ページ「新京成電鉄」と「もし阪神なんば線が別の時代に全通していたら」の間の差分

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==新京成電鉄の噂==
2009年3月20日に開業した[[阪神なんば線]]。この路線は戦後すぐに計画され、高度成長期に一部区間の着工までこぎつけたものの沿線の反対により一旦工事が中断され、平成になって第三セクターで工事が再開されるという経緯をたどりました。もし…
[[画像:Sinkeisei 8000.JPG|thumb|240px|8000形電車(新鎌ヶ谷駅にて)]]
==昭和40年代==
#[[京成電鉄]]の子会社。もとは軍事路線だったのを京成と[[西武鉄道|西武]]が争って京成が勝利し子会社とした。
この路線が予定通り昭和40年代に実現していたらどうなっていただろうかを検証します。
#*負けた西武には、国から[[新宿駅|西武新宿]]延伸の許可が与えらた。
{{駅名標/阪神1|name=桜川|ruby=さくらがわ|roma=SAKURAGAWA|next=<font size=1>きんてつ</font>なんば|back=<font size=1>おおさか</font>ドームまえ}}
#*陸軍の鉄道運転練習路線だったので、急カーブが多い。
#[[大阪市高速電気軌道千日前線|地下鉄千日前線]]は建設されていなかった。
#*そもそも何故京成の一支線ではなく子会社になったのかは不明。
#*現実に市は近鉄難波線と競って建設したわけですから、阪神とも競っただけではないかと。
#*開業当時沿線がクソ田舎だった新京成を、自社路線にするのは危険だと京成が踏んだため。今思うとすごくもったいない。
#*[[大阪市高速電気軌道今里筋線|地下鉄今里筋線]]は今里からは南巽へと曲がって建設された。
#沿線に団地が多い。
#*[[大阪市高速電気軌道四つ橋線|四つ橋線]][[難波駅#大阪難波駅(近鉄・阪神)|難波駅]]は今も「難波元町」駅のまま。
#雪でも地震でも止まらない。
#阪神なんば線のルートは現実とは異なり、九条から桜川までの間に駅は建設されなかった。
#*人身事故がおきても5分で運転再開。
#*しかし1997年の[[大阪ドーム]]オープンに伴い「大阪ドーム前」駅を新設。
#*脱線は割と多い。あれだけくねくね曲がっていればね・・・。
#**但し場所は異なっていた。
#**生まれてこの方40年お世話になっているが、見たことが無い。ほんとに??(沿線住民)
#*近鉄に配慮して、九条駅に「大阪ドーム前」の副駅名がついた可能性もある。長堀鶴見緑地線開業後はどうなるか分からないが。
#*くぬぎ山での車庫入れのときに脱線とかよくあるよ(笑)
#*どっちにしろ[[大阪近鉄バファローズ]]の観客数は現実より多く、合併は免れ、せいぜい売却で済んだかも。近鉄沿線からもアクセスしやすいし。
#*沿線で火災が発生していても減速するだけで普通に運行していた。
#**[[阪神タイガース]]との試合が実現すれば「なんば線ダービー」と呼ばれる。
#おそらく、運賃は千葉県で一番安い。初乗りは140円だが、端から端まで40分乗り続けても230円。
#阪神3801系は20m4扉車となり、大量増備されていた。
#*今は250円になった。それでも安いんだけどね。
#*あるいは「2000系」とかいう形式が与えられていた。
#*千葉県の鉄道を1kmあたりの運賃で調べてみた。新京成(全線)は1kmあたり約9.4円だがディズニーは1kmあたり約67.6円。約7.2倍だったので吹いたwww(どうでもいいのだがw
#近鉄側は8000系が阪神乗り入れ仕様となっていた。
#親会社の京成よりも経営がいいらしい。
#千鳥橋駅は2面4線の退避可能駅となり、なんば線内で追い越しが行われていた。
#*ここ数年は京成も黒字経営を継続中だぞ。
#*三宮~近鉄奈良間の快速急行は尼崎~大阪難波間で西九条と九条のみに停車していた。
#**今はむしろ新京成のがじり貧だな。ダイ改のたびに減車したり減便したり……
#**乗務員交代駅の桜川を足して、桜川・九条・西九条のみに停車。
#昔は松戸~千葉ニュータウン行き(ボディが銀というかアルミチックな車両)もあったが、北総線の初乗りの高さにキセルが頻発したため消滅したとも言われている。
#*山陽との直通がその分、軽視された可能性も。未だに阪急とも直通していたり…
#*当時は松戸駅に中間改札がなくてJRと直接乗り換えできた。これも遠因かも。
#[[阪神・淡路大震災]]後もJRに客を取られることはなかった。
#*当時は北総線が京成高砂まで達しておらず、暫定的に松戸駅に乗り入れてJRと連絡していた。
#*梅田方面ではなく今では難波方面への輸送がメインになっている。
#沿線にある都立八柱霊園の影響か、車内広告は、墓地と墓石関係しかない。
#*阪神電鉄自体の業績も現実よりは良かったことが考えられるので、[[阪神タイガース|球団]]にお金をかけることができた。その結果1990年代の暗黒時代は到来しなかった可能性もある。
#*窓に古臭い「戸袋に手を巻き込まれないように」のような丸いステッカー広告が目立つ
#**1985~2003年の間に何度かリーグ優勝しているかも。特に1992年は優勝していた可能性が高い。
#**最近はコナミスポーツクラブのステッカーもある。ちなみに五香と津田沼にある。
#村○ファンドによる株買い占めの後、[[阪急電鉄|阪急]]ではなく[[近畿日本鉄道|近鉄]]と経営統合していた。
#準大手私鉄の代表格。
#*ますます西の京急感が強まる。
#*しかし、西の準大手私鉄の代表格、山陽電鉄に比べるとファンは圧倒的に少ない。
#阪神本線の尼崎~西宮間は1980年代に複々線化される。
#*でも営業距離では山陽電鉄の方がずっと長い。
#*同時に高架化も行われていた。
#[[松戸市|松戸]]方面の放送の声が妙にエロい。
#*[[甲子園駅]]の改良工事も並行して行われていた。
#*そりゃ、エロゲにも出てる声優さんだし…
#近鉄18200・18400系は1976年以降、三宮-賢島の神伊特急に転用されていた(大和八木以東は京伊特急と併結)。
#**一応18禁ゲームには出ていない'''ことになっている'''。
#*さらに山陽姫路まで直通していた。
#*[http://dgrgdon.hp.infoseek.co.jp/shitetsu/shinkeisei/shintsudanuma2s.wma 入線の音声]と[http://dgrgdon.hp.infoseek.co.jp/shitetsu/shinkeisei/shintsudanuma2.wma 発車の音声](新津田沼駅)を参考に。
#なんば線が開業した直後は三宮~奈良間の直通運転は行われず、阪神側からは当時三宮~西九条間を運行していたN特急を近鉄線内各駅停車で瓢箪山まで延長、近鉄側からは奈良線快速急行が尼崎まで延長運転される。
#*松戸方面の声は[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%90%A9%E5%8E%9F%E3%81%88%E3%81%BF%E3%81%93 萩原えみこ]という[[声優]]がやっている。ちなみに京成津田沼方面は男性の声。
#*三宮~奈良間の直通快速急行は1990年代後半に運転開始する。
#**'''これじゃあ、自殺する人が多いのでは?'''
#阪神春日野道駅の狭いホームを近鉄電車が通過していた。
#**このファイル、今とはトーンの高さや間のおき方が全く違う。今はもっと明るくはっきりした声だぞ
#*または近鉄乗り入れを機に春日野道駅を大改造していた。
#ようやく京成線への乗り入れ決定。
#西九条~九条間の高架区間の防音シェルターは設置されなかった。
