鹿児島市/地域別

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独立項目

上町

  1. 「かみまち」でも「うえまち」でもなく「かんまち」
  2. かつての鹿児島の中心。
    • 島津家第6代当主氏久が東福寺城(現在の多賀山公園)を構えたのが鹿児島の発祥とされる(1340年頃)
  3. てなわけで、史跡がいろいろある。
    • 市内の観光バスが巡るのはほとんどが上町界隈。
    • 水害のせいで上町関係ない石橋まで引っ越してきた。
  4. 江戸時代まではやはりお偉いさんが住む所だったらしい。
    • 昔ながらの住民はプライドも高く、今でも鹿児島の中心だと信じ切っている。
  5. 範囲は曖昧だが、おおよその範囲は磯から市役所周辺(名山堀)の間とされている。
  6. 昔は市電上町線が通っていた。
    • 1985年9月30日廃止。
  7. 景観保全のための建物規制が厳しい。
  8. 時代の流れから取り残された地域。平坦地で交通の便もいい場所なのに寂れっぷりが半端ない。
    • 10号線まで出れば、吉野方面や姶良方面のバスが通るので不自由はしない。
  9. 名山堀あたりは地元メディアによって「ディープでオシャレな街」みたいに祭り上げられている…
  10. 鹿児島駅横の広大な空き地は用途がなかなか決まらなかったが、ようやく公園やらイベント広場ができた。
    • 愛称「かんまちあ」→由来「上町+Cheer」
    • 公園、広場…それはすなわち正式決定の先送りである。
  11. 長田町から竪馬場にかけての界隈はちょっとした病院街。

