ページ「もしあのテレビ局が開局していなかったら」と「もしあのプロレスラーが○○だったら」の間の差分
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# | ;事業欲がなかったら | ||
# | #タバスコの日本での普及はなかったか遅れていた(日本に持ち込まれたのは猪木より前だが、猪木が広めたのは事実)。 | ||
#* | #アントンハイゼルもないので、ジャパンプロレスも[[もしUWFが○○だったら#旗揚げされていなかったら|UWF]]もなかった。 | ||
#永久機関で失笑を買うこともなかった。 | |||
#おそらくUFOもIGFもない。 | |||
#*猪木自身、引退後はタレントとして活動していただろう。 | |||
#選挙に出馬はしたのだろうか? | |||
#「日本プロレス乗っ取り」と誤解されず、新日本プロレス旗揚げもなかったかもしれない。 | |||
== | ==飯伏幸太== | ||
# | ;新日本プロレスの入団テストを受けていたら | ||
#* | 飯伏幸太はDDTプロレスリングと新日本プロレスにダブル所属していますが、実は中学卒業時に新日本の入団テストを受けようとして親に止められたことがありました。もしその時点で親の許可が得られて受験していたら? | ||
# | *合格して入団していたら | ||
#キャリア的には棚橋弘至らと同期ぐらいか? | |||
#DDTは2005年くらいまでに解散したかもしれない。 | |||
#IWGPジュニア戴冠の史実より早かった。 | |||
*不合格または別の事情により入団を果たせなかったら | |||
#どこかのインディー団体に拾われていたかもしれない。 | |||
#*DDTが旗揚げされるかされないかの時期だったので入団した可能性もあったが、当時はいわゆる「どインディー」な団体だったので史実のような活躍ができたかどうかは不明。 | |||
== | ==大仁田厚== | ||
;日本一周徒歩旅行を達成していたら | |||
大仁田厚は地元の高校を中退後、日本一周徒歩旅行を計画し実行に移しましたが、当時の実家が火災で全焼したため神戸で断念しました。 | |||
もし火災に遭わず日本一周を達成していたら・・・ | |||
#長崎に帰ったときの様子が全国紙でも取り上げられていただろう。 | |||
# | #プロレスラーではなく冒険家になっていたかもしれない。 | ||
# | #*この場合、[[もしあのプロレス団体が旗揚げをしていなかったら#FMW|FMWはもちろん存在しなかった]]。 | ||
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== | ==金村キンタロー== | ||
# | ;スクランブルファイヤーデスマッチで亡くなっていたら | ||
# | 金村キンタロー(当時金村ゆきひろ)は、W★ING時代の1993年、スクランブルファイヤーデスマッチで皮膚移植手術を受ける程重度の火傷を負っていた。 | ||
# | #W★INGは直後に崩壊し、永久に封印された。 | ||
# | #「憲法がなかったらぶっ殺す」とまで言い放った邪道外道への批判は想像を絶するものだった。 | ||
#ファイヤーデスマッチは少なくとも日本では御法度になっていた。下手すると電流爆破も。 | |||
#*むしろ、ファイヤー、電流爆破、蛍光灯を含む、全てのデスマッチが規制されていた。 | |||
#アパッチプロレス軍は結成されなかった。 | |||
== | ==棚橋弘至== | ||
# | ;交際相手に刺されたときに亡くなっていたら | ||
# | 棚橋は2002年に別れ話のもつれから交際相手から背中を刺されて重傷を負い、一時意識不明に陥った。 | ||
#新日本プロレスの暗黒期は史実より長く続いた。 | |||
#新日のエースは中邑真輔。おそらく中邑は本隊もしくは本隊に近いグループで活動したのでCHAOS結成はなかっただろう。 | |||
#後藤洋央紀は少なくとも1度はIWGPを載冠しているだろう。 | |||
== | ==橋本真也== | ||
;引退していたら | |||
橋本真也は2000年の小川直也との一戦に進退を懸けたが、敗れて一度引退を申し出た。しかしファンの子供から復帰を願う折鶴を贈られ引退を撤回しました。 | |||
もし引退を撤回しなかったら・・・ | |||
# | #ZERO-ONE(現[[プロレス団体#ZERO1|ZERO1]])は[[もしあのプロレス団体が旗揚げをしていなかったら#プロレスリングZERO-ONE|誕生しなかった]]。 | ||
#[[ハッスル]]もなかった。 | |||
