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*[[東京急行電鉄]]
2009年3月20日に開業した[[阪神なんば線]]。この路線は戦後すぐに計画され、高度成長期に一部区間の着工までこぎつけたものの沿線の反対により一旦工事が中断され、平成になって第三セクターで工事が再開されるという経緯をたどりました。もし…
==昭和40年代==
この路線が予定通り昭和40年代に実現していたらどうなっていただろうかを検証します。
{{駅名標/阪神1|name=桜川|ruby=さくらがわ|roma=SAKURAGAWA|next=<font size=1>きんてつ</font>なんば|back=<font size=1>おおさか</font>ドームまえ}}
#[[大阪市高速電気軌道千日前線|地下鉄千日前線]]は建設されていなかった。
#*現実に市は近鉄難波線と競って建設したわけですから、阪神とも競っただけではないかと。
#*[[大阪市高速電気軌道今里筋線|地下鉄今里筋線]]は今里からは南巽へと曲がって建設された。
#*[[大阪市高速電気軌道四つ橋線|四つ橋線]][[難波駅#大阪難波駅(近鉄・阪神)|難波駅]]は今も「難波元町」駅のまま。
#阪神なんば線のルートは現実とは異なり、九条から桜川までの間に駅は建設されなかった。
#*しかし1997年の[[大阪ドーム]]オープンに伴い「大阪ドーム前」駅を新設。
#**但し場所は異なっていた。
#*近鉄に配慮して、九条駅に「大阪ドーム前」の副駅名がついた可能性もある。長堀鶴見緑地線開業後はどうなるか分からないが。
#*どっちにしろ[[大阪近鉄バファローズ]]の観客数は現実より多く、合併は免れ、せいぜい売却で済んだかも。近鉄沿線からもアクセスしやすいし。
#**[[阪神タイガース]]との試合が実現すれば「なんば線ダービー」と呼ばれる。
#阪神3801系は20m4扉車となり、大量増備されていた。
#*あるいは「2000系」とかいう形式が与えられていた。
#近鉄側は8000系が阪神乗り入れ仕様となっていた。
#千鳥橋駅は2面4線の退避可能駅となり、なんば線内で追い越しが行われていた。
#*三宮~近鉄奈良間の快速急行は尼崎~大阪難波間で西九条と九条のみに停車していた。
#**乗務員交代駅の桜川を足して、桜川・九条・西九条のみに停車。
#*山陽との直通がその分、軽視された可能性も。未だに阪急とも直通していたり…
#[[阪神・淡路大震災]]後もJRに客を取られることはなかった。
#*梅田方面ではなく今では難波方面への輸送がメインになっている。
#*阪神電鉄自体の業績も現実よりは良かったことが考えられるので、[[阪神タイガース|球団]]にお金をかけることができた。その結果1990年代の暗黒時代は到来しなかった可能性もある。
#**1985~2003年の間に何度かリーグ優勝しているかも。特に1992年は優勝していた可能性が高い。
#村○ファンドによる株買い占めの後、[[阪急電鉄|阪急]]ではなく[[近畿日本鉄道|近鉄]]と経営統合していた。
#*ますます西の京急感が強まる。
#阪神本線の尼崎~西宮間は1980年代に複々線化される。
#*同時に高架化も行われていた。
#*[[甲子園駅]]の改良工事も並行して行われていた。
#近鉄18200・18400系は1976年以降、三宮-賢島の神伊特急に転用されていた(大和八木以東は京伊特急と併結)。
#*さらに山陽姫路まで直通していた。
#なんば線が開業した直後は三宮~奈良間の直通運転は行われず、阪神側からは当時三宮~西九条間を運行していたN特急を近鉄線内各駅停車で瓢箪山まで延長、近鉄側からは奈良線快速急行が尼崎まで延長運転される。
#*三宮~奈良間の直通快速急行は1990年代後半に運転開始する。
#阪神春日野道駅の狭いホームを近鉄電車が通過していた。
#*または近鉄乗り入れを機に春日野道駅を大改造していた。
#西九条~九条間の高架区間の防音シェルターは設置されなかった。
#*そのため大阪市内が一望でき、九条手前の地下に潜る部分では前方に地下鉄中央線を見ることができる。
#阪神大震災で、近鉄車両も被災していた。
#*復旧中は、近鉄から車両を借り受けて運行を行った可能性もある。
#そもそも路線名は阪神なんば線ではなかった。
#*近鉄に倣って「難波線」とするか、あるいは「西大阪線」のままだった。
#加算運賃がなかった。
#*近鉄難波線同様、90年代までに建設費償還が終わっている。
#[[阪神タイガース]]が昭和末期でも大阪球場で公式戦を行っていた(特に夏の高校野球期間中など)。
#*代わりに西宮球場を利用することが無くなっていた。
#梅田-姫路の直通特急がもっと早く登場していた他、奈良からの快速急行も新開地発着となり、阪急は高速神戸より西に入れなくなっていた。
#*阪急は市営地下鉄との直通を早い段階で検討し、神戸高速鉄道の高速神戸~阪急三宮間は開業しなかったか、短期で廃線となった。
#**市営地下鉄との直通が実現していた場合、西灘(現王子公園)~三宮間は新神戸駅経由となり、春日野道駅経由の路線は廃止されていた。
#**[[神戸淡路鳴門自動車道#明石海峡大橋|明石海峡大橋]]は鉄道道路併用橋となり、神戸市営地下鉄の名谷~鳴門間に本四連絡鉄道が建設されていた。そして阪急梅田~徳島間に直通特急が運転されていた。
#**[[もしあの鉄道事故が○○だったら/1990年代以前#阪急六甲駅衝突事故|阪急六甲駅での衝突事故は起こらなかったかも。]]
#近鉄難波駅は「近鉄・阪神難波」駅になっていた。
#*あるいは単に「難波」駅になっていたかも。
#初代あおぞら号は山陽乗り入れ対応で製造、播州地域の学生は山陽-(高速-阪神-)近鉄で伊勢方面へ修学旅行に向かっていた。そのため草津線経由[[修学旅行]]臨は[[日本国有鉄道|国鉄]]時代の早い時期に廃止になっている。
#*山陽-近鉄による伊勢志摩方面のアクセス強化は草津線の優等列車廃止も早める結果となり、結果草津線は京阪神近郊の通勤路線として早くから発展する結果となる。その為、現在では草津線直通の新快速が運転されているほか、信楽線も3セク化されていない。信楽線脱線事故なんて当然発生していない。
#*20000系「楽」も。山陽・阪神沿線から伊勢などへの団体旅行に使われていた。
#1980年代前半には近鉄特急の本格的な山陽乗り入れも開始、その後バブルに乗じて乗客数は右肩上がりも、バブル崩壊など不況で衰退に傾く。しかし現在もある程度のフリークエンシー性を保った範囲での本数が確保されている。
#*阪神大震災の際、神戸高速線は近鉄特急乗り入れの関係で通過できる車両限界に影響を与えない範囲で工事を行なわなければならなかったため、復旧工事はかなりの難工事となった。
#**この事が神戸高速の経営に深刻な打撃を与え、90年代後半には完全な第三種鉄道事業者に転ずる。結果山陽・阪急・阪神間で高速線路線の再分配が行なわれ運賃が安くなっていた。
#*あるいは運賃+料金と所要時間でJR[[新快速 (JR西日本)|新快速]]に対抗できないため、これを機に近鉄特急の山陽乗り入れを廃止し、三宮までに短縮されていた。
#[[南海電気鉄道|南海]]汐見橋線は現在のような状況にまでは衰退せず、南海電鉄がなにわ筋線に活路を求める事も無かった。なにわ筋線事業がJRの単独で計画が進行していた可能性もある。
#*[[大阪市/中央区#アメリカ村|アメリカ村]]は桜川駅周辺にまで広がり、桜川が堀江と一体で若者の街として発展していた可能性もある。
#*南海は単独で汐見橋から梅田方面へ延伸していたかも。
#三宮―大阪難波間の所要時間がもっと短縮されていた。
#*三宮―西九条間にN特急が運行されていた時期、同区間の所要時間は25分であった。西九条-大阪難波間でドーム前と桜川を通過とすると三宮―大阪難波間の所要時間は32~33分くらいだった可能性がある。
#ただでさえラッシュ時に混雑する近鉄奈良線の輸送量が限界に達したことから、近鉄東大阪線(現けいはんな線)の生駒以西は1970年代後半には開業していた。
#*生駒―学研奈良登美ヶ丘間も1990年代のうちに開業。場合によれば当初の計画通り高の原まで延伸されているか、関西文化学術研究都市の中心部への乗り入れを果たしていた。
#1981年の「[[wikipedia:ja:神戸ポートアイランド博覧会|ポートピア81]]」の時には近鉄車両もヘッドマークを付けて運行された。
#*名古屋―三宮間に臨時特急も運転された。
#[[大阪市/此花区#西九条の噂|西九条]]が現実よりも早く乗り換えターミナルとして注目されていた。
#*商業地としても現実より発展していたかもしれない。場合によっては[[京橋 (大阪)|京橋]]周辺の「ヒガシ」に対し「ニシ」と呼ばれていた。
#*[[京阪中之島線]]も当初から天満橋~西九条間の路線として建設されていた。場合によってはこちらも阪神に乗り入れていたかも?
#[[wikipedia:ja:3・3・SUNフリーきっぷ|3・3・SUNフリーきっぷ]]は南海・近鉄・名鉄ではなく阪神・近鉄・名鉄の3社が利用可能となっていた。
#*エリア拡大版の「ワイド3・3・SUNフリーきっぷ」の方が[[山陽電気鉄道|山陽電鉄]]もエリアに含まれていた。
#アーバンライナーや伊勢志摩ライナーの車両は阪神乗り入れに対応した前面貫通式の車両になっていたかもしれない。
#*むしろトンネル側が非貫通車両の営業列車を通せる規格で作られていた。
#なんば線の淀川橋梁は1980~90年代のうちに架け替えられていた。
#*同時に大物~千鳥橋の高架化と神崎川・左門殿川橋梁のかさ上げも行われていた。
#山陽電鉄の駅のホーム案内に「奈良方面」の文字が加えられていた。


