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==国内==
*新規追加は国鉄・JRは車種別に形式が若い順に、私鉄は会社別(東から順)+形式が若い順にお願いします。
===国後・択捉島===
;南西諸島


[[画像:もし国後・択捉島が南西諸島にあったら.JPG|thumb|300px|人口多そう…]]
==国鉄・JR==
#[[沖縄]]県の面積が5倍以上になっている。
===機関車===
#*実際の5倍とまではいかなくても、人口も大幅に増えている。
====DD54形====
#*留夜別(択捉)-泊(国後)まで[[国道58号]]が整備されている。
#=欠陥がなかったらである。
#*場所にもよるが、択捉が[[鹿児島]]県に帰属している可能性もあり。
#国鉄末期まで運用されていた。
#**地図のような状況なら、九州との関係が密になるのは確か。
#DD51の製造数が減っていた。
#***同じく地図のような状況なら、鹿児島の人口が実際より100万人ほど増えている(択捉1つ分)。
#****あるいは鹿児島県の南西諸島部分が独立した県になっていた。県名は「奄美県」とかになっているだろう。
#***[[鹿児島/熊毛#種子島の噂|種子島]]に有るはずの宇宙基地も択捉に存在し、面積もえらく広大に。
#***択捉南部には沖縄返還前に大量のリゾートホテルが建設される。
#人口が実際の両島程度に少ない場合、おびただしい数の米軍基地が建設されている。
#*あるいは実際の北方領土問題同様、[[アメリカ]]との沖縄返還交渉が泥沼化している可能性も。
#**「南西諸島問題」あるいは「南方領土問題」と呼ばれている。
#*むしろ見た目は負担が減ってるかも。沖縄本島に集中してた基地が他の二島に分散するかもしれない。
#**普天間基地の移転問題は速やかに解決。
#***それどころか、普天間には基地なんて最初から建設されなかったかと。
#一方で[[北方領土]]は歯舞と色丹だけに。
#*1956年の日ソ共同宣言採択の際にさっくりと返還が実現していた。
#*『知床旅情』の歌詞が「遥か[[千島列島|ウルップ]]に…」になっている。
#**もちろん、実際に知床半島からは全く見えない。
#**または「遥か色丹に…」。
#*重要な海峡であることには変わらない。
#**ただし'''南樺太を返せ'''という意見が活発化してるかもしれない。
#*その代わりなぜか沖縄本島(みたいな島)が北方領土にある。
#両島の名前も確実に別のものになっているだろう。
#*地図を見る限り、択捉が「奄美大島」で現実の[[奄美大島]]が「奄美小島」ってとこか。
#**択捉はトカラ大島もありうる。
#*そして沖縄本島が「沖縄北島」、国後が「沖縄南島」ってとこでしょう。
#**それよりも国後が「琉球大島」とかでもいいかも。
#火山が存在してるので沖縄の観光がさらに発展する。
#*温泉とか温泉とか温泉とか。
#*温泉ガメが実在。
#先島諸島と沖縄本島の差が少なくなる。
#*ていうか本土と沖縄県の差が少なくなる。
#2009年7月の皆既日食には択捉島に大勢の人々が押し寄せる。
#*しかし、宿泊などの心配はされず、現地では観光客による経済効果を歓迎。
#*択捉各地の学校では授業を早めに切り上げ皆既日食を鑑賞する。
#島を覆うのは白樺ではなくマングローブ。
#*択捉にも屋久杉が生い茂る。
#*爺爺岳(国後)など、主要観光地の周りにはハイビスカスが咲き誇る。
#大都市があと3つくらいできてる。
#*那覇よりも泊(古釜布)のほうが大都市化し、[[政令指定都市]]に指定されている。
#もしかしたら琉球王国の国力が倍になって島津家に占領されなかったかも。
#*戦国時代には強大な海軍を保有していたのかも知れない…
#**それなりの国力がある場合、他の国と衝突する可能性が高くなると思うし。
#*琉球王朝の都の首里は那覇や南部を巻き込む大都市圏を形成する。
#**人口は軽く100万は超える。
#*琉球王国の奄美制圧も史実より少し早く、大隅諸島まで琉球王国領になっていた。
#*そもそも沖縄本島の尚氏が統一できていたかどうか怪しい。
#**国後あたりの勢力の方が強くそちらに潰されていた可能性あり。
#*各勢力の争いが長引きバラバラのまま中華帝国or西洋列強に植民地支配されていた恐れも。
#*場合によっては戦国時代の動乱が飛び火している。
#島と島の間を海底トンネルで結び、鹿児島から台北までにいたる琉球大道が建設される。
#*建設費を考慮すると今も実現していない気がする。
#代わりに、沖縄本島が千島列島に引っ越しする。
#国後島に「城」や「原(ばる)」が付く地名がある。
#トカラ列島がさらにひどい過疎化に見舞われる。
#*臥蛇島のように無人化した島がもう数か所あった。
#ハブの種類がさらに増えていた。


===奥尻島===
====EF510形====
;津軽海峡
=====500番台=====
#位置によっては青森県に属していた。
;JR東日本
#青函トンネルのルートに影響を与えていた。
#事業用車として活用された。
#*自動車トンネル構想ではここが換気塔の設置場所にされる。
#*名鉄EL120と比較される。
#江差は史実より寂れていた。
#**自社のEF60・EF64・EF65・EF81・ED75は史実より早く全廃できた。
#***一部車両のJR貨物譲渡は現実通りあった。
#*0番台の製造数がその分増えている。
#*JR東日本残存車は電車兼引用装備(連結器の双頭連結器への変更など)がされた。
#*「カシオペアクルーズ」・「カシオペア紀行」の牽引にEF64・EF81が使用されなかった。
#**SL関連列車の牽引にも使用。
#勿論2024年度事業用機関車全廃の発表はなかった。
#*キヤE195・GV-E197・E493系の導入もない。
#**DE10・DD11・DD16・DD51の置き換え用にDD200を導入していたかも(保安装置など一部機器類はEF510-500JR東日本車と同様に自社仕様)。
#*国鉄時代から使用されたバラスト輸送貨車・レール輸送貨車の代替車にEF510-500・DD200自社保有車から制御可能な引通し線が設置される(プッシュプル運転にも対応)。


===伊豆・小笠原諸島===
===電車===
;千葉県の東
====62系====
*関東の天気予報では、同じくスペース上の理由から千葉県の東に伊豆大島以南の諸島が配置されることがあります(八丈・小笠原のみのこともあり)。
#72系970番台同様に新性能化改造を受けていた。
**伊豆大島もたまに茨城の右にある。
#*115系の区分番台が増える。
#恐らく千葉県に属するだろう。
#*静岡地区の増発に回され、113系に編入していたかもしれない。その場合、119系が一時的に運用されることはなく、足を引っ張る存在になってしまうこともなかった。
#*名称は「安房諸島」もしくは「房総諸島」。
#JR化後にインバータクーラーが設置された。
#遅くとも平安時代までには日本の一部に組み込まれている。
#*新性能化改造と同時に冷房化されていたかも。
#硫黄島・沖ノ鳥島などが存在しないので、日本の経済水域は大幅に減る。
#太平洋戦争でのアメリカ軍の日本本土への侵攻ルートは「フィリピン→沖縄→南九州」の一択。


;小笠原諸島→赤道付近
====101系====
#ミクロネシア連邦に属している。
;山手線
#*州の数が増え、国旗の星もその分多くなる。
#103系の誕生が遅れていた。
#第一次大戦後やっぱり日本の統治下に。
#山手線のラインカラーはそのまま黄色になっていた。
#硫黄島の戦場化が早まった。
#そのまま201系が導入される。


;小笠原諸島→大東諸島の南
====103系====
#沖縄県に属していた。
;大和路線・おおさか東線
#*返還時期も沖縄と同時期
#2019年以降も残っていた場合、[[おおさか東線]]新大阪延伸により[[新大阪駅]]まで乗り入れる姿が見られるようになっていた。
#現実の大東諸島にあたる部分の人口は少し多かったか?
;JR東海車
#地理的にフィリピンが近くなる。
#愛知万博輸送がラストランになっていた。
#名古屋の103系の知名度が上がっていた。


