ページ「泉北高速鉄道」と「もし阪神なんば線が別の時代に全通していたら」の間の差分

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==泉北高速の噂==
2009年3月20日に開業した[[阪神なんば線]]。この路線は戦後すぐに計画され、高度成長期に一部区間の着工までこぎつけたものの沿線の反対により一旦工事が中断され、平成になって第三セクターで工事が再開されるという経緯をたどりました。もし…
[[ファイル:泉北7772.jpg|240px|thumb|7020系]]
==昭和40年代==
#'''<font color="#0000ff">ブルーライナー</font>'''
この路線が予定通り昭和40年代に実現していたらどうなっていただろうかを検証します。
#*昔の[[名鉄特急]]かいな!!
{{駅名標/阪神1|name=桜川|ruby=さくらがわ|roma=SAKURAGAWA|next=<font size=1>きんてつ</font>なんば|back=<font size=1>おおさか</font>ドームまえ}}
#**昔の[[新快速 (JR西日本)|新快速]]です。
#[[大阪市高速電気軌道千日前線|地下鉄千日前線]]は建設されていなかった。
#正式社名は「大阪府都市開発」、元々はトラックターミナルを運営する三セク
#*現実に市は近鉄難波線と競って建設したわけですから、阪神とも競っただけではないかと。
#*[[南海電気鉄道|南海]]に鉄道運営のノウハウを教えてもらったそうな…
#*[[大阪市高速電気軌道今里筋線|地下鉄今里筋線]]は今里からは南巽へと曲がって建設された。
#**開業当初は南海に頼っていたが最近は独立しつつある。
#*[[大阪市高速電気軌道四つ橋線|四つ橋線]][[難波駅#大阪難波駅(近鉄・阪神)|難波駅]]は今も「難波元町」駅のまま。
#***その証拠に、同社初のインバータ制御車から[[総合車両製作所|東急]]製以外の車両も扱うようになり、その次の形式から東急製は皆無。
#阪神なんば線のルートは現実とは異なり、九条から桜川までの間に駅は建設されなかった。
#****南海とは全く異なる、独自設計のアルミ車両となった。
#*しかし1997年の[[大阪ドーム]]オープンに伴い「大阪ドーム前」駅を新設。
#*本来南海が泉北ニュータウンに支線を作る予定だったが、当時南海が大事故続きで、賠償金により経営が圧迫されていたため、三セクを設立して鉄道を通した。
#**但し場所は異なっていた。
#*御堂筋線と直通する計画もあったが、これも南海との直通に変更させられた。
#*近鉄に配慮して、九条駅に「大阪ドーム前」の副駅名がついた可能性もある。長堀鶴見緑地線開業後はどうなるか分からないが。
#**泉北線建設の時はまだ御堂筋線延伸の計画はない。元々「白鷺駅」から乗り入れる計画だった。
#*どっちにしろ[[大阪近鉄バファローズ]]の観客数は現実より多く、合併は免れ、せいぜい売却で済んだかも。近鉄沿線からもアクセスしやすいし。
#**もし御堂筋線との直通になっていたら、泉北ニュータウンはさらに便利になり、千里と同じくらい発展していた。
#**[[阪神タイガース]]との試合が実現すれば「なんば線ダービー」と呼ばれる。
#*大阪府都市開発の分割民営化が決まりました。
#阪神3801系は20m4扉車となり、大量増備されていた。
#**分割民営化ではなく南海が大阪府の持ち株を取得し南海グループ入りすることになった。ただここに至るまで外資系の投資ファンドが出てきたりして一筋縄ではいかなかった。
#*あるいは「2000系」とかいう形式が与えられていた。
#***それに伴い正式社名も「泉北高速鉄道」に変更されることが決定。
#近鉄側は8000系が阪神乗り入れ仕様となっていた。
#***それまでは意外にも南海との資本関係はなかった。
#千鳥橋駅は2面4線の退避可能駅となり、なんば線内で追い越しが行われていた。
#[http://www.semboku.jp/zukan/paint.html くまさん電車]が走っている。[[ファイル:ハッピーベアル.jpg|240px|thumb|ハッピーベアル号]]
#*三宮~近鉄奈良間の快速急行は尼崎~大阪難波間で西九条と九条のみに停車していた。
#*両端には「銀河鉄道999」の「○ーテル」もどきの横顔が
#**乗務員交代駅の桜川を足して、桜川・九条・西九条のみに停車。
#**デザインしたのは松本零士氏です。
#*山陽との直通がその分、軽視された可能性も。未だに阪急とも直通していたり…
#*アレってワンちゃんじゃなかったの!?
#[[阪神・淡路大震災]]後もJRに客を取られることはなかった。
#**今は愛称を募集しているみたいだし。
#*梅田方面ではなく今では難波方面への輸送がメインになっている。
#***愛称は「ハッピーベアル」だが、定着しているのかな?中には「ネコ電車」と呼んでいる人もいたが。
#*阪神電鉄自体の業績も現実よりは良かったことが考えられるので、[[阪神タイガース|球団]]にお金をかけることができた。その結果1990年代の暗黒時代は到来しなかった可能性もある。
#****「ネコ電車」は[[和歌山電鐵]]でしょ。
#**1985~2003年の間に何度かリーグ優勝しているかも。特に1992年は優勝していた可能性が高い。
#*30歳代以上は「[[クイズ100人に聞きましたファン|クイズ100人に聞きました]]」のあのキャラを思い浮かべる人もいると思う。
#村○ファンドによる株買い占めの後、[[阪急電鉄|阪急]]ではなく[[近畿日本鉄道|近鉄]]と経営統合していた。
#女性車掌や女性駅員が急に増えている。
#*ますます西の京急感が強まる。
#*お隣さんとは正反対だ。
#阪神本線の尼崎~西宮間は1980年代に複々線化される。
#[[南海高野線]]から、泉北線に入ると名前通りにスピードが急に上がる。窓ガラスがバタバタという。
#*同時に高架化も行われていた。
#*泉北高速の準急は、南海高野線内では、結構通過駅多いのだが、自社線内では、全駅停車する。
#*[[甲子園駅]]の改良工事も並行して行われていた。
#**泉北高速に乗るときには、やたら準急が来る。
#近鉄18200・18400系は1976年以降、三宮-賢島の神伊特急に転用されていた(大和八木以東は京伊特急と併結)。
#**中百舌鳥~難波(15駅)より中百舌鳥~和泉中央の方が距離が長い割に駅が中百舌鳥を除くと5つしかないため。
#*さらに山陽姫路まで直通していた。
#朝のラッシュ時に、なぜか中百舌鳥行きの各停が多い。区急や準急に乗るため、各停をスルーする人が多い。
#なんば線が開業した直後は三宮~奈良間の直通運転は行われず、阪神側からは当時三宮~西九条間を運行していたN特急を近鉄線内各駅停車で瓢箪山まで延長、近鉄側からは奈良線快速急行が尼崎まで延長運転される。
#*中百舌鳥駅で地下鉄に乗り換える人が多いため。直通準急もこの駅でどっさりと乗客が降りる。
#*三宮~奈良間の直通快速急行は1990年代後半に運転開始する。
#**三国ヶ丘、堺東方面の客の方が多い。だから中百舌鳥を飛ばすダイヤを増やして欲しい。
#阪神春日野道駅の狭いホームを近鉄電車が通過していた。
#**特に[[大阪市営地下鉄四つ橋線|四つ橋線]]沿線に通勤する人は殆どが中百舌鳥で地下鉄に乗り換える。それは難波での四つ橋線への乗り換えが不便だからである。
#*または近鉄乗り入れを機に春日野道駅を大改造していた。
#今度投入される新型車の室内は「走ルンです」によく似ている。
#西九条~九条間の高架区間の防音シェルターは設置されなかった。
#*[http://www.semboku.jp/news/dt_91.html 参考]
#*そのため大阪市内が一望でき、九条手前の地下に潜る部分では前方に地下鉄中央線を見ることができる。
#*というより、関東風味が強い気がする…のは今も同じか
#阪神大震災で、近鉄車両も被災していた。
#*車内LCDが[[小田急電鉄|小田急]]だ。
#*復旧中は、近鉄から車両を借り受けて運行を行った可能性もある。
#料金が高い。1区間180円てなによ。なかもずから南で急に高騰する。
#そもそも路線名は阪神なんば線ではなかった。
#*[[wikipedia:ja:大阪府都市開発泉北高速鉄道線|ウィキペディア]]にも「日本一高い」という噂が書かれる程だが、関西全域で考えると[[京都市営地下鉄|京都の地下鉄]]の方が……と思ってしまう。泉北にも遺跡かなんか埋まってたの?
#*近鉄に倣って「難波線」とするか、あるいは「西大阪線」のままだった。
#**遺跡、埋まってた。「陶邑古窯跡群(すえむらこようしぐん)」といい、岸和田から大阪狭山までの丘陵地は'''弥生時代の最先端工業地域'''。陶器山、釜室(かまむろ)などといった地名に名残がある。
#加算運賃がなかった。
#***古墳時代。
#*近鉄難波線同様、90年代までに建設費償還が終わっている。
#*そんなに高いか。確かに[[阪急電鉄|阪急]]や[[京阪電気鉄道|京阪]]と比べるとかなり高いが。中百舌鳥~深井まで3.7kmだからそんなもんじゃない?ちなみに中百舌鳥から和泉中央は、[[河内長野市|河内長野]]より遠いし。「なかもずから南で急に高騰する」これは会社が変わるから当たり前でしょう。経営会社違うよ。
