もしあのプロ野球選手が現実以上に活躍していたら/さ~な行

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鳴り物入りでプロ入りしたけれどあまり活躍できなかった選手、あるいはプロ野球選手を辞めたあと他のスポーツなどで活躍した選手が、もしプロ野球選手として成功していたらどうなったかを考える。

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  • 日本人選手限定で。

あ行

荒木大輔

  1. スワローズはもっと早く2度目の優勝を果たしていた。
  2. 21世紀初頭までエースとして活躍していた。
  3. 90年代になっても男の子の名前1位が「大輔」だった。
  4. 多分「松坂」の前にメジャー入り。
  5. 神宮球場とクラブハウスを結ぶ「荒木トンネル」が自宅まで掘られていた。

石毛博史

  1. 2000年代半ばまで巨人のクローザーを務めていた。
    • 近鉄や阪神に移籍することはなかった。
  2. 佐々木主浩や高津臣吾とともに90年代のセリーグを代表するクローザーになっていた。
  3. 槙原寛己が現役晩年にクローザーへ転向することはなかった。
    • 河原純一がクローザーへ転向することもなかったので、史実よりも早く放出されていた。

大森剛

  1. ポスト原として4番を打っていた。
  2. 初年度から活躍した場合、翌年のドラフトでわざわざ元木を指名することもなかった。
    • ポジションかぶらないからそれは問題ないだろう。

尾崎将司

  1. 黒い霧事件の際は、池永正明の無実を晴らすために奔走していた。
  2. 弟の健夫・直道も野球選手になっていた。
    • 実際健夫はヤクルトに指名されたが拒否している。
  3. 日本でのゴルフはマイナーなままだったかもしれない。
    • 丸山茂樹もゴルフ以外の道を歩んでいただろう。
  4. 自己破産もなかった。

か行

香川伸行

  1. 南海・ダイエーの正捕手として長きに渡り君臨し、本塁打王を何度も獲得していた。
  2. 王監督の後任は秋山ではなく香川。

川口知哉

  1. オリックスの左のエースとして2009年現在も活躍している。
  2. もちろんビッグマウスも健在。
  3. オリックスが00年代前半に低迷する事はなかった。

河原純一

  1. 1990年代後半には巨人のエースピッチャーとなっていた。
    • 恐らく阪神の暗黒時代には天敵となっていた。
  2. 2002年のリーグ優勝時には史実と同じく抑えピッチャーとして活躍。
  3. 西武への移籍や中日へのテスト入団はなかった。
    • よって2009年現在も巨人に在籍。
      • または米大リーグに移籍していた。

木田勇

  1. 80年代の日本ハムは西武と激しい優勝争いを演じていた。
  2. 大洋にトレードされることも無かった。

紀田彰一

  1. 多村仁は21世紀に入る前に自由契約にされていた。
  2. FAでニューヨーク・ヤンキースに選手として入団していたかも。

源五郎丸洋

  1. 阪神の不動のエースとして活躍し、1992年の亀新フィーバー時には現実とは逆に阪神がヤクルトを押しのけ優勝を果たしていた。
  2. その名字が色んな所で度々ネタにされていた。
    • ラグビーの五郎丸歩(ヤマハ)の話題では引き合いにされていた。
    • 中野渡進(元横浜)、下敷領悠太(ロッテ)については言うまでもない。

近藤真一

  1. 先発投手の左右バランスが取れていたので、90年代の中日はもっと優勝できていた。

権藤博

  1. 史上最速で200勝を達成していた。
  2. 中日はもっと優勝できていたし、巨人のV9もなかった。
  3. 与那嶺要か中利夫の後任あたりで中日の監督になっていたかも。

さ行

佐々木信也

  1. 1960年のオリオンズ優勝の原動力となっていた。
  2. プロ野球ニュースのキャスターにはなっていなかった。
    • プロ野球の存在自体も現実よりマイナーになっていたかも。

定岡正二

  1. 江川・西本・定岡の三本柱による巨人黄金時代を築いた。
  2. 引退後もバラエティ番組で弄られることなんてありえない。
  3. 近鉄へのトレードも話にすら挙がらなかった。

たな行

長嶋一茂

  1. 巨人のクリーンナップとして活躍、本塁打王等のタイトルを何度も獲得していた。
  2. むしろヤクルトの不動の4番として父親率いる巨人の前に立ちはだかった。
    • ヤクルト黄金期と共に、飯田・荒井・古田・長嶋・広澤・池山~のような打順。
  3. 父親の半分程度の、10年で1200安打200本塁打800打点ぐらいの成績を残している。
  4. ミスタースワローズと呼ばれている。
  5. 子供(茂雄の孫)を球場に忘れてくる遺伝子も引き継いでいる。

は行

馬場正平

  1. 巨人から移籍後の大洋で大活躍することになるので、「馬場=大洋」という図式になっていた。
  2. その後の日本プロレス史が現実とかなり異なっていた。
    • BI砲や全日も誕生しない。
  3. 引退後にタレント活動する際も、本名を名乗っていた。
  4. 60過ぎて現役というのは有り得ないので、癌を早期に発見できていた可能性も。

パンチ佐藤(佐藤和弘)

  1. 仰木監督の引退勧告を糧にして主にDHや代打の切り札として活躍。95-96年連覇のシーズンも活躍。震災後の神戸を明るく励ましている。
  2. イチローとパンチのコンビが長く続いている。

板東英二

  1. 60〜70年代の中日の大ストッパーとして長くに渡り君臨していた。
    • 「権藤、権藤、雨、板東、雨、雨、権藤、雨、板東」という流行語になっていた。
  2. 現実の第一次星野監督時代の時期に中日の監督に就任していた。
  3. タレントなんてやってなかったかも・・・
  4. 現役時代から事業に手を出していたために思うような活躍ができなかったので、現実以上の活躍なら副業などもやっていないはず。
    • 島田紳助も彼から手解きを受けていないので、同様に副業はしていなかった。
  5. ゆで卵協会の名誉会長就任。

平本学

  1. ロケットボーイズの3人目として、2009年現在も活躍している。
  2. 林昌勇はヤクルトに入団できず、中日かロッテでプレーしていた。

星山忠弘

  1. 阪神のタフネスな中継ぎとして活躍。
  2. 大学の後輩の脇谷と巨人戦で対決していただろう。

まやらわ行

八名信夫

  1. 40歳くらいまで現役で投げていた。
  2. 現役引退後に日ハムの監督に就任していた。
    • 大沢親分以上に強面の監督として知られていた。
  3. 俳優に転職はしていない。
    • 悪役商会は誕生していない。

山村路直

  1. 斉藤和巳はダイエーではブレイクできず、他球団にトレードされていた。

与田剛

  1. 2000年代まで中日の抑えを務めていた。
  2. 毎年佐々木主浩や高津臣吾と最優秀救援争いを繰り広げていた。
    • 通算セーブ数で佐々木・高津を上回っていたかも。
    • 佐々木・高津同様メジャー入りもあったかも。
  3. 宣銅烈が中日に入団することは無かった。
    • 岩瀬仁紀も当面は中継ぎのままだった。
    • ギャラードは佐々木に代わる抑えとして横浜に入団していた。