もし戦前からモータリゼーションが進んでいたら
ナビゲーションに移動
検索に移動
日本でのモータリゼーションは主に1960年代から進み始めましたが、もし日本のモータリゼーションが戦前の段階で起こっていたら?
- 間違いなく、各地の公共交通機関は現実以上に厳しい状況に立たされている。
- バスはオイルショックあたりで赤字路線の縮小が進み、バス路線も存在しない地域も多数発生していたであろう。
- 道路の拡幅や舗装が史実より早く進んだため、小回りの利くバスは意外に軽便鉄道や路面電車との競争に打ち勝ってむしろ交通弱者の足として定着していたかもしれない。
- 路面電車は戦中から戦後にかけてほとんど廃止され、一部の路線が生き残るのみになっていた。
- 岐阜市の路面電車潰しは叩かれるどころか大きな評価を得ていたかもしれない。
- 市街地の道路拡幅とバス路線転換の成功例としてとらえられていた。
- 戦中に金属供出のためレールや車両の一部が取り上げられてしまい、戦後の混乱で復旧が後回しになったのも痛手となっていた。
- LRTやライトレールという言葉は日本では知られていなかった。
- 中心市街地の空洞化に対する反省から導入を検討する都市も出てくるが、バス会社から猛烈な反対を食らい今も実現していない。
- 信号や電停の移設費用をGHQに求める抵抗ができず、戦後日本は右側通行になっていた。
- 岐阜市の路面電車潰しは叩かれるどころか大きな評価を得ていたかもしれない。
- 国鉄は昭和40年代には民営化されていたかも。
- 1968年10月ダイヤ改正と同時に全国1社体制(但し貨客分離)で民営化。その後1987年4月に6社に分割のうえ完全民営化された。
- そもそも貨物輸送は国鉄のうちに全廃されているのでは。
- むしろ過疎地の赤字ローカル線は建設せず初めから国鉄バスで代替する方針になったため負債は史実よりも膨らまず、80年代に3公社民営化の気運が高まるまで生き長らえていたかも。
- 赤字83線は指定された時点で殆ど廃止となっていた。
- ローカル線の乱造は行われず、逆に現在廃止されている路線の一部は残存していたかも。
- 1968年10月ダイヤ改正と同時に全国1社体制(但し貨客分離)で民営化。その後1987年4月に6社に分割のうえ完全民営化された。
- 航空機とて例外ではない。
- 特に日航は123便事故以降は会社自体が存続できていたかどうかわからない。
- 航空に関してはアメリカみたいに規制緩和が70年代末には起きているので長距離では航空のシェアが現実より増えているはず。
- 特に日航は123便事故以降は会社自体が存続できていたかどうかわからない。
- 新幹線は建設されなかった。
- 但しリニアは飛行機に対抗する為に建設された。
- 仮に建設されても、東海道本線を1,435mmにする「ミニ新幹線」スタイルになっていた。
- 鉄道は古い輸送手段というイメージが浸透していた。
- 狭軌で貨物専用の第二東海道本線が建設されていたかも。
- バスはオイルショックあたりで赤字路線の縮小が進み、バス路線も存在しない地域も多数発生していたであろう。
- 戦時中の交通手段も自動車が用いられていた。
- 学童疎開は長距離バス?
