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==全般==
#オリンピックが商業主義に走ることもなかった。
#*その前のモントリオールの大赤字が影響しているという見方もあるのでそうは言い切れない。
#[[もしあの年の夏季オリンピックが○○だったら#東側諸国のボイコットがなかったら|東側諸国の報復ボイコットもなかった。]]
#世界陸上が開かれる事もなかった。
#2012年の五輪にモスクワは立候補しなかった。
#*旧ソビエトのほかの都市が立候補していた可能性はあった。
#*モスクワの再立候補は早くとも2020年頃だった。
#**自分が2020年のオリンピックにモスクワが立候補していたらの妄想を含む記事を提案したことはなかった。
#*プーチンの性格を考慮すると史実通り立候補していてもおかしくなさそう。
#米ソの緊張関係も緩和されていた。か?
#*オリンピックと同時に米ソ首脳会談が行われ、アフガン問題の解決策が話し合われた。
#*ロナルド・リーガン大統領が誕生せず、ジミー・カーターのまま
#**核の恐怖を描いた「ザ・デイ・アフター」「WAR・ゲーム」「風が吹くとき」などの映画や「飛ぶ教室(ジャンプ版)」などの漫画は登場しない。「北斗の拳」も微妙。
#*ソ連の崩壊及び東欧諸国の民主化が現実よりも早まっていたかもしれない。
#**同様に社会主義・共産主義という考え方も衰退し、中国も現実より早く経済成長を果たしていた。
#**場合によっては北方領土の返還が1990年代に実現していた。
#アメリカが参加に踏み切っていればほとんどボイコットはなかったと思われる。
#*それでもソ連と国交がなかった韓国あたりは出なかった。
#その後の北京大会などでボイコットを求める声が上がることはなかった。
#こぐまのミーシャはソ連→ロシアを代表するキャラクターとして世界中で人気を博していた。
#*パルナスのピロシキも大会期間中は大人気だった。その場合パルナスは現実よりも長く営業できたかも。
#「オリンピックは40年周期でトラブルになる」というジンクスはなかった。
#*1940年東京五輪→戦争で中止、1980年モスクワ五輪→日本選手団ボイコット、のため。
#**史実通り2020年東京五輪が新型コロナウイルス感染症で1年延期ということになったら「80年周期」という言葉が使われるようになった。