==目黒線の噂==
==1980年代==
[[画像:10Q3104F00.jpg|frame|3000系電車(新丸子駅にて)]]
#1981年3月、1985年3月、1988年3月のいずれかに開業していた。
#浦和美園行きと西高島平行きが交互に来ます。
#*1981年3月の場合、神戸ポートアイランド博覧会の開催に合わせて、開業した。
#*鳩ヶ谷行きは来ないのでしょうか。
#*1985年3月の場合、ユニバーシアード神戸大会の開催に合わせて、開業した。
#*急行運転が始まって微妙に交互じゃなくなった。つか大して長くないのでいらない。
#1985年3月の場合、この年が阪神タイガースが日本一になった年でもあるので、阪神グループにとって、輝かしい年になっていた。
#*ていうか急行より「抜かれない各駅停車」のほうが混んでいる。
#8000系電車が近鉄乗り入れ対応の車両となり、史実より多く製造された。
#*日吉、菊名延伸時に急行運転が効いてきそうです。
#*9000系電車と1000系電車の登場は史実通り。
#**緩急接続できる駅が目黒に近い武蔵小山しかないので、急行の速達効果は薄いよ。
#*1988年開業の場合、8000系はVVVFインバータ制御車となっていた。
#*菊名までの延伸はしないような…
#**阪神におけるVVVF車の登場が10年早まっていた。
#**菊名じゃなく、東部方面線で新横浜だな。
#東大阪市の花園中央公園に近鉄花園野球場が開場した場合、そこが近鉄バファローズの本拠地となり、観客動員数が史実より多くなっていた。
#「目黒線の[[日吉]]延伸は[[慶應義塾大学]]のためだ」(←三田校舎と日吉・矢上校舎が直結する為)という噂が絶えない。
#1988年になら・シルクロード博覧会が開催されたことに合わせて、臨時列車が運行されていた。
#*御成門校舎、さらに東部方面線乗り入れによって藤沢校舎もですね。
#路線名は「阪神西大阪線」になっていた。
#*医学部校舎も一応四谷だからつながる。完全に慶應線だな。慶應生は別に校舎間の移動なんてめったにしないけど。
#**三田-日吉の需要はそこそこあるよ。
#*[[京王電鉄]]に移管したら面白そう。
#*東横線が副都心線、東武東上線と相互乗り入れを始めると、日吉と志木までもが一本で結ばれることになる。志木行きという表示を目にすることも多くなるだろうね。
#*日吉発の目黒線を使うのは東工大生とか。その先の南北線直通であれば明治学院、上智、法政、理科大など。3,4年の慶応生は三田線直通を使う。
#[[埼玉スタジアム2002]]と等々力緑地も南北線経由で直結しているためサッカーファンにはたまらない。
#*水道橋、後楽園で[[東京ドーム]]へも便利。
#*2006年に[[埼玉高速鉄道]]が浦和レッズのステッカーを貼った列車を走らせたことで優勝争いをしていた[[川崎フロンターレ|川崎]]のホームの等々力までやって来るため、抗議のメールが来たとか。
#直通運転が始まって大分経つが、今も「浦和美園」と「西高島平」が一体どの辺りなのか把握出来ていない。
#*行ってみることをオススメします。
#*三田線と南北線の都心部での走る位置を考えると、浦和美園=浦和の西の方、西高島平=川口市あたり、と思っている人が多そう。
#**さいたま市誕生で浦和の知名度が落ちると、浦和美園=板橋区あたりと思う人が増えるかも。
#***[[浦和レッドダイヤモンズ]]がある間は大丈夫。いろんな意味で埼玉の象徴だから。
#**ちなみに西高島平は板橋区の西の端。ちなみにこの駅の目と鼻の先は埼玉県。
#一応「[[東急東横線|東横線]]の混雑緩和」が第一の目的だったが、あまりその役目を果たせていない。
#*東急線内の表定速度アップ希望です。武蔵小杉、大岡山、目黒のみ停車の特急運転をして欲しい。
#**どこで各停を追い抜くの?
#**多摩川を通過したら多摩川線沿線の元目蒲線ユーザーが不憫すぎる。
#*目黒線の利用者は急増して地下鉄直通客もたくさんいるけど東横線の利用者も再び増加傾向にある。客のシフトはしてるけど東横線や目黒線の利用者がシフトする人数と同じくらい増えてるってことかな
#*日吉延伸はそれなりの効果があったようで
#[[東急多摩川線]]沿線住民は今も目蒲線の分離に納得していない。
#*やむをえません。
#*中間駅利用者数は今もお互いほぼ同じ(平均19000人)なのにね。
#その昔目蒲線は緑の可愛い電車だった。
#*1989年に廃車になりました。
#**もっと昔は暗いツートンカラーでした。
#***紺色とオレンジ。廃車直前にこのカラーに戻った車両があった。
#****さらに昔はダークグリーン。
#*目蒲線と今の目黒線はJR化後の[[福知山線]]みたいな変化をしていると思う。
#地下に入ったり出たりと目まぐるしい
#*田園調布付近、大岡山付近、洗足~不動前手前、目黒手前が地下。15キロもないのに4回も出入りしている。
#*武蔵小杉から先も、地上に下りて、また上って東横線の間に入るゴチャゴチャ構造になるらしい。
#実は車両や混雑度、便利度からいって東京で最も良いといっても過言ではない
#*マイナーな路線だった時代の名残で、沿線に延々と大岡山辺りまで延々と下町が広がっている。
#**仕方ない。目黒~蒲田直通の目蒲線時代が長かったんだから。
#2006年9月改正で急行が新設され、同時に日中の目黒折り返しが復活。
#*気づいたら急行が来ても違和感がなくなっている。
#**目黒で折り返すくらいなら、白金高輪折り返しの地下鉄とつなげても良いような気もする(急行と続行運転になっちゃうけど・・・)
#***夢叶いましたね。
#**池上線にも急行が欲しい。
#***待避が作れないだろ…
#車内放送の英語アナウンス、駅名のところだけ日本語式の発音。あれで外国の人に通じるのだろうか。
#*たぶん、外国人の多くは英語より日本語の発音の方が分かりやすいはず。
#*[[wikipedia:ja:クリステル・チアリ|クリステル・チアリ]]が声を当てている。[[東日本旅客鉄道|JR東日本]]等一部事業者を除いてこの人が当てている英語放送の駅名部分は日本語式発音。
#実はワンマンカー。
#新横浜からは熱烈なラブコールが送られている。
#*そうなったら「埼玉スタジアム」→「日産スタジアム」直通となる。横浜での試合に[[浦和レッドダイヤモンズ|レッズ]]サポーターが2~3編成はジャックしそう。
#**ぜひしてくれ(横浜線利用者)
#**目黒線が乗り入れるかわからないが、新横浜経由羽沢方面行きの新線建設が決定したので新横浜乗り入れも現実的になってきた。
#武蔵小山の乗降人数が他の乗り換え無し駅に比べて半端無い気がする。大岡山方面から来た電車なんて特に。西小山で1つのドアから3人程度だったら武蔵小山だと15人近く降りることが普通だし。
#*各停と急行の連絡駅だからな.
#**たとえば、急行浦和美園行きに乗っていたとして、三田線利用したい人は、そのまま乗り続けても結局白金高輪で西高島平行きを待たなければいけない.それなら武蔵小山で乗り換えた方が待たなくていいし混まないからと考えて乗り換える人が多い.
#急行が西小山を通過するときは台風並みの風がふく。西小山は武蔵小山・洗足それぞれからの谷底に駅があるためスピードがつきやすい。上下同時通過となったら最悪。ちなみに地上への風の流路は階段1つしかない。
#昔は荷物電車が走っていた。
#1998年夏まで、西小山の駅は自動改札じゃなかった。10年でここまで立派になった駅もめずらしい。
#日中の急行、いくらなんでも本数少ないような・・・。これじゃ使いたくてもなかなか使えない。
#*日吉延伸後は、2本/hから4本/hに増えるらしいよ。
#**増えました。
#直通運転を開始してから、鳩ヶ谷ゆきや浦和美園ゆきが誕生したが、どこにあるのかわからずに乗っている客は結構多い。
#*西高島平行きを忘れてないか?
#南北線等と同じ発車メロディはあるっちゃあるが、途中で切られることが多い。
#*それは車両から流れる。南北線内車両から流れるケースもある。
#日吉に延長してからというもの、日吉駅での急行の発車時刻と特急の通過時刻がほぼ同時なので15分おき東横特急と目黒線急行が熾烈なデッドヒートを繰り広げている。
#*その列車のそれぞれ1本前の各停の接続の悪さときたら。東横線各停が日吉に到着した瞬間に目黒線のドアが閉まるんだから。田園調布までに接続を取ってくれる運転士もいるが、取ってくれない人もいるし。
#**目黒線急行と東横特急は武蔵小杉で接続するので、鳩ヶ谷市や板橋区から横浜に遊びに行くのが便利になった。
#***東横特急'''「なんだぁ目黒線のくせに生意気な」うりゃぁぁ''' 目黒線急行'''「9000のポンコツがぁ 加減速の違いを見せてやるぜ」ATOブチッ''' 元住吉爆走し高速通過
#****目黒線はATOじゃなくて'''TASC'''なんだが。
#****そしてその電車バトルを元住吉で観戦する日比谷線直通の03系。
#****副都心線と東横線が直通運転始めたら、元住吉でメトロ10000とメトロ03とメトロ9000が並ぶ・・・と思ったら日比直廃止のお知らせ。
#下りラッシュ時は東横線優等列車との接続が田園調布、武蔵小杉、日吉とでバラバラに取るため、ちゃんと東横ホームを見ておかないと優等列車を1本逃す羽目になる。
#*ちなみに、急行なら田園調布、通勤特急なら武蔵小杉で乗り換えれば、失敗はしない。
#下り列車、多摩川駅での停車時間が妙に長い。何故だ。
#目蒲線時代が嘘のような昇格っぷり。一方多摩川線は会社から見放されている感がひしひしと。
#*実質的に[[東京メトロ南北線|地]][[埼玉高速鉄道|下]][[都営地下鉄三田線|鉄]]の延伸区間と化した。
#*「東急多摩川線」が正式名称。こいつは仮に、もし、万が一「蒲蒲線」ってヤツが実現すると日の目を見られるかも。
#北行で目黒から先も'''急行'''と残して表示することがあった TISモニタ操作?で手動?それとも自動?
#*たまに見かけるがそれは単に運転士が表示を変え忘れているだけだと思われ。
#地下鉄と乗り入れてから暫くはホームドアが無かった。
#目黒線というけど、[[東京/目黒区|目黒区]]を通るのはほんの僅か、区内の駅も洗足だけ。西小山は駅の脇が目黒区だけど駅は品川区。
#*不動前も目黒区だったはず。…だと思ったらあそこも品川区だった。
#ある意味東の「[[阪神なんば線]]」だと思う。かつてはマイナーな路線だったが今や幹線といっていい程の変貌を遂げた。
#不便な奥沢が何故終電終着駅なのか未だに不可解、田園調布まで延長してから、奥沢の車庫に回送にすればいいのでは?