#*今日(2006年12月10日)から乗り入れ開始。でも平日の朝と夜かなり少ない。(無駄に平日は昼の本数が多い)
#*そのため大阪市内が一望でき、九条手前の地下に潜る部分では前方に地下鉄中央線を見ることができる。
#*これで[[京成本線]]と京成千葉線が事実上分断されてしまった。上野発千葉中央方面の電車は朝夕のほんの数本。
#阪神大震災で、近鉄車両も被災していた。
#*そういや、新京成と千葉線の優等列車(快速など)案はどうしたんだろう。
#*復旧中は、近鉄から車両を借り受けて運行を行った可能性もある。
#**現状では追い越しをできる駅がないから難しい。新鎌ヶ谷は高架化後も1面2線らしい。
#そもそも路線名は阪神なんば線ではなかった。
#初富あたりで松戸に行く人と津田沼に行く人が分かれる。
#*近鉄に倣って「難波線」とするか、あるいは「西大阪線」のままだった。
#「しんけいせい」を漢字変換すると「神経性」。
#加算運賃がなかった。
#似たような駅のつくりなので、パッと見て区別できるようホームに駅毎に違うカラー帯が付いている。
#*近鉄難波線同様、90年代までに建設費償還が終わっている。
#新「京成」を名乗っているが、都内も成田もかすってすらいない。
#[[阪神タイガース]]が昭和末期でも大阪球場で公式戦を行っていた(特に夏の高校野球期間中など)。
#*新鎌ヶ谷駅で[[北総鉄道]]に、もしくは[[関東の駅/千葉#京成津田沼駅の噂|京成津田沼]][[京成本線]]に乗り換えれば「新京成」として機能する。他に総武線(新津田沼駅)、東西線(北習志野駅)、武蔵野線(みのり台駅)、東武野田線(新鎌ヶ谷駅)、常磐線(松戸駅)のハブ線としても機能している。
#*代わりに西宮球場を利用することが無くなっていた。
#**武蔵野線はみのり台じゃなくて八柱。
#梅田-姫路の直通特急がもっと早く登場していた他、奈良からの快速急行も新開地発着となり、阪急は高速神戸より西に入れなくなっていた。
#***社名に偽りあり!ということで「松戸習志野電鉄」ってどう??
#*阪急は市営地下鉄との直通を早い段階で検討し、神戸高速鉄道の高速神戸~阪急三宮間は開業しなかったか、短期で廃線となった。
#JR津田沼駅に「New Keisei Line」と書かれた。
#**市営地下鉄との直通が実現していた場合、西灘(現王子公園)~三宮間は新神戸駅経由となり、春日野道駅経由の路線は廃止されていた。
#*Shin-Keisei Lineじゃなくて!?
#**[[神戸淡路鳴門自動車道#明石海峡大橋|明石海峡大橋]]は鉄道道路併用橋となり、神戸市営地下鉄の名谷~鳴門間に本四連絡鉄道が建設されていた。そして阪急梅田~徳島間に直通特急が運転されていた。
#キャラクターの「しんちゃん」と「けいちゃん」はどう見てもつばめには見えない。
#**[[もしあの鉄道事故が○○だったら/1990年代以前#阪急六甲駅衝突事故|阪急六甲駅での衝突事故は起こらなかったかも。]]
#最近[http://www.shinkeisei.co.jp/ 公式サイト]がかなり格好良くなった。
#近鉄難波駅は「近鉄・阪神難波」駅になっていた。
#沿線に養護(特別支援)学校が多いからなのか、券売機には「障がい者割引」のボタンがついているが、2005年ごろから悪用者が多いからか新型機でしか買えなくなった。
#*あるいは単に「難波」駅になっていたかも。
#*[[近畿日本鉄道|近鉄]]と同様、そのボタンを押すと「係員がまいります。しばらくお待ちください」と言われる。
#初代あおぞら号は山陽乗り入れ対応で製造、播州地域の学生は山陽-(高速-阪神-)近鉄で伊勢方面へ修学旅行に向かっていた。そのため草津線経由[[修学旅行]]臨は[[日本国有鉄道|国鉄]]時代の早い時期に廃止になっている。
#親会社より早く、ストアードフェアカードを導入した。
#*山陽-近鉄による伊勢志摩方面のアクセス強化は草津線の優等列車廃止も早める結果となり、結果草津線は京阪神近郊の通勤路線として早くから発展する結果となる。その為、現在では草津線直通の新快速が運転されているほか、信楽線も3セク化されていない。信楽線脱線事故なんて当然発生していない。
#*その後、[[パスネット]]のベースの1つになった。
#*20000系「楽」も。山陽・阪神沿線から伊勢などへの団体旅行に使われていた。
#1980年代前半には近鉄特急の本格的な山陽乗り入れも開始、その後バブルに乗じて乗客数は右肩上がりも、バブル崩壊など不況で衰退に傾く。しかし現在もある程度のフリークエンシー性を保った範囲での本数が確保されている。
#*阪神大震災の際、神戸高速線は近鉄特急乗り入れの関係で通過できる車両限界に影響を与えない範囲で工事を行なわなければならなかったため、復旧工事はかなりの難工事となった。
#**この事が神戸高速の経営に深刻な打撃を与え、90年代後半には完全な第三種鉄道事業者に転ずる。結果山陽・阪急・阪神間で高速線路線の再分配が行なわれ運賃が安くなっていた。
#*あるいは運賃+料金と所要時間でJR[[新快速 (JR西日本)|新快速]]に対抗できないため、これを機に近鉄特急の山陽乗り入れを廃止し、三宮までに短縮されていた。
#[[南海電気鉄道|南海]]汐見橋線は現在のような状況にまでは衰退せず、南海電鉄がなにわ筋線に活路を求める事も無かった。なにわ筋線事業がJRの単独で計画が進行していた可能性もある。
#*[[大阪市/中央区#アメリカ村|アメリカ村]]は桜川駅周辺にまで広がり、桜川が堀江と一体で若者の街として発展していた可能性もある。
#*南海は単独で汐見橋から梅田方面へ延伸していたかも。
#三宮―大阪難波間の所要時間がもっと短縮されていた。
#*三宮―西九条間にN特急が運行されていた時期、同区間の所要時間は25分であった。西九条-大阪難波間でドーム前と桜川を通過とすると三宮―大阪難波間の所要時間は32~33分くらいだった可能性がある。
#ただでさえラッシュ時に混雑する近鉄奈良線の輸送量が限界に達したことから、近鉄東大阪線(現けいはんな線)の生駒以西は1970年代後半には開業していた。
#*生駒―学研奈良登美ヶ丘間も1990年代のうちに開業。場合によれば当初の計画通り高の原まで延伸されているか、関西文化学術研究都市の中心部への乗り入れを果たしていた。
#1981年の「[[wikipedia:ja:神戸ポートアイランド博覧会|ポートピア81]]」の時には近鉄車両もヘッドマークを付けて運行された。
#*名古屋―三宮間に臨時特急も運転された。
#[[大阪市/此花区#西九条の噂|西九条]]が現実よりも早く乗り換えターミナルとして注目されていた。
#*商業地としても現実より発展していたかもしれない。場合によっては[[京橋 (大阪)|京橋]]周辺の「ヒガシ」に対し「ニシ」と呼ばれていた。
#*[[京阪中之島線]]も当初から天満橋~西九条間の路線として建設されていた。場合によってはこちらも阪神に乗り入れていたかも?
#[[wikipedia:ja:3・3・SUNフリーきっぷ|3・3・SUNフリーきっぷ]]は南海・近鉄・名鉄ではなく阪神・近鉄・名鉄の3社が利用可能となっていた。
#*エリア拡大版の「ワイド3・3・SUNフリーきっぷ」の方が[[山陽電気鉄道|山陽電鉄]]もエリアに含まれていた。
#アーバンライナーや伊勢志摩ライナーの車両は阪神乗り入れに対応した前面貫通式の車両になっていたかもしれない。
#*むしろトンネル側が非貫通車両の営業列車を通せる規格で作られていた。
#なんば線の淀川橋梁は1980~90年代のうちに架け替えられていた。
#*同時に大物~千鳥橋の高架化と神崎川・左門殿川橋梁のかさ上げも行われていた。
#山陽電鉄の駅のホーム案内に「奈良方面」の文字が加えられていた。