==日本が参加していたら==
#日本はモントリオールと同じくらいの成績だっただろうな。
#*でも体操やバレーボールなどでのその後の競技力低下は抑えられていた。
#*史実ではメダルが取れなかった瀬古俊彦はメダルを取れていた可能性があった。
#**それどころか当時の中村清監督が言っていたように「瀬古と宗兄弟で表彰台独占」という展開すら考えられた。
#「めざせモスクワ」はもう少し有名になっていた。
#*1980年の[[NHK紅白歌合戦ファン|NHK紅白歌合戦]]で「めざせモスクワ」が歌われていたかもしれない。
#**この場合、この曲をレコードで発売していたダークダックスが出場して歌うか、あるいは特別コーナーを設けて他の出場歌手らによって歌われていたか、どちらかの可能性が高い。
#谷津嘉章がオリンピックに出場できていた。
#*長義和も悲願を達成していた。
#**プロ競輪への転向条件が緩和(年齢制限撤廃。プロ選手の五輪参加許可)され、今もプロ競輪選手で活躍。中野浩一の世界選手権10連覇は無かった。
#*長崎宏子は史上最年少小学生での出場。そして結果は・・・・・・
#**もし金でも取ろうものならバルセロナで岩崎恭子が金とってもあまり騒がれない。
#*史実で谷津はモントリオールには出てるけど、モスクワではメダル取ってたかもしれない。
#**史実に反して、日本がモスクワオリンピックをボイコットせずに、谷津がレスリングでメダルを獲っていた場合、その後のプロレス入りもなかったかもしれない。(オリンピック出場経験であり、後年プロレスに転向したサンダー杉山、マサ斎藤、ジャンボ鶴田、長州力はアマレス時代は銅メダルさえ獲っていない。)
#JOCはいまもなお日体協から独立していない。
#中継独占で[[テレビ朝日]]は大儲け。
#*以後オリンピック中継はジャパンコンソーシアム方式ではなく一社独占が当たり前になる。
#**放映権料の異常な高騰が発生しシドニーorアテネあたりで結局ジャパンコンソーシアム方式になる気がする。
#***放送局決定がバブル期かその直後になるアトランタは元が取れず該当局に大ダメージを与えた可能性あり。
#*古舘伊知郎もフリーにならずにテレ朝のアナウンサーのまま。
#*ロサンゼルス五輪の場合は多分[[フジテレビ]][[FNS|系列]]。
#**ソウル五輪が[[TBS]][[JNN|系列]]、バルセロナ五輪が[[日本テレビ]][[NNN|系列]]、アトランタ五輪がフジテレビ系列、シドニー五輪が日本テレビ系列、そして'''アテネ五輪でようやく[[NHK]]参入。'''
#***そして北京五輪では再び[[ANN|テレビ朝日系列]]。
#***むしろモスクワ五輪以降ずっとテレ朝が独占中継権をもっていた。系列局も47都道府県全てに開局していたかも。
#「燃えろアタック」のストーリーは大幅に変わっていた。
#1980年のNHK紅白歌合戦で西城秀樹は「サンタマリアの祈り」ではなく「俺たちの時代」を歌っていた。
#*その後もオリンピックイヤーになると「俺たちの時代」がラジオや有線でよく流れる。
#**西城秀樹がオリンピック関連の番組に出演して「俺たちの時代」を歌うことも多かっただろう。
#**そして、彼にとって「俺たちの時代」は80年代の代表曲となり、70年代の代表曲である「YOUNG MAN(YMCA)」と並ぶ名曲として、コンサートや懐メロ番組などでも頻繁に歌われていただろう。
#*この年のレコード大賞をはじめとする年末の賞レースでも、「俺たちの時代」でノミネートして、史実でこの年に大賞を争っていた五木ひろしと八代亜紀(通称、五・八戦争)の間に割って入っていただろう。
#日本選手団に関しては一時検討されたように「メダルを取れそうな選手だけ参加」という形態になった可能性もある。
#*この場合モスクワに行けた選手と行けなかった選手の間にかなりの確執が発生していた。
#IOCが電通にベッタリと接近することもなかった。
#*実際にモスクワ大会では博報堂もかなり力を入れていたらしい。
#*その後の大会でも日本国内の広告代理店の座を巡り電通と博報堂のバトルが繰り広げられていた。
#*電通に対抗して博報堂は20世紀中にどこかを買収していたかも。
#一部の実業団チームに属していたアスリートがオリンピック出場と引き換えに職を失う事態が発生していたかもしれない。
#日本選手団の参加が決まった直後から右翼団体や読売新聞が選手・JOCへの大バッシングを繰り広げた。
#*今でも日本の一部保守には「オリンピック」と聞いただけで露骨に嫌な顔をする人がいる。
#大ちゃんフィーバーは現実よりやや小さかった。
#*「大輔」を名乗る男性は現実よりやや少なかった。
#モスクワ五輪に辛うじて参加した欧州諸国同様、開会式の入場行進には選手は参加せず、国旗(日章旗)ではなく五輪旗を掲げての入場であった。
#[[もし1988年のオリンピック開催地がソウルでなく名古屋だったら|1988年夏季五輪に名古屋が当選]]していた可能性も。
==中国が参加していたら==
中国はこの年のレークプラシッド冬季大会よりオリンピックに復帰したが、ソ連との対立を背景にボイコット。
#中国の競技力強化は史実より早まっていた。
#2000年の開催地は北京になっていたかもしれない。
[[category:歴史のif検討委員会 オリンピック史|もすくわおりんひつくてほいこつとかなかつたら]]

