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#天井にはなぜかボールが挟まっている。
{{Pathnav|もしあの鉄道路線が○○だったら/JR西日本}}
#*テニスボール、バドミントンの羽根がデフォ。
{{Pathnav|北陸本線}}
#**いやいや、バレーボールも。
#***まれに上靴袋が挟まっている事もある。
#***雑巾もある。
#****自分の学校では学祭閉会式時のジェット風船が・・。
#**バスケットボールも。
#*何故か屋外の屋根にボールが上がっていることもある。
#*小学校の場合、紅白帽も。
#*何故か靴が挟まっていることも。
#集会で床に体育座りさせられるが冷たい。
#*そしてだんだんケツが痛くなってくる。
#バスケットボール用のコートがテープで作られている。
#*他にもバレーボールとかのコートもテープで作ってあるため紛らわしい。
#*ペンキで直接描かれている事もある。
#*バスケ部やバレー部、バドミントン部員でもない限り、何のためのラインなのかわからない。
#**体育の授業でこれらの種目をやって初めて意味を知る場合も多い。
#体育等で必ずステージに上がる人が居る。
#*ステージの両側どちらかに放送設備のある部屋がある。
#*舞台のカーテンに巻きつく人がたまにいる。
#壁の床からすぐ上に、格子にさえぎられている小さな窓がある。
#テニスやバレーボール用のポールを挿すための穴がある。
#*普段は蓋がしてある。
#*卓球部の連中がゴルフまがいのゲームをする。
#*ふたを開けると電気コンセントが出てくることもある。
#**Nゲージャーなら一度は体育館一面にお座敷レイアウトを敷き詰めてみたい、と思うはず。
#***一軒屋で庭を含めても体育館並みの広さがあったらかなり裕福だと思う。
#出入口のドアが重い。
#*ボールが当たるとガンガンうるさい。
#放課後、体育器具庫をねぐらにしている奴がいる。
#*生徒同士や先生x生徒のムフフ行為の舞台になる事も・・・
#**エロゲかよ。
#照明は水銀灯とハロゲンランプが組み合わされていて、水銀灯は明るくなるまで時間が掛かる。
#*何個か壊れている。
#**何個か[[ローゼンメイデンファン|ジャンク]]になっているというわけか。
#学校の体育館は空調がないので、夏場はくちょ暑い。
#*暖房も無いので、冬場は強力なヒーターを焚いたところで結局寒い。
#**水泳のはずが雨が降って体育館でやることになり、暑さ+ジメジメするで最悪の50分間を過ごした。
#**先生のいるところにだけストーブが置かれる。生徒に熱は届かない。
#*開け放った床近くの低い窓から覗くのはお約束。
#誰も居ないと意外と音が響く。
#体育館の2階のギャラリーに生徒が行くことはまずない。というか誰も行かない。専ら物置。
#*ギャラリーの床にはバレー部が打ち上げた球や虫の死骸が……
#**バトミントンの羽根が落ちてることも。
#*自分の町の中学は卓球場になってました。
#*俺の学校は保護者用のパイプ椅子が大量にありました。
#*雨の日の昼休み、ギャラリーから器械体育部のマットに飛び降りる遊びをよくやっておりました。(by横浜市立の中学校卒業生)
#校歌の額縁がある。
#*卒業制作である場合が多い。
#*毛筆の立派なものである場合も。
#ステージ上中央に校章。
#*これも卒業制作であったりする。
#*ステージの幕の端に学校名が書かれているところも。
#**反対側の端には「○年○月○日寄贈」とか。
#国政・地方選挙のとき、投票所になるとこや、逆に開票所になるところがある。
#武道場が隣接している。
#*同じフロアに卓球場や更衣室もあったりする。
#*僕の高校には、(↑)と同じフロアに体育教師の職員室代わりである「教官室」がある。
#ステージの左右は体育倉庫になっている。
#床を傷つけないように体育館用シューズを買わされる。
#*小学一年生の時は無しでも良かった。
#**小学生のときは上履きOKで、中学生になったら体育館シューズを買わされるのがベタ。
#床板は桜。
#壁には小さな穴が空いている。
#体育館の裏は呼び出される場所。
#*俺の中学校では、体育館の裏側の通路に3つ部屋があるが、普段は通路を含め立ち入り禁止。緊急の職員会議が開かれるようなことをしでかした奴がそこに連れて行かれ・・・・・・という噂がある・・・。
#*ボコられるか告白かタバコを吸うか。
#トイレにはイロイロ出る。
#*トイレは校舎内以上に汚い。
#その昔、講堂とも呼ばれていた。
#*「体育館」を「講堂」として使ってるんだろ。
#**ウチは「講堂」を「体育館」として使ってる。
#*正式名称が「屋内運動場」のところもある。(特に小学校で)
#体育館の床掃除用の大きなモップで掃除するのが楽しい。
#体育着でスライディングしたらズボンが摩擦で溶ける。運悪ければ皮膚も溶ける。
#夜はママさんバレーの練習に使用される。
#火災時の警報装置には防護柵がついている。
#*それの開く部分にボールを当てるととてもうるさい。
#「たいくかん」(なぜか変換できない)<!-- ← ATOKにしなさい-->
#*「たいいっかん」(やっぱり変換できない)
#体育館の用具の中でとりわけマットが臭い。
#最近はここで全校長会を開くなるようになった。
#窓、時計、校歌の額縁、火災警報器と放水器の合体したものなど、色々なものに防護柵がついている。
#ステージの下には、大量のパイプ椅子が格納されている。
#*新しい体育館だと、ホールの座席みたいなものが隠されていることもある。
#少数派だが、屋上にプールがある体育館もある。
#全校集会の類は、ほぼ例外なくここで行う。
#*しかし体育科が管理しているためか、騒がしいと体育の先生の怒号が飛んでくる。
#選挙の時には投票所が開設される。


