ページ「もしあの鉄道路線が開業していたら/兵庫」と「もしあの駅が廃止されなかったら」の間の差分
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[[ | {{日本目次}} | ||
==北海道== | |||
===上越駅(石北本線)=== | |||
#ほぼ保線用の駅と化している。 | |||
#秘境駅ファンもある程度来ていた。 | |||
#標高634メートルということで[[東京スカイツリー]]開業の時に何か置かれていた。 | |||
#*「標高634m 北海道で最も標高の高い駅」と書かれたスカイツリー形の看板か。 | |||
#Chakuwikiやアンサイクロペディアで上越新幹線と引っ掛けたネタが書かれる。 | |||
#[[北陸新幹線]]上越妙高駅の仮称も違ったものになっていた。 | |||
== | ===鹿越駅(根室本線)=== | ||
#かなやま湖の開発とともに駅周辺に観光施設が作られた。 | |||
#*現在は少なくとも一部が廃墟化している。 | |||
#駅西側でダム湖を渡る鉄道橋に並行して歩行者用の橋もできている。 | |||
# | #秘境駅ファンの間ではけっこう人気がある。 | ||
#* | #*木が茂りすぎていなければホームからかなやま湖を一望できそうなので。 | ||
# | |||
# | |||
#* | |||
== | ===西永山駅(宗谷本線)=== | ||
# | #史実の跡地周辺に誕生した貨物駅と同名の「北旭川」と名乗っていたかもしれない。 | ||
#*貨物列車ファンの間でも撮影スポットなどとしてある程度知られていた。 | |||
#現在の周囲は住宅地なので地域住民がそこそこ利用しているはず。 | |||
#* | #すぐ側の操車場跡地の再開発でこの駅が重要な存在になっていた。 | ||
# | |||
# | |||
== | ===吉岡海底駅(海峡線)=== | ||
# | #今でも海底駅見学として活躍している。 | ||
#* | #*どうだろう。元々駅としての機能を前提としていないからかなり手を加えないと新幹線が通過する際に危険だと思うし。 | ||
#**残すとしたら美佐島駅以上に堅牢な壁でホームと施設が分離されたり、史実と同様に在来線規格のホームの撤去などの大改造が行われていた。 | |||
#どのみち北海道新幹線建設時には一時休止扱いになっている。 | |||
== | ==青森== | ||
===竜飛海底駅(海峡線)=== | |||
#今でも海底駅見学として活躍している。 | |||
#こっちなら青函トンネル記念館もあるから吉岡海底よりも残せるチャンスはあったかもしれない。 | |||
#*と言っても新幹線の関係上やっぱり大改造は必要になるが。 | |||
[[Category:歴史のif検討委員会 鉄道史| | ==山形== | ||
===蟹沢駅(奥羽本線)=== | |||
#さくらんぼ東根駅は存在しなかった。 | |||
#山形新幹線の停車駅になっていた。 | |||
#*この場合は「新東根」とでも名乗っていた。 | |||
#「またしても東根市中心部への駅設置を逃してしまった」と痛恨事として語られる。 | |||
==宮城== | |||
===三百人町駅(東北本線)=== | |||
#若林区唯一のJR駅なのである程度重要視された。 | |||
#*バス路線もこの駅への連絡を考慮したものになっている。 | |||
#すぐ側を通る県道235号は一部区間が拡幅されていた。 | |||
#東北新幹線の高架工事のついでに駅舎の建て替えも行われた。 | |||
#近年になって一部で「若林駅」への改称が検討されている。 | |||
==栃木== | |||
===犬伏駅(両毛線)=== | |||
#佐野工業団地の関係者に重宝された。 | |||
#現在跡地付近にあるデイサービスセンターや児童館と組み合わされた駅舎ができていたかもしれない。 | |||
#電化前のような普通列車の通過は発生していない。 | |||
===三重駅(両毛線)=== | |||
#1969年から90年代前半にかけて足利競馬場の観客でにぎわった。 | |||
#*ちなみに史実での駅休止は足利競馬場が移転してくる前年の1968年。 | |||
#競馬場が閉鎖された現在は単なるローカル駅。 | |||
#*臨時改札の跡など競馬ファンでにぎわった時代の名残はある。 | |||
#Chakuwikiの「両毛線の噂」で「三重県に行けるわけではない」などと書かれる。 | |||
==茨城== | |||
===万博中央駅(常磐線)=== | |||
#ひたち野うしく駅は存在しなかった。 | |||
#万博終了後もつくばエクスプレス開業までつくば方面の乗り換え客で賑わっていた。 | |||
#間違いなく科学博終了後に駅名改称が行われていた。 | |||
#*所在地の地名から「御幸が丘」と名乗っていた。 | |||
#フレッシュひたちが停車するようになっていたかは微妙なところ。 | |||
==栃木== | |||
===古田駅・長久保駅(宇都宮線)=== | |||
#宇都宮駅~片岡駅間が遠回りになる事は無かった。 | |||
#*しかし、鬼怒川の氾濫で不通になってしまう。 | |||
#古田駅に烏山線がくる。 | |||
#*あるいは古田駅~宇都宮駅間。(駅名は豊郷駅。) | |||
==埼玉== | |||
===加倉駅(東武野田線)=== | |||
#岩槻ICのアクセスになるだろう。 | |||
#*岩槻ICの近くにはホテルがたくさんあるので、こっちもセットしていたはず。 | |||
#*むしろ工業団地か何かができている。 | |||
===天覧山駅(西武池袋線)=== | |||
#現在の主な利用客は近くの飯能高校の生徒。 | |||
#比較的最近になって北口もできた。 | |||
#ハイキングシーズンには駅名の由来になった山への利用客もそれなりにいる。 | |||
#飯能高校に近付けるため南寄りに移転した可能性もある。 | |||
#アニメ「ヤマノススメ」に登場していた。 | |||
==東京== | |||
===万世橋駅(中央本線・東京メトロ銀座線)=== | |||
{{駅名標/東日本|name=万世橋|ruby=まんせいばし|back=御茶ノ水|next=神田|back2=Ochanomizu|rome=Manseibashi|next2=Kanda|color=#F15A22}} | |||
[[画像:ManseibashiST01.jpg|thumb|200px|雑草は生えていない]] | |||
#重要文化財になっている。 | |||
#秋葉原・神田駅はない。 | |||
#*戦前は3駅ともありましたが。消えたら総武緩行線の意義がかなり低下します。全部御茶ノ水乗換? | |||