#[[阪神タイガース]]が昭和末期でも大阪球場で公式戦を行っていた(特に夏の高校野球期間中など)。
#*大阪の中心部から光明池に免許を取りにいくだけで、野口英世が一人以上いなくなる。
#*代わりに西宮球場を利用することが無くなっていた。
#**'''うまい!'''
#梅田-姫路の直通特急がもっと早く登場していた他、奈良からの快速急行も新開地発着となり、阪急は高速神戸より西に入れなくなっていた。
#**ご不満でしたら古川橋の方へどうぞ。なんせお安い京阪ですので。
#*阪急は市営地下鉄との直通を早い段階で検討し、神戸高速鉄道の高速神戸~阪急三宮間は開業しなかったか、短期で廃線となった。
#***大阪の中心部だったらどう考えても古川橋の方が近いのだが。
#**市営地下鉄との直通が実現していた場合、西灘(現王子公園)~三宮間は新神戸駅経由となり、春日野道駅経由の路線は廃止されていた。
#***淀屋橋~古川橋10.8km(260円)、中百舌鳥~光明池12.1km(280円)だから変わらないぞ。京阪は遠距離が安いだけで近距離は高い。
#**[[神戸淡路鳴門自動車道#明石海峡大橋|明石海峡大橋]]は鉄道道路併用橋となり、神戸市営地下鉄の名谷~鳴門間に本四連絡鉄道が建設されていた。そして阪急梅田~徳島間に直通特急が運転されていた。
#**意外と知られていないが、光明池はため池の名前である。
#**[[もしあの鉄道事故が○○だったら/1990年代以前#阪急六甲駅衝突事故|阪急六甲駅での衝突事故は起こらなかったかも。]]
#*実は運賃水準は南海や近鉄と同程度しかない。もっと高い鉄道は日本中いくらでもある。
#近鉄難波駅は「近鉄・阪神難波」駅になっていた。
#*各区間によっては料金が変わる。安くて160円(泉ヶ丘~栂・美木多【とが・みきた】)高くて200円(深井~泉ヶ丘)
#*あるいは単に「難波」駅になっていたかも。
#**各区間によって料金が変わるのではなく、距離によって料金が変わる。2km刻みで運賃が変わる(通常の私鉄は初乗り3km刻みから)のと、駅間距離が長めなのが誤解を招く原因。深井駅→泉ヶ丘駅間は隣の駅だが、3区間運賃が適用されている。
#初代あおぞら号は山陽乗り入れ対応で製造、播州地域の学生は山陽-(高速-阪神-)近鉄で伊勢方面へ修学旅行に向かっていた。そのため草津線経由[[修学旅行]]臨は[[日本国有鉄道|国鉄]]時代の早い時期に廃止になっている。
#**1区間(~2km):160円 2区間(2.1~4km):190円 3区間(4.1km~):210円が正解(2区間・3区間は消費税率引き上げ時にそれぞれ10円値上げ)。
#*山陽-近鉄による伊勢志摩方面のアクセス強化は草津線の優等列車廃止も早める結果となり、結果草津線は京阪神近郊の通勤路線として早くから発展する結果となる。その為、現在では草津線直通の新快速が運転されているほか、信楽線も3セク化されていない。信楽線脱線事故なんて当然発生していない。
#*中百舌鳥→和泉中央(14.3km)中百舌鳥→難波(13.4km)料金は共に320円
#*20000系「楽」も。山陽・阪神沿線から伊勢などへの団体旅行に使われていた。
#*[[東葉高速鉄道|ここ]]の料金と比べたらまだまだ甘い方。(13.8kmで550円)
#1980年代前半には近鉄特急の本格的な山陽乗り入れも開始、その後バブルに乗じて乗客数は右肩上がりも、バブル崩壊など不況で衰退に傾く。しかし現在もある程度のフリークエンシー性を保った範囲での本数が確保されている。
#*1区間180円とか安すぎ・・・・神戸の地下鉄なんて2分乗ったら200円だぞ
#*阪神大震災の際、神戸高速線は近鉄特急乗り入れの関係で通過できる車両限界に影響を与えない範囲で工事を行なわなければならなかったため、復旧工事はかなりの難工事となった。
#*難波~和泉中央と難波~高野山の運賃の差がさほど変わらないってのもねぇ
#**この事が神戸高速の経営に深刻な打撃を与え、90年代後半には完全な第三種鉄道事業者に転ずる。結果山陽・阪急・阪神間で高速線路線の再分配が行なわれ運賃が安くなっていた。
#JRや他の大手私鉄などと違い、未だに「次は××でございます」などとアナウンスされる。
#*あるいは運賃+料金と所要時間でJR[[新快速 (JR西日本)|新快速]]に対抗できないため、これを機に近鉄特急の山陽乗り入れを廃止し、三宮までに短縮されていた。
#*泉北高速線を使う事があるけど、そんなアナウンスは聞いた事がない。
#[[南海電気鉄道|南海]]汐見橋線は現在のような状況にまでは衰退せず、南海電鉄がなにわ筋線に活路を求める事も無かった。なにわ筋線事業がJRの単独で計画が進行していた可能性もある。
#**普通に「次は光明池、光明池でございます」等という車内放送があるが。
#*[[大阪市/中央区#アメリカ村|アメリカ村]]は桜川駅周辺にまで広がり、桜川が堀江と一体で若者の街として発展していた可能性もある。
#**南海を含め関西の大手は「~です」でも敬語(丁寧語)の一種ということで「~ございます」から転換しているが、ここは未だに「~ございます」で違和感はあった。
#*南海は単独で汐見橋から梅田方面へ延伸していたかも。
#橋本知事が南海電鉄に株の売却を検討しているらしい。
#三宮―大阪難波間の所要時間がもっと短縮されていた。
#*橋'''下'''ね。
#*三宮―西九条間にN特急が運行されていた時期、同区間の所要時間は25分であった。西九条-大阪難波間でドーム前と桜川を通過とすると三宮―大阪難波間の所要時間は32~33分くらいだった可能性がある。
#*「[[南海電気鉄道|南海]]泉北線」が実現するか?
#ただでさえラッシュ時に混雑する近鉄奈良線の輸送量が限界に達したことから、近鉄東大阪線(現けいはんな線)の生駒以西は1970年代後半には開業していた。
#*物流も抱えるので南海泉北線とまではいかなかったが、連絡運賃値下げで一歩近づいたような気もする。
#*生駒―学研奈良登美ヶ丘間も1990年代のうちに開業。場合によれば当初の計画通り高の原まで延伸されているか、関西文化学術研究都市の中心部への乗り入れを果たしていた。
#かつては運行も南海に委託されていたが、その当時には泉北車両による金剛行きや河内長野行きが見られた。
#1981年の「[[wikipedia:ja:神戸ポートアイランド博覧会|ポートピア81]]」の時には近鉄車両もヘッドマークを付けて運行された。
#冬場は中百舌鳥~深井間のトンネルを抜けると気温が一気に下がると言われている。
#*名古屋―三宮間に臨時特急も運転された。
#ドアチャイムが「カコン、カコン」と言う音。
#[[大阪市/此花区#西九条の噂|西九条]]が現実よりも早く乗り換えターミナルとして注目されていた。
#*南海も同じです。でも採用はこちらの方が先。
#*商業地としても現実より発展していたかもしれない。場合によっては[[京橋 (大阪)|京橋]]周辺の「ヒガシ」に対し「ニシ」と呼ばれていた。
#*山側と海側で音が違う。
#*[[京阪中之島線]]も当初から天満橋~西九条間の路線として建設されていた。場合によってはこちらも阪神に乗り入れていたかも?
#パチ屋のラッピング車両が運行されている事がある…。地下鉄路線ならまだしも、地上路線でそれをやるな!()
#[[wikipedia:ja:3・3・SUNフリーきっぷ|3・3・SUNフリーきっぷ]]は南海・近鉄・名鉄ではなく阪神・近鉄・名鉄の3社が利用可能となっていた。
#*2編成に増えました。(7509Fと7523F)
#*エリア拡大版の「ワイド3・3・SUNフリーきっぷ」の方が[[山陽電気鉄道|山陽電鉄]]もエリアに含まれていた。
#*泉北高速鉄道の主要広告主ですので。吊下げ広告が半分パチスロ関連なんてこともザラ。
#アーバンライナーや伊勢志摩ライナーの車両は阪神乗り入れに対応した前面貫通式の車両になっていたかもしれない。
#*もっと上空を走る[[大阪高速鉄道]]もパチ屋ラッピングをやっちゃっている。今の泉北は3セクじゃないけど、その昔は3セクだし行政が絡むとこうなるんだね・・・。
#*むしろトンネル側が非貫通車両の営業列車を通せる規格で作られていた。
#車両の塗装(特に側面)が東武8000系。
#なんば線の淀川橋梁は1980~90年代のうちに架け替えられていた。
#*関東人が泉北高速線内や南海高野線で5000系、7000系、7020系を見ると、「東武の車両?」と思う。
#*同時に大物~千鳥橋の高架化と神崎川・左門殿川橋梁のかさ上げも行われていた。
#*ちなみに塗装は[[東武8000系電車|東武8000系]]の方が先(東武8000系の現塗装=1985年、泉北高速5000系登場=1990年)
#山陽電鉄の駅のホーム案内に「奈良方面」の文字が加えられていた。
#朝の泉北準急・区急は10両編成で運転されていたが、ニュータウンの高齢化による通勤需要の減少で2013年に10両運転が消滅し、最高でも8両編成となった。
#2014年10月、イベントに伴う団体臨時列車で[[サザン (列車)|サザンプレミアム]]こと南海12000系が入線した。南海の子会社にならなかったらこんな企画も実現しなかっただろう。
#*お互いの車両基地公開のイベントもヘッドマークでPRするようになった。