#大谷晋二郎らは史実より長く新日に在籍していた。 | |||
#*武藤らとともに全日に移籍した。 | |||
#小川直也もまた新日を主戦場とした後IGFに参加した。 | |||
#坂田亘はプロレスからは離れHERO'S、後に[[格闘技団体#DREAM|DREAM]]で戦い、小池栄子とも出会わなかった。 | |||
#引退後は健康管理にも気を配り、早世することもなかっただろう。 | |||
== | ==ジャイアント馬場== | ||
# | ;夫人の間に子供が生まれていたら | ||
# | ジャイアント馬場には生涯子供がいませんでしたが、もし子持ちになっていたら・・・ | ||
#* | #結婚の公表もさすがに早かった。 | ||
# | #男の子が生まれていたらプロレスラーよりむしろ野球選手に育てようとしただろう。 | ||
#* | #*野球を断念したとしてもレスラーにはせず、全日のスタッフになっていたであろう。 | ||
# | #*もし巨人(あるいは横浜)に入団したら「父が果たせなかった夢を・・・」と報じられていた。 | ||
#* | #女の子だったら全女に入れたかさもなければ父のマネージャー。 | ||
#* | #嫁が史実ほど金に汚くならなかったかも。 | ||
#*この場合、[[もしあのプロレス団体が旗揚げをしていなかったら#プロレスリング・ノア|ノアも旗揚げされなかった]]。 | |||
#*坂口征二も全日本に移籍した。 | |||
#*BI対決がもう1回実現したかもしれない。 | |||
== | ==アニマル浜口== | ||
# | ;ハッスルに参戦していたら | ||
#* | アニマル浜口は娘である浜口京子とともにハッスルからオファーを受けていました。 | ||
# | #京子が1日限定でプロレスのリングに上がっているだろう。 | ||
# | #*父親はマネージャー。 | ||
#* | #*小川直也とメダリストタッグを組んでいた。 | ||
#締めを任され、「3!2!1!ハッスル!ハッスル!気合いだ!気合いだ!気合いだあああ!!!」と絶叫した。 | |||
#愛弟子の坂田亘、TAJIRIとともにアニマル軍を結成していた。 | |||
#*大谷晋二郎、大森隆男も。 | |||
#同じく愛弟子の高橋奈苗もHikaruに代わってハッスル入りしていた。 | |||
#長州力もアニマル軍入りしていた。 | |||
#ハッスルなき後はZERO1最高顧問に就任した。 | |||
== | ==マッハ文朱== | ||
;ゴルファーになっていたら | |||
マッハ文朱はプロゴルファーになることが決まっていましたが、姉が週刊誌の募集記事を見つけたのがきっかけでプロレスラーとなりました。 | |||
もし姉がその記事をみつけることなくそのままゴルファーになっていたら… | |||
# | #活躍はともかく日本人最長身女子ゴルファーとして注目されていた。 | ||
# | #全日本女子プロレスは息を吹き返せず、赤城マリ子の引退と前後して崩壊した可能性もあった | ||
#* | #*ビューティーペアは史実通り結成されても社会現象になっていたか微妙。 | ||
#* | #*国際プロレス女子部が継続された可能性も。 | ||
== | ==武藤敬司== | ||
# | ;SWSに移籍していたら | ||
SWSは当時海外修行中だった武藤敬司をエースに指名していましたが、当時の新日フロントに慰留され、実現しませんでした。 | |||
#言うまでもなく闘魂三銃士は解散。新日の存続も史実以上に危うくなった可能性も。 | |||
#天龍源一郎は全日に残ったかUWFあるいはFMWに移籍しただろう。 | |||
#SWSは史実より少しは長続きしただろう。 | |||
== | ==世志琥== | ||
;ヤンキーアイドルになれたら | |||
世志琥(当時・世IV虎)はavexの「ヤンキーアイドルオーディション」に参加して、合格しましたが、avexが「ある事件のタイミングで、このまま進められない事情ができた。」という理由でヤンキーアイドルのプロジェクトが中止になってしまいました。 | |||
#オリコンにチャートイン出来るほど売れていたはず。 | |||
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;顔面殴打事件がなかったら | |||
2015年、スターダムで世志琥(当時・世IV虎)が何度もグーパンチをしてくる安川惡斗の顔面を殴りまくって大怪我させた事件。 | |||