{{DEFAULTSORT:たいいくかん}}
==独立項目==
[[Category:ベタの法則/学校]]
*[[もしあの鉄道路線の電化が○○だったら#北陸本線|全区間で直流電化だったら]]
[[Category:ベタの法則/スポーツ]]
 
==敦賀駅以南が直流電化時に京都支社に編入されていたら==
[[福井の駅#敦賀駅の噂|敦賀]]が直流になり、[[西日本旅客鉄道/金沢支社|金沢支社]]のままでは色々な弊害が出てきました。[[京都市|京都]]支社になれば改善出来ると思います。
#今のように新快速が近江今津で10分も止まる上に増解結があり、さらには乗務員交代だけでなく列車番号まで変わる・・・ということがなくなる。
#*時間帯によっては近江舞子以北で快速運転する速達タイプの新快速ができていた。
#*停車駅は安曇川・近江今津・近江塩津の3駅となっていた。
#*一部列車は敦賀まで8連で運行する。
#小浜線が飛び地になるので、一緒に京都支社化または福知山支社化。
#*車両の表記は、「京ツル」「福ハマ」
#*敦賀~小浜が京都支社、小浜~東舞鶴が福知山支社
#**小浜線は京都支社じゃなくて福知山支社に入れ替えだろ。
#**小浜で支社を区切った奴が悪い。
#[[ICOCA]]は敦賀まで導入。新疋田は簡易改札。敦賀はICカード対応の自動改札機導入。
#*待合室のCHAOやホームの売店でもICOCAが使えるようになる。
#**CHAOは金沢のものなので、CHAO閉店 → 跡地にDaily in 開店。
#***当然ICOCA使用可能。
#**いやいや、キオスクだろ、キオスク
#*新疋田に券売機は付くんですか?
#**近江塩津や余呉を見てる限り付かないのでは?
#敦賀港線で旅客営業するときは、どこが担当?
#*普通に考えたら京都でしょう。
#永原折り返しはなくなる。
#大阪近郊区間が敦賀駅まで拡大されていた。
#*場合によっては小浜線、舞鶴線、山陰線園部~和田山、福知山線谷川以北、播但線も大阪近郊区間に入っていた。
#名実共に[[アーバンネットワーク]]入りするだろうから、駅名標のラインカラーが変わる・・・ってことはないか。湖西線も特にラインカラーの設定はなかったはずだし。
#列車接近音が、京都駅のテケテケか新大阪みたいなベル音になる
#*敦賀の放送の声も村山明とよしいけいこのままだった。
#敦賀地域鉄道部は、当然京都支社管内に移管され、自動的に南今庄までが、京都支社の管轄となる。
 