==駅の噂==
==1980年代==
#中百舌鳥駅での[[大阪市営地下鉄御堂筋線|地下鉄御堂筋線]]との連絡は最悪。地下鉄から降りて地上に上がってくると泉北線の電車は発車する。さらに階段上がって下がって・・・。
#1981年3月、1985年3月、1988年3月のいずれかに開業していた。
#*しんどいよな・・・
#*1981年3月の場合、神戸ポートアイランド博覧会の開催に合わせて、開業した。
#*そういう意味で南海は助けられているのかもしれない。難波・中百舌鳥間の客を取られないだけ。
#*1985年3月の場合、ユニバーシアード神戸大会の開催に合わせて、開業した。
#*事故りやすいことも相まって区間急行の停車駅に選ばれない最大の要因。三国ヶ丘と同じケース。
#1985年3月の場合、この年が阪神タイガースが日本一になった年でもあるので、阪神グループにとって、輝かしい年になっていた。
#*乗り換え専用改札・連絡路を建設するとのことで改善はされそうな雰囲気だったが、橋下引退と松井も先行き不透明な中で果たして実現するのかは謎。
#8000系電車が近鉄乗り入れ対応の車両となり、史実より多く製造された。
#深井駅のプラットホームからは、PLの花火の眺めが最高。
#*9000系電車と1000系電車の登場は史実通り。
#*ものすごく迷惑。
#*1988年開業の場合、8000系はVVVFインバータ制御車となっていた。
#*そのうち誰かが犠牲になる。
#**阪神におけるVVVF車の登場が10年早まっていた。
#*最近は駅員が立つ。
#東大阪市の花園中央公園に近鉄花園野球場が開場した場合、そこが近鉄バファローズの本拠地となり、観客動員数が史実より多くなっていた。
#和泉中央駅がなぜか「近畿の駅百選」に選ばれている。
#1988年になら・シルクロード博覧会が開催されたことに合わせて、臨時列車が運行されていた。
#*関係ないけど和泉中央駅に繋がるぺデストリアンデッキ?からの夕日が綺麗。
#路線名は「阪神西大阪線」になっていた。
#栂・美木多と光明池で、駅名板や列車案内などがガラリと変わる。
#*エスカレーターあるだけマシじゃないかな?
#*交換されて統一されました。
#「とがみきた」を変換すると、「戸上北」になる。
#車掌一人一人で「とがみきた」のイントネーションがバラバラ。
#*ちなみに、単体で発音するなら、栂は標準語の「咎(とが)」、美木多は同じく「新手(あらて)」と同じイントネーション。
#和泉中央駅には島式ホームと上下線の外側に追い越し線のスペースがある。噂によれば[[関西国際空港|関西空港]]まで延伸される予定だったとか。
#*俺は延伸されるのは貝塚市の清児・名越あたりで、そこで水間鉄道から熊取ニュータウン、泉佐野市の犬鳴山から粉河まで伸びる路線に合流、と聞いた。
#*当初和泉府中へ延伸の予定であったが、諸事情により和泉中央以降の延伸路線は白紙の状態。
#駅設備のレベルは南海よりも上。泉北線に入った途端立派になる。
#*南海とは異なり駅のトイレにトイレットペーパーが備え付けられている。
#**ただし無水トイレ。
#駅間が長い中百舌鳥と深井、深井と泉ヶ丘の間は当初、さらに駅を作る構想もあったらしいが、今はさすがにない。