#*少なくとも後者のホームはないだろう。 | |||
#[[つくばエクスプレス]]は万世橋駅が起点になっている。 | |||
#[[オタク]]の町の玄関口になっていた。 | |||
#通称(<s>蔑称?</s>)「マンセー橋」。 | |||
#*[[2ちゃんねるファン|この人たち]]は確実に使うな。 | |||
#地下鉄の駅は仮駅なのでいずれにせよ消えていた。中央線駅は「南秋葉原」と改称された可能性も否定はできない。岩本町を考慮すると可能性は低いが。 | |||
#交通博物館から大宮の鉄道博物館への移転は、もう少し早く行われた。 | |||
#*移転後駅舎は改築されていた。 | |||
#**おそらく神田万世橋ビルとecuteの開業は史実通り。 | |||
#肉の万世のビルと地下で直結して、駅構内でもかつサンドが買えるようになったかも。 | |||
#銀座線の(仮)駅も無くならなかったか、改めて『(神田)須田町駅』か何かで復活。 | |||
#*上野寄り出口は秋葉原への出入り口になって、銀座方面はJRへの乗換口。 | |||
#*ちなみに駅は[[荒川 (関東)#神田川|神田川]]の真下。 | |||
#万世橋駅の備品をそのまま使用していた新子安駅の開業が遅れていた。 | |||
#*開業しても、駅名は「北子安」になっていた。 | |||
#*付近の私鉄駅に社名が冠されることはない。 | |||
===呉服橋駅(東海道本線)=== | |||
#京葉線ホームのような扱いで東京駅に吸収されている。 | |||
#*中央線が高架化した際にはここにホームが置かれていた。 | |||
#丸ノ内線開業の時点で地下鉄大手町駅への連絡通路が設置されていた。 | |||
===東浅川駅(中央本線)=== | |||
#占領期に一般の利用も可能になっていた。 | |||
#所在地の町名由来の駅名なので隣の浅川駅が「高尾」に改名してもこちらは改名しない。 | |||
#社殿造りの駅舎は橋上駅に建て替えられ姿を消している。 | |||
#*建て替えまでは「利用者の割に南口が貧弱」と言われていた。 | |||
===天神駅(東武亀戸線)=== | |||
#小村井駅は廃止されていた。 | |||
#よくわからない人は亀戸天神の近く?と思ってしまう。 | |||
#*やはり亀戸水神駅同様「亀戸天神の最寄り駅は亀戸駅です」の看板が設置してある。 | |||
===並木橋駅(東急東横線)=== | |||
#地下化後に明治通り側に移設されていた。 | |||
#*渋谷駅からの距離を考えるとホームは8両のみ対応だと思われる。 | |||
#國學院大学が駅名改称を要望していたかも。 | |||
===博物館動物園駅(京成本線)=== | |||
#最初からもっと長い編成に対応できるように作ってあったのが前提。 | |||
#*史実では4両編成もホームからはみ出すほどホームが短く使い勝手が悪かった。 | |||
#駅の雰囲気がレトロ調に統一されている。 | |||
#映画の撮影などで重宝される。 | |||
#さすがに自動券売機や自動改札くらいは置かれていた。 | |||
===上り屋敷駅(西武池袋線)=== | |||
#後に駅名が「西池袋」か「北目白」に変更されたかもしれない。 | |||
#*改名されなければ地名関連の書籍でよく取り上げられていた。 | |||
#各停のみ停車。 | |||
#最近になってJR目白駅との接続案内が行われるようになった。 | |||
===隅田公園駅(東武伊勢崎線)=== | |||
#スカイツリーとセットしていた。 | |||
#*隣が「とうきょうスカイツリー」駅なのでそれはない。 | |||
#はたしていつ頃に営業再開だろうが? | |||
#*60年代ぐらい…。いやもっと早いか? | |||
#*講和発効前には再開できていたと思う。 | |||
#イベントがない時は閑散としている。 | |||
#そこまで大規模に投資されないはずなので今なお昭和の雰囲気を色濃く留める。 | |||
#*昭和レトロファンにとっての聖地となっていた。 | |||
===西参道駅(京王線)=== | |||
#初台と同様に現在この駅があるのは京王新線だけ。 | |||
#*一応京王線の旧ホームは残存している。 | |||
#地下で新宿パークタワーとつながっている。 | |||
#年始には京王線沿線の明治神宮参拝客が多く利用する。 | |||
#東京都庁の最寄り駅としても案内される。 | |||
===幡代駅(京王線)=== | |||
#スポーツセンターのアクセスに繋がる。 | |||
#この場合だと史実と異なり初台・幡ヶ谷が廃止されていた可能性が高い。 | |||
#*京王新線の駅は新宿-西参道-幡代-笹塚になっていた。 | |||
==神奈川== | |||
===本山駅(鶴見線)=== | |||
#隣の国道駅よりは近代化されている。 | |||
#「総持寺」への駅名変更が一回は検討されている。 | |||
#人名由来の「もとやま」駅と誤解されることもある。 | |||
===神奈川駅(東海道本線)=== | |||
#横浜駅は今でも桜木町駅辺り。 | |||
#*2代目横浜駅(現在の高島町駅付近)と共存していたことがあるのでそれはない。 | |||
#京急本線の神奈川駅は「京急神奈川駅」と名乗っていた。 | |||
#みなとみらいは別の所で建設していたか? | |||
#*「横浜駅付近と関内・伊勢佐木町付近という2つの繁華街をつなぐ」という目的を考えると別の場所では意味がないのでは。 | |||
===作ノ口駅(相模線)=== | |||
#国有化と同時に駅名が変わっていたかもしれない。 | |||
#*「作ノ口駅」「作の口駅」→「下九沢駅」か? | |||
#観光客を増やすために再開発があったかも。 | |||
#*通勤通学路線という相模線の性質を踏まえると「観光客誘致」という発想は浮かんできそうもない。 | |||
===平沼駅(京急本線)=== | |||
#改修の時期によっては横浜大空襲で被害を受けた鉄骨が保存されていた。 | |||
#地元の商店街はもう少しはにぎわっていたはず。 | |||
#「一本の鉛筆」(美空ひばり)が接近メロディとして採用されていた。 | |||
#*なお現実でも平沼駅跡地で京急が横浜大空襲のあった5月29日に慰霊祭を行っている。 | |||
===キリン駅(京急本線)=== | |||
#キリンビールのCMソングが接近メロディに使われるのは史実の生麦駅ではなくここ。 | |||
#現在の駅名は付近にあった横浜市電の電停と同じ「滝坂」か。 | |||
===新小田原駅(大雄山鉄道大雄山線)=== | |||
#緑町駅は建設してない。 | |||
#*小田原駅乗入れも当然無かった。 | |||
#大雄山線内にも大規模な検査のできる整備工場があった。 | |||
