「もしあの年の箱根駅伝で○○だったら」の版間の差分

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#間違い無く創価大学は初の総合優勝を達成していた。
#間違い無く創価大学は初の総合優勝を達成していた。
#*初出場からの最少出場回数での総合優勝となっていた(2021年現在での最少出場回数での総合優勝は1992年・山梨学院大学の6回目、創価大学は4回目)。
#*初出場からの最少出場回数での総合優勝となっていた(2021年現在での最少出場回数での総合優勝は1992年・山梨学院大学の6回目、創価大学は4回目)。
#*創価大学の初優勝で、創価学会のボヤ騒ぎがより過熱していたかも。


;途中棄権していたら
;途中棄権していたら

2021年1月21日 (木) 12:43時点における版

  • 新規追加は年代順にお願いいたします。

1939年(第20回)

戸塚大踏切でのタイムロスが考慮されていたら

この年、日本大学は復路で専修大学を猛追していましたが、日本大学の選手が9区で戸塚大踏切に阻まれてしまい、総合5連覇を逃しました。当時はタイムロスが計算されなかったゆえの出来事ですが、もしこの時タイムロスが考慮されていたら?

日本大学が優勝していたら
  1. 中央大学より早く、6連覇を達成していたことになる。
    • あるいは中央大学もなしえなかった7連覇以上もあり得た。
  2. 専修大学は現在(2020年)までまだ一度も優勝を経験していない事になる。
それでも日本大学が優勝できていなかったら
  1. 当時の監督の「戸塚の踏切さまさまだ」という発言はなかった。

1976年(第52回)

青山学院大学がゴールしていたら

この年、青山学院大学は、ゴールまで200mで途中棄権してしまいましたが、もしこの時、青山学院大学が意地でもゴールしていたら?

  1. この時点で11位なので(この時のシード権は9位まで)、どちみちシード権は逃す。
  2. 少なくとも第85回までに1回は出場していたかも。

1996年(第72回)

もし山梨学院大学と神奈川大学が途中棄権していなかったら

4区で途中棄権した両校はこの時点で2位と3位であり、戦前から優勝候補に挙げられていました。もしそれがなかったら?

  1. 中央大学の優勝はなかったかもしれない。
    • ただどちらも復路で中央大学に負けていた(神奈川大学は2分半、山梨学院大学は3分半ほど)ので結局は同じかも。
  2. 翌年の73回大会で神奈川大学が予選会から初めての優勝をする事はなかった。
    • その分、89回大会の日本体育大学の優勝はなおさら大きく取り上げられた。
  3. 史実でも最下位だった日本大学は完全な最下位となり、2011年の最下位と比較されたかもしれない。

2001年(第77回)

復路で駒澤大学が優勝していたら

復路の9区で順天堂大学を逆転して首位に立った駒澤大学ですが、最終10区で順大に再逆転され2位でゴールしました。もし10区の再逆転が無かったら…?

  1. 駒澤大学は2000年から2005年まで6連覇を達成していた。
  2. 大学駅伝三冠の2校目は2010年度の早稲田大学まで待つことになる。

2006年(第82回)

順天堂大学の難波祐樹が途中棄権していたら

7区終了まで2位と3分近い差を付けていた順天堂大学でしたが、8区の難波祐樹が熱中症により大ブレーキを起こし4位まで順位を落としてしまいました。 もし仮に途中棄権していたら?

  1. これが現実に起こった事になる。
    • 仲村明監督は果たして翌年以降も監督を続けられていたろうか。
      • 仮に辞任していた場合、翌年は日本大学か東海大学が優勝していたかもしれない。
  2. chakuwikiに「もし難波祐樹が途中棄権していなかったら」と言う項目が立つ。
  3. 史実のように翌年優勝した場合、2年越しの優勝と言われたのは間違いない。
  4. これを機に給水の見直しがされ、2008年の3校途中棄権はなかったかもしれない。
  5. 史実で11位の城西大学はここでシード権を獲得していた。その場合、翌年以降もシード常連になっていたかも。

原晋監督が辞任していたら

2004年に青山学院大学陸上部監督となった原晋監督は「3年で出場、5年でシード、10年で優勝争い」(実際は出場に5年、シードに6年、優勝に11年かかった)という目標を掲げました。しかし3年目のこの年、予選会で16位に敗れ長距離部の廃部まで取り上げられたほどでした。もしこの時原晋監督が辞任していたら?