====
==1990年==
*([[東京メトロ南北線]]・[[都営地下鉄三田線|都営三田線]]) - '''目黒''' - 不動前 - '''武蔵小山''' - 西小山 - 洗足 - '''大岡山''' - 奥沢 - '''[[田園調布#田園調布駅の噂|田園調布]]''' - '''多摩川''' - 新丸子 - '''[[神奈川の駅/川崎市#武蔵小杉駅の噂|武蔵小杉]]''' - 元住吉 - '''[[日吉#日吉駅の噂|日吉]]'''
#阪神8000系は近鉄乗り入れ対応のVVVF車となっていた。
**'''太字'''は急行停車駅
#開業したのがバブル期ということもあり、姫路―賢島間にリゾート特急が運行されていた。
#*「伊勢志摩ライナー」はこの時に登場していた。もちろん阪神乗り入れ対応。
#**パルケエスパーニャの入場者数も現実以上になり、のちの近鉄グループの経営難がもう少しマシになっていただろう。
#*「アーバンライナー」も難波〜名古屋だけでなく、三宮〜名古屋や姫路〜名古屋での運行があったかもしれない。
#奈良-三宮間運転の快速急行は[[名鉄特急]]と同じような自由席車6~8両+指定席車2両編成となっていた。
#同年大阪の鶴見緑地で開催されていた国際花と緑の博覧会(花博)が開業のきっかけになっていた。