===まとめ===
==1990年==
中百舌鳥 - [[大阪の駅/和泉#深井駅の噂|深井]] - [[大阪の駅/和泉#泉ヶ丘駅の噂|泉ヶ丘]] - 栂・美木多 - [[大阪の駅/和泉#光明池駅の噂|光明池]] - [[大阪の駅/和泉#和泉中央駅の噂|和泉中央]]
#阪神8000系は近鉄乗り入れ対応のVVVF車となっていた。
*中百舌鳥は区間急行通過
#開業したのがバブル期ということもあり、姫路―賢島間にリゾート特急が運行されていた。
#*「伊勢志摩ライナー」はこの時に登場していた。もちろん阪神乗り入れ対応。
#**パルケエスパーニャの入場者数も現実以上になり、のちの近鉄グループの経営難がもう少しマシになっていただろう。
#*「アーバンライナー」も難波〜名古屋だけでなく、三宮〜名古屋や姫路〜名古屋での運行があったかもしれない。
#奈良-三宮間運転の快速急行は[[名鉄特急]]と同じような自由席車6~8両+指定席車2両編成となっていた。
#同年大阪の鶴見緑地で開催されていた国際花と緑の博覧会(花博)が開業のきっかけになっていた。


== 車両の噂 ==
==1994年==
=== 100系 ===
#関西国際空港の開港を機に開通した。
[[ファイル:泉北100系.jpg|150px|thumb|ハッピーベアル塗装で保存されている]]
#*関西空港の利用者数は史実より多くなっていた。
#泉北高速鉄道開業に伴って製造された車両。
#*[[もしあの空港が違う場所に建設されていたら#神戸沖|関西国際空港が神戸に建設されていたら]]間違いなくそうなっていた。
#南海6100系(現6300系)をベースにしているが、車体はセミステンレス製。前面形状もやや角張っている。
#**その場合、春日野道あたりから関西空港への路線も同時に建設され、春日野道駅そのものも同時に改良されていた。
#*これが南海6200系のデザインのベースになったとみることもできる。
#志摩スペイン村がこの年に開業していたので、三宮発着の臨時列車も運行されていた。
#冷房改造は南海6100系とは異なり3000系と同じ様な集約分散式クーラーを搭載。車内には[[阪急の車両|阪急]]などでも見られるローリーファンがついていた。
#阪神の8000系電車が近鉄乗り入れ対応車両として、製造された。
#*冷房化当初は前面の方向幕はなかったが、後年設置された。その際は前照灯を貫通路の上から腰部に移設し3000系に近い前面となった。
#*むしろ8000系増備は1990年で打ち切りとなり、1991年以降はVVVF車の9000系(現実の9000系とは異なる)にフルモデルチェンジされていた。
#セミステンレス製車体が災いしたのか意外に早く2000年までに全車廃車された。台車は南海6300系に、クーラーは[[高松琴平電気鉄道|ことでん]]の車両に、連結器は[[アルピコグループ|松本電鉄]]の車両に流用されている。
#**史実の8233F以降が9000系として登場していた。
#*1両が泉ヶ丘駅近くにある「ビッグバン」の裏の公園にハッピーベアルの塗装で保存されている。
#近鉄の22000系電車は阪神乗り入れ対応車両として、製造され、予定通り112両が製造された。(史実では、86両が製造された。)
#*22600系電車の登場は史実通り。
#南海電鉄は、大阪球場の解体工事を史実より早く取り掛かっていた。また、なんばパークスの開業が史実より早まっていた。


