もしあの地域が○○領だったら
2019年8月29日 (木) 21:25時点における>SHIN快速による版 (→アフリカ)
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アジア
シンガポールがイギリス領
- 香港・マカオ返還と同時期にマレーシアに割譲(統合?)されていた。
- 中国系住民はかなり反対運動を繰り広げていた。
- 現実ほどの過激な法制度などあるわけがない。
- 自由は保たれる反面治安が結構悪化していた。
- 後に独立できた場合でも総督が今もいる。
- 「一度はマレーシアの一部として独立したがマレー系と中国系の対立激化により内戦などを防ぐためイギリスが再度領有」という経緯の可能性あり。
- 一時期はインドネシアやベトナムなどから亡命者が多く押し寄せていた。
フィリピンがアメリカ領
- フィリピン・コモンウェルスは成立しなかった。
- とは言えフィリピン側の事を考えると戦後に51番目の州になっていたかもしれない。
- 人工的には三分割くらいが理想かと。
- スペイン系が多数を占める地域が州になっていたのでもしかしたらプエルトリコも州に昇格していたかもしれない。
- とは言えフィリピン側の事を考えると戦後に51番目の州になっていたかもしれない。
- 現在では沖縄同様東アジア防衛の要衝として位置づけられている。
- と言うかフィリピンが独立できない理由があったとすれば間違いなくこれが原因。
- 91年のピナツボ火山大噴火後も何とかして基地を存続させていた。
- 普天間の海兵隊の移転候補地としても浮上していた。
- というか前線基地の多くはここに移転していたかもしれない。
- アメリカ横断ウルトラクイズで最初に到達するアメリカ領はグアムではなくマニラだった。
- スプラトリー諸島(南沙諸島)の領有権問題にアメリカが参戦しもっとややこしいことになっていた。
- モロ・イスラム解放戦線がアメリカ本土でもテロを起こしていた。
香港がイギリス領
- 中国政府がぶちぎれて侵攻。そのまま中国に占領されていた。
- マカオも巻き添えを食らう。
- 要するに97年に返還されなかったらということなら、そうそう中国も手を出さないはず。但し住民投票とかいって本土編入するとかはありそう。
- あるいは水の供給を止めるという選択肢もあり得た。
- 実際の英中の交渉でも鄧小平が本当にこのような脅しをかけていたらしい。
- 日本から脱塩装置を輸入していたかもしれない。
- 国際色豊かな街になっている。
- 現在でも中国大陸の民主化勢力にとって最高の拠点であり続けていた。
- 中華航空の塗装から青天白日旗が消えるのが数年遅れていた。
- 史実では返還後も香港乗り入れを継続するために現在の梅の塗装に変更。
- 大陸では反日デモとともに反英デモも一時期盛んに行われていた。
- イギリスと中国の関係が悪くなっていた。
- 下手をすると九龍城砦が未だに高層スラム街のままだった可能性もある。
モンゴルが中国領
ちなみに中華民国は未だに領有権を主張しています。
- いまだに中国の支配下。
- 大躍進政策・文化大革命の被害も受けていた。
- 市場経済移行後も経済状況はよくなってきてはいるが、まだ発展途上。
- 少数民族地域なので冷遇されている。
- 北京から近いので新疆ウイグルやチベットよりはましだったと思う。
- 少数民族地域なので冷遇されている。
- 「外モンゴル自治区」になっていた(中華民国時代は蒙古省)。
- 逆に「内モンゴル自治区」が存在せず、隣接各省の一部になっている。
- 綏遠省・察哈爾省が存続していた。また寧夏も回族自治区ではなく省のままだったかも。
- 逆に「内モンゴル自治区」が存在せず、隣接各省の一部になっている。
- モンゴル語をキリル文字で書くことはなかった。
- モンゴル文字が未だに用いられるが、近年では「モンゴル語の出来ないモンゴル人」が増加している。
- それでも学校ではモンゴル語とモンゴル文字を習う。
- モンゴル文字が未だに用いられるが、近年では「モンゴル語の出来ないモンゴル人」が増加している。
- チンギス・ハーンは「民族主義の象徴」とされ今でも崇拝が禁止されている。
- 史実でロシア領トゥヴァ共和国となっている地域も中国領のままだった。
- 中国の少数民族として「トゥヴァ族」となっているがその地位はやはり低い。
- ただ、モンゴル人を懐柔するためにこちらは優遇されたかも?
