もしあの国鉄路線が廃止されていなかったら
2015年3月1日 (日) 23:58時点における>Kの特急による版
北海道
東日本
下河原線
東京競馬場前 | ||||
とうきょうけいばじょうまえ | ||||
北府中 | ||||
Kita Fuchu | Tokyo Keibajomae |
- 今でも都心から競馬場への列車を運転している。
- 元中央線の201系で運転されていた。
- 競馬輸送時のみE233系が入線。
- 基本的に青梅線・五日市線と共通運用が組まれる。
- 京王が、JRに対抗して、競馬開催日に新宿から競馬場線に乗り入れる臨時特急を運行する。(実史は「臨時急行」が運行されている。)
- 競馬輸送時のみE233系が入線。
- 東京競馬場前駅は府中本町駅に統合される。
- 府中本町・下河原より先の関戸(せいせき)・多摩ニュータウン・町田方面へ延伸されていた可能性も。
- 国分寺から北府中の間だけが残り、後は武蔵野線に飲み込まれる。
- 西国分寺駅がその代わり設置されない。
魚沼線
- 来迎寺になぜ急行「きたぐに」が止まるのかを誰も疑問に感じない。
- もし西小千谷から小千谷まで延伸していたのなら、関東から上越線経由で北陸に抜ける列車はこっちを通っていただろう。
- 北越北線(北越急行)建設の機運が高まらなかった。
- しかし魚沼線に北越急行ほどの短絡効果はないので逆に北陸新幹線開業が早まったかもしれない。
- 上越新幹線開業が視野に入った頃、電化・軌道強化される。
- 浦佐が新幹線による北陸連絡の拠点駅になっていた。
- 「はくたか」が一旦廃止されず浦佐~富山・金沢の連絡特急として再出発していた。
- 北越北線(北越急行)建設の機運が高まらなかった。
- 越後交通の路線になっていたかも。
赤谷線
- 羽越本線の直通ディーゼルが走っている。
- 水原周りの車両とは共通運用で新津~東赤谷という列車も存在する。
- 学校があるときは増発される。
- 中学校前仮乗降場が駅に南新発田に改称され駅に昇格される。
- 白新線に乗り入れ新潟まで直通運転される。
- 羽越線開通記念SLが赤谷まで乗り入れていた。
- パワーの強いディーゼルカーが導入され、東赤谷が移動してスイッチバックが廃止された。
日中線
- 温泉ブームで結構賑わっている。磐越西線からの直通列車も。
- 増発も行われ、日中も普通に運行。
- もとの目的からすると会津線直通のほうがありそう。
- キハ8500のAIZUマウントエクスプレスも鬼怒川温泉(あるいは下今市)-熱塩の運転となっている(会津線が三セク化された場合)。国鉄会津線のままなら会津高原-熱塩のキハ52系快速列車だろう。
大畑線
- 下北交通として残っているが、経営破たんして結局JRが買収。
- 下北駅の「最北端」が撤去されて大畑駅に持っていかれる。
- きらきらみちのくが大畑まで走っている。
- 大間まで延伸されている。
- いや、函館まで伸びている。
- それは無い、道内区間は、「戸井線」で開通する。
信越本線(横川・軽井沢)
横川 | ||||
よこかわ | ||||
西松井田 | 軽井沢 | |||
Nishi Matsuida | Yokokawa | Karuizawa |
- 軽井沢~横川間が廃止にならないのでしなの鉄道は、存在しなかった。
- 碓氷鉄道文化村もあったかどうか怪しい。
- あったとしてもEF63の体験運転はできなくなる。
- むしろこの路線もしなの鉄道管轄になっていた。
- 碓氷鉄道文化村もあったかどうか怪しい。
- 長野方面からの電車は軽井沢で、高崎からの電車は横川で折り返しになっていた。
- この区間を走る電車はすべてこの1駅区間のみでの運転になり、事実上の観光路線となっていた。