===従業員の噂===
==1980年代==
#駅員さんはよく言えばフレンドリー。悪く言えば溜口である。
#1981年3月、1985年3月、1988年3月のいずれかに開業していた。
#車掌vs酔っ払いの闘いは圧倒的に車掌が勝つ。しかも怒鳴り声がはんぱじゃない。
#*1981年3月の場合、神戸ポートアイランド博覧会の開催に合わせて、開業した。
#そもそも高卒以外は採らない。高卒で入る場合にも地元県立高校卒のほうが有利。大卒ではいる場合せいぜい一人。
#*1985年3月の場合、ユニバーシアード神戸大会の開催に合わせて、開業した。
#車掌がわいせつ行為で捕まった。が、その直後札幌の小学校教頭が同じくわいせつで捕まり、こっちは忘れ去られた。
#1985年3月の場合、この年が阪神タイガースが日本一になった年でもあるので、阪神グループにとって、輝かしい年になっていた。
#2010年7月のさよなら800形イベントから、急に鉄道ファンに優しくなった。
#8000系電車が近鉄乗り入れ対応の車両となり、史実より多く製造された。
#*9000系電車と1000系電車の登場は史実通り。
#*1988年開業の場合、8000系はVVVFインバータ制御車となっていた。
#**阪神におけるVVVF車の登場が10年早まっていた。
#東大阪市の花園中央公園に近鉄花園野球場が開場した場合、そこが近鉄バファローズの本拠地となり、観客動員数が史実より多くなっていた。
#1988年になら・シルクロード博覧会が開催されたことに合わせて、臨時列車が運行されていた。
#路線名は「阪神西大阪線」になっていた。