- 中国の少数民族として「トゥヴァ族」となっているがその地位はやはり低い。
- やはり「モンゴル独立派」が存在する。
- 下手すると甘粛省や新疆も巻き込んでいた可能性も。
- ウイグルや台湾同様に日本の右翼にも支援されていた。
- 北京と庫倫(現実のウランバートル)を結ぶ高速鉄道が建設されていた。
- 日本の大相撲が現実のようにモンゴル人だらけになったかどうか怪しい。
- 柔道やレスリングなどのオリンピック競技に流れる人が多くなりそうな気がする。
- 史実通りモンゴル人が進出していた場合「中国人」として扱われ、「中国による日本の国技の乗っ取り」と現実以上に非難されていた。
- さすがに少数民族が日本の国技をやってる扱いになりそう。
広州湾がフランス領
- 1898年から99年間の条件で租借地となったが、第二次世界大戦の日本による占領を経て返還した。
- 国共内戦時には亡命者がここに来ていた。
- ベトナム戦争時にもベトナムから避難する人もいた。
- フランス領だったこともあってベトナムとの関係はそれなりに良かった。
- 国共内戦での戦況次第では返還もなかったかもしれない。
- おそらくは1997年に香港とともに返還されていたと思われる。
- 仏中関係はおそらく史実よりも悪い。
- それでも(当時香港を保有していた)イギリスが西側で最も早く大陸中国を承認したことを考えると承認は史実通りの時期だったかもしれない。
- 仏中関係はおそらく史実よりも悪い。
- 現在は良くも悪くも「マカオ以上香港以下」となっている。
- 関連項目
バーレーン・カタールがアラブ首長国連邦領
- かつてアラブ首長国連邦はバーレーン・カタールも含んでいましたが、石油が豊富に取れることから単独で独立した。
- ドーハはドバイと肩を並べる都市になっていた。
- UAEの税負担もしていた。
- 2022年のオリンピックはUAE全域で開催されていた。
- バーレーン・カタールの経済力は史実とそんなに変わらない気がする。
- バーレーン~カタール~アブダビを結ぶ道路やメトロが開通していた。
バングラデシュがパキスタン領
- 1947年に英国から独立し1971年にバングラデシュとして再独立するまで、バングラデシュはパキスタンの飛び地「東パキスタン」でした。
- 流石に何らかの自治権を獲得している。
- 西パキスタン(現パキスタン)と東パキスタンの国家連合になっていたかも。
- 首都機能の一部がダッカに移転している。
- インドとの関係によってはクチビハール問題が未解決の可能性がある。
- 史実よりこの地域のイスラム教色が強くなっていた。
- パキスタン・ルピー紙幣は現在でもベンガル文字が書かれている。
ミャンマーがインド領
- 大英帝国時代、ミャンマー(ビルマ)も英領インドの一部でした。
- 現在もインド系住民が経済を握っている。
- 完全な自国民であるため排除するわけにいかない。
- ビルマ地方の独立を目指す勢力も活動している。
ヨーロッパ
アイルランドがイギリス領
かつてはアイルランドは北だけでは無くアイルランド全土がイギリス領でした。しかしアイルランド本国では宗教はカトリックが多数ですが言語はアイルランド語は廃れ英語が主流です。仮にアイルランド人との共存が上手くいってアイルランド全土がイギリス領のままだったら?