鴨池・与次郎

  1. 鴨池の南国バスの屋根付き車庫は、旧鹿児島空港の格納庫であった。現在ある建物の骨組みや基礎部分は旧日本海軍の戦闘機格納庫当時のものを流用している。
    • ハルタ アポロ店の建物も旧鹿児島空港のターミナルビルである。
    • が、南国交通は既に営業所を移転した後に格納庫は解体されており、元ターミナルビルも2013年までに解体される。
      • ニシムタが出店しました。
        • 「スカイマーケット」という店名はその名残でしょうか?
  2. 与次郎地区は、2003年頃まで居住人口は3人しか居なかった。観光地区計画区域内に全域が指定されていたため住宅建設の着工が出来なかったためである。
    • 与次郎は、1972年太陽国体の会場として埋め立てられた。
      • 現在の桜島フェリーあたりで海水を汲み上げ城山に送り、城山団地の開発で出た土砂(シラス)を混ぜ与次郎ヶ浜に送るという、日本初の水搬送工法によって埋め立てられた。
    • 「与次郎ヶ浜」の名の由来は、1840年頃に平田与次郎氏が荒田沖の浜に塩田を開拓したことから。
    • 娯楽施設や大型専門店しかなかったため、日曜休日は賑わう一方で平日はゴーストタウンのように閑散としていた。
      • マンションがなかったころはまったく生活臭のしない街だったな。今もだけど。
  3. ダイエー鹿児島専門店街の敷地は、約30数年前に動物園や遊園地があり園内に鴨が泳ぐ池があったことを知る者も年々少なくなっている。
    • 市電の経営が安定するようにと1910年代にここに人口池がある公園と小規模な動物園をつくった。戦前の一時期に九州で唯一のインド象も飼育されたほど。1973年に現在の平川動物園が開業するまで続いた。
    • もよりの市電の郡元電停は、かつては鴨池遊園駅とよばれ1920年~1950年代前半まで鴨池駅は寺社風の天井の高い大屋根の駅舎を持ち線路は路面でなく高架線で本格的ホームがある市内有数の鉄道駅であった。ちなみに先の涙橋電停付近に不自然な段差があるのはその名残。
  4. 涙橋とは、昔は罪人の刑場がありその前に橋が掛かっていたため名付けられた。
    • 自殺の名所があったっけ?指宿枕崎線の・・・
    • 昔の罪人の刑場があった話しは本当ですが、今の「涙橋」の場所にあったのではなく、ここが刑場に行く場合に家族と別れる最後の場所であったというのが本当です。涙橋の横の駐車場に石碑があり、そこに書かれています。ちなみにここは、「一之宮神社」の所有地だのはずですが。。
    • 刑場は南新町の踏切を渡って真っ直ぐ行った先の川が流れている谷の奥にあったと言われています。
  5. 県庁近くに超高層ビルが2棟建つ計画があったが県がその建設予定地を10億で買いオシャカ。理由は県庁から桜島が見えなくなるから。知事の頭の悪さに驚かされた。税金の無駄使いにも程があんだろ。
    • 残念だったな、あこがれの超高層ビルが建たなくて(笑)。
    • 県庁から見える桜島は絶景。知事の決断は正しかったと多くの県民が思っている。
      • たかがマンションに独り占めされてたまるか。この絶景。
        • あのツインタワーの完成予想図。見ただけでガセだと判るものだった。
    • そもそも、あんな埋立地に超高層ビルなんてねぇ。
    • あまり知られてないようだが、明確な定義ではないものの、日本では高さ60mを超えるか超えないかで建物の取り扱いが違う場合がある。これだと県庁ですら超高層だったりするわけなので、この件について編集してる人に建築関係者がいないことは確実。
      • 何mを超えるとどう扱うみたいな基準の話なんかどうでもよくて、要は社会一般から「超高層ビル」と認識されるような建物が建つとか建たなかったとか建てられるわけがないっていう話題なんだが。
        • 800mの高さのビルさえ建つご時勢で、社会一般の超高層は何mかい?500m以上かい?という程度に基準は大事。周りに高い建物がない鹿児島県では60mもあれば超高層だろ?
  6. この地域の、とある小学校では、運動会の際に「100周年記念音頭」が流れ踊られる。
  7. 与次郎の道路は片側2車線の余裕ある道路だが、線形があみだくじ状になっててややこしい。
    • 土日は競技場周りが駐車車両で埋め尽くされる。
    • 国道225号の天保山交差点から太陽橋までの松林沿いの区間だけ、なぜか片側1車線と狭い。
    • 青になって右折したら赤信号、青になって左折したら赤信号。イライラする!
  8. 007は二度死ぬ」でこの周辺が登場するが、現在とは全く風景が異なる。半世紀弱でここまで変わるのか。
  9. 三和町はリトル奄美。
    • 鹿児島市の親記事にある通り、鴨池新町とは学区が異なる(目の前にある鴨池小学校・中学校ではなく、少し西に離れた南小学校・中学校)。意図がありそう。
    • 鹿児島市では珍しい(2018年11月以降は唯一の)「温泉ではない銭湯」がある。