===路線の噂===
==1990年==
#戦前に軍の鉄道連隊が訓練のために引いた線路を払い下げてもらったため、くねくねと遠回りしている。日本史の教科書にも載っている。
#阪神8000系は近鉄乗り入れ対応のVVVF車となっていた。
#*戦前、鉄道は陸軍が管理していた。軍隊の大量・高速移動ができるため。旧国鉄のトップは総裁であるが、戦前は、その上に鉄道会議があり、総裁といえどもこの会議の一メンバー。この議長のポストは陸軍参謀総長が兼務することになっていた。これは[[ドイツ|プロシャ]]の方式を見習ったものとされている。
#開業したのがバブル期ということもあり、姫路―賢島間にリゾート特急が運行されていた。
#*小学校のときの校長曰く、元山駐屯地への物資運搬用線路だったので被弾しないようにわざと曲げてあるというのが通説だった。
#*「伊勢志摩ライナー」はこの時に登場していた。もちろん阪神乗り入れ対応。
#**あと、鉄道を作るのは戦場だから、ずっと真っ直ぐな訳がないから、わざと曲げたらしい。
#**パルケエスパーニャの入場者数も現実以上になり、のちの近鉄グループの経営難がもう少しマシになっていただろう。
#**というより、限られたスペースでなるべくたくさん敷設実習をおこなうためには、どうしたってぐにゃぐにゃなルートになりますわな。
#*「アーバンライナー」も難波〜名古屋だけでなく、三宮〜名古屋や姫路〜名古屋での運行があったかもしれない。
#*現在の線路はこれでもできるだけまっすぐにしてある。軍用鉄道時代は2kmの直線距離を進むために線路を10km近くにまで迂回させていた。そのΩカーブの跡の一部が、廃線跡マニアの散策路になっているらしい。
#奈良-三宮間運転の快速急行は[[名鉄特急]]と同じような自由席車6~8両+指定席車2両編成となっていた。
#**軍用鉄道時代の松戸附近は今のルートとは大分違うルートを通っていたようだ(GHQ発行地図より)
#同年大阪の鶴見緑地で開催されていた国際花と緑の博覧会(花博)が開業のきっかけになっていた。
#**戦後しばらくも自衛隊101運輸隊(鉄道部隊)の演習線が津田沼附近にあって、9600型蒸気機関車なんかが走っていたらしい。
#***101運輸隊はその後古河に移転して解散だったと思う。
#**千葉に移る前の鉄道連隊は現在の阿佐ヶ谷~高円寺の北側にあった。明治とか大正初期の話なので跡形とか全く残っていないと思われる。
#*千葉工業大学の正門は元の駅の入り口。どんどんのびて、マラソン道路を通過し、最終的には稲毛の轟町あたりまでずっと線路だったらしい。
#**千葉工業大学沿いの津田沼駅近くの歩道には、記念碑みたいなのが立ってます。
#**正確には習志野市道「まろにえ通り」に面している門が正門だが、車両が出入りできない構造であるために実質的にレンガ門が正門。
#*特に前原~新津田沼間のカーブはひどい。線路が「キキーーーッ!」と音を立てるほど。(地図を見てもらえば分かる。)
#*河を渡る橋が一つもないらしい。トンネルも無いらしい。
#駅と駅の間隔が1分~3分と短い。隣の駅が見えたりする。
#*高根公団~高根木戸間は1分すらかからない。
#**もともと、高根公団、北習志野の駅はなかった。高根台団地、習志野台団地の造成とともにできた後付の駅なので習志野-<北習志野>-高根木戸-<高根公団>-滝不動の駅間はどれも短い。
#*みのり台~松戸新田間も1分ジャストぐらい。
#*新鎌ヶ谷~北初富間は直線なので一番、隣の駅が見えやすいと思う。
#*習志野~北習志野は所要時間0.5分。(駅の案内表示より)
#**そこを30分かけて迷いながら歩いた俺が通りますよ。(by旅人)
#*中学生(部活の時)の時に普段乗りなれていた新京成線の感覚で総武線ひと駅区間を歩いたら駅の遠さに驚いた。
#路線が大分くねくねと曲がっているのにずっと立ったままでも気分が悪くならないのが不思議。
#京成津田沼~新津田沼間は単線。
#*この間で、吊り革のダンスが見られる。吊り革が左右に激しく揺れ、網棚の手摺りにぶつかり、もの凄い音を発する。知らない人は超びっくり!
#*所要時間5分。
#*前原から京成津田沼方面に乗ると前原~新津田沼は短いが新津田沼~京成津田沼間がとても長ったらしく感じる。
#*線形が逆S字状。地図を見ればよく分かる。
#矢切-柴又-高砂方面に延長する野望があったようだ。
#*松戸市三矢小台三〜五丁目を地図で見ると、線路予定地の形がはっきり残っている。
#船橋市のほとんどの団地の近くを走っている。
#立体化が恐ろしいくらいに進んでいない。沿線のあちこちで渋滞の元凶となっている。
#京成本線が当初計画された際、現在新京成線が通っている路線(薬園台・習志野駅周辺)を経由して成田につなげる計画だった。しかし、陸軍の習志野演習場が拡張されたため、路線が演習場を横切る形となってしまったことから、大久保に大きく迂回するコースに変更された。
#かつては北初富で[[北総鉄道]]が分岐していて、津田沼方は鎌ヶ谷大仏折り返しだった。北総線の都心直通で一番恩恵を受けたのは、本数が倍以上になった初富駅。


===車両の噂===
==1994年==
[[画像:Shinkeisei 8800.JPG|thumb|240px|VVVF車の先達・8800形(新鎌ヶ谷駅にて)]]
#関西国際空港の開港を機に開通した。
#座席の座りごこちはトップクラス
#*関西空港の利用者数は史実より多くなっていた。
#*電車のスピードはかなり遅い。
#*[[もしあの空港が違う場所に建設されていたら#神戸沖|関西国際空港が神戸に建設されていたら]]間違いなくそうなっていた。
#**しかしあの急カーブだらけの路線を普通の鉄道レベルの速度で運転するために性能は結構イイ。
#**その場合、春日野道あたりから関西空港への路線も同時に建設され、春日野道駅そのものも同時に改良されていた。
#首都圏の並み居る大手私鉄よりも早く、インバータ制御の電車を本格導入していた。
#志摩スペイン村がこの年に開業していたので、三宮発着の臨時列車も運行されていた。
#*その電車の音が[[小田急電鉄|小田急]]の電車みたい・・・(by小田急沿線住民)
#阪神の8000系電車が近鉄乗り入れ対応車両として、製造された。
#**制御器とモーターのメーカーが小田急と同じく[[三菱電機|三菱電機]]だから。
#*むしろ8000系増備は1990年で打ち切りとなり、1991年以降はVVVF車の9000系(現実の9000系とは異なる)にフルモデルチェンジされていた。
#夏は涼しく冬は暖かいという、車内の空調環境は完璧に近い。特に夏のJRから乗り換えたときの空気は格別である。
#**史実の8233F以降が9000系として登場していた。
#カーテンは地元の名産の梨とブドウのマーク。
#近鉄の22000系電車は阪神乗り入れ対応車両として、製造され、予定通り112両が製造された。(史実では、86両が製造された。)
#「あっ、8800系電車だ、8両だ!」と思ったら、6両化した「なんちゃって8800」だった。(悲)
#*22600系電車の登場は史実通り。
#*京成千葉線のホームが8両対応だったらこんなことにならなかったのに。
#南海電鉄は、大阪球場の解体工事を史実より早く取り掛かっていた。また、なんばパークスの開業が史実より早まっていた。
#以前は京成の払い下げ車両、、ばかりでもなく独特な車両進化をした旧型車両が走っていた。戸籍上大正時代産まれの車両もつい20年前まで・・・
#そういえば車内に何故か鏡が設置されていたような
#*多分、全駅にある。身だしなみを整えろってことでww
#**駅じゃなくて車両ね。多分、痴漢防止用じゃないかな。
#***あれは自殺防止用らしい。
#独特の声の車掌が多い。(やけに、こぶしを利かせた声の人とか。)
#8000系に車内自動放送がついた。でも車掌さんの方が味があっていい。
#N800形以外は、他の鉄道会社よりつり革の設置数が極端に少ない。カーブが多く揺れが大きいのに、である。駅のバリアフリー化は一生懸命なのに、乗客の安全には関心がないらしい。