- 箱根登山鉄道のような、強力モーターを搭載した短編成の専用車両が投入された。
- 「釜めし電車」として和風の意匠を施すとか。
- 史実の碓氷鉄道文化むらの列車同様、丸山駅と熊ノ平駅が観光用に新設・復活する事になる。
- 箱根登山鉄道のような、強力モーターを搭載した短編成の専用車両が投入された。
- 無論夜行特急「北陸」などの長距離列車や貨物列車は上越線経由に変更。
- この区間を走る電車はすべてこの1駅区間のみでの運転になり、事実上の観光路線となっていた。
- EF63形電気機関車の後継車として、EH200形電気機関車を採用。
川俣線
- 福島交通か阿武隈急行に経営譲渡が打診されていた。
- 震災以降、避難民の増加で交通渋滞が慢性化しており川俣町の避難民の足として意外と需要が伸びる。
- 通学生・高齢利用者のため福島乗り入れ便が設定される。
- 移管などで乗り入れが叶わない場合は松川駅の川俣線→東北本線ホーム間のバリアフリー化が進む。
- マイカーに対抗するには飯野~金谷川の短絡線建設と川俣旧市街への乗り入れが必要と思われる。
白棚線
- 国鉄時代に上野~白河~磐城棚倉という臨時急行が設定される。
- 東北本線内は「ばんだい」などの臨時急行と併結。
- 線内は鈍行。
- 水郡線内併結という形で郡山からの直通列車が設定されていた。
- 水郡線が新車両に移行する中、依然キハ110を使用。
- これにより直通運転も中止。
- 福島県内でいち早く三セク化が検討されていた。
- 同じ読みの某横綱に絡めて宣伝が行われる。
- 福島県内にその横綱の後援会が発足して「福島ゆかりの」元栃東涙目。
- 国産の高速路線バス用車両のテスト走行ができないため、東名高速バスは当初アメリカ製の車両を使っていた。
- 東北新幹線が白河駅に停車していれば、アクセス路線として少なくとも3セク路線として存続していた。
- 磐城西郷駅だと白河にスイッチバックになり所要時間が伸びてしまうため。
東北本線(東京・上野)
東北新幹線東京延伸により廃止され、2015年3月に上野東京ラインの名称で復活しますが、もし廃止されなかったら?
- 上野~御徒町が日本一の最混雑区間になることはなかった。
- 最混雑区間は新宿~代々木か神田~東京あたりになっていたか?
- 東海道線と東北線・高崎線の直通は国鉄時代から行われていた。
- 湘南新宿ラインは存在しなかったか、本数が少なかった。
- 東京発着列車は基本的に両線とも東京折り返し、東海道線と東北線・高崎線を直通する列車は湘南新宿ラインという棲み分けになっていた可能性も。
- 2008年ごろまで大阪発東京経由仙台行きの寝台列車が設定されていたかもしれない。
- 関東は深夜に通過するため東京駅を含めて東京都内に停車せず、「東京飛ばし」が有名になっていた。
- それは大阪発の列車だけで仙台発の列車は都内を0時台に通るため、東京駅にも客扱い停車していた。サンライズ出雲・瀬戸が上りのみ大阪に停車するのと同じような感じで、仙台発の列車は東京→大阪を移動するビジネスマンにも多く愛用されていた。
- ちなみに川島令三が大阪発湘南新宿ライン経由仙台行きを提唱している。
- 北斗星とカシオペアが品川始発になっていたかもしれない。あけぼのなどはおそらく史実通り上野発。
- 尾久ではなく品川で整備を行ってから9・10番線に入線していたと思われる。
- 関東は深夜に通過するため東京駅を含めて東京都内に停車せず、「東京飛ばし」が有名になっていた。
- ≒東北・上越新幹線の起点は現在でも上野のまま。
- もしくはそのまま地下に潜り続けて東京駅に至っていた。
- 中央線のホームが高架化される事もなかったかもしれない。
- あるいは新宿に乗り入れていたかも。そこから品川に延伸されていたかもしれない。
