もしあのバス会社が○○だったら
- 新規追加時は本社所在地の都道府県順に、同じ都道府県内は五十音順になるようにお願いします。
- 国鉄・JRバスは一番最後にお願いします。
北海道・東北
てんてつバス
- 札幌留萌線の認可が下りていたら
- 天塩炭鉱鉄道は1960年代に札幌と留萌を結ぶ長距離バスを申請していましたが沿岸バスと北海道中央バスに認可がくだり、天塩炭鉱鉄道は却下されました。もし天塩炭鉱鉄道も認可されていたら。
- 達布留萌線のデマンド化は避けられていた。
- 但し、入出庫も兼ねた札幌留萌線と一体化した運用になっていたかも知れない。
- それでも本数削減は避けられなかったかもしれない。
- そもそも第二会社のてんてつバスは存在せず、天塩炭鉱鉄道が社名変更していただけだった。
八戸市交通局
- 高速バスに参入していたら
詳しくはこちらを参照
- 三八五バスも高速バスに参入していた。
- 長崎県交通と並んで珍しい公営高速バスとなっていた。
- 成功していれば各地で同様の路線が次々とできていた。
- 特に首都圏~京阪神では公営バス同士が共同運行する高速バス路線も存在していた。
- 神戸淡路鳴門自動車道開通後は徳島県の公営バスが京阪神方面への高速バスの運行に参入していた。
岩手県北自動車
- 岩手県交通に合流していたら
- 岩手県のバスは戦時統合で花巻電鉄、岩手県北自動車、岩手東部乗合自動車、岩手県南自動車、岩手中央自動車などに整理された後、戦後に県北を除いて合併し現在の岩手県交通が誕生しました。この時岩手県北自動車も合併していたら?
- 106急行バスの誕生が遅れた。
- 山田線の本数が現実より多かった。
- 岩手県のバスは国際興業カラーに染まっていた。
- 夜行バス「ビーム1」(品川~宮古)は国際興業・岩手県交通の共同運行で池袋始発となり、遠野・釜石・山田経由で運行されていた。
関東
東京都交通局(都営バス)
- バス事業から撤退していたら
元々都バスは関東大震災に伴う鉄道代行バスとして1924年7月末までの限定的なものになる予定でした。もし予定通りバス事業を廃止していたら。
- 都内のバス事業も営団が運営していた。
- 東京メトロ発足時に青バスを継承したはとバスに返還されていた。
- 営団に引き継がれるのは東京地下鉄道とその傘下の葛飾乗合自動車、東京高速鉄道系の東京環状乗合自動車となっていた。
- 王子電気軌道、城東乗合自動車は戦時統合で別のバス会社と合併していた。
- 戦後になって私鉄系バス会社が次々と中心部に路線乗り入れを行っていた。
- 都電廃止時に代替バス路線を巡って民間のバス各社が争った。
- 2001年~2003年度の新車をらくらくステップバスも並行して導入していたら
東京都交通局では、2001年度から2003年度までの予算をらくらくステップバス(ワンステップバスの乗降口に一段段差をつけたバス)とノンステップバスを合わせて導入するようにしていましたが、障害者団体の反対に合い、やむなく全車ノンステップバスにせざるを得なくなり、中型ロング車の大量増殖の原因となりました。もし、障害者団体の反対が無かった、もしくは反対を押しのけてらくらくステップバスを導入していたら・・・
- ナックルカラーはいまだに健在。
- ブルーリボンシティは、既に導入されていた。
- 後に、コストダウンの関係で、ワンステップバスで導入される。
- 2005年の他社譲渡中止がなかったら
廃車となった車両それまで他社に譲渡していましたが、2005年、石原都知事(当時)は地方の環境問題を理由に他社への譲渡が中止され、石原知事の退任まで続きました(人道的支援を目的とした譲渡は例外)。もし、2005年の他社譲渡中止がなかったら?
- 中古バスの価格が高騰することはなかった。
- 南部バスはモノコックボディのバスが生き残ることもなかった。
- 宮城交通は名鉄バスの中古に切り替えることもなかった。
- NYのような都市24時間化に、都交通局が対応を迫られることになったら
- 地下鉄や普通鉄道線が対応できないことを理由に、旧都電路線を夜22時〜朝5時のみ運行のトロリーバス路線として復活する。
- 代わりに運賃は都電時代より高騰。
国際興業
- 武蔵野乗合自動車を手放さなかったら
武蔵野乗合自動車(現:小田急バス)は最初、国際興業傘下でしたが、小田急グループに売り渡されました。もし、今でも国際興業傘下だったら?