  1. 青山学院大学が箱根駅伝に出てくる事はなかった。
    • 長距離部が存続していたとしても、予選会すら通過できないチームになっていた。
  2. 2016~2018年の優勝は東洋大学となり、10年間で7度優勝2位3回と言う大黄金時代となっていた。2015年も東洋大学が勝っていたかもしれない。
    • 神野大地がいなければ馬場が暴走してブレーキする事はなかったので駒澤大学が勝っていたかもしれないが。
  3. 「山の神」は今井正人・柏原竜二のふたりで終わっていた。
    • と言うか、史実で青山学院大学に入部していた選手たちはどこに行っただろうか?
  4. 2011年の寺田夏生ゴール誤認事件もそれほど大きな問題にはならなかったか?(2011年の青山学院大学は総合9位だったので、もしそれがいないとすればただの9・10位争い止まりなので)
    • シード権争いは城西大学と山梨学院大学の争いになっていた。

2007年(第83回)

拓殖大学が出場していたら

ここの大会の予選で走ったランナーの合計タイムでは7位だった拓殖大学ですが、インカレポイントの関係で合計タイムで3分以上も差があった国士館大学にわずか1秒差で出場権を明け渡してしまいました。もし、拓殖大学が出場していたら?

  1. 少なくとも出場する全ての大学が前年と同じということはなかった。
  2. インカレポイントに関して疑問の声が上がることはなかった。
    • 史実では廃止となった90回予選会以降もインカレポイント制度が導入されていた。
  3. 国士館大学は翌年、翌々年も史実通り出場しているが、翌々年の本大会で往路6位に躍進することはなかったかもしれない。

2008年(第84回)

もし順天堂大学・大東文化大学・東海大学が途中棄権していなかったら

この年は3校が途中棄権しました。

順天堂大学(5区で棄権)の場合
  1. 4区時点で18位、復路も最下位に近いタイムだったため、史実より1年早く史上初めて「前年1位の大学が最初から最後まで完走しながらシード権を失う」事になった。
    • 下手をすると10区で繰り上げスタートを喰らっていたかもしれない。
    • 翌年の結果が史実通りの場合、紫紺対決の時代の終わりとしてマスコミが取り上げたかもしれない。
    • 総合でも最下位になった場合史上最悪の大転落となり、順天堂大学は史実以上に復活に時を要したかも。
      • そして88回→89回の日本体育大学と並べられる事は間違いない。
大東文化大学(9区で棄権)の場合
  1. 8区時点で10位、10区が区間最下位に近いタイムだったため結局シード権は取れなかったか。
東海大学(10区で棄権)の場合
  1. こちらは9区の時点で7位だったためシード権を取っていた可能性がある。
    • その場合、東洋大学がシード権を取れなかった事になり翌年以降の運命が変わっていたかも。
      • 柏原竜二は史実通り東洋大学に進学したが、成績次第では設楽兄弟、服部兄弟は東洋大学に進学しなかった可能性が。

2009年(第85回)

東洋大学が出場辞退していたら

ファイル:2009年に開催された第85回箱根駅伝で、東洋大学は67回目の出場にして念願の総合優勝を果たしました。 しかし、2008年12月1日に東洋大の2年生の陸上部員が電車内で痴漢をするという不祥事が起こり、箱根駅伝への出場が危ぶまれていました。部長と監督が責任をとって辞任するという形で無事に出場することができましたが、もし出場を辞退していたら…

