「もし魏・呉・蜀が今でも存続していたら」の版間の差分
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#ほぼそのままの領域で三国共に存続していたら魏王朝(と言うか魏国?)が女真やモンゴル等の異民族支配を跳ね除けていたので世界史や東洋史が大幅に違っていた | #ほぼそのままの領域で三国共に存続していたら魏王朝(と言うか魏国?)が女真やモンゴル等の異民族支配を跳ね除けていたので世界史や東洋史が大幅に違っていた | ||
#*モンゴル帝国は中原王朝を支配できず、代わりにシベリアと樺太を含む極東ロシアの大部分を支配し、北極海まで到達していた。 | |||
#**こことモンゴル、満州、朝鮮半島(高麗)が「大元」になっていた。 | |||
#**元軍は樺太から蝦夷地(北海道)を征服し、そのまま北国なので台風が来るわけがなく、無事に津軽海峡を渡って本州に上陸。そして[[もし鎌倉・南北朝・室町時代が○○だったら#元軍が日本征服に成功していたら|日本を征服することができていた]]。 | |||
#**しかし、広大な領土を維持できるわけもなく、史実の紅巾の乱に当たる反乱が朝鮮半島で起き、高麗が独立、これに乗じて日本でも足利尊氏による反乱が起き、日本は大元から独立し、天皇が復活し室町幕府が成立した。 | |||
#**その後、満州は後金→清の支配下となり、寒冷で人の少ないシベリアから極東ロシアはロシアに奪われ、領土はモンゴル高原(外モンゴルと内モンゴル)のみとなった。 | |||
#**その後、20世紀に入ると大元の皇帝(ハーン)による独裁により国民の不満が高まり、ロシア革命後にソビエト赤軍の支援を受けて皇帝(ハーン)が廃され、1924年には社会主義化し「モンゴル人民共和国」が成立する。 | |||
#**しかし1990年に民主化し、「モンゴル国」となった。ユーラシア大陸の多くを支配した英雄チンギス・カンの子孫であることやモンゴル(大元)帝国がチンギス・カンの即位(1206年)から社会主義化(1924年)まで700年以上続いたことから帝政復古を望む声が高く、立憲君主制国家として帝政復古した。 | |||
#チベットは中国に併合されず大チベットに近い領域で存続している | #チベットは中国に併合されず大チベットに近い領域で存続している | ||
#*流石に魏が異民族地域を併合できても史実のウイグル自治区、内モンゴル、満州が限界だったはず | #*流石に魏が異民族地域を併合できても史実のウイグル自治区、内モンゴル、満州が限界だったはず | ||
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#**さらにいうと呉国共産党は毛沢東派と親ソ連派に分裂していた | #**さらにいうと呉国共産党は毛沢東派と親ソ連派に分裂していた | ||
#*[[もし冷戦が○○だったら#米独ソの三つ巴|冷戦が米独ソの三つ巴になっていた]]場合、魏がソ連陣営に、呉がドイツ陣営に、蜀がアメリカ陣営になっていた。 | #*[[もし冷戦が○○だったら#米独ソの三つ巴|冷戦が米独ソの三つ巴になっていた]]場合、魏がソ連陣営に、呉がドイツ陣営に、蜀がアメリカ陣営になっていた。 | ||
#*魏国国民党と魏国共産党の間で国共内戦が起き、魏国共産党が勝利し、魏は共産党による一党独裁政権となった。 | |||
#長江は国際河川になっていた | #長江は国際河川になっていた | ||
#*三峡ダムは建設されない | #*三峡ダムは建設されない | ||
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#*イギリスあたりが三国同士の戦争を仕向けるだろう。結果的に沿岸の港は割譲されるか租借地になり、大半の都市に租界が置かれる。せいぜい第一次世界大戦でドイツの第二次世界大戦で日本のは返還されるくらい。 | #*イギリスあたりが三国同士の戦争を仕向けるだろう。結果的に沿岸の港は割譲されるか租借地になり、大半の都市に租界が置かれる。せいぜい第一次世界大戦でドイツの第二次世界大戦で日本のは返還されるくらい。 | ||
#*むしろ、戦いに明け暮れて逆に中国が列強になるかも。 | #*むしろ、戦いに明け暮れて逆に中国が列強になるかも。 | ||
#*ベトナムの代わりにチャンパが植民地となる。 | |||