===駅の噂===
==1995年==
#北習志野駅のエレベーター周辺は、2F部分が建設されていないため、エレベーターだけが地面から突き出てしまった格好になっている。
#同年1月17日に発生した[[阪神・淡路大震災]]により本線が被災し、その復旧を優先したため、難波延伸線の開業は翌1996年にずれ込んでいた。
#*駅ビルの建設により、残念ながら解消されてしまった。
#*ダイヤ改正(完全復旧)に合わせて、開業日は1996年3月20日に決定。
#北初富駅は北総鉄道の高架下の脇にあり、([[宇都宮線]]の自治医大・石橋みたいな位置)日当たりも悪いため少々心細くなる。
#*スルッとKANSAIは難波延伸線開業と同時に導入された。
#*そして、自動アナウンスは上記の萩原氏の声では無く何十年も前から使っているような古臭い物である。
#阪神9000系は難波延伸線開業と同時にデビューしていた。
#*関西でいえば東海道新幹線の高架下にあるJR京都線の西大路駅のような感じ。
#この時期になるとドーム前駅設置が考慮されるようになっていた。


====
==1997年==
(京成千葉線/千葉中央←)[[関東の駅/千葉#京成津田沼駅の噂|京成津田沼]]-新津田沼-前原-薬園台-習志野-北習志野-高根木戸-高根公団-滝不動-三咲-二和向台-鎌ヶ谷大仏-初富-新鎌ヶ谷-北初富-くぬぎ山-元山-五香-常盤平-八柱-みのり台-松戸新田-上本郷-[[松戸駅|松戸]]
#近鉄が奈良線にバファローズ応援列車を運行していた。
#*大阪ドームでのバファローズ主催試合開催日には、バファローズのヘッドマークを付けた近鉄車両が奈良〜三宮間を行き来する。
#大阪ドームの初年度来場客が現実より多かった。
#*[[大阪近鉄バファローズ]]の観客数は現実より多く、合併は免れ、せいぜい売却で済んだかも。
#阪神9000系は震災廃車の代替新造分を満たして以降も難波延伸・近鉄乗り入れ用として大量に増備されていた。
#*[[もしあの鉄道車両が実用化されていたら/関西私鉄#1990年代前半に計画されていた新型急行系電車|1990年代前半に計画されていた新型急行系電車]]の構想に近い。
#*近鉄1252系以降の奈良線向け一般車と22000系一部編成は当初から阪神線乗り入れ対応になった。
#**場合によっては近鉄23000系・21020系・80000系は前面非常扉設置・阪神線乗り入れ対応だったかも。
#ドーム前駅は[[大阪市高速電気軌道長堀鶴見緑地線|大阪メトロ長堀鶴見緑地線]]の駅(ドーム前千代崎駅)と同時に建設された。
#*バファローズに配慮して近鉄方面への折り返しが桜川駅ではなくこの駅で対応できるよう建設された。
#**おそらく2面4線(内側2線は難波方面のみ出発可能)、この場合桜川駅西側の引き上げ線は存在しない。
#***阪神と近鉄の運転業務境界はこの駅より西は阪神、東は近鉄になっていた。
#西九条~大阪難波間の建設目的に「[[Wikipedia:ja:第52回国民体育大会|なみはや国体]]関連の交通整備」が入っていた。
#全通1番列車の出発式に「[[Wikipedia:ja:もずやん|モッピー]]」も参加している。
#阪神~山陽直通特急の運行開始がやや早まった可能性も。


{{DEFAULTSORT:しんけいせいてんてつ}}
==2001年==
[[Category:千葉の企業]]
#USJの開業を機に開通した。
[[Category:準大手私鉄]]
#21世紀最初の年ということで、ミレニアム列車が運行された。
[[Category:千葉の鉄道]]
#この年は、大阪近鉄バファローズがリーグ優勝した年なので、観客動員数も史実より多くなっていた。
[[Category:京成グループ]]
#*大阪近鉄バファローズは存続していたか、史実よりも遅れて、身売りしていた。オリックスとの合併はなかった。
#9300系電車は近鉄乗り入れ対応車として、製造された。
#*1000系電車の登場は史実通りだが、製造数が史実より少なくなっていた。
#**あるいは9300系は登場せず、9000系の次が1000系となっていた。
#*近鉄の5820・9020・9820系も。近鉄は5800系あたりから阪神乗り入れを考慮した仕様になっていた。
#2001年3月10日のダイヤ改正を機に開業していた。
#開業の際に、PRのために阪神タイガースと大阪近鉄バファローズの選手と監督が両方起用されていた。
#*大阪近鉄側は、監督の梨田昌孝氏、中村紀洋氏、ローズ氏が起用され、阪神側は、監督の野村克也氏、藪恵壹氏、遠山奬志氏が起用された。
#大阪球場の解体工事となんばパークスの開業が史実より早まっていたかもしれない。(史実では、解体工事は1998年11月から開始され、なんばパークスは2003年10月に第1期部分が開業し、2007年4月に第2期部分が開業し、全館開業した。)
#*阪神なんば線の開業に合わせて、開業していた可能性もある。
 
==2003年==
#この年は阪神タイガース18年ぶりのリーグ優勝があったので、それと合わせて阪神グループにとっては2重の喜びだった。
#*なんば線開通とタイガース優勝があった年として2003年は鉄道ファンにも[[阪神タイガースファン]]にも語り継がれていた。
#*もしこの年の日本シリーズが阪神対近鉄になっていたら、さらに賑わっていた。
#9300系は登場せず、2001年に1000系が登場していた。
#*いや、9300系電車が1998年or1999年頃に登場していたかもしれない。
#2004年or2005年の項目のいずれかが実現していた。
 
