もしあのコンビニのエリアフランチャイズが○○だったら
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あのコンビニがエリアフランチャイズを認めていなかったら[編集 | ソースを編集]
am/pm[編集 | ソースを編集]
- 史実以上に東京一極集中が進んでいた。
- 関西には本社が進出していたとしても、九州には進出してなかっただろう。
- 「エーエム・ピーエム」と言えばダイエーのPB商品を思い出す人も多かっただろう。
- 店舗数は500店舗ほどだったか?
サークルKサンクス[編集 | ソースを編集]
- 青森のコンビニはローソンの天下になっていた。
- 下手すれば北東北を含む、東北全体にはサンクスのみの展開となっていて、青森を含めた北東北全体のコンビニではほぼ完全にローソンの天下となっていた。
- 最悪の場合、青森にはサークルKはおろか、サンクスも出店されず、ファミリーマートが青森のコンビニの3強入りをしていた。
- 富山も早いうちにローソンの天下になっていた。
- セイコーマートが進出していた可能性も。
- 最悪の場合、青森にはサークルKはおろか、サンクスも出店されず、ファミリーマートが青森のコンビニの3強入りをしていた。
- 四国への出店も無かった。
- 九州出店ももってのほかだった。
- 茨城への出店も無く、ガールズ&パンツァーは他のコンビニがしきっていた。
- というか(エリアフランチャイジーが多かった)サンクスはマイナーコンビニになっており、長崎屋の衰退とともに別の大手コンビニに吸収されていたかもしれない。
- 店舗数ではデイリー・ミニストップはおろかセイコーマートやam/pmより少なかったかもしれない。
- 下手すれば北東北を含む、東北全体にはサンクスのみの展開となっていて、青森を含めた北東北全体のコンビニではほぼ完全にローソンの天下となっていた。
- 5位のミニストップとの差はもう少し縮まっていた。
- 逆に3位のファミリーマートとの差は広がっていた。
- 史実より早い段階でファミマかローソンに買収されていた。
- 現実よりも中京圏ローカルのイメージが強かった。
セイコーマート[編集 | ソースを編集]
- 関東には出店しなかった。
- 北海道のコンビニはセイコーマートの独壇場になっていた。
デイリーヤマザキ[編集 | ソースを編集]
- 青森・秋田には出店していなかった。
- 早いうちに6位に転落していた。
ファミリーマート[編集 | ソースを編集]
- 少なくとも北海道・宮崎・鹿児島・沖縄には進出していなかった。
- 特に沖縄はローソン進出までコンビニ不毛の地。
- ニコマート(1980年代に消滅)とホッパー(現ココストア)を忘れちゃいけない。
- 下手すれば九州には未だファミリーマートが存在しない可能性もあった。
- 松早グループと組んでいた長崎、岩田屋と組んでいた他の北部九州地区にも進出しなかったと思われる。
- 特に沖縄はローソン進出までコンビニ不毛の地。
- サークルKサンクスの誕生で4位に転落していた。
- 場合によってはユニーに吸収されていた。
ミニストップ[編集 | ソースを編集]
- 少なくとも青森・岩手・四国・九州には進出していなかった。
- そのため、現在でもデイリーヤマザキより下の6位だったかもしれなかった。
- 四国へのファミリーマート進出時の大打撃をサークルKサンクスがもろに受けていた。
ローソン[編集 | ソースを編集]
- 少なくともファミリーマートの売上高はローソン以上になっていた。
- 沖縄は未だにコンビニがなかったかも。
全社[編集 | ソースを編集]
- 日本のコンビニはセブンイレブンの天下。
- と思いきや、セブンイレブンも米セブンイレブンのエリアフランチャイジーということなら…。
- 史実よりも多く地場コンビニが幅を利かせていた。
- 2000年代までは勢力図も地場コンビニが県1位になることも少なくなかった。
- 1990年以降の不況に伴い大幅な再編がされていた可能性はあるが、それでも少し奥にいけば地場コンビニが地場スーパーマーケット並には存在していたと思われる。
- コンビニそのものが大規模なチェーンになることはほぼなく、中堅スーパーの小規模店舗としてコンビニのような展開をしたケースがそれなりに多かった。
- それでも史実の大手三社などは多地方に進出していた可能性が高い。
- ミニストップが大手三社に食い込んでいた可能性も(親元がでかいので)。
- エリアフランチャイズが駄目でもフランチャイズ・メガフランチャイズ制度が禁止されてなければ大規模なチェーンはできていたと思われる。
フランチャイズ制度が全般的に緩かったら[編集 | ソースを編集]
- 現在、大手3社が90%以上を占める寡占状態にあり、また(特に最大手企業を中心に)フランチャイズオーナーの地位が低かったりするコンビニ業界。もし、全般的にフランチャイズ制度が緩かったら?
