もし阪神なんば線が別の時代に全通していたら
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2009年3月20日に開業した阪神なんば線。この路線は戦後すぐに計画され、高度成長期に一部区間の着工までこぎつけたものの沿線の反対により一旦工事が中断され、平成になって第三セクターで工事が再開されるという経緯をたどりました。もし…
昭和40年代
この路線が予定通り昭和40年代に実現していたらどうなっていただろうかを検証します。
- 地下鉄千日前線は建設されていなかった。
- 阪神なんば線のルートは現実とは異なり、九条から桜川までの間に駅は建設されなかった。
- しかし1997年の大阪ドームオープンに伴い「大阪ドーム前」駅を新設。
- 但し場所は異なっていた。
- 近鉄に配慮して、九条駅に「大阪ドーム前」の副駅名がついた可能性もある。長堀鶴見緑地線開業後はどうなるか分からないが。
- どっちにしろ大阪近鉄バファローズの観客数は現実より多く、合併は免れ、せいぜい売却で済んだかも。近鉄沿線からもアクセスしやすいし。
- 阪神タイガースとの試合が実現すれば「なんば線ダービー」と呼ばれる。
- しかし1997年の大阪ドームオープンに伴い「大阪ドーム前」駅を新設。
- 阪神3801系は20m4扉車となり、大量増備されていた。
- あるいは「2000系」とかいう形式が与えられていた。
- 近鉄側は8000系が阪神乗り入れ仕様となっていた。
- 千鳥橋駅は2面4線の退避可能駅となり、なんば線内で追い越しが行われていた。
- 三宮~近鉄奈良間の快速急行は尼崎~大阪難波間で西九条と九条のみに停車していた。
- 乗務員交代駅の桜川を足して、桜川・九条・西九条のみに停車。
- 山陽との直通がその分、軽視された可能性も。未だに阪急とも直通していたり…
- 三宮~近鉄奈良間の快速急行は尼崎~大阪難波間で西九条と九条のみに停車していた。
- 阪神・淡路大震災後もJRに客を取られることはなかった。
- 梅田方面ではなく今では難波方面への輸送がメインになっている。
- 阪神電鉄自体の業績も現実よりは良かったことが考えられるので、球団にお金をかけることができた。その結果1990年代の暗黒時代は到来しなかった可能性もある。
- 1985~2003年の間に何度かリーグ優勝しているかも。特に1992年は優勝していた可能性が高い。
- 村○ファンドによる株買い占めの後、阪急ではなく近鉄と経営統合していた。
- ますます西の京急感が強まる。
- 阪神本線の尼崎~西宮間は1980年代に複々線化される。
- 同時に高架化も行われていた。
- 甲子園駅の改良工事も並行して行われていた。
- 近鉄18200・18400系は1976年以降、三宮-賢島の神伊特急に転用されていた(大和八木以東は京伊特急と併結)。
- さらに山陽姫路まで直通していた。
- なんば線が開業した直後は三宮~奈良間の直通運転は行われず、阪神側からは当時三宮~西九条間を運行していたN特急を近鉄線内各駅停車で瓢箪山まで延長、近鉄側からは奈良線快速急行が尼崎まで延長運転される。
- 三宮~奈良間の直通快速急行は1990年代後半に運転開始する。
- 阪神春日野道駅の狭いホームを近鉄電車が通過していた。
- または近鉄乗り入れを機に春日野道駅を大改造していた。
- 西九条~九条間の高架区間の防音シェルターは設置されなかった。
- そのため大阪市内が一望でき、九条手前の地下に潜る部分では前方に地下鉄中央線を見ることができる。
- 阪神大震災で、近鉄車両も被災していた。
- 復旧中は、近鉄から車両を借り受けて運行を行った可能性もある。
- そもそも路線名は阪神なんば線ではなかった。
- 近鉄に倣って「難波線」とするか、あるいは「西大阪線」のままだった。
- 加算運賃がなかった。
- 近鉄難波線同様、90年代までに建設費償還が終わっている。
- 阪神タイガースが昭和末期でも大阪球場で公式戦を行っていた(特に夏の高校野球期間中など)。
- 代わりに西宮球場を利用することが無くなっていた。
- 梅田-姫路の直通特急がもっと早く登場していた他、奈良からの快速急行も新開地発着となり、阪急は高速神戸より西に入れなくなっていた。
- 阪急は市営地下鉄との直通を早い段階で検討し、神戸高速鉄道の高速神戸~阪急三宮間は開業しなかったか、短期で廃線となった。