- 自動車の燃料は配給制になっていたはずなので、学童疎開は飛行機か鉄道が用いられた可能性あり。
- 戦時中までの航空技術を考慮すると航空機での疎開は効率が悪すぎるのでそれはない。
- あったとしても本土空襲が始まった時点で鉄道に全面切り替え。
- 食糧増産とともに、燃料用に菜種や落花生などの生産も奨励されていた。
- 戦時中までの航空技術を考慮すると航空機での疎開は効率が悪すぎるのでそれはない。
- 1970年代には地球温暖化が深刻化していた。
- 人口のドーナッツ化が1950年代には表面化していた。
- 人口減少も平成一桁時代から始まっていた。
- 道路整備は実際よりは進んでいた。
- 高速道路は現実以上に建設が進んでいた。
- 戦前に開通した区間も存在していた。
- 軍用機が不時着できるように路肩を広くしたり中央分離帯を撤去可能にしたりしていた。
- 終戦までに東京から神戸まで(ただし艦砲射撃を避けるため史実の中央道のルート)が全線舗装の高規格道路で結ばれていた。
- 2000年ごろまでに新東名や新名神は全通し、第二関越道(高崎まで)や第二東北道(仙台まで)が本気で計画されていた。
- 中国道と山陽道は同時並行で建設されていた。
- 戦前に開通した区間も存在していた。
- 一般道路も大部分が舗装済み。
- 陸軍の要請で重要国道はコンクリート舗装だった。
- こうなっていた。
- 20世紀のうちに道央道・北見網走道・道東道・日東道・常磐道・紀勢道・山陰縦貫道・東九州道が有料で全通。
- もちろん道央道は稚内まで道東道は根室まで
- そして大幹線以外はは無料になっている。
- 高速道路は現実以上に建設が進んでいた。
- ちょうど第二次ベビーブームの頃にワゴンがブームになる。
- 当然両開きワゴンも相当早い段階で開発されていた。
- 軽自動車は1,000ccぐらいまでになっていたかも。
- 普通車の税金がアメリカ並みに安くなっている可能性があるので、軽自動車自体が存在しなかった可能性も。
- 仮に軽自動車規格が存在したとしても、排気量や寸法ではなく投影面積で区分されたと思う。
- 恐らくVWゴルフくらいの投影面積だったかも。
- その場合、軽自動車市場は輸入車も加わって華やかなものに。
- 恐らくVWゴルフくらいの投影面積だったかも。
- 1960年代の「3C」は「2C」になっていた。
- 3Cとはカラーテレビ(Color television) ・自動車(Car)・クーラー(Cooler)のこと。
- 三種の神器の一つがファミリーカーとなっていた(自動車そのものはそれまでに普及)。
- 3Cとはカラーテレビ(Color television) ・自動車(Car)・クーラー(Cooler)のこと。
- ヘリコプターによる救急医療活動、消防活動はコスト削減の流れで廃止も。
- テレビ取材はそれなりに残るかも。
- それでも救急医療活動、消防活動も人命尊重の観点より残る。
- ドクターカーの方が広く普及していた。
- 流石に限界集落対策等の観点からドクターヘリは残るだろう。
- 森林の伐採が現実以上に進んでいる。
- もちろん目的は道路の開発。
- 郊外型ショッピングセンターの拡大も早まった。
- 1950年代には、街頭テレビに集まる人用の車庫確保も課題になっていた。
- ドライブスルーの街頭テレビもできていた。
- ドライブインシアターなら一応史実でも存在するんだけどね(但し導入は1980年代)。
- ドライブスルーの街頭テレビもできていた。
- 自動車用の海底トンネルも各地に存在。
- 青函トンネルは高速道路となっていた。
- ただ、関門トンネルならまだしも、青函トンネル級のトンネルだと排ガス対策や火災時の問題でカートレインになったはず。
- 青函トンネルは高速道路となっていた。
- 自動車メーカーの合併はむしろ進む。
- 「多数乱立→勝ち組と負け組に二分→負け組は撤退or勝ち組会社に吸収」という図式になる。
- 普通免許取得も義務教育になっていたかもしれない。
- 16歳からの普通自動車免許取得が検討されていた。
- 自動車の安全対策はドイツかスウェーデン並みの歩調になっていたはず。
- 自動車の価格は上昇するが、生活必需品で安価なままである必要があるため、自動車企業の圧力もあって自動車取得税・自動車重量税は減額か廃止されていた。
- 戦前に諸外国で見られた三輪自動車が日本でも普及していた。
- オート三輪の衰退もなかったかもしれない。
- 4輪軽自動車よりも税金関係などが安く抑えられ、都市部の低所得者や単身者に重宝されていた。
- 日本はアメリカ並みの車社会となっていた。
- 片側5車線くらいのバイパスがどの県にもある。
- 同時に幹線道路は歩道もセットで整備されていた。
- 分類番号の3桁化が現実より早く行われた。
- 都道府県名も当初からフル表示になっていた。
- 大正天皇の大喪の礼(1927年2月7日)には多数の自動車が使用されていた。
- 史実の昭和天皇の大喪の礼(1989年2月24日)のように、棺を乗せる車両をはじめ警備用・先導…その他多数使用。
- 太平洋戦争末期の空襲時には車で避難しようとする人々が殺到し道路が渋滞していた。
- そしてその部分に焼夷弾や爆弾が落下して多くの犠牲者が出た。
- そのようなシーンが空襲もののドラマにおけるお約束の一つになっていた。
- 広島や長崎の原爆で「爆風で飛んできた車に押しつぶされる」という最期を遂げる人が少なからずいた。
- 国策から燃料も配給制になる→バス交通に優先的に供与されるから自家用車には満足に行き渡らない…と言う流れで渋滞自体が起こらないのでは?