  1. 早稲田大学が16年ぶりに総合優勝を果たしていた。
  2. 東洋大学の代わりのチームとして、予選会で14位だった法政大学が出場していた。
  3. 柏原竜二は陸上ファンにのみ知られている選手のままだった。
    • 山の神といえば今でも今井正人
      • ただし、学連選抜に選ばれ5区を走っていた場合は話は別。
        • いずれにせよ、学連選抜がシード権を取ったのは史実通りか。
    • 2010年に予選会から出場を果たしていれば、ここで注目を集めるか。
    • もちろん注目される事も無かったので柏原がアニオタになることもなかった。
  4. それでも駒澤大学はシード権内入りを逃していた。
    • シード権内に入ったのは国士舘大学。
      • 逆に鶴見中継所で7位だった東京農大のシード落ちが、史実以上に騒がれる(史実では21㎞過ぎで11位に転落、ゴール直前で国士館に抜かれ12位だった)。
  5. その後の東洋大学の強豪化もなかったかもしれない。
    • 駒澤大学は翌2010年大会で「史上初の前年11位以下からの優勝」を達成していたかも。

もし城西大学が8区で途中棄権していなかったら

  1. 往路最下位、7区時点で22位だったのでシード権は取れないだろうが、9区の伊藤一行の区間賞は公式記録になった。
  2. トップと最下位の差が20分を切った唯一の大会になる事は変わらない(城西大学の8区のタイムが仮に残る22チームの内区間最下位のランナーと同じだとしても、復路7位相当総合18位相当のため)。

2010年(第86回)

明治大学が5区に大江啓貴を起用していたら

4区までトップを走っていた明治大学でしたが、5区で区間18位と沈み往路6位総合10位に終わりました。もしこの時その後2年間5区で柏原竜二に次ぐ区間2位(史実では6区を走り区間11位)で走った大江啓貴が走っていたら?

  1. 往路優勝は明治大学だった。
    • ただ明治大学の復路の出来を考えると結局総合優勝は東洋大学だったか。
      • その場合、史実より早く「往路優勝・復路優勝・総合優勝」が違う駅伝ができる可能性がある。(史実での2010年の復路優勝は駒澤大学)
  2. 大江啓貴は「山の神に勝った男」として一気に耳目を集める存在となる。
    • 柏原竜二ともライバルのような関係になり、お互い鍛え合って史実よりさらに良い結果が出せたかもしれない。
  3. 他校はますます5区の戦略に頭を悩ませるようになる。
    • 早稲田は山本修平が出るのでさほど問題はない。
  4. ただし逃げきれず逆転された場合、翌年以降史実ほど活躍できなかった可能性も。

2011年(第87回)

國學院大學がシード権を逃していたら

シード圏内の10位争いをしてる中、ゴール直前でコースを間違えるという前代未聞の失敗をした國學院大學。何とかシード圏内の10位に入れましたが、もし順位を11位に落としてシードを落としていたら。

  1. 寺田夏生は戦犯としてネット中で叩かれた。
    • 下手すると退部に追い込まれたかもしれない。
      • 卒業後JR東日本に入社することもない。
  2. コース間違えでシードを逃した事件として箱根駅伝の歴史に残っていた。
  3. もし國學院大学が翌年の箱根駅伝を予選会で敗退した場合、このシード落ちの批判がもっと強くなっていた。
    • Chakuwikiに「もし第87回箱根駅伝で國學院大学がシード権を獲得していたら」が作られていた。
  4. 史実通り翌年も箱根駅伝に出場し、10位でシード権を獲得していたら「前年のリベンジ」と呼ばれた。
  5. シード入りしたのは城西大学。

2012年(第88回)

専修大学が出場していたら

この大会の予選で走ったランナーの合計タイムでは9位だった専修大学ですが、インカレポイントの関係で順天堂大学に出場権を明け渡してしまいました。本戦ではその順天堂大学が総合7位に入りシード権獲得しましたが、もし専修大学が出場していたら?