もし、この事件がなかったら。 | |||
# | #高橋奈七永と一緒にスターダムをやめることはなかった。 | ||
#* | #*SEAdLINNNGが生まれなかったはずなので、JWPをやめた中島安里紗はフリーで活動していた。 | ||
#棚橋弘至が週刊プロレスで大怪我した安川惡斗が表紙になったことで批判することがなかった。 | |||
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== | ==米山香織== | ||
# | ;引退撤回しなかったら | ||
# | 米山香織は引退セレモニー中に引退を撤回し、物議をかもしました。もし撤回しなかったら? | ||
# | #JWPが引退ロードの返金などで大きな損害を被ることはなかった。 | ||
#*場合によっては2017年のJWP解散→PURE-J旗揚げの流れもなかったかもしれない。 | |||
# | #引退後もJWPのイベントには顔を出していただろう。 | ||
# | *そもそも引退を表明しなかったら | ||
#JWPを退団してフリーにならなかったか遅れていた。 | |||
#さくらえみにタイに連れて行かれることもなかったかもしれない。 | |||
[[Category:歴史のif検討委員会 プロレス史|ふろれすらあ]] | |||
[[Category: 歴史のif検討委員会 |
2017年12月13日 (水) 14:05時点における版
- 新規追加は50音順でお願いします。
アントニオ猪木
- 事業欲がなかったら
- タバスコの日本での普及はなかったか遅れていた(日本に持ち込まれたのは猪木より前だが、猪木が広めたのは事実)。
- アントンハイゼルもないので、ジャパンプロレスもUWFもなかった。
- 永久機関で失笑を買うこともなかった。
- おそらくUFOもIGFもない。
- 猪木自身、引退後はタレントとして活動していただろう。
- 選挙に出馬はしたのだろうか?
- 「日本プロレス乗っ取り」と誤解されず、新日本プロレス旗揚げもなかったかもしれない。
飯伏幸太
- 新日本プロレスの入団テストを受けていたら
飯伏幸太はDDTプロレスリングと新日本プロレスにダブル所属していますが、実は中学卒業時に新日本の入団テストを受けようとして親に止められたことがありました。もしその時点で親の許可が得られて受験していたら?
- 合格して入団していたら
- キャリア的には棚橋弘至らと同期ぐらいか?
- DDTは2005年くらいまでに解散したかもしれない。
- IWGPジュニア戴冠の史実より早かった。
- 不合格または別の事情により入団を果たせなかったら
- どこかのインディー団体に拾われていたかもしれない。
- DDTが旗揚げされるかされないかの時期だったので入団した可能性もあったが、当時はいわゆる「どインディー」な団体だったので史実のような活躍ができたかどうかは不明。
大仁田厚
- 日本一周徒歩旅行を達成していたら
大仁田厚は地元の高校を中退後、日本一周徒歩旅行を計画し実行に移しましたが、当時の実家が火災で全焼したため神戸で断念しました。
もし火災に遭わず日本一周を達成していたら・・・
- 長崎に帰ったときの様子が全国紙でも取り上げられていただろう。
- プロレスラーではなく冒険家になっていたかもしれない。
- この場合、FMWはもちろん存在しなかった。
金村キンタロー
- スクランブルファイヤーデスマッチで亡くなっていたら
金村キンタロー(当時金村ゆきひろ)は、W★ING時代の1993年、スクランブルファイヤーデスマッチで皮膚移植手術を受ける程重度の火傷を負っていた。
- W★INGは直後に崩壊し、永久に封印された。
- 「憲法がなかったらぶっ殺す」とまで言い放った邪道外道への批判は想像を絶するものだった。
- ファイヤーデスマッチは少なくとも日本では御法度になっていた。下手すると電流爆破も。
- むしろ、ファイヤー、電流爆破、蛍光灯を含む、全てのデスマッチが規制されていた。
- アパッチプロレス軍は結成されなかった。
棚橋弘至
- 交際相手に刺されたときに亡くなっていたら
棚橋は2002年に別れ話のもつれから交際相手から背中を刺されて重傷を負い、一時意識不明に陥った。
- 新日本プロレスの暗黒期は史実より長く続いた。
- 新日のエースは中邑真輔。おそらく中邑は本隊もしくは本隊に近いグループで活動したのでCHAOS結成はなかっただろう。
- 後藤洋央紀は少なくとも1度はIWGPを載冠しているだろう。
橋本真也
- 引退していたら