==2004年or2005年==
#近鉄21020系電車は阪神乗り入れに対応した車両となり、2005年の愛知万博の開催を機に臨時列車として、神戸三宮までに乗り入れた。
#*2005年を機に、名阪特急の利用客が史実よりも多くなっていたかもしれない。
#*近鉄の「愛・地球博 割引きっぷ」が阪神沿線でも販売されていた。
#大阪近鉄バファローズは存続していたか、史実よりも遅れて、身売りしていた。
#*オリックスとの合併はなく、プロ野球再編問題は起こらなかったかもしれない。
#1000系電車は史実より早く登場していた。
#*9300系電車の登場は史実通り。
#2005年3月25日or3月18日に開業していた。
#*2004年3月19日or3月20日に開業していた可能性もある。
#駐米スカウトをやっていたトーマス・オマリー氏が開業告知のポスター・CMに出演していた。
#なんばパークスの全館開業が史実より早まっていた。
#*マルイト難波ビルの竣工も史実よりも早まっていた。
#史実通りに翌年に阪急HDと統合した場合、大阪難波駅でも、宝塚歌劇団の広告が掲載されていたかもしれない。
#尼崎~神戸三宮間において、快速急行の8両編成での運行が2016年頃に早まっていた。
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2021年1月19日 (火) 16:18時点における版

2009年3月20日に開業した阪神なんば線。この路線は戦後すぐに計画され、高度成長期に一部区間の着工までこぎつけたものの沿線の反対により一旦工事が中断され、平成になって第三セクターで工事が再開されるという経緯をたどりました。もし…

昭和40年代

この路線が予定通り昭和40年代に実現していたらどうなっていただろうかを検証します。

さくらがわ
桜川
SAKURAGAWA
おおさかドームまえ ←→ きんてつなんば
  1. 地下鉄千日前線は建設されていなかった。
    • 現実に市は近鉄難波線と競って建設したわけですから、阪神とも競っただけではないかと。
    • 地下鉄今里筋線は今里からは南巽へと曲がって建設された。
    • 四つ橋線難波駅は今も「難波元町」駅のまま。
  2. 阪神なんば線のルートは現実とは異なり、九条から桜川までの間に駅は建設されなかった。
    • しかし1997年の大阪ドームオープンに伴い「大阪ドーム前」駅を新設。
      • 但し場所は異なっていた。
    • 近鉄に配慮して、九条駅に「大阪ドーム前」の副駅名がついた可能性もある。長堀鶴見緑地線開業後はどうなるか分からないが。
    • どっちにしろ大阪近鉄バファローズの観客数は現実より多く、合併は免れ、せいぜい売却で済んだかも。近鉄沿線からもアクセスしやすいし。
  3. 阪神3801系は20m4扉車となり、大量増備されていた。
    • あるいは「2000系」とかいう形式が与えられていた。
  4. 近鉄側は8000系が阪神乗り入れ仕様となっていた。
  5. 千鳥橋駅は2面4線の退避可能駅となり、なんば線内で追い越しが行われていた。
    • 三宮~近鉄奈良間の快速急行は尼崎~大阪難波間で西九条と九条のみに停車していた。
      • 乗務員交代駅の桜川を足して、桜川・九条・西九条のみに停車。
    • 山陽との直通がその分、軽視された可能性も。未だに阪急とも直通していたり…
  6. 阪神・淡路大震災後もJRに客を取られることはなかった。
    • 梅田方面ではなく今では難波方面への輸送がメインになっている。
    • 阪神電鉄自体の業績も現実よりは良かったことが考えられるので、球団にお金をかけることができた。その結果1990年代の暗黒時代は到来しなかった可能性もある。
      • 1985~2003年の間に何度かリーグ優勝しているかも。特に1992年は優勝していた可能性が高い。
  7. 村○ファンドによる株買い占めの後、阪急ではなく近鉄と経営統合していた。
    • ますます西の京急感が強まる。
  8. 阪神本線の尼崎~西宮間は1980年代に複々線化される。
    • 同時に高架化も行われていた。
    • 甲子園駅の改良工事も並行して行われていた。
  9. 近鉄18200・18400系は1976年以降、三宮-賢島の神伊特急に転用されていた(大和八木以東は京伊特急と併結)。
    • さらに山陽姫路まで直通していた。
  10. なんば線が開業した直後は三宮~奈良間の直通運転は行われず、阪神側からは当時三宮~西九条間を運行していたN特急を近鉄線内各駅停車で瓢箪山まで延長、近鉄側からは奈良線快速急行が尼崎まで延長運転される。
    • 三宮~奈良間の直通快速急行は1990年代後半に運転開始する。
  11. 阪神春日野道駅の狭いホームを近鉄電車が通過していた。
    • または近鉄乗り入れを機に春日野道駅を大改造していた。
  12. 西九条~九条間の高架区間の防音シェルターは設置されなかった。
    • そのため大阪市内が一望でき、九条手前の地下に潜る部分では前方に地下鉄中央線を見ることができる。
  13. 阪神大震災で、近鉄車両も被災していた。
    • 復旧中は、近鉄から車両を借り受けて運行を行った可能性もある。
  14. そもそも路線名は阪神なんば線ではなかった。
    • 近鉄に倣って「難波線」とするか、あるいは「西大阪線」のままだった。
  15. 加算運賃がなかった。
    • 近鉄難波線同様、90年代までに建設費償還が終わっている。
  16. 阪神タイガースが昭和末期でも大阪球場で公式戦を行っていた(特に夏の高校野球期間中など)。
    • 代わりに西宮球場を利用することが無くなっていた。
  17. 梅田-姫路の直通特急がもっと早く登場していた他、奈良からの快速急行も新開地発着となり、阪急は高速神戸より西に入れなくなっていた。
    • 阪急は市営地下鉄との直通を早い段階で検討し、神戸高速鉄道の高速神戸~阪急三宮間は開業しなかったか、短期で廃線となった。
      • 市営地下鉄との直通が実現していた場合、西灘(現王子公園)~三宮間は新神戸駅経由となり、春日野道駅経由の路線は廃止されていた。
      • 明石海峡大橋は鉄道道路併用橋となり、神戸市営地下鉄の名谷~鳴門間に本四連絡鉄道が建設されていた。そして阪急梅田~徳島間に直通特急が運転されていた。
      • 阪急六甲駅での衝突事故は起こらなかったかも。
  18. 近鉄難波駅は「近鉄・阪神難波」駅になっていた。
    • あるいは単に「難波」駅になっていたかも。
  19. 初代あおぞら号は山陽乗り入れ対応で製造、播州地域の学生は山陽-(高速-阪神-)近鉄で伊勢方面へ修学旅行に向かっていた。そのため草津線経由修学旅行臨は国鉄時代の早い時期に廃止になっている。
    • 山陽-近鉄による伊勢志摩方面のアクセス強化は草津線の優等列車廃止も早める結果となり、結果草津線は京阪神近郊の通勤路線として早くから発展する結果となる。その為、現在では草津線直通の新快速が運転されているほか、信楽線も3セク化されていない。信楽線脱線事故なんて当然発生していない。
    • 20000系「楽」も。山陽・阪神沿線から伊勢などへの団体旅行に使われていた。
  20. 1980年代前半には近鉄特急の本格的な山陽乗り入れも開始、その後バブルに乗じて乗客数は右肩上がりも、バブル崩壊など不況で衰退に傾く。しかし現在もある程度のフリークエンシー性を保った範囲での本数が確保されている。
    • 阪神大震災の際、神戸高速線は近鉄特急乗り入れの関係で通過できる車両限界に影響を与えない範囲で工事を行なわなければならなかったため、復旧工事はかなりの難工事となった。
      • この事が神戸高速の経営に深刻な打撃を与え、90年代後半には完全な第三種鉄道事業者に転ずる。結果山陽・阪急・阪神間で高速線路線の再分配が行なわれ運賃が安くなっていた。
    • あるいは運賃+料金と所要時間でJR新快速に対抗できないため、これを機に近鉄特急の山陽乗り入れを廃止し、三宮までに短縮されていた。
  21. 南海汐見橋線は現在のような状況にまでは衰退せず、南海電鉄がなにわ筋線に活路を求める事も無かった。なにわ筋線事業がJRの単独で計画が進行していた可能性もある。
    • アメリカ村は桜川駅周辺にまで広がり、桜川が堀江と一体で若者の街として発展していた可能性もある。
    • 南海は単独で汐見橋から梅田方面へ延伸していたかも。
  22. 三宮―大阪難波間の所要時間がもっと短縮されていた。
    • 三宮―西九条間にN特急が運行されていた時期、同区間の所要時間は25分であった。西九条-大阪難波間でドーム前と桜川を通過とすると三宮―大阪難波間の所要時間は32~33分くらいだった可能性がある。
  23. ただでさえラッシュ時に混雑する近鉄奈良線の輸送量が限界に達したことから、近鉄東大阪線(現けいはんな線)の生駒以西は1970年代後半には開業していた。
    • 生駒―学研奈良登美ヶ丘間も1990年代のうちに開業。場合によれば当初の計画通り高の原まで延伸されているか、関西文化学術研究都市の中心部への乗り入れを果たしていた。
  24. 1981年の「ポートピア81」の時には近鉄車両もヘッドマークを付けて運行された。
    • 名古屋―三宮間に臨時特急も運転された。
  25. 西九条が現実よりも早く乗り換えターミナルとして注目されていた。
    • 商業地としても現実より発展していたかもしれない。場合によっては京橋周辺の「ヒガシ」に対し「ニシ」と呼ばれていた。
    • 京阪中之島線も当初から天満橋~西九条間の路線として建設されていた。場合によってはこちらも阪神に乗り入れていたかも?
  26. 3・3・SUNフリーきっぷは南海・近鉄・名鉄ではなく阪神・近鉄・名鉄の3社が利用可能となっていた。
    • エリア拡大版の「ワイド3・3・SUNフリーきっぷ」の方が山陽電鉄もエリアに含まれていた。
  27. アーバンライナーや伊勢志摩ライナーの車両は阪神乗り入れに対応した前面貫通式の車両になっていたかもしれない。
    • むしろトンネル側が非貫通車両の営業列車を通せる規格で作られていた。
  28. なんば線の淀川橋梁は1980~90年代のうちに架け替えられていた。
    • 同時に大物~千鳥橋の高架化と神崎川・左門殿川橋梁のかさ上げも行われていた。
  29. 山陽電鉄の駅のホーム案内に「奈良方面」の文字が加えられていた。

