国鉄の車両

2014年6月15日 (日) 10:00時点における>中之島線による版 (→‎60系)
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国鉄の車両の噂

  1. 東京の都心部では殆ど見られなくなってきた(一部の特急列車は除く)。
    • 特急型車両も原型を留めない更新を受けていたり色を塗り替えられていたりする。
    • 山手線の内側の地下(ただし東京メトロ千代田線)を走っている203系を忘れちゃいけませんぜ。
    • 中央快速線、常磐緩行線、京葉線など
      • 埼京線は?東北本線は?
        • 埼京線だと1本はいるはず。
  2. 座席は青がデフォルト。
    • JR東海の113系・165系のシートが原型に近かった(カバーが付いていたが)
  3. カラーリングはファンの間で人気があるらしい。
    • 湘南色スカ色首都圏色
      • 仙台色・秋田色・上沼垂色・信州色…
      • ブルーライナー色・春日塗り…
      • ただし、末期色だけは人気がない。
  4. どういう訳か、似たような先頭形状の車両が多い。
    • 近郊型電車と急行型電車はみんな同じ顔。
      • 113系、115系、153系、165系、413系、415系、417系、711系はみんな同じ顔。ライトの位置や形などの細かい事にこだわらなければ、もっと多い。他にも御存知でしたら直接追加してもOKです。
        • 国鉄内だけではなく山陽電鉄にも真似された。
      • 所謂、東海形ってやつ。
  5. これでもかといわんばかりに部品を共通化している。
    • 連結器が互換だったので、めちゃくちゃに併結した気動車や客車の編成が見られた。
      • 雑多連結の客車編成は国鉄時代、帰省シーズンに設定された急行列車に多かった。ヘタすりゃ1両ごとに所属が違うなんてことも。
  6. ここと比べると頑丈な車両が多い…と思う。
  7. 乗務員室の壁は緑色。
  8. 意外と機関車の寿命は短い。基本的には30年以内に廃車。さらに貨物輸送後退、旅客輸送の分散方式への転換、路線の廃止等により20年以内に廃車となった車両も多数。
    • しかし機関車には世界的にもとんでもない長寿命を誇っているやつが……
    • しかもどれも大型過ぎて私鉄に譲渡できなかった。
    • 特に形式番号が54の機関車は失敗に終わることが多かった。
      • その一方で54の旅客車は長生きしている。
    • 後は戦後製旧型国電や特急車、国鉄末期にJRに引き継がれなかった車両全般も寿命がそんなに長くない…。新型車が次々に登場したからなのか、将来の需要減少を予想できなかったからなのか。
  9. 「センヌキ」
  10. 1970年代頃は、落書きされた車両が多数あった。
    • 私有貨車も落書きの犠牲となったが、所有者からクレームが来たので除外することになったとか。
  11. 古い客車の3等寝台は今の寝台車両からは考えられないショボさである。
  12. 車両幅は日本の狭軌鉄道では最も広い部類に入る。
    • まあ小田急とかもそうだけど・・・
  13. どいつもこいつも爆音をあげる低性能車ばかりである。
    • 電車は同時期の私鉄電車より性能が劣っている場合が少なくない。気動車なんか今の性能水準からすれば論外ばかり・・・
  14. 末期は労使関係が悪化したせいで、技術力が一切向上していない。
  15. 客車は民営化すると電車・気動車の発達やブルトレの廃止などによって絶滅危惧種となってしまった。
    • 日本はもともと客車が合わない国だともいわれているらしい。なぜなら山岳地帯が多いため。

ディーゼル機関車

DD16形

  1. ちっちゃくて、かわいい。
    • DE10をさらに短く切り詰めた感じ。
  2. C56やC12を駆逐するために導入された機関車。
    • しかし…その活躍路線自体がほとんど廃線になったので、半数以上が製造から10年程度で廃車に…
      • もともとDD51初期~中期分のエンジンをDML61Zに交換した際の廃品流用だった。
      • 廃線に加えJRに前後して気動車化がドミノ式に進んだのもある。ぶっちゃけ突き出し配転のキハ52形に追い出された。ちなみにキハ52形の方が古い。
  3. 小海線など線路規格の低い路線を走れるカマ。国鉄時代の臨時列車<葉ッピーきよさと>牽引してた。
  4. 実は国鉄長野工場で製造された車両が含まれている。30年ぶりの国鉄工場製の車両。