吉野

  1. 鹿児島の北海道ならぬ、鹿児島の北海道。市内で積雪があれば、ローカルニュースで桜島の冠雪の後に必ずここの映像が流れる。
    • 近郊農業が盛ん。よしのブランドの野菜が鹿児島では多数流通している。
    • 今では、旧吉田町本名地区が、鹿児島市の北海道にとって変わっている。
    • ちなみに、鹿児島の北海道は、大口市。(わっぜ、さみー)
  2. 現在、区画整理事業が進行中。つい一昔前まで激しい反対運動があったが、防災の観点から住民側が軟化、事業が開始された。
    • 鹿児島市街地寄りでない帯迫・花棚地区からの飛び地的な区画整理だが、順序良く区画整理済みの早馬から始まっていたら、花棚は永遠にへき地のままだったかもしれない。結果的には吉野全体が均衡の取れた市街地化ができると思われる。
      • いい加減丁目を設置するか住居表示をすればいいのにと思う。区画整理との兼ね合いもあるが。。。
        • 花棚地区に、吉野1~4丁目の新設が決定。
          • 「花棚1~4丁目」にすればよかったのに。帯迫も区画整理が終わり次第「帯迫◯丁目」で。「吉野◯丁目」だと全部で何丁目になるか分からんぞ。
        • つーか、丁目って市街地側から1丁目から順に付けていくもんじゃないのけ?
          • 2丁目は小学校の校区が川上小。
      • 主要交差点予定地から未だ立ち退かない車屋がある(2014年現在)
    • 帯迫地区もいよいよ始まる予定。
    • 区画整理の反対派はどこにでも少なからず存在するものだが、ここの反対派は数も多くとりわけ強硬路線だったらしい。
      • 血気盛んだった反対派もやがては高齢化、未区画整理の狭い路地には救急車も入れず、後悔しても後の祭りだったとか。
  3. 国道10号線沿いの磯や竜ヶ水も吉野町。
    • 国道沿いの集落は吉野町とは名ばかりで、吉野支所の管轄外(鹿児島市役所本庁の管轄)。
    • 45度を超える急斜面が隔て、直線距離での往来は不可能。以前は8・6水害で廃止されるまで、仙巌園〜磯山遊園地間でロープウェイが運行されていた。
      • 集落も急斜面上にあるので、転んだら最後。国道や日豊本線の線路上に放り出される。集落は高齢化率100%に近く、足腰が立つかは切実な問題。
    • 地図上では平面に見えるため、あまり地元に詳しくない不動産屋の物件データに「最寄り駅:竜ヶ水駅/徒歩○分」と書かれてたりする。
    • 元は姶良の脇元の飛び地。
    • 住民が移転を促されている。目標・住民ゼロ(=犠牲者ゼロ)
  4. バケモノ狐の生息地。
    • 「ジャパニーズパンツ」の第一人者、大石兵六さんが退治したっぽいが、お情けで逃した説が有力。
    • ご当地ヒーローに出てくるキャラはこの狐一族の末裔らしい。
  5. 吉野以外の住民にとって、メインの県道(県道16号・鹿児島吉田線)から一歩外れたら迷路。生きては帰れない。
    • 県道は滝之神でネズミ捕りが多い。
    • 県道は4車線でそこそこスピードも出せるが、鼓川から上がる道路は道幅も狭くつづら折れが酷い。
      • 市営バスでこの坂を通ると前方の景色が目まぐるしく変わる(車体が大きく振られる)ためアトラクション気分が味わえる。さすがはプロの運ちゃんと感心させられるw
    • 九州自動車道の鹿児島インターが未開通だった時代は、九州道への数少ないアクセス道路(吉田経由)として大活躍した。
  6. 近隣の町を合わせて5万人近い人口を抱え、区画整理でさらに発展を続けるものの、高台のため鉄道が通せない。たびたび諦めきれない方々の妄想の対象になっている。
  7. 吉野町は稲荷町の犠牲の上に成り立ってるからね。(-人-)ナムナム…
    • 吉野から流れてくる稲荷川が「8・6水害」で氾濫。おかげで稲荷川放水路建設のため、稲荷町の多くが用地買収され空き地だらけに。
  8. 市北部住民の憩いの場「吉野公園」がある。
  9. 吉野台地は姶良カルデラの外輪山の一部。
    • 町の中心部も標高200~300mの高台に位置する。
    • 磯から姶良に続く絶壁は言わずもがな、吉田との境もすとーんと絶壁(牟礼谷)になっている。
  10. 今回世界遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産」の鹿児島エリアのものは、ほとんどが吉野町にある。
    • 吉野とはいっても寺山(吉野の奥地も奥地)と一部が下田町(隣町)で、あとは磯地区(名目上吉野町ってだけ)ですが。
  11. 吉野町のウィキペディアはやけに気合が入ってるらしく良質な記事になってる
  12. 吉野台と海沿いの位置関係
    • 牟礼ヶ岡⇔平松
    • 寺山⇔大崎
    • 上之原⇔竜ヶ水
    • 吉野公園⇔三船
    • 七社⇔花倉
    • 磯山⇔仙巌園(昔はロープウェイがあった)
    • 滝之神⇔磯
  13. 伝統的に中学校が荒れ気味。
  14. 吉野台地のほぼ中央を流れる磯川を境に、町が東西に二分される。引っ越すなら当然西側。