- 市営地下鉄との直通が実現していた場合、西灘(現王子公園)~三宮間は新神戸駅経由となり、春日野道駅経由の路線は廃止されていた。
- 明石海峡大橋は鉄道道路併用橋となり、神戸市営地下鉄の名谷~鳴門間に本四連絡鉄道が建設されていた。そして阪急梅田~徳島間に直通特急が運転されていた。
- 阪急六甲駅での衝突事故は起こらなかったかも。
- 阪急は市営地下鉄との直通を早い段階で検討し、神戸高速鉄道の高速神戸~阪急三宮間は開業しなかったか、短期で廃線となった。
- 近鉄難波駅は「近鉄・阪神難波」駅になっていた。
- あるいは単に「難波」駅になっていたかも。
- 初代あおぞら号は山陽乗り入れ対応で製造、播州地域の学生は山陽-(高速-阪神-)近鉄で伊勢方面へ修学旅行に向かっていた。そのため草津線経由修学旅行臨は国鉄時代の早い時期に廃止になっている。
- 山陽-近鉄による伊勢志摩方面のアクセス強化は草津線の優等列車廃止も早める結果となり、結果草津線は京阪神近郊の通勤路線として早くから発展する結果となる。その為、現在では草津線直通の新快速が運転されているほか、信楽線も3セク化されていない。信楽線脱線事故なんて当然発生していない。
- 20000系「楽」も。山陽・阪神沿線から伊勢などへの団体旅行に使われていた。
- 1980年代前半には近鉄特急の本格的な山陽乗り入れも開始、その後バブルに乗じて乗客数は右肩上がりも、バブル崩壊など不況で衰退に傾く。しかし現在もある程度のフリークエンシー性を保った範囲での本数が確保されている。
- 阪神大震災の際、神戸高速線は近鉄特急乗り入れの関係で通過できる車両限界に影響を与えない範囲で工事を行なわなければならなかったため、復旧工事はかなりの難工事となった。
- この事が神戸高速の経営に深刻な打撃を与え、90年代後半には完全な第三種鉄道事業者に転ずる。結果山陽・阪急・阪神間で高速線路線の再分配が行なわれ運賃が安くなっていた。
- あるいは運賃+料金と所要時間でJR新快速に対抗できないため、これを機に近鉄特急の山陽乗り入れを廃止し、三宮までに短縮されていた。
- 阪神大震災の際、神戸高速線は近鉄特急乗り入れの関係で通過できる車両限界に影響を与えない範囲で工事を行なわなければならなかったため、復旧工事はかなりの難工事となった。
- 南海汐見橋線は現在のような状況にまでは衰退せず、南海電鉄がなにわ筋線に活路を求める事も無かった。なにわ筋線事業がJRの単独で計画が進行していた可能性もある。
- アメリカ村は桜川駅周辺にまで広がり、桜川が堀江と一体で若者の街として発展していた可能性もある。
- 南海は単独で汐見橋から梅田方面へ延伸していたかも。
- 三宮―大阪難波間の所要時間がもっと短縮されていた。
- 三宮―西九条間にN特急が運行されていた時期、同区間の所要時間は25分であった。西九条-大阪難波間でドーム前と桜川を通過とすると三宮―大阪難波間の所要時間は32~33分くらいだった可能性がある。
- ただでさえラッシュ時に混雑する近鉄奈良線の輸送量が限界に達したことから、近鉄東大阪線(現けいはんな線)の生駒以西は1970年代後半には開業していた。
- 生駒―学研奈良登美ヶ丘間も1990年代のうちに開業。場合によれば当初の計画通り高の原まで延伸されているか、関西文化学術研究都市の中心部への乗り入れを果たしていた。
- 1981年の「ポートピア81」の時には近鉄車両もヘッドマークを付けて運行された。
- 名古屋―三宮間に臨時特急も運転された。
- 西九条が現実よりも早く乗り換えターミナルとして注目されていた。
- 3・3・SUNフリーきっぷは南海・近鉄・名鉄ではなく阪神・近鉄・名鉄の3社が利用可能となっていた。
- エリア拡大版の「ワイド3・3・SUNフリーきっぷ」の方が山陽電鉄もエリアに含まれていた。
- アーバンライナーや伊勢志摩ライナーの車両は阪神乗り入れに対応した前面貫通式の車両になっていたかもしれない。
- むしろトンネル側が非貫通車両の営業列車を通せる規格で作られていた。
- なんば線の淀川橋梁は1980~90年代のうちに架け替えられていた。
- 同時に大物~千鳥橋の高架化と神崎川・左門殿川橋梁のかさ上げも行われていた。
- 山陽電鉄の駅のホーム案内に「奈良方面」の文字が加えられていた。
1980年代
- 1981年3月、1985年3月、1988年3月のいずれかに開業していた。
