「もしあの鉄道車両が実用化されていたら/私鉄」の版間の差分
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#*豪華過ぎて、引退まで特急として使われていた。津島〜蒲郡の特急あたりで。 | #*豪華過ぎて、引退まで特急として使われていた。津島〜蒲郡の特急あたりで。 | ||
#*引退が7000系と同時期ならば、河村市長があおなみ線にこの車両を走らせる構想をぶち上げていたかもしれない。 | #*引退が7000系と同時期ならば、河村市長があおなみ線にこの車両を走らせる構想をぶち上げていたかもしれない。 | ||
==三岐鉄道== | |||
===下津井電鉄モハ2001-サハ2201-クハ2101譲受車== | |||
*北勢線譲受後下津井駅跡に保存されている同車を譲受する話があったが、架線電圧や保安装置の相違などの問題から実現しなかった。 | |||
#流石に直流750V対応化はされている。 | |||
#*保安装置の更新もしていた。 | |||
#導入当初は10年以上動いていなかったことから起動するかが不安視されていただろう。 | |||
#その内外装を活かし観光向けとしていたかもしれない。 | |||
==土佐電気鉄道== | ==土佐電気鉄道== |
2018年4月20日 (金) 22:10時点における版
製造・改造・譲受に至らなかった車両がもし、実用化していたら?
- 乱立防止の為、記載は実際に元ネタがあるものに限ります。
- 項目内にそれに関する文章を書いていただければ幸いです。
- 新規追加は「会社別(東から順)+形式が若い順→形式不明(50音)」の順にお願いします。
- 便宜上、実際に導入された形式の改造車についてもこちらで扱います。
- 関連項目
- 勝手に鉄道車両開発/私鉄 - 根も葉もない鉄道車両を作りたければこちらへ。
- もしあの鉄道車両が更に増備されていたら/私鉄 - 実際に導入された車両はこちらへ。
分割項目
南部縦貫鉄道
JRキハ22形譲受車
レールバス置き換え用としてJRからキハ22形を譲受する計画があったが、実現しなかった。
- 車番はキハ105・106になっていた。
- 末期に積み残しが出ることはなかった。
秩父鉄道
京阪3000系譲渡車両
- 急行「秩父路」用として京阪旧3000系を購入することを検討したそうですが、結局実現しませんでした。
- 首都圏において京阪電車に乗れることがファンの間で話題になっていた。
- 外部塗装は京阪時代のまま、テレビカーも健在。
- 外装はともかくテレビカーは撤去されていたと思う。
- 走行機器は富山地鉄や大井川鐵道に譲渡された車両と同様別に調達していた。
- 現実に導入された3000系(元JR165系)よりも新しいことから、2015年現在も現役で活躍している可能性が高い。
- となると台車(京阪は標準軌、秩父・地鉄・大井川は狭軌)を換装出来たかがターニングポイント。営団地下鉄の台車から交換できた富山地鉄は今でも現役、できなかった大井川鐵道では引退した事を考えると尚更。
- 一般車両が元東急の車両への置き換えに連れて見劣りが否めなくなるので一般車両と同時期に置き換えられた可能性も。
- 富山・大井川とは異なり中間車も譲受していた。
西武鉄道
国鉄63系割り当て車
- モハ63形2両が入線する予定であったが、在来車の地方私鉄への供出を嫌ったため辞退。
- 国鉄モハ50形借り入れ→西武モハ311形編入はなかった。
- 史実通り63系の払い下げもしていた場合、この車両も初代401系になっていた。
7000系
- 全席ハイデッカー仕様の3両編成の特急車両。図面は近江鉄道「あかね号」に流用されたという説がある。
- 計画通り秩父鉄道への直通特急として運行されていた。
- とはいえ直通区間はせいぜい長瀞までだっただろう。
- 案外小田急10000形のようにバリアフリー対応が困難なことから早期に廃車されていたかも。