==津幡-石動間と魚津-糸魚川間のみ経営分離していたら==
並行在来線の経営分離の議論でこうなる案もあったそうです
#現在のえちごトキめき鉄道・あいの風とやま鉄道・IRいしかわ鉄道は誕生せず、津幡ー石動間と魚津ー糸魚川間でそれぞれ並行在来線会社が設立されていた。
#*経営分離区間が項目と同じ、かつ現実の会社駅で分割したら下記のようになって効率が悪くなると思われるため。
#**金沢ー(JR)ー津幡ー(IR)ー倶利伽羅ー(あいの風)ー石動ー(JR)ー富山ー(JR)ー魚津ー(あいの風)ー市振ー(トキめき)ー糸魚川ー(JR)ー直江津。
#*あるいはえちごトキめき鉄道は妙高はねうまラインのみの保有になっていた。
#北陸線の新潟県区間あたりが気動車になることはなかった。521系が直江津に乗り入れていた。
#あいの風ライナーは誕生しなかったかも。
#富山ー金沢間は通しで運行される列車が多かった。逆に富山ー直江津間は魚津、糸魚川で系統が分断されていたかも。
#*富山と石動と津幡と3回初乗り運賃がかかるので、実際より金沢までの運賃が高額になっていた、
#北陸地区のICOCAの当初の導入駅が変わっていた。
#七尾線に乗り入れるサンダーバードが多かった。
#糸魚川ー直江津間と分岐している大糸線の南小谷ー糸魚川間をJR東日本に移管すべきという声が出ていた。
#糸魚川ー新潟の快速が特急になっていたかもしれない。
 
==新快速の敦賀駅乗り入れが史実よりも早く実現していたら==
*史実では、2006年10月に長浜~敦賀間が直流電流に切り替えたことにより、新快速が敦賀駅までの乗り入れが実現しました。もし、1990年代、2000年代前半に早まっていたら…
#当然、湖西線(永原~近江塩津間)も直流電流に切り替えるのが史実よりも早まっていた。
#1999年6月までに切り替えていたら、当年に開催されたつるが・きらめき・みなと博21に訪れる観光客が史実よりも多くなっていた。
#*多客時に臨時の新快速が運行されていた。
#新快速が日中に赤穂線へ乗り入れるのが史実よりも早まっていたかもしれない。
#田村~長浜間が直流電流に切り替えるのが史実よりも早まっていたかもしれない。(史実では、19991年9月に実施)。
#新快速が12両編成で運行されるのが史実よりも早まっていた。
#2003年9月までに実現していたら、若狭路博2003の際に運行されていた小浜線の臨時臨時快速「若狭路快速」との接続に考慮したダイヤになっていた。
#1990年代に実現していたら、113系電車と221系電車も敦賀駅までに乗り入れてたかもしれない。
 
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[[カテゴリ:歴史のif検討委員会 鉄道路線史]]
[[カテゴリ:歴史のif検討委員会 国鉄・JR史]]
[[カテゴリ:北陸本線|もし]]