- 1981年3月の場合、神戸ポートアイランド博覧会の開催に合わせて、開業した。
- 1985年3月の場合、ユニバーシアード神戸大会の開催に合わせて、開業した。
- 1985年3月の場合、この年が阪神タイガースが日本一になった年でもあるので、阪神グループにとって、輝かしい年になっていた。
- 8000系電車が近鉄乗り入れ対応の車両となり、史実より多く製造された。
- 9000系電車と1000系電車の登場は史実通り。
- 1988年開業の場合、8000系はVVVFインバータ制御車となっていた。
- 阪神におけるVVVF車の登場が10年早まっていた。
- 東大阪市の花園中央公園に近鉄花園野球場が開場した場合、そこが近鉄バファローズの本拠地となり、観客動員数が史実より多くなっていた。
- 1988年になら・シルクロード博覧会が開催されたことに合わせて、臨時列車が運行されていた。
- 路線名は「阪神西大阪線」になっていた。
1990年
- 阪神8000系は近鉄乗り入れ対応のVVVF車となっていた。
- 開業したのがバブル期ということもあり、姫路―賢島間にリゾート特急が運行されていた。
- 「伊勢志摩ライナー」はこの時に登場していた。もちろん阪神乗り入れ対応。
- パルケエスパーニャの入場者数も現実以上になり、のちの近鉄グループの経営難がもう少しマシになっていただろう。
- 「アーバンライナー」も難波〜名古屋だけでなく、三宮〜名古屋や姫路〜名古屋での運行があったかもしれない。
- 「伊勢志摩ライナー」はこの時に登場していた。もちろん阪神乗り入れ対応。
- 奈良-三宮間運転の快速急行は名鉄特急と同じような自由席車6~8両+指定席車2両編成となっていた。
- 同年大阪の鶴見緑地で開催されていた国際花と緑の博覧会(花博)が開業のきっかけになっていた。
1994年
- 関西国際空港の開港を機に開通した。
- 関西空港の利用者数は史実より多くなっていた。
- 関西国際空港が神戸に建設されていたら間違いなくそうなっていた。
- その場合、春日野道あたりから関西空港への路線も同時に建設され、春日野道駅そのものも同時に改良されていた。
- 志摩スペイン村がこの年に開業していたので、三宮発着の臨時列車も運行されていた。
- 阪神の8000系電車が近鉄乗り入れ対応車両として、製造された。
- むしろ8000系増備は1990年で打ち切りとなり、1991年以降はVVVF車の9000系(現実の9000系とは異なる)にフルモデルチェンジされていた。
- 史実の8233F以降が9000系として登場していた。
- むしろ8000系増備は1990年で打ち切りとなり、1991年以降はVVVF車の9000系(現実の9000系とは異なる)にフルモデルチェンジされていた。
- 近鉄の22000系電車は阪神乗り入れ対応車両として、製造され、予定通り112両が製造された。(史実では、86両が製造された。)
- 22600系電車の登場は史実通り。
- 南海電鉄は、大阪球場の解体工事を史実より早く取り掛かっていた。また、なんばパークスの開業が史実より早まっていた。
1995年
- 同年1月17日に発生した阪神・淡路大震災により本線が被災し、その復旧を優先したため、難波延伸線の開業は翌1996年にずれ込んでいた。
- ダイヤ改正(完全復旧)に合わせて、開業日は1996年3月20日に決定。
- スルッとKANSAIは難波延伸線開業と同時に導入された。
- 阪神9000系は難波延伸線開業と同時にデビューしていた。
- この時期になるとドーム前駅設置が考慮されるようになっていた。
1997年
- 近鉄が奈良線にバファローズ応援列車を運行していた。
- 大阪ドームでのバファローズ主催試合開催日には、バファローズのヘッドマークを付けた近鉄車両が奈良〜三宮間を行き来する。
- 大阪ドームの初年度来場客が現実より多かった。
- 大阪近鉄バファローズの観客数は現実より多く、合併は免れ、せいぜい売却で済んだかも。
- 阪神9000系は震災廃車の代替新造分を満たして以降も難波延伸・近鉄乗り入れ用として大量に増備されていた。
- 1990年代前半に計画されていた新型急行系電車の構想に近い。
- 近鉄1252系以降の奈良線向け一般車と22000系一部編成は当初から阪神線乗り入れ対応になった。
