野球場/旧本拠地
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2014年6月18日 (水) 23:49時点における>吉田宅浪による版
プロ野球チームの旧本拠地球場の噂を集める。
以下の球場についてはそれぞれの独立記事・節を参照。
- 後楽園球場(巨人・日ハム他)→東京ドーム#後楽園球場の噂
- 東京ドーム(日ハム)
- ナゴヤ球場(中日)
- 神戸総合運動公園野球場(オリックス)
- 旧広島市民球場(広島)
- 宮城球場(ロッテ)
東京スタジアムの噂
- 東京/荒川区(1962~72東京・ロッテ)
- 当時のワンマンで知られた大映オーナー、永田雅一の願望で誕生。通称は東京球場。
- しかし夢は短く、10年で消えた幻の球場。照明灯が眩しかったことから「光の球場」とも呼ぶ。
- このころの球団は、他に東京を名乗る所がなかった事から何でもかんでも「東京」をつけた。球団名も後には「東京オリオンズ」。
- こち亀で取り上げられた成果か、認知度は意外とあったり。
- ウルトラマンの特撮でも使われた。
- 下駄履きで試合観戦ができる球場として、下町の人からは親しまれていた。
- 後楽園に対抗して作ったような球場だったので、巨人には断固として使わせなかった。
- 「本塁打量産球場」の異名もあった。
- 右中間・左中間の膨らみが全くなし。
- この球場亡き後、5年間がロッテの歴史に残る「ジプシー(放浪)」時代。そんな中で日本一になったのは立派なものである。
- 最後は監督が「いらん」と言ったために潰れた。
- ひどい話ですね。
- 投手に不利な球場だったため、投手出身の金田正一監督が嫌がった。
- ここで強引に続けていれば金田さんもおとなしくなっただろうに・・・。
- ひどい話ですね。
- 後に出来たスポーツセンターのプールは北島康介のルーツ。
- 内外野総天然芝。
- 辺鄙な場所にあったにもかかわらず、現在の皇太子殿下が2度ここで野球観戦している。
- スコアボード表示で、難しい漢字を使う苗字の選手はカタカナ表記。生え抜きのこの方は「ダイゴ」表記だった。ご本人は「難しい漢字だからでしょう。外国人でもないのにカタカナ表記だったんですよ」と。
駒澤野球場の噂
- 東京/世田谷区(1954~61東映)
- 畑の中にあったと言う伝説の球場。
- よって砂塵だけでなく、糞尿の臭いもする球場だったとか。
- 振り逃げで4点の記録を生んだ球場。
- 東急時代は東急沿線になく、東映になってからこの地になった。
- 建設したのは東急時代。これが原因で後楽園を一時締め出された。
- 供用開始は一応、東急の時代。
- 渋谷から球場までの直通バスがあったが、はじめは各台数人しか乗客がいなかった。当然、観客も数百人程度。
- 後楽園を捨てて駒澤に移った東映を揶揄し、「駒澤が満員になったら逆立ちで東京を廻っていい」と言った評論家がいたそうな。
- その後の球団成績向上、客誘致努力が功を奏し、5年後にはスタンドもバスも満員御礼となった。上の評論家が東京を本当に巡ったかは不明。
上井草球場の噂
- 東京/杉並区(1936~40翼軍)
- 西武鉄道が造った最初の球場。
- 本拠地だったが、まともに使われたのは1年間くらいらしい。
- 六大学野球の開催地になったこともある。
- こういった経緯があったことが巡り巡って、なんと2013年に埼玉西武ライオンズがここを本拠地としていた東京セネタースの復刻ユニフォームを着用することとなった。
武蔵野グリーンパーク野球場の噂
- 武蔵野市(1951国鉄)
- 後楽園を補うべく、国鉄の本拠地を想定して開設。
- 神宮が接収されていたので大学野球も行われた。
- 国鉄は支線を設け、観客列車を走らせた。
