ページ「もしあの人物が大河ドラマの主人公になるとしたら/現代/スポーツ」と「もし東海道本線が○○を通っていたら」の間の差分

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==あ行==
*新規に項目を追加される場合は東から西の順になるようにお願いします。
=== 稲尾和久 ===
#タイトルはそのまま「神様、仏様、稲尾様」。
#*あるいは「鉄腕」。
#黒い霧事件については、事件の詳細よりも当時の稲尾自身の苦難を主体に描かれる。
#[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテ]]の監督としては、九州移転を願っていた事、落合博満との関係が大きく取り上げられる。
#板東英二、美木良介、永島敏行、山本譲二、嶋尾康史、山崎賢太、TIMの2人、野久保直樹、上地雄輔など元プロを含め野球経験を重視し野球のプレイシーンが栄えるよう配役。
#[[wikipedia:ja:鉄腕投手_稲尾物語|この映画]]とかなりな部分でかぶる可能性大…。
#ライバルとして榎本喜八がフィーチャーされ、稲尾のコントロールを持ってすら打ち取れない強敵として描かれる。


=== 井上尚弥 ===
==関東地方==
#タイトルは『モンスター』。
===新宿経由===
#オリンピックを目指していたアマチュア時代も色濃く描かれる。
#東海道本線開通当時は東京市ではないので相当な理由が無いと確実に「東京市に経由すべきだ」と反発していた。
#*史実でも海上に線路を通すなど東京市内の用地の確保には苦労していたので、市内に鉄道用地が全く確保できなかったら市外の新宿に駅を設けていた。
#品川駅は本当に品川区にあったかも。
#*目黒駅も目黒区にあった。
#*品川客車区も品川電車区と同じく大崎にできていた。
#*むしろ後の六本木あたりを通っているほうがありそう。
#**少なからぬ部分で旧大名屋敷の用地を転用している。
#東海道新幹線は新宿経由で決定。
#最初から東北方面へのスルー化も考慮していた場合。
#*東京で国鉄による環状線が開業しなかったかもしれない。
#*日本鉄道の始発駅は上野ではなかった。
#新宿駅が東京駅。
#*丸の内線東京駅は丸の内駅。


=== アントニオ猪木 ===
===銀座経由===
#タイトルは「ボンバイエ」か「元気ですか!」のどちらか。
*東海道線が今の東京駅に延伸する際に「新橋(汐留)駅から高架で銀座へ伸ばす」案があったそうです
#どこかで『猪木ボンバイエ』が流れることは間違いない。
#汐留駅は新橋のまま。
#国会議員時代のエピソードにも触れられる。
#*史実の新橋駅は烏森駅だった。
#**それでも、近鉄烏森駅には微妙に関係がなさそう。
#銀座の町並みはまったく変わっていた。
#*自慢の煉瓦街は関東大震災より前に消えていた。
#国鉄にも銀座駅が存在していた。
#*有楽町駅は無かった。有楽町線の駅も日比谷駅。
#**有楽町線の名前は史実の公募で応募数一位だった「麹町線」あたりになっていた。
#確実に工事は史実より遅れている。


=== イチロー ===
===品鶴線ルート===
#数十年後には主人公の候補に挙がっているだろう。
#電車線を通す際に鶴見-品川間で複々線化用地を捻出できず、中距離列車は新たに作った品鶴線経由に。
#2度のWBCではともに2,3話使われる。
#*途中駅は武蔵小杉のみ。
#1シーズン262安打や、10年連続200本安打などの記録にも触れられる。
#*武蔵小杉は昔から栄えていたため、タワマンラッシュは起こらず。
#タイトルは「51」
#横須賀線が東海道貨物線経由で運行。
#山内一弘は悪役気味に描かれそう。
#貨物列車はさらに海側、根岸線・大黒埠頭・扇島・浮島・羽田空港経由の新線に移行。
#確実に、川崎宗則が出演を熱望する。
#パンチ佐藤は出るには出るがチョイ役だろう。
#仰木彬や王貞治、原辰徳との関係性も述べられる。


=== 岩瀬仁紀 ===
===東海道貨物線経由===
#プロ野球史上初の1000登板達成までの経緯は確実に織り込まれる。
#その前に、埋め立て地をもっと早く行われければまず無理。
#2007年日本シリーズ第5戦の継投に関して山井大介についても語られる。
#*現実のルートでも開業当時は一部が海の中だったくらいなので江戸の中心がもっと南に寄っていない限り厳しい。
#それでも相模貨物駅・西湘貨物駅は旅客化しないだろう。
#羽田空港アクセス線構想・神奈川東部方面線はもっと早く開業していたか?
#*JR羽田空港駅はすぐ近くの所にはないが、史実の天空橋駅辺りに建設されていただろう。
#*相鉄に関しては上星川(この場合はここが星川駅になっている可能性も)で東海道線に乗り換えられるようになっているだろうから、JRへの乗り入れ構想はあまり活性化しなかったかもしれない。
#史実の羽沢貨物駅が新横浜駅になっていた可能性大。
#*下と同様に桜木町駅は今でも横浜駅と名乗っていた。
#この場合旅客線が東海道貨物線経由、貨物線が小田原駅以東東海道新幹線経由のルートになっていた。
#日本の鉄道が標準軌に改軌されていればあったと思われる。
#*勾配が多いわけでもないのでそれは無関係かと。
#日本最古とされる鉄道忌避伝説の地は川崎に。


=== 上田利治 ===
===桜木町経由===
#現役時代よりも指導者時代の方が長く描かれるのは当たり前。
*京浜東北線を桜木町から日ノ出町・井土ヶ谷を経由して東戸塚まで延長する計画があったそうです。
#阪急ブレーブスの黄金時代を築いたことも描かれる。
#中電は史実通り横浜から直で戸塚まで通るだろうから、下記内容とは違い桜木町がターミナルとして残っている可能性は低い気がする。
#*よって福本豊、山田久志も登場。
#[[もしあの鉄道路線のルートが○○だったら/私鉄#京急本線|京急本線は桜木町経由となっていた。]]
#広島放送局、大阪放送局、放送センター (東京) の3局合同製作になる。
#根岸線開業後は横浜線の桜木町行きが戸塚経由で大船まで乗り入れていたかもしれない。
#*広島放送局はカープ時代、大阪放送局は阪急・オリックス時代、そして放送センターは日本ハム時代を担当。
#*乗り入れ本数次第だが横須賀線も保土ヶ谷・東戸塚を通過していた。


=== 植村直己 ===
===根岸線経由===
#エベレストなどの実際の山はNHKがドキュメンタリーなどで使用している映像が使われる。
#桜木町駅は今でも横浜駅と名乗っていた。
#登山・アウトドア経験者が多数出演。
#現実の横浜駅付近には関東大震災後に平沼駅が京浜東北線の電車のみが停車する駅として開業していた。
#*イモトアヤコあたりは確実に出演する。
#相鉄線(旧神中鉄道)のターミナル駅も桜木町に建設され、京急線(旧京浜電鉄・旧湘南電鉄)も桜木町を経由していて、どちらも駅名は横浜駅を名乗っていた。
#東横線の桜木町駅も現存している(みなとみらい線との直通で終点ではなくなってるかもしれないが)。
#横浜~大船間が不必要に便利になる
#ルート次第では終戦まで呉線さながらに軍機保護のため鎧戸を下ろすよう求められていた。
#横浜市電が戸塚まで延びていた。


=== 遠藤保仁 ===
===横浜駅以西が海老名経由===
#もちろんガンバ大阪時代について大きく触れられるのは間違いないが、横浜フリューゲルス時代も欠かせない。
#綾瀬市に東海道本線の駅が出来るが、大和市は東海道本線の駅が無いかもしれない。
#*そして日本代表に関しても欠かせない。
#*あっても新駅扱いされていた。
#公式戦1000試合出場への道のりは大きく欠かせない。
#恐らく想定ルートは「横浜市(神奈川区→保土ヶ谷区→旭区→瀬谷区)→大和市→綾瀬市→海老名市→厚木市→伊勢原市→秦野市→中井町→小田原市」
#一緒に登場する選手は楢崎正剛・川口能活・中村俊輔・宮本恒靖・稲本潤一、最近なら東口順昭・宇佐美貴史あたりか。
#*要は相鉄本線&小田急海老名以西のルートでしょ。
#*宮本はガンバ大阪・日本代表のチームメイトとしても、そして選手と監督としての関係性についても触れられる。
#*最初は今の小田急~松田~御殿場線、のちに秦野分岐で上のルートになっていただろう。
#*大山への私鉄が確実に開業していた。
#恐らく津波を想定したルートか。
#*明治の鉄道当局にそのような思想があったようには到底思えない。
#*むしろ軍部が艦砲射撃云々で首を突っ込んできた結果では。
#少なくとも小田原駅~横浜駅を結ぶ鉄道は別の路線名で開業していた。
#*東急あたりが横浜から東海道沿いに作っていたかもしれない。
#**江ノ電も箱根登山鉄道も東急のものに。江ノ島、湘南、箱根を手中に収める一大観光企業となる。
#小田急は新宿~海老名~本厚木~平塚か。平塚急行とか町田急行とかになってたかも。


=== 王貞治 ===
===鎌倉駅経由===
#周防同様、存命中の人物で初の大河ドラマの主人公となる。
#史実通りのルートでは遠回りするため、保土ヶ谷駅から分岐していた。
#勿論タイトルは『世界の王』。
#港南台駅にも出来ていた可能性が高い。
#特別出演に張本勲、江夏豊、桑田真澄、小久保裕紀あたり。
#JR東日本の各駅に江ノ電と東海道本線をタップした広告があったかもしれない。
#*ミスターは…体調面を考えたら厳しいので、脚本の執筆に際してインタビューを受けるぐらいにとどまるかも。
#*ルート次第ではそもそも江ノ電自体ない。
#何かしらの形で読売新聞社、またはソフトバンクが関わってくる。
#根岸線も鎌倉終点だった。
#*ナベツネ同様NHKと日本テレビの共同制作。
#ルートとしては横浜(桜木町)~磯子~栄区南部を経由して鎌倉~江ノ島~辻堂、かな。
#どこかの名刹が線路により境内を分断され無残なことに。