東海
清水港線
みほ | ||
三保 | ||
Miho | ||
おりど Orido |
(静岡市清水区) |
- 再び増便を行い、地域輸送に役立てようとしていた。
- 場合によっては電化されて静岡駅乗り入れも行われていた。
- 清水区内のトラックによる渋滞は問題とはならなかった。
- 静鉄清水港線になっていた。
- 清水乗り入れを廃止して新清水乗り入れ。それに伴って新清水駅を拡張→新清水~三保になってた。
- 三保松原の観光に役立った。
- 2013年6月の(三保松原のエリアを含んだ)「富士山」世界文化遺産正式登録決定時には、多くの観光客で活況を呈する。もしかしたら、静岡駅から週末を中心に臨時列車が運行される。
神岡線
- 今も残存している。
- 濃硫酸の貨物列車が名古屋や稲沢や富山まで直通している。
- 茂住駅に「スーパーカミオカンデ入口」の副名称がつき、外国語の案内板が立てられる。
飯田線西豊川支線
- 線路は剥がされていないので、今からでも復活可能。
- 廃止時は戦後復興途上状態だったが、現在は旧西豊川駅から徒歩圏内にイオン豊川店があり、市街化している。
西日本
四国
小松島線
こまつしま | |||
小松島 | |||
Komatsushima | |||
◄ | ちゅうでん Chuden |
► | |
(徳島県小松島市) |
- 既に「国鉄・JRで最も短い鉄道路線」の座は宮崎空港線に譲っている。
- 大幅に短縮された新湊線(貨物線)にも並ばれて2位タイになっている。
- 南海フェリーは現在でも小松島港発着。
- 明石海峡大橋開通までは特急うずしおや特急剣山が小松島港駅まで乗り入れていた。
- 阪神淡路大震災の際には、近畿~中国・九州間を移動する人が殺到し、えらい事になっていたかも…。
- 勿論「剣山」は小松島港発高知行。
- 明石海峡大橋開通後には2000形が導入され、さらなるスピードアップが行われていた。
- 明石大橋開通後も特急剣山は小松島港発着で残される。
- 南海難波駅から四国各地への連絡切符が発売されている。
- 小松島港から関西国際空港への航路が運航されていた可能性もある。
- 四国各地から関西空港へのアクセスとして利用されていた。
- 高速バスに対抗して次世代形のフェリーが導入されていた。
- それも高速1000円政策で結局挫折。
- 明石海峡大橋開通までは特急うずしおや特急剣山が小松島港駅まで乗り入れていた。
- 小松島駅の車両基地が健在なので、徳島駅の高架事業がスムーズに進む。
- 現実では車両基地の移転場所を巡ってあーだこーだ議論になっているので。
- 既に2008年位には徳島駅高架が完成していたかもしれない。
- 小松島の車両基地には、50系客車に代わって1000型や1500型が。
- 地蔵橋駅の行き違い設備が撤去される事はなかった。
- 撤去されるどころか、文化の森駅にも行き違い設備が新設される。
- 小松島駅は建替えられ、橋上駅舎に。駅北側(新港・北浜側)からも駅構内へ入れる様に改良されていた。
- 徳島駅高架後は車両基地へ戻る列車も走る様になる為、牟岐線の徳島~中田間の各停は15分間隔位での運転になっていた。
- 1時間に4本運転で、2本は阿南・牟岐行、残りの2本は小松島行に。
- 牟岐線中田以南が「阿佐海岸鉄道」になっていた。
- 徳島~小松島間が南海電車に売却されていた可能性もある。
- 売却された場合、南海の手によって同区間の電化が行われていた。
- 走るのは勿論、本州側から船で運ばれてきた南海の車両。
- 各駅にはスルッとKANSAIやPiTaPaの使える自動改札機も導入されていた。
- 当然南海フェリーにもスル関、PiTaPaで乗れる様になっていた。