#利用者数は確実に史実より少ない。 | |||
#小田原市当局や川島令三氏が大雄山線の小田原駅乗り入れを主張している。 | |||
===海老名国分駅(小田急小田原線)=== | |||
#海老名国分駅の名残に行く人は増えていたはず…。 | |||
#後に、海老名駅に改名するだろう。 | |||
#国道246号との交点付近への移設が要望されている。 | |||
===古河電線駅(相鉄本線)=== | |||
#1961年の電気工業解体と同時に「平沼駅」に改名されている。 | |||
==千葉== | |||
===北柏駅(東武野田線)=== | |||
#常磐線の北柏駅は別の駅名になっている。 | |||
==長野== | |||
===フォトデッキ駅(小海線)=== | |||
#JR一高い駅になっていた。 | |||
#でも観光業者に配慮して停車するのは臨時列車のみ。 | |||
==静岡== | |||
===袖師駅(東海道本線)=== | |||
#現実でも復活運動があるので現存していてもおかしくはなかった。 | |||
#*それどころか占領期には常設駅昇格の予定もあったが諸般の事情により中止。 | |||
#たぶん委託駅。 | |||
#袖師地区の人口は史実よりやや増えていた。 | |||
#工場が多く立地しているので通勤客に重宝された。 | |||
==愛知== | |||
===愛知駅(関西本線)=== | |||
#関東で言ってみれば「有楽町」と同じか。 | |||
#*国有化当時だと駅間が約200メートルしか離れていないのでおそらくまともに機能していない。 | |||
#**なお東京-有楽町の距離は約800メートル。 | |||
#東海道新幹線(弾丸列車)停車の計画もしていたはず…。(個人的には現実と同じになりそう) | |||
#近鉄と乗り換えする利用者は多分いない。 | |||
===土居下駅(名鉄瀬戸線)=== | |||
#おそらく地上駅。 | |||
#*普通しか止まらない無人駅。 | |||
#東大手駅はもう少し南にあった。 | |||
===枇杷島橋駅(名鉄名古屋本線)=== | |||
#度々ホーム延伸の議論が起きていた。 | |||
#*1970年代に、ホームを都営新宿線東大島駅みたいな構造にすることに。 | |||
#あの狭さ、トランパス導入時に苦労しそう。 | |||
==岐阜== | |||
===新垂井駅(東海道本線)=== | |||
#現在でも下り列車しか止まらない。 | |||
#残っていても結局垂井線を増設していた可能性が高い。 | |||
#*但し史実と異なり、大垣~関ヶ原の折り返し運用専用になっていた可能性はある。 | |||
===赤坂本町駅(西濃鉄道市橋線)=== | |||
#赤坂支線の電化に伴いこの駅まで電化されていた。 | |||
#運転系統は基本的に「大垣~赤坂本町」のみ。 | |||
#美濃赤坂駅は通過可能の構造に改修されていた。 | |||
===東方駅(養老鉄道養老線)=== | |||
#ニコニコ動画でネタにされるのは確実。 | |||
#*東方Project関連の書き込みだらけの駅ノートが置かれていた。 | |||
#*何かにつけて新潟交通ときめき駅と対比されていた。 | |||
#**アンクロもネタになっていたはず…。 | |||
#なお、韓国にも同名の駅が存在していたが、やはり廃止されている(史実)。 | |||
===春照駅(東海道本線)=== | |||
#長浜方面への線路は廃止されている。 | |||
#難読駅名として名を馳せていた。 | |||
#美濃赤坂支線同様、東海道線の支線の終点として書籍等で取り上げられる機会も多くなっていた。 | |||
#深谷駅は貨物駅から信号所に格下げされている。 | |||
==富山== | |||
===芦峅寺駅(富山地鉄立山線)=== | |||
#立山博物館や近隣のスキー場などへの最寄り駅として観光シーズン中はにぎわう。 | |||
#駅の構造上急な階段の上り下りが避けられない。 | |||
#*道路に上がるまでがかなり大変だった。 | |||
#史実とは逆に西隣の本宮駅が廃止されていた。 | |||
#同じ路線の「岩峅寺駅」と混同されることが多々ある。 | |||
==滋賀== | |||
===上関寺駅(京阪京津線)=== | |||
#一部でJR大津駅との乗換駅として案内されていた。 | |||
#駅周辺の逢坂地区はもう少し人口が多かったかもしれない。 | |||
#*しかし駅自体は多分あまり賑わっていない。 | |||
==京都== | |||
===八条駅(近鉄京都線)=== | |||
#当初の予定通り路線を京都駅烏丸口まで延長できていないと意味がない。 | |||
#*そうでなければ高架化とともに京都駅に飲み込まれていた。 | |||
#利用者は地元の人ばかり。 | |||
#一応「京都水族館の最寄」とは紹介される。 | |||
#イオンモール開業後はその最寄り駅としてそれなりに賑わう。 | |||
===緑化フェア梅小路駅(山陰本線)=== | |||
#現在の駅名は「梅小路公園」。 | |||
#*京都鉄道博物館がオープンすると最低でも副駅名にその名がつけられる。 | |||
#やや西側の梅小路蒸気機関車館に近い位置に移転していた。 | |||
#京都水族館開業以降海洋生物をモチーフにした装飾が急増。 | |||
#快速は止まらない。 | |||
===壬生駅(嵐電嵐山本線)=== | |||
#71年(史実の廃止時)に千本通りとの交点に移転した。 | |||
#*壬生寺へのアクセスは向上している。 | |||
#07年に「壬生寺」と改名された。 | |||
#嵯峨野線二条-丹波口間の新駅計画ももう少し現実味を帯びていた。 | |||
===物集女駅(阪急京都線)=== | |||
#洛西口駅はなかった。 | |||
#*というか、現実の洛西口駅と同じ場所に物集女駅がある。 | |||
#全国でも屈指の難読駅名となっていた。 | |||
#現在は洛西ニュータウンなどからのバスが駅前に乗り入れている。 | |||
==大阪== | |||
===万国博西口駅(阪急千里線)=== | |||
#山田駅は大阪モノレール開業と同時に乗り換え駅として開業していた。 | |||
#もともと万博目的の臨時駅で閉幕後に常設駅になった南茨木駅の例があるのでこうなっていても不思議ではなかった。 | |||
#現在の駅名は「万博公園西口」か。 | |||
#万博公園でのイベントなどの際に裏口として重宝される。 | |||
===応神御陵前駅(近鉄南大阪線)=== | |||
#戦後に駅名が変更された。 | |||
#*おそらく所在地の地名である「古室」を名乗っている。 | |||
#近年の駅舎改築で古代建築を意識した駅舎になっていた。 | |||
