阪神タイガース/暗黒時代
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暗黒時代の噂
- 阪神が弱かった頃にガラガラの甲子園で応援していた人こそ、本当の阪神ファン。そしてそういう人は決まって、現状に嫌気が差して球場に来ていない。
- あの頃は、負け試合を観に行った事のスラングに「芝生鑑賞をして来た」というモノがあった。
- 暗黒から応援していて、今は鼻高々な人ももちろんいる。
- ただし関西以外で。名古屋地区や関東地区だと鼻高々。
- また、ヤクザだが選手応援歌作曲センス最高の中虎連合応援団がいなくなり、健全だが応援歌作曲センス皆無のダサ黄色ジャージ応援団が跋扈していることに憂いている。
- 個人的な話で申し訳ないが、シーツの応援歌のファンファーレだけは評価してる。それでもアリアスの「メシアフロムUSA」には負けてるけど・・・。
- 1992年に優勝を逃したのは「八木の幻のホームラン」のせいだと今でも主張する。
- その元凶はラッキーゾーンの撤去だったりして。
- 「中継ぎ課」「神のお告げ」「F1セブン」など、この時代の阪神を語る上でネタに欠かさない。
- 川藤がコーチを2年間やっていたことを知っている。
- 守備走塁コーチって・・・。
- オマリーと関川と野田が移籍先で大活躍。
- FAで獲った石嶺と山沖・・・。
- 松永も入れようや。
- 「猛虎!破竹の2連勝!」とデイリースポーツに書かれる。
- 阪神が3連勝しただけでも奇跡と言われていた。
- キャンプの50m走のタイムが1面になった事もあるぞ。
- 阪神が3連勝しただけでも奇跡と言われていた。
- 「3連戦のうち1つくらいは勝つだろう」と思って3試合のチケットを取ったら、3試合とも完封負け。
- 「や~ってくれたね~、タイガース~♪家庭円満、タイガース~♪」
- 「ランランランラン黒い星 ランランランランまた増えた」
- このコーナーで「85年の優勝がきっかけで阪神ファンになったら…、大乃国(康:第62代横綱)が横綱になったのでファンになったら…。そして僕の仇名は疫病神に決まりました」という視聴者のハガキが紹介されたことがある。
- デイリースポーツの一面に「坪井4の2、行けるぞ新人王!」とでっかく書かれ、その下に小さく「チームは5連敗」と書かれていたことは内緒だ。
- 19時からの野球中継が始まったとき、既に先発投手は降板。
- 紳助が「阪神戦は18時から放送せえへんと先発投手が誰だかわからへん」と言ってたなあ。
- バース2世が何人来たのだろう・・・
- 可能性があったのは、マーク・ジョンソンくらい。
- 苦しい時は、あの85年の栄光の映像を見て耐えてきた
- 4番の打率が2割5分・・・。
- 3番だけど、バースは86年に.389も打った(シーズン日本最高打率)。
- 10点のリードでも逆転されるんじゃないかとハラハラしながら観戦。
- でもいつだったか、1回に満塁ホームラン2本打った時はやり過ぎだと思った。
- そう言えば昔、徳光が「阪神が優勝する事はハレー彗星が来るのと同じ位の珍事」って言ってたけど
- そういえば、たけし軍団にも負けたなあ。
- その翌日、日光猿軍団と試合させようや!とか冗談を言った思い出がある。これで本当に試合やって負けた日には・・・。
- ちなみにその翌年に阪神は2位になった
- 弁護すると、本来とは違うポジションを守ってた・・・というのもある。野手がピッチャーやったりとか。←弁護になってるかどうか微妙だけど。
- 負けることを前提に試合を見に行く。ゆえに万が一勝ってしまったら、球場の外でも馬鹿騒ぎ。
- 大量得点をあげて勝つと、自分の身に良からぬことが降りかかるのではと、不安になる。
- 開幕戦は捨てゲーム、もしくは相手チームに対するボーナスステージ。
- いつかバースが選手として帰ってくることを、本気で願っていた。
- 一時阪神の選手はオールスターのファン投票で新庄だけでチームの9割超の投票を獲得していた
- そして2001年のオールスター投票では阪神の選手に1票も入らなかった
- 「1票も」はサスガにない。1人もファン投票で選ばれなかったって事でしょ?