- アメリカから石油が入って来なくなった場合のダメージは史実以上になるので、ハル・ノートに屈することを余儀無くされた。
- それでも開戦していた場合は、史実より早く敗れ、戦争の被害は史実よりも悲惨だった。
- あるいは、昭和初期には既に、アメリカ以外からも石油を調達する手段を確保していたかも。
- 連合国との戦争は起こらなかった。
- その状況で開戦していたら、連合国と互角に戦い、勝ったかもしれない。
- 第二次大戦の、連合国と枢軸国の枠組みが史実と違っていたかも。
- 樺太や満州で必死に油田探しをしていた。
- 大慶油田やオハ油田が戦前に発見され、それを獲得するため日本軍が満州や北樺太に侵攻。東南アジアではなくソ連の一部が日本に占領されていた。
- 満州や樺太での石油利権をめぐって日本とソ連の間でも戦争になっていた。
- 大慶油田やオハ油田が戦前に発見され、それを獲得するため日本軍が満州や北樺太に侵攻。東南アジアではなくソ連の一部が日本に占領されていた。
- 特攻隊は本当に片道分しか燃料を積まずに出撃していた。
- 史実以上の必死な研究で松根油が戦中に実用化され、三保の松原や天橋立の松が伐採されていた。
- 三保の松原は富士山の世界遺産登録時に対象外となっていた。
- あるいは、昭和初期には既に、アメリカ以外からも石油を調達する手段を確保していたかも。
- 世界初の大衆向けバイオディーゼル普通車と木炭乗用車は戦中の日本で発売された。
- 戦争末期には登戸研究所あたりで「石油が採れる藻」の研究が大真面目に行われていた。
- シェールオイルやシェールガスを発見したのは戦中の日本人研究者だったかもしれない。
- それでも開戦していた場合は、史実より早く敗れ、戦争の被害は史実よりも悲惨だった。
- 日本国内の全ての家にガレージがついていた。
- 当然ながら磯野家や野比家にもガレージがある。
- 野比のび助は当初から運転免許を取得していた。よって、四次元若葉マークは存在しなかった。
- 当然ながら磯野家や野比家にもガレージがある。
- 当然ながら日本の植民地だった韓国や台湾のモータリゼーションも早まっている。
- 自動車が原因の貿易問題が戦前から発生していた。
- 日本製の安価で故障しにくい乗用車の流入による貿易摩擦が日米開戦の遠因となっていた。
- 軍部がモータリゼーションを進めていた場合、戦後の鉄道ファンの多くは左翼になっている。
- 鉄道ファン皆が左翼というわけではないが、ネット上では「鉄オタ=ブサヨ」と決めつけられて罵倒される。
- 軍部単独でモータリゼーションを推進することは不可能かと。
- 軍が政治に介入する状況になれば、軍の「要望」で時の政府がモータリゼーションを推進ということはあり得るのでは?
- やるとすれば間違いなく陸軍が主体になっている。
- 軍が政治に介入する状況になれば、軍の「要望」で時の政府がモータリゼーションを推進ということはあり得るのでは?