- そのうち、国際興業バスに吸収される。
- 神奈中が小田急バスになっている。
- 神奈中は東急系だった過去があるので小田急バスにはならず、町田の旧関東バス路線が小田急バスになっている。
- 東北地方への高速バスは一部池袋駅経由で吉祥寺駅発着になっていた。小田急シティバスの高速バスは新宿には行かず、やはり池袋駅を拠点にしていた。
- 一般路線車のみならず、空港リムジンバスや高速バスまでもがいすゞだらけになる。
中部
長野電鉄バス
- 川中島自動車を支援していたら
川中島自動車(現:アルピコ交通)が経営難に陥った際、長野電鉄は一旦支援に乗り出しましたが、川中島の経営陣の姿勢に疑問を抱き支援を中止しました(その後川中島自動車は倒産、松本電鉄傘下入りして今に至る)。もし長野電鉄が支援を継続していたら・・
- 川中島自動車は最終的に長野電鉄傘下になる。社名もずっとそのままだったかも。
- 川中島自動車が持っていた新潟県妙高地域のバス路線は、長野電鉄に移管される(殆ど飛び地に近い状態だったので)。
- 高速バスの長野~大阪線、長野~東京線がダブルトラックになることはなかった。
- アルピコグループは松本電気鉄道、諏訪バスの2社がメインで成立。
- 長野vs松本を反映して、現実同様長電とアルピコとの仲は悪かったかも。
- そのため、高速バス長野~松本線は開業しなかったか、開業したとしてもそれまで調整に相当時間を要した。
北日本観光自動車
- 路線バス進出が認められていたら
近鉄系の北日本観光自動車は、S30年代に北陸鉄道の労使紛争に乗じて石川県内の路線バスに大々的に進出しようとしましたが、申請却下されました。もし進出に成功していたら・・
- 金沢発の高速バス路線は、北陸鉄道、西日本JRバスと3社での参入合戦になる。
- 大阪線は北陸鉄道-阪急バス、西日本JRバス、北日本観光自動車-近鉄バスのトリプルトラックになる。
- ただ近鉄バスはターミナルの立地が良くないため、場合によっては北日本観光自動車と西日本JRバスとが組んだかも(大阪~白浜線の明光バス(近鉄系)の例がある)。
- 名古屋線は北陸鉄道の親会社の意向で締め出されたかも。
- それは有り得ないだろう。もし、締め出しを受けられたならば、北日本観光自動車はJR東海と西日本JRバスと組んでいた。
- 横浜線「ラピュータ」は北日本観光自動車の担当になる。当時相鉄は専ら近鉄と組んでいたので。
- 近鉄系の防長交通が、東京線もまだないのに相鉄と横浜~徳山「ポセイドン」を開設した例がある。
- 大阪線は北陸鉄道-阪急バス、西日本JRバス、北日本観光自動車-近鉄バスのトリプルトラックになる。
- 現実より更に体力が低下した北陸鉄道は、宣言通り自社の鉄道線を全廃・・
- 東京池袋線(現在は新宿まで)は、西武バス・北陸鉄道・北日本観光自動車の三社共同運行(後に、JRバス関東と西日本JRバスが加わる)と言う形で、開業していた。
- 1988年末誕生当時のバス車両は、東京~新潟・北陸・三重間の共同運行会社の車両が西武バスに合わせていた。これによって、日産ディーゼルスペースウイング3軸車が導入されていた。
- しかし、近鉄系の三重交通が日産ディーゼル社のほかに富士重工HD2型スーパーハイデッカーボディーを着装のいすゞスーパークルーザーをも導入していた。その例があるので、北日本観光自動車は富士重工製ボディー着装した日野のスーパーハイデッカーを導入。当時の名古屋線・京都線については、日野車体製のブルーリボングランデッカーを。もし仙台線や福岡線、千葉線、横浜線に進出していたら、日野セレガGD又は三菱ふそうエアロクイーンを導入していた。
- 何と現実でも2014年に金沢~東京線が実現!同社の路線バスが久々に復活した。
- 1988年末誕生当時のバス車両は、東京~新潟・北陸・三重間の共同運行会社の車両が西武バスに合わせていた。これによって、日産ディーゼルスペースウイング3軸車が導入されていた。
- 名鉄系の北陸鉄道バスは、日野と三菱ふそう主体で少数派として日産ディーゼル。近鉄系の北日本観光自動車は、日野一社に統一されていたか日野と三菱ふそう又はいすゞと言う形式で導入されている。
近畿
近鉄バス
- 茨木バスを吸収合併しなかったがら
近畿日本鉄道自動車部(現近鉄バス)は1965年に茨木バスを吸収合併し、茨木・摂津市内にも路線を持つようになりましたが、もし茨木バスが近鉄に合併されなかったら…
- 茨木・摂津両市内に近鉄バスのエリアが飛び地的にできることはなかった。
- 茨木バスは独立したバス会社として生きのびるか、阪急バスに合併されていたかもしれない。
- 特に後者の場合、茨木・摂津両市内における阪急バスの力は現実以上に強くなっていた。
- あるいは神姫バスに合併されていたかもしれない。
- 大阪~関東方面の近鉄バス運行の夜行高速バスが茨木市内に停まることもなかった。
- もし新京阪線が戦後京阪に帰属していたら、京阪バスに合併されていた。
中国・四国
日本交通
- 鳥取県の路線バス事業に進出しなかったら
澤タクシー(のちの日本交通)は、戦後に鳥取県の路線バス事業に進出し、既に県内を独占していた日ノ丸自動車と泥仕合を繰り広げました。もし日本交通が鳥取県内で路線バスを運行していなかったら・・
- 京阪神から鳥取、米子へは現実ほど高速バスが幅を利かせていなかった。
- 鳥取県内のバス事業は日ノ丸自動車の独占状態となっていた。
- 奈良県・宮崎県とともに1県1事業者の県となっていた。
- 社名は現在も澤タクシーのままで、大阪のタクシー事業者の一つでしかなかった。
広電バス
- 5社合併計画を実現していたら
昭和40年代広電バスは傘下の芸陽バス・備北交通、そして広島交通、広島バスを併合しようとしていましたが広島バスを買収しようとした時、独占禁止法に引っかかり断念しました。もし広電バスがこの合併計画を実現していたら?