=== 大谷翔平 ===
===小田原駅以東が東海道新幹線経由===
#タイトルは『二刀流』。
#東京駅から品川駅は史実と同じルート。
#幼少期から学生時代の間も色濃く描かれる。
#西大井駅が大井町駅に。武蔵小杉駅が川崎駅。
#綾瀬市にちゃんと駅が出来ていた。
#後に史実のルートも別の路線名で開業しているはず。
#*茅ヶ崎-平塚間は相模鉄道が開業させていたかもしれない(国有化で「湘南線」に吸収)。
#*大磯-小田原間は東海道線に近すぎるため建設されない。
#*大船-戸塚-横浜間は横須賀線として建設される。
#小田急江ノ島線の急行以上が高座渋谷駅に停車していた。
#日本の鉄道が標準軌に改軌されていればあったと思われる。
#開業当時の沿線人口を考慮すると短距離客はほぼ期待できない。


=== 大橋秀行 ===
===小田急線のルート===
#タイトルは『150年に一人の天才』。
#最初に開業した新橋-横浜間は京浜線として、それとは別に静岡・名古屋方面に(御殿場経由での)最短で建設。
#横浜高校→専修大学でのアマチュア時代からプロで世界戴冠、そして大橋ジム会長時代にも触れる。
#中央線・山手線の交点の新宿が起点に選ばれる。
#井上尚弥についても欠かせない。
#大船以西への中距離列車がない分京浜間に余裕が生まれ、横須賀線が川崎経由。
#平塚は鉄道空白地帯。
#*茅ヶ崎は相模線で、藤沢は江ノ島線で一旦内陸に入ってから厚木・相模大野で東海道線乗り換え。


=== 大八木弘明 ===
===箱根経由===
#タイトルは「男だろ!」。
{{駅名標/東日本|name=芦ノ湖|ruby=あしのこ|back=畑宿|next=諏訪神社|back2=Hatajuku|roma=Ashinoko|next2=Suwajinja|color=#FF8C00}}
#大学進学をあきらめねばならなかった所から24歳で駒澤大学に入学したエピソードが前半のヤマか。
#箱根の峠越えが問題になる。
#指導者として駒澤大学に戻ってからは、1年=1話ぐらいになりそう。
#*場合によってはEF63が箱根峠用に投入されていた。
#*あるいは4連覇も1話でぶった切られるかもしれない。
#箱根登山鉄道は存在せず、小田急は小田原から熱海に伸ばされていた。
#終盤には2019年度、教え子の前田康弘監督率いる國學院大學に出雲駅伝と箱根駅伝で敗れたエピソードが入る。
#*[[伊豆急行]]は東急ではなく小田急の子会社となっていた。伊東までは小田急の路線として開業していた。
#教え子で俳優の西田隆維が何らかの重要な役目を与えられるのは間違いない。
#**ロマンスカーが乗り入れているのでリゾート21は開発されなかった。
#*和田正人も出演しそう。
#**となると現実の小田急が「伊豆急」だったのか?
#*強羅・小涌谷地区の観光開発は史実ほど進んでいなかった。
#JR東日本と東海の境界は芦ノ湖駅となる。
#*三島駅もしくは湯本駅となっていた可能性も。
#後に箱根新道沿いに新線が建設される。
#やはり新幹線になって初めて丹那トンネルが掘られる。
#*あるいはこちらも箱根経由になり、小田原-湯本-三島となっていた。
#常磐線湯本駅は「常陸湯本」となっていた。
#*所在地の旧国名を考えると「磐城湯本」では?
#御殿場線は箱根裏街道沿いに建設されていた。
#*御殿場線用にEF63が投入されていた。
#*御殿場-沼津間は開業しなかったかもしれない。
#箱根町は市制施行していた。
#*箱根0460地域の市内局番2桁化も昭和のうちに実施されていた。
#*湯本地区は東京・横浜のベッドタウンとしても発展していた。
#開業当初は確実にアプト式だった。
#東西両京の輸送においてとんでもないボトルネックとなっていた。
#*「これでは東海道線に変更した意味がない」と散々に叩かれていた。
#*工事も難航しおびただしい死者が出て開業が遅れていた。
#**日清戦争に間に合わなかったらその後の日本の歴史そのものが激しく変わっていた。


=== 緒方孝市 ===
===厚木経由===
#広島東洋カープを25年ぶりリーグ優勝、そして3連覇に導いたことがストーリーのメインとなる。
#そもそも東京からルートが違っていたかもしれない。
#*品川ではなく渋谷を通っていた。
#*東京の東海道線ホームは地下ホームになっていたかもしれない。
#現実よりも多く東名高速道路と並走していた。
#*むしろほとんど並走していた可能性が高い。
#世田谷区にJRの駅が存在した。
#場所によっては現実よりも所要時間が短くなっていた。
#史実の明治時代の状況を考慮すると通る動機が見つからない。
#*相模川が木曽三川並みの暴れ川だったら架橋を考慮して考えられたかもしれない。


=== 岡田武史 ===
==東海地方==
#メインは監督時代だろう。
===大月・御坂峠経由===
#2度のワールドカップではともに2,3話使われる。
*[[もし中央本線が○○を通っていたら#御殿場分岐・御坂峠経由|これ]]の逆パターン。
#*特にフランスワールドカップでカズらを外した場面は必須。
#JRの境界駅は御殿場だった。
#FC今治オーナーとしての奮闘ぶりも描かれるだろう。
#*小田急も御殿場まで路線を伸ばしている。
#神奈川方面は東京~横浜~熱海~伊東の熱海線が神奈川方面のメインで、のちに熱海~沼津に国鉄の路線ができるが赤字ローカル線の扱いだった。
#*さすがに東海道線と神奈川を結ぶ路線なのでたぶん三セク化には至ってないだろう。
#*熱海・伊東地域が路線図的に独立するので、伊豆半島の神奈川化がさらに進んでいた。
#おそらくこうなった経緯は東京~大月を敷設するときもまだ中山道ルートの予定だった、というところだろう。中央アルプスのトンネル地帯の工事が難しいのでそこだけ東海道側にした、という感じか。
#中央本線は大月~名古屋になる。
#でも中央線特急は途中まで東海道線を通るだけで史実通りだったと思われる。
#富士急行は存在しない。
#山梨県に東海道本線が通っていた。
#*日本の国土軸に位置することから、山梨県が現実ほど地味な存在にはなっていなかった。
#**県は現実よりも発展し、人口も100万人を超えていただろう。
#ここまでくると、「東海道本線」という名称ではなく、単に「東海本線」だったかもしれない。
#東海道新幹線も多摩地域経由となり、八王子や大月、御殿場に新幹線の駅ができる。
#*東名高速道路も。中央道と東名道の分岐点は大月になっていた。
#この場合、身延線は国有化されず私鉄のままだったか、国有化されたとしてもいずれ3セクか廃線になっていた。
#*私鉄だった場合、こっちが富士急行を名乗っていたかもしれない。ただしこの場合の富士は始点の富士駅か、横を通る富士川に由来する。
#甲武鉄道は会社自体誕生しなかった。
#おそらく日本の最重要幹線としてはまともに機能できない。
#*御坂峠・篭坂峠といった難所のせいで輸送力確保が至難。
#**さらに雪害により不通になるリスクも大きい。
#*そのため、小田急が国有化されていた可能性もある。


=== 小笠原満男 ===
===御殿場経由===
#もちろん鹿島アントラーズ時代、そして日本代表での実績や功績に関する内容がメイン。
{{駅名標/東日本|name=松田|ruby=まつだ|back=相模金子|next=東山北|back2=Sagami-Kaneko|roma=Matsuda|next2=Higashi-Yamakita|color=#FF8C00}}
#2001年チャンピオンシップ第2戦 (自身がVゴールを決め連覇達成) で1話分使われる。
*丹那トンネル開通前は御殿場線が東海道線でした(鉄道唱歌にも登場)。
#*2009年J1最終節 (鹿島が3連覇を決めた試合) でも1話分使われる。
#丹那トンネルの工事に失敗、開通せず。
#*これにより熱海~沼津間は未開通
#**国府津~熱海間は伊東線の一部になってた。
#国府津~伊東間は伊東線
#*「踊り子」は国府津で下田行きと修善寺行きに分割。
#**むしろ修善寺行きは存在しない。
#*白糸川橋梁の撮影地としての知名度が低かった。
#*熱海(正確には来宮の手前)までが複線。
#*丹那トンネルの工事費が伊豆半島に回された結果、下田まで国鉄線→JR下田線()として開業したかもしれない。
#東京~沼津は東日本
#*むしろ山北までじゃないか?
#**山北がずっと拠点駅のままだったら山北、そうでなかったら現実の拠点駅である御殿場あたりが境界だっただろう。
#快速アクティーの通過駅は辻堂・大磯・二宮・下曽我・上大井・相模金子・東山北
#*国府津以西は各駅停車だったと思う。
#新幹線になって初めて丹那トンネルが掘られる。
#*あるいはこちらも御殿場経由になってた。この場合新横浜と新富士の間に出来る駅は松田-御殿場-新沼津(下土狩)になり、路線もやや北よりに変更。
#**小田原と熱海は新幹線に通過されたので今以上に寂れる。
#**新松田駅が箱根への玄関口となり、全ての[[小田急ロマンスカー|ロマンスカー]]が停車していた。
#***中京・関西からの箱根への玄関口は御殿場になっていたかもしれない。
#**そもそも下土狩駅が三島駅のままであり、[[伊豆箱根鉄道#駿豆線|駿豆鉄道線]]の部分廃止もなかった。
#***駿豆線が駿河を通らないなんてこともなかった。
#**丹那トンネルの掘削は昭和30年代ともなると技術的にはクリアできたが、1964年東京オリンピックに間に合わせるという工期上の理由で御殿場経由のルートに変更された可能性もあった。
#*丹那トンネルを経由する熱海〜三島(但し現実の下土狩駅)間のみの利用があった。
#*[[長泉町]]は昭和中期、遅くとも平成大合併で三島市に編入されていた。
#**[[福島/県中・県南#西郷村の噂|西郷村]]のように自立を守るか、[[山口市#小郡|小郡町]]みたいにやがては編入されるか…
#[[神奈川/足柄#山北町の噂|山北]]は市制施行していた。
#*[[神奈川/足柄#南足柄市の噂|南足柄市]]は市制できず、昭和中期ごろに小田原市に編入されていたかも。
#むしろ箱根より足柄のほうが観光地だったかもしれない。
#御殿場市(0550地域)の市内局番2桁化は昭和40年代に実施されていた。
#現在も複線のまま。
#*史実では戦時中に金属供出のため単線化された。
#ただし、[[湘南新宿ライン]]は小田急対抗の為小田原発着が基本になる。
#北伊豆地震の被害規模が史実より大きかったらこうなっていた。
#*この地震で断層の真下を通っていた丹那トンネルの一部が崩壊した。
#ここを通る機関車は大出力になっていた。
#*1960年代以降はEF65形よりもEF64形の方が製造両数が多かった。20系客車牽引用のEF64形500番台も登場していた。
#「あさぎり」は民営化後廃止されていた。
#*廃止されてはいないかもしれないが、沼津までの運行はなかった。
#*小田急から熱海・伊東方面に直通する特急が存在していたかもしれない。
#**その先の[[伊豆急行|伊豆急行線]]にもロマンスカーが乗り入れていた。
#*本数の少ないローカル線である御殿場線だからこそ実現したような気もするので、東海道本線だった場合はそもそも運行自体がされなかった可能性が高い。
#**その代わり、前述の通り新松田(もしかすると松田駅に直接乗り入れ?)が東海道本線と小田急線を連絡する重要な駅になり、全てのロマンスカーが停車していただろう。
#小田急が箱根八里を超えて三島・沼津まで延伸していたかもしれない。
#*工事の難しさに対して得るものが大きくないので厳しい。