- 一時は交通公社の時刻表にも載ったらしい。
- この支線も幻の鉄道路線として知られる。
- 廃線跡は残っている。
- しかし1年もまともに使われず消えた。正に幻の球場。
- 跡地は団地になっている。
川崎球場の噂
- 川崎市/川崎区(1954~56高橋・トンボ、1955~77大洋、1978~91ロッテ)
- ロッテ本拠地時代はひどかった
- 大洋の本拠地だったときは何も言われなかったのに、ロッテの本拠地になってからあれこれ言われるようになった。それほどセパの格差がひどい時代だったんですね。
- 川崎球場の内野席に座ろうとしたらあっちこっち椅子の板がはぎ取られて捨てられ、コンクリむき出しのままになってた。入場料取るのが信じられんほどのボロさだった。
- 改装前の球場のトイレで映画のロケが行われたことがある。刑務所のトイレとして。
- しかも戦時中の刑務所の設定だったらしい。
- 一度改装工事が行われたが、球場内(グラウンド、スコアボード、観客席など)にしか手が回らなかったため、外側はボロのまま。確かに「テレビじゃ見れない川崎劇場」だった。
- 俺の知り合いのロッテファン女子いわく「女子便所に行く場合、男子便所の中通らなきゃダメだったわ」…ってひでー…。
- スコアボード改装前は、ロッテ×阪急戦で阪急の選手名が真っ白(無表示)だったり、改装後は電光式になったものの、打席に入った選手名を示すランプ無かったので守備番号全面点灯でお茶濁してた。
- 改装前の球場のトイレで映画のロケが行われたことがある。刑務所のトイレとして。
- 取り壊される直前まで、球場の片隅に「明治パイゲンC」の広告が残ってたような気がする。
- 麻雀する輩がおるわ、濃厚にチューをするカップルはおるわ・・・サスガに青○はやってないか。
- サスガに青○はやってない。野球そっちのけで競馬・競輪観戦に熱中、「うるせぇ!ほっとけ!」と選手に怒鳴られる野次飛ばす・キャッチボールするなどの輩は日常茶飯事。某お笑い芸人に「川崎球場のスタンドで死人が出ても1週間は発見されない」とまで言われたこともあった。
- 愛甲の著書によると青◯してた猛者もいたらしい。
- サスガに青○はやってない。野球そっちのけで競馬・競輪観戦に熱中、「うるせぇ!ほっとけ!」と選手に怒鳴られる野次飛ばす・キャッチボールするなどの輩は日常茶飯事。某お笑い芸人に「川崎球場のスタンドで死人が出ても1週間は発見されない」とまで言われたこともあった。
- やっぱ川崎球場っつったら「流しそうめん」だろ!
- 嗚呼、テレビじゃ見れない川崎劇場・・・
- でも珍プレー番組では毎回の様にスタンドの光景が見られた。流しそうめん等はテレビ(珍プレー)に出たいからやったという噂もあるし。
- 水戸ホーリーホックの「納涼漢祭り」第1回で流しそうめんをやったのは、コレがキッカケなんだろうか?(水戸で暴挙を働いたフロンターレサポに合法的(球団に許可を取った)に仕返しする為、スタンドで流しそうめんをやった)
- 「テレビじゃ見れない川崎劇場」という逆転の発想から出た名キャッチフレーズで客集めしたが、その効果のほどは…(以下ry)
- 一応、川崎を本拠地にしていた時代は大洋のほうが長い。しかしそのころからボロが出始めていた
- 風が強く、選手が試合するのにも苦労した。砂塵が舞う球場だった。
- 水はけも悪く、にわか雨降っただけで水溜りできて中止なんてこともあった。
- 川崎市だけ周辺各地域より雨天が多いなんてデータがあるわけでもないのに、やたらめったら雨天中止が多い球場でもあった。
- やたら雨天中止が多いからいきおいシーズン終盤は過密日程になり、今じゃまず見られないダブルヘッダーもザラだった。かの10・19もダブルへッダーだったし。グラウンドが芝でなく土だったせいもあるのか?