=== 3000系 ===
==1995年==
[[ファイル:泉北3517.jpg|240px|thumb|3000系]]
#同年1月17日に発生した[[阪神・淡路大震災]]により本線が被災し、その復旧を優先したため、難波延伸線の開業は翌1996年にずれ込んでいた。
#100系に続き1975年以降投入された車両。
#*ダイヤ改正(完全復旧)に合わせて、開業日は1996年3月20日に決定。
#こちらは南海6200系がベースになっている。
#*スルッとKANSAIは難波延伸線開業と同時に導入された。
#*こちらもセミステンレス車体を採用したが、1986年以降に製造された後期車両はオールステンレス車体となった。
#阪神9000系は難波延伸線開業と同時にデビューしていた。
#**オールステンレス車両は車体下部が台車の真上に補強材があるため垂れ下がっている。セミステンレス車両は一直線。
#この時期になるとドーム前駅設置が考慮されるようになっていた。
#**セミステンレスを採用したのはかつてオールステンレス車体は特許の関係で東急車輌でしか製造できないため、同社以外の車両メーカーに発注することも考えてのことらしい。
#***とは言え3000系は全車両東急車輌製。次の5000系からは川崎重工業製も加わった。
#3550番台の車両は中間車を先頭車に改造した車両。前照灯などが異なる。
#車内もやはり南海6200系とほぼ同一だが、ドアの内側はステンレス無塗装。座席も南海のそれがグレー系なのに対しこちらはエンジ系。かつての南海電車の雰囲気を残している。
#2012年末に一部車両が南海に譲渡された。
#*南海本線で走る予定。
#*2013年より運用を開始。老朽化の激しい7000系を置き換えた。譲渡された車両は1980~81年頃に製造されたセミステンレス後期車で、オールステンレス車は引き続き高野線・泉北高速線を走っている。
#運用区間はほとんどが平坦線だが、一応抑速ブレーキはあるらしい。
#*だが高野線三日市町以南への乗り入れはないため、南海6200系と比べて抑速ブレーキ用の抵抗器は少ない。
#未だに側面幕は[各停'''金剛''']などの白幕がまだ残っている。
#*ちなみに側面幕のデザインは南海の旧タイプと同じ。南海で絶滅したものがいまだに残っている。
#**前面幕にはローマ字表記が入っているが、側面には入っていない。
#*3000系どころか7020系にも入ってる。['''急行'''なんば]や[準急'''三日市町''']とかも入ってる。
#実は側面方向幕の位置が南海6200系と異なる。南海6200系は車体中央にあるのに対しこちらは右側に寄った場所にある。
#*方向幕窓の押さえも南海6200系が黒Hゴムなのに対しこちらは金属押さえ。
#1次車は登場時非冷房だった。
#*非冷房時代は7100系なんかの冷房改造で余ったファンデリアを流用したらしい。


=== 5000系 ===
==1997年==
[[ファイル:泉北5000系.jpg|160px|thumb|泉北高速鉄道のイメージを大きく変えた]]
#近鉄が奈良線にバファローズ応援列車を運行していた。
#1990年に登場した車両で、南海の車両や従来の泉北高速の車両とは全く異なるスタイルが特徴。
#*大阪ドームでのバファローズ主催試合開催日には、バファローズのヘッドマークを付けた近鉄車両が奈良〜三宮間を行き来する。
#*車体はアルミ製になった。
#大阪ドームの初年度来場客が現実より多かった。
#*外部塗装は東武8000系とそっくり。
#*[[大阪近鉄バファローズ]]の観客数は現実より多く、合併は免れ、せいぜい売却で済んだかも。
#この車両がその後の南海の塗装変更に影響を与えたと言われている。
#阪神9000系は震災廃車の代替新造分を満たして以降も難波延伸・近鉄乗り入れ用として大量に増備されていた。
#8両固定編成で前面は非貫通スタイル。
#*[[もしあの鉄道車両が実用化されていたら/関西私鉄#1990年代前半に計画されていた新型急行系電車|1990年代前半に計画されていた新型急行系電車]]の構想に近い。
#*それがかえって使いにくくなっているような…。
#*近鉄1252系以降の奈良線向け一般車と22000系一部編成は当初から阪神線乗り入れ対応になった。
#この車両で採用したドアチャイムはその後南海でも採用された。
#**場合によっては近鉄23000系・21020系・80000系は前面非常扉設置・阪神線乗り入れ対応だったかも。
#*南海と異なるのはドアが開いている状態で別のチャイム音が鳴らないこと。後述の7000系も同じ。
#ドーム前駅は[[大阪市高速電気軌道長堀鶴見緑地線|大阪メトロ長堀鶴見緑地線]]の駅(ドーム前千代崎駅)と同時に建設された。
#5505Fはハッピーベアル号。
#*バファローズに配慮して近鉄方面への折り返しが桜川駅ではなくこの駅で対応できるよう建設された。
#**おそらく2面4線(内側2線は難波方面のみ出発可能)、この場合桜川駅西側の引き上げ線は存在しない。
#***阪神と近鉄の運転業務境界はこの駅より西は阪神、東は近鉄になっていた。
#西九条~大阪難波間の建設目的に「[[Wikipedia:ja:第52回国民体育大会|なみはや国体]]関連の交通整備」が入っていた。
#全通1番列車の出発式に「[[Wikipedia:ja:もずやん|モッピー]]」も参加している。
#阪神~山陽直通特急の運行開始がやや早まった可能性も。


===7000系===
==2001年==
[[画像:泉北7501.jpg|thumb|180px|7000系]]
#USJの開業を機に開通した。
#1996年から投入された車両で、5000系とは異なり4両+6両に分割可能となった。
#21世紀最初の年ということで、ミレニアム列車が運行された。
#*後に2両編成も登場している。
#この年は、大阪近鉄バファローズがリーグ優勝した年なので、観客動員数も史実より多くなっていた。
#**2両編成は4両編成を組み替えて誕生した。余った中間車は他の4連に組み込んで6連化。7000系の先頭車は元々すべてTcだったので新たに4→6連に組み込んだ中間車の走行機器を先頭車に移植した。
#*大阪近鉄バファローズは存続していたか、史実よりも遅れて、身売りしていた。オリックスとの合併はなかった。
#**2両編成はなぜかTcにパンタグラフがついている。
#9300系電車は近鉄乗り入れ対応車として、製造された。
#前面の貫通扉はカバーがついている。
#*1000系電車の登場は史実通りだが、製造数が史実より少なくなっていた。
#制御装置はIGBT-VVVFとなった。
#**あるいは9300系は登場せず、9000系の次が1000系となっていた。
#*乗り入れ先の南海よりも早かった。
#*近鉄の5820・9020・9820系も。近鉄は5800系あたりから阪神乗り入れを考慮した仕様になっていた。
#高野線には一応橋本まで乗り入れ可能の仕様だが、橋本まで乗り入れた実績は確認されていない。
#2001年3月10日のダイヤ改正を機に開業していた。
#開業の際に、PRのために阪神タイガースと大阪近鉄バファローズの選手と監督が両方起用されていた。
#*大阪近鉄側は、監督の梨田昌孝氏、中村紀洋氏、ローズ氏が起用され、阪神側は、監督の野村克也氏、藪恵壹氏、遠山奬志氏が起用された。
#大阪球場の解体工事となんばパークスの開業が史実より早まっていたかもしれない。(史実では、解体工事は1998年11月から開始され、なんばパークスは2003年10月に第1期部分が開業し、2007年4月に第2期部分が開業し、全館開業した。)
#*阪神なんば線の開業に合わせて、開業していた可能性もある。