伊敷

  1. 伊敷の地名は、伊邇色(いにしき)神社が由来。「いにしき」がなまって「いしき」と呼ばれるようになった。
    • 「西伊敷」は伊敷の北にあるような気がするが・・・
      • それどころか場所によっては西伊敷の西に伊敷が・・・
  2. 最近は人口の減少が著しく、徐々に衰退してきている。
    • 吉野の近年の発展ぶりを歯ぎしりしながら見ている。
    • 郊外住宅地の造成時に購入した人達の高齢化が進み、世代交代も上手くいっていない。
  3. 市電は廃止されたものの周辺住宅や川内方面からのバスは多い。伊敷中前以降は都会の地下鉄並みの頻度で来る。
    • 本数こそ多いが、乗客は素通りするばかりで目的地になり得ていない。魅力ある街づくりが求められる。
  4. 草牟田あたりからかつての伊敷村の範囲。てか今でも「国道3号沿い=伊敷」のイメージ。
    • 甲突川沿い=伊敷、でもある。
  5. 伊敷の中心部は甲突川沿いに続く谷のような手狭な土地で、両サイドの高台には団地が造成されている。
    • 原良団地・城山団地・玉里団地・伊敷ニュータウン・伊敷団地など。
    • 埋立地の多い谷山や、台地の吉野が発展していくのとは対照的に、開発可能なまとまった平地は残りわずか。狭い路地も多く、比較的古い歴史も足かせになってるかも。
    • 甲突川支流の山崎川は宅地の合間を流れる急流だが、大雨のたびに住民が流される事故が発生している。
  6. 草牟田~下伊敷は、短大や高校など多くの学校があり文教地区と言われたものだが、学校のレベルはあまり考慮されていな(以下自主規制)
  7. 伊敷台を頂点としたカーストが存在する。
    • 鹿児島市最後の大型団地として造成。県内の長者さんとご子息たちが暮らすとてもセレブな街
      • 通称・伊敷ニュータウン。時が経てばここも例外なくNewではなくなるわけだが。
    • 伊敷町→伊敷台◯丁目の住居表示の変更時、伊敷台と伊敷町の境界付近に当たる住民が、自分たちも伊敷台を名乗らせろと市側と争った。
      • 結果は却下。
    • 度が過ぎると、伊敷台vs伊敷(某ラケット競技)のような因縁も勃発する。
  8. 良質な天然温泉が多い。
  9. 区画整理も行われないまま、伊敷8丁目までできてしまった!
    • 区画整理しようもんなら、番地が相当動くんじゃなかろうか?
    • 慣れないドライバーが入ったら最後。離合不能の狭い路地はまさに蟻地獄。脱出不可能。
    • 区画自体はわりと碁盤の目にはなっている。ただし道幅がとてつもなく狭い。
  10. 日当平と日当山は名前が似ててまぎらわしい。
  11. 鹿児島県立短期大学のあるところ。
  12. 毎年定員割れの鹿児島国際大学が鹿児島医療センター付属鹿児島看護学校を買収して「私文三教科」でも入学試験が受けられる看護学科を設置。