- 水はけも悪く、にわか雨降っただけで水溜りできて中止なんてこともあった。
- ドーム球場構想もあったが頓挫に終わる。
- 新鶴見操車場跡地(JR新川崎駅周辺)に新球場建設案もあったがボツ。もし建設されてれば正式名称は「新川崎球場」だったろうなぁ。
- 今や野球場の面影はなくアメリカンフットボールのスタジアムに。
- それでもちゃんと「川崎球場」とは名乗る。
- アメフトも球技だから球場には間違いないけど。
- 改装を経て「川崎富士見球技場」に変更しました。
- 私見では草野球場に見えました。
- それでもちゃんと「川崎球場」とは名乗る。
- ロッテの1軍の試合よりも、巨人の2軍の試合をやったときの方が客が入っていた。
- 大洋に先駆けて川崎を本拠にした高橋ユニオンズは、傍系の傍系であるため全く知られていない。
- これに続く新規参入は、2004年の東北楽天までなかったわけだが。
- マドロック立入禁止
- 「10.19」の時は25,000人のキャパ上回る観客が来た。入り切れない客は球場周囲のマンション屋上等で観戦。
- 球場内各売店の飲食物も売り切れで飲食難民多数発生。球場運営会社の川崎スタヂアムの読みの甘さ露呈。
- ロッテ戦で、観客が50人しかいないことがあった。当時の現役選手(既に引退)いわく「スタンドを見回して、指折って数えられた」
- 2000年3月26日の「川崎劇場ファイナル」は横浜×ロッテのオープン戦で、両軍10本のホームランが飛び出る乱打戦。22-6・ロッテ勝利で終わった。本来長距離打者じゃない小坂誠選手(現楽天)にまでホームランが飛び出し、もう現代の野球に追いつける球場じゃないことを示した。
- 伝説のプロレス団体FMWの聖地だった。
- 王さんの一本足打法によるホームランが誕生した球場。もちろん大洋が本拠地としていた時。
- ロッテ本拠時代のチケットがすごかった。対戦カード・日付・指定席の席番、全てがゴム印。他球場なら全部印刷なのに…。
- 川崎チケットの必殺技は指定じゃない指定券。見た目は普通の特別内野指定席券(今でいうA指定あたりか?)表面に「この入場券にはお席の指定がありません。指定券をお持ちのお客様がみえられたら失礼のないよう代わってください」とゴム印が押されたチケットを繰り出す。しかもカード表記のところはマジックペンの横一本線で抹消。どうやら有事に備えてゴム印を作っておいた模様。
- さらには自由席年間チケット。その年限りだけど、どのカードでも見られますよ…というもの。普通なら何月何日のロッテ-近鉄だけとか、ロッテ-南海だけなどカード限定。あるいはカードによるけど、3連戦限定なんだが、そこをケチらない。
- えっ、ここが出してるけど?しかも、内野・外野自由席共通で。但し大阪は前期・後期に分けてる。神戸は年間共通。
- それは有料回数券でしょ。こちらは近所に配布した「タダ券」だったようだけれど…「タダ券」で一回限りどれでもOKというのは確かに太っ腹。
- さらには自由席年間チケット。その年限りだけど、どのカードでも見られますよ…というもの。普通なら何月何日のロッテ-近鉄だけとか、ロッテ-南海だけなどカード限定。あるいはカードによるけど、3連戦限定なんだが、そこをケチらない。
- 川崎チケットの必殺技は指定じゃない指定券。見た目は普通の特別内野指定席券(今でいうA指定あたりか?)表面に「この入場券にはお席の指定がありません。指定券をお持ちのお客様がみえられたら失礼のないよう代わってください」とゴム印が押されたチケットを繰り出す。しかもカード表記のところはマジックペンの横一本線で抹消。どうやら有事に備えてゴム印を作っておいた模様。
- ロッテのエース・村田がマッサージ受けてたら、目の前にアスベストの塊がド~ン!と降ってきたとか、ベンチ裏が外から丸見えで選手の着替えが見られたとか、プロ常打ちとは思えない設備の悪い球場でもあった。