DD51形

どっちもDD51。
赤川鉄橋を渡るDD51
  1. 日本でディーゼル機関車といえば、北海道以外ではまずこいつ。
    • 性能は劣るが安定していた事が好まれて大量生産された。
  2. 登場した頃、蒸気機関車を駆逐していくヒール(悪役)扱いされて「赤豚」とまで呼ばれていた。
    • ところが、ディーゼル機関車の活躍自体が狭まっていって、DD51形も全滅が見え始めると、とたんに追っかけ始めた。って現金
      • それはDD51に限ったことではない。新幹線の0系だって最初は名列車とかSLを追い出すとかで嫌われ者だった。
    • 超汎用型で、貨物機から旅客機まであらゆる中型~大型蒸気機関車を置き換えていった。ほかにDF50やDD54まで置き換えた。
  3. 第1号機は丸目ライトが飛び出して付いていた。
    • カラーもぶどう色だった気が。
    • 碓氷峠鉄道文化むらに静態保存中。
  4. エヴァのヤシマ作戦のときにワラワラと出てくる。
    • 監督が鉄だからという理由らしい。シキを三重連で引っ張る姿に感動した鉄も少なくない・・・はず。
  5. 近年まで津田沼辺りの総武線を爆走してたがもう廃止されただろうか。
  6. デコイチ」に引っ掛けて「デデゴイチ」と呼ぶのは少数派。
    • シンデレラ65」よりよっぽど通らないんだがなぜかWikipediaには書いていいらしい
  7. 寝台特急<出雲>(今のサンライズ出雲の前身)を重連で引いてた。
    • 牽引区間は京都~出雲市・浜田。
      • 普段は単機で牽引していた。
  8. 四国の路線に適合しない理由があるらしく、四国を走った事が無い。
  9. 非重連・SGありの0番台、重連対応・SGありの500番台、重連対応・SGなしの800番台がある。
    • 500番台には飛び番で1001以降、800番台には飛び番で1801以降の車両が存在する。
      • 800番台は別形式にするつもりだったものの国労の顔を伺わなければいけないからバリエーション扱いに…
  10. 北海道向けに前照灯が3つの車両が存在していた。

DD53形

  1. ロータリーヘッドをはずしたらメガネを取ったみたいになかなかだった。
  2. 国鉄最強のロータリー除雪機関車。
    • ロータリーヘッドの投射力が凄まじく、当初とんでもない遠距離まで雪を飛ばしてしまった。慌てて投雪口にフードを取り付ける改造を行ったが、それでもたまに飛び込んだ雪が民家のガラスを割ってしまい、苦情が入る事があるという。
      • 窓を割ってピアノをぶっ壊したという怪しい伝説が流れている。

DD54形

今はなき交通科学博物館に保存されていたDD54
  1. デザインが丸くて他のディーゼル機関車と違っていい。個人的に一番好きなロコ。
  2. 実はドイツ製。伝達シャフトが折れて線路端に突き刺さったり事故が絶えず結構早くに廃車。
    • 四国と山陰にいた。
    • ドイツ製ではない。ドイツから技術のライセンシーをして三菱がつくったら上手くいかなかった。
    • 当時は国労・動労の力が強く、原因の究明や問題の解決なんかに手間をかけるよりも、手のかかるややこしい車両はさっさと廃車にしてしまえという考えが強かったことも原因。
  3. 上記の悲劇性と、同じく不遇をかこったC54同様山陰で最期を迎えたことから「54機関車の呪い」を決定付けてしまった。
  4. 1~3号機は前照灯の位置が違い、窓上に付いている。普通写真で出てくるのはそれ以降の後期型なので、こっちの顔を知らない人も多そう。
  5. 一両だけ保存車がいるが、これは労組が「DD54は欠陥車両である」と証明するために残されていたもの。まさか博物館に行くことになろうとは当時の関係者は夢にも思わなかっただろう。
  6. この車両の廃車のきっかけになった「棒高跳び事故」に似た事故は、民営化後にこの機関車とは関係ない北海道で起きた。国鉄は全然反省していない。