===佐渡島===
====113系====
;日本海の真ん中
;東海道本線(JR東日本)
[[画像:もし佐渡島が日本海の真ん中にあったら.JPG|thumb|350px|……]]
#湘南電車という愛称はずっと消えなかった。
#[[日本海]]は巨大な洞爺湖状態。
#国鉄時代ならSM分離を境に2000番台がもっと増備され、0番台グループは房総や西日本地区に史実よりも早く転用されていた。
#佐渡島は少なくとも[[新潟]]県には属していない。
#*2000番台の一部もロングシート化されていた。
#*それどころか[[日本]]領であるかどうかも怪しい。
#211系は一応導入されたが史実よりも本数が少なかったかも。
#**[[韓国|ここ]]や[[北朝鮮|ここ]]、[[ロシア|ここ]]などが領有権を主張してくる。
#2階建てグリーン車2両の編成も増えていた。
#***そしてなぜか[[中華人民共和国|こいつら]]も絡んでくる。
#***金山があればなおさら。
#**南シナ海並みに領有権で揉めていた。
#**もしそうなったら、日本海の名前も怪しい。
#*日本領の場合、新潟ではなく[[石川]]に属していそう…。
#**佐渡汽船の航路に[[舞鶴市|舞鶴]]・[[敦賀市|敦賀]]・[[金沢市|金沢]]-小木が加わっている。
#**現実世界でも言葉はむしろ石川系なのだが、こっちの世界では八丈島や沖縄並に隔絶した言葉になっているかも知れない。
#***海外では独立言語「佐渡語」として扱われている。
#**小笠原諸島が東京都に属しているように、佐渡も[[京都|京都府]]に属していた。
#佐渡空港は3000m級の滑走路を備えている。
#*一方で佐渡汽船はカーフェリーのみを運行、ジェットフォイルは就航していない。
#*新潟や小松からだけではなく、[[羽田空港|羽田]]or[[大阪国際空港|伊丹]]からの定期便も存在。
#**後に能登空港との定期便も登場する。
#封建時代の流刑は事実上の「死刑」扱いだっただろう。
#*日蓮上人なども無事に辿り着けていたかどうか怪しい。
#**無事に到着したとしても、今度は本土への帰還が命がけ。
#*佐渡の代わりに[[島根/隠岐|隠岐]]に流される人物が増えていたかもしれない。
#大和堆が佐渡堆になる。
#*ちゃんと島があるのでそういう呼称は付かないかもしれない。
#渤海使が行き来していたので、発見は奈良時代以前になるはず。
#第二次世界大戦後、[[アメリカ]]が占領するのは[[沖縄]]ではなく佐渡。
#*東西冷戦時に大量の基地が建設され、巨大軍事要塞化している。
#**もしかしたら島民を全員本土に追放して島ごと佐渡基地にしたかもしれない。
#*間違いなく核兵器も持ち込んでいる。
#特急・[[上越新幹線]]「とき」、急行「佐渡」は別の愛称になっていた。
#*急行「きたぐに」のヘッドマークに佐渡おけさは描かれない。
#*大阪・京都から天橋立・豊岡方面に向かう急行・特急が「佐渡」を名乗っていた。
#「日本海夕日コンサート」は、文字通り'''日本海の水平線に沈む夕日を眺めながら聴く'''コンサートになっている。
#日露戦争の激戦区になった可能性が高い。
#佐渡市は現実以上に寂れているか、あるいは交通の要衝として現実以上に発展しているかのどちらか。
#*少なくとも日本海航路の中継基地としての機能は備えている。
#*更にハブ空港としての機能も備えている。
#*もしくは屋久島のように自然の島となり観光名所となっている。
#**固有種となる生物もたくさん生息しているに違いない。
#[[明治時代|明治]]以前、佐渡への航海は命がけだった。
#*[[江戸時代]]にほとんど金の採掘が行われないため、21世紀現在も佐渡金山は健在。
#**金の採掘が行われている場合、天領になっているのは[[新潟/中越#出雲崎町の噂|出雲崎]]ではなく[[輪島市|輪島]]。
#[[新潟市]]が豪雪地帯と化す。
#*中心部の中央区辺りはさすがに海岸付近だしそこまで変わらないと思う。でも新津辺りは高田くらい、長岡辺りは新井くらいの豪雪地になりそう。
#そして何より世界的にも有名な島になっている。
#*人間が住むには色々不便なため人が少なく、自然の要塞になっている。
#**知床と同時に世界遺産に登録されている。
#独自の文化を持っており、現実の[[台湾]]のように独立を主張している。
#[[舞鶴市]]・[[宮津市]]・[[豊岡市]]が佐渡への玄関口として発展していた。


;バミューダトライアングルの真ん中
;横須賀線・総武線快速
[[画像:佐渡島inバミューダトライアングル.png|thumb|250px|カリブ海に浮かぶ佐渡島]]
#2階建てグリーン車連結編成に統一されていたかも。
#おそらくバハマ領。
#ATOS導入後も普通に営業についていた。
#船でも飛行機でもいけない謎の島とされる。
#ひょっとしたら東海道本線よりも長く生き延びていたかも。
#*とか言われながら普通にアメリカなどからの直行便が就航している。
#*東海道線にいたものが新車導入が史実よりも早く全て房総に移っていた。
<br style="clear:both;" />
#E217系との営業列車での併結運転が実現していたかもしれない。
#1500番台を置き換えはE231系によって行われていた。


;地中海の南仏プロヴァンス沖
;成田線(我孫子支線)
#サド侯爵のお城がある。
#日中の常磐線乗り入れは史実ほど増えなかった。
#*金山をめぐる利権から、セックススキャンダルを仕込まれて投獄される。すなわち、サド侯爵は無実。
#他の房総各線と同時期に211系や209系に置き換えられた。
#*獄中でエロ小説を書きまくったせいで、誰もが無実だと思ってくれない。
#日本領のままの場合、豊臣政権以後に反カソリックとなった日本が、地中海に飛び地を持っている時点で、地中海がドッタンバッタン大騒ぎになる。
#*サド侯爵が逮捕されたことで、幕末期の日仏関係に多大な影響が生じる。
#フランスは史実ほど新大陸開発を熱心に進めていない。


;太平洋沖
;東海道本線(静岡地区)
*経度のみ同じの場合
#JR西日本を見習って延命工事をしていた。
[[画像:IF佐渡島_緯度のみ移動.png‎|thumb|250px|駿河湾沖に浮かぶ]]
#*一部は313系に準じた車内に改装されていた。
#帰属は静岡。
#**体質改善の際にロングシートに改装されていたかも。
#*静岡が離島を持つため、伊豆諸島が静岡と間違われる例がさらに増えていた。
#313系と同じドアチャイムが後付された。
#御前崎港から船が出ていた。
#*国道362号は静岡~御前崎~両津間の国道だった。
#**この場合、史実の国道350~362号は番号が一つずれる。
#*下田からも航路ができ、伊豆観光のメインルートの一つに組み込まれていた。
#場所が場所だけに雪とはほぼ無縁の島になっていた。
#佐渡空港はFDAが何とか存続させようとする。
<br style="clear:both;" />


*緯度のみ同じの場合
;関西本線・奈良線
[[画像:IF佐渡島 経度のみ移動.png|thumb|250px|違和感があるよなないような・・]]
#0'番台、2000番台が春日色になって更に高速化されて車番に+5000を追加されていた。
#帰属は果たして宮城なのか福島なのか・・・
#*史実では存在しなかった春日色+鉄仮面の先頭車が出現した。
#*バランス的に宮城に分があるが。
#2000番台の9割は体質改善工事が施工され、その際にカフェオレ色になっていた。
#仙台港・相馬港から船が出ていた。
#単色化の際に春日色から抹茶色に塗り替えられていた。
#電力会社の管轄が東北電力なのは現実と変わらない。
#奈良線で複線化事業の際に、本形式も103系と共に騒音の原因であるとして速やかな置き換えを環境省から命令されていた。
#*ただし周波数は50Hz
#*故に103系同様に複線化完了より前に引退は迫られていたかも。
#松尾芭蕉が松島と佐渡島をまとめて一つの俳句で詠む。
#小木から仙台空港まで高速船が就航していた。
<br style="clear:both;" />
===淡路島===
;和歌山県と徳島県の間
[[画像:淡路島南下.png|thumb|250PX|窮屈な感じ]]
#本四連絡橋は和歌山市と徳島市の間に造られた。
#*このルートに鉄道が通っていた場合、JRではなく[[南海電気鉄道|南海]]の路線となっていた。
#**JRは南紀方面の輸送もあり余裕がないため。
#**[[新大阪駅]]への連絡のためなにわ筋線も同時に開通する。
#***徳島方面への特急は新大阪発着となり、JRと直通の切符も発売される。
#和歌山市と徳島市の関係は現実の岡山市と高松市のような関係となっていた。
#和歌山市は四国への玄関口として現実よりも発展し、人口が50万人を超えていた。
#*海南市や岩出市・紀の川市などを合併し政令指定都市になっていたかもしれない。
#淡路島は兵庫県ではなく大阪府・和歌山県・徳島県のいずれかになっていた。
;日本海側にあったら
#淡路海峡の幅によるが、福良あたりが発展していた。
#*福良〜香住間のフェリーが航行していた。
#淡路島に市はできなかった。


