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== 水沢市の噂 ==
{{Pathnav|もしあの鉄道路線が○○だったら/JR西日本}}
# 英雄[http://www.city.mizusawa.iwate.jp/htm/roman/mr04801.html 「アテルイ(阿弖流為)」]を知らない人は日本人じゃないと思っている。
{{Pathnav|北陸本線}}
#*坂上田村麻呂の進言を無視して「アテルイ(阿弖流為)」「モレ(母礼)」を殺した京の公家連中が今でも憎い。
 
#*最近はなんでも「アテルイ」と名称につけたがる
==独立項目==
# 名馬[http://www.nhk.or.jp/projectx/150/ 「メイセイオペラ」]を知らない競馬ファンはモグリだと思っている。
*[[もしあの鉄道路線の電化が○○だったら#北陸本線|全区間で直流電化だったら]]
#*小学生の遠足が[http://www.city.mizusawa.iwate.jp/welc/kankou/mizusawakeiba.htm 水沢競馬場]だったりする。
 
# 水沢出身の偉人は「高野長英」を代表に、思想が時代より早すぎて一般の理解を得られず、不遇な晩年をむかえるのがジンクスだ。
==敦賀駅以南が直流電化時に京都支社に編入されていたら==
#*水沢の三偉人(高野長英、斎藤実、後藤新平)は未だに地元民の理解を得られないままだ。
[[福井の駅#敦賀駅の噂|敦賀]]が直流になり、[[西日本旅客鉄道/金沢支社|金沢支社]]のままでは色々な弊害が出てきました。[[京都市|京都]]支社になれば改善出来ると思います。
#**名前はかろうじて知っているが何をした人なのか、実はよく知らない。
#今のように新快速が近江今津で10分も止まる上に増解結があり、さらには乗務員交代だけでなく列車番号まで変わる・・・ということがなくなる。
# 水沢市の電子情報化ランキングは全国2位。
#*時間帯によっては近江舞子以北で快速運転する速達タイプの新快速ができていた。
#*総合部門では兵庫県西宮市に負けたが、庁内情報化部門では単独1位。
#*停車駅は安曇川・近江今津・近江塩津の3駅となっていた。
# JR水沢駅には夏になると、ホーム天井に一面の[http://images.search.yahoo.co.jp/bin/search?p=%C6%EE%C9%F4%C5%B4%C0%BD%C9%F7%CE%EB&n=3&b=0&c=image&rh=20&d=1&to=0 風鈴が発生]する。
#*一部列車は敦賀まで8連で運行する。
#*水沢の夏の声は「蝉」ではなく「南部風鈴」だ。
#小浜線が飛び地になるので、一緒に京都支社化または福知山支社化。
#*観光客に評判が良いので県内の主要駅にも吊るされるようになった。
#*車両の表記は、「京ツル」「福ハマ」
#*毎日通勤通学で駅を利用する人の中には「うるさい」との声も。
#*敦賀~小浜が京都支社、小浜~東舞鶴が福知山支社
# 日本初の[http://www.iwate21.net/oryza/oryza49/mizusawa.htm 国際緯度観測所]があった。
#**小浜線は京都支社じゃなくて福知山支社に入れ替えだろ。
#*緻密な観測データによる予測値との誤差から、いきなり「Z項」という世界的発見をした。
#**小浜で支社を区切った奴が悪い。