=== 7020系 ===
==2003年==
#7000系の発展タイプ。
#この年は阪神タイガース18年ぶりのリーグ優勝があったので、それと合わせて阪神グループにとっては2重の喜びだった。
#前面の幌カバーは廃止された。
#*なんば線開通とタイガース優勝があった年として2003年は鉄道ファンにも[[阪神タイガースファン]]にも語り継がれていた。
#車内には液晶式の案内表示機が付く。
#*もしこの年の日本シリーズが阪神対近鉄になっていたら、さらに賑わっていた。
#9300系は登場せず、2001年に1000系が登場していた。
#*いや、9300系電車が1998年or1999年頃に登場していたかもしれない。
#2004年or2005年の項目のいずれかが実現していた。


==関連項目==
==2004年or2005年==
*[[もし泉北高速鉄道が○○だったら]]
#近鉄21020系電車は阪神乗り入れに対応した車両となり、2005年の愛知万博の開催を機に臨時列車として、神戸三宮までに乗り入れた。
*[[偽鉄道事業者の特徴/近畿]]
#*2005年を機に、名阪特急の利用客が史実よりも多くなっていたかもしれない。
 
#*近鉄の「愛・地球博 割引きっぷ」が阪神沿線でも販売されていた。
{{DEFAULTSORT:せんほくこうそくてつとう}}
#大阪近鉄バファローズは存続していたか、史実よりも遅れて、身売りしていた。
[[Category:大阪の企業]]
#*オリックスとの合併はなく、プロ野球再編問題は起こらなかったかもしれない。
[[Category:大阪の鉄道]]
#1000系電車は史実より早く登場していた。
[[Category:スルッとKANSAI]]
#*9300系電車の登場は史実通り。
[[Category:準大手私鉄]]
#2005年3月25日or3月18日に開業していた。
[[Category:南海グループ]]
#*2004年3月19日or3月20日に開業していた可能性もある。
#駐米スカウトをやっていたトーマス・オマリー氏が開業告知のポスター・CMに出演していた。
#なんばパークスの全館開業が史実より早まっていた。
#*マルイト難波ビルの竣工も史実よりも早まっていた。
#史実通りに翌年に阪急HDと統合した場合、大阪難波駅でも、宝塚歌劇団の広告が掲載されていたかもしれない。
#尼崎~神戸三宮間において、快速急行の8両編成での運行が2016年頃に早まっていた。
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[[Category:もしも借箱/鉄道路線]]
[[Category:歴史のif検討委員会 関西私鉄史]]
[[Category:阪神電気鉄道|もしなんはせんかへつのしたい]]

2021年1月19日 (火) 16:18時点における版

2009年3月20日に開業した阪神なんば線。この路線は戦後すぐに計画され、高度成長期に一部区間の着工までこぎつけたものの沿線の反対により一旦工事が中断され、平成になって第三セクターで工事が再開されるという経緯をたどりました。もし…

