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{{県|name=宮崎|reg=九州|ruby=みやざき|eng=Miyazaki}}
<[[戦国武将]]
==町の噂==
==か==
*[[宮崎/北部|北部]] - [[延岡市|延岡]] 日向
===柿崎景家===
*[[宮崎/中部|中部]] - 西都
#上杉家の猛将。謀反の疑いで謙信に殺されたという噂が流布しているがまともな史料にはそんな記述は一切ない。
*[[宮崎/南部|南部]] - [[宮崎市]] [[日南市|日南]] 串間
#単なる武骨の者ではなく、外交などでも活躍した。
*[[宮崎/諸県|諸県]] - [[都城市|都城]] 小林 えびの
===加藤清正===
*[http://www.pref.miyazaki.lg.jp/ 宮崎県庁HP]
[[画像:KatoKiyomasaBS00.jpg|frame|[[名古屋市/中区#名古屋城|名古屋城]]の清正像]]
#年配の[[熊本]]県民には神。
#*地元における愛称はセイショコさん。
#*しばらく前まで、ドサ廻りの劇団などが熊本で公演する際は、芝居の筋とまるっきり関係なくても加藤清正を登場させたそうな。
#**唐突にひげ面の武者が出てきて、<BR>「さしたる用は無けれども、現れいでたる加藤清正」<BR>とひとこと言って退場すると、熊本の観客は大喝采したらしい。
#[[]]退治をやったらしい。
#*トレードマークの片鎌槍は、虎と戦って十文字槍の片刃を折られたのがきっかけなのだとか。
#**海音寺潮五郎氏はもともと片鎌槍だったとしているけど…。(出典:加藤清正・上下巻・文春文庫)
#**現在は[[東京/台東区#台東区の噂|上野]]の東京国立博物館所蔵。知名度の高さと、槍の優品は[[日本刀]]に比べ現存数が遥かに少ないためか、年に一回は展示している。
#「熊本の大名」のイメージが強いが、出自は[[名古屋市/中村区|名古屋]]出身で、鍛冶屋の倅。
#*武断派大名で、福島正則とは仲良しだったが、石田三成とは豊臣秀吉に見いだされて以降から仲が悪かった。これがもとで秀吉没後の豊臣家分裂につながる。
#**元々は小西行長と仲が悪く、三成とは悪くはなかった。しかし朝鮮出兵で三成が行長を庇う形になったことから三成との仲が険悪になった。
#*とはいえ、福島正則のほうが貰った知行が多かったというので号泣して悔しがったことも。意外と嫉妬深い甘えんぼさんだったらしい。
#**この時、福島正則は五千石貰って清正は三千石貰う。「拙者の知行が正則より少ないのはどういうわけでござるか、このお墨付きお返し申す!」と使者にかみつく。最終的には同じ石高にしてもらった。「俺と正則とで、どう働きが違うというのか。共に同じように働いたのにこの差はおかしい」ということ。
#詩歌を嗜まず、嫌っていたらしい。
#熊本の領内で小麦を栽培し、南蛮人との貿易決済に使った。なかなかの商売上手。
#武だけでなく政治もできる人物だが、福島正則に「お前、何でもかんでも自分でやりすぎ。任せるところは部下に任せなきゃいかん」と苦言を呈されたことがある。
#*領内の城々を家臣に分け与えて城代とし、家老職を置かずに政務万端自分で見てた為そう言われた。
#*実際清正が死ぬと、あらゆる業務に清正の手が入っていたので家臣が右往左往。相続の確認に来た幕府の役人に呆れられた。
#*その後加藤家が改易されると、「あそこの藩士は役に立たない」と言われて再就職に苦労したとか。人を育てるって大切だね。
#熊本城築城・白川&緑川の治水と領内の土木に心砕いた。もともとの地名、隈元は陸を畏れるで縁起が悪いと、熊本に改名した。江戸城富士見櫓の石垣は熊本城の石垣を模したものとか。
#身長は190cmくらいの大男説と160cmくらいの小男説とに分かれる。
#*戦国時代の男の平均身長は160cm位だから小男ではないな。
#朝鮮出兵ではかなりの活躍をした模様。


==テーマ別の噂==
===加藤嘉明===
*[[九州旅客鉄道]]
#加藤清正と同じく「賤ヶ岳の七本槍」の一人。 「よしあき」ではなく「よしあきら」。
**[[日豊本線]]
#*通称は孫六、あるいは左馬助。
*[[九州の鉄道]]
#無口な武人。でも有能。
**[[宮崎の駅]]
#伊予松山を治めたが、松山城築城やその後の治世で凄まじい重税を課す。五公五民が標準ななかで七公三民という凄まじさ。
*[[宮崎の交通]]
#*その松山城の完成寸前に、幕府の命令で陸奥会津に転封。幕府的には栄転(石高は倍増で東北の要地)だったが、嘉明にとってはありがた迷惑のきわみ。
*[[九州自動車道]]
#*大御所秀忠に必死に辞退を申し入れたが許されなかった。
*[[宮崎の食文化]]
#**要するに、「ねんがんの まつやまじょうをてにいれたぞ!」「な なにをする きさまらー!」である。
*[[宮崎のメディア]] - [[宮崎放送]] [[テレビ宮崎]] [[エフエム宮崎|JOY FM]]
*[[宮崎の未来]]
*[[宮崎の言葉]]
*[[山形屋|宮崎山形屋]]
*[[偽宮崎の特徴]]
*[[宮崎/東国原知事の噂|東国原知事の噂]]
*[[偽東国原英夫の特徴]]
*[[宮崎の学業]]
*[[JFL#ホンダロックSC|ホンダロックSC]]