=== 織田幹雄 ===
===最初から丹那トンネル経由===
#タイトルはやはり「金メダル」かな。
{{駅名標/小田急|name=松田|ruby=まつだ|back=渋沢|next=開成 <span style="font-size:6pt">Kaisei</span>|back2=Shibusawa|roma=Matsuda|next2=<span style="font-size:8pt">東山北</span> Higashi-yamakita}}
#日本初のオリンピック金メダルへの軌跡がメイン。
#明治時代の技術では考えられないが、東海道本線より先に中山道本線が開通していた場合はありうる。
#指導者としてのストーリーも描かれる。
#*その場合、名古屋〜京都間も[[#名古屋以西が国道1号線沿い|本来の東海道に沿っていた]]可能性が高い。
#*権藤博や長嶋茂雄らを勧誘したエピソードも。
#御殿場線は建設されないが、ほぼ同じルートに私鉄が作られる。
#*西側は駿豆線の延伸、東側は小田急の支線か?
#**小田急との分岐駅は、駅名が「新」の付かない「松田」になっていた。
#**「あさぎり」の本数がもう少し増えていた。
#**松田〜国府津間はおそらく存在しない。
#*箱根山戦争に巻き込まれた可能性が高い。
#*あるいは沼津〜御殿場間だけが国鉄によって建設され「御殿場線」となっていた。
#**その場合沼津方面が上り。
#**御殿場から山北~大雄山~小田原というルートだったかも。
#**「国鉄線は通っているものの、東京直結の私鉄の方が利用者の多い都市」になる。
#*[[富士急行|富士急行線]]が富士吉田〜御殿場〜沼津まで延伸ってのはどうだろう。
#**そして[[もしあの鉄道が国有化されていたら/東日本#富士山麓電気鉄道|大月〜富士吉田間もろとも国有化]]。この路線が「御殿場線」だったかも。
#**そうなったら、富士吉田~河口湖間は国鉄河口線にでもなっていた。
#国府津駅は乗換駅ではないため、寂しい途中駅になっていた。
#*快速アクティーは通過していた。


=== 落合博満 ===
===豊田(挙母)経由===
#プロ入り前の挫折や苦悩、中日監督時代の内容が中心になる。
{{駅名標/東海|ruby=ころも|name=挙母|roma=Koromo|back=かみごう|back2=Kamigō|place=愛知県挙母市|next=みよし|next2=Miyoshi}}
#落合のファンである上田晋也 (くりぃむしちゅー) も登場。
#名鉄名古屋本線と完全に棲み分ける形になっていた。
#ナレーションは息子の落合福嗣で決まり。
#*東海道本線がやや遠回りになるので名鉄が多少有利になった。
#大府、刈谷、蒲郡辺りは史実より栄えていない。
#*日進、三好は史実より栄えていた。
#**東郷町は市制施行していたかもしれない。
#***三好は徳島県三好市よりも早く三好市として市制施行していた。
#*ルート見てる限り蒲郡はあまり関係無い。むしろ安城の方が影響受けている。
#愛知環状鉄道は豊田駅までしか伸びていない。
#*距離が短い分、多治見まで全通していた。路線名は「挙多線」。
#東海道新幹線も豊田経由になっていただろう。
#武豊線は武豊~金山間としてならある。
#*電化が早まった可能性あり。
#ルートは金山~桜山~八事~日進~三好~豊田~岡崎か?
#*岡崎駅は史実の中岡崎駅にあって、史実の岡崎駅は南岡崎駅という小さな駅になっていた。
#*むしろ熱田で東海道本線と武豊線が分岐して、熱田~堀田~島田~日進~三好~豊田~上郷~岡崎になっていただろう。
#名鉄豊田線はなかった。
#*鶴舞線は日清か八事止まり。
#[[トヨタ自動車]]が挙母市に工場を設置しなかったかもしれない。
#*その場合、挙母市が「豊田市」に改名することはなかった。
#**挙母は工業都市にはならず鄙びた城下町としてのイメージになっていた。
#*工場は安城市あたりに作られ、こちらが「豊田市」になっていたかも。
#大府は乗換駅でなく武豊線の一部となり、刈谷は知立に合併され、安城は新安城駅付近を除き田畑が広がっていた。
#最大の動機は岡崎中心街へのアクセスか。
#*徳川幕府によって建設されていたらもしかすると…。


=== 小幡真一郎 ===
===関西本線・草津線のルート===
#史上初めて、スポーツの審判員が主人公となる。
*[[もし東海道本線が草津線のルートだったら]]
#1993年Jリーグ開幕戦で主審を務めたことは確実に盛り込まれるし、その試合で1話分使われる。
#ストイコビッチにイエローカードを出されたことも語られる。


=== 折茂武彦 ===
===名古屋以西が史実の東海道新幹線沿い===
#タイトルは「兼任」。
#東海道ルートより先に中山道ルートが開業し、さらに日本の鉄道が標準軌に改軌されていればあったと思われる。
#レバンガ北海道設立からプレイイングオーナーとしての奮闘ぶりが中心になる。
#*建設距離を考慮すると大垣ではなく岐阜での分岐だったのでは。
#Bリーグの現役選手も多数参加。


==か行==
==近畿地方==
=== カシアス内藤 ===
===長浜経由===
#沢木耕太郎の小説が原作になりそう。
#国鉄時代の新快速は米原発着だった。
#ナレーションは谷村新司。
#米原はただの中間駅。
#*近江鉄道が醒ヶ井経由で米原ー大垣間の路線を建設していた。
#**そのまま名鉄と接続していた。
#**大垣駅で'''近'''畿日本'''鉄'''道と'''近'''江'''鉄'''道があることになる。
#*新幹線の駅も米原ではなく田村に建設されていたかもしれない。その場合、駅名は「新長浜」となっていた。
#*米原町は平成の大合併で長浜か彦根に吸収されていた。
#それでも勾配がきついので関ヶ原ー米原間に新線が建設されていた。
#*その路線は貨物列車がメインで旅客列車はわずか。
#**扱い上垂井・新垂井のように上下線が分離されている形になっている。
#***どのみち長浜経由の路線は複線(垂井線と同様の方式ならば単線並列)化されている。
#効率化のためJR西日本の管轄が米原、長浜ー大垣間が含まれていた。
#*その場合京阪神の新快速は大垣発着だったかもしれない。
#**大垣夜行との連絡も史実より楽だった。
#北陸本線の起点は長浜だった。
#*もしかしたら北陸本線の直流電化区間は最近まで新潟側にしか無かったかもしれない。
#長浜駅初代駅舎は現在までに姿を消している。


=== 柏原竜二 ===
===彦根~草津間が名神高速道路沿い===
#タイトルは「山の神」。
#恐らく彦根~多賀~八日市~竜王~栗東~草津というルートだった。
#ナレーションは山の神を引き継いだ今井正人もしくは神野大地。
#近江八幡ではなく八日市が発展していた。
#*ご本人の要望で花澤香菜だろ、多分。
#*平成の大合併でも東近江市という市名は誕生せず、八日市市のままだった。
#箱根駅伝をモデルにした大河ドラマということで、沿道がすごいことになりそうだ。
#*ヴォーリズが近江八幡に住むことはなかったかもしれない。
#*大会の性質上日本テレビ系のドラマの方が似合うように思える。
#多賀大社への観光客が増えていた。
#周囲の目を気にして外出できなくなってからアニメに嵌るようになるまででまるまる一回使う。
#栗東には国鉄時代から駅があったかも。
#ツイッターについては触れられることはない。
#*もちろん現実の栗東駅とは場所が異なっていた。
#引退後に富士通アメフト部のマネージャーになってからの事も描かれる。
#*その場合、東海道新幹線のびわ湖栗東駅は在来線の栗東駅に併設されていた。
#陸上ファンには「他に取り上げるべき人がもっといるだろう」と批判されそうな気がする。
#車両基地は野洲ではなく竜王にできていた。
#近江鉄道は現実の東海道本線沿いに米原~草津間を結んでいた。
#中央本線竜王駅は「甲斐竜王」となっていた。


=== 金本知憲 ===
===長浜経由・湖西線ルート===
#タイトルは 「金本兄貴」 。
#米原から長浜経由で湖西を通っていた場合。
#2003年の阪神タイガース優勝、および連続試合フルイニング出場の世界記録達成までの道のりが中心になる。
#史実のびわこ線ルートには私鉄(おそらく京阪と近江鉄道)の線路が通っていた。そのため湖西線のような新線は生まれない。
#なんJは大盛り上がり。
#湖西エリアが栄える一方で、湖東、湖南エリアはすたれていた。
#新井貴浩についても述べられる。
#*草津や守山は平成の大合併あたりで大津市になっていた。代わりに志賀町が存続し、市制していた。
#さすがに新幹線は史実と同じルートだろう。米原~京都の駅間に駅がないのも史実通り。
#北陸本線の起点は近江塩津だっただろう。
#北陸新幹線はおそらく湖西ルートが取られていた。
#遠回りの上沿線人口も少ないので一体何が動機なのかよく分からない。
#*少なくとも北陸方面への路線の建設費を節約することは考慮されていたはず。


