もし名古屋鉄道が○○だったら
2019年11月9日 (土) 20:31時点における>生駒線による版 (→知多新線)
あの路線が○○だったら
名古屋本線
- 浜松までに乗り入れていたら
過去にも、浜松へ延伸する計画が何度かありました。
- 遠州鉄道は名鉄グループの傘下に入っていた。
- 浜松市に名鉄百貨店ができていた。
- 浜松名鉄ホテルは今でも健在であった。
- 対抗して、JR東海は浜松行きの新快速と特別快速の本数を史実よりも多く増やしていた。
- 枇杷島分岐点の立体化が実現していたら
1990年代に、名鉄はボトルネック解消のために、立体化を検討しましたが、実現しませんでした。もし実現していたら…
- 東枇杷島~名鉄名古屋間は複々線化されていた。
- 西枇杷島駅付近には、名鉄名古屋~河和・内海間を結ぶ特急が折り返すために、側線が設けられていた。
- 名古屋本線の笠松 - 名鉄岐阜間が600v線区だったら
もともとこの区間は名鉄岐阜市内線を経営していた美濃電気軌道の路線でしたが
- 竹鼻線・羽島線も600V線区になっていた。
- それでも本線は別ルートで笠松~名鉄岐阜間をつくっていた。
- この区間の途中駅は史実より少なかった。せいぜい1~2駅程度か。
- 2005年に力尽きたのは史実通り。
- 一部の区間が廃止されなかった場合は笠松~新羽島間でモ800形が行ったり来たりしている。
小牧線
- 名鉄名古屋駅までに乗り入れていたら
- 東枇杷島駅か栄生駅辺りで接続していた。
- 当駅から名鉄名古屋駅まで複々線化されていた。
- 小牧~犬山間が複線化されていた。
- 急行運転が行われていた。
- 桃花台新交通が廃止されることはなかった。
- 間内駅付近に車両基地ができていた。
- 名鉄資料館と名鉄教育センターができていた可能性もあり得る。
- 小牧市の人口が史実よりも多くなっていた。
三河線
- 知立~梅坪間が複線化されていたら
実際に、名鉄は知立~豊田市間の複線化を検討しております。
- 特急や急行が豊田市まで運行されていた。
- 名古屋本線との接続を考慮したダイヤになっていた。
- 三河線の運行系統が分かれていなかったら
- 史実では知立を境に海線と山線に分かれており、全線を直通する列車自体有りません。
- 三河知立駅が知立を名乗り続けていた。
- 合併の経緯を考えると三河鉄道が傍系になるので若干厳しいが、現在の名古屋本線が三河知立駅に乗り入れる形になっていたかもしれない。この場合東知立駅は最初から存在しない。
- 吉良吉田or蒲郡-豊田間に特急が一時期走るも、需要の少なさから後年廃止される。
- 末端区間のディーゼルカー化→廃止も史実通り行われるが、廃止時に吉良吉田-西中金間の通し便が臨時列車として運行されていたかもしれない。
知多新線
- 師崎までに乗り入れていたら
- 篠島や日間賀島行きの定期船との接続を考慮したダイヤになっていた。
- 名鉄が伊勢湾フェリーを手放すことはなかったかもしれない。
- 複線化されていたら
実際に、複線化のための用地があるそうです。
- 複線化された分、所要時間が短くなっていた。
- 美浜町における住宅開発が史実よりも進んでいた。
- 未開業の小野浦駅が開業していた。
名鉄百貨店がなかったら
- 名鉄名古屋駅の駅ビルには、松坂屋が出店していた。
- 名鉄名古屋駅は史実と異なるものになっていた。
南知多ビーチランドが閉鎖されていたら
- 南知多おもちゃ王国ができることはなかった。
- 南知多町は史実よりも寂れていた。
終夜運転が今でも行われていたら
2004年限りでやめています。
- 名古屋本線、犬山線、常滑線、河和線、豊川線、小牧線において、実施されていた。
- ダイヤ編成において、名古屋市営地下鉄と近鉄名古屋線との接続を考慮していた。
美濃町線が全線専用軌条となっていたら
- 新岐阜~下芥見~新関間として、運行されていた。
- 車両では、各務原線と共用で使用されていた。
- 田神線が開業することはなかった。