==宮崎の噂==
===蒲生氏郷===
#女性の方が活躍する土地柄である。
#信長、秀吉から重用された。
#時間がゆったりで宮崎の時計は1日26時間である。
#*信長の娘と結婚している。
#*待ち合わせによく遅れるのはそのためである。
#茶人としても優れた人物で、千利休とも親交があった。
#**遅れても特に叱られることもない。
#*現存している有名武将が作った茶杓は、利休をパクりすぎた面白味がない作品が大半なのだが、氏郷は個性的で武人らしい茶杓を残している。この人が長生きしてたら、[[戦国武将/は行#古田重然|ゲヒ殿]]の出番はなかったかも。
#***むしろ怒ると逆ギレする。
#死因に毒殺説があるが、どうもでっち上げらしい(氏郷のカルテが現存している)。
#**時間通りに行ってもだれも来てないことが多く不安になる。
#*氏郷の有能さを妬んだ石田三成が毒殺させたという話、あるいは氏郷の才気を警戒した秀吉が毒殺させたという話がある。
#***なので近くのパチンコ屋などで時間をつぶす。
#**とんでもない話で、対家康の有力な牽制者であり、本人もそれと自覚していた氏郷を、秀吉や三成が殺すはずはない。実際、氏郷の急死で、豊臣政権首脳部は対家康戦略を建て直さなければならなくなり、えらい苦労をした。上杉景勝の会津移封はそのための苦肉の策。
#****そんなときに限ってフィーバーになる。
#戦国の雄として天下への野心もあったらしく、辞世の句には無念が滲み出ている。
#*****結局待ち合わせに遅れてしまう。
#けっこう無遠慮な放言が残っているが、それによって不利益を被った形跡がないところを見ると、あけすけで憎めない人柄だったのだろう。
#******そして怒られない。
#*小牧の戦いの時だったか朝鮮出兵の時だったかよくわからないが、秀吉の行動に関して「サルめ、死に場所が無くて狂ったか」と言ったとか。
#****宮崎はパチンコ屋がやたら多い。
#*「太閤殿下亡き後は関白殿下(秀次)に従いますか」と家臣に訊かれて、「あんな愚人に誰が従うか」と言ったとか。
#**午前中の訪問とは11:59まで、昼過ぎの訪問とは14:59までに行けばよいと考えている。by宮崎の営業マン
#秀吉の氏郷評はなかなか面白い。
#***訪問先で冷めたお茶を出されても特に気にすることもない。by事務所のねーちゃん
#*秀吉「5万の兵を率いた信長公と、10万の兵を率いた氏郷が戦ったら、どっちが勝つと思う?」<BR>家臣達「それは信長公では」「いや、氏郷殿も負けてはおらぬだろう」<BR>秀吉「信長公が勝つ。5万の兵のうち4万5千が戦死しても、信長公は残りの5千のうちに居て生き延びるだろう。しかし10万の兵のうち1万が戦死したら、氏郷は必ずその中に入っている」
#***だけど約束の時間に訪問したら相手が慌ててやがる。
#秀吉が天下統一直後に大崎・葛西一揆(領地失った大崎・葛西両家の遺臣団が新代官として赴任した木村親子に対して起こした反乱)鎮圧の為東北へ向かった。が、「伊達政宗が道案内や城攻めなどで、ロクに手を貸さなかったのでエッライ苦労致しました。こんな寒いところから早く暖かい伊勢松阪へ帰りたいです」と愚痴った手紙を秀吉に送ったという逸話がある。
#**集合時刻になったら家を出る。
#*氏郷は木村親子救出は出来たが、本格的な鎮圧は伊達政宗の手で行われた。手柄横取りされて、当然面白くないはずだが「やはり東北は政宗殿が治めねばならぬでしょう。寒地のいくさに手馴れぬそれがし共では手に余り申しました」とほめる手紙を秀吉に送っている。
#*火星の時計は1日25時間である。つまり、地球は宮崎と火星の合いの子。
#新しく部下を召抱えると、決まって「戦場では、銀の鯰尾兜をかぶった武将に負けないようにがんばれ」と言ったという。ちなみにその武将は氏郷本人である。
#**火星は地球と宮崎のあいの子じゃないの?でないと辻褄が合わないよ。
#高山右近の友人で、彼に勧められキリシタンに入信。
#*時間厳守と言うと軽蔑される。
#*だいたい腕時計を装着しない。
#**日中は日の傾きで時間を測定しているようだ。
#**夜は携帯電話の時計と体内時計を同期しているため昼より夜の方が時間にうるさい。
#*何時頃の「ごろ」とはだいたい3時間のサバを読んだ方がよい。
#**例えば夕方5時頃だと17:00~20:00の間。
#***そういうことは時間にルーズな人位しか居ません。他県の人と同じです。
#****[[沖縄]]県民は例外。
#*宮崎では電波時計があまり売れない。
#**時間を送らせる「ひむか磁場」があるのだから。
#*街頭時計も少ない。
#**あっても大抵止まっている。
#*飛行機に乗り遅れる率も他県に比べれば高い。
#**なので空席待ちで乗れる確率も高い。
#***いや、普段はほとんど空席だから空席待ちしなくても大丈夫よ。
#***空港の屋上が一大観光地として人々に認識されている。
#地下のある建物は存在しない。(ボンベルタ橘<>[http://www.mrt-micc.co.jp/ MRT micc]間に地下道があります。)台風で水没するかは不明。
#*地下=食料品売り場はあります。
#*山形屋にも、ボンベルタ橘にも、MRTmiccにも、カリーノ宮崎にも、シーガイアにも、宮崎県庁にも、宮崎市役所にもあります。だけど他には無い。
#まだ鎖国をしている。
#*しかし実際は違う。
#*むしろ鎖国をしているのは隣県のKコンビ。
#気温0度以下とは「極寒」を意味する。
#*気温が15度以下になると、ダウンジャケットを着る人が増える。寒さに弱い気質がある。
#台風のコント(看板とかが飛ぶ)を見ても、日常風景を映してなにがおもしろいのかと思う。
#*逆に台風が来ないと、いまいち夏になった実感がわかない。(もっとも宮崎県付近にいれば台風の影響の無い年なんて稀だろうけど。)
#ホテルの風呂はビジネスでもデフォルトで温泉。
#*残念ながら、そんな事はありません
#*宮崎はプレート境界線に近すぎるので霧島以外では本来温泉が出ない(火山フロント辺りを参照)
#宮崎県人は、2時間サスペンスドラマがないと生きていけないらしい。
#*いや、誰も見てねーし、話題にすらなったことないから。
#**その上、県外に出たりCATVに入ったりして「'''土曜'''ワイド劇場」が見られる環境になっても絶対に見ない。
#**2時間ドラマのある月曜は、レンタルビデオショップの回転率が倍以上になるらしい。
#宮崎では、「月9」の如きドラマのことを「ヤングドラマ」と言うらしい。
#*当然のように、「月9」が土曜の昼に放送される。
#**夕方16時くらいだったと思う。
#**しかも一週遅れ。
#**東国原知事が以前テレビ番組で月9を「宮崎では『土4』です」と言っていた。
#***コブクロの小渕(小さい方・宮崎出身)も宮崎では土曜4時に放送するのをネタにしたことがあり、それがフジテレビのニュースで全国放映された。
#*実際の月曜9時はテレ朝系「土曜サスペンス劇場」が「月曜−」として放送されている
#**本当は、「土曜サスペンス劇場」は「土曜ワイド劇場」。どうせ、誰も見もしないからタイトルはうろ覚えらしい。
#**月曜サスペンス劇場は、勝手に宮崎側にて差し替えられた(と思われる)オープニングの映像がある。暗く怖いものなので、子供が泣くこともしばしば。
#*UMKでHEY!HEY!HEY!(1週遅れ)を見ていたら「UMKでは土曜午後に放送」というテロップが。
#**数年前までHEY! HEY! HEY!もMステもやっていなかった。アダルト層:のど自慢、若い層:うたばん、ですみ分けができていたためと思われる。
#宮崎の北部山沿いの人は救急車の音を聞くと「どこん人が死んなったっちゃろかぃ」と言って、葬儀の知らせを聞くと「あんときん救急車ん乗っちょった人やねぇどかい。」と言う。
#*山間部では救急車の到着まで2時間かかるところもある。全然救急じゃない。
#*全国で一番常備消防がない地域だから、ボヤでも全焼。
#とにかく植え込みが多い。
#自転車のサドルを調節しないのが普通。
#*一番低いサドルがなぜかウケる。高いと滑稽だと思われる。
#フェニックスが植えてあるだけで、「南国」と言う。
#*それは他の県から来た人がよく言うこと。
#*広島大学に進学したら、大学のシンボルツリーがフェニックスだったことに感動した。
#*他県でフェニックスを見つけると「宮崎のパクリだ!」と叫ぶ。
#**宮崎市県内ではフェニックスがメジャーだが、他の地域ではフェニックスはそれほど有名ではない。
#***宮崎市、というよりは国道220号沿線でないと見掛けなかったりする。
#[[宮城]]県とよく間違えられる。
#*[[長崎]]とも間違えられたりしますね。
#*良くて「宮崎って九州のどこかだよね」と正確な位置までは把握されていない。
#*東北だよね、と言われた事は数知れず。
#*鹿児島のあたりだよね、と言われると急激に無愛想になる。
#*[[クイズマジックアカデミー|このゲーム]]で、メーカー側が宮崎接続を宮城接続扱いにしてしまったことがある。
#鹿児島の事をとにかく意識しライバル視する。飲み会になると「鹿児島の〜〜は・・・」になる。しかし鹿児島の人に相手にされていない事に気づいていない。
#*話題に上った事すらありませんが?
#*砂土原と都城は鹿児島県ですがなにか?
#*「砂土原」ではなく「佐土原(さどわら)」です。それから両方とも宮崎県です。
#*もう訛りも半分以上は鹿児島弁だわなと都城生まれが言ってみる
#*そもそも薩摩藩島津氏の発祥の地は都城なので逆に言えば鹿児島は宮崎。(w
#**それを言うなら鹿児島は都城。宮崎も鹿児島であり都城、とするのが正解。
#**島津氏の屋敷が現在も都城市に現存している(市が買いとっており現在は誰も暮らしていない。開放もしていない)
#***明治に建てた住宅なら、ここ最近公開され出している。
#*むしろ鹿児島が宮崎を意識しすぎてる。鹿児島のメディアが宮崎のことを地元ニュースで報道することが度々あっても逆はほとんどない。
#**それって地元感覚でニュースにしてるだけで意識してる(=対抗意識を燃やしている)わけではないよね。
#*ていうーかこれ自体を書いたのが絶対鹿児島人だな。
#*江戸時代は、薩摩の植民地だった。
#**それは諸県(薩摩藩)と佐土原だけ。延岡・高鍋・飫肥は全く別の領主の支配地。
#***その「諸県」には今の[[鹿児島/大隅|志布志・大崎]]も含まれていたりする。
#*宮崎県は鹿児島県に併合されてた時期があるから鹿児島は宮崎を手放した名残惜しさがあるんだろうね。宮崎県民としては特別親近感はないのだが・・。
#**宮崎から見れば一番(地理的に)近い隣県という以上のものはない。
#もともとひどかったが、イオンSCが出来てから宮崎のメインストリートである橘通周辺のシャッター街化が止まらない。
#*橘通ですらそうなのだからそれ以外の商店街などは見るも無残なゴーストタウン状態。
#*イオンSCは高岡に出来る計画もあった。
#*県庁所在地の中心部だから都城・鹿屋より大分まし。
#駅は無人が当たり前である。有人駅で切符を買うとワクワクする。
#*都会の自動改札を見たらどんな感じかな?
#**自動改札があるということは知っている。だが降りた後切符を自動改札に投入しても切符は返ってこないことを知らず、戻ってこない切符をずっと待っている。
#風向きによっては桜島の灰が飛んでくる。
#*桜島噴火の音も都城ではよく聞こえる。2,3日に一度の割合。
#**2011年、新燃岳噴火のときは都城市内全域が大量の降灰にみまわれたが、住民はほとんど動じなかった。県外からの旅行者だけが焦っていた。
#多くの子供が秘密基地を作った経験を持つ。
#*中には中学生で秘密基地を作っている者もいる。
#主な観光資源はシーガイアと、せいぜい霧島温泉。シーガイアは皮肉なことに、倒産で全国区になった。
#*シーガイアをシーガイヤと勘違いしてるヤツが大半。
#*霧島温泉はほぼ鹿児島県。だから本当は観光資源はシーガイヤだけ。
#*海岸が一番の観光資源だと思うのだが無計画な土木工事により砂浜の侵食が深刻。
#*よって観光資源は無くなりつつある。
#*元々「神話」だけで売り込んでいたので原点回帰したとみていい。
#*ちなみに観光客が一番多いのは高千穂峡らしい。[[熊本/阿蘇|阿蘇]]観光のおまけ。
#**スピンオフした「高千穂峡めんつゆ」というソウメンのつゆが、かなりのシェアをもってしまっている。
#福島瑞穂の出身地だが、社民党にはあまり興味ない。
#*個人的には宮崎の恥。
#**個人的には宮崎の誇り。日本を代表する政党の党首なんだから偉い。周りもそう言ってます。
#***あんなのを「日本を代表する政党の党首」とはハイレベルな冗談だ。
#***[[スイス]]が非武装国家だと無知発言して失笑された党首が誇りだなんて笑えない冗談はやめてくれ。
#***ひとつだけ、'''宮崎県人は原則として政治にまったく関心がない。'''
#*「痴漢冤罪者も男性として連帯責任を負え」とのたまうお方ですし。冤罪者=被害者が悪いとのことか。
#*そんなことはないぞ。比例代表の得票数は共産党より多い。福島さんの影響力は絶大だ。
#*'''左派系の人間は社民党に投票することは暗黙の了解'''
#**だから宮崎は未だに県議会の議席は社民党>民主党。宮崎だけ10年遅れてる感じ。
#宮崎県庁の電話は[[NTT]]しかない。
#*県内通話はNTT西日本で、県外・国際通話はNTTコミュニケーションズである。
#NTTグループ(NTT西日本・NTTコミュニケーションズ)の固定電話のシェアが全世帯の8割近くあるらしい。
#*インターネットのプロバイダーは、7割弱の世帯がNTTコミュニケーションズのOCNである。
#**県北(延岡・日向)は、CATVが主である。
#*NTTドコモ九州の宮崎県内の携帯電話のシェアでは7割近くもある。
#**「au・ソフトバンクモバイルのシェアを合わしても3割強しかない。」
#*宮崎県在住者が海外旅行に出かけるときに必ず、NTTコミュニケーションズの国際国内電話のプリペイドカードを購入する。
#*むしろ山間地の方がauのシェアは大きい。なぜなら、山奥すぎてFOMAの電波が届かないから。
#*携帯電話を選ぶとき、機能やサービスではなく、自宅に電波が入るか入らないかでキャリアを選ぶ(よってauのシェアもそこそこ高い)
#離婚率が高い→母子家庭が多い。
#電化製品は全て吉村生協プロパンで購入する。
#*これはガチでホント
#*最近になり、やっとイオンで電化製品を買うようになった。
#明治時代には、鹿児島県と合併するという暴挙に出た。
#*これを西南戦争のどさくさにまぎれてと併合させられたと見る人もいる。
#「てげてげの木」という県内にしか生息しない木があるらしい
#*「のさん」と言う山に「よだきい」と言う伝説の木もあるらしい。。
#*そして「ひんだれた」という田んぼに「てにゃおか」という丘(または「てにゃわん」という湾)もある。
#*「よだきい」という木には「ねたみ」「ひがみ」という実がなるらしい。。。
#*その実を「閑古鳥」が食べに来るんだとさ。。。。
#サンメッセ日南のモアイは、本家公認である
#[[東国原英夫|たけし軍団の芸人(そのまんま東)が知事]]になってしもうた。
#*'''[[東国原英夫]]知事'''
#*2007年(平成19年)1月23日、知事職開始。
#*開票0%から(投票終了時点で)'''早々と当確が出たのはインパクトがあったよ'''by他県民。
#**投票した有権者はビートたけしが副知事になることを期待していた。
#*保守系の候補が分裂したのは痛かったな>自民&公明。
#*ヤッシー方式では県民からそっぽを向かれるから、高知県の現知事みたいにやれば安定かもね。
#*「ひがしこくばる」・・・読めない。
#**でも、芸名よりこちらの方が宮崎のPR効果大だと思うのだが・・・
#*で、現知事の芸名は'''新聞の一面で始めて大々的に使われた。'''
#**芸名は「酢のマンマ被害」だろうか?「そのまんま被害」だろうか?
#*選挙公約の一つに「民放を増やす」。人によっては悲願か。
#**はたして宮崎は東国原知事効果?で徳島や岩手に次ぐChakuwiki聖地となるか・・・
#昨年、やっとスターバックスコーヒーが県内初出店した。
#*それ以前まではスタバをアシタバの仲間と思っていた。
#*タリーズのカップを持って行ってもOKだった。
#*タリーズの進出は九州でも早いほうだった記憶がある。それもなぜかレタス巻きの「一平」のフランチャイズ。
#宮崎県民に最も知られている温泉はホテルマリックスの「温泉ぱうぱう」。
#*えびの市の京町温泉、同じく宮崎市内にある青島も温泉(というより観光)地として結構有名。
#宮崎県ではオタクは育たない
#*宮崎県在住の従兄弟がそう言ってた
#*オタク向けの店がほとんど無いことによるが、まぁ育たないことはない。(byオタク)
#**アニメイト進出で育っている感もある。(byオタク)
#**県内有数の情報系学校であったとしても、あからさまなオタクはクラスに1,2名しかいない。
#*育たなかったオタクはそのまま薄まっていく。育ってしまったオタクは東京や大阪に飛び出していき、不遇だった時代を埋め合わせるかのようにますます拍車がかかる。(by後者)
#**育っても宮崎にいるオタクはいる。(by宮崎在住のオタク)
#*そもそも未だにオタク=犯罪者の偏見が一部ある(宮崎勉を引きずってる人種)
#*TVその他の事情が最悪なのでケーブル、スカパーを引いたとしても足りず、正直P2Pでもやらん限り出遅れまくり。
#*深夜アニメに関しては下手な民放4局地域と大差ない。[[テレビ神奈川]]の土曜7連続など誰が全てみるのかと。
#*実はヤンキーやB系の格好をしていながらオタク。
#*特にヤンキーは意外なほどガンダム好きである。
#*自覚しないままオタクだったりする。
#*メイド喫茶は2008年末にようやく進出した。
#*昔、夕方はアニメ三昧で隠れオタク増幅したよ。16時~18時はアニメタイム。
#*延岡にはそういう店が全くない。だが意外とオタク人口は多いと思われ。本屋とかでPC・エロゲ雑誌等を物色してる奴よく居る。
#**延岡の[[Axis powers ヘタリアファン|ヘタリアファン]]な方曰く、放送部はオタクの巣窟だとか(学校は隣町)
#*その昔MRTラジオでやってた「アニメランド」を覚えているヲタの方も多いのでは。
#隣の鹿児島にはまったく無く、大分にも福岡の近くにしか無いセブン-イレブンが、普通に存在する。
#*というより宮崎のコンビニで一番セブンイレブンが多い、近所に3店くらいは普通にあったな。
#*昔はSPAR(スパー)しかなかったコンビニ過疎地に南九州ファミリーマートがやってきて、ローソン・セブンイレブンがやってきた。今じゃSPARがなくなってしもうた。少し前に仲間になったエブリワン(旧寿屋グループ)がなんとか奮闘中。
#マガジンやサンデーの発売日が全国より1日遅かったが、最近やっと追いついたらしい。
#*[[九州自動車道]]が全線開通する前は全国より2日遅れだった。
#**その頃は、ジャンプも1日遅れの火曜発売だった。
#*チャンピオンはいまだに1日遅れの金曜発売だ。
#医大生サーファーの全国シェアは98%
#ついに県庁前でエロビデオを撮るアホが出現。またいいわけもアホ。
#漬物や沢庵は手の甲にのせて客に振る舞う。
#*手のひらはモノをさわるので手の甲だったならきれいだと思っているからである。
#*最高のもてなしを受けたと思って良い。
#*振舞われた漬物を箸で取って手の甲にのせて食べる・・が正解。
#宮崎では訪問する方が「来る」と言う。
#*使い方として「今からそちらに伺います」を「今からそっちに来るわぁ」
#*北九州市周辺や大分県(旧豊前・豊後)以外の九州各地でもそう言いますよ。
#*英語の表現も同じです。I will come to you.
#鹿児島を含めて南九州では黒板拭きのことを「ラーフル」と呼ぶ。
#*他県に出るまで全国区と思っていた。
#*ラーフルはオランダ語でぼろ布の意で、メーカーでもラーフルという商品名や呼称として使われている。
#自殺率九州一。2008年人口比率での自殺率で[[秋田]]に続く第2位。あちゃー
#*何年か前の正月の地元紙に秋田との共通点をさぐる特集が掲載されていたような。
#*[[NHK]]総合が'''8'''ch、NHK教育が'''12'''chで共通する[[新潟]]は自殺率が45年連続トップ10の常連だとか。
#*秋田や新潟とは異なり出生率が高いから高齢化は遅い。秋田や新潟は「高齢者ホーム」と呼ばれるほど高齢化がかなり深刻。
#県外に出ると「てげちゃん」というあだ名が付くことがある。
#*最近になり、「肉巻き」(肉巻きおにぎりの略)というあだ名も一部の体型の者に付けられている。
#西都原古墳群の影が薄すぎる。
#*名前はほとんどの者が知っている。だが訪れたものはあまりいない。ひょっとするとメッカみたくなっているのかもしれない。
#*訪れるとしても花見の名所として行く。春は桜と菜の花、秋はコスモス。
#自慢じゃないけど物価は安い(はず)。バイトの時給は620円から。
#*大卒月給が13万円台など、都会では食うに困る額を提示されることもしばしば。
#**宮崎で暮らすには8万あればなんとかなる。付き合い用の飲み代を含めたら13万でぎりぎりか。車は持つとしても軽でないときついかも。
#都道府県で県のマスコットなし
#*ただし、ローカルヒーローと警察マスコットはいる
#*某花の妖精が新たに登場
#**いつの間にフラワーフェスタのメインキャラクターに昇格している。
#*宮崎銀行のマスコットの憧れのマイホームは、埴輪。
#**宮崎県人はやたら埴輪に親近感をもっている。理由は不明。
#***そういえば平和台公園には埴輪園まである・・・。
#*ついに宮崎県のマスコット誕生。その名も'''''[http://ouendan.kanko-miyazaki.jp/profile/ みやざき犬!]'''''…それでいいのか宮崎県。
#2011年7月24日のアナログテレビ放送終了の際、地デジ難民が多くあふれてパニくる。
#*以下[[宮崎のメディア|こちら]]へ。
#年間日照時間全国上位の本県おいて、大手民間企業による大規模太陽光発電所の建設計画がいくつかある。
#「てげうめっちゃが」とでも言っていれば宮崎っぽくなる(いっちゃがでも可)
#九州で唯一高校野球優勝経験がない県だが、21世紀での勝利数は[[福岡]]や[[鹿児島]]よりも上だったりする。
#*だが甲子園初戦連勝記録は九州では宮崎がNO1の8連勝
#*鹿児島にその事を煽られると「高校駅伝で優勝したこと無いくせに」と煽り返す。宮崎は高校駅伝の優勝回数が全国5位(最近広島に抜かれた)。
#**さらに一昔前、駅伝では旭化成が全国王者として君臨していた。そのため県民の駅伝に対する関心は高い。
#豆まきで落花生を投げる。
#*大豆をまくのを、なぜかもったいないと感じる。おそらく昔タンパク質が不足する食事ばかりしていたためと思われる。
#餅まきのことを「せんぐまき」という。(市内付近)
#最近のニュースを見てるとそろそろ宮崎が「終了」するのではないかと心配になってくる・・・(2010年6月)
#「[[偽駅の特徴]]」と「[[勝手にご当地メロディ導入]]」に最後まで出てこなかった県である。
#*どちらも宮崎駅登場でやっと47都道府県の駅が勢揃いした。
#日露戦争終結、ポーツマス条約にて賠償金や領土を獲得できなかった外務大臣、小村寿太郎が県出身で一番偉大な功績を残した政治家ということになっている。
#*関税自主権獲得が主な功績ですので・・・。
#*通であれば川越進(分県運動の功労者)、有吉忠一(大正時代の県知事)辺りを挙げる。あと地歴関係では平部嶠南。
#大晦日の夜はかならず救急車のサイレンが聞こえる。
#*寒さに弱い県民性プラスお祭りが少ない県での一大イベントが重なっている時節のため、お年寄りには衝撃が大きいためと思われる。
#ナイナイの番組にて焼酎「黒霧島」を岡村隆史が褒めたことから、都城に本社のある霧島酒造はうるおった。
#*その年は社員にボーナスが120万円支給されたため、他の県民からおおいに顰蹙(ひんしゅく)をかった。
#*以降、日本酒のかわりに焼酎が全国的に飲まれるアルコール類となる。
#「宮崎○○」という人名が多い。
#鉄道の利用頻度が著しく低いため、九州で唯一の「自動改札が無い」「[[SUGOCA]]が使える駅が無い」「複線が無い」県である。
#*広義には九州に含まれる(JR九州の支店もある)沖縄は、SUGOCAどころかICカードに全く対応していない。
#**ちなみに、[[沖縄都市モノレール|ゆいレール]]は複線で自動改札もある。
#**もっとも、バス・ゆいレールは2014年夏をめどにICカードを導入予定。実現したら名実ともに・・・。
#*しかし、長崎・鹿児島のようにSUGOCAが孤軍奮闘な地域もあったりするので、さほど気にすることではない。
#**むしろ、宮崎は[[ICカード/交通系#宮交バスカの噂|交通系ICカード]]を2002年に導入している先進地域ですらある。鉄道に拘る人は忘れがち。
#*9割以上の宮崎県民はJRを利用した事がない。このためJRでの移動を極端に嫌がる。県民の長距離移動手段が車か飛行機だからである。
#鉄道・バスでの移動が日常ではないため、18歳までの主たる移動手段は「自転車」。
#*市内主要部は、今時中国でも見られない自転車の山。県内どこに行っても、自転車に乗る学生が溢れる。
#*他県では通常考えられない距離を自転車で移動する。1時間程度の全力走行は県民の極々ありふれた嗜み。
#*むしろ、本数の少ないバス利用者を異常者扱いする傾向がある。「何で自転車に乗らないのか?」と。
#*高校生まで、通学で脳天を強い日光で照射されているので、全体的に脳が良く煮えている傾向。