1980年代

  1. 1981年3月、1985年3月、1988年3月のいずれかに開業していた。
    • 1981年3月の場合、神戸ポートアイランド博覧会の開催に合わせて、開業した。
    • 1985年3月の場合、ユニバーシアード神戸大会の開催に合わせて、開業した。
  2. 1985年3月の場合、この年が阪神タイガースが日本一になった年でもあるので、阪神グループにとって、輝かしい年になっていた。
  3. 8000系電車が近鉄乗り入れ対応の車両となり、史実より多く製造された。
    • 9000系電車と1000系電車の登場は史実通り。
    • 1988年開業の場合、8000系はVVVFインバータ制御車となっていた。
      • 阪神におけるVVVF車の登場が10年早まっていた。
  4. 東大阪市の花園中央公園に近鉄花園野球場が開場した場合、そこが近鉄バファローズの本拠地となり、観客動員数が史実より多くなっていた。
  5. 1988年になら・シルクロード博覧会が開催されたことに合わせて、臨時列車が運行されていた。
  6. 路線名は「阪神西大阪線」になっていた。

1990年

  1. 阪神8000系は近鉄乗り入れ対応のVVVF車となっていた。
  2. 開業したのがバブル期ということもあり、姫路―賢島間にリゾート特急が運行されていた。
    • 「伊勢志摩ライナー」はこの時に登場していた。もちろん阪神乗り入れ対応。
      • パルケエスパーニャの入場者数も現実以上になり、のちの近鉄グループの経営難がもう少しマシになっていただろう。
    • 「アーバンライナー」も難波〜名古屋だけでなく、三宮〜名古屋や姫路〜名古屋での運行があったかもしれない。
  3. 奈良-三宮間運転の快速急行は名鉄特急と同じような自由席車6~8両+指定席車2両編成となっていた。
  4. 同年大阪の鶴見緑地で開催されていた国際花と緑の博覧会(花博)が開業のきっかけになっていた。