==関連項目==
==1994年==
*[[東急目蒲線]]
#関西国際空港の開港を機に開通した。
{{東京急行電鉄}}
#*関西空港の利用者数は史実より多くなっていた。
{{DEFAULTSORT:とうきゆうめくろせん}}
#*[[もしあの空港が違う場所に建設されていたら#神戸沖|関西国際空港が神戸に建設されていたら]]間違いなくそうなっていた。
[[Category:東急グループ|めくろせん]]
#**その場合、春日野道あたりから関西空港への路線も同時に建設され、春日野道駅そのものも同時に改良されていた。
[[Category:東京の鉄道]]
#志摩スペイン村がこの年に開業していたので、三宮発着の臨時列車も運行されていた。
[[Category:神奈川の鉄道]]
#阪神の8000系電車が近鉄乗り入れ対応車両として、製造された。
[[Category:関東の鉄道路線]]
#*むしろ8000系増備は1990年で打ち切りとなり、1991年以降はVVVF車の9000系(現実の9000系とは異なる)にフルモデルチェンジされていた。
#**史実の8233F以降が9000系として登場していた。
#近鉄の22000系電車は阪神乗り入れ対応車両として、製造され、予定通り112両が製造された。(史実では、86両が製造された。)
#*22600系電車の登場は史実通り。
#南海電鉄は、大阪球場の解体工事を史実より早く取り掛かっていた。また、なんばパークスの開業が史実より早まっていた。
 