  1. 結局シードの獲得は難しかったか。
    • もしシード権を獲得していたら、その後の専修大学と順天堂大学の運命は入れ替わっていたかも。
    • シード権を取れなかった場合は国士舘大学がシード権を取る事になり、翌年以降の同校の運命も変わっていたかも。
  2. 学連選抜には順天堂大学から誰が起用されただろうか?いずれにせよ学連選抜の順位はあまり変わらなかったと思われる。
  3. 翌年の順天堂大学の結果が史実通りだった場合、3年連続予選落ちからのシード権獲得と言う事でかなり大きく取り上げられた。
    • 堀選手もジョジョ立ちではなく普通のガッツポーズでゴールインした?

東京農業大学の津野浩大が○○だったら

体調不良のため柏原竜二と30分以上の差、区間ブービーと20分近い差がついてしまいましたが……

途中棄権していたら
  1. 6区の佐藤達也の区間2位はあわや幻の区間賞と呼ばれ悲劇のエピソードになった。
  2. 日本体育大学は総合最下位となり、翌年史実通りに優勝した場合「史上最大の下剋上」として史実以上に話題になっていた。
普通の区間最下位だったら
  1. 4区の時点で総合19位だったので、往路最下位はいずれにせよ同じだがそれほど取り上げられる事はなかった。
  2. 日本体育大学が総合最下位になったかは微妙。
  3. 内藤寛人の部室がテレビに公開される事はなかった。

2013年(第89回)

駒澤大学にアクシデントがなかったら

この年の駒澤大学は優勝候補に挙げられていましたが、エースの撹上宏光が発熱というアクシデントに見舞われてしまい、総合3位に終わりました。もしこのアクシデントがなかったら?

  1. 少なくとも、往路で9位に終わることはなかった。
    • 最低でも、総合2位にはなれていた。5年ぶりの総合優勝もあり得た。
    • 対東洋5連敗(当時)を喫することもなかったかもしれない。
      • 東洋は総合4位以下に落ちていた可能性も否めない。

帝京大学と早稲田大学のデッドヒートが○○だったら

ゴール直前、帝京大学と早稲田大学が総合4位をかけて激しいラストスパートが繰り広げられましたが、これが別な展開だったら?

総合優勝争い
  1. 帝京大学は初の、早稲田大学は2年ぶりの優勝をかけて戦うことになっていた。
  2. どちらにせよ、1位と2位の最少タイム差が2011年の21秒を大きく更新していることは間違いない。
    • 負けた側の大学にとっては「0秒差で逃した優勝」という悲劇の象徴となっていた。
シード権争い
  1. 10位と11位のタイム差が史上最少となっていたことは間違いない。
    • 負けた側の大学にとっては「0秒差で逃したシード権」という悲劇の象徴となっていた。

もし城西大学と中央大学が5区で途中棄権していなかったら

城西大学の場合
  1. 4区時点で11位、復路成績は8位相当だったのでシード権を取っていたかもしれない。
    • その場合大学史上初の連続シード権となり、史実よりその後の成績もよくなっていたかも。
中央大学の場合
  1. こちらは4区時点で18位、復路成績も15位程度だったため結局連続シード権は止まっていた。
    • 永井秀篤の記録は公式記録として残ったのでいくらかましではあったが。

2014年(第90回)

青山学院大学が5区に神野大地を起用していたら

  1. ある程度の成績は残していただろうが、三代目山の神の称号を手にしていたかは微妙なところ。
    • こればかりは2区に誰が入っていたかによるが、青山学院大学が往路4位になっていた可能性も十分考えられる。

2015年(第91回)

往路の小田原中継所が元に戻されていたら

2006年大会からメガネスーパービル前に移動した往路の小田原中継所も2017年大会から元に戻されましたが、これが函嶺洞門バイパス開通と同時だったら?

  1. 史上最速タイムを達成できたかどうかは怪しいが、それでも青山学院大学初優勝は変わらなかったと思う。
  2. 馬場翔大のブレーキは若干ましになり、往路3位は東洋大学から守り抜けたかもしれない。
  3. 及川佑太が山本修平を捕らえ切れなかった可能性もあり、中央学院大学と早稲田大学の往路順位も入れ替わっていたかも。

創価大学が予選会で敗退していたら

この大会の予選会で、残り5㎞の時点で走ったランナーの合計タイムが11位と出場権圏外でしたが、ゴール直前で逆転し滑り込みで初出場を果たしました。もし、予選会で敗退していたら?