DE10形

どこでも。
  1. あっちこっちで陰ながら活躍。
    • 都心部にごろごろ。地方にもごろごろ。
  2. DE11やDE15は同型機。DE15はDE10にラッセルヘッド付けたカマといって間違いないと思う。
  3. DD51と違ってボンネットに長短の差がある。軸配置はC-B配置に見えるが、A・A・A-B。全軸を動軸にし、軟弱な路盤に敷かれた線路上も走れる。使い勝手が良く、JR全社に継承されただけでなく、一部第三セクター私鉄にも在籍。
  4. 貨物機・入換機の印象強いが、秋田新幹線工事絡みで北上線経由になった寝台特急<あけぼの>を重連で牽いてた。
    • 豊肥本線がまだ完全に非電化だった頃、ハイパーサルーンで運転されていた特急有明(当時は「ハイパー有明」)を専用機が牽引していた事もあった。
    • 山形新幹線工事絡みで陸羽東線経由の時じゃなかったっけ?
    • ぶっちゃけ万能中型機。蒸気機関車におけるC58のような存在。登場時は旅客機関車必須の暖房用蒸気発生装置も搭載していた(後に必要のない12系・14系が主流になったので、貨物用メインに最初から搭載していないタイプも製造された)。旅客列車にも使われたが、こちらは多くが気動車化されて無くなった。
  5. 高崎所属の1705号機は茶色に白帯巻いている。
  6. 基本入れ替え用なため、運転席は正面向きではなく横向き。
    • 入れ替え中は良いけど04-2みたいに客車編成の時は運転手の首が心配…。
      • 機関士はやや斜めに座って運転してる。
  7. 老朽化進んでるのでハイブリッド機関車・HD300型に交代する予定。
    • HD300は入換用途にしか使用できないので、貨物の本線用途と旅客会社の車両が残る。
  8. 国鉄民営化時に、貨物も含むJR全社に継承された唯一の車両形式。

DF50形

  1. 四国ではDD51やDD13等が使われなかった代わりに、コイツが結構末期まで使われていた。
  2. 電気式の割にあまりスピードは出なかった。
  3. 同世代のED70とは微妙に似ている。
  4. 26号機は帯がステンレスだった。
  5. 無煙化の第一弾として投入された車両だったが、蒸気機関車を置き換えるにはあまりにも非力で持て余されてしまった。
  6. ブルートレインを牽引する機会には比較的恵まれていた。「富士」「彗星」「紀伊」を担当。
    • ただ、いずれも基本編成(7両)のみなど短編成。やはり非力だったから?
  7. 赤川鉄橋を挟む形でEH10と共に公園に保存。どちらも赤川鉄橋(城東貨物線)には縁はなかったと思うのだが。
  8. 発電用エンジンが0番台と500番台で異なる。

客車

10系

  1. 軽量構造を始めて採用し、「軽量客車」と呼ばれた。
    • 実際にはそれ以前の旧型客車と混用されたため、本形式も広い意味では旧型客車に入る。
  2. 同時期に製作された末期の旧型国電の車体は10系をベースにしている。
    • 新性能電車の車体のベースにもなっている。
  3. 寝台車、座席車(普通車、グリーン車)、食堂車、郵便車がいた。
    • 食堂車には石炭コンロを使うものと電子レンジを使うものがあった。
    • 郵便車には50系もどきの車両もあった。
  4. 北陸トンネルでの火災の原因は食堂車の石炭コンロが原因と言われていたが、実際は電気系統の火災だった。
    • そのせいで食堂車の使用は中止された。
  5. 軽量構造ゆえに腐食が早く、早くから廃車になる車両も現れた。
    • グリーン車に至っては早い時期に形式消滅。
      • 電気暖房がなかったため、早期廃車された。
    • そのせいで1世代前の43系が多く生き残っていた。
    • 寝台車はそこそこ末期まで残っていたが、設備のしショボさは否めず…。
      • 寝台車は老朽化の元凶となった下降窓を採用していたが、それでも長く使われた。
  6. 10系以前の客車には「急行形」「一般形」といった明確な区分がなかった。
    • 普通車に至っては登場時は急行で使用され、後継車が登場すると普通列車にも使用されるようになっていた。
    • 現場では「一般形」と呼ばれていたが、正式な車両区分ではなかった。