- 場合によっては近鉄23000系・21020系・80000系は前面非常扉設置・阪神線乗り入れ対応だったかも。
- ドーム前駅は大阪メトロ長堀鶴見緑地線の駅(ドーム前千代崎駅)と同時に建設された。
- バファローズに配慮して近鉄方面への折り返しが桜川駅ではなくこの駅で対応できるよう建設された。
- おそらく2面4線(内側2線は難波方面のみ出発可能)、この場合桜川駅西側の引き上げ線は存在しない。
- 阪神と近鉄の運転業務境界はこの駅より西は阪神、東は近鉄になっていた。
- おそらく2面4線(内側2線は難波方面のみ出発可能)、この場合桜川駅西側の引き上げ線は存在しない。
- バファローズに配慮して近鉄方面への折り返しが桜川駅ではなくこの駅で対応できるよう建設された。
- 西九条~大阪難波間の建設目的に「なみはや国体関連の交通整備」が入っていた。
- 全通1番列車の出発式に「モッピー」も参加している。
- 阪神~山陽直通特急の運行開始がやや早まった可能性も。
2001年
- USJの開業を機に開通した。
- 21世紀最初の年ということで、ミレニアム列車が運行された。
- この年は、大阪近鉄バファローズがリーグ優勝した年なので、観客動員数も史実より多くなっていた。
- 大阪近鉄バファローズは存続していたか、史実よりも遅れて、身売りしていた。オリックスとの合併はなかった。
- 9300系電車は近鉄乗り入れ対応車として、製造された。
- 1000系電車の登場は史実通りだが、製造数が史実より少なくなっていた。
- あるいは9300系は登場せず、9000系の次が1000系となっていた。
- 近鉄の5820・9020・9820系も。近鉄は5800系あたりから阪神乗り入れを考慮した仕様になっていた。
- 1000系電車の登場は史実通りだが、製造数が史実より少なくなっていた。
- 2001年3月10日のダイヤ改正を機に開業していた。
- 開業の際に、PRのために阪神タイガースと大阪近鉄バファローズの選手と監督が両方起用されていた。
- 大阪近鉄側は、監督の梨田昌孝氏、中村紀洋氏、ローズ氏が起用され、阪神側は、監督の野村克也氏、藪恵壹氏、遠山奬志氏が起用された。
- 大阪球場の解体工事となんばパークスの開業が史実より早まっていたかもしれない。(史実では、解体工事は1998年11月から開始され、なんばパークスは2003年10月に第1期部分が開業し、2007年4月に第2期部分が開業し、全館開業した。)
- 阪神なんば線の開業に合わせて、開業していた可能性もある。
2003年
- この年は阪神タイガース18年ぶりのリーグ優勝があったので、それと合わせて阪神グループにとっては2重の喜びだった。
- なんば線開通とタイガース優勝があった年として2003年は鉄道ファンにも阪神タイガースファンにも語り継がれていた。
- もしこの年の日本シリーズが阪神対近鉄になっていたら、さらに賑わっていた。
- 9300系は登場せず、2001年に1000系が登場していた。
- いや、9300系電車が1998年or1999年頃に登場していたかもしれない。
- 2004年or2005年の項目のいずれかが実現していた。
2004年or2005年
- 近鉄21020系電車は阪神乗り入れに対応した車両となり、2005年の愛知万博の開催を機に臨時列車として、神戸三宮までに乗り入れた。
- 2005年を機に、名阪特急の利用客が史実よりも多くなっていたかもしれない。
- 近鉄の「愛・地球博 割引きっぷ」が阪神沿線でも販売されていた。
- 大阪近鉄バファローズは存続していたか、史実よりも遅れて、身売りしていた。
- オリックスとの合併はなく、プロ野球再編問題は起こらなかったかもしれない。
- 1000系電車は史実より早く登場していた。
- 9300系電車の登場は史実通り。
- 2005年3月25日or3月18日に開業していた。
- 2004年3月19日or3月20日に開業していた可能性もある。
- 駐米スカウトをやっていたトーマス・オマリー氏が開業告知のポスター・CMに出演していた。
- なんばパークスの全館開業が史実より早まっていた。
- マルイト難波ビルの竣工も史実よりも早まっていた。
- 史実通りに翌年に阪急HDと統合した場合、大阪難波駅でも、宝塚歌劇団の広告が掲載されていたかもしれない。
- 尼崎~神戸三宮間において、快速急行の8両編成での運行が2016年頃に早まっていた。