- シーズン席で観戦すると、ロッテのお菓子を「おみやげ」にくれることがあった。ある年の5月頃の「おみやげ」は大きな箱(店に卸すときの一箱)1個分。「気前がいいな」と思い、家に帰って開けてみると、中から出てきたのはハートの模様の赤やピンクの紙に包まれたチョコレート。バレンタインデーの売れ残りだった。
- スタンド外のラーメン屋が美味いと評判。相手チームの選手もここから出前とって食べてた。
- レフトスタンドはきちんと造ってあるのに予算との関係か、ライトスタンドの一部がえぐれてるなどヘンな球場でもあった。
- あのライトスタンドの形状は、当時の道路計画との兼ね合いらしい。照明灯もそこだけ客席内に立てられていた。
- 上記、「10.19」知る選手にとって川崎球場は「一番思い出に残る球場」である。
- JR川崎駅からタクシー乗って「川崎球場」と言うと途端に運転手が露骨に嫌な顔したり、嫌な顔はしなくても「今日何かあるんですか?」と聞き返すなど地元に愛されてなかった。
- 自宅を狙えシ・マ・ダ!
- 外野フェンスの安全策は、この球場の出来事がきっかけ。
- 長打をダイビングキャッチしようとして、コンクリートの壁にモロに頭を打った選手がいた。
- 大洋時代の話ね。その選手、頭蓋骨陥没骨折で一時意識不明となるほどの大ケガだったそうな…。グラウンド内に直接救急車が乗り入れて病院へ搬送したんだと。
- 長打をダイビングキャッチしようとして、コンクリートの壁にモロに頭を打った選手がいた。
大阪スタヂアムの噂
- 正式名称は「大阪スタヂアム」。「大名古屋ビルヂング」もそうだが昔は「ディ」は「ヂ」表記が普通だった。
- 「スタディアム」なんてほとんど呼ばないだろ。
- 普通は「スタジアム」だしな。
- 後楽園も正式か親会社かは分からないが「ヂ」だな。
- 「ぢ」と表記してはいけない。
- 普通は「スタジアム」だしな。
- 「スタディアム」なんてほとんど呼ばないだろ。
- しかし大阪球場とか難波球場と呼ばれることが多く、正式名など知られていなかった。
- 野球ではなく野次を見るために来る人が多かった。パリーグが電鉄リーグであった時代の野次の一部は今も残っている。
- ex.エラー時に『やったーやったーまたやったー 金村やったーまたやったー 近鉄電車で早よ帰れー』
↑親会社の電鉄名が野次られる。ロッテと日ハムは不勉強で存じ上げません。- ロッテはガム喰って屁をこいてはよかえれ。日ハムはハム喰って屁をこいてはよかえれ。
- 南海高野線の初芝駅もロッテの初芝選手にちなんで野次られていた。
- 野次を見るためにというか、野次で憂さ晴らしするために来ていたというか。
- 「すり鉢状」というか「アリジゴク的」というか、観客席の階段が急すぎて小学生では山登りみたいだった。トイレに行くのも気をつけて行った。酔っ払いが滑り落ちたのもさもあらん。
- トイレは比較的きれいだったのでは。
- ex.エラー時に『やったーやったーまたやったー 金村やったーまたやったー 近鉄電車で早よ帰れー』
- 「あぶさん」でも一躍有名に。
- 「火車」にも登場。
- 住宅展示場にされた末期の姿を描いていた。
- 「アド街」でもグラウンド部分が住宅展示場になったシーンを取り上げた。
- 住宅展示場にされた末期の姿を描いていた。
- 「火車」にも登場。
- 難波のターミナル駅に隣接して球場があり、初めて写真を見たときはたまげた。至便といえばこれに上回るものはないだろうが。
- しかしそんな立地でありながら、昭和50年代には満席になることはほとんどなく、空いていることが多かった。
- 日生に移転する前、近鉄球団の本拠地ともなっていた。
- わずか2年だけ、横浜ベイスターズの前身である洋松ロビンスも…どれだけ?