2021年6月28日 (月) 11:30時点における版

全般

  1. オリンピックが商業主義に走ることもなかった。
    • その前のモントリオールの大赤字が影響しているという見方もあるのでそうは言い切れない。
  2. 東側諸国の報復ボイコットもなかった。
  3. 世界陸上が開かれる事もなかった。
  4. 2012年の五輪にモスクワは立候補しなかった。
    • 旧ソビエトのほかの都市が立候補していた可能性はあった。
    • モスクワの再立候補は早くとも2020年頃だった。
      • 自分が2020年のオリンピックにモスクワが立候補していたらの妄想を含む記事を提案したことはなかった。
    • プーチンの性格を考慮すると史実通り立候補していてもおかしくなさそう。
  5. 米ソの緊張関係も緩和されていた。か?
    • オリンピックと同時に米ソ首脳会談が行われ、アフガン問題の解決策が話し合われた。
    • ロナルド・リーガン大統領が誕生せず、ジミー・カーターのまま
      • 核の恐怖を描いた「ザ・デイ・アフター」「WAR・ゲーム」「風が吹くとき」などの映画や「飛ぶ教室(ジャンプ版)」などの漫画は登場しない。「北斗の拳」も微妙。
    • ソ連の崩壊及び東欧諸国の民主化が現実よりも早まっていたかもしれない。
      • 同様に社会主義・共産主義という考え方も衰退し、中国も現実より早く経済成長を果たしていた。
      • 場合によっては北方領土の返還が1990年代に実現していた。
  6. アメリカが参加に踏み切っていればほとんどボイコットはなかったと思われる。
    • それでもソ連と国交がなかった韓国あたりは出なかった。
  7. その後の北京大会などでボイコットを求める声が上がることはなかった。
  8. こぐまのミーシャはソ連→ロシアを代表するキャラクターとして世界中で人気を博していた。
    • パルナスのピロシキも大会期間中は大人気だった。その場合パルナスは現実よりも長く営業できたかも。
  9. 「オリンピックは40年周期でトラブルになる」というジンクスはなかった。
    • 1940年東京五輪→戦争で中止、1980年モスクワ五輪→日本選手団ボイコット、のため。
      • 史実通り2020年東京五輪が新型コロナウイルス感染症で1年延期ということになったら「80年周期」という言葉が使われるようになった。