12系

  1. 電源分散方式を初めて採用した。スハフ12にディーゼル発電機搭載。
  2. 旧客(10系まで)とも混結可能。座席車が12系、寝台車が10系の混結列車もあった。
    • きたぐにに至っては普通車が12系でグリーン車が旧客という、グリーン車の方が乗り心地で劣っていた。
  3. 14系のベースになった。混結可能。
    • 実際に12系と14系の混結列車が設定されたは1980年代以降からだった。
      • それ以前は14系が特急用とされていたため、寝台車には20系の改造車が使われていた。
      • 九州では12系と24系の混結列車があった。
  4. 14系座席車が登場するまでは特急にも使われた。
  5. 国鉄末期にはジョイフルトレインや普通列車用に改造された車両も現れた。
    • 中には気動車に改造された車両までもあった。
  6. JRになってから扱いが悪くなり、廃車になる車両も多かった。オリジナルで残る車両も残り少ない。
    • 中には海外に譲渡されたものが結構いた。
  7. 実は大阪万博が登場のきっかけだった。
  8. 同時期に登場したキハ65系と設計上の共通点が多い。
  9. 何気にSL列車によく使用されているような気がする。
    • 車両の特徴上、使い勝手が非常に良いのでSL列車の使用客車としては一番重宝されている。
      • しかしながらも老朽化が深刻化しているので、各鉄道会社もこれに頭を抱えている状況。
  10. 通勤車化されたものは、乗務員室の扉が設置されたり白帯が撤去されたりしていた。こちらは短命に終わった。
  11. 各中小私鉄に譲渡されたものもあった。
    • わたらせ渓谷鐵道のトロッコ列車や秩父鉄道のSL「パレオエクスプレス」など。

14系

『富士・はやぶさ』最後の日
  1. 寝台車と座席車がいた。混結可能。
  2. 電源分散方式といって20系や24系みたいな電源車がいなかった。スハフ14とスハネフ14にディーゼル発電機搭載。
    • 北陸トンネルの大参事がトラウマになって、分散発電から電源車を用いた集中電源方式にシフトしていったというのは有名な話。
  3. デビュー順は20系→14系→24系。
    • その後24系25型→14系15型と回帰とまではいかないものの火災対策を強化した上で併結運用のため製造再開。
  4. ゴルゴム式に改造を受けて、ジョイフルトレインに生まれ変わった客車多数。
    • 中には個室寝台車に改造され、「北斗星」などに運用されている車両もある。大出世もいいとこだ。
      • その中には座席車から個室寝台車に改造された車両もある。車体はほとんど新製した。
  5. 一応特急型であるが、実際には夜行の急行列車などでよく運用されていた。
  6. B寝台を2段式寝台にした14系15形も造られたが、何故か「あかつき」にしか投入されなかった。
  7. 引退後にタイフィリピンに渡った車両もいる。
    • フィリピンへ行った車両の窓には投石対策として鉄格子が装着されていた気がする。

20系

交通科学博物館に保存されている食堂車
  1. 列車ホテル。
  2. 軽量化が図られている割には、どっしりした印象がある。
    • パンタグラフが付いている異質な感じのする電源車があったけれど、重すぎで早々にパンタの撤去と中身の改造を受けるハメになってしまった。最終的には24系に組み込まれた。
      • その重さ何と64t。中型機関車並み。
  3. 寝台急行銀河で使われていた。当時の寝台急行としては破格の設備だった。
  4. 末期には12系客車(12系のシステムに合わせ20系を改造)と連結して急行・だいせんになった。
    • 急行に転用後は「銀河」を除きヘッドマークに愛称が表示されず、単に「急行」と表示されていた。それが何か哀れだった。
  5. スタイルそのものは14系や24系と比較してもスマートだと思う。
  6. 実は手動ドア