- 5球団がひしめく後楽園よりははるかにましだったとは思うが…
- JRAの場外馬券売場、ウインズ難波もここにあった。
- 現在は地下に移った。
- 球場跡の商業施設「なんばパークス」の9階に資料館があるが、ノムさんは未だに黒歴史。
- 球団の意向というより沙知代の圧力のためだが。
- 8階円形劇場は、野球場の席を模している。
- ピッチャーマウンドのプレートとホームベースが当時と同じ場所に再現されている。
- サッカーの試合に使用され、1982年にはJSL東西対抗(現在のJリーグオールスター)が開催された。
- そのときのMVPは「ミスター日産」こと木村和司
- スタンドの下に古本屋が集まった一角があった。
- そこにあった店舗の一部は今も難波周辺にある。
- 卓球場もあった。
- 「なんば古書センター」と称する。「文化会館」というのも入っていて習い事の教室もやっていたと記憶する。
スケート場が隣にあったのも懐かしい。あれも付属施設のひとつだった。今はパリーグの球場とフィギュアスケートのリンクが隣接していれば華やかだけれども1980年代はうらぶれていた。
- 「探偵!ナイトスクープ」でスタンドの長椅子をかけて依頼者が南海最後の監督だった故杉浦忠と野球盤対決をした。
- これが「大阪球場最後の(野球の)試合」とされる向きがあったりなかったり。
- コンサート、サーカスなどあらゆるイベントに使われた。上の席に座ると綱渡りを横から見られる。
日本生命球場の噂
- 大阪市/中央区(1958~83近鉄)
- 日本生命の厚生施設のはずが、なぜか近鉄フランチャイズに。
- それまでは大阪球場を間借りしていた。
- 公式にはずっと藤井寺が本拠とされていたが、ナイター設備がなかったため、83年までこっちで試合をする回数の方が多かった。とはいえ73年には藤井寺への一本化を打ち出し、ナイター工事に入ったのだが、訴訟により…
- 当時の近鉄社長によると、近鉄のナイトゲームでの使用料金は100万円・広告収入は球場側の総取り。これではやってられんと藤井寺完全移転決定したとのこと。
- 設備はもともと府立公園程度だったが、周りの公園が花博のときにグレードアップしたので有料なのに公園以下になってしまった。
- なんやかんや言うて96年までは年間何試合かはやっとったさかいなあ。
- 場所は森ノ宮と近鉄沿線でないが至便な位置。しかし狭いため日本シリーズも開けなかった。
- トイレの汚さには定評があったらしい……
- 狭い上に全般的に汚いと評判であったといわれ、「西の川崎球場」と揶揄されたことも。
- 臭さかてそんじょそこらの公衆便所にも負けてへんで。
- ゴキブリやネズミが出たので、それを嫌った外国人選手が早々に退団してしまった。
- ドン・マネーのことやろ。アレはいろいろしゃあないわ。
- 朝顔がなく、タイル張りの壁の下にある溝に向かって放水する。電気が暗く、アンモニアのにおいがすごかった。個室には入っていないので光が入るとかトイレットペーパーがあるとかいうのは分からん。一応水洗なので公園のトイレよりは良かった。
- 狭い上に全般的に汚いと評判であったといわれ、「西の川崎球場」と揶揄されたことも。
- 鈴木啓示によると、ラジオ・テレビの実況の音声がピッチャーマウンドまで聞き取れたらしい。
- 一般には「日生球場」と呼んだ方が分かりやすい。
- アメフトファンには、「涙の日生球場」として、枕詞(まくらことば)とセットで知られている。
- 最後の最後で、あの王貞治監督への卵投げつけ事件のために有名になってしまった。
- アレから10年後、ホークスファンと旧近鉄ファンにより、跡地で「生卵事件を偲ぶ会」が開かれた…らしい(一応新聞で見たような?)