=== 釜本邦茂 ===
===稲荷経由===
#タイトルは「ストライカー」。
#大津は寂れていた。
#メキシコオリンピックで4分の1位使われる。
#*というより近江を統治する県の県庁が大津ではなく彦根か長浜に置かれていた。
#ガンバ大阪監督時代にも触れるだろうか?
#京阪大津線がある程度の競争力を持っていた。
#*京都市営地下鉄東西線も昭和のうちに開通し、京阪京津線との直通運転も昭和のうちに実施されていた。また、山科-浜大津間は勾配の緩いトンネル新線に付け替えられ、場合によっては浜大津駅も移転していた。
#稲荷駅がターミナル化していて、新快速が停車していた。
#*京阪伏見稲荷駅も乗換駅として重要になり、特急が停車していた。
#それでも東福寺駅には新快速は停車しない。
#名神高速道路や名古屋急行電鉄はどこのルートを通っていたんだろうか。
#*恐らく大山崎から現実の京滋パイパスのルートをたどり、宇治市内から醍醐を経て京都東インターで現実の経路に合流していただろう。
#**京都南インターは現実より南側の久御山町あたりに作られていた。
#*名古屋急行電鉄(阪急京都線)のルートは大宮から河原町、祇園四条を経て東山の下をトンネルで抜け、御陵、山科(現在のJR山科駅と同じ)を通り、山科以東は現在のJR東海道線のルートで膳所に抜けるようになっていたと思われる。
#大阪や京都から滋賀県は現実よりも距離が長くなっていた。
#*東海道新幹線が現実通りのルートをたどっていた場合、滋賀県内から京阪神へ行くのに新幹線を使う人が多くなっていた。びわ湖栗東駅も早期に開業していたかもしれない。
#*滋賀県が京阪のベッドタウンとして発展することはなかった。
#山科駅は地下鉄東西線小野駅あたりの場所にある。
#膳所駅が今でも大津駅のままで、大津市の中心は膳所駅周辺へ移っていた。
#京阪神の快速電車の80系の後継は113系ではなく抑速ブレーキ付きの115系が投入されていた。


=== 川上哲治 ===
====湖西線は====
#巨人一筋でプレーし続け、監督時代の9年連続日本一について触れられる。
#大谷から分岐していた。
#*必ず王貞治、長嶋茂雄も登場。
#*あるいは京都ー山科間は湖西線のルートになっていた。
#タイトルは 「闘魂こめて」 。
#**この場合、現実の山科駅は新山科駅と名乗っていた。
#春ごろには赤バット時代に触れることになるだろう。
#**江若鉄道は史実通り湖西線の建設とともに廃止されていた。
#[[もしあの鉄道路線が○○だったら/JR西日本|そのまま片町線経由]]になっていた。


=== 川淵三郎 ===
====奈良鉄道→奈良線は====
#Jリーグ初代チェアマン、日本サッカー協会キャプテン (会長) として日本のサッカー界を大きく発展させたことが話のメイン。
#上記に反するが国有化後も付け替えられなかったかもしれない。(桃山駅以北は現在の近鉄京都線のルート。)
#Jリーグ開幕戦 (1993年5月15日) 、及びその前夜で1話分使われる。
#付け替えがあったら、奈良線は稲荷ー木津の路線だった。
#*開会宣言の内容を考えるシーンも欠かせない。
#実史より早く電化されていたかもしれない。
#タイトルは「キャプテン」。
#*……だと野球漫画と被るな。
#日本の男子バスケのリーグ再編、そしてBリーグ初代チェアマンとなったことも述べられる。


===北尾(双羽黒)光司===
====奈良電気鉄道→近鉄京都線は====
#タイトルは『スポーツ冒険家』、あるいは『デンジャラス新人類』
#別ルートで京都に向かっていたかもしれない。
#大相撲廃業に関する事件は一週かけて行われる。
#または丹波橋駅から京阪電車に乗り入れていた。
#演じるのは『細かすぎて伝わらないモノマネ選手権』で北尾の物まねをやったちゃーはん天野。
#その場合、奈良電気鉄道は京阪と統合していたかもしれない。
#OPはプロレス時代の入場曲『超闘王のテーマ』。
#地下鉄烏丸線は丹波橋から建設されていた。
#*そして地下鉄と直通運転時に京阪の乗り入れが廃止、特急が国際会館まで乗り入れていた。
#あるいは烏丸線の京都以南は近鉄の手によって建設されていた。
#*開業自体史実よりも早かったかも。近鉄京都駅は現実と異なり地下駅となり、大阪難波駅と同じように相対式ホーム+島式ホームの2面3線ホームとなっていた。そのうち1線が特急用ホームとなっている。


=== 工藤公康 ===
===京街道沿い===
#名古屋電気高校時代から西武→ダイエー→巨人→横浜→西武での激闘、さらにソフトバンクでの監督経験にも触れる。
*[[もし東海道本線が京街道に沿って敷設されていたら]]
#タイトルは 「THE 優勝請負人」 。
#息子の工藤阿須加も登場。


=== 具志堅用高 ===
===淡路経由===
#タイトルは「冠鷲」。
*かつて吹田~大阪間は現在の阪急千里線、阪急京都線経由だったらしい
#やはり世界王座13度防衛が描かれる。
#新大阪駅は存在しない。
#*14度目の防衛に失敗した試合で1話使われる。
#*代わりに淡路駅付近に新幹線の駅が開業していた。
#ナレーションは片岡鶴太郎。
#**もしくは崇禅寺・柴島駅付近に新大阪駅が出来ていたかもしれない。その場合、柴島浄水場は移転していた。
#引退後タレントに転身したことにも触れられる。
#*地下鉄御堂筋線が新大阪駅に乗り入れないので、その点では現実より不便だった。
#**御堂筋線の西中島南方と東三国の間には駅が造られなかった。新大阪センイシティも別の場所にあった。
#*東淀川駅も宮原操車場も存在しない。
#阪急千里線、京都線の都心側ターミナルはいきなり梅田にできていた。
#*天六にターミナル駅は無し。
#*新京阪線は上新庄からまっすぐ南下し、都島・天満を経て梅田に向かっていた。
#*阪急千里線の十三~豊津間は現実よりも西寄りのルートを通っていた。
#**北大阪電気鉄道は京阪に合併されることはなく、戦前のうちに阪急に合流していた。
#**千里線のルートの一部は現実の東海道線(JR京都線)のルートになっていた(神崎川橋梁付近-現新大阪駅付近)。
#*崇禅寺・柴島駅付近に新幹線の新大阪駅が開業していた場合、堺筋線は新大阪駅(現実の柴島駅)までとなっていた。
#**新京阪線→阪急京都線が上新庄-都島-天満-梅田というルートで既に開通していたので阪急と堺筋線との直通運転はなく、堺筋線の直通相手は南海になっていた。以下、[[もし大阪市高速電気軌道が○○だったら#南海電鉄と相互直通運転をしていたら|こちら]]を参照。


=== 栗山英樹 ===
==関連項目==
#話のメインは日本ハム監督時代。
*[[東海道本線]]
#2012年・2016年の日本シリーズでどちらも2~3話程度使われる。
**[[東海道本線/JR東日本区間]]
#大谷翔平についても欠かせない。
**[[東海道本線/JR東海区間]]
**[[東海道本線/JR西日本区間]]
*[[もし東西幹線が中山道ルートだったら]]


=== 黒田博樹 ===
{{DEFAULTSORT:とうかいとうほんせん}}
#広島カープから大リーグ挑戦、そして広島に復帰してから引退までたっぷり描かれる。
[[category:もしあの鉄道路線のルートが○○だったら]]
#2015年、大リーグからの高額オファーがあったのにも関わらず広島に復帰したことも大きく描かれる。
[[category:歴史のif検討委員会 国鉄・JR史]]
#2016年9月10日 (広島が25年ぶりリーグ優勝を決めた試合) で1話分使われる。
[[カテゴリ:東海道本線|もしあのはしよをとおつていたら]]
#引退セレモニーで、スタジアムにいる多くのファンの前で涙を流したことも欠かせない。
#新井貴浩も登場。
#*新井が引退する際に、自費で新聞に彼の引退を労う広告を掲載した件も取り上げられる。
#補欠だった上宮高校時代の苦悩も描かれる。
 
==さた行==
=== 佐々木主浩 ===
#1998年のベイスターズ日本一メンバーの中では彼が最適だろう。
#タイトルは 「大魔神」 。
#1998年の日本シリーズで2~3話分使われ、そのうち優勝が決まった第6戦で1話分使う。
#流石に馬主に転向したところまでは書かれないが、それを示唆するような部分はある。
#1998年7月7日の阪神戦で矢野燿大からサヨナラヒットを喫し、防御率0.00でなくなるくだりで1話使う(7月7日は佐々木にとっては父の命日でもあった)。
 
=== 佐藤寿人 ===
#ジェフ市原時代から描かれるのは間違いないが、やはりサンフレッチェ広島時代で大きく使われる気がする。
#*この場合2012年J1第33節 (優勝決定試合) で1話分使われるか。
#兄・佐藤勇人は準主役として登場。
#誰にも優しい、まじめな性格であることも欠かせない。
 
=== 清水宏保 ===
#タイトルは『小さな巨人』。
#[[帯広市]]の葵幼稚園・帯広市立栄小学校時代に父からスピードスケートのスパルタ教育訓練を受けたことは確実に取り上げられる。
#*栄小学校時代のライヴァル・渋木将利との競争も描かれる。
#最大の見せ場は長野オリンピックスピードスケート男子500メートルで金メダルを獲得したシーン。
#引退後の高垣麗子との結婚・離婚や新党大地公認で選挙に出馬して落選したことも取り上げられる。
 
=== 高橋徹 ===
#「たった一度の・・・」
#何しろ享年23歳でエピソードは豊富とは言えないので、1年持たせるためにかなり細かいところまで描かれる。
#*そのため、晩年期(という言い方もナンだが)の女性問題多発期も描かれる。
#*死後における各種係争事件の大要まで描かれる。
 
=== 高松大樹 ===
#大分トリニータ所属経験者では彼が最適だろう。
#2008年ナビスコ杯FINALで1話分使われる。
#引退後に大分市議会議員に転身した件も欠かせない。
 
=== 竹原慎二 ===
#「広島の粗大ゴミ」と呼ばれた少年時代から綴られる。
#ミドル級世界王座奪取で2、3話使われる。
#癌との闘いも描かれる。
 
=== 武豊 ===
#作られるとしたら引退後か。
#ネックは競走馬の再現。そして撮影場所。
#*少なくともスーパークリーク・オグリキャップ・ディープインパクト・キズナ・キタサンブラックを再現できる馬が必要。
#**あと、サイレンススズカやスペシャルウィークも必要だろう。
#現役・引退問わず実在の騎手も多く出演するだろう。
#ナレーションは杉本清氏。
 
=== 辰吉丈一郎 ===
#タイトルは「浪速のジョー」。
#薬師寺保栄戦とシリモンコン戦で1、2話使われる。
#ナレーションは親友の松本人志。
 
=== ダルビッシュ有 ===
#タイトルは「ダル」。
#父親がイラン人、母親が日本人なので、父親役のキャスティングが苦労する。
#東北高校での活躍、#サエコとの結婚・離婚から山本聖子との再婚までには数話が使われる。
#大リーガーになった時でアメリカロケがある。
 