#*しかし利用者は地元住民と一部の古代史マニアくらい。 | |||
#現在はあちこちに「百舌鳥・古市古墳群を世界遺産に」というポスターが貼られている。 | |||
===花壇町駅・大学前駅(阪急千里線)=== | |||
#現在ある関大前駅は開業されず。 | |||
#*大学前駅が「関大前駅」に改称されていた。 | |||
#花壇町駅は現在は「第一高前駅」に改称されている。 | |||
===片町駅(京阪本線・JR片町線)=== | |||
#京阪・JRとも廃止されなかった場合、京阪本線とJR学研都市・東西線との乗り換えは京橋よりもこちらの方が便利になっていた。 | |||
#*JR側は東西線の開業に伴い地下に移設された。 | |||
#*大阪城北詰駅はなかった。 | |||
#OBPに行く場合、場所によっては京橋駅よりもこちらの方が便利になっていた。 | |||
#京阪は恐らく普通のみの停車駅となっていただろう。 | |||
#現実よりも「[[片町線]]」と呼ぶ人が多くなっていた。 | |||
#*因みに[[JR東西線]]と片町線の境界は現在も片町駅。 | |||
===豊野駅(京阪本線)=== | |||
#2面4線の待避可能駅となっている。 | |||
#*香里園駅の待避線はなかった。 | |||
#現在は急行・快速急行停車駅となっている。 | |||
#寝屋川市役所への最寄駅であることから「寝屋川中央」とかいう駅名に改称されていたかもしれない。 | |||
#[[寝屋川市駅]]は現実よりも大阪寄りにある。 | |||
#*こちらには急行が停まらなかったかもしれない。 | |||
#*そもそも寝屋川市駅の移設が行われていない。 | |||
#**もしくは寝屋川市駅移設に伴い、この駅を外環状線の近くに移設する形で存続。イオンモール開業後はその最寄り駅としてそれなりに賑わう。 | |||
===孔舎衛坂駅(近鉄奈良線)=== | |||
#新生駒トンネル建設に伴い駅が移転していた。 | |||
#近鉄でも有数の難読駅名となっていた。 | |||
#逆に石切駅は移転しなかった。 | |||
#*現実よりも大阪寄りにあるため、石切神社に行くのに距離が短くなっていた。 | |||
#*それでも待避線の設置は行われていた。 | |||
===京阪神磐船駅(京阪交野線)=== | |||
#河内森駅は開業しなかった。 | |||
#JRとの総合駅になり、[[片町線|学研都市線]]との乗り換えも便利になっていた。 | |||
#現在は「河内磐船」に駅名が変更されている。 | |||
==兵庫== | |||
===鐘紡前駅(山陽本線支線)=== | |||
#カネボウ倒産後は駅名が変更されていた。 | |||
#*神戸大空襲により鐘紡の工場が廃業に追い込まれた際に鐘紡関連の施設は完全に消滅したので変更の時期は遅くとも1950年代。 | |||
#*新駅名は「競輪場前」→「御崎公園」。 | |||
#やはり朝夕しか列車が来ない。 | |||
#*ただしサッカー試合の開催日には臨時列車を増発。 | |||
===菊水山駅(神戸電鉄有馬線)=== | |||
#登山道の整備か何かが行われていないと存続させてもらえなかっただろう。 | |||
#*あるいは駅自体の整備による観光地化が行われていた。 | |||
#秘境駅ということで駅ノートが置かれている可能性が高い。 | |||
===西宮東口駅(阪神本線)=== | |||
#JR西宮駅との乗り換えは現実よりも近かった。 | |||
#西宮駅は高架化にあたって東側(梅田寄り)に移動することはなかった。 | |||
#*地上時代の駅と同じ位置で高架化されている。 | |||
==奈良== | |||
===屯鶴峰駅(近鉄南大阪線)=== | |||
#現在は秘境駅扱いされている。 | |||
#屯鶴峰はもう少し開発されていた。 | |||
#*知名度も上がっているはず。 | |||
#香芝総合公園近くの団地開発に伴ってやや東への移転が検討されている。 | |||
===油阪駅(近鉄奈良線)=== | |||
#近鉄奈良駅地下化の際に一緒に地下化されていた。 | |||
#徒歩連絡は必要なものの、JR奈良駅との乗換駅として重要な存在になっている。 | |||
#新大宮駅は開業しなかったか、奈良市役所の最寄駅ということで近鉄奈良駅地下化後に改めて開業していた。 | |||
#*現実よりも少し西側にできていたかもしれない。 | |||
==和歌山== | |||
===築地橋駅(南海和歌山港線)=== | |||
#両隣の久保町駅・築港町駅の廃止と同時に設備が近代化されていた。 | |||
#近隣住民の利用を促す何らかの方策が行われていた。 | |||
#各停と特急・急行のダイヤ調整に苦労している気がする。 | |||
==広島== | |||
===新宮島駅(広電宮島線)=== | |||
#そのまま「阿品」駅に転用されていた。 | |||
#*田尻駅が「広電阿品」に改名された際には「北阿品」と改名された。 | |||
#戦時中まで折り返し用のポイントが残っていた。 | |||
#ちょうど西広島バイパスと国道2号線の合流地点のそばに位置しているのでバイパス建設時にスペース確保のため史実以上の規模で埋め立てが行われた。 | |||
===八田原駅(福塩線)=== | |||
#八田原ダムは出来ないし、八田原トンネルも出来ていない。 | |||
#*ダムはあっても別の所で出来ていたはず。 | |||
#**もっと上流だと貯水量が確保できず、もっと下流だと立ち退き世帯がさらに増えそうなので現実の位置以外ではおそらく無理。 | |||
#*長島ダム建設に伴う大井川鉄道の付け替えと同じように湖岸に新線を建設していた。 | |||
#**この場合県道56号と404号の交点あたりに移転後の八田原駅が開業していた。 | |||
==鳥取== | |||
===白兎仮乗降場(山陰本線)=== | |||
#地元住民以上に観光客が多く利用していた。 | |||
#*特に夏場は海水浴客のために快速が臨時停車することもある。 | |||
#*それでも「スーパーはくと」が停車するほどの利用者数はない。 | |||
#ホームなどに因幡の白兎にちなんだ飾り付けが行われる。 | |||
==愛媛== | |||
===出合駅(伊予鉄郡中線)=== | |||
#ドラマ「東京ラブストーリー」放映直後に「梅津寺(ロケ地)-出合」の切符がよく売れた。 | |||
#*「恋愛成就のお守り」として伊予鉄当局も盛んに宣伝していた。 | |||
#*現在でも駅名にちなみ婚活イベントに使われることがある。 | |||
#重信川と石手川の合流地点付近にあるので洪水でたびたび被害を受けていた。 | |||
==福岡== | |||
===東小倉駅(日田彦山線)=== | |||