#満州、チベット、東トルキスタンはそれぞれ漢民族とは別の民族である満州族、チベット族、ウイグル族の独立国家である。内モンゴルも史実のモンゴル(外モンゴル)と1つの国になっている。 | |||
#*チベットは[[もし中華人民共和国が○○だったら#チベット|ここ]]に書かれているような国になっていた。 | |||
#*東トルキスタンは[[もしあの地域が独立するとしたら/アジア#東トルキスタン|ここ]]に書かれているような国になっていた。 | |||
#*蜀は早い時期から(英のインド進出あたり)には近代化し、周辺国家に侵攻。 | |||
#*結果、蜀は、荊州・ビルマ・ベンガル・チベット東部まで進出。3国の中でもトップクラスに位置する国家となった。 | |||
#*金、後金→清は満州の統一国家だった。 | |||
#**三国が存続している以上、中原王朝を征服していないので、首都は北京に移らず盛京(瀋陽)のままだった。 | |||
#**満州は清による統一後、長らく戦争もなく魏・呉・蜀や李氏朝鮮と貿易しながら平和に続いてきたが、19世紀になると列強に開国を迫られた結果、開国する。そして欧米列強や北からのロシアの脅威に対抗するために近代化する。 | |||
#***しっかり近代化できていたら、外満州はロシアに割譲されていなかったかも。 | |||
#**国名を「大満州帝国」に変更し、大満州帝国憲法が成立する。ロシアに対抗するために同じく近代化した日本と日満同盟を組む。さらに、日本と共にイギリスと同盟を組み、日満英三国同盟が成立する。 | |||
#**満州は満魏戦争に、日本は日呉戦争に勝利し、さらに1904年には日本・満州連合軍がロシアと戦い(ロシア戦争)、勝利する。日本と満州は列強国となった。 | |||
#**そこに蜀も参戦し、交州や、慶州の大部分を併合。 | |||
#***台湾は呉から日本に割譲され、樺太は日満で50度線で南北分割して併合。朝鮮は日満で38度線で南北分割して併合。魏も一部地域が満州の租借地になった。 | |||
#***現実の黄河以北までの地域は大満州帝國に割譲され、さらに、満露国境部も支配していた。 | |||
#***呉は、揚州と慶州の一部を支配する弱小国家に… | |||
#**その後、第一次世界大戦では日満英三国同盟で満州は日本と共に連合国につき、大戦景気で好景気になる。 | |||
#**清がモンゴルを同君連合下だったことを理由にモンゴルを併合し問題になる。 | |||
#**日本・満州は国際連盟の常任理事国となる。常任理事国はイギリス・フランス・日本・満州・イタリア、六大国はそれにアメリカ合衆国を加えたものとなっていた。 | |||
#**満州は独立国家でしかも列強なので、満州事変など起きようがない。よって、日本は国際連盟を脱退せず、日中戦争、太平洋戦争が起きることもなく、日本と満州は第二次世界大戦では[[もし日本が枢軸国側につかなかったら#連合国側についていたら|連合国についていた]]。 | |||
#**魏はソビエト側・蜀は枢軸として参戦。呉は中立 | |||
#***[[もし1940年の東京オリンピックが開催されていたら|1940年の東京オリンピックは無事に開催されていた]]。 | |||
#****札幌冬季オリンピックも無事に開催できていた。 | |||
#***第一次世界大戦のときと同様、大戦景気で好景気になっていた。 | |||
#***呉も中立の立場を生かし、様々な国に武器を売りまくる。 | |||
#***その結果金融大国となる。 | |||
#***魏は蜀からの進行により国土がボロボロになる。 | |||
#***チベットやベンガルはインドに返還、荊州の一部も同様。 | |||
#***ビルマ南部はタイ領になる。 | |||
#**国際連合の常任理事国はアメリカ、イギリス、フランス、ソビエト連邦、日本、満州になっていた。 | |||
#***もちろん日本、満州は核兵器保有国になっている。 | |||
#**戦後、朝鮮は日本と満州から独立運動を起こし、日本統治の南部が資本主義の大韓民国、満州統治の北部が社会主義の朝鮮民主主義人民共和国となった。 | |||
#***その後、朝鮮戦争が起き、アメリカや日本、満州を中心とする西側諸国は大韓民国、ソ連や魏を中心とする東側諸国は朝鮮民主主義人民共和国を支援するが、最終的に痛み分けに終わり、朝鮮半島は現在まで分断状態が続く。 | |||