==宮崎出身の著名人==
====
#浅香唯
===北畠具教===
#そのまんま東(東国原英夫 現知事)
#伊勢国司にして塚原卜伝、上泉信綱という剣聖に師事した剣豪。足利義輝とは兄弟弟子に当たる。
#*2011年1月、任期満了で退任しました。
#*上泉信綱に柳生宗厳を紹介したのもこのお方。
#温水洋一
#ぐ・・・・・・具教
#永瀬正敏
#今井美樹
#蛯原友里
#*この人と東国原知事のお陰で宮崎が一躍有名になった。
#サエコ(ダルビッシュ夫人) 
#堺雅人
#小渕健太郎(コブクロ)
#鬼束ちひろ
<!--#山本圭壱(元極楽蜻蛉)
#*理由:最近そうなったらしい。
#*本当は東京都生まれ、広島県育ち 。
#**じゃあ消せば?-->
#藤井治芳(元旧・日本道路公団総裁)
#青木宣親(ヤクルトスワローズ外野手・2006年度盗塁王・2005年度200本安打達成)
#木村拓也(読売ジャイアンツ)
#NOISY(ex.SEX MACHINEGUNS)
#Toshi Nagai(GLAY、氷室京介のサポートドラマー)
#大暮維人(漫画家)
#花田景子(貴乃花夫人)
#東村アキコ(漫画家)
#*漫画家の森繁拓真は実弟である。
#HAKUEI(PENICILLIN)
#*育ちは青森。
#井上康生(柔道)
#小村寿太郎(偉人)
#やまさき十三(漫画原作者)
#池田晃久(漫画家)
#赤星たみこ(漫画家)
#西島千博 (バレエダンサー 真矢みきの夫)
#黒木知宏 (元ロッテマリーンズ投手・1998年最多勝利・1998年最高勝率)
#福島みずほ(社民党党首)
#田中幸雄(元北海道日本ハムファイターズ内野手・2007年度2000本安打達成)
#米良美一
#青島あきな
#寺原隼人(横浜ベイスターズ投手)
#井出正太郎(福岡ソフトバンクホークス外野手)
#松田弘(サザンオールスターズ・ドラム)
#伊東満所(偉人)
#*「マンショ」は洗礼名だから、カタカナが正しいのではないだろうか?
#**確かに洗礼名は、カタカナの「マンショ」で正しい。
#**が、宮崎県内(特に、出身地の西都市)では、何故か、伊東「マンショ」よりも、「満所」で表記されている所の方が多い。(実話)
#興梠慎三(サッカー選手・鹿島アントラーズ所属/日本代表)
#伊野波雅彦(サッカー選手・ヴィッセル神戸所属/日本代表)
#蒲池猛夫(日本人唯一の射撃金メダリスト)
#神戸蘭子
#北別府学(元広島東洋カープ投手、名球会員)
#*実家が酪農を営んでいて、進学先の高校は都城農業。
#黒木啓司(EXILE)
#*「みやざき大使」に任命されているらしい。
#森繁拓真(漫画家)
#*姉は東村アキコ。
#長野誠(漁師、第50金比羅丸の船長。SASUKEオールスターズ)
#やす(ずん)
#長友光弘(響)
#桂歌春(落語家)
#宮沢厚(アニマルトレーナー(パンくんを育てた事で有名))
#*パンくも宮崎市フェニックス自然動物園生まれなので宮崎出身
#犬神千代吉(電撃ネットワーク初代メンバー。ミミズを食べる芸で有名)。
#ロック総統(サッカーのホンダロックの名物サポーター)。
#桜井あゆ(AV女優(引退が決定している。))
#小沢治三郎 (海軍軍人)
#*高鍋町出身、最後の連合艦隊司令長官


