西鉄ライオンズ
- ここでは埼玉西武ライオンズの九州時代全般の噂(太平洋クラブ・クラウンライター時代含む)について取り扱います。
西鉄ライオンズの噂
- やはりあの「黒い霧事件」さえなければ、まだライオンズは福岡にあったと思っている人が多い。
- 池永の永久追放解除は遅すぎたと感じる向き、機構の姿勢に疑問を感じている人も、やはり未だいる。
- 西鉄末期に3年連続最下位、二回の名称変更の挙句、九州を去る……という悲壮な歴史だったが、関東の某チームが最近この道を辿っているようで不安になる。
- 「西鉄」が九州の鉄道事業者だってことを知らないものもいる。
- 関東の西武と混同するのみならず、関西の私鉄だと思っている人もいた。
- あの辺りを走るJRが混同の原因か。
- ホークス以前の九州におけるプロ野球史は意外と知られていない。
- 関東の西武と混同するのみならず、関西の私鉄だと思っている人もいた。
- 伝統の一戦は昔、「南海 vs 西鉄」だった。
- そのため、一戦における九州の球団が入れ替わってしまったことに対し、違和感を感じるものも初めは多かったと聞く。
- ダイエーが九州球団として定着していくにつれ、そんな雰囲気は消えていったが。
- 九州出身で、現在は他の地域に住んでいる人は、今でもライオンズファンの比率が高いと思う。一時的にせよ地域のシンボルを失ったことのダメージはいまだに大きい。
- 西武は西鉄→クラウン時代を長らく封殺してきたが、2008年になるとパリーグ全体でクラシックブームがはやってきたため、九州時代の歴史や記録展示を復活させた。
- 「あの伝説となった男たちが、今蘇る。」と言っていいかもしんない。
- 「九州のモンには応援してもらわなくていい」とか堤オーナーが言ったそうで、これによりライオンズファンをやめた九州のファンや応援団長がいるとのこと。
- 西鉄OBも不満を持っていた。2005年のインサイダー事件で追放されたことにより西鉄の歴史が復活したといえる。
- OBでは豊田が復活祭の中核に位置づけられた。稲尾が亡くなった翌年なのがなんとも……
- 西鉄OBも不満を持っていた。2005年のインサイダー事件で追放されたことにより西鉄の歴史が復活したといえる。
- そしてとうとう、稲尾和久の「24」を永久欠番にした。
- 記念に全員で「24」をつけるという、メジャーの「ジャッキー・ロビンソンデー」のようなイベントを開催。
- 元は西鉄野球部ですなわちノンプロ。しかも都市対抗優勝歴あり。
- 球団保有の縁で、遂にさいたまと福岡を結ぶ日本最長距離の高速バスに「ライオンズライナー」の名がつくことになった。
- 西鉄と西武の共同運行である。
- Lions Expressね。
- 2015年5月に運休。LCCとの競合もあり厳しかった模様。
- 戦前にも西鉄は球団を持っていたが地元では公式戦を開催しなかった。
- その前身の球団に出資していたのは現在の西武新宿線を運営していた(旧)西武鉄道だった。
- 2013年にはその「前身の球団」こと東京セネタースのユニフォームがライオンズクラシックに登場。しかし、古過ぎて何がなんだか。
- ちなみに北海道日本ハムファイターズの前身球団も「セネタース」を名乗っていた。初代監督の作ったチームだったらしく、経営難で1年で東急に買収されたが。
- 2013年にはその「前身の球団」こと東京セネタースのユニフォームがライオンズクラシックに登場。しかし、古過ぎて何がなんだか。
- なんか誤解されてるっぽいので言っておくが「西鉄軍」と「東京セネタース」は別の球団です。
- その前身の球団に出資していたのは現在の西武新宿線を運営していた(旧)西武鉄道だった。
- 初年度の1950年の球団名は西鉄クリッパースだった。ライオンズになったのは西日本パイレーツと合併してから。
- 沖縄初のプロ野球公式戦を主催した球団でもある(1961年)。対戦相手は東映フライヤーズ(現在の北海道日本ハム)。ラジオで日本本土にも全国中継されている(当時のFOLネット経由)。
- なお、次にライオンズ主催の試合が行われるのは56年後の2017年。
太平洋・クラウン時代の噂
- クラウンライター時代に江川に入団拒否された逸話が、九州時代末期の惨状を示す事例としてしばしば取り上げられる。
- チーム愛称が「クラブライオンズ」とか「ライターライオンズ」とか間違われていた。
- むしろ私は77年~78年の親会社がクラウンレコードかと勘違いしていました。
- 散々だった九州時代末期だが、その末期のメンバーからのちの球界を背負う人材を少なからず輩出している(根本監督、東尾、現阪神監督の真弓、名三塁コーチャーの伊原、清原を育てた土井正博、横浜の二軍監督として98年横浜の優勝の土台を作った竹之内、など)
- そのひとり、根本氏はのちに所沢で育てた秋山や工藤を連れて、福岡に戻り、自らの骨をうずめた(合掌)。
- クラウンライター時代のユニフォームが藤井寺時代のバファローズのものにそっくりだった。
- 西鉄時代の反動か、ユニフォームがめちゃくちゃ派手になった。
- 特に胸番号がアメフトばりに大きく書かれたユニフォームは今なお語り草。
- 西鉄時代の反動か、ユニフォームがめちゃくちゃ派手になった。
- 太平洋クラブ、クラウンライターは命名権売却に近く、当時の球団運営会社は福岡野球。
- この福岡野球への地元政財界の冷遇が西武への売却を生んだため、事情通は「九州がライオンズを失った」のではなく「九州がライオンズを捨てた」と考えている。
- ホークスを90年代の低迷期においても福岡民が応援したのは、この時のトラウマがあったからとか。
- 失ってはじめて地元球団の大事さに気づいたとか。
- ホークスを90年代の低迷期においても福岡民が応援したのは、この時のトラウマがあったからとか。
- この福岡野球への地元政財界の冷遇が西武への売却を生んだため、事情通は「九州がライオンズを失った」のではなく「九州がライオンズを捨てた」と考えている。
- 打線好調だった年につけられたニックネームが「山賊打線」。まだ炭鉱が健在だったころの福岡とはいえあんまりなネーミング。
- 時を経て2018年の西武打線に、この名前が復活する形で付けられた。石井一久は出自を知らなかった為に意味がわからなかった模様。
西日本パイレーツの噂
- 1950年の1年だけセントラルリーグに存在した球団
- もともとは西鉄と西日本新聞が共同で球団運営する予定だったのだが、一部のニュースを読売新聞に依存していた西日本新聞が独自に球団を所有することを読売から勧められ設立
- 本拠地は西鉄と同じく平和台球場
- 不慣れだったこともあって球団経営は苦しかったようで、シーズン中に西鉄から合併を持ち掛けられて合意、1年で消滅した。
- 合併の際に巨人が「西日本の選手の保有権はセ・リーグにある」というムチャクチャな主張を掲げ、2人の選手(南村侑広・平井正明)を巨人に移籍させた。
- 日本プロ野球史上初の完全試合を食らってしまった球団。
- 1年だけしか存在しなかった球団ということもあり、近年の書籍で球団名が出てくるのはだいたいこの話。
関連項目
- 野球場/旧本拠地(平和台球場)
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