#**第二次世界大戦では連合国につき、大戦景気があったことや国土が戦争の被害を受けていないので、戦後すぐに日本と満州は高度経済成長が始まり、1973年の第一次オイルショックまで続いた。 | |||
#**そのオイルショックも満州や樺太から石油が取れるためすぐに克服。再度バブル経済が発達する。そして、1990年代から緩やかになっていき、バブル経済は終焉する。 | |||
#**1970年代には魏も経済成長を遂げ、同時に軍事大国と化す。 | |||
#**1990年ごろの中国では、魏が軍事大国として栄えていた。 | |||
#***日本では1954年に開国100周年記念事業で大阪万博が開催され、それに合わせて東海道新幹線の東京-大阪間が開通した。 | |||
#***一方、満州では1956年に盛京(瀋陽)オリンピック、近代化100周年記念事業として1960年に長春万博、1968年にハルビン冬季オリンピックが開催された。 | |||
#***この頃には日本や満州は、大日本帝国憲法、大満州帝国憲法におけるそれぞれ天皇主権、皇帝主権が国民主権になり、天皇や満州皇帝は国民の象徴となる。また、敗戦していないので憲法9条は存在せず、徴兵制も存在するが、それ以外は日本国憲法とほぼ同じ内容である。 | |||
#****そして、大〇〇帝国と名乗るのをやめて日本国、満州国と名乗るようになる。 | |||
#**そして、日本はGDPでアメリカに次ぐ世界2位の経済大国になり、満州も日本と同程度の経済大国となる。 | |||
#***現実の東北三省の人口と内モンゴル東部、外満州の面積から考えると、満州の人口は日本より少し多い1億5000万人程度に達していたと思われるので、GDPでは満州がアメリカに次ぐ2位、日本が3位になっていただろう。 | |||
#**現在では満州は近代以降の日本との関係の深さから東アジアでは数少ない、また世界一と言われるほどのかなりの親日国となっている。 | |||
#**一方で魏は経済発展が遅れるも順調に進み、世界5位くらいにはなっている。ちなみに蜀と呉も同等。 | |||
#中国が長く魏・呉・蜀の3つに分裂しているので、言語や文字も独自に発展し、現在の中国語は存在せず、魏で話されるのは魏国語、呉で話されるのは呉国語、漢(蜀)で話されるのは漢国語と言われている。 | |||
# 日本や朝鮮は地理的にも初代皇帝の曹丕が漢の献帝から禅譲を受けて成立した正統な王朝であるという正統性からも魏との繋がりが深かった。 | |||
#遣隋使、遣唐使は「遣魏使」になっていた。 | |||
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2023年7月4日 (火) 18:43時点における最新版
- 三国時代、現在まで続行
- 中国が分裂状態のまま現在に至るので秦の始皇帝は再評価されず暴君のまま
- ほぼそのままの領域で三国共に存続していたら魏王朝(と言うか魏国?)が女真やモンゴル等の異民族支配を跳ね除けていたので世界史や東洋史が大幅に違っていた
- モンゴル帝国は中原王朝を支配できず、代わりにシベリアと樺太を含む極東ロシアの大部分を支配し、北極海まで到達していた。
- こことモンゴル、満州、朝鮮半島(高麗)が「大元」になっていた。
- 元軍は樺太から蝦夷地(北海道)を征服し、そのまま北国なので台風が来るわけがなく、無事に津軽海峡を渡って本州に上陸。そして日本を征服することができていた。
- しかし、広大な領土を維持できるわけもなく、史実の紅巾の乱に当たる反乱が朝鮮半島で起き、高麗が独立、これに乗じて日本でも足利尊氏による反乱が起き、日本は大元から独立し、天皇が復活し室町幕府が成立した。
- その後、満州は後金→清の支配下となり、寒冷で人の少ないシベリアから極東ロシアはロシアに奪われ、領土はモンゴル高原(外モンゴルと内モンゴル)のみとなった。
- その後、20世紀に入ると大元の皇帝(ハーン)による独裁により国民の不満が高まり、ロシア革命後にソビエト赤軍の支援を受けて皇帝(ハーン)が廃され、1924年には社会主義化し「モンゴル人民共和国」が成立する。
- しかし1990年に民主化し、「モンゴル国」となった。ユーラシア大陸の多くを支配した英雄チンギス・カンの子孫であることやモンゴル(大元)帝国がチンギス・カンの即位(1206年)から社会主義化(1924年)まで700年以上続いたことから帝政復古を望む声が高く、立憲君主制国家として帝政復古した。