==1995年==
#同年1月17日に発生した[[阪神・淡路大震災]]により本線が被災し、その復旧を優先したため、難波延伸線の開業は翌1996年にずれ込んでいた。
#*ダイヤ改正(完全復旧)に合わせて、開業日は1996年3月20日に決定。
#*スルッとKANSAIは難波延伸線開業と同時に導入された。
#阪神9000系は難波延伸線開業と同時にデビューしていた。
#この時期になるとドーム前駅設置が考慮されるようになっていた。
 
==1997年==
#近鉄が奈良線にバファローズ応援列車を運行していた。
#*大阪ドームでのバファローズ主催試合開催日には、バファローズのヘッドマークを付けた近鉄車両が奈良〜三宮間を行き来する。
#大阪ドームの初年度来場客が現実より多かった。
#*[[大阪近鉄バファローズ]]の観客数は現実より多く、合併は免れ、せいぜい売却で済んだかも。
#阪神9000系は震災廃車の代替新造分を満たして以降も難波延伸・近鉄乗り入れ用として大量に増備されていた。
#*[[もしあの鉄道車両が実用化されていたら/関西私鉄#1990年代前半に計画されていた新型急行系電車|1990年代前半に計画されていた新型急行系電車]]の構想に近い。
#*近鉄1252系以降の奈良線向け一般車と22000系一部編成は当初から阪神線乗り入れ対応になった。
#**場合によっては近鉄23000系・21020系・80000系は前面非常扉設置・阪神線乗り入れ対応だったかも。
#ドーム前駅は[[大阪市高速電気軌道長堀鶴見緑地線|大阪メトロ長堀鶴見緑地線]]の駅(ドーム前千代崎駅)と同時に建設された。
#*バファローズに配慮して近鉄方面への折り返しが桜川駅ではなくこの駅で対応できるよう建設された。
#**おそらく2面4線(内側2線は難波方面のみ出発可能)、この場合桜川駅西側の引き上げ線は存在しない。
#***阪神と近鉄の運転業務境界はこの駅より西は阪神、東は近鉄になっていた。
#西九条~大阪難波間の建設目的に「[[Wikipedia:ja:第52回国民体育大会|なみはや国体]]関連の交通整備」が入っていた。
#全通1番列車の出発式に「[[Wikipedia:ja:もずやん|モッピー]]」も参加している。
#阪神~山陽直通特急の運行開始がやや早まった可能性も。
 
==2001年==
#USJの開業を機に開通した。
#21世紀最初の年ということで、ミレニアム列車が運行された。
#この年は、大阪近鉄バファローズがリーグ優勝した年なので、観客動員数も史実より多くなっていた。
#*大阪近鉄バファローズは存続していたか、史実よりも遅れて、身売りしていた。オリックスとの合併はなかった。
#9300系電車は近鉄乗り入れ対応車として、製造された。
#*1000系電車の登場は史実通りだが、製造数が史実より少なくなっていた。
#**あるいは9300系は登場せず、9000系の次が1000系となっていた。
#*近鉄の5820・9020・9820系も。近鉄は5800系あたりから阪神乗り入れを考慮した仕様になっていた。
#2001年3月10日のダイヤ改正を機に開業していた。
#開業の際に、PRのために阪神タイガースと大阪近鉄バファローズの選手と監督が両方起用されていた。
#*大阪近鉄側は、監督の梨田昌孝氏、中村紀洋氏、ローズ氏が起用され、阪神側は、監督の野村克也氏、藪恵壹氏、遠山奬志氏が起用された。
#大阪球場の解体工事となんばパークスの開業が史実より早まっていたかもしれない。(史実では、解体工事は1998年11月から開始され、なんばパークスは2003年10月に第1期部分が開業し、2007年4月に第2期部分が開業し、全館開業した。)
#*阪神なんば線の開業に合わせて、開業していた可能性もある。
 
==2003年==
#この年は阪神タイガース18年ぶりのリーグ優勝があったので、それと合わせて阪神グループにとっては2重の喜びだった。
#*なんば線開通とタイガース優勝があった年として2003年は鉄道ファンにも[[阪神タイガースファン]]にも語り継がれていた。
#*もしこの年の日本シリーズが阪神対近鉄になっていたら、さらに賑わっていた。
#9300系は登場せず、2001年に1000系が登場していた。
#*いや、9300系電車が1998年or1999年頃に登場していたかもしれない。
#2004年or2005年の項目のいずれかが実現していた。
 
==2004年or2005年==
#近鉄21020系電車は阪神乗り入れに対応した車両となり、2005年の愛知万博の開催を機に臨時列車として、神戸三宮までに乗り入れた。
#*2005年を機に、名阪特急の利用客が史実よりも多くなっていたかもしれない。
#*近鉄の「愛・地球博 割引きっぷ」が阪神沿線でも販売されていた。
#大阪近鉄バファローズは存続していたか、史実よりも遅れて、身売りしていた。
#*オリックスとの合併はなく、プロ野球再編問題は起こらなかったかもしれない。
#1000系電車は史実より早く登場していた。
#*9300系電車の登場は史実通り。
#2005年3月25日or3月18日に開業していた。
#*2004年3月19日or3月20日に開業していた可能性もある。
#駐米スカウトをやっていたトーマス・オマリー氏が開業告知のポスター・CMに出演していた。
#なんばパークスの全館開業が史実より早まっていた。
#*マルイト難波ビルの竣工も史実よりも早まっていた。
#史実通りに翌年に阪急HDと統合した場合、大阪難波駅でも、宝塚歌劇団の広告が掲載されていたかもしれない。
#尼崎~神戸三宮間において、快速急行の8両編成での運行が2016年頃に早まっていた。
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2021年1月19日 (火) 16:18時点における版