==宮崎の冷蔵庫==
====
<gallery caption="宮崎の冷蔵庫">
===神代勝利===
画像:miyazaki_gyouza2.jpg|黒豚きのこ餃子
#あの龍造寺隆信に終生対抗した人物。
画像:Nikumaki_Onigiri.jpg|肉巻きおにぎり
#「水に足を浸すと龍になる」という夢を買い、それ以降、武の面で活躍したというエピソードを持つ、ファンタジックな男である。
</gallery>
#元々酒宴中の勝利を暗殺しに来た敵・龍造寺家臣の小河信安を、わざわざその酒宴に招き、共に酒を飲み交わした。このエピソードから、彼が懐の大きい人物だったことが分かる。
*チーズ饅頭(小林市の店が発祥地)
#名字は「'''くましろ'''」と読む。「かみしろ」でも「じんだい」でもないので、くの項目で正解。
*青島ういろう
*なんじゃこりゃ大福
*なんじゃこりゃシュー
*東知事おすすめ、宮崎産地鶏
*東知事おすすめ、宮崎産マンゴー
*地鶏のたたき
**よその県では鶏のたたきを見かけない
***鹿児島にもありますよ
****宮崎の方はあぶっていない。鹿児島の方はあぶっている。
*スコール
**正式名称は「愛のスコール」らしい。そう呼ばないと怒られる。
**確かに正式名称は『愛のスコール』ですが、普通に『スコール』と読んでも怒る人いません。
**都城の会社なので鹿児島でもメジャー。東北のほうでも100円ショップなどで見掛けるらしい。
***一番最初は鹿児島の[[鹿屋市|鹿屋]]で作っていた。アイデアをひらめいたのは[[鹿児島/大隅#南大隅町の噂|旧佐多町]]。
**同じ会社が出してる「ヨーグルッペ」もよろしく。私はこっちのが好み。
*肉巻きおにぎり
*戸村の焼肉のたれ
**宮崎で焼肉のたれと言ったら、大体これ。戸村じゃないスーパーでも売ってる。
**『戸村の焼肉のたれ』を使っている宮崎人を聞いた事がありません。その市だけでは? by 小林市出身者 
***県南人はほぼ冷蔵庫に常備してますよ
***都城では必需品。
**しゃぶしゃぶのたれも定番。
*さしみ醤油 
*あくまき
*冷汁
**実際に冷汁を見たことも食べたこともない人が多い
***具材はスーパーでも売られている。
*チキン南蛮
**他県のチキン南蛮じゃないチキン南蛮に絶望する。
*レタス巻き
**以上の2つの料理をなくして宮崎は語れない。
***「レタス巻き」ってあんまり聞いたことがないんだが・・・。
****スーパーの惣菜でなら定番。
*くじらようかん
**基本的には佐土原とその周辺限定(日持ちしないので)
*おいもちゃん
*ゴーフレット
*飫肥天
*鳥インフルエンザの影響でポテチの九州醤油味が日南地鶏から鹿児島鶏に変わった悲しい過去が・・・
*厚焼き卵
**飫肥のそれはおいしいお菓子。抹茶とご一緒にどうぞ。
*ピーマン
**他の野菜が高騰していても、ピーマンだけは年中価格が安定している。