- モンゴル帝国は中原王朝を支配できず、代わりにシベリアと樺太を含む極東ロシアの大部分を支配し、北極海まで到達していた。
- チベットは中国に併合されず大チベットに近い領域で存続している
- 流石に魏が異民族地域を併合できても史実のウイグル自治区、内モンゴル、満州が限界だったはず
- 場合によってはウイグル自治区と満州の半分がロシア領になっていた
- 蜀の正式名称は漢だったので漢国として対外的に有名になっていた
- 俗称で蜀漢と呼ばれる事はあっても蜀と呼ばれる事は無かったはず
- 漢国の読みが「かんこく」なので現実世界の韓国と読みが一緒なのでヤヤコシイ事に・・・
- 漢国大使館と韓国大使館を間違えて行ってしまうと言う事例が多発していた
- そのため朝鮮人や朝鮮語は今でも普通に使われてる
- 流石にニュースでは朝鮮では無く、韓国籍や韓国人が使われてただろうが・・・
- いや、多分こうなっていた。
- 或いは大韓民国成立時に候補として挙げられていた「高麗民国」が正式な国名になっていた
- 五穀米と呉国米の区別が付かなくなる
- そのため呉国産の米は呉国産米と言われるのがメジャーに成る
- 或いは呉国と書いて「くれこく」と読んでいたかも知れない
- 漢が敵国になるでどこかの時代で漢字や漢民族などの漢を魏に変えていた
- 一例、漢民族→魏民族、漢字→魏字、漢語→魏語
- 中国なども魏に置き換わり魏国語とか魏国史とかになっていたはず
- 冷戦中に魏が共産化して大魏人民共和国が成立していた
- ただ毛沢東が湖南省出身(大部分が呉に属する)と言う事を考えると魏はソ連の衛星国のままだった
- 毛沢東は呉国の最大野党である呉国共産党の指導者として有名になる
- さらにいうと呉国共産党は毛沢東派と親ソ連派に分裂していた
- 冷戦が米独ソの三つ巴になっていた場合、魏がソ連陣営に、呉がドイツ陣営に、蜀がアメリカ陣営になっていた。
- 魏国国民党と魏国共産党の間で国共内戦が起き、魏国共産党が勝利し、魏は共産党による一党独裁政権となった。
- 長江は国際河川になっていた
- 三峡ダムは建設されない
- 中国が分裂して三人の皇帝が長い間存続するので皇帝の地位が安売りとなり、三国に影響を受けた国の君主は当初から君主号に皇帝を名乗っていた
- 新羅、ベトナム、琉球の君主も統一かそれに近い時期に皇帝を名乗っていた
- 天皇の君主号が誕生せず日本の君主も皇帝を名乗っていたかも知れない
- 朝鮮やベトナムが中華王朝一編の属国にならなかった
- 李氏朝鮮は史実ほど中華王朝の属国にならなかったはず
- 19世紀までこの状況が続いていたら列強に利用されかねない。
- イギリスあたりが三国同士の戦争を仕向けるだろう。結果的に沿岸の港は割譲されるか租借地になり、大半の都市に租界が置かれる。せいぜい第一次世界大戦でドイツの第二次世界大戦で日本のは返還されるくらい。
- むしろ、戦いに明け暮れて逆に中国が列強になるかも。
- ベトナムの代わりにチャンパが植民地となる。
- 満州、チベット、東トルキスタンはそれぞれ漢民族とは別の民族である満州族、チベット族、ウイグル族の独立国家である。内モンゴルも史実のモンゴル(外モンゴル)と1つの国になっている。
- チベットはここに書かれているような国になっていた。
- 東トルキスタンはここに書かれているような国になっていた。
- 蜀は早い時期から(英のインド進出あたり)には近代化し、周辺国家に侵攻。
- 結果、蜀は、荊州・ビルマ・ベンガル・チベット東部まで進出。3国の中でもトップクラスに位置する国家となった。
- 金、後金→清は満州の統一国家だった。
- 三国が存続している以上、中原王朝を征服していないので、首都は北京に移らず盛京(瀋陽)のままだった。
- 満州は清による統一後、長らく戦争もなく魏・呉・蜀や李氏朝鮮と貿易しながら平和に続いてきたが、19世紀になると列強に開国を迫られた結果、開国する。そして欧米列強や北からのロシアの脅威に対抗するために近代化する。
- しっかり近代化できていたら、外満州はロシアに割譲されていなかったかも。
- 国名を「大満州帝国」に変更し、大満州帝国憲法が成立する。ロシアに対抗するために同じく近代化した日本と日満同盟を組む。さらに、日本と共にイギリスと同盟を組み、日満英三国同盟が成立する。
- 満州は満魏戦争に、日本は日呉戦争に勝利し、さらに1904年には日本・満州連合軍がロシアと戦い(ロシア戦争)、勝利する。日本と満州は列強国となった。
- そこに蜀も参戦し、交州や、慶州の大部分を併合。