#小倉駅乗り入れ後も日田彦山線の列車は東小倉発着だった。 | |||
#*一方鹿児島本線側にはホームが設置されていない。 | |||
==佐賀== | |||
===世界炎博駅(松浦鉄道西九州線)=== | |||
#博覧会終了後すぐ「黒川」に改名していた。 | |||
#*実際にそうなったと思ってたんだが、いまの黒川駅とは微妙に位置が違うのか・・・ | |||
#当初から恒久設置のつもりなら確実に駅舎が凝った作りになっていた。 | |||
#*例:装飾に有田焼のタイルが使われる。 | |||
#*特徴的な駅舎を紹介する本やウェブサイトでよく取り上げられている。 | |||
[[Category:歴史のif検討委員会 鉄道史|あのえきかはいしされなかつたら]] | |||
[[Category:駅|もしはいしされなかつたら]] |
2014年9月2日 (火) 22:02時点における版
もしあの駅が廃止されなかったら 目次 | ||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
北海道 | 青森 | |||||||||||||||||
秋田 | 岩手 | |||||||||||||||||
山形 | 宮城 | |||||||||||||||||
山 口 |
島根 | 鳥取 | 兵 庫 |
京 都 |
福井 | 石 川 |
富 山 |
新潟 | 福島 | |||||||||
佐賀 | 福岡 | 広島 | 岡山 | 滋 賀 |
長野 | 群馬 | 栃木 | 茨 城 | ||||||||||
長崎 | 熊 本 |
大分 | 大 阪 |
奈 良 |
岐 阜 |
埼玉 | ||||||||||||
宮崎 | 愛媛 | 香川 | 三 重 |
山梨 | 東京 | 千 葉 | ||||||||||||
鹿児島 | 高知 | 徳島 | 和歌山 | 愛知 | 静岡 | 神奈川 | ||||||||||||
沖縄 |
北海道
上越駅(石北本線)
- ほぼ保線用の駅と化している。
- 秘境駅ファンもある程度来ていた。
- 標高634メートルということで東京スカイツリー開業の時に何か置かれていた。
- 「標高634m 北海道で最も標高の高い駅」と書かれたスカイツリー形の看板か。
- Chakuwikiやアンサイクロペディアで上越新幹線と引っ掛けたネタが書かれる。
- 北陸新幹線上越妙高駅の仮称も違ったものになっていた。
鹿越駅(根室本線)
- かなやま湖の開発とともに駅周辺に観光施設が作られた。
- 現在は少なくとも一部が廃墟化している。
- 駅西側でダム湖を渡る鉄道橋に並行して歩行者用の橋もできている。
- 秘境駅ファンの間ではけっこう人気がある。
- 木が茂りすぎていなければホームからかなやま湖を一望できそうなので。
西永山駅(宗谷本線)
- 史実の跡地周辺に誕生した貨物駅と同名の「北旭川」と名乗っていたかもしれない。
- 貨物列車ファンの間でも撮影スポットなどとしてある程度知られていた。
- 現在の周囲は住宅地なので地域住民がそこそこ利用しているはず。
- すぐ側の操車場跡地の再開発でこの駅が重要な存在になっていた。
吉岡海底駅(海峡線)
- 今でも海底駅見学として活躍している。
- どうだろう。元々駅としての機能を前提としていないからかなり手を加えないと新幹線が通過する際に危険だと思うし。
- 残すとしたら美佐島駅以上に堅牢な壁でホームと施設が分離されたり、史実と同様に在来線規格のホームの撤去などの大改造が行われていた。
- どうだろう。元々駅としての機能を前提としていないからかなり手を加えないと新幹線が通過する際に危険だと思うし。
- どのみち北海道新幹線建設時には一時休止扱いになっている。
青森
竜飛海底駅(海峡線)
- 今でも海底駅見学として活躍している。
- こっちなら青函トンネル記念館もあるから吉岡海底よりも残せるチャンスはあったかもしれない。
- と言っても新幹線の関係上やっぱり大改造は必要になるが。
山形
蟹沢駅(奥羽本線)
- さくらんぼ東根駅は存在しなかった。
- 山形新幹線の停車駅になっていた。
- この場合は「新東根」とでも名乗っていた。
- 「またしても東根市中心部への駅設置を逃してしまった」と痛恨事として語られる。
宮城
三百人町駅(東北本線)
- 若林区唯一のJR駅なのである程度重要視された。
- バス路線もこの駅への連絡を考慮したものになっている。
- すぐ側を通る県道235号は一部区間が拡幅されていた。
- 東北新幹線の高架工事のついでに駅舎の建て替えも行われた。
- 近年になって一部で「若林駅」への改称が検討されている。
栃木
犬伏駅(両毛線)
- 佐野工業団地の関係者に重宝された。
- 現在跡地付近にあるデイサービスセンターや児童館と組み合わされた駅舎ができていたかもしれない。
- 電化前のような普通列車の通過は発生していない。
三重駅(両毛線)
- 1969年から90年代前半にかけて足利競馬場の観客でにぎわった。
- ちなみに史実での駅休止は足利競馬場が移転してくる前年の1968年。
- 競馬場が閉鎖された現在は単なるローカル駅。
- 臨時改札の跡など競馬ファンでにぎわった時代の名残はある。
- Chakuwikiの「両毛線の噂」で「三重県に行けるわけではない」などと書かれる。
茨城
万博中央駅(常磐線)
- ひたち野うしく駅は存在しなかった。
- 万博終了後もつくばエクスプレス開業までつくば方面の乗り換え客で賑わっていた。
- 間違いなく科学博終了後に駅名改称が行われていた。
- 所在地の地名から「御幸が丘」と名乗っていた。
- フレッシュひたちが停車するようになっていたかは微妙なところ。
栃木
古田駅・長久保駅(宇都宮線)
- 宇都宮駅~片岡駅間が遠回りになる事は無かった。
- しかし、鬼怒川の氾濫で不通になってしまう。
- 古田駅に烏山線がくる。
- あるいは古田駅~宇都宮駅間。(駅名は豊郷駅。)
埼玉
加倉駅(東武野田線)
- 岩槻ICのアクセスになるだろう。
- 岩槻ICの近くにはホテルがたくさんあるので、こっちもセットしていたはず。
- むしろ工業団地か何かができている。
天覧山駅(西武池袋線)
- 現在の主な利用客は近くの飯能高校の生徒。
- 比較的最近になって北口もできた。
- ハイキングシーズンには駅名の由来になった山への利用客もそれなりにいる。
- 飯能高校に近付けるため南寄りに移転した可能性もある。
- アニメ「ヤマノススメ」に登場していた。
東京
万世橋駅(中央本線・東京メトロ銀座線)
万世橋 | ||||
まんせいばし | ||||
御茶ノ水 | 神田 | |||
Ochanomizu | {{{roma}}} | Kanda |
- 重要文化財になっている。
- 秋葉原・神田駅はない。
- 戦前は3駅ともありましたが。消えたら総武緩行線の意義がかなり低下します。全部御茶ノ水乗換?