- 現在のアイルランド国旗は「白旗に赤い×印」のまま。
- しかし、独立派は史実のアイルランド共和国旗を掲げている。
- しかし一部の過激派はやっぱりテロを起こす。
- スコットランド独立運動がココまで活発化する事は無かった。
- いや、むしろアイルランド独立派と連携して活発化していた。
- カトリック派国民とプロテスタント派国民との間で内戦が勃発する。
- ちなみに戦後の西ヨーロッパで内戦が発生したことはない。
- 内戦まではいかずとも、北アイルランド紛争のようなものがアイルランド全土で勃発した可能性がある。
- アイリッシュ海トンネルの工事が始まっているかもしれない。
- 少なくともルートは決まっていた。
- EU内のユーロ圏は現実よりやや狭い。
- 「イギリスの穀倉」と位置づけられ経済発展が遅れた。
- いわゆる「ジャガイモ飢饉」に対する謝罪はまだ行われていない。
- ベルファストは史実ほど知名度が高くなかった。
- なんとなくベルファスト周辺の方が工業化が進んでいそうな気がするので、「政治のダブリン、経済のベルファスト」と位置付けられていた。
- アイルランド語は史実よりも話す人が減っていた。
- 義務教育でアイルランド語は教えない。
- ただ、最近になって復権運動が活発になる。
- ブレア政権下で「アイルランド議会」(史実の北アイルランド議会に相当)が設置されていた。
- 当然ダブリンに設置される。
- もちろんサッカーのアイルランド代表もラグビー同様に南北で一つのチーム。
- 2016年のイギリスEU離脱投票においても、アイルランドでは離脱反対が多数を占めた。
- ひょっとすると最終結果に影響し、離脱は回避された可能性も。
- 史実通り離脱になっていた場合、EUとの交渉での最後の難関が北アイルランドとアイルランド間の国境管理であることを考えると、すんなりと離脱していったかもしれない。
- ITの中心地になることはなかった。
オーストリアがドイツ領
- 「モーツァルトはドイツ人なのかそれともオーストリア人なのか?」とドイツを騒がせた議論が起こる余地は無かっただろう。
- 1991年1月27日付の英"The Observer"紙にて、1791年12月25日に掲載されたモーツァルトの死亡記事を「モーツァルトはドイツ人ではなくオーストリア人」と訂正することもなかった。
- 首都はベルリンではなく、神聖ローマ帝国の首都であったウィーン。
- いや、ナチスドイツ指導下で進んだ話が今もそのままだったらベルリンだった。
- あるいは中間地点としてミュンヘンなどになっていたかもしれない。
- 第二次大戦後にドイツ同様東西に分割されていた。
- オーストリアの東側は「東オーストリア」という東ドイツの飛び地になっていた。
- あるいはオーストリアそのものは分断されない(ドイツのまま)が、ハンガリーとの国境沿い(旧ハンガリー王国領)がハンガリーに割譲されていた。
- 最もありそうな展開としては「1848年の二月革命の影響によりオーストリア帝国各地で独立運動が発生し帝国が空中分解→大ドイツ主義に基づきドイツ人居住地域が「ドイツ」に組み込まれる」といったところか?
- オーストリア帝国政府がナショナリズムに否定的だったため大ドイツ主義は実現しなかった。
- サッカードイツ代表のワールドカップでの優勝回数が増えていた。
- 『わが闘争』でのハプスブルグ家批判の描写はなかった。
- そもそもヒトラー(オーストリア出身)がドイツ帝国出身になっていたため極端な民族主義に走ることは無かった。
- ただし貧農の子供であったことを考慮するとそうなっていたかも。
スイスがオーストリア領
スイスはハプスブルグ家発祥の地であり、元々はオーストリア領でした。しかしスイス都市間の原初同盟と農民で構成された同盟軍がオーストリアの精鋭部隊に連勝し、ついにはヴェストファーレン条約によってスイスは独立を勝ち取るのですが、仮にスイスの独立がオーストリアによって潰されていたらどうなっていたのでしょうか?
- イタリア北部の山岳地帯がオーストリア領になっていた可能性も・・・
- オーストリアが第1次大戦で敗戦後は現実世界のスイスの一部がイタリア領になった可能性もある。
- モンブランはオーストリアを代表する山に。
- オーストリアは金融のイメージを持たれる。
- ゴルゴ13はオーストリア銀行に口座を持っている設定になっている。
- 冷戦時代にはオーストリアの首都をウィーンからチューリヒに移転しようとする議論が頻繁に行われる。
- つかその「原初同盟軍」って、後にその精強さで知られるようになるスイス傭兵の元祖だろ?
