
薩摩・大隅双方と陸続きになっていたら
- 北側は「鹿児島湖」と呼ばれていた。
- そして鹿児島湖と鹿児島湾を結ぶための運河が建設されていた。
- 鹿児島から桜島を通って垂水・鹿屋に向かう鉄道路線ができていた。
- 鹿児島市と大隅を結ぶ道路も高規格で整備されていた。
鹿児島湾がなくなっていたら
- 大隅半島、薩摩半島という名の半島は消滅する。
- どう考えても史実より格段に激しい噴火になっていた。
- 小説『死都日本』の冒頭に登場していた。
- 鹿児島は完全に壊滅した。垂水と鹿屋は市制できなかった。
- ↓よりもひどかった。
- 日南線・大隅線・志布志線は存在しなかった。
- 国道58号本土区間が長くなっていた。
- 226号と269号の山川までが58号になってたかも。
- 船舶が入れなくなった鹿児島港に代わって、山川港や志布志港がより整備されていた。
- 薩摩と大隅の交流が活発になり、双方の県民性の違いが薄まっていた。
桜島がなくなっていたら
セント・ヘレンズ山のように内部に溜まったマグマが山体そのものを吹き飛ばすような形態の噴火だったらこうなっていた可能性もある。
- 鹿児島市は壊滅していたかも。
- この場合、南九州の中心都市は宮崎市となり、九州新幹線は新八代から人吉を経て宮崎に向かっていた。
- 「島原大変、肥後迷惑」の再来となったかも。
- 何も無くなった土地に入植者が入り、開拓されていたかも。
- 当時政界の多くを占めていた薩摩閥の面々は大ショック。
- 長州・土佐などが勢力を上げるか、普通選挙が早まっていた。
- まじめな話をすると、鹿児島湾北部(桜島より北)は姶良カルデラといって、2万数千年前の巨大噴火でどーんとあいた穴である。この時の火山灰は今でも東北地方で見つかるというとてつもないものである。それに比べれば今の桜島はずいぶん遠慮している。
- 桜島フェリーが存在しない、または大隅半島までの距離の長い航路となっていた。
- 大隅までの場合、運賃が現・桜島フェリーよりかなり高くなるため、鹿屋市寄りを結ぶ垂水フェリーの収益は史実より遥かに多いドル箱航路となっていた。
これを最後に火山活動を休止していたら
- 噴煙を上げる「おなじみの」桜島の雄姿は見ることはできない。
- 物足りなさを感じるかもしれないが、当たり前になれば忘れ去られるもの。
- 天気予報で「桜島上空の風向き」を報じる必要がなくなる。
- 洗濯物も風向き関係なしに干せる。
- クーラーの普及は全国と比べて平均所得並みに遅れていた。
- 鴨池空港は移転しなかったかもしれない。
- 桜島の登山が可能になっていた。
噴火しなかったら
- 大隅半島とは陸続きになっていない。
- 西桜島村と東桜島村は鹿児島市と合併せずに2村で合併していた。
- 鹿児島県民にとって桜島の関心が薄くなっていた。
- 鹿児島の象徴は開聞岳。
- 鹿児島市民にとって桜島は遠い所。
- せいぜい学校で登った程度。