- 少なくとも後者のホームはないだろう。
- つくばエクスプレスは万世橋駅が起点になっている。
- オタクの町の玄関口になっていた。
- 通称(
蔑称?)「マンセー橋」。- この人たちは確実に使うな。
- 地下鉄の駅は仮駅なのでいずれにせよ消えていた。中央線駅は「南秋葉原」と改称された可能性も否定はできない。岩本町を考慮すると可能性は低いが。
- 交通博物館から大宮の鉄道博物館への移転は、もう少し早く行われた。
- 移転後駅舎は改築されていた。
- おそらく神田万世橋ビルとecuteの開業は史実通り。
- 移転後駅舎は改築されていた。
- 肉の万世のビルと地下で直結して、駅構内でもかつサンドが買えるようになったかも。
- 銀座線の(仮)駅も無くならなかったか、改めて『(神田)須田町駅』か何かで復活。
- 上野寄り出口は秋葉原への出入り口になって、銀座方面はJRへの乗換口。
- ちなみに駅は神田川の真下。
- 万世橋駅の備品をそのまま使用していた新子安駅の開業が遅れていた。
- 開業しても、駅名は「北子安」になっていた。
- 付近の私鉄駅に社名が冠されることはない。
呉服橋駅(東海道本線)
- 京葉線ホームのような扱いで東京駅に吸収されている。
- 中央線が高架化した際にはここにホームが置かれていた。
- 丸ノ内線開業の時点で地下鉄大手町駅への連絡通路が設置されていた。
東浅川駅(中央本線)
- 占領期に一般の利用も可能になっていた。
- 所在地の町名由来の駅名なので隣の浅川駅が「高尾」に改名してもこちらは改名しない。
- 社殿造りの駅舎は橋上駅に建て替えられ姿を消している。
- 建て替えまでは「利用者の割に南口が貧弱」と言われていた。
天神駅(東武亀戸線)
- 小村井駅は廃止されていた。
- よくわからない人は亀戸天神の近く?と思ってしまう。
- やはり亀戸水神駅同様「亀戸天神の最寄り駅は亀戸駅です」の看板が設置してある。
並木橋駅(東急東横線)
- 地下化後に明治通り側に移設されていた。
- 渋谷駅からの距離を考えるとホームは8両のみ対応だと思われる。
- 國學院大学が駅名改称を要望していたかも。
博物館動物園駅(京成本線)
- 最初からもっと長い編成に対応できるように作ってあったのが前提。
- 史実では4両編成もホームからはみ出すほどホームが短く使い勝手が悪かった。
- 駅の雰囲気がレトロ調に統一されている。
- 映画の撮影などで重宝される。
- さすがに自動券売機や自動改札くらいは置かれていた。
上り屋敷駅(西武池袋線)
- 後に駅名が「西池袋」か「北目白」に変更されたかもしれない。
- 改名されなければ地名関連の書籍でよく取り上げられていた。
- 各停のみ停車。
- 最近になってJR目白駅との接続案内が行われるようになった。
隅田公園駅(東武伊勢崎線)
- スカイツリーとセットしていた。
- 隣が「とうきょうスカイツリー」駅なのでそれはない。
- はたしていつ頃に営業再開だろうが?
- 60年代ぐらい…。いやもっと早いか?
- 講和発効前には再開できていたと思う。
- イベントがない時は閑散としている。
- そこまで大規模に投資されないはずなので今なお昭和の雰囲気を色濃く留める。
- 昭和レトロファンにとっての聖地となっていた。
西参道駅(京王線)
- 初台と同様に現在この駅があるのは京王新線だけ。
- 一応京王線の旧ホームは残存している。
- 地下で新宿パークタワーとつながっている。
- 年始には京王線沿線の明治神宮参拝客が多く利用する。
- 東京都庁の最寄り駅としても案内される。
幡代駅(京王線)
- スポーツセンターのアクセスに繋がる。
- この場合だと史実と異なり初台・幡ヶ谷が廃止されていた可能性が高い。
- 京王新線の駅は新宿-西参道-幡代-笹塚になっていた。
神奈川
本山駅(鶴見線)
- 隣の国道駅よりは近代化されている。
- 「総持寺」への駅名変更が一回は検討されている。
- 人名由来の「もとやま」駅と誤解されることもある。
神奈川駅(東海道本線)
- 横浜駅は今でも桜木町駅辺り。
- 2代目横浜駅(現在の高島町駅付近)と共存していたことがあるのでそれはない。
- 京急本線の神奈川駅は「京急神奈川駅」と名乗っていた。
- みなとみらいは別の所で建設していたか?
- 「横浜駅付近と関内・伊勢佐木町付近という2つの繁華街をつなぐ」という目的を考えると別の場所では意味がないのでは。
作ノ口駅(相模線)
- 国有化と同時に駅名が変わっていたかもしれない。
- 「作ノ口駅」「作の口駅」→「下九沢駅」か?