1994年

  1. 関西国際空港の開港を機に開通した。
    • 関西空港の利用者数は史実より多くなっていた。
    • 関西国際空港が神戸に建設されていたら間違いなくそうなっていた。
      • その場合、春日野道あたりから関西空港への路線も同時に建設され、春日野道駅そのものも同時に改良されていた。
  2. 志摩スペイン村がこの年に開業していたので、三宮発着の臨時列車も運行されていた。
  3. 阪神の8000系電車が近鉄乗り入れ対応車両として、製造された。
    • むしろ8000系増備は1990年で打ち切りとなり、1991年以降はVVVF車の9000系(現実の9000系とは異なる)にフルモデルチェンジされていた。
      • 史実の8233F以降が9000系として登場していた。
  4. 近鉄の22000系電車は阪神乗り入れ対応車両として、製造され、予定通り112両が製造された。(史実では、86両が製造された。)
    • 22600系電車の登場は史実通り。
  5. 南海電鉄は、大阪球場の解体工事を史実より早く取り掛かっていた。また、なんばパークスの開業が史実より早まっていた。

1995年

  1. 同年1月17日に発生した阪神・淡路大震災により本線が被災し、その復旧を優先したため、難波延伸線の開業は翌1996年にずれ込んでいた。
    • ダイヤ改正(完全復旧)に合わせて、開業日は1996年3月20日に決定。
    • スルッとKANSAIは難波延伸線開業と同時に導入された。
  2. 阪神9000系は難波延伸線開業と同時にデビューしていた。
  3. この時期になるとドーム前駅設置が考慮されるようになっていた。

1997年

  1. 近鉄が奈良線にバファローズ応援列車を運行していた。
    • 大阪ドームでのバファローズ主催試合開催日には、バファローズのヘッドマークを付けた近鉄車両が奈良〜三宮間を行き来する。
  2. 大阪ドームの初年度来場客が現実より多かった。
  3. 阪神9000系は震災廃車の代替新造分を満たして以降も難波延伸・近鉄乗り入れ用として大量に増備されていた。
    • 1990年代前半に計画されていた新型急行系電車の構想に近い。
    • 近鉄1252系以降の奈良線向け一般車と22000系一部編成は当初から阪神線乗り入れ対応になった。
      • 場合によっては近鉄23000系・21020系・80000系は前面非常扉設置・阪神線乗り入れ対応だったかも。
  4. ドーム前駅は大阪メトロ長堀鶴見緑地線の駅(ドーム前千代崎駅)と同時に建設された。
    • バファローズに配慮して近鉄方面への折り返しが桜川駅ではなくこの駅で対応できるよう建設された。
      • おそらく2面4線(内側2線は難波方面のみ出発可能)、この場合桜川駅西側の引き上げ線は存在しない。
        • 阪神と近鉄の運転業務境界はこの駅より西は阪神、東は近鉄になっていた。
  5. 西九条~大阪難波間の建設目的に「なみはや国体関連の交通整備」が入っていた。
  6. 全通1番列車の出発式に「モッピー」も参加している。
  7. 阪神~山陽直通特急の運行開始がやや早まった可能性も。

2001年

  1. USJの開業を機に開通した。
  2. 21世紀最初の年ということで、ミレニアム列車が運行された。
  3. この年は、大阪近鉄バファローズがリーグ優勝した年なので、観客動員数も史実より多くなっていた。
    • 大阪近鉄バファローズは存続していたか、史実よりも遅れて、身売りしていた。オリックスとの合併はなかった。
  4. 9300系電車は近鉄乗り入れ対応車として、製造された。
    • 1000系電車の登場は史実通りだが、製造数が史実より少なくなっていた。
      • あるいは9300系は登場せず、9000系の次が1000系となっていた。
    • 近鉄の5820・9020・9820系も。近鉄は5800系あたりから阪神乗り入れを考慮した仕様になっていた。
  5. 2001年3月10日のダイヤ改正を機に開業していた。
  6. 開業の際に、PRのために阪神タイガースと大阪近鉄バファローズの選手と監督が両方起用されていた。
    • 大阪近鉄側は、監督の梨田昌孝氏、中村紀洋氏、ローズ氏が起用され、阪神側は、監督の野村克也氏、藪恵壹氏、遠山奬志氏が起用された。
  7. 大阪球場の解体工事となんばパークスの開業が史実より早まっていたかもしれない。(史実では、解体工事は1998年11月から開始され、なんばパークスは2003年10月に第1期部分が開業し、2007年4月に第2期部分が開業し、全館開業した。)
    • 阪神なんば線の開業に合わせて、開業していた可能性もある。

2003年

  1. この年は阪神タイガース18年ぶりのリーグ優勝があったので、それと合わせて阪神グループにとっては2重の喜びだった。
    • なんば線開通とタイガース優勝があった年として2003年は鉄道ファンにも阪神タイガースファンにも語り継がれていた。
    • もしこの年の日本シリーズが阪神対近鉄になっていたら、さらに賑わっていた。
  2. 9300系は登場せず、2001年に1000系が登場していた。
    • いや、9300系電車が1998年or1999年頃に登場していたかもしれない。
  3. 2004年or2005年の項目のいずれかが実現していた。

2004年or2005年

  1. 近鉄21020系電車は阪神乗り入れに対応した車両となり、2005年の愛知万博の開催を機に臨時列車として、神戸三宮までに乗り入れた。
    • 2005年を機に、名阪特急の利用客が史実よりも多くなっていたかもしれない。
    • 近鉄の「愛・地球博 割引きっぷ」が阪神沿線でも販売されていた。
  2. 大阪近鉄バファローズは存続していたか、史実よりも遅れて、身売りしていた。
    • オリックスとの合併はなく、プロ野球再編問題は起こらなかったかもしれない。
  3. 1000系電車は史実より早く登場していた。
    • 9300系電車の登場は史実通り。
  4. 2005年3月25日or3月18日に開業していた。
    • 2004年3月19日or3月20日に開業していた可能性もある。
  5. 駐米スカウトをやっていたトーマス・オマリー氏が開業告知のポスター・CMに出演していた。
  6. なんばパークスの全館開業が史実より早まっていた。
    • マルイト難波ビルの竣工も史実よりも早まっていた。
  7. 史実通りに翌年に阪急HDと統合した場合、大阪難波駅でも、宝塚歌劇団の広告が掲載されていたかもしれない。
  8. 尼崎~神戸三宮間において、快速急行の8両編成での運行が2016年頃に早まっていた。