橋本真也は2000年の小川直也との一戦に進退を懸けたが、敗れて一度引退を申し出た。しかしファンの子供から復帰を願う折鶴を贈られ引退を撤回しました。
もし引退を撤回しなかったら・・・
- ZERO-ONE(現ZERO1)は誕生しなかった。
- ハッスルもなかった。
- 大谷晋二郎らは史実より長く新日に在籍していた。
- 武藤らとともに全日に移籍した。
- 小川直也もまた新日を主戦場とした後IGFに参加した。
- 坂田亘はプロレスからは離れHERO'S、後にDREAMで戦い、小池栄子とも出会わなかった。
- 引退後は健康管理にも気を配り、早世することもなかっただろう。
ジャイアント馬場
- 夫人の間に子供が生まれていたら
ジャイアント馬場には生涯子供がいませんでしたが、もし子持ちになっていたら・・・
- 結婚の公表もさすがに早かった。
- 男の子が生まれていたらプロレスラーよりむしろ野球選手に育てようとしただろう。
- 野球を断念したとしてもレスラーにはせず、全日のスタッフになっていたであろう。
- もし巨人(あるいは横浜)に入団したら「父が果たせなかった夢を・・・」と報じられていた。
- 女の子だったら全女に入れたかさもなければ父のマネージャー。
- 嫁が史実ほど金に汚くならなかったかも。
- この場合、ノアも旗揚げされなかった。
- 坂口征二も全日本に移籍した。
- BI対決がもう1回実現したかもしれない。
アニマル浜口
- ハッスルに参戦していたら
アニマル浜口は娘である浜口京子とともにハッスルからオファーを受けていました。
- 京子が1日限定でプロレスのリングに上がっているだろう。
- 父親はマネージャー。
- 小川直也とメダリストタッグを組んでいた。
- 締めを任され、「3!2!1!ハッスル!ハッスル!気合いだ!気合いだ!気合いだあああ!!!」と絶叫した。
- 愛弟子の坂田亘、TAJIRIとともにアニマル軍を結成していた。
- 大谷晋二郎、大森隆男も。
- 同じく愛弟子の高橋奈苗もHikaruに代わってハッスル入りしていた。
- 長州力もアニマル軍入りしていた。
- ハッスルなき後はZERO1最高顧問に就任した。
マッハ文朱
- ゴルファーになっていたら
マッハ文朱はプロゴルファーになることが決まっていましたが、姉が週刊誌の募集記事を見つけたのがきっかけでプロレスラーとなりました。
もし姉がその記事をみつけることなくそのままゴルファーになっていたら…
- 活躍はともかく日本人最長身女子ゴルファーとして注目されていた。
- 全日本女子プロレスは息を吹き返せず、赤城マリ子の引退と前後して崩壊した可能性もあった
- ビューティーペアは史実通り結成されても社会現象になっていたか微妙。
- 国際プロレス女子部が継続された可能性も。
武藤敬司
- SWSに移籍していたら
SWSは当時海外修行中だった武藤敬司をエースに指名していましたが、当時の新日フロントに慰留され、実現しませんでした。
- 言うまでもなく闘魂三銃士は解散。新日の存続も史実以上に危うくなった可能性も。
- 天龍源一郎は全日に残ったかUWFあるいはFMWに移籍しただろう。
- SWSは史実より少しは長続きしただろう。
世志琥
- ヤンキーアイドルになれたら
世志琥(当時・世IV虎)はavexの「ヤンキーアイドルオーディション」に参加して、合格しましたが、avexが「ある事件のタイミングで、このまま進められない事情ができた。」という理由でヤンキーアイドルのプロジェクトが中止になってしまいました。
- オリコンにチャートイン出来るほど売れていたはず。
- 顔面殴打事件がなかったら
2015年、スターダムで世志琥(当時・世IV虎)が何度もグーパンチをしてくる安川惡斗の顔面を殴りまくって大怪我させた事件。 もし、この事件がなかったら。
- 高橋奈七永と一緒にスターダムをやめることはなかった。
- SEAdLINNNGが生まれなかったはずなので、JWPをやめた中島安里紗はフリーで活動していた。
- 棚橋弘至が週刊プロレスで大怪我した安川惡斗が表紙になったことで批判することがなかった。
米山香織
- 引退撤回しなかったら
米山香織は引退セレモニー中に引退を撤回し、物議をかもしました。もし撤回しなかったら?
- JWPが引退ロードの返金などで大きな損害を被ることはなかった。
- 場合によっては2017年のJWP解散→PURE-J旗揚げの流れもなかったかもしれない。
- 引退後もJWPのイベントには顔を出していただろう。
- そもそも引退を表明しなかったら
- JWPを退団してフリーにならなかったか遅れていた。
- さくらえみにタイに連れて行かれることもなかったかもしれない。