24系

浦和駅を通過する『北斗星』(24系25形)
  1. ブルートレイン。
    • 現在残っている、カシオペアを除くブルートレインの客車は全て24系。
  2. グリーントレイン。
    • トワイライト用の24系は(青森までの)相方であるEF81もろとも深緑のオリジナル塗装に塗り替えられた。
  3. よく見ると1両背の低い車両がある。
    • 東海道線や横須賀線が113系だった頃のグリーン車に似た様なのがいたなぁ。
    • 北斗星とトワイライトの真ん中あたりに連結されている食堂車がそれ。元は481系などの特急用電車からの転用。
      • ↑たまには「なは」のレガートシート車(種車はサロ481)のことを思い出してあげてください。
  4. 金帯・銀帯・白帯。
    • どういうアレがあるのかは知らないけど、銀帯は早々に消滅。現存する北斗星とトワイライトは金帯で統一、あけぼの日本海は金と白の混編成。
      • 金帯=24系25形グレードアップ改造車。銀帯=24系25形(2段式寝台車で帯材はステンレス)。白帯=24系(3段式寝台車でオリジナル車だが2段式寝台に改造済み・帯は塗装)。もちろん混結可能。
  5. 切妻の緩急車はなんとなく見栄えが悪い。特急型なのに切妻というのが何だかしっくり来ない。
    • 切妻緩急車(オハネフ25-100)同士をつなぐと分割時に連結間隔が狭過ぎるのと方向限定せずにつなげられる車両が欲しいという理由で折妻の緩急車・オハネフ25-200も登場した。が、角度は申し訳程度。
  6. 12系や14系とは混結できないが、九州では12系から電源をもらう形で混結列車が存在した。
    • はまなすも14系と24系が混結しているが、こちらは24系に14系との混結改造を施している。ただし24系については14系に編入されていない。
  7. おでこに前照灯をつけると阪急電車の顔になりそう。

50系

朽ち果て寸前の…
  1. 旧国鉄の客車の常識を打ち破る赤系統の塗色。レッドトレイン。
  2. ○ットン便所だった。
    • 九州では末期はトイレの全面タンク式化で12系が併結されていた。
    • 「海峡」用はさすがにタンク式に改造された。
  3. 北海道用は51系。1-10番車は小型窓。車軸発電機がベルト駆動からギア駆動になった。
  4. 3社ではディーゼルカーに改造されたり、ジョイフルトレインに改造されたり。ここでは建築限界測定車になったり波乱万丈。
    • 九州の車両は冷房改造された。冷房機はここからの流用。1000番台に改番。
    • ここでも冷房改造されて、快速「海峡」に充当された。
  5. JRになってから扱いが悪くなった。そのせいで早くから廃車になった。
  6. 1980年代前半までは福知山線でも運用されていたため、大阪市内でもその姿を見ることができた。
    • 平成になっても東海道線で定期客車列車で走ってた(草津線乗り入れ運用の草津-京都)。
  7. 原型車は荷物車・郵便車が残っている。用途は控車と救援車だけどね…。
    • 真岡鉄道の車両は?塗装変わってるけど・・・
  8. 通勤用の客車であるが、なぜか「一般形」に区分された。
    • 国鉄では通勤形はロングシートと規定していたため。その一方で室内はセミクロスシートであるが、通勤形でも近郊形でもない車両であるため、一般形になった。
      • そのため、日本の客車には通勤形や近郊形がないとか。
    • 正式な意味で一般形に区分される客車は50系が唯一の存在。
      • 旧客のことを「一般形」と呼ばれることもあるが、こちらは明確な区分がなかったため、正式なものではなかった。
  9. 自動ドアという点を除けば、旧型客車に近い。

60系

  1. 木造客車を鋼製化したもの。
  2. 旧型客車の定期運用として最後まで残った。
  3. 冷房改造やリクライニングシートを装備してグリーン車に生まれ変わった車両やここからさらにお座敷車両に改造された車両も存在した。

その他の車両の噂

コキ

毎日毎日僕らはコンテナの、下敷きにされ嫌になっちゃうよ♪
  1. コンテナ輸送が主流になった昨今、文字通りコキ使われている。
  2. 昔は5tコンテナ5個積み・10tコンテナ3個積みが主流だったが、今は海上コンテナ積める車両がだんだん増えてきている。
  3. 特急「たから」号で登場したチキ5000→コキ5000は、レール運搬車としてチキ5000に戻った車輌が居る。
    • コキ350000もレール運搬車に改造された。
  4. 大体の車両に「突放禁止」って書いてある。
    • 今時、突放なんて見せてくれる乙な路線なんてあるのかな?
      • 一部の大きな貨物ターミナルで突放できなくはないけど、まずしない。コキの場合は台枠側面にハンドブレーキ(自動車のハンドルみたいな奴で黄色)付いてて急ブレーキ利かないため「突放禁止」表示がある。
      • 岳南鉄道の比奈駅ではコキ50000の突放が見られる。
        • 2012年3月に岳南鉄道の貨物列車運行が廃止されたため、この光景も過去のものに…。
  5. 解体される時の光景は地味で寂しい。