- 跡地周辺の歩道には、かつて球場があったことを示す模様が入っている。
- チャーリー・マニエル選手の打球が場外に飛び出さないように「マニエル・ネット」が張ってあった。後に中学生だった清原が打球を「マニエル・ネット」に当てたらしい。
- 今やでっかいコインパーキングが広がってるだけ。一応、マンション再開発やるらしいけど。
藤井寺球場の噂
- 藤井寺市(1984~96近鉄)
- 近鉄パールズよりはるか前、西宮球場よりも早く1927年に建設。
- 南大阪線を敷設した大阪鉄道が造ったが、この会社は球場や鉄道など一連の過大投資が原因で大阪電気軌道(大軌、近鉄の直系前身)の傘下に…
- 竣工当時の面積は、阪神甲子園球場を凌いでいた。
- 照明灯は後付け。だから塔が球場の外。文字通り「取って付けたような」モノだった。
- その照明灯をつけようとしたら近隣住民から大反対が起きて裁判沙汰になった。どんだけ地元に好かれていなかったのかと。
- 住宅開発をした後につけることになったため、騒音を懸念した模様。
- 1973年に着工してから10年間、照明のつかない鉄塔だけが空しく建っていた。
- 改装後に一基だけあった関係者用エレベーターは凄まじくゆっくり動いてたそうな。
- その照明灯をつけようとしたら近隣住民から大反対が起きて裁判沙汰になった。どんだけ地元に好かれていなかったのかと。
- 実は近鉄バファローズ最後の公式戦を行った球場でもある。
- ウェスタンリーグ(2軍)優勝決定戦である。当時前後期制に分かれていて、前期近鉄が優勝したため。本来開催は一軍最終戦より前だったのだが、この年行われたストの影響で順延となった。
- なお中日ドラゴンズ相手であったが、敗戦したためファーム選手権には進めなかった、結果この試合が最後の公式試合となった。
- 南大阪線で阿倍野橋から藤井寺まで準急で15分ほど。さらに歩きで5分ほどと交通アクセスに恵まれていた。
- 1989.10.14、超満員にふくれ上がった!!
- 近鉄が消滅した後、2006年に解体された。
- そして2009年4月にこの球場の跡地に四天王寺学園小学校が開校した。
- 系列の四天王寺大学のキャンパスもあります。
- そして2009年4月にこの球場の跡地に四天王寺学園小学校が開校した。
- ラッパ禁止だった。そういう意味で宮城球場は受け継いでるかも。(事情はどちらも一緒)
- 生駒おろしのせいで外野に強風吹いてる球場だった。
- ここで日本シリーズが開催されたのは後にも先にも1989年の1回のみ(「巨人はロッテより〇〇」で有名になった時)。
阪急西宮球場の噂
- 西宮市(1937~90阪急・オリックス)
- 小林一三が阪神球団に対する阪急球団同様、阪神甲子園球場に対抗すべく、その至近に意地で造った球場。
- 甲子園球場のほぼ真北にあったとのこと。
- 完成当初は後楽園球場を凌ぐほどの豪華さだったらしい。
- 後楽園も小林が出資している。だから西宮の劣化コピーと評されるのは否めない。
- 場所は西宮北口駅すぐ南。おかげでアクセスはよかったが、結局は甲子園に勝てずいつも空いていた。
- 「外野は入場禁止なのか」…と誤解した観客もいたとのこと。
- いしいひさいちの漫画でも取り上げられたり。
- 外野の売り子の兄ちゃん、ピーナッツ売れないから椅子に座りながら自分らで勝手に?開けてポリポリ食ってた…。
- チョコボールは50円で売ってた。ガキの頃、「ブレーブス子供の会」入ってたから、タダで入ってこれ買って観戦してた。
- 1974年の「決戦・日本シリーズ」でもこの至近さは取り上げられたが、市内完結日本シリーズは結局実現せず。阪神がなかなか優勝できなかったためだが……
- 西宮北口駅の駅名表に余白があるのは、「阪急西宮スタジアム前」の副名称を消した名残