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===黒田官兵衛(如水)===
[[Category:日本の都道府県]]
#秀吉の知恵袋。竹中半兵衛と入れ替わるように秀吉の幕僚となって大活躍。
[[Category:宮崎|*]]
#*活躍的には入れ替わりだけど、二人揃っていた時期が結構ある。
[[Category:九州地方]]
#もとは播磨の小領主・小寺家の家老で、先祖は目薬屋だったらしい。
[[Category:●崎]]
#*官兵衛自身ももとは小寺姓だった。
#**織田信長の将来性に早い時期から着目して、主家の小寺家を信長寄りにしようと画策していたが、主家が官兵衛に断りなく反織田に走ってしまったので、小寺の名を捨てて旧姓の黒田を名乗った。
#信長に反逆した荒木村重を説得しようとして逆に囚われてしまい、一年半くらい牢屋暮らし。
#*この時に足の筋を傷めてしまい、一生治らずびっこをひいていた。
#*また、この時に息子を信長に殺されそうになったが、半兵衛の機転で助けられた。また、殺そうとした信長も非を認めて謝ったらしい。
#本能寺の変の知らせを受けた際、秀吉に「これで殿にも天下が廻ってきますな」と言ってしまい、以後いささか信用を落とした。
#*実のところ、秀吉自身も、秀長や蜂須賀小六などの首脳陣も、大体同じ事を考えていたのだが、口に出すとヤバいので黙っていたらしい。官兵衛の発言は、間違いではなかったが空気を読まないこと甚だしかった。
#**信長の死を知って取り乱した秀吉を、しゃんとさせる為に敢えて言った・・・というのは考えすぎか?
#*秀吉は「ワシの後に天下を盗るのは誰だと思う?」と家臣達に問いかけ、徳川家康や毛利輝元などの名前が挙がる中、首を振って「あのちんばよ」と自答したという。ことの真偽はともかく、やや警戒されていたのは確か。
#関ヶ原の戦いが始まると、蓄えていたカネをばらまいて浪人を募り、兵力が薄くなっていた北九州を切り取り始める。
#*浪人を募ったのは、黒田家の正規兵は息子の長政が連れて東軍に属していたため。
#*九州に自前の勢力を築こうとしていたのは確かだが、その後どうするつもりだったのかは諸説ある。
#**関ヶ原で勝ったほうと決戦して天下を盗ろうとしていたという説。
#**そこまでは考えておらず、関ヶ原で勝った方に高く売りつけようとしていたという説。
#**如水自身が家康に弁明した、「徳川殿のために西軍方の領地を平定しておりました」という言い訳を信じている人はほとんど居ない。
#*案に相違して、関ヶ原の決着があっという間についてしまったため、決戦を挑むどころか、高く売りつけるところまで勢力を確立しないうちに、竜頭蛇尾で終わる。
#**よっぽど残念だったらしく、意気揚々と帰ってきた長政にイヤミを言いまくり。
#***長政「そなたのおかげで勝てたと、徳川殿は大いにお喜びでございましたぞ」<BR>如水「そんなに家康めに早く勝たせてなんとする、このたわけが」
#***長政「徳川殿は拙者の手をとって何度も感謝されましたぞ」<BR>如水「して、家康めはおまえのどちらの手をとったのだ」<BR>長政「??……右手でございましたが?」<BR>如水「その時、おまえの左手は何をしておったのだ、このたわけが」
#*そんなこんなでなかなか有能で抜け目がなかったせいか、島津氏と並んで家康に最も警戒されていたともいわれる。
#愛用の兜はドンブリ型。
#*合子(ごうす)という仏具らしいが、どう見てもドンブリにしか見えん。
#**戦国屈指の智将が、ドンブリ被った姿というのがギャップがあって面白いと思う。
#*しかも複数現存。家臣に形見として与えてのだが、その家臣がお家騒動に巻き込まれて配流され、兜も放出してしまったため、当時の藩主がわざわざ再度コピーを作らせたことから、原品と複製が両方伝世した。よっぽどトレードマークとして有名だったのだろう。
#*肖像画の影響で時代劇では、頭巾姿だが是非一度映像化して欲しい。
#現在、福岡市民の中にこの人を知ってはいても、郷土の英雄として認知している人は少ない。
#*むしろ[[兵庫県|こっち]]の英雄の印象が強い。
#ゲームによっては選択肢次第で日本を滅ぼしてしまう恐ろしいキャラとして登場する。
#キリシタン。宣教師たちは秀吉に官兵衛が冷遇された理由についてこれを挙げている(バテレン追放令の後だったので)。後に棄教した。
#*洗礼名はドン・シメオン。
#本名は孝高(よしたか)。官兵衛は通称で、如水は号。
 