- 秩父鉄道が3000系置き換え用に購入していた。
東武鉄道
1800系東上線転用車
200系投入で捻出した1800系を東上線に転用する案があった。
- 恐らく秩父鉄道直通特急に投入されていた。
- しかし特急の有料化で利用者の不満が募っていた。
- 西武鉄道も対抗して有料特急車を導入。
- よって、7000系の投入が実現していた。
- 1800系は設備が見劣りするため大規模なリニューアルで対応していた。
- 「TJライナー」以前に通勤時間帯の有料着席列車が実現していた。
- 恐らく名称も異なっていただろう。
8000系ステンレス車
8000系は1980年代にステンレス車体へのモデルチェンジが検討され、アルナ工機でステンレス車体版のモックアップが製造されたが、導入には至らなかった。
- 製造されても少数派で終わっていた。
- 他の8000系同様、その後青と水色の帯が追加された。
- 2000年代には更新工事の対象となり、前面も他の8000系と同様のタイプに改修されていた。
- 現在は全車野田線に配置されている。
山万ユーカリが丘線
桃花台新交通100系譲渡車両
- 桃花台新交通の廃止時に実際に譲渡を打診されていた。
- ユーカリが丘線の建築限界が桃花台新交通と同じだったら十分あり得た。
- それでも路線の構造上編成の組み替えは避けられなかった。
- 首都圏から冷房車両が存在しない路線が消えていた。
- はたして愛称はどうなっただろうか?置き換えられるであろう1000形のものを継いだか、それとも「こあら4号」以降を名乗ったか…
東京急行電鉄
9000系目黒線用
- 地下鉄乗り入れ機器を設置して目黒線に転属させる構想があったが実現しなかった。
- 3000系はなかった。
- そのため実際の5000系は3000系に、6000系は5000系に、7000系は6000系になっていた。
- 3000系は東横線用の新車として導入されていた。
- 結局5000系の投入で大井町線に転属している気がしなくもない。
- 副都心線直通運転開始後も東横線に9000系が残っていた。
- ただし8両のみで各駅停車・8両急行専用になる。
- 帯の色は史実の3000系に近いものになっていた。
- 新規製造ならともかく、改造ならば6両化改造で中間車がいくらか余る。
- むしろ目黒・南北線は8両で運転される(埼玉スタジアム対応)。
- 三田線も8両になるかは微妙、白金高輪で全列車接続で済ませる???
- むしろ目黒・南北線は8両で運転される(埼玉スタジアム対応)。
小田急電鉄
7000形あさぎり用編成
- 当時「あさぎり」に使われていたSSEが老朽化していた為に新型車両(LSEの短編成版?)を製造して置き換える予定だったらしいが、国鉄分割民営化直前のゴタゴタで実現しなかったという。
- 当時の国鉄が新型車両を作るとは思えないので、20000形と371系の双方が存在しなかった。
- 結果として「あさぎり」は一貫して小田急の片乗り入れ運用だった可能性が高い。
- 一方で国鉄への貸し出しは史実通り行われていたと思われる。
- 7000形の全編成に「あさぎり」の種別幕が用意されていた。
- 箱根特急用よりも短編成なのが災いし、史実通り60000形に置き換えられていた。
- 富士急行への譲渡が行われたかどうかも怪しい。
- ファンからは「SLSE」と呼ばれていた。
京浜急行電鉄
2100形4次車
- 前面形状を大幅変更して流線形とする予定だった。久里浜工場にモックアップが存在する。
- モックアップ通りのデザインでは泉岳寺に入線できなくなるので、全面貫通扉はどちらにしろ設置されていた。
- 前面が似ているので、台鉄ラッピングは本車両とEMU800型の間で行われていたかもしれない。
相模鉄道
10000系日立案
- TX-2000に似た車両。
- 鉄道車両の共通設計化はあまり進まなかった。
- もしくは東急5000系(2代)あたりが先駆けとなっていた。