- 「阪急西宮ガーデンズ」開業で駅名標を取り替えたとか。
- 実は西宮北口駅の上に球場造る計画もあったそうな。
- 「外野は入場禁止なのか」…と誤解した観客もいたとのこと。
- 戦後に一回だけ、甲子園が進駐軍に占領されていたことから高校野球をここでしたことがある。
- 昭和33年と38年にもやった。記念大会で出場校が多く、捌ききれなかったため。
- 府大会では平成になってからも。大阪球場が潰れたため。
- 野球よりもアメフトと競輪で知られていた。
- アメフトは、ブレーブスが出て行ってから、使用頻度が多くなった。
- アメフトの関西協会も、事務所を球場内に移転させた。
- 呼称を「…球場」から「…スタジアム」に変更したのは、この頃かな。
- 1977年まで、競輪のバンクの影響で、外野グラウンドには芝が敷いてある部分と敷いてない部分が混在していた。外野手としてはさぞ守りにくかったことだろう。1978年より外野が人工芝になったため、この事態は解消された。
- アメフトは、ブレーブスが出て行ってから、使用頻度が多くなった。
- 跡地に最大級の商業施設ができるらしい。北口駅南部の復興を担えるか。
- 阪急西宮ガーデンズの5階に阪急とブレーブスの資料館が出来た。球場を西宮北口駅の平面クロスともども模型で再現している。なんかなんばパークスのパクリにも見えてしまうが。
- チャンネル番号「8」を記した、関西テレビ放送の大きな広告が外野照明灯にあった。
- これは、オリックスの後の本拠地、グリーンスタジアム神戸(現・スカイマークスタジアム)に受け継がれている。詳しく言うと、「グリーンスタジアム」名義の頃はレフト側フェンスに、「Yahoo!BBスタジアム」名義の頃から最近はスコアボードのビジョンに看板がある。
- 関西テレビが阪急グループであることと関係あるのかもしれない。
- ちなみにテレビ中継がネット裏からだった時代は、外野ラバーのバックスクリーン下レフト側に「関西テレビ放送」の広告があったが、関テレ以外の局(特にNHK)が中継する場合は「西宮球場」表記に変わっていた。
- 手書きスコアボード時代の日本シリーズでは、時計塔の左右に関西テレビによる生中継の提供スポンサー群の社名が掲示されていた(「酒王千福」「ニッカウヰスキー」「東芝」「資生堂MG5」など)。
- バックネット裏に、放送局の札が下げられた座席群があったが、あそこは放送席?
- 関西の吹奏楽経験者にとって「2000人(3000人)の吹奏楽」といえばここ。
- 閉鎖直前にはフリーマーケットなども開催されていた。
西宮競輪場の噂
- 競輪開催時の車券売り場(窓口)は、観覧席下の通路にあった。
- 窓口ごとにシャッターがあり、野球開催時はこのシャッターを下ろしていた。
- 球場入り口のそばに小屋があり、そこで場外開催の車券を売っていた。
- 厳密に言うと、右手(敷地南側)の外野席に向かうほうの改札の更に右手。甲子園競輪の早朝前売りもやってた。早朝前売りではUCCのインスタントコーヒーとか紅茶とか出してたけど、1990年代の後半にやめちゃった。
- カップにインスタントコーヒーの粉かティーバッグが入ってるだけで、飲むときには自分でお湯を注ぐ。でも中にはカップに入ったティーバッグだけ持って帰るセコいオッサンもおった…。
- 厳密に言うと、右手(敷地南側)の外野席に向かうほうの改札の更に右手。甲子園競輪の早朝前売りもやってた。早朝前売りではUCCのインスタントコーヒーとか紅茶とか出してたけど、1990年代の後半にやめちゃった。
- 競輪を始めた頃は常に大入り。だから後に客足が減っても、お盆は競輪開催が優先となってた。西宮北口駅の今はなき1階臨時改札口とかも使ってた。