- 観光客を増やすために再開発があったかも。
- 通勤通学路線という相模線の性質を踏まえると「観光客誘致」という発想は浮かんできそうもない。
平沼駅(京急本線)
- 改修の時期によっては横浜大空襲で被害を受けた鉄骨が保存されていた。
- 地元の商店街はもう少しはにぎわっていたはず。
- 「一本の鉛筆」(美空ひばり)が接近メロディとして採用されていた。
- なお現実でも平沼駅跡地で京急が横浜大空襲のあった5月29日に慰霊祭を行っている。
キリン駅(京急本線)
- キリンビールのCMソングが接近メロディに使われるのは史実の生麦駅ではなくここ。
- 現在の駅名は付近にあった横浜市電の電停と同じ「滝坂」か。
新小田原駅(大雄山鉄道大雄山線)
- 緑町駅は建設してない。
- 小田原駅乗入れも当然無かった。
- 大雄山線内にも大規模な検査のできる整備工場があった。
- 利用者数は確実に史実より少ない。
- 小田原市当局や川島令三氏が大雄山線の小田原駅乗り入れを主張している。
海老名国分駅(小田急小田原線)
- 海老名国分駅の名残に行く人は増えていたはず…。
- 後に、海老名駅に改名するだろう。
- 国道246号との交点付近への移設が要望されている。
古河電線駅(相鉄本線)
- 1961年の電気工業解体と同時に「平沼駅」に改名されている。
千葉
北柏駅(東武野田線)
- 常磐線の北柏駅は別の駅名になっている。
長野
フォトデッキ駅(小海線)
- JR一高い駅になっていた。
- でも観光業者に配慮して停車するのは臨時列車のみ。
静岡
袖師駅(東海道本線)
- 現実でも復活運動があるので現存していてもおかしくはなかった。
- それどころか占領期には常設駅昇格の予定もあったが諸般の事情により中止。
- たぶん委託駅。
- 袖師地区の人口は史実よりやや増えていた。
- 工場が多く立地しているので通勤客に重宝された。
愛知
愛知駅(関西本線)
- 関東で言ってみれば「有楽町」と同じか。
- 国有化当時だと駅間が約200メートルしか離れていないのでおそらくまともに機能していない。
- なお東京-有楽町の距離は約800メートル。
- 国有化当時だと駅間が約200メートルしか離れていないのでおそらくまともに機能していない。
- 東海道新幹線(弾丸列車)停車の計画もしていたはず…。(個人的には現実と同じになりそう)
- 近鉄と乗り換えする利用者は多分いない。
土居下駅(名鉄瀬戸線)
- おそらく地上駅。
- 普通しか止まらない無人駅。
- 東大手駅はもう少し南にあった。
枇杷島橋駅(名鉄名古屋本線)
- 度々ホーム延伸の議論が起きていた。
- 1970年代に、ホームを都営新宿線東大島駅みたいな構造にすることに。
- あの狭さ、トランパス導入時に苦労しそう。
岐阜
新垂井駅(東海道本線)
- 現在でも下り列車しか止まらない。
- 残っていても結局垂井線を増設していた可能性が高い。
- 但し史実と異なり、大垣~関ヶ原の折り返し運用専用になっていた可能性はある。
赤坂本町駅(西濃鉄道市橋線)
- 赤坂支線の電化に伴いこの駅まで電化されていた。
- 運転系統は基本的に「大垣~赤坂本町」のみ。
- 美濃赤坂駅は通過可能の構造に改修されていた。
東方駅(養老鉄道養老線)
- ニコニコ動画でネタにされるのは確実。
- 東方Project関連の書き込みだらけの駅ノートが置かれていた。
- 何かにつけて新潟交通ときめき駅と対比されていた。
- アンクロもネタになっていたはず…。
- なお、韓国にも同名の駅が存在していたが、やはり廃止されている(史実)。
春照駅(東海道本線)
- 長浜方面への線路は廃止されている。
- 難読駅名として名を馳せていた。
- 美濃赤坂支線同様、東海道線の支線の終点として書籍等で取り上げられる機会も多くなっていた。
- 深谷駅は貨物駅から信号所に格下げされている。
富山
芦峅寺駅(富山地鉄立山線)
- 立山博物館や近隣のスキー場などへの最寄り駅として観光シーズン中はにぎわう。
- 駅の構造上急な階段の上り下りが避けられない。
- 道路に上がるまでがかなり大変だった。
- 史実とは逆に西隣の本宮駅が廃止されていた。
- 同じ路線の「岩峅寺駅」と混同されることが多々ある。
滋賀
上関寺駅(京阪京津線)
- 一部でJR大津駅との乗換駅として案内されていた。
- 駅周辺の逢坂地区はもう少し人口が多かったかもしれない。
- しかし駅自体は多分あまり賑わっていない。
京都
八条駅(近鉄京都線)
- 当初の予定通り路線を京都駅烏丸口まで延長できていないと意味がない。
- そうでなければ高架化とともに京都駅に飲み込まれていた。
- 利用者は地元の人ばかり。
- 一応「京都水族館の最寄」とは紹介される。
- イオンモール開業後はその最寄り駅としてそれなりに賑わう。
緑化フェア梅小路駅(山陰本線)
- 現在の駅名は「梅小路公園」。
- 京都鉄道博物館がオープンすると最低でも副駅名にその名がつけられる。
- やや西側の梅小路蒸気機関車館に近い位置に移転していた。
- 京都水族館開業以降海洋生物をモチーフにした装飾が急増。
- 快速は止まらない。
壬生駅(嵐電嵐山本線)
- 71年(史実の廃止時)に千本通りとの交点に移転した。
- 壬生寺へのアクセスは向上している。
- 07年に「壬生寺」と改名された。
- 嵯峨野線二条-丹波口間の新駅計画ももう少し現実味を帯びていた。
物集女駅(阪急京都線)
- 洛西口駅はなかった。
- というか、現実の洛西口駅と同じ場所に物集女駅がある。
- 全国でも屈指の難読駅名となっていた。
- 現在は洛西ニュータウンなどからのバスが駅前に乗り入れている。
大阪
万国博西口駅(阪急千里線)
- 山田駅は大阪モノレール開業と同時に乗り換え駅として開業していた。
- もともと万博目的の臨時駅で閉幕後に常設駅になった南茨木駅の例があるのでこうなっていても不思議ではなかった。
- 現在の駅名は「万博公園西口」か。
- 万博公園でのイベントなどの際に裏口として重宝される。
応神御陵前駅(近鉄南大阪線)
- 戦後に駅名が変更された。