===黒田長政===
#黒田官兵衛の息子。
#子供の頃、織田信長の命令で豊臣秀吉に殺されそうになり、竹中半兵衛に救われたことがある。
#*父の官兵衛が、信長に叛旗をひるがえした荒木村重の説得に行ったきり帰ってこなかったから。村重に寝返ったと思われたらしい。
#*後年、織田や豊臣にあんまり義理を感じていなかったフシがあるのは、この幼時体験によるものかもしれない。
#秀吉の死後は、かなり露骨に徳川家康に接近。
#*関ヶ原の前に、多くの大名を徳川方に勧誘し、成果を収める。その外交能力は家康も評価したようだ。
#*そのことを得意満面で官兵衛に報告するが、さんざんイヤミを言われる。官兵衛の項目を参照。
#官兵衛が寵愛した後藤又兵衛と反目、家中から追い出す。
#政治も軍事も有能なのだが、父・官兵衛がはるかに上回っていたため、家臣に何かと比較されたり駄目出しをされたりと、精神的に相当苦労していたようだ。
#夜中に酔っ払って遊びにきた家臣たちに嫌な顔ひとつせず、朝まで付き合って飲んだという。いい人すぎる。
#月に一度、家臣を集めて異見会、通称「腹立たずの会」を開いていた。
#*なぜ腹立たずなのかといえば、この会のルールが、「日頃思っていることを正直に話す。どんな内容であっても怒ってはならないし、後にしこりを残さない。また、ここでの話は他言無用」だったため。こういうルールだと、家臣から主君への駄目出しがメインになるわけで……。
#*だが長政自身は大変有益だと思っており、自分が死んだ後も異見会は続けるよう遺言している。
#家臣に音痴だと泣かれた人。
 
==こ==
===後藤又兵衛===
#黒田如水にかわいがられたが、その子・長政には嫌われ、家中から追い出される。
#*朝鮮の役で、長政が敵将と川の中で取っ組み合っていたが、助けずに見ていただけだったので恨まれたという話がある。
#各地の大名は競って抱えたがったが、黒田長政が仕官お構い扱いにしたので、ずっと浪人暮らし。とうとう三条河原の乞食の群れに混じってしまった。
#大坂の陣で徳川方に誘われるが拒否、大坂に入城する。
#*自然と、外様武将の主将格になった。真田幸村や長宗我部盛親などより格上の感じだったようだ。
#*濃霧のため、幸村との連繋プレーがうまくゆかず、戦死。
#武勇一辺倒な性格が、平和に向かう世の中に適応できなかったという一面もある。その点も長政と合わなかったのだろう。
 
===小西行長===
#[[堺市|堺]]の商人から肥後24万石の大名にまでなった。
#生年、出身地ともによく分かっていない。
#熱心なキリシタンで、肥後の領地でも布教しまくった。
#*領地(天草)ではキリシタンやバテレンが仏教寺院を破壊焼き討ちする事を奨励して、僧侶が訴えてくると死刑にしたりしていた。
#なんと、この人を題材にしたオペラがある。それも邦人作品ではなく、れっきとしたクラシック。
#*ミヒャエル・ハイドン(有名な「交響曲の父」ヨーゼフ・ハイドンの弟)の「ティノス・ウコンドノ」というオペラ。行長と高山右近を題材にしているとか。
#加藤清正と犬猿の仲だった。
#*意外にも二人がケンカする時は、行長のほうから清正を挑発し、やりこめ、泣かすことが多かったらしい。
#**「泣かす」というのは誇張ではなく、加藤清正は実際よく泣く男だったようだ。
#*小西の子孫(俳優)の芸名は'''加藤虎ノ介'''。先祖が清正と仲が悪かったと知って芸名を改めたらしい。
#父は薬種業者の小西隆佐、母はマグネリアと言った。
#*もちろんかーちゃんは外国人ではなく、キリシタンの洗礼名。なかなかの才女で、北政所の秘書のようなことをやっていたらしい。
#[[日本]]国旗の日の丸は、この人の実家の薬種問屋が使っていた商標が元だという説がある。
 
===小早川隆景===
#毛利三兄弟の中で父元就の資質をもっとも強く受け継いだ人物。
#五大老の一人。死後空位になった隆景の席には上杉景勝が入った。
#この人が生きてたら毛利が領土減らされる事はなかった、あるいは西軍が勝ってたとよく言われている。
#*それより三成に担がれることなく中立を保っているだろう。
#今際の際、「安国寺恵瓊は巧言令色を用いて主君を誑かす便佞の臣だから絶対信用するな」と言ったそうだが、じゃあなんであそこまで恵瓊を重用したんだろう?
#*自分だからこそ恵瓊をうまく使いこなせたが、輝元には手に負えないだろう、という意味かも。
#*輝元へ「天下乱るるといえども、輝元よ。兵革の事に与って(あずかって)はならぬ」と言い残す。毛利宗家としてこの広い領土を保つにとどめ、野望を持つなと警告したのだが、輝元はこれを無視。関ヶ原の合戦に参戦して西軍に味方してしまい、戦後防・長二国に大減封食らってしまう。隆景としては「バカモノが!」と一喝したかったろうなぁ。
#**関わったら関わったで徹底すればよいものを、吉川と小早川は徳川に内通、輝元は豊臣秀頼と大坂城を擁しながら戦わずして退却という失態。3本の矢は結局3本の矢であり、1本にはなれなかった。
#「三男is有能な外交家」の典型。
 
===小早川秀秋===
#裏切り者の代名詞。
#*余りにチキンな奴だったそうで・・・。
#**しばしば武勲を立てているから実際は違ったはず・・・。
#*もうすぐ戦が無くなる世の中を予感して、例えあざとくても派手な勲功をあげたかったんじゃね?。戦国末期にはそういうタイプが多いし。
#**秀秋所用と伝わる、真っ赤な地に大鎌がクロスした大胆なデザインの陣羽織を見ていると、どうしても通説で言われているような無能な臆病者だとは思えない。
#*もともと秀秋は家康派だったのに、関ケ原で毛利宗家の当主・輝元が西軍についたのでイヤイヤ西軍につかされ、家康からの鉄砲聞いて「今がチャンス!」と攻め下ったのを「裏切り」だの「サムライの風上にも置けぬ奴」だのと散々に言われたという説もあるようだ。
#21歳の若さで死んだため、初の無嗣改易となった。
#*汚名返上の機会が与えられなかったのは可愛そうかな。
#**関ヶ原の合戦後、石田一族滅亡の佐和山城攻めで「裏切りの汚名そそぐはこの時ぞ!」と奮起。何とか裏切りの汚名返上に成功してるんだけど?
#死因もいろいろとひどい噂が流れている。
#*農民にキンタマを蹴られて死んだとか、大谷吉継の亡霊に殺されたとか。
#*鬱病だったという節もある。そりゃあ裏切り者扱いは辛いよな…。
#秀吉が毛利家の跡継ぎに送り込もうとしたが、小早川隆景の反対によって小早川家の養子となった。
#*一説には秀秋のボンクラ振りを知っている隆景が、「やべーよ、こいつ入れたら毛利宗家おしまいだよ」と先手を打ったんだとか。
#正直言って、糞野郎。
#彼の肖像画の不憫そうな顔といったら・・・。
 
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[[Category:日本史]]
[[Category:バカ人物志]]

2012年2月1日 (水) 03:02時点における版

戦国武将

柿崎景家

  1. 上杉家の猛将。謀反の疑いで謙信に殺されたという噂が流布しているがまともな史料にはそんな記述は一切ない。
  2. 単なる武骨の者ではなく、外交などでも活躍した。

加藤清正

名古屋城の清正像
  1. 年配の熊本県民には神。
    • 地元における愛称はセイショコさん。
    • しばらく前まで、ドサ廻りの劇団などが熊本で公演する際は、芝居の筋とまるっきり関係なくても加藤清正を登場させたそうな。
      • 唐突にひげ面の武者が出てきて、
        「さしたる用は無けれども、現れいでたる加藤清正」
        とひとこと言って退場すると、熊本の観客は大喝采したらしい。
  2. 退治をやったらしい。
    • トレードマークの片鎌槍は、虎と戦って十文字槍の片刃を折られたのがきっかけなのだとか。
      • 海音寺潮五郎氏はもともと片鎌槍だったとしているけど…。(出典:加藤清正・上下巻・文春文庫)
      • 現在は上野の東京国立博物館所蔵。知名度の高さと、槍の優品は日本刀に比べ現存数が遥かに少ないためか、年に一回は展示している。
  3. 「熊本の大名」のイメージが強いが、出自は名古屋出身で、鍛冶屋の倅。
    • 武断派大名で、福島正則とは仲良しだったが、石田三成とは豊臣秀吉に見いだされて以降から仲が悪かった。これがもとで秀吉没後の豊臣家分裂につながる。
      • 元々は小西行長と仲が悪く、三成とは悪くはなかった。しかし朝鮮出兵で三成が行長を庇う形になったことから三成との仲が険悪になった。
    • とはいえ、福島正則のほうが貰った知行が多かったというので号泣して悔しがったことも。意外と嫉妬深い甘えんぼさんだったらしい。
      • この時、福島正則は五千石貰って清正は三千石貰う。「拙者の知行が正則より少ないのはどういうわけでござるか、このお墨付きお返し申す!」と使者にかみつく。最終的には同じ石高にしてもらった。「俺と正則とで、どう働きが違うというのか。共に同じように働いたのにこの差はおかしい」ということ。
  4. 詩歌を嗜まず、嫌っていたらしい。
  5. 熊本の領内で小麦を栽培し、南蛮人との貿易決済に使った。なかなかの商売上手。
  6. 武だけでなく政治もできる人物だが、福島正則に「お前、何でもかんでも自分でやりすぎ。任せるところは部下に任せなきゃいかん」と苦言を呈されたことがある。
    • 領内の城々を家臣に分け与えて城代とし、家老職を置かずに政務万端自分で見てた為そう言われた。
    • 実際清正が死ぬと、あらゆる業務に清正の手が入っていたので家臣が右往左往。相続の確認に来た幕府の役人に呆れられた。
    • その後加藤家が改易されると、「あそこの藩士は役に立たない」と言われて再就職に苦労したとか。人を育てるって大切だね。
  7. 熊本城築城・白川&緑川の治水と領内の土木に心砕いた。もともとの地名、隈元は陸を畏れるで縁起が悪いと、熊本に改名した。江戸城富士見櫓の石垣は熊本城の石垣を模したものとか。
  8. 身長は190cmくらいの大男説と160cmくらいの小男説とに分かれる。
    • 戦国時代の男の平均身長は160cm位だから小男ではないな。
  9. 朝鮮出兵ではかなりの活躍をした模様。