- 売却された場合、南海の手によって同区間の電化が行われていた。
- 徳島~小松島間が南海電車に売却されていた可能性もある。
- 小松島市中心部は現実ほどには衰退しなかった。
- 小松島駅前に某ビジネスホテルが出来ていたかもしれない。
- 南海電鉄も現実ほどには凋落しなかった。
- 今でもなんば発和歌山港行の特急が頻繁に走っている。
- 00年代始め位には、サザンの後継車両も登場していた。
- 明石海峡大橋開通以降は利用客の激減は避けられない。よって後継車両の登場は現実と変わらない。
- 00年代始め位には、サザンの後継車両も登場していた。
- 走ルンですの導入など当然ありえない。
- 今でもなんば発和歌山港行の特急が頻繁に走っている。
- 現実ほど、徳島~京阪神間の移動が高速バス一辺倒にはなっていなかった。
- 明石海峡大橋開通以降は利用客が半分以下に激減、さらには高速1000円政策実施後はそのあおりを受けて廃線の危機に立たされる。
九州
筑肥線はもし筑肥線が福岡市地下鉄と直通運転を行わなかったらへ。
宮田線
- 宮若市にはならなかった。
- 結構にぎわっていたと思う。
- しかしトヨタの社員は車で通うからあまり意味がないかも。
- 筑豊線の快速は勝野にも停車していた。
勝田線
- 電化されていた。
- 通勤路線として発展していた。
- 輸送力増強さえしていれば確実にクロは出ていた。
- もし廃止されずにJRに引き継がれてたら少なくともフリークエントサービスや博多駅への乗り入れは行われていた。
- 宇美駅は香椎線の宇美駅と統合される。
- 太宰府・二日市まで延長されて博多中心の環状路線となっていた。
- 吉塚~柚須の線路容量不足を解消するため、南里(JR化後新設)以北を福岡空港への新線に付け替え。福岡市交通局空港線と相互乗り入れ。
矢部線
- 筑後福島駅は八女駅に改称になった。
- 「八女市駅」かも。
- 筑後福島から先は廃止になったかもしれない。
- キハ125形かキハ200系の単行で運行されていた。
- 矢部線の時刻表に掲載されていなかった佐賀行きが正式に佐賀行きとなって時刻表に掲載される。
- 開業○○年記念には、路線名にちなみ「矢部浩之」か「矢部美穂」が来るとか。
- 終点の黒木駅に因んで黒木瞳かもしれない。(ちなみに彼女は黒木町出身)
- もし、矢部浩之が来たら、ついでに日本テレビ系『ぐるナイ』のロケもやってしまうかな…。
- 意外と路線名は「八女線」になっていた可能性も。
- もし「矢部線」のままならば、「矢部まで行かないのに矢部線」という風にテレビで取り上げられるかも。
佐賀線
- 第三セクターに移行していた。
- 西鉄の完全子会社にされていた。
- むしろJR九州と友好関係を樹立。
- 西鉄の完全子会社にされていた。
- キハ125系かキハ200系の単行で運行されていた。
- 矢加部駅に西日本鉄道との乗り換え駅が設置された。
- 勿論駅名は矢加部。
- 筑後柳河駅と筑後大川駅の名前が変わる。
- 佐賀空港の開港が早ければ空港アクセス列車として再生・電化できた。
- 途中のどこかの駅から「佐賀空港線」が分岐していた。
- 電化され787系による熊本~長崎間に通勤特急が設定されていた。
- いや,ここは急行「ちくご」の特急格上げでしょう。
- 反対もむなしく筑後川昇開橋が架け替えられてしまった。
宮原線
- 黒川温泉人気で乗客が増えていた。
- 高速バスで直行する客の方が多そうなので乗客増は微々たるものだったと思われる。
- それでもJR九州は観光特急を運行していたかもしれない。
- 高速バスで直行する客の方が多そうなので乗客増は微々たるものだったと思われる。
- もう1つの「町田駅」が現存している。