=== 千代の富士貢 ===
#タイトルは「ウルフ」。
#ナレーションは娘の秋元梢。
#*没後、娘婿となった松田翔太さんも出演しそう(兄弟子だった北の富士勝昭さん役?)。
#54連勝の部分で2、3話は使う。
#*貴花田戦から引退会見まででも1話使う。
#力士役(小錦や大乃国のような大型力士も含む)のキャスティングが大変。
 
==なは行==
=== 長嶋茂雄 ===
#数十年後には主人公の候補に挙がっているだろう。
# 「巨人軍は永久に不滅です!」 発言にも触れられる。
#*その時の引退試合で1話分使う。
#徳光和夫も登場。
#*長嶋一茂も。
#村山実は悪役気味に描かれる。
#*また監督時代は、野村克也・星野仙一あたりもライバル役で登場。
#タイトルは「ミスター」。
#脳梗塞を患ったことも欠かせない。
 
=== 長沼健 ===
#タイトルは「サッカーを日本で栄えさせた男」。
#サッカー経験者の俳優を多く配置。
#主な見せ場
#*原爆下の広島での学生時代
#*社業との兼ね合いで苦しみながらプレーしていた古河電工時代
#*メキシコオリンピック監督時代
#*Jリーグ創設
#*日韓ワールドカップ共催
 
=== 中野浩一 ===
#タイトルは「スプリントを制した男」。
#メインはもちろん世界選手権10連覇。
#競輪での実績もそこそこ扱われる。
 
=== 中村憲剛 ===
#大学時代から川崎フロンターレ時代、そして日本代表での経験まで色濃く表現される。
#メインは2016年・2017年。
#*やはり2017年J1最終節 (自身念願の初タイトル) で1話分使われることは間違いない。
 
=== 中村俊輔 ===
#Jリーグでの2度のMVPはもちろんのこと、海外での功績について確実に述べられる。
#2007年、セルティック時代の優勝や2013年のJ1最終節で1話分使われる。
#2019年の、横浜FCへの移籍からJ1昇格までの道のりに関しても欠かせない。
 
=== 中山雅史 ===
#ジュビロ磐田黄金時代のメンバーとしては彼が最適だろう。
#2度の得点王、3度のJ1優勝について語られる。
#*特に2002年J1リーグ2ndステージ第14節 (完全優勝が決まった試合) で1話分使われる。
#*フランスワールドカップ関係の話でも1話分使われそう。
#近年の現役復帰、そしてタレント・解説者としての活動にも触れられる。
 
=== 楢崎正剛 ===
#横浜フリューゲルス時代から、名古屋グランパス時代、そして日本代表での実績についてのことまで表現される。
#*このうち2010年 (名古屋のJ1優勝、自身のMVP受賞) に関しては若干割合が大きくなる。
#もちろんライバルとして川口能活は欠かせない。
 
=== 西野朗 ===
#柏レイソル監督として1999年ナビスコ杯優勝、2000年J1年間勝点1位に導いたことがまず述べられる。
#続いてガンバ大阪監督として、数々のタイトル獲得に導いたことに触れられる。
#2018年、ロシアW杯の日本代表の監督についてのことも少々述べられる。
 
=== 西村雄一 ===
#2014年ブラジルW杯開幕戦 (自身が主審を務めた) で1話分使われる。
#現役Jリーグ審判員はもちろんのこと、選手までも多数出演。
#自身が主審用の笛の開発に携わったことも多少触れられる。
 
=== 野村克也 ===
#日本を代表する名捕手、NPB記録最多打席であることは確実に述べられる。
#ID野球を確立させたことも欠かせない。
#タイトルは、もちろん「月見草」。
#古田敦也が登場するのは間違いない。
#鶴岡監督の人物描写は表向きは野村に厳しく当たっていても、裏では誰よりも野村のことを評価し、心配していたという扱いになっている。
#サッチーとの出会い→結婚は純愛風描写になっている(史実との乖離は置いといて)。
 
=== 野茂英雄 ===
#タイトルは『NOMO』。
#*日本人の野球選手で初めてメジャーリーグで成功した選手として描かれる。
#小中学校時代は無名だったが大阪府立成城工業高等学校時代に頭角を現し高校卒業後社会人野球の選手になったことが取り上げられる。
#新日鉄堺の社会人野球選手として活動し1989年のNPBドラフトでは史上最多の8球団(阪神・ロッテ・ヤクルト・大洋・ダイエー・日本ハム・オリックス・近鉄)から1位指名を受け抽選で近鉄に入団したことにも触れられる。
#近鉄時代は仰木彬監督を信頼していたが、仰木の後任監督・鈴木啓示と確執があったことも描かれる。
#*鈴木監督との確執や球団との確執が原因で近鉄を退団しメジャーリーグに挑戦することになることにも取り上げられる。
#メジャーリーグではドジャースの投手としての活躍ぶりに重点を置いて描かれる。
#現役引退後のコーチや野球解説者としての活動も描かれる。
#*2003年のNOMOベースボールクラブの設立に関しても描かれるだろう。
#佐野元春のファンであり野茂が佐野の「Young Bloods」を自分のテーマのように聴いていたことは描かれる。
#*ただ2007年に政界を引退した政治家の佐藤謙一郎が尊敬する人物として自分より年下の野茂の名前を挙げていたことが取り上げられるかどうかは微妙。
 
=== 長谷川健太 ===
#清水エスパルス時代の三羽烏についてまず触れられる。
#監督時代の話でもさまざまな点が語られる。
#*清水エスパルス監督時代のチーム再建
#*ガンバ大阪監督時代の2013年J2優勝から翌年の三冠達成
#*FC東京監督時代のチーム再建、2019年の大躍進
#さくらももことの関係も欠かせない。
#*『ちびまる子ちゃん』に本人が登場するところは確実に述べられる。
 
=== 長谷川穂積 ===
#タイトルは「エース」。
#ウィラポンとの激闘からの世界3階級制覇がメイン。
#モンティエル戦の壮絶KO負けにも1話分使われるだろう。
#両親や妻との逸話も欠かせないだろう。
#トミーズ雅も登場。
 
=== 畠山愛理 ===
#タイトルは「フェアリーアイリ」。
#新体操を始めてからプロに進み、引退してまでを描く。
#広島東洋カープの鈴木誠也選手との結婚までの道のりも欠かせない。
#テーマ音楽は競技でよく使用された曲をアレンジ。
#『サンデースポーツ2020』に関しても少しばかり描かれる。
 
=== 原晋 ===
#箱根駅伝での青山学院大学の4年連続総合優勝に向けての努力が中心になりそう。
#本人は不思議と乗り気になると思われる。
#この場合でもスポーツファンは黙っていまい。
#*「巨人軍V9の川上監督や東京五輪女子バレー金メダルの大松監督より先の制作などおかしい」といった声が各方面から出てくる。
#本作放送年の箱根で青学がシード落ちなどしようものなら相当な物笑いの種になりかねない。
 
=== 原辰徳 ===
#現役時代から色濃く描かれる。
#何だかんだで監督時代の割合が大きくなりそう。
#タイトルは「若大将」。
 
=== 原博実 ===
#現役時代から、引退後の監督経験、そしてJFAやJリーグでの役員経験に関して幅広く触れられる。
#タイトルは「いい時間帯ですね」。
#2004年ナビスコ杯FINAL (FC東京初タイトル) で1話分使われる。
 
=== 張本勲 ===
#タイトルは「安打の神様」。
#子供時代の広島での原爆被爆に1話分使う。
#保守派から国籍のことで色々言われそう。
 
=== 平尾誠二 ===
#タイトルは「ミスターラグビー」
#神戸製鋼7連覇やジャパンでの活躍はもちろん、イギリス留学時代の事件も描かれるだろう。
#ナレーションは四方堂亘(「スクール☆ウォーズ」で平尾がモデルとなった人物を演じた)
 
=== ファイティング原田 ===
#原作は百田尚樹『「黄金のバンタム」を破った男』だろうか?
#やはり「黄金のバンタム」エデル・ジョフレを破り日本人初の世界王座2階級制覇を達成した試合に1,2話使いそう。
 
=== 福田正博 ===
#1995年 (自身の得点王) ・1999年あたりが大きなメインになりそう。
#*このうち1999年J1最終節 (自身が「世界で一番悲しいVゴール」を決めた)で1話分使われる。
#タイトルは「大将」。
 
=== 藤村富美男 ===
#「大河ドラマ」ではなく「タイガードラマ」と呼ばれるようになる。
#竿竹屋が何故か儲かる。
#製作決定の段階では、だれもが「本当に作られるのか?」と、半信半疑だ。
#上地雄輔など本格的野球経験者の役者が重宝される。
#ナレーションは藤田まことor山崎努(新必殺仕置人で藤村氏は元締・虎を演じていた)。
#*阪神OB・小山正明氏の可能性も。小山氏は藤村氏の打撃投手務めていたから。
 
=== 古田敦也 ===
#平成のヤクルトを代表するキャッチャーであることと日本プロ野球選手会の会長だったことは必須内容。
#2004年の球団合併について4~5話程度使われる。
#*このときは球団合併について、古田本人からの主観的な視点とファンからの客観的な視点の、2つの視点から述べられることになる。
#引退後のタレント活動についても大きく述べられる。
#ソウルオリンピックにおける野茂英雄とのバッテリーも不可欠だろう。
 
=== 星野仙一 ===
#タイトルは 「燃える男」 。
#選手時代よりも監督時代の方が大きく表現されるだろう。
 
=== 堀内恒夫 ===
#巨人V9時代が中心となる一方で監督時代についてはあまり描かれない。
#おそらく小学生の頃の大怪我の話も描かれる。
 
==ま〜行==
=== 前田遼一 ===
#デスゴールについて述べられること間違いなし。
#*それも2012年に関しては特段大きく語られる (自身が当年最初のゴールを決めたガンバ大阪が降格したたため) 。
#**インターネット上での反応もストーリーに交えられる可能性がある。
 
=== 松井秀喜 ===
#タイトルは 「ゴジラ」 。
#幼少期から学生時代の間も色濃く描かれる。
#*特に1992年夏の甲子園の5打席連続敬遠の話は必須か。本人だけでなく星稜・明徳義塾双方からの視点もあればなおよし。
#国民栄誉賞についても欠かせないだろう。
#掛布雅之、長嶋茂雄も登場。
#ヤンキース時代、特にワールドシリーズで日本人初MVPもなくてはならないだろう。
 