加藤嘉明

  1. 加藤清正と同じく「賤ヶ岳の七本槍」の一人。 「よしあき」ではなく「よしあきら」。
    • 通称は孫六、あるいは左馬助。
  2. 無口な武人。でも有能。
  3. 伊予松山を治めたが、松山城築城やその後の治世で凄まじい重税を課す。五公五民が標準ななかで七公三民という凄まじさ。
    • その松山城の完成寸前に、幕府の命令で陸奥会津に転封。幕府的には栄転(石高は倍増で東北の要地)だったが、嘉明にとってはありがた迷惑のきわみ。
    • 大御所秀忠に必死に辞退を申し入れたが許されなかった。
      • 要するに、「ねんがんの まつやまじょうをてにいれたぞ!」「な なにをする きさまらー!」である。

蒲生氏郷

  1. 信長、秀吉から重用された。
    • 信長の娘と結婚している。
  2. 茶人としても優れた人物で、千利休とも親交があった。
    • 現存している有名武将が作った茶杓は、利休をパクりすぎた面白味がない作品が大半なのだが、氏郷は個性的で武人らしい茶杓を残している。この人が長生きしてたら、ゲヒ殿の出番はなかったかも。
  3. 死因に毒殺説があるが、どうもでっち上げらしい(氏郷のカルテが現存している)。
    • 氏郷の有能さを妬んだ石田三成が毒殺させたという話、あるいは氏郷の才気を警戒した秀吉が毒殺させたという話がある。
      • とんでもない話で、対家康の有力な牽制者であり、本人もそれと自覚していた氏郷を、秀吉や三成が殺すはずはない。実際、氏郷の急死で、豊臣政権首脳部は対家康戦略を建て直さなければならなくなり、えらい苦労をした。上杉景勝の会津移封はそのための苦肉の策。
  4. 戦国の雄として天下への野心もあったらしく、辞世の句には無念が滲み出ている。
  5. けっこう無遠慮な放言が残っているが、それによって不利益を被った形跡がないところを見ると、あけすけで憎めない人柄だったのだろう。
    • 小牧の戦いの時だったか朝鮮出兵の時だったかよくわからないが、秀吉の行動に関して「サルめ、死に場所が無くて狂ったか」と言ったとか。
    • 「太閤殿下亡き後は関白殿下(秀次)に従いますか」と家臣に訊かれて、「あんな愚人に誰が従うか」と言ったとか。
  6. 秀吉の氏郷評はなかなか面白い。
    • 秀吉「5万の兵を率いた信長公と、10万の兵を率いた氏郷が戦ったら、どっちが勝つと思う?」
      家臣達「それは信長公では」「いや、氏郷殿も負けてはおらぬだろう」
      秀吉「信長公が勝つ。5万の兵のうち4万5千が戦死しても、信長公は残りの5千のうちに居て生き延びるだろう。しかし10万の兵のうち1万が戦死したら、氏郷は必ずその中に入っている」
  7. 秀吉が天下統一直後に大崎・葛西一揆(領地失った大崎・葛西両家の遺臣団が新代官として赴任した木村親子に対して起こした反乱)鎮圧の為東北へ向かった。が、「伊達政宗が道案内や城攻めなどで、ロクに手を貸さなかったのでエッライ苦労致しました。こんな寒いところから早く暖かい伊勢松阪へ帰りたいです」と愚痴った手紙を秀吉に送ったという逸話がある。
    • 氏郷は木村親子救出は出来たが、本格的な鎮圧は伊達政宗の手で行われた。手柄横取りされて、当然面白くないはずだが「やはり東北は政宗殿が治めねばならぬでしょう。寒地のいくさに手馴れぬそれがし共では手に余り申しました」とほめる手紙を秀吉に送っている。
  8. 新しく部下を召抱えると、決まって「戦場では、銀の鯰尾兜をかぶった武将に負けないようにがんばれ」と言ったという。ちなみにその武将は氏郷本人である。
  9. 高山右近の友人で、彼に勧められキリシタンに入信。

北畠具教

  1. 伊勢国司にして塚原卜伝、上泉信綱という剣聖に師事した剣豪。足利義輝とは兄弟弟子に当たる。
    • 上泉信綱に柳生宗厳を紹介したのもこのお方。
  2. ぐ・・・・・・具教

神代勝利

  1. あの龍造寺隆信に終生対抗した人物。
  2. 「水に足を浸すと龍になる」という夢を買い、それ以降、武の面で活躍したというエピソードを持つ、ファンタジックな男である。
  3. 元々酒宴中の勝利を暗殺しに来た敵・龍造寺家臣の小河信安を、わざわざその酒宴に招き、共に酒を飲み交わした。このエピソードから、彼が懐の大きい人物だったことが分かる。
  4. 名字は「くましろ」と読む。「かみしろ」でも「じんだい」でもないので、くの項目で正解。

黒田官兵衛(如水)

  1. 秀吉の知恵袋。竹中半兵衛と入れ替わるように秀吉の幕僚となって大活躍。
    • 活躍的には入れ替わりだけど、二人揃っていた時期が結構ある。
  2. もとは播磨の小領主・小寺家の家老で、先祖は目薬屋だったらしい。
    • 官兵衛自身ももとは小寺姓だった。
      • 織田信長の将来性に早い時期から着目して、主家の小寺家を信長寄りにしようと画策していたが、主家が官兵衛に断りなく反織田に走ってしまったので、小寺の名を捨てて旧姓の黒田を名乗った。
  3. 信長に反逆した荒木村重を説得しようとして逆に囚われてしまい、一年半くらい牢屋暮らし。
    • この時に足の筋を傷めてしまい、一生治らずびっこをひいていた。
    • また、この時に息子を信長に殺されそうになったが、半兵衛の機転で助けられた。また、殺そうとした信長も非を認めて謝ったらしい。
  4. 本能寺の変の知らせを受けた際、秀吉に「これで殿にも天下が廻ってきますな」と言ってしまい、以後いささか信用を落とした。
    • 実のところ、秀吉自身も、秀長や蜂須賀小六などの首脳陣も、大体同じ事を考えていたのだが、口に出すとヤバいので黙っていたらしい。官兵衛の発言は、間違いではなかったが空気を読まないこと甚だしかった。
      • 信長の死を知って取り乱した秀吉を、しゃんとさせる為に敢えて言った・・・というのは考えすぎか?
    • 秀吉は「ワシの後に天下を盗るのは誰だと思う?」と家臣達に問いかけ、徳川家康や毛利輝元などの名前が挙がる中、首を振って「あのちんばよ」と自答したという。ことの真偽はともかく、やや警戒されていたのは確か。
  5. 関ヶ原の戦いが始まると、蓄えていたカネをばらまいて浪人を募り、兵力が薄くなっていた北九州を切り取り始める。
    • 浪人を募ったのは、黒田家の正規兵は息子の長政が連れて東軍に属していたため。
    • 九州に自前の勢力を築こうとしていたのは確かだが、その後どうするつもりだったのかは諸説ある。
      • 関ヶ原で勝ったほうと決戦して天下を盗ろうとしていたという説。
      • そこまでは考えておらず、関ヶ原で勝った方に高く売りつけようとしていたという説。
      • 如水自身が家康に弁明した、「徳川殿のために西軍方の領地を平定しておりました」という言い訳を信じている人はほとんど居ない。
    • 案に相違して、関ヶ原の決着があっという間についてしまったため、決戦を挑むどころか、高く売りつけるところまで勢力を確立しないうちに、竜頭蛇尾で終わる。
      • よっぽど残念だったらしく、意気揚々と帰ってきた長政にイヤミを言いまくり。
        • 長政「そなたのおかげで勝てたと、徳川殿は大いにお喜びでございましたぞ」
          如水「そんなに家康めに早く勝たせてなんとする、このたわけが」
        • 長政「徳川殿は拙者の手をとって何度も感謝されましたぞ」
          如水「して、家康めはおまえのどちらの手をとったのだ」
          長政「??……右手でございましたが?」
          如水「その時、おまえの左手は何をしておったのだ、このたわけが」
    • そんなこんなでなかなか有能で抜け目がなかったせいか、島津氏と並んで家康に最も警戒されていたともいわれる。
  6. 愛用の兜はドンブリ型。
    • 合子(ごうす)という仏具らしいが、どう見てもドンブリにしか見えん。
      • 戦国屈指の智将が、ドンブリ被った姿というのがギャップがあって面白いと思う。
    • しかも複数現存。家臣に形見として与えてのだが、その家臣がお家騒動に巻き込まれて配流され、兜も放出してしまったため、当時の藩主がわざわざ再度コピーを作らせたことから、原品と複製が両方伝世した。よっぽどトレードマークとして有名だったのだろう。
    • 肖像画の影響で時代劇では、頭巾姿だが是非一度映像化して欲しい。
  7. 現在、福岡市民の中にこの人を知ってはいても、郷土の英雄として認知している人は少ない。
    • むしろこっちの英雄の印象が強い。
  8. ゲームによっては選択肢次第で日本を滅ぼしてしまう恐ろしいキャラとして登場する。
  9. キリシタン。宣教師たちは秀吉に官兵衛が冷遇された理由についてこれを挙げている(バテレン追放令の後だったので)。後に棄教した。
    • 洗礼名はドン・シメオン。
  10. 本名は孝高(よしたか)。官兵衛は通称で、如水は号。