- 東京都の町田駅発行の切符には「(横)町田」などと印字されていた。
- 小田急は「町田」に改名したのに横浜線はJRになっても「原町田」のまま・・・ってことはさすがにないか。
- 史実でも原町田駅が町田駅に改称したのは宮原線廃止前のはず。宮原線の町田駅と駅名が被るということで改称を渋った国鉄に対し、当時の町田市長は大阪府と福島県のふたつの福島駅を例に挙げ反論した。
- 小田急は「町田」に改名したのに横浜線はJRになっても「原町田」のまま・・・ってことはさすがにないか。
- Wikipediaでの記述は、東京都の駅は「町田駅 (東京都)」と記述されている(実史では、東京の駅は「町田駅」と宮原線の駅は「町田駅 (大分県)」と記述されている)。
- 東京都の町田駅発行の切符には「(横)町田」などと印字されていた。
妻線
- 妻駅が西都駅に改称になった。
- 今でも切符を買いに来る人がいる。
- 01.のような事態になると来なくなるかも…
- 湯前線まで延伸して日肥線完成。
大隅線
- 鹿屋市から鉄道が消えることはなかった。
- 篤姫ブームで訪れる乗客が多かったかもしれない。
- 篤姫の故郷は今和泉(指宿市)だから関係なくないか?
- 鹿屋駅が改築されていた。
- 鹿児島中央からの直通列車が制定され、国分止まりのディーゼル普通列車が垂水(たるみず)まで走ってたかも。
- 「~の~」が付く「特に急がない急行」が運転されていた。
- モータリゼーションが進行する前に全線開業していたら…。
添田線
- 今も1、2位を争う赤字線。
- ライバルはまだ美幸線。
- おそらく添田行きが全部こっち経由に振り替えとなる。
漆生線
- 今も大赤字線。
- へいちくに経営分離されている。
- 沿線の団地住民をターゲットとした新駅が開業していた。
上山田線
- こっちもへいちくに経営分離されている。
- 飯塚~上山田だけが部分存続した場合は電化されて朝夕は折尾方面からの列車が乗り入れる。
- (実史で)廃線後に行われているミニトロッコ車両を使ったイベントは行われない。
山野線
- 薩摩大口観光として、「いさぶろう」みたいなやつが走る。
- 沿線の旧菱刈町が金山で有名ということでやけにゴージャスな車両になっていた。
- 水俣で新幹線接続路線となり、一気に幹線になる。
- しかし新水俣駅へはスイッチバック&3セク乗り入れが必要。
宮之城線
- 熊本まで乗り入れている。
- 肥薩おれんじ鉄道に経営分離後、花輪線のように八代までの直通列車が運転されている。おれんじ鉄道車の乗り入れもある。
- 肥薩おれんじ鉄道に含まれている可能性も。。。
- 川内から宮之城までは電化されて817系が走っている。
- 薩摩永野は真幸駅のようにスイッチバック好きが集まっていたかもしれない。
室木線
- 当然、筑豊線に鞍手駅は設置されなかった。
- 室木駅が山陽新幹線交差部に移転し新幹線接続駅となる。
- 隣接する宮若市に配慮し駅名が「宮若くらて」とかにされるかも?
- トヨタ誘致も叶った場合、社員の便宜を図って室木駅に「ひかり」が停車しちょっとした鉄道不思議になる。
- 宮田線との連絡も叶う。
- 貝島炭鉱跡地を避けるため若干遠回りになる。
- 筑豊線電化と同時に電化される。
- 鹿児島線~筑豊線間の乗り入れ直通列車が設定される。
- 特急「かいおう」が室木まで乗り入れる。
- ただし盛り上がるのは室木以南で、以北は国鉄時代よりだいぶマシだが閑散路線となる。
関連項目
- もしあの国鉄路線が全通していたら(未成線のまま廃止・3セクとなった路線はこちら)
- もしあの路面電車が廃止されていなかったら(路面電車についてはこちら)
- もしあの私鉄路線が廃止されていなかったら(私鉄についてはこちら)