- おそらく所在地の地名である「古室」を名乗っている。
- 近年の駅舎改築で古代建築を意識した駅舎になっていた。
- しかし利用者は地元住民と一部の古代史マニアくらい。
- 現在はあちこちに「百舌鳥・古市古墳群を世界遺産に」というポスターが貼られている。
花壇町駅・大学前駅(阪急千里線)
- 現在ある関大前駅は開業されず。
- 大学前駅が「関大前駅」に改称されていた。
- 花壇町駅は現在は「第一高前駅」に改称されている。
片町駅(京阪本線・JR片町線)
- 京阪・JRとも廃止されなかった場合、京阪本線とJR学研都市・東西線との乗り換えは京橋よりもこちらの方が便利になっていた。
- JR側は東西線の開業に伴い地下に移設された。
- 大阪城北詰駅はなかった。
- OBPに行く場合、場所によっては京橋駅よりもこちらの方が便利になっていた。
- 京阪は恐らく普通のみの停車駅となっていただろう。
- 現実よりも「片町線」と呼ぶ人が多くなっていた。
- 因みにJR東西線と片町線の境界は現在も片町駅。
豊野駅(京阪本線)
- 2面4線の待避可能駅となっている。
- 香里園駅の待避線はなかった。
- 現在は急行・快速急行停車駅となっている。
- 寝屋川市役所への最寄駅であることから「寝屋川中央」とかいう駅名に改称されていたかもしれない。
- 寝屋川市駅は現実よりも大阪寄りにある。
- こちらには急行が停まらなかったかもしれない。
- そもそも寝屋川市駅の移設が行われていない。
- もしくは寝屋川市駅移設に伴い、この駅を外環状線の近くに移設する形で存続。イオンモール開業後はその最寄り駅としてそれなりに賑わう。
孔舎衛坂駅(近鉄奈良線)
- 新生駒トンネル建設に伴い駅が移転していた。
- 近鉄でも有数の難読駅名となっていた。
- 逆に石切駅は移転しなかった。
- 現実よりも大阪寄りにあるため、石切神社に行くのに距離が短くなっていた。
- それでも待避線の設置は行われていた。
京阪神磐船駅(京阪交野線)
- 河内森駅は開業しなかった。
- JRとの総合駅になり、学研都市線との乗り換えも便利になっていた。
- 現在は「河内磐船」に駅名が変更されている。
兵庫
鐘紡前駅(山陽本線支線)
- カネボウ倒産後は駅名が変更されていた。
- 神戸大空襲により鐘紡の工場が廃業に追い込まれた際に鐘紡関連の施設は完全に消滅したので変更の時期は遅くとも1950年代。
- 新駅名は「競輪場前」→「御崎公園」。
- やはり朝夕しか列車が来ない。
- ただしサッカー試合の開催日には臨時列車を増発。
菊水山駅(神戸電鉄有馬線)
- 登山道の整備か何かが行われていないと存続させてもらえなかっただろう。
- あるいは駅自体の整備による観光地化が行われていた。
- 秘境駅ということで駅ノートが置かれている可能性が高い。
西宮東口駅(阪神本線)
- JR西宮駅との乗り換えは現実よりも近かった。
- 西宮駅は高架化にあたって東側(梅田寄り)に移動することはなかった。
- 地上時代の駅と同じ位置で高架化されている。
奈良
屯鶴峰駅(近鉄南大阪線)
- 現在は秘境駅扱いされている。
- 屯鶴峰はもう少し開発されていた。
- 知名度も上がっているはず。
- 香芝総合公園近くの団地開発に伴ってやや東への移転が検討されている。
油阪駅(近鉄奈良線)
- 近鉄奈良駅地下化の際に一緒に地下化されていた。
- 徒歩連絡は必要なものの、JR奈良駅との乗換駅として重要な存在になっている。
- 新大宮駅は開業しなかったか、奈良市役所の最寄駅ということで近鉄奈良駅地下化後に改めて開業していた。
- 現実よりも少し西側にできていたかもしれない。
和歌山
築地橋駅(南海和歌山港線)
- 両隣の久保町駅・築港町駅の廃止と同時に設備が近代化されていた。
- 近隣住民の利用を促す何らかの方策が行われていた。
- 各停と特急・急行のダイヤ調整に苦労している気がする。
広島
新宮島駅(広電宮島線)
- そのまま「阿品」駅に転用されていた。
- 田尻駅が「広電阿品」に改名された際には「北阿品」と改名された。
- 戦時中まで折り返し用のポイントが残っていた。
- ちょうど西広島バイパスと国道2号線の合流地点のそばに位置しているのでバイパス建設時にスペース確保のため史実以上の規模で埋め立てが行われた。
八田原駅(福塩線)
- 八田原ダムは出来ないし、八田原トンネルも出来ていない。
- ダムはあっても別の所で出来ていたはず。
- もっと上流だと貯水量が確保できず、もっと下流だと立ち退き世帯がさらに増えそうなので現実の位置以外ではおそらく無理。
- 長島ダム建設に伴う大井川鉄道の付け替えと同じように湖岸に新線を建設していた。
- この場合県道56号と404号の交点あたりに移転後の八田原駅が開業していた。
- ダムはあっても別の所で出来ていたはず。
鳥取
白兎仮乗降場(山陰本線)
- 地元住民以上に観光客が多く利用していた。
- 特に夏場は海水浴客のために快速が臨時停車することもある。
- それでも「スーパーはくと」が停車するほどの利用者数はない。
- ホームなどに因幡の白兎にちなんだ飾り付けが行われる。
愛媛
出合駅(伊予鉄郡中線)
- ドラマ「東京ラブストーリー」放映直後に「梅津寺(ロケ地)-出合」の切符がよく売れた。
- 「恋愛成就のお守り」として伊予鉄当局も盛んに宣伝していた。
- 現在でも駅名にちなみ婚活イベントに使われることがある。
- 重信川と石手川の合流地点付近にあるので洪水でたびたび被害を受けていた。
福岡
東小倉駅(日田彦山線)
- 小倉駅乗り入れ後も日田彦山線の列車は東小倉発着だった。
- 一方鹿児島本線側にはホームが設置されていない。
佐賀
世界炎博駅(松浦鉄道西九州線)
- 博覧会終了後すぐ「黒川」に改名していた。
- 実際にそうなったと思ってたんだが、いまの黒川駅とは微妙に位置が違うのか・・・
- 当初から恒久設置のつもりなら確実に駅舎が凝った作りになっていた。
- 例:装飾に有田焼のタイルが使われる。
- 特徴的な駅舎を紹介する本やウェブサイトでよく取り上げられている。