2021年3月30日 (火) 11:19時点における版

独立項目

敦賀駅以南が直流電化時に京都支社に編入されていたら

敦賀が直流になり、金沢支社のままでは色々な弊害が出てきました。京都支社になれば改善出来ると思います。

  1. 今のように新快速が近江今津で10分も止まる上に増解結があり、さらには乗務員交代だけでなく列車番号まで変わる・・・ということがなくなる。
    • 時間帯によっては近江舞子以北で快速運転する速達タイプの新快速ができていた。
    • 停車駅は安曇川・近江今津・近江塩津の3駅となっていた。
    • 一部列車は敦賀まで8連で運行する。
  2. 小浜線が飛び地になるので、一緒に京都支社化または福知山支社化。
    • 車両の表記は、「京ツル」「福ハマ」
    • 敦賀~小浜が京都支社、小浜~東舞鶴が福知山支社
      • 小浜線は京都支社じゃなくて福知山支社に入れ替えだろ。
      • 小浜で支社を区切った奴が悪い。
  3. ICOCAは敦賀まで導入。新疋田は簡易改札。敦賀はICカード対応の自動改札機導入。
    • 待合室のCHAOやホームの売店でもICOCAが使えるようになる。
      • CHAOは金沢のものなので、CHAO閉店 → 跡地にDaily in 開店。
        • 当然ICOCA使用可能。
      • いやいや、キオスクだろ、キオスク
    • 新疋田に券売機は付くんですか?
      • 近江塩津や余呉を見てる限り付かないのでは?
  4. 敦賀港線で旅客営業するときは、どこが担当?
    • 普通に考えたら京都でしょう。
  5. 永原折り返しはなくなる。
  6. 大阪近郊区間が敦賀駅まで拡大されていた。
    • 場合によっては小浜線、舞鶴線、山陰線園部~和田山、福知山線谷川以北、播但線も大阪近郊区間に入っていた。
  7. 名実共にアーバンネットワーク入りするだろうから、駅名標のラインカラーが変わる・・・ってことはないか。湖西線も特にラインカラーの設定はなかったはずだし。
  8. 列車接近音が、京都駅のテケテケか新大阪みたいなベル音になる
    • 敦賀の放送の声も村山明とよしいけいこのままだった。
  9. 敦賀地域鉄道部は、当然京都支社管内に移管され、自動的に南今庄までが、京都支社の管轄となる。

津幡-石動間と魚津-糸魚川間のみ経営分離していたら

並行在来線の経営分離の議論でこうなる案もあったそうです

  1. 現在のえちごトキめき鉄道・あいの風とやま鉄道・IRいしかわ鉄道は誕生せず、津幡ー石動間と魚津ー糸魚川間でそれぞれ並行在来線会社が設立されていた。
    • 経営分離区間が項目と同じ、かつ現実の会社駅で分割したら下記のようになって効率が悪くなると思われるため。
      • 金沢ー(JR)ー津幡ー(IR)ー倶利伽羅ー(あいの風)ー石動ー(JR)ー富山ー(JR)ー魚津ー(あいの風)ー市振ー(トキめき)ー糸魚川ー(JR)ー直江津。
    • あるいはえちごトキめき鉄道は妙高はねうまラインのみの保有になっていた。
  2. 北陸線の新潟県区間あたりが気動車になることはなかった。521系が直江津に乗り入れていた。
  3. あいの風ライナーは誕生しなかったかも。
  4. 富山ー金沢間は通しで運行される列車が多かった。逆に富山ー直江津間は魚津、糸魚川で系統が分断されていたかも。
    • 富山と石動と津幡と3回初乗り運賃がかかるので、実際より金沢までの運賃が高額になっていた、
  5. 北陸地区のICOCAの当初の導入駅が変わっていた。
  6. 七尾線に乗り入れるサンダーバードが多かった。
  7. 糸魚川ー直江津間と分岐している大糸線の南小谷ー糸魚川間をJR東日本に移管すべきという声が出ていた。
  8. 糸魚川ー新潟の快速が特急になっていたかもしれない。

新快速の敦賀駅乗り入れが史実よりも早く実現していたら

  • 史実では、2006年10月に長浜~敦賀間が直流電流に切り替えたことにより、新快速が敦賀駅までの乗り入れが実現しました。もし、1990年代、2000年代前半に早まっていたら…
  1. 当然、湖西線(永原~近江塩津間)も直流電流に切り替えるのが史実よりも早まっていた。
  2. 1999年6月までに切り替えていたら、当年に開催されたつるが・きらめき・みなと博21に訪れる観光客が史実よりも多くなっていた。
    • 多客時に臨時の新快速が運行されていた。
  3. 新快速が日中に赤穂線へ乗り入れるのが史実よりも早まっていたかもしれない。
  4. 田村~長浜間が直流電流に切り替えるのが史実よりも早まっていたかもしれない。(史実では、19991年9月に実施)。
  5. 新快速が12両編成で運行されるのが史実よりも早まっていた。
  6. 2003年9月までに実現していたら、若狭路博2003の際に運行されていた小浜線の臨時臨時快速「若狭路快速」との接続に考慮したダイヤになっていた。
  7. 1990年代に実現していたら、113系電車と221系電車も敦賀駅までに乗り入れてたかもしれない。