吉田

  1. 隣の姶良町に降りる県道沿いにある温泉のラジオCMがいつの間にやら”吉田町○○苑”から”姶良町○○苑”に変わっていた。そんなに鹿児島市内に入るのが嫌なのだろうか?
    • 住所は姶良市です。
    • 電話番号は鹿児島市の局番
    • 鹿児島市側からしか行くことができない温泉。バス停も鹿児島市側にある。
  2. 一定時間ごとにお湯を全取っ替えする温泉がある。
  3. 某ドラッグストアの創業の地だが、ここから福岡に本社を移したのは正直言って失敗だったと思う。
    • その後、2011年にJR九州傘下となり、Tポイントにも加入、九州で地道にやっていけるドラッグストアになりました。
  4. 牟礼ヶ丘の住民は、合併以前から鹿児島市民だと自称していたらしいw
    • 鳥栖の人が福岡県民を名のるのといっしょだ。マジで鳥栖市は福岡県への編入を望んでいる。
    • 牟礼ヶ丘の人間は市の職員から結構嫌われてるんだよね。頭が固いとか言うこときかないとか
    • バス路線は鹿児島市中心部行きが、吉田の中心部行きよりも多い。
    • しかし、中学校は牟礼ヶ丘にはない。そのため、スクールバスで中学校に通う。
      • 吉野東中学校よりも遠い。
    • 吉田町の他地域にはない「丁目」が、プライドの発生源と思われる。
    • 念願叶って、2004年合併により鹿児島市民に。
      • ただし他の吉田町民も付いてきたので抜け駆けには失敗した模様。
        • ここだけ警察署が吉野と同様に鹿児島中央署の管轄。ほかは鹿児島西警察署の管轄。
    • 風力発電の8つの風車が町のシンボル。高台を吹き抜ける強風を利用している。設置までにはいろいろあったようですが・・・
    • 牟礼岡とか牟礼ヶ丘団地とか三井ニュータウンとか宮之浦団地とか異名が大杉
  5. 吉野町とは密に(?)対立している。
    • 対立って…、何で?吉野と吉田は天と地の差じゃん(人口的、発展的にみて)
      • まあ吉野町だけで、何気に人口が3万人いるらしいからなぁ。
    • 吉田は郡山と対立してなさい。
  6. 役場(支所)は本城にあるが、本名のほうが吉田の中心として発展している。
  7. 地図を見れば分かるが、郡山が意外と近い。吉野よりちょい遠い程度。
  8. 1970年代に吉田村から吉田町に昇格
  9. 高校の普通科の学区は鹿児島学区だが姶良伊佐学区の高校へも進学可能。

郡山

  1. 甲突川(鹿児島市内を流れる川・水源として重要)の源流域にあたるため、開発が厳しく制限され、JRはおろか、高速道路ともまるで無縁の陸の孤島。良く言えば自然環境が残されている場所。
    • 甲突川河口にほど近いちょっとエッチな町が「甲突町」を名乗っているが、甲突川沿いにあるというだけで元は塩田が由来の「塩屋町」。こちらにある甲突川の源流「甲突池」が川の名前の由来。
  2. 「甲陵バス」は、某高校へ通学する高校生しか乗らない不思議な路線、乗客のマナーは最悪で運転手とのトラブルが耐えず全国ネットのワイドショーやスポーツ新聞でもその悪態の一部が匿名で紹介されたほど。
    • 鹿児島西高校と統合して明桜館(めいおうかん)高校に。
  3. 地域住民は、合併後も近くで以前から鹿児島市だった小山田地区に淡い憧れを感じているらしい。
    • 郡山地域と小山田町、その隣の比志島地区は江戸時代初期まで満家院(みつえいん)として一つだった。
  4. 鹿児島市と北薩地方の最短距離・国道328号の入来峠が近いため、峠好きな人たちに出会ったらちょと厄介。
  5. お隣りの伊敷同様、源泉が豊富。
    • 数十年前「自宅で温泉」を目玉にした住宅地が売り出されたが、あっという間に枯れて出なくなってしまった模様。
    • 立派な温泉ランドがあるが、長いこと赤字経営に苦しんでるらしい。郊外すぎて人が来ないのか?