- 廃止直前の2年間は売り場と観戦エリアを限定した(特観席真下あたりと内野三塁側にロープ張って、主にHS~BSのそばとなるレフト側が立ち入り禁止になった)から、それまでできた球場一周ができなくなった。
- 甲子園競輪もそうだったけど、ヤジが凄い。惨敗して客から「帰れ!」といわれてホンマに帰った(翌日から欠場)選手もいたし。
- ココの甘酒は結構美味かったけど。
下関球場の噂
- 下関市(1950~52大洋)
- セリーグで最初の本塁打を生んだ球場。
- 大阪(→川崎→横浜)移転から33年間たった後に壊されたが、数年後に別地に復活して公式戦もやっている。
- 水産会社の球場にふさわしい立地だったとは思う。
- 今なおこの地を聖地と考えている横浜ファンは多い。
- 今は市立中央病院。
平和台野球場の噂
- 福岡市/中央区(1952~78西鉄・太平洋・クラウン、1989~92ダイエー)
- 福岡ダイエーの本拠となったのはわずか4年なので、いまだに埼玉西武ライオンズの前身である西鉄の本拠地と認識している人が多い。
- 当初はナイター設備がなかったため遅延で試合中止にしようと言う動きが生じ、暴動発生。ナイター設備はこれが契機でようやく入った。
- 球場があったのは舞鶴公園だが、これを聞くとどうしても京都府舞鶴市を想像してしまう。
- 名古屋人は鶴舞公園を想像することだろう。
- 西鉄が強かったのでファンも応援に熱が入り、チャンピオンにふさわしくということで、改修に至った球場。
- 西鉄球団同様、黒い霧事件の打撃をぬぐうことは出来なかった球場。
- 昭和30年代と40年代の落差は凄まじかった模様。
- 遺跡物が出土したおかげで、止めを指された形になった。
- …と言われてはいるが実際にはドーム建設の口実だったとされている(時はバブル時代)。
- 後に福岡市による現ドーム用地のダイエーへの安価売却等一連の行為が問題視される。
- 隣接する陸上競技場はまだ健在。
- 日本で唯一の「巨大ビジョンがあるが電光掲示板でない球場」だった。
- ライオンズが所沢に移転し福岡に球団不在時、所沢のライオンズファンより平和台のライオンズファンの方が熱狂的だった。
- ダイエーが来てからもしばらくはそんな感じだったらしい。
- 西鉄時代、選手達は遠方に見える油山の雲行きでその日の試合の中止を判断していた。
- 勝利時に皆で選手を胴上げ。
- 弱小時は「俺が代わりに打つ!」とバッターボックスに乱入。
- 一時期まで中西選手の特大場外ホームラン着地点跡の碑がレフトスタンド側遙か後方に設けてあった。
- 未だに空中写真を見ると球場の形がちゃんと残っている上、結局空き地のままなのでもう一回再築しようと思えばできる。
- 使用料の高いドームを見限って、新平和台野球場再築に向けた動きが水面下で進んでいるとかいないとか。
- 隣の裁判所も近々移転するらしく、新平和台球場再築には十分な敷地が確保されつつある。
- 周囲の石垣に植えられた只見用の桜の木は今年も元気に開花している。
- 城内にある現テニスコートが投球練習場だった。
- 1958年の日本シリーズ第4戦でサヨナラホームランかっ飛ばした稲尾和久投手に向かってファンが西鉄ベンチ上へ駆け下り、「神様、仏様、稲尾様。救いの神の稲尾様」と三拝九拝したエピソードのある球場。
- 1979-1988の空白期の間にハモンドオルガンが設置され、イニング間や投手交代時などに演奏していた。
- 「雷神」(スーザ作曲)、「コバルトの空」(レイモンド服部作曲)、「スパイラル・ドリーム」(土居慶子=現・松居慶子=作曲)は頻繁に演奏されていた。
- チームに関係なく、打者がヒットで出塁の際は「狼少年ケン」主題歌を簡略化したバージョンを流していた。
- ホークス移転後はホークス選手限定で継続された。
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