- 奴らの長槍密集陣形の登場によって、重騎士正面突撃しか能のない中世戦術に革命がもたらされるんだが、奴らが名を上げる前に潰されるってことは・・・
- とりあえずローマ法王庁の衛兵の出自が変わるのは確か。
- スイス部隊に文字通り「おんぶにだっこ」状態だったフランスの絶対王権の確立が、1世紀ぐらい遅れるのも確か。
- 奴らの長槍密集陣形の登場によって、重騎士正面突撃しか能のない中世戦術に革命がもたらされるんだが、奴らが名を上げる前に潰されるってことは・・・
- 「永世中立国」の代名詞はどこになっていたのだろうか…。
- オーストリアになる。(現実のオーストリアも一応永世中立国)
- あるいは概念そのものが存在していない。
- ベルギーか(敗戦後の)日本かな。
- ただ史実を考えるとオーストリアが永世中立国になるのは早くても戦後になり現実世界のスイスにあった国際機関の大半は別の都市に設立されていた
- 設立経歴を考えると国際オリンピック委員会(IOC)と国際サッカー連盟(FIFA)の本部はパリにある
- 国際連盟もジュネーブではなくロンドン(第1次大戦が勃発するまでイギリスが世界一の大国だったため)かブリュッセルのどちらかに本部が置かれていた
- 国際連盟の本部がロンドンにあった場合、第2次大戦の勃発で国際連盟が機能不全(連盟が機能不全に陥った原因はナチスドイツがヨーロッパの大半を征服し本部のあるジュネーブが地理的に孤立したためなので)に陥る事はなった
- この場合、戦後に設立された国際連合の本部もロンドンに置かれている可能性がある
- 史実ではニューヨーク以外ではロンドンも国際連合本部の誘致に熱心だった、仮に国際連盟の本部が置かれていたら、あっさりロンドンに決まった可能性もある
- 現実のニューヨークの国連本部は国連北米支部か史実でロンドンに置かれていた国際海事機関のビルとなっていた
- 国際連盟の本部がロンドンにあった場合、第2次大戦の勃発で国際連盟が機能不全(連盟が機能不全に陥った原因はナチスドイツがヨーロッパの大半を征服し本部のあるジュネーブが地理的に孤立したためなので)に陥る事はなった
- 現実のスイス領内が鉄道だらけになることはない。
- リヒテンシュタインはおそらく存在しなかった。
- 二重内陸国はウズベキスタンだけに。
- ウィリアム・テルはただの反逆者でしかなかった。
- おそらく現実のスイス領のうち、ドイツ語圏しかオーストリアに残っていない。
- フランス語圏はフランスに、イタリア語圏も「未回収のイタリア」の一部とされ結局イタリアに割譲。
- ドイツ語圏がまとめてドイツ領になってしまったかもしれない。
スロバキアがハンガリー領
スロバキアは10世紀から第一次大戦後の1918年まで北部ハンガリーと呼ばれ、ハンガリー領でした。
- チェコスロバキアは成立しなかった。
- 代わりにチェコ共和国(ボヘミア?)が単独で独立している。
- ウクライナ・ザカルパッチャ州もハンガリー領(ちなみに現在でもハンガリー系住民が多い)。
- 冷戦以後の歴史は史実とそこまで変わらない。
ポルトガルがスペイン領
スペインは嘗て黄金時代と呼ばれた時にポルトガルを支配していました(ポルトガル語とスペイン語は日本人の感覚で言うと方言程度に差しか無いそうです。) 実史では1641年にポルトガルが独立しましたが、仮にポルトガルは独立せず今もスペイン領のままだったら?
- ガリシア語はポルトガル語と統合されていた。
- そもそもポルトガル語はガリシアを含めスペイン語の方言という扱いだろう。
- それでもフランコ政権崩壊後は独自性が主張され、別言語とされるようになっている。
- そもそもポルトガル語はガリシアを含めスペイン語の方言という扱いだろう。
- 日本に伝来する貿易船がスペインだけになる(ポルトガル=スペイン領となるため)。
- オランダは?イギリスは?
- なおバテレン追放令で貿易は禁止される。
- 歴史によってはスペインの黄金時代が続いたためオランダは独立できなかったかも。
- サッカースペイン代表が多少は強くなっていた。
- 自国開催の1982年のワールドカップではベスト4以上に進出、場合によっては優勝!?