昭和40年代

この路線が予定通り昭和40年代に実現していたらどうなっていただろうかを検証します。

さくらがわ
桜川
SAKURAGAWA
おおさかドームまえ ←→ きんてつなんば
  1. 地下鉄千日前線は建設されていなかった。
    • 現実に市は近鉄難波線と競って建設したわけですから、阪神とも競っただけではないかと。
    • 地下鉄今里筋線は今里からは南巽へと曲がって建設された。
    • 四つ橋線難波駅は今も「難波元町」駅のまま。
  2. 阪神なんば線のルートは現実とは異なり、九条から桜川までの間に駅は建設されなかった。
    • しかし1997年の大阪ドームオープンに伴い「大阪ドーム前」駅を新設。
      • 但し場所は異なっていた。
    • 近鉄に配慮して、九条駅に「大阪ドーム前」の副駅名がついた可能性もある。長堀鶴見緑地線開業後はどうなるか分からないが。
    • どっちにしろ大阪近鉄バファローズの観客数は現実より多く、合併は免れ、せいぜい売却で済んだかも。近鉄沿線からもアクセスしやすいし。
  3. 阪神3801系は20m4扉車となり、大量増備されていた。
    • あるいは「2000系」とかいう形式が与えられていた。
  4. 近鉄側は8000系が阪神乗り入れ仕様となっていた。
  5. 千鳥橋駅は2面4線の退避可能駅となり、なんば線内で追い越しが行われていた。
    • 三宮~近鉄奈良間の快速急行は尼崎~大阪難波間で西九条と九条のみに停車していた。
      • 乗務員交代駅の桜川を足して、桜川・九条・西九条のみに停車。
    • 山陽との直通がその分、軽視された可能性も。未だに阪急とも直通していたり…
  6. 阪神・淡路大震災後もJRに客を取られることはなかった。
    • 梅田方面ではなく今では難波方面への輸送がメインになっている。
    • 阪神電鉄自体の業績も現実よりは良かったことが考えられるので、球団にお金をかけることができた。その結果1990年代の暗黒時代は到来しなかった可能性もある。
      • 1985~2003年の間に何度かリーグ優勝しているかも。特に1992年は優勝していた可能性が高い。
  7. 村○ファンドによる株買い占めの後、阪急ではなく近鉄と経営統合していた。
    • ますます西の京急感が強まる。
  8. 阪神本線の尼崎~西宮間は1980年代に複々線化される。
    • 同時に高架化も行われていた。
    • 甲子園駅の改良工事も並行して行われていた。
  9. 近鉄18200・18400系は1976年以降、三宮-賢島の神伊特急に転用されていた(大和八木以東は京伊特急と併結)。
    • さらに山陽姫路まで直通していた。
  10. なんば線が開業した直後は三宮~奈良間の直通運転は行われず、阪神側からは当時三宮~西九条間を運行していたN特急を近鉄線内各駅停車で瓢箪山まで延長、近鉄側からは奈良線快速急行が尼崎まで延長運転される。
    • 三宮~奈良間の直通快速急行は1990年代後半に運転開始する。
  11. 阪神春日野道駅の狭いホームを近鉄電車が通過していた。
    • または近鉄乗り入れを機に春日野道駅を大改造していた。
  12. 西九条~九条間の高架区間の防音シェルターは設置されなかった。
    • そのため大阪市内が一望でき、九条手前の地下に潜る部分では前方に地下鉄中央線を見ることができる。
  13. 阪神大震災で、近鉄車両も被災していた。
    • 復旧中は、近鉄から車両を借り受けて運行を行った可能性もある。
  14. そもそも路線名は阪神なんば線ではなかった。
    • 近鉄に倣って「難波線」とするか、あるいは「西大阪線」のままだった。
  15. 加算運賃がなかった。
    • 近鉄難波線同様、90年代までに建設費償還が終わっている。
  16. 阪神タイガースが昭和末期でも大阪球場で公式戦を行っていた(特に夏の高校野球期間中など)。
    • 代わりに西宮球場を利用することが無くなっていた。
  17. 梅田-姫路の直通特急がもっと早く登場していた他、奈良からの快速急行も新開地発着となり、阪急は高速神戸より西に入れなくなっていた。
    • 阪急は市営地下鉄との直通を早い段階で検討し、神戸高速鉄道の高速神戸~阪急三宮間は開業しなかったか、短期で廃線となった。
      • 市営地下鉄との直通が実現していた場合、西灘(現王子公園)~三宮間は新神戸駅経由となり、春日野道駅経由の路線は廃止されていた。
      • 明石海峡大橋は鉄道道路併用橋となり、神戸市営地下鉄の名谷~鳴門間に本四連絡鉄道が建設されていた。そして阪急梅田~徳島間に直通特急が運転されていた。
      • 阪急六甲駅での衝突事故は起こらなかったかも。
  18. 近鉄難波駅は「近鉄・阪神難波」駅になっていた。
    • あるいは単に「難波」駅になっていたかも。
  19. 初代あおぞら号は山陽乗り入れ対応で製造、播州地域の学生は山陽-(高速-阪神-)近鉄で伊勢方面へ修学旅行に向かっていた。そのため草津線経由修学旅行臨は国鉄時代の早い時期に廃止になっている。
    • 山陽-近鉄による伊勢志摩方面のアクセス強化は草津線の優等列車廃止も早める結果となり、結果草津線は京阪神近郊の通勤路線として早くから発展する結果となる。その為、現在では草津線直通の新快速が運転されているほか、信楽線も3セク化されていない。信楽線脱線事故なんて当然発生していない。
    • 20000系「楽」も。山陽・阪神沿線から伊勢などへの団体旅行に使われていた。
  20. 1980年代前半には近鉄特急の本格的な山陽乗り入れも開始、その後バブルに乗じて乗客数は右肩上がりも、バブル崩壊など不況で衰退に傾く。しかし現在もある程度のフリークエンシー性を保った範囲での本数が確保されている。
    • 阪神大震災の際、神戸高速線は近鉄特急乗り入れの関係で通過できる車両限界に影響を与えない範囲で工事を行なわなければならなかったため、復旧工事はかなりの難工事となった。
      • この事が神戸高速の経営に深刻な打撃を与え、90年代後半には完全な第三種鉄道事業者に転ずる。結果山陽・阪急・阪神間で高速線路線の再分配が行なわれ運賃が安くなっていた。
    • あるいは運賃+料金と所要時間でJR新快速に対抗できないため、これを機に近鉄特急の山陽乗り入れを廃止し、三宮までに短縮されていた。
  21. 南海汐見橋線は現在のような状況にまでは衰退せず、南海電鉄がなにわ筋線に活路を求める事も無かった。なにわ筋線事業がJRの単独で計画が進行していた可能性もある。
    • アメリカ村は桜川駅周辺にまで広がり、桜川が堀江と一体で若者の街として発展していた可能性もある。
    • 南海は単独で汐見橋から梅田方面へ延伸していたかも。
  22. 三宮―大阪難波間の所要時間がもっと短縮されていた。
    • 三宮―西九条間にN特急が運行されていた時期、同区間の所要時間は25分であった。西九条-大阪難波間でドーム前と桜川を通過とすると三宮―大阪難波間の所要時間は32~33分くらいだった可能性がある。
  23. ただでさえラッシュ時に混雑する近鉄奈良線の輸送量が限界に達したことから、近鉄東大阪線(現けいはんな線)の生駒以西は1970年代後半には開業していた。
    • 生駒―学研奈良登美ヶ丘間も1990年代のうちに開業。場合によれば当初の計画通り高の原まで延伸されているか、関西文化学術研究都市の中心部への乗り入れを果たしていた。
  24. 1981年の「ポートピア81」の時には近鉄車両もヘッドマークを付けて運行された。
    • 名古屋―三宮間に臨時特急も運転された。
  25. 西九条が現実よりも早く乗り換えターミナルとして注目されていた。
    • 商業地としても現実より発展していたかもしれない。場合によっては京橋周辺の「ヒガシ」に対し「ニシ」と呼ばれていた。
    • 京阪中之島線も当初から天満橋~西九条間の路線として建設されていた。場合によってはこちらも阪神に乗り入れていたかも?
  26. 3・3・SUNフリーきっぷは南海・近鉄・名鉄ではなく阪神・近鉄・名鉄の3社が利用可能となっていた。
    • エリア拡大版の「ワイド3・3・SUNフリーきっぷ」の方が山陽電鉄もエリアに含まれていた。
  27. アーバンライナーや伊勢志摩ライナーの車両は阪神乗り入れに対応した前面貫通式の車両になっていたかもしれない。
    • むしろトンネル側が非貫通車両の営業列車を通せる規格で作られていた。
  28. なんば線の淀川橋梁は1980~90年代のうちに架け替えられていた。
    • 同時に大物~千鳥橋の高架化と神崎川・左門殿川橋梁のかさ上げも行われていた。
  29. 山陽電鉄の駅のホーム案内に「奈良方面」の文字が加えられていた。

1980年代

  1. 1981年3月、1985年3月、1988年3月のいずれかに開業していた。
    • 1981年3月の場合、神戸ポートアイランド博覧会の開催に合わせて、開業した。
    • 1985年3月の場合、ユニバーシアード神戸大会の開催に合わせて、開業した。
  2. 1985年3月の場合、この年が阪神タイガースが日本一になった年でもあるので、阪神グループにとって、輝かしい年になっていた。
  3. 8000系電車が近鉄乗り入れ対応の車両となり、史実より多く製造された。
    • 9000系電車と1000系電車の登場は史実通り。
    • 1988年開業の場合、8000系はVVVFインバータ制御車となっていた。
      • 阪神におけるVVVF車の登場が10年早まっていた。
  4. 東大阪市の花園中央公園に近鉄花園野球場が開場した場合、そこが近鉄バファローズの本拠地となり、観客動員数が史実より多くなっていた。
  5. 1988年になら・シルクロード博覧会が開催されたことに合わせて、臨時列車が運行されていた。
  6. 路線名は「阪神西大阪線」になっていた。

1990年

  1. 阪神8000系は近鉄乗り入れ対応のVVVF車となっていた。
  2. 開業したのがバブル期ということもあり、姫路―賢島間にリゾート特急が運行されていた。
    • 「伊勢志摩ライナー」はこの時に登場していた。もちろん阪神乗り入れ対応。
      • パルケエスパーニャの入場者数も現実以上になり、のちの近鉄グループの経営難がもう少しマシになっていただろう。
    • 「アーバンライナー」も難波〜名古屋だけでなく、三宮〜名古屋や姫路〜名古屋での運行があったかもしれない。
  3. 奈良-三宮間運転の快速急行は名鉄特急と同じような自由席車6~8両+指定席車2両編成となっていた。
  4. 同年大阪の鶴見緑地で開催されていた国際花と緑の博覧会(花博)が開業のきっかけになっていた。