- 台湾は呉から日本に割譲され、樺太は日満で50度線で南北分割して併合。朝鮮は日満で38度線で南北分割して併合。魏も一部地域が満州の租借地になった。
- 現実の黄河以北までの地域は大満州帝國に割譲され、さらに、満露国境部も支配していた。
- 呉は、揚州と慶州の一部を支配する弱小国家に…
- その後、第一次世界大戦では日満英三国同盟で満州は日本と共に連合国につき、大戦景気で好景気になる。
- 清がモンゴルを同君連合下だったことを理由にモンゴルを併合し問題になる。
- 日本・満州は国際連盟の常任理事国となる。常任理事国はイギリス・フランス・日本・満州・イタリア、六大国はそれにアメリカ合衆国を加えたものとなっていた。
- 満州は独立国家でしかも列強なので、満州事変など起きようがない。よって、日本は国際連盟を脱退せず、日中戦争、太平洋戦争が起きることもなく、日本と満州は第二次世界大戦では連合国についていた。
- 魏はソビエト側・蜀は枢軸として参戦。呉は中立
- 1940年の東京オリンピックは無事に開催されていた。
- 札幌冬季オリンピックも無事に開催できていた。
- 第一次世界大戦のときと同様、大戦景気で好景気になっていた。
- 呉も中立の立場を生かし、様々な国に武器を売りまくる。
- その結果金融大国となる。
- 魏は蜀からの進行により国土がボロボロになる。
- チベットやベンガルはインドに返還、荊州の一部も同様。
- ビルマ南部はタイ領になる。
- 1940年の東京オリンピックは無事に開催されていた。
- 国際連合の常任理事国はアメリカ、イギリス、フランス、ソビエト連邦、日本、満州になっていた。
- もちろん日本、満州は核兵器保有国になっている。
- 戦後、朝鮮は日本と満州から独立運動を起こし、日本統治の南部が資本主義の大韓民国、満州統治の北部が社会主義の朝鮮民主主義人民共和国となった。
- その後、朝鮮戦争が起き、アメリカや日本、満州を中心とする西側諸国は大韓民国、ソ連や魏を中心とする東側諸国は朝鮮民主主義人民共和国を支援するが、最終的に痛み分けに終わり、朝鮮半島は現在まで分断状態が続く。
- 第二次世界大戦では連合国につき、大戦景気があったことや国土が戦争の被害を受けていないので、戦後すぐに日本と満州は高度経済成長が始まり、1973年の第一次オイルショックまで続いた。
- そのオイルショックも満州や樺太から石油が取れるためすぐに克服。再度バブル経済が発達する。そして、1990年代から緩やかになっていき、バブル経済は終焉する。
- 1970年代には魏も経済成長を遂げ、同時に軍事大国と化す。
- 1990年ごろの中国では、魏が軍事大国として栄えていた。
- 日本では1954年に開国100周年記念事業で大阪万博が開催され、それに合わせて東海道新幹線の東京-大阪間が開通した。
- 一方、満州では1956年に盛京(瀋陽)オリンピック、近代化100周年記念事業として1960年に長春万博、1968年にハルビン冬季オリンピックが開催された。
- この頃には日本や満州は、大日本帝国憲法、大満州帝国憲法におけるそれぞれ天皇主権、皇帝主権が国民主権になり、天皇や満州皇帝は国民の象徴となる。また、敗戦していないので憲法9条は存在せず、徴兵制も存在するが、それ以外は日本国憲法とほぼ同じ内容である。
- そして、大〇〇帝国と名乗るのをやめて日本国、満州国と名乗るようになる。
- そして、日本はGDPでアメリカに次ぐ世界2位の経済大国になり、満州も日本と同程度の経済大国となる。
- 現実の東北三省の人口と内モンゴル東部、外満州の面積から考えると、満州の人口は日本より少し多い1億5000万人程度に達していたと思われるので、GDPでは満州がアメリカに次ぐ2位、日本が3位になっていただろう。
- 現在では満州は近代以降の日本との関係の深さから東アジアでは数少ない、また世界一と言われるほどのかなりの親日国となっている。
- 一方で魏は経済発展が遅れるも順調に進み、世界5位くらいにはなっている。ちなみに蜀と呉も同等。
- 中国が長く魏・呉・蜀の3つに分裂しているので、言語や文字も独自に発展し、現在の中国語は存在せず、魏で話されるのは魏国語、呉で話されるのは呉国語、漢(蜀)で話されるのは漢国語と言われている。
- 日本や朝鮮は地理的にも初代皇帝の曹丕が漢の献帝から禅譲を受けて成立した正統な王朝であるという正統性からも魏との繋がりが深かった。
- 遣隋使、遣唐使は「遣魏使」になっていた。