- 粗利益ではなく人件費や光熱費を加味してチャージ率が引かれるようになっていた。
- 鞍替えなどもそれなりに発生していた。
- そのため、大規模なフランチャイジーの引き抜き合戦になっていたかもしれない。
- 本部としても、可能な限り引き止めなきゃならないので待遇は少しでも改善されていた。
- コンビニエンスストア労働組合が史実以上に力を持っていた。
- アルバイトレベルでもしっかりと各種権利が保証されるようになっていた。ここはフランチャイジー、店長の裁量次第なところも大きいが…
- ボランタリーチェーンのコンビニも少なくなかった。
- フランチャイズ内での裁量も大きく、フランチャイズ限定での商品もあったりした。
- 出光に対する宇佐美のように、フランチャイジーの名称を載せる店舗もあったかもしれない(現実でも初期にできたファミリーマートの一部にあるが)。
サークルKサンクスのエリアフランチャイジーが○○だったら[編集 | ソースを編集]
- 新規追加はエリアフランチャイジーの本部の所在地の北から順でお願いします。
北海道キヨスク[編集 | ソースを編集]
- 史実の動向:2000年に独自ブランドである「ジャストロール」から転換し、2010年10月にセブンイレブンに鞍替え。
- 鞍替え先が他社だったら
- セイコーマート
- 道内では史実よりも更に他社を突き放していた。
- 他社は完全に太刀打ちできなくなっていただろう。下手したら北海道だけで1200~1300店規模になっていたかも。
- 特急が停車する主要駅の店舗ではホットシェフを併設していたところもあった。
- このおかげで、車内販売の縮小は史実よりも早く進んでいたか?
- 小規模な地方の駅でも、従来型のキヨスクからの転換が積極的に行われていて、売店が無くなる不便さを解消していた。
- ただ、そのような駅にはホットシェフの併設はもちろんなかった。
- ファミリーマート
- 転換理由として、駅構内出店に強いからとみなされていた。
- それでも道内では他社に追いつけられなかった。
- サンクスのまま続けていた場合同様、道東や旭川のキヨスクがこれにはならなかったか?
- ローソン
- 少なくとも道内ではサンクスをわずかながら突き放せるものの、セブンイレブンにはまだ及ばず。
- サンクスのまま続けていたら
- 史実よりも従来型のキヨスクからの転換には消極的になっていた。
- 特に道東や旭川(それらの地域は史実でセブンイレブンに転換済み)にはサンクス自体無かったので。
- 車内販売の縮小は現実よりも遅れていたか?
サンクス青森[編集 | ソースを編集]
- 史実の動向:1999年6月に完全子会社化→2012年12月に吸収合併
- 他社に鞍替えしていたら
- 鞍替え先はやはりローソンが最有力だった。
- 史実よりも早く青森県内はローソンの天下になっていた。
- 青森県内で、サンクスからセブンイレブンに鞍替えした店舗は皆無だった。
- その代わり、ローソンからセブンイレブンへの鞍替えが多かった。
- =もしサンクス本体が完全子会社化してなかったら、である。
- サークルK
- 果たして転換する意味はあるのだろうか?
- サークルKとの合併の際、名称統一の先鞭としてフランチャイジーの統合が行われていた可能性も。
- 以降も、サンクスからサークルKへのブランド変更が進んでいた。
- サークルKとの合併の際、名称統一の先鞭としてフランチャイジーの統合が行われていた可能性も。
シーケー東北[編集 | ソースを編集]
- 前身のサークルケイ・ノースジャパンの内容も含む。
- 史実の動向:亀屋みなみのグループ会社としてサークルケイ・ノースジャパン設立→亀屋みなみ倒産に伴い完全子会社のシーケー東北→サークルケイに吸収合併。
- 関連項目:もし亀屋みなみチェーンが倒産しなかったら
- 他社に鞍替えしていたら
- ミニストップ
- 亀屋みなみチェーンは一部店舗をマックスバリュに譲渡しましたが、もしこの際、コンビニ事業もイオンに譲渡していたら?