2009年3月20日に開業した阪神なんば線。この路線は戦後すぐに計画され、高度成長期に一部区間の着工までこぎつけたものの沿線の反対により一旦工事が中断され、平成になって第三セクターで工事が再開されるという経緯をたどりました。もし…

昭和40年代

この路線が予定通り昭和40年代に実現していたらどうなっていただろうかを検証します。

さくらがわ
桜川
SAKURAGAWA
おおさかドームまえ ←→ きんてつなんば
  1. 地下鉄千日前線は建設されていなかった。
    • 現実に市は近鉄難波線と競って建設したわけですから、阪神とも競っただけではないかと。
    • 地下鉄今里筋線は今里からは南巽へと曲がって建設された。
    • 四つ橋線難波駅は今も「難波元町」駅のまま。
  2. 阪神なんば線のルートは現実とは異なり、九条から桜川までの間に駅は建設されなかった。
    • しかし1997年の大阪ドームオープンに伴い「大阪ドーム前」駅を新設。
      • 但し場所は異なっていた。
    • 近鉄に配慮して、九条駅に「大阪ドーム前」の副駅名がついた可能性もある。長堀鶴見緑地線開業後はどうなるか分からないが。
    • どっちにしろ大阪近鉄バファローズの観客数は現実より多く、合併は免れ、せいぜい売却で済んだかも。近鉄沿線からもアクセスしやすいし。
  3. 阪神3801系は20m4扉車となり、大量増備されていた。
    • あるいは「2000系」とかいう形式が与えられていた。
  4. 近鉄側は8000系が阪神乗り入れ仕様となっていた。
  5. 千鳥橋駅は2面4線の退避可能駅となり、なんば線内で追い越しが行われていた。
    • 三宮~近鉄奈良間の快速急行は尼崎~大阪難波間で西九条と九条のみに停車していた。
      • 乗務員交代駅の桜川を足して、桜川・九条・西九条のみに停車。
    • 山陽との直通がその分、軽視された可能性も。未だに阪急とも直通していたり…
  6. 阪神・淡路大震災後もJRに客を取られることはなかった。
    • 梅田方面ではなく今では難波方面への輸送がメインになっている。
    • 阪神電鉄自体の業績も現実よりは良かったことが考えられるので、球団にお金をかけることができた。その結果1990年代の暗黒時代は到来しなかった可能性もある。
      • 1985~2003年の間に何度かリーグ優勝しているかも。特に1992年は優勝していた可能性が高い。
  7. 村○ファンドによる株買い占めの後、阪急ではなく近鉄と経営統合していた。
    • ますます西の京急感が強まる。
  8. 阪神本線の尼崎~西宮間は1980年代に複々線化される。
    • 同時に高架化も行われていた。
    • 甲子園駅の改良工事も並行して行われていた。
  9. 近鉄18200・18400系は1976年以降、三宮-賢島の神伊特急に転用されていた(大和八木以東は京伊特急と併結)。
    • さらに山陽姫路まで直通していた。
  10. なんば線が開業した直後は三宮~奈良間の直通運転は行われず、阪神側からは当時三宮~西九条間を運行していたN特急を近鉄線内各駅停車で瓢箪山まで延長、近鉄側からは奈良線快速急行が尼崎まで延長運転される。
    • 三宮~奈良間の直通快速急行は1990年代後半に運転開始する。
  11. 阪神春日野道駅の狭いホームを近鉄電車が通過していた。
    • または近鉄乗り入れを機に春日野道駅を大改造していた。
  12. 西九条~九条間の高架区間の防音シェルターは設置されなかった。
    • そのため大阪市内が一望でき、九条手前の地下に潜る部分では前方に地下鉄中央線を見ることができる。
  13. 阪神大震災で、近鉄車両も被災していた。
    • 復旧中は、近鉄から車両を借り受けて運行を行った可能性もある。
  14. そもそも路線名は阪神なんば線ではなかった。
    • 近鉄に倣って「難波線」とするか、あるいは「西大阪線」のままだった。
  15. 加算運賃がなかった。
    • 近鉄難波線同様、90年代までに建設費償還が終わっている。
  16. 阪神タイガースが昭和末期でも大阪球場で公式戦を行っていた(特に夏の高校野球期間中など)。
    • 代わりに西宮球場を利用することが無くなっていた。
  17. 梅田-姫路の直通特急がもっと早く登場していた他、奈良からの快速急行も新開地発着となり、阪急は高速神戸より西に入れなくなっていた。
    • 阪急は市営地下鉄との直通を早い段階で検討し、神戸高速鉄道の高速神戸~阪急三宮間は開業しなかったか、短期で廃線となった。
      • 市営地下鉄との直通が実現していた場合、西灘(現王子公園)~三宮間は新神戸駅経由となり、春日野道駅経由の路線は廃止されていた。
      • 明石海峡大橋は鉄道道路併用橋となり、神戸市営地下鉄の名谷~鳴門間に本四連絡鉄道が建設されていた。そして阪急梅田~徳島間に直通特急が運転されていた。
      • 阪急六甲駅での衝突事故は起こらなかったかも。
  18. 近鉄難波駅は「近鉄・阪神難波」駅になっていた。
    • あるいは単に「難波」駅になっていたかも。
  19. 初代あおぞら号は山陽乗り入れ対応で製造、播州地域の学生は山陽-(高速-阪神-)近鉄で伊勢方面へ修学旅行に向かっていた。そのため草津線経由修学旅行臨は国鉄時代の早い時期に廃止になっている。
    • 山陽-近鉄による伊勢志摩方面のアクセス強化は草津線の優等列車廃止も早める結果となり、結果草津線は京阪神近郊の通勤路線として早くから発展する結果となる。その為、現在では草津線直通の新快速が運転されているほか、信楽線も3セク化されていない。信楽線脱線事故なんて当然発生していない。
    • 20000系「楽」も。山陽・阪神沿線から伊勢などへの団体旅行に使われていた。
  20. 1980年代前半には近鉄特急の本格的な山陽乗り入れも開始、その後バブルに乗じて乗客数は右肩上がりも、バブル崩壊など不況で衰退に傾く。しかし現在もある程度のフリークエンシー性を保った範囲での本数が確保されている。
    • 阪神大震災の際、神戸高速線は近鉄特急乗り入れの関係で通過できる車両限界に影響を与えない範囲で工事を行なわなければならなかったため、復旧工事はかなりの難工事となった。
      • この事が神戸高速の経営に深刻な打撃を与え、90年代後半には完全な第三種鉄道事業者に転ずる。結果山陽・阪急・阪神間で高速線路線の再分配が行なわれ運賃が安くなっていた。
    • あるいは運賃+料金と所要時間でJR新快速に対抗できないため、これを機に近鉄特急の山陽乗り入れを廃止し、三宮までに短縮されていた。
  21. 南海汐見橋線は現在のような状況にまでは衰退せず、南海電鉄がなにわ筋線に活路を求める事も無かった。なにわ筋線事業がJRの単独で計画が進行していた可能性もある。
    • アメリカ村は桜川駅周辺にまで広がり、桜川が堀江と一体で若者の街として発展していた可能性もある。
    • 南海は単独で汐見橋から梅田方面へ延伸していたかも。
  22. 三宮―大阪難波間の所要時間がもっと短縮されていた。
    • 三宮―西九条間にN特急が運行されていた時期、同区間の所要時間は25分であった。西九条-大阪難波間でドーム前と桜川を通過とすると三宮―大阪難波間の所要時間は32~33分くらいだった可能性がある。
  23. ただでさえラッシュ時に混雑する近鉄奈良線の輸送量が限界に達したことから、近鉄東大阪線(現けいはんな線)の生駒以西は1970年代後半には開業していた。
    • 生駒―学研奈良登美ヶ丘間も1990年代のうちに開業。場合によれば当初の計画通り高の原まで延伸されているか、関西文化学術研究都市の中心部への乗り入れを果たしていた。
  24. 1981年の「ポートピア81」の時には近鉄車両もヘッドマークを付けて運行された。
    • 名古屋―三宮間に臨時特急も運転された。
  25. 西九条が現実よりも早く乗り換えターミナルとして注目されていた。
    • 商業地としても現実より発展していたかもしれない。場合によっては京橋周辺の「ヒガシ」に対し「ニシ」と呼ばれていた。
    • 京阪中之島線も当初から天満橋~西九条間の路線として建設されていた。場合によってはこちらも阪神に乗り入れていたかも?
  26. 3・3・SUNフリーきっぷは南海・近鉄・名鉄ではなく阪神・近鉄・名鉄の3社が利用可能となっていた。
    • エリア拡大版の「ワイド3・3・SUNフリーきっぷ」の方が山陽電鉄もエリアに含まれていた。
  27. アーバンライナーや伊勢志摩ライナーの車両は阪神乗り入れに対応した前面貫通式の車両になっていたかもしれない。
    • むしろトンネル側が非貫通車両の営業列車を通せる規格で作られていた。
  28. なんば線の淀川橋梁は1980~90年代のうちに架け替えられていた。
    • 同時に大物~千鳥橋の高架化と神崎川・左門殿川橋梁のかさ上げも行われていた。
  29. 山陽電鉄の駅のホーム案内に「奈良方面」の文字が加えられていた。