===竹島===
;福知山線
*「○○国近海→○○国も領有権争いに加わる」などという書き込みは、当たり前すぎて妙味に欠けるのでやめましょう。
#新福知山色の800番台も魔緑に塗り替えられてしまった。
;対馬海峡
#東水道なら問題ないが西水道側なら変わらない。
#日韓トンネル開通後は東京湾アクアラインの風の塔みたいな感じに。
#場合によっては[[済州島]]も巻き込む。
#*済州島は有人島なので住民の帰属意識も絡むため別問題になるのでは。
#九州と朝鮮半島を結ぶ航路上になると思われるため古代の祭祀遺跡が残されている。
#日本海海戦の際にはバルチック艦隊迎撃の目安としても役立った。


;三河湾
====165系・167系・169系====
#現にある[[蒲郡市|竹島]]との間で本家騒動が起こる。
;全般
#*どちらか一方は別の名前になっていると思う。
#直流急行型電車の全廃は遅く2010年代中頃まであった。
#大きさが大きさなので名鉄グループも開発できず。
#ハロウィン電車には165系湘南色が使われた。


;琵琶湖
;JR東日本車
#[[琵琶湖#竹生島の噂|竹生島]]から「生」を抜いた表記なので、死んだ竹島、と言われる。
#2007年のJR東日本20周年の時にもリバイバル急行が走っていた。
#*竹死島?
#*183系ととも臨時用に活躍。
#[[琵琶湖#多景島の噂|多景島]](たけしま・たけいしま)と比べて景観的に見るべきものがないので、殺風景な竹島、と言われる。
#**全廃は2013年ごろ。
#南部にあったら近江八景に含まれていた可能性あり。
#しなの鉄道の169系との連結もあった。


;宮城県沖
;JR東海車
#松島と合わせて「松竹群島」と呼ばれる。
#全廃は快速ムーンライトながらの定期運転終了と同時。
#*さらに、松島の一つに梅を植林して梅島と改称させることで、「松竹梅群島」を名乗る。
#*快速ムーンライトながらに91・92号は登場しなかった。
#*島の大きさを考慮すると特別扱いはされなかったのでは。
#江戸時代に伊達氏の手で要塞化。
#松尾芭蕉の俳句が変わっていた。


;東京湾
;JR西日本車
#[[東京/港区#竹芝桟橋の噂|竹芝桟橋]]を拡張することで竹島桟橋が作られ、歩いて渡れるようにされる。
#全廃は2018年の阪和線の新車導入時。
#位置によってはどこかの海堡の代わりに要塞化されていた。
#福知山線事故後は新車が出るまでの輸送力増強編成に使われた。
#江戸時代には漁師たちの間で良い漁場として知られていた。
#一部はJR西日本色になり後に単色になる。
#*島に恵比寿か何かを祀る祠が存在していた。
#宮原車の場合、ちくま・くろよんの運転終了が史実より遅かった。
#万一位置が浦賀水道の真ん中だったら海上交通にとって相当な邪魔になっている。
#*高度成長期に撤去計画が立案されるも実現せず。


;駿河湾
====157系====
#駿河湾はそんなに深くなかった。
#下降窓の保守がしっかりしていたらこうなっていた。
#駿河湾フェリーはこの島の近くに寄り、竹島と富士山の絶景的な感じで案内していたかもしれない。
#*同じく下降窓を採用している阪急や近鉄の電車と比べられることはなかった。
#*205系まで下降窓導入が途絶えることはない。
#*急行型のグリーン車の窓の2段窓化もなかった。
#185系が登場するまで活躍していた。
#*185系は最初から回転クロスシートを採用していた。よって、「最悪の特急」と揶揄されることはなかった。
#「あまぎ」に183系が導入されることはなかった。
#クロ157形は157系全廃後は最初から185系に組み込まれていた。
#保存車両が存在していたかもしれない。
#一部の先頭車は前照灯がシールドビーム化された。


;隠岐水道
====201系====
#現実同様にかなり豊かな漁場だと思われる。
;青梅線・五日市線
#隠岐汽船に「フェリーたけしま」という船が存在していた。
#四季彩以外も生き残っていた。
#もちろん国家間の領土問題になどなりようがない。
#四季彩の部品交換は中央線の廃車発生品を流用しての対応がなされた。
#*ただし漁業権絡みで島根と鳥取の係争地になった可能性はある。
#将来の置き換えはE233系の新車導入ではなくE231系の転属の措置に。
#隠岐に流される途中の高貴な罪人が一休みしたという伝承が残されている。


;小笠原諸島
====205系====
#本土での存在感は皆無に等しかった。
;山手線
#*特に聟島列島(有人島なし)に属している場合。
#鉄オタから国鉄山手線と揶揄されていた。
#有史以来人間が居住したことはない。
#*JR時代に作られた車両の方が多いためそのように言う鉄オタを揶揄する鉄オタも出現していた。
#6ドア車のモニターも撤去されることなく続いていた。
;埼京線
#相鉄線直通に伴い2018年末〜2019年頃にVVVFに改造されていた。
#*内装もリニューアルし日光線のようなLCDがつけられていた。
#*リニューアルに伴い自動放送もつけられていた。
#*JR東日本は大規模リニューアルに消極的だからどうだろうか。VVVFが関の山じゃないかと。
#6ドア車は最後まで残るかどうかは微妙。


;北緯38度以北の日本海
====209系====
#展開次第では北朝鮮が実効支配していた。
=====0番台=====
#*工作船用の不審な桟橋などが設置されていた。
;京浜東北線
#*近年は脱北対策としてこの付近で操業する漁船の監視が異常に厳しい。
#6ドア車はしぶとく残った。
#*この場合実効支配を誇示するために、金日成像が建てられている。
#自動放送装置が後付された。
#*日本と北朝鮮の関係が史実以上に悪くなっていた(これ以上どう悪くなるんだって気もするが)。
#行先表示器のLED化も施工された。
#*下手すると核実験場になって吹っ飛ぶとか…
#座席のクッションの交換も行われていた。
#南北の最前線になるはずなので現実のように韓国が占拠している場合でもとても観光ツアーの目的地になど使えなかった。
#韓国or北朝鮮が実効支配している場合はどちらのケースでも江原道所属ということにされている。


===南西諸島===
;南武線
;日本列島の北西
#E233系の置き換え対象にはならなかった。
[[画像:離島移転.png|thumb|前提として、朝鮮半島は存在しません。]]
#*8500番台は登場せず。
[[画像:離島移転隔絶.png|thumb|日本列島と離島とを隔てる「壁」]]
#自動放送装置の設置対象にもなっていた。
天気予報ではスペースの都合上、よく大隅諸島を除く南西諸島が日本列島の北西に、小笠原諸島が伊豆諸島の東に配置されます。もしこれらの離島が本当にこの位置にあったら?<br>地図はNHKを参考にしております。
#宮古列島や八重山列島は中国領。トカラ列島はロシア領。
#*むしろこれらの島々が「朝鮮」か「大韓帝国」を名乗っていた。
#日清戦争・日露戦争では日本海(?)に浮かぶ島々の奪い合いが起こった。
#*日清・日露戦争がおきるとしたら、その原因はこの島々がロシアの最前線になるのを日本が恐れたため。
#*所詮小さな島なので、史実の日清戦争が起こるタイミングで既に全てロシア領になっていたかも。大東諸島は微妙だけど。
#*バルチック艦隊の目的地はウラジオストクではなくこの島だったかもしれない。
#北京条約で外満洲ともどもロシアに割譲された。
#古代には遣渤海使の中継地点として大いに役立った。
#*もう少し時代が下ると史実の琉球王国同様に中継貿易で栄えた。
#琉球を介した貿易ができなくなるため薩摩藩が豊かになるのが遅れた。
#*肥前藩が琉球を支配した。
#**むしろ加賀藩か鳥取藩か松江藩か長州藩か福岡藩の何れかだったかも。
#*気候的に砂糖の生産ができないので史実の薩摩藩並みに力をつけることはなかった。
#戦前に存在した東京-新京の航空便は那覇経由で運航されていた。
#ソ連参戦のタイミングで米軍も沖縄に上陸し、その後朝鮮戦争の代わりに沖縄で戦争が起きる。
#現実の南西諸島の位置に[[もしあの半島が○○だったら#朝鮮半島|朝鮮が島として存在していた]]かもしれない。