タキ

  1. 廉太郎
    • おかくらにいる従業員。
  2. ナイアガラ・ビクトリア・イグアス。那智・華厳・袋田。
  3. ひとつの編成に郡山、宇都宮、北松本、倉賀野とさまざまな所属が一緒になってる。でも倉賀野所属車が一番落書きがひどい。
  4. 私有貨車の積荷を見てるといろいろな種類があって楽しい。糖蜜やラテックスなんて面白かった。今はもう無いけどね…
    • 俺の知る限り一番変わった積載物は水飴だけど…。
    • 在日米軍所有(?)のタキもいる。安善から浜安善(廃止)の線路にいる。
      • タキ38000に置き換わってからは通常のJOTから借り入れる方式に変わってしまった。こうなってはそれを示すのはJP-8のマークのみ。
      • 最近はタキ1000に置き換えられてしまった。緑色の米タンは何だか違和感が…。
    • 食料品を運ぶタンク車もいた。タンク車に醤油や酒が積んであるのを想像すると何か変な感じ。
      • まぁ液体系なら何でも運ぶからねぇ。基本的にはガソリンやら油だけど。
  5. 関西本線(名古屋~四日市)でよく「いったりきたりすれ違い」。
  6. 液体以外のものを運ぶやつはどれも形が変。
  7. 64t積みのタキ64000は伝説的存在。
  8. 黄色いのは危険物輸送用。愛称は毒タキ。
  9. たまに廃車後のタンク体が再利用されている。そのまま液体の容器として使われることが多い。
    • 実はタンク車自体の寿命も基本的に長いものが多い。廃車になるのは主に用途廃止になったり特殊な貨物を積んでるのが原因。
      • 特にLPG専用のタンク車は寿命が短く15年程度で廃車となるが、理由は不明。
        • 高圧ガス容器の法定期限の関連と思われ。
  10. 頻繁に搭載貨物の種別変更や改番を行っていたので、殆ど図鑑に載っていない謎の車両や車歴を辿るのが難しい車両がたくさん存在した。
  11. 最近はタキ1000によって古いガソリン、石油タキは次々に廃車が進んでいる。
    • 1000両以上の大所帯だったタキ35000も2010年中に消滅。今は次に新しいタキ40000、38000、43000の廃車が進んでいる。これらが置き換わると石油系タンク車は全部タキ1000になってしまう。
  12. 走行から停車すると、中の液体が波打って車体がゆっさゆっさ揺れる。

トラ

  1. 黄色い縞々の猛獣ではない。
  2. 最終形式はトラ55000だが、JRに残ったのは何故か一つ前のトラ45000だった。
    • 小型無蓋車に関しては、木製床&木製扉のほうが使い勝手が良かったらしい。
    • 最終形式はトラ70000では?
      • 確かにそうでした。正確には嵩高貨物用トラの最終形式です。(書いた人)
  3. 丸太は模型などからチキで運ぶというイメージがあるが、実際にはこっち等で運ぶことも多かった。
  4. 年に一回ほど活躍の機会がある。荷主はここ

ホキ

バラスト散布用のホキ
  1. フィレオフィッシュの魚ではない。
  2. タンク車と並んで車種ごとの形態の差異が大きい。
  3. 実は石炭車もコイツの仲間。
    • ホキ10000は石炭専用のホッパ車。何で石炭車にならなかったんだろう。
  4. こいつで運ぶものは別に無蓋車や有蓋車で運ぶことも出来る。というか実際にそうやって運ぶこともあった。あくまで積み下ろしの利便性のためのホッパ。