1980年代

  1. 1981年3月、1985年3月、1988年3月のいずれかに開業していた。
    • 1981年3月の場合、神戸ポートアイランド博覧会の開催に合わせて、開業した。
    • 1985年3月の場合、ユニバーシアード神戸大会の開催に合わせて、開業した。
  2. 1985年3月の場合、この年が阪神タイガースが日本一になった年でもあるので、阪神グループにとって、輝かしい年になっていた。
  3. 8000系電車が近鉄乗り入れ対応の車両となり、史実より多く製造された。
    • 9000系電車と1000系電車の登場は史実通り。
    • 1988年開業の場合、8000系はVVVFインバータ制御車となっていた。
      • 阪神におけるVVVF車の登場が10年早まっていた。
  4. 東大阪市の花園中央公園に近鉄花園野球場が開場した場合、そこが近鉄バファローズの本拠地となり、観客動員数が史実より多くなっていた。
  5. 1988年になら・シルクロード博覧会が開催されたことに合わせて、臨時列車が運行されていた。
  6. 路線名は「阪神西大阪線」になっていた。

1990年

  1. 阪神8000系は近鉄乗り入れ対応のVVVF車となっていた。
  2. 開業したのがバブル期ということもあり、姫路―賢島間にリゾート特急が運行されていた。
    • 「伊勢志摩ライナー」はこの時に登場していた。もちろん阪神乗り入れ対応。
      • パルケエスパーニャの入場者数も現実以上になり、のちの近鉄グループの経営難がもう少しマシになっていただろう。
    • 「アーバンライナー」も難波〜名古屋だけでなく、三宮〜名古屋や姫路〜名古屋での運行があったかもしれない。
  3. 奈良-三宮間運転の快速急行は名鉄特急と同じような自由席車6~8両+指定席車2両編成となっていた。
  4. 同年大阪の鶴見緑地で開催されていた国際花と緑の博覧会(花博)が開業のきっかけになっていた。