;もし「壁」があったら
=====500番台=====
天気予報に描かれているのと同じように「壁」があったら?
;京浜東北線
*壁に関しては人工島や防波堤ではなく天然の陸地であるとします。
#209系0番台がE233系1000番台に置き換えられた時点で自動放送装置が設置されていた。
#排他的経済水域で揉めることはない。
#*2013年ごろに中央総武緩行線所属車両共々更新工事が行われていた。
#壁の反対側にある沖縄は独自の文明→清→ロシアかな?
#E233系5000番台の製造分が増えていた。
#地形の発生原因は海嶺か。
#*現在京葉線に一編成だけ残っている209系500番台の代わりにE331系が現存…は流石にないか。
#壁の領土が気になる。
#武蔵野線の増発用としてE233系が新製投入されていたかもしれない。


====沖縄本島====
====253系====
;太平洋の真ん中
#183系や185系を置き換えていた。
#沖縄は日本ではないだろう。
#*踊り子にも導入されたら、平成の185系と揶揄されていたかもしれない。
#*移動した場所次第だけどアメリカ領になってるんじゃないか。
#「あかぎ」に転用されていた。
#航路はないだろう。
#*したがって、あかぎに651系は投入されなかった。
#*だから飛行機
#そのうち大修繕により255系と同様IGBT-VVVF換装され、しばらく故障と戦う日々を過ごしていた。
#なんかわびしい。
#小田急10000形の長野電鉄譲渡車が増えていた。
#太平洋戦争では戦地となるが、1943年あたりですでにアメリカ側に。


==海外==
====E331系====
*ある程度地域別になるようにしてください。
#増備はかなわずとも今もひっそり京葉線で余生を過ごしている。
===グレートブリテン島===
#*209系500番台は完全に武蔵野線へ転用されていた。
;東シナ海の中
#故障が少なければ最低でもこうなっていた。
#東シナ海がブリテン海になっている。
#*経済の低迷さえなければ修理に着手することができていた。
#ブリテン王国は中華王朝の朝貢国になり、中国の影響を受けていた。
#遣唐使や遣明船はグレートブリテン島北岸を経由していた。
#むしろこっちが琉球or日本と呼ばれていた。
#上海はグレートブリテン島への貿易拠点として発展していた。
#*長江下流域はグレートブリテン島との関わりが深い。
#*リバプールやグラスゴーは中国との貿易港として発展していた。
#**もしかしたらブリテン王国の首都はリバプールかグラスゴーになっていたかも。
#中国最大の貿易港は青島か連雲港に。
#中世には倭寇の拠点となっていた。
#近代以降には朝鮮や台湾同様に日本領になっていた。
#気候も温暖な事から人口は1億人を超えていた。
#*稲作が盛んになっている。


===ハワイ諸島===
====E351系====
;北米大陸の隣
#E353系電車は登場しなかったかもしくは、E257系電車を置き換えるために製造されていた。
#そのまま西に位置をずらした場合、メキシコ領になっている。
#*登場した場合、E351系電車は特急「あずさ」、「かいじ」、「富士回遊」、「はちおうじ」、「おうめ」で運用されていた。
#*アカプルコよりは北だが、史実同様リゾート地としてそれなりに栄える。但しハワイ独自の文化は生まれない。
#*バハ・カルフォルニア半島の南に位置する事から、アメリカ西海岸の都市からの直行便も多く就航する。
#日系人よりもスペイン系の住民が多く在住していた。


===タスマニア島===
====785系NE1~5編成====
;伊豆半島の南
#さすがに3両編成に短縮して、史実で711系から気動車に置き換えられた室蘭本線室蘭~苫小牧間の普通列車用に転用されていた。
#タスマニアデビルやウォンバットはそもそも存在しない。
#*編成短縮がされなければ、789系1000番台の予備車となっていた。
#*ポプテピピック2話の1回目のボブネミミッミに登場する動物が変わっていた。
#*むしろNE501・502編成が格下げ転用されており、撤去された運転台を復活させていた(こちらの方が編成を分けやすいため)。
#「もともと同じ島だったが南北に分裂→北側だけが本州にぶつかり伊豆半島が成立」と言う流れになっている。
#*気動車が捻出されるので一般形気動車の老朽化による不足は起きなかった。
#*いずれタスマニア島も本州にぶつかる事になるが、数百~千万年程度の気の遠くなるような長さが必要になる。
#**この場合、キハ143形は他の非電化区間中心の運用に就いていた可能性もあった。
#ここが伊豆大島を名乗っていた可能性もある。
#「旭山動物園号」に改造されていた可能性もある。


[[カテゴリ:もしも地球儀|りとうかへつのはしよ]]
===気動車===
====キハ01系====
#それでもワンマン運転は実現しなかった。
#特定地方交通線廃止時まで使われていた。
#国鉄の気動車がレールバス主体になったかは微妙。
 
====キハ58系====
#ワンマン対応車が増えた。
#*西日本では急行形で唯一体質改善工事が行われていた。
 
====キハ110系300番台====
キハ110系300番台は「秋田リレー」用として廃止後は格下げされることを前提に製造されましたが、もし、格下げ改造されなかったら?
#「陸中」に転用されていた。
#*と同時に特急に格上げされていた。
#**JR東日本が地方交通線を主体とする特急の制定に意欲的だったらあり得た。
#**快速「はまゆり」に格下げされることはなかった。
#*JR東日本は非電化特急が育たないといわれることもなかった。
#*捻出した0番台は普通列車に転用され、キハ52・58系の置き換えに回していた。
#**盛岡地区の冷房化が遅れることもなかった。
#*「よねしろ」にも本形式が転用されており、同時に特急化していた。
#**ターゲットが通勤利用なので急行のままか定期券での利用もできるようにしていた。
#史実の転用先である飯山線には新車で置き換えていた。
#引退まで特急用で使うつもりだったら、窓割りの構造が若干変わっていた。
 
====キハ130形====
#キハ40系に置き換えられる異例の事態はなかった。
#キハ40系の老朽化は問題にならなかった。
<!--#香椎線からキハ200・220が撤退することもなかった。
#*JR北海道の車両なので関係ないと思うが。-->
 
====キサロハ182形550番代====
#「はまなす」に転用され、客車に改造されていた。
#一貫して特急専用で使用された場合は「オホーツク」あたりに転用されていた。
#*普通車個室は座席車に改造されていた。
 
===客車===
====50系====
;JRで長く使われていたら
#保線コストは高まっていた。
#筑豊線以外でも冷房化、内燃発電機搭載はされていた。
#電車、気動車化されても状態の良いものが残っていれば12系同様にSL列車の客車としても再活用されていた(こちらは当然レッドトレインのままで)。
#12系と14系座席車の多くは大規模更新を受け,長期にわたり活躍できた。
#運用の効率化を図る為にプッシュプル運転が導入され、運転台付きの改造車が登場していた
 
==私鉄==
===秩父鉄道===
====2000系====
#編成の長さからラッシュ時の運用に重宝していた。
#冷房化くらいはされていた。
#7500系導入と同時期に置き換えられていた。
 
===東武鉄道===
====1700系====
1720系と同種の車体に載せ替えられなかったら?
#5700系を置き換えていた。
#快速急行だいや・おじかの運用についていた。
#*遜色急行扱いされることはなかった。
#200系は7編成、250系は3編成の陣容となっていた。
#*250系は当初から完全新造車として計画されていた。
#*いや、1700系も機器は1720系と同じだからこれは史実と変わらないかも。
 
====1800系通勤転用車====
#館林地区のワンマン化が行われていなければこうなっていた。
#*800、850系は存在しなかった。
#2010年代まで活躍していた。
#*時期によっては20400型が館林地区にも投入されていたかも。
 
====2000・2080系====
#最終増備車くらいは生き残っていた。
#2080系への改造数も増えていた。
#2000系も他の鋼製通勤車と同じカラーリングに変更されていた。
#短編成化の上、支線に転用されていた。
#*3000系の置き換えに回していた。
#*その際下記の上毛電気鉄道譲渡が実現したかも。冷房化も下記のように。東武本体で2010年代前半まで現役かも。
#2000系は8000系と同様に前面も改修されていた。
#上毛電気鉄道には2000系が譲渡された。車内外のスペースの制約から,冷房装置は連結面に設置された(福島交通7000系と同じ)。
#*↑は2010年代後半まで現役かも。その置き換え用に10000系2両編成が譲渡される。京王3000系は入線しない。
#3000系列・5000系列は1990年代に全廃できた。
 