- スペイン代表は2010年より前に1回は優勝していた。
- ポルトガル王政復古戦争でスペインが勝っていればこうなっていた。
- ブラジルでもスペイン語が話されていた。
- そのためスペイン語話者が現実以上に増え、場合によっては国際語として英語を脅かす存在になっていた。
- フランコ政権期にポルトガル文化が弾圧されていた。
- カタルーニャのようにマドリードへの反感が根付いている。
- ファドはもっぱら反体制ソングとなっている。
- 「ポルトガル解放戦線」とかそういうテロ組織に悩まされている。
- 少なくとも現実の仲良し隣国ぶりはありえない。
- フランコがポルトガル(ガリシア)出身であることを考えると逆に優遇されていた可能性も十分にある。
- リスボンは史実より地味な都市になっている。
- ちなみに実際の人口はマラガと同じくらい。
- 米西戦争での被害が史実より拡大していた。
- キューバ、フィリピン、プエルトリコに加えモザンビークやアンゴラも失っていた。
- アメリカがアフリカ大陸に領土を持つ。
- そもそも地政学的にもアメリカがアフリカに領土を欲したかは難しいところ。
- 場合によっては、この時点で南洋諸島全域をアメリカに割譲し、東ティモールやゴアなどもスペインに残ったかも。
- そもそも地政学的にもアメリカがアフリカに領土を欲したかは難しいところ。
- サントメ・プリンシベや東ティモールがまだ独立できていない。
- マカオもスペイン領のまま。
- フランコ政権崩壊後に独立・返還が決まるが、現在でもスペイン文化の影響が強く残っている。
- マカオに関してはほぼ史実通りだと思う。ただしポルトガル語ではなくスペイン語が公用語になっていた。
- エスクード…何それおいしいの?
- 当たり前だが、ポルトガル領でもペセタが通用していた。
- 「イベリア半島」ではなく「イスパニア半島」と言っていたかもしれない。
- 現在のマドリードvsバルセロナにリスボンが加わっていた。
- スポルティング・リスボンがレアル・マドリードやFCバルセロナとリーガ・エスパニョーラで熾烈な争いを繰り広げている。
- 汎ポルトガル主義が広がれば史実通り「スポルティング・ポルトガル」になっていたかも。
- スポルティング・リスボンがレアル・マドリードやFCバルセロナとリーガ・エスパニョーラで熾烈な争いを繰り広げている。
- サラザール・カエタノはフランコ政権下の首相となっていた。サラザールの実務能力を考えるとスペインはフランコ・サラザール2頭体制になっていた可能性もある。
- トルデシャリス条約は無い。
- スペインとポルトガルが競い合う関係にないため、ヨーロッパ人が新大陸を認識するのが実史より遅くなっていた。
- 海老名SAの有名メロンパン店は別の名前になっていた。
アフリカ
イフニがスペイン領
かつてスペインはモロッコの領土内にあったイフニを領有していたが、1969年に返還した。
- 現在ではセウタ・メリリャ同様、難民が集まっている。
- 但し場所が場所だけに上記2か所ほどではない。
- この調子だと(タルファヤ含め)西サハラの領有権を主張していてもおかしくはない。
スーダンがエジプト領
スーダンはエジプトが保護国だった時代共同統治領でしたがもしスーダンもエジプト領だった場合、どうなっていたか?
- エジプトはアフリカ最大の国。
- どっちにせよ南スーダンは切り離されていたか?