日本が参加していたら

  1. 日本はモントリオールと同じくらいの成績だっただろうな。
    • でも体操やバレーボールなどでのその後の競技力低下は抑えられていた。
    • 史実ではメダルが取れなかった瀬古俊彦はメダルを取れていた可能性があった。
      • それどころか当時の中村清監督が言っていたように「瀬古と宗兄弟で表彰台独占」という展開すら考えられた。
  2. 「めざせモスクワ」はもう少し有名になっていた。
    • 1980年のNHK紅白歌合戦で「めざせモスクワ」が歌われていたかもしれない。
      • この場合、この曲をレコードで発売していたダークダックスが出場して歌うか、あるいは特別コーナーを設けて他の出場歌手らによって歌われていたか、どちらかの可能性が高い。
  3. 谷津嘉章がオリンピックに出場できていた。
    • 長義和も悲願を達成していた。
      • プロ競輪への転向条件が緩和(年齢制限撤廃。プロ選手の五輪参加許可)され、今もプロ競輪選手で活躍。中野浩一の世界選手権10連覇は無かった。
    • 長崎宏子は史上最年少小学生での出場。そして結果は・・・・・・
      • もし金でも取ろうものならバルセロナで岩崎恭子が金とってもあまり騒がれない。
    • 史実で谷津はモントリオールには出てるけど、モスクワではメダル取ってたかもしれない。
      • 史実に反して、日本がモスクワオリンピックをボイコットせずに、谷津がレスリングでメダルを獲っていた場合、その後のプロレス入りもなかったかもしれない。(オリンピック出場経験であり、後年プロレスに転向したサンダー杉山、マサ斎藤、ジャンボ鶴田、長州力はアマレス時代は銅メダルさえ獲っていない。)
  4. JOCはいまもなお日体協から独立していない。
  5. 中継独占でテレビ朝日は大儲け。
    • 以後オリンピック中継はジャパンコンソーシアム方式ではなく一社独占が当たり前になる。
      • 放映権料の異常な高騰が発生しシドニーorアテネあたりで結局ジャパンコンソーシアム方式になる気がする。
        • 放送局決定がバブル期かその直後になるアトランタは元が取れず該当局に大ダメージを与えた可能性あり。
    • 古舘伊知郎もフリーにならずにテレ朝のアナウンサーのまま。
    • ロサンゼルス五輪の場合は多分フジテレビ系列
      • ソウル五輪がTBS系列、バルセロナ五輪が日本テレビ系列、アトランタ五輪がフジテレビ系列、シドニー五輪が日本テレビ系列、そしてアテネ五輪でようやくNHK参入。
        • そして北京五輪では再びテレビ朝日系列
        • むしろモスクワ五輪以降ずっとテレ朝が独占中継権をもっていた。系列局も47都道府県全てに開局していたかも。
  6. 「燃えろアタック」のストーリーは大幅に変わっていた。
  7. 1980年のNHK紅白歌合戦で西城秀樹は「サンタマリアの祈り」ではなく「俺たちの時代」を歌っていた。
    • その後もオリンピックイヤーになると「俺たちの時代」がラジオや有線でよく流れる。
      • 西城秀樹がオリンピック関連の番組に出演して「俺たちの時代」を歌うことも多かっただろう。
      • そして、彼にとって「俺たちの時代」は80年代の代表曲となり、70年代の代表曲である「YOUNG MAN(YMCA)」と並ぶ名曲として、コンサートや懐メロ番組などでも頻繁に歌われていただろう。
    • この年のレコード大賞をはじめとする年末の賞レースでも、「俺たちの時代」でノミネートして、史実でこの年に大賞を争っていた五木ひろしと八代亜紀(通称、五・八戦争)の間に割って入っていただろう。
  8. 日本選手団に関しては一時検討されたように「メダルを取れそうな選手だけ参加」という形態になった可能性もある。
    • この場合モスクワに行けた選手と行けなかった選手の間にかなりの確執が発生していた。
  9. IOCが電通にベッタリと接近することもなかった。
    • 実際にモスクワ大会では博報堂もかなり力を入れていたらしい。
    • その後の大会でも日本国内の広告代理店の座を巡り電通と博報堂のバトルが繰り広げられていた。
    • 電通に対抗して博報堂は20世紀中にどこかを買収していたかも。
  10. 一部の実業団チームに属していたアスリートがオリンピック出場と引き換えに職を失う事態が発生していたかもしれない。
  11. 日本選手団の参加が決まった直後から右翼団体や読売新聞が選手・JOCへの大バッシングを繰り広げた。
    • 今でも日本の一部保守には「オリンピック」と聞いただけで露骨に嫌な顔をする人がいる。
  12. 大ちゃんフィーバーは現実よりやや小さかった。
    • 「大輔」を名乗る男性は現実よりやや少なかった。
  13. モスクワ五輪に辛うじて参加した欧州諸国同様、開会式の入場行進には選手は参加せず、国旗(日章旗)ではなく五輪旗を掲げての入場であった。
  14. 1988年夏季五輪に名古屋が当選していた可能性も。

中国が参加していたら

中国はこの年のレークプラシッド冬季大会よりオリンピックに復帰したが、ソ連との対立を背景にボイコット。

  1. 中国の競技力強化は史実より早まっていた。
  2. 2000年の開催地は北京になっていたかもしれない。