- 日立IGBT+直角カルダンというとんでもない車両となっていた可能性大。
- もちろん11000系も日立が製造していた。
- 11000系のスペック次第では20000系が存在しなかった可能性も考えられる。
伊豆急行
東急8000系2扉改造車
- 伊豆急行100系の置き換えに東急8000系を2扉に改造して入れる案があった。
- JR東日本から113系と115系を譲受することは無かった。この形式が200系を名乗っていた。
- 改造で無理がたたって早期廃車されていたかもしれない。
- それでも伊豆急行8000系登場は現実通りか。
しなの鉄道
営団5000系譲受車
- 史実では計画中止に。
- 115系、169系はある程度置き換えられていた。
- これらの車両の灰色塗装の部分はステンレス車体をそのまま使っていた。
- 本気で置き換えるなら東葉高速鉄道1000系も同時に譲受していた。
- 最初にインドネシアに送られた営団の車両は7000系になっていた。
- もしくは中間車を先頭車化改造して本数を増やしていた。
- どこかしらで営団以外のステンレス車も導入していたかもしれない。
- おそらく東急8500系がここにも転属していた。
- 長野県の私鉄・三セクはどの路線も元東急車が走っていることになる。
- 北しなの線の譲渡に伴い、元南武線の205系を譲り受けていた。
- おそらく東急8500系がここにも転属していた。
- 「ろくもん」の改造車両も営団5000系になっていたかもしれない。
- 同時に営団時代のリバイバル編成も登場しているはず。
- かつてJRだった路線でJRでない車両を用いる珍しい例となった。
- しなの鉄道20周年に合わせ、千代田線塗装や東葉高速鉄道1000系風塗装に塗られた車両が登場していた。
長野電鉄
3000系
- 増備が計画されていた前面展望タイプの特急車両。タブレット収受の面で実現しなかった。
- A特急運用に充当されていた。
- ワンマン運転が困難な構造や使い勝手の問題から早期淘汰の対象となっていた。
- 1000系導入時に3000系と1000系を並べたうえで引継式が実施されていた。
- 2000系D編成は存在しなかった。
富山地方鉄道
阪急2800系譲渡車両
- 実際に購入を検討していたそうですが、京阪旧3000系が譲渡されることになったため実現しませんでした。
- 実際に2800系を購入するために、転換クロスシートへ復元するためシートの中古調達元を探していた。そこで京阪旧3000系の廃車予定を知りシートを調達しようと交渉を開始したところ、車体ごと譲り受けることになった。
- 3扉ロングシート化されていた車体は再び2扉転換クロスシート化されていた。
- 外部塗装は当初阪急時代と同じマルーン1色だったが、後に標準塗装である黄色と緑のツートンに塗り替えられる。
- 走行機器は旧国鉄の発生品を流用。
- 京阪旧3000系は富山地鉄に譲渡されなかった可能性が高い。
- もしこちらも譲渡されていた場合、富山の地で京阪と阪急のツーショットが見られた。
- 阪急の車両が子会社の能勢電鉄以外に譲渡されている例として注目されていた。
- 3扉化したあと2扉に戻すなど車体にかなり手が加えられている関係で老朽化が早かったことから2000年代以降に置き換えが進んでいた可能性が高い。
福井鉄道
京阪80形譲渡車両
- 実際に購入を検討していたことがありますが、結局は実現しませんでした。もし購入が実現していたら…。
- 京阪と福井鉄道は軌間が異なる上、80型の制御装置が特殊なものだったので台車・主電動機は新品となっていた。
- 京阪80形についていた折りたたみ式ステップが有効に活用されていた。
- 名古屋市営地下鉄の中古車両を購入することはなかった。
- 車両によっては両運転台化が行われていたかも。
名古屋鉄道
6750系の高性能化改造
- 6750系は高性能化を視野に入れていましたが、実現しませんでした。もし、高性能化改造していたら?