- 南スーダンだけでなく北スーダンでも独立が活発化していた。
- しかし北スーダンの独立派と南スーダンの独立派は連携しない。
- 南北スーダンの対立を利用する形で独立を阻止していた。
- ダルフールもあることからヌビア地方は長い間混乱していた。
- 場合によってはエジプト本国も影響を受ける。
- 観光を主要産業にできなかったかもしれない。
- 場合によってはエジプト本国も影響を受ける。
- しかし北スーダンの独立派と南スーダンの独立派は連携しない。
- 国名が「クシュ」あたりになっていた可能性もある。
- 南スーダンだけでなく北スーダンでも独立が活発化していた。
- 地域名としては「スーダン」ではなく「ヌビア」となっていた。
- 現実のマリが「スーダン」を名乗っていた。(旧フランス領スーダンだったため)
- 現実で線路が途切れているアスワンとワジハルファの間も鉄道でつながっていた。
- 同じゲージに改軌されている場合はエジプト鉄道の列車がラムセス中央駅(カイロ)からハルツームまで直通していた。
- 紅海に面したポートスーダン市は現在までに改名されている。
- オサマ・ビンラディンがこの地に足を踏み入れることはなかった。
- 史実でスーダンに潜伏していた頃エジプトは親米のムバラク政権だったため。
アルジェリアがフランス領
公式には植民地ではなく一種の海外領土とされていた。
- アルジェリアにEUの規定が適用されるか問題になっていた。
- 本土の対岸ということもありギアナ同様にユーロは導入されていたと思われる。
- リビア辺りがアルジェリア独立勢力を支援していた。
- それによるテロもたびたび起こっていた。2013年に起きた天然ガス精製プラント襲撃事件もここが関わっていた。
- ソ連崩壊までは史実のFLNに相当する勢力がソ連や東ドイツの支援を受けていた。
- フランスとソ連の関係が悪化していた。
- アフリカ諸国の難民・移民がここを目指すため、国境警備に手を焼いていた。
- 現在ではたとえ海外領土扱いだろうと「アフリカ最後の植民地」と呼ばれている。
- 国連の非自治地域リストにも記載されていた。
- フランス政府に協力的なアラブ人の組織や白人主導でのアルジェリア独立を求める組織も誕生しますます収拾がつかなくなっていた。
- OAS(秘密軍事組織)の後身団体も21世紀まで存続している。
- フランスの核実験はずっとサハラ砂漠で行われている。
- 「ムルロア環礁」など知っている日本人は皆無。
- ビアフラ紛争でフランスがビアフラを支援した際にナイジェリア政府が「ビアフラを第2のアルジェリアにしようとしている」と非難していた。
- アルジェリア独立に好意的な見方をしていたアメリカとの関係がもつれていた可能性あり。
- フランスのNATO脱退(1966)の一因にもなっていた。
- アラブ系住民の比重が高くなり、場合によってはアラブ系大統領が誕生していた。
ガーナがイギリス領
- アフリカの独立機運が起こらなかったか遅れていた。
- 主に黄金海岸と呼ばれ豪州のゴールドコーストと差別化された。
- エンクルマ(史実の初代大統領)の知名度は皆無。
ナミビア・ボツワナ・ジンバブエ・レソト・スワジランドが南アフリカ領
- 1990年までナミビアは南アフリカの委任統治領(国際連盟解体後も信託統治領に移行せずそのまま所有)だった。
- また、南アフリカは旧英保護領のボツワナ・レソト・スワジランドや英直轄植民地のジンバブエ(当時はローデシア)も狙っていたらしい。
- 当然、この土地にもホームランド(バントゥースタン)が置かれていた。
- ちなみにナミビア(当時は南西アフリカ)にもホームランドを置く計画もあったが、人口が希薄で原住民がまだ原始的生活を送っていたこととアンゴラ独立戦争もあって有耶無耶に終わった。
- ボプタツワナは史実のボツワナまで広がるも、ダイヤモンド鉱山などは南アフリカ領にされていた。
- レボワは史実のレソトの範囲まで広がっていた。
- カングワネはスワジランドの一部にされていた。
- その他、ジンバブエにもできていただろう。
- 極端な話、差別が史実以上だった場合はむしろ諸外国がホームランドを承認してしまった可能性すらある(ホームランドにしっかりとした領土の確保を要求させた上で)。
- その場合、クワズールーもナタール州ごと独立していたかもしれない。
- 黒人の比率が圧倒的だったので差別問題は史実以上に深刻化していた。
- なお、史実でもレソト(当時はバソトランド)・スワジランドの割譲は計画されていたが、人権問題が深刻化していたことと南アフリカが英連邦を離脱したこともあって流れた。
- この状況下でも割譲が許されたということは、アフリカにおける共産化が史実以上に進み、西側諸国が(共産対策のため)黙り込みを決めた場合とか。
- そしたら、冷戦時に南アフリカで大規模な内戦が起きていた可能性もあるだろう。
アメリカ
サン・バルテルミー島がマルタ騎士団領
1744年からスウェーデンに売却されるまでマルタ騎士団の財産になっていた。
- 領土があるので外交関係を持つ国は多いはず。
- 国連に加盟していた。
- それでも歴史的経緯で考えるとマルタ騎士団の首都はグスタビアではなくローマになるはず。