1994年

  1. 関西国際空港の開港を機に開通した。
    • 関西空港の利用者数は史実より多くなっていた。
    • 関西国際空港が神戸に建設されていたら間違いなくそうなっていた。
      • その場合、春日野道あたりから関西空港への路線も同時に建設され、春日野道駅そのものも同時に改良されていた。
  2. 志摩スペイン村がこの年に開業していたので、三宮発着の臨時列車も運行されていた。
  3. 阪神の8000系電車が近鉄乗り入れ対応車両として、製造された。
    • むしろ8000系増備は1990年で打ち切りとなり、1991年以降はVVVF車の9000系(現実の9000系とは異なる)にフルモデルチェンジされていた。
      • 史実の8233F以降が9000系として登場していた。
  4. 近鉄の22000系電車は阪神乗り入れ対応車両として、製造され、予定通り112両が製造された。(史実では、86両が製造された。)
    • 22600系電車の登場は史実通り。
  5. 南海電鉄は、大阪球場の解体工事を史実より早く取り掛かっていた。また、なんばパークスの開業が史実より早まっていた。

1995年

  1. 同年1月17日に発生した阪神・淡路大震災により本線が被災し、その復旧を優先したため、難波延伸線の開業は翌1996年にずれ込んでいた。
    • ダイヤ改正(完全復旧)に合わせて、開業日は1996年3月20日に決定。
    • スルッとKANSAIは難波延伸線開業と同時に導入された。
  2. 阪神9000系は難波延伸線開業と同時にデビューしていた。
  3. この時期になるとドーム前駅設置が考慮されるようになっていた。

1997年

  1. 近鉄が奈良線にバファローズ応援列車を運行していた。
    • 大阪ドームでのバファローズ主催試合開催日には、バファローズのヘッドマークを付けた近鉄車両が奈良〜三宮間を行き来する。
  2. 大阪ドームの初年度来場客が現実より多かった。
  3. 阪神9000系は震災廃車の代替新造分を満たして以降も難波延伸・近鉄乗り入れ用として大量に増備されていた。
    • 1990年代前半に計画されていた新型急行系電車の構想に近い。
    • 近鉄1252系以降の奈良線向け一般車と22000系一部編成は当初から阪神線乗り入れ対応になった。
      • 場合によっては近鉄23000系・21020系・80000系は前面非常扉設置・阪神線乗り入れ対応だったかも。
  4. ドーム前駅は大阪メトロ長堀鶴見緑地線の駅(ドーム前千代崎駅)と同時に建設された。
    • バファローズに配慮して近鉄方面への折り返しが桜川駅ではなくこの駅で対応できるよう建設された。
      • おそらく2面4線(内側2線は難波方面のみ出発可能)、この場合桜川駅西側の引き上げ線は存在しない。
        • 阪神と近鉄の運転業務境界はこの駅より西は阪神、東は近鉄になっていた。
  5. 西九条~大阪難波間の建設目的に「なみはや国体関連の交通整備」が入っていた。
  6. 全通1番列車の出発式に「モッピー」も参加している。
  7. 阪神~山陽直通特急の運行開始がやや早まった可能性も。

2001年

  1. USJの開業を機に開通した。
  2. 21世紀最初の年ということで、ミレニアム列車が運行された。
  3. この年は、大阪近鉄バファローズがリーグ優勝した年なので、観客動員数も史実より多くなっていた。
    • 大阪近鉄バファローズは存続していたか、史実よりも遅れて、身売りしていた。オリックスとの合併はなかった。
  4. 9300系電車は近鉄乗り入れ対応車として、製造された。
    • 1000系電車の登場は史実通りだが、製造数が史実より少なくなっていた。
      • あるいは9300系は登場せず、9000系の次が1000系となっていた。
    • 近鉄の5820・9020・9820系も。近鉄は5800系あたりから阪神乗り入れを考慮した仕様になっていた。
  5. 2001年3月10日のダイヤ改正を機に開業していた。
  6. 開業の際に、PRのために阪神タイガースと大阪近鉄バファローズの選手と監督が両方起用されていた。
    • 大阪近鉄側は、監督の梨田昌孝氏、中村紀洋氏、ローズ氏が起用され、阪神側は、監督の野村克也氏、藪恵壹氏、遠山奬志氏が起用された。
  7. 大阪球場の解体工事となんばパークスの開業が史実より早まっていたかもしれない。(史実では、解体工事は1998年11月から開始され、なんばパークスは2003年10月に第1期部分が開業し、2007年4月に第2期部分が開業し、全館開業した。)
    • 阪神なんば線の開業に合わせて、開業していた可能性もある。

2003年

  1. この年は阪神タイガース18年ぶりのリーグ優勝があったので、それと合わせて阪神グループにとっては2重の喜びだった。
    • なんば線開通とタイガース優勝があった年として2003年は鉄道ファンにも阪神タイガースファンにも語り継がれていた。
    • もしこの年の日本シリーズが阪神対近鉄になっていたら、さらに賑わっていた。
  2. 9300系は登場せず、2001年に1000系が登場していた。
    • いや、9300系電車が1998年or1999年頃に登場していたかもしれない。
  3. 2004年or2005年の項目のいずれかが実現していた。

2004年or2005年

  1. 近鉄21020系電車は阪神乗り入れに対応した車両となり、2005年の愛知万博の開催を機に臨時列車として、神戸三宮までに乗り入れた。
    • 2005年を機に、名阪特急の利用客が史実よりも多くなっていたかもしれない。
    • 近鉄の「愛・地球博 割引きっぷ」が阪神沿線でも販売されていた。
  2. 大阪近鉄バファローズは存続していたか、史実よりも遅れて、身売りしていた。
    • オリックスとの合併はなく、プロ野球再編問題は起こらなかったかもしれない。
  3. 1000系電車は史実より早く登場していた。
    • 9300系電車の登場は史実通り。
  4. 2005年3月25日or3月18日に開業していた。
    • 2004年3月19日or3月20日に開業していた可能性もある。
  5. 駐米スカウトをやっていたトーマス・オマリー氏が開業告知のポスター・CMに出演していた。
  6. なんばパークスの全館開業が史実より早まっていた。
    • マルイト難波ビルの竣工も史実よりも早まっていた。
  7. 史実通りに翌年に阪急HDと統合した場合、大阪難波駅でも、宝塚歌劇団の広告が掲載されていたかもしれない。
  8. 尼崎~神戸三宮間において、快速急行の8両編成での運行が2016年頃に早まっていた。