- 北東北でのミニストップのシェアが一気に上がっていた。
- その代わり、同地域でのサークルK→サークルKサンクスのシェアは落ちていた。
- 全店舗が鞍替えしていたらサンクスのみ存在するエリアになっていた。
- 場合によってはこの地域にはサンクスも進出しているので(この時すでにユニーはサンクスの筆頭株主になっており業務提携もしていた)、サンクス青森が一部サークルKの受け皿になっていた可能性も。
- もちろん、秋田県にもミニストップは進出できていて、店舗数でも秋田県内ではデイリーヤマザキを抜かせないものの、全国的には史実より早くデイリーヤマザキを抜かしていた。
- こうなっていたら、東北地方でミニストップは無いのは山形県だけになっていた。
- 秋田県民のイオングループへの依存度は史実よりも更に強まっていた。
- 秋田県と青森県との格差は若干小さくなっていた。
- 強いて言うなら、格差は原則的に見られないテレビの系列局が異なっていたことぐらいになっていた。
- 秋田県の人口も2019年に100万を割ることもなかったか?
- もし、史実でマエダストアやユニバース、よこまちストアに譲渡された店舗も全店イオンやマックスバリュに譲渡されていれば有り得たかもしれない。
- ローソン
- 2000年代のうちに青森県内のコンビニはローソンの天下になっていた。
CVSベイエリア[編集 | ソースを編集]
- 史実の動向:(1981年にセブンイレブンのフランチャイジーとなるも数年で撤退→)1989年にサンクスのフランチャイジーとなる→2012年3月にローソンに鞍替え。
- セブンイレブンから撤退しなかったら
- おそらく、一フランチャイジーという立ち位置で終わっていた。
- ここまで名前が有名になることもなかった。
- 上場することもなかった。
- 独自性を打ち出すことなどできなかっただろう。
- ここまで名前が有名になることもなかった。
- 他社に鞍替えしていたら
- ポプラ
- 傘下事業のFA24(クリーニング業)がポプラと組んでいた。
- 東京都のポプラの店舗数が広島県を上回っていた。
- ポプラの営業スタイルからして、独自性に磨きがかかっていた。
- 場合によってはさらに成長していたかもしれない。
- 店舗数でも、NewDaysに抜かされることもなかったか?
- 場合によってはさらに成長していたかもしれない。
- 関東地区のエリアフランチャイジーにまで成長してたら面白かったかも。
南九州サンクス[編集 | ソースを編集]
- 史実の動向:1998年に南国殖産と共同出資で南九州サンクス設立→2013年にローソンに鞍替え
- セブンイレブンのフランチャイジーになっていたら
- 元々南国殖産はセブンイレブンのフランチャイジーになりたかったが、セブンイレブンの意向から頓挫した。
- =「セブンイレブンがエリアフランチャイズを認めていたら」である。
- もしエリアフランチャイズを認めずこうなっていたらそこまで大きい存在にはなれなかったはず。
- 他社に鞍替えしていたら
- セブンイレブン
- 15年越しに願いが叶うことになっていた。
- この頃には東四国サンクスもセブンに鞍替えしており、特に問題はなさそうだと思われる。
- 東四国サンクス同様、ここも改名していた。
- 宮崎県に進出していたら
- サークルKサンクスとの契約では宮崎県もエリアに含まれていたが、日配品等の物流インフラが整備されなかったため出店することはなかった。
- 都城・諸県あたりであれば頑張れば出店できていたと思われる。まあできなかったということはそういうことなんだろうけど。
- それより奥へは物流を整備するしかなさそうだ。
- おそらく延岡へは進出してなさそう。
- それでも、他社進出後は苦戦することは変わらず。
- おそらく、ローソン合併後はここも「ローソン南九州」の範囲になるだろう。
- 店舗数の規模によっては都城地区のみ南九州とかの可能性も(史実でも熊本は本社に移行したし)。
セブンイレブンがエリアフランチャイズを認めていたら[編集 | ソースを編集]
- 少なくとも四国は悲惨にならなかった。
- 全都道府県出店が実現された。
- ライバルを大きく突き放し、下手すると独占禁止法に触れていた。
- イオンがローソンを買収していた。
- そして、ミニストップはローソンにされていた。
- エリアフランチャイズと本社の訴訟が絶えない。
- 少なくとも数回はほっかほっか亭のように分裂を繰り返す。
- 実際初期にはセブンから離脱して独自のコンビニチェーンを作った店舗も多かった(ただ多くは閉店、残っていても本部が解散→看板を維持したまま個人経営へ、というケースが多い)。
- ほっかほか亭→ほっともっとや吉野家→すき家のように独立したチェーンがセブンイレブンを脅かす展開になっていた可能性もあったかも。
- 少なくとも数回はほっかほっか亭のように分裂を繰り返す。
- 青森・秋田においてのデイリーヤマザキは出店していたとしても、大打撃を受けていた。
- その店は次々に潰れ、そして、その店舗数は指で数え切れ(ry
- さらに青森・岩手においての親会社がライバル関係にあたるコンビニも(ry
- 四国にファミリーマートが進出する時期はもう少しずれ込み、進出したとしても、逆にファミリーマートが大打撃を受けていた。