#**おかげでいろんな名前に「Z」をよく使う。(Zホール等)
#[[ICOCA]]は敦賀まで導入。新疋田は簡易改札。敦賀はICカード対応の自動改札機導入。
#*現在は「国立天文台水沢観測センター」となっている。
#*待合室のCHAOやホームの売店でもICOCAが使えるようになる。
# [http://www.city.mizusawa.iwate.jp/welc/kankou/syoubouji.htm 日本一の茅葺屋根を誇る建物]がある。
#**CHAOは金沢のものなので、CHAO閉店 → 跡地にDaily in 開店。
# 岩手県立水沢高等学校の校歌は「日本一のスローテンポ」を誇っていた時期がある。
#***当然ICOCA使用可能。
#*その頃、修学旅行先の清水寺で毎年校歌を奉納していたら「年に一度の超レアイベント」としてバスガイドのネタになった。
#**いやいや、キオスクだろ、キオスク
#*卒業年度によって「正調」が正統か「長嘯式」が伝統かでもめることがある。
#*新疋田に券売機は付くんですか?
#*最近は「正調」「団(團)調」と言うようになっている。普通に応援の際などに「校歌」というと「団調」で、正調校歌と言ったときが正調になっている模様。
#**近江塩津や余呉を見てる限り付かないのでは?
#*最近の修学旅行の校歌奉納などを含めて應援團は、年度ごとに様子が変わっている模様。
#敦賀港線で旅客営業するときは、どこが担当?
# 旧伊達藩なのに、何故か南部鉄器製造の一翼を担っている。
#*普通に考えたら京都でしょう。
#*お勧めは「天ぷら鍋」。熱容量が大きいため、どんどん揚げ続けることが出来る。
#永原折り返しはなくなる。
#*でも、売れ筋は単なる[http://images.search.yahoo.co.jp/bin/search?p=%A5%B6%C5%B4%B6%CC%BB%D2&n=4&b=0&c=image&d=1&to=1&rh=20& 卵形の鉄の塊]。お土産として手ごろなので、全国に出荷されている。
#大阪近郊区間が敦賀駅まで拡大されていた。
#**ヤカンに入れてお湯を沸かすだけで鉄分が溶け出して、身体に必要な鉄分を摂取できるらしい。
#*場合によっては小浜線、舞鶴線、山陰線園部~和田山、福知山線谷川以北、播但線も大阪近郊区間に入っていた。
# 道の駅で[http://www.bunka.pref.iwate.jp/seikatsu/ryouri/shousai/ryouri_089.html 「ジュウネ料理」]という、幻の郷土食を食べる事ができる。
#名実共に[[アーバンネットワーク]]入りするだろうから、駅名標のラインカラーが変わる・・・ってことはないか。湖西線も特にラインカラーの設定はなかったはずだし。
#*「ジュウネ」とは別名[http://www.egoma.jp/egoma/index.html 「エゴマ」]。
#列車接近音が、京都駅のテケテケか新大阪みたいなベル音になる
# 水沢市の羽田町と黒石町は、もはや江刺市。
#*敦賀の放送の声も村山明とよしいけいこのままだった。
#*最近まで江刺市へ編入を求めていたがことごとく突っぱねられる。しかし急転直下の情勢変化でいきなり奥州市が発足する。
#敦賀地域鉄道部は、当然京都支社管内に移管され、自動的に南今庄までが、京都支社の管轄となる。
#**それでも住所は「奥州市"水沢区"羽田」
 