1994年

  1. 関西国際空港の開港を機に開通した。
    • 関西空港の利用者数は史実より多くなっていた。
    • 関西国際空港が神戸に建設されていたら間違いなくそうなっていた。
      • その場合、春日野道あたりから関西空港への路線も同時に建設され、春日野道駅そのものも同時に改良されていた。
  2. 志摩スペイン村がこの年に開業していたので、三宮発着の臨時列車も運行されていた。
  3. 阪神の8000系電車が近鉄乗り入れ対応車両として、製造された。
    • むしろ8000系増備は1990年で打ち切りとなり、1991年以降はVVVF車の9000系(現実の9000系とは異なる)にフルモデルチェンジされていた。
      • 史実の8233F以降が9000系として登場していた。
  4. 近鉄の22000系電車は阪神乗り入れ対応車両として、製造され、予定通り112両が製造された。(史実では、86両が製造された。)
    • 22600系電車の登場は史実通り。
  5. 南海電鉄は、大阪球場の解体工事を史実より早く取り掛かっていた。また、なんばパークスの開業が史実より早まっていた。

1995年

  1. 同年1月17日に発生した阪神・淡路大震災により本線が被災し、その復旧を優先したため、難波延伸線の開業は翌1996年にずれ込んでいた。
    • ダイヤ改正(完全復旧)に合わせて、開業日は1996年3月20日に決定。
    • スルッとKANSAIは難波延伸線開業と同時に導入された。
  2. 阪神9000系は難波延伸線開業と同時にデビューしていた。
  3. この時期になるとドーム前駅設置が考慮されるようになっていた。

1997年

  1. 近鉄が奈良線にバファローズ応援列車を運行していた。
    • 大阪ドームでのバファローズ主催試合開催日には、バファローズのヘッドマークを付けた近鉄車両が奈良〜三宮間を行き来する。
  2. 大阪ドームの初年度来場客が現実より多かった。
  3. 阪神9000系は震災廃車の代替新造分を満たして以降も難波延伸・近鉄乗り入れ用として大量に増備されていた。
    • 1990年代前半に計画されていた新型急行系電車の構想に近い。
    • 近鉄1252系以降の奈良線向け一般車と22000系一部編成は当初から阪神線乗り入れ対応になった。
      • 場合によっては近鉄23000系・21020系・80000系は前面非常扉設置・阪神線乗り入れ対応だったかも。
  4. ドーム前駅は大阪メトロ長堀鶴見緑地線の駅(ドーム前千代崎駅)と同時に建設された。
    • バファローズに配慮して近鉄方面への折り返しが桜川駅ではなくこの駅で対応できるよう建設された。
      • おそらく2面4線(内側2線は難波方面のみ出発可能)、この場合桜川駅西側の引き上げ線は存在しない。
        • 阪神と近鉄の運転業務境界はこの駅より西は阪神、東は近鉄になっていた。
  5. 西九条~大阪難波間の建設目的に「なみはや国体関連の交通整備」が入っていた。
  6. 全通1番列車の出発式に「モッピー」も参加している。
  7. 阪神~山陽直通特急の運行開始がやや早まった可能性も。

2001年

  1. USJの開業を機に開通した。
  2. 21世紀最初の年ということで、ミレニアム列車が運行された。
  3. この年は、大阪近鉄バファローズがリーグ優勝した年なので、観客動員数も史実より多くなっていた。
    • 大阪近鉄バファローズは存続していたか、史実よりも遅れて、身売りしていた。オリックスとの合併はなかった。
  4. 9300系電車は近鉄乗り入れ対応車として、製造された。
    • 1000系電車の登場は史実通りだが、製造数が史実より少なくなっていた。
      • あるいは9300系は登場せず、9000系の次が1000系となっていた。
    • 近鉄の5820・9020・9820系も。近鉄は5800系あたりから阪神乗り入れを考慮した仕様になっていた。
  5. 2001年3月10日のダイヤ改正を機に開業していた。
  6. 開業の際に、PRのために阪神タイガースと大阪近鉄バファローズの選手と監督が両方起用されていた。
    • 大阪近鉄側は、監督の梨田昌孝氏、中村紀洋氏、ローズ氏が起用され、阪神側は、監督の野村克也氏、藪恵壹氏、遠山奬志氏が起用された。
  7. 大阪球場の解体工事となんばパークスの開業が史実より早まっていたかもしれない。(史実では、解体工事は1998年11月から開始され、なんばパークスは2003年10月に第1期部分が開業し、2007年4月に第2期部分が開業し、全館開業した。)
    • 阪神なんば線の開業に合わせて、開業していた可能性もある。

2003年

  1. この年は阪神タイガース18年ぶりのリーグ優勝があったので、それと合わせて阪神グループにとっては2重の喜びだった。
    • なんば線開通とタイガース優勝があった年として2003年は鉄道ファンにも阪神タイガースファンにも語り継がれていた。
    • もしこの年の日本シリーズが阪神対近鉄になっていたら、さらに賑わっていた。
  2. 9300系は登場せず、2001年に1000系が登場していた。
    • いや、9300系電車が1998年or1999年頃に登場していたかもしれない。
  3. 2004年or2005年の項目のいずれかが実現していた。

2004年or2005年

  1. 近鉄21020系電車は阪神乗り入れに対応した車両となり、2005年の愛知万博の開催を機に臨時列車として、神戸三宮までに乗り入れた。
    • 2005年を機に、名阪特急の利用客が史実よりも多くなっていたかもしれない。
    • 近鉄の「愛・地球博 割引きっぷ」が阪神沿線でも販売されていた。
  2. 大阪近鉄バファローズは存続していたか、史実よりも遅れて、身売りしていた。
    • オリックスとの合併はなく、プロ野球再編問題は起こらなかったかもしれない。
  3. 1000系電車は史実より早く登場していた。
    • 9300系電車の登場は史実通り。
  4. 2005年3月25日or3月18日に開業していた。
    • 2004年3月19日or3月20日に開業していた可能性もある。
  5. 駐米スカウトをやっていたトーマス・オマリー氏が開業告知のポスター・CMに出演していた。
  6. なんばパークスの全館開業が史実より早まっていた。
    • マルイト難波ビルの竣工も史実よりも早まっていた。
  7. 史実通りに翌年に阪急HDと統合した場合、大阪難波駅でも、宝塚歌劇団の広告が掲載されていたかもしれない。
  8. 尼崎~神戸三宮間において、快速急行の8両編成での運行が2016年頃に早まっていた。