活動の機会も減ったヨ太郎
まだまだお仕事はあるんだヨ!
  1. 今これを見れるのは、特大貨物位しか無いのでは……?
    • 北海道の地方にはたくさんあるよ。駅舎の代わりとして。
  2. 国鉄時代の貨物列車の最後尾に連結されていた。フラフラ走る姿から「ヨっぱらい」なんていう、あまりありがたくないあだ名があった。
    • 「ヨ」だけでは言いにくかったのか、現場では「ヨ太郎」ともいわれた。
  3. 最近見ないだけに浜松で4台ぐらい停まっているのを見かけた時は、思わず「ヨ、ヨヨ、ヨ!」と心の中で数えながらテンションが上がった。
  4. 画像のヨ8000は暖房と便所装備。ヨ6000・5000は暖房だけ。
    • ちなみに今は便所は封印されている。
    • コキフやレムフにはその頃にはトイレが付いてたのにね…
  5. 寒泣車という蔑称があったが、これは有蓋車改造のヨ2500から生まれた言葉。
  6. 貨物のヨ(orフ)を廃止したのは安全上問題があるという話もある。
    • 国鉄貨物全盛の頃からの機関士は、勾配では後ろがちゃんとついてきてるか気が気でないらしい(昔はブレーキ系のトラブルはしょっちゅうあったから)。「車掌が乗っててくれれば、前に集中できるんだけどなぁ」
  7. 昔はマッチ箱客車からの改造で小さな車両が多かったが、ヨ2000でワム級有蓋車並みの大きさに進化。ヨ5000までこの大きさが続いたが、何故かその後は縮んでいった。
  8. 国鉄では台枠の上に四角い車体を乗せた車両が多かったが私鉄ではそうでもなく、例えば東武ではヨ8000をさらに極端にしたようなでかいデッキの付いた凸型である。
  9. 国鉄末期、用途廃止になった色々な貨車の民間への払い下げが行われたが、その中で最も人気だったのが有蓋緩急車だったらしい。
    • 何故かというと車掌室部分は事務所に使え、貨物室部分は倉庫に使えてお得だから。現役時代も車掌車と有蓋車両方の役目を持ちお得な車両だった。

ワム

ブルーバージョン
  1. Last Christmas.
    • 「そろそろクリスマスの季節じゃのう」「お代官様、クリスマスと言えばコレでございますなぁ」「おぬしもワムよのう」(元ネタはコレ
  2. カブトの敵。
  3. 国鉄の車両の中で最大勢力。
  4. 春日井市ではカミのような存在。
  5. 主に倉庫として余生を送っている。元の数も多いので全国各地で見ることができる。
  6. これの連なった貨物列車が他の列車とすれ違うと扉がガチャガチャ音をたてて五月蝿い。
  7. 戦時にはワム50000という戦時設計車が登場したが、単純に全鋼製標準型有蓋車ワム23000を木製にしただけなのでさほど問題も起きず、知名度もほかの戦時設計車と比べて低い。
    • しかしこの車両、戦後は何と全面合板に改造される。木製車両の最終形態とでも言っていいような姿となった。
    • 戦時設計と云えば、ワキ700という魚雷を運ぶために作られた大型有蓋車が存在した。もちろん存在は非公式となっていた。
  8. そしてワム80000は消えた。

チキ

EF64-37に引かれるロンチキA編成
  1. レール輸送ではおなじみ。
    • というか最近はレール輸送以外ではほぼ出番が無い。
  2. 国鉄改革の時期に製作したチキ7000形は黒歴史。
  3. コンテナ車も元々はチキに分類されたが、レール輸送用にチキに戻った車両もいる。
    • JR貨物時代にもトラックとチキとの間でコンテナを荷役機械なしで運べる貨車をチキ扱いで製作したが、黒歴史に終わる。
  4. 生石灰をコンテナ輸送にするために製作された私有貨車のチキ80000は形としてはコキだが、私有が認められなくてチキ扱いで製作された。
    • 私有貨車のコキはコキ104-5000番台があるが、転用が前提なのか、こちらはコキ扱いで製作されている(現在はJR貨物所有)。
  5. 車運車の代用にもなる。
    • 車運車がなかった頃は長物車が代用されることがあった(車運車が本格的に登場したのは1960年代に入ってから。現在は現存しない)。
    • タンクローリーピギーバック輸送試験にはチキ6000形の改造車が使われたことがある。
    • 現在でも自衛隊の機材輸送にはこいつのお世話になる。
  6. マムクートプリンセス

チサ

  1. GIRL NEXT DOORのボーカル。
  2. 北海道の3軸車が有名だった。
  3. チサ9000形は表向きは長物車だが実はピギーバック輸送用の車運車。
    • 量産化に至らず黒歴史に終わったが、現在でも在籍していること自体が不思議。

  1. 乗用車を運搬するための貨車。
  2. 制御車のことではない。

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