===西武鉄道===
====旧101系====
#9000系は登場しなかった。
#*10000系はVVVFインバータ制御で新造されていた(発電ブレーキ付)。
#LED行先表示器搭載編成も登場。
#末期は各駅停車専用車両になった。
#分散冷房車もまだ生きていたかも。
#*あるいは171〜181F全編成が175F、177Fのスタイルに改造されていたかも。
#**客ドア交換(3000系タイプへ)はそのグループにも施されていた。
#多摩湖線の351系の引退も早まっていたかも。
#黄色一色化は史実通り行われた。
 
===東京都交通局===
====8000系====
#「=都電全廃の構想が存在しなかったら」。
#それでも車体更新は避けられなかったと見られる。
#7500系の引退が早まっていた。
#*そもそも製造されてなかったのでは?。8000形の改善版の様な車両なので。
 
====10-300R形====
#先頭車は車齢が若いので老朽化した中間車は代替新製されていた。
#10両編成化されていた。
 
===京成電鉄===
====AE形(初代)====
#AE100形の製造数が減っていた。
#3400形は登場しなかった。
#2代目AE形の登場と同時期に置き換えられていた。
 
====AE100形====
#都が難色を示していなかったら都営地下鉄乗り入れが実現していた。
#シティライナーは廃止されなかった。
 
===東京急行電鉄===
====デハ200形====
#それでも玉川線・砧線廃止時に一部車両は廃車された。
#代わりにデハ70形の一部車両が玉川線・砧線廃止時に廃車されていた。
#塗装が緑一色になるため愛称が「ピーマン」あたりに変わっていた。
#*屋根に付いていた標識灯も撤去されるためよりそれっぽい顔つきになっていた。
#**青ガエルミニの方がありそう。
#鉄道ファン団体などによる貸し切り運転ではこの形式が指名されることも多かった。
#特殊な構造が災いし300系登場までは生き延びられなかったと思われる。
#*最後まで運用されていた編成は引退間際にデビュー当時のツートンカラーに戻されていた。
 
====9000系====
現役車両ですが、東横線に残留し続けていたら?
#副都心線に乗り入れない運用についていた。
#*サークルKステッカーならぬサークルFステッカーが張られていた。
#*どちらにせよ相鉄直通開始までには2020系の東横線版(4020系?)によって置き換えられていた。
#大井町線への転出に際して持て余した中間車に廃車が出ることはなかった。
#*よって、8090系が玉突きで廃車になることもなかった。
#5050系の製造数が減っていた。
#*その分、5000系は当初の予定通りの本数で製造されていた。
#そもそも、東急は東横線の車種統一に力を入れていなかったらこうなっていた。
 
===小田急電鉄===
====2320形====
*通勤車への改造がなかったら?
#準特急廃止後もそのままの形で急行に転用されていた。
#*箱根湯本行き急行にはこの形式が使われていた。
#2400形は2ドアクロスシートで製造されていた。
#*史実における東武6000/6050系のような存在になっていた。
#いずれにしろ、ラッシュ時には不向きな構造なので1980年代に入ると淘汰の対象になっていた。
#*多摩線で余生を送ったかも。
#*むしろセミクロスシートのまま富士急行に譲渡され、5000系と比較されていた。
 
===長野電鉄===
====10系====
#=木島線が廃止されなかったらである。
#冷房化、ワンマン化くらいはされていた。
 
===名古屋鉄道===
====8800系====
#リニューアルが行われた。
#座れる通勤電車がブームになると松井玲奈氏が「日本一豪華な座れる通勤電車」と言っていた。
#ほかの編成が一部特別車になる中で異彩を放っていた。
#名鉄の特急政策の見直しが行われるとデラックス料金が復活。
#*内装も登場時以上に豪華になった。
 
====1000系全車特別車編成・1600系====
#=特急政策の見直しがなかったら、である。
#当然、5000系(2代目)と1700系は存在しない。
#*5000系が登場しない代わりに3300系が更に増備されていた。
#西尾線や津島線では今でも昼間も特急が走っている。勿論全車特別車で。
#*犬山線や河和、知多新線の特急も今も多くが全車特別車。
#輸送力増強のために1600系は4両に増結されていたかも。
#1000系は2015年頃よりリニューアルが始まっていた。
#*内外装は1200系と同様のものになっていた。
 
====3700系 (初代)====
#名鉄の通勤型車両は20m4ドアが主流になっていた。
#当車両がはいれるよう改良工事が行われた事により、キハ8000は国鉄と規格を合わせることができた。
#100・200・300系の車両番号が大きく違う。
 
====7000系====
#かつての3400系(いもむし)のように動態保存車両として1編成だけ残されていた。
#*できるだけ登場当初の姿に近づける復元が行われていた。
#*基本的にはフェニックスエンブレムを掲出して走行するが、たまに逆さ富士行き先表示器を取り付けたりその上で白帯を巻いたりしていた。
#本線で運転される機会は多くなかった。
#*津島線や広見線、各務原線が主な運用線区となっていたか。
#*運行は土休日や長期休暇期が中心となる。
#場合によっては往年のミュージックホーンを鳴らすこともあった。
 
===近畿日本鉄道===
====3000系====
#恐らく[[もしあの鉄道車両が実用化されていたら/関西私鉄#3000系界磁位相制御車改造|界磁位相制御車に改造されていた。]]
#*あるいはVVVF制御に改造されていた。
#8000系列と完全に共通運用となり、奈良線への入線も果たしていた。
 
====10100系====
#30000系は登場しなかった。
#アーバンライナー登場とともに置き換えられていた。
#*したがって、アーバンライナーに2階建て車両が連結されていた。
#2000系は完全新造車だった。
#1980年代初頭にリクライニングシート化などのリニューアル工事が行われていた。
#*同時に前面・側面の行先表示器取り付けも行われている。
#*冷房装置も先頭車はサニーカーと同じものが屋根上に設置され、2階建て中間車の冷房も高性能で小型軽量のものに交換されていた。
 
====18000系====
#さすがに高性能化改造くらいはされていた。
#18400系とともに廃車となっていた。
 
===京阪電気鉄道===
====1800系(初代)====
*1800系(2代)への改造がなかったら
#昇圧直前まで使用されていた。
#*昇圧で6000系に置き換えられていた。
#**その分6000系の製造両数が増えていた。逆に2600系30番台は減っていた。
 
====1800系(2代)====
#1900系と同時期に冷房改造されていた。
#*1900系・2200系と同じく制御装置の1M8C化などの改造が行われていた。
#最終的には7連×2本に編成替えされている。
#廃車は2000年代になってからだった。
#*代替車両として[[もしあの鉄道車両が実用化されていたら/関西私鉄#10000系7両編成|これ]]が実現していた。
#6000系の製造両数が2編成減っていた。
#*京阪におけるVVVF車の導入が少し遅れていた。
#*6000系顔の7000系や7000系顔の6000系は登場しなかった。
 
====3000系(初代)====
*8000系導入後も継続使用される予定でした。
#流石に見劣りは否めないので大規模な更新工事が行われていた。
#富山地方鉄道、大井川鉄道への譲渡車はなかった。
#*富山地鉄へは阪急2800系が譲渡されていた。
#2008年まで使用され、今頃は2代目3000系に置き換えられていた。
#*2代目3000系はむしろ、特急用として製造された。したがって快速急行には9000系が充てられていた。
 
====9000系====
*現役車両ですが、ロングシート改造がなかったら?
#快速急行に充当されていた。
#2代目3000系は導入されなかった。
#*13000系が2008年頃導入される。
#一部の車両が10000系に編入されることはなかった。
#中之島線開通に伴う塗装変更ではこの車両は青系の塗装になっていた。
 
===阪急電鉄===
====2800系====
#前面・側面の電動式方向幕取り付けや車体内外の更新工事が行われていた。
#*特に前面は6000系と同タイプになっていた。
#**電気式ブレーキがこの際導入。2000系列・2300系以降の更新工事で導入される。車番変更は避けられない筈。
#***完全に中間車化された車もある。
#2300系と同じく界磁チョッパ制御に更新されていた。
#2300系の引退が早まっていた。
#*2300系更新車の数が少ない。
#富山地鉄への譲渡話は出なかった。
#*1990年頃に引退が進めば実現したかもしれない。
#格下げ改造がなかったら6300系は登場しなかった。
#*6300系は6000系同様の車内外で登場した。6330系ではなく,7300系8両編成が1編成多く製造された。
#**↑走行機器は別会社製。
#8300系登場とともに置き換えられ、8300系はオール転換クロスシートで製造されていた。
#**8000系転換クロスシート車も現実以上に造られた。8300系列のオールロングシート車両はそれでも存在か。
#2001年頃に引退していた可能性が高い。
#*1980年代のうちに定期特急運用から外れたであろう。
#6300系電車と同様に嵐山線で運用されていた。
#*そうならず廃車になった車も多い。1990年頃に引退が進めば。
#*その代わりに、京都線・千里線では、史実よりも早く7両編成or8両編成で運行されていた。
#**1990年頃に京都本線・千里線の普通車の8両運転が開始される。優等列車の10両編成の本数は現実より多い。
 