=== 松岡修造 ===
#タイトルは「熱血漢」。
#生い立ちについても幾分かは触れるはず。
#引退後の方が長くなりそう。
#*[[YouTubeファン|ここ]]や[[ニコニコ動画ファン/作品別/ま~わ行#松岡修造ファン|ここ]]に本人動画やそれを素材にした動画作品が多数投稿されたことも言及され、実際の動画が作中で放映される。
#*各種名(迷?)言も作中のセリフに登場する。
#*錦織圭が登場。他に松岡がスポーツ解説者として応援してきた各種競技の選手も登場する。
#「パイオニアである熱血な主人公」「その熱意を引き継ぐ強力な選手が後に登場」「コミカルシーン多数」といった共通点より、「いだてん」のような雰囲気となる。
 
=== 松木安太郎 ===
#ヴェルディ川崎をJリーグ初代チャンピオンに導いた監督時代がメインになりそう。
#解説者としての活動にも触れるはず。
 
=== 松坂大輔 ===
#タイトルは「平成の怪物」。
#横浜高校を春夏連覇に導いたところを軸にして大きく描く。
#*特に1998年夏の甲子園決勝戦 (自身がノーヒットノーラン達成) で1話分使われる。
#ナレーションは妻・柴田倫世。
#WBC2連覇も必須だろう。
 
=== 松田直樹 ===
#マイアミの奇跡からマリノスでの栄光、日韓ワールドカップ、そして突然の死まで刻々と語られる。
#*特に突然の死で2~3話分使われ、本人視点はもちろんのこと他のチームメイトやファン・サポーター、そして日本サッカー界全体からの客観的視点でも述べられる。
#中田英寿も登場。
 
=== 三浦知良 ===
#タイトルは「キングと呼ばれた男」。
#史上初、現役アスリートのままドラマにされる作品となる。
#現役のJリーガーが多数出演。
#1993年Jリーグ開幕戦で1話分使われる。
 
=== 村井満 ===
#Jリーグチェアマンとして取り組んださまざまな改革について述べられる。
#1993年Jリーグ開幕戦に関する自身のエピソードも触れられることになる。
 
=== 三浦大輔 ===
#タイトルは 「三浦番長」 や 「ハマの番長」 など、番長に絡めた名前になるのは確定事項。
#ドラフト6位だがベイスターズを代表する選手になったことも確実に描かれる。
#*プロ入り後しばらくは同年のドラフト1位だった斎藤隆と比較されるような描かれ方になる。
 
=== 森島寛晃 ===
#2002年日韓W杯、長居スタジアムで得点を決めた試合で1話分使われる。
#引退後もセレッソ大阪のアンバサダー、そして社長に就任する話は欠かせない。
 
=== 森祇晶 ===
#西武ライオンズの黄金期に導いた監督として工藤公康、伊東勤、秋山幸二、渡辺久信と一緒に描かれる。
#*巨人の捕手だった頃に関しては内容が比較的少な目になるかも。
#*横浜ベイスターズ監督時代については全く触れられないであろう。
 
===宿澤広朗===
#もちろん最高の山場は日本代表がスコットランド代表に勝ったシーン
 
===山田久志===
#タイトルは勿論「ミスター・サブマリン」。
#1971年の日本シリーズで王貞治からサヨナラ本塁打を喫するシーンなども描かれることになる。
 
===山本昌広===
#アメリカ行きからのアイク生原との出会いが最初の山場となる。
#現役時代が非常に長いためプロ入りまではかなり端折られることに。
#2006年9月16日 (史上最年長でのノーヒットノーラン達成) と2008年8月4日 (200勝達成) ではどちらも1話分使われる。
 
=== 和田豊 ===
#関東出身の阪神生え抜き選手として奮闘し、かつ31年間連続して現場に従事した話が描かれる。
#ナレーションは高校時代の同級生だったこおろぎさとみ。
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{{大河ドラマ}}
[[カテゴリ:もしあの人物が大河ドラマの主人公になるとしたら|けんたいすほおつ]]

2021年6月15日 (火) 18:53時点における版

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関東地方

新宿経由

  1. 東海道本線開通当時は東京市ではないので相当な理由が無いと確実に「東京市に経由すべきだ」と反発していた。
    • 史実でも海上に線路を通すなど東京市内の用地の確保には苦労していたので、市内に鉄道用地が全く確保できなかったら市外の新宿に駅を設けていた。
  2. 品川駅は本当に品川区にあったかも。
    • 目黒駅も目黒区にあった。
    • 品川客車区も品川電車区と同じく大崎にできていた。
    • むしろ後の六本木あたりを通っているほうがありそう。
      • 少なからぬ部分で旧大名屋敷の用地を転用している。
  3. 東海道新幹線は新宿経由で決定。
  4. 最初から東北方面へのスルー化も考慮していた場合。
    • 東京で国鉄による環状線が開業しなかったかもしれない。
    • 日本鉄道の始発駅は上野ではなかった。
  5. 新宿駅が東京駅。
    • 丸の内線東京駅は丸の内駅。

銀座経由

  • 東海道線が今の東京駅に延伸する際に「新橋(汐留)駅から高架で銀座へ伸ばす」案があったそうです
  1. 汐留駅は新橋のまま。
    • 史実の新橋駅は烏森駅だった。
      • それでも、近鉄烏森駅には微妙に関係がなさそう。
  2. 銀座の町並みはまったく変わっていた。
    • 自慢の煉瓦街は関東大震災より前に消えていた。
  3. 国鉄にも銀座駅が存在していた。
    • 有楽町駅は無かった。有楽町線の駅も日比谷駅。
      • 有楽町線の名前は史実の公募で応募数一位だった「麹町線」あたりになっていた。
  4. 確実に工事は史実より遅れている。

品鶴線ルート

  1. 電車線を通す際に鶴見-品川間で複々線化用地を捻出できず、中距離列車は新たに作った品鶴線経由に。
    • 途中駅は武蔵小杉のみ。
    • 武蔵小杉は昔から栄えていたため、タワマンラッシュは起こらず。
  2. 横須賀線が東海道貨物線経由で運行。
  3. 貨物列車はさらに海側、根岸線・大黒埠頭・扇島・浮島・羽田空港経由の新線に移行。

東海道貨物線経由

  1. その前に、埋め立て地をもっと早く行われければまず無理。
    • 現実のルートでも開業当時は一部が海の中だったくらいなので江戸の中心がもっと南に寄っていない限り厳しい。
  2. それでも相模貨物駅・西湘貨物駅は旅客化しないだろう。
  3. 羽田空港アクセス線構想・神奈川東部方面線はもっと早く開業していたか?
    • JR羽田空港駅はすぐ近くの所にはないが、史実の天空橋駅辺りに建設されていただろう。
    • 相鉄に関しては上星川(この場合はここが星川駅になっている可能性も)で東海道線に乗り換えられるようになっているだろうから、JRへの乗り入れ構想はあまり活性化しなかったかもしれない。
  4. 史実の羽沢貨物駅が新横浜駅になっていた可能性大。
    • 下と同様に桜木町駅は今でも横浜駅と名乗っていた。
  5. この場合旅客線が東海道貨物線経由、貨物線が小田原駅以東東海道新幹線経由のルートになっていた。
  6. 日本の鉄道が標準軌に改軌されていればあったと思われる。
    • 勾配が多いわけでもないのでそれは無関係かと。
  7. 日本最古とされる鉄道忌避伝説の地は川崎に。

桜木町経由

  • 京浜東北線を桜木町から日ノ出町・井土ヶ谷を経由して東戸塚まで延長する計画があったそうです。
  1. 中電は史実通り横浜から直で戸塚まで通るだろうから、下記内容とは違い桜木町がターミナルとして残っている可能性は低い気がする。
  2. 京急本線は桜木町経由となっていた。
  3. 根岸線開業後は横浜線の桜木町行きが戸塚経由で大船まで乗り入れていたかもしれない。
    • 乗り入れ本数次第だが横須賀線も保土ヶ谷・東戸塚を通過していた。

根岸線経由

  1. 桜木町駅は今でも横浜駅と名乗っていた。
  2. 現実の横浜駅付近には関東大震災後に平沼駅が京浜東北線の電車のみが停車する駅として開業していた。
  3. 相鉄線(旧神中鉄道)のターミナル駅も桜木町に建設され、京急線(旧京浜電鉄・旧湘南電鉄)も桜木町を経由していて、どちらも駅名は横浜駅を名乗っていた。
  4. 東横線の桜木町駅も現存している(みなとみらい線との直通で終点ではなくなってるかもしれないが)。
  5. 横浜~大船間が不必要に便利になる
  6. ルート次第では終戦まで呉線さながらに軍機保護のため鎧戸を下ろすよう求められていた。
  7. 横浜市電が戸塚まで延びていた。

横浜駅以西が海老名経由

  1. 綾瀬市に東海道本線の駅が出来るが、大和市は東海道本線の駅が無いかもしれない。
    • あっても新駅扱いされていた。
  2. 恐らく想定ルートは「横浜市(神奈川区→保土ヶ谷区→旭区→瀬谷区)→大和市→綾瀬市→海老名市→厚木市→伊勢原市→秦野市→中井町→小田原市」
    • 要は相鉄本線&小田急海老名以西のルートでしょ。
    • 最初は今の小田急~松田~御殿場線、のちに秦野分岐で上のルートになっていただろう。
    • 大山への私鉄が確実に開業していた。
  3. 恐らく津波を想定したルートか。
    • 明治の鉄道当局にそのような思想があったようには到底思えない。
    • むしろ軍部が艦砲射撃云々で首を突っ込んできた結果では。
  4. 少なくとも小田原駅~横浜駅を結ぶ鉄道は別の路線名で開業していた。
    • 東急あたりが横浜から東海道沿いに作っていたかもしれない。
      • 江ノ電も箱根登山鉄道も東急のものに。江ノ島、湘南、箱根を手中に収める一大観光企業となる。
  5. 小田急は新宿~海老名~本厚木~平塚か。平塚急行とか町田急行とかになってたかも。

鎌倉駅経由

  1. 史実通りのルートでは遠回りするため、保土ヶ谷駅から分岐していた。
  2. 港南台駅にも出来ていた可能性が高い。
  3. JR東日本の各駅に江ノ電と東海道本線をタップした広告があったかもしれない。
    • ルート次第ではそもそも江ノ電自体ない。
  4. 根岸線も鎌倉終点だった。
  5. ルートとしては横浜(桜木町)~磯子~栄区南部を経由して鎌倉~江ノ島~辻堂、かな。
  6. どこかの名刹が線路により境内を分断され無残なことに。