- チームの弱さは初期の楽天と良い勝負
- ファンの合言葉はあと100連勝すれば逆転優勝できるから。
- 松井在籍時の巨人に「30点」取られて敗北した
- 「巨人vs阪神」の伝統の一戦が「巨人vs中日」にとって変わる噂が絶えなかった
- 弱体化し過ぎて阪神身売りの噂が絶えなかった
- 甲子園優勝校にも負けるのではないかとも毎年のように噂された。
- 村○ファンドによって一過性の暗黒時代がもたらされた事もある。
- 天罰下り済み。
- 周りはみんな半袖の時から始まるストーブリーグ
- それも着出した頃。
- シーズン途中に入ってくる外国人は、決して救世主ではない
- 駄目外国人ばかりの中活躍してくれたキーオは希望の光だった。
- 東スポが「阪神1位!!」と見出しを書いたが「評論家によるセリーグ最下位予想」のことだった。
- 早ければ梅雨明けと同時に、来年のことを考え始めるが、4番とエースピッチャーには、まだ見ぬ新外国人を指名する。
- シーズン中は、3日に1回はファンを辞めようと思っていた。
- 圧倒的な負け試合の中トラッキーのパフォーマンスが唯一の楽しみだった・・・
- 「甲子園球場をPL学園の本拠地にするよ」とマンガに書かれていた。
- この頃からファンをやってる人は、2007年オールスター明けの驀進劇~嘘のような連敗を見て心のどこかでホッとしたハズ。
- 「9連勝したら10連敗する」なんて事が多々あったモノだ。暗黒時代は。
- 当時からのファンは、「自分が観戦したから負けた」とか、「自分がファンだから最下位」とかいう考えが染み付いてしまっているので、強い今でもチームに申し訳なくて観戦できない。
- 3連戦で「斉藤・桑田・槙原」をぶつけてくる読売は、血も涙もないと思っていた。
- 槙原だけは嫌な思い出ばかりでもないけどね。
- 槙原は伝説のバックスクリーン3連発や新庄の敬遠球サヨナラのイメージが強すぎる。
- だが、槙原が出てきたら勝てる気が全くしなかったのも事実。
- 1回の攻撃、1番和田豊の応援歌を歌い始めた時が、試合で一番楽しい時だった。
- 「おとこーならいーのちかけーてーぼーるーにーくーらーいつーけー♪」
- 「ゆけよーゆけよーわだゆたーかーおまえーのーでんばんだぜー♪」
- その次が「こーのーいちだにかーけろー♪」だった事がある。暗黒史に残る謎の「スタメン2番・桧山」・・・(しかも開幕3連戦でやった)
- 「おとこーならいーのちかけーてーぼーるーにーくーらーいつーけー♪」
- 負け試合を見せられ、「二度と見に来るか!ボケ!」と捨て台詞を残し、次の日も同じ席で観戦
- 子どもの時、「何で阪神は勝てないの?」と親父に聞いたら「阪神だからに決まっとるやろ!」と言われ、それ以上何も言えなかった。
- ぶっちぎりで指定席への道を突っ走ってた時、七夕の短冊に「阪神が優勝しますように」と書かれているのを見て、思わず泣きそうになった
- 優勝は無しでも良いから3位にはなってくれって言っていた人がいたぞ
- ゴメン、絵馬に書いたわ。
- ピッチャーが好投している時に限って、打てない打線
- 「明日も勝~つ!」は、当然禁句だ。
- 長かった暗黒時代だけど、心底嫌われてる選手がダレル・メイだけ1人ってのは意外かもしんない。次点は松永浩美だけど、彼の存在は余程の野球ヲタ以外には忘れ去られてる。
- メイに関しては、「TO HIM」問題があったからだろうけど・・・。
- とある年の開幕戦、1回の表先頭バッターがヒットを放ち、「今年は行ける!」と思ったが、その後一人のランナーも出せずにボロ負け。
- 5位のことを「セリーグの5本の指に入った」と言う。