====5200系====
#前面が6000系と同タイプに改造されていた。
#3000系の引退は史実より早かった。
#21世紀になって5000系と同様のリニューアル工事が行われていた。
#能勢電鉄に譲渡されていた可能性もある。
 
====6300系(6330F)====
#「京とれいん」にはこの編成が改造されていた。
#*7300系と同性能なので、最高115km/h運転も可能になっていた。
#*それでも余剰となった中間車2両は京とれいんへの改造と同時に廃車されていた。
#もしかしたら、「京とれいん」の2編成目として、史実より早く導入されていた可能性もある。(実史では、7000系から捻出)
 
===阪神電鉄===
====3801・3901形(第1編成)====
#=脱線事故がなかったらである。
#8701・8801・8901形がもう1本登場していた。
#*7890・7990形電車は登場しなかった。
#*電動車が不足するので、一部のTc車が中間車化と同時に電装化されていた。場合によってはVVVFインバータ制御の試作車となっていたかも。
 
===南海電気鉄道===
====20000系電車====
*当初は更新工事を実施して、延命を行う予定でしたが、30000系電車の新造により、断念しました。
#3000系電車の登場は史実通りだが、予備車として、臨時列車や30000系電車が定期検査を受けているときに運行されていた。
#1999年に31000系電車の登場を機に廃車となっていたか。
#みさき公園に設置されることはなかった。
 
===西日本鉄道===
====8000形====
#2020年代に入って有料座席指定列車に充当される計画が出ていた。
#2010年代に入ってリニューアル工事が行われていた。
 
[[カテゴリ:歴史のif検討委員会 鉄道史|あのてつとうしやりようかもつとなかくつかわれていたら]]
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2021年3月1日 (月) 12:23時点における版

  • 新規追加は国鉄・JRは車種別に形式が若い順に、私鉄は会社別(東から順)+形式が若い順にお願いします。

国鉄・JR

機関車

DD54形

  1. =欠陥がなかったらである。
  2. 国鉄末期まで運用されていた。
  3. DD51の製造数が減っていた。

EF510形

500番台
JR東日本
  1. 事業用車として活用された。
    • 名鉄EL120と比較される。
      • 自社のEF60・EF64・EF65・EF81・ED75は史実より早く全廃できた。
        • 一部車両のJR貨物譲渡は現実通りあった。
    • 0番台の製造数がその分増えている。
    • JR東日本残存車は電車兼引用装備(連結器の双頭連結器への変更など)がされた。
    • 「カシオペアクルーズ」・「カシオペア紀行」の牽引にEF64・EF81が使用されなかった。
      • SL関連列車の牽引にも使用。
  2. 勿論2024年度事業用機関車全廃の発表はなかった。
    • キヤE195・GV-E197・E493系の導入もない。
      • DE10・DD11・DD16・DD51の置き換え用にDD200を導入していたかも(保安装置など一部機器類はEF510-500JR東日本車と同様に自社仕様)。
    • 国鉄時代から使用されたバラスト輸送貨車・レール輸送貨車の代替車にEF510-500・DD200自社保有車から制御可能な引通し線が設置される(プッシュプル運転にも対応)。

電車

62系

  1. 72系970番台同様に新性能化改造を受けていた。
    • 115系の区分番台が増える。
    • 静岡地区の増発に回され、113系に編入していたかもしれない。その場合、119系が一時的に運用されることはなく、足を引っ張る存在になってしまうこともなかった。
  2. JR化後にインバータクーラーが設置された。
    • 新性能化改造と同時に冷房化されていたかも。

101系

山手線
  1. 103系の誕生が遅れていた。
  2. 山手線のラインカラーはそのまま黄色になっていた。
  3. そのまま201系が導入される。

103系

大和路線・おおさか東線
  1. 2019年以降も残っていた場合、おおさか東線新大阪延伸により新大阪駅まで乗り入れる姿が見られるようになっていた。
JR東海車
  1. 愛知万博輸送がラストランになっていた。
  2. 名古屋の103系の知名度が上がっていた。

113系

東海道本線(JR東日本)
  1. 湘南電車という愛称はずっと消えなかった。
  2. 国鉄時代ならSM分離を境に2000番台がもっと増備され、0番台グループは房総や西日本地区に史実よりも早く転用されていた。
    • 2000番台の一部もロングシート化されていた。
  3. 211系は一応導入されたが史実よりも本数が少なかったかも。
  4. 2階建てグリーン車2両の編成も増えていた。
横須賀線・総武線快速
  1. 2階建てグリーン車連結編成に統一されていたかも。
  2. ATOS導入後も普通に営業についていた。
  3. ひょっとしたら東海道本線よりも長く生き延びていたかも。
    • 東海道線にいたものが新車導入が史実よりも早く全て房総に移っていた。
  4. E217系との営業列車での併結運転が実現していたかもしれない。
  5. 1500番台を置き換えはE231系によって行われていた。
成田線(我孫子支線)
  1. 日中の常磐線乗り入れは史実ほど増えなかった。
  2. 他の房総各線と同時期に211系や209系に置き換えられた。
東海道本線(静岡地区)
  1. JR西日本を見習って延命工事をしていた。
    • 一部は313系に準じた車内に改装されていた。
      • 体質改善の際にロングシートに改装されていたかも。
  2. 313系と同じドアチャイムが後付された。
関西本線・奈良線
  1. 0'番台、2000番台が春日色になって更に高速化されて車番に+5000を追加されていた。
    • 史実では存在しなかった春日色+鉄仮面の先頭車が出現した。
  2. 2000番台の9割は体質改善工事が施工され、その際にカフェオレ色になっていた。
  3. 単色化の際に春日色から抹茶色に塗り替えられていた。
  4. 奈良線で複線化事業の際に、本形式も103系と共に騒音の原因であるとして速やかな置き換えを環境省から命令されていた。
    • 故に103系同様に複線化完了より前に引退は迫られていたかも。
福知山線
  1. 新福知山色の800番台も魔緑に塗り替えられてしまった。

165系・167系・169系

全般
  1. 直流急行型電車の全廃は遅く2010年代中頃まであった。
  2. ハロウィン電車には165系湘南色が使われた。
JR東日本車
  1. 2007年のJR東日本20周年の時にもリバイバル急行が走っていた。
    • 183系ととも臨時用に活躍。
      • 全廃は2013年ごろ。
  2. しなの鉄道の169系との連結もあった。
JR東海車
  1. 全廃は快速ムーンライトながらの定期運転終了と同時。
    • 快速ムーンライトながらに91・92号は登場しなかった。
JR西日本車
  1. 全廃は2018年の阪和線の新車導入時。
  2. 福知山線事故後は新車が出るまでの輸送力増強編成に使われた。
  3. 一部はJR西日本色になり後に単色になる。
  4. 宮原車の場合、ちくま・くろよんの運転終了が史実より遅かった。

157系

  1. 下降窓の保守がしっかりしていたらこうなっていた。
    • 同じく下降窓を採用している阪急や近鉄の電車と比べられることはなかった。
    • 205系まで下降窓導入が途絶えることはない。
    • 急行型のグリーン車の窓の2段窓化もなかった。
  2. 185系が登場するまで活躍していた。
    • 185系は最初から回転クロスシートを採用していた。よって、「最悪の特急」と揶揄されることはなかった。
  3. 「あまぎ」に183系が導入されることはなかった。
  4. クロ157形は157系全廃後は最初から185系に組み込まれていた。
  5. 保存車両が存在していたかもしれない。
  6. 一部の先頭車は前照灯がシールドビーム化された。

201系

青梅線・五日市線
  1. 四季彩以外も生き残っていた。
  2. 四季彩の部品交換は中央線の廃車発生品を流用しての対応がなされた。
  3. 将来の置き換えはE233系の新車導入ではなくE231系の転属の措置に。

205系

山手線
  1. 鉄オタから国鉄山手線と揶揄されていた。
    • JR時代に作られた車両の方が多いためそのように言う鉄オタを揶揄する鉄オタも出現していた。
  2. 6ドア車のモニターも撤去されることなく続いていた。
埼京線
  1. 相鉄線直通に伴い2018年末〜2019年頃にVVVFに改造されていた。
    • 内装もリニューアルし日光線のようなLCDがつけられていた。
    • リニューアルに伴い自動放送もつけられていた。
    • JR東日本は大規模リニューアルに消極的だからどうだろうか。VVVFが関の山じゃないかと。
  2. 6ドア車は最後まで残るかどうかは微妙。