小田原駅以東が東海道新幹線経由

  1. 東京駅から品川駅は史実と同じルート。
  2. 西大井駅が大井町駅に。武蔵小杉駅が川崎駅。
  3. 綾瀬市にちゃんと駅が出来ていた。
  4. 後に史実のルートも別の路線名で開業しているはず。
    • 茅ヶ崎-平塚間は相模鉄道が開業させていたかもしれない(国有化で「湘南線」に吸収)。
    • 大磯-小田原間は東海道線に近すぎるため建設されない。
    • 大船-戸塚-横浜間は横須賀線として建設される。
  5. 小田急江ノ島線の急行以上が高座渋谷駅に停車していた。
  6. 日本の鉄道が標準軌に改軌されていればあったと思われる。
  7. 開業当時の沿線人口を考慮すると短距離客はほぼ期待できない。

小田急線のルート

  1. 最初に開業した新橋-横浜間は京浜線として、それとは別に静岡・名古屋方面に(御殿場経由での)最短で建設。
  2. 中央線・山手線の交点の新宿が起点に選ばれる。
  3. 大船以西への中距離列車がない分京浜間に余裕が生まれ、横須賀線が川崎経由。
  4. 平塚は鉄道空白地帯。
    • 茅ヶ崎は相模線で、藤沢は江ノ島線で一旦内陸に入ってから厚木・相模大野で東海道線乗り換え。

箱根経由

芦ノ湖
あしのこ
畑宿   諏訪神社
Hatajuku Ashinoko Suwajinja
  1. 箱根の峠越えが問題になる。
    • 場合によってはEF63が箱根峠用に投入されていた。
  2. 箱根登山鉄道は存在せず、小田急は小田原から熱海に伸ばされていた。
    • 伊豆急行は東急ではなく小田急の子会社となっていた。伊東までは小田急の路線として開業していた。
      • ロマンスカーが乗り入れているのでリゾート21は開発されなかった。
      • となると現実の小田急が「伊豆急」だったのか?
    • 強羅・小涌谷地区の観光開発は史実ほど進んでいなかった。
  3. JR東日本と東海の境界は芦ノ湖駅となる。
    • 三島駅もしくは湯本駅となっていた可能性も。
  4. 後に箱根新道沿いに新線が建設される。
  5. やはり新幹線になって初めて丹那トンネルが掘られる。
    • あるいはこちらも箱根経由になり、小田原-湯本-三島となっていた。
  6. 常磐線湯本駅は「常陸湯本」となっていた。
    • 所在地の旧国名を考えると「磐城湯本」では?
  7. 御殿場線は箱根裏街道沿いに建設されていた。
    • 御殿場線用にEF63が投入されていた。
    • 御殿場-沼津間は開業しなかったかもしれない。
  8. 箱根町は市制施行していた。
    • 箱根0460地域の市内局番2桁化も昭和のうちに実施されていた。
    • 湯本地区は東京・横浜のベッドタウンとしても発展していた。
  9. 開業当初は確実にアプト式だった。
  10. 東西両京の輸送においてとんでもないボトルネックとなっていた。
    • 「これでは東海道線に変更した意味がない」と散々に叩かれていた。
    • 工事も難航しおびただしい死者が出て開業が遅れていた。
      • 日清戦争に間に合わなかったらその後の日本の歴史そのものが激しく変わっていた。

厚木経由

  1. そもそも東京からルートが違っていたかもしれない。
    • 品川ではなく渋谷を通っていた。
    • 東京の東海道線ホームは地下ホームになっていたかもしれない。
  2. 現実よりも多く東名高速道路と並走していた。
    • むしろほとんど並走していた可能性が高い。
  3. 世田谷区にJRの駅が存在した。
  4. 場所によっては現実よりも所要時間が短くなっていた。
  5. 史実の明治時代の状況を考慮すると通る動機が見つからない。
    • 相模川が木曽三川並みの暴れ川だったら架橋を考慮して考えられたかもしれない。

東海地方

大月・御坂峠経由

  1. JRの境界駅は御殿場だった。
    • 小田急も御殿場まで路線を伸ばしている。
  2. 神奈川方面は東京~横浜~熱海~伊東の熱海線が神奈川方面のメインで、のちに熱海~沼津に国鉄の路線ができるが赤字ローカル線の扱いだった。
    • さすがに東海道線と神奈川を結ぶ路線なのでたぶん三セク化には至ってないだろう。
    • 熱海・伊東地域が路線図的に独立するので、伊豆半島の神奈川化がさらに進んでいた。
  3. おそらくこうなった経緯は東京~大月を敷設するときもまだ中山道ルートの予定だった、というところだろう。中央アルプスのトンネル地帯の工事が難しいのでそこだけ東海道側にした、という感じか。
  4. 中央本線は大月~名古屋になる。
  5. でも中央線特急は途中まで東海道線を通るだけで史実通りだったと思われる。
  6. 富士急行は存在しない。
  7. 山梨県に東海道本線が通っていた。
    • 日本の国土軸に位置することから、山梨県が現実ほど地味な存在にはなっていなかった。
      • 県は現実よりも発展し、人口も100万人を超えていただろう。
  8. ここまでくると、「東海道本線」という名称ではなく、単に「東海本線」だったかもしれない。
  9. 東海道新幹線も多摩地域経由となり、八王子や大月、御殿場に新幹線の駅ができる。
    • 東名高速道路も。中央道と東名道の分岐点は大月になっていた。
  10. この場合、身延線は国有化されず私鉄のままだったか、国有化されたとしてもいずれ3セクか廃線になっていた。
    • 私鉄だった場合、こっちが富士急行を名乗っていたかもしれない。ただしこの場合の富士は始点の富士駅か、横を通る富士川に由来する。
  11. 甲武鉄道は会社自体誕生しなかった。
  12. おそらく日本の最重要幹線としてはまともに機能できない。
    • 御坂峠・篭坂峠といった難所のせいで輸送力確保が至難。
      • さらに雪害により不通になるリスクも大きい。
    • そのため、小田急が国有化されていた可能性もある。

御殿場経由

松田
まつだ
相模金子   東山北
Sagami-Kaneko Matsuda Higashi-Yamakita
  • 丹那トンネル開通前は御殿場線が東海道線でした(鉄道唱歌にも登場)。
  1. 丹那トンネルの工事に失敗、開通せず。
    • これにより熱海~沼津間は未開通
      • 国府津~熱海間は伊東線の一部になってた。
  2. 国府津~伊東間は伊東線
    • 「踊り子」は国府津で下田行きと修善寺行きに分割。
      • むしろ修善寺行きは存在しない。
    • 白糸川橋梁の撮影地としての知名度が低かった。
    • 熱海(正確には来宮の手前)までが複線。
    • 丹那トンネルの工事費が伊豆半島に回された結果、下田まで国鉄線→JR下田線(仮)として開業したかもしれない。
  3. 東京~沼津は東日本
    • むしろ山北までじゃないか?
      • 山北がずっと拠点駅のままだったら山北、そうでなかったら現実の拠点駅である御殿場あたりが境界だっただろう。
  4. 快速アクティーの通過駅は辻堂・大磯・二宮・下曽我・上大井・相模金子・東山北
    • 国府津以西は各駅停車だったと思う。
  5. 新幹線になって初めて丹那トンネルが掘られる。
    • あるいはこちらも御殿場経由になってた。この場合新横浜と新富士の間に出来る駅は松田-御殿場-新沼津(下土狩)になり、路線もやや北よりに変更。
      • 小田原と熱海は新幹線に通過されたので今以上に寂れる。
      • 新松田駅が箱根への玄関口となり、全てのロマンスカーが停車していた。
        • 中京・関西からの箱根への玄関口は御殿場になっていたかもしれない。
      • そもそも下土狩駅が三島駅のままであり、駿豆鉄道線の部分廃止もなかった。
        • 駿豆線が駿河を通らないなんてこともなかった。
      • 丹那トンネルの掘削は昭和30年代ともなると技術的にはクリアできたが、1964年東京オリンピックに間に合わせるという工期上の理由で御殿場経由のルートに変更された可能性もあった。
    • 丹那トンネルを経由する熱海〜三島(但し現実の下土狩駅)間のみの利用があった。
    • 長泉町は昭和中期、遅くとも平成大合併で三島市に編入されていた。
      • 西郷村のように自立を守るか、小郡町みたいにやがては編入されるか…
  6. 山北は市制施行していた。
    • 南足柄市は市制できず、昭和中期ごろに小田原市に編入されていたかも。
  7. むしろ箱根より足柄のほうが観光地だったかもしれない。
  8. 御殿場市(0550地域)の市内局番2桁化は昭和40年代に実施されていた。
  9. 現在も複線のまま。
    • 史実では戦時中に金属供出のため単線化された。
  10. ただし、湘南新宿ラインは小田急対抗の為小田原発着が基本になる。
  11. 北伊豆地震の被害規模が史実より大きかったらこうなっていた。
    • この地震で断層の真下を通っていた丹那トンネルの一部が崩壊した。
  12. ここを通る機関車は大出力になっていた。
    • 1960年代以降はEF65形よりもEF64形の方が製造両数が多かった。20系客車牽引用のEF64形500番台も登場していた。
  13. 「あさぎり」は民営化後廃止されていた。
    • 廃止されてはいないかもしれないが、沼津までの運行はなかった。
    • 小田急から熱海・伊東方面に直通する特急が存在していたかもしれない。
      • その先の伊豆急行線にもロマンスカーが乗り入れていた。
    • 本数の少ないローカル線である御殿場線だからこそ実現したような気もするので、東海道本線だった場合はそもそも運行自体がされなかった可能性が高い。
      • その代わり、前述の通り新松田(もしかすると松田駅に直接乗り入れ?)が東海道本線と小田急線を連絡する重要な駅になり、全てのロマンスカーが停車していただろう。
  14. 小田急が箱根八里を超えて三島・沼津まで延伸していたかもしれない。
    • 工事の難しさに対して得るものが大きくないので厳しい。

最初から丹那トンネル経由

松田
まつだ
Matsuda
渋沢
Shibusawa
開成 Kaisei
東山北 Higashi-yamakita
  1. 明治時代の技術では考えられないが、東海道本線より先に中山道本線が開通していた場合はありうる。
  2. 御殿場線は建設されないが、ほぼ同じルートに私鉄が作られる。
    • 西側は駿豆線の延伸、東側は小田急の支線か?
      • 小田急との分岐駅は、駅名が「新」の付かない「松田」になっていた。
      • 「あさぎり」の本数がもう少し増えていた。
      • 松田〜国府津間はおそらく存在しない。
    • 箱根山戦争に巻き込まれた可能性が高い。
    • あるいは沼津〜御殿場間だけが国鉄によって建設され「御殿場線」となっていた。
      • その場合沼津方面が上り。
      • 御殿場から山北~大雄山~小田原というルートだったかも。
      • 「国鉄線は通っているものの、東京直結の私鉄の方が利用者の多い都市」になる。
    • 富士急行線が富士吉田〜御殿場〜沼津まで延伸ってのはどうだろう。
  3. 国府津駅は乗換駅ではないため、寂しい途中駅になっていた。
    • 快速アクティーは通過していた。