  1. 出場していたのは東京農業大学。
    • 東農大は翌年以降も箱根駅伝本大会に出場していた(史実では97回終了時点で90回大会出場が最後の出場)。
    • 出場していればシード権は取れなかったが最下位で終えることはなかっただろう。よって中央大学が最下位となっており、その原因となった10区の大失速が史実以上の騒ぎとなっていた。
      • 下手すれば、第92回大会の予選会で中央大学が敗退していた可能性も。
  2. 創価大学は翌年の第92回大会で初出場を果たしていた。
    • その場合、上武大学か東京国際大学が出場を逃していた。
      • 東京国際大学の初出場は2018年(第94回)まで持ち越し。

2017年(第93回)

接触事故が起きていたら

最終10区で、神奈川大学・中神恒也選手とワゴン車が接触事故を起こす寸前という事態が発生しました。
中神選手が直前で減速して車を避けたため怪我人は出ませんでしたが、もしこの時接触事故が起きていたら…

  1. とりあえず、大会本部と警視庁は叩かれるだろう。
  2. もしこれで怪我してしまったら、神奈川大学は総合5位はおろかシード権すら獲得できず、2017年の全日本大学駅伝で優勝することもなかったかも。

2019年(第95回)

大東文化大学の新井康平にアクシデントが起きなかったら

スタート200mで転倒、それにより区間1位と8分45秒、区間21位と4分42秒差が付いてしまいました。もしそれがなければ?

  1. 3区から繰り上げスタートにされるようなことは起きなかった。
  2. ただ2区も区間最下位であったことを考えると、結局シード獲得は無理か。

2020年(第96回)

創価大学がシード権を獲得出来ていなかったら

9区まで11位とシード圏外でしたが、10区の嶋津雄大が従来の区間記録を更新する走りで9位でフィニッシュ。逆転でシード権を獲得しました。もしこのまま11位以下でフィニッシュしていたら?

  1. シード権を獲得していたのは中央学院大学。
    • 中央学院は翌年もシード権を確保していただろう。
  2. 創価大は第97回大会の予選会で敗退していたかもしれない(現に11位だった中央学院大学は予選会敗退)。
    • 往路優勝していたのは東洋大学。駒澤大学は6区の段階で逆転しそのまま総合優勝していた。
    • それでも予選会を突破して史実通りの往路優勝していたら、第89回大会の日本体育大学以来の予選会から勝ち上がった大学が往路優勝となっていた。
  3. 10区の区間賞は帝京大学の吉野貴大が獲得していた。
    • 史実では吉野は嶋津と3秒差の区間2位。因みに吉野の記録も区間新記録だった。

2021年(第97回)

創価大学の小野寺勇樹が○○だったら

鶴見中継所を1位で通過した創価大学でしたが10区の小野寺勇樹が失速、残り約2km時点で駒澤大学の石川拓慎に鶴見での3分19秒差を逆転され2位となってしまいました。

失速していなかったら
  1. 間違い無く創価大学は初の総合優勝を達成していた。
    • 初出場からの最少出場回数での総合優勝となっていた(2021年現在での最少出場回数での総合優勝は1992年・山梨学院大学の6回目、創価大学は4回目)。
    • 創価大学の初優勝で、創価学会のボヤ騒ぎがより過熱していたかも。
途中棄権していたら
  1. これの中の「往路優勝したが復路途中棄権」が現実に起こった事になる。
  2. 史実11位の明治大学はシード権を確保していた。

青山学院大学の神林勇太にアクシデントが起きなかったら

神林は大会直前に右足仙骨の疲労骨折が判明し、本番は欠場となってしまいました。もし疲労骨折を起こしていなかったら…?

  1. 往路のどこかの区間を走っていた。
  2. 青学は史実よりは往路の順位が良くなっていたかもしれないが、5区竹石のブレーキが史実通りなら…。