# 水沢駅前通りは着々とさびれて行っている。
==津幡-石動間と魚津-糸魚川間のみ経営分離していたら==
#*「閉店してる店とまだ営業してる店、どちらが多い?」という質問に、地元民ですら自信を持って答えられない。
並行在来線の経営分離の議論でこうなる案もあったそうです
#*最初に撤退した百貨店「マルサンデパート」。
#現在のえちごトキめき鉄道・あいの風とやま鉄道・IRいしかわ鉄道は誕生せず、津幡ー石動間と魚津ー糸魚川間でそれぞれ並行在来線会社が設立されていた。
#*続いて「ダイエー」が撤退。
#*経営分離区間が項目と同じ、かつ現実の会社駅で分割したら下記のようになって効率が悪くなると思われるため。
#*遂には「ジャスコ」も撤退。
#**金沢ー(JR)ー津幡ー(IR)ー倶利伽羅ー(あいの風)ー石動ー(JR)ー富山ー(JR)ー魚津ー(あいの風)ー市振ー(トキめき)ー糸魚川ー(JR)ー直江津。
#**2005年8月時点、水沢に百貨店・総合スーパーは存在しない。
#*あるいはえちごトキめき鉄道は妙高はねうまラインのみの保有になっていた。
# 真冬に全裸の男性が主役の祭がある。
#北陸線の新潟県区間あたりが気動車になることはなかった。521系が直江津に乗り入れていた。
#あいの風ライナーは誕生しなかったかも。
#富山ー金沢間は通しで運行される列車が多かった。逆に富山ー直江津間は魚津、糸魚川で系統が分断されていたかも。
#*富山と石動と津幡と3回初乗り運賃がかかるので、実際より金沢までの運賃が高額になっていた、
#北陸地区のICOCAの当初の導入駅が変わっていた。
#七尾線に乗り入れるサンダーバードが多かった。
#糸魚川ー直江津間と分岐している大糸線の南小谷ー糸魚川間をJR東日本に移管すべきという声が出ていた。
#糸魚川ー新潟の快速が特急になっていたかもしれない。
 
==新快速の敦賀駅乗り入れが史実よりも早く実現していたら==
*史実では、2006年10月に長浜~敦賀間が直流電流に切り替えたことにより、新快速が敦賀駅までの乗り入れが実現しました。もし、1990年代、2000年代前半に早まっていたら…
#当然、湖西線(永原~近江塩津間)も直流電流に切り替えるのが史実よりも早まっていた。
#1999年6月までに切り替えていたら、当年に開催されたつるが・きらめき・みなと博21に訪れる観光客が史実よりも多くなっていた。
#*多客時に臨時の新快速が運行されていた。
#新快速が日中に赤穂線へ乗り入れるのが史実よりも早まっていたかもしれない。
#田村~長浜間が直流電流に切り替えるのが史実よりも早まっていたかもしれない。(史実では、19991年9月に実施)。
#新快速が12両編成で運行されるのが史実よりも早まっていた。
#2003年9月までに実現していたら、若狭路博2003の際に運行されていた小浜線の臨時臨時快速「若狭路快速」との接続に考慮したダイヤになっていた。
#1990年代に実現していたら、113系電車と221系電車も敦賀駅までに乗り入れてたかもしれない。
 
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[[カテゴリ:歴史のif検討委員会 鉄道路線史]]
[[カテゴリ:歴史のif検討委員会 国鉄・JR史]]
[[カテゴリ:北陸本線|もし]]

2021年3月30日 (火) 11:19時点における版

独立項目

敦賀駅以南が直流電化時に京都支社に編入されていたら

敦賀が直流になり、金沢支社のままでは色々な弊害が出てきました。京都支社になれば改善出来ると思います。

  1. 今のように新快速が近江今津で10分も止まる上に増解結があり、さらには乗務員交代だけでなく列車番号まで変わる・・・ということがなくなる。
    • 時間帯によっては近江舞子以北で快速運転する速達タイプの新快速ができていた。
    • 停車駅は安曇川・近江今津・近江塩津の3駅となっていた。
    • 一部列車は敦賀まで8連で運行する。
  2. 小浜線が飛び地になるので、一緒に京都支社化または福知山支社化。
    • 車両の表記は、「京ツル」「福ハマ」
    • 敦賀~小浜が京都支社、小浜~東舞鶴が福知山支社
      • 小浜線は京都支社じゃなくて福知山支社に入れ替えだろ。
      • 小浜で支社を区切った奴が悪い。
  3. ICOCAは敦賀まで導入。新疋田は簡易改札。敦賀はICカード対応の自動改札機導入。
    • 待合室のCHAOやホームの売店でもICOCAが使えるようになる。
      • CHAOは金沢のものなので、CHAO閉店 → 跡地にDaily in 開店。
        • 当然ICOCA使用可能。
      • いやいや、キオスクだろ、キオスク
    • 新疋田に券売機は付くんですか?
      • 近江塩津や余呉を見てる限り付かないのでは?
  4. 敦賀港線で旅客営業するときは、どこが担当?
    • 普通に考えたら京都でしょう。
  5. 永原折り返しはなくなる。
  6. 大阪近郊区間が敦賀駅まで拡大されていた。
    • 場合によっては小浜線、舞鶴線、山陰線園部~和田山、福知山線谷川以北、播但線も大阪近郊区間に入っていた。
  7. 名実共にアーバンネットワーク入りするだろうから、駅名標のラインカラーが変わる・・・ってことはないか。湖西線も特にラインカラーの設定はなかったはずだし。
  8. 列車接近音が、京都駅のテケテケか新大阪みたいなベル音になる
    • 敦賀の放送の声も村山明とよしいけいこのままだった。
  9. 敦賀地域鉄道部は、当然京都支社管内に移管され、自動的に南今庄までが、京都支社の管轄となる。