- 旧日本軍の戦車はもっと使える物になっていた。
- 航空機の分野も、2000馬力級の大出力エンジンが日米開戦前後には開発に成功し、零戦や一式陸攻のように運動性能と引き換えに装甲を犠牲にした機体を大戦末期まで酷使することはなかった。
- 史実で散って行った名パイロットたちも生き残っていたかもしれない。
- 旧軍が人命軽視だったという批判は史実ほどは強くならなかった。
- 高性能エンジンの開発による戦車の大型化も可能になっていたため、陸軍の圧力で幹線道路の橋梁は相当頑丈に造られていた。
- 航空機の分野も、2000馬力級の大出力エンジンが日米開戦前後には開発に成功し、零戦や一式陸攻のように運動性能と引き換えに装甲を犠牲にした機体を大戦末期まで酷使することはなかった。
- オオタ自動車工業が現在も存続している。
- で、時折スバルと混同する人が出てくる。
- どちらにしろ戦時中の燃料統制で庶民は自動車に乗れなくなっていた。
- 菜種油や天ぷら油が密造されヤミで取引され、山村では木炭の自給が史実以上に奨励されていた。
- 日本にアメリカの自動車工場が増えていた。
- 名古屋市が日本のデトロイトと呼ばれていた。
- トヨタ自動車の本社も名古屋市に移転していた。
- 戦後の復興に合わせて各地の道路の幅が100mになっている。
- 県庁所在地クラスの都市にはどこにも必ず100m道路がある。
- 軽便鉄道や路面電車はバスやトラックの普及に押されて戦前から戦中に殆ど姿を消し、ナローゲージや馬面電車は(史実よりも少数派の)鉄道ファンの中でもごく一部のマニアにしか知られていなかった。
- 戦時中は金属供出のための鉄道の単線化や閑散路線の休止が史実以上に徹底され、そのまま戦後廃止・バス専用道路転用となる路線が続出し、ますますモータリゼーションが強まっていた。
- 史実だと国鉄白棚線など。
- 宮沢賢治の童話「銀河乘合自動車の夜」が死後出版され話題となっていた。
- モデルとなった岩手県盛岡~陸中川尻を結ぶバス路線には、ボンネットのラッピングバスが観光客向けに走っていた。
- 東京湾アクアラインは無駄との批判を受けず、渋滞解消のため史実より早く完成していた。
- 満州ではアウトバーン並みの高速道路網が計画され、先行開通した路線は内地の高速道路整備のモデルケースとなっていた。
- 一方満鉄は貨物輸送などにシフトし、あじあなどの特急列車は設定されなかった。
- バスファンと鉄道ファンの勢力が史実と逆転していた。
- 日本の大手私鉄は衰退していた。
- 関東地方にも九州のような高速バス路線網が発達していた。
- 下手をすれば、北海道中央バスは日本一のバス会社になれなかったかもしれない。
- 私鉄文化がない分、東京の渋谷、新宿、池袋や大阪の大体のターミナル駅は地味になっていた。
- 渋谷文化にも影響があったかもしれない。
- その場合、渋谷は秋葉原や中野同様に完全にオタクの街扱いされる。
- 流石に大都市圏の私鉄は史実通りだろう。
- ただ、五島慶太が計画していたといわれる「田園都市線沿線から都心直結の通勤高速バス」は実現していたかもしれない。
- 渋谷文化にも影響があったかもしれない。
- それこそ「毎日鉄道に乗っている」というだけで都会人扱いされる。
- 地方私鉄の多くはバス会社に転換している。
- なんだかんだで、1980年代から都市部を中心に鉄道の再生が行われる。
- 1990年代から2000年代にはTGV方式の東海道・山陽・東北・上越新幹線が開通していた。
- この時期にはだいたいの大都市で地下鉄網が整備されている。
- 日本政界では、自動車業界に近い勢力が多数派を占めていた。
- もともと車社会優遇で高速道路料金が安いために、高速道路無償化は出てこない。
- むしろ無料化を急ごうとしていたのでは。
- 内需が史実以上に拡大しているため、1990年~2002年代や2008年以降の不況も史実より小規模になっていただろう。
- 冬季通行止めになる県境越えの路線は史実よりも減っていた。未舗装区間もずっと短かった。
- 地元の政治家はローカル線より高速道路を地元に誘致しようとした。
- プロ野球球団は鉄道会社より自動車メーカーの傘下が多かった。
- マイカーで球場まで行く観客も多いため引き分け廃止・延長無制限になっていた。
- 球場の周りのあちこちに大規模な駐車場が設置される。
- 本数が少ない路線の踏切が自動車優先になり、一時停止も無くなっていた。
- 「バス」ではなく「乗合(自動車)」という呼び方が一般的になっていた。
- 沖縄では沖縄県営鉄道が戦前の時点で殆ど廃止されてしまう。
- トヨタ自動車の本社(本店は移動せず)が名古屋に移ると同時に,名古屋の「五摂家」に指定された。名古屋鉄道(名鉄)が此の時外れたかもしれないが。
- 高齢者ドライバーの事故や煽り運転が史実より20年早く社会問題化していた。
- そのため2020年現在では下手すればオートマチック車の生産や販売が禁止されているかも。
関連項目
- もし日本でモータリゼーションが進まなかったら(逆のパターン)