- VVVFインバータ方式に改造されていた。
- いや、全車特別車1000系から下回りを流用していたじゃないかな。この場合5000系の製造数が減っていた。
- 1000系の一部廃車以前に改造していたらVVVF化されていた。
- 改造時期によるが、路面電車を除くと唯一の吊掛式駆動→IGBT-VVVFへの改造例となっていた。
- いや、全車特別車1000系から下回りを流用していたじゃないかな。この場合5000系の製造数が減っていた。
- 2015年現在でも活躍している。
- 4000系は登場しなかった。
- なので、6000系も今だに健在。
- 史実通り4000系投入なら本線に転属していた。
キハ8500系のパノラマカータイプ
- デザイン検討の段階で1000系パノラマスーパーに酷似した案もありました。
- 展望席があるので、現実より鉄道ファンや観光客に人気があった。
- JR東海キハ85系との連結運転はなかった。
- 「北アルプス」は「ひだ」とは独立したダイヤで運行されていた。
- それでも「北アルプス」は史実通り廃止されていただろう。
- 廃止後の車両譲渡先は会津鉄道ではなかったかもしれない。
パノラマドームカー
- パノラマカーこと7000系の発展形として実際にモックアップまで作られたらしい。
- 実現こそしなかったものの、8800系や1000系の先頭部にこの車両の趣旨が活かされたとも言われている。
- 7500系は製造されなかった可能性が高い。
- 流石にフルモデルチェンジを2年で作るというのは無理があると思う。むしろ8800系の方が存在していないかと。
- 形式名は「7800系」とか。
- 8800系の中間車も同様のコンセプトで設計・増結されていた。
- 一方で1000系以降に導入されていたかはどうか微妙。
- 日本唯一の定期運転で乗車できるドームカーとして、パノラマカー以上に引退が惜しまれていた。
- 計画では先頭車だけでなく中間車にもドームを設ける予定だったらしいので、保存されているとすればどちらも舞木に置かれている思われる。
- 名鉄の消極的な方針だと、運転台付近だけ、というのもあり得る。
- 廃車の時期にもよるが、史実の7000系の代わりに中京競馬場で保存されていた可能性もなくはない。
- 計画では先頭車だけでなく中間車にもドームを設ける予定だったらしいので、保存されているとすればどちらも舞木に置かれている思われる。
- どちらにしても低重心が災いして、空港線開通前後に廃車。
- 豪華過ぎて、引退まで特急として使われていた。津島〜蒲郡の特急あたりで。
- 引退が7000系と同時期ならば、河村市長があおなみ線にこの車両を走らせる構想をぶち上げていたかもしれない。
三岐鉄道
=下津井電鉄モハ2001-サハ2201-クハ2101譲受車
- 北勢線譲受後下津井駅跡に保存されている同車を譲受する話があったが、架線電圧や保安装置の相違などの問題から実現しなかった。
- 流石に直流750V対応化はされている。
- 保安装置の更新もしていた。
- 導入当初は10年以上動いていなかったことから起動するかが不安視されていただろう。
- その内外装を活かし観光向けとしていたかもしれない。
土佐電気鉄道
ウィーン市電譲受車
- 90年代に海外車両導入の一環として購入されたが、経営悪化に伴い入籍せずに解体。
- 動力車とトレーラーの連結編成であったため、トレーラーに運転台の増設改造が施されていた。
プラハ市電譲受車
- 経緯はウィーン市電譲受車に同じ。
- 日本国内で営業運転を行う旧共産圏製の車両として史上初かつ唯一の例となっていた。
ミラノ市電譲受車
- 同上。
- オリジナルの車体に木材が多用されていたため、入線改造の際には車体がほとんど新造に近い形になっていた。
西日本鉄道
指定席車両
- バブル期に導入が検討されたことがあるようだが、結局は実現しなかった。
- 8000形は名鉄1000・1200系のような指定席+自由席の構成となっていた。
- 指定席はリクライニングシート、自由席は転換クロスシートという構成になっていた。
- しかも名鉄よりも先にこの方式を採用したことになっていた。
- 指定席はリクライニングシート、自由席は転換クロスシートという構成になっていた。
- 8000形の3000形に置き換えられる際には3000形に連結できる指定席用の新形式が登場していた。
- 指定料金はJRの特急料金と比べても安めに設定されていた。
- 京阪のプレミアムカー導入が史実よりも早まっていた。
地下鉄
東京地下鉄05系千代田線転用車
- 初期車が6000系の予備車として千代田線に転属する計画があったが、結局北綾瀬支線向けに4編成が転用されるだけで終わった。
- 16000系の導入数が減っていた。
- 結局6000系リニューアル車と同時に廃車対象となり、そのままインドネシアに送られていた。
- あくまでも予備車扱いなので一定数は史実通りインドネシアや北綾瀬支線に転用されただろう。
都営地下鉄12-000形試作車
- 12-000形の試作車は量産車と全く異なる構造だったが、これが量産されていたら?
- 史実では登場しなかった中間車が製造されている。
- 試作車も中間車を組み込んだうえで通常運用に入っている。
- 史実同様、大江戸線全線開業と共にマイナーチェンジがなされている。
- 但し史実の1次車が存在しないので、大江戸線に全面塗装の車両は存在しない。
- それどころか12-600形の投入までは大江戸線の車両は全てステンレス車だった可能性が高い。
- 但し史実の1次車が存在しないので、大江戸線に全面塗装の車両は存在しない。