豊田(挙母)経由

ころも
挙母
Koromo
かみごう
Kamigō
(愛知県挙母市) みよし
Miyoshi
  1. 名鉄名古屋本線と完全に棲み分ける形になっていた。
    • 東海道本線がやや遠回りになるので名鉄が多少有利になった。
  2. 大府、刈谷、蒲郡辺りは史実より栄えていない。
    • 日進、三好は史実より栄えていた。
      • 東郷町は市制施行していたかもしれない。
        • 三好は徳島県三好市よりも早く三好市として市制施行していた。
    • ルート見てる限り蒲郡はあまり関係無い。むしろ安城の方が影響受けている。
  3. 愛知環状鉄道は豊田駅までしか伸びていない。
    • 距離が短い分、多治見まで全通していた。路線名は「挙多線」。
  4. 東海道新幹線も豊田経由になっていただろう。
  5. 武豊線は武豊~金山間としてならある。
    • 電化が早まった可能性あり。
  6. ルートは金山~桜山~八事~日進~三好~豊田~岡崎か?
    • 岡崎駅は史実の中岡崎駅にあって、史実の岡崎駅は南岡崎駅という小さな駅になっていた。
    • むしろ熱田で東海道本線と武豊線が分岐して、熱田~堀田~島田~日進~三好~豊田~上郷~岡崎になっていただろう。
  7. 名鉄豊田線はなかった。
    • 鶴舞線は日清か八事止まり。
  8. トヨタ自動車が挙母市に工場を設置しなかったかもしれない。
    • その場合、挙母市が「豊田市」に改名することはなかった。
      • 挙母は工業都市にはならず鄙びた城下町としてのイメージになっていた。
    • 工場は安城市あたりに作られ、こちらが「豊田市」になっていたかも。
  9. 大府は乗換駅でなく武豊線の一部となり、刈谷は知立に合併され、安城は新安城駅付近を除き田畑が広がっていた。
  10. 最大の動機は岡崎中心街へのアクセスか。
    • 徳川幕府によって建設されていたらもしかすると…。

関西本線・草津線のルート

名古屋以西が史実の東海道新幹線沿い

  1. 東海道ルートより先に中山道ルートが開業し、さらに日本の鉄道が標準軌に改軌されていればあったと思われる。
    • 建設距離を考慮すると大垣ではなく岐阜での分岐だったのでは。

近畿地方

長浜経由

  1. 国鉄時代の新快速は米原発着だった。
  2. 米原はただの中間駅。
    • 近江鉄道が醒ヶ井経由で米原ー大垣間の路線を建設していた。
      • そのまま名鉄と接続していた。
      • 大垣駅で畿日本道と道があることになる。
    • 新幹線の駅も米原ではなく田村に建設されていたかもしれない。その場合、駅名は「新長浜」となっていた。
    • 米原町は平成の大合併で長浜か彦根に吸収されていた。
  3. それでも勾配がきついので関ヶ原ー米原間に新線が建設されていた。
    • その路線は貨物列車がメインで旅客列車はわずか。
      • 扱い上垂井・新垂井のように上下線が分離されている形になっている。
        • どのみち長浜経由の路線は複線(垂井線と同様の方式ならば単線並列)化されている。
  4. 効率化のためJR西日本の管轄が米原、長浜ー大垣間が含まれていた。
    • その場合京阪神の新快速は大垣発着だったかもしれない。
      • 大垣夜行との連絡も史実より楽だった。
  5. 北陸本線の起点は長浜だった。
    • もしかしたら北陸本線の直流電化区間は最近まで新潟側にしか無かったかもしれない。
  6. 長浜駅初代駅舎は現在までに姿を消している。

彦根~草津間が名神高速道路沿い

  1. 恐らく彦根~多賀~八日市~竜王~栗東~草津というルートだった。
  2. 近江八幡ではなく八日市が発展していた。
    • 平成の大合併でも東近江市という市名は誕生せず、八日市市のままだった。
    • ヴォーリズが近江八幡に住むことはなかったかもしれない。
  3. 多賀大社への観光客が増えていた。
  4. 栗東には国鉄時代から駅があったかも。
    • もちろん現実の栗東駅とは場所が異なっていた。
    • その場合、東海道新幹線のびわ湖栗東駅は在来線の栗東駅に併設されていた。
  5. 車両基地は野洲ではなく竜王にできていた。
  6. 近江鉄道は現実の東海道本線沿いに米原~草津間を結んでいた。
  7. 中央本線竜王駅は「甲斐竜王」となっていた。

長浜経由・湖西線ルート

  1. 米原から長浜経由で湖西を通っていた場合。
  2. 史実のびわこ線ルートには私鉄(おそらく京阪と近江鉄道)の線路が通っていた。そのため湖西線のような新線は生まれない。
  3. 湖西エリアが栄える一方で、湖東、湖南エリアはすたれていた。
    • 草津や守山は平成の大合併あたりで大津市になっていた。代わりに志賀町が存続し、市制していた。
  4. さすがに新幹線は史実と同じルートだろう。米原~京都の駅間に駅がないのも史実通り。
  5. 北陸本線の起点は近江塩津だっただろう。
  6. 北陸新幹線はおそらく湖西ルートが取られていた。
  7. 遠回りの上沿線人口も少ないので一体何が動機なのかよく分からない。
    • 少なくとも北陸方面への路線の建設費を節約することは考慮されていたはず。

稲荷経由

  1. 大津は寂れていた。
    • というより近江を統治する県の県庁が大津ではなく彦根か長浜に置かれていた。
  2. 京阪大津線がある程度の競争力を持っていた。
    • 京都市営地下鉄東西線も昭和のうちに開通し、京阪京津線との直通運転も昭和のうちに実施されていた。また、山科-浜大津間は勾配の緩いトンネル新線に付け替えられ、場合によっては浜大津駅も移転していた。
  3. 稲荷駅がターミナル化していて、新快速が停車していた。
    • 京阪伏見稲荷駅も乗換駅として重要になり、特急が停車していた。
  4. それでも東福寺駅には新快速は停車しない。
  5. 名神高速道路や名古屋急行電鉄はどこのルートを通っていたんだろうか。
    • 恐らく大山崎から現実の京滋パイパスのルートをたどり、宇治市内から醍醐を経て京都東インターで現実の経路に合流していただろう。
      • 京都南インターは現実より南側の久御山町あたりに作られていた。
    • 名古屋急行電鉄(阪急京都線)のルートは大宮から河原町、祇園四条を経て東山の下をトンネルで抜け、御陵、山科(現在のJR山科駅と同じ)を通り、山科以東は現在のJR東海道線のルートで膳所に抜けるようになっていたと思われる。
  6. 大阪や京都から滋賀県は現実よりも距離が長くなっていた。
    • 東海道新幹線が現実通りのルートをたどっていた場合、滋賀県内から京阪神へ行くのに新幹線を使う人が多くなっていた。びわ湖栗東駅も早期に開業していたかもしれない。
    • 滋賀県が京阪のベッドタウンとして発展することはなかった。
  7. 山科駅は地下鉄東西線小野駅あたりの場所にある。
  8. 膳所駅が今でも大津駅のままで、大津市の中心は膳所駅周辺へ移っていた。
  9. 京阪神の快速電車の80系の後継は113系ではなく抑速ブレーキ付きの115系が投入されていた。

湖西線は

  1. 大谷から分岐していた。
    • あるいは京都ー山科間は湖西線のルートになっていた。
      • この場合、現実の山科駅は新山科駅と名乗っていた。
      • 江若鉄道は史実通り湖西線の建設とともに廃止されていた。
  2. そのまま片町線経由になっていた。

奈良鉄道→奈良線は

  1. 上記に反するが国有化後も付け替えられなかったかもしれない。(桃山駅以北は現在の近鉄京都線のルート。)
  2. 付け替えがあったら、奈良線は稲荷ー木津の路線だった。
  3. 実史より早く電化されていたかもしれない。

奈良電気鉄道→近鉄京都線は

  1. 別ルートで京都に向かっていたかもしれない。
  2. または丹波橋駅から京阪電車に乗り入れていた。
  3. その場合、奈良電気鉄道は京阪と統合していたかもしれない。
  4. 地下鉄烏丸線は丹波橋から建設されていた。
    • そして地下鉄と直通運転時に京阪の乗り入れが廃止、特急が国際会館まで乗り入れていた。
  5. あるいは烏丸線の京都以南は近鉄の手によって建設されていた。
    • 開業自体史実よりも早かったかも。近鉄京都駅は現実と異なり地下駅となり、大阪難波駅と同じように相対式ホーム+島式ホームの2面3線ホームとなっていた。そのうち1線が特急用ホームとなっている。

京街道沿い

淡路経由

  • かつて吹田~大阪間は現在の阪急千里線、阪急京都線経由だったらしい
  1. 新大阪駅は存在しない。
    • 代わりに淡路駅付近に新幹線の駅が開業していた。
      • もしくは崇禅寺・柴島駅付近に新大阪駅が出来ていたかもしれない。その場合、柴島浄水場は移転していた。
    • 地下鉄御堂筋線が新大阪駅に乗り入れないので、その点では現実より不便だった。
      • 御堂筋線の西中島南方と東三国の間には駅が造られなかった。新大阪センイシティも別の場所にあった。
    • 東淀川駅も宮原操車場も存在しない。
  2. 阪急千里線、京都線の都心側ターミナルはいきなり梅田にできていた。
    • 天六にターミナル駅は無し。
    • 新京阪線は上新庄からまっすぐ南下し、都島・天満を経て梅田に向かっていた。
    • 阪急千里線の十三~豊津間は現実よりも西寄りのルートを通っていた。
      • 北大阪電気鉄道は京阪に合併されることはなく、戦前のうちに阪急に合流していた。
      • 千里線のルートの一部は現実の東海道線(JR京都線)のルートになっていた(神崎川橋梁付近-現新大阪駅付近)。
    • 崇禅寺・柴島駅付近に新幹線の新大阪駅が開業していた場合、堺筋線は新大阪駅(現実の柴島駅)までとなっていた。
      • 新京阪線→阪急京都線が上新庄-都島-天満-梅田というルートで既に開通していたので阪急と堺筋線との直通運転はなく、堺筋線の直通相手は南海になっていた。以下、こちらを参照。

関連項目