松元

  1. ついこの前まで、町内にある高速道路のインターチェンジへ行くには信じられないくらい狭い道路を通らなければいけなかった。
    • 今は片側2車線の快適道路なんだよな。フツーにネズミ取りしてるし
  2. 旧町役場最寄りの駅のホームがとんでもなく狭い。
    • その旧役場だが、位置が隣の町(現日置市)との境界ギリギリ。
      • そこの近くにある焼肉屋はマジでお勧め。
  3. 松元にあるS高校は以前まで周りが森だったためラブホと勘違いして訪れるカップルが結構いた。
    • 現在は松陽台が開発されて宅地化されたが、S高校への道路は学生さん以外だーれも通っとらん。
  4. 駅がちょうどカーブにあるため停車している時電車が傾いている。
    • ホームも傾いてる。
    • ちなみに鹿児島本線で一番高所にある駅らしい。
    • いちおう書いときますが、上伊集院駅の話です。
  5. 市町村合併の際、元日置郡にもかかわらずなぜ日置市に入らなかったのか、鹿児島市民には不思議がられている。
    • 旧松元町と日置市(旧伊集院町)は距離的にも近く、町中心部付近の市境は平坦地で境界線を意識させないが、鹿児島市とは集落があるとはいえ明らかに高台が境界線だったので、この合併は地理的には不自然に思える。
    • 正直言って旧松元町民も年寄りを除いては否定的な意見が多かったような…(元松元町民)。
    • 学区は鹿児島・旧日置両学区に跨っており、JRで旧西駅【現・鹿児島中央駅】まで上伊集院駅からは1駅。天文館まで買物エリアであり、事実上生活圏として一体化していた。1994年の夏、10年以内に鹿児島市合併すると予測して見事的中(松元中OB)。
      • 最近広木駅が出来たことにより2駅になった。そのことをちょっとばかし恨んでる。
  6. 卓球の町。ちっちゃい子供もおばちゃんもメチャうまい。平野岡の体育館には福原愛選手のサインが飾られている。
    • 体育館には温泉も併設されてて、卓球のあと温泉で汗を流せる。
    • 松元の卓球発展の影にH氏の存在あり。自分の大学同期が松元中の卓球部顧問就任中に全国制覇達成。自分の時は、1985年以来の日置郡大会ベスト3だったwww(松元中卓球部OB)
  7. お茶を忘れては×。「幻のちゃちゃ饅頭」が久古屋で今も売られている?
  8. 最近野球も強くなった。(九州大会2位・2012年)
  9. やたらと寒い。(市内と比べたら)
    • 盆地だから?
    • 冬は当然のごとく氷点下になる。
    • 夏も汗が引く。
    • 石谷や春山は標高およそ200mの高台。風もひんやり。
      • 高台で寒いのにもかかわらず人口が多い。
      • 五ケ別府から鹿児島西インターと、春山から山田インターは、両方とも高度差約170mを駆け下りる下り坂。追突注意。
  10. 松元支所・薩摩松元駅周辺(上谷口)から言わせると、石谷にあるタイヨーやAコープが松元を代表するかのような「松元店」を名乗るのが許せない。「石谷店」やろが。
    • 松元という地名は、上谷口の字の一つだったらしい。出世したもんだ。
      • 薩摩松元駅の駅名の由来もコレ。駅ができたときにはまだ松元町じゃなくて上伊集院村
        • その当時松元の地名を使っていたのは県道松元川辺線ぐらい。
    • 松元ではわりと名の知れた「仁田尾」が町名になってないのは意外(by鹿児島市民)
  11. 農村地域にもかかわらず、人口増加率がかなり高い。
    • 松元中心部にある小学校はこの少子化のご時世に校舎の増築まで行った。
      • だけど中学校は旧町域に松元中が1つだけ。
    • 春山町はつい最近人口が5000人を突破した。石谷町もそれに追従するかのごとく人口が爆発的に増加している模様。
      • 上の2町と上谷口町以外は逆に人口減少しているが、松元町時代から3千人程度増えて松元地域全体で1万5千人程度。
  12. 同じ旧5町の喜入町には及ばないがやけに南北に長く、北は県道206号、南は伊作峠まであるが、南側はほとんど人が住んでいない森林。
  13. 県道松元川辺線は薩摩半島随一の険道として有名。
  14. 2013年にサンクスからローソンではなく、ファミマに変わった店舗がある。鹿児島・熊本では多分唯一のケース。
  15. ここの一部の小学生は電車で通学する。
  16. 鴨池空港(現・鹿児島空港)の移転先の候補に挙げられていた。横井~石谷のあたり。
    • 松元に空港が建設されていたら今の南九州道が九州道になっていたかも
      • 松元ICは松元鹿児島空港ICになっていた?