黒田長政

  1. 黒田官兵衛の息子。
  2. 子供の頃、織田信長の命令で豊臣秀吉に殺されそうになり、竹中半兵衛に救われたことがある。
    • 父の官兵衛が、信長に叛旗をひるがえした荒木村重の説得に行ったきり帰ってこなかったから。村重に寝返ったと思われたらしい。
    • 後年、織田や豊臣にあんまり義理を感じていなかったフシがあるのは、この幼時体験によるものかもしれない。
  3. 秀吉の死後は、かなり露骨に徳川家康に接近。
    • 関ヶ原の前に、多くの大名を徳川方に勧誘し、成果を収める。その外交能力は家康も評価したようだ。
    • そのことを得意満面で官兵衛に報告するが、さんざんイヤミを言われる。官兵衛の項目を参照。
  4. 官兵衛が寵愛した後藤又兵衛と反目、家中から追い出す。
  5. 政治も軍事も有能なのだが、父・官兵衛がはるかに上回っていたため、家臣に何かと比較されたり駄目出しをされたりと、精神的に相当苦労していたようだ。
  6. 夜中に酔っ払って遊びにきた家臣たちに嫌な顔ひとつせず、朝まで付き合って飲んだという。いい人すぎる。
  7. 月に一度、家臣を集めて異見会、通称「腹立たずの会」を開いていた。
    • なぜ腹立たずなのかといえば、この会のルールが、「日頃思っていることを正直に話す。どんな内容であっても怒ってはならないし、後にしこりを残さない。また、ここでの話は他言無用」だったため。こういうルールだと、家臣から主君への駄目出しがメインになるわけで……。
    • だが長政自身は大変有益だと思っており、自分が死んだ後も異見会は続けるよう遺言している。
  8. 家臣に音痴だと泣かれた人。

後藤又兵衛

  1. 黒田如水にかわいがられたが、その子・長政には嫌われ、家中から追い出される。
    • 朝鮮の役で、長政が敵将と川の中で取っ組み合っていたが、助けずに見ていただけだったので恨まれたという話がある。
  2. 各地の大名は競って抱えたがったが、黒田長政が仕官お構い扱いにしたので、ずっと浪人暮らし。とうとう三条河原の乞食の群れに混じってしまった。
  3. 大坂の陣で徳川方に誘われるが拒否、大坂に入城する。
    • 自然と、外様武将の主将格になった。真田幸村や長宗我部盛親などより格上の感じだったようだ。
    • 濃霧のため、幸村との連繋プレーがうまくゆかず、戦死。
  4. 武勇一辺倒な性格が、平和に向かう世の中に適応できなかったという一面もある。その点も長政と合わなかったのだろう。

小西行長

  1. の商人から肥後24万石の大名にまでなった。
  2. 生年、出身地ともによく分かっていない。
  3. 熱心なキリシタンで、肥後の領地でも布教しまくった。
    • 領地(天草)ではキリシタンやバテレンが仏教寺院を破壊焼き討ちする事を奨励して、僧侶が訴えてくると死刑にしたりしていた。
  4. なんと、この人を題材にしたオペラがある。それも邦人作品ではなく、れっきとしたクラシック。
    • ミヒャエル・ハイドン(有名な「交響曲の父」ヨーゼフ・ハイドンの弟)の「ティノス・ウコンドノ」というオペラ。行長と高山右近を題材にしているとか。
  5. 加藤清正と犬猿の仲だった。
    • 意外にも二人がケンカする時は、行長のほうから清正を挑発し、やりこめ、泣かすことが多かったらしい。
      • 「泣かす」というのは誇張ではなく、加藤清正は実際よく泣く男だったようだ。
    • 小西の子孫(俳優)の芸名は加藤虎ノ介。先祖が清正と仲が悪かったと知って芸名を改めたらしい。
  6. 父は薬種業者の小西隆佐、母はマグネリアと言った。
    • もちろんかーちゃんは外国人ではなく、キリシタンの洗礼名。なかなかの才女で、北政所の秘書のようなことをやっていたらしい。
  7. 日本国旗の日の丸は、この人の実家の薬種問屋が使っていた商標が元だという説がある。

小早川隆景

  1. 毛利三兄弟の中で父元就の資質をもっとも強く受け継いだ人物。
  2. 五大老の一人。死後空位になった隆景の席には上杉景勝が入った。
  3. この人が生きてたら毛利が領土減らされる事はなかった、あるいは西軍が勝ってたとよく言われている。
    • それより三成に担がれることなく中立を保っているだろう。
  4. 今際の際、「安国寺恵瓊は巧言令色を用いて主君を誑かす便佞の臣だから絶対信用するな」と言ったそうだが、じゃあなんであそこまで恵瓊を重用したんだろう?
    • 自分だからこそ恵瓊をうまく使いこなせたが、輝元には手に負えないだろう、という意味かも。
    • 輝元へ「天下乱るるといえども、輝元よ。兵革の事に与って(あずかって)はならぬ」と言い残す。毛利宗家としてこの広い領土を保つにとどめ、野望を持つなと警告したのだが、輝元はこれを無視。関ヶ原の合戦に参戦して西軍に味方してしまい、戦後防・長二国に大減封食らってしまう。隆景としては「バカモノが!」と一喝したかったろうなぁ。
      • 関わったら関わったで徹底すればよいものを、吉川と小早川は徳川に内通、輝元は豊臣秀頼と大坂城を擁しながら戦わずして退却という失態。3本の矢は結局3本の矢であり、1本にはなれなかった。
  5. 「三男is有能な外交家」の典型。

小早川秀秋

  1. 裏切り者の代名詞。
    • 余りにチキンな奴だったそうで・・・。
      • しばしば武勲を立てているから実際は違ったはず・・・。
    • もうすぐ戦が無くなる世の中を予感して、例えあざとくても派手な勲功をあげたかったんじゃね?。戦国末期にはそういうタイプが多いし。
      • 秀秋所用と伝わる、真っ赤な地に大鎌がクロスした大胆なデザインの陣羽織を見ていると、どうしても通説で言われているような無能な臆病者だとは思えない。
    • もともと秀秋は家康派だったのに、関ケ原で毛利宗家の当主・輝元が西軍についたのでイヤイヤ西軍につかされ、家康からの鉄砲聞いて「今がチャンス!」と攻め下ったのを「裏切り」だの「サムライの風上にも置けぬ奴」だのと散々に言われたという説もあるようだ。
  2. 21歳の若さで死んだため、初の無嗣改易となった。
    • 汚名返上の機会が与えられなかったのは可愛そうかな。
      • 関ヶ原の合戦後、石田一族滅亡の佐和山城攻めで「裏切りの汚名そそぐはこの時ぞ!」と奮起。何とか裏切りの汚名返上に成功してるんだけど?
  3. 死因もいろいろとひどい噂が流れている。
    • 農民にキンタマを蹴られて死んだとか、大谷吉継の亡霊に殺されたとか。
    • 鬱病だったという節もある。そりゃあ裏切り者扱いは辛いよな…。
  4. 秀吉が毛利家の跡継ぎに送り込もうとしたが、小早川隆景の反対によって小早川家の養子となった。
    • 一説には秀秋のボンクラ振りを知っている隆景が、「やべーよ、こいつ入れたら毛利宗家おしまいだよ」と先手を打ったんだとか。
  5. 正直言って、糞野郎。
  6. 彼の肖像画の不憫そうな顔といったら・・・。