津幡-石動間と魚津-糸魚川間のみ経営分離していたら

並行在来線の経営分離の議論でこうなる案もあったそうです

  1. 現在のえちごトキめき鉄道・あいの風とやま鉄道・IRいしかわ鉄道は誕生せず、津幡ー石動間と魚津ー糸魚川間でそれぞれ並行在来線会社が設立されていた。
    • 経営分離区間が項目と同じ、かつ現実の会社駅で分割したら下記のようになって効率が悪くなると思われるため。
      • 金沢ー(JR)ー津幡ー(IR)ー倶利伽羅ー(あいの風)ー石動ー(JR)ー富山ー(JR)ー魚津ー(あいの風)ー市振ー(トキめき)ー糸魚川ー(JR)ー直江津。
    • あるいはえちごトキめき鉄道は妙高はねうまラインのみの保有になっていた。
  2. 北陸線の新潟県区間あたりが気動車になることはなかった。521系が直江津に乗り入れていた。
  3. あいの風ライナーは誕生しなかったかも。
  4. 富山ー金沢間は通しで運行される列車が多かった。逆に富山ー直江津間は魚津、糸魚川で系統が分断されていたかも。
    • 富山と石動と津幡と3回初乗り運賃がかかるので、実際より金沢までの運賃が高額になっていた、
  5. 北陸地区のICOCAの当初の導入駅が変わっていた。
  6. 七尾線に乗り入れるサンダーバードが多かった。
  7. 糸魚川ー直江津間と分岐している大糸線の南小谷ー糸魚川間をJR東日本に移管すべきという声が出ていた。
  8. 糸魚川ー新潟の快速が特急になっていたかもしれない。

新快速の敦賀駅乗り入れが史実よりも早く実現していたら

  • 史実では、2006年10月に長浜~敦賀間が直流電流に切り替えたことにより、新快速が敦賀駅までの乗り入れが実現しました。もし、1990年代、2000年代前半に早まっていたら…
  1. 当然、湖西線(永原~近江塩津間)も直流電流に切り替えるのが史実よりも早まっていた。
  2. 1999年6月までに切り替えていたら、当年に開催されたつるが・きらめき・みなと博21に訪れる観光客が史実よりも多くなっていた。
    • 多客時に臨時の新快速が運行されていた。
  3. 新快速が日中に赤穂線へ乗り入れるのが史実よりも早まっていたかもしれない。
  4. 田村~長浜間が直流電流に切り替えるのが史実よりも早まっていたかもしれない。(史実では、19991年9月に実施)。
  5. 新快速が12両編成で運行されるのが史実よりも早まっていた。
  6. 2003年9月までに実現していたら、若狭路博2003の際に運行されていた小浜線の臨時臨時快速「若狭路快速」との接続に考慮したダイヤになっていた。
  7. 1990年代に実現していたら、113系電車と221系電車も敦賀駅までに乗り入れてたかもしれない。