喜入

  1. 縁起が良いとのことで、喜入駅の入場券を合格お守りにする受験生や結婚式の引き出物に選ぶ人がいるらしい。
  2. 元々細長かった鹿児島市に、さらに細長い喜入町が加わったことでより細長く。正直最南端(喜入生見町)から最北端(西佐多町)や最東端(桜島口)まで移動するのにどのくらいかかるのだろうか?
  3. 合併以後は石油基地があるところ以外は市民の間では影が薄かったが、2006年夏に甲子園で今吉晃一選手が快進撃、大活躍してれたお陰で、鹿児島市内での認知度がアップした。
  4. 旧鹿児島市で『にっせき』と言うと「ガソリンスタンド」か「日本赤十字病院」か「日本赤十字血液センター」のいずれかを指すが、旧喜入町では必ず「石油備蓄基地」のみを指すので注意が必要。
  5. 明治時代に属していた郡も「きいれ郡」だったが、郡名の表記は「給黎」だった(ちなみにその後喜入は明治の郡制で揖宿郡に移った)。
    • 知覧も旧給黎郡。合併相手が指宿市でも南北に細長くなっていたところだが、元サヤならやや東西に長くなるはずだった。
    • この表記、今では人名としてのほうが馴染みがある気がする(「今給黎」など)。
  6. ちょっと油断してると、そこは指宿市。(北から鹿児島市の喜入町、喜入前之浜町、喜入生見町の境には明白な無人地帯があるが、喜入生見町と指宿市にはパッと見の境目がない)
    • 前之浜から南は分割して指宿市にくれてやってもよかったのにな。もはや鹿児島市の手の及ぶ範囲ではない。JRも喜入止まりが多いし。
    • 元・揖宿郡だからか…。
    • 国道から見ると無人地帯に見えるだけで、一山越えた裏の山手の方は意外なほど田畑が連なってる。一番の切れ目は、瀬々串と中名の間。
      • 瀬々串と中名は、明治時代までは喜入郷上村という一つの村だったらしい。
  7. 昔、ホバークラフトが寄港していた。元格納庫は健在。
  8. 「喜入○○町」と、わざわざ頭に「喜入」を付ける町名がウザい。瀬々串・中名など駅名で知られており、喜入にあるのは周知のはず。その点、旧吉田・郡山・松元各町は潔かった。
    • 瀬々串や中名なんて、旧鹿児島市民には全く無名だよ。喜入以外では、生見が一番知名度高いと思う。
      • 「セ、セクスィ~」なら知ってる。無名だとしても、いちいち「喜入にあるんですよ」って押し付けがましさは感じる。喜入一倉町だけは許す。理由は知らん。
  9. 狭くて交通量の多い国道沿いに人口が集中しているので、交通事故が多い。
    • 鹿児島市と合併するまで、DQN学生の多い国分市を抑え、住民あたりの交通事故死亡率県下No.1の座を死守していた。
    • 山手に線形のいい農道が整備されたが、接続が悪く国道の代替路としてはほとんど機能していない。
  10. 喜入一倉町に、鹿児島観光農業公園(グリーンファーム)がある。
    • 多額の税金をつぎ込んだわりに人出は・・・。宣伝不足だし、あまりにも遠すぎる。過疎地の地域興し?
  11. 青海苔がよく採れる。青海苔ケーキも販売されている。
  12. 喜入のアラン・ドロンについては禁句。
    • 2010年初頭に突如として存在を抹消された。
  13. 生見は「ぬくみ」。
  14. めるるの父の出身地。めるるの出身地は愛知県稲沢市