209系

0番台
京浜東北線
  1. 6ドア車はしぶとく残った。
  2. 自動放送装置が後付された。
  3. 行先表示器のLED化も施工された。
  4. 座席のクッションの交換も行われていた。
南武線
  1. E233系の置き換え対象にはならなかった。
    • 8500番台は登場せず。
  2. 自動放送装置の設置対象にもなっていた。
500番台
京浜東北線
  1. 209系0番台がE233系1000番台に置き換えられた時点で自動放送装置が設置されていた。
    • 2013年ごろに中央総武緩行線所属車両共々更新工事が行われていた。
  2. E233系5000番台の製造分が増えていた。
    • 現在京葉線に一編成だけ残っている209系500番台の代わりにE331系が現存…は流石にないか。
  3. 武蔵野線の増発用としてE233系が新製投入されていたかもしれない。

253系

  1. 183系や185系を置き換えていた。
    • 踊り子にも導入されたら、平成の185系と揶揄されていたかもしれない。
  2. 「あかぎ」に転用されていた。
    • したがって、あかぎに651系は投入されなかった。
  3. そのうち大修繕により255系と同様IGBT-VVVF換装され、しばらく故障と戦う日々を過ごしていた。
  4. 小田急10000形の長野電鉄譲渡車が増えていた。

E331系

  1. 増備はかなわずとも今もひっそり京葉線で余生を過ごしている。
    • 209系500番台は完全に武蔵野線へ転用されていた。
  2. 故障が少なければ最低でもこうなっていた。
    • 経済の低迷さえなければ修理に着手することができていた。

E351系

  1. E353系電車は登場しなかったかもしくは、E257系電車を置き換えるために製造されていた。
    • 登場した場合、E351系電車は特急「あずさ」、「かいじ」、「富士回遊」、「はちおうじ」、「おうめ」で運用されていた。

785系NE1~5編成

  1. さすがに3両編成に短縮して、史実で711系から気動車に置き換えられた室蘭本線室蘭~苫小牧間の普通列車用に転用されていた。
    • 編成短縮がされなければ、789系1000番台の予備車となっていた。
    • むしろNE501・502編成が格下げ転用されており、撤去された運転台を復活させていた(こちらの方が編成を分けやすいため)。
    • 気動車が捻出されるので一般形気動車の老朽化による不足は起きなかった。
      • この場合、キハ143形は他の非電化区間中心の運用に就いていた可能性もあった。
  2. 「旭山動物園号」に改造されていた可能性もある。

気動車

キハ01系

  1. それでもワンマン運転は実現しなかった。
  2. 特定地方交通線廃止時まで使われていた。
  3. 国鉄の気動車がレールバス主体になったかは微妙。

キハ58系

  1. ワンマン対応車が増えた。
    • 西日本では急行形で唯一体質改善工事が行われていた。

キハ110系300番台

キハ110系300番台は「秋田リレー」用として廃止後は格下げされることを前提に製造されましたが、もし、格下げ改造されなかったら?

  1. 「陸中」に転用されていた。
    • と同時に特急に格上げされていた。
      • JR東日本が地方交通線を主体とする特急の制定に意欲的だったらあり得た。
      • 快速「はまゆり」に格下げされることはなかった。
    • JR東日本は非電化特急が育たないといわれることもなかった。
    • 捻出した0番台は普通列車に転用され、キハ52・58系の置き換えに回していた。
      • 盛岡地区の冷房化が遅れることもなかった。
    • 「よねしろ」にも本形式が転用されており、同時に特急化していた。
      • ターゲットが通勤利用なので急行のままか定期券での利用もできるようにしていた。
  2. 史実の転用先である飯山線には新車で置き換えていた。
  3. 引退まで特急用で使うつもりだったら、窓割りの構造が若干変わっていた。

キハ130形

  1. キハ40系に置き換えられる異例の事態はなかった。
  2. キハ40系の老朽化は問題にならなかった。

キサロハ182形550番代

  1. 「はまなす」に転用され、客車に改造されていた。
  2. 一貫して特急専用で使用された場合は「オホーツク」あたりに転用されていた。
    • 普通車個室は座席車に改造されていた。

客車

50系

JRで長く使われていたら
  1. 保線コストは高まっていた。
  2. 筑豊線以外でも冷房化、内燃発電機搭載はされていた。
  3. 電車、気動車化されても状態の良いものが残っていれば12系同様にSL列車の客車としても再活用されていた(こちらは当然レッドトレインのままで)。
  4. 12系と14系座席車の多くは大規模更新を受け,長期にわたり活躍できた。
  5. 運用の効率化を図る為にプッシュプル運転が導入され、運転台付きの改造車が登場していた

私鉄

秩父鉄道

2000系

  1. 編成の長さからラッシュ時の運用に重宝していた。
  2. 冷房化くらいはされていた。
  3. 7500系導入と同時期に置き換えられていた。

東武鉄道

1700系

1720系と同種の車体に載せ替えられなかったら?

  1. 5700系を置き換えていた。
  2. 快速急行だいや・おじかの運用についていた。
    • 遜色急行扱いされることはなかった。
  3. 200系は7編成、250系は3編成の陣容となっていた。
    • 250系は当初から完全新造車として計画されていた。
    • いや、1700系も機器は1720系と同じだからこれは史実と変わらないかも。

1800系通勤転用車

  1. 館林地区のワンマン化が行われていなければこうなっていた。
    • 800、850系は存在しなかった。
  2. 2010年代まで活躍していた。
    • 時期によっては20400型が館林地区にも投入されていたかも。

2000・2080系

  1. 最終増備車くらいは生き残っていた。
  2. 2080系への改造数も増えていた。
  3. 2000系も他の鋼製通勤車と同じカラーリングに変更されていた。
  4. 短編成化の上、支線に転用されていた。
    • 3000系の置き換えに回していた。
    • その際下記の上毛電気鉄道譲渡が実現したかも。冷房化も下記のように。東武本体で2010年代前半まで現役かも。
  5. 2000系は8000系と同様に前面も改修されていた。
  6. 上毛電気鉄道には2000系が譲渡された。車内外のスペースの制約から,冷房装置は連結面に設置された(福島交通7000系と同じ)。
    • ↑は2010年代後半まで現役かも。その置き換え用に10000系2両編成が譲渡される。京王3000系は入線しない。
  7. 3000系列・5000系列は1990年代に全廃できた。

西武鉄道

旧101系

  1. 9000系は登場しなかった。
    • 10000系はVVVFインバータ制御で新造されていた(発電ブレーキ付)。
  2. LED行先表示器搭載編成も登場。
  3. 末期は各駅停車専用車両になった。
  4. 分散冷房車もまだ生きていたかも。
    • あるいは171〜181F全編成が175F、177Fのスタイルに改造されていたかも。
      • 客ドア交換(3000系タイプへ)はそのグループにも施されていた。
  5. 多摩湖線の351系の引退も早まっていたかも。
  6. 黄色一色化は史実通り行われた。

東京都交通局

8000系

  1. 「=都電全廃の構想が存在しなかったら」。
  2. それでも車体更新は避けられなかったと見られる。
  3. 7500系の引退が早まっていた。
    • そもそも製造されてなかったのでは?。8000形の改善版の様な車両なので。

10-300R形

  1. 先頭車は車齢が若いので老朽化した中間車は代替新製されていた。
  2. 10両編成化されていた。

京成電鉄

AE形(初代)

  1. AE100形の製造数が減っていた。
  2. 3400形は登場しなかった。
  3. 2代目AE形の登場と同時期に置き換えられていた。

AE100形

  1. 都が難色を示していなかったら都営地下鉄乗り入れが実現していた。
  2. シティライナーは廃止されなかった。

東京急行電鉄

デハ200形

  1. それでも玉川線・砧線廃止時に一部車両は廃車された。
  2. 代わりにデハ70形の一部車両が玉川線・砧線廃止時に廃車されていた。
  3. 塗装が緑一色になるため愛称が「ピーマン」あたりに変わっていた。
    • 屋根に付いていた標識灯も撤去されるためよりそれっぽい顔つきになっていた。
      • 青ガエルミニの方がありそう。
  4. 鉄道ファン団体などによる貸し切り運転ではこの形式が指名されることも多かった。
  5. 特殊な構造が災いし300系登場までは生き延びられなかったと思われる。
    • 最後まで運用されていた編成は引退間際にデビュー当時のツートンカラーに戻されていた。

9000系

現役車両ですが、東横線に残留し続けていたら?