- 呉市交通局の併合などを経て最終的に西鉄並の大手バス会社となっている。
- 広電の電車と自社バスの対立がさらに深まっている。
- 広島バスを引き継いでいるので現実以上にボロバスが多いい。
- 広交が存在しないとなると、「ローズライナー」(広島~福山)が実現していたか怪しい。
- 広電は高速バスではあまり冒険したがらない傾向があるので。
- 「ローズライナー」の広島側の事業者は、中国JRバスになっていた。
九州・沖縄
北九州市
- 西鉄に事業を譲渡していたら
昭和38年北九州市が誕生した際、合併前の若松市の市営バス事業が引き継がれ、北九州市営バスとなりましたが、これを引き継ぐのが西鉄バスだった場合は?
- 北九州市交通局は無かった。
- 北九州市電は西鉄北九州市内線になっていた。
- 2014年現在でも西鉄は単体で日本最大のバス会社だった。
西日本鉄道(西鉄バスグループ)
- 西鉄バスジャック事件が発生しなかったら
- 詳細はこちらを参照。
- 2ちゃんねるの知名度は上がらなかった。
- 犯罪予告の場にされることもなく、犯罪の温床になることはなかった。
- 「キレる17歳」は流行語にならなかった。
- 1982年生まれの印象が悪くなることはなかった。
- 「ネオむぎ茶」をもじったHNによる便乗犯の犯罪もなかった。
琉球バス交通・那覇バス・沖縄バス・東陽バス
- 4社統合が実現していたら
琉球バス・那覇交通・沖縄バス・東陽バスは4社統合が検討されましたが、経営が良かった沖縄バスの反対により、立ち消えになりました。もし4社統合が実現していたら?
- おそらく沖縄バスが引き継いでいた。
- 琉球バス・那覇交通・東陽バスが倒産することはなかった。
- 琉球バスと那覇交通は第一交通産業に買収されることなく、琉球バス交通・那覇バスに社名変更することもなかった。
国鉄バス・JRバスグループ
国鉄バス
- 中国鉄道のバス部門も買収していたら
中国鉄道(現在の津山線・吉備線)の鉄道部門は戦時買収私鉄指定により国有化されましたが、バス部門(現在の中鉄バス)は買収されませんでした。もし、バス部門も買収していたら?
- 史実で中鉄バスの営業領域となっているエリアは中国JRバスの営業領域となっていた。
- 中国JRバスは現実より規模が大きくなっていた。
- 美伯線(津山~倉吉)がJRバス移行時点で残っていたかも。
- ただJRバスは自治体からの補助金がもらえなかったので、特に美作地方では現実以上に路線廃止(→自治体バス化)が進んでいた。
- 路線のほとんどは2000年以降両備バスに譲渡されていた。
- テレビせとうちは開設されなかった。
- 「中国ハイウェイバス」(大阪~津山)の運行に中国JRバスも加わっていた。
- 東京~岡山間の夜行バスは当初から京急・両備の「ルブラン」、小田急・下津井の「ルミナス」と、JRバス関東・中国JRバスの「ドリーム岡山」によるトリプルトラック運行だった。
- 「京浜吉備ドリーム」号は存在しなかった。
- 大島自動車を買収していなかったら
- 詳細はこちらを参照。
- 国鉄バスは離島に路線を持つことはなかった。
- 大島自動車は防長交通に買収されていた。
- 鞍手合同自動車を買収していなかったら
- 現在のJR九州バス直方線。もし、鞍手合同自動車が国鉄に戦時買収されなかったら?
- 陸上交通事業調整法により西鉄に合併され西鉄バスの路線となっていた。
- 砂津や天神への直通バスも走っている。若宮インターにバスターミナルが作られていた可能性もある。
- 逆に犬鳴峠を越える路線は分断・全廃されている可能性がある。