  1. 副都心線に乗り入れない運用についていた。
    • サークルKステッカーならぬサークルFステッカーが張られていた。
    • どちらにせよ相鉄直通開始までには2020系の東横線版(4020系?)によって置き換えられていた。
  2. 大井町線への転出に際して持て余した中間車に廃車が出ることはなかった。
    • よって、8090系が玉突きで廃車になることもなかった。
  3. 5050系の製造数が減っていた。
    • その分、5000系は当初の予定通りの本数で製造されていた。
  4. そもそも、東急は東横線の車種統一に力を入れていなかったらこうなっていた。

小田急電鉄

2320形

  • 通勤車への改造がなかったら?
  1. 準特急廃止後もそのままの形で急行に転用されていた。
    • 箱根湯本行き急行にはこの形式が使われていた。
  2. 2400形は2ドアクロスシートで製造されていた。
    • 史実における東武6000/6050系のような存在になっていた。
  3. いずれにしろ、ラッシュ時には不向きな構造なので1980年代に入ると淘汰の対象になっていた。
    • 多摩線で余生を送ったかも。
    • むしろセミクロスシートのまま富士急行に譲渡され、5000系と比較されていた。

長野電鉄

10系

  1. =木島線が廃止されなかったらである。
  2. 冷房化、ワンマン化くらいはされていた。

名古屋鉄道

8800系

  1. リニューアルが行われた。
  2. 座れる通勤電車がブームになると松井玲奈氏が「日本一豪華な座れる通勤電車」と言っていた。
  3. ほかの編成が一部特別車になる中で異彩を放っていた。
  4. 名鉄の特急政策の見直しが行われるとデラックス料金が復活。
    • 内装も登場時以上に豪華になった。

1000系全車特別車編成・1600系

  1. =特急政策の見直しがなかったら、である。
  2. 当然、5000系(2代目)と1700系は存在しない。
    • 5000系が登場しない代わりに3300系が更に増備されていた。
  3. 西尾線や津島線では今でも昼間も特急が走っている。勿論全車特別車で。
    • 犬山線や河和、知多新線の特急も今も多くが全車特別車。
  4. 輸送力増強のために1600系は4両に増結されていたかも。
  5. 1000系は2015年頃よりリニューアルが始まっていた。
    • 内外装は1200系と同様のものになっていた。

3700系 (初代)

  1. 名鉄の通勤型車両は20m4ドアが主流になっていた。
  2. 当車両がはいれるよう改良工事が行われた事により、キハ8000は国鉄と規格を合わせることができた。
  3. 100・200・300系の車両番号が大きく違う。

7000系

  1. かつての3400系(いもむし)のように動態保存車両として1編成だけ残されていた。
    • できるだけ登場当初の姿に近づける復元が行われていた。
    • 基本的にはフェニックスエンブレムを掲出して走行するが、たまに逆さ富士行き先表示器を取り付けたりその上で白帯を巻いたりしていた。
  2. 本線で運転される機会は多くなかった。
    • 津島線や広見線、各務原線が主な運用線区となっていたか。
    • 運行は土休日や長期休暇期が中心となる。
  3. 場合によっては往年のミュージックホーンを鳴らすこともあった。

近畿日本鉄道

3000系

  1. 恐らく界磁位相制御車に改造されていた。
    • あるいはVVVF制御に改造されていた。
  2. 8000系列と完全に共通運用となり、奈良線への入線も果たしていた。

10100系

  1. 30000系は登場しなかった。
  2. アーバンライナー登場とともに置き換えられていた。
    • したがって、アーバンライナーに2階建て車両が連結されていた。
  3. 2000系は完全新造車だった。
  4. 1980年代初頭にリクライニングシート化などのリニューアル工事が行われていた。
    • 同時に前面・側面の行先表示器取り付けも行われている。
    • 冷房装置も先頭車はサニーカーと同じものが屋根上に設置され、2階建て中間車の冷房も高性能で小型軽量のものに交換されていた。

18000系

  1. さすがに高性能化改造くらいはされていた。
  2. 18400系とともに廃車となっていた。

京阪電気鉄道

1800系(初代)

  • 1800系(2代)への改造がなかったら
  1. 昇圧直前まで使用されていた。
    • 昇圧で6000系に置き換えられていた。
      • その分6000系の製造両数が増えていた。逆に2600系30番台は減っていた。

1800系(2代)

  1. 1900系と同時期に冷房改造されていた。
    • 1900系・2200系と同じく制御装置の1M8C化などの改造が行われていた。
  2. 最終的には7連×2本に編成替えされている。
  3. 廃車は2000年代になってからだった。
    • 代替車両としてこれが実現していた。
  4. 6000系の製造両数が2編成減っていた。
    • 京阪におけるVVVF車の導入が少し遅れていた。
    • 6000系顔の7000系や7000系顔の6000系は登場しなかった。

3000系(初代)

  • 8000系導入後も継続使用される予定でした。
  1. 流石に見劣りは否めないので大規模な更新工事が行われていた。
  2. 富山地方鉄道、大井川鉄道への譲渡車はなかった。
    • 富山地鉄へは阪急2800系が譲渡されていた。
  3. 2008年まで使用され、今頃は2代目3000系に置き換えられていた。
    • 2代目3000系はむしろ、特急用として製造された。したがって快速急行には9000系が充てられていた。

9000系

  • 現役車両ですが、ロングシート改造がなかったら?
  1. 快速急行に充当されていた。
  2. 2代目3000系は導入されなかった。
    • 13000系が2008年頃導入される。
  3. 一部の車両が10000系に編入されることはなかった。
  4. 中之島線開通に伴う塗装変更ではこの車両は青系の塗装になっていた。

阪急電鉄

2800系

  1. 前面・側面の電動式方向幕取り付けや車体内外の更新工事が行われていた。
    • 特に前面は6000系と同タイプになっていた。
      • 電気式ブレーキがこの際導入。2000系列・2300系以降の更新工事で導入される。車番変更は避けられない筈。
        • 完全に中間車化された車もある。
  2. 2300系と同じく界磁チョッパ制御に更新されていた。
  3. 2300系の引退が早まっていた。
    • 2300系更新車の数が少ない。
  4. 富山地鉄への譲渡話は出なかった。
    • 1990年頃に引退が進めば実現したかもしれない。
  5. 格下げ改造がなかったら6300系は登場しなかった。
    • 6300系は6000系同様の車内外で登場した。6330系ではなく,7300系8両編成が1編成多く製造された。
      • ↑走行機器は別会社製。
  6. 8300系登場とともに置き換えられ、8300系はオール転換クロスシートで製造されていた。
      • 8000系転換クロスシート車も現実以上に造られた。8300系列のオールロングシート車両はそれでも存在か。
  7. 2001年頃に引退していた可能性が高い。
    • 1980年代のうちに定期特急運用から外れたであろう。
  8. 6300系電車と同様に嵐山線で運用されていた。
    • そうならず廃車になった車も多い。1990年頃に引退が進めば。
    • その代わりに、京都線・千里線では、史実よりも早く7両編成or8両編成で運行されていた。
      • 1990年頃に京都本線・千里線の普通車の8両運転が開始される。優等列車の10両編成の本数は現実より多い。

5200系

  1. 前面が6000系と同タイプに改造されていた。
  2. 3000系の引退は史実より早かった。
  3. 21世紀になって5000系と同様のリニューアル工事が行われていた。
  4. 能勢電鉄に譲渡されていた可能性もある。

6300系(6330F)

  1. 「京とれいん」にはこの編成が改造されていた。
    • 7300系と同性能なので、最高115km/h運転も可能になっていた。
    • それでも余剰となった中間車2両は京とれいんへの改造と同時に廃車されていた。
  2. もしかしたら、「京とれいん」の2編成目として、史実より早く導入されていた可能性もある。(実史では、7000系から捻出)

阪神電鉄

3801・3901形(第1編成)

  1. =脱線事故がなかったらである。
  2. 8701・8801・8901形がもう1本登場していた。
    • 7890・7990形電車は登場しなかった。
    • 電動車が不足するので、一部のTc車が中間車化と同時に電装化されていた。場合によってはVVVFインバータ制御の試作車となっていたかも。

南海電気鉄道

20000系電車

  • 当初は更新工事を実施して、延命を行う予定でしたが、30000系電車の新造により、断念しました。
  1. 3000系電車の登場は史実通りだが、予備車として、臨時列車や30000系電車が定期検査を受けているときに運行されていた。
  2. 1999年に31000系電車の登場を機に廃車となっていたか。
  3. みさき公園に設置されることはなかった。

西日本鉄道

8000形

  1. 2020年代に入って有料座席指定列車に充当される計画が出ていた。